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April 30, 2024

教科書の意地悪問題

チョコレートが16こあります。

この前提で2つの問題がある。

①8人に同じ数ずつ分けると1人分は何個になりますか?

②1人に4個ずつ分けると、何人に分けられますか?

 

子供によっては、いきなり①②の問題を考えようとする子がいる。

そんなことある?と思うかもしれないが、この①②でウンウンうなっている子の中には16を見落としている子がいる。

16という数字を抜きにして、

①は、8÷1

②は、4÷1 

と立式している子が、今日もいた。

これは、教科書の問題の出し方が意地悪だからだが、現実にはこういう設問も多い。

だから、こういう設問があったら「出た、いじわる問題!」と喜んで攻略するように仕向けるとよい。

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ちなみに、このページの3番は

子供35人がいて7人ずつの組に分かれてダンスをします。ダンスの組は何組できますか?

こっちは、数字が2つしかないから「わける」=割り算とさえ分かれば、35÷7と立式できる。

だから、2番より3番の方が簡単なのだ。

 

ちなみに、このページの1番は、割り算の計算が20問、並んでいる。

九九が怪しい子もいるので、20問の割り算をよーいどんで取り組ませば、おそろしいほど時間差が生じる。

だから、このページを取り組むなら、3番ー2番ー1番の順番がスムーズなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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April 23, 2024

整合的に物事を理解したい

「人はいかにして学ぶか 日常的認知の世界」(中公新書1989)

稲垣佳代子・波多野誼余夫氏の共著。

文章の読み取りというか、イメージ確定についての次の箇所も印象に残った。

====================================

書いてあることがわかるだけで満足するのではなく、そこに直接書いてないことを推測し、書いてあることに照らしてその推測が正しいかどうかを吟味していく。こうすることによって、書いてある事を超えてより深く理解することができる。54ページ

===================================

◆人は、たえず自分なりに納得のいく、整合的な世界のイメージを構成しようと努めている存在なのである。

◆理解するためには、新しく入ってくる情報を既有の情報と関連づけ、そこに整合的な関係を見出すことが必要である。

 

・・・「AとBの事態を理解するには、Cという解釈をしないとつじつまが合わない」といった思考過程だろうか。

子どもは「整合性」なんて言葉を知らなくても、整合性のある解釈をする。

それが「知性」なのだと理解した。

ちなみに、何の根拠もないが、子どもは「穴うめ」問題が好きだ。

空欄を見ると、前後の内容からの類推で埋めてみたくなる(「文字数指定」があると類推もさらにやる気になる)。

それは「整合的に物事を理解したい」という知性の表れなのだと思う。

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「なんでも図解」の爆速アウトプット術

『なんでも図解』絵心ゼロでもできる! 爆速アウトプット術  日高由美子著 ダイヤモンド社

表紙のコピーがたまらない。

◆丸と線が書ければいい。

時間と成果を考えたら、図解はメモ程度に手書きした方が有効だという主張だ。

少なくとも、この本のターゲットは、瞬時に図にしたい人だ。

あとでじっくり仕上げるという丁寧さを目的にしていない。

ラフでいい。伝わればいい。これが「丸と線がかければいい」というフレーズに集約されている。

◆今、ビジネスのスピードは驚くほど加速しています。「ゆっくり時間をかけてジワジワわかり合うミーテイング」や「クライアントの課題を持ち帰り、数週間かけて作る完璧な企画書」はもはやナンセンス。書いて見せれば話が進む。その場で図にして共有できれば、モヤモヤ・ザワザワがなくなります。p003

・・本書にあるように、会議の決定事項は、メモ書きでいいから確認した方がよい。

確認せずに方向を間違えていたら、いくら完成度の高いプレゼン資料を作成しても意味がないからだ。

さて、「マルで囲む、線で繋ぐ」については、2001年初版の「図解仕事人」を引用して、次のように書いている。

==================

図解スキルの一丁目一番地が、「マルで囲む、線でつなぐ」。

 

○と→ですべてを表現できる図解の技術の基本は、マル(○)と矢印(→)の使い方に習熟することです。

どんなに複雑でよくできた図解でも、よく見ると、そのほとんどは○と→の組み合わせでできています。

実際の図解は四角や楕円を用いているので複雑に見えますが、これら図解の部品は要するに○の変形に過ぎません。点線や破線も矢印の一種です。 p90

=========

「アナログ派かデジタル派か」と同じように「文字派か、図解派か」という個々のタイプの分類がある。

今はまさに「ハイブリッド」の能力が求められるが、久垣氏の図解の実例は、手書きではない。

久垣氏のデジタルな図解の実例に憧れ、完成度を求め過ぎてしまった。​

メモ書きは手書きでいい。図解は手書きでないと、スピード勝負で負けてしまう。

パソコンでノートをとると、言葉を入力する作業に没頭して理解が深まらないと読んだ記憶がある。

にもかかわらず、私は「手書きのはやさ」と「保存や再利用などのデジタルの便利さ」の両者の間で、いつも揺れている。

覚悟の足りなさが自分の弱点だ。

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誰も置き去りにしない「インクルージョン」の考え

 2020年7月。月刊「プレジデント」に載った台湾のIT大臣オードリー・タンの言葉。

デジタルを学ばないと時代に遅れてしまうよ、という態度は絶対に取りたくありません。デジタルデバイドを埋めるためには、誰も置き去りにしないインクルージョンの考えがなければならないということです。

 私たちも、どの子も大切にする、つまり、置き去りをつくらないスタンスでありたい。

 「教育のIT化の流れに乗り遅れると困りますよ」という焦りを自分に向けるのはかまわない。

 しかし、それを他人に向けるのは好ましくない。みんなの心がバラバラになってしまう。

 職員の中に置き去りを作るような学校なら、きっと子供にも置き去りができるだろう。

 他者に送るメッセージは、

◆みんなで学んでいきましょう、

◆わかりやすいシステムを作っていきましょう

◆大丈夫です。誰でもできることから1つずつ身につけていきましょう。でありたい。

※「インクルーシブ」は、ビジネスに当てはめると企業内すべての従業員が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ活かされている状態。インクルーシブ教育を推進する学校の教職員同士は認められ活かされないといけない。

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「対話」の重要性。キーワードは「つなぐ」

「つなぐ」「もどす」ことで対話をつくる.

①〇〇さんの言ったことについてあなたはどう思う?

