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January 22, 2024

「気づきの質」

生活科の研究を調べていくと「知的な気づき」「気づきの質」という言葉がよく出てくる。

気づきの質を、「よい気づき」「悪い気づき」とで対比して列挙してみるとよく分かる。

無意識的・一時的・散発的・個人的な思いつき
意識的・時系列的・構造的・共有可能な「気付き」

 たとえば、口頭発表で進めてしまうと、発言した本人でさえ、再生できないような、その場の思いつきを口にすることがある。

「書き留める」という作業を入れることで、思いついた内容を一度自分なりに校正できるから、聞き手にも理解しやすい気づきになる。

◆気づいたこと・分かったこと・思ったことを書く
◆どんなささいなことでもいいから、

 「気づいたこと」でも「分かったこと」でも「思ったこと」でもいいから、書き留めるのだ。

まずは「できるだけたくさん」。
そして「量が質」に転化してく。

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谷和樹著「みるみる子どもが変化する『プロ教師が使いこなす指導技術』」(学芸みらい社)

 イッキ読みした。

 目次を見ても分かるが、内容がてんこ盛りで、実に贅沢な1冊である。

 私たちの世代が一時注目した築地学級と向山学級の違いも入っている。 なんといっても圧巻は「尖閣諸島」の授業である。
 ビデオで見せていただいたことのあるあの手ごわい授業の考察がある。 選択させてもまともに選ばない子どもたちは、

・「聞いたことがあるかないか」さえ答えない。
・「ABC]で尋ねているのに「D」「Z]で答える。

まさに強者である。 ここでの対応は

◆ 「荒れたクラスをどのように指導していったらよいかの指導として、大変勉強になった授業」

である。 

 これこそ、「叱る教育」に対するアンチテーゼである。

 この子たちを叱りとばしても、何の効果もなかっただろう。

 軽くスル―して、教えて褒める。その対応のすごさが伝わってくる。 

 続けてマイナス発言・不規則発言への対応場面がある。「先生104歳?」などという発言に


◆私に「かわいく見えてたまらない。全部受け止めて「そうか、そうか。」と笑う。
 気にならないのだ。そういった場面で叱るとか注意するとかいう発想がない。


というコメントがある。
 何という平常心! 百人一首で大ブーイングのクラスに対して、「にこやかに詰める」という表現がある。
 ここもすごい! 自戒を込めて、次の箇所を視写する(P161)

================
第一に子どもたちのネガティブな発言を、決して頭ごなしに否定しなかった。無視もしなかった。むしろそれを教師が楽しむかのように対応した。
第二に一度発した指示は必ずやらせた。叱るのではなく、にこやかに確認しながら、淡々とさせた。
第三に、教師から発せられる指示のテンポはかなり速かった。
もちろん、こうした判断は瞬時のものである。一つ一つ考えていたら対応できない。
================= しかし、安易にまねしたら、きっと火傷すると思う。
 

 ネガテイブな発言を受容しつつ、指示は守らせるという行為は容易なことではない。
 ネガテイブな発言を受容してみるものの、指示を守らせることができなければ、ただの崩壊状態である。 とはいえ、ネガティブな発言にいちいちムキになってはいけない。
 石川道子先生も、「死ね」や「くそばばあ」なんて当たり前、気にしてはいけない、と言われる。
 子どもと同じ土俵に立ってムキになるのではなく、高みに立って、ネガティブ発言をして気を引こうとする子どもを愛おしく思えるような境地に立ってみたいと思う。

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内発と自律のすすめ

 モチベーションや、やる気に関する最近の書籍を読んでいて、

 1973年初版の「知的好奇心」

 1999年初版の「人を伸ばす力」(エドワード・L・デシ 新曜社)

などに戻ることになった。

  分かっていることも多いのだが、詰めが甘かったのだ。

 「人を伸ばす力」は、サブタイトルが「~内発と自律のすすめ~」となっている。

 「内発的動機付け」の反対が「外発的動機付け」であることは簡単だが、「自律」の反対が「統制」だという自覚はなかった。

 たとえば「第10章 いかに自律を促進するか」より抜粋すると、「自律」と「統制」の対立軸がよく分かる。

◆生徒の自律性を支援する教師は、統制的な教師よりも、より望ましい影響を生徒に与えていた。

自律性を支援する教師に教えられている生徒は、より好奇心に富み、学ぶことそのものを重んじ、自尊心が高かった。

◆自律性を支援する管理職の元で働く従業員は、会社をより信頼し、給料や福利厚生のことにとらわれずに、より高いレベルの満足とやる気を示していた。

さらにわれわれは、管理職が自律性を支援できるように訓練すると、彼らの元で働く人たちが、よりすぐれた成果をあげることを確かめた。

 

・・・命令的・威圧的な上司や教師の元では、人は委縮し意欲を失うことが分かる。
命令的・威圧的な指導を回避し、自律性を支援する1つの目安が「選択権を与える」ことなのだとデシは言う。

◆自律性を支援することの主要な特徴は、選択を与えることであり、それには、上の地位にいる者がもつ力を共有することが必要である。

(中略)もっとも効果的に自律性の支援を行う管理職や教師は、部下や学生に意思決定をする役割を与えるのである。

◆研究では、選択が人々の内発的動機付けを高めることも明らかにされている。

何を行うかの決定に参加すると、参加しないときよりも仕事に動機づけられて集中し、その結果、高い成果が上がるのである。

どのように選択させるのがよいかを真剣に考えてそれを実行すれば、学生や部下から肯定的な反応が帰ってくるし、自分でも大きな満足が得られるだろう。

◆管理的に接した児童は、自律性を支援するように接した児童に比べて、自分で選択をしたがらなかった。

少なくともある程度まで、人は管理されることに適応すると、自律的になる機会という人間の本質に不可欠なものを望まないかのようにふるまうのである。

たぶん、間違った選択をすれば批判や罰を受けるという恐怖を感じているのだろう。

 

・・・向山式の難問は、解く問題を自分で選ぶ。

あかねこ算数スキルは自分で解くコースを選ぶ。

赤鉛筆指導でも、最後は自分でやらせる。

討論は、とにかく自分の立場を決めさせる。

進路指導でも、最後は自分で決定させることが大事とよく言われる。

「親が決めた・教師が決めた」という意識が残ると、何かあると他者に責任をかぶせて自己弁護に走ってしまうからだ。

 主体的に取り組む授業・参加型の授業の基本は「選択する権利・選択する自由を与える」なのだということが分かる。  

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January 14, 2024

人に会うのも勉強です

ノーベル賞受賞の利根川進先生が東京大学で講演された時、ある学生が質問した。

 「今、東大には世界有数の装置があり、教授の先生方も『Nature』 『Science」に論文を書いています。十分な指導力もお持ちです。ですから私は、無理に外国に行く必要性を感じません」

 そのとき、利根川氏は次のように言い返したそうだ。

◆「海外に出ることは、単なる勉強とか、そういうレベルじゃなくて、文化とかそういうものを勉強して、それに影響を受けて、自分が成長することなんだぞ。研究するだけだったら、ここでやったほうが能率がいいに決まってる。そうじゃないんだ!」

 

 この話を受けて、生田幸士氏は次のように書いている。

◆「僕もアメリカに2年しか行っていないけれど、あそこで考え方が変わったよ。研究の中身じゃないんだよ.コンテンツじゃなくて、そういう世界を見たり、自分も痛い目にあったりすることが大事なんだよ。」

 

 向山先生は、「本を読むのも勉強なら、人に会うのも勉強です」といつもおっしゃっていた。

 本を読むだけだったら、自宅でもできる。

 ネットがあるから、今は相当なことがオンラインでできる。

 でも「学び」とはそれだけじゃない。

 教師が海外留学しろとは言わないが、せめて足で日本各地に学びの場を求めて武者修行すべきだろう。

 若い時は、それなりに各地に足を運んだものだ。それは「身銭を切って学ぶ」ことでもあった。

 ただし、そのロジックを拡大すると、特定の教育団体(例えばTOSS)以外の世界に目を向け、視野を広げることもとても大事だ。

 

原文

=====

利根川先生の怒りをこめた留学のすすめ

◆研究のためじゃなくて文化的経験のために行く

 数年前に、東大駒場キャンパスにノーベル賞受賞の利根川進先生が招かれ、講演されたことがありました。利根川先生が話されて、最後に「質問があれば」ということで、1番前で手を挙げた学生がいました

「先生は若いときに留学されました。スイスで免疫学の研究をスタートさせましたが、当時は、 利根川先生が卒業された京都大学にもいい装置はなかった。そういう時代だったから、外国に行かれて成功されました。今、東大には世界有数の装置があり、教授の先生方も『Nature』 『Science」に論文を書いています。十分な指導力もお持ちです。ですから私は、無理に外国に行く必要性を感じません」

