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March 27, 2024

4月第1週の教師の動き(名古屋市を除く愛知県)

4月1日(月)

〇午前、市庁舎で辞令伝達式。

〇午後、職員室であいさつ。職員会議。

〇すき間の時間で、学級の事務をする。

・学年が分かったら・・「教育課程」でざっと 1 年を見通す

・教室が分かったら・・教室環境を確認する

・学級名簿をもらったら、子供たちの申し送り事項をチェック。

・自分の PC を配付されたらセッテイングして、学年フォルダ等をチェック。

 

4月2日(火)

〇ほぼ1日、担当者の部会等。部会がない時間は、自分の準備時間。

〇学年会でいろいろ説明を受ける。教材選択や学年通信の作成もある。

〇必要に応じて、C4thやGoogleClassroom の使い方を調べたり、聞いたりしておくとよい。

 

4月3日(水)

午前は入学式準備、午後は初任者研修の出張。

丸1日、何もできないかも。 出張中に校内で進んだ会議の内容について、きちんと確かめておく。

 

4月4日(木)

午前は入学式、午後は学年会や学級事務の時間。校外学習の下見が入るかも。

明日の始業式と学活の準備、教室掲示や自己紹介の言葉・下校までのタイムスケジ ュールと子どもの動線を確定しておく。

最初の出会いが大事だからこの日の準備が勝負。

 

4月5日(金)

いよいよ午前は始業式。

(1週間の疲れのピークかもしれませんが)

自己紹介、教科書配付、学年だより配付、トイレ、ロッカー、靴箱の確認など。

学年通信を子供と読むなどして保護者への連絡事項はきちんと把握しておく。

下校時間までに予定した配付物を配り、連絡事項は確実に伝える。

午後は職員会・学年会や学級事務の時間など。

===============

翌週は、授業、給食、清掃などが始まり、通学班会議・通学路点検・学級写真・身体測定などが行われます。

「学級活動」の時間には、タブレット端末や各種のファイルなどの持ち上がり作業、学級写真(そのための背の順決め)を行ったり、学級目標、学級ルール、清掃当番、給食当番、係、 日直、学級委員などを決めたりします。

自己紹介カードなどは学年で共通の掲示物を用意されるかもしれません。 学年の先生としっかり打ち合わせてください。

市教委から貸し出される書籍には「3730 の法則」と書いてあります。

最初の出会いの3日間・・・授業が始まる1週間(7日)・・・軌道に乗る1か月。

学級づくりと授業づくりを軌道に乗せて、授業参観で保護者に見てもらって、まずは4月を乗り切ります。

市の初任者研修で貸し出される本や愛知県総合教育センターからダウンロードする冊子「新しく先生となる皆さんへ」には、学級経営や授業づくりの具体例が示されています。まずざっ と目を通しておいてください。

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「新学期の出会い」までの準備を抜かりなく!

(1) 担任する児童を確認する(名前の読み方も) クラス編成カードや差し替える健康カードや指導要録などで、およその状況をチェックする。

大まかに、家庭の様子(兄弟、片親など)、子どもの様子(学力、友達関係、障害など) を把握し、申し送りで配慮しなければならないことを確認する。

前担任がいる場合は、話を聞く。

学校によっては年度当初に情報交換会が設定される。

 

(2) 教室と子供の動線をイメージする

机・いすの確認(数、傷、汚れ、名札など)、掲示板のスペースの確認

靴箱、ロッカー、傘立て等の確認

 

(3)始業式の日から数日間の流れをイメージする(学年通信に丁寧に記載があるかも)

・教科書配付、さまざまな配付文書(回収文書)

・学級委員決め・日直・係・給食や掃除の仕事内容とメンバーの決定

・学級のルール決め

 

(4) 初日に話す内容(自己紹介プラス所信表明)を確定する

どんなクラスにしたいか、どうなってほしいかを学年に応じて端的に (モノを用意したり、黒板に書いておいたりすると印象に残る)。

学年便りに自己紹介欄があるかも。

 

(5) 学校に来てから帰るまでの子供の動きをイメージして、混乱がないように手を打つ

・子どものその日の動きや持ち物、配付物・回収物などについて事前に確認する。

・翌日の持ち物を、朝、黒板に書いておいて連絡帳に書き写す学級が多い。

・持ち物・授業計画は余裕をもって準備する(計画表を有効活用する)。

・置き場所、置き方、その他のルール(動線)をあらかじめ決めておく。

 

第2週からは、学級の組織を整えながら、教科の授業が始まります。

注文したワークやノー トが届いていなくても各教科の授業が始まります。

各教科の学習ルールなどを職員会の起案文書を見て確定してください。

時間割も自分で確定します。4月末に授業参観(学級懇談会)がある場合は、そこを何とか 乗り切るとGWです。

「やってみて何か問題があったらGW明けに修正する」と子どもに伝えておけば、迷うことなく進められると思います。

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March 26, 2024

四則計算の復習問題

4 4 4 4 で、1〜10

この計算は定番ネタ。
ただし、数字が4つなので高学年向け。
4×4÷4÷4=1   
4÷4+4÷4=2
(4+4+4)÷4=3   
(4-4)×4+4=4
(4×4+4)÷4=5   
(4+4)÷4+4=6
4+4ー4÷4=7    
4×4-4-4=8
4+4+4÷4=9
10は、ルートを使わないとできないのでは?
 
10月半ば、3年生4年生の算数で交換法則の指導場面があった。
その時、自分で色々試してみた。
4つの数字では、難しいので3つかな。
でも、これを 3 3 3 でやると、以下の答えぐらいしか出ない。
 3×(3−3)=0 
(3+3)÷3 =2
(3×3)÷3 =3    
 3+(3÷3)=4
(3×3)−3 =6   
 3 + 3+3  =9
(3×3)+3 =12  
 3 × 3 × 3 =27

あとで、ネットで調べたら、こんな感じだった。難しい。
で、数字を 3 2 1 に変えてみた。
3ー 2ー 1   = 0
÷(2+1)= 1
ー 2+1  = 2
×(2ー1)= 3
3+2 ー1  = 4
3×2 ー1  = 5
3×2× 1   = 6
3×2+1  = 7
(3+1)× 2 = 8
3×(2+1) = 9
=8の時は、321の順番ではできなかったが、これくらいなら取り組めそう。
計算したノートをコピーして渡した。
こういうのは、持ちネタとしてストックしておくと良い。
単元が終わったので、すぐに生かすことはできないが、いつか使ってもらえるといいな。

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授業の振り返りは、チェックテストで代用できるのか>

◆授業の終わりに「振り返り」を入れるようにとよく言われるが、算数の授業の終わりは、計算スキルで習熟度を確かめた方がはるかに有効ではないのか。


「振り返り」で形式通りの言葉が並ぶだけなら意味がない。
いくら「今日の授業がよく分かった」と書いても、実際にスキル問題が解けないなら意味がない。
そういう意味のないことをやめる覚悟が大事なのだ。

できるかどうかは次の時間の最初に試しす方法もある。
それは学習の定着度を調べるために意味がある行為だ。

無駄な「めあて」、無駄な「振り返り」なら、潔くやめればいい。
ただし、本当はすごく意味があるのに、自分の力不足・理解不足で具現化できていないだけなら威張っても仕方ない。
無駄と言い切るだけの理論武装をしないと、言い訳してさぼっているだけと思われてしまう。

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注意の言葉が入る子供・入らない子供

3年生算数、2桁かける2桁のかけ算の単元に入った。
本時は 45×30のような問題で
明日から45×32のような問題に入る。
先生は、補助計算を書くし、「0」を書くし、定規で線を引くし、ゆったり余白をとる。
しかし、日ごろからの指導が入っていないと、先生が書いた補助計算や「0」に対して「なくても大丈夫でしょ」という子が出てくる。
徹底して全員に書かせる方法もあるが、そのような強引な手が打てない学級では「どっちでもいいよ」になって、面倒がる子供は「書かない」という選択をする。
できる子が自分の意思で書かないのはかまわないが、そういう子たちの声に屈して先生が省略すると、低位の子のためにならない。
補助計算を書く・ゼロを書く・定規で線を引く・ゆったり余白をとることによって救われる子供がいる。
そういう子たちのために、先生はゼロを書く。
 「こっちが王道なのだ」という自信をもってゼロを書く。
 支援したい子には同じようにゼロを書かせる。
 あらためて向山先生の『斎藤喜博を追って』を読んだ。
========================
この子(注:吉岡さん)は 忠実に習った通りをやったのだ。5 × 0 0 × 0 4 × 0を律儀にきちんと計算し、二段目に0を三つ並べた。男の子たちは、そこを自己流に解釈するか、うまい方法でやろうとして間違えた。僕は男の子たちに、毅然とした口調でたずねた。(中略)
 この信じられない出来事に、教室はしんとしていた。子供たちの中で、何かガラガラと音を立てて崩れていくのが、聞こえてくるようであった。『斎藤喜博を追って』P28
========================
・・・愚直な吉岡さんがていねいな筆算で正解し、なめてかかった男子グループがいいかげんなやり方をするから間違える。
この逆転現象の場面。
悪い言葉だけど「ざまあみろ」だ。
悪い言葉だけど「よくぞまんまと間違ってくれた」だ。
先生のアドバイスを聞かず我流で解くから間違えるのだ。
お説教や嫌みや強引な指導(おどし)で、こちらのやり方を強制しても不満しか残らない。
 「先生の言うとおりにやったら、面倒だけど、確実に正解できたよ」
という事実(メリット)で意識改革を引き起こすしかない。
 逆転現象が起きる場面を待つ。
 あるいは意図的にそういう場を仕組む。
・・・ゼロを全員に書かせられるかどうかの問題は、高学年ではありがちな「ちょっとしたわがままがクラスの荒れにつながる予兆」であることは理解してもらえた。

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切り取って貼るだけではもったいない

2年算数「三角形と四角形」
切り方によって四角形が「三角形+三角形」「三角形+四角形」「四角形+四角形」になることを理解する1時間。
三角形・四角形を切り取ってノートに貼らせていた。
でも、図形を張っただけだから、おさえが足りない。本時の学習内容も薄い。
一番後ろの席の子に許可をもらって、赤ペンで「ちょう点」「辺」と書き足してみた。
うん、これぐらいあると学習した感が出る。
ただ切り抜きを貼るだけで用語の記載がないと、もったいないなのだと実感した。
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「1時間かける」という呪縛

