授業技量としての「視線」
「詰め」=「全員の原則」+「確認の原則」
かつて、模擬授業をみてもらったサークルメンバーから、スクリーンを見ないようにアドバイスを受けた。
当時の自分はいつも算数でデジタル教科書を使っていたが、リモコンマウスの操作を画面を見ながら行っていた。
そして、スクリーンを見ながら説明している。
その癖が出てしまっていたのだ。
サークルメンバーは、スマートボードのタッチの経験から、スクリーンを見ないでクリックして授業を進める技を磨いた。
いちいちスクリーンを見ないと不安で授業できないでは、甘いのだ。。
せめて一瞬のチラ見ができるよう修行したいと思って、授業改善に取り組んできた。
さて、「スクリーンを見ながら授業する」は、「視線を子どもから外すこと」の問題であった。
しかも、PC操作を優先すると、PCの場所に固定しがちで、机間巡視も減ってくる。
○算数の問題を復唱させるとき
○フラッシュの答えを言わせるとき
○百玉そろばんの答えを言わせるとき
手遊びしていたり、さぼっていたりする子も見かけるが、しつこく注意するのもどうかと思い、放置することが多かった。
それは、注意すべき子を確定できているか自信がなかったからでもあった。
①全員にきちんとやらせることが「全員の原則」
②全員がきちんとやっているか見抜くことが「確認の原則」
③やっていない子にやり直しさせたり、やらせるように仕向けるのが「詰め」
「詰め」の甘い授業は、だれるし、子どもも教師をなめてかかる。
さぼってもばれないことを日々学び。
さぼっても注意されないことを日々学ぶ。
だから「放置」は、「誤学習」であり、「崩壊」の第一歩なのだ。
①きちんとやっている子をほめることが大切。
②やっていない子にやり直しをさせることも大切。
③そして、隣同志確認したり、ノートを持って来らせたりする「ごまかせないシステム」の確立も大切。
PC操作にばかり意識がいく教師、スクリーンばかり見ている教師の授業では、学習者が次々にこぼれていくのだ。
「いらすとや」の授業風景。
さすがですね。
先生が黒板を背にして、しっかり子供に目線を配っています。
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