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July 31, 2024

学力調査の課題は、PISA調査の課題と変わっていない。

 相変わらず、記述式問題の正答率の低さと、無解答の多さが話題になっている。

 PISA型読解力の定義は「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」とあり、従来の「読解力」と区別して「読解リテラシー」とか「PISA型読解力」と呼ばれてきた。

 PISA調査で話題になった読解力は、○×式やマークシート式ではなく記述式で、次の能力を問うていた。

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「テキストから情報を取り出す」だけではなく、

「テキストから推論したり、2つ以上のテキストを比較し理解したりする【統合・解釈】」

「テキストに書かれた情報を自分の知識や経験に位置づけ理解し評価する【熟考・評価】」

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 ・・・平成20年度の中教審答申で「言語活動の充実」が提言されたのは、PISA調査によって、読解力低下の実態が明らかになったことが直接的な理由である。

 PISA調査では、記述式解答の正解率の低さと無回答の多さが目立ち、「必要な情報を見つけ出し取り出すことは得意だが、それらの関係性を理解して解釈したり、自らの知識や経験と結び付けたりすることがやや苦手である」と考察された。

 簡単に言うと「日本の小中学生は暗記した知識問題には強いが、応用問題には弱い」ということだ。

 こうして、今の学習指導要領にある「思考力・判断力・表現力」の育成が求められるようになった。

 

 現場感覚で言うと

 国語の市販テスト(おもて面の文章問題が10問、裏面の漢字言語問題20問)に30分も40分もかけていては、学力調査問題は解けない。

 しかも多くの国語テストの問題は、既読の文章だ。長文や図表を目で追う速さ、正解を導く判断の速さが「カギ」だと思う。

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July 30, 2024

視点の再考(8)  ~視点人物の存在~

「漫画版 君たちはどう生きるか」に次のコマがある。自分が宙に浮いて、人々を見ているシーン。

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神のような視点(三人称全知視点)で、すべての人の心を読み取る場合は、こんな感じになる。

ただし、このコマは

◆「上空にいる人物」を見ている別の視点人物が存在するという構造になっている。

この場面が一人称視点で描かれていて、話者の見ている世界だけを取り出すなら、地上の人と車だけの絵になる。

 

場面図を書いて、話者(視点人物)まで入れてしまうと、

◆話者を見ている「誰か」が存在するという構造になる。

三人称視点の作品ならそれでもいいが、一人称視点の作品の場合だと、今まで書いてきたように少し補足が必要になる。

 

「大造じいさんとガン」は、もともと三人称視点の作品だから、挿絵にじいさんが含まれてもかまわない。

ただし、クライマックスシーンは、大造じいさんの視点で残雪を語っているので、挿絵にじいさんまで入れてしまうと、それは、ちょっとどうかなということになる。

 

「カレーライス」(6年光村)は、「ぼく」が語る一人称視点の作品なので、その挿絵に「ぼく」が入ると、ちょっとどうかなということになる。

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視点の再考(7)  話者に見えるもの

作品が「一人称視点」か「三人称視点」かで、何がどう違ってくるのか。

文字作品ではなく、絵画作品で考えてみる。例えば、夏休みの思い出の絵。

自分が見た光景を描くのなら、視点人物である自分は、画面に入らない。

しかし、多くの思い出の絵は、主役である自分が楽しんでいる様子が描かれる。

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「楽しんでいる自分」を誰かが撮ってくれた記念写真タイプの構図。

これは第三者のカメラマンがいる「三人称の視点」で、この画面を「わたし」が見ることはない。

 

一方、花火や水族館などの場合は、「見ている自分」を描くパターンがよく見られる。

これらは、視点人物である「わたし」が見た世界を伝えようとしている絵で、横顔や後頭部で示す場合ある。

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本当の「一人称視点」の作品には視点人物は入らないので、「一人称を意識した視点」の絵である。

ただの風景画や他者だけを描くと、下の絵のようになる。

ただの風景画だと「楽しかった自分」が伝わりにくいので、自分を含めたくなる気持ちがよく分かる。

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「自分がやったことの思い出」は含む三人称の絵、「自分が見たことの思い出」は一人称の絵で描かれやすい。

 どちらにしても、私たちは、思い出の絵を描くとき、視点人物である「わたし」を入れることに違和感がない。

だから、物語作品を読むときも、「わたし」が見ている場面に、その「わたし」を入れた世界をイメージすることに違和感がない。

話者が一人称か三人称かで、作品の世界の見え方が違うことは、発達年齢に応じて教えていく必要がある。

画像は、以下のサイトより引用。

https://rina522.com/natsuyasuminoe/

 

 さて、「吾輩は猫である」は、一人称視点の作品の代表例で、主役である猫が見た人間社会の様子が描かれる。

 では、ある書籍(コミック版)の表紙はどうなっているか。

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「吾輩は猫である」と語っているのは「猫」。

その「猫」の姿が作品に現れてしまうことは、視点論で考えるとおかしい。

「話者である猫」を見ている視点人物が存在する

という構造になっている。まあ表紙絵だから、文句を言うことではない。

「話者」の意味だけを考えると、場面の絵に話者自身が入ることはない。

思い出の絵を描かせると自分を描く子が多いように、物語から思い浮かぶ映像には「わたし」を入れてしまいやすいのかもしれない。

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視点の再考(6) 主観表現と客観表現

「お店にかわいい置き物があった」と表現した場合、そこには「かわいい」と判断した話者の感情・話者の判断が入っている。

下の写真の置物なら、「かわいい」で共通理解されるだろうが、昨今の「ぶさかわいい」「キモかわいい」となると、まさに主観の問題だ。

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「客観表現」と「主観表現」という用語があることを知り、なるほど、言葉には主観を含む表現があるなと思った。

「速報です」は客観表現だが、「今日、悲しい知らせが入りました」は、主観を交えている。

「巨人が勝ちました」は客観表現だが、「見事逆転勝ちです」「圧勝です」は主観が入っている。

「たった・もっと・ずっと・やっと」のような副詞は、感情が含まれる。

「寝坊してしまった・帰らなければならない」のような語尾にも、感情が含まれる。

「コーヒーがいい・コーヒーでいい」の一言の違いにも感情が含まれる。

だから、視点の検討は、「どのような感情を汲み取れるか」の検討を含めるものなのだと思う。

 

新明解国語辞典では、「ごきぶり=さわると臭い」「おこぜ=不格好だがうまい」とある。

「くさい」「不格好」「うまい」と感じる特定の人物=話者が存在するに違いないということで、その人物が「新解さん」と呼ばれた。

新解さんは「魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない」と特定されたのだった。

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視点の再考(5)~話者の立ち位置~

風船が下りてきました。

・・・「この文の話者は誰ですか?」と聞かれても困る。

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だから、何が何でも話者を問うようなことは慎むべきだと思う。

風船が下りてきたのを見ている人物が話者。話者の位置を問えば、風船が下りてくるのを見ている表現だから「風船の下」だと特定できる。

このように「僕、私」と書いていない場合の話者の特定には、「視点」がカギになる。

話者は作品を語っている人物であると同時に、作中の場面を見ている人物でもある。

①話者の見ているもの

②話者に見えているもの

③話者のいる場所を特定すること

で、作品の場面が正しくイメージできる。

では、応用編として、川端康成の「雪国」で見てみよう。

◆国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

「風船〜」をトレースすると、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という場面に居合わせた人が話者ということになる。

 おそらく列車に乗っている人だ。

 機関車トーマスみたいに「列車」が語り手ということはなさそうだ。男から女か、大人か子供か、乗客か車掌か、それはこの一文だけでは特定できない。

 では、もう少し原文を見てみる。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、「駅長さあん、駅長さあん」 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

・・・作品は登場人物の一人である「島村」を通して語られていることが分かる。

 島村を通して娘や駅長が描写され、周囲の風景描写が語られている。

 娘は話者である島村の「向側」にいて、そこから「立って来て」、彼の前の窓を閉めたのだ。

その証拠に、この場合、人物「島村」を「私」に置き換えても、文章に違和感がない。

話者が「娘」とすると「向側の座席からと私が立って来て」という言い換えが成り立たない。

 

~参考資料~

◆「視点論」における「視点」とは,誰の視点から物語が語られているかということである。例えば,「A くんは B さんにお金を貸した」と「Bさんは Aくんからお金を 借りた」という2つの文があったとする。どちらの文も内容は同じであるが,前者は Aくんの視点から語られている文であり,後者は B さんの視点から語られている文である。このような,誰の「視点」から語られている文なのか,が「視点論」を論ずる中心になる。

◆ 文芸研での「視点論」では,「見ている側」と「見られている側」で区別をしている。『西郷竹彦 文芸・教育全集 第14巻 文芸学講座I 視点・形象・構造』では「文芸作品にはすべて『見ているほう』(視点)と『見られているほう』(対象)があります。『見ているほうの人物』を視点人物と名づけ『見られているほうの人物』を対象人物といいます」と示されている。例えば,「Aくんは Bさんに仕事を頼もうと思った。しかし,Bさんは忙しそうにしていたので,頼むのをやめた」という文があったとする。この文は,Aくん視点から書かれている文であり,この場合の視点人物は Aくんになり,対象人物は Bさんになる。

 文学的文章教材における教材研究の視点 ―「視点論」を中心に創価大学教職大学院 教職研究科教職専攻 荒井英樹 創大教育研究 第2号 P123~134

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視点の再考(4)  話者の内面の問題

先の続きで

「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」のを見ている話者が存在します。

 この場合、話者がてふてふを「見る」を、類義語で考えたら

「見送る」「見届ける」「見放す」「見限る」「凝視する」「一瞥する」「その以外」の、どれが合うだろうか。

あるいは、「見る」の裏側には「応援する」「憧れる」「呆れる」「見下すなど」「それ以外」の、どの気持ちが含まれるのでしょうか。

 

「話者の見えを問う」のは、知覚できる具体的なモノや場所だけを表すのではない。

「見え」を表す語彙はさまざまだから、そこに話者の立場や内面が現れる。

そのことを、鶴田清司氏は、次のように解説している。

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◆こうして「話者(narrator)の存在が明らかになると、次に「視点(point of view)が問題になる。

つまり、「話者はどこから見て語っているか」あるいは「話者が誰の目を通して語っているか」ということである。

これは単に「視覚」(目の位置)という物理的な遠近法の次元にとどまらない。

いずれも心理的・内面的な問題と深く関わっている。

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 言葉を選ぶと主観が入る。「勝った」「負けた」ぐらいならフラットだが「圧勝」「辛勝」「大敗」「苦杯」といった言葉を選べば、そこに話者の「どっち側にいるか」かの立場が入り、感情が入る。

 鶴田先生の言う「心理的・内面的な問題」とは、この点なのだと理解している。

 

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視点の再考(3) 話者の位置

「おれはかまきり」「吾輩は猫である」のように、作品の中に一人称の「ぼく、おれ、わたし」が出てきて話しかけるように書いてあれば、

「見え」や「位置」を使って考えさせる。

 

◆「一匹の蝶々が韃靼海峡を渡っていく」その場面を見ている人物がいるよね。これが話者です。この場面を撮影しているカメラがあって、カメラマンがいるよね。どこから映している?

 

と問うと、カメラマンの位置は、「韃靼海峡のこちら側」だと特定できます。蝶々が「渡っていった」と書いてあるからだ。

 ここで、併せて「人称」について考えてみる(子供に教えるという意味ではありません)。

 話者が「私」の場合は、「私」が視点人物であり、「一人称視点」の作品であると言います。

 話者が「私」でない場合は、第三者が視点人物であり、「三人称視点」の作品であると言います。

 

・・では、この「春」の詩は、一人称視点の作品なのか?、三人称視点の作品なのか?

