そこで終わったら「丸投げ」になってしまう
そこから「指導」が始まる
子どもの振り返りが、次のような一言感想ばかりだったとする。
「いい曲ができるようにがんばった。」
「いい曲ができてうれしかった。」
「今度も、もっといい曲を作ってみたい。」
こういう振り返りを提出させて、何の検討もさせないなら、子どもは「これでいいんだ」と誤学習する。
だから、堀田先生は、次のように言う。
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◆例えば高学年の実際の授業では、授業の終末に、教師がまとめとして振り返る際のキーワードを伝えます。すると子どもがノートに学んだことを自分の言葉で速やかに書き始めます。教師はその様子を把握し、まとめが終わった頃に全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その発言について、指名した理由や必要なキーワードなどを伝えながら学級全体にの学びについて確認していきます。
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一言感想にならないように予防線を張るとともに、全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その良さを確認していく。
これが「指導」。
何でもいいから「書いて出したら今日は終わり」では、指導にならない。
今なら、ルーブリックで提示すれば、振り返りの質をキープできるだろう。そこが数年前との決定的な違いだ。
先の一言感想のツッコミ方としては
◆「いい曲ができるようにがんばった。」
①何をどう頑張ったの?
②頑張った結果、どんな曲ができたの?
(あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?)
◆「いい曲ができてうれしかった。」
①どんな曲が完成したの?
(あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?)
②何をどう頑張ったら、いい曲ができたの?
◆「今度も、もっといい曲を作ってみたい。」
①今日は、どんな曲ができたの?
②あなたの思う「いい曲」とは、どんな曲なの?
先週のZOOM例会では、「具体と抽象」について検討したのだが、そこと関連している。
「頑張った」「いい曲ができた」は、抽象的だし、それはあなたの感想でしかない。
「頑張った」の具体的な中身を聞かないと、「頑張った」かどうかが評価できない。
そもそも「いい曲」の具体的な定義を聞かないと、「いい曲」かどうかが評価できない。
「例えば・・・」「なぜかと言うと」のような言葉で、具体的に書く習慣をつける。
他の人にも納得してもらうように書く習慣をつける。
「なぜそう思ったのか」は、「Why So」の思考。
自分の書いた意見の根拠をどんどん掘り下げるような自問自答のスキルを促していきたい。
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