②違う考えを意図的にたずねる。〇〇さんは

③根拠を問う:「どこからそう思ったの?」(テキスト、資料、図、式、実験の事実等)

④以前、あなたが言ったことをもう一度言ってみて

⑤焦点化する:「今の〇〇さんの言ったことをもとにもう一度考えてみて」 

教師の役割が重要になる。

 「対話の重要性」を聴いていて、ふと、俵万智の短歌を思い出した。

 

 寒いねと話しかければ 寒いねと答える人のいるあたたかさ

 

 相手がいるから交流が生まれる。

 黙々と授業動画を見たり、チャットで意見交換したり、プリント学習を行ったりしていては、「対話・会話」が欠落する。

 

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April 19, 2024

「白いぼうし」の女の子の正体

4年生のある学級の実践例。

「白いぼうし」(あまんきみこ)の女の子の正体は、教科書本文を読む限り、ちょうの化身とも言い切れない。

が、このクラスでは、ちょうの化身で全員一致したので、AかBかの意見文ではなく、Aであることを立証する意見文のスタイルになった。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、女の子がもんしろちょうがいっぱいあるところにつれてきてもらったからだ。

また、松井さんがつれてきてくれて女の子はやさしい人だなと思って「よかったね。」「よかったよ。」と言ってくれたと思いました。

よって、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、「車にもどると後のシートに女の子がすわっています」という文章によって、わたしはにがしてしまったちょうが車の中にはいって人間にかわったのかと思ったからです。

よって、消えた女の子の正体はもんしろちょう。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、松井さんに「ええと、どちらまで。」と聞かれた時に「菜の花横丁」といってたから、花のみつをのむのかなと思ったからだ。

第二場面の十一行目の「ちょうは高くまい上がると」というところで、つかまったところを助けてもらってお礼をいいたいから、松井さんのタクシーにのって、菜の花横丁で松井さんに「よかったね」とシャボン玉のはじけるような優しい小声で言ったからだ。よって、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

理由は2つある。第一に③の後ろから5行目の「早く、おじちゃん。早く行ってちょうだい。」この女の子の言葉はたけおくんにぼうしでつかまえられたから、女の子はまたつかまるかもしれないと思い、その言葉を言ったわけだ。

第二に、松井さんは菜の花横丁につれていったとたん女の子が消えたのは自分のなかまにやっとあえてもんしろちょうに代わって車から出ていった。この二つの理由により、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

理由は2つある。第一に松井さんが車にもどったらおかっぱのかわいい女の子がちょこんと後ろのシートにすわっていて、いいました。菜の花横丁ってあるかしら。花はちょうのすきなのだからです。第二に、松井さんが考えてふりかえるとだれもいなかったのでもんしろちょうだと思います。

 

ただし、このレベルの意見文を書いたわけではない。合格ラインは上位2割程度。無回答もあり、意味不明の子が多数いる。

今の段階は、先生の指導というよりは、本人の実力。

下位の子もこの程度の意見文が書けるような手立てが必要で

◆グループ交流する

◆早く書けた子の意見文を読み上げる。紹介する。

◆全員のノート(原稿用紙)を回覧する

のような他者参照の機会を設定する必要がある。

上位の子が立派な意見文を書いたからと言って満足していてはいけない。

上位の子は指導しなくても書けるのだから。

「誰一人、取り残さない」という気概をもって、年度末にば全員達成できるよう支援策を考えたい。

 

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April 18, 2024

成功の復讐

かつてうまくいった成功体験が、かえってその後の自分の足を引っ張る。

これをユニクロの柳井会長は「成功の復讐」と呼んだ。

 

昨年度末、朝の会・授業・給食・清掃など、1日の流れや授業の流れがシステム化された学級は、

「先生がいなくても」あるいは「先生が言わなくても」スムーズに流れる場面が多かったと思います。

2年目以降になれば、1年目の反省を活かし、年度当初から意図的にシステム化に向けて子供を鍛えていくことができると思います。

1年目より快適に学級経営・教科経営ができるはずです。

しかし・・・。

◆学級が違い、子どもが違えば「今年の当たり前」が通用しないことが多々あります。

今年うまくいったからと強引に自分のやり方を押し通そうとすると、逆に今年よりもうまくいかないかもしれません。

あるいは、今年と同じ失敗をしないようにと焦るあまり、自分のやり方を押し通そうとすると、逆に今年よりもうまくいかないかもしれません。

これが「2年目の先生」あるいは「2校目の先生」の落とし穴です。

自分の理想を押し付けるのではなく、子供と対話し確認しながら進めていく授業づくり・学級づくりであってほしいです。

それでも、手慣れているから、昨年よりはスムーズにいくはずです。

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ジャムボード活用の授業

(今年中になくなるJamboardですが)

ジャムボードは協働的な学び(主体的・対話的な学び)を実現する格好のツールです。

しかし、使い方を誤ると、黙々と個別学習をするツールになってしまいます。

ですから、ある研究授業では、、

◆「それぞれ付箋に理由を書き込んでいたけど、班で相談していない。自分の意見を書いただけ」

◆「班発表の前に相談したわけではなく、ただ代表の班で子が、意見を読み上げただけ」

◆「班ごとに意見を発表させ各班の発表に拍手は起きたが、言わせっぱなし。どの班の理由がよいかとか、自分の班の理由はどうだったかの確認(比較検討)がなかった」

といった課題が出されました。

 

①班の相談もなく、それぞれが各自の付箋を書き込んだところで、挙手した子の意見を発表させる。

②子供の意見を先生が受けて、一言解説して板書する。

③他の子が発言した子の意見を自分のシートに書き足すことはない。

 

というT-Cの繰り返しでは、各自で付箋の書き込みはあっても、相互作用がありません。

 

「聞く」はあるけど「聞き合う」ではない

「話す」はあるけど「話し合い」ではない。

指名された子が教師に向かって発言する繰り返しでは、協働的な学びとは言えません。

「協働的な学び」は、個人的には次のように考えています。

 

◆他人の考えを知り、触発されて、さらに自分の考えを深めたり広げたりする。

◆みんなが集まると多様な考え方が出てくることを知り、集団で学ことの楽しさを満喫する。

 

教師がずっと司会進行を務め子供の意見を拾っていくT-CT-CT-Cが続く授業展開ではなく、

子供相互の意見交換が主となり、C1C2C3・・・と子ども同士のやりとりが続く授業であってほしいと思っています。

「そんなことをさせていたら、授業が進まない」とか、「そんな授業は子供を鍛えないといけないから無理」とか反発されるかもしれませんが・・。

 

現状の考察です。

 

