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August 17, 2024

「戦争」を授業するための教養としての読書

「教育トークライン」(「東京教育技術研究所)7月号巻頭の谷先生の言葉が印象に残る。
◆「深い教材解釈」をもった教師が巧みでさりげない「投げかけ」や「ゆさぶり」をすると、子供たちの思考は更に活発になります。
そこには、やはり 優れた教師の教授行為  があります。
・・・「一つの花」に限らず、戦争を題材にした作品の場合、どれくらい予備知識があるかで、読みの深さが変わってくる
。退職した自分でさえ太平洋戦争を知らないのだから、現職の先生は誰一人、太平洋戦争を知らない。
予備知識(スキーマ)があると、読みが深くなるのは先生も子供も同じだから、先生も果敢に情報を取りに行き、深い教材解釈に挑んでほしい。教科書本文だけでは補えない事実がたくさんある。
さて、黒柳徹子の「小さいときから考えてきたこと」(新潮文庫)は、ユニセフ親善大使として訪れた紛争地域での出来事を書いている。
 「黄色い花束」は、コソボで黒柳徹子に手を振る子供たちを見て、過去の自分と重ねた短編エッセイで、「一つの花」の出征の場面を彷彿させる。
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 私が子どものとき、何も知らないで、日の丸の旗を振って送り出した兵隊さんは帰ってこなかった。自由が丘の駅に行って、出征する兵隊さんに旗をふると、スルメの足を焼いたのを一本もらえた。私は、それが欲しくて、時間があると、行っては旗を振った。スルメなんて、あの頃、めったに食べられるものではなかった。知らなかったとはいえ、私は、あのとき、スルメが欲しくて送り出した兵隊さん達が帰って来なかったことを、今も申しわけなく、私の心の傷になっている。あどけなく手を振っている子ども達(竹田注 コソボの子ども達)を裏切っては、いけないのだと、私は子ども達が手を振るのを見るたびに思う。あの女の子から貰った黄色い花は、ノートに挟んで押し花にした、コソボの記念に。
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・・・スルメ欲しさに兵隊さんを見送ったことを後悔する黒柳徹子
 父親との別れの間際におにぎりを欲しがったゆみ子は、いつか自分の行為を後悔する日が来るだろうか。
 いやいや、ゆみ子は覚えていない。だから大人になってそんな「心の傷」を負わなくてすむ。それがせめてもの救いなのだと話者は訴えているのかもしれない。
 このまま授業に使おうとは思ってないが、この黒柳徹子のエピソードを知っていると、『一つの花』を授業す教師側の「構え」が違ってくるような気がする。
 ただし、
 もっともっと知っておくべきエピソード・もっともっと読んでおきべき書籍があるのだと思うと、「知らないことの怖さ」を感じざるを得ない。
 そういえば『知の体力』永田和宏(新潮新書)にも、同じようなことが書いてある。
◆「何も知らない自分」を知らないで、ただ日常を普通に生きていることに満足、充足しているところからは、敢えてしんどい作業を伴う学問、研究などへの興味もモチベーションも生まれないのは当然である。しかし、あぁ、自分は実は世界のほんのちっぽけな一部しかこれまで見てこなかった、知っていなかったと実感できれば、そして自分がこれまで知らなかった世界がいかに驚異に満ち、知る喜びに溢れていることを垣間見ることができれば、おのずから知ることに対する敬意、リスペクトの思いにつながるはずである p56
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