①「私」って書いてないから「一人称視点」ではない。

②でも、第三者の人物とも決まらないから「三人称視点」ではない。

で迷ってしまう。

 「おれはかまきり」「吾輩は猫である」と比べて、格段に難易度が高くなり、「お手上げ」になりかねない。。この一文の情報だけでは、隠れた「わたし」がいる一人称の作品だと理解させるのは難しいからだ。

 この一行詩には「てふてふが渡っていった」その場面を見ている人物がいる。海峡からてふてふを見送っている「カメラ」がある。

 だから、この場合は、「話者」「人称」という概念よりも、「視点」の概念を用いた方が、理解はスムーズである。その際、あえて「一人称」か「三人称」かは強調しない方が良いのだと思う。

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視点の再考(2) 視点と動作の方向

 大森修先生の『発問の定石化』では、「話者・視点」の前に、「位置」の指導がある。

「この絵は、どっち側から描いたのか」といった指導があって、「風船が下りてきました」「きつねがやってきた」のような方向性を検討させる指導がある。

 「来る」と「行く」「あっち」と「こっち」「下ろす」と「上げる」などの表記の違いによって見方・見え方が違う。

 読者が頭の中に描く世界がガラッと違ってくる。

①くまさんが ともだちのりすさんに ききにいきました。(はなのみち)

・・・「聞きました」というフラットな表現に対して、「聞きに行きました」と「聞きに来ました」がある。「くまさんが聞きに行ったんだよね」「くまさん」から「りすさん」に矢印を向ければ、移動の向きが分かる。

 

②まてまてまてとおじいさん おいかけていったら おむすびは~ (おむすびころりん)

・・・「追いかける」というフラットな表現に対して、「追いかけていった」と「追いかけてきた」がある。

「おじいさん」から「おむすび」に矢印を向ければ、転がっていくおむすびを追いかけるおじいさんの状況が分かる。作品を語っている位置から「おじいさん」も「おむすび」も離れていく。

 

③「ここへ おいでよう。」

「よし きた。くものくじらにとびのろう」

くじらは、青い青い空のなかを、げんきいっぱいすすんでいきました。

「おや、おひるだ」

「では、かえろう」

しばらくいくと、がっこうのやねがみえてきました。

くものくじらは、また、げんきよく、青い空のなかへ かえっていきました。(くじらぐも)

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・・・「くじらぐも」は、「学校」に近づいてきて、子どもたちを自分の上乗せ、学校から遠ざかる。

そして、再び学校に戻り、子どもたちを下ろして去っていく。

「ここ」「すすんでいきました」「かえろう」「かえっていきました」が位置や方向を表している。

「話者」「視点」「作品舞台」といった概念の前に、言葉のもつ「方向性」を押さえておく必要がある。

それは、矢印を示すことで、明瞭になる。

 

※話者(登場人物)の「視点」を検討させることによって、次のような観点で「確かな読み」が成立すると鶴田清司氏は述べている

(『現代教育科学』19885月号)。

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・動作方向を明確化する(きた・いった)

・指示代名詞を意識する(こちら・あちら)

・描写の型を意識する(内の視点・外の視点)

・能動態と受動態のちがいに注意する(する・される)

・時制に注意する(現在形・過去形)

・文末表現に注意する(断定、推量、推定の助動詞等)

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・・・最後の「文末表現」は、登場人物の気持ちを外から語っているか、中にまで入っているかと極めていう重要な問題につながっている。

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視点の再考(1) ~誰の立場で読むか~

『天気の好い日は小説を書こう』(三田誠広)で「立場で読む」というくだりがある。要するに「視点」のことだ。
 志賀直哉の『小僧の神様』について、次のように書いてある。

 これはですね、中学校の時に読むと、小僧の神様の立場で読んでしまうんです。

 なるほど。
 我々は(小中学生に限らず)、作者が設定した「視点人物」がどうであれ、自分の読みたい立場で読んでしまうことがあるのだ。

 小中学校で扱う多くの作品は、子供側の視点で描かれることが多いから、エラーは少ない.

 しかし、あまり「子ども視点」の作品パターンに慣れすぎると、別の視点で読むことができなくなってしまう。

 ちなみに、私は新美南吉の「きつね」を朗読していて泣いてしまったことがあるが、子どもは母親の立場では聞いてないから、多分泣かない。

 三田氏は「『小学生の作文』にならないための諸注意」の章で、小説を書く側の「視点」の注意を書いている。

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 失敗している作品のほとんどは視点が動いているんですね。
 神の視点でものを見て、父と子が出てくるとですね、どうもお父さんがうすっぺらく見えてしまうということになる。
 子どもなり、娘なりの視点に徹して描いていくと、おのずと父親の影というものが気配に伝わってくるものです。
子供の目には見えない父親の影の部分は、見えないままにしておく。その方がいいんです。
 見えないものは描かない。すると立体感が出てくるのです。神の視点で何もかも描いてしまうと、嘘っぽくなる。
 同様に、書き手が何もかもを解釈し、説明してしまうと、ただの図式になり、奥行きがなくなってしまいます。
(中略)人物が出てくると、必ずその人物を説明う人がいるんですね。「これがこれこれこういう人である」というふうに説明しちゃったら、それは「絵に描いた餅」になってしまいますね。
 そうじゃなくて、主人公の目でじっと見る、見えたものだけを書けばいいんです。
 そうすると見えなかったものは書かれないということになります。その人物の裏側というのは主人公に見えないわけですね。見えないけど、裏も何かあるんじゃないかなという気配だけが残る。すると作品が立体的になるんですね。(P153/154)

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 限定視点の作品の場合は、対象人物の内面は描かれない。だから、読者は自分で解釈しようとする。
 書き手が書いた解釈や説明をなぞるのではなく、書いていない解釈・説明を読者自身が実行する。
 
 
 この件について三田氏は次のように述べる(P116)
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 もし、これがですね、志賀直哉が父親に向かって、「お父さん、僕の赤ん坊が死んでしまいました。その瞬間、私はお父さんの気持ちがわかりました。いままでの私がわるかった。お父さん、許してください」と言ってですね、父親が息子を抱き締めて、「いや私もいままで説明不足だった。お前もお父さんのことを許してくれ」と言って、二人がひしと抱き合ったら(笑)非常にわかりやすい話になりますね(笑)
 しかし、それでは大衆文学になってしまうんです。教養のない人にはわかりやすいかもしれないが、志賀直哉はそういうふうには自分の文学を作っていかなかったんですね。何にも説明しないんです。だけどわかる人にはわかる。私も二十五歳にして初めてわかったんですね。
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 子ども向けの物語が全知視点で、どの登場人物についても、分かりやすい解釈・解説を加えるのは仕方ない。
 ただし、そういう分かりやすい作品に慣れてしまうと、語らない良さを備えた小説を読み味わえなくなる。

 あまりドラマ見ないけど、


(1)人物がセリフして自分の気持ちを長々と語る作品は、興ざめしてしまう。
(2)ナレーションで人物の気持ちを長々と語る作品も、興ざめしてしまう。

という経験がある。

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 しかし・・

 それは、そうなんだけど、時々、人物の思いが分からなくて困惑することもある。
「この場合は、もうちょっと語ってほしかったな」と思うことがあり、読者・視聴者は、かように自分勝手な存在なのだとつくづく思う。

※連続ドラマの場合は、最初から人物像を明らかにするとつまらないから、あえて人物の内面を語らずに進めている。

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July 29, 2024

「読解の基本的学習構造」沖山光(明治図書1967年)

昨年、沖山光の書籍を読み,少しだけダイアリーに書いたが、残っている覚え書きがあった.

沖山光は昭和30・40年代に文部省の教科調査官を勤め、「構造学習」 を提唱した。

その理論を正しく理解するのはなかなか難しく、部分的な理解にとどまっている。 例えば「主体的に読む」という常套句について、次のように批判している。

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文章に即して、一問一問と教師に誘導されていることは、活動をうながされているのは児童生徒であ るけれども、活動の計画者は教師であり、その主導権も教師の手に握られているのであるから、この姿は主体的なものではない。たとえ、プログラム学習のように、一文章について二百から三百にもわたる 設問が設けられ、その設問に導かれて、つぎつぎと答えていったとしても、文章の見とおしや設問の計画は依然として、教師の手に握られているのであり、児童生徒は、文章の記述に沿って発問されていることに答えているにすぎない。この姿もまた、さきの一問一問と誘導されていくことと同じで、印刷された一問一問となっているだけの変わり方である。行動の統一者(文章を読み抜いていく者)は教師その人である。したがって、この学習形態もまた、主体性の発動とは言いかねるのである。P21

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 古い書籍を読んでいるのに、今のタブレットドリルの現状と重なる。 

 タブレットドリルさえさせておけば「個別最適な学習」なのだと思っている先生は今なおも多い。

 自分のペースに合わせてどんどん進めていくから「主体性」かと思いきや、そのような発想は昭和30年代にすでに教科調査官によって否定されている。教師や機械や設定した設問に次々に答える学習は「主体性の発動とは言いかねる」のだ。

 文部省主催の第二回教育課程研究大会で沖村氏は次の点を指摘した。

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◆一連の学習構造があって、その一連の全行程を、児童みずからが自己の責任において、統一的に行な い得たときにのみ、主体的と言えるのであって、教師の誘導に児童が応じてきたというのは、主体的の名に値いしない。主体的行為のためにも、学習構造が確立していなければ、主体性の問題は、少しも解決されないといってよい。P25

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 また、沢潟久敬氏の「自分で考えること」 昭和38年(角川文庫)から、次の部分を引用 している。

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◆つまり、本を読むことは、そこに何が書いてあるかをはっきりと掴むことであり、一冊の書物を読んだとは、その本に書かれていることを簡単に要約することができるということです。それが言えぬようでは、本を読んだとは申せません。そして、それができるためには、まず、書物全体の構造が整然と分析され、かつその部分はどのような道すじを通って展開されているかを把むことでなければなりません

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 なお沖村氏と同時代に国教育界を代表した輿水実氏が「国語教育の近代化」第六号の巻頭論文の主張に賛同し、数師にも安易に指導書に頼るなと警告している。教える側の「主体性」も問うているのだ。

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◆教師その人が、他人の書いた指導者や教師用書の代弁者となり、そこに示された計画どおりに動いてる現状、これは、文章を他人の目で見ることであり、他人の計国によって学習指導をしていることであって、教師はいわば、単なる伝達の機械、テーブレコーダーの役を果たしていることにしかすぎないことになるのである。P43

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 引用部で奥水氏が次のように述べている。今なお大切な問題提起だ。

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◆現在は講義形態から討議形態へという戦後の転換からもう一歩進んで、共同で学習するだけではな<、「学習者自身による学習」、めいめいが自分で学習していく、ほんとうの意味の自発学習、自主学習、自動学習、自己学習でなくてはならないという方向になっている、

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これを受けて、沖村氏は言う。

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◆戦後討議方式による学習へ講義式拝聴学習から脱皮していったことは、近代化への第一歩であったと思う。討議学習が真の討議学習としてその真価を発するまでにはいまだ育っていない。このごろでは、討議と言わず「話し合い」とよんでいるようであるが、この「討議」や「話し合い」というものは、一つの解決すべき問があらかじめ提出されていて、その問題解決に、めいめいの児童生徒が自力で学習し、自分なりの答案を用意しているということが前提されていなければならない。

なぜこの前提としての自主学習が開されていないかというと、児室・生徒の「学習原理」というものが樹立されていないからである。

学習原理が樹立されていないから、教師が問題を出す。その問題に関してある数名のものが意見を述べる。他の大半のものは代表選手の意見を拝続し、時おり「そうです」とか「賛成」とか異口同音に相の手を入れる。これが今日「話し合い」といわれている学習である。

==========

 

 今もなお、教師の問題に代表児童が答え、みんなで「そうです」「賛成」と反応する学級がある。

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July 28, 2024

そこで終わったら「丸投げ」になってしまう

そこから「指導」が始まる

子どもの振り返りが、次のような一言感想ばかりだったとする。
「いい曲ができるようにがんばった。」
「いい曲ができてうれしかった。」
「今度も、もっといい曲を作ってみたい。」
 こういう振り返りを提出させて、何の検討もさせないなら、子どもは「これでいいんだ」と誤学習する。
 だから、堀田先生は、次のように言う。
=================
◆例えば高学年の実際の授業では、授業の終末に、教師がまとめとして振り返る際のキーワードを伝えます。すると子どもがノートに学んだことを自分の言葉で速やかに書き始めます。教師はその様子を把握し、まとめが終わった頃に全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その発言について、指名した理由や必要なキーワードなどを伝えながら学級全体にの学びについて確認していきます。
=================
 
 一言感想にならないように予防線を張るとともに、全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その良さを確認していく。
 これが「指導」。
 何でもいいから「書いて出したら今日は終わり」では、指導にならない。
 今なら、ルーブリックで提示すれば、振り返りの質をキープできるだろう。そこが数年前との決定的な違いだ。
 先の一言感想のツッコミ方としては
◆「いい曲ができるようにがんばった。」
①何をどう頑張ったの?
②頑張った結果、どんな曲ができたの?
(あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?)
◆「いい曲ができてうれしかった。」
①どんな曲が完成したの?
(あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?)
②何をどう頑張ったら、いい曲ができたの?
◆「今度も、もっといい曲を作ってみたい。」
①今日は、どんな曲ができたの?
②あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?
 先週のZOOM例会では、「具体と抽象」について検討したのだが、そこと関連している。
「頑張った」「いい曲ができた」は、抽象的だし、それはあなたの感想でしかない。
「頑張った」の具体的な中身を聞かないと、「頑張った」かどうかが評価できない。
 そもそも「いい曲」の具体的な定義を聞かないと、「いい曲」かどうかが評価できない。
「例えば・・・」「なぜかと言うと」のような言葉で、具体的に書く習慣をつける。
 他の人にも納得してもらうように書く習慣をつける。
「なぜそう思ったのか」は、「Why So」の思考。
 自分の書いた意見の根拠をどんどん掘り下げるような自問自答のスキルを促していきたい。
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「振り返り」の質の問題は奥が深い。