①「自分の意見をジャムボードの付箋に書き込んでいく」という作業は、短い文なら取り組みやすいが長文になると苦しい。

付箋に書かせる単語や短文なら、ジャムボードを使わせると、他グループのシートをすぐに参照できる。

長い作文や感想を書かせたいなら、プリントを配って手書きさせた方がよい。

②グループで話し合いをしてから、付箋書き込みの時間を確保し、どの意見を発表するかを検討させるとよい。

③タブレットをしまわせないと、他の子の発表に集中できない子がいるので、タブレットを閉じて聞くことに集中させるとよい。

聞きながら自分の書き込みを続けることは、中学年では難しい。

1時間の中で何枚ものジャムボードのシートを行うと集中できないので、場面を厳選するとよい。

口頭発表で済ませるところは口頭で済ませて、メリハリをつける。

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April 14, 2024

金銭教育が大事

水原容疑者は24億円以上の不正送金があったという。
ニュースによれば、218億円勝って、280億負けたのだという。
賭けの回数が19000回。
トータルで200億も買っているから、その成功体験があって止められないんだろう。
業者からすれば、時々勝たせていい思いをさせるのも作戦なのだろう。
「今度こそ」
「これで最後」
と泥沼にハマっていく違法賭博の恐ろしさ。
水原容疑者だけの問題ではない。
子供たちが夢中になるゲームの課金の場合は、金銭としての「勝ち」は一切ないが、これもやめられなくなるという。
ネットで課金していると、「お金の損失」が実感できないからでもある。
水原氏は、依存症という病気で、今後治療のためのプログラムを受けるというが、社会人としての信頼を失い、人生を大きく狂わせてしまった。
「金銭教育」は、とても大事だ。
ただし、それはまず「家庭教育」の中で大切に取り組んでほしい。
大事だから「学校で」という発想では、スマホのトラブルや金銭トラブルのような学校外の問題は解決しない。
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負担が大きいけれど大切なノート点検

「平成29年8月4日 学校における働き方改革特別部会 資料1-2」には、
横浜市の例として、保護者向け文書の次のお願いが紹介されている。
===========
◆教職員の本来業務である、授業や児童生徒の指導に専念できる環境づくりに向けた取組へのご理解・ご協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします。
===========
いくら働き改革が大事でも、教師の本丸の「本来の業務=授業や児童生徒の指導」を削ってしまっては意味がない。
で、あるベテラン先生。
この時期、授業ごとにノートやプリントやドリルを集めて、チェックしたり、丸つけしたり、スタンプを押したりしている。
ママさん先生なので、保護者の気持ちも分かっている。
「ノートに何のコメントもない」
「ドリルが間違っているのに形式的にスタンプが押してある」
というのは、保護者の批判の的になりやすい。
もちろん、子供にとっても「授業が終わったらノート回収」と言われればハードルが上がる。やらずに提出するわけにはいかないという気持ちになる。
ノート点検・プリント点検は、やればやっただけ教師の負担は大きい。
絶対やれと、全ての先生に薦めるつもりはない。
ただし、私たちの本来の業務は、「授業や児童生徒の指導の時間」である。それを削ってしまっては意味がない。
先生方には、他で負担軽減をして、ノート点検・プリント点検は大事にしてほしいと思う(無論、適切に減らしていくことはアリです)。

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April 11, 2024

漢字練習の基礎知識

新出漢字をどう指導するかのステップがないまま、発注したドリルに取り組ませているクラスを見かけた。
今後の参考にということで、用語解説を渡した。
(0)
漢字の読み
新出漢字の読み方を先生の後について言う。
例文も同じように読む。
他の熟語や部首やよく似た漢字などについて補足したり、 知っている熟語を発表させたりする。
未学習の読み方が子供から出たら、認めればいい。(漢字は学年配当では、うまく区切れない)。
(1)
空書き(そらがき)
指を出して空中で筆順を言いながら漢字を書く。
スクリーンに筆順のアニメーションなどを提示するとよい。
ドリルの枠に比べて、自分の好きな大きさで取り組める。 鉛筆を持つのが苦手な子も、ゆびで漢字練習ができる。
(2)
ゆび書き
机の上で、筆順を言いながら人差し指で漢字を書く。
ドリルの枠に比べて、自分の好きな大きさで取り組める。 鉛筆を持つのが苦手な子も、指で漢字練習ができる。
(3)
なぞり書き
ドリルのうすい線を鉛筆でていねいになぞる。
筆順や「とめる・出る」などのドリルのアドバイスに気を付けて書く。
(4)
うつし書き
ドリルの空欄部に、手本の字を見て、そっくりに写す。
あるいは、おぼえたかどうか、何も見ないで書いてみる。
空欄の4つの仕切りを守るようにチャレンジする。はみださない。
(おまけ)
国語の毎時間、最初の5分から7分程度、3文字ぐらい進めていく。慣れたら5文字いけるかも。
授業進度より先になっても漢字だけはコンスタントに進めていくとよい。
遅い子もいるから時間で区切り、時々、未記入欄を埋めるような調整時間を設定する。

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音読指導の基礎知識

 教室の様子をチラチラ見ていると、詩のページを読ませているクラスがある。
 しかし、「一斉音読」だけをさせているケースが多い。
 元気よく声を揃えることは素晴らしいが、一斉音読だけでは飽きる。
 そこで、参考までに、あくまで参考までに、音読指導の用語解説を渡し、実演を踏まえ説明をした。
 まだまだ言葉が確定できていなくてスミマセン。検討の余地が大アリです。
(0)
教科書の題の横に読んだ回数の印をつける。10個を超えたら合格スタンプとか・・
(1)
追い読み
先生が一文読んだら、子供も同じ一文を読むような形。
(2)
交代読み
先生と子供が一文ずつ交代で読むような形。
男女交代・列交代などのやり方がある。
(3)
指名読み
希望者や先生の指名で個人に音読させるような形。 あるいは、席順で一人ずつ読ませるような形。
時々、1人ずつ指名読みさせると緊張感がある。
(4)
一斉読み
みんなで声をそろえて読む。
バラバラにならないように注意させる。 そろわなかったら、いったん止めて、そこからやり直すとよい。
(5)
たけのこよみ
読みたい行を数か所自分で選んでおく。 その行になったら立って、希望したみんなでそろえて読む。
誰も選ばない行があったら、先生が読む。
(6)
群読
卒業式の呼びかけのように、読む個所を自分達で工夫する。
1人パート、複数パート、全員パートなど。
学級全体でやってもいいし、グループで役割分担を相談して発表させてもいい。
(7)
暗唱
①全員起立して、間違えた子は座る。最後まで残った子に拍手。
②挑戦者を前に出して読ませ、間違えた子は座る。最後まで残った子に拍手。
・・・「これなら楽しく1時間授業ができそうです」とある先生が笑ってくれました!
◆◆◆
国語の授業以外でも、読みの場面がある。
各教科の 「今日のめあて」は、追い読みか一斉読み。
算数の問題文も、追い読みか一斉読み。黙読だけで算数の問題を解かせると意味の分かっていない子が出てくる。
理科や社会科などは、大事な部分を追い読みか一斉読みで印象付ける(定義などは暗唱させてもよい)

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シンプルな繰り返しで、分かりやすくて、簡単だと思わせる国語の授業

手元に「教育トークライン」2016.7月号、向山先生の巻頭論文のコピーがある。

「向山洋一の授業実践と授業理論」185 学習とは、シンプルな繰り返しである。

池谷裕二氏の『最新脳科学が教える 高校生の勉強法』を踏まえての主張だ。

=========================

向山型算数は「繰り返し」のシステムである。

同じような流れ、同じような展開によって、授業が進む。シンプルである。分かりやすい。算数って簡単だということになる。

算数の授業で「説明」は、シンプルなほどいい。シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。

反対に、長い説明、くどい解説は、多くの子どもを落ちこぼれにしてしまう。教師の長い説明は、ほとんど悪いのだ。

同じ話でも「説明」と「語り」は、全く違う。語りで子供をひきつけられる教師はすばらしい。教養が豊か、体験がいっぱいある教師にしかできない指導なのである。知性がシンプルさをもたらすのである。