 そういった学生がいたのです。その時、利根川先生は早い反応でガーッと言い返しました。

 「君ね、世界には君が今、想像もできない人とか、想像もできない場所とか、そういうものがあるんだよ!」

 迫力がありましたね。

「そういうのは、行ってみないとわからないんだよ!  俺は、今日、それをいったんだ。スイスのバーゼルに行った。当時は確かに研究環境にすごい差があった。でも、そういう問題じゃないんだよ。行くことに価値があるんだ!」

 先生はあのいい方で、100人以上の学生をもぶっ飛ばすようにいいました。 

 「海外に出ることは、単なる勉強とか、そういうレベルじゃなくて、文化とかそういうものを勉強して、それに影響を受けて、自分が成長することなんだぞ。研究するだけだったら、ここでやったほうが能率がいいに決まってる。そうじゃないんだ!」

 利根川先生を招待された教養学部の先生が立って、いいました。

 「先生、ありがとうございました。今日はもうこの言葉だけで、来ていただいた価値がありました」

 私は、後ろの方の客席にいました。隣に知らない学生がいて、私に話しかけてきました。経済学部の学生だといっていましたが。

 「先生もそう思われますか?」

「うん、そうだよ。僕もアメリカに2年しか行っていないけれど、あそこで考え方が変わったよ。研究の中身じゃないんだよ.コンテンツじゃなくて、そういう世界を見たり、自分も痛い目にあったりすることが大事なんだよ.」(中略)

 要するに、海外に出ると、人間が鍛えられるんですね。日本人って頑張るじゃないですか。頑張れなかったら帰ってくればいい。頑張れて向こうで成功したら残れば良い。向こうで、ガッとアメリカ人やヨーロッパの人と戦ってみれば、勝てるって自信がつくし、そこまで力がついてたら、もうどこに行ってもやれるんです。

 「世界初は『バカ』が作る」生田幸士(さくら舎)p154〜p156

 

 

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January 11, 2024

「道徳的発問」と「哲学的発問」

かつてのブログで書き残したことがある。

苫野氏は「はじめての哲学的思考」の中で、「~せねばならない」「~してはならない」という「命令の思想」から脱却せよと言う。

「人を殺してはならない」という命令でさえ、実際にはケースバイケースなのだから、絶対に正しい命令など存在しないという考え方だ(いついかなる時も絶対に守らねばならない命令を「定言命法」と呼ぶそうだ)。

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「いつ、いかなる時も、困っている人に手をさしのべよ」

「命令の思想」はそう主張する。

それに対して次のように考えてみよう。

「どのような条件を整えたなら、人は困っている人に手をさしのべようと思うのだろう?」

このような考え方を、ここでは「条件解明の思考」と呼ぶことにしたいと思う。P142
=============

 だから、次のように発想を変えよという(私が改作した)。

◆人に思いやりを持つべきだ

→「どうすれば人は人を思いやれるだろう?」

◆苦しんでいる人に関心を持つべきだ

→「どうすれば人は無関心が関心に変わるんだろう」

◆震災ボランテイアをやるべきだ

→「どのような条件の時に人は震災ボランテイアをしたくなるんだろう」


◆いじめは絶対にダメだ

→どんな時に人はいじめをしてしまうんだろう

 どんな条件を整えたら、いじめをなくすことができるんだろう

 

 「命令の思想」ではなく「条件解明の思考」の方が、現実的な力強い哲学思考だと苫野氏は言う。
 

 「すべき」かどうかを問うよりも、どうすればよいか条件を考えさせるアプローチの方が、道徳的であることが分かる。


※「命令の思想」を持つ人は、自分の正義を振りかざして、それに従わない人を「なぜ、○○しないのだ」と断罪する。
 ヘーゲルは、そうした人を「徳の騎士」と呼んだそうだ。

 現代日本でいうところの「マスク警察・自粛警察・私人逮捕系ユーチューバー」である。

 これ、めちゃ多いじゃん!
 
でも、それはかえって非道徳的な行為になりかねない。「徳の騎士」、それは、正義を笠に着て他者を傷つける。ひどく独善的な人間なのだ。P143

・・・道徳的であろうとするあまり、独善的になることのないよう注意したい。道徳の授業で「徳の騎士」を育ててはいけない。

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Win-Winの交渉術

原稿用紙半分程度の文章を書かせたいとき、

「原稿用紙半分を目標にしましょう」

と勧めるのはよくないそうだ。

まずは、「原稿用紙1枚を目標にしましょう」と告げる。

「えー、1枚は無理だよ~」と不安や不満の声が挙がるとする。

「仕方ないなあ、じゃあ半分ならいけそうかな?」

と譲歩すると、

「半分なら、まあがんばってみるか」

となる。

 教師は元々半分でよいと思っているのだが、いったん高めのハードルを提示することで、子どもに納得して取り組ませることができる。

 いわゆる「ウイン・ウイン」である。

 これはビジネスの世界でも、よく使われる交渉術の1つであり、心理戦の1つである。

 ワークシートの場合も、書き込み欄が少ないと、スペースに合わせた分量で済ませたがるそうだ。

 よほど熱心な子でない限り、スペースからはみ出したり、裏面に突入したりしない。

 だから、書き込みスペースは、書かせたい分量より多めに確保するとよいのだという(記憶がある、出典は不明)。

 書き込みスペースの半分では格好が悪いという心理も働く。

 つまり、示された書き込みスペースの量が「かくれ指示」になるというわけだ。

  ノートなら、「5行」「半分」などの目安を示すと、子どもはそれを目標にする。

  目安を示さないと、平気で一言・一文・一行程度で済ます子が出てくる。
 

 人を動かすテクニックを知っていた方が、子どもの才能を伸ばすことができる。

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January 10, 2024

「紙でも、いいじゃん」の時代は終わりました!

「手書きで書けなくはないよね」

「紙でもできるのになぜICTを使わなければならないのか」

「ICT使わなくてもできるよね」

と言ってしまったら、何も変わらない。

グーグル検索も地図アプリもオンライン予約も、昔はスマホがなくても可能だった。

スマホがなくてもできるけど、あると便利。多くの日本人は、LINEがなくては生きていけない生活を送っている。

ICTは、今までできなかったものがやりやすくなるための「道具」だ。

ICTが導入されたから、いきなりスキルが身につくわけではない。

ICTが学力を上げるわけでもない。

タブレットを見ながら相談する授業が成立するには、その前にお隣同士でノートや教科書を見合う授業が成立していないと無理だ。

スクリーンのデータを示しながら説明する授業が成立するには、黒板で説明する授業が成立していないと無理だ。ICTは道具にすぎない。

しかし、それでもICTに取り組む意義がある。

授業のまとめで毎時間PC入力させるような取り組みがあるが、入力に不慣れなままなら、いつまでも文章が打てないから、PCを使う意味がない。

でも、やり続けているうちに授業のまとめが打ち込めるようになる。そうなれば、手書きノートとは全く違うさまざまな可能性が出てくる

最初は時間はかかっても、慣れてくれば、能力として活かせることができる。それが基盤能力だ。

使いこなせないうちは、基盤能力にならないが、やっていくうちにリテラシーができる。

仕事ができるようになるし、生活が便利になる。

だから、「紙でできることであっても、ICTで取り組む」には意味がある。

それに「紙でやればいいじゃないか」がまかり通る教職の世界を、若い人は職業として選択してくれない。

そのような教師離れも、また教育現場の大きな問題なのだ。

 

「『これからの教室』のつくりかた」(学芸みらい社)で、」堀田龍也先生の見解が示されていた。

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 こういうタブレットなどについて、「別に紙でもいいじゃないか」という議論は当然あります。もちろん、紙でもいいです。でも、やり直しができなかったり、色が付けにくかったり、あるいは、どのグループがどういう書きぶりで今書いているかを一瞥できなかったりします。タブレットだったら、授業支援システムでパーっと見られたり、ログに残ったり、再利用できたりということができる。そういう意味で、現在は「紙でできることを、何でICTでやるんだ」というひとがいるけれど、これからは逆に「ICTでできることを、何で今も紙でやってるの?」と、そうなると思うんです。
(中略)
 ただ、タブレットでやると記録が残り、再利用ができるということですね。「前の理科の実験でも似たようなことがあったな」って言って、それを探して、「あのときこうだったよね、今回もこういうふうにやればいいと思います」みたいなことうぃ、子どもが仮説的に言ったりするようなことが出てくる。「一人一台タブレットを持っていた方がいいんじゃないの?」と言われる所以は、過去の学習内容と今の学習をつなげて考えていくことがしやすくなるからです。p82〜84
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 自分のうまく伝えられなかったことを、こんなにきちんと表現していてスッキリする。
 次ページには次のような発言もある。