3年算数「小数」の1時間。
分数と小数の大きさを比べる学習がある。
例題は「0.2と4/10の大きさを比べましょう」
前時までに1/10=0.1は学習している(その前提で小数の授業がスタートしている)。
ということは、
数直線を使っても分かるように
1/10 = 0.1
2/10 = 0.2
3/10 = 0.3
4/10 = 0.4
・・
10/10 = 1
と分数と小数が等しいことを理解すれば、「分数でそろえる」「小数でそろえる」の二つの方法で解ける。
授業を見ていると、子どもたちがもうすでに分かっているのに
「0.2は0.1がいくつ分?」
「4/10は1/10がいくつ分?」
と何度も何度も繰り返していた。
挙手指名で意見を言わせるチャンスだと思ったのかな?
授業時間が余るから、わざとゆっくりやっているのかな?
たしかに、それだけゆっくりやっても「もっと練習」までできたから、余裕はあった。
でも、テンポよくやれば、「もっと練習」以上に、習熟問題を出せた。
今日の授業は、丁寧に説明するより、練習問題を増やす方が効果は高かったと思う。
「もっと練習」には、1を超える「1.2」という数値もあって、大きさ比べで子どもたちの多くは引っかかっていた。
ならば、余った時間で、1を超える小数・分数に触れておいてもよかったのだ。
次の時間が、小数の足し算・引き算だから、次に進むのも遠慮したのだろうが、3分あれば、次時の例題に踏み込めた。
「時間が余っても、配当時間はきちんと守ろう」
「時間が余るから、今日の授業はゆっくり丁寧にやろう」
という意識は捨ててもいいのにな。
なお、あと2つ呪縛を感じた点がある。
①まとめを板書
・・・先生が今日の授業のまとめを板書し、子どもが書き写すパターン。
子どもが本時の授業の学びを自分の言葉で表現できることが大事なのに。
②先生が採点
・・・なぜか、練習問題の答えを先生がつけている。
教卓に行列ができるか、先生が〇つけをして回るかどちらかの方法だが、どちらにしてもロスは多い。
今日の授業は自分も〇つけして回った。私がいなかったら採点が授業内に終わらなかったけどどうするつもりだったんだろうと思ってしまった。
一生懸命やっている先生なので、よいところを認めながら、励ましていきたい。
ダメ出しがしたいわけではない。
「先生すごく熱心だけど、もっと楽できますよ」
ということを伝えたいのだ。
ただ、作戦を練らないとダメ出しになるので、そこは配慮が必要ということになる。

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(60+20)×5=400

3年算数。カッコを使って1つの式にする場面を扱っていた。
鉛筆1本が60円、キャップが20円。併せて考えたり分けて考えたりするので、2通りのカッコの使い方がある。
1時間に2つの解法を考えるという点では、混乱を生じやすいところだ。
授業は、デジタル教科書を黒板に写して、色ペンで整理しながら進め、
板書で2つの正しい式を提示した。
(60+20)×5=400
(60×5)+(20×5)=400
数字だけ並ぶと、ちょっと苦しい。
結論としては、これでいいのだが、途中過程がないと苦しい子がいる。
①60円を「鉛筆」、20円を「キャップ」で考えたら、見える数字が減るから伝わるのでは?
②60円と20円は色分け・色囲みをすると分かりやすいのでは?
③かっこのある式を一行で解くのではなく、かっこを開いた形で、もう1段下に書くと、分かりやすいのでは?
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算数は非連続型テキストである。
数字と物を「〇で囲む、線で結ぶ」という活動が効果的だ。
国語でも、写真と文章の対応を促す説明文が多い。
どの教科でも使える作業法・思考法も含め、伝えていきたい。

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算数の問題文を視覚的に整理する

3年生の算数の「線分図」。
①文章題を音読した後、
②数字の部分に下線を引かせ
③線分図に取り組ませていた。
しかし、問題の文章は、数字の部分に線を引いたぐらいでは強調されない。
「数字の部分を整理して板書したら、見やすくて分かりやすいんじゃないかな」
4つの数字を縦に並べるパターンと、「全部の数」だけを横にするパターン。
こうして整列して並べると、その数値をそのまま線分図に置き換えやすい。
と話すと「なるほど!」と納得してくれた。
今回は、まだマシな方で、問題文によっては行をまたいでいることがある。
教科書って時々意地悪なんだよね。
※初任は、早くできる子を待たすことになるので、なかなか個別支援に回る時間がないとも言っていた。
この場合、立式は3通りほどある。
①13+8=21   28−21=7
②28–13=15   15–8=7
③28–13–8=7
④28–(13+8)・・・これはまだ無理。
できる子は、式を3通り書かせたり、黒板に式を書かせたりすると、時間が作れるので個別支援に回ることができる。
できる子も満足させないと授業が荒れる。
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多くの子に活躍の場を与える手順

初任の算数の授業を見ていたら、式と答えと解き方を全部1人の子に言わせる場面があった。
ああ、もったいな。
①式だけでいいから言える人にあてる。
②答えが言える人にあてる。
③その答えでいいと思う人に挙手させる。多くの子が手を挙げる。
④手を挙げたままで「理由が言える人?」と聞く。
 すると、慌てて手を下げる子と、手を上げたままの子に分かれるので、理由を言える子に言わせる。
「理由が言える人?」と聞いて、ほぼ全員手が下がることがある。
あるいは、「理由が言える人」と聞いて、多くの子の手が下がったのに、誰かに理由を言わせて「そう思った人」と聞くと、みんなの手が上がるとき。「おいおい、理由が言えるなら手を下げるなよ」と笑顔であおる。
 どんな場面でも、理由を説明するのは難易度が高いので、無理強いはできない。
 でも、理由が言える子を育てたいから、勇気を奮って理由を言った子は持ち上げたい。
「なるほど、いい理由だったから、もう一度言ってもらうよ」
「今のすごくいい理由だったから、前に来てもう一度言ってもらうよ」
などと、優遇する。
ちなみに
「今の意見、よかったからもう一度言って」
「今の意見、前に出て来てもう一度言って」
「○○さん、さっきノートにいいこと書いてあったから、それ言って」
という指名は、あらかじめ先生から合格をもらった意見なので、子供は自信を持って発言できる。
特に自分の意見に自信のない子は、こうして合格した意見を指名発言させることから始めるとよい。
いい意見を言った子に「いい気持ち」になってもらうと、次もがんばろうという気にさせられる。
他の子には「今度は自分も」という気にさせられる。
「自分も言えばよかった」と悔しい思いをする子がいるかもしれないが、それもいいきっかけになる。
というわけで、1人の子に、今回のように、式と答えと理由を1人の子に全部言わせるなんてもったいないのだ。
無論、授業を進行する時間配分にもよるのだが。

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条件の説明は正確に

5年算数の三角形の合同条件。
板書に合同な三角形を描くための3つ示されたが、間違っていました。
①3つの辺の長さ
②1つの角の大きさと2つの辺の長さ
③2つの角の大きさと1つの辺の長さ
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②は、2つの辺とその間の角でないといけない。
③は、1つの辺とその両サイドの角でないといけない。
無条件ではない。計算ドリルにも、この条件を問う問題がある。
教師が、ここを厳密に提示しないと子供が間違って覚えてしまう。

授業では少し説明させてもらった。
併せて該当する箇所を黄色で示してみた。

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これ以上、補足すると担任に失礼だから遠慮したが・・。
板書するなら
①の場合、コンパスで長さをとった辺B、辺Cの交点がAだから、コンパスの引いた線を残しておくと良いし、
③の場合、角度しか決まっていない。辺B、辺Cを延ばした交点がAだから、延長線を残しておくと良い。

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繰り上がりの1

3年生の算数、三桁の筆算の復習として、二桁の筆算が教科書にヒントで提示してある。
あれ、繰り上がりの1が書いてないぞ。
プロジェクターで映し出しているのだが、担任がスルーしてしまった。
三桁の筆算に行く前に、「繰り上がり」は想起させておく必要がある。
「この筆算、忘れ物があるね。」
と問うと
「繰り上がりの1がない」
と答えが出たので、写真にあるように赤で書き加えた。
※おまけ
3桁の筆算を練習した本時、
◆2桁と同じように3桁の筆算ができたね。
◆だったら、4桁も5桁の筆算もできそうだね。
とうように、過去―本時ー次時(もっと先)を見据えて束ねていた。
当たり前と言えば当たり前だが、きちんとおさえた授業者に感心した。
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1は、どこに行ったの?

1年生のクラスの算数の授業を見ていたら、「10が5つと、1が6つでいくつでしょう」で困っている子がいた。
「10円が5個あったら、いくらかな?」
「15円」
・・・そうか、そう考える子か。
「10円が1個で10円、2個で20円、3個で30円だぞ」という説明で押し切って「50」を引っ張り出す。
「同じように考えたら、1が6つあるんだから6だな」と言うと
「じゃあ、1はどこにいったの?」
と怪訝な顔をする。
・・そうか、そう考えるか。
「単位の1」という概念が希薄だから「1が6つ」という表記の意味が理解しきれていないのか。
でも、これは数学的な思考の混乱ではなく、国語的な表記の混乱かもしれない。
A「1と6でいくつでしょう」・・・7
B「1が6こでいくつでしょう」・・6
「1が6こ」の1と6を、数字と数字だと読み取っていると、「1はどこへいったの?」ということになる。
同様に「10が5個で15」という解答も
A「10と5でいくつでしょう」・・・15
B「10が5こでいくつでしょう」・・50
という国語的な表記の混乱なのかもしれない。。
子どもにとってABはよく似ているし、Aの足し算の表記に慣れているの。
単位量を表すBで読み誤るのかもしれない。
「10が5こ、1が6こ」は数概念の基本だが、困っている子もいるのだということを教師が想定する必要がある。

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テスト中の教師の仕事

5時限目に算数のテストをしていた。

教室をのぞくと、2枚目のテストをしていて、担任は1枚目の採点をしていた。

そこで机間巡視をして回ってみると、早く終えてお絵かき帳を描いている子がいる一方で、まだまだ進んでいない子がいた。
簡単に解けそうな箇所があったので「こっちを先にやったら?」などと促して回った。
算数の苦手な子には「これ、答えがおかしいなあ」と誤答箇所をそっと指摘したりした(答えは教えませんよ)。
授業後、職員室で採点をしていた担任が
「先におもてからやってほしかったので、ちゃんと言ったんですけど、おもてをやり残した子が結構いるんです」とこぼしていた。
いやいや、あなたテスト中、採点してたでしょ。
おもてが終わってない子に机間巡視で声かけしてやれば済んだことでしょ。
そうすれば、おもての計算問題でちゃんと点を取れたのに・・・
現に、私は何人かの子におもて(の方が簡単そうだったから)からやるようにアドバイスして回ってましたよ。
私が声かけなかったらやり残した子はもっと多かったよ。
・・・もちろん、これは心の声です。こんなにストレートには言わない。
でも、大事なことなので、「テスト中もちゃんと机間指導するといいよ」と伝えておいた。
点数を取れそうな子は、テスト時にうっかりミスをすれば「今度は気をつけよう」と生かすことができる。
テストをなめてかかった子は、自分のミスを次に生かせる。
しかし、なかなか点の取れない子は、取れるはずの点・取るべきところの点をこぼすと、「もう嫌だ」となってしまう。
点数を取れない子には、「先にここをやろう」「これは記号だからやっておこう」のように点数を取れるように促してやればいい。
だから、点数を取れない子は、テスト中も注意してみてあげてほしい。
※このような方法がベストだとは思っていません。うまく指導しないとクレームがきます。慎重に対応して欲しい場面です。

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算数の答え合わせは個々に任せればいいのか?