=========================

・・・あえて「国語」に置き換えてみるまでもない。

国語の授業だって、「シンプルな繰り返しで、分かりやすくて、国語って簡単だ」となるべきだ。

シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。

国語においても(他教科においても)、心しておくべき指摘だと思う。

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April 10, 2024

「学び合い」というだけで拒絶するきはありません。

手元にある「学び合い」に関する資料で、元中教審委員の嶋野道弘氏がインタビューに答えている。「学び合い」という言葉を聞いただけで拒絶する先生もいると思うが、「協働学習」と同義である。もう10年以上も前の資料だ。

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◆「協同(共同、協働)学習」のように、学び合いと似た意味で使われる言葉は多くありますが、「考えの違う者が集まり、考えを出し合いながら深める」という点は共通です。学び合いは「自己との対話を重ねつつ、他者と相互にかかわりながら、自分の考えや集団の考えを発展させて、共に実践に参加していくこと」と整理できるでしょう。

◆まず「自分の考えを持ち自分を見つめる」ことから始まります。それが「自己との対話」の意味です。他者とかかわる事によって、自分の考えを吟味し、友だちの考えを取り入れることで、一人では解決できない問題への新たな見方が生まれます。

◆学び合いとは、自己の考えをもち、他者と共に考えを発展させていくものであることを、本当の意味で理解し、思考力・判断力・表現力等を育む上で学び合いの必要性を切実に感じている先生は、意外と少ないのかもしれません。本質を理解しないまま、形だけを踏襲してグループ活動などを取り入れても、中身が伴わず学び合いが形骸化してしまうでしょう。

 2011年VIEW21(小学版)vol2 ~特集 思考が深まる「学び合い」~

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・・・個々の考えもないままグループ活動させれば、賢い子の独壇場になり、相互交流は起きない。

賢い子の言い分を共有するだけでは「話し合い」とは言えないし、「学び合い」とも言わない。

「這いまわる経験主義」と揶揄されたように、いくら見た目が活発でも、深まりのない話し合いなら意味がない。

嶋野氏が指摘するように、形を踏襲しただけのグループ活動は中身が伴わないのだが、「今日の話し合いは盛り上がったね」と勘違いする教師も多い。

 残念ながら、私が見た学び合い推奨の教師は、子どもをここまで高めたいという思いがなかったから、ワイワイやっていればそれで満足していた。話し合いのレベルは、教師の力量に規定されるのだとつくづく思う。

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国語の授業は何を教えるべきか?

算数に比べ国語の授業内容は極めていい加減で、やってもやらなくても誰も困らないようなところがある。

それは、指定された教材の読み取りに終始するあまり、汎用的な国語の力の読み取りが疎かになっているからだ。

国語の授業内容を考えるにあたり、指針となるのは向山先生の主張だ。

「楽しい国語 授業の法則」より引用する。

◆私は「懇切丁寧」な文章の読みとりを指導したことがない。

たとえば、一段落ぐらいの文章の意味を調べ、解釈を加えていくという授業は、普通に見られることであろう。一段落が終了したら、次の段落へすすみ、全体の意味を把握させる。このような授業はどこにでも見られる。どの本にも書いてある。つまり、全国すみずみに行き渡っている国語の方法なのである。国語の授業の主流なのである。

・・・いわゆる「段落ごとに読みとる」というやつだ、全体ー部分ー全体の「三読法」とも言える。このような授業をしたことがないと言われる。

◆「あたり前の言葉を、あたり前の言葉に置きかえるだけの、表面をなぞるだけの国語の授業を私はしたことがない」とも言われる。

◆「わかりきったことをきく」「言葉の置き換えにすぎない」「思いついたままの感想を発表をする」という、フニャケタ国語の授業が、「国語嫌い」の子をつくってしまっている。

 だから「日常生活の中では身につけることができないことを学ばせたい」「自然に放置していては、決してできないことを教育したい」

と主張する。

 内容は、著書の中で次々に紹介されており、そこを引用したら際限がない。

 限られた時間の中で「あたりまえのこと・わかりきったこと」を指導をしている暇はない。

 キーワードは「汎用的な読みの力」である。

 

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April 07, 2024

手紙の威力

 メジャー初勝利を挙げたドジャースの山本由伸投手。
 同僚のロハス内野手から手紙とワインを贈られたそうだ。
==========
「由伸へ。ようこそファミリーに。私はあなたとチームメートになれて、後ろでプレーできることに、とても興奮している。私がついているよ」
==========
 なんと嬉しいメッセージだろう。
 期待がかかる中、1勝できた山本のは至高のメッセージだ。
 記事には、次のような経緯も書かれている。
==========
 ロハスはベネズエラ出身で、昨季からドジャースに9年ぶりに戻った内野手。(中略)
 同じく海外から来た外国人選手として、ルーキーの山本を気遣っていた。
==========
 ちなみにロハスは2月にも、大谷と山本の2人に歓迎のワインを贈っている。
そのあたりは、こっちの記事に詳しく書かれている。
 ==============
「違う国や文化から来ることがどれだけ大変か知っているからこそやったんだ。
彼らが周囲やチームメイトに馴染めるかどうかが重要。クラブハウスで居心地がいいと感じれば、パフォーマンスも上がる。
彼らがすでにアットホームだと感じてくれることを願っている」。
やりやすい環境をという気遣いがにじんだ。
==============
 まさに「気遣い」。
 違う国や文化から来ることがどれだけ大変か知っているからこそ
「自分が味わった辛い思いは、他の人には味わせたくない」
「自分がされて嬉しいと思うことを相手にしてあげたい」
という思いやりの気持ちで応対している。
 すばらしい。
 自分も、仰々しい手紙でなくてもいいから、ちょっとしたメッセージを伝えていこうと思った。
 無論、それはお義理の手紙では意味がない。
 自分の見栄や都合や感謝の強要でメッセージを送るのでははなく、相手のことをどれだけ本気で思えるか「人としての無償の振る舞い」が問われている。
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アンカリング効果とは

◆はじめに提示された情報を基準点(アンカー)とし、ほかの情報を評価・判断する心理学的な現象。

https://smbiz.asahi.com/article/15043967

これ、何となく自分も行ってきました。

(1)宿題を出す際、「2ページやってきて」と言っておいて、「今日は特別1ページでいいよ」と言えば、子供たちに喜ばれる。

(2)元々1時間お楽しみ会をしてもいいと思っていたとしても、「どうしようかな。ひょっとしたら1時間お楽しみ会できるかも」と匂わせれば、子供たちに喜ばれる。

(3)作文を書かせる際、元々200字くらい書けばいいと思っているが、400字原稿用紙を配って、「半分は書こうか」と言えば、子供は半分でいいなら頑張ろうと言う気になる。

