2007年の10月23日、広島の向原小学校の文部科学省指定開発校の研究発表会において、
フィンランドの教育を日本に紹介した北川達夫氏の講演が行われた。
その時の内容を、自分の「学び」として、再構成したファイルが見つかった。
北川氏の発言部分に伝聞の「そうだ」を付けると、かなり煩雑になるので省略する。
講演とは全く別に自分が想起した事例等は、(注)の形で付記をする形でまとめてある。
1、「国際化」の意味
国際的な人間関係を築くことは次の2点を意味する。
(1)異文化の自覚
(2)自分の常識の否定
海外へ行くと自分の常識が通じないことがある。
外国人には自分の文化が通じないことがある。
自分(の行為や思考)が正しいとは限らない。
これが「地域社会」だけで人間関係を築けばよかった時代との大きな違いである。
北川氏はコミュニケーションの3分類として、次の3つを提示した。
=================
1 個人的コミュニケーション
2 地域的 〃
3 国際的 〃
=================
コミュニケーション能力を高める実践というのは、1・2・3を網羅させなくてはいけないだろう。
(注)日本の中でも自分たちの常識が他府県で通じないことは多い。方言などはその典型である。
したがって2は常識が通じ、3は常識が通じないという単純化は難しい。
2の「地域〜」が拡大する中で、同じ日本であっても、
3の「国際的〜」と同じような意識で対応せざるを得ないケースもある。
2 「生きる力」=「コミュニケーション能力」の意味
昔から言われる基礎学力(読み書き計算=3R)は、「将来、1人で生きていくために(1人立ちしていくために)」必要な能力。
しかし、大人になるというのは、1人で生きていくことではない。
社会(集団)の中で暮らしている以上、「他人と生きていくために(他者と共同・協働していくための)必要な能力も求められる。
つまり「社会を生きる力」は、他人を説得する力や・自分をきちんと伝えていく(自己PRする)力であり、
結局、それがコミュニケーション能力なのである。
3 「生きる力」=「読解力・論理力」の意味
フィンランドにおける読解力(PISA型読解力)のステップは次のようになっている。
=====================
1 問題の認識
2 問題の分析
3 解決策の模索
4 解決策の決定
======================
このステップは、あらゆる社会事象を処理する際のステップである。
だからこそ、読解力=問題解決能力=生きる力 なのだ。
4 「15才の国際調査」の意味
ヨーロッパでは16才が精神的自立、18才が経済的自立と言われている(日本もそれに近い)
15才までに社会事象に対する処理能力(=生きる力=PISA型読解力)を身につけさせねばならない。
だからこそ、15才を対象にした国際調査が行われている。
5 「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本
「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本は「相手意識」だ。
「相手意識」=相手が納得するように論理を組み、表現することが求められている。
「理屈ではわかるが、承服できない」という状況は望ましくない。
どんなに論理的でも、本人(相手)が納得しなければダメ。
小泉首相は、表現の正しさ・論理の正しさより、相手に伝わる言葉を優先した。
6 「内心の自由の保障」と「読解指導」の関係
1でも述べたように国際社会では自分の常識が通用しないことがある。
それは「何が正しいか誰にも決められない」ということを意味し、
「誰がどんな主張を持っても認められる」という「内心の自由」が保障されること意味する。」
(ただし、自分の主張を表に出せば、その社会的責任は自分が背負わなくてはいけない)
内心の自由が保障されるということは、
①各自の意見の正否は検証できない(誰が何を考えようと自由)
②事実の正否は検証できる
③事実と意見の整合性=論理の正否は検証できる
①②③の典型的な事例がPISA読解調査における「落書き」の問題だ。
「落書き」に対する賛成派・反対派の意見を聞いて、「自分の考えは別として、どちらの意見の主張の仕方を支持するか」を問うていた。
「落書き」を擁護することは日本の倫理や常識(法律)では考えられないが、「落書き」を擁護する側の論理を検証(評価)することは可能なのである。
7 フィンランドの読解教育で習得する基本技能
================
1 推論
(1)結果から原因 なぜ〜をしたのか
(2)原因から結果 次に何が起こるだろうか
2 評価
(1)自他の比較対照
(2)自己移入(empathy)
================
1(1)の、「なぜ(ミクシ)」がフィンランドの教科書でよく用いられている。
それと対応する1(2)の「次に何が起こるか」は新鮮だった。
もちろん、(1)の現在に至った原因の究明する分析力も大事だが、
(2)の現状認識から未来を展望する洞察力と一体となって「生きる力」となっていることは
ごく当然のことだ。
2の(1)の「自他の比較対照」とは「自分の考えを自分で評価していく」ことで、
「自分の考え方が他者と比べてどうなのか」である。
・おおむね、みんなと同じ考えだ
・自分はみんなとずいぶん異なった考えをしている
・自分とは異なる意見が存在するんだ
と自己理解することだ。
個人的には
「メタ認知」=自己の客観的な認知
と同じことではないかと思いながら聞いていた。
2(2)の自己移入は
「もしあなたが主人公だったら」という問いは、歴史や公民でも用いる問いで
「もし自分がナポレオンだったらどうしたか、史実をきちんと踏まえて述べる」
「もし、あなたが被害者の立場だったらどうするか、事実や法律をきちんと踏まえて述べる」
のように応用できる。
「相手の立場にたって考える」方法については
①感情移入(sympathy)
相手の気持ちを考える・登場人物になりきって気持ちを考える
②自己移入(enpathy)
相手の状況を客観的に分析し、自分だったらどう感じるか(どうするか)を考える
の2つがあり、
①の感情移入は、相手の文化や常識が理解できる「地域コミュニケーション」のために重要で、
②の自己移入は、相手の気持ちまで理解できない「国際的コミュニケーション」のために重要である。
文芸研の用語で言うと①が「内の目」、②が「外の目」ということになるだろう。
1の(1)(2)も、2の(1)(2)も、読解教育で習得する基本技能だが、まさに社会的な対応力・実践力・応用力であることが分かる。
読解指導(論理的思考)が社会人になるために必要な能力の基礎であることがよく分かる。
8 「生き方」を学ぶ=「哲学」を学ぶ=「論理」を学ぶ
北川氏はヨーロッパのヘルシンキ大学に入学した時、まず「哲学」の勉強をさせられた。
フィンランドでは高校で「哲学」を学ぶ。「論理科」は「哲学科」で学ぶ。
「哲学」=「生き方」の基本の部分に、対話法・修辞法・弁証法のような論理学がある。
それは、相手に、いかに自分の考え(正しい生き方)を伝えるか、説得するかが「哲学」の根本にあるからだ。
哲学が全ての学問の基本にあった事実を考えると、
「生きる力を学ぶ」基本が「論理を学ぶ」であるとスムーズに理解できる。
Recent Comments