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April 10, 2024

国語の授業は何を教えるべきか?

算数に比べ国語の授業内容は極めていい加減で、やってもやらなくても誰も困らないようなところがある。

それは、指定された教材の読み取りに終始するあまり、汎用的な国語の力の読み取りが疎かになっているからだ。

国語の授業内容を考えるにあたり、指針となるのは向山先生の主張だ。

「楽しい国語 授業の法則」より引用する。

◆私は「懇切丁寧」な文章の読みとりを指導したことがない。

たとえば、一段落ぐらいの文章の意味を調べ、解釈を加えていくという授業は、普通に見られることであろう。一段落が終了したら、次の段落へすすみ、全体の意味を把握させる。このような授業はどこにでも見られる。どの本にも書いてある。つまり、全国すみずみに行き渡っている国語の方法なのである。国語の授業の主流なのである。

・・・いわゆる「段落ごとに読みとる」というやつだ、全体ー部分ー全体の「三読法」とも言える。このような授業をしたことがないと言われる。

◆「あたり前の言葉を、あたり前の言葉に置きかえるだけの、表面をなぞるだけの国語の授業を私はしたことがない」とも言われる。

◆「わかりきったことをきく」「言葉の置き換えにすぎない」「思いついたままの感想を発表をする」という、フニャケタ国語の授業が、「国語嫌い」の子をつくってしまっている。

 だから「日常生活の中では身につけることができないことを学ばせたい」「自然に放置していては、決してできないことを教育したい」

と主張する。

 内容は、著書の中で次々に紹介されており、そこを引用したら際限がない。

 限られた時間の中で「あたりまえのこと・わかりきったこと」を指導をしている暇はない。

 キーワードは「汎用的な読みの力」である。

 

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