ICT活用で「他者参照」が容易になった
「今日の授業の感想を書きなさい」「振り返りを書きなさい」で終わる教室が多い。
個々の感想を発表させる場面が設定されていたら
「そうか、そんな考え方もあるんだ」
「自分の考えより、友達の考え方の方がいいな」
など、人によって異なる感じ方や考え方に触れることで、自分をさらに高めることができる。
これが「子ども同士の相互作用」
目新しい主張ではない。「討論」は、子ども同士の発言が互いの思考を深め高める作用を持つ典型例だ。
「話し合い活動」は、このような相互作用の意義があるので、各教科においても「友達の意見から学ぶ」場面が設定されている。
友達の意見から学ぶ機会が設定されない授業なら、個別学習でいいことになる。
学校が集団で授業を受けていることの意義は、この互いの相互作用(対話的な学び)にあるといっても過言ではない。
だから、いくら価値のある授業であっても、感想や振り返りを交流させることもなく終えてしまうとしたら、それはもったいないと思う。
向山学級の子どもたちが、教師からの学び・教材からの学びだけでなく、相互交流からも多く学びとって成長していたことは間違いない。
むろん「相互作用」は、たった1つの正解を志向する授業では成立しないから、まずは大前提として、多様な思考を促す授業の確立が必要である。
それに、いくら「話し合い」の場面を設定しても
・自分の意見を言いたいだけ・言いっぱなし
・「人は人、自分は自分」とばかりに、意見が多様に分かれても自分の意見と照合しない
では意味がない。
また
「○○さんの意見を聞いて、思いついたことがあります。それは~」
「確かに○○さんの意見もいいと思うんだけど自分は~」
「○○さんの意見を聞いて、意見を変えます」
「○○さんと△△さんの意見を聞いて、合体すればいいと思いました」
のように、きちんと前の人の意見を受けた言い方をさせる訓練が必要になる。
要するに「聞く・話す」の指導が欠かせないのだ。
これらの指導は全教科で取り組まないと成果は出ない。
かつての自分の図工の授業の鑑賞活動は、各自がプリント記入して回収して終わりだった。それでは相互批評の場がないから×である。
国語のまとめの時間も、作文を書いて終わりが多かったが、本当は、各自がどんな感想を書いたかを交流する場がないと×である。
指導書にも教育課程にもそのような感想発表の場が設定してあるが、どうしても時間切れになってしまう。
中学校勤務の時、国語の授業も道徳の授業も、各自の感想記入で終わることが多かった。
いい意見を、あとでまとめて印刷配布することはあったが、発表の時間を設けることが難しかった。
発表する側も聞き取れる声で伝えることが難しいし、そもそも自分の本音の詰まった感想を発表を嫌がる子が多かった。要するに「聞く・話す」の指導が成り立っていないから、発表による相互作用の効果など期待のしようもなかったのだ。
でも、本当は、それでは、相互交流・学び合いは得られない。大きな損失であった。
だからこそ・・・
現在、ICTを使って、自他の意見を瞬時に交流できることの意義は大きい。
何を書いて分からないか戸惑っている子は参考にすればいい。
自分の意見を書いて時間がある子は他の子の意見を聞いて書き足せばいい。
(先生の許可があるなら)、時間切れでノートを回収ではなく、納得するまで書けばいい。
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