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March 05, 2024

自宅にある書籍探訪

向山洋一先生は、昭和50年(1975年)調布大塚小学校に赴任して井関義久氏の話を聞く。

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六月十三日、第六回の研究会で、私は初めて「構造分析」の語を知る。(中略)この直後に、私は井関氏の「批評の文法」を読む。

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と書いてある(『楽しい国語 授業の法則』P89・90)。

井関義久氏は、その後、1986年に復刻版として「批評への文法(改訂版)」を刊行した。

ちなみに、この井関氏の「批評への文法」が「授業への挑戦シリーズ」の⑧。

同じく「授業への挑戦シリーズ」の⑥が、筑波大付属小の藤井國彦氏の「分析批評の授業入門」。だから、筑波の「分析批評」は藤井國彦氏の系統と考えられる。

分析用語(文芸用語)は同じでも、授業の組み立てが違う。

これは井関先生の教材分析も同じで、井関先生の分析を真似るだけでは、向山型の討論にはならない。

さて、向山先生の文の中で「構造分析」とある。向山先生が「構造分析」の語を知ってから、まもなく50年だ。

 

「要約」については、石原千秋氏の書物からの学びが大きかった。

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まず「物語の型」をつかめフランスの批評家ロラン・バルトは、「物語は一つの文である。」という意味のことを言っている。

これが、これから僕が「国語」について解説する立場である。

「物語は一つの文である。」ということは、物語が一文で要約できるということである(これを物語文と呼んでおこう)。

たとえば、『走れメロス』(太宰治)なら「メロスが約束を守る物語」とか『ごん狐』(新美南吉)なら「兵十とゴンが理解し合う物語」とかいう風に要約できる。これが物語文である。

もちろん、もっと抽象的に「人と人とが信頼を回復する物語」(走れメロス)とか、「人間と動物が心を通わす物語」(ごん狐)でもいい。

ここで気づいてほしいのは、こんな風に物語文を抽象的にすればするほど物語どうしが互いに似てくるということだ。この共通点が「物語の型」なのである。

 (中略)基本型は二つある。

一つは「~が、~をする物語」という型。これは主人公の行動をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが恋をする物語」といったものになる。

もう一つは、「~が、~になる物語」という型。これは主人公の変化をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが男になる物語」といったものになる。

両方とも「たっちゃん」が成長するわけだが、そのことはもう分かっているわけだから、ここでは「どうやって成長したのか」「何が成長なのか」というレベルで一文にまとめるといい。

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・・ということは「注文の多い料理店」のラストは「二人が東京に戻る話」ではなく「二人の顔が元に戻らない話」だ。

主人公の行動をまとめるのではなく、主人公の変化をまとめる方がふさわしいということが分かる。

 

さて、要約と言えば「トピックセンテンス」・・・パラグラフ構造の基本だ。

主に論説文に使う手法だが、物語でも適用できることがある。

「結」の部分から、あれこれワードを抽出するのではなく、トピックとなる一文を選んで、その一文を修正する。

トピックセンテンスについては、向山先生が「理科系の作文技術」(木下是雄著 中公新書)を紹介している。初版が1981年。

私が衝撃を受けた書物が「現代文の科学的研究 評論編」(松本成二著 あずみの書房)1990年版で、現在ヤフオクで2万円以上の高値がついている。要約の論理式のくだりを再読する。

こうして家にある書物をあれこれ引っ張り出して、最後に「飛翔期 実物資料集 第2巻 分析批評への道」P 169.170、

1981年の「暗夜行路」の作品分析を見て、愕然としてしまったところである。

ここではお見せできないのだが・・。

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