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December 31, 2023

成長は加速度的に訪れた! 〜アインシュタインの「奇跡の年」〜

 アルベルト・アインシュタインが4つの論文を科学雑誌『アナーレン・デア・フィジーク』で発表した1905年のことである。この4つの論文は、空間時間質量エネルギーといった基本的な概念に対する科学的理解に革命をもたらし、現代物理学の基礎を築いた。アインシュタインがこれらの優れた論文を1年で発表したことから、1905年は「奇跡の年」と呼ばれている。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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 彼が世間に認められたのは、大学ではなく、特許庁に勤めていたときです。1905年、彼は5つの論文を発表します。これらの論文で提唱された「光量子仮説」「ブラウン運動理論」「特殊相対性理論」といったアイディアは、いずれもノーベル賞に値する画期的な発見でした。今では、この1905年は、物理学史上の「奇跡の年」と呼ばれていますが、特殊相対性理論の論文を書いたときのアインシュタインは、まだ物理学者ですらなかったのです。
 受験に失敗し、大学にも残れず、就活でも苦労し、教授から「才能がない」とまで言われた若者が、どうして世紀の大発見をすることができたのでしょうか。(中略)
 アインシュタインは、学業では必ずしもよい成績を修めることができませんでした。しかし、彼には本当の意味での「考える力」があったのです。また、普通の人なら諦めてしまうような困難な状況に直面しても、決して諦めませんでした。
「学業成績」と「考える力」。この2つは似て非なるものなのです。そして、大きな仕事を成し遂げるためには、諦めずに、最後までやり遂げようと思う人間力が必要なのです。
 「物理学者が教える『考える力』の鍛え方」上田正仁著2013年(ブックマン社)p15〜17
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・・・・アインシュタインにとっては、まさに「ブレークスルー」。
 頭の中にあった様々な知識が結合し、言語化できたことで世間に認められたのだと思う。
 当たり前だが「頭の中」にあるだけでは誰にも理解されない。
◆ 実際、アインシュタインも1905年に発表される論文に至るアイディアは、ずいぶん前から頭の中にあったと言います。周りからは才能がないと思われていた劣等生の脳内で、とてつもない素晴らしい思索が進行したのしていたのです。P20
 向山洋一氏の言われる「100の努力・成長曲線・成長は加速度的に訪れる」を彷彿させるエピソードだ。
 
 同書には、アインシュタインの言葉も紹介されている。
◆ It’s not that I am so smart , it’s just that I stay with problems longer.
 私はすごく頭が良いわけではなく、ただ、1人でも長い時間、問題と向き合っているだけだ。
◆ I have no special talent . I am only personality curious
 私に特別な才能などない。ただ、情熱的と言えるほどに好奇心が旺盛なのだ。
・・・エジソンと同じように、ただただ自分の道を突き進んだということが分かる。

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日本人はノーベル賞を獲れなくなる 「結果でなく過程を賞賛しよう!」

〜ノーベル賞学者10人が明かす焦燥〜
 2021年のノーベル物理学賞の受賞者に真鍋淑郎・米プリンストン大学上席研究員が選ばれたことをきっかけに、日本で論争が巻き起こっています。真鍋氏が米国籍に国籍を変更したことや、受賞会見でジョークとして語った「日本に戻りたくない理由」などを受けて、日本の研究力・研究環境の劣化や頭脳の海外流出がさけばれているのです。
 しかし、こうした問題提起は今に始まったことではありません。「週刊ダイヤモンド」18年12月8日号では『日本人はもうノーベル賞を獲れない 科学技術立国の危機』と題した特集で、この問題を取り上げています。
・・・という記事をじっくり読むと、「やばいなあ」と思わずにはいられない。

 イノベーションの意識(志)を育むことは大事だが、
 チーム日本として、人的配慮・予算的配慮をしないと「気持ち」だけでは到底無理だ。

 例えば、上記サイトにある梶田隆章氏のインタビュー記事
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 学生が博士課程に行かなくなっているのは、運営費交付金の減少によって大学は仕方なく若い助教のポストを減らして、人件費を減らして何とかやっているからです。従って若い人は今、博士号を取ってもなかなか定職に就けません。だいたい平均して、40歳ぐらいで定職に就いているのは半分程度という感じでしょう。
 本来長い目で見て、国が科学技術立国として将来やっていく気があるのであれば、この状況を放置するなんてあり得ません。
――今は日本人がノーベル賞を獲れています。今後もこのペースでいくと思いますか?
 いかないと思います。ノーベル賞はどんな研究に与えられるかというと、何もないところから何か新しいものを生んだ研究にです。これは研究者が自由に研究をして、そこから今までにないものを生んでいくプロセス。今の日本ではそれがいろんな面で非常に厳しくなっていますね。ちなみにそれができるのは統計的に明らかで、若い世代の研究者です。(中略)昔は自由な研究をするためのお金、自分の好きなことができる風土がありましたが、今はもうできません。
 ――あらためてですが、基礎研究をなぜすべきなのでしょうか。 
 基礎研究はべつに、社会に役立つことを念頭に置いてやっているわけではありません。研究の中でやがて社会の役に立つものが出てくるかもしれませんが、誰もどれが役に立つかなんて分かりません。だから、基礎研究は幅広くやることが重要なんです。
 また、例えば私がしている宇宙の研究などは恐らく、将来も社会の役には立ちません。でもそれはそれとして人類の知を拡大する、人類全体の活動に参加するという意味でやるべきだと考えています。それなりのリスペクトをしてほしいと思います。
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 若い研究者をじっくり育てたり生活保障したりしていないのが、今の現状だ。
 かつては、給料に見合うかどうかを度外視してぶっ通しで研究したり開発したりした「個人」、採算を度外視して研究や開発を促した「研究機関」「企業」の努力に寄っかかってイノベーションが成り立っていたのではないか。
 そういう個々の努力に依拠して、受賞した人の結果だけを賛美するのは間違っている。
 ほんの僅かな成功事例の奥には、千も万もうまくいかなかった研究がある。
 我々教師の「褒める秘訣」と同じ。
  何をやったかの結果を褒めるのではなく、やろうとしているところを褒めるのだ。結果だけを褒めると失敗を恐れて行動しない子が増えてしまう。
 梶田氏の言うように、研究者に対する「リスペクト」を促すことも、学校教育の大切な役割だ。
 ※先日、NHKで落合陽一の特集をしていた。
 学生に自分の好きな研究をどんどん進めるようにアドバイスしながら
「研究費は、俺が何とかして引っ張ってくるから」
というようなことを言っていた。さすが落合氏!
以下のニュースは、真鍋淑朗氏のノーベル賞受賞に祝福のメッセージを送った岸田首相に対して、「研究者にもっと支援を」の声が上がったというもの。
「同情するなら金をくれ」と言うわけではないんだろうけど・・

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「使える!『国語』の考え方」橋本陽介(ちくま新書)〜

〜「物語論」による用語解説〜
 橋本氏が専門の「物語論(ナラトロジー)」の読み方は、分析批評を学んだ私たちにとっては、馴染みの流れである。p64〜73

 私なりにラベリングしてみた。
(1)
語り手
◆まず物語には語り手が設定され、その語り手が語ることによってテクストができあがる。この語ることを物語行為と呼び、物語行為によってできるテクストを物語言説と呼ぶ。
(2)
出来事(展開)
◆小説世界には、基本的には登場人物がいて、何か出来事が起こる。出来事が起こるということは、時間が経過し、何かが変化するということである。従って、小説をどう展開させるのかと、小説の時間をどのように表現するのかは、非常に重要な要素となる。
(3)
出来事(因果)
◆では、小説はどのように展開していくのだろうか。私たちは、出来事を因果関係の連鎖として認識している。Aが起こったためにBが起こり、Bが起こったためにCが起こるといった具合である。たいていの小説文も、このように因果関係の連鎖として展開していく。
◆多くの小説文では、出来事を因果的に結ぶ。そこで語られる出来事は、何らかの理由があって、結合されていると考えられている。「羅生門」の展開は、まとめてしまえば、「行動を決めかねていた下人が、死人の髪を抜く老婆にあったことによって、盗人になる物語」となる。下人の行動、心理の変化は、この主題に関連した出来事の連鎖として読まれるのである。
(4)
描写
◆小説文中、行動を表す文や、「電話が鳴った」のような文は、時間を展開させる。一方、状況や人物の描写、説明は時間を展開させない。描写や説明は、小説の雰囲気を形作るものである。エンターテイメントに比べて、文学的な小説では、この時間を進めない方の叙述の読み方も重要となってくる。
(5)「視点」(焦点化)
◆小説の場合は、完全に客観的な語り方はむしろまれであり、誰かの視点から世界が描かれるのが普通である。つまりは、誰かの主観を反映している。(中略)世界は常に主観から把握されているわけだから、そうした世界把握の仕方を提示する小説文の方法も、誤りではない。(中略)
 このように、誰かの知覚から語られる場合、その人物に内的焦点化しているという。視点ではなく、焦点化と言うのは、視覚以外の知覚もあるからである。「羅生門」でも、下人は死骸の腐乱した臭いに鼻を覆っている。一方、誰かの視点から見られるのは、外的焦点化と言う。老婆は外的焦点化された存在ということができる。
 小説や映画を見るときには、誰の目線からなのか、誰の立場から描かれているのかを常に気にしなければならない。
6)
「視点」(内面描写)
◆「内面を書くのか、書かないのか」
小説の特異な点は、人物の内面に自由に入ることができる点である。誰の内的思考や感情を表出するのか、あるいはしないのかも重要である。内的思考や感情が表される場合も、内的焦点化という。下人の心理がテーマとなっている「羅生門」では、当然、下人の心理が表出される。一方で、老婆は会話文で自分の考えを語ってはいるが、内面には入っていない。外側から観察観察できることのみである。
◆以上のように、語り手がどのように語るのか、展開のつけ方はどうなっているのか、時間をどう進めているのか、要約的に描くのか詳細に書くのか、どのような視点から描くのか、内面を書くのか書かないのか、といった小説の「形」に着目すると、新たな発見があるだろう。
・・・橋本氏のこの用語解説は、(そんな用語が実際あるかどうかは別にして) とても面白い。
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December 29, 2023

