日本人はノーベル賞を獲れなくなる 「結果でなく過程を賞賛しよう!」
〜ノーベル賞学者10人が明かす焦燥〜
2021年のノーベル物理学賞の受賞者に真鍋淑郎・米プリンストン大学上席研究員が選ばれたことをきっかけに、日本で論争が巻き起こっています。真鍋氏が米国籍に国籍を変更したことや、受賞会見でジョークとして語った「日本に戻りたくない理由」などを受けて、日本の研究力・研究環境の劣化や頭脳の海外流出がさけばれているのです。
しかし、こうした問題提起は今に始まったことではありません。「週刊ダイヤモンド」18年12月8日号では『日本人はもうノーベル賞を獲れない 科学技術立国の危機』と題した特集で、この問題を取り上げています。
・・・という記事をじっくり読むと、「やばいなあ」と思わずにはいられない。
イノベーションの意識(志)を育むことは大事だが、
チーム日本として、人的配慮・予算的配慮をしないと「気持ち」だけでは到底無理だ。
例えば、上記サイトにある梶田隆章氏のインタビュー記事
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学生が博士課程に行かなくなっているのは、運営費交付金の減少によって大学は仕方なく若い助教のポストを減らして、人件費を減らして何とかやっているからです。従って若い人は今、博士号を取ってもなかなか定職に就けません。だいたい平均して、40歳ぐらいで定職に就いているのは半分程度という感じでしょう。
本来長い目で見て、国が科学技術立国として将来やっていく気があるのであれば、この状況を放置するなんてあり得ません。
――今は日本人がノーベル賞を獲れています。今後もこのペースでいくと思いますか?
いかないと思います。ノーベル賞はどんな研究に与えられるかというと、何もないところから何か新しいものを生んだ研究にです。これは研究者が自由に研究をして、そこから今までにないものを生んでいくプロセス。今の日本ではそれがいろんな面で非常に厳しくなっていますね。ちなみにそれができるのは統計的に明らかで、若い世代の研究者です。(中略)昔は自由な研究をするためのお金、自分の好きなことができる風土がありましたが、今はもうできません。
――あらためてですが、基礎研究をなぜすべきなのでしょうか。
基礎研究はべつに、社会に役立つことを念頭に置いてやっているわけではありません。研究の中でやがて社会の役に立つものが出てくるかもしれませんが、誰もどれが役に立つかなんて分かりません。だから、基礎研究は幅広くやることが重要なんです。
また、例えば私がしている宇宙の研究などは恐らく、将来も社会の役には立ちません。でもそれはそれとして人類の知を拡大する、人類全体の活動に参加するという意味でやるべきだと考えています。それなりのリスペクトをしてほしいと思います。
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若い研究者をじっくり育てたり生活保障したりしていないのが、今の現状だ。
かつては、給料に見合うかどうかを度外視してぶっ通しで研究したり開発したりした「個人」、採算を度外視して研究や開発を促した「研究機関」「企業」の努力に寄っかかってイノベーションが成り立っていたのではないか。
そういう個々の努力に依拠して、受賞した人の結果だけを賛美するのは間違っている。
ほんの僅かな成功事例の奥には、千も万もうまくいかなかった研究がある。
我々教師の「褒める秘訣」と同じ。
何をやったかの結果を褒めるのではなく、やろうとしているところを褒めるのだ。結果だけを褒めると失敗を恐れて行動しない子が増えてしまう。
梶田氏の言うように、研究者に対する「リスペクト」を促すことも、学校教育の大切な役割だ。
※先日、NHKで落合陽一の特集をしていた。
学生に自分の好きな研究をどんどん進めるようにアドバイスしながら
「研究費は、俺が何とかして引っ張ってくるから」
というようなことを言っていた。さすが落合氏!
以下のニュースは、真鍋淑朗氏のノーベル賞受賞に祝福のメッセージを送った岸田首相に対して、「研究者にもっと支援を」の声が上がったというもの。
「同情するなら金をくれ」と言うわけではないんだろうけど・・
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