「知の体力」(4)
〜「教師の熱中度」は子どもを感化する〜
かつて「人生の岐路に立ったら、困難な方を選べ」と言われたことがある。
シンプルなだけにしっかり胸に刻んできた。
『知の体力』の中で永田和宏氏は、「おもしろい方を選べ」と述べている。
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◆私は 学生たちに、2つを選択する必要が出てきたときは、とりあえずは(おもしろい方)から選べと言い続けている。おもしろい方から選べば、たいていはうまくいかなくて、別の選択を迫られることになる方が多い。しかし、それで失敗しても終わりではない。大抵の場合は、選択の変更がやむなしとなったところで、遅すぎるということはない。
しかし最初から安全な方を選んだ場合には、それで何かが変わるという可能性は極めて低い。常に安全な方、安全な方と選び続けていく人生は、どんどんその人間の人生を小さなものにしていくだろう。それは私には耐え難く退屈なものに思えてしまうのである。これはまぁ、気質の問題だから人それぞれで良いのだが、いったんは、自分の可能性にチャレンジしてみることは、一回しかない自分だけの人生を生きる上でいったん大きな意味を持っていると、 私は個人的に思っている。
p98・99
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これは、「失敗することで成長する」というメッセージでもあるが、教師という立場を考えたとき、
「挑戦する姿勢を子供に見せること」
「知的好奇心の素晴らしさを、子供に見せること」
の大切さに直結していると思う。いわば「背中で教える大人」だ。
永田氏は、天才数学者である岡潔の講義を受けた朝永振一郎のエピソードを引用して次のように書いてる。
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◆ 朝永は、岡潔ともう1人の数学者を挙げて、「この両先生の魅力は、自ら情熱を研究にささげているという点にある。その情熱が学生に伝わってくるのである。ときどきは御自身の研究についての話も聞く。若い先生というものは、学生にわからせるというよりも、ご自身の興味に溺れることもあるものだが、これがまたなまいきな学生にはたまらない魅力なのである」と述べている(『わが師わが友」)。
「 みずから研究をささげているという」ことが学生に伝わること、そして「学生にわからせるというよりも、御自身の興味に溺れること」が先生の魅力であることは、何も岡潔に限ったことではないのであろう。
ここには教える内容、今風に言えばコンテンツがまずあって、それを学生に伝えるための仲介者に出するという教師像はまったくない。先生は道具でも機械でもないのである。先生は先生の興味で動いている。もっと言えば、先生は研究にしか興味がなく、その研究への一途さが、若い学生たちにおのずから感染していく。そんな羨ましいような、そして我が身を顧みて恥しいような、講義の原風景がここにはある。p113.114
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技量の高い先生方の授業を受ける際の高揚感と重なった。
楽しそうに授業を展開される先生方の情熱が、たまらない魅力なのだ。
熱中軸で授業を創る、というのは「教師自身の熱中度・ワクワク感」の問題でもある。
授業づくりで迷った時は「おもしろい方から選べ」
なのだと思う。
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