 最近、算数の授業で
「問題を解いたら先生が〇付けする」
「答えを見て自分で〇付けする」
「終わった子からタブレットなど別の課題にどんどん進む」
という授業をよく見る。
 みんなの前で答え合わせするのは、早くできた子には無駄な時間なのでしょうか。
「教える・説明する」は、自分の理解を定着させるために大事な過程ではないでしょうか。
 下位の子は、みんなと一緒に答え合わせすることで納得したり印象付けられたりするのではないでしょうか。
 「自由進度」とか、「個別最適」という言葉が独り歩きするのは心配だ。
 みんなの前で、音読する、テストする、答え合わせする・・・協働学習の中の緊張感が捨てがたい。

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「算数の教科書を見せない」という呪縛

 向山型算数の大きな特徴の一つが、教科書を参照させること。
「教科書に書いてあります」で済ませばいいことを長々と考えさせたり話し合わせたりするから、練習問題の時間がなくなる。
「これは簡単です。なぜだか分かりますか?」
「教科書に書いてあるからです」
というやり取りは、手持ちの資料をフル活用する学習習慣を鍛えることでもある。
 教科書活用も、大切な学習スキルのはずなのに、「今は見ないで」と教師がブレーキをかけるのは、子供の学びを足止めしているようなものだ。
 しかし、巷では、教科書を見せると答えがわかってしまうから閉じておくという指導が残っている。
 算数や理科などでよく見られる。
 授業中教科書を見せないことにしたところで、まじめに予習した子、事前に習っている子、塾に行ってる子は教科書を見てますよ。
 ということは、授業中に教科書を見せないのは、教科書を先取りして見ている子と見ていない子の差をますます広げるだけですよ。
 そもそも全員が教科書レベルの知識を持っていないという前提が怪しくて、全員知らない前提の授業なのに、既に知っている一部の子が意見を言って脚光を浴びるというのは、おかしくないですか?。
 だから、全員に教科書の知識は解放すればいい。
 全員が教科書を参照して、それを大前提にして、思考を深めればいい。
「教科書に見たら答えが分かってしまうからよくない」
ではなく、
「教科書を見てよりよい説明を考えよう。教科書を使うかどうかは自分で決めよう。」
で良いのだと思う。
 教科書を見せたくない先生は、授業のゴールが教科書レベルになっている。
 教科書はゴールではなく、学びのスタートであるべきだ。

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算数の振り返り作文で「粘り強さ」「自己調整」を見取る

Aはふだんは元気だが算数が苦手で算数に時間に時々泣いてしまうような子だ。
それでも2学期の算数をがんばったことを作文に書いてたところ、学年代表に選ばれた。
原稿は担任がめちゃ手直しして、いい感じに仕上がった。
===============
 私が二学期にがんばったことは算数です。なぜかというと、あまりがあるかを考えないといけないし、商を考えるのもむずかしいからです。はじめは、全然できなくて、くやしかったです。なので、今は家で1~3ページくらいのわり算のドリルをやっています。自主学習ノートにもわり算の筆算の問題を書いています。それをやって、まとめのテストをしたら、前よりも点数が上がりました。うれしくて、親に見せたら「すごいね。」といってくれて、ドリルやノートに勉強してよかったし、がんばろうと思いました。
 もう一つがんばったことは四捨五入です。一回目は悪い点をとってしまいました。算数のまとめのテストの時、先生が教えてくれたので、まとめのテストはけっこうできました。
 三学期にがんばりたいことは算数のテストで今まで取ったことがない満点をとれるようにすることです。そのために家でもっと勉強をし、分からない所は分かるまでとりくみたいです。
==============
 「主体的学習に取り組む態度」には2つの側面がある。
①知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取り組みを行おうとする側面
②自らの学習を調整しようとする側面(どうやったら難しい学習ができるようになるかを自分なりに工夫したり、人に聞いたりすること)。
 Aは、テストの点数はまだまだだが、「主体的に学習に取り組む態度」は二重丸がつくと思う。これだけの思い(粘り強さ)で、苦手な算数に挑んでいるのだから、その意欲を評価してあげたいと私なら思う。担任がどうつけたかは、ここでは触れない。
 また、先にも書いたように担任が原稿にずいぶん手を加えたらしい。しかし文章力を問うているわけではないから、担任が上記のように読み取ったなら、その内容で評価すればいい。

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算数の情報処理能力

学力調査問題の国語の場合は、文章や図表が多いので、全部ていねいに確かめている子は時間切れになる。

算数の場合も、意地悪なくらい余分な文章や数字が多いので、情報を精選できない子は時間切れになる。

要するに「情報処理能力」とは、情報過多の資料の中から、必要な情報だけを選別できる能力だ。
1枚目の資料はR3の学力調査問題。
三角形の面積を求めるのに、3つの数値が示されている。誤答の中には、3×4×5が多かったというのだから驚きだ。
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2枚目の資料の左側は、三角形の面積を求めるのに2つの数値しか示していない。
だから、このタイプの問題に慣れてしまうと、そこにある数値を2つ掛けて2で割れば良いのだと勘違いしてしまう。
一方、2枚目資料の右側は3つの数値を示している。このタイプの問題の場合、必要な数値を選ばせるので、真の実力を育むことができる(できれば、3辺プラス高さの4つの数値を示した問題も取り組ませたい)。
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余分な数値が混ざっている中で、必要な数値を選ぶスキルを身につけるには、
◆必要な数値を囲む。あるいは、不要な数値をバツで消す◆
◆立式に必要な辺や高さを赤でなぞる(指で確認する)◆
といった習慣を身につけることが望ましい。
情報過多の問題への取り組みは、心ある教師なら当然行っている。
しかし、余裕のない教師は、わざわざ難しい自作問題を作らない。
そこまで取り組むかどうか、子供にとって、この差は大きい。

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教科のまとめとしての「新聞づくり」

4年算数(啓林館)では、概数の単元で「概数新聞」の紹介がある。
身近な生活の中で概数が使える場面を見つけてレポート(問題)にするものだ。
「図表」や「彩色」などの工夫に目を奪われると、算数としての「思考・判断・表現」の評価が疎かになる。
そこは注意が必要だが、こういう取り組みは大事だと思う。
「今回学習した内容が、日常の生活と関連することはないか?」
という課題なら、どの教科でも適用できる。
3年生のスーパーマーケットや消防署の授業。
◆4年生の月の観察や、膨張・収縮の授業。
◆各学年の計算問題。
 学習したことを生かして表現活動を行うことで、より理解が深まっていく。
どの教科のどの単元で、どんな取り組みが可能か、自分からも提案してみたい。
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実際に自分で解いてみる!

復刻版の「成功する向山型算数の授業」(2001年)
書籍には木村重夫氏ののメッセージが同封されていた。
◆向山型算数を学び、実践されようとする先生の中で、向山洋一先生の介入・代案授業をライブ体験されていない先生が増えました。
 手本がなければ授業のイメージが持てません。本書には向山先生の介入・代案授業がたくさん載っています。きっと先生方の参考になると確信しております。
読んだだけでは物足りないので、ノートを用意して、問題を解いたり、予想したりしながら取り組んでみた。
「読む」と「解いてみる」では充実度が格段に違った。
セミナー会場にいるような気分、向山先生に叱られているような気分も味わえた。
とりわけ真剣に取り組んだのが「助走問題」で、自分なりの「助走問題」を想定した後に木村先生のものと比べてみると、とても学びが多かった。
本書P153までをノートに書きながら取り組んだ。
子供にそっくりそのままお手本になるようなノート作りにも、本腰を入れて精進しよう。
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「時刻と時間」の板書 2問を揃えてかく。

5月に参観した3年生算数「時刻と時間」。
授業の冒頭で、「時刻」と「時間」の違いを抑えたところは抜け目がなかった。
前半は、2つの問題に取り組んだ。
板書で示すと、次の2問だ。カッコ内は書いてありません。
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① 学校を 8時45分に出る。
 公みん館まで 25分かかる。
( 公民館に着いた時刻は?)
② 9時50分に図書館につく。
 10時25分に図書館を出る。
( 図書館にいた時間は?)
黒板を分割して左右に2問書いたのだが、位置を揃えていなかった。板書の文面も揃っていない。
したがって、子どもたちは、この2つの問題を別物として扱っていた。
授業前に解説できなくて、申し訳なかったが、事後指導では次のような話をした。
==========================
うまく仕組めば、この2問は同じ思考で解ける。
そのために、まずは、文面をそろえる。位置もそろえる。
ちなみに、「学校」「公民館」などは面倒なので一文字で記号化する。
① 「学」を   8時45分に出る。
  「公」まで    25分かかる。
   「公」に   ▢時▢分に着く。
② 「図」に 9時50分につく。
  「図」で    ▢分すごす。  
  「図」を10時25分に出る。
こうして、それぞれの▢を考えさせる(▢の部分は板書の色を変える)。
①②とも、
「時刻」ー「時間」ー「時刻」で並べてある。
「はじめ」ー「中」ー「終わり」とも言える。
こうすると、明日の授業の問題も同じパターンで表記できる。
明日は「はじめ」を考える問題だ。
⑤ 「公」を       ▢時▢分に出る。
  「公」から「学」まで  40分かかる。
  「学」に     11時30分に着く。
分からない部分が「はじめ」「中」「終わり」のどこかによって3つの解き方がある。
しかし、それらを1つずつ覚えるよりは、1つのパターンを応用した方が、負担が少ない。
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※この日の授業は介入しました。
開始時刻の8時45分に合わせて、経過時間の25分を「15分と10分」のさくらんぼで示した。こうすると到着時刻は9時プラス10分になることが分かるからだ。

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アルゴリズムをみんなで唱える!

2年の算数。足し算・引き算。
さくらんぼ計算を扱う(その後、筆算)。
「アルゴリズムがあるから、みんなで声に出して言うといいよね。」
と話しても、若い先生はなんのことかピンと来ていなかった。

たまたまお隣の算数の授業をみていたら、まさに自分の思う場面を、ボードを使ってやっていた。
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42ー9の計算
2から9はひけません
42を40と2にわけます。
40から9をひいて31
31と2で32

お隣の先生は、こうして上手に定着させていくんだ。
同じ学校の同じ学年でアイデアを共有できたら、若い先生も自信を持てるのに・・とちょっと複雑な気になりました。

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教科書を隠す算数の授業が多い!

4年小数の導入場面で、0.2×4の計算の仕方を考えさせていた。
2×4=8で、0.2×4はその10分の1だから、答えは 8÷10=0.8
のような解き方の子が多かった。
しかし、まだ8÷10=0.8は習っていないのだ。
◆2×4=8ならば、0.2×4は0.8
と言える理由を説明しなくてはいけない課題なのに、
◆2×4=8だから、0.2×4は0.8
という説明で満足している班が多かった。
0.2×4=0.8くらいの問題だと、答えはもう分かってしまう。
だから、説明はかえって難しいのだ。
既習事項を使うなら、
◆0.1を単位量として、
0.1が、2×4=8で、8個あるから、0.1の8個分は0.8
と考えるしかない。
単位量で考えないと未習事項の説明が難しい。
ならば、潔く教科書を見て、どう説明するかを考えさせた方が手っ取り早い。
なのに、答えが書いてあるから教科書は閉じる、という学級が多い。
個別最適な学びに関連して、
①先生に教えてもらう
②友達と相談する
③自分で教科書を見て考える
④自分で別の資料を活用して考える
といった選択肢があっていいはずなのに、
一律で「教科書を見てはいけない」と指定するのは望ましい方法ではない。
どうしても自分で考えたい子もいるだろうが、教科書を見たい子は見ればいい。
「教科書を見てよりよい説明を考えよう。教科書を使うかどうかは自分で決める」
「教科書の解説はゴールでなく入り口、自分たちでもっといい解説を考えよう!」
で良いのだと思う。
探究型の授業において、教科書は、重要な情報の収集源なのだ。

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2年でも4年でも、立体の教具が活躍!

