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May 21, 2024

「新学力観に即した授業」

「新学力観に即した授業」を語るには、やはり堀田先生の解説は貴重。

ストックしてあるものを改めて読むと、以前とは違うところに注目する自分に驚いたりする。

「教育家庭新聞」202266日は、今でもWEBで閲覧できるので、ありがたい。

https://www.kknews.co.jp/post_ict/20220606_3a

 

「個別最適な学び」キーワードは「自己決定」「自己調整」「相互啓発」

 

・・・「個別最適な学び」が「指導の個別化」と「学習の個性化」という点は以前も注目していたが、タイトルにある「自己決定」「自己調整」「相互啓発」には、当時あんまり引っかからなかった。「相互啓発」は「他者参照」とセットだなと今なら思う。

 

次の箇所は、当たり前な方針なのだけれど、現場ではなかなか具現化できていない。

 

学校での授業も「教員の話を聞いて終わる」授業から、「学び取ることの喜びを獲得できる授業」としていかなければなりません。そのために必要な学びの環境として、端末やネットワークが配備されました。

 

◆学んだ結果としての学力だけではなく、学ぶ意欲と学ぶスキルが求められます。学び続ける意思、自分の学びを自ら組み立てる力、あふれる情報をうのみにしない力、議論や対話を通してより良い納得解を構築できる力です。

 

◆日々、自ら調べて話し合いしながら考えを深めて納得解を見出す学習経験を経た子供とそうでない子供では、「考える」「関連付ける」スピードが変わります。

 

「主体的・対話的で深い学び(旧アクテイブ・ラーニング)」と言われながら、「習得」至上主義のような授業が現場では多い。

逆に新学習指導要領が出た時の勢いがトーンダウンし、教え込む授業が横行しているように思う。

端末が「効果的に教え込む」ツールになっている場面も目にする。

 

別の講演記録では、次のように指摘している。

https://www.kknews.co.jp/post_ict/20220502_8c

 

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May 17, 2024

2007年に何を学んでいたか?

2007年の10月23日、広島の向原小学校の文部科学省指定開発校の研究発表会において、
フィンランドの教育を日本に紹介した北川達夫氏の講演が行われた。
その時の内容を、自分の「学び」として、再構成したファイルが見つかった。
北川氏の発言部分に伝聞の「そうだ」を付けると、かなり煩雑になるので省略する。
講演とは全く別に自分が想起した事例等は、(注)の形で付記をする形でまとめてある。

1、「国際化」の意味
 国際的な人間関係を築くことは次の2点を意味する。
(1)異文化の自覚
(2)自分の常識の否定

 海外へ行くと自分の常識が通じないことがある。
 外国人には自分の文化が通じないことがある。
 自分(の行為や思考)が正しいとは限らない。
 これが「地域社会」だけで人間関係を築けばよかった時代との大きな違いである。
 北川氏はコミュニケーションの3分類として、次の3つを提示した。
=================
1 個人的コミュニケーション
2 地域的 〃
3 国際的 〃
=================
 コミュニケーション能力を高める実践というのは、1・2・3を網羅させなくてはいけないだろう。


(注)日本の中でも自分たちの常識が他府県で通じないことは多い。方言などはその典型である。
 したがって2は常識が通じ、3は常識が通じないという単純化は難しい。
2の「地域〜」が拡大する中で、同じ日本であっても、

3の「国際的〜」と同じような意識で対応せざるを得ないケースもある。

2 「生きる力」=「コミュニケーション能力」の意味
 昔から言われる基礎学力(読み書き計算=3R)は、「将来、1人で生きていくために(1人立ちしていくために)」必要な能力。
 しかし、大人になるというのは、1人で生きていくことではない。
 社会(集団)の中で暮らしている以上、「他人と生きていくために(他者と共同・協働していくための)必要な能力も求められる。
 つまり「社会を生きる力」は、他人を説得する力や・自分をきちんと伝えていく(自己PRする)力であり、
 結局、それがコミュニケーション能力なのである。

3 「生きる力」=「読解力・論理力」の意味
 フィンランドにおける読解力(PISA型読解力)のステップは次のようになっている。
=====================
1 問題の認識
2 問題の分析
3 解決策の模索
4 解決策の決定
======================
 このステップは、あらゆる社会事象を処理する際のステップである。
 だからこそ、読解力=問題解決能力=生きる力 なのだ。

4 「15才の国際調査」の意味
 ヨーロッパでは16才が精神的自立、18才が経済的自立と言われている(日本もそれに近い)
 15才までに社会事象に対する処理能力(=生きる力=PISA型読解力)を身につけさせねばならない。
 だからこそ、15才を対象にした国際調査が行われている。  
 

5 「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本
 「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本は「相手意識」だ。
 「相手意識」=相手が納得するように論理を組み、表現することが求められている。
 「理屈ではわかるが、承服できない」という状況は望ましくない。
 どんなに論理的でも、本人(相手)が納得しなければダメ。
 小泉首相は、表現の正しさ・論理の正しさより、相手に伝わる言葉を優先した。