 

実社会では「アンカリングに騙されるな」ということも教え、アンカリングを疑う大人に育てないといけない。

 

◆値段が3通りあったら、多くの場合、中間価格に誘導されているんだよ。

◆「今ならメーカー小売価格の○%値引き」と言われても、日頃からメーカー小売価格で売っていないかもしれないよね。

 

それはそうなのだが、我々教師は、子供の可能性を引き出すために様々な策を駆使したい。

「あおる」や「じらす」といった策の1つとして「アンカリング」もリストアップしておきたい。

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『知の体力』ラスト(5)

〜 語彙と感情表現 〜

 なんでも「ヤバイ」で済ませてしまう若者の語彙に、永田氏は異議を唱える。 P147〜151
◆全てが「ヤバイ」という符牒で済んでしまう世界は、便利で効率がいいかもしれないが、その便利さに慣れていってしまう事は、実はきわめて薄い文化的土壌のうえに様々の種を蒔くことに等しいのであるかもしれない。
◆ある感動を表現するとき、たとえば「good!」一語で済ませてしまうのではなく、そこにニュアンスの異なったさまざまな表現があること自体が、文化なのである。「旨い」にしても、「おいしい」「まろやかだ」「コクがある」「とろけるようだ」などなど、どのように「旨い」かを表すために、私たちの先人はさまざまに表現を工夫してきた。それが文化であり、民族の豊かさである。
 そうだね。
 グルメリポーターが「うん、おいしいです」と言うだけでは、明らかに失格だよね。
◆短歌は、 自分がどのように感じたのかを表現する詩形式である。歌を作り始めたばかりの人の歌には、悲しい、嬉しいと形容詞で、自分の気持ちを表そうとするものが圧倒的に多い。作者は「悲しい」と言うことで、自分の感情を表現できたように思うのであるが、これでは作者が「どのように」悲しい、うれしいと思ったのかが一向に伝わってこない。
◆(斎藤茂吉の「死に近き母」には)悲しいとか寂しいとか、そのような茂吉の心情を表す言葉は何一つ使われていないことに注意してほしい。にもかかわらず、私たちはそのような形容詞で表わされる以上の、茂吉の深い内面の悲しみを感受することができる。考えてみれば不思議な精神作用である。文章の上では何も言われてない作者の感情を、読者はほとんど何の無理もなく感受することができているのである。
◆ 短歌では作者の最も言いたい事はあえて言わないで、その言いたいことをこそ読者に感じ取って もらう。単純化して言えば、短詩型文学の本質がここにあると私は思っている。
 三田誠広も同じようなことを書いていたはずだと探してみた。
「『驚いた』と書いたら小学生の作文だ」と書いてあった。
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小説の初心者はですね。どうも「描写」ということができないんですね。
驚いたということを書く時に「驚いた」って書いちゃうんですね。「私は驚いた」「彼は驚いた」とか、「少年は物音に驚いた」とか書くんです。
これは説明にすぎないんですね
小説というものは「表現」によって進行していくものです。だから、主人公が驚いたというシーンでは、どういうふうに驚いたかということを、できれば視覚的に読者に訴えるようなイメージで書く必要がある。
「天気の好い日は小説を書こう」三田誠広 朝日ソノラマ (P62)
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 三田氏は「説明しないところが俳句の極意」とも書いている。
 「心情」を直接表現せず、行動描写や情景描写で示している。
 だから「描写」を読み取れ、と言うわけだ。
 
 かつて言語技術教育学会で市毛先生が「小説は『描写』の読みが大切だ」というようなことを言われたが、その時はピンとこなかった。
 『描写』を意識し始めたのは、1998年にこの本を読んでからだ。
 『描写』を削って要約した文学作品は何の味もなくなるのだと考えるようになったのである。
 その頃から、小学校の作文指導でも「楽しかったです」で終わらないようにと声をかけてきた。
 なんでも「すごい」で終わらせず、その場に最適な言葉を考えさせてきたが、語彙の指導はそんなに簡単ではなかった。
 さて、今回、「ヤバイ」が出てきたので、この単語こそ「ヤバイ」と思った。
◆大造じいさんは銃を下ろした時、なんと思ったでしょう・・「やばい」
◆兵十は銃を落とした時、なんと思ったでしょう・・・・・「やばい」
という解答があり得るからだ。
 褒め言葉もけなし言葉も「やばい」、
 感激するときも後悔するときも「やばい」。
「すごい」以上に、威力のある単語だ。
 自身の微妙な感情を「やばい」「すごい」「うざい」「別に」「楽しかった」のような一言で済ませてはいけない。
 分かっていても、なかなか手ごわい。
 ついでながら「good!」で思い出した。
 学校に送られてきた「英語情報 2017冬号(日本英語検定協会)」に「CLASROOM ENGLISH!!」の連載があり、大木優喜子氏がほめ言葉を紹介していた。
 日本語でもこれくらいのバリエーションでほめていきたいと思い、キープした。
 いつも「すごい」「上手」「がんばったね」だけでは、おそまつであることが、よく分かる。
(1) Good(良い)の他にも使える一言褒め言葉(Goodの類義語集)
Very good! とても良い!。 Teriffic! 大変良い。
Fantastic! 素晴らしい!。 Well done よくできました!
Great! とても良い。    Wonderful 素晴らしい!
Excellent! 優秀!。     Close 惜しい!
Awesome! とても良い   Superme! 素晴らしい!
Perfect! 完璧!       Wow! わあすごい
・・・12のバリエーションだが、日本語訳だけみると同じものがあって7種類になってしまう。
そこには微妙な差異があるのだろう。
①よし ②すごい ③うまい ④さすが ④すばらしい ⑤完璧
⑥上手 ⑦驚いた ⑧感激した ⑨素敵 ⑩最高 ⑪合格 ⑫惜しい ⑬あと少し
で13種類か。
(2) Good job(よくできました)の他にも使える表現
Much better!      前より大変良くなりました。
keep up the good work! その調子でがんばってください
Thats great idea!    とても良いアイデアですね。
I know you can do it!  あなたならできます
Great teamwork!    とてもよいチームワークです
Thats an interesting point 面白い点ですね
Good try!       よい試みです。
Great effort!     大変良い努力です。
Thats a good guess!  良い推測です。
・・・コメントは、これぐらい微細でありたい。
①努力を褒める ②結果を褒める ③成長を褒める ④試みを褒める ⑤発想を褒める ⑥協力を褒める
などが観点になるか。
(3)生徒の具体的な態度、能力を褒める表現
※生徒一人一人を褒める時には、具体的に何が良かったのかを示す。
You make lots of effort to speak English in class!
あなたは授業で英語を話す努力をしています。
Your writing skills have improved so much! 
あなたのライテイング能力はとても進歩しました。
Im impressed by your speaking skills! 
私はあなたのスピーキング能力に感心しました。
(4)その他の生徒一人一人を褒める表現
You work very hard! 
あなたはとても一生懸命勉強しています。
You worked very hard in class today! 
あなたは今日の授業でとても一生懸命勉強しました。
I love having you in my class! 
あなたが私のクラスの生徒でうれしいです。
・・・(3)はピンポイントの褒め方、(4)は総括した形の褒め方と言えるだろうか。
通知票の所見みたいなレベルになってきた。ありきたりの褒め言葉ではなく、その場でのその子に対するオリジナルな言葉かけをしていきたい。
「あなたは努力や成長をしています」という客観パターンと「私はあなたの努力や成長に感心しています」の主観表現のパターンがあることが分かる。
(5)クラス全体を褒める時の表現
※クラス全体を褒めることによって、生徒との間にチームワーク・統一性が生まれます。
Thank you for sharing your ideas! 
 みんなのアイデアを話してくれてありがとう。
(注 「おたがい意見を出し合ってありがとう」という意味かな?)
Everyone worked very hard today! 
今日はみんなとてもよくがんばりました。
・・・授業のまとめや帰りの会の最後のお話でみんなに伝えたいメッセージという感じ。
 熱い語りバージョンもあるだろうが、毎日のことだから、さらりと褒めるのが基本形だろうか。
  語彙の「微差」は「大差」になる。
  しっかり語彙のインプットに励みたい。
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「知の体力」(4)