最悪を想定する「無限の努力」

 12月26日、ボクシングで4団体統一戦王者となった井上尚弥選手。
 ネットの次の見出しが刺激的だった。

 井上尚弥は闘う前から脳内の「最強タパレス」に勝っていた ボクシング2階級制覇した圧巻の想像力
 
 井上尚は対戦相手のビデオを熱心に見るタイプではない。相手の映像をある程度チェックして特徴をつかみ、動きをインプットする。そこから、頭の中で対戦相手を徐々に強くしていくのだ。
 実際、タパレスはそんなパンチを打てないかもしれない。そこまでディフェンスをしないかもしれない。だけど、頭の中であえて過大評価し「最強のタパレス」をつくりあげる。
 シャドーボクシングでは、目の前に強くなったタパレスがいるかのように「これを避けられたら今度はこうして」と自身の動きを合わせていく。「当たりそうだな」というパンチを何度も繰り返す。だから、誰よりも入念にシャドーボクシングを行い、多くの時間を割いている。
 八重樫トレーナーは練習での動きをそのまま試合で再現し、KOする井上尚の姿を何度も見てきた。「それって、相手のイメージがめちゃくちゃリアルじゃないと試合ではできない。本当にすごいこと」と称賛する。
 試合後、タパレスは「できることはすべてやり尽くした」と言った。だが、そのはるか上を行くかのように井上尚が倒しきり、顔には傷一つなかった。それは頭の中でずっと「最強のタパレス」と闘い続けていたからに、ほかならない。
・・・「頭の中であえて過大評価し『最強のタパレス』をつくりあげる」
  つまり、最悪を想定し、脳内で「最強の相手」を想定し、打ち勝つ練習を積んだ。
  だから、本番の試合を見ると、シロウト目には余裕だった。記事にあるように井上選手の顔は傷一つなかった。
 「最悪を想定する」というのは、単純な楽観主義とは真逆の発想だ。
 「やってのける』ハルバーソン(大和書房)には、次のように書いてある。
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◆ポジテイブ思考の人は、物事がうまくいくと信じているために、起こり得るさまざまな問題を十分に検討しようとしません。そのために準備を怠ったり、危険な行動を取ろうとします。(中略)
 一方、ネガティブ思考の人は、つねに最悪の状況を想定します。物事がうまくいかなくなる状況も含め、さまざまな可能性に備えようとします。
◆「トラブルのもとになる非現実的な楽観主義」と「目標達成に欠かせない現実的な楽観主義」との違いは、楽観的になる理由の違いから生じます。
 自分は適切な計画を立てたり効果的な戦略を見つけることによって成功するか失敗するかを自分でコントロールできる、そう考えて楽観的になるのが現実的な楽観主義です。この考えは自信と意欲を高めます。
 非現実的な楽観主義は、計画や努力とは無関係の要素ーたとえば才能(わたしは頭がいいから成功する)や運(自分はラッキーだからうまくいく)-を根拠にします。そのため必要な準備を怠り、状況が悪くなるとすぐにあきらめてしまうのです。
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 楠木建「絶対悲観主義」(講談社+α新書)の冒頭には次のようにある。
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 世の中に言う悲観主義は実のところ根拠のない楽観主義です。最初のところで「うまくいく」という前提を持つからこそ、「うまくいかないのではないか」と心配や不安にとらわれ、悲観に陥るという成り行きです。
 こと仕事に関していえば、そもそも自分の思い通りになることなんてほとんどありません。この身も蓋もない真実を直視さえしておけば、戦争や病気のような余程のことがない限り、困難も逆境もありません。逆境がなければ挫折もない。成功の呪縛から自由になれば、目の前の仕事に気楽に取り組み、淡々とやり続けることができます。GRIT無用、レジリエンス不要――これが絶対悲観主義の構えです。
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・・・ 才能や運を根拠にした楽観主義は、必要な準備を怠り、状況を悪くする。
 そもそも自分の思い通りになることなんてほとんどないと思うから、抜かりない準備ができる。
 井上尚弥選手の歴史的快挙は、才能ではなく、努力なのだ。
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December 27, 2023

「ほめ方・叱り方」覚え書き(6)

叱る必要がない5つの場合

(1)本人が気付いていない場合

(2)分かっていない場合

(3)もう既に自分が悪いと分かっている場合

(4)能力によるもの

(5)注目を集めたくてやっている場合

 南恵介先生の覚悟と技術 「教育技術小1小2」2019年7/8号 P14 

 

・・・気付いてないこと・分かっていないこと・できないことは叱っても仕方ない。ちゃんと教えてあげるのが教師の仕事だ。

 (5)の注目を浴びたくてやっている場合は、「スルーすることが必要」とある。

 これはいわゆる「誤学習」で、みんなが注目すると「それはやっていい行動なのだ」と間違った学習をしてしまうので、スルーが基本。

 ただし、南氏は、「悪いと分かっていて『あえて』したことは叱ってよい」とも書いている。

◆これくらい許されるだろうと、ルールを蔑ろにしている場合

◆人の気持ちよりも、自分のことを優先して考えている場合

 これらの自分勝手は、学級集団の乱れにつながるからだ。

 私は、追い込まない程度に「それって自分勝手な行動だよね」と迫ることがよくあった。

 さすがに「自分勝手」という烙印はよろしくないと分かるので、小学生でも「まずい」と感じることが多い。

 

 ただし、ツワモノになると「僕はそう思わないよ」などと開き直る。

 そういう相手には、うっかり問いかけてはいけない。

 「迷惑だからやめて」

 「私が嫌なの」

 「先生、嫌な気持ちになるからやめて」

と私メッセージで伝える。

「あなたがどう思うかは知らないが、少なくとも私は嫌な気持ちなのだ」という意思表示である。

 隣の子が嫌がっていたら、「あなたは楽しいもしれないけれど、隣の子が嫌がってるからやめて」と伝える。

 このような場合、ワザとやっているかもしれないが、冒頭で列挙したように、本人は「気づいていない・分かっていない・能力的にできない」かもしれない。

 そのような場合には、叱っても仕方ない。やんわりと注意する。

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「ほめ方・叱り方」覚え書き(5)

ほめ方のコツ

(1)嘘を言わない

(2)あえてたくさんの人の前でほめる

(3)はっきりと自信をもってほめる

(4)具体的にほめる

(5)うまくほめようと意識しすぎない

(6)些細な変化にきづき、ほめにつなげる

(7)本人がいないところでほめる

(8)「さ・し・す・せ・そ」

  さすがですね、知らなかったなあ、すごいです・すばらしいです・すてきです。センスがある、そうなんです・その通りです

 

叱り方のコツ

(1)具体的に叱る

(2)子供に具体的に説明させる

(3)他人と比較しない

(4)叱るシーンを選ぶ

(5)大きな声を出さずに冷静に

怒るデメリット&きちんと「叱る」にはどうすれば? 守りたい5つの原則|ベネッセ教育情報サイト (benesse.jp)

・・・これは引用元があった。具体的なことは原典を参照していただきたい・

 

【叱る時のCCQ】を思い出しました。

Calm・・穏やかに

Close・・近づいて

Quiet・・静かに

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「ほめ方・叱り方」覚え書き(4)

研修先でみんなが持ち寄った資料の続き

(1)「できなかったこと」よりも「できたこと」に目を向けているか。

(2)子供の行動を見守っているか

(3)公平か

(4)子供に対しおごっていないか。感謝の気持ちはあるか

(5)子供としっかり向き合っているか(ほかごとをしながら聞いていないか)

(6)言葉だけでなく行動を伴わせているか(挨拶や返事などは、やり直しさせる)。

(7)教師自身が見本を示しているか。

(8)何がいけないかを、子ど自身に考えさせてるか。(子供自身に何がいけなかったかを語らせる)

(9)人任せにしていないか(言いたいことや困ったことは、必ず本人から話させる)

(10)自分のクラス以外も関わっているか(他のクラスの子も同じように指導する)

(11)自分のメンツで叱っていないか(指導不足を指摘されたくなくてムキになっていないか)

 

・・・(5)は結構難しい。子供は次から次へと話しかけてくるが、話半分で聞いていると、いずれ話してくれなくなる(親も同じ)。

◆相手の顔を見て、◆目を見て、◆あいづちを打ちながら、◆うなずきながら、◆相手の言葉を繰り返しながら、◆最後まで聞く

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「ほめ方・叱り方」覚え書き(3)

【ほめ方のポイント】

(1)児童生徒の成長を願い、激励の気持ちでほめる

(2)児童生徒をしっかり観察してほめる

(3)結果が悪くても、がんばっている努力や態度をほめる

(4)よい行いは、繰り返しほめ続ける

【叱り方のポイント】

(1)多くの人がいるところでは叱らない

(2)1つに事に絞って叱る

(3)叱る理由を児童生徒に理解させる

(4)一方的に叱らずに、児童生徒の言葉をしっかりと聴く

 

・・・私が、よく職員に示したのは「納得させてから子供を帰しましょう」

子ども同士のトラブルや先生の𠮟責などを含め、納得しないまま子どもを帰すと、子どもは自分が受け止めた「事実」に基づいて、不満を保護者にぶつける。

保護者は、子どもから聞いた「事実」を元に判断を下すから、我が子を守るために抗議行動を起こす。

下校時に子どもが納得しきれていなかったら、電話等で事情を説明しておかないと、ややこしいことになる。

「叱る」については、最大の注意を払い、リスクを背負う覚悟を持たねばならない。勢いや感情で叱ってはいけない。

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「ほめ方・叱り方」覚え書き(2)

出張先で、各自が持ち寄った資料は引用先の不明なものが多い。

紹介しづらいが、英知の結晶として残しておく。

「叱り方3つのポイント」

(1)人間性を否定しないように叱る」

・・子供の自尊心を傷つけず、反省をうながす。具体的には、行動や考え方の悪かったところを適切に注意し、どうしたらよいのか分かるように説明する。

(2)一貫性をもって叱る(日によって異なる・子どもによって異なることがないように)

(3)成長を促すために叱る

 阿川佐和子の「叱られる力」を引用して

◆覚悟をもった叱り方

「か」・・感情的にならない

「り」・・理由を話す

「て」・・手短に

「き」・・キャラクター(人格)に触れない

「た」・・他人と比べない

「ね」・・根にもたない

「こ」・・個別に叱る

◆叱られる覚悟をもたせる

 「本気で嫌っていたら叱らないよ」

 「叱られるうちが花だよ。育てる甲斐がないと思ったら、叱ってくれないよ」

 

・・・なるほど。阿川佐和子さんの「叱られる力」読んだことあるけど、全然忘れてるなあ。

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「ほめ方・叱り方」覚え書き(1)

コピーして保管してくだけでは、いずれ忘れ去られていく。そんな資料が机の中からたくさん出てきたので、整理してみる。

今月の生徒指導~集団指導と個別指導(発達障害の理解)

「小学校教育技術」2014年11月号 P42.43

 

 執筆は福山幸次郎氏。集団を意識したほめ方ポイントが5つずつ挙げられている。

①共感的なことばでほめる

(頭をなでたり、握手をしたりして)

②努力してできるようになったことをほめる

(目標を立てて頑張っていたね)

③他人への思いやりや配慮など値打ちのある行為だけほめる

(できて当たり前のこと、だれにでもできることはほめない)

④その子に合ったほめ方でほめる

(みんなの前でほめるのか、その子だけ呼んでほめるのか)

⑤なぜほめられたのかが当人にわかるようにほめる

(言葉足らずなほめ方や、いい加減なほめ方はしない)

 

 さらに、叱り方のポイントも5つ示されている。

①行為を否定し、人格を否定しない(愛情をこめて叱る)

②時間をおかずに即時に(子どもが覚えているうちに叱る)

③教師の基準と一貫性をもつ(公平に同じことをしたら必ず叱る)

④叱られた理由がわかるように(理由を教えて、善悪を教える)

⑤簡潔なことばで(くどくど言わずに、反省を促すように)

 

 読みながら、「個別指導はつくづく難しい」と思った。

 多くの先生は、全員を同じようにほめたり叱ったりできないからだ。

 ある子にとっては「できて当たり前」だが、その子にとっては価値があるのでおおげさにほめることがある。

 ある子にとっては「叱られて当たり前」だが、その子にとっては日常茶飯事なのでスルーされることがある。

 

 それを「矛盾」として、この2ページは次のように結んでいる。

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 ここで一つの矛盾が生まれます。集団指導では「指導の一貫性」を大切にしているのに、個別指導では「個に応じて」指導法を変えるからでです。

 「あの子だけずるいよ」「ひいきじゃないの?」

 こんな言葉が他の子から出ないように、「違いを受け入れることができる集団」づくりをめざしましょう。(中略)

 一人ひとりの子どもに寄り添う姿勢が個別粗銅で一番大切なことではないでしょうか。

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・・・いやいや、この「矛盾」こそが学級経営の最大の難関だから、ここを「めざしましょう」と言われると、「そのためにどうすれないいのが知りたいです」と突っ込みたくなる。

 そこはあきらめて、「発達障害の二次障害」にかかわる箇所には、次のように書いてある。

 

 ・低い自己評価

 ・どうすればよいかわからないという困惑

 ・自分の存在を否定する周囲への反発

   ↓  ー現れてくる行動ー

 ・すべてに対してのやる気の喪失

 ・意固地などの情動の抑制不能

 ・自分を認めようとしない周囲への反発

 ・自分の将来への悲観から自暴自棄な行動へ

 

 「発達障害が周りの不適切なかかわりによって不登校や非行などの問題行動につながる場合も考えられ」

とある一方、

「障害があれば配慮し、なければ配慮しない」わけではない

と述べている。

 集団指導と個別指導のバランスが難しいことが、よく分かる論稿だった(と今回つくづく思った)。

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December 26, 2023

ネガテイブな表現は1つも要らない?