6 「内心の自由の保障」と「読解指導」の関係
 1でも述べたように国際社会では自分の常識が通用しないことがある。
 それは「何が正しいか誰にも決められない」ということを意味し、
 「誰がどんな主張を持っても認められる」という「内心の自由」が保障されること意味する。」
 (ただし、自分の主張を表に出せば、その社会的責任は自分が背負わなくてはいけない)
 内心の自由が保障されるということは、
①各自の意見の正否は検証できない(誰が何を考えようと自由)
②事実の正否は検証できる
③事実と意見の整合性=論理の正否は検証できる

 ①②③の典型的な事例がPISA読解調査における「落書き」の問題だ。
 「落書き」に対する賛成派・反対派の意見を聞いて、「自分の考えは別として、どちらの意見の主張の仕方を支持するか」を問うていた。
 「落書き」を擁護することは日本の倫理や常識(法律)では考えられないが、「落書き」を擁護する側の論理を検証(評価)することは可能なのである。

7 フィンランドの読解教育で習得する基本技能

================
1 推論 
(1)結果から原因 なぜ〜をしたのか
(2)原因から結果 次に何が起こるだろうか
2 評価
(1)自他の比較対照
(2)自己移入(empathy)
================
1(1)の、「なぜ(ミクシ)」がフィンランドの教科書でよく用いられている。
それと対応する1(2)の「次に何が起こるか」は新鮮だった。
もちろん、(1)の現在に至った原因の究明する分析力も大事だが、
(2)の現状認識から未来を展望する洞察力と一体となって「生きる力」となっていることは
ごく当然のことだ。

2の(1)の「自他の比較対照」とは「自分の考えを自分で評価していく」ことで、
「自分の考え方が他者と比べてどうなのか」である。

・おおむね、みんなと同じ考えだ
・自分はみんなとずいぶん異なった考えをしている
・自分とは異なる意見が存在するんだ
と自己理解することだ。
個人的には
 「メタ認知」=自己の客観的な認知
と同じことではないかと思いながら聞いていた。

2(2)の自己移入は
「もしあなたが主人公だったら」という問いは、歴史や公民でも用いる問いで
「もし自分がナポレオンだったらどうしたか、史実をきちんと踏まえて述べる」
「もし、あなたが被害者の立場だったらどうするか、事実や法律をきちんと踏まえて述べる」
のように応用できる。
 「相手の立場にたって考える」方法については

①感情移入(sympathy)
 相手の気持ちを考える・登場人物になりきって気持ちを考える
②自己移入(enpathy)
 相手の状況を客観的に分析し、自分だったらどう感じるか(どうするか)を考える

の2つがあり、

①の感情移入は、相手の文化や常識が理解できる「地域コミュニケーション」のために重要で、
②の自己移入は、相手の気持ちまで理解できない「国際的コミュニケーション」のために重要である。
文芸研の用語で言うと①が「内の目」、②が「外の目」ということになるだろう。

1の(1)(2)も、2の(1)(2)も、読解教育で習得する基本技能だが、まさに社会的な対応力・実践力・応用力であることが分かる。
読解指導(論理的思考)が社会人になるために必要な能力の基礎であることがよく分かる。

8 「生き方」を学ぶ=「哲学」を学ぶ=「論理」を学ぶ

北川氏はヨーロッパのヘルシンキ大学に入学した時、まず「哲学」の勉強をさせられた。
フィンランドでは高校で「哲学」を学ぶ。「論理科」は「哲学科」で学ぶ。
「哲学」=「生き方」の基本の部分に、対話法・修辞法・弁証法のような論理学がある。
それは、相手に、いかに自分の考え(正しい生き方)を伝えるか、説得するかが「哲学」の根本にあるからだ。
哲学が全ての学問の基本にあった事実を考えると、
「生きる力を学ぶ」基本が「論理を学ぶ」であるとスムーズに理解できる。

 

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履修型の漢字練習では・・・

ある学校の3年生は、せっかく「あかねこ漢字スキル」を使っているのに、ユースウエアに沿っていない。
先日、本番テストを行なっていたが、全体的に点数が低かった。
「めざせパーフェクト」のプレテストのページがあるのに、機械的に取り組んでいるから、本番で100点取ろうというチャレンジ意識に乏しい。
3年生だから、そんなにテストにガツガツしなくても構わないが、
========================
テスト前日は、自分なりに準備してほしいし、
テスト直前は、最終確認してほしいし、
テスト直後は、合ってたかどうかスキルで確認してほしい。
=========================
それらは教師の盛り上げ方次第。
めざせ100点が難しい状態なら、80点でもいい。
とにかく、クラス全体でテストに臨む姿勢を形成してほしい。
今は、毎日の漢字練習の際、空書きや指がきをさせても、「覚えるまで練習する」という習得型で取り組んでいない。
言われたからやっているだけの「履修型」だから、頭の中では別のことを考えながら練習しているかもしれない。
========================
「覚えるつもりで練習する。覚えるまで練習する」
========================
という気概が足りない。
しかし、それは、「覚えるまで練習したら100点だった」という成功体験がないからかもしれない。
あかねこ漢字スキルは、1問につき漢字の出題箇所は1箇所。他の漢字ドリルのように1問につき3箇所も4箇所も漢字を書かせない。
だから、出題箇所の漢字練習にをきちんと取り組めば点を取れるようになっている。
せっかくの「あかねこ漢字スキル」で漢字を完全習得させ、漢字好きにさせてほしいなあ。

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May 16, 2024

支援を要する子に、どう対応するか?