立体は2年生から学習が始まる。
教科書では、ひごと粘土で直方体の模型をつくるようになっているが、粘土玉にひごを刺すには難しい。
ある勤務校では市販の教材セットが用意されていた(他の学校にはなかった)。
そのような教具セットがあると調べた先生もすごいし、校内の教材備品として有効活用できていることもすごい。
ひごや玉がちゃんと小分けしてあった。
主として2年生の教具だから、4年生担任が知らずに終わることも多い。
しかし、4年生でも、直方体のどの辺とどの辺が平行か、垂直かを探させるのに格好の教具だ。
粘土でひごをさした自作品だと、持ち上げると崩れてしまうが、市販の教具はさすがに安定している。
班で1個で、にぎやかに取り組んだ。
まさに教具の力だ。
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そこは、立式まで考えさせたいところ!

2年算数「1万をこえる数」
(1)
「10000より1小さい数は?」という教科書の問題に対して
ノートに、9999 と答えだけ書かせていた。
板書も、答えだけ書いて、「合ってますね」で進んでいった。
10000ー1=9999
と式を書かせれば意味が分かるし、答えを導ける。
大切なのは、答えじゃなくて、答えを導く過程だと思う。
(2)
「9000にあと幾つで10000ですか?」という教科書の問題に対して
ノートに、1000 と答えだけ書かせていた。
板書も、答えだけ書いて、「合ってますね」で進んでいった。
これはちょっとだけ難しいけど
9000+(   )=10000 だから
10000ー9000=1000
と引き算の式を書かせれば意味が分かるし、答えを導ける。
大切なのは、答えじゃなくて、答えを導く過程だと思う。
(3)
「10000は100を何こ集めた数ですか?」という教科書の問題に対して
ノートに、100 と答えだけ書かせていた。
板書も、答えだけ書いて、「合ってますね」で進んでいった。
これは、
100×100=10000
という習っていない掛け算だけれども、式を書かせれば意味が分かるし、答えを導ける。
子供たちは、10×10=100 まで習ったから、延長すれば理解可能だ。
10000は、1が10000個、10が100個、100が100個、1000が10個と理解するには、掛け算の概念を使った方が思考整理しやすい。
ま、この掛け算の考え方、2年生だからやめておいてもいいけれど。
答えだけ書かせて、答えだけ言わせて、「合ってまーす。では次の問題」では、もったいない。
答えしか書けない子もいるだろうから
①答えが言える子に答えを言わせて
②「式が言える子はいるかな」と促せば、そこで式が言える子が発言できる。
式が言えた子は、答えだけ言えた子より、ちょっといい格好ができる。
そうやって仕込むと、
「答えだけでなく、式も書くようにしよう」
「答えと式を書くだけでなく、解き方を説明しよう」
という意識を高められる。
どうしてその答えになったのかを「立式させる」「説明させる」まで取り組まないと、思考・判断・表現力は育たない。

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算数(2年立体)のパフォーマンステスト

2年生の算数で立体の作成を「知識・技能」のパフォーマンス課題として行っている場面を見たことがある。
ペーパーテストだけでは技能の見取りは難しいので、適切な場面でパフォーマンス課題を出すのは、正しいやり方だ。
もちろん、授業の中で実施済みだから、多くの子どもはスムーズに指定サイズの直方体と立方体を工作用紙を切り抜いて作り上げていった。
見取りの方法としては、先生の前で1人ずつやってみせる方法もあるし、取り組ませている時間に机間巡視でチェックする方法もある。
今回は回収して授業後にチェックするという最も面倒な方法をとってしまったが・・。
ところで、成績に入れるのは「総括的評価」。
日々の指導である「形成的評価」は大切ですが、基本的には成績に加えない。
===========================
 「評価」には「形成的評価」「総括的評価」の2つがあります。
 総括的評価は学期末や単元末に児童が目標をどのくらい達成したかを確認するための評価です。単元末のテストであったり、通知表などにつける評価は総括的評価にあたります。
 それに対して、形成的評価は指導の途中でそこまでの成果を把握し、その後の学習を促すために行う評価のことです。児童は自分自身の習得度を知り、学習活動を調整でき、教師は単元計画や指導方法などを改善できます。
 新学習指導要領においては、この「形成的評価」の重要性が強調されています。目標を達成するためには、形成的評価をしフィードバックを返していくことが大事だからです。
==============================
 とても大切な指摘である。
 成績のための評価にばかり意識がいって、学習者の励みになっていないケースが多いからだ。[
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 スライドを見ると「単元の山場で総括的評価を「する」という意味もよく分かる。

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March 20, 2024

「学習性無力感」の克服

「できることを練習したがるのは、楽だから」ということを書いた。

それが人の「性分」ならば、

難しい課題にチャレンジしない子を嘆くより、わざわざ難しいことにチャレンジする子はスゴイ!

と考えた方が、こちらも楽になれる。

ところで、過去のデータから「学習性無力感」の覚書が出てきた。

===============

できない経験を繰り返すと・・がんばろうとしなくなる。

わからない経験を繰り返すと・・理解しようとしなくなる

やってもらう経験を繰り返すと・・自分でやろうとしなくなる

こういう状況を「学習性無力感」と言う。

====================

あまりに無謀なチャレンジを続けさせると心が折れてしまう。

どうせ何をしても無駄だという気持ちになってしまうと、回復が難しい。

困難に直面したときに、おすすめしないのが

 泣く・騒ぐ・逃げる・やらない・物にあたる・隠す・ごまかす・・・

 

おすすめするのが

 「手伝ってください」「わからないので教えてください」「助けてください」・・。

 

後者は「援助要求スキル」と呼ばれている。

他者への援助を求めることで壁を乗り越える経験を積むことが大事なのだと言う。

先生が子どもに助けてもらう場面を意図的につくる。

先生が、弱いところを見せ、子どもに依存する場面を仕組む。

こうして「他者から必要とされる経験」を積んで、「自分も他者に頼っていいんだ」と学んでいく。

特別支援教育でなくても重要な「生き方スキル」である。

「できるようになるまで、がんばれ」の根性論・精神論だけでは子供は育たない。

「なんで、この子たちは困難に立ち向かわないのだ」と嘆くでは子供は育たない。

体育のチャレンジカードに取り組ませるだけでは「できない子」は辛い。

その子たちが「手伝ってください」「できないので教えてください」「助けてください」と言える教室風土がないと、グズグズして終わってしまう。

 

※『実践障害児教育』2014年7月号。

ケースから学ぶアプローチ第4回「未学習や誤学習を読み解こうの」の巻より

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できることを練習したがるのは、楽だから。

体育の授業を観察していて、物足りないなと思った。

鉄棒や縄跳び・マット運動ののチャレンジカードがあっても、なかなか難しい課題にチャレンジしない子がいるからだ。

できる技ばかり繰り返している。

何かいいアドバイスはないかを探ったら、過去の覚書が出てきた。

 

◆世界に通用する水準のパフォーマンスは、少しばかり手が届かないところにある目標に向けて、そのギャップの埋め方をはっきりと意識して努力することで得られる。

『非才!あなたの子どもを勝者にする成功の科学』(マシュー・サイド 柏書房)P92

 

・・・容易に実現しないレベルの高い目標をめざして励むことを「目的性訓練」と言う。

あまりに難しいチャレンジは無謀だが、できる技だけを繰り返しても成長はない。

とはいえ、高いレベルに自分を追い込めるのは一流選手。

小学生が「できる技の繰り返し」になるのは、ある意味で当然なのだろう。

 

◆「すでにうまくできることを練習したいと思うのは、たんなる人間の性だ。ものすごく楽だし、楽しいからね。」

という言葉も紹介されている。

 

◆ノエル・テイジ―教授は、三つの同心円を描いて解説している。内側の円が快適ゾーン、中間の円が学習ゾーン、外側の円がパニックゾーンだ。快適ゾーンの外で思い切ってやってみようとしなければ、何千時間かけたところで少しも上達しない。

・・・「快適ゾーン(コンフォートゾーン)」の別名は「ぬるま湯」。

快適ゾーンに浸かるのは、楽だし、楽しい。だから、結局「今できること」の繰り返しになってしまう。

 

◆(一流スポーツ分野の)すべての成功しているシステムには一つの共通点があることに気づかされる。目的性訓練の原理を制度化しているのだ。

最大の卓球王国である中国にはマルチボール・トレーニングがあるし、もっとも成功しているサッカー王国ブラジルにはフットサルがある。トップのバスケットボールチームは「エキストラ」を使う。P101

・・・一流スポーツ分野でなくても、小中学校の体育の授業レベルでも、ハンデをつけて、「目的性訓練」を行うことがある。

ドッチボールでボールの数を増やしたり、コートの大きさを変えたり、人数を変えたりする。

中学校の陸上部では、県大会レベルの女子を男子と一緒に走らせたことがある。

でも、振り返ってみると、強い子の中にはハンデ戦を嫌がる子がいた。

現状で「勝ち」が味わえるのに、負ける可能性が出てくるのだから、ハンデをつけられるのは面白くないだろう。

今は、ぬるま湯レベルの練習で安住したい子供たちの気持ちがよく分かる。

分かるからこそ、そこで踏みとどまらず「粘り強く」「自己調整」できる子供たちを育てたい。それが「主体的に学習に取り組む態度」なのだから。

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鉄棒のチャレンジカード

チャレンジカードを使った鉄棒の個別練習は、熱心にやっている子と、そうでない子の差が激しい。

女子は頑張って、熱心にチャレンジしている子が多い(元々できるからか)。

男子は、

①やっているようで、やっていない子。

②できる種目でお茶を濁し、次の難題に挑まない子。

が目立つというのが私の実感。

ドッジボールの時間は、この男女の傾向が真逆になる。女子はドッジボールやサッカーをやりたがらない子が多い。

確かに、ぽっちゃり系の子の中には、「とびあがり」や、「布団干し」もできない子がいる。

それでも、個別に声をかけて

「これならできるんじゃない?」

「先生が支えてあげるから大丈夫」

と支援すれば、1つ2つは増えていくが、担任一人で個別支援するには、なかなか時間が足りない。

 

そもそも、「18個のメニューがあるから、できる子はどんどん進んでいこう」というこのチャレンジカードのシステムが、やる子やらない子の格差を助長しているのではないか。

①「今日は、何番と何番。できた子は赤帽子、まだの子は白帽子のして」と追い込んだり、

②「合格した種目はもう練習しないで、次の種目を練習する」といった指示を徹底したり、

③「今日は、この種目を攻略する」と絞ったり、

④全部攻略したら、次のカードを渡したり、

しないと、やってもやらなくてもチェックもされないし、評価もされないで終わってしまう。

 

自分なら各自の練習だけには任せない。

全員を座らせておいて、順番に1列目・2列目と笛の合図で鉄棒練習(演技披露)する場面を設定する。

これなら子供の試技回数を下支えできるし、全員の試技を把握することができる。

 

できない子にとっては難しい技もあるから、それぞれの種目について「ここまでできたら△をあげる」のようなスモールステップの提示があっても良い。

私は、逆上がり練習器にチャレンジする子についていることが多いのだが、

①何色のところでキックしているかを示して、できるだけ下の方をキックさせる。

②何歩かけあがったかを示して、できるだけキック一回で逆上がりさせる。

などの声をかけている。

(ちなみに、写真で示したカードの場合は「さかあがり3回」と書いてあるので、1回できた子は評価されない。)

