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March 07, 2024

「話し合い」が目的化していないか?

「言語活動」という言葉は使われなくなったが、アウトプット(発表・プレゼン・共同作業)の授業は多く行われている。

 しかし、指導がおろそかになっていると思う場面が多い。

 いわゆる「活動があって、指導がない」の授業なのである。

 それに、活動そのものが目的になってしまい、どんな教科の力をつけさせるのか不明なアウトプットになっている。

 話し合いは、ある目的を達成するための手段にすぎない。

 だからこそ、1つ前の学習指導要領では、「習得ー活用」の2段階が明確にされた。

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◆習得段階は、しっかり指導せよ
◆活用段階は、子どもの応用力に任せてみよ

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 教えるべき時・教えるべき内容は、きちんと教える、という当たり前のことが、「言語活動」や「交流」や「学び合い」という言葉にかき消されてしまっている。
 佐藤洋一氏は次のように言う(「国語教育」2011年3月号 P115)

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より大事なのは「子どもの学びの思考過程や事実」をきちんと教師が瞬時に診断でき、的確に評価して子どもに返す、結果的に学力保証の結果責任を果たすことである。
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 「学力保障の結果責任」・・やらせっぱなしでなく、きちんと指導をしろ、の意味だと理解した。

 同様の指摘が、光村図書の「国語教育相談室小学校75」にある。

  髙木まさき氏は次のように言う(P5)

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何より重要なのは、子どもたちの考えを発表させるだけで終わるのではなく、それを教師が意味づけたり整理したりし、子どもたちが確認できるようにするということです。
そうすることで初めて、子どもたちは出てきた考えのどこがどう違うのか、なぜ違うのかということが考えることができるんだと思うんです。
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 きちんと指導をしろ=きちんと評価しろ。

 以前、参観した研究授業の最後は、子どもの振り返りカードの記入と一部の子の発表で、教師の評価や介入がなかった。

 「今日の授業では、ナンバリングによる意見の言い方が分かりやすくてのよかったね。」のように技術的な指摘をきちんと加えるから「指導」になる。
 そのような教師の総括・総評がない授業は、「活動あって指導なし」と言わざるをえない。

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