「教育トークライン」2022年5月号。
井戸砂織先生の論稿に中に向山先生の言葉がある。
◆「子どもをああしよう、こうしようなんていい迷惑だ。子供はそのままでいいんだよ」
 向山先生の語録には「子どもの姿をそのまま受け入れよ」ともある。
 言葉は難しい。
 この向山先生の言葉だけを真に受けたら、「指導なんて傲慢だ。指導なんてしなくていいんだ」と捉えかねない。
 しかし、向山先生の言われる「子供はそのままでいい」は、「何もしない」とは全く意味が違う。
 向山先生の「そのままでいいんだよ」は、その子の良さを見つけ、認め、引き出してやる努力を続くけることを意味している。
 そのことを細井平洲の言葉を引用して述べている。
「教育とは、菊好きの人間が菊を作るようにしてはならない。百姓が野菜や大根を作るようにすべきだ。」
 菊を育てる人は、自分の理想の形に合わないものや欠点のあるものを摘み取ってしまう。
 自分の好み通りになるように、あれこれ手を加えて、その中で1つだけ選んで大輪に仕上げていく。
 一方、農民は欠点のある野菜・形の悪い大根を捨てたりしない。
 教育は、野菜作り・大根づくりのように相手を受け入れ、手を差し伸べることが大切だと述べている。
 まさに「個別最適な指導」だ。
 子供を自分の思い通りにしようというのは思い上がった態度だ。
 だからといって「放置していい」というわけではない。
 「子供をそのまま受け入れ手を差し伸べる」という教育は、「あれこれ指導する」よりも、もっと難しいのだと思う。
 同号では、小嶋先生が、その子の短所が発露しないように策を練ることを書いている。当然、そのような配慮も必要である。
 子供の支援・子供の指導を、もっともっと具体的に考えていきたい。
 空虚なきれいごとを言ってるだけでは何も変わらないからだ。
 「神は底部に宿り給う」である。
以下は、正確な引用
===============
『続・授業の腕を上げる法則』
授業の原則(技能編)八カ条
第1条 子どもの教育は菊を作るような方法でしてはならない。
「一人一人のことを子供を大切にする」という言葉がある。
この言葉の意味を、うっすらと理解するのに5年はかかるだろう。
今まで、何ということもなく使っていた言葉に「そうだったのか!」と新発見をするような、感動を伴った理解を得ることである。
私は5年かかった。
この言葉を見直すことができて、セミプロの入り口だろう。
「一人一人の子供を大切にする」というのは、「全員発言させる」「全員百点をとらせる」ということだけを意味するのではない。
 また、「全員をできるようにさせる努力」を抜きにして「できなくてもいいよ」などと、のん気になぐさめるようなことを意味するのではない。
(中略)
「子供を育てる」と言うのは、百姓が一本一本の野菜を大切にして育てるように、大小不揃いであっても、それなりに一株一株を大切にして育てるようにすべきなのである。
===================

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「さしすせそ」ではなく「あいうえお」

新しい光村の道徳の教科書。
3、4年には「あいうえお」のページがある。
気持ちよく話し合うためのコツ
ああ、
いいね、
うんうん、
へえー、
おおー
「さすがだね、知らなかったな、すごいね、先生みたい、そうなんだ」の褒め言葉の「さしすせそ」に比べてシンプルだ。
ただし、その分、大袈裟感がない。
私は昨年 SSTの研修で、この「あいうえお」を知った。
さすが教科書会社、良いものを取り入れるのが早い。
教室掲示してもいいページである。
に隣にはグループの話し合いの例が示されている。
週に1回、道徳の時間が話し合い訓練の時間にできたら、いいなと思う。
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道徳の教科書でも「列挙ー分類・整理」のトレーニング課題

光村の道徳教科書の冒頭。
何げなく読み飛ばしていたが、
各学年で
(1)どんな時に○○と思うか考えてみよう。
(2)グループで意見交換してみよう。
(3)たくさん列挙してみよう(15個集めてみよう)
(3)列挙した意見を、道徳の20項目に当てはめて整理してみよう。
という課題が示されていた。
「話し合い」「ブレーンストーミング」「思考整理」「討論」「最終弁論」
などを、週1回の道徳の時間にトレーニングできたらいいなと思う。
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熱心な無理解者

発達障害などについて、「無理解・誤解・理解不足」な状態にもかかわらず、熱心に積極的な指導を繰り返し、かえって当事者の状態を悪化させてしまう人を「熱心な無理解者」と呼ぶ。(中略)

熱心な無理解者は、熱心であるがゆえに自らのかかわり方を振り返るのが難しい。自分の信念を変えることができず、個人の思いがひとり歩きしてしまう前に、客観的な立場からのコンサルーションが必要になる。

月刊「実践みんなの特別支援教育」2024年6月号 P27.28

・・・耳に痛い指摘だ。

◆その由来は、児童精神科医であった故・佐々木正美氏が講演の中で、発達障害がある子どもを、大人の都合で「直そう、正そう、変えよう」つぃて、結果的に二次障害のきっかけを作る教師を「熱心だが無理解な最悪の例」と解説したこと P27