 

チャレンジカードに沿って、自分で目標を持って頑張る子を育てたい。

だからこそ、チャレンジカードのレベルが合っていない子をどうするか、そこは目の前の子供の実態に合わせて手を打ってほしい。

当然、このレベルのチャレンジカードを楽々クリアする子もいるわけだから、初級・中級・上級のようなコースがあって良い。

やらない子、諦めかけている子、やってるようでやってない子、できる種目で安住している子を何とかできる体育に取り組めるよう、自分もしっかり学び直そう。

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「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」

中島敦の『山月記』を読むと「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という表現が印象的ですよね。

==========

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。己の珠にあらざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

==========

 さて、「自己肯定感」を育むつもりが「優越感」を育てていませんか?と問いかける以下のサイトは、褒め方を間違うと、自己肯定感を下げ、優越感と劣等感の世界に引きずりこんでしまうという意味で、奥が深いです。

 ふと「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を思い出しました。

===============

自己肯定感は、文字通り自分で自分の存在を肯定できる感覚のことです。

しかしその理解が曖昧なまま「とにかく褒める」ということが先行してしまうと、本人の自己認識をそっちのけで、ひたすら大人による評価のシャワーを浴びせることになってしまいます。

「◎◎点取れてえらいね!すごいね!」

「1位になれてカッコイイよ!」

「さすがお兄ちゃんだね!」

こうした他人による評価は、確かに嬉しいものです。言われた方も笑顔になりますし、言った方もその様子を見て、子どもに活力を与えることができた!と感じるかも知れません。

しかし実際には、この他者評価のシャワーが育んでいる(強化している)ものの実態は自己肯定感ではなく、「どうだ!」という優越感や、「親に褒められたい!」という承認欲求の強化にすり替わっている。

ここが、最も勘違いされているポイントだと私は思っています。

https://conobie.jp/article/3883

===============

 「褒める」ことが、自己目的化しないことが大事です。

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March 19, 2024

「情報」の前は、「論理科」が話題だった。

 以前研修視察に行ったことがある広島県安芸高田市立向原小学校では、文科省の研究開発校の指定を受け、3年計画で「論理科」新設に取り組んできた。
 当時の実践報告の一冊には次のような解説がある。
====================
 PISAの学力調査で世界一になったフィンランドの国語教育では、次の五つの能力をつけることが大きな柱となっている。
 ① 発想力   ② 論理力   ③ 表現力   ④ 批判的思考力   ⑤ コミュニケーション力
 すなわち、重点目標のうち二つまでが「論理力」「批判的思考力」となっていて、論理的思考力の育成が大きな目標となっているのである。
 また、メディアリテラシーという考えも最近教育界に広く浸透するようになった(PISAの「読解リテラシー」も、結局はメディアリテラシーと同じようなものだといえよう。それは、どちらも論理や批判的思考の重要性を強調しているからである)。
 これらの動きに刺激されて、日本でも論理重視の発言が目立つようになってきた。例えば、文化審議会の答申「これからの時代に求められる国語力について」(二〇〇四年)には、「論理」「論理的思考」という語が四〇回近く出ているし、文科省から出されている各種の文書などを見ても、「論理」とか「批判的な読み」という語が何回も使われるようになった。
===================
 「PISAショック」として読解力の低下が教育界を揺るがしたのは2003年(平成15年)。
 「PISA型読解力」「フィンランドメソッド」「読解リテラシー」「論理的思考力」「クリティカルシンキング」「言語力・言語活動」といったワードが飛び交い教育改善が行われた。
 その1つの取り組みが「論理科」新設の向けた教育特区の動きだった。
 2008年この書籍が書かれた段階では「PISAの『読解リテラシー』も、結局はメディアリテラシーと同じようなものだといえよう」とある。
 当時の「PISA型読解力」と「メデイアリテラシー」と、今の「情報の扱い方」が、同じ意味合いを持つことは私の邪推ではない。
「情報」は、もちろんネットモラルやプログラミング、IT操作のスキルも指導範囲だろうが、現在の教科書にある「情報の扱い方」の内容がメインなら、かつての「論理科」とよく似ているなと思う。
 しかし、あれほど「論理的思考って大事だよね」と勢いがあったものの、今となっては、どこにいったか定かでない。ちまたの先生方のとっては関心の外だ。
 「これからは『情報』だ」という勢いはそう簡単にはなくならないだろうが、その中身が、ネットモラルやプログラミング、IT操作のスキルに限定されてしまうことは避けたい。

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学習指導要領の内容の実現

田村学氏の論稿「教育技術小三小四」2020・3

「思考力・判断力・表現力」の育成については、次のように解説している。

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習得した知識が活用されていく過程で働くのが、「思考力、判断力、表現力」なので、知識が獲得され、使える状況を工夫すればよいのです。

それは、これまで安定して身に付けていたような個別の知識を、もっと多様な場面でも使える知識にするとい言うことです。(中略)既存の知識をより自由に使えるとか、より適切に使えるようになるような獲得の過程を工夫することが大切なのです。

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石井英真氏の講演で聴いた「知る」「分かる」「できる」から「使える」への移行のことだ。

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そのための授業改善についても書いてある。

◆ 先生が45分間説明し続けて暗記させるのではなく、説明や指導も行うけれども、子供たちが話し合ったり、自分の考えを求めたりする事をしていくわけです。つまりインプットする暗記再生から、アウトプットする思考発信型の事業に変えていこうということで、結果的に教師の行為する時間が減り、子供が行為する時間が長くなると言うことですね。

そのためには、子供が本気で自ら学んだり、友達と学びあったりすることができる状況を整えることが重要です。これがうまくできるようになると、授業は加速度的に効率化し、内容に対して時間はそれほどかからなくなってきます。

◆ 毎回先生が教え込み、知識を与え続ける授業をしていると、1時間目でも100時間目でも、授業の手間は変わりません。際限なく時間は使用になります。しかし、子供が自ら知識を獲得するように育つと、指導する先生の手間は減り、むしろ先生の行為の質が高まります。 そのように学習者が能動的に学び、自立するようにしようというわけです。校内のすべての先生が、それを意識して行えば 1年間の後半になればなるほど、学齢が上がれば上がるほど学びのスピードは上がっていきます。

・・・「手放すタイミング」は重要だ。

確かに、「使える(使わせる)」は任せないと意味がない。

しかし、「教えてー任せる」というプロセスを単元や年間できちんと意識していないと、「最初から丸投げ」「いつまでも教師主導」といった事態が生じる。

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見えにくいものを見とるのが教師の仕事

見えにくい思考力や態度をみとる3つの方法

田村学氏の論稿「教育技術小三小四」2020・3

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一つ目は、子供の姿を時間軸で関連付けてみると言うことです。例えば「昨日の授業ではこう言ってた子が、今日はこう言っている」「今日の授業の前半でこう言ってた子が、途中ではこう変わって、最後にこう言っていた」というように時間軸で見るわけです。

 これまでは、一場面、一局面で見る傾向が強かったのですが、それを時間軸でつなげてみると、思考力や態度の変容が見えてくる可能性が高まります。

 二つ目は、空間軸でつなげてみることです。頭の中で起きていることを見るために、話すこと(発言、つぶやき等)、書くこと(文字、笑、図等)、うなずきや表情、振る舞い等々、多様な子供の表れを空間軸でつなげて関連付けて見るのです。例えば、「こう語っていた子が、こう書いていた」「あの子の意見にこういう表情でうなずいていた時、ノートにこんな図を描いていた」などと、多様な言動を空間軸で関連付けて行くと、頭の中が見える可能性が高まると思います。

 三つ目は、その授業の評価規準を子供の姿として具体的に明確に描いておくことです。その授業を通してめざす姿がぼんやりしていると、目の前の子供の姿を評価することができません。例えば「お店の工夫について気づいている」という規準では大きすぎて評価が難しいと思います。そうではなく、「商店街の人が、商品の陳列について、季節や時期に合わせて工夫していることに気付いている」となると、評価しやすくなります。それがシャープに描ければ描けるほど、より的確に見とることができるはずです。

 これら3点を、毎日同時に行うと大変ですから、一つずつ、日々の授業の中で少しずつ意識していくと、次第に見えにくかったものが見え始めてくるのではないでしょうか。

=================== 

・・・具体的な内容をピックアップすると田村氏の主張が分かりやすい。

①時間軸の変容を見とる

「昨日の授業ではこう言ってた子が、今日はこう言っている」

「今日の授業の前半でこう言ってた子が、途中ではこう変わって、最後にこう言っていた」

②空間軸の動きを見とる

 「こう語っていた子が、こう書いていた」

 「あの子の意見にこういう表情でうなずいていた時、ノートにこんな図を描いていた」

③具体的な評価規準を設定する

 「商店街の人が、商品の陳列について、季節や時期に合わせて工夫していることに気付いている」

 

 自分がよく引用するのが、吉井理人氏の「最高のコーチは教えない」の一節。

「今日は調子悪かったです」としか言えなかった選手が、

「下半身をこう使えばうまくいくことを、今日の試合中に気づいたので、イニングの合間に修正してみたら、ボールの質が変わりました」

と言えるように変われば、自己改善できる。

・・・むろん学習者本人がそのように言えること・自覚できることが大事だが、教師はそうした変化を見とれる存在でありたい。

待っているだけでは、子供の振り返りの質は劇的に変わらない。

「こういう点が変わったよ」と具体的に提示することも「ティーチング」である。 

 

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March 16, 2024

国語の指導の系統性・汎用性

国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。

作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。

 かつて、次のように書いた。

算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。

一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問分のエネルギーがいらない。

 

 「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の物語としての共通項をとらえて抽象度を上げる。
  どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点がある。

 説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論があり、筆者の主張と具体例がある。

 三人称視点や一人称視点の考え方があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
 それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
 1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げ=汎用的な学力の向上をスタンダードにしていきたい。

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自分が使っていた「言い回し」とは「思考展開表現」のことであった。

◆「理由」という思考は「なぜなら・・・だからである」

◆「具体・抽象」の思考は「たとえば」や「要するに」

◆「つながり」は、「そして」「だから」「つまり」

 思考展開表現に着目することはなぜ有効なのか。それは先に解説した言語論的展開の考え方に基づく。私たちは言葉を使用して思考をするため、表現を身につけることによって児童はその思考ができるようになるのである。

例えば「要するに」という語句の使い方を身につけた児童は、事例をより抽象的なレベルで説明するという思考ができるようになった児童だといえる。

「~だとしたら」という仮定・仮説を示す表現が使える児童は、物事を仮定したり仮説を考えたりすることができる児童である。

光村図書の教科書では、思考展開表現をこれまでも提示してきたが、今版においても同様に示していく。とりわけ「情報の扱い方」と密接に結びつけて組み込んでいく。

 「小学校国語『情報の扱い方』の授業をつくる」(光村図書)P10・11より

 

・・・・ただし、思考展開表現という重要な指摘を「情報の扱い方」と密接に結び付けていくと、「情報の扱い方」に関心の薄い先生は、粗末に扱う危険がある。

 光村の教科書では各巻頭の「情報 考えるときに使おう」、各巻末の「言葉の宝箱 考えや気持ちを伝える言葉」などで取り上げられているが、こういう箇所を有効活用している学級は珍しい部類なのだ。