『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』前野隆司(講談社現代新書)

A「ダメじゃないか、もっと△△してくれないと」

・・問題点を否定形で指摘するやり方

B「〇〇の点は良かった。ありがとう。しかし、もっと△△にしてくれないか」

・・・いい点を言ってから悪い点も指摘するのでプラスマイナスゼロ

C「〇〇の点は良かった。すばらしい。さらに××△△にしたらもっといいんじゃないかな」

・・・いい点を指摘した後、悪い点をネガティヴに指摘するのではなく、ポジテイブに助言する形。「しかし」「ただし」といった否定形を使わない言い方。

 

実は、会話の中で、ネガテイブな表現なんて、一つも要らないんです。百パーセント、不要。すべてポジテイブな表現で伝えることができる。 P169~170

 

 言い方一つで、相手を傷つけることも納得させることもある。

 だから、ポジテイブでソフトな表現への変換スキルをしっかり身に付けたいと思う。

 ここまでが、傲慢な指導者にならないための心がけ。指導者はタイプCを心掛けたい。

 ただし、我が子を思う保護者はオブラートに包んで話をしてくれるとは限らない。

「そんなにボロクソに言わなくいてもいいんじゃないか」と思う口調で攻めてくる保護者も多い。

 だから、保護者の暴言に対する「打たれ強さ」、Aタイプの苦情に対する心の準備を持っていないと、職員はメンタルでやられてしまう。

 「侮辱罪」で訴えることは可能だから、いざとなったら「訴えてやる」と思えっていれば、それだけで気楽に傾聴できるかもしれない。

002

 

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「評価の3観点」の再確認

 東京書籍「教師の窓」 2021 年 1 月号に、市川真一氏の 論稿を再読した。もう3年も前の資料だ。

https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/2021/2021017255.htm

 

(1) 「主体的学習に取り組む態度」について。

「主体的に学習に取り組む態度」は、 粘り強く取り組む側面と自己調整を行う側面から評価することが求められます。

粘り強いというのは、学習に長い時間取り組むといったような量的 なものです。

ただし、それだけではなくて、自己調整、つまり自分なりの工夫をして、学びを質的 に高めようとしているかどうかを評価することが必要です。 

・・・有名なAB2軸のグラフ。

001

 量的・質的な取り組み態度を把握するための例として、

分からないところに印をつける。付箋をはる

自分なりの目標を書く

板書を写すだけでなく、自分なりの気づきや疑問をノートに加える

分かるまで質問する

分からない子に教える

テスト後の振り返りレポートに自分の課題を書く

家庭学習で復習する(自分なりにまとめ直す)

などが挙げられている。

 ちょっと気になったのが⑤で、これはたぶん「粘り強く」なのだろうが、「自己調整」でもあるのかな?。

「分かるまで質問する」は、よくある場面なのでどっちなのか気になった。

 「粘り強く」「自己調整」という量と質の双方向で評価したいなら、いつも2つの観点で評価していく必要があるが、⑤のようにどっちか不明なのがあると困ってしまう。

 それにしても、態度の評価を量と質の2観点でとっている先生は、少なくとも自分の周りにはいない。

 

(2)「知識・技能」

 周りの先生たちが、一番大丈夫だと思っているのが「知識・技能」。

 ここはペーパーテストをやれば、何とか把握できるからだ。

 しかし、市川氏の解説をよむと、そうでもない。

まず「知識・技能」はあまり変わっていないと言われますが、評価の方法に目を向けてもらうとそうではないことがわかると 思います。

「知識・技能」とは、丸暗記で対応できるペーパーテストで評価するような、断片的な知識だけではなく、記述式問題や実演などを通して、知識同士が関連付いた状態、例えば原因や理由等の理解を伴った知識を評価することが求められています。

 

・・・原因や理由の記述は「思考・判断・表現」ではなく、「知識・技能」の評価の範囲とある。

 記述式問題=「思考・判断・表現」ではない。「知識・技能」だって記述式問題を課すことがある。

算数、数学であれば、公式を暗記するだけでなく、その公式がどうやってできてきたかや、他の公式との関係まで理解する。

歴史であれば、年号を覚えるだけでなく、その出来事が起きた原因や全体の流れまで理解する。従来よりも、知識の高度化が求められているともいえます

・・・算数の公式ができた経緯、歴史の出来事の経緯の理解をを含めて 「知識・技能」の評価の範囲とある。

 丸暗記=「知識・技能」ではない。「知識・技能」だって記述させるのだ。

「思考・判断・表現」では、それ以上のことを、自分で考察するとか、まとめ直して発表するとか、討論するとか、レポートにするといった活動が求められます。

レポートにするとは、時間をたっぷりかけて自分なりに考えを深めて論述することです。

・・・ざっくり言うと、ちょっとした説明は「知識・技能」。時間をかけて考えを深めたら「思考・判断・表現」か。

 ということは、例えば、算数の多角形を多様な方法で求積させる課題は、「原因や理由を伴った知識」なのか「思考・判断・表現」なのか。

 今までは当然「思考」と思い込んでいたのだが、「知識・技能」なのかなと迷いが生じている。

 ここで迷うということは、観点評価の自分の理解が不十分だと言わざるを得ない。

 まさに「今更ながら」で恥ずかしい限りなのである。

 

 

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傲慢な指導者にならないために(4)

「上から目線」の傲慢な態度がなかったかどうかは、自分ではなかなか分からないものだ。
だから、しっかり自己診断しないといけない。
「『上から目線』の構造」榎本博明(日経プレミア)2011年から復習
◆若手が問題にする上司や先輩の言動 P52
①必要以上に威張り散らす態度
②やたらと上司ぶったり先輩面をする態度
③独りよがりで何でも決めつける態度
④人の気持ちに無頓着で人の言い分も聞かずに一方的に命じる態度
◆「劣等コンプレックス」をもつ上司の特徴 P57
①部下に注意するとき、必ずと言ってよいほど「自分の若い時は・・」と自慢話が始まる。
②取引先の人たちの前になると。いつも以上に部下に対して横柄な態度をとる。
③部下のちょっとした言動にいきり立ち、目上の人間に対して失礼だと激怒する。
=================
◆たとえば、やり方が未熟で仕事がうまくいっていないため、アドバイスをして行動を改めさせようというようなときも、いきなりまずい点を指摘したり、改善点を示したりすると、崩れそうなプライドを必死に支えようとする相手の抵抗にあうに違いない。そんなときは
「自分も最初の頃はそうだったのだけれど・・」
「みんな慣れないうちはよくやるのだが・・」
のようなクッションとなる枕詞を用意する必要がある。
 松下電器の創業者松下幸之助は、そのあたりの手綱さばきが絶妙だ。指示を出すにも、必ず相手の言うことに耳を傾ける。まずは聴くことが大事だという。人に指示し、命令するにあたっては、「あんたの意見はどうか。僕はこう思うんだが」というように相談調にして話をしていくという。そうすることで、指示も命令も相手の心に浸透し、部下も当事者意識を持ってその指示や命令に従った行動をとるようになる。近頃盛んに言われるコーチング・マインドを当たり前のように実践していたのである。P53.54
=================
 テクニックというよりも、人としての「生き方」の問題。
 そして「思いやり」の問題。
 長年、子供相手の仕事をしていると、教師は「上から目線」が染みつきやすい。
 だからこそ、自分を厳しく戒める。
 子供相手だからといって絶えず「上から目線」では、子供の心が離れていく。
 「謙虚の上にも、謙虚」
  尊敬するの先生方は、みな謙虚の上にも謙虚なのである。
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偶然、偉人に出会う! 盛田家第15代当主

愛知県常滑市に「盛田 味の館」という、いわゆるお食事処がある。

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「盛田」は「ねのひ」という日本酒の他に、味噌や醤油などを製造する愛知の醸造文化の代表的なメーカーだ。
 醸造蔵を使った店舗に入ると、ドーンと日本酒が並んでいる。
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味のあるとても楽しい空間だ。
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自分は「味噌煮込みうどん」を注文した。
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さて、このお食事処は、入るまで知らなかったのだが、盛田家15代当主の記念品が常設展示されている。
入口右手には、当主の大きな写真が飾ってある。
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SONY創業者の盛田昭夫氏。
知多の出身であり、造り酒屋「盛田」の出自であることは知っていたが、こんな資料展示があるとは知らなかった。
学生時代の直筆ノートを見ると、こういう実物を残しておいてくれて、ただただありがたいと思う。

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自分が若い頃は「MADE IN JAPAN]「Noと言える日本」が出版され、井深大氏とともに、SONYブランドだけでなく、「日本」という国家のブランド価値を高めた方だった。ステイ−ブ・ジョブズが尊敬した企業がSONYだった。
しかし
昭和を牽引した日本の家電ブランドは、「平成」を経て、すっかり影が薄くなった。
「SONYは、iphoneを作り出せなかった」というのが象徴的だ。
世の中(日本の産業構造)が変わってきた中で、安易に「SONYに学ぼう」と鼓舞しても時代に合わない。
しかし、全く相手にされなかった日本の小さな企業が、いかに世界進出を果たしたのをもう一度おさらいすることは、ウオークマン世代の私たちの仕事かもしれない。
盛田氏は「学校の秀才が必ずしも社会の秀才ではない」と語っていた。
今回、展示室の年表で初めて知ったのが「学歴無用論」がベストセラーになったのが昭和41年だと言うこと。さすがにリアルタイムでその記憶はないが、この盛田氏の主張は今なお心に留めておきたい。
そもそも降りるインターを間違えて、たまたま訪れた場所。
そんな偶然の中にも学びのきっかけがあった。
館内限定で購入した純米大吟醸を飲みながら、愛知の偉人について考察してみよう!

※「なぜソニーはアップルになれなかったのか」
※「日本企業がアップルになれない理由」
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/feature/00065/00018/

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December 21, 2023

やる気がないのを生徒のせいにしてはいけない

 長谷川博之先生は「『成功する生徒指導』の原則』(学芸みらい社)の中で、次のように書いています。

◆たとえば、教科書もノートも出さない生徒に対し、端から喧嘩腰に迫るのでなく、やる気が出ればノートだって出すはずだと信じて発問・指示・対応を繰り出していた。やる気がないことを生徒のせいにしていては、いつまで経っても事態は変わりません。

・・・もちろん成績で脅しても何も事態は変わりません。「成績なんてどうだっていいよ」と開き直った生徒からほころび始めます。

今、私は中学校で教えた時のことを思い出して、自戒を込めて書いています。

自分の授業もうまくいかないことの連続で、生徒を熱中させる授業など、年にほんのわずかしかありませんでした。うまくいった原因やうまくいかなかった原因を探ることで一進一退を繰り返してきました。

だから、やる気を見せない生徒を前に困惑したり怒鳴ったりしたくなる先生方のお気持ちがよく分かります。

かつて、ある中学校向けの教育雑誌に「楽しい授業をしましょう」と提言があったとき、

「楽しいことが授業の目的ではない」

「世の中には楽しくなくても我慢してやらねばならないことがある。生徒を甘やかしてはいけない」「生徒のご機嫌を取る必要はない」

といった現場教師からの批判が載っていました。

そもそも授業とは、そんなにつまらないもの=苦行なのでしょうか。

「たとえつまらなくとも大事なことならば」と仮定する人がいますが、教える内容の重要さと魅力を提示するのが教師の仕事ではないでしょうか。先生が「内容がつまらなくても大事だから我慢せよ」と発言した時点で負けを認めています。

自分も未熟だからこそ、日々授業に悩む先生方に敬意を表します。

ともに学びましょう。我々教師が「がんばる」とは、「学び続けること」しかないのです。

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優れた教育実践から貪欲に学ぼう!