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ICTのほうが全然便利なのに、それをしないことを良しとするみたいなことがある。このことは若干、罪ですよね。だって子どもたちは日頃、デジタルコンテンツをたくさん触っているのに、学校に来たときだけ昭和のやり方をしなきゃいけないんですから。p86
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 新しいツールに早く慣れる機会を与えずに、古いやり方を押し付けるのは、まさに「罪」だ。

 1人1台端末が導入されて3年

 なんでも「紙でやればいいじゃん」というわけにはいかないのだ。

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マジシャンズセレクト ~教師は魔術師であれ!~

 “マジシャンズセレクト”とは言葉巧みに相手を誘導し、こちら側が選ばせたいものを相手に取らせるという手品師の常套テクニック。

 自分の明確な意思を伝えずに、相手に思い通りの行動をとらせるというとイメージは悪いが、このマジシャンズセレクトは、優秀な教師なら巧みに使っているかもしれない。

 直接明示はしないが、うまく子供をのせて自由にさえているように見えて想定内の行動をさせていく。

 上手に手のひらの上で転がしているようなものだ。


 大村はまの「仏様の指」の話も、これに近い。

 奥田正造先生が大村はまに話したエピソードとして『教えるということ』に出てくる。

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「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」

「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」

もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
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 子どもが自分でやったと信じて、自信をもてばよい。

 教師にやってもらったなどと気づかなくていい。これが教育=EDUCATE=引き出すの本質だ。

 昔風なら「仏様の指」、今風に言うと「マジシャンズセレクト」。

 昔は「五者の精神」という言葉もあった。

 教師は「学者であれ、医者であれ、易者であれ、役者であれ、芸者であれ」と言われてきた。

 マジシャンズセレクトだから、「魔術師であれ」も加えられるだろうか。

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「ありのまま」を受容する姿勢

◆being  存在することに価値があること

◆having 出した結果に価値があること

◆doing  行動したことに価値があること

『伝える力が9割』の佐々木圭一氏と坪田信貴氏の対談記録で、「ほめる」の話題が出てきた。

坪田氏は『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者である。

その中の「being・having・doing」 は、印象的な言葉だった。
=====================
 褒め方というよりは、認め方ですね。

 それにはdoing、having、beingっていう大きく三つがあります。

 Doingっていうのは行動。たとえば、「お風呂掃除してくれて偉いね」と、行動を褒める。

 でも逆に言えば、「お風呂掃除してないあなたは偉くない」ということになるんです。だから「自分ダメだな」になる。

 Havingとは、いわば、自分が持ってること、所属してること。

「学年で1位なんてすごいね」これも、そうじゃなかったらダメだ、です。

 でも、本来みんな、being、存在を認めているものなんです。

http://diamond.jp/articles/-/51508?page=3
========================

・・・同様の話が、検索でヒットした。

===============
 これは塾講師の坪田信貴先生が仰っていたのですが、多くの親は、DoingやHavingで褒めるそうです。

 例えば、お風呂を掃除したら(=Do)褒める、

 テストで100点取ったら(=Have)褒める。

 ここまでは誰でも褒めるんです。

 でも、無事、家に帰ってきてそこにいてくれる(=Be)こと、 「ただいま」と言ってくれることに対して褒める人は少ないんだそうです。 

 でも、HavingもDoingも褒める必要はなくて、とにかくBeingを褒めればいいんです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140805-00000005-pseven-soci&pos=3

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・・・「Being」は、要するに「ありのまま」である。

 「ありのまま」を、ただ受け入れればよいのだという。

 「いてくれるだけで素晴らしい」と言えば、例えば、「誕生日のお祝い」がこれにあたる。

 誕生のお祝いを原点にすれば、何をしなくても、何ができなくても受容し、励まし、感謝してあげることができる。

 「行動」や「所有」(成績や業績、富や名声)の有無で評価されてばかりでは、自信を喪失する子もいる。

 だからこそ、「いてくれるだけでよい」と認め、子どもたちの自尊感情を高めさせていきたい。

 「ありのまま」の受容の多くが親の関わりであるが、担任ができることも多いはずだ。

 「HavingもDoingも褒める必要はなくて、とにかくBeingを褒めればいい」という発想を肝に銘じておきたい。

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January 09, 2024

「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる(6)

生田幸士氏は「バカになること」の重要性を訴えている。

「バカになる」とは常識を疑うこと。

物事を鵜呑みにせず、常に疑う気持ちを持ち続けることだ。

そして、ひとつのことに集中できる「変態」とゼロベースで考えることのできる「バカ」が世の中を変えてゆく力を持つ。

https://www.shinkawa.co.jp/magazine/vol.29_col_01.html

 

・・・授業の根底に「ワクワク」が必要なのだということがよく分かる。

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「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる(5)

 「遊びをカタチにして、思いっきり楽しもう」というアイコンを子供向けに企画したのが

したのが、ホンダの「子どもアイデアコンテスト」。これも創造力テスト。

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Hondaの想い

「子どもアイディアコンテスト」は2002年から開催している、Hondaの次世代育成プログラムです。

子どもならではの発想から生まれるアイディアをカタチにすることで

「夢を持つこと」 「挑戦すること」 「創造すること」の大切さや楽しさを体験してもらい、

その過程において子ども達の社会的な成長の一助につながることを目指しています。

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https://global.honda/jp/philanthropy/ideacontest/about/

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・・・WEBから実際のプレゼン動画をみると、最終選考の作品は子供の制作か、親子共同制作かは怪しい。

完成度はとても高いが、すごく真面目なプレゼンばかりで「バカバカしさ」には欠けるかなと思う。

 でも「次世代育成プログラム」というワードが印象的だった。

 そもそも、我々教師の毎日も「次世代育成プログラム」であるべきなのだ。

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「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる(4)

 ロボコンの大元は、森正弘教授が審査員をしたオールホンダ・アイデアコンテスト(通称アイコン)。

発案者はもちろん本田宗一郎で、これも創造力テスト。

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1971年10月に開催されたアイコン第2回大会から第6回大会までの審査員を務めた、森政弘・東京工業大学名誉教授は、「『アイコンは技術開発のためにやっているのではない』という本田さんの一言が1番印象に残っている」と語る。

アイコンは仕事ではなく、遊びである。遊びとは、やらされているという気持ちのない状態。まさに、人間らしい気持ちであり、自発性を大事にしている状態である。

Hondaでは、仕事と遊びは、それぞれ平等に考えられており、仕事をするときは仕事に集中し、遊ぶときは、思いっ切り遊ぶ。が、結果として遊びが仕事の、仕事が遊びの良い手段となり、相乗効果が現れるのだ。

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https://global.honda/.../chal.../1970ideacontests/index.html

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・・・仕事とは異なる遊び心(バカバカしさ)が大事だから、商品化はしない・コンテストが終わったら廃棄するというあたりも徹底していた。

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January 08, 2024

「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる(3)

 生田幸士氏の恩師である森正弘教授が作ったのが「ロボットコンテスト」で、これも創造力テスト。

「高専ロボコン」サイトから趣旨を読んでみると、次のように書いてある。

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 アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト(高専ロボコン)は、1988年から始まった、若い人たちに既成概念にとらわれず「自らの頭で考え、自らの手でロボットを作る」ことの面白さを 体験してもらい、発想する事の大切さ、物作りの素晴らしさを共有してもらう全国規模の教育イベントです。

 全国の高専学生が、毎年異なる競技課題に対し、アイデアを駆使してロボットを製作し、競技を通じてその成果を競うもので、発想力と独創力を合言葉に毎年開催され、2023年で36回目を迎えます。

https://official-robocon.com/kosen/

 

 当然、ミッションを達成したチームが優勝・準優勝だが、結果ではなくインパクトを残したチームに「ロボコン大賞」の名誉が贈られる。

 他に「アイデア賞」「アイデア倒れ賞」などがある。

 アイデア賞だけでなく、アイデア倒れ対象があるところがユニークで、独創性を評価する気概が伝わってくる。

◆ロボコン大賞:大きな夢とロマンを持ってロボットを製作し、 唯一無二のアイデアを実現、見る者に深い感動を与えたチームに対して贈られる賞。

◆技術賞 :技術的な完成度が高かったチームに贈られる賞。

◆アイデア賞 :他に類を見ない独創的なアイデアを実現させたチームに贈られる賞。

◆デザイン賞 :機能的な美しさや装飾に秀でたロボットを作ったチームに贈られる賞。

◆アイデア倒れ賞:アイデアは優れているが、その真価を十分に発揮できなかったチームに贈られる賞。

 

・・・・以前見た「アイデア倒れ賞」のチームは、明らかにそれを狙っていた。当該ゲームの目的を達成するには、いかにも運頼みの装置だったからだ。

でも、そういうバカげたチャレンジが、全く新しい未来を作り出すのだ。

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「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる(2)

