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April 07, 2024

『知の体力』③

改めて「知」の対価を考える 

付箋だらけになった「知の体力」永田和宏著(新潮新書)の中で、知の対価に触れた箇所がある。
永田氏がバイブルと呼び何度も読み込んだ『時間と自己』木村敏著(中公新書)についての記載。
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 この1冊を読むたびに思うのは、こんなに素晴らしい思想を、「知」を、わずか600円ほどの金を出すだけで分けていただいてしまっていいのだろうか、という思いである。この1冊を書くために、時代を代表する思想家がどれだけの時間をかけて、どれだけの書を読み、そこに自らの思索を重ね、構築し、そしてそれを自らの言葉で表現するためにどれだけの時間を費やしたのだろうと思う。そんな、金では測り切れないものの詰まった一冊を、本屋に行って当然のように、わずかな代価を払って購入する。
 それを読んで、なるほどそうだったのかとか、とにかく蒙を拓かれ、新しいパラダイムに触れる。ある場合にはそれを引用させていただいて、自らがものを書く。そんな行為を当然のように思っているが、しかし、改めて考えてみると、その思想は、その教えは、そんなわずかな代価で私のものとしまって良いものなのか。
 本を出版し、それを読者が購入して読む。これは今や当然の社会的行為であるが、そのような流通の考え方の中で、抜け落ちてきたものが、書かれている内容に対するリスペクトではなかったか。尊敬、敬意を持ちつつそれに接するという読む側の態度ではないだろうか。p124,125
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 今や書籍は売れず(読まず)、ネットの無料の情報しか頼らない社会的行為がフツーになってきた。
 ネットビジネスの社会では、FREEがすっかり浸透した。入口は無料で、さらにサービスを受けたい人は課金するシステム。
 入口は無料でも、本気で学びたくなれば無料だけでは済まなくなるのが世の常だ。
 無料利用だけでは永遠に「入口」レベルの修養にしかならないのだが、お金を使ってまで学びたくないという教師が残念ながら多いと思う。
 プロ野球の世界でも、「教えて欲しかったら銭を持って来い」という金田投手の昭和のエピソードがあったが、他人の知的財産を軽々しく無料でいただこうなどと思うことが不遜なのだ。
 それは、永田氏が言うように、知へのリスペクトの問題でもある。
 1000円2000円の本を買って得られる情報は、時にプライスレスだ。
 10000円20000円のセミナーで得られる情報も、時にプライスレスだ。
 教え方セミナーで無料展開しすぎると、高段者の有料セミナーのハードルが上がってしまう。それは教え方セミナーで「無料=お得」だけをアピールしているからだ。
 何でも無料で得られるような世の中だが、本当に価値ある情報は無料で流してはいけないし、対価を払うことに意義があるのだという文化は堅持していきたいと思う。
※自分達の授業技量を高めるために参加者に子役をお願いするなら、逆にお金を払う覚悟があってもいい。「無料開催」とはそのような意味も含んでいる。
※読書の価値については、こう述べている。「学びの価値」も同じだ。
本当にその通りだと思う。
だから付箋だらけ、引用だらけなのだ。
◆「何も知らない自分」を知らないで、ただ日常を普通に生きていることに満足、充足しているところからは、敢えてしんどい作業を伴う学問、研究などへの興味もモチベーションも生まれないのは当然である。しかし、あぁ、自分は実は世界のほんのちっぽけな一部しかこれまで見てこなかった、知っていなかったと実感できれば、そして自分がこれまで知らなかった世界がいかに驚異に満ち、知る喜びに溢れていることを垣間見ることができれば、おのずから知ることに対する敬意、リスペクトの思いにつながるはずである p56

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