〜「教師の熱中度」は子どもを感化する〜


 かつて「人生の岐路に立ったら、困難な方を選べ」と言われたことがある。
 シンプルなだけにしっかり胸に刻んできた。
『知の体力』の中で永田和宏氏は、「おもしろい方を選べ」と述べている。
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◆私は 学生たちに、2つを選択する必要が出てきたときは、とりあえずは(おもしろい方)から選べと言い続けている。おもしろい方から選べば、たいていはうまくいかなくて、別の選択を迫られることになる方が多い。しかし、それで失敗しても終わりではない。大抵の場合は、選択の変更がやむなしとなったところで、遅すぎるということはない。
 しかし最初から安全な方を選んだ場合には、それで何かが変わるという可能性は極めて低い。常に安全な方、安全な方と選び続けていく人生は、どんどんその人間の人生を小さなものにしていくだろう。それは私には耐え難く退屈なものに思えてしまうのである。これはまぁ、気質の問題だから人それぞれで良いのだが、いったんは、自分の可能性にチャレンジしてみることは、一回しかない自分だけの人生を生きる上でいったん大きな意味を持っていると、 私は個人的に思っている。
p98・99
=========================
これは、「失敗することで成長する」というメッセージでもあるが、教師という立場を考えたとき、
「挑戦する姿勢を子供に見せること」
「知的好奇心の素晴らしさを、子供に見せること」
の大切さに直結していると思う。いわば「背中で教える大人」だ。
 永田氏は、天才数学者である岡潔の講義を受けた朝永振一郎のエピソードを引用して次のように書いてる。
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◆ 朝永は、岡潔ともう1人の数学者を挙げて、「この両先生の魅力は、自ら情熱を研究にささげているという点にある。その情熱が学生に伝わってくるのである。ときどきは御自身の研究についての話も聞く。若い先生というものは、学生にわからせるというよりも、ご自身の興味に溺れることもあるものだが、これがまたなまいきな学生にはたまらない魅力なのである」と述べている(『わが師わが友」)。
「 みずから研究をささげているという」ことが学生に伝わること、そして「学生にわからせるというよりも、御自身の興味に溺れること」が先生の魅力であることは、何も岡潔に限ったことではないのであろう。
 ここには教える内容、今風に言えばコンテンツがまずあって、それを学生に伝えるための仲介者に出するという教師像はまったくない。先生は道具でも機械でもないのである。先生は先生の興味で動いている。もっと言えば、先生は研究にしか興味がなく、その研究への一途さが、若い学生たちにおのずから感染していく。そんな羨ましいような、そして我が身を顧みて恥しいような、講義の原風景がここにはある。p113.114
============
技量の高い先生方の授業を受ける際の高揚感と重なった。
楽しそうに授業を展開される先生方の情熱が、たまらない魅力なのだ。
熱中軸で授業を創る、というのは「教師自身の熱中度・ワクワク感」の問題でもある。
授業づくりで迷った時は「おもしろい方から選べ」
なのだと思う。
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『知の体力』③

改めて「知」の対価を考える 

付箋だらけになった「知の体力」永田和宏著(新潮新書)の中で、知の対価に触れた箇所がある。
永田氏がバイブルと呼び何度も読み込んだ『時間と自己』木村敏著(中公新書)についての記載。
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 この1冊を読むたびに思うのは、こんなに素晴らしい思想を、「知」を、わずか600円ほどの金を出すだけで分けていただいてしまっていいのだろうか、という思いである。この1冊を書くために、時代を代表する思想家がどれだけの時間をかけて、どれだけの書を読み、そこに自らの思索を重ね、構築し、そしてそれを自らの言葉で表現するためにどれだけの時間を費やしたのだろうと思う。そんな、金では測り切れないものの詰まった一冊を、本屋に行って当然のように、わずかな代価を払って購入する。
 それを読んで、なるほどそうだったのかとか、とにかく蒙を拓かれ、新しいパラダイムに触れる。ある場合にはそれを引用させていただいて、自らがものを書く。そんな行為を当然のように思っているが、しかし、改めて考えてみると、その思想は、その教えは、そんなわずかな代価で私のものとしまって良いものなのか。
 本を出版し、それを読者が購入して読む。これは今や当然の社会的行為であるが、そのような流通の考え方の中で、抜け落ちてきたものが、書かれている内容に対するリスペクトではなかったか。尊敬、敬意を持ちつつそれに接するという読む側の態度ではないだろうか。p124,125
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 今や書籍は売れず(読まず)、ネットの無料の情報しか頼らない社会的行為がフツーになってきた。
 ネットビジネスの社会では、FREEがすっかり浸透した。入口は無料で、さらにサービスを受けたい人は課金するシステム。
 入口は無料でも、本気で学びたくなれば無料だけでは済まなくなるのが世の常だ。
 無料利用だけでは永遠に「入口」レベルの修養にしかならないのだが、お金を使ってまで学びたくないという教師が残念ながら多いと思う。
 プロ野球の世界でも、「教えて欲しかったら銭を持って来い」という金田投手の昭和のエピソードがあったが、他人の知的財産を軽々しく無料でいただこうなどと思うことが不遜なのだ。
 それは、永田氏が言うように、知へのリスペクトの問題でもある。
 1000円2000円の本を買って得られる情報は、時にプライスレスだ。
 10000円20000円のセミナーで得られる情報も、時にプライスレスだ。
 教え方セミナーで無料展開しすぎると、高段者の有料セミナーのハードルが上がってしまう。それは教え方セミナーで「無料=お得」だけをアピールしているからだ。
 何でも無料で得られるような世の中だが、本当に価値ある情報は無料で流してはいけないし、対価を払うことに意義があるのだという文化は堅持していきたいと思う。
※自分達の授業技量を高めるために参加者に子役をお願いするなら、逆にお金を払う覚悟があってもいい。「無料開催」とはそのような意味も含んでいる。
※読書の価値については、こう述べている。「学びの価値」も同じだ。
本当にその通りだと思う。
だから付箋だらけ、引用だらけなのだ。
◆「何も知らない自分」を知らないで、ただ日常を普通に生きていることに満足、充足しているところからは、敢えてしんどい作業を伴う学問、研究などへの興味もモチベーションも生まれないのは当然である。しかし、あぁ、自分は実は世界のほんのちっぽけな一部しかこれまで見てこなかった、知っていなかったと実感できれば、そして自分がこれまで知らなかった世界がいかに驚異に満ち、知る喜びに溢れていることを垣間見ることができれば、おのずから知ることに対する敬意、リスペクトの思いにつながるはずである p56