昨夜、サークルの臨時ZOOMで「振り返り」について議論した。

 「振り返り」の質の問題は、何度か書いている。
 春日井市の研究推進に堀田龍也先生が関わっていた頃、教務主任だった自分も何度かお話を聞いたし、資料も読み込んだ。
 堀田龍也先生は、2015年の研究資料の中で次のように指摘している。
================
◆感想やわかったことを書かせるだけでなく、めあて、課題に対しての振り返りとなるように問いかける。
◆「振り返り」として、何が書けたり言えたりすればよいのかを、教師がしっかりと捉えておく。
◆例えば高学年の実際の授業では、授業の終末に、教師がまとめとして振り返る際のキーワードを伝えます。すると子どもがノートに学んだことを自分の言葉で速やかに書き始めます。教師はその様子を把握し、まとめが終わった頃に全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その発言について、指名した理由や必要なキーワードなどを伝えながら学級全体にの学びについて確認していきます。
===============ー
・・・「振り返りを書きましょう」と子ども任せにし、「書いたら提出して授業は終わり」という流れでは、振り返りの質が上がらない。
「子ども自身のメタ認知」が大事だと言うのは、多分、このことかなと思った。
「どんな振り返りを書くことが望ましいのか」の明確なイメージを教師と子どもが共有していなければなるまい。
 3年前の音楽の研究授業。
 振り返りのヒントとして、本時のプリントには、次のように指標が書いてあった。
◆できるようになったこと、わかったこと、
◆楽しい面白いと思ったこと、うれしかったこと、
◆次がんばりたいこと、むずかしかったこと、
◆そのほか気づいたこと
 しかし、子どものプリントを見ると、次のような一言感想ばかりだった。
「いい曲ができるようにがんばった。」
「いい曲ができてうれしかった。」
「今度も、もっといい曲を作ってみたい。」
 残念ながら、授業者が、この振り返りで「良し」と思っているのかどうかは分からなかった。
 授業への取り組みは活発だったので、参観者は、子どもの振り返りの文面とは無関係に、この授業を高く評価していた。
 確かに、子どもは意欲的に作曲活動に取り組んでいたが、だからと言って、振り返りがこの程度の一言感想でかまわないかは、疑問だった。
 そして、振り返りプリントとはいったい何の意味があるのか、考えてしまった。
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July 27, 2024

それは「振り返り」ではなく、「まとめの感想」

過去の中学校での実践データが出てきた。
「未来をひらく微生物」という説明文を読んだ後の、まとめの感想だ。
(太字の部分が、フォーマットで示したところ。)
わたしは「未来をひらく微生物」を読んで、次のような感想を持ちました。
微生物は私にとって役立たずの汚いばい菌のように思っていました。けれど、この「未来をひらく微生物」を読んだあとは、人の生活にとても役立つ微生物がいると分かりました。しかも、人間は、昔から微生物を使って生活をしていたなんてとても驚きました。
もう一つ驚いたことがあります。それは、パンに微生物を使うことです。チーズや納豆に使うということは知っていたけれどパンやしょうゆ・かつお節に使うことは知りませんでした。今年の夏休みの理科の自由研究で凍るものと凍らないものの実験をし、しょうゆは凍りませんでした。凍らなかったのは微生物に関係があるのかなと思ったので、今度調べてみたいです。
これから自分は、人間の役に立っている微生物に感謝し、自分でも環境が少しでもよくなるように努力していきたいです。
これからの社会は、昔より環境がよくなるようにとがんばってほしいです。いろんな人に環境の大切さを知ってもらい、協力してもらえば環境がよくなると思います。
◆私は「未来をひらく微生物」を読んで、このような感想を持ちました。
私は最初、微生物は理科の顕微鏡でしか見たことがなくて、とにかくどこにでもいる小さな生物としか思っていませんでした。しかし、「未来をひらく微生物」を読んで、私たちの生活に大きく影響するものだと思いました。
一つ目は発酵です。発酵は微生物しかできないし、発酵を使った食品もたくさんあるので、とても重要だと思いました。
二つ目は汚れた環境をきれいにする事です。特に教科書の十五段落の「トリクロロエチレン」の例を見てそう思いました。今、私たちの地球では環境の問題が深刻なので重要だと思いました。それにその働きのために製品も新しくされているところもすごいと思いました。
これから自分はもっと微生物に対して考えを深くしようと思います。そして、生分解性プラスチックのマークを選んで使用しようと思いました。
これからの社会は、もっと微生物の大切さを感じてほしいと思います。そして無駄に生物を殺さないでほしいと思いました。私たちが大人になっているころにはもっと微生物に対する理解が深まっていて、生分解性プラスチックも多く使われていると考えます。
・・・まとめの感想は
①スプレッドシートにちょっと書く。
②ノートに5行程度で書く。
という「振り返り」に比べて、負荷が大きい。
でも、作品として仕上がっているので、完成度が高く、満足度も高い。
だから、ちょっとした「振り返り」よりちゃんとした「終末の感想」を書かせる方がパフォーマンス評価として意義があると思う。

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汎用的な読解スキル(5)

教科書を使って基礎技能を習得させる読解授業の展開

1.読前の対話

① 内容と知識・経験とを関連付ける活動

② 挿絵を「読む」

③ タイトル・挿絵・小見出しなどから内容を推測

・・・「読む前」の授業が大事だと思う。

 最小限の予備知識の提示・タイトル、挿絵などからの内容の予想などを省略して「まずはCDを聞いてみましょう」ではダメだと思う。

 

2.読中の対話

 ① 内容の確認

 ② 部分理解に基づく発問

 ③ 考え・感性・価値観の比較

 ④ 次の展開の自由な推測

・・・①は「一字読解」の出番で、最小限の5W1Hを確認すれば、およそのストーリーを共通理解させ、誤読を防ぐことができる。

②の段階で「文中から1つに決まる問い」だけでなく、「多様な考えを引き出す問い」を立てておけば、③で価値観の比較ができる。

③は、予想したり、「自分なら」で考えたりする課題だ。

④は、これまでの作品の経緯をよく理解した上で、その先を自分なりの展開させるわけだから、まさに「類推」である。

④までやらずに授業を終えがちだが、自分なりの思考をさせるには大事な課題だ。

 

3.読後の対話

 ① 内容と体験とを関連付ける活動

 ② 全体理解の確認(問題・解決策の認識)

 ③ 全体理解に基づく発問

 ④ 考え,感性,価値観の比較

 ①は、「山田式読書感想文」で扱われる、自分の経験との照らし合わせ。

 この資料だけでは具体的な内容がわからないが、私なら「テーマ」に関する発問をし、価値観の比較につなげたい。

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July 26, 2024

汎用的な読解スキル(4)

フィンランドの読解教育で用いていたという2つの読書カードは、そのまま子供たちに課題追究させられる。

2年用読書カード (1枚目)

① 主人公はだれかな?

② 主人公が直面した問題はなにかな?

③ ほかにどんな問題が起こったかな?

④ 主人公のほかに、どういう人が出てきた?

⑤ 物語の中で好きなところはどこ? どうして好きなのかな?

⑥ この物語を読めば答えが分かる問題を作ってみよう。

2年用読書カード (2枚目)

① 主人公はどういう人だと思う? 物語から証拠を挙げて説明しよう。

② 主人公にききたいことはないかな?

③ 主人公に教えてあげたいことはないかな?

④ 主人公はどうやって問題を解決したかな?

⑤ 自分だったら、どうやって問題を解決する?

⑥ いろいろな解決方法を比べてみる。

項目をよく見ると、読み取りで答えが確定する問題と、自分の考えを答える問題がある。

そこで、5W1Hの観点で整頓してみた。

基本的には、どれも「物語から証拠を挙げて説明しよう」の問題である。

(いつ)

(どこで)

(だれ)

◆主人公はだれかな?

◆主人公のほかに、だれが出てきた?

◆ 主人公はどんな人?

◆主人公以外の人はどんな人?

(何をした・何が起きた)

◆ 主人公が直面した問題は何かな?

◆ ほかに起きた問題は何かな?

(最後はどうなった・どうやって解決した)

主人公はどうやって問題を解決したかな?

◆ 自分だったら、どうやって問題を解決する?

◆ いろいろな解決方法を比べてみる。

(読み終えて)

◆ 主人公に聞きたいことは何かな?

◆ 主人公に教えてあげたいことは何かな?

◆ 物語ので好きなところはどこ? それはなぜ?

◆これ以外に、 物語を読めば答えが分かる問題を作ってみよう。


 答えが確定する問題は、作品の一読後、「一字読解」で、さっさと解決させてしまった方がいい。

 場合によっては、陥りやすい誤読を解いておく必要がある。

 まずは、設定に関する「いつ」「どこ」「だれ」「何を」。

 簡単に摘出できるなら「どんな」「なぜ」・

 「5W1Hで読む」ことを「一字読解」で繰り返し、5W1Hを基準にして自力読みができるように促していきたい。

 その上で、フィンランドの読書カードにあるような「あなたなら問題」についても、自力読みにチャレンジさせてみると良い。

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汎用的な読解スキルの考察(3)

物語文指導における「自己移入」(自分ならどうするだろう)の発問として

北川達夫氏は、次の3つを紹介された。

 ①主人公に教えてあげたいこと・質問したいことは何か

 ②もし、あなたが主人公だったらどうするか

 ③この物語の悲しい結末と楽しい結末を考えなさい

 

 これを「一つの花」に当てはめると、たとえば

 
 ①「ゆみ子」に教えてあげたいこと、質問したいことは 

  ゆみ子を思うお父さんがいたこと

  10年前は、戦争中で厳しい暮らしをしていたこと

  コスモスのことを覚えているのか?

  10年前は、戦争中で厳しい暮らしをしていたことを覚えているか?

 ②もし、あなたが主人公だったら

  お母さんに、お父さんのことや戦争中のことを聞いてみたい。

 ③この物語の悲しい結末と楽しい結末を考えなさい

   お父さんの戦死がはっきりする。

   お父さんは10年経って帰ってくる。

 

 また、「ごんぎつね」に当てはめると、たとえば

 ①ごんに教えてあげたいこと・質問したいことは何か

  兵十のおっかあが死んだのは、ごんと関係がないかもしれないよ。

  ごんは、殺されるかもしれないと思いながら栗や松茸を届けていたの?

 ②もし、あなたが「ごん」だったらどうするか。

  神様のせいだと思われてもいいから、絶対バレないように兵十の留守の時しか行かない。 

 ③この物語の悲しい結末と楽しい結末を考えなさい

  ごんが死んでしまう。

  ごんが手当てして元気になる。

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汎用的な読解スキル(2)

(2)物語作品の指導過程

①自分がどういう気持ちかを他人と比較する。

②自分と違う意見が存在することを知る。

③他者を通じて自分を知る・自分の感情を知る。自己表現のリスクを知る

 

これを「かわいそうなぞう」に当てはめると

①自分は「かわいそうだ」と思ったとして、他人はどう読んだかを知る。

②「仕方ない」というような自分と違う意見が存在することを知る。

③自分と違う感じ方をする他者(の割合)を通じて、自分の相対的な位置を知る
 
ということになる。

「かわいそうなぞう」については、 北川達夫氏の講演記録のメモが残っていた。

==================================
例えば6年生の教科書に日本でも知られている「かわいそうな象」があります。

これを読んで20人が全員泣いたら,「ああ,みんな泣くんだな」と,それを教えるためにします。

6 年生ぐらいだと,たまに1 人ぐらい冷笑する子がいます。「動物がこんなことできるわけない。これは作り話だよ」と。

そのとき,19 人の泣いた子たちは「ああ,20 人いたら19 人泣くんだ」と,自分との共通性の感覚を知ること。

「20 人いたら1 人ぐらい笑う子がいるんだ」というのを知ること。

そして笑った子は,「ああ,20 人いると19 人は泣くのか。だけれども,自分はそれを笑ったんだな」という,その認識だけです。

この比較というのは,読解教育で文学をテキストにする場合,特に初等教育では絶対に行わなければならないこととされています。

============================

 国際社会では、自分の常識と他者の常識は違うから、この話を読んで「泣くかどうか」は誰にも強制されない。

 「自分は泣いたけど、この話で泣かない人もいるんだ」と知ることが、①や②にあてはまる。

 ③の自己表現のリスクというのは、ほとんどの子が「悲しい」と反応しているのに「悲しくない」と宣言することのリスクだと理解した。

 「内心の自由=自分が思うこと」は誰にも制約を受けないが、批判や嘲笑を受けるかもしれない、しかし、そのリスク(批判)を恐れず、自分は貫いてほしいのだ。もちろんリスクを背負いたくなければ黙っていればいい。

 

「ごんぎつね」なら、「読後感(自分はどう思うか)」の対立もあり得るので、ぜひお互いの意見を交換してみてほしい。

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汎用的な読解スキルの考察(1)

