視点の再考(4) 話者の内面の問題
先の続きで
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」のを見ている話者が存在します。
この場合、話者がてふてふを「見る」を、類義語で考えたら
「見送る」「見届ける」「見放す」「見限る」「凝視する」「一瞥する」「その以外」の、どれが合うだろうか。
あるいは、「見る」の裏側には「応援する」「憧れる」「呆れる」「見下すなど」「それ以外」の、どの気持ちが含まれるのでしょうか。
「話者の見えを問う」のは、知覚できる具体的なモノや場所だけを表すのではない。
「見え」を表す語彙はさまざまだから、そこに話者の立場や内面が現れる。
そのことを、鶴田清司氏は、次のように解説している。
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◆こうして「話者(narrator)の存在が明らかになると、次に「視点(point of view)が問題になる。
つまり、「話者はどこから見て語っているか」あるいは「話者が誰の目を通して語っているか」ということである。
これは単に「視覚」(目の位置)という物理的な遠近法の次元にとどまらない。
いずれも心理的・内面的な問題と深く関わっている。
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言葉を選ぶと主観が入る。「勝った」「負けた」ぐらいならフラットだが「圧勝」「辛勝」「大敗」「苦杯」といった言葉を選べば、そこに話者の「どっち側にいるか」かの立場が入り、感情が入る。
鶴田先生の言う「心理的・内面的な問題」とは、この点なのだと理解している。
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