« 自分が使っていた「言い回し」とは「思考展開表現」のことであった。 | Main | 見えにくいものを見とるのが教師の仕事 »

March 16, 2024

国語の指導の系統性・汎用性

国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。

作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。

 かつて、次のように書いた。

算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。

一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問分のエネルギーがいらない。

 

 「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の物語としての共通項をとらえて抽象度を上げる。
  どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点がある。

 説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論があり、筆者の主張と具体例がある。

 三人称視点や一人称視点の考え方があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
 それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
 1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げ=汎用的な学力の向上をスタンダードにしていきたい。

|

« 自分が使っていた「言い回し」とは「思考展開表現」のことであった。 | Main | 見えにくいものを見とるのが教師の仕事 »

国語」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 自分が使っていた「言い回し」とは「思考展開表現」のことであった。 | Main | 見えにくいものを見とるのが教師の仕事 »