 2003年の調査でPISAショックと呼ばれ、日本の読解力の不振が騒がれた時、注目されたのがフィンランドの読解教育だった。

 2007年、特設科目「論理科」で研究を進めた安芸高田市立向原小学校の発表大会でフィンランドメソッドに詳しい北川達夫氏の講演が行われた。

 資料が散逸して、自分なりにまとめ直し「汎用的な読解スキル」を整理してみたい。

 フィンランドの読解指導(論理教育)には、次の4つの流れがある。

 ①問題の認識・・・・何が問題かを掴む

 ②問題の分析・・・・どうすれば解決するかを自分で考える

 ③解決策を模索・・・・・他にも解決策はないか、他者の意見も聞く

 ④最善の解決策の提案・・・最終的に自分なりの判断を下す。

 ①②は、テキストの読解(本との対話)

 ③は、自己のブレーンストーミングや他者との意見交流(人との対話)

 ④は、(人との対話を踏まえた上での)自分の意思決定

 ③④がテキストから離れた自己表現の部分で、そこまで含んで「PISA型読解力(リーデイングリテラシー)」だ。

 

 さて、これを「桃太郎」のお話に当てはめると

 ①「桃太郎」の中で何が一番の問題か(鬼の存在)

 ②どう解決することになったか(鬼退治に行き、宝物を取り返す)

 ③他に解決策はなかったのか(住み分ける・お互い関わらない・話し合う)

 ④自分にとっての一番の解決策は何か・自分だったらどうするか。

 

 「桃太郎」以外でどんなお話に当てはまるかを考えて、汎用性的を探りたい。

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July 25, 2024

教師に向いている人の特徴

 たまたま「心理カウンセラー」について調べてみた。
 すると、なんと、そのまま「教師の適正」に重なるので驚いてしまった。
===========================
 「心理カウンセラーに向いている人の特徴」
1. 人に関心を持ち、思いやりを持って接することができる
(クライアントの心の動きを敏感に感じ取り、その気持ちに寄り添うことが求められます)
2. 相手との適切な距離感を保ちながら、話を根気強く聞くことができる
(信頼関係の構築のためには、適切な距離感を保ちながら、クライアントの話に耳を傾けることが重要となります)。
3. 人の役に立ちたいという思いを持っている
(クライアントの成長と幸せを心から願い、そのために全力でサポートする)
4. 物事を論理的に考え、細部によく気づくことができる
(クライアントの言葉の裏にある真意を汲み取る洞察力も必要)
5. 秘密を守ることができる
 心理カウンセラーに向いていない人の特徴
1. 感受性が強すぎて、感情移入しすぎてしまう
(自分の感情と切り離して、客観的にクライアントの状況を見られる人が良い)
2. 人と話すことが苦手で、コミュニケーションが不得意
(言葉の持つ力を理解し、的確なコミュニケーションができる人が良い)
3. 自分の意見や価値観を押し付けがちで、思い込みが強い
(自分の価値観を一旦横に置き、クライアントの視点に立って考えられる人が良い)
4. 向上心がなく、自己研鑽に積極的でない
以下のサイトより一部要約
========================
 最後の4の補足部分は、全文引用する。
心理学は日々進歩しています。常に新しい知識を吸収し、自己研鑽に努める向上心が必要です。学ぶ意欲がない人には不向きな職業と言えます。心理カウンセラーに向いている人は、生涯にわたって学び続ける姿勢を持ち、自己成長に積極的な人です。
・・・「教師」に置き換えてみても、そのまんま適用できる。
グサリとささる部分だ、

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July 23, 2024

「いい事例はないですか?」という少し残念な質問

 妹尾昌俊氏の業務改善の長い記事だが、表題の章が印象的だった。
 体感では8割以上、こういう質問をする人は、自分で事例を探してから質問をしているわけではない。文部科学省も事例集を出しているのだが、読んだことはないという。
 意地の悪い見方をすれば、「事例はないですか?」という先生たちには、2つの可能性がある。
に続く次の箇所だ。
=====================================
◆ネット社会なのだし、ものの10分、15分でも参考事例は探すことはできるだろう。その時間も惜しむほど、働き方改革や業務を見直すことに優先度を置いていない、ということではないか。
◆各校で各自10分でよいので事例を探してきて、もしくはアイデアをリストアップしたうえで持ち寄れば、それなりに改善案は出るのに、そのちょっとした手間をかけようとしないのだ。
======================
「意地の悪い見方をすれば」と書いてある通りで、手厳しいのはその通りなのだが、このロジックを借用すると、要するに
ちょっと調べれば出てくるような情報を自分で取りに行くこともなく、「いいアイデアないですかね」と他力本願で語る人は,本気度が足りないだけ。
ということになる。(ただし、手厳しいので、こういうことはあまり口にしない方がいい)
 以前、恋愛事情に絡んで「仕事が忙しいから電話できないっていう人がいるけど、いくら忙しくてもトイレぐらい行くでしょ?トイレ行く時間あるなら電話だってできるでしょう」という女性タレントの意見があって、なるほど、こう言われたら彼氏は「参りました」しか出てこないなと納得したことがある。
 超多忙な先生の方が圧倒的に仕事をこなしていて、多忙を言い訳しない。
 向山先生の言葉を借りると、「万策尽きるまで」の気概である。

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July 17, 2024

汎用的な読解力=「次は自分で解いてみたい」

 かうて、校内研修で、国語の「じどうしゃくらべ」(1年光村)を扱ったとき、
 ある先生が「今度1年生の担任をしたら、ぜひやってみたい」という感想を書いてきた。
 残念ながら、これは、嬉しくない感想の典型。
 校内研修で扱った「じどうしゃくらべ」の授業は、指導法の一例に過ぎない。
「じどうしゃくらべ」はコンテンツ。
校内研修でやりたかったことは、コンピテンシー(学び方)。
「今日『じどうしゃくらべ』でやった方法を使って、2学期の別の教材で授業してみたいです」
といった感想が出ないと意味がないのだ。
「次の場面は、自分で読み解いてごらん」と、やさしく突き放す。
「先生、自分でやりたいから、これ以上教えないで」と学習者から突き返される。
そういう学習者が育つことをゴールに取り組んでいかねばならない。

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July 15, 2024

AかBかを問うて、理由を発表させる授業

「『めあて』と『まとめ』の授業が変わる『Which型課題』の国語授業」桂聖編著(東洋館出版)2018年初版。

40年近く前に提唱された向山先生の「発問の三原則」を踏まえている。
①知覚語で問え
②発見させる言葉で問え
③選択させる言葉で問え
「which型課題」とは、要する「選択させる言葉で問え」ということだ。
 東洋館出版のサイトを見ると、一部の内容が紹介されていた。
 それは、まさに向山先生の発問の原則の意味と意義を述べている。
 そういう意味では「ありがたい」と言ってもいいだろうか。
(意図的に改行を増やして示します)
==============
「なぜ?」「どのように?」は答えにくい。でも、「どっち?」なら全員参加できる!
「主人公はどうして、こんなことをしたのでしょう?」
「このとき登場人物は、どんなことを思ったのでしょう? 今日はそれを考えましょう」
これは、日本中の国語授業で広く行われている、オーソドックスな学習課題の提示例です。
ここには1つ問題があります。それは、「これらの発問によって、学習が停滞する子どもがクラスにいるかもしれない」ということです。
「なぜ?」(Why)や「どのように?」(How)という発問は、行動の理由、心情の推測などの読み取りを求めるものです。
さらには、開かれた問いであるために、子どもたちは抽象的に考え、自分でその答えを探してこないといけません。
これは、国語が得意でない子どもにとってはハードルが高く、どう考えればいいのか、なにを答えればいいのか、学習に参加できない場合が出てきてしまうのです。
「主人公は、どうしてこんなことをしたのでしょう?」という問いに答えるのは、確かに難しいかもしれません。
でも、「こんなことをしたきっかけは、次の3つの場面のうちどれだと思う?」という問いであれば、その中から選択・判断すればよいことなので、子どもにとって答えやすくなります。
同時に、「この場面がきっかけだとすると…」と着目させることで、主人公の行動の流れとその理由を考える、大きな手がかりになります。
選択肢をつくることは、なぜその場面がきっかけなのかを考え、話し合うことにつながります。
その結果、考えさせたかった「どうして」という行動の理由にも、より取り組みやすくなるのです。

選択肢をつくって選ばせる活動を通じて、全ての学習者が学びの第一歩を踏み出せるようにする。
それが、本書の提案する「Which型課題」でつくる国語授業です。
=================
 
 「AかBか」を尋ね、理由を言わせる授業は、活性化しやすい。
  そのことを具体的な授業例を含めて、示している。
  個人的には、向山洋一氏の提唱した「発問の原則」の意味と意義の復習になった。
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「ごんぎつね」セレクト

◆フィンランドメソッドで「ごんぎつね」の発問計画

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2010/01/post-55bd.html

 

◆題名から要約・題名からサブタイトル

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2020/12/post-2b4aa5.html

 

◆『ごんぎつね』の構造は「序破急」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-ff1270.html

 

◆『ごんぎつね』の構造は「無限ループ」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-ad34f2.html

 

 ◆「ごんぎつね」の解釈(1)「つぐない」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/06/post_f418.html

 

 ◆「ごんぎつね」の解釈(2)悲劇を繰り返さないための教訓読み

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/12/post-c1c4.html

 

◆『ごんぎつね』の解釈 (3)「人間と狐」だからこその悲劇

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-14fa17.html

 

◆『ごんぎつね』の解釈(4)「有隣」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-abc9be.html

 

◆「ごんぎつね」の解釈(5) 「分かってほしい」作者の投影

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-c57571.html

 

◆「ごんぎつね」の解釈(6) 額縁構造から読めること

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-8c786a.html

 

「ごんぎつね」の主役の検討

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-9152b8.html

 

◆「ごんぎつね」の主役の検討を「三角ロジック」で。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2017/12/post-5a81.html

 

◆「ごんはどんなきつねか」を三角ロジックで

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-ef1f1b.html

 

◆「ごんぎつね」の対比の検討

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-a9dff2.html

  

◆別教材で「有隣」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-1e76a5.html

 

◆「ごんぎつね」はコミュニケーション不足の悲劇

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/08/post-fafc2a.html

 

◆「ごんぎつね」の語彙の指導

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/08/post-843ab3.html

 

◆「ごんぎつね」のワークシート

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/08/post-ee09ef.html

 

◆「ごんぎつね」の指導計画

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/10/post-9693ab.html

 

◆ごんぎつね ~兵十の状況が理解できない子~

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/10/post-01096e.html

 

◆物語は「初めー終わりー中」の順番で検討する

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/10/post-f3ea07.html

 

◆「ごんぎつね」の構造 ~ラストまで読んだら振り出しに戻る~

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-ad34f2.html

 

TOSSランド 「ごんぎつね」の覚書

https://land.toss-online.com/lesson/aapucpgrnwqtrw7c

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July 14, 2024

「ごん」は、どんなきつねか?

「ごんぎつね」の6場面を参観した。
授業者は、「ごんは、どんなきつねか?」を課題とし、その根拠と理由を書かせていた。
子供たちは、それぞれ意見を書き、発表していったが、それを集約する先生が大変そうだった。
「どんなきつねですか?」については
◆やさしい
◆かわいそう
の他に、
◆かんちがいされてうたれてしまったごん
◆つぐないをしたのにかんちがいされたごん
のような意見もあり、
「それは、『かわいそうなごん』に含まれるのではないのかな?」とも思った。
授業者としては
 
①「どんなごん」を書き、
②証拠となる叙述を抜き出し
③説明(コメント)を加える
の3点セットを書書かせたかったようだ。
それなら、子供の意見を丁寧に板書せずに必要なワードだけを付箋に打ち込んで、あとで整理してもよかったのでは。
というわけで、授業後に、私がジャムボードにまとめてみた。
①ごんは「やさしい」
②「栗や松竹を届けた」「こっそり」とあるから
③ばれたくない・気づいてほしかったという気持ちが伝わってくる
①ごんは「かわいそう」
②「またいたずらに来たな」と言われ、銃で撃たれてしまった。
③いいことをしたのに、勘違いされて「かわいそうだ」
しかし、授業中、①②③がうまく揃わない意見もあった。
3つを揃える。つまり「証拠」と「説明(理由)」を明確に書き分けるのは難しいのだ。
その難しさを考えずに「どんなごん」かを尋ねる授業は、要注意である。
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瀧本哲史氏の檄を受けて

「右手にロジック、左手にレトリックを」

という瀧本哲史氏の主張に魅了された。

==========

 言語にはギリシャのアリストテレスの時代から伝統的に、2つの機能があると言われています。

「ロジック」と「レトリック」です。

 ロジックというのは日本語で言えば「論理」ですが、もう少し意訳すると、前提が真なら結論も真となるような推論の型のことで、ざっくり言うと、「誰もが納得できる理路を言葉にすること」ですね。(中略)

 言葉の機能のもう一つの「レトリック」は、日本語では「修辞」と訳されています。簡単にいえば「言葉をいかに魅力的に伝えるか」という技法がレトリックになります。(中略)本来のギリシャ時代から続く弁論術のなかでは、レトリックについて、聴衆を魅了し、説得して賛成してもらうための重要な能力と位置づけています。