医用ロボットの世界的先駆者である生田幸士氏は、次のようなコンテストを行なっている。

「10階建ての屋上から生卵を落としても、割れない装置を作りなさい。

使っていいのは、レポート用紙サイズのボール紙と接着剤だけ。」

・・・このアイデアコンテストも、まさに創造力テストだ。

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 レンガ1個の使い方は単なる空想話で通用するが、こっちは兎にも角にもボール紙で製作しないといけない。

 まさに「論より証拠」だ。

 その生田研究室では、毎年いかにくだらないことを考えたかをプレゼンで競い合う「バカゼミ」が行われている。これも創造力テスト。

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「遊び心」が「創造性教育」の基盤になる (1)

世界初の創造性テストと呼ばれるのが「レンガ1個の使い道をたくさん考えなさい」というレンガテスト。

マニュアル通りに行動するパイロットは、すぐに敵に撃ち落とされてしまう。

敵に予測されない行動が取れるパイロットが欲しい。

そのために必要なのが「創造性」。

現代的な課題で言うと、想定外の世の中を生き抜く力が「創造性」である。。

「レンガ1個の使い道を15分間で50通り考える」って、馬鹿げたアイデアを出さないと達成できないよね。

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https://www.cultibase.jp/articles/7942

 

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January 07, 2024

「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その10)


~「オープンマインド」~
 「オープンマインド」とは、固定観念にしばられずに相手を認め、自分についても正直に表現できる「開かれた心や姿勢」のこと。
  自分の考えに固執せず、相手に対し聞く耳をもっていれば、「自分には絶対無理」と決め付けず、不安があっても試してみようかと、新しい事に挑戦できる。
  反対に、クローズドマインドの人は、
①人にレッテルを貼ってしまう ②物事を主観的に見てしまう ③ステレオタイプなモノの見方をする といった傾向がある。
 「これは、絶対こうだ」「私はこれしか信じない」と決めてかかり、自分の意見に固執し、違う意見の人の話に耳を向けることができない。
・・・オープンマインドとは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授によって提唱された「計画された偶発性理論」というキャリア理論のなかで述べられたもの。
 「偶キャリ」は、それほど古くはないので、向山先生が参考にしたわけではないと思う。
 しかし、自由な発想を促す向山実践の背景には「オープンマインド」と同じ着想がある。
 さて、近年話題になった「MIND SET」も、100の努力を推奨した向山学級を彷彿させる。
 1979年のスナイパーNo.9では「水泳でも、作文でも、練習中、ちっとも伸びないように見えて、持続さえすれば、突然できるようになるのだ。」とある。
 
 その激励の根底にあるのが、「自分は努力次第で変われるのだ」という拡張的知能観(しなやかマインドセット)である。
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=============

しなやかマインドセット

「才能は磨くほど伸びる」と思う人

◯新しいことにチャレンジしたい

◯努力は何かを得るために欠かせない

◯批判から真摯に学ぶ他人の成功から学ぶ

→結果的により高いレベルで成長し自分の意思で未来を切り開いていける

 マインドセット次第で仕事が変わり、自分が変わり、人生の質が変わる!

==============

・・・「拡張的知能観」があるから、諦めずに頑張れる。

教師は、この拡張的知能観に基づいて、いつもいつも子供を支える存在でありたい。

「探究力・発想力」を育むのは、「それでいいんだよ」「その調子だよ」「もっと考えてみよう」と学習者のリミッターを外す激励の言葉なのだと思う。

 

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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その9 )

~「上達論」~

 向山洋一氏の社会科実践に「〇〇であれば工業地帯である」「工業地帯であれば〇〇である」という仮説を自分でつくる実態調査がある。
 仮説の列挙が最大で41個、最小で5個の意見が出されたというところがすごい。
 以下が、32個の一覧表である。
仮説の論証(実態調査4)1980.11.5
◆作った仮説を論証する証拠をさがしたもの
(1)立地条件等
1海に面していれば工業地帯になりやすい
 アメリカに近い(太平洋側の)海に面していれば工業地帯になりやすい
2そばに川があれば工業地帯になりやすい
3交通が便利だと(国鉄は通っていれば)工業地帯になりやすい
4広い場所があれば工業地帯になりやすい
5埋立地は工業地帯になりやすい
6資源がとれれば工業地帯になりやすい
7鉄鉱石がとれれば工業地帯になりやすい(鉄は工業の中心である?)
8昔(50年前・100年前)に工業地帯であれば、今も工業地帯である。
(2)指標A
9製鉄所があるところは工業地帯である。
10石油工場があれば工業である
11パイプでつながった工業群があれば工業地帯である
12自動車工場があれば工業地帯である
13重化学工業が盛んなら工業地帯である
14大工場があれば工業地帯である
(3)指標B
15電気の消費量が多ければ工業地帯である
16水の消費量が多ければ工業地帯である
17人口が(学校が、住宅が、商店街が、車両に乗る人が)多ければ工業地帯である
18他府県から来た人が多ければ工業地帯である
19車が(交通事故が)多ければ工業地帯である
20「ごみ」が多く工業地帯では出れば工業地帯である
21道路が広ければ(立派なら)工業地帯である
(4)自然破壊等
22工業地帯で工業地帯では空気が汚れている(星が見えにくい・光化学スモッグ・よごれやすい)
23工業地帯では川がよごれている(泳げない。にごっている)
24工業地帯では海がよごれている(ヘドロ、泳げない、油がういている)
25工業地帯では騒音が多い
26工業地帯では公害病になる人が多い(鼻炎・気管支炎・ぜんそく)
27工業地帯では緑が少ない
28工業地帯では魚があまりいない
29工業地帯では虫が(赤トンボ)があまりいない
30工業地帯には空地があまりない
31工業地帯では土地の値段が高い
32工業地帯では農産物が(田畑が)すくない
・・・ 子どもたちは、「工業地帯は□□が多い・工業地帯は□□が少ない」のような四角の中を入れ替えていくようなたくさん列挙する「コツ」を体得しているのではないかと思う。
 無論、もともと東京に住む子どもたちだから
「あのあたりが工業地帯かな?だとすれば、どんな特徴があると言えばいいかな?」
と特定の地域をイメージして仮説を立てているのだろう。
 向山学級は、日頃から「たくさんの方法・たくさんのアイデア」を列挙させている。
 先にも引用した「青森のリンゴ」のような励ましが日常的にされていたのではないかと思う。
======================
「参考書で勉強するのも大切だけど、もっと大切なのは自分の頭でまず考えてみることだよね。事実を一つ一つ確かめたり、考えたりしてみることだよね。
さあ、参考書はあてにならないことがわかったから、自分の頭で考えてみよう。思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
 ぼくは、子どもの発言をうながした。
「本当に何でもいいの」と、子どもは言いながら、一人が発表すると次から次へと意見が出された。
「鉄道があるからだと思う」という意見が始めに出された。
「とってもいいことだよ。そうすると長野以北で、しかも鉄道が通っている所ということで、ずいぶんせばめられるよね」、とぼくはことさらにほめた。
「とにかく、商売だから、もうかるんだと思う」と、ある子どもが言った時に、みんなドッと笑いころげた。
「それも、大切だ。どうしたら、もうかるのかな」と質問し、商品作物が一地域で集中して作られることによって、価格が下がることをおさえた。
 どの意見もどの意見も認めていった。何を言っても認められたから、子ども達は、 面白いように意見を続けた。
===========================
・・・向山氏が、ブレーンストーミング的に、「どんな意見も受け入れる態度」を示しているかがよく分かる。
 だから次々に自由度の高い意見が出されている。
 また、笑われるような子どもの意見にも、きちんと意味づけをしており、発言した子どもの自尊心が高まるよう支援していることが分かる。
◆「思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
◆「どの意見もどの意見も認めていった。何を言っても認められたから、子ども達は、 面白いように意見を続けた」
とあるから、最初から「質」を求めていない。
 「量」を求めることで、結果として「質」が上がってくる。
 「量質変化」だ。
====================
上達論を勉強したことのある人なら誰もが知っている法則があります。それは「量質転化の法則」です。
これは、ある一定量を積み重ねることで、質的な変化を起こす現象を指しています。
ものごとの質を変えたかったら、 量をこなすことが大事、という意味です。
つまり、上手くなりたければ「質が変化するまで量をこなす」ことが必要で、本質が変化しない段階で量をこなすことを止めてしまうと、 すぐにもとに戻ってしまうのです。
====================
・・・1979年のスナイパーNo.9では「水泳でも、作文でも、練習中、ちっとも伸びないように見えて、持続さえすれば、突然できるようになるのだ。」とあり、「100の努力」という形で具体的な数値目標も示している。
 向山学級には「量質変化の法則」という「上達論」があった。
 愚直に探究してきた子供たちは、ある時期から加速度的に成長を遂げたのだ。
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その9)