 

とあるが、特別支援教育でなくてもアルアルだ。

そして、自分が「熱心な無理解者」になっていないかを、しっかり検証せねばと思う。

「自分は間違っていない・自分こそが正しい」という強固な認知バイアスがないか。

とにかく、謙虚に学び、情報を広く深く取得していくしかない。

 

 

 

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個が埋没しない授業・孤立しない授業

(1)「協働的な学び」の注意点

======================

「協働的な学び」においては,集団の中で個が埋没してしまうことがないよう,「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげ,子供一人一人のよい点や可能性を生かすことで,異なる考え方が組み合わさり,よりよい学びを生み出していくようにすることが大切である。

「協働的な学び」において,同じ空間で時間を共にすることで,お互いの感性や考え方等に触れ刺激し合うことの重要性について改めて認識する必要がある。

「令和の日本型学校教育」の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと, 協働的な学びの実現~(答申)

令和3126日 中央教育審議会 P18.19

https://www.mext.go.jp/content/20210126-mxt_syoto02-000012321_2-4.pdf

 

・文科省のサイトに示された資料は膨大で、よく似た資料も多いので、うっかり見逃すとなかなか再発見できない。

本当はスライド資料を探していたのだが・・・。

今回、この「協働的な学び」で注目したのは、冒頭「集団の中で個が埋没してしまうことがないように」の箇所だ。

 

◆せっかく同じ空間で時間を共にするのだから,お互いの感性や考え方等に触れ、刺激し合うべきだ。

◆だから、集団の中で個人を埋もれさせてはいけない。

 

という主張が読み取れる。見た目の「協働」にとらわれてはいけないという意味だ。

 

A】協働的でない授業

=同じ空間にいるのに、黙々と個人作業させている授業

・・これはダメ

B】協働的に見えて協働的でない授業

=話し合いをさせていても、結局、自分の主張を言い合うだけの授業

・・これもダメ。

C】協働的に見えないけれど、実は協働的な授業

=黙々と個人作業をさせているように見えて、しっかり他者参照を促している授業

・・これはアリ。

 

C】に見える【A】が推奨されてもいけないし、【A】に見える【C】が否定されてもいけない。

理想形は「お互いの感性や考え方等に触れ、刺激し合い、集団の中で個人が埋もれない」状態だ。

 

 (2)「個別最適な学び」の注意点

さて、中教審答申には「個別最適な学び」の注意点も、次のように(とても分かりにくく)書いてある。

======================

「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥らないよう,これまでも「日本型学校教育」において重視されてきた,探究的な学習や体験活動などを通じ,子供同士で, あるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら,あらゆる他者を価値のある存在として尊重し,様々な社会的な変化を乗り越え,持続可能な社会の創り手となることができるよう,必要な資質・能力を育成する「協働的な学び」を充実することも重要である。

前掲書P18

=====================

 一文が長くてとても分かりにくいが、こちらも冒頭に「孤立した学びに陥らないように」と明記してある。ここだけ読み取ればもういい。

 これで,先に書いた「協働的な学び」の注意点とセットになる.

 

「個別最適な学び」は、「孤立した学び」に陥らないように。

「協働的な学び」は、集団の中で「個が埋没」してしまないように。

 

 協働的な学びを実現するのに「黙々とタブレット」が不適切なことは容易に想像できる。

 一方、個別最適な学びを実現するのに「黙々とタブレット」では不適切だという。

その理由は読み取りづらいが、

 

「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥ると、他者を尊重したり、他者と協働的に学んだりすることができなくなる

 

ということだろうか。

 繰り返すが、「個別最適な学び」だからと言って「孤立した学び」であってはならない。

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May 15, 2024

GW明けから、「魔の6月」対策へ

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スライドは肯定的な内容の提示。
例えば、逆の教室だったらどうなるか。
①笑いのない氷のような教室
②互いに足を引っ張り合う意地悪な教室
③失敗を非難したり嘲笑したりするいたたまれない教室
④全員の活躍の場がない不平等な教室
(優等生だけが活躍するエコひいきな教室)
⑤努力が報われない・努力が評価されない惨めな教室
⑥毎日かわりばえのしない退屈な教室
・・・「こんな教室は嫌だな」とは思う。
だが、マイナスなワードばかり印象に残るのは望ましくない。
 ならば、ここで触れた
「氷のような」「いたたまれない」「不平等な」「惨めな」
のような修飾語をポジテイブなワードに書き換えようか。
 例えば、次の太字のような修飾語を考えさせるのだ。
================
①笑いのたえない、(明るい)教室
②互いに認め合い助け合う(協力的な)教室
③失敗を受け入れる(やさしい)教室
④ 活躍の場がある(チャンスをくれる)教室
(やる気のみなぎる)教室
⑤ 努力が報われる(自己肯定感の上がる)教室
 (充実した)教室
⑥初耳・初体験が多い(毎日が新鮮な)教室
===================
・・・自分ごととして考えさせるなら、
ただ読ませるだけでなく
カッコの中を入れるとよかったと反省しています。
 