 「2020年6月30日にまたここで会おう」星海社新書 P39〜41

===============

 こうした一般論だけで読者を納得させることは難しい。

 だから、瀧本氏はオバマ氏を具体例に選び、説得力を増加させた。

 

◆ アメリカ大統領のオバマさんは、非常にスピーチがうまいことで知られていますが、彼の話し方や聴衆の心に響く言葉の選び方、伝え方は、ものすごくレトリックが優れているんですね。(中略)

 どんなに楽しいロジックでも、良いレトリックが伴わなければ、それは聞く人の心にきちんと届かないし、まして行動を変えることなどできません。

 つまり「言葉には力がある」という事は、究極的には、アメリカ合衆国の大統領になれるほどの力を持つ、ということでもあるんですね。

p 41〜42

 

・・・瀧本氏の主張を読むと、ロジックとレトリックの基盤に「教養」があるのだとつくづく思う。

 オバマの分かりやすい具体例を示し、「言葉には、アメリカ合衆国の大統領になれるほどの力がある」という主張が腹落ちする仕掛けになっている。

 

 教養があるから、読者を説得するための最適な例示をチョイスできる。

 もう1箇所、書き順を工夫することで、説得力が倍増する叙述・読み手を魅了する叙述がある。

==========

(ワイマール共和制は) 理想だけは素晴らしいのに内実はボロボロで、政党はまとまらないし国としてもダメダメで。もうほんとにダメだってときに、元軍人の、といっても伍長でしたが、1人の売れない画家の人が、「俺がなんとかしてあげよう」と言って、出てきました。

 そして国民の多くも、「この人が何とかしてくれるかもしれない」と思って、その人が祭り上げてしまったわけですね。

 その人、最初のうちはホント良くて、経済政策が大当たりして国の景気もむちゃくちゃ良くなり、「やっぱりあの人に任せて良かった」と国民の多くが思ったんですが、その後どんどん変なことをやり始めて、 あちこちにいろんな敵を作って攻撃したり、やたら戦争起こしたりして、結果的にドイツは大変なことになりました。

 はい、ナチスのアドルフ・ヒトラーって方です。  p11〜12

===========

 この部分は、最初から「ヒトラー」の名前を出したら、読む側はつまらない。

 最後に「ヒトラー」が出てくるから、「カリスマモデルはうまくいかない」という主張がストンと落ちる。

  レトリックも教養なら、そこで使われる歴史的事実も教養だ。

 私たち教師は広く深く学び続け、効果的な例示ができる「教養=知性」を持ちたいものだとつくづく思う。

 

※2012年に東大で講演し8年後に再集結せよと宣言した瀧本氏は2019年に亡くなりました。

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学校教育は、Well Proven Technologyで進んでいく

 東海道新幹線の開業に携わった島秀雄。
 様々な「昭和のすごさ」を見直していて、次の部分に出会った。
=========================
新幹線実現にあたっての秀雄の基本コンセプトは、在来線で培った技術を確実に適用することにあり、技術開発の著しい分野については将来的にそれを採用できる十分な余裕を設けることとした。(中略)
新幹線の工事予算は一部を世界銀行からの借款でまかない、秀雄は新技術を対象とした事業に融資できないという世界銀行の規定をパスするため、新幹線は「Well Proven Technology(充分実証済みの技術)」であるとしてこれを説得した。
=====================
 
 「Well Proven Technology」
 世界銀行の融資規定をパスするためには、「充分実証済みの技術」のみである必要があった。
 
 これを「教育の世界」で考えてみる。
 教育に関する大改革が叫ばれたとしても、多くの教師・国民の理解を得るには「充分実証済みの技術」がベースでなければならない。
 子供たちを実験材料にするわけにはいかないのだ。
 こういう言い方をすると、保守的で後ろ向きで、現状維持に走るヤツだと批判されそうだが、そういうことではない。
 もう6年も前の合田哲雄氏のコラムで、次のようにある。
 一部抜粋、改行を増やして提示。
==============
◆AI研究の第一人者の松尾豊東京大学准教授や国立情報学研究所の新井紀子教授を交えた議論のなかで出た結論は、「我が国の学校教育は浮足立つ必要はない」ということでした。
◆松尾先生や新井先生がAI時代に求められる資質・能力として挙げているのは、
「教科書や新聞、新書などの内容を頭でベン図などを描きながら構造的に正確に読み取る力」、
「歴史的事象を因果関係で捉える、比較・関連付けといった科学的に探究する方法を用いて考えるといった教科固有の見方・考え方を働かせて、教科の文脈上重要な概念を軸に知識を体系的に理解し、考え、表現する力」、
「対話や協働を通じ、新しい解や「納得解」を生み出そうとする態度」。
これらは、
「書くことは考えること」という指導、
多様な子供達がともに学ぶなかでの「学び合い」「教え合い」の学校文化、教科教育研究や授業研究といった固有の財産を持つ我が国の学校教育が140年にわたって重視してきた力そのものではないでしょうか。
初中教育ニュース(初等中等教育局メールマガジン)第327号(平成30年2月23日)
「出藍の誉れ」時代の学校教育-浮き足立たず、自信をもって子供達に向き合っていただくために- 〔文部科学省初等中等教育局財務課長 合田 哲雄〕
================
・・・もちろん、合田氏の主張を「都合のいい解釈」をして、今まで通りでいいんだと何も学ばないのは困る。
 少なくとも、教育界における「充分実証済みの技術」は何かを吟味する必要はある。
 我が国の学校教育140年の財産を探るのは大変だが、向山実践や法則化・TOSSの実践は、Well Proven Technology(充分実証済みの技術)の宝庫である。
 しっかり伝播していきたい。
「奇跡と呼ばれた学校」(朝日新書)で、京都市立堀川高校の当時の荒瀬克己校長は次のように書いている。P47
=============
◆島さんは新幹線をつくるとき、勇気を持って冒険をしませんでした。それが新幹線の信頼につながっている。
堀川高校も冒険はしません。教育とは見果てぬ夢のようなものではなく、過去を振り返って評価をし、淡々と進めていく実務だからです。
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July 13, 2024

作品のテーマを考えさせることは大事(3)

今日(7/7)の中日新聞に、「感想文の書き方」の6項目が紹介されていた。

1、簡単なあらすじ

2、注目した言葉や場面、挿絵など

3、この本のテーマ

4、テーマについて考えてみたいこと

5、本や人の話から得たこと

6、4に対する意見・考え

 

 主題指導が明示されなくなった今の時代に「テーマ」は必要ないかと思っていた。 

 しかし、斎藤孝氏の意見を読んで「テーマ」は大事だと思い直すようになった。

=============

 「この話にはどんな意味があるのか」を読み解く力です。

 これはいはば、テストでいうと小論文です。(中略)

 つまり人生で役立つ読解力と言うのは、客観的な理解と、ある種の主観的な読み込み、この二つを両輪のように回していくものなんです。(中略)

 名作で言えば、その文章で一番言いたいことは何かをさっさとつかまえて表現できる力とともに、それについて自分はどう思うかの、両方が言えること。

子どもの学力は読解力で決まる」(朝日新聞出版)

==========

 「読解力は客観的要約力と主観的コメント力の両輪からできている」と述べており、この「主観的コメント」が、「この話にはどんな意味があるか」「一番言いたいことは何か」である。要するに「主題」の読み取りなのだ。

 

・・・先に「自分は『読書感想文』の指導をしていたのだとも言える」と書いた。

しかし、本意としては、斎藤氏の言うような「小論文」を書かせたいのである。

 学習指導要領から主題指導がなくなったのは、一つの主題に収束しなくてもよいという意味であって、個々の感じ方・考え方を披露し合うことまで否定されているわけではない。

 「この話にはどんな意味があるか」「その文章で一番言いたいことは何か」という課題設定をためらってはいけない。

「読書感想文」という言葉は、手垢がついてしまっていて、ロジカルでない。

「それってあなたの感想ですよね」と思われてしまったら、対話にはならない。

「読書感想文」というジャンルを一掃して「小論文」にすればいいのだ。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/12/post-f066b9.html

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作品のテーマを考えさせることは大事(2)

今日(7/7)の中日新聞に、「感想文の書き方」の6項目が紹介されていた。
1、簡単なあらすじ
2、注目した言葉や場面、挿絵など
3、この本のテーマ
4、テーマについて考えてみたいこと
5、本や人の話から得たこと
6、4に対する意見・考え
 主題指導が明示されなくなった今の時代に「テーマ」は必要ないかと思っていた。 .
 しかし、昨年、「スイミー」のあらすじを生成AIに尋ねたら、なぜかAIが「テーマ」に言及してきて、それから考えが変わった。。
 以下の太字の部分だ。
================
A:スイミーは、小さな青い魚の物語です。ある日、スイミーと仲間たちは、大きなマグロに襲われました。スイミーだけが逃げることができましたが、仲間たちはみんな食べられてしまいました。スイミーは、一人で広い海を泳いでいました。途中、たくさんの危険に遭いましたが、何とか逃げ切りました。そして、ついに仲間たちのいる場所にたどり着きました。スイミーは、仲間たちに助けを求め、みんなで力を合わせてマグロを追い払いました。スイミーと仲間たちは、無事に家に帰ることができ、幸せに暮らしました。
 スイミーの物語は、仲間と協力することの大切さを教えてくれます。また、どんな困難にも負けず、諦めずに努力することの大切さを教えてくれます。スイミーの物語は、私たちに勇気と希望を与えてくれます
================
・・・「この物語は〇〇の大切さを教えてくれる」というフォーマットで考えさせることは、とても意味があるのだなと納得した。
 先のブログで紹介した折原みとさんの言うように、作者は何かを伝えようとして作品を書いているのだから、そこを汲むのが読みの力である。
 学習指導要領から「主題指導」がなくなったからと言って、考えさせなくていいものではない。主題指導がなくなったのは、教師の価値の押し付けが蔓延していたからだ。
※生成AIとのやりとりはこちら。

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作品のテーマを考えさせることは大事(1)

本日(7/13)の中日新聞に、「感想文の書き方」の6項目が紹介されていた。
1、簡単なあらすじ
2、注目した言葉や場面、挿絵など
3、この本のテーマ
4、テーマについて考えてみたいこと
5、本や人の話から得たこと
6、4に対する意見・考え
先のブログにも書いたように、私も「テーマ」を考えさせてきた。
というか、主題を考えさせることに遠慮があったが、今は考えさせるべきだと思っている。
「主題指導」は小学校の学習指導要領では、ずいぶん前から扱わなくなったが、だからと言って無視していいものでもない。
およそ1年前(7/18)の「朝日小学生新聞」。
「物語を作ってみよう」の見出しで折原みとさんの講座報告があった。
================
 物語を作るには、まずテーマを決めます。「ホラーを書いて読者を怖がらせたい」「きゅんきゅんするような恋愛の話を書きたい」 など、自分がどんなお話を書きたいのか、何を伝えたいのかを考えます。簡単なことからでも決めてみましょう。
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 物語を書く側がテーマを設定しているのだから、読む側は「作者が何を伝えたかったのか」を受け止めることが大事だ。
 もちろん受け止め方は様々でいいから、「自分はどんなお話だと感じたか、作品から何が伝わってきたか」を言語化すればいい。
 
※この記事についての詳細は、以下
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中日新聞「差がつく読書感想文」

本日(7/13)の中日新聞に、「差がつく読書感想文」が紹介されていた。
大竹稽氏が、「テーマ見つけ対話しよう」として、次の例を示している。
1、簡単なあらすじ
2、注目した言葉や場面、挿絵など
3、この本のテーマ
4、テーマについて考えてみたいこと
5、本や人の話から得たこと
6、4に対する意見考え
なるほど。
この6項目は、先のブログで自分の列挙した内容と結構似ている。
1、内容の予想
2、初発の感想  
3、あらすじ
4、授業で取り組んだ課題
5、主題
6、学び(この本を読んでわたしは・・ということを学びました)
7、活用(わたしは、これを機会に・・と思っています)。
8、その他
あまり意識してなかったが、結局、自分は「読書感想文」の指導をしていたのだとも言える。
実際は、そうでもないので、そこは、続きのブログで書きます。
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単元のまとめから、逆算して授業を構想する

国語の授業では、授業でやったこと、つまり、ノートに書きためたことをもとに、以下のフォーマットでまとめを書かせることが多かった。
授業の流れを安定させたいという思いもあった。
=========================
0、題名
 今回読んだのは「〇〇」という作品です。
1、予想
 読む前には、次のような内容かなと思っていました。
2、初発の感想
 この本を読んで、最初に強く思ったのは、・・・ということです。
3、あらすじ
  本の内容を簡単に紹介すると、次のようになります。
 (最後にはどうなった話かが分かるように書きましょう)
4、授業で取り組んだ課題
  わたしは、この本を読んで、いろんなことを考えました。(まず 次に さらに)
5、主題
  この作品は・・・・というメッセージを伝えようとしています。 
  そう思った理由は・・・からです。
6、学び
  この本を読んでわたしは・・ということを学びました。
7、活用
  わたしは、これを機会に・・と思っています。
8、その他
  書き足りないことがあればどうぞ。
=======================​
 授業の展開や学年によっては、これらを全部提示していない。汎用的に示したら、こんな感じということ。
 5・6・7はまとめて1つでしか書けないことが多かった。
 5の「主題」という言葉は、ほとんど使ったことはないが、「作者のメッセージ」という言い方はよくしてきた。
 
