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September 02, 2024

ソフトランデイングとハードランデイング

 授業の「詰め」を、厳しい指導という意味で「ハードランデイング」としてとらえたことがある。

 2000年3月にまとめた文章を再構成してみる。

 引用した向山洋一氏の論文の正しい出典が不明(コピーだけ残っていた)であることをお断わりしておく。また、今現在、そのコピーもないので、原文の改行等も不明であることをご了承ください。

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『教育トークライン』「向山の授業理論第一巻4章(8)授業は『詰め』まで」

ぼやっとしている子にあてていく。

 何のことやらのみこめずに分からない子もいる。

 もう一度言ってやるなどということはしない。小さな親切、大きなお世話だ。

 こんな易しい問題を、何度もいってもらえるなどという教室にしてはならない。

 即座に次の問題に入ったので、とまどう子も最初はいる。

 しかし子どもはすぐに教師になれる。

  勉強ができなくても、まじめに聞いている子もいる。

 その子に当てる。胸をはって答えるだろう。

 「正方形」。

  「よくできた。すごい。授業態度も立派だ。それにひきかえ、こんな簡単なことができない人もいる」

 このくらいは、言っておく。

 くやしい思いをする子もいるだろう。それでいい。次からは教師の問いをまじめに聞くようになる。

 子どもはお説教では直らない。このような授業の場面、場面で成長する。

 

◆易しい問題なので、すぐに指名する。

  クラスで何人か、ノートも開かないでもたもたしている子がいる。

  そんな時、「まだノートに書いていない子は、立ちなさい」という。

   私の場合、黒板に問題を書いて、三十秒後には、このように言う。

 これが、二分も三分も待っている教師がいる。小さな親切、大きなお世話だ。

  こんな簡単な問題をのんびり、ぐずぐずやらせてはいけないのだ。

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 「赤鉛筆しかいけません」

 「定規できちんと線を引きなさい」

 「消しゴムは一回だけ」

「日付やページがないとやり直し」

というように、いろんな制約がある。

  ここまで徹底させようとしたら子どもが反発しないかな、というのが甘い私の感想であった。

  私の知っている中学校の陸上部顧問の先生も、厳しいがきちんとした実績を上げられる先生である。

 その先生は「若い先生が俺の厳しいところだけまねをして失敗することが多い」と言われた。

  厳しいやり方を貫くには、指導方針と指導結果に強い自信がないとできない

 結果も出してあげられない教師が厳しい指導のまねだけしても反発を招くだけだ。

 

①明らかに聞いていない生徒に質問して答えられない状況を作る。

②まだできていない子を立たせる。

③できるまでやり直しをさせる。

④ノートの取り方や文房具の使い方まで指定する。

 

 言い直しややり直しにスンナリ応じない子も中にはいるだろう。

 だからといって、何でもソフトランデイングで子どもに迎合しようというつもりはない。

 そういう子をほかっておいて授業を成立させようというのがそもそも問題なのだ。

 それは、かつて有田和正氏が言われた「マラソンコース的授業(教師の学習コースに乗ってくる子どもだけを相手にする授業」や、かつて野口芳宏氏が言われた「上澄みの授業」と同じである。

 

「詰める」「やり直しをさせる」

 

 向山先生のノートチェックの厳しさは、さすがである。

①一字一句間違えないように書き写す。

②ミニ定規をきちんと使う。

③途中の式もきちんと大きく書く。

④ノートはゆったりと「うっとりするほど美しく」 などなど。

 

『教室ツーウエイ』1996年2月号「特集 学級王国の変革を迫るT・T」の向山論文では次のような記述がある。

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さて、日付、ページ、問題、自分の考えを書かせた所で「ノートチェック」をした。

「日付、ページ記入」の簡単なことでも、口で説明し、言葉で言っただけではできない子がいる。

 (中略)当然「やり直し」をさせる。

  こういう簡単なことを、きちんと徹底することが大切だ。

 

・・・この後、珠玉の言葉が並んでいる。

 

◆教室における、つまり現場における授業とは、こういうことのつみ重ねである。 

  「支援」とか「個性化教育」などというのはずっと高級なことなのだ。

◆「フォーマット記入はきびしく。考え方はゆるやかに」

◆ひどい子はやり直しをさせる。上手な子は全員に紹介する。

 これだけで、ノートはずいぶんとていねいになってくる。

◆教えたことは、完全にできるまでやり直しをさせる。こうした所で妥協してはいけないのである。

 

 『教室ツーウエイ』1996年3月号「特集 本当の個別指導とは何をどうすることか」向山氏巻頭論文「個別指導三つのステージ」にも個別指導の「詰め」ということで、ノートチェックのことが書かれている。

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◆ 必ず、全員のノートを見る。

 なぜ、こうするのか?

  それはクラスの中には「やったふりをしてやらない子」「のんびりかまえて出来ない子」「まちがっていても〇をつける子」がいるからである。

  こうした子を放っておくと、ザルに水を入れるようなものだ。

熱心に教えても教えても成果があがらない。どこか、手ごたえに欠けるところが出てくる。

 くどいようだが、このチェックを一分以上かけてはならない。

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・・・「詰め」というテーマで書かれた先の「教育トークライン」。

長方形の公式を説明した後で、長方形の面積を出す公式を言わせる場面がある。

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◆練習することによって、はじめて「分かり」「使える」ようになる子もいる。

 これを、教科書の公式を読ませ、赤線を引かせるぐらいで教えたつもりになっている教師がいる。

 はっきり言って甘い。

 そんなことぐらいで学力をつけられるのなら教師はいらない。

 ここまで「詰め」るのである。

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 こうしたチェックも「詰め」もなしに、授業スタイルだけ確立させたって子どもの力はつかない。

 「詰め」もないくせに、何度説明しても子どもはよく分かっていないと腹を立てる教師は、自分の力のなさを誇示しているにすぎない。

 

向山先生の指導を単に「厳しい」と断じるのは、一面的である。

 向山先生は、誰でも分かる質問だから聞いていない子にあてたのである。

 全部終わってからの書き直しでは子どもにも酷だから、何度も細分化してノートチェックしている。

 定規で線を引かせたり、赤鉛筆を使わえるために、余分に教師が用意している。

  出来ない子を救うための配慮と、やっているふりをしてサボっている子への指導である。

それをやらないというのなら、そんな授業にどんな価値があるのか。

 

一斉授業よりも個別学習の方が徹底指導という「武田塾」の方針を知って、向山先生の「詰め」の厳しさを思い出しました。

 

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