本当にそれをやりたかったら、他を削ってでもやるべきだったのです。
こういう場面で各自の言葉で考え意見交換することが「協働的な学び」なのだから。

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書くことに慣れる

アウトプットが学習評価の対象になるのだから、とにかく書いて出してもらわないと苦しい。
「提出しなくてもいいや」
「もう諦めた」
という後ろ向きな子供の気持ちを受け入れてしまうと、本人が一生困る(損をする)。
書けないよりは少しでも書いた方がいいし、
どうせ書くなら少しでも長く詳しく書けた方が評価は高い。
とはいえ
「頑張れよ」
「たくさん書けよ」
と言えば書けるわけではない。
それは無内容で空虚な激励にすぎない。
だから、例えば、次のような手立てを考える。
===============
◆毎日少しずつでも書かせる。
◆書いたら、提出させ、ちゃんと先生がチェックする。
◆これまでのノート・プリントを参考に書かせる。
◆書けている子の作品を紹介する。
◆見本となるような作品を紹介する。
◆書き出しや話型を示す。                              
「よかったところは~」
「面白かったところは~」
「一番工夫したところは~」など。
◆教科書見本のよいところを真似する。
===============
・・・繰り返すが、「出さなくてもいい」という学級の雰囲気があってはならない。
そこは、この時期の教師と子供の根比べなのだ。

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May 11, 2024

「スーホの白い馬」の授業改善

ある先生の授業を参観した際の感想を元に、どんな授業が仮想QAを加えながら考えてみた。

Q:本時の最初にみんなで一文交代読みを行ったのはよかったですか?
A:よかったです。

冒頭で「音読」をさせることは、効果的。

本時の関係部分の読みを省略して内容の読み取りを始めるクラスがあるが、読みは大事。

特に音読。読みが足らない子は、先生の問いに即答できるほどに内容を覚えていない。

そもそも暗記した知識を問うているわけではないから、本時の冒頭で子供のスタートラインを揃えておくとよい。

 

Q: 目当ての設定で迷っています。どんな課題がよかったでしょうか?

A:板書に書いた課題が長かった。

「白馬がにげ出しスーホのところにもどってきたところのスーホと白馬のようすを考えよう」は長い。

文末に 「考えよう」とあるが、これでは行動目標としてあいまいである。

学習課題は、もっと具体的であるべきだ。そしてルーブリックで規準を示すべきだ。

授業を見ていて、本時でやりたかったのは次のことだったと推察した。

スーホと白馬の行動と心情を整理して、感想を書こう。

白馬が死ぬまでの行動を順に整理して、感想を書こう。

 

Q:最後に感想を書かしたら、「かわいそう」ばかりになってしまいました。どうしたらよかったでしょうか?

A:そりゃ、そうだ。白馬が死んでしまうこの場面の読後感が「かわいそう」になるのは自然。

だから、「どこがどうかわいそうなのか」「なぜかわいそうなのか」をきちんと書かせて合格にする。

そこまで書けていない一言感想は合格にしないという教師の強い意志が大事。

もちろん、自分では表現を思いつかない子もいるだろうから、相互共有して真似させればよい。

ここで「なぜ、そこまでして白馬は戻ってきたのだろう」と問うたところで「スーホが大好きだから」 ぐらいが出るだけで、深まることはなさそう。

 

Q:ストーリーに沿って白馬の気持ちを聞いたら、どこも「早くスーホーに会いたい」でした。どうしたらよかったでしょうか?

A:そりゃ、そうだ。白馬は命懸けでスーホーに会おうとしたのだから、「早く会いたい」は当然。

◆おそろしいいきおいではねあがった。
◆風のようにかけた。
◆矢がささっても、走り続けた。

と、どの部分も「スーホに会いたい」になってしまう。

逆に言うと、

今日読んだ場面で、白馬が「はやくスーホに会いたい」という白馬の気持ちが伝わってくる部分を3か所以上抜き出してみよう、

と問えば、 どの子も「探す」活動に集中できる。

Q:白馬の気持ちを聞いているのに、「かわいそう」と反応した子がいて、ダメ出しをしてしまいました。どうすればよかったでしょうか?
A:これは、西郷文芸学で言うところの「内の目(同化)」と「外の目(異化)」の混同。
「白馬はどんな気持ちか」を考えるのは、作中人物への同化体験。なりきり体験。

「そんな白馬の様子を読んで、あなたはどんな気持ちか」を考えるのは、人物への異化体験。一歩離れた所から見る体験。

 この2つの「どんな気持ち」の区別は、とても大切。「良い間違えだね」と確認するいいチャンスだった。

 

Q:挙手指名発表の流れで、よかったでしょうか?
A:T-C繰り返しの授業だった。

書いてあることを確認する簡単な問いだから元気よく子供たちは答えたがる。

しかし、問いに広がりがないので、T-C の一問一答の授業になった。

◆先生の大きな問いに、多様なC が出る授業。

◆子ども同士の C で議論される授業。

というように子供の発言で回る授業があってもいい。

授業中の発言の大半を子供に譲り、教師の出番を減らしていけないだろうか。

◆一斉授業ではなく

・ペアで意見交換する ・ホワイトボードを使って話し合う ・付箋を使って話し合う

◆先生が説明するだけでなく
・生徒が説明する ・立場を決めて議論する ・ポスターなどを作成して発表する 

平成27年教育課程部会国語ワーキンググループ資料10 「国語科に関する資料」より

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/068/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/12/11/1365189_1.pdf

