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March 07, 2024

討論の授業の原則

向山洋一氏の論文「討論の授業の原則」(『現代教育科学』1997年9月号)。

子どものが自由に発言できる雰囲気をつくれる能力が指摘されている。

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討論とは、自分の意見を主張することである。しかも、互いに意見の豊かな子どもが主張することになる。

どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては討論の授業は成り立たない。

子どもは間違うことを極度に恐れる。

技量の低い教師の教室では、異なる意見をそれぞれが堂々と主張することは、望めない。早々と、どれかになびいてしまう。

「千万人といえども我行かん」というような子どもの主張は、自由な空気の中でこそ、育まれる。

むろん、自由というのは、デタラメのガヤガヤ状態を言うのではない。

授業中、席を離れて友人と相談する。本を調べるのは自由だが、教室はきちんと秩序が保たれている状態をいう。
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 どの子も自由に発言する雰囲気、どの子も堂々と自分の意見を主張する雰囲気が大前提となる。

どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては討論の授業は成り立たない。

は、言いかえれば

◆どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては「話し合い」は成り立たない。

である。

 さて、よく読むと「堂々と」も気になってくる。

 「堂々と」=「千万人といえども我行かん」「一匹狼のたくましさ」

のような強い心を、どこでどう育てていけばいいのか。

 ここに

◆多数決では決まらない、逆転現象の授業

◆1人1芸で出し物をさせるような裏文化

などが入るのだろうか。
もちろん、権威に屈しない教師の生きざまも問われていると思う。

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