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December 02, 2023

「書いてないから分からない」で済ましてはいけない

 文章には〈書いてあることだけからでは、わからないこと〉がある。

 宇佐美寛氏の言葉である(「問題意識集3」P118)
 書かれていない事実・書ききれない事実があるからだ。
◆一般に、経験される事実の方が文章よりも広いのだから、全ての事実を書いた文章などというものは無い。全ての文章は、文章外の知識を読者に要求している。
 文章に書かれていなければ、どうしたらいいのか。次のような方法がある。
1.別途に知る(学習者が調べたり、教師が補説したりする)
2.文章に書かれていることをもとにして、それとの整合性を保ち得る範囲で想像する
3.何とでも想像したいように想像する。  P124
・・・当然、3の「想像したいように想像する」は、よろしくないので、1か2の指導になる。「解釈」に該当するのが2だ。
◆右の1~3(註:『だからわるい』の解釈)は、教材文の文字には書かれていない。しかし、そのように想定しないと、書かれていることが不整合になる。P110
 「この詩の中で、対比されている言葉はどれとどれでしょう」は、教材文から導くことができるから、正誤が決まる。
 一方、「『春』の作者は、幸福でしたか不幸でしたか」は、教材文からは分からない問いなので、正解を決めることはできない。
 叙述から明確に答えが出る問いと、文章からでは答えが分からない問いの二種は、明確に区別しなければならない(P118)と宇佐美氏は言う。
 「解釈」は強要できないという意味である。
 宇佐美氏は、次の3つの「けじめ(分別・区別)」が必要だと言う。P125
①言葉で語っていいことと、語るべきではないこと
②文章からわかることと、わからないこと
③正答があることと、何と答えてもいいこと
 この3つは重なっている。私の言葉でまとめると次のようになる。
◆「書いてないことは分からない」と同時に「書いてあることだけでは分からない」という前提に立つ。
◆「分からない」で片づけるのではなく、整合性のある自分なりの解釈に挑む。
◆ただし、自分の解釈を絶対視しない。
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