~創造性テスト~
 1950年にアメリカの心理学会会長となったギルフォード(Guilford,J.P)は産業や教育、芸術や科学の領域で創造的能力が大切なことを主張した。
 ギルフォードといえば知能検査で有名で、ただ1つの正答を導くような思考である収束的思考と,多くの解決策を発想する発散的思考を区別し、前者を「知能」、後者を「創造性」とした。
 そのギルフォードが「創造的能力」の必要性を感じたきっかけは、第二次大戦中にパイロットの選考を依頼された時のエピソードだ。
◆ギルフォードが知能検査や学業成績等をもとに適任者を選抜したパイロットのグループより、元司令官が選んだパイロットのグループの方が追撃される率が低かった。その原因は、元司令官が選んだパイロットは敵に予測されないような「マニュアル通りの答えをしない兵士」であったからだ。
・・・このことから、ギルフォードは常識と違う考え方や、予想外の解決策を見いだす創造的な人材を見極める方法が必要だと考えた。       
 1969年にギルフォードが考案した創造性テストは、
======================
レンガ1個の使い道をできる限り考える。(15分で50通り)
======================
・・・柔軟な発想をしなければ何通りもの使い道は出てこないことを考えると、レンガテストの着想は、今なお新しい。
 実際にレンガ1個の使い道を考えてみると、
「おもしにする」「台にする」とランダムに考えるより、
「重み」「高さ」などのカテゴリーを決めて連想した方が列挙しやすい(このように連想の仕方を覚えることも大切な思考訓練である)。
 創造性の評価には6つの因子があるが、シンプルに提示するなら、次の3つである。
 授業もこの観点で評価すればよい。
①たくさんのアイデアを出したか(数の多さ)
②人と違うアイデアを出したか(独創性)
③様々なカテゴリーでアイデアを出したか(柔軟性)
 向山学級の子ども達の意見の特徴の一端が、この3つの評価観点に表れていることが分かる。
 もう1つの評価項目を挙げるとすれば「人より速く思いついたか(瞬発力)」である。
「見開き2ページで100問の発問を作れ」という教師への課題
「わかったこと・気付いたこと・思ったこと」を黒板にあふれるほど列挙させる子どもへの課題
 これらは、レンガテストと同じである。
参考:【創造性評価の6つ因子】
①問題に対する感受性:問題点を発見する能力
②思考の流暢性:生成するアイデアの量
③思考の柔軟性:異なるアイデアを広範に生成する能力
④.独創性:ユニークな答を出す能力
⑤.綿密性:具体的に工夫し完成させる能力
⑥再定義:ものを異なる目的に利用できる能力
 1968年に教壇に立った向山洋一氏は、「創造性テスト」「水平思考」『発想法』『頭の体操』『知的好奇心』等に触れ、多様で多量な発想を鍛えてきたのだと勝手に考えている。
◆◆◆◆
1950~60年代 人工知能第一次ブーム
        特徴:推論と探索(探索・迷路・パズル)のブーム
1958年『独創力を伸ばせ』オズボーン(上野一郎訳)
1966年『頭の体操』第1集 多湖輝・『発想法』川喜多二郎
1967年 静岡市立東中学校の学級通信で「教室はまちがうところだ」掲載(蒔田晋治氏)
1969年 レンガテスト『水平思考の世界』エドワード・デボノ
1969年『知的生産の技術』梅棹忠夫
1973年『知的好奇心』波多野誼余夫氏・稲垣佳世子
1976年『創造力を生かす』オズボーン(豊田彰訳)
1979年『論理的思考』宇佐美寛
1981年『理科系の作文技術』 木下是雄
◆◆◆◆    
1967年 向山洋一 東京学芸大学教育実習
1968年  〃 大森第四小学校赴任
1971年  〃 初代向山学級卒業生
1977年  〃 調布大塚5年1組「すないぱあ」
1979年  〃 『斎藤喜博を追って』(教師修行十年)
1981年  〃 NHKクイズ面白ゼミナール開始(7年間)
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その8)

~創造的思考(ひらめき)= 応用力・活用力 のルーツを探る~  

「ひらめきが大事で、クイズやパズルが大流行」は、今に始まったことではない。
1966年に発刊された多湖輝の「頭の体操」は20集までシリーズ化され、第1集だけで250万部を超えた。
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何度も書くが、向山先生の初任は1968年である。
1999年に復刻された「頭の体操」1集の裏書きには次のようにある。
=====================
今あなたの脳ミソは、固定観念でこり固まっていませんか?
創造的な人間になるには、その枠を破っていく独創力が必要なのだ。
====================
・・・既成の枠にとらわれていては新しい変化に対応できないことが、50年以上前から既に問題視されていたことが分かる。
「発想力」「ひらめき」「柔軟な思考」など言い方は様々だが、今まさに「AIに代替えされないために人間に求められる能力」である。
 ちなみに、向山氏は「頭の体操」を全問正解し、模範解答よりも多くの答えを考えたそうだ。
 向山氏の発想(授業のヒント)に「頭の体操」があったことも十分予想できる。
 さて
 深く掘り進める論理的思考や分析的思考を「垂直的思考」と呼ぶのに対して、別の場所に新たな穴を掘るような発想を「水平的思考」(ラテラルシンキング)と呼ぶ。
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 『頭の体操』が求めたのも「ラテラルシンキング」である。
 「論理的思考(ロジカルシンキング)」や「探究的思考・批判的思考(クリテイカルシンキング)」に比べると認知度は低いが、既成事実や概念にとらわれずにアイデアや結論を導き出すこの思考法は、
「前提を疑う」
「新しい見方をする」
「組み合わせる」
の3つの視点から考えることで斬新で創造的なアイデアを導き出す。
 エドワード・デボノが著した『水平思考の世界 ~NEW THINK~』は1969年発行。
 副題が「電算機時代の創造的思考法」で、裏表紙には「自分のカラを破れ!」と題した次の紹介文がある。
===============================
 現代のようなコンピュータ時代にこそ、人間の創造的機能が大いに発揮されなければならない。
 なぜならば、新しいアイデアを生み、新しい角度からものをみる頭脳、能力が、進歩成長の原動力となっているからである。
 「水平思考とは問題解決のために”想像力ゲーム”を意識的に使うことである。
 つまり、直線的なロジックでは見落とされてしまう新しいアプローチをみつけることである。
================================
 50年前の言葉とは思えないほど、今なお新鮮な言葉だ。
 論理的な思考は既成のアイデアを発展させる。
 しかし、新しいアイデアを生み出すには、新しい角度から物事を見る水平思考・創造的思考が必要で、両者は補い合う関係にあるとデボノは言う。
 『頭の体操』シリーズも、論理的(垂直的)に思考した読者が「ずるい」と思える問題がたくさんある。
 固定概念にとらわれ常識的な考えから抜けられないことが垂直的思考の弱点であり、「ずるい!」「その手があったか!」と思えるほど奇抜な発想をすることが水平思考の真骨頂だ。
 「ずるい」と思う時点で、自分の頭が固い証拠なのだ。
 豊かな発想は、量にも質にも関与し、多量で多様な意見を列挙させる。

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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その7)

「リストアップ」のルーツを探る 
向山洋一氏は、1968年大森第四小学校に赴任された。
この年は、『発想法』(川喜多二郎著・中公新書)が発刊されている。
「KJ法」「ブレーンストーミング」「チェックリスト」の3つの手法が取り上げられた名著を向山氏が知らないはずがない。
◆最初は平凡なアイデアしか出てこないが、その平凡なアイデアが枯渇すると、ようやく非凡なアイデアが浮かぶ。
枯渇するまで大量に考え抜き、多量なアイデアをリストアップさせる手立てが、カードに記録するKJ法である。
◆また、1人では思いつかなくても集団で話し合うと、互いの意見が刺激になって連想が進む。
問題解決のために新しい発想、アイデイアを作りだすために考えられたのが「ブレーンストーミング」である。
・・・話し合いは結論を出すために収束の方向に向かうものだが、ブレストは拡散の方向に向かう。
Aに触発されてBが出たり、
思わぬ方向からCが出たり、
無理やりDを出したり
という自由度の高さがブレストの魅力である。
『発想法』には、ブレストの成果を上げるために4つの留意点が示されている。
①他人の意見を批判しない。
②自由奔放に意見を述べよ。
③できるだけ多量のアイデイアを出せ。
④他人の意見を受け、発展させよ。
 Aオズボーンが著した『創造力を生かす』(1969年創元社)には、よいブレスト会議は「出されたアイデアの数と、会議員の感想によって証明される」とあり、お互いが「おもしろかった」と言い合えば成功だと指摘がある(p296)。
【オズボーンのチェックリスト】
①転用できないか(Put to other uses)
②応用できないか(Adap)
③変更できないか(Modilify)
④拡大したら (Magnify)
⑤縮小したら (Minify)
⑥代用したら (Substitute)
⑦置換したら(Rearrange)
⑧逆にしたら 逆転(Reverse)
⑨結合したら(Combine)
 向山実践の「かける」の用法を列挙する授業や「わかったこと・気付いたこと・思ったこと」を列挙させる授業など、大量の気づきを分類整理する実践はブレーンストーミングが効果的だ。
 結論に導く収束的な話し合いも無論大事だが、多量で多様な解を促すブレスト的な話し合いも注目していい。
 「正解のない時代」と言われる今こそ「ブレスト」が重要になるはずだ。
 発想が途切れた時、ヒントに沿って見直したり類推したりすると、新たなアイデアが浮かぶ。
 先にも紹介したが、「1から10までの数を集合で考える」という課題で、60通りの答えを出すには、発想の転換がないと不可能なのだ。
 アイデイアをリストアップするKJ法、アイデアを創出するブレーンストーミング、発想を広げるチェックリストは、多量で多様な発想を促す向山実践(探究的な学習)を支えている。
 