書棚から 『教師の教育力』大西忠治著(日本書籍)を引っ張り出しました。 1987年の著書です。

「実践記録を読むことで教師は前進する」という冒頭の一節が印象に残りました。

「 山びこ学校」「無着成恭」というワードを外して引用します。なお大西氏の文章は不思議なところで平仮名表記がありますが、そこは原文のママで。

========================= 

 「〇〇」をあなたは知っているか。△△という教師を知っているか。最近若い教師の 集まりでそんなことをきいてみた。知っている人は手を上げてくれるようにいってみた 。ところが誰も手をあげてくれない。たいへん若い人ばかりだったせいもあったためか ほんとうに誰も手もあげない。

 「〇〇」や△△氏の時代は去ったのだといえばそうなのかもしれない。しかし、「〇〇」や△△氏をしらないでも、「〇〇」の中にあった教育の内容と△△氏のやった教育 の方法とを知らないでは教師という職業はやってけないと私は思うのである。

 「○○」や△△氏がほんとうに過去のものになるのは、そのなかにあった教育と方法が検討しつくされた時だと私は思う。そして、それはじゅうぶん検討されたとも思えないし、「〇〇」をこえた教育を現在の教師がすでにもちきっているとも思えないのである。(中略)

 教師たちは新しい理論と方法のほうへ流れていく。むろん新しい理論と方法がが若い教師をとらえていくには、それなりの理由があり、それは意味のあることで、それにさえ目をむけない教師のほうがもっと困るものであるとはいえる。

 しかし、その流行している新しいと見える理論と方法も多くが過去のそれらの実践の中にすでにあったもので、あるものをすでに誤りであることが明らかに指摘されている ものすら含まれている場合もある。新しくも前進でもないものが新しい装いをもって、 新しいスターの説得力によって、繰り返しに流行化して登場している場合すらある。

=========================・

・・;1987年の書籍です。

向山先生が立ち上げた法則化運動を意識しての発言であったかもしれませんが、今なら「向山洋一・法則化運動」に置き換えられるでしょう。

大西氏は「やまびこ学校」も知らないで教師が務まるかと言いましたが、自分は十分知らずに退職を迎えました。向山先生が追いかけた斎藤喜博氏の著作についても、読んでは挫折の繰り返しで、向山先生が心酔した境地には立てませんでした。

ですから、37年前の大西忠治氏のように「〇〇を知らずに教育を語るな」と言いたい気持ちと、『あたらしい酒は、新しい革袋に』と言われるように、「とにかく前に進め 」と言いたい気持ちとが複雑に絡んでいます。

ある先生は『国語の授業が楽しくなる』 を知らない(追試したことがない)TOSSの先生の多さに驚いたと言われます。それは伝えきれなかった我々のせいではありますが、若い先生はすべてを踏襲せずとも前に進めばよいのかもしれません。

ところで大西氏は、前掲書の中で「本をよまないものは人に教えることができない」と も書いています。

======================

大学卒業後、五年や十年の経験と人生で、人にものを教えることができるというのは思いあがりである。結局よんだものを教えているのである。 (中略) だから、教師が本をよまなくなり、教育書をよまなくなった・・ということは、むろん 教育書の内容がわるいということもあろうが、教師の教育力の低下になることは当然で ある。本をよまないものは人に教えることができない。私はそう思っている。======================

「教育書を読む」という文化はどうなるのでしょうか?

 今はデジタル環境もありますから、書籍とは限定しないとしても、少なくとも「教育情報にアクセスしない者は人に教えることができない」ことは言い続けていきたいと思います。

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December 20, 2023

「失敗にめげない前向きな姿勢が大切」

「最新脳科学が教える高校生の勉強法」池谷裕二著(東進ブックス)

4-2の章に表題が上記の通りで、次のような解説がある。

===============

 ひとつの成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要なのです。こうした数多くの失敗がなければ正しい記憶はできません。「失敗しない人は常に何事もなしえない」(フェルブス)との言葉通り、記憶とは「失敗」と「繰り返し」によって形成され強化されるものなのです。

  皆さんの勉強に関してもまったく同じ事は言えます。繰り返すこと、つまり「復習」が大切だということはすでに述べましたが、それと同時に「失敗」することもまた重要なのです。つまり問題を解き間違えたり、ケアレスミスをしたり、テストで悪い点数を取ったりすることです。

 (中略)失敗数が多ければ多いほど記憶は正確で確実なものになっていきます。偶然が重なって、たまたまテストでよい点数を取ったとしても、それはあなたにとって何の得にもなりません。

 ですから、もし皆さんがテストで悪い点数を取ってしまったとしても、クヨクヨする必要など全くありません。それは損したというよりも、むしろ得したと思い直すことです。 ただし、最悪のケースは、失敗したことを次回にどう活かすかを考えない人です。失敗したら、なぜ失敗したのかに疑問を持ってその原因を解明しその解決策を考えることが肝心です。p9596

==================

・・・失敗という強いエピソードがあるから、恥ずかしい思いや悔しい思いをした分だけ強く記憶に残るということもあるだろうか。

 脳科学者の中野信子氏は「語学の習得はトライ&エラーなので、失敗を恐れる人には、不利な科目かも・・」と語っている。

「適度に緊張しないと、いい結果が出ない」は、スポーツの世界によくあることで、リラックスすればよいというものでもない。

 緊張する場をいくつ踏んだかは、成長の差になって現れる。大舞台を経験すると自信と風格が備わってくる。

 「恥ずかしい」「あきらめる」「チャレンジしない」 では、いつまでたっても上達しない。

 池谷氏の指摘は「記憶」に関するものだが、「数多くの失敗がなければ成長はできません」というのが実感だ。

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「サンデル教授の対話術」

「サンデル教授の対話術」を読んで、授業の中心が、教師の「しゃべるで」はなく「聴く」だという指摘が衝撃だった。

◆ 聴くというのは、彼らの言葉を聴くということだけでなく、考えや衝動、心配、質問など彼らの言葉の背後にあるものに耳を傾けるということです。

・・・子どもの発言の意図を汲み取れなくては、その後の授業が組み立てられない。

また、サンデル教授は、対話のスタートは「質問」だとも述べている。

◆ 私は対話を始めるための最良の方法は質問から始めることだと考えています。人々が強い信念を持っていて、時には意見の不一致が見られるような道徳的・政治的な論争について問いかけることが対話のスタート地点です。P98

・・・対話型の授業が求める学生像が、現代的課題を克服できる強い個であることを示唆しているのがp36〜37

◆学生たちにとっては、非常に親しい友人やクラスメイトもいる1000人もの前で立ち上がって自分の意見を言うのには、多くの勇気が必要とされます。また、ただ意見を言うだけでは終わらず、その理由を説明し、議論を呈示しなければなりません。しかも、他の学生が自分の意見に対して反論してくるかもしれないという状況においてです。

◆ つまり、学生たちの中に批判的省察の習慣を発展させるということです。そうすれば、彼らはやがて世の中に出て、批判的精神を持った有能な市民となり、世界をよりよい場所にするために、彼ら自身の人生の中で何事かをなすでしょう。P43

・・・講義を受けている学生の最終的なゴールが「批判的省察の習慣を発展させるということ(p43)」という指摘を読むと、文科省の提言した「主体的・対話的で深い学び」と重なっていることが分かる。

さて、P158からの解説が濃密だ。

◆ 対話型講義は、通常の一方的講義とは異なって、教師が一方的に話して学生が聞くのではなく、学生が自ら自由に思考して発言することを促します。そして、サンデル教授の場合は、唯一の正しい思想を絶対的に示したり、1つの結論を学生に受け入れるように強制したりはしません。その点で学生の自由で個性的な思考が重視されます。

・・・これは唯一の正解を求めない「哲学」という教科の特性とも絡んでいる。

今の「道徳」で言われる「最適解・納得解」の考え方に通じている。

◆しかし、他方で、これは、ただ単にお互いが自分の意見を対等な立場で述べ合う対話とも異なっています。これも大学の講義の一種ですから、教えるべき知識がありますし、学生に示唆する思想的な方向性があります。そして、講義における対話を通じて、学生が自らの思考を深めていくことができるように導くことを目指しています。

 インタビューでサンデル教授が言われているように、これは単なる世論調査ないし意見調査のようなものではないのです。自由な思考を尊重してそれを育みながら、その思考を深化させ、発展させることが対話型講義の眼目です。

・・・言いっぱなしではいけない。教えるべきことを教え、子どもの思考を深めねばならない。

◆世間の多くの討論においては、お互いの意見を述べるだけで、自分の意見の正しさやその優位性を明らかにすることのみを目指す場合が少なくありません。このような討論は、 お互いの意見の相違を明らかにするためには役立ちますが、それぞれの意見が深化したり発展して変化する事はあまり期待できません。議会や政治番組の討論を始め今日の政治的討論の多くはこのようなものになっていると言えるでしょう。これに対して、対話型講義では、教師の考えに学生ないし参加者が同意する事は求めませんが、多様な学生の考え方がそれぞれ深化して発展することを目指しており、ときにはその思想が変化することがむしろ当然であって、思想的発展の証ですらあります。

・・・討論を目指す教師は、ここを理論武装しないと理解されない。言いっぱなしで深まっていないよと指摘された際に、どう答えるかだ。

対話型講義を通して、学生の思考を深化・発展するためには、教師の舵取りが必要となる。たくさんの学生の意見をさばくためには、「聴く」が大事だとサンデル氏は言う。P53

◆ 私は、教えることの非常に重要な部分は聴くことだと思っています。私たちは、教えることとは、学生たちに情報を与えて彼らに講義をし、ときには説教することだとさえ考えがちです。しかし私は、教えることの重要な部分の多くは、聴くことが深く関わっていると思います。

 学生に講義している時、私は頭の中で自分が提示した議論や題材の順番について考えています。講義中のソクラテス的対話の中で学生が提示した議論やその理由を聞いている時にも、私は、「対話している学生は自分では十分に明確に表現できていないけれども、その学生の意見の背後にある理由は何だろうか」と耳を澄ましています。学生の意見の背後にある、正に根本的な思想であるかもしれないものに近づけるよう、学生の答えを多少・・あくまでも穏やかにですが・・言い換える(再定式化する)こともあります。 学生が何を表現しようとしているのかを想像しながら耳を澄まし、そして他の学生の反応を促すことが非常に重要ですね。

・・・「教えることの非常に重要な部分は聴くこと」というのは、逆転の発想ですらあった。

教えるべき内容を事前に練って「話す=伝える」ことが主眼ではない。何を教えれば学生の思考が深化・発展するかを把握するためには、学生個々の意見をしっかり汲むことが必要なのだ。だからこその「聴く」。

 力のある先生方は一方的な授業はしない。常に子供の目線を送り、確認を怠らず、瞬時瞬時で授業の組み立てを変更する。小指の動きで発言したい子をキャッチする。そのような配慮が優先される。

 「聴く」を怠れば、子供の成長は期待できない。それは、教えなければ、子どもの成長が期待できないことと同じ意味なのだと思う。

 向山先生の「じしゃく」の映像で、向山先生が一人ずつ子供と話をする場面がある。あれが「聴く」だ。授業中にあのような場面を設定するなんて、異次元の発想だと思う。

Sandel

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December 19, 2023

傲慢な指導者にならないために(3)

私たちは、さまざまな認知バイアスによって、非合理な判断をしてしまうことがある。

◆自分の聞きたいことだけを聞いている。
◆自分の都合の良いように話を選別している(話を解釈している)。
◆面白くないと、右から左へ流してしまう(脳まで届かない)。
◆自分の理屈でしか判断しない(自分の判断で解決してしまう)。
◆「自分ができない」「自分が知らない」ことが分かっていない。
だから、
◆耳に痛いアドバイスは受け入れにくい。
◆自分の聞き慣れない言葉は受け入れにくい。
◆興味がないと、シャッターを下ろしてしまう。
・・・他人事ではないぞ。
自分にも明らかにそのような傾向があり、情報に偏りがあり、自分に都合のいい判断を下している。
認知バイアスで言うと、次の2つの影響が大きい。
===========
(1)確証バイアス
確証バイアスとは、自分の思考や願望の確証となりそうな情報ばかり探してしまい、反対意見となる情報は軽視してしまう心理傾向を指します。
たとえばSNSで自分と同意見の人を探してしまったり、反対意見を聞くと「この人は考えが浅い」と感じたりする場合は、確証バイアスに陥っていると言えるでしょう。
(2)現状維持バイアス
現状を「安定」と捉え、その状態が崩れることを嫌う心理状態を指します。
新しいやり方に拒否感を持ったり、環境変化に強いストレスを感じたりした経験はないでしょうか。現状維持バイアスが強い人は、新しい情報や未経験の物事にマイナスのイメージを抱きやすい傾向にあります。
============
「今どきの若者はそういうタイプが多い」
「最近の子どもはそういうタイプが多い」
ということではない。
 初任者を教える立場の自分にもそのような傾向がある。
 この事実をしっかり自覚して、謙虚な上にも謙虚な対応をしていきたい。

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傲慢な指導者にならないために(2)

開き直っていたら、わかり合うことはできない!