 適切な「思考展開表現」を駆使できないと、自分の思考を言語化できないのだ。 

 

以前「言い回し」にこだわってまとめたブログが次のものです。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2019/06/post-a2dddd.html

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「言語論的展開」〜言葉の使用が、思考を規定する〜

人には考えというものが先にありそれを言葉に翻訳すると「話」や「文章」になる、と思いがちである。しかし、実際には、私たちの考えは言葉によって組み立てられる。言葉として表現できる範囲で物事を認識し、言葉が使える範囲で考えを組み立てていると言われる。哲学では、これを言語論的展開と呼んだ。

◆ある言葉に出会って「ああ、それこそが自分の気持ちだ」と、初めて自分の思いに気づいたと言う経験をするものである。
◆あるいは、「ただし」という言葉を習って初めて物事に何かを補足することができるようになったという経験をもつ 児童がいるだろう。このように、私たちは、先に考えがあってそれを言葉に翻訳しているのではなく、言葉そのものを使って考えを形成しているのである。つまり、言葉の使用が、私たちの思いや考えを規定しているのである。
・・・誠にその通りで、子供たちは背伸びした言い回しを使いながら、その言い回しに合わせた思考をするようになる。
 私自身、小5の時に「うっとうしい」の意味が分からなかったが、「ああ、なんとなくあんな感じか」とわかったら「うっとうしい」を他の言葉に置き換えることが不可能になった。そして「うっとうしい」と感じる体験が多くなった。
 だから一言感想がなかなか書けない子は、友達の意見(表現)を聞いて「なるほど、僕の言いたかったことは、まさにそういうことだ」と気付けば良いのだ。
※ただし「言語論的展開」という言葉をネットで調べてみたが、こんなに簡単ではなかった。いくら調べても難解な解説が並んでいるのだ。
◆「まず、次に、最後に」という語句を学習した児童は、物事を順序立てて捉える思考ができるようになる。漠然と認識していた一連の出来事、こうした語句を通して、よりはっきりと時系列で認識できるようになる。
◆また、「例えば」という語を使う場面を学習した児童は、抽象的な物事をより具体的にするという認識ができるようになる。
◆「ようするに」という語を使う場面を学習して、物事を抽象化できるになるのはその逆の働きである。
◆あるいは、ベン図を学習した児童が、様々な物事の共通点と差異を認識できるようになるということもあるだろう。このように、考える筋道が、言葉や図表なので可視化されることによって、児童の思考はより明確にまた豊かになるのである。
・・・思考の型を身につけることのメリット・思考ツールに当てはめて考えることのメリットはこんなところにある。
 引用元は、小学校国語「情報の扱いの扱い方」の授業を作る〜思考力と情報量活用力を育てるために〜」
光村図書の指導書セットの中にの1冊で、市内ではどの小学校にも学年ごとに用意されている。
だれもページをめくった形跡がないまっさらな本だが、これが読み応えのある1冊なのだ
(多分続く)。
 
※補足
 かつて、「コーチング」に関わって次のように書いた。
==============
「がんばった」「今度はがんばる」では変化はない。
だからこそ、コーチ(指導者)が、具合的にどうすべきなのか、自己分析を促し、自己表現できるような言葉の訓練をさせていく必要がある。
まさに「言葉の訓練=思考の訓練」なのだ。
◆思考を深めるために言語能力を鍛える
◆言語能力を鍛え、自己改善ができるようにする。
思考と言語と行動の関連・・・難しい課題だ。
==============
明晰な自分の言葉をもたないと、確かな振り返りができない。
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March 11, 2024

板書丸写しのノートからの脱却

「新版学力のつくノート指導のコツ」佐藤正寿著(学陽書房)2013年

この本では、4月に前年度のノートを見ることを勧めています。

まさに実態調査ですね。

ここでのチェック項目が10個あります。 

1、月日を書いている

2、題を書いている

3、線を定規で引いている

4、番号を書いている

5、囲みを使っている

6、色鉛筆を使っている

7、書く姿勢

8、鉛筆の持ち方

9、書くスピード

10、板書以外のことを書く

 

主体的に学ぶ子供たちを育むためには、板書丸写しでは困る。

その点については、次のように書いてあります。

◆ 「ノートは自分の考えを書くもの」という価値観を提示する。考えを書いたノートを提示し、「自分の考えを書くもの」という発想を引き出すようにする。

 

◆ 板書をそのまま映しているだけでは、子供たちの力は伸びない。また、話し合いの時に今日子がまとめている場所を移すだけに精一杯で、発表しないのなら本末転倒である。板書内容から自分なりのノートを作るようにしたい。

 

そこで簡単な授業感想の欄を設けよとあります。

◆今日の学習で分かったことや思ったこと

◆先生の話で印象的に残ったこと

◆友達の発表やその良さについて

◆学習の方法についてこれからの見通しや課題について等

 

また、「4つ以上、資料から分かることを書きなさい」という作業指示だと、ノートはそれぞれのものになりますね。

板書を待たずに自分の意見を書くような場の設定が板書丸写しの脱却につながります。

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中間層を味方につける

田中角栄は、広い中間層を大事にしたという。

ネットで検索すると、次のように書いてあった。

===========

第一は、できるだけ敵をへらしていくこと。世の中は、嫉妬とソロバンだ。インテリほどヤキモチが多い。人は自らの損得で動くということだ。

第二は、自分に少しでも好意をもった広い中間層を握ること。

第三は、人間の機微、人情の機微を知ることだ」

選挙戦を闘ううえで候補者に必要な3つの心構えとは

https://vonnector.jp/bible/86/

============

ところで・・・

イノベーター理論で提唱されている顧客層の分類は次のようになる。

◆イノベーター

・・新製品を真っ先に手に取ろうとする情報感度の高い顧客層。全体の2.5%

◆アーリーアダプター(初期採用者)

・・世間の流行に敏感でいち早く採用しようとする2番手の顧客層。全体の13.5%

◆アーリーマジョリティ

・・流行に乗り遅れずに取り入れたいと考えている顧客層で、全体の34%ほど

◆レイトマジョリティ

・・新たな技術や商品にやや慎重な顧客層で、これも全体34%ほど。

◆ラガード

・・新製品やサービスを嫌悪する顧客層で、全体の16%。

◆イノベーターやアーリーアダプターが属する初期形成市場では、技術やそれによって達成できる価値の新しさが魅力となっています。(中略)

一方で、顧客層の多数派であるアーリーマジョリティ以降の顧客層は、目新しさだけに魅力を感じていません。「商品・サービスが安心して使えるものか」や「市場において多数派であるか」など、信頼性、安全性が大きな価値観となっています。

https://cashmo.jp/blog/2021/12/08/what-is-chasm/

====================

 私自身はイノベーター・アーリーアダプターでありたいという気持ちはある。

 でも、自分がイノベーター・アーリーアダプターだからと傲慢になっていては、中間層のマジョリティを味方につけられない。そして中間層のマジョリティを敵に回してしまう。

 それでは、自分の学びの良さを広げることにつながらないどころか、むしろ逆効果となる。

 だから、田中角栄の戦略に唸る。

第一は、できるだけ敵をへらしていくこと。

第二は、自分に少しでも好意をもった広い中間層を握ること。

第三は、人間の機微、人情の機微を知ること

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「パフォーマンステストとは何ですか」

初任に聞かれて仰天してしまった。

1年間研修の中で学習評価についてはそれなりに話をしたつもりだが、

1丁目1番地のパフォーマンステストについて十分に伝わっていなかったのだ。

もちろん、この初任もパフォーマンステストをやっていなかったわけではない。

パフォーマンステストの自覚がなかったということなんだけれども、実施回数が少なかった事・パフォーマンス課題の配点が低かったことは否めない。

学習評価については、学校の方針、学年の方針があるので、板挟みにならないよう、強くは言ってこなかった。

パフォーマンステストは、要するに

・ペーパーテストで評価できない部分について、作品・レポート・話し合いの様子などをみる評価

ペーパーテスト以外で、どれだけ評価に加点しましたか、ということだ。

◆具体的な評価方法としては、ペーパーテストのみならず、論述やレポートの作成、発表、グループや学級における話し合い、作品の制作や表現等の多様な活動を取り入れたり、それらを集めたポートフォリオを活用したりするなど評価方法を工夫することが考えられます。

   国立教育政策研究所 「学習評価の在り方ハンドブック」抜粋

 

先のブログでも書いたが、「言語活動の充実」は、教師主導・正解志向からの脱却の意味もあった。

一斉授業ではなく

・ペアで意見交換する

・ホワイトボードを使って話し合う

・付箋を使って話し合う

 

先生が説明するだけでなく

・生徒が説明する

・立場を決めて議論する

・ポスターなどを作成して発表する

平成27年教育課程部会国語ワーキンググループ資料10 「国語科に関する資料」より

資料10 国語科に関する資料 (mext.go.jp)

 

こうした主体的な言語活動は、ペーパーテストでは測れない。

だからパフォーマンス課題として、点数化して評価していくのだ。

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「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」をやる!

 ある学級で「国語のスピーチの準備が終わったら」「算数のテストが終わったら」「国語のテストが終わったら」と1日に3回、読書か自由帳という場面が続いた。
  でも、やるべき課題が終わっていない子に自由時間を与える必要はない。
 1限のスピーチ準備の残り時間であれば、①スピーチの内容を覚えるまで練習する ②3限の算数テストの練習をする ③4限の国語の漢字練習をする と指定すればいい。
 算数はまとめテストだから、九九が心配な子、単位の計算が心配な子、筆算が心配な子に対応した練習プリントやタブレットの課題に取り組ませてもよかった。
 いずれは
====================================
「自分のやりたいこと」と「自分のやるべきこと」の区別ができる子
====================================
になってほしい。
 次の時間、テストがあるのに、のんびり自由帳をしているようでは「自己調整」が足りていない。
「やりたいことをやる前に、やらなければならないことをまず終える」を身につけてほしいのだ。
「自分のやるべきことをやるんだよ・自分が終わっていないことをやるんだよ」と伝えてもピンとこない子もいるだろうから、
その場合は「あなたは自由帳をする前に○○を終わらなきゃだめだよね」と伝えればよい。
 星取表のようなチェック表があれば、自分のやるべき課題は一目瞭然である。
 「主体的に学習に取り組み態度」は、結果ではなく過程を見取ってあげるべきだと思う。
 満点を取る実力があるのに見直しが甘くてミスが多い子は◎はつかない。
 一方、たとえ総得点は低くても自分なりに練習をし最後まで取り組んだ子は◎になるはずだ。
 テストの空欄がたくさんあったり、原稿用紙の半分も書けていなかったりする子は、それでは終わったことにはならないので、突き返してやり直しさせることがあってよい。それが「主体的に学習に取り組む態度」の「粘り強さ」につながる。
 やりたいことが自由帳であっても、今やるべきことは「与えられた課題に最後の最後まで全力を尽くすこと」なのだ。