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その6)

~向山洋一氏の国語実践の整理~

たくさんの用例を列挙させ分類させ、法則性を見つけさせる授業がある。
================
A:ノートに「かける」の短い文をいっぱい書く。一文ごとに番号を打つ。
B:黒板に用例を発表させ、書いていない用例はノートにうつさせる。
C:不要な用例を省き、同じものをまとめる。まとまりごとの意味を考える。
D:自分の考えを板書する。最も悪い例を1つ選び検討する。
E:グループに分類し、どういう集合を作ったらいいか相談して、4つの分類を残す。
===============
・・・用例を列挙し、分析・集合・比較・対応する活動は、「対比される言葉をたくさん集め、分類し、意味づけして、主題に迫る授業」などにも応用が可能である。
 探究型のシンキングサイクル「課題の設定ー情報の収集ー整理・分析ーまとめー説明・発表」の流れと重なっている。
====================
この後「わからない言葉」「わかったようであいまいな言葉」に出会うと、用例を次々とあげ、それを分類する方法をつかうようになった。
これは、一見まどろっこしい方法である。だが、自分の身につけている知識を総動員して考えていく方法は「辞書を引く」技法と共に、有力な学習方法・解決方法なのである
=====================
 「知識を総動員して考えていく方法」は重要な指摘だ。
 いくら自由な発想を尊重するといっても、でたらめの列挙では意味がないからだ。
 『大造じいさんとガン』の問題作りも、問題数だけでなく、その質の高さが評価された。
 教え子の名取伸子さんは、後に「子ども達が黒板に書いてみんなで検討する、という授業が印象に残っています」と回想している。
 個人思考と集団思考(ブレーンストーミング)の見事な組み合わせ(対話的で深い学び)が、成果を上げていることが分かる。
 分析批評の実践は、緻密な論理で正しい解を導く分析的な授業と、多様な解釈(批評文)を創り出す拡散的な授業の融合で、まさに「探究的な思考」の発揮の場になっている。
 「視点・話者」のように文章を正しく読めば確実に1つの読み方に導かれる場合と、自分なりの根拠があれば多様に解釈できる場合の両者を混乱なく指導している。
 圧巻は向山学級の「やまなし」の評論文で、主題や主調色について、それぞれが論を立てて主張を繰り広げている。
 たった1つの解釈に収束するのではなく、自分の仮説を検証・立証する形で評論文が展開されていることは、今なお先進的である。
 例えば「やまなし」の主題は各自各様であったとして、
◆「死ぬために生きる」
◆「死んで天国・地獄に行く」
◆「動物と植物の生存競争」
◆「死は前ぶれもなく訪れる」
◆「人間には人間だけの生き方がある」
◆「死した者もまた生ある者と同じく命あり、死してより美しく生ある者の心によみがえる」
などが紹介されている。
 同じ文章を根拠にしながら、これほど多様な解釈が出るのは、教師が自分の望む方向に誘導していないからだ。
 これに関して向山氏は、「『赤んぼの手をひねるような』、『全体主義的押しつけ』はしてはならない」と述べている。
 子どもの自由な発想を知的存在として認める姿勢が、さらに子ども達の豊かな発想を育てていることが分かる。
 また次のような、発問・指示も、発想力を発揮する格好の授業になっている。拡散的思考を促していると言ってもいい。
 
◆野も山も◯◯も◯◯も としたら、◯◯にはどんな言葉が入りますか?
◆「私は教室の窓から外をながめていました」の次に一文を加えなさい。
◆「冷たい雪」と書くこともできたが、どうして「まっ白い雪」と表現したのだろう?
「雪は今ふっていますか。やんでいますか?」のような「AorB」の収束型発問も、発想を広げている。

「雪は今ふっている」とイメージしている子は「ふっていない」という新たなイメージを提示されて、比較検討する必要に迫られるからだ。
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その5)

知的好奇心~

 1973年初版の『知的好奇心』波多野誼余夫/稲垣佳世子 著 (中公新書)には、自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが学習効果を高める一例として「磁石」の学習場面が挙げている。
========================
 まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。
 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。(中略)・・・これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。
=======================
                      
 この事例からは、
A:「自由試行させる(飽きるまでの体験させる)」
B:「予想させ、自我関与させる」
C:「固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる」
D:「『応答性』のよさを心掛ける」
E:「教えすぎない」
F:「子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす」
などの知見が読み取れる。
 「探究心」と「知的好奇心」は、ほぼ同じ意味なのだと思う。
 さて、向山洋一氏が「じしゃく」の授業記録をまとめたのが1894年(年度としては1983年度)
 当時の1年生は生活科ではなく理科の授業を行なっていた。
 向山洋一実物資料集第4巻の「理科研究授業奮戦記」p22・23には次のようにある。
================
 経験の大切さは分る。それがなぜ「自由な体験」でなくてはいけないのか? いや「自由な体験」と言うのは抵抗がある。教師の指示があるのだから「自由」ではない。範囲が限定されている。
 「一人一人がバラバラであってよい」 と言うのが特徴だろう。これを私は「不規則体験」と名付けてみる。これに対して、高学年の「同一方法による同一実験」などを「規則体験」と名付けてみる。
 どうして1年生では「不規則体験」を重視するのか? 教師によって体系化され準備された「規則体験」ではなぜいけないのか? それとも、これらはどちらも良いことなのか?
(中略)
(もちろん自由な中の学習は良いに決っている。しかし授業は遊びではない。ある限られた時間の中に、ある学習内容を習得するために、組織化された学習が必要なのである。効率化それなりに必要である。
 算数を考えてみればわかる。あれはすべて「規則体験」を系列化させて学習が成立するようになっている。もちろん、たまの〈不規則体験〉はあろう。しかし原理は「規則体験」の系列化なのである)
 この辺のことが私の最大のテーマである。
=================
 今では、深く考えないで「自由試行がいいよね」となってしまう。
 しかし、必ずしも「自由試行」が正しいわけではない。
 授業は遊びではないし、限られた時間の中である学習内容を習得させねばならない。
 「自由試行」はなぜいいのか、その理論武装をしっかり考える。これが授業者である教師の責任であり、教師の気概なのだ。
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その4)

~間違いと失敗を恐れない向山氏の支援~
 1977年発行の「すないぱあ」4月7日号に「山川」の読みを答えさせる場面がある。
 (その前に「ゼロは何を意味するか」の問いがある)
「やまかわ・やまがわ・さんせん」の違いを説明した後、
===================
「このように、できるできないといっても差がない。一年生の問題ですらこれなのだ」
「うんとまちがえなさい。まちがいの山をつくりなさい」
====================
と話したとある。
「たくさん間違える」と「正解をたくさん考える」は同義ではない。
それでも、「正解は一つではない」という実例を体感することで、
◆間違いと思っていることが正解だったり、新発見だったりすること
◆「間違いなんて大したことじゃない」と気楽に構えること
を学んでいく。
 それをお説教で伝えるのではなく、実体験として伝える。
 衝撃的な仕掛けの一つが「逆転現象」である。
 かつて、佐々木俊幸氏は「逆転」ではなく「全員を落とす」ところも、向山実践の特徴の1つだとして取り上げていた。
 本庶佑教授は「『ネイチャー、サイエンス』に出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だ」と言っている。
 人と同じことをしていては新しい時代を切り開くことはできない。
 重要なのは「自我作古(我より古をなす)」の精神だ。
 自分が歴史をつくるという気概は、人と違う自由な発想から育まれる。
 「教室は間違うところだ」と言いながら一つの正解を志向する授業しか展開していないのなら、間違いを恐れる子しか育たない。
 決まりきった正解しか言えない優等生を否定し、人と違う意見を言える者・人と違う発想のできる者が評価される「逆転の発想」を新年度早々仕組んだのが向山実践だ。
 「学問は多数決で決まらない」とは「学問は同調圧力に屈してはいけない」という意味である。
 だから、第二通知表(自己評価型の通知表)の
「先生の質問に、あれこればかげたくらいのことまで考えましたか」
が生きてくる。
 本庶佑教授の「ばかげた挑戦が革新(イノベーション)を生む」という言葉と重なってくる。
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その3)