 若い頃、ある会場で向山先生が「女が分からないでメシが食えるか」桜井 秀勲著サンマーク(1986年)を紹介された。

◆分からないなら、分かる努力をせよ。

◆知らないなら、知る努力をせよ。

◆無関係なら、関係するように努力せよ。

ということだったのだと思う。

それがプロ意識。メシを食うための努力。

 

住宅メーカーの上司に

「これから家を建てようというお客さまはどんなことが気になるか、相手の視点に立ってよく考えてみろ。」

とアドバイスを受けた社員が、次のように答えたというエピソードがある。

====================

「すみませんけど、私はまだ家を建てようと思ったことがないから、分かりません」

====================

この件について、榎本博明氏は言う。

◆ 人間は、だれでも自分の視点からしか世界を見ることができない。だが、そこに開き直っていたら、人とわかり合うことができない。そこで、想像力によって自他の視点の溝を埋めようと努力するのである。

『上から目線』の構造」164ページ

 

 相手側の立場で、何が望みかを想像できないようでは仕事にならない。

 食っていけない。

 我々の仕事で言えば、自分に子供がいなくても親の気持ちは想像するんです。

 だから「独身のあなたには親の気持ちは分からない」と皮肉られてもひるむ必要はないんです。

 その代わり、しっかり想像力を働かせ、わかり合う努力はしなくてはならないのだ。

 

※人の気持ちが分かることの大切さについて、国語の教科の観点からもダイアリーに書きました。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/12/post-90bc41.html

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December 18, 2023

傲慢な指導者にならないために

(1)「現状維持バイアス」
◆現状を「安定」と捉え、その状態が崩れることを嫌う心理状態を指します。
新しいやり方に拒否感を持ったり、環境変化に強いストレスを感じたりした経験はないでしょうか。現状維持バイアスが強い人は、新しい情報や未経験の物事にマイナスのイメージを抱きやすい傾向にあります。
(2)「コンフォートゾーン」
 快適な空間=コンフォートゾーンの別名は「ぬるま湯」。
 快適さに浸かると、そこから抜け出せなくなる。
(3)「プロテウス的人間」
 (1)(2)とは真逆。
 自分の姿を恐ろしいヘビ、ライオン、竜、火、洪水などに変幻自在に変えるギリシャ神話の「プロテウス」になぞらえた「プロテウス的人間」という言葉がある。
==========
「プロテウス的人間」は生き残りに強い
 変化を恐れるタイプは、何度失敗しても自分のやり方を変えようとしない。だれかが親切でアドバイスしても聞く耳を持たない。
 「これまでの自分のスタンスを大切にしたい」
と言ったり、
 「自分のやり方にこだわりたい」
と言ったりして、新たな視点を取り入れようとしない。そんな守るべき大層な自分って何 なのか、そんなところで成長を止めてしまってよいのか。変化を恐れないタイプからすれば、このように疑問を突きつけたくなるところだ。
 変化を恐れないタイプは、周囲から影響を受けることを恐れない。ゆえに、失敗するたびに何かを学び、それをもとにパワーアップし、進化し続けることができる。かつて社会学者リフトンが、変動の激しい時代の適者として提起したブロテウス的人間のように、経験を糧にして自分自身を変身させることで、環境に適応すると同時に自分の可能性を開発していける。
  「『上から目線」の構造」榎本博明(日経プレミア)p75.76
==========
 会うたびに見せるものが変わっていた坂本龍馬のエピソードを思い出す。ただし、龍馬伝説「短刀・拳銃・万国公法伝説」は作り話であるとも言われているので、ここでは引用しない。
(4)茹でガエル
 流行に乗っかって何でもかんでも変わればいいわけではない。
 しかし「パラダイムシフト」の世の中だから、守るべきものを見極めながら、変わるべきところは変わっていかないと、犠牲になるのは子供たちだ。
 ぬるま湯に浸かったカエルの末路は「茹でガエル」なのである。

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December 16, 2023

「世界にほこる和紙」(光村4年)の200字要約

全文を200字まで縮めると思うと苦しくなる。

「世界にほこる和紙」の題で8文字。

これでも十分だと考えたら、あと192文字加えることができる。

◆結論部である最終段落の大事そうな部分を使う

◆文字数を削るためには「です・ます」を「だ」に変える。

◆同じ言葉はできるだけ省く

◆補足するために結論部以外の表現を使う。

 

①和紙のもつよさと、使う紙を選ぶわたしたちの気持ちによって、長い間、和紙は作られ、使われ続けてきた。(48文字)

②和紙を作るぎじゅつは、世界にほこれる無形世界遺産になった。(28文字)

③みなさんも生活の中で使ってみないか。(17文字)

・・・①②③を合致して約100文字。

あと100文字入る。

 

④和紙と洋紙を選べるのだから、いつも同じもの使うのではなく、美しくかざりたいとか、相手によろこんでもたいと考えて紙を選んでみてはどうか。(66文字)

 

を入れると、③が入らないが、③より④の方が意味が通じやすいので置き換える。

 

②の部分を、第一段落の言葉に書き換えると

 

二千十四年、和紙を作る伝統的なぎじゅつは、世界にほこるユネスコの無形文化遺産に登録された。

(44文字)

 

①の「和紙のもつよさ」として第二段落にある「やぶれにくく、長持ちする」を付け足す。

また「長い間」の具体として「千三百年前でも残る」を付け足す。

 

やぶれにくく、長持ちする和紙のもつよさと、使う紙を選ぶわたしたちの気持ちによって、和紙は千三百年を超える長い間、使われ続けてきた。そして、二千十四年、和紙を作る伝統的なぎじゅつは、世界にほこるユネスコの無形文化遺産に登録された。和紙と洋紙を選べる時代だから、いつも同じもの使うのではなく、美しくかざりたいとか、相手によろこんでもらいたいとかを考えて、生活の中で和紙を使ってみてはどうか。たぶん192文字

 

これで200字要約はOKだと思う。

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December 15, 2023

音楽専科の授業に圧倒された!

専科の音楽の授業を参観しました。

①テンポの良さ、②授業内容の密度、③1人1人のスキルを伸ばす展開

 がとても勉強になりました。

・ピアノ伴奏を切らさずに、次々と続けたリコーダーの演奏練習。

・デイスプレイを活用した楽譜の提示。動画の視聴。

・黒板に貼ったリコーダーの模型で指の位置の確認。

・タイマーを使った練習の進行。

・短時間にリズムよく行ったリコーダーのスキルチェック(全員分)

・楽器の番号を指定しての合奏練習

・振り返りカード記入まで含めた1時間の組み立て

 

 リコーダーのチェックは、1人ずつ順番に「5音」を吹かせます。

 一定のリズムに合わせて、次の子・次の子と吹かせます。スキルチェックなのに心地よく流れていきます。もちろん1人ずつのチェックですから、子どもたちはそれなりに緊張しています。

 

 1単位時間の授業がパーツの組み合わせでできていて、子供たちは慣れているのでスムーズに動いていました。

 どの教科でも1時間の授業パーツを確定すると密度が濃くて満足度の高い授業になることを、一緒に参観した初任に伝えました。

 特に専科授業は「延長授業」しないという意識が強いので「1時間でここまでやり切りたい」という統率力がすごいです。

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「引用」を学ばせることの意義

ローマ字入力になれた3年生以上になると、様々な調べ学習・プレゼン発表でネット情報を活用します。

しかし、資料本文や画像をそのままコピーペーストするだけの活動をよく見かけます。

 

3年生国語(光村)に「引用するとき」という単元があります。

調べたことをほうこくするときには、本などの書いてある言葉と自分の言葉を区別しなければいけません。

とあり、引用はカギカッコをつけてそのまま書き抜き、出典を明記するようにと書いてあります。

「情報」分野に位置付けられている通り、「引用」の授業は、探求学習が単なる写し学習(コピペ)になったり、無断引用になったりしないための「情報」の基本的な心得です。

文章を勝手に書き換えないことや、引用元を記載することも大事です。

引用部は、そのまま抜き書きすることが基本ですが、それでは意味が分からない語句があったり、自分でも読めない語句があったりすると発表に不向きです。

その場合は、分かりやすい言葉に言い換えたり、要約したりして、その代わり「参考文献」として明記します。

引用文献・参考文献の作法は本格いぇきな調べ学習を始める今のうちから身につけさせてます。

ネット情報などは、アドレスを控えておかないと二度と探せなくなることもあります。

 「コピペ」は、大人になれば、盗用や著作権侵害で裁判になったり、退学や解雇になったりする重大案件です。

丸写ししてそれが自分の意見のような主張をする癖をつけさせてはいけません。

 

 なお、「引用」の指導は、抜き出し問題に対して、漢字を勝手にひらがなに直したり、句読点がなくて減点されたりするテスト対策としても丁度よい機会です。

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December 14, 2023

一時一事の原則=ワンイシュー戦法

 

 LINEのようなショートなやりとりの場面で、ちょっと長い文章を発信した時

◆それはいいですね。
◆私もそう思います。
というリアクションがあると、「それ」「そう」が、どの部分を指すのか分からなくて困ることがある。
全文肯定なら嬉しいが、そうとも限らないから、浮かれるのは禁物だ。
 宇佐美先生の論文のように、緻密に引用元を明示してコメントするなら誤解はないが、LINEにそこまでの厳密さは求められていない。
ということで、発信側が誤解されないように防護する方が良い。
 一回のLINEは、ワンテーマに絞る。
 「一時一事の原則」
 最近の(でもないか?)言葉で言うと「ワンイシュー(one issue)」だ。
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ワンイシュー戦法では、「伝えるべきことが何か」を突き詰める
 「ワンイシュー戦法」は、「ぶれない姿勢で語っている」という力強い印象を聞き手に与えることができ、主張が伝わりやすく、納得を得やすいという効果があります。これは、プレゼンテーションでも使えるスキルです。この戦法を実践するためには、「一番伝えるべきことは何か」を突き詰めていくプロセスが必要です。
 NHKのキャスター時代に、「削る美学」という言葉を教わりました。「伝えたいことの7割を言えたら十分。削ったことは行間に生きている」ということです。プレゼンテーションで大切なのは「何を話したか」ではなく、「何が伝わったか」。あれもこれもと多くの事柄を盛り込もうとするのではなく、テーマを一つに絞り込みましょう。
===================
「何を話したか」ではなく、「何が伝わったか」。
あれもこれもと多くの事柄を盛り込もうとするのではなく、テーマを一つに絞り込みましょう。
・・・向山先生は「十分の一に言葉を削れ」と言われる。
 自分の初任者指導でも欲張ってあれこれ詰め込むと、結局「何も言わなかったのと同じ」になってしまう。
 これは、先日書いた「閾値(いきち)」の逆バージョンなのだと思う。
 そして、昨日書いた「Over teaching is no learning」と同じ意味なのだと思う。
 「閾値」は、相手に伝わる最低ライン。
 「ワンイシュー」は、これ以上詰め込んだら相手の容量オーバーになる上限のライン。
 大事なのはコミュニケーションにおける「相手意識」である。

