「ごんぎつね」のラスト、ごんは死んだのか。
銃で撃たれたごんは死んだとも読める。
「死んだ」と明記されていないのだから「死んでいない」とも読める。
もはや堂々巡りで、結論を出しようがない。
個人的な見解としては
「死んだ」と書かないで「死んだ」と読ませるのが作家の筆力。
「死んだ」と書いていないから「死んでいない」と言い張るのは、文学の暗示生を理解しない幼稚な見解だと私は思う。
「分かり合えない」「すれ違い」の悲劇を強調するなら、ごんが死んだ方が効果的だ。
しかし、子供相手にムキになっても仕方ない。
同じ論争は「明日のジョー」でも起きた。
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◆少し下を向いて満足そうに微笑んでいるジョーを見て、大人はジョーが燃え尽きて死んでしまったんだと理解し、子供たちは、ジョーはただ目をつむって休んでいるだけで、明日にはまたサンドバッグを叩いて世界タイトルを目指すんだろうな、と考えられるように描いたんです。
◆いまだにジョーの熱烈な支持層は多く、(略)復活させろとの手紙や電話に悩まされている昨今、この場を借りてお断りしておく。ジョーは燃え尽きたのデス、真っ白に……。
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/joe
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同じことは、漫画「スプリンター」でもあった。最後、主人公は消えたのかどうか。
・・・結末の解釈を読者に委ねる手法を「論点回避」と言う。
「真っ白に燃え尽きた」ことを描写し、それ以上は説明しないこのラストを「死んだ・死んでいない」で言い争うのは野暮なのだ。
「ごんぎつね」の結末をロジックで考えさせるなら、
「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」というラストを踏まえ、
◆生きているなら、この1文をどう捉えるか
◆死んでいるなら、この1文をどう捉えるか
を言語化させるべきだろう。
「まだ」という言葉が「まだ生きている」を感じさせる。
「けむりが・・出ていました」は、ごんの魂が天に昇っていく様子を感じさせる。
などなど。
どっちでもいいから、自分なりに根拠づけること・説得する努力が大事なのだ。
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