~多様な発想を促す向山氏の支援~
 『すないぱあ』によれば、4月8日の算数の授業2時間目に「1から10までの数で集合を考えてごらんなさい」の続きを行ったとある。
 そこには「三代目とやったときは60近く出た」と書いてある。
「1から10までの数の集合」である。
 よほど柔軟に思考しないと60通りの集合は出ない。
例えば、フツーに考えたら「奇数と偶数」。
これは「2で割り切れるるかどうか」の意味だから。この応用でいけば
「3で割り切れるか」「4で割り切れるか」「5で割り切れるか」・・で2から10までで9通り。
さて、あとはどうしようかな、というところだ。
 
 向山学級では、日頃から「たくさんの方法・たくさんのアイデア」を求めているから、列挙することの抵抗感がなくなっているのだろう。
 むろん、自由な発想が許容されていることや、社会的な関心を高める日々の授業実践の蓄積の成果もあろう。
 以下の「青森のリンゴ」の実践で紹介されている励ましが、日常的にあったのではないかと推測する。
 (なお、これは補教で入ったクラスでの授業である)。
◆「参考書で勉強するのも大切だけど、もっと大切なのは自分の頭でまず考えてみることだよね。」
◆「自分の頭で考えてみよう。思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
◆ 「本当に何でもいいの」と、子どもは言いながら、一人が発表すると次から次へと意見が出された。
◆「とってもいいことだよ。そうすると長野以北で、しかも鉄道が通っている所ということで、ずいぶんせばめられるよね」、とぼくはことさらにほめた。
◆どの意見もどの意見も認めていった。何を言っても認められたから子ども達は 面白いように意見を続けた。
 「斎藤喜博を追って」 P32〜33
・・・向山氏が、「どんな意見も受け入れる態度」を示している様子がよく分かる。
 だから次々に自由度の高い意見が出されている。
 また、笑われるような子どもの意見にも、きちんと意味づけをしている。発言した子どもの自尊心が高まるよう支援しているのだ。
 近年のキーワードに「ダイバーシティ(多様性)がある。
「思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
「何を言っても認められたから、子ども達は、 面白いように意見を続けた」
という指導方針は、まさに「ダイバーシテイ」の代表モデルであると言える。
 向山実践は、『10年後の世界を生き抜く最先端の教育』茂木健一郎(祥伝社)の次の一説と重なる。
 正解志向を打破する最先端の教育が向山学級にはあった。
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やがてくるAI時代は、間違いを恐れて正解だけを求める人は生きていくのが 大変になる。だから、そういう模範解答を書く子どものは、そうじゃないよ、自分で考えていいんだよ、ということを言ってあげないといけない。そして、模範解答の枷から 外してあげる。すると、けっこう自分で楽しく書き始めるようになって、ものすごい発想が出てきたりするわけです。
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・・・「斎藤喜博を追って」の収められている「台形の求め方を5通り以上で」のような多様な解を求める向山実践に感激し、たくさんの答えを列挙させる授業、たくさんの「わ・き・お」を考えさせる授業にあこがれて、追試を繰り返してきた。
 しかし、質も量もあまりに違う。
 追えば追うほど、届かないことを痛感した教師人生であった。
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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その2)

 「探究力」を育む向山学級は、自由な発想を促す向山先生の支援によるのだと思う。
 決まり切った解答なら答えられるが、自分の意見は遠慮して言えない子は多い。
 しかし、向山学級は「自分の意見に自信をもて」「人と違う意見を考えよ」という指導を繰り返し、その成果を上げてきた。
 向山学級が自由に意見を発表できたのは、そもそも「自由と平等」という向山氏の教育観・教育思想にある。
 『斎藤喜博を追って』の「子どもに自由と平等を!」の章を読むと、向山氏は新任のときから、この点に強い思いがあったことが分かる。
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 〈優等生〉以外は、学校生活を通して段々と発言しなくなる事実は、学校の教育活動の中に原因があることを示唆していた。〈優等生〉によりかかった授業・教育活動がその原因であるはずだった。
 教師が発問し、それに〈優等生〉が答えるという、貧弱な授業が目に浮かんできた。教材の本質を理解して、さまざまな角度から授業が展開できれば、そんなことはないはずであった。一人ひとりの子どものことをよく知っていれば、いろいろの考えをひき出せるはずであった。まちがいの中から真実につき進むという学問の基本をとらえており、それを組み立てる力量を持っていれば、そんなことはないはずであった。
 つまるところ、教材を分析していく力量、一人ひとりを具体的に見る力量、学問的な素養、授業を組み立てていく力量の不足が、貧弱な授業を生み出し、〈優等生〉中心の授業にしている原因であった。(P107~120より抜粋)
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・・・何度読んでもしびれる箇所だ。
 〈優等生〉に依拠した貧弱な授業は、差別構造に依拠した授業でもあることがよく分かる。
 「誰もが自由に発言できる授業」「誰の発言も大事にされる授業」は、「自由と平等」を具現化する授業観・教育観があってこそであった。
 そして「自由と平等」を追求した向山学級だからこそ、自分を信じる子どもが育ち、レベルの高い討論が成り立った。
 
  創造力(探究力)を伸ばす教育は、「何を言っても許容される学級」「人と異なる意見が認められる学級」でないとうまくいかない。
 創造力(探究力)が必要だというなら、「千万人といえどもわれ行かん」の態度と、「一匹狼のたくましさと野武士の如き集団」の形成に取り組まないと理想論で終わってしまう。

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「探究力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る(その1)

 2019年2月東海ライセンスセミナーB表指導案(8級)のテーマは
 「多量で多様な発想力」をはぐくむ向山学級の秘密を探る
 昭和46年度大森第四小学校の卒業文集に「雪」と題した向山学級の子どもの詩がある。
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 雪はなぜ白いのだろう。・・あ、わかった、黒くないからだ。
 雪も雨もなぜ上からふってくるのだろう。・・あ、わかった、下からわきでてこないからだ。
 雪は、なぜ、雨みたいに、あとが、水びしゃになるのだろうか。・・あ、わかった、雪のかんじの「ヨ」っていう字をとったからだ。
 雪はなぜ、冬にふるのだろうか。・・あ、夏に降っちゃいけないからだ。
 なぜみんなは、雪をまるくして雪合戦をやるのだろうか。・・あ、わかった。三角の形を作ってなげると時間がかかって、飛んで来た雪にあたっていたいから。
 ※TOSS内部資料「森ケ崎の子ら」卒業アルバム文集(NPO法人TOSS)より
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 豊かな発想で、自分で立てた「なぜ」に答えている。
 「なぜ白いのか」と聞かれて、「黒くないから」というのは、屁理屈でしかない。
 ロジカルに「なぜ」に正対して答えたら、このような詩は作れない。
 A:突拍子もない答を出した子がヒーローになるようなおおらかさ。
 B:ジョークやパロデイを楽しむ知性
 C:多様なアイデアを大量に創出させる思考訓練
 D:互いに刺激し合うブレーンストーミング型の話し合い活動
 E:自分の作品や発言に対する自信(自尊感情の高さ)
などが、このような詩を創作させる要因に挙げられる。
 向山学級では日頃から、先生の質問に対し、自由奔放に答えることが許されていた。
 それは、「第2通知表」と言われる自己評価シートに
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「先生の質問に、あれこれとばかげたくらいのことまで考えましたか」
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の項目があることからも分かる。
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January 02, 2024

「シンプルであることは複雑であるより難しい」

Apple創業者のスティーブ・ジョブズが「禅道」に傾倒していたことは有名だ。

◆「『ハングリーであれ、愚か者であれ(Stay hungry, Stay foolish)』は、
(曹洞宗の祖、洞山良价禅師が説いた)『愚の如く、魯ろの如く、よく相続するを主中の主と名づく』を訳したものだろう。
『よく相続するを主中の主と名づく』は、コツコツと1つのことを続ける人が最も強い、という意味である。
形あるものは必ず滅びる。だからこそ、命ある間にたゆまず精進し、一瞬一瞬の生を最大限に発揮せよ、という教えだ」
◆ジョブズ氏は、アップルの基本理念を「フォーカスとシンプルさ」と定義し、「シンプルであることは、複雑であるより難しい」と語っていたが、これも禅の教えそのものだ。ジョブズ氏の徹底したミニマリスト志向も、世界を変えた「iPhone」や「iPad」などの機能やデザインも、禅の理念を彷彿させる。
・・・SONYのウオークマンは、機能をシンプルにするために録音機能を省いた。
カセットテープを聞くだけの機能に特化することに社内では反対の声があったが、シンプルさがよかった。
しかし、日本の家電メーカーは、多くの場合、多品種・多機能に溺れていった。
 