 単元の最後にこの形でまとめさせたいと事前に伝える。
 そして、何度も繰り返して慣れさせる。
 「最後にこういうこと書くんだよな」と思って毎時間の授業に取り組ませれば、単元最後になって悩まなくていい。
 これらの項目について、ノートやデジタルで書き込みが残っていれば、最後のまとめは、それらのデータを参照すればいい。
 と、言いながら、実際は全員がスラスラ書けたわけではない。
 この流れで行った「ごんぎつね」の実践例を先に示したが、主題には迫っていないバージョンである。

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単元のまとめの感想 「ごんぎつね」を例に

かつて、「ごんぎつね」のまとめの感想を書かせたことがある。
ほぼほぼ授業でやったメニューを板書で提示し、書きやすいものを書かせた。
全部書く必要はない。自分が書きやすいものを選ぶためのメニューであり、授業内容を思い出すためのメニューである。

==============
①題を見て,読む前に予想した内容
②あらすじ
③各場面の感想          
④何度も読んでの感想 
⑤一番印象に残った場面    
⑥自分が音読した場面・音読発表の感想
⑦ごんは気づかれたかったのか・気づかれたくなかったのか
⑧さいごは「よかった話」のか「ざんねんな話」なのか。
⑨残念な最後にならないためには,どうすればよかったのか。
⑩この話の続き
⑪「サーカスのライオン」との比較  
⑫「てぶくろを買いに」との比較
⑬授業の感想(がんばったこと・もりあがった課題)
⑭感想文の感想 
============= 
そして、何を書いていいかわからない子のために、留意点を提示した。 
①自分のノートを見て、これまでの授業を想起させる。
 ノートに書いたものを書き写させる。

②何番のメニューなら書けそうかを個別に尋ねてみる。

③その子が書けそうなメニューを提示して、書き出しをノートの書くのを見届ける。
作業中は、順調に書きすすめている子の様子を紹介する。
また、○○君は原稿用紙何枚目というように紹介し励ます(追い込む?)。
その結果、場面読みの時は、きちんとまとまりきらなかった子も、再度振り返ることで、完成度が高まった。
多い子で原稿用紙10枚・少ない子で3枚(欠席のため)という結果だった。
このとき、書かせてよかったと思ったのが「感想の感想」だ。
=========
▼次にこの感想文を書いての感想を書きます。
5枚書いたのでちょっとむずかしかったけれど1まい目2まい目だんだんスピードが速くなって最後5まい目は1まい目と比べて速く書けました ごんがこうかいしてつぐないをする場面,兵十がごんをうつ場面それぞれ感想を書いたり授業の感想を書くなどいろいろなことを書き最後感想文の感想を書くことが出来ました。
またお話の感想を書いてみたいです。こん度は10まい以上書きたいです。
 (授業中,ほとんどノートがとれない子が,あらすじを含めて5枚書いた⑭の感想)

▼感想文の感想・・わたしはこの感想を書いてもっと「ごんぎつね」が分かったような気がしましす。たとえば,「サーカスのライオン」や「手ぶくろを買いに」というお話ににていることを上手な読み方を知ったりなどいろいろなことがこの感想文を書いて分かりました。これからも,「ごんぎつね」を読みたいなと思いました。

▼この「ごんぎつね」の授業の感想は,いろいろな場面があってその場面の音読などをして,いっそうこの「ごんぎつね」のお話を知ることができました。たくさん発表もしました。発表できたのもあったけど,ほかの人に同じ意見を発表されちゃったこともありました。がんばったことは,音読です。ごんの気持や兵十の気持ちを考えて読むことをがんばりました。授業で発表をたくさんできてよかったです。

▼最後に感想文を書いてみて,ごんぎつねのあらすじからはじまって最初に読んでみたことを書いたりして,こうやってまとめたりすることは,大切だと思いました。まとめてあらためてこんなお話で,ごんや兵十がどんな気持ちかわかりました。こうやってまとめていると,ここまで楽しくまとめれたなあと思います。(中略)最後には,この感想文をたくさん書けてよかったなあという気持ちでいっぱいです。これからもお話の感想を感想文にまとめてみたいです。
▼私はあまり本を読むのが好きじゃなかったから,そんなに感想が思いつかなかったけど,なんどもなんどもよんでみるといろいろな感想が思いつきました。さいしょはよみがあさかったけど何度もよんでみるとよみがふかくなりよりいっそう感想がふえいろいろな感想が思いつきました。 
 感想文の感想:こんなにいっぱいの感想文がかけてうれしいです。前は2枚でした。でも5枚もかけてうれしいです。これにかいてみるといっぱいの感想がかけてうれしかったです。これからは学年が上がるにつれて1枚1枚ずつふやしていきたいと思います。
====================
 まとめの感想も、これぐらいのボリュームがあると、主体的な態度の「粘り強さ」「自己調整(工夫)」の度合いがよく分かる。
 もちろん「思考力・判断力・表現力」もよく分かる。
 
分量が多いので、表紙をつけて冊子にすると、ますます満足感が高まった。
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「一つの花」のリンク集

(1)Microsoft Bingで「一つの花」について聞いてみました。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/06/post-9e0395.html

 

(2)生成AIを使った「一つの花」の教材研究

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/06/post-e2e622.html

 

(3)『一つの花』お父さんの気持ちを多様に考えてみる。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-11a857.html

 

(4))「一つの花」お父さんの気持ちを多様に考えてみる (その2)

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-bd9421.html

 

(5)「一つの花」~お父さんの高い高い - 

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-2f2ed6.html

 

(6)「一つの花」の題名の理由は?

 http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2013/06/post-7623.html

 

(7)「一つの花」の対比から、今の戦禍を考える:

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-72ea4d.html

 

(8)「一つの花」 父への手紙

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-11a1e8.html

 

(9)対比は奥が深い 

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/10/post-3830c5.html

 

(10)対比の授業を考える

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2020/08/post-5274a7.html

 

(11)「一つの花」を授業するための教養(スキーマ)としての読書

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-4663f0.html

(12)出征を見送る「事実」を知ろう。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-6b14df.html

 

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戦争を知らないから、情報を収集する

「太平洋戦争最後の証言 第三部 大和沈没編」門田隆将 小学館2012年

一時帰郷した隊員が家を出る次のくだりは『一つの花』の父の出征シーンと重ねて読んだ。
==============
 自分はもう生きては帰れない。そのことを母に告げなければならなかった。文男は家を出る前に、意を決して母にこう言った。
「おっかさん、今度は、とても駄目だで」
 思い切って言葉にした。そして、
「あきらめておくれん」
と。母もとうにそのことはわかっていただろう。村に次々と帰ってくる”英霊”の数を見ればわかるはずだ。
 万歳の声でおくられた青年たちが、やがて白木の箱となって帰ってきていた。戦況が悪化するにつれて、その数は増えていった。
 しかし、たとえ頭でわかっていても、それがわが子になるとは、考えられなかったに違いない。 母は無言だった。
「海軍は沈んじゃうから・・・骨は帰らんで」
 文男は、そうつづけた。
「残してある髪の毛でお弔いをしておくれん」
 弔いは残してある髪で・・・まだ17歳の少年が口に出すには、それは、あまりにつらい言葉だった。
 自分の弔いのことについて母親に告げる少年。文男は、その時の母の表情をそれから70年近く経った今も忘れることができない。
 「おふくろはクッと噛みしめてね。返事はなかったですよ。その時に私、まだ17歳でしょう。こっちも、それ以上は何も言えんかった。おふくろは、もう駅まで私を送らなかったですよ。出征の時も、おふくろだけは駅までよう送ってくれんかったですからね。それが最後になることがお互いわかっているから、もうおふくろには(見送りは)無理だったね…」
P160
=====================
 物語よりも、事実は重い。
 出征に行くということは「死」を覚悟してのこと。
 見送る側も「死」を覚悟しているし、それが辛くて見送りに行けなかった身内もいたということ。
 
 このような予備知識(スキーマ)を教師がもっているかどうかは、言葉の説得力を左右する。
 我々教師は、広く深く情報を集め、知識を蓄えて授業に臨まねばならない。
 なお、「国を守るために命を賭けて戦う」という事実は、今のウクライナ情勢とも重なる。
 降伏すれば何が起こるか分からない。だから情勢が不利であっても戦うしかない。
 同書の中で、沖縄での水上特攻から生き延びた方が次のように語っている。
==============
私たちは”負け戦さ”で死んでいくわけです。つまり、日本の将来がどうなるかもわからないまま負け戦で死んでいくんです。これは、無念ですよ。死んでいく時、仲間はどれだけ無念だったろうかと思います。」
「日本は勝つんだ、ちゅうなら、それは、よっぽどいいですよ。けど、実際は、”もう負けるんだ””日本の国はなくなるかもしれない”あるいは”今後日本はどうなるんだろうか”とほとんどの人が、案じながら死んでいったんですね。無念だったろうと、思うんです。(中略)あの時、 負け戦で死んでいったつらさ。それが私にはたまらんのです。」
 負け戦で死んでいく無念ーー日本の将来がどうなるかもわからないまま死んでいった若者の心情について、89歳となった山口はそう淡々と語るのである。
P292・293
============
 太平洋戦争の事実を知ることで、ウクライナで戦う人たちの思いを考えることができる。
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「板書」に頼らない授業が、授業改革の第一歩

4年社会科の「ごみ」に関する調べ学習。
グループごとにドキュメントでまとめていた。
「他の班のまとめをのぞいて、参考にしよう」という時間は設定したが、全体発表はなし。
板書もなし。
総括もなし。
なるほど!
これまでの自分なら「まとめはなくていいのか」「レベルの低い班を放置していいのか」と懸念するところだ。
しかし、自分自身の感覚が変わってきた。
=========================
◆教師が板書でまとめるから、子供の思考が停止するのではないか。
◆最後に教師がうまくまとめるから、子供は頑張らなくなる。板書待ちになるのではないか。
◆ていねいな板書は、結局「履修型授業」に陥りやすいのではないか。
=========================
自分の予定した内容を教えたい。
自分が大事だと思った内容を全部詰め込みたい。
自分が分かりやすいと思うデザインで板書をまとめたい。
・・・これでは予定調和の授業ということになる。
教師の想定からはみ出さない授業が良いということになる。
教師が「教えたい・伝えたい」という思いを我慢して、子供自身の「学び」に任せる。
1人1人の「学び」だけでは心配なので、そこはグループで意見交換したり、他のグループのまとめを参照させる。
「最低ラインを保証しなければ」の配慮が大きなお世話で、そうやって教師が板書するから子供は自立できない。
教師が気合いを入れた板書の典型が「構造的な板書」
それは、教師の教えたがり・まとめたがりの象徴。
批判を覚悟でいうと、教師の自己満足。
「きちんと教える」という」視点を持ちながら、よりよい授業=「学び」の支援について探求してみたい。
なお、
◆できない経験を繰り返すと、がんばろうとしなくなる。
◆わからない経験を繰り返すと、理解しようとしなくなる。
◆やってもらう経験を繰り返すと自分でやろうとしなくなる。
これが「学習性無力感」
上の2つは「丸投げ」のデメリット。
最後は「丁寧な指導」のデメリット。
教師が丁寧に板書すると子どもは自分でやろうとしなくなるものなのだ。

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July 12, 2024

「記憶」は、能力よりも心構えの問題ではないか?

