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February 03, 2024

プロの技術は思いあがったとたんに成長がとまる

 張本勲氏は、プロ入団同期の王貞治選手から受けた「衝撃」について、次のように書いている。
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 「王がホームラン王?それでもオレのほうが上だろう」
 なんともエラそうに考えていた私は、オールスターの試合前、冷やかし半分で王のバッティングをのぞきに行ったのだが・・。
 いきなり氷水をのぼせた頭にぶっかけられた。そんな衝撃を受けた。
 打球の勢い、スイングの早さが、以前の王のそれとはまるで違うのだ。オレはいったい、何をやっていたんだ。完全に遅れを取った。
 私もバットは振ってきた。しかし、あとから考えれば、ただ振っているだけだった。同じ300スイングでも、魂を込めて振っていない。心のどこかに慢心があった。知らず知らずのうちに天狗になっていた。
(『最強打撃力』P112・113)
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私も〇〇はやっててきた。しかし、ただやっているだけだった。
・・・何年も仕事を続けていると、上述のようなことが起こる。
魂の入らない努力では成果は上がらない。
慢心すれば、どこの世界でもおいてきぼりにされる。
心のどこかに慢心があった。知らず知らずのうちに天狗になっていた
その具体例を、向山先生は、『続・授業の腕をあげる法則』の中で、「M氏」の手紙として紹介している(P186・187)
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 教育技術法則化運動からしばらく遠ざかっていた後の参加。夏期の合宿に参加して驚いたことが一つ。スタート地点ではほぼ同程度だったのにもかかわらず、他の若手の教師とは既に雲泥の差がついていたことである。『書くことによって本人はのびていく』という向山氏の言葉どおりであった。今の私ではたちうちできない。まさにカルチャーショックである。
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・・・向山先生は、慢心することの愚かさを、「授業の原則(技能編)」として、次のようにまとめている。
第7条「技術は、向上していくか、後退していくかのどちらかである」 (「本を読まないで自分で考えながらやる」などというのは思い上がりもいいところであり、不勉強・不誠実この上ないのである)
第8条「プロの技術は思い上がったとたん成長がとまる」 (ただの凡人にすぎぬ私達が、プロの教師をめざす以上、思い上がりは致命傷なのである)
 
 時間の「量」は、皆に平等だ。
 しかし「質」は自分次第。
 思い上がりは致命傷である。
 少しだけ本を読んで、少しだけセミナーに参加して満足してしまう自分は、いつも自分自身に警鐘を鳴らしておかないと、ひどいことになる。
 10年ほど前のダイアリーを再構成しました。
 そろそろ年度末、次年度の心の準備を始めて欲しいです。

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