◆技術的な観点からみれば、アップル社の製品には他にない優位性があるわけではありません。iPod、iPhone、iPadはいずれも既存の技術かその延長線上で構成されているからです。
しかし、彼らはここにシンプルで美しいデザイン性という新たな要素を付け加えることで、独自ブランドを構築することに成功しました。彼らの考えるデザインは、形の美しさだけでなく、機能面、使い勝手、消費者のライフスタイルまでをも含む、新しい考え方であったのです。
◆ また、アップル社は、製品の数を極端に絞ると言う戦略をとってきたことでも知られています。他の総合家電メーカーがラインナップを充実させ続ける中、あえてその正反対の道を採用したのです。
     「 考える力の鍛え方」上田正人 p144・145
・・・かつては、 SONYもそのような優位性を持っており、ウォークマンは外で音楽を楽しむと言う新たなライフスタイルを創り出した。SONYブランドの製品を持っていることは知的でオシャレだった。
◆ これは、「何をやらないか」を徹底することで、「やるべきこと」に集中する経営戦略の重要性を示す典型例と言えるでしょう。 同p146
・・・昨年末、たまたまSONY盛田昭夫氏の資料館を訪れ、書籍やネットでいろいろ調べる中で、自分自身の考え方や生き方を考えた。
 
 「何をやらないか」を徹底しないと、「やるべきこと」に集中できない。
 情報を集め出すと、アメーバのように再現がない。
 だから、自分の芯がしっかりしていないと、あれもこれも気になって専念できない。
 自分軸をキープするブレない2024年でありたい。
 一方で、寄り道や回り道をする余裕を持ち、偶然の学び(セレンデイピテイ)を受け入れ2024年でありたい。

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January 01, 2024

動いてみて、苦境に立たされて、考え抜いた先に解決策が浮かぶ

 新年ですので「諦めなければ夢は叶う」について。
 この言葉には、やや懐疑的で、そうはいっても夢が叶わなかった人は星の数ほど存在すると思っている。
 でも、私たちは、教師として、夢を抱くことを諦めさせてはいけない。
 1983年カシオでG -SHOCKを作った伊藤菊雄氏のエピソードは有名で、ネットで調べればいろいろヒットする。
 企画書は、通常、「構造案」「スケジュール案」などを記載するものだが、G -SHOCKの場合は
『落としても壊れない丈夫な時計』 とだけ書いてあとは白紙。
 こんな企画書を書いた側もすごいが、通した会社もすごい。
 その後の研究開発では、2年たっても結果が出ない。
 その時の「ブレークスルー」の様子が次のように紹介されている。
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開発に充てられた2年が近づいてきた。
「もうダメだと思った時、自分が納得してあきらめるにはどうしたらいいかと考えたとき、1週間と期限を決めて、その1週間とにかく全ての時間を費やして考えてみようと思いました」
その1週間の最後の日、会社を辞めることを覚悟した伊部さんは、公園のベンチに腰掛けてプロジェクトの幕引きを考えていた。その時、アイデアの神様が降臨した。
「ボールで遊んでいた子どもをぼーっと眺めていたら、ボールの中に時計が浮いている絵が頭の中に浮かんだのです」
腕時計の心臓部であるモジュールをゴムパッキンの点で支えることで、ケース内で浮遊させる中空構造の発想が生まれた瞬間だ。
たった一行の「G-SHOCK企画書」“世界最強”はこうして生まれた。
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・・・当然、アイデアが降臨したのは、それまで考えて、調べて、実験してを繰り返した「情報の蓄積」があったからだろう。
 それは根性論としての「諦めない」とは意味が違う。「諦めなければ夢は叶う」というよりは
「情報を蓄積し続ければ、夢は叶う」の方が現実的だろうか。
 辞表を覚悟するほどに自分を追い込んだことで、脳が「火事場の馬鹿力」な働きを見せたのかもしれない。
 諦めるかどうかは、モチベーションを維持できるかどうかでもある。その件については、別にWEBに書いてある。
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◆──伊部さんはなぜ、最後の最後でアイデアが浮かんだのだと思いますか?
持てる力を尽くして、考え抜いたからだと思います。考え続けることは、辛いですし、徒労に終わってしまうことも少なくありません。けれど、その蓄積は決してムダではない。ふとした瞬間に、アイデアにつながることがあるんです。「絶対に実現したい」と思うことに関しては、「極限まで考え抜けば、解決策が出る場合がある」と、身にしみて感じられましたよ。
──苦難を乗り越え、成長を手にするために必要なことは何でしょうか?
まずは動いてみることだと思います。今の若い人たちは非常に優秀で思考力に満ちている。けれど、考え過ぎるあまり、一歩を踏み出せなくなっては元も子もありません。動かなければ失敗することはないかもしれませんが、成功体験を積むチャンスを逃してしまいます。
私の社会人生活を振り返ると、動いてみて、苦境に立たされて、考え抜いた先に解決策が浮かぶことが多かった。時にはうまくいかないこともあるかもしれない。けれど、動き、考え続ければ必ず「解」は見つかる。そうした成功体験を重ねていけば、大きな自信を得られると考えています。
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・・・諦めなかったもう1つの要因は、明確なターゲットがあったということなのだと思う。
要するにブレなかったのだ。
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―追い込まれた状況が続く中でも挑戦を持続できたモチベーションはどこにあったのですか。
 「1行の重み」と「役に立つ」の2点しかありません。よくネットから情報を持ってきて美辞麗句を並べた(部下などの)きれいな企画書を見ますが、「その企画を一言で言ってほしい」と求めると出ない事例があります。きれいな企画書を作ることに一生懸命になって(本当に必要な)本質がなくなっている。一方、G-SHOCKには(「落としても壊れない丈夫な時計」という)本質がありました。(明確なターゲットとしてイメージした工事作業員という)役に立つ相手がいたことも大きな原動力でした。
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・・・こういう言い方は問題かもしれないが、「昭和」だからできた泥臭いサクセスストーリーかもしれない。
 「努力・忍耐・根性」という言葉が受け入れにくい世の中だが、 向山先生の言われる「100の努力・成長曲線・成長は加速度的に訪れる」を彷彿させるエピソードは、ストックし、いつでも語れるようにしておきたいと思う。
※「G-SHOCK」はムチャな1行企画書と誇大広告から生まれた
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東大物理学者が教える『考える力』の鍛え方 〜想定外の時代を生き抜くためのヒント。〜〜

「考える力」の鍛え方 上田正仁著(ブックマン)

 引用するとキリがないので、あちこちつなげると次のようになる。
◆「マニュアル力」は創造力の土台になるが、社会の中でマニュアル力が生かせる場面は限られている。今必要なのは、「自ら考え創造する力」である。
 与えられた知識やスキルを効率よく身につけるのが「マニュアル力」。
 ルールや枠組みがはっきりしている「想定内」の世界では、マニュアル力に優れた人が高く評価される。受験テクニックもこの部類。
 しかし、マニュア力だけでは、イノベーションを生み出すことができないし、「すぐに答えが出ない問題に取り掛かるのは非効率だ」として、深く長く考える努力を避けてしまうことが多い。
 誰もが当たり前と思っているところに異を唱え、問題点を見出し、物事の本質を突き止めようとするのが「考える力」
 そして、答えのないところに独自の答えを編み出すのが「創造力(イノベーション)」
・・・・与えられた仕事をこなす処理能力だけでは、正解のない時代(予測不能な時代)を生きていけない。
 そう思う。
 では、欧米に追いつき追い越せで歯車のように働いてきた昭和(戦後)の日本人は、「創造力」を欠いていたかというとそうでもない。
 創造力の土台となる「マニュアル力」を愚直に発揮し、さらなる工夫改善を目指す中で、千に1つ、万に1つのアイデアが開花した。
 それが例えばSONYだ(という意識で、盛田氏の書籍を読んでいる)。
 あるいは、ノーベル賞を受賞した数々の日本人たちだ。
 逆に、「創造力」が大事だからと言う点ばかりを強調して、「マニュアル力」や「基礎研究」を怠っていると、イノーベションは起きない。
 企業も研究機関も「短期の成果」ばかりを求めて、「長期展望」「基礎研究」を怠っていると、イノベーションが起きないとも言える。
 カシオのG -SHOCKを開発した際の企画書は「丈夫な時計を作る」とだけ書かれたぺら1枚の鴨だったと言う。今までやったことがない企画に綿密な計画など立てられない。この場合は、その企画を通した会社がすごい。
 浴びるほどの情報の蓄積がないと、爆発が起きない。
 先のダイアリーで示した「アインシュタイの奇跡の年」もそういうことだ。
 向山先生の「磁石」や「豆電球」の授業も、そういうことなのだ。



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