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December 31, 2023

「使える!『国語』の考え方」橋本陽介(ちくま新書)〜

〜「物語論」による用語解説〜
 橋本氏が専門の「物語論(ナラトロジー)」の読み方は、分析批評を学んだ私たちにとっては、馴染みの流れである。p64〜73

 私なりにラベリングしてみた。
(1)
語り手
◆まず物語には語り手が設定され、その語り手が語ることによってテクストができあがる。この語ることを物語行為と呼び、物語行為によってできるテクストを物語言説と呼ぶ。
(2)
出来事(展開)
◆小説世界には、基本的には登場人物がいて、何か出来事が起こる。出来事が起こるということは、時間が経過し、何かが変化するということである。従って、小説をどう展開させるのかと、小説の時間をどのように表現するのかは、非常に重要な要素となる。
(3)
出来事(因果)
◆では、小説はどのように展開していくのだろうか。私たちは、出来事を因果関係の連鎖として認識している。Aが起こったためにBが起こり、Bが起こったためにCが起こるといった具合である。たいていの小説文も、このように因果関係の連鎖として展開していく。
◆多くの小説文では、出来事を因果的に結ぶ。そこで語られる出来事は、何らかの理由があって、結合されていると考えられている。「羅生門」の展開は、まとめてしまえば、「行動を決めかねていた下人が、死人の髪を抜く老婆にあったことによって、盗人になる物語」となる。下人の行動、心理の変化は、この主題に関連した出来事の連鎖として読まれるのである。
(4)
描写
◆小説文中、行動を表す文や、「電話が鳴った」のような文は、時間を展開させる。一方、状況や人物の描写、説明は時間を展開させない。描写や説明は、小説の雰囲気を形作るものである。エンターテイメントに比べて、文学的な小説では、この時間を進めない方の叙述の読み方も重要となってくる。
(5)「視点」(焦点化)
◆小説の場合は、完全に客観的な語り方はむしろまれであり、誰かの視点から世界が描かれるのが普通である。つまりは、誰かの主観を反映している。(中略)世界は常に主観から把握されているわけだから、そうした世界把握の仕方を提示する小説文の方法も、誤りではない。(中略)
 このように、誰かの知覚から語られる場合、その人物に内的焦点化しているという。視点ではなく、焦点化と言うのは、視覚以外の知覚もあるからである。「羅生門」でも、下人は死骸の腐乱した臭いに鼻を覆っている。一方、誰かの視点から見られるのは、外的焦点化と言う。老婆は外的焦点化された存在ということができる。
 小説や映画を見るときには、誰の目線からなのか、誰の立場から描かれているのかを常に気にしなければならない。
6)
「視点」(内面描写)
◆「内面を書くのか、書かないのか」
小説の特異な点は、人物の内面に自由に入ることができる点である。誰の内的思考や感情を表出するのか、あるいはしないのかも重要である。内的思考や感情が表される場合も、内的焦点化という。下人の心理がテーマとなっている「羅生門」では、当然、下人の心理が表出される。一方で、老婆は会話文で自分の考えを語ってはいるが、内面には入っていない。外側から観察観察できることのみである。
◆以上のように、語り手がどのように語るのか、展開のつけ方はどうなっているのか、時間をどう進めているのか、要約的に描くのか詳細に書くのか、どのような視点から描くのか、内面を書くのか書かないのか、といった小説の「形」に着目すると、新たな発見があるだろう。
・・・橋本氏のこの用語解説は、(そんな用語が実際あるかどうかは別にして) とても面白い。
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