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所見で苦しまないために

今は年に一回のあゆみ所見になり、そのまま指導要録にも転載されるのでメチャ負担はなくなった。
所見対策については、けっこう前から初任に話をしてきたが、逆に言うと早すぎたか。
やはり直前にならないと自分事にならない。
年度末になって「諸先輩のアドバイスはそういうことだったのか」と腑に落ちていると思うので、次年度は、事前準備が進んで、今年よりはスムーズになると思う。
(1)
1学期・2学期の懇談会で話すことをメモ書きしておく。
行動面・学習面でよかったところ・がんばっているところを伝えられるようにする。
実際に懇談会で伝えて、まずまずのリアクションなら所見に使える。喜んでもらえなかったりリアクションが薄かったりする場合は、何か誤解があるかもしれないから保留とする。たとえば「毎年、それしか言われないんですよね」みたいなウンザリ感がある場合などだ。
ということは、2学期の懇談会が終わったら、所見の下書きを始められる。
むしろ、年度末の所見の下書きを用意しておいて、懇談会に臨めばよい。
(2)
もちろん、懇談会の前に「学習成績」「行動の一覧」は作成済みだから、そこから懇談会で話す内容を確定する。
学習成績や行動の一覧で◎をつけるのは、それなりの根拠や事実があったはずだから、そのエピソードをストックしておくとよい。
(3)
「学習成績」「行動の一覧」を作成するにあたり、自己評価(学期のふりかえり)をさせることがある。
子供の自己評価は懇談会何を話すか困ったときの参考資料になる。
(4)
懇談会も所見も、ダメ出しではなく良いところの列挙だから、日ごろから一筆箋や声掛け、ノートへの朱書きのような形で、個々のよさを伝えることを習慣化すると、後が楽である。
(5)
やはり「放課後の孤独な作業」。子供たちがどうだったか・子供たちにどう関わったかを日常的に点検し、見えていない子供への対応を自分に課す。
逆に言えば、日々、あの子はどうかを見取り、ほめてこなかったから、年度末で困るのだ。
1・2・3・4・5の順で紹介したが、取り組み順は5・4・3・2・1である。

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March 08, 2024

except for me 「自分以外」のずるい論法

3/7 のYouTube  「あさ8」で有本香氏が使っていた。こんな感じ。

=============

おじさんたちが、俺は関係ないけど「世代交代した方がいいよね」って、

それを言うならアンタが譲れって話だよね。

=============

 おじさんである私にはグサッと響いた。

 自分だけは大丈夫だと言わんばかりのスタンスで、

教師が不勉強とか、技量不足とか、世間知らずだとか・・・・

 

「いやいや、あんたは大丈夫なのか」って話。

「お前が言うか」って話。

自分を棚に上げて自信たっぷりに語っていないかを多いに反省した。

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March 07, 2024

「話し合い」が目的化していないか?

「言語活動」という言葉は使われなくなったが、アウトプット(発表・プレゼン・共同作業)の授業は多く行われている。

 しかし、指導がおろそかになっていると思う場面が多い。

 いわゆる「活動があって、指導がない」の授業なのである。

 それに、活動そのものが目的になってしまい、どんな教科の力をつけさせるのか不明なアウトプットになっている。

 話し合いは、ある目的を達成するための手段にすぎない。

 だからこそ、1つ前の学習指導要領では、「習得ー活用」の2段階が明確にされた。

============

◆習得段階は、しっかり指導せよ
◆活用段階は、子どもの応用力に任せてみよ

============

 教えるべき時・教えるべき内容は、きちんと教える、という当たり前のことが、「言語活動」や「交流」や「学び合い」という言葉にかき消されてしまっている。
 佐藤洋一氏は次のように言う(「国語教育」2011年3月号 P115)

==============
より大事なのは「子どもの学びの思考過程や事実」をきちんと教師が瞬時に診断でき、的確に評価して子どもに返す、結果的に学力保証の結果責任を果たすことである。
==============

 「学力保障の結果責任」・・やらせっぱなしでなく、きちんと指導をしろ、の意味だと理解した。

 同様の指摘が、光村図書の「国語教育相談室小学校75」にある。

  髙木まさき氏は次のように言う(P5)

==============

何より重要なのは、子どもたちの考えを発表させるだけで終わるのではなく、それを教師が意味づけたり整理したりし、子どもたちが確認できるようにするということです。
そうすることで初めて、子どもたちは出てきた考えのどこがどう違うのか、なぜ違うのかということが考えることができるんだと思うんです。
==============

 きちんと指導をしろ=きちんと評価しろ。

 以前、参観した研究授業の最後は、子どもの振り返りカードの記入と一部の子の発表で、教師の評価や介入がなかった。

 「今日の授業では、ナンバリングによる意見の言い方が分かりやすくてのよかったね。」のように技術的な指摘をきちんと加えるから「指導」になる。
 そのような教師の総括・総評がない授業は、「活動あって指導なし」と言わざるをえない。

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討論の授業の原則

向山洋一氏の論文「討論の授業の原則」(『現代教育科学』1997年9月号)。

子どものが自由に発言できる雰囲気をつくれる能力が指摘されている。

=============
討論とは、自分の意見を主張することである。しかも、互いに意見の豊かな子どもが主張することになる。

どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては討論の授業は成り立たない。

子どもは間違うことを極度に恐れる。

技量の低い教師の教室では、異なる意見をそれぞれが堂々と主張することは、望めない。早々と、どれかになびいてしまう。

「千万人といえども我行かん」というような子どもの主張は、自由な空気の中でこそ、育まれる。

むろん、自由というのは、デタラメのガヤガヤ状態を言うのではない。

授業中、席を離れて友人と相談する。本を調べるのは自由だが、教室はきちんと秩序が保たれている状態をいう。
==============

 どの子も自由に発言する雰囲気、どの子も堂々と自分の意見を主張する雰囲気が大前提となる。

どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては討論の授業は成り立たない。

は、言いかえれば

◆どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては「話し合い」は成り立たない。

である。

 さて、よく読むと「堂々と」も気になってくる。

 「堂々と」=「千万人といえども我行かん」「一匹狼のたくましさ」

のような強い心を、どこでどう育てていけばいいのか。

 ここに

◆多数決では決まらない、逆転現象の授業

◆1人1芸で出し物をさせるような裏文化

などが入るのだろうか。
もちろん、権威に屈しない教師の生きざまも問われていると思う。

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具体例を書いて、主張を補強する

説明文の意見文・物語の感想のいずれにおいても、何かを書かせる時に2つの方向で取り組ませてきた。

①立場をはっきりさせて、理由を書かせる。

②自分の経験や、作品の関連した話題・作品から広がる自分の世界を書かせる。

 

①の理由を書かせるのは、論理的思考の基本だからだ。

学力N01のフィンランドの国語の授業は「ミクシ(なぜ?)」に答えられることを重視している。

②はフィンランドの国語の3段階で言うところの、推論(評価)読解レベルの取り組みを意識してのものである。

=========================== 
素材文に含まれる情報と自分の知識や経験を関連づけ独自の結論を推論できる段階。

内容を踏まえた自分の意見や物語の続きの推論を書く。
===========================

 「自分の知識や体験と結びつけて文章を書く」というのは、優秀な読書感想文も同じである。

 読書感想文の基本形は、その本を読んだことによって触発された自分の体験談などを書いていくものだが、あまり離れると感想文でなくなってしまうので、このバランスが難しい。

 さて、中1の説明文「ちょっと立ち止まって」の自分の実践記録が出てきた。

 この説明文は、本文中に「このような例はほかにもあるだろう」と生活経験を想起する呼びかけがある。

 言われるほど、このような例はあまりないと私は思う。

 そこで、その筆者の呼びかけに応えるように、身近な生活例を想起させた。

◆「ちょっと立ち止まって」の作文シート

 今回の目標
①自分の思いつく例を紹介する

②「次のように~」で予告し、「このように~」でまとめる。

※複数の意見がある人は、「○つあります。1つめは~、2つめは~」の形でまとめてみましょう。

1 「ちょっと立ち止まって」から思いつく例を紹介しよう。

【書き方の例】
 「ちょっと立ち止まって」(の○段落の、○○の部分)を読んで、次のような例を思い出しました。
 →具体的な例
 →その例に対する感想や意見(複数あれば、1つめは~、2つめは~と続ける)
 このように具体例で考えると、筆者の○○という意見がよく理解できました。

2 例が思いつかない人は「ちょっと立ち止まって」を読んでの感想を書こう。

【書き方の例】
 「ちょっと立ち止まって」(の○段落の、○○の部分)を読んで、次のような感想を持ちました。
 →感想を書く(複数あれば、1つめは~、2つめは~と続ける)
 「ちょっと立ち止まって」を読んでこのような感想を持ちました。


◆◆生徒の作品例① (意図的な改行あり)。

 「ちょっと立ち止まって」の授業をした後、このようなことがありました。

 私の筆箱にはパンダが口を空けた絵がついています。その筆箱を「かわいいでしょ」と言っていたら友達が「私は、この口を開けてるっていうのが見えないんだけど」と言いました。

 みんな驚いていると 「これが、たらこくちびるび見える」と言いました。

 じーっとその絵を見ていたら、見事にたらこくちびるに見え、みんな大爆笑でした。

 この時、私は授業を思い出して、おばあさんと若い女性の絵の例に似ていると思いました。

 それまでは教科書を読んでも「日常にそんなことはない」とか「この絵はわざとそう作ったからだ」と思っていましたが、そのことが起こってから少し教科書の意味が分かり、そして人の見方でこんなに違うだと思いました。

 やはり筆者の言っていた「新しい発見」はあるのだと思いました。

◆◆生徒の作品例② (意図的な改行あり)

 「ちょっと立ち止まって」を読んでから、私は物事に対してちょっと立ち止まってみるようにしている。

 例えば、中部中にいる魚。魚って、ちょっとマンガに出てくるような「おさかなさん」をイメージしてた。

 「かわいい~」と寄っていって初めてまともに魚の顔を見た。

 すると・・。

 お世辞にも「可愛い顔」には見えない。愛敬はあるけど。

 でも、この話に書いてあるように、初めの印象はなかなか消せるもんじゃない。私はあの可愛い魚を毎日見ている。

 あと、通学路の途中にある、壁に描いてある四季の絵。あれは大作だ。 今まで何気なく素通りしていたけど、この前じっくり見てみた。
 あっ、セミがおしっこをしながら飛んでる!