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「知の体力」②

「ひょっとしたら自分でも」

 かつて、20代教師を熱狂させた法則化運動は「ひょっとしたら自分でも」という期待をもたらした。
 それは大きな勘違いだったのかもしれないが、それでも構わなかったのだと今は思う。
 法則化論文が掲載され、「人の実践を真似する自分」から「真似されるような実践を創る自分」でありたいと強く思うようになったからだ。
 永田和宏氏の言葉を借りると「消極的な自己規定」からの解放だ。
=================
私が日常的に若い諸君と接していて、最も歯痒い思いをするのは、この消極的な自己規定なのである。「私などにはとても」と端から恐縮して思い込んでいる。そう思ってしまうことで、一切の批判精神は意識下に押し込められてしまわざるを得ない。私などが先人の研究や理論を批判するなど10年早いと思ってしまうのである。
 しかし、学問や研究の世界において、何年経たなければ批判などすべきでないといったことは全くない。批判や考察はすべてを知った大家が行うものではなく、まだその世界の常識に染まっていない新人、若者がやってこそ、インパクトなり批判が行えるのである。パラダイムシフトに値 するような新しい思考の枠組みの形成が可能になるのは、とらわれるところのない若い精神にしかできないものだ。
「知の体力」永田和宏著(新潮新書)p85・86
=================
 「ひょっとしたら自分でも」というエネルギーで突っ走れるのは、若い精神にしかできない。
 「わかっていないこと」に対する畏れよりも、「わかっている」ことの満足感・充実感が上回るからだ。
 永田氏は次のようにも言う。
◆受動的な学習から、能動的な学問へのシフトは、まさにそんな「ひょっとしたら自分でも」と能動的に考えることを外しては起こり得ないのである。P51
 永田研究室では海外の一流の研究室に短期派遣を続けてきた。
 その理由は「 とても手が届かないと思っていた最前線の研究が、実は自分たちと地続きのものであることを実感して帰ってきてくれること」であると言う。
世界のトップレベルのラボに滞在して、彼らと議論しながら研究をさせてもらう。科学的な成果は3か月では得られなくとも、より大切なものを得て帰ってくる。それは、「なんだ自分たちのやってることと変わらないじゃないか」という実感である。とても手が届かないと思い込んでいたが、実際には日本で(永田研で)やっているのと同じことをやっているんだと思えること、それは自分が世界と地続きになることである。。p89、90
「学んでから始めるか、学びつつ始めるか」の章がある。
「まずはじっくり学んでからまとめます」と遠慮する人がほとんどだろう。
しかし、幸いなことに、私は「学びながら始めればいいのだ」とアドバイスをもらって、雑誌原稿を書く勇気をいただたいた。
 若い先生方(学生さん)には、教育の世界の常識に染まっていないからこそ言えること、できることがたくさんある。
そうした若い方々の斬新な意見に刺激を受けて、自分もさらに発信を続けたい。
 永田研究室である女性の論文が高く評価された時、研究室の他のメンバーに変化が起きたというくだりも、「ひょっとしたら自分も」である。
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 日常一緒にいて、同じような仕事をしている彼女の仕事が「サイエンス」に載るのなら、自分の仕事も同じレベルじゃないかとみんなが実感したのである。その後のみんなの意識が一気に能動的な変化を見せたのはありがたいことだった。
<微細>を「妬み」につなげるのではなく、そんなに違わないあいつにできるのなら、自分だってと思えること。これは羨ましいという感情が、肯定的なモチベーションに繋がった、私の身近な実例である。160ページ
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・・・自分が切磋琢磨できる場を確保することが、自己研鑽の第一歩である。
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『知の体力』永田和宏 (1)

『知の体力』永田和宏著は、付箋だらけになってしまった。

京大名誉教授の永田氏が、若者(大学生)へのメッセージとして連載したものがベースになっている。2018年初版。もっと早く読んでおけばよかった。
冒頭で「大学は何も教えてくれない」「 自分で求めようとしなければ、大学では何も得られないと言う言葉が出てくる。
◆答えは確かに<ある>。それが初等中等教育における「問題」の大前提である。そして先生はその答えを知っている。その正しい答えに、どうしたら自分たちも到達できるだろうか。先生が知っているはずの答えと自分のものが一致すれば正解で、違っていれば×。それが入学試験も含めて、高校までの試験の問題であった。
(中略) 高校までの教育においては、これはやむを得ないことである。しかし実社会において、そのような答えのある問題というのは、実は何一つないのだと言ってよい。P15、16
「大学における教育は、高校までの初等中等教育と根本的に、そして本質的に違ったものではなければならない」と永田氏は述べる。。
にも、かかわらず、小中学校において、大学生に対するメッセージと同じように
・これからは「正解のない時代」だ。自分で考えよ。
・アクティブラーニングが大事だ。
と張り切るのは、ちょっと違うのではないかと前から思っていたのだが、どう説明して良いか分からなかった。
永田氏は、このことを「学習」と「学問」の違いで説明している。P43、44
①「学習」の問いには答えがある。
②「学習」には、先生は教える人、生徒は教えてもらう側という役割分担がある。
③先生が正しい事を教え、生徒は正しい知識を習得するのが「学習」の基本。
④生徒の誰もが落ちこぼれないように、誰もが同じ到達点に至るのが「学習」の目標。
 
◆「能動的に聞く」とは、話された内容、自らのこれまでの知の体系の中に位置づけることであり、位置づけるためには、聞きつつ常に自分の知の体系を確認し、照合する作業を伴うはずである。外部からインプットされてくる内容と既存の自らの知識の箱との間に軋轢が生じるのは当然であり、その軋轢こそが質問を流す力になる筈なのだ。P29
・・・永田氏の「能動的に聞く」の主張を受けて、能動的に読んでみたいと思う。
「面白い。よく分かる。必読書だ」といったワンフレーズでは、読んだことにならない。(続く)
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April 03, 2024