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December 13, 2023

Over teaching is no learning

Over teaching is no learning
本日の初任者指導員研修で心に残った言葉。
「教えすぎは学びにならない」
相手の容量オーバーになってしまうような「教える」は、自己満足にすぎない。
検索しても、特にヒットしなかったので、AIチャット君に「over teaching is no learning」の解説をお願いした。
==============
「over teaching is no learning(過度な教えは学びにならない)」は、教育において重要な原則の一つです。この原則は、人々が単に情報や知識を受け取るだけでなく、情報を自分自身で処理し、活用できるようにすることの重要性を強調しています。
 過度な教えが学びに対して逆効果である理由の一つは、学習者が受動的な状態に陥り、自己の能力や創造力を発揮する機会を失ってしまうことです。教師が常に答えを与え、完璧なガイドを提供してしまうと、学習者は自ら考えることや問題解決のスキルを身につける機会を失います。
 
 また、過度な教えは学習者の意欲や興味を減退させる可能性があります。学習者が自分の興味や関心に基づいて学ぶことができる余地がない場合、学習のモチベーションや情熱は低下し、学習効果も低くなる可能性があります。
 
 それに対して、適度なガイダンスやサポートを提供しつつ、学習者が自ら考え、自己の能力を発揮できる環境を作ることが重要です。アクティブラーニングや問題解決型のアプローチなど、学習者が積極的に関与できる手法を取り入れることで、より効果的な学びを促すことができます。
 
 つまり、「over teaching is no learning」は、学習者が自ら学びを成長させるためには、教師が指導やサポートを適切なバランスで行う必要があるという点を強調した言葉と言えます。
============
 初任者の「足りないところ」を挙げたらキリがない。
 それをいちいち取り上げるのは、単なる意地悪でしかない。
 「学び手」の士気を下げないために、「教える側」がしっかり調整する。
  初任にとっての「子供」
  指導員にとっての「初任者」
 同じ事なのである。

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「人の気持ちが分かる」

『学校では教えてくれない大切なこと』シリーズ22   本が好きになる

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ある学校で、子供が朝読書で読んでいた本(ほとんど漫画だけど)

p108からの「人の気持ちがわかるようになる?」の箇所が印象的だった。

「ケンタはいつまでも夕日をながめていました」という叙述部分について

「このときのケンタくんの気持ちを考えてみましょう」と先生が問う。

これに対して、女の子は「本の主人公の気持ちなんてわかるわけないじゃ〜ん」とつぶやく。

するとアドバイス役のキャラクターが

「完全にじゃなくても主人公の気持ちを推測することはできるんだよ」

と教える。

「そんなの推測でしょ?本当にそういう気持ちかは本人じゃないとわからないよ」

「もちろんそうだけど『どんな気持ちかな』って考えることが大事なのよ」

「ホラ、友だちや好きな子のことを考えてみて。『今どういうことを考えてるのかな』とか、想像したことない?」

と、ごく自然な流れで「人の気持ちを読む」ことの価値を伝えている。

 

ちなみに、「ケンタはいつまでも夕日をながめていました」という叙述から、

「帰りたくない」「家族に話せないことがある」という推測を提示している。

「シチュエーションやセリフに注目して登場人物がどういう気持ちなのかを推測してみよう」とあるが、これは、状況設定、ストーリー展開、情景描写、人物の言動などから推測してみようという意味なのだと理解できる。

 

P114には「行間を読む」の解説と例文がある。

 

文章としてはっきりとは書かれていないことを読み取る。

======

「やさしいんですね」

私がそう言うと、A君は

「うるさい」

と言った。

 A君の耳は赤くなった。

=====

 

もちろん、「耳が赤くなる」の意味が分からないと、この場合のA君の心境は想像できないが

 

◆(書かれていないけど)A君が「うるさい」と言ったのは、照れかくしだね。

 

ということになる。

この例文の場合、「『うるさい』と言った」で終わっていたら、「照れ隠し」かどうかを推定するのは難しい。ここは作者が「耳が赤くなる」というヒントを与えたのだと言ってもよいだろう。

 

まとめ

書いてない気持ちなんか分かるわけないじゃん

それはそうだが、想像で補うことが大事。それが「思いやり」だよね。

ただし「行間を読むのは、あくまで推測。「正解」というより「最適解」。

「想像・推測・推定」が度を超えると「邪推・妄想・曲解」になる。

 

「学校では教えてくれない大切なこと」のシリーズ22

こういう汎用的な読みの方法は、学校で教えるべきなのである。

『学校では教えてくれない大切なこと』シリーズ22 本が好きになる

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December 12, 2023

「類型化」させる授業は、子供の多様な思考が大前提

本来、指導案にある「予想される子供の反応」は類型化していくつか書かれるべきものだ。

子供の意見を板書するなら、類型化して書けばよいのに、その自覚がないと、同じような意見がずらりと並んでしまう。

 

ここでは道徳の例を出すが、ある人物の行動を見て心が動く主人公の心情を問うことがよくある。
たとえば、次の場合は類型化すると3つの意見が出される。

A 後悔「自分の行為への反省」・・過去の自分
B 感動「あの人はすごいな」・・・他者への憧れ
C 決意「これからは○○しよう」・・未来の自分

こうした3つの類型の自覚が教師にあれば、子供の発言を聞いて、」どのタイプが多いか、どのタイプが出ていないかで授業の組み立てを考えることができる。あるいは、違うタイプの意見が出るまで待つことができる。

類型化できる授業は、子供の多様な思考を促す。

気の利いた子が意見を言って、「はい、おしまい」とは違う授業が展開する。

子供の意見を、どう予想し、どう類型化するか、は授業づくりの基本なのだ。

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December 11, 2023

論理的な思考の促し方

テレビのクイズ番組をボーッと見ていることがある。

 知識系にしろ、ひらめき系にしろ、頭のトレーニングとして、結構楽しめる。
 そんな中で、2択・3択のような問題の場合、クイズ王のような人は「AかBか」で思考を止めていない。
「なぜAか、なぜBではないか、Cだったらどうか」のように、ロジカルに解答を導いていく。
(1)「Aだよ。だって・・・・だから。」
という選択した理由をちゃんと説明できる解答者はすごいと。
(2)「Bはないよ。だって・・・だから。」
と消去法で理由をちゃんと説明できる解答者もすごい。
 「判断」した理由をしっかり「思考」して、「表現」できる人は素晴らしい。
 番組内で、解答者の発想(選んだ答えの根拠づけ)が語られることがある。
「そうか、こういう思考・発想をするからクイズ王になれるのだ」という秘訣が分かることは、クイズの答えそのものが分かるよりも嬉しい。「何を学ぶか」=コンテンツでなく「どう学ぶか」=コンピテンシーが垣間見えるからだ。
 AかBかを選ぶ「判断」だけなら、当てずっぽうでいいが、たまたま当たるだけではそれっきりだ。
 選んだ理由・根拠まで確認しておくから、「偶然」を「必然」にできる。
 「この漢字の読み方はAですか、Bですか」でAが正解だった場合、Bと読む漢字も併せて確認しておくから次に生きる。
「○○の生産日本一は、愛知ですか北海道ですか?」で愛知が正解だった場合、なぜ愛知が日本一なのかの理由や、いつから愛知が日本一なのか、北海道は何位なのか、も併せて確認しておくから次に生きる。
 「青森県がりんごの生産が日本一」という知識を覚えるだけでなく、その背景も探ることで「思考・判断・表現力」が鍛えられていく。そんな向山実践の凄さ・奥深さと重なっている。

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December 10, 2023

閾値(いきち)の着想


ある反応を起こさせる、最低の刺激量。
生体感覚興奮を生じさせるために必要刺激の最小値。
(1)
お年玉5000円を期待している子供に1000円渡しても、マイナスの感情にしかならない。
1000円渡しているのに、マイナスにしかならない。
だから、相手の期待値を見込んで、戦略を立てないと、プラスにならないどころかマイナスになる。
(2)
例えば家庭でダンナが
「これだけやっているのに、なぜ文句を言われるのだろう」
と愚痴っているとしたら、
それは奥さんの閾値(期待値)に到達していないからだ。
(3)
学校でも
「これだけ子供のためにと思っているのに、なぜ伝わらないんだろう」
と愚痴っているとしたら
それは子供の閾値(期待値)に到達していないからだ。
満足度・好感度を高めるためには、
相手の閾値(期待値)を上回る手立てを打つことだ。
奥さんが期待する以上の家事をする。
子供が期待する以上の手立てを打つ。
今、あえて「これだけやっているのに、なぜ文句を言われるのだろう」と書いた。
ダンナの中には、「これだけやってあげているのに」という恩着せがましい意識の人がいると思う。
そういう人は、おそらく奥さんの閾値(期待値)に達するのは難しいだろう。
「自分は何をすべきか」は
「自分が何をしたいか」ではなく
「相手が何を求めているか」に合わせないと意味がない。
「閾値・期待値・要求水準・最低の刺激量」という考えを持たないと、コミュニケーションがうまくいかないのだ。