この時期、楽器のまとめの漢字テストに取り組む学校が多い。
子供たちの得点がよくない学級では、どうしたらいいのかと困惑して先生が困惑していた。
漢字練習の際は、空書きや指書きをさせている。
ただし、「覚えるまで練習する」という習得型の意識で取り組んでいない。
言われたからやっているだけの「履修型」の学級では、成果が上がらない。
3年生になると新出漢字が増える。ふだん使わない抽象的な語句も多い。
先生がいくら丁寧に解説しても、本人が覚えるつもりで練習しないと忘れてしまう。
いくら授業中、まじめに漢字練習に取り組んでいても、主体的に学習に向かっていないと覚えられない。
また忘れたころに自分でチェックしないと記憶を強化できない。
結果が出るまで何度も覚え、何度も思い出す学習を自分に課す強い意志が必要になる。
さて、記憶力が悪い人には次のような傾向があるそうだ。
能力の問題というよりは、心構えの問題だと思う。
========================
①目で見るだけで覚えようとする
・・見ている間は覚えているように感じるがすぐに忘れる。声に出して読んだり紙に書いたりして、五感と結びつけることが大切。
②復習・反復をしない
・・一度見て記憶できる人は珍しい。復習し反復しなければ記憶は定着しない。
③集中できない
・・勉強中にすぐ注意が散漫になってしまう人は、記憶力がアップしない。
④興味がない
・・好きなアニメの名前はすぐに覚えられる。自分の興味あるものと結びつけるとよい。
⑤日常生活に生かそうとしない
・・使わないから忘れる。
==================
   
丸暗記(意味記憶)の能力を鍛えるピークは、10歳前後と言われている。
学級担任には「覚えることが楽しい」という雰囲気づくりを大事にして、
「え?もう覚えたの?すごいなあ」と驚いてもらって、
タイピング・漢字・都道府県名などを確実に習得させてほしい。

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July 11, 2024

「一つの花」 父への手紙

死を肯定する読みは難しい

「一つの花」のラスト。
父の姿はない。10年前に出征して帰ってこない父は戦死したのだろう。
しかし、4年生の子供たちは無邪気だから、お父さんは生きていてほしいと思っている。
最終場面を読み終えたところで、父に向けての手紙を書くという活動を取り入れてもらった。
例えば、次のような手紙。これは「戦死」タイプ。
読みにくいので一部漢字表記に直してある。
================
ゆみ子は今は戦争もなく、ちゃんとお母さんとゆみ子でしっかり生きてます。
今は「一つだけちょうだい」のくせをやめています。むしろお母さんよりもがんばって町に買い物のもできるようになって、小さいお母さんになってごはんも作れるようになりました。
あのコスモスのように一人でも強くなれました。
ゆみ子は家の家事もできるようになって、お父さんにもそのすがたを見せてあげたいです。
今もお母さんのことを見守っています。
=================
・・・「あのコスモスのように一人でも強くなれました」とは見事に文学だ。
次は、どこかで生きている。単身赴任のような感じ。
====================
お父さん、元気ですか?
わたしが十年前にお父んにもらった一本のコスモスは家を包むように大きくなっています。
今は平和でお買い物に行けて、ごはんがえらべます。
戦争の時は配給しかもらえなかったけど、いろんな食べ物が食べれてとても幸せです。
お母さんもわたしも待っているので早くかえって来てください。
今日はわたしはつくるので、はやくいっしょに食べてほしいです。
=====================
実は、このように「生きている」派の方が圧倒的だった。
それは担任が、「死んだと書いていないからどっちとも言えないね」とあいまいにしたからなのだと思う。
「ごんぎつね」も死んだと書いてないから、多くの子供はその後のストーリーで生き返らせたがる
。まるで手当をして助かった「大造じいさんとガン」のように・・・。
とはいえ、「一つの花」を読み終えた後、教科書の手引きにある通り「心に残った場面とその理由」書かせるのもつまらないかと思って提案した課題。
全員が手紙らしい文章を書けた訳ではないし、難しい点もあったが、それが分かったという意味でもが取り組んでもらえてよかった。
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造形の2つのアプローチ

1年生の「図画工作」

(1)「やぶいたかたちから生まれたよ」

 適当に破った色紙を組み合わせているうちに、自分なりのイメージが固まってきて1つの作品になる。

 破いたものを画用紙の上に置いていくうちにどんどんイメージが変わっていくことが多く、作品のお題は最後に決まる。

 思いつくままに作品に向かうので、自由な表現・独創性を育てる。

(2)「ぱくぱっくん」

 パクパクできる紙袋から「かえる」「鳥」「怪獣」などのイメージを確定させて、そのイメージに合うようにさらに工夫を重ねていく。

 だから作品のお題は早い段階で決まる。

 1年生なので、構想図やアイデアスケッチなどは描かせないが、自分の作りたいイメージを確定させて、実際の作品に表す「再現性」を育てる。

◆思いつくままに作品に向かう

◆作りたい作品のイメージを決めてから作成する。

 どちらのアプローチにしても、お友達の作品を鑑賞して、「こういう作品がいいね」「この作品のここがいいね」と教えてもらったり、自分で気づいたりする中で、配色やバランスといった造形の法則性を理解し、作品のレベルを向上させる。

 自分の思いつきだけで取り組んでいる子は「我流」のままなので、作品のレベルが上がらない。

作品を完成させた後の自己評価や教師からのフィードバックが大事になる。

 

※音楽の場合は、図画工作と違って、なんでも自由に創造すればいいわけではない。

音楽には一定のルールがあり、そのルールを守らないと音楽として成立しない。

たくさんの音楽を歌ったり聞いたり演奏したりする中で、音楽には心地よいメロデイがあり、決められたリズムがあり、それを外すと「違和感」を生じることを体感させていく(「違和感」を説明させるのは、とても難しい)。

正しい音楽を浴びるように体感し、音楽の「モデル」を身に付けていくことが大事にされる。

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July 10, 2024

「手放すタイミング」

「認知的徒弟制度」は、1980年代に、アメリカの認知学者であるジョン・S・ブラウンやアラン・コリンズらが提唱した。伝統的な徒弟制に見られる見習いの修行過程を4つのステップとして理論化した。

モデリング(modeling)【見せる】

コーチング(coaching)【させて、見て、気付かせる】

スキャフォールディング(scaffolding)【自立の支援】

フェーディング(fading)【任せて、手を引いていく】

 

さて、ビジネスの世界では、SL(状況対応型リーダーシップ)理論があることを、昨日書いた。。

1977年にポール・ハーシーとケネス・ブランチャートが提唱した。

部下の成熟の状況によってリーダーは4つのタイプを使い分けよと言う。

教示型リーダーTelling Leaders) 具体的に指示し、教えてやらせる

説得型リーダーSelling  Leaders) 指示もするが、支援もする。

参加型リーダーParticipating Leaders) 方向を示し、自分で決めさせる

委任型リーダーDelegating Leaders)・・方策も任せ、責任も委ねる

2番目の「Selling」の意味が分からなかった)。

https://www.dodadsj.com/content/20230224_sl-theory/

SL理論とは?リーダーシップ4つの型の特徴・メリットまとめ | THANKS GIFT エンゲージメントクラウド (thanks-gift.net)

 

多くの人が、山本五十六の語録と重ねるだろう。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

 

難しいのは「手放すタイミング・任せるタイミング」である。

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July 09, 2024

シチュエーショナル・リーダーシップ理論(SL理論)

◆SL(状況対応型リーダーシップ)理論は、ポール・ハーシーとケネス・ブランチャートによって1977年に提唱されました。
リーダーシップは常に同じように発揮するものではなく、部下の状態によって異なるアプローチをしたほうがより効果的という理論です。

◆社員のタイプに合わせた4つのリーダーシップの型は次のようになります。

(1)間違いを恐れて行動できないタイプ: 「教示型リーダーシップ」により、具体的な指示を出して指導し仕事の経験値を上げる。

(2)学ぶ姿勢はあるが行動できないタイプ :「説得型リーダーシップ」により、コミュニケーションを取り人間関係を築きながら指示を出す。

(3)一人で行動するのに不安があるタイプ :「参加型リーダーシップ」により、関係性をより深めながらサポートし自信を持たせて意欲を高める。

(4)やるべきことがわかり意欲的に行動できるタイプ :「委任的リーダーシップ」により、社員の自由を尊重しながらオープンクエスチョンの質問を中心に議論する。

SL理論とは?リーダーシップ4つの型の特徴・メリットまとめ | THANKS GIFT エンゲージメントクラウド (thanks-gift.net)

 

別のサイトでもチェックしてみた。

(1)「教示型リーダーシップ」は、主に成熟度1の部下に対するリーダーシップです。指示的行動が多くなり、援助的行動はあまり必要としない点が特徴だといえます。 

(2)「説得型リーダーシップ」は、成熟度2の段階の部下に対するリーダーシップです。説得型リーダーシップにおいては、指示的行動と援助的行動の両方が求められます。

成熟度2の段階においては、業務に対する姿勢や目的を説明してほしいという気持ちが強くなります。成熟度1と異なり、業務に関して本人なりの工夫をするようになるためであり、その意欲や興味などを失わせないアプローチが重要です。

(3)「参加型リーダーシップ」は、成熟度3の段階に達した部下向けのリーダーシップです。特徴としては、援助的行動の割合が多くなり、指示的行動はあまり必要とされない点が挙げられます。

 リーダーは部下の意見を柔軟に取り入れながらアプローチしていくことが大切です。部下が自分の考えで動けるように自立を促す段階であるため、モチベーションを低下させないように気をつけておきましょう。

(4)「委任型リーダーシップ」は成熟度4のレベルに達した部下向けのリーダーシップスタイルです。指示的行動と援助的行動の両方があまり必要とされない点に特徴があります。

 意思決定や課題解決に対する責任を部下に任せられるため、できる限り伸び伸びと仕事に取り組める環境を整えてあげることが重要です。ただし、部下に業務を任せているからといって、任せっぱなしになるとモチベーションの低下につながります。

https://www.dodadsj.com/content/20230224_sl-theory/

 

  1. 教示型リーダー(Telling Leaders
  2. 説得型リーダー(Selling  Leaders
  3. 参加型リーダー(Participating Leaders
  4. 委任型リーダー(Delegating Leaders

とあったが、2番目の「Selling」の意味が分からなかった。

 

子供たちの発達段階を踏まえて、この4段階でアプローチできるのではないかと思う。

最初は指示が多め。次第に支持を減らして支援を増やす。最終形態は指示少なめで責任ももたせる。

難しいのは「手放すタイミング・任せるタイミング」である。

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July 08, 2024

「作戦マリコ」で、国語の発表スキルを鍛える

SGE(構成的グループエンカウンター)について研修を深めている学校で「作戦マリコ」という手法を知った。。

まず、意思表示をする。(謝る・断るなど立場を明確にする)

理由を言う。

これから、どうすればいいを伝える。

 

なるほど、これが「作戦マリコ」か(検索したけどヒットしなかった)。

例えば、一緒に遊ぼうと誘われたけど、断りたい時は、次のようになる。

①ごめんね。

②放課は教室でお絵描きしたいんだ。

③昼放課なら大丈夫だけど、どう?

 

最初の意識表示が曖昧だと、話が入ってこない。

自分の立場(結論)を最初に述べることは、話し合いでも基本中の基本だ。

マニュアルの中には、

「ごめんね」と言われるだけでは相手はスッキリしない、ということも書いてあった。

これも「なるほど」。

相手が納得するように理由も伝える。そして、代案を提示するなど、未来志向で結ぶ。

 

この「マリコ」の三点セットは、応用が効く。

かつて、採用試験の面接対策で「三文でまとめよう」と伝えたことがある。

まず、質問に対する返答

理由

補足説明・決意表明・今後の見通しなど

 

いくら「Yes、No」を質問されたからと言って「はい・いいえ」の返答だけでは、質問する側も戸惑ってしまう。

会話はキャッチボールだから、もう少し広げてもらわないと困るが、かといってあんまり長々と自論を話されても困る。

だからズバリ三文とは言わないが、三部構成でコンパクトにまとめると聴く側もスムーズなのだ。

さらに考えたら、国語の文章読み取りも効果がある。


①「マ」まず、質問に返答し、立場を明示する

②「リ」理由を言う

③「コ」根拠となる箇所を示す

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まさに「三角ロジック」で、これこそ「作戦マリコ」。

ルーブリックで示したら三段階になる。


B・・①の立場が書ける。

A・・②の理由が書ける

S・・③の根拠を書ける。



「理由」と「根拠となる文章」のどちらが難易度が高いかは微妙だから、SとAは逆の方がいいかもしれないが、優先順位としては、理由を書けてAとしたい。

思考ツールで言うと、三角形のモデルが良いだろう。


ただし、本当は立場を選ぶだけでは困るから、いずれは次のBASに引き上げる。


B・・①の立場と、②の理由が書ける

A・・③の根拠を書ける。

S・・反対側の意見にコメントや反論ができる。

話型で言うと

 

B・・私は△△だと考える。なぜなら〜からだ。

A・・根拠は、○○ページに〜と書いてあることだ。

S・・もし▲▲だったら、〜になるからおかしい。

 ・・例えば○○の場合は、〜になる。

 ・・前に習った○○の時は、〜だった。


などである。

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学級担任の7つの機能

 大久保幸夫氏は、上司には「七つの便利な機能がある」と述べている

(1)キャリア・コーチ――「こうなりたい!」を実現するための相談相手

(2)アセッサー――仕事の成果や部下の能力の評価者

(3)トラブルシューター――トラブルの処理役・謝罪役

(4)スタンパー――GOサインを出してくれる承認者

(5)ハイパー・プロフェッショナル――無料でノウハウを教えてくれる師匠

(6)コ・ワーカー――できない仕事を代わりにやってくれるパートナー

7)ネットワーカー――仕事上必要な人脈の紹介者

ボスマネジメントとは――意味と例、上司との信頼関係を築くための方法は - 『日本の人事部』 (jinjibu.jp)

 