 雪だるまに手と足が生えている!!。

 ちょっとした工夫が面白い。

 それを探すのが楽しくてまた学校へ行く楽しみが増えた。

 まさに私は「新しい発見の喜び」を味わったのだ。

 これからも、ちょっと立ち止まってじっくり見たり考えたりしてみようと思う。

 何気ない事だけど、私はそれで感動を味わうことができてうれしかったから。


・・・「ちょっと立ち止まって」という文章を読むということは、

(1)読み終わった後、実際の生活の中で、自分もちょっと立ち止まって新しい発見の喜びを得てみようという気になることであり、

(2)実際にそのような喜びを味わってみることである。

 今回、身近な事例と重ねる契機として、作文を書かせてみた。

 作文を書かせなかったら、生徒は自分の生活をちょっと立ち止まってみることもなく、新しい発見の喜びを味わうこともなく過ぎてしまったかもしれない。

 というわけで、このように自己と結びつける読みは、物語文でも説明文でも大切な思考作業であると考えている。

 ちまたのエッセイも、ある出来事の紹介と、そのコメントを書きつづるというスタイルが圧倒的で、ある出来事に触発された自分の意見表明が基本であると言える。

 ただし、身近な生活例と関連づける思考作業はかなり難しい。

 フィンランドでも3段階目になっていることからもその難易度が分かる。

  だから、「理由を述べる」「自分の体験と結びつける」の2つの「書く」を、無理なく取り組ませていきたいと思っている。

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「言語活動の充実」=主体的・対話的で深い学び

「言語活動の充実」は、教師主導・正解志向からの脱却の意味もあった。
◆一斉斉授業ではなく
・ペアで意見交換する
・ホワイトボードを使って話し合う
・付箋を使って話し合う
◆先生が説明するだけでなく
・生徒が説明する
・立場を決めて議論する
・ポスターなどを作成して発表する
平成27年教育課程部会国語ワーキンググループ資料10 「国語科に関する資料」より
令和以前の資料なので、今だったら「タブレット活用」ということになる。
しかし、実際の教室では「一斉授業」「先生の説明」がまだまだ根強いのだ。
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March 05, 2024

自宅にある書籍探訪

向山洋一先生は、昭和50年(1975年)調布大塚小学校に赴任して井関義久氏の話を聞く。

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六月十三日、第六回の研究会で、私は初めて「構造分析」の語を知る。(中略)この直後に、私は井関氏の「批評の文法」を読む。

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と書いてある(『楽しい国語 授業の法則』P89・90)。

井関義久氏は、その後、1986年に復刻版として「批評への文法(改訂版)」を刊行した。

ちなみに、この井関氏の「批評への文法」が「授業への挑戦シリーズ」の⑧。

同じく「授業への挑戦シリーズ」の⑥が、筑波大付属小の藤井國彦氏の「分析批評の授業入門」。だから、筑波の「分析批評」は藤井國彦氏の系統と考えられる。

分析用語(文芸用語)は同じでも、授業の組み立てが違う。

これは井関先生の教材分析も同じで、井関先生の分析を真似るだけでは、向山型の討論にはならない。

さて、向山先生の文の中で「構造分析」とある。向山先生が「構造分析」の語を知ってから、まもなく50年だ。

 

「要約」については、石原千秋氏の書物からの学びが大きかった。

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まず「物語の型」をつかめフランスの批評家ロラン・バルトは、「物語は一つの文である。」という意味のことを言っている。

これが、これから僕が「国語」について解説する立場である。

「物語は一つの文である。」ということは、物語が一文で要約できるということである(これを物語文と呼んでおこう)。

たとえば、『走れメロス』(太宰治)なら「メロスが約束を守る物語」とか『ごん狐』(新美南吉)なら「兵十とゴンが理解し合う物語」とかいう風に要約できる。これが物語文である。

もちろん、もっと抽象的に「人と人とが信頼を回復する物語」(走れメロス)とか、「人間と動物が心を通わす物語」(ごん狐)でもいい。

ここで気づいてほしいのは、こんな風に物語文を抽象的にすればするほど物語どうしが互いに似てくるということだ。この共通点が「物語の型」なのである。

 (中略)基本型は二つある。

一つは「~が、~をする物語」という型。これは主人公の行動をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが恋をする物語」といったものになる。

もう一つは、「~が、~になる物語」という型。これは主人公の変化をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが男になる物語」といったものになる。

両方とも「たっちゃん」が成長するわけだが、そのことはもう分かっているわけだから、ここでは「どうやって成長したのか」「何が成長なのか」というレベルで一文にまとめるといい。

=======================・

・・ということは「注文の多い料理店」のラストは「二人が東京に戻る話」ではなく「二人の顔が元に戻らない話」だ。

主人公の行動をまとめるのではなく、主人公の変化をまとめる方がふさわしいということが分かる。

 

さて、要約と言えば「トピックセンテンス」・・・パラグラフ構造の基本だ。

主に論説文に使う手法だが、物語でも適用できることがある。

「結」の部分から、あれこれワードを抽出するのではなく、トピックとなる一文を選んで、その一文を修正する。

トピックセンテンスについては、向山先生が「理科系の作文技術」(木下是雄著 中公新書)を紹介している。初版が1981年。

私が衝撃を受けた書物が「現代文の科学的研究 評論編」(松本成二著 あずみの書房)1990年版で、現在ヤフオクで2万円以上の高値がついている。要約の論理式のくだりを再読する。

こうして家にある書物をあれこれ引っ張り出して、最後に「飛翔期 実物資料集 第2巻 分析批評への道」P 169.170、

1981年の「暗夜行路」の作品分析を見て、愕然としてしまったところである。

ここではお見せできないのだが・・。

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March 03, 2024

それで「思考・判断・表現力」の問題?

国語の市販テストをじっと見る。
表面の読み取りが全部「思考・判断・表現」
裏面の漢字と言葉は「知識・理解」
ずっと、そうなのだけれど。
本当にこれでいいの?
思考と言っても、ほぼ抜き出し問題。
設問に対する該当部分がどこかを「思考」し、「判断」していることは否定しない。
この場合の「思考」は、「検索」「照合」なのだと自分は考えている。
でも、探して該当箇所を書き写すことは「表現」とは違うよね。
ちゃんとした教育会社が作成したテストだから自分が疑義を挟むこともないのだが、こうした抜き出し問題だけでは「表現力」は見とれない。
だから,学校独自のパフォーマンス課題で
「あなたはどう思うか」
のように、自分の意見を書かせないと、「思考・判断・表現」の本当の評価にはならない。
ただし・・・
例えば、この単元テストの「思考判断表現」が100点分。
そこに「あなたはどう思うか」を書かせて10点20点分しか加えないとしたら、ペーパーテストの比重が多すぎて、結果はほとんど変わらないよね。
それなりの配点(例えば50点以上)でパフォーマンステストを課さないならば、形ばかりの評価だなと自分は思う(思わない先生もいると思います)。
併せていうと、国語の「知識・技能」は、漢字や言葉の決まりだけでいいのか。
「読み取りスキル」=「知識・技能」と考えたら、物語の5W1Hや起承転結を読み取るのも「知識。技能」ではないか。
5W1Hや起承転結という「知識」を使いこなすのが「技能」である
すると、上述の、抜き出し問題は「思考・判断・表現」ではなく、「知識・技能」の問題なのだと考えることもできる(そう思わない先生もいると思います)。
これも、ちゃんとした教育会社が作成したテストなのだから,自分が疑義を挟むこともないのだが・・。

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March 02, 2024

最後尾の子に気を配れるか

(1)

「終わった子はタイピング練習していいよ」という指示を時々聞く。

空白を作ると集団が乱れるから、早く終わった子に何かをさせておくというのは大切な配慮だ。
しかし、いつも、このパターンだと終わってない子はいつまで経ってもタイピング練習ができない。
すると、タイピングを要する課題の際に、練習が足りない子は当然みんなから遅れをとってしまう。
(2)
デジタルドリルも同じだ。
「教科書の問題が終わった子は、ドリルをやって」
の繰り返しでは、終わってない子はいつまで経ってもドリルをやれない。
習熟の機会を与えられないのだから、むしろ、学習の格差が広がっていく。
(3)
「終わった子は、自由にタブレットを使っていいよ」
の繰り返しでは、終わっていない子はいつまで経っても自由に使う時間がない。
タブレットの楽しさや機能を満喫していないので、操作面でいつも遅れをとってしまう。
(4)
「終わってない子は宿題ね」
では、遅い子だけが宿題を課せられることになる。
 「遅いんだから仕方ないよね」では、下位の子を落ちこぼしてしまう。
(5)
 かつて、スキーの上手なメンバーと一緒に滑ったことがある。
「あそこまで滑ってストップしよう」
という形で進めていくと、上手な人は、あっと間にポイント地点に着いて休憩できる。
(当時、リーダーはタバコを吸って待っていた。)
転んだ人や遅い人は、なかなかポイント地点にたどり着かない。
ようやく最後の人がポイントに着くと
「さあ、みんな揃ったから行こうか」
と次のポイントまでの滑走が始まる。
(6)
 自分がやっていた陸上部の練習でも、最後の人が来たら次の練習に移る、というパターンが結構あった。
 あるいは最後の人がゴールしたら「今から5分休憩」というパターン。
 これでは先にゴールした人は5分以上休憩時間があるから、速い選手ほどリカバリーが多いことになる。
 追いついたばかりの人は、疲労回復しないまま次の練習になるから、両者の差はますます離れていく。
(7)
「遅い人は他のメンバーを待たせてるんだから仕方ないよね」というロジックは、あまりにも酷だ。
「遅れ気味の子にも休憩はあるか」
「遅れ気味の子にもお楽しみはあるか」
「遅れ気味の子にも習熟の機会はあるか」
そういう配慮がないと「落ちこぼし」のクラスになっていく。
速い子と遅い子の「時間調整」は、「空白禁止の原則」とも重なるから、なかなか手強い問題だ。
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◆はやくできた子には、黒板に答えを書いてもらう。
◆はやくできた子には、ミニ先生になってもらう。
◆はやくできた子には、別のお仕事を手伝ってもらう。
◆はやくできた子には、自分のやりたいことを選んで、ちょっと待っていてもらう。
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時間調整の方法をたくさん持っていると、適切な対応ができる。

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「来年が怖い」と思える初任は、さすが!

初任が「今年とてもいいクラスだったから、逆に来年が心配です」と切り出した。
そこそこ大変な時期のあったクラスだが、最近はとても良いので、「逆に」私も来年度が心配になっていた。
プレッシャーになるかなと遠慮していたが、自分で意識していたとは思わなかった。
学級経営がうまくいくに越したことはない。
しかし、うまくいったら,うまくいったで、勝って兜の緒を締めないといけない。
ユニクロの柳井会長は、「成功の復讐」と言って、成功して油断することを戒めた。
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▼たとえ一つの事業が成功しても、それが次の成功を保証することはない。
▼少し商才が利いた若い人は、ちょっと成功すると、大成功したかのように勘違いしてしまう。
本人の能力ではなく偶然なのに、成功したということを肯定して、何か大経営者にでもなったかのような錯覚に陥る人が結構いるんですよ。
成功体験を基に同じことを続けていると、絶対、“成功の復讐”に出合う。
だから、お客様が評価された点の本質をよく考えることが必要。
※10年以上前のインタビューの記事。東洋経済オンラインのアドレスは既に消えていました。
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失敗を反省し、次に活かせばプラスになる。
しかし、成功に驕って成長を止めてしまったらマイナスになる。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がある。
野球の野村監督の言葉として有名だが、元は、江戸時代の大名である松浦静山の言葉だそうだ。
負けた時の要因は誰でも探る。負けの原因を明らかにすれば次回に活かせる。
しかし、勝ちの要因は様々で、「たまたま」ということもあろう。一歩間違えば「負け」だったかもしれない。だから勝って奢ることがあってはならない。
というように私は解釈している。
たとえ、今年うまくいったとしても、ビギナーズラックかもしれない。
学級編成で初任者用にやりやすいメンバーにしてくれていたのかもしれない。
「今年うまくいったのだから、来年もうまくいくだろう」という根拠のない楽観主義よりも
「今年はたまたまうまくいっただけで、来年はうまくいかないかもしれない」と最悪を想定する悲観主義の方が、成功の近道なのだ。
 たえず謙虚で慎重で学び続ける教師であってほしい。
 無論、自分も同じ。
「この助言がベスト」などと油断せず、さらなるベストを目指して見識を深めていきたい。

 

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