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December 09, 2023

変化に着目させて、変化していない部分を考えさせたい

~「プラタナスの木」(光村国語4年)を例に〜

淡々と書いてあるからか、最初に読んだ時は、大きな変化・大きな事件を感じなかった。
でも、学習の手引きは「話の変化・人物の変化」をメインにしていて「登場人物の変化を中心に読み、物語をしょうかいしよう」とある。
①物語の最初と最後で、「マーちん」はどう変わりましたか。
②「マーちん」が変わるきっかけとなった出来事は何だと思いますか。
③最後の場面で「マーちん」はどんなことを感じていたと思いますか。
(②③の文末は「思いますか」だから、自分の解釈で良いのだな)。
そして、紹介文は次の型が示されている。
◆「プラタナスの木」という物語には「マーちん」という人物が出てきます。
最初は----だった「マーちん」は----や-----という出来事を通して・・・・
最後まで読むと----な気持ちになります。ぜひ読んでみてください。
はっきり書いてないが、場面の変化・人物の変化から要するに自分なりの「見方・考え方(主題)」を考えようということだ。
※教科書教材の主役の「変化」は「成長」というケースが多い。
子どもに読ませたいお話のジャンルが「成功譚」だからだ。
(ただし「白いぼうし」などは成長物語ではない)。
主役の「マーちん」って、そんなに変化あったかな?
読み手である子供にとっての大きな変化は「プラタナスの木」が倒れたことと、おじいさんがいなくなったことだ。
それに比べたら「マーちん」の変化(成長)は、読み取りにくい。
それでも、「異変」という言葉があるから、その中身を読み取る必要はある。
1・2場面・・・一学期
3場面・・・・・夏休み(台風)
4・5場面・・・二学期
という構造がしっかりしているから、場面の変化は読み取れやすい。
次のように読み進めた。
①「プラタナスの木が台風で倒れ、切り株だけになった」
②(だけど)「プラタナスの根は生きている」
③(だから)「春になれば芽を出す」
④(つまり)「目に見えないだけで本当は生きている」
⑤(ひょっとして)「おじいさんも、目に見えないだけで、きっと生きている」
⑥(逆に)「1学期は分からなかったおじいさんの言葉の意味が、今になって分かってきた」
⑦(ということは)「プラタナスの木がなくなって、初めて、そのありがたさに気づいた」
・・・と一人読みして、ふと思った。
◆目に見える「変化」を意識して読んできたが、変化しない「本質」こそが大事なのではないか。
確かに、季節が変わり、公園の様子は変わり、おじいさんはいなくなり、僕たちも成長した。
しかし、
====================
プラタナスは、切りかぶだけになってしまったけれど、ぼくたちのプラタナス公園は変わらない。春になれば、プラタナスも芽を出すだろう。そうすれば、きっとまた、おじいさんにも会える。それまでは、ぼくたちがみきや枝や葉っぱの代わりだ。そう思いながら、マーちんは大きく息をすって、青い空を見上げた
====================
という最終段落は「変わらない」が強調されているように読める。
・「プラタナス」の命は変わらない。
・「公園」は変わらない。
・「僕たち」はサッカーはしなくなったけど、友情は変わらない。
・「おじいさん」にもいつかは会える。
・「季節」は、また巡ってくる。
・「青い空」は、いつも変わらない。
・・・自分が初読で「変化のない作品」と感じたのは、最終段落で「本質的には何も変わっていない」と読み取っていたからだ。その印象が強かったのだ。
◆「見た目の変化にとらわれず、本質を大事にしろ」
は、大人の読みだから、子どもには強要しない。
そういう読みもあってよいということしか、主張する気はない。
他方、「変化=無常」を感じさせる読み方もできる。
◆世の中は、いつまでも、「あって当たり前」「いて当たり前」ではない。
◆私たちは、「ある」ことが特別だと思うべきだ。
◆私たちは、なくなって初めて大事さに気づくものだ。
◆人は成長する。
振り出しに戻って、主役マーチンの変化は
「見た目は変わったがプラタナスの命は変わらない」という「見えない部分の変わらなさ」に気づいたことがマーちんの変化(成長)だ
と解釈することもできる。もちろんそういう読みもあってよいということでしかない。
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December 07, 2023

読解における3点セット(4)

氷山モデル

 今回は、道徳科の「氷山の三層モデル」で考えてみる。畿央大学の島恒夫氏の考案したものだ。

氷山の下には目に見えない氷が存在するように、資料には書かれていない心情や価値が存在しているとう着想。

<状況理解レベル>  教材に書かれている出来事など読めばわかること。 

<心情読解レベル>  教材に書かれていない登場人物の気持ちや考え。

<道徳的価値レベル> 道徳的価値についての見方、感じ方、考え方

https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/life/436528_1040627_misc.pdf

 

 国語の読解モデルとして勝手に流用してみると以下のようになる。

(状況理解)書いてある状況を正しく読み取る。。
(心情読解)書いてある状況の奥にある人物の感じたことや思ったことを考える。
(価値)  登場人物が感じたことや考えたことの奥にある「作品の価値(考え方、生き方)」を学年なりのレベルで考える。

 では、「おにたのぼうし」の山場。

 ================

 「あたしも、豆まきしたいなあ」

 「何だって?」

 おにたはとび上がりました。

 「だって、おにが来れば、きっと、お母さんの病気が悪くなるわ」

  おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと、悲しそうに身ぶるいして言いました。 

 「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」

  氷がとけたように、急におにがいなくなりました。後には、あの麦わらぼうしだけが、ぽつんとのこっています。

================

 氷山モデルに当てはめると、たとえば次のようになる。 

(状況理解)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

悲しくなって、消えてしまう

(心情読解)

◆こんなに人間に親切にしてきたのに報われない絶望感

◆いくら親切にしても「鬼は悪者」というイメージが変わらない悲しさ

(価値)

1人の努力では変えられないことがある。

信じてもらえなくても、最後までやり通すことが大切だ

本当のやさしさは、たとえ相手に気づかれなくてもやり抜くものだ。

私たちは「鬼は悪者」のような固定概念にとらわれてはいけない。

 などなど。

 

(状況)書いてあることをまとめるとこんなストーリーだったね。

(心境)その展開から、登場人物の気持ちが読み取れるね。

(価値)では、この作品から、われわれは何を学び取ればいいかな。

 

 この3つのステップは、多様だから「主体的で対話的で深い学び」が実現できる

 国語の主題読みは必要なくなったが、作品によっては考えさせてもよいと思う。

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読解における3点セット(3)

ABC理論

=================

ABC理論】

・【Activating events】出来事を、

・【Belief】どのように受け取るか、(思考・信念・考え方)によって

・【Consequences】結論(感情・行動)が決まる。

この考え方をABC理論といいます。アメリカの臨床心理学者であるアルバート・エリスが1955年に提唱しました。

ABC理論で一番大事なのは、B:ビリーフです。全く同じ出来事を経験しても、ある人は激しくへこみ、ある人は喜ぶといった違いは個人の「ビリーフ」からきている、と考えられています。

https://www.softbankatwork.co.jp/column/counselor/2020/08/06/3046/

=======================

 出来事(A)に対する受け止め方(B)で、結果(C)が変わる。

 だから、「読み取り(読解)」というよりも「受け止め方(解釈)」にウエイトがかかる。

 たとえば「ごんぎつね」のラスト。

 ごんは幸せだったか、不幸だったかの【結論C】は、【受け止め方B】によって違う。

「最後の最後で通じ合えた」と考えるか、「すれ違いによって殺された」と考えるかは読者しだいだ。

 では、「おにたのぼうし」の山場。

 ================

 「あたしも、豆まきしたいなあ」

 「何だって?」

 おにたはとび上がりました。

 「だって、おにが来れば、きっと、お母さんの病気が悪くなるわ」

  おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと、悲しそうに身ぶるいして言いました。 

 「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」

 

 氷がとけたように、急におにがいなくなりました。後には、あの麦わらぼうしだけが、ぽつんとのこっています。

================

 ABC理論の当てはめると、たとえば次のようになる。 

 

(出来事)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

(解釈1)悲しくなって、

(行動1)消えてしまう

 

 これは、教科書に忠実な読み方。もう少し深読みすると

 

(出来事)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

(解釈2)自分が退治されるのは悲しいが、

(行動2)女の子のために、黒豆を残して消えてしまう(黒豆になった?)

 

(出来事)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

(解釈3)悪いおにばかりじゃないことを証明するために、

(行動2)女の子のために、黒豆を残して消えてしまう。

 

(出来事)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

(解釈4)こんなに親切にしても分かり合えない人間に絶望し、

(行動2)女の子のために、黒豆を残して消えてしまう(黒豆になった?)

 

など、いくつかの読みが可能になる。

 「出来事」のまとめ方によって「解釈」「行動」は変わるし、「行動」は同じでも「解釈」が異なる。

 あまりにバラついて収拾がつかないということなら「出来事」と「行動」を確定し、「解釈」の部分を考えさせればいい。

 

(出来事)おにたは、お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、

(行動)女の子のために、黒豆を残して消えてしまいました

  ↑

(解釈)それは、どうしてだと思いますか?

(おにたは、何を考えていたと思いますか?)

 

 そもそも、よくある授業展開はそうなっていると思う。

 「はじめー中―おわり」ではなく「はじめー終わりー中」の順の検討である。

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読解における3点セット(2)

 先行条件―行動―結果の「ABC分析」

 以下は、3年生国語「おにたのぼうし」(あまんきみこ作)の山場。

================

 「あたしも、豆まきしたいなあ」

 「何だって?」

 おにたはとび上がりました。

 「だって、おにが来れば、きっと、お母さんの病気が悪くなるわ」

  おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと、悲しそうに身ぶるいして言いました。 

 「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」

 

 氷がとけたように、急におにがいなくなりました。後には、あの麦わらぼうしだけが、ぽつんとのこっています。

================

 「3点セット」に即すと、次のようになる。 

1)感情が分かる。「悲しそうに」と書いてある。

2)言動が分かる。「ふるふるっと身ぶるいして」「おにだって、いろいろあるのに。」など。

3)原因が分かる。鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いたからおにたは悲しくなった。

 「原因」があって、「感情」が生じて、「言動」として現れる。

 この3点セットが基本だなと思いながら、別の3点セットではどうなるかが気になった。

 応用行動分析の「ABC分析」だ。

 どうすれば望ましい行動を増やしたり、問題行動を減らしたりできるのか、適切な対応方法を導き出す手法。

・Antecedents(先行条件)「△△のときに」(行動が起こる直前の環境)

・Behavior (行動)     「〇〇をしたら」

・Consequences (結果) 「その結果□□になった」(行動の直後に起きた環境の変化)

 「おにた」の状況を、このABCに当てはめてみた。

これは一つに決まらないので、逆にいろいろ列挙すると面白いかも。

 

A(先行条件) 女の子に優しくしていると

B (行動)    女の子に「豆まきしたい」と言われたから

C (結果)   おにたは悲しくて、姿を消して、黒い豆が残った。

 

A(先行条件) 女の子に「豆まきしたい」と言われて

B (行動)    おにたは悲しくなって急にいなくなった。

C (結果)   黒い豆が残ったので、女の子は豆まきができた(「神様」だと思われた)。

 

A(先行条件) 女の子に「おにが来たらお母さんの病気が悪くなる」と言われて、

B (行動)    おにたは悲しそうに身ぶるいして

C (結果)   姿を消した。豆まきをしたかった女の子の願いを叶えた。

 

 自分のメモ書きには「ABC分析」の「C」は「周りにどんな結果をもたらしたか」とあるので、

「おにたがどうなったか」・・・「消えた」「黒豆を残した」よりは

「周りはどうなったか」・・・・「お母さんのために豆まきができた」

の方がスムーズなのかもしれない。

そこがまだ理解できていないところではある。

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読解の3点セット(1)