 

なお、板書を写すことを目的としたノートづくりも、受け身になりやすいので注意したい。

先生自身が、板書に子供の意見をまとめて満足しても困る。

板書は子供が思考する方向(きっかけ)を示すものであってほしい。

=================
◆ 「ノートは自分の考えを書くもの」という価値観を提示する。考えを書いたノートを提示し、「自分の考えを書くもの」という発想を引き出すようにする。

◆ 板書をそのまま写しているだけでは、子供たちの力は伸びない。また、話し合いの時に教師がまとめている板書を写すだけに精一杯で、発表しないのなら本末転倒である。板書内容から自分なりのノートを作るようにしたい。

「新版学力のつくノート指導のコツ」佐藤正寿著(学陽書房)2013

=================

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子供を見取る2つの観点

いかなる学習にとっても大切なのは、「ていねいさ」と「持続性
向山洋一全集12巻「家庭教育の指針」に書いてある。
「ていねいさ」とは、例えば
◆一字一句間違えないように書き写す。
◆ミニ定規をきちんと使う。
◆途中の式もきちんと大きく書く。
◆ノートはゆったりと「うっとりするほど美しく」 などなど。
「ていねいさ」の大切さを論より証拠で示した場面が、『斎藤喜博を追って』にある。
◆先生の言う通りに計算した吉岡さんは合っていて、簡単だと言って雑にやった6名が間違えた。
「 早くしなくても良い。ゆっくりで良い。計算はいくら早くても間違っては何の価値もない」
「今度はむずかしいぞ。教えてないがよく考えてやれ。習った通りにやればいい」
という向山先生のアドバイスを無視した子供たちは「ていねいさ」を欠いていた。
そういう子は、何をしても中途半端で、雑で、「ウッカリミス」を引き起こすと向山氏は書いている。
 向山先生は次のようにも書いている。
====================
◆こんな謙虚さに欠けた、低級な態度を教室に横行させてはいけない。その本人にとっても不幸なのだ。しかし、こうしたことは、事実で変えていかなければならない。事実で変えていける授業のできる教師にならなければならない。26ページ
====================
 だから、このクラスの子供たちはどうかな?と観察するとき、これまでは「持続性」と「ていねいさ」を見取ることが多かった。
 ただ、学習評価の仕方が変わり、「主体的な学習に取り組む態度」の例の表を見てからは
◆粘り強さ(継続性)
◆自己調整(自分なりの工夫)
の2点で子供を見取るようになった。
 他の先生に説明するのに、この2点だと文科省指定だから納得してもらいやすい。
 逆に言うと、こうやって日常使いをして「自己調整」というワードの認知度を上げないといけない。
 学習場面では、この2つの観点で取り組んでいる子かどうかの差がよく分かる。
 漢字練習や計算練習、体育のマット練習などを「形だけ取り組む履修型」でやっているのか、「結果を出すために取り組む習得型」でやっているのか。
 日常生活の場面でも、この2つの観点で取り組んでいる子かどうかの差がよく分かる。
 当番の仕事などを「言われたことだけやる子・言われたことも十分にできない子」か、「言われた以上に自分で判断してやる子」か。
 「粘り強さ」と「自己調整」って、結局、自分には嘘をつけないことが根底にあると思う。
「それがお前の全力か」
「これ以上できないと言い切れるほどにやり切ったか」
を自分に問い、自分を偽らずに高めていける子が伸びるのだ。
 むろん、自己評価の甘い子もいるから
「いやいや、あなたはもっとできるでしょ」
と言ってあげることも「指導」である。
 
 そう書きながら、毎日の自分の行動も「それがお前の全力か」と言われるとお恥ずかしい限りなのである。
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May 08, 2024

GW 明けは「五月病対策」が最優先

つい先走ってしまう悪い癖。

教務主任以降、先を見越して行動する癖がついた。
自分にとってはいいことなのだが、他人には迷惑なこともある。
4月の年度当初、学級開きしたばかりの段階で、4月後半の授業参観までにクラスづくりと授業ルールをひと段落させるように伝えた。
しかし、それは、とても無謀な要求だ。
明日のこと、この1週間のことで精一杯の初任には、酷なアドバイスだった。
そして、このGW明け。
GW明けでリフレッシュし、リスタートをして欲しかった。
自分にとっての関心事は「魔の6月」対策だったからだ。
でも・・・・
今は「五月病」の防止が最優先。
今朝もテレビで「五月病対策」について報じていた。メーテレの「どですか」。
◆ 新しいことを始めすぎない
◆自分のペースを大事にする
◆スマホを使いすぎない
◆軽い運動などでリフレッシュ
ラッキーアイテムは「使い慣れた込もの」と言っていたような・・。
そうだよね。
「今日」を無事に乗り切らなければ、「明日」はない。まして1か月後はない。
「魔の6月対策」を考える前に、まず「五月病対策」が大事なのだ。
先を見通せる余裕があったら苦労しない。
先を見通した方がいいに決まっているが、それどころじゃない若い先生方の不安と焦りをしっかり受け止めて対応していきたい。
ちなみに、テレビは「次の祝日は7月15日の『海の日』です」と残念なアナウンスをしていた。
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May 06, 2024