「右手にロジック、左手にレトリックを」

という瀧本哲史氏の主張に魅了された。
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 言語にはギリシャのアリストテレスの時代から伝統的に、2つの機能があると言われています。
「ロジック」と「レトリック」です。
 ロジックというのは日本語で言えば「論理」ですが、もう少し意訳すると、前提が真なら結論も真となるような推論の型のことで、ざっくり言うと、「誰もが納得できる理路を言葉にすること」ですね。(中略)
 言葉の機能のもう一つの「レトリック」は、日本語では「修辞」と訳されています。簡単にいえば「言葉をいかに魅力的に伝えるか」という技法がレトリックになります。(中略)本来のギリシャ時代から続く弁論術のなかでは、レトリックについて、聴衆を魅了し、説得して賛成してもらうための重要な能力と位置づけています。
 「2020年6月30日にまたここで会おう」星海社新書 P39〜41
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 こうした一般論だけでは読者を納得させることは難しい。
 だから、瀧本氏はオバマ氏を具体例に選び、説得力を増加させた。
◆ アメリカ大統領のオバマさんは、非常にスピーチがうまいことで知られていますが、彼の話し方や聴衆の心に響く言葉の選び方、伝え方は、ものすごくレトリックが優れているんですね。(中略)
 どんなに楽しいロジックでも、良いレトリックが伴わなければ、それは聞く人の心にきちんと届かないし、まして行動を変えることなどできません。
 つまり「言葉には力がある」という事は、究極的には、アメリカ合衆国の大統領になれるほどの力を持つ、ということでもあるんですね。p 41〜42
・・・瀧本氏の主張を読むと、ロジックとレトリックの基盤に「教養」があるのだとつくづく思う。
 もちろん、それは向山先生も谷先生も吉永先生も、TOSS高段者の先生方も同じだ。
 教養があるから、読者を説得するための最適な例示をチョイスできる。
 もう1箇所、書き順を工夫することで、説得力が倍増する叙述・読み手を魅了する叙述がある。
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(ワイマール共和制は) 理想だけは素晴らしいのに内実はボロボロで、政党はまとまらないし国としてもダメダメで。もうほんとにダメだってときに、元軍人の、といっても伍長でしたが、1人の売れない画家の人が、「俺がなんとかしてあげよう」と言って、出てきました。
 そして国民の多くも、「この人が何とかしてくれるかもしれない」と思って、その人が祭り上げてしまったわけですね。
 その人、最初のうちはホント良くて、経済政策が大当たりして国の景気もむちゃくちゃ良くなり、「やっぱりあの人に任せて良かった」と国民の多くが思ったんですが、その後どんどん変なことをやり始めて、 あちこちにいろんな敵を作って攻撃したり、やたら戦争起こしたりして、結果的にドイツは大変なことになりました。
 はい、ナチスのアドルフ・ヒトラーって方です。  p11〜12
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 この部分、最初から「ヒトラー」の名前を出したら、読む側はつまらない。
 最後に「ヒトラー」が出てくるから、「カリスマモデルはうまくいかない」という主張がストンと落ちる。
 この最後に著名な人が出てくる表現、向山先生も使っていましたね。
 レトリックも教養なら、そこで使われる歴史的事実も教養だ。
 私たち教師は広く深く学び続け、効果的な例示ができる「教養=知性」を持ちたいものだとつくづく思う。
※2012年に東大で講演し8年後に再集結せよと宣言した瀧本氏は2019年に亡くなりました。
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「アンカリング効果」

◆アンカリング効果とは、はじめに提示された情報を基準点(アンカー)とし、ほかの情報を評価・判断する心理学的な現象です。

◆たとえば、不動産業者が購入希望者に「この物件の相場価格は7,000万円ですが、即決いただければ5,000万円でお譲りできます」と最初に高い金額を提示した後、実際の価格を提示するといった使い方をします。

 最初の7,000万円がアンカーとなることで、次に提示された5,000万円が安く感じられる現象です。

https://smbiz.asahi.com/article/15043967

 

ああ、これ、何となく自分も行ってきました。

 

①宿題を出す際、「2ページやってきて」と言っておいて、「今日は特別1ページでいいよ」と言えば、子供たちに喜ばれるかも。

②元々1時間お楽しみ会をしてもいいと思っていたとしても、「どうしようかな。ひょっとしたら1時間お楽しみ会できるかも」と匂わせれば、子供たちに喜ばれるかも。

③作文を書かせる際、例えば400字原稿用紙を1枚配る。元々200字くらい書けばいいと思っているが、400字原稿用紙を配って、「半分は書こうか」と言えば、子供は半分でいいなら頑張ろうと言う気になる。

 

これは交渉術の1つ。

教師が子供に迎合したり、譲る必要はないかもしれない。

しかし、だからといって、あまりに居丈高に・あまりに権威をかざして命令するのも、こじれる原因になる。

無理やり従わせるより、気持ちよく取り組んでもらった方がいいのだから、「交渉」という観点も意識した方がいい。

 

実社会では「アンカリングに騙されるな」ということも教え、アンカリングを疑う大人に育てないといけない。

◆値段が3通りあったら、多くの場合、中間価格に誘導されている。

◆日頃からメーカー小売価格で売っていないのに「今ならメーカー小売価格の○%値引き」と言われると、そのセールストークに誘導されてしまう。

 

それはそうなのだが、我々教師は、子供の可能性を引き出すために様々な策を駆使したい。

「あおる」や「じらす」といった策の1つとして「アンカリング」もリストアップしておきたい。

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言い方は様々だけど、「自燈明」

「認知的徒弟制度」では4つのステップが示されている。

モデリング【見せる】

❷コーチング【させて、見て、気付かせる】

❸スキャフォールディング【自立の支援・足場かけ】

❹フェーディング【任せて、手を引いていく】

 

◆「モデリング」から「フェーディング」へ

◆「教える」から「任せる・手放す」へ

◆「守・破・離」

どれも同じ意味合いだ。

 

仏教(禅)では「自燈明(じとうみょう)」という言葉がある。

 

ブッダが死ぬ間際「 わしが死んだら、自分で考えて自分で決めろ。大事な事は全て教えた」と答えた。

他の誰かが灯した灯りに従うのではなく、自らが灯りになれ、というのが「自燈明」の意味から、これも同じ類だ。

 

国語で言えば、「一人読み」ができる子。

学習全般で言えば、「一人学び」ができる子。

教師の手を離れ「自立できること・独り立ちできること」が、教育の最終目標だ。

 

言い方は様々だが、ゴールは「自立」。

ただし、手放すタイミングが早いと、子供は自立できず、這い回ってしまう。

適切なタイミングで手放せるよう、周到なプランを仕組んでいきたい。

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