「原因→心情→言動」の3点セットで考える。

「ぼっち現代文 わかり合えない私たちのための読解力入門」小池陽慈(河出書房)2023年10月初版〜

 小池氏の主張を参考に、自分なりに書いていきます。
 3年生国語「おにたのぼうし」(あまんきみこ作)のクライマックス。
================
「あたしも、豆まきしたいなあ」
「何だって?」
 おにたはとび上がりました。
「だって、おにが来れば、きっと、お母さんの病気が悪くなるわ」
 おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと、悲しそうに身ぶるいして言いました。 
「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」
 氷がとけたように、急におにたがいなくなりました。後には、あの麦わらぼうしだけが、ぽつんとのこっています。
================
 この後、「おにた」は登場しない。
 何も知らない女の子は帽子の中にあった黒い豆をまいて節分の鬼退治をする。
 突然、主人公が作品からいなくなるレアな展開だ。さすが、あまんきみこ。
(1)心情が分かる。
「悲しそうに」と書いてある。
 童話なので、「おにた」の心境が明示されている。
 もう少し高学年向けなら、あえて「悲しそうに」とは書かないだろう。
 三田誠広風に言えば「悲しいことを表すのに、悲しいと書いてしまったら小学生レベル」ということになる。
===========
 おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと身ぶるいして言いました。 
「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・」
============
・・・これでも「おにた」の心情は想像できる。
 「○○○そうに身ぶるいした」と空欄にして考えさせたら「悲しそうに」以外にも「くやしそうに」「つらそうに」「さびしそうに」「ざんねんそうに」といった心情語が列挙できるだろう。
 どこまでが許容範囲かは難しいが、似たような心情語を列挙させることも大事な「語彙」の学習になる。
(2)言動が分かる。
 ①「何だって?」
 ②とび上がりました
 ③手をだらんと下げて
 ④ふるふるっと身ぶるいして
 ⑤「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」
・・・②③④は行動、①⑤は言葉。合わせて「言動」となる。
 この言動を読めば、「悲しい」という表現が出てなくても、およその心境は読み取れる。
 「書いてなくても、行動や言葉から気持ちは読み取れることがあるんだよ」と言われても
「書いてないから分からない」と言い張る子がいるだろう。自閉症傾向の子が苦手とする設問だ。
 だからこそ、今回のような分かりやすい例で、「読み取る」ではなく「汲み取る」訓練をするとよい。
 今回は「悲しそう」って書いてあるから「悲しそう」って分かる。
 でも、この場合、「悲しそう」って書いてなくても、「悲しい・寂しい・辛い」そんな感じは伝わるよね。
 普段の生活でも「ああ、僕は悲しい」って言いながら歩いている子はいないけど、態度や言い方で「あの子、なんだか今日は悲しそう」って分かることあるよね。(無論わからない事もある)
 この場合の「おにた」の悲しさが分からないとしたら、それは、悲しさの原因となるストーリーが正しく読み取れていないからかもしれない。
(3)「原因」が分かる。
 「原因」があって、「感情」が生じて、「言動」として現れる。
 だから、「おにたは、なぜ悲しくなったのでしょう」という原因を確認する必要がある。
 悲しい理由は、ここに示された文面だけからは全部は分からないが、それまでの記述部分と重ねればおよそ分かる。
◆おにたは鬼であることを隠して女の子にやさしく接していたが、その女の子から鬼退治の豆まきがしたいと言われ悲しくなった。
◆おにたは お母さんのために鬼退治の豆まきがしたいという女の子の願いを聞いて、悲しくなった。
ということになる。(まとめ方はさまざまだ)
原因ー心情ー言動のフルコースなら、次のようになるだろうか。
===============
「あたしも、豆まきしたいなあ」
「何だって?」
 おにたはとび上がりました。
「だって、おにが来れば、きっと、お母さんの病気が悪くなるわ」
 豆まきをしたら、おにたは女の子に追い出されることになります。
 おにたは 手をだらんと下げて、ふるふるっと、悲しそうに身ぶるいして言いました。 
「おにだって、いろいろあるのに。おにだって・・」
 氷がとけたように、急におにがいなくなりました。後には、あの麦わらぼうしだけが、ぽつんとのこっています。
===============
 なお、この「おにだって・・・」の省略部分はそれほど難しくない。前半部で同じような「おにた」のセリフがあるからだ。
◆「人間っておかしいな。おには悪いって、決めているんだから。おににも、いろいろあるのにな」
 鬼だって「いろいろ」とは、悪い鬼もいれば、いい鬼もいること。
 お母さんに病気をもたらす豆をまいて鬼もいれば、おにたのようにいつも人間にやさしくしている鬼もいること。
 女の子にそれが分かってもらえなくて、「おにた」は「悲しい」という流れになる。
 しかし、本文に「悲しい」という心情語がなかったら、ここは「絶望に震え」とか「怒りに震え」のような強い感情語を入れたくなるところだ。こおで使われる「悲しそう」という心情語は、大人が読み味わうにはちょっと単純だ。
 
 それはともかく、小池氏の言うように、
◆登場人物の心情を考えるときには、「原因→心情→言動」の流れを意識する◆
が大事であることは、よく分かった。 
 私は、それに加えて
◆「原因」「心情」「言動」は、それぞれ省略されていることがあるから、その際は自分で補おう
という心意気が大事だと思っている。
 「原因→心情→言動」の3点セットが記された作品は、むしろ幼稚だからだ。
「ぼっち現代文」は、「14歳の世渡りシリーズ」の一冊。物足りないところがあるので、補足しながら読み込もう。
399856515_362076452937821_31693502187799 

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December 04, 2023

算数の難問は楽しい。でも煽りすぎは禁物です。

4年生の教科書に次のような問題がありました。

0ヵら9までの10の数字を使って、10けたの一番大きな数を作りましょう。

 

一番大きな数は、9876543210

問題の意味さえ分かれば、それほど難しいわけではありません。

では、2番目に大きい数はいくつでしょうか?_

 

これは間違いを誘いました。

9876543120

9786543210

8976543210

 

出来た子からノートを持ってこさせ、次々に×をつけていきました。

正解が出たのは、のべで20人を過ぎたころでした。

2番目に大きい数は、9876543201

 

続いて、できた子には3番目・4番目に大きい数字を考えさせました。

これは、2番目より手慣れてスムーズでした。

 

3番目に大きいのは、9876543120。

4番目に大きいのは、9876543102。

ここまでは百の位以下の入れ替え(組み合わせ)で対応できます。

210-201-120-102-021-012 の6通りで、、6番目まで確定します。

 

では、一番小さい数は、いくつでしょうか?

0を先頭に持ってくると9桁になりますからバツです。

けっこうな子が、1234567890 と書きました。

合っているような気がしますが、違います。

一番小さい数は、1023456789。

 

決して簡単な問題ではありません。

「みんな違うよー。(こんなのできないの?)」と煽るだけでは、子どもがやる気をなくします。

「難しいけど、誰jかできるかな?」と挑戦意欲を促すために扱ってほしい問題です。

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December 02, 2023

「書いてないから分からない」で済ましてはいけない

 文章には〈書いてあることだけからでは、わからないこと〉がある。

 宇佐美寛氏の言葉である(「問題意識集3」P118)
 書かれていない事実・書ききれない事実があるからだ。
◆一般に、経験される事実の方が文章よりも広いのだから、全ての事実を書いた文章などというものは無い。全ての文章は、文章外の知識を読者に要求している。
 文章に書かれていなければ、どうしたらいいのか。次のような方法がある。
1.別途に知る(学習者が調べたり、教師が補説したりする)
2.文章に書かれていることをもとにして、それとの整合性を保ち得る範囲で想像する
3.何とでも想像したいように想像する。  P124
・・・当然、3の「想像したいように想像する」は、よろしくないので、1か2の指導になる。「解釈」に該当するのが2だ。
◆右の1~3(註:『だからわるい』の解釈)は、教材文の文字には書かれていない。しかし、そのように想定しないと、書かれていることが不整合になる。P110
 「この詩の中で、対比されている言葉はどれとどれでしょう」は、教材文から導くことができるから、正誤が決まる。
 一方、「『春』の作者は、幸福でしたか不幸でしたか」は、教材文からは分からない問いなので、正解を決めることはできない。
 叙述から明確に答えが出る問いと、文章からでは答えが分からない問いの二種は、明確に区別しなければならない(P118)と宇佐美氏は言う。
 「解釈」は強要できないという意味である。
 宇佐美氏は、次の3つの「けじめ(分別・区別)」が必要だと言う。P125
①言葉で語っていいことと、語るべきではないこと
②文章からわかることと、わからないこと
③正答があることと、何と答えてもいいこと
 この3つは重なっている。私の言葉でまとめると次のようになる。
◆「書いてないことは分からない」と同時に「書いてあることだけでは分からない」という前提に立つ。
◆「分からない」で片づけるのではなく、整合性のある自分なりの解釈に挑む。
◆ただし、自分の解釈を絶対視しない。
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「伝記」についての考察(3)

 ~宇佐美寛氏の「言葉の解釈規則(コード)」を踏まえて~

 5年の教科書(光村)の『やなせたかし・・アンパンマンの勇気』
 やなせたかしの「困難」をマーキングしていくと、やはり、その苦労に感じるものがある。
・5歳で父が病死して、おじ夫婦に引き取られる。
・さみしさや辛さを吐露できず内気な少年になる
・就職して1年で徴兵された。
・戦場で飢えに苦しむ
・帰国すると弟が戦死していた
・漫画家になったが、なかなかヒット作が出ない
・・・これらのすべての逆境が、「アンパンマン」につながっている。
◆さまざまな逆境があったから「アンパンマン」が生まれた。
◆逆境がなければ「アンパンマン」は生まれなかった。
 共感しなくても、感動しなくても、この流れは理解できる。
 筆者はこの流れになるように仕組んできたと考えられるからだ。
 宇佐美寛氏は「だから悪い」を例にして次にように言う。
 「だから わるい」の文章が指し示している事実を知らしめるのが授業である。しかし、感動〈共感〉を目指すべきではない。感動させることを目指すから、どこまでが文章に書かれている事実かには注意しなくなる。 「問題意識集3」P113
 また、林家三平の「新作落語」を例にして次のように言う。
 笑わない伝統派であっても、この落語のどんな特性がおかしくて他の客が笑っているのかは知らねばならない。三平が、どこをおかしく作ったつもりなのかは知っていなければならない。知っていなければ批判する資格はない。p108
 宇佐美氏は、この部分で「言葉の解釈規則(コード)」の説明をしている。P108.109
 要するに、この落語で笑わない人でも、そのようなコードは知っていなければならない。どこがおかしいのかは知っていなければならない。しかし、そのコードは採用はしなくてもいいのである。(中略)
 コードを認識することと採用することとは、区別すべきである。国語科の読解指導で指導するべきことは、コードを認識させることであって、採用させることではない。
 20代で「解釈コードの増殖」などの論文を読んだ頃は、十分理解できていなかった。
 今、やなせたかしの伝記にあてはめて、ようやく腑に落ちた。
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 共感しない読者であっても、この伝記のどんな特性に他の読者が感動しているのかは知らねばならない。筆者が、どこを共感ポイントに作ったつもりなのかは知っていなければならない。知っていなければ批判する資格はない。
 国語科の読解指導で指導するべきことは、筆者のねらう共感ポイントを認識させることであって、共感させることではない。
=============== ===
 これまでの自分なら「筆者はこの流れになるように仕組んできたと考えられる」のような推定はしなかった。そんなことはどこにも書いてないからだ。
 しかし、宇佐美氏の論文を読み返してみて、筆者がどこを共感ポイントにしたのかをきちんと理解し、言語化すべきだと思った。
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「伝記」についての考察(2)

5年の教科書(光村)の『やなせたかし・・アンパンマンの勇気』の学習に手引きに次のように書いてある

(2)伝記を読んで考える
伝記から読み取ったこと
 ・人物がしたこと・人物の考え方 
自分自身のこと
 ・ふだん考えていること・実生活での体験・もっている知識
  ↓
・新しく知った・こうなりたい・考えが変わった・初めて考えた・考えが深まった
(大切)伝記を読む
◆人物の生き方をや考え方をとらえる
◆筆者が何を取り上げ、人物に対してどのように考えているのかを確かめる
◆自分の生き方に取り入れたいことを考えながら読む
・・・この「伝記を読んで考える」の内容は、伝記に限らず、物語でも説明文でも同じことだ。
 ただ、「特定の著名な人物の事実(偉業)が記してあるので、単なる物語・単なる説明文よりも教訓的だと言える。
 しかし「自分の生き方に取り入れたいことを考えながら読む」という読みのポイントは「自分の生き方に取り入れたいことがある」を前提にしているようで、私には窮屈なのだ。
 「学習の手引き」にある次のような課題を読むと、道徳の授業かと思えてしまう。
◆あなたは、「たかし」をどのような人物と感じただろう。
 行動や考え方で、共感することや自分もこうありたいと思うところはあるだろうか。
◆自分が読んだ伝記について、伝記から読み取ったことと、自分自身のこととを関わらせて、考えたことを200字程度で書こう。
 
 もちろん「感動の押し付け」などとは書いていない。
 しかし、「共感することや自分もこうありたいと思うところ」を問うとは、結局、そういうことではないのか。
 「自分もこうありたいと思うところはあるだろうか」という問いに対して「ありません」と答える自由はあるのだろうか。
 もう少し批判的に読む自由も保証してほしい。
 「自分だったら主人公のような生き方はしなかった」と言えることも、伝記からの学びであっていいはずなのだ。

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