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May 16, 2024

支援を要する子に、どう対応するか?

「教育トークライン」2022年5月号。
井戸砂織先生の論稿に中に向山先生の言葉がある。
◆「子どもをああしよう、こうしようなんていい迷惑だ。子供はそのままでいいんだよ」
 向山先生の語録には「子どもの姿をそのまま受け入れよ」ともある。
 言葉は難しい。
 この向山先生の言葉だけを真に受けたら、「指導なんて傲慢だ。指導なんてしなくていいんだ」と捉えかねない。
 しかし、向山先生の言われる「子供はそのままでいい」は、「何もしない」とは全く意味が違う。
 向山先生の「そのままでいいんだよ」は、その子の良さを見つけ、認め、引き出してやる努力を続くけることを意味している。
 そのことを細井平洲の言葉を引用して述べている。
「教育とは、菊好きの人間が菊を作るようにしてはならない。百姓が野菜や大根を作るようにすべきだ。」
 菊を育てる人は、自分の理想の形に合わないものや欠点のあるものを摘み取ってしまう。
 自分の好み通りになるように、あれこれ手を加えて、その中で1つだけ選んで大輪に仕上げていく。
 一方、農民は欠点のある野菜・形の悪い大根を捨てたりしない。
 教育は、野菜作り・大根づくりのように相手を受け入れ、手を差し伸べることが大切だと述べている。
 まさに「個別最適な指導」だ。
 子供を自分の思い通りにしようというのは思い上がった態度だ。
 だからといって「放置していい」というわけではない。
 「子供をそのまま受け入れ手を差し伸べる」という教育は、「あれこれ指導する」よりも、もっと難しいのだと思う。
 同号では、小嶋先生が、その子の短所が発露しないように策を練ることを書いている。当然、そのような配慮も必要である。
 子供の支援・子供の指導を、もっともっと具体的に考えていきたい。
 空虚なきれいごとを言ってるだけでは何も変わらないからだ。
 「神は底部に宿り給う」である。
以下は、正確な引用
===============
『続・授業の腕を上げる法則』
授業の原則(技能編)八カ条
第1条 子どもの教育は菊を作るような方法でしてはならない。
「一人一人のことを子供を大切にする」という言葉がある。
この言葉の意味を、うっすらと理解するのに5年はかかるだろう。
今まで、何ということもなく使っていた言葉に「そうだったのか!」と新発見をするような、感動を伴った理解を得ることである。
私は5年かかった。
この言葉を見直すことができて、セミプロの入り口だろう。
「一人一人の子供を大切にする」というのは、「全員発言させる」「全員百点をとらせる」ということだけを意味するのではない。
 また、「全員をできるようにさせる努力」を抜きにして「できなくてもいいよ」などと、のん気になぐさめるようなことを意味するのではない。
(中略)
「子供を育てる」と言うのは、百姓が一本一本の野菜を大切にして育てるように、大小不揃いであっても、それなりに一株一株を大切にして育てるようにすべきなのである。
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