「話す」を充実させるために

 学習指導要領(道徳)に「多様な考え方を生かすための言語活動」の項目があり、以下の記載がある。P94

◆自分の考えをもとに書いたり話し合ったりできるようにするためには、話し合いの一定のルールなどを身に付けさせることは必要であるが、日頃から何でも言い合え、認め和える学級の雰囲気をつくるとともに、教師が受容的な姿勢をもつことが大切である。また自分とは異なった考えに接する中で自分の感じ方や考え方が明確になるなど、学習が深まるということを、日頃の経験を通して実感させるように努めることが求められる。
 

・・・ここでは「話し合い」について述べてあるが、続けて「感想を書く」とリンクした記述がある。

◆一方、話し合いとともに、書くことも重要である。児童にとって書くことは考えることであるとも言える。また、そのことによって、それまで曖昧であった自分の考えが整理されたり、日頃は意識していない体験や自分自身の状況を想起したりする。これらの言語活動を道徳科の学習に取り入れることにより、児童は道徳的価値をより強く自分との関わりで捉えることができるようになる。


国語の時間だけでは鍛えられない「書く・話す」の技能を、道徳の時間を有効活用して高めることも想定できる。

週に1回、道徳の時間に、あるお題について

 ①自分の立場を決めて、意見を発表する。
 ②他者の意見を聞いて、相互交流する(議論する)。
 ③再度、自分の意見を再考する(書いてまとめる)。

という場を設定できたら、言語能力は、しっかり向上すると思う。

 かつてNHKで放映された「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授の授業では、次のような流れが印象的だった。

(1)学生の意見を確定させる
(2)論点を整理し、意見を類型化する。
(3)切り返し発問で本音を引き出す
(4)別の事例を提示して学生を揺さぶる
(5)先の場面で発言した人に再度発言させる
  (追いつめる・変容を確認する)

・・・これが、哲学の「対話法」だ。
「主体的・対話的で深い学び」と言われるが、教師がリードしないと対話にならないし、変容を迫ることができない。
 子ども主体の「学び合い」では、切り返しも揺さぶりも難しい。
みかけは活発でも深まらないから「はいまわる学習」と批判されるのだ。

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穴埋めプリントのデメリット

 キーワードだけを残すのは、読み取りに必要な能力だ。

 しかし、新井紀子氏はキーワードだけを残す思考に警鐘を鳴らしている。

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プリント学習は「AI読み」助長する。「徳川家光」と言ったら「参勤交代」「鎖国」とキーワードが出てくるがそれはAIでもできる。
鎖国のときになぜオランダを除いたのか当時の情勢はどうだったのかを考えることがないと、AIには勝てない。

「週刊東洋経済」2019年10月号 p57

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 論理的思考力を鍛える「証明問題」に穴埋め式を持ち込んだことを、芳沢光雄氏は厳しく批判している。

 論点は同じだ。

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 日本の中学校での証明教育の実情はまことに惨憺たる状況である。昭和40年代と比べると、現行(2002年度学習指導要領改訂)の中学校数学教科書の証明問題数は3分の1になってしまった。
 挙句の果てに「証明の全文を中学生に書かせるのはかわいそうだし、試験に出しても点が取れない」などと、同情して、なんと「三角形」だの「平行」だのという単語だけを穴埋め式に書かせるという、まったく日本固有の異常な教育があちこちの中学校で行われているのである

「数学的思考法〜説明力を鍛えるヒント」
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 穴埋めプリントで整理することにメリットはあるだろう。

 しかし、穴埋めで満足していては、思考力は育てられない。

 新井紀子氏は「機能語」という言葉を使って、次のように述べている。

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「教科書が読めてない子がたくさんいる、ということです。文章を読んでいるようで、実はちゃんと読んでいない。キーワードをポンポンポンと拾っているんです。○○と○○と○○という言葉が出てきたら、こんなもんだろう、というような。『……のうち』とか『……の時』『……以外』といった機能語が正確に読めていない。実は、それはAIの読み方に近いんです。

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 キーワードだけにこだわると、細かな語を見過ごしてしまう。集合でいうところの「かつ」「または」「全ての」などの概念をおろそかにすると、法規や契約書では大変なことになる。致命的だとも言える。

①「でない」②「かつ」③「または」④「ならば」⑤「同値」⑥「満たす、存在する」⑦「全ての」

 新井紀子氏は『数学は言葉』の中で、数学で用いられる基本的な論理結合子は次の7種類で、他の論理結合子は、この7種類を組み合わせれば表現できるという。

 穴埋めのキーワードの外にある助詞や助動詞、修飾語(機能語・論理結合子)をふまえてキーワードを理解しないと、真の理解にはならない。

 