 「上司の機能をうまく利用するボスマネジメント」という発想は、ちょっと悲しいものがあるが、部下にそう期待されるだけのスキルはもっていたい。

 当然、学級担任は、この7つのスキルを発揮できる存在でなければならない。

 7つの機能を発揮できる教師は、信頼を勝ち取ることができる。

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人としてどうあるべきか

道徳教育について調べていたこと(15年以上前)、「海軍五省」について書いたことがある。

一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか   (不誠実なことはしなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか   (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)

一、気力に欠くるなかりしか   (気力は惜しみなかったか)

一、努力に憾(うら)みなかりしか   (努力を惜しみなかったか)

一、不精に亘(わた)るなかりしか   (怠けることはなかったか)

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2007/05/post_4f96.html

 

「参謀の教科書」(双葉社)には、防衛大学校学生綱領として3つの特性が挙げられていると示してある。

◆「廉恥」(Honor)人として恥ずかしい行動をとるな。恥を恐れて卑怯な真似をするな

◆「真勇」(Courage)正しいと思うことを臆せず行動する誠の勇気

◆「礼節」(Politeness)相手に対するリスペクト。礼儀と節度、謙虚

 

併せて同書では、ドラッカーが指摘した「真摯さに欠ける人の特徴」が6点挙げてある。

①人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者

②皮肉家

③「なにが正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者

④真摯さよりも頭脳を重視する者

⑤有能な部下を恐れる者

⑥自らの仕事に高い基準を定めない者

 

なるほどな。

「人としてどうあるべきか」を考え、生涯、自身を磨いていきたい。

ちなみに、わがサークルの信条は「三上錬磨」である。

 ◆事上錬磨・・・仕事から学ぶ

◆書上錬磨・・・書物から学ぶ

◆人上錬磨・・・人から学ぶ

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July 07, 2024

探究型で大事なのは「課題の質」

6月に春日井市立藤山台小学校で高橋純先生の講演を聞いた。

「指示・説明・発問」の違い、
「発問と質問」の違い、
「発問」とは?
といった問いかけがあり、チャットでは
「質問は分からないから聞く、発問は知っているけどあえて聞く」
「知っていることを聞くのが発問」
「教育的意図」
というような書き込みが流れた。
  
 「発問」の意義について、その後、ずっと気になっていた。
◆質問は、正解を引き出すもの
◆発問は、見解を引き出すもの
と言えるかもしれない。
 質問中心の授業は、T-C、T-C  の繰り返しになりやすい。
 しかも正解志向だから、先生の期待する正解の探り合いになりやすい。
 だから教師主導になりやすい。
 「質問」と「発問」の違いについて、個人的には
◆質問には、答えがあり、正誤の判断ができる。
◆発問には、多様な考えが生じる。
と考えている。だから学習指導案で「発問」と提示されていても、「これは発問とは言わんやろ」と突っ込みたくなることがあった。
◆質問は、正解を引き出すもの
◆発問は、見解を引き出すもの
と言えるかもしれない。
 自分のイメージする発問中心の授業は、意見(見解・情報)を出し合うこと。
 子供同士が情報交換できれば、授業の中の先生の存在はうんと小さくなる。
【課題の設定】発問に正対して、自分はどう考えたか。
【情報の収集】他にどのような考えがあるか、情報収集し、十分に比較検討したか。
【整理・分析】自分の意見を相手にどう伝えるか、相手をどう説得するか、表現の工夫に努めたか。
【まとめ・表現】情報を整理分析し、最終的にはどの意見が納得解とするかを自分でまとめたか。
【課題の設定ー情報の収集ー整理・分析ーまとめー説明・発表】という「探究型の授業」のシンキングサイクルに合致するなあと思う。
 高橋純先生がそう話されたわけではないのだが、
◆探究型の授業で設定される「課題」は、正解が特定できる「質問」レベルであってはいけない。
多様な意見生じ、対立・分裂を誘発する「発問」レベルであるべきだ。
ということを言いたかったのかと勝手に理解した。
 どう学んだかは、学び手の自由だから、これでいいのである。

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July 06, 2024

理科記述問題は「三段論法」で考える

4年の理科テスト。

 雨が降った後の「じゃり」と「校庭」の水たまりの残り具合から、どちらの粒が大きいかと尋ね、選んだ理由を書かせるテスト問題があった。
 模範解答は「じゃり」
 選んだ理由は「つぶが大きい方が、水はしみこみやすいから」
 「じゃり」を選んだ理由を聞いているのだから、ロジックは次のようになる。
①「つぶが大きいと水はしみこみやすい」・・・・・・前提
②「写真では、じゃりの方が水がしみこんでいる」・・現象
③「だから、じゃりの方がつぶが大きい」・・・・・・結論
 要するに「3段論法」だ。
 だから①②③を全部含んだ解答であれば申し分ない。
 が、①のみの次の解答を〇も判断した。
=================
〇土のつぶが大きいと水が早くしみこむから、すぐ水たまりがなくなる。そうするとじゃりのほうがつぶは大きい。
〇つぶが大きいと、水がしみこみやすいから
〇つぶが大きいほうがしみこみが早いから
〇土のつぶが大きいので、早くしみこみやすいから
〇水がはやくしみこむのは、おおきいつぶの方だから。
〇じゃりだから、土のつぶのすきまができてしみこみやすくなっているから。
〇じゃりはきゅうしゅうりょくが強いから。
〇次の日の昼、アは水たまりがないということは、大きいということだ。土は大きい方が水をしみこみやすいから。
=================
一方、写真の様子を説明しただけの②や②③パターンは説明が足らない。
================
△「ア」は次の日に水たまりがなくて、「イ」は次の日に水たまりがあるから
△水たまりが多くたまっていないから(「水が早くしみ込んだから」の意味)。
△雨がふって次の日の昼になったときに早くかわいていたから
△次の日の昼には水たまりがないから
△次の日の昼には水がなくなっていたので、つぶが大きいと考えました。
△「アの方が水がしみこんでいるから、アの方がつぶが大きい」
================
・・・これらは「水が早くしみこむのは、つぶの大きい土だ」という前提条件がないと伝わらない。
確かに、授業を通して、この前提条件が自明になってしまったのかもしれない。
今さら説明するまでもないのだと考えてしまったのかもしれない。
言葉足らずだから△かと思うが、担任が〇にするなら、それはそれでいい。
これに対して、③のみを書いた次の解答はバツと判断した。
============
×じゃりの方が大きいから。
×じゃりはつぶが大きいから
×じゃりの方が校庭の土より、粒の大きさが大きいからです。
×じゃりは、もともと土のつぶが大きいから
===========
・・・「じゃり」と「校庭の土」のどっちの粒が大きいかを聞いているのだから、「じゃりの方がつぶが大きい」という答えではおかしい。
「じゃりの方が粒が大きいと考えた理由は、じゃりの方が粒が大きいからです」
と補足すると、その解答のおかしさが伝わるだろうか。
3段論法で言うところの結論にか書いてないから、理由になっていないことが分かるだろうか
それにしても、記述問題の採点は難しい。
たまたま時間のある立場の自分だから、採点しながら考察できたが、忙しい担任は大変である。
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July 03, 2024

図画工作の取り組みについて試行錯誤(3)

(1)丁寧な子は、しばしば時間内に完成しない。

技能は優れているし、最後まで手を抜かない態度もすばらしい。

でも、決められた時間に終わることも大事な技能なので、完成しなかった事実は事実として評価しないといけない。

「20分放課ぐらいは使っていいよ」というおまけは認めることもあるが、

あまり延長をみとめると、時間内に完成させた子の努力を否定することになってしまう。

「すごく上手だよ。でも時間内に終わることも大事だからね。」という支援を続けていきたい。

 

(2)雑な子は、さっさと終わって仕上げもしない。

時間が充分あるのに「先生、終わりました」「終わったら何をすればいいですか」と見せに来る子がいる。

時間があるから、もう少し仕上げてごらんと伝えても

「もう終わった」「これでいい」と耳を貸さない子がいる。(こういう事態は図画工作に限らない)

自分の中では完成して作成モードを終了しているので、今さら制作意欲が上がらないのだ。

そういうのが「判断力の甘さ」「自己調整能力の足りなさ」「ねばり強さの足りなさ」なのだが、そこで「勝手にしたら」と放置すると、このタイプの子は不足部分を改善しないまま育ってしまう。

この手のこの場合「もう少しがんばってみて」では、あまりに抽象的だから

「△△だから、この部分を〇〇してきて」と、具体的に指示してもいいと思う。

もちろん、やりすぎると、本人の作品ではなくなるが、作文指導だったら「ここ直して」と明示する。

きちんと直させることも大切な指導だ。

直させて「ほら、さっきと全然違うよ。すごく△△が良くなったよ」と肯定的フィードバックすれば、成功体験になる。

なぜ直すか、直すとどうよくなるのか説明して「一般的にどういう作品が良いのか」を示してあげることが「知識」になる。

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図画工作の取り組みについて試行錯誤(2)

図画工作の「主体的に学習に取り組む態度」の評価について、いくつかの資料を参考に、次のように考えてみた。

【表現活動】

アイデアスケッチを熱心に描いたり、材料や用具の特性を生かしたり、表現方法を創意工夫し、自分の主張・主題を効果的に表したりする主体的な姿を評価する。

【鑑賞活動

作品の造形的なよさや美しさを分析し、自身の作品制作に生かそうとする前向きな姿を評価する。

 「主体的~」の評価は、大きく分けて「ねばり強さ」と「自己調整(自分なりの工夫)」。

 ねばり強さがない子・すぐにあきらめてしまう子・さっさと終わりたがる子は、叱っても仕方ない。

 「時間いっぱいベストを尽くしたらーいい結果が出てー称賛されてー今度もやってみたくなる」という成功体験のサイクルを仕掛ける必要があると思う。やる気を示さない子は失敗体験が影響している場合が多い。

 ある男の子は「熊」を色紙で切り抜きたいのだが、思うような熊ができないので「これじゃあ熊じゃないな」と何度も切りなおして、進まなかった。自分でも思い通りに表現できない作品を人前で披露するのは辛いんだろうなと納得した。

 もちろん人間の動きはとても難しく、サッカーや野球をしている人間を表現するのは相当に難しい。

 図画工作は構想通りに制作できるとは限らない。

 このままではうまくいかないと判断した時に新たな構想に切り替えるのが「判断力」と「自己調整能力」なのだと思う。

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図画工作について試行錯誤(1)

3年図工で「割りピンワールド」を作成していました。

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図工セットの見本写真はもちろんハイレベルだが、その写真から指導ポイントを明示しておけば、NG行動を回避できる。

つまりマイナス評価をしなくてすむ。

今回の見本の特徴は、

①1つ1つのパーツが大きい  ②にぎやか 

③ストーリー性がある     ④立体感がある。

⑤色紙の両面を利用しカラフル ⑥ペンを使わない など。

これらを子供たちに考えさせ、発見させることも「鑑賞能力」だと思う。

そして、次のような約束を決めた上で取り組ませ、ここを成績に入れることを予告する。

◆割りピンを3か所以上使う   ◆動きの楽しさを工夫する   ◆2つのステージを仕上げる。 

◆用意された色紙をフル活用する ◆セロテープは使わない    ◆土台を立体作品として仕上げる。 

 注意事項を事前に伝え、マイナス評価の子がゼロになるように気を配りながら作品制作に向かわせたい。

 構想時の下絵・途中の作品・仕上がりの作品・鑑賞文などを、デジタルで一括保管させると、子供自身も、ぶれずに作品作りに取り組めるし、適切な評価ができる。三年生なら可能ではないか。 

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July 01, 2024

現場の声に耳を傾けることがリーダーの使命

営業職であれば、「お客様の声」、
教室であれば、まずは「子供の声」、
管理職の立場であれば、「子供」「教職員」「保護者・地域」の声。
ただし、「声を聞く」だけを意識すると、「声の大きい者」の主張だけが通ることになる。
「言ったもの勝ち」では困るから、サイレントマジョリティや、最も弱い立場の「声なき声」を汲み取らねばならない。
「言ってくれなきゃ分からない」という「待ち」の姿勢ではいけない。
「見とる・気づく・察する」という「攻め」の姿勢だ。
「来ていない人いらっしゃい」という子どもへの配慮と個別支援がなければ、困っている子は放置されてしまう。
向山先生の温かな対応は、複線型授業や自由進度学習と言われるこれからの時代、ますます重要視される。この動画は時々視聴して、自分の対応を反省するようにしている。
向山先生は、3年の教師修行を経て「指先のかすかな動きに、子どもの意志を感じられるようになった」と言われる(「斎藤喜博を追って」P91)。
最近のXの投稿では「授業をしながら、かすかに動く指を見つけられる教師であれば、意見が言いたくなった子どもをのがすことはない。」とアップされている。
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「見とる・気づく・察する」なのだとつくづく思う。
そして、やはり、ここ。
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「どの子も大切にされなければならない、一人の例外もなく」
に立ち返る。
「現場の声に耳を傾ける」という言葉を単なるスローガンに終わらせてはならない。



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