書棚から新井紀子氏の「AI VS 教科書が読めない子どもたち」を引っ張り出して確認した。

◆小学校のうちからデジタルドリルに励んで、「勉強した気分」になり、テストでいい点数を取ってしまうと、それが成功体験になってしまって、読解力が不足していることに気づきにくくなります。中学校に入ってもデジタルドリルを繰り返せば、1次方程式のテストで満点が取れて、英単語や漢字は身につきますから、そこそこの成績は取れるはずです。ところが、受験勉強に向かい始める中学3年生になると、なぜか成績が下がってしまう。
 本人は薄々気づいているはずです。「なんだか学校の先生が言っていることがわからない」、「教科書は読んでもわからない」・・・。けれども、どうしてよいかわかりません。だから余計にデジタルドリルに没頭してしまいます。
 東ロボくんに散々「ドリル」をさせた私は自信を持って言います。読解力を身につけない限り、そこから先の成績は伸びません。
(中略)
 問題文に出てくる数字を使ってとりあえずなんらかの式に入れて「当てようと」してしまう。なぜそんなことをしてしまうのか?フレームを決めざるを得ないデジタル教材の最も効率の良い解き方だからです。(p230/231)

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210×0.6で求められる式


平成19年の小学校学力調査で、答えが210×0.6で求められる文章題を1つ選ぶ設問があった。

正答率54.3%だったのが以下の問題。大人から見れば簡単です。

◆1mのねだんが210円のリボンを0.6m買いました。
 リボンのねだんはいくらでしょう。


誤答30.1%で誤って選択されたのが以下の問題。

◆赤いテープの長さは210cm。
赤いテープの長さは白いテープの0.6倍です。
白いテープの長さは何cmでしょう。

設問に「倍」という表現が含まれることから乗法と判断した誤答だと考えられる。
自分が分かるように問題文を正しく置き換える力がほしい。


長さ210cmの赤いテープの0.6倍が白いテープ?cm

白いテープ?cmの0.6倍が、210cmの赤いテープ。


「?cmの0.6倍が210cm」という問題文の構造が分かれば、210×0.6の立式はない。

さて、これは「知識・技能」の問題か、それとも「思考・判断・表現力」の問題か。

思考させています。

だからと言って、「知識_技能」が全く思考を伴わないわけではない。

平成19年は学力調査問題がABに分かれており、これはA問題。

よって、これは「知識・技能」型。

巷の教室では、このレベルの問題を「思考」で評価しているような気がする。

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「事実」ですか、「意見」ですか?

たまたま見ていたサイトで、クリテイカルシンキングについての記載があった

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「事実」と「解釈」の違いを話し合う
例えば、「今日の給食は煮魚だったよ。美味しかった」と報告する子と、「じゃあ今の言葉の何が『事実』で、何が『意見』かな?」と話し合ってみましょう。

またニュース番組を見ながら、「今アナウンサーが言ったことは事実かな、それともアナウンサーが思ったことかな?」と尋ねてみます。

https://allabout.co.jp/gm/gc/467251/2/

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 会話の中で「事実」か「解釈」かを自覚させるのは大事なことだ。

 ちょっと古くなったが「それってあなたの感想ですよね」と自分に問いかけることも大事なことだ。

「実況」と「解説」は別物という、次のサイトの主張と重なった。

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eスポーツ転身アナが熱く語る「実況」と「解説」の違い

そもそも大前提として実況と解説は、立場も役割も大きく違うのだ。

野球を例にしてみよう。実況とはその場の状況を説明すること。「低めいっぱいに鋭いストレートが決まった」「痛烈な打球が三遊間を抜けていく」などがそれにあたる。
ただ、実況するアナウンサーはプロのピッチャーからホームランを打った経験はなく、当然ながら打つ技術もない。そのため「この選手はスイングの瞬間にヒジが下がりすぎですね」といった、技術論を語ることができない。実況が話せることには限りがある。
そこを補足してくれるのが解説だ。解説を務めるのは過去に何本もホームランを打ってきた元選手たち。その道のプロとして生きてきた彼らの考え方は、我々アナウンサーは然り、視聴者含む一般の人たちでは到底及ばないレベルにまで至っている。だから彼らに解説してもらうと、試合に深みが出て面白くなるのだ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56897

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なるほど!
実況アナが語るのは「事実」。
一方、解説者が語るのは、本来「分析」であり、「解釈」であり「意見(コメント)」だ。
確かにそうだが、これまで、実況アナと解説者の存在をそんなに意識したことがなかった。
実況アナが熱心に解説することも、解説者が単なる事実の伝達や個人の感想に終始することもよくあるからだ。

さて、子どもの感想文は、しばしばストーリー紹介に陥る。これは実況アナ型の感想文だ。

「感想」を書いてほしいのに。「事実」の羅列では困るのだ。

これに対して、自分の解釈や分析や意見を書くのが望ましい感想文で、これは解説者型と言えようか。

冒頭のサイトのお母さんのように、「今のあなたの話は、何が事実で、何が意見かな」と問いかけるというのは極めて高度で意味がある。

無論、授業中も「事実か意見か」にはシビアであってほしい。

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May 01, 2024

この時期の安定した授業

今日、参観した授業は、これまでのパターンを踏まえることで授業がスムーズだった。
①漢字練習
②ペアの交代読み
③内容の読み取り(ノート整理)
④グループの相談 などなど
③の場面では先生が板書する前からノートを3段に仕切って表を書いている子がいた。前時と同じ展開だからだ。
同じパターンで授業をすると、このように先を読んで学習を進める子が出てくる。
だから、
「次に何をしますか」
「この後、先生は何と言うと思いますか?」
と子供に問いかけることが可能になる。

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