「丸投げ」に耐えられるのは、実力を蓄えたあと
それなりに学びを積んできた教師は、上司から「自分のやりたいようにやってみろ」と丸投げされると、意気に感じて頑張れる。
それは「課題の設定ー情報の収集ー整理・分析ーまとめ表現」の探究サイクルが身についていて自力解決できるからだ。
ダメ出しされる観点が予想できるから、ダメ出しを回避して、ニーズにあった企画や提案ができる。
また、謙虚に学んだ教師ほど、己の限界をよく知っているから、遠慮なく人に頼ることができる。
しかし、その丸投げを、若手の教師に行うと、リスクが大きい。
ネットワーク・フットワーク・ヘッドワークが足りない先生は、抱え込んで潰れてしまうことがある。
手放すタイミングが早すぎると本人のためにも組織のためにもならないから、「教えてー手放す」の段階をしっかり判断しないと意味がない。それも「見取りと介入」と言えるだろう。
当然ながら、この話は「子供」も同じだ。
教えずに手放せば、路頭に迷うだけだ。
さて
武田塾は一斉業をしない個別指導塾として知られている。
武田塾は生徒一人ひとりに専任の担当者がつき、学習計画の立案から進捗確認まで細かくサポートする。つまり「徹底管理」がセールスポイントだ。塾業界の「ライザップ」とも言われている。
一斉授業に自分事として取り組めないタイプの人は、徹底管理されないと成果は上がりませんよ、というのが「武田塾」の現実的な提案で、「もともと自習できる人は武田塾に行く必要はない」という書き込みもあった。
「勉強は自学自習が最強」と口当たりのいいことを言って、学習者本人に任せているだけでは成果は出ない。誰もが自己管理できる訳でなく、大方の人は弱くてサボりたがるという現実論に立脚している。性善説に立って本人のやる気に任せていては、結果責任を果たせないのだ。
ところで
野口芳宏氏の資料を調べていたら次のような記述があった。私家飯「国語教室」第25集(平成3年)だ。
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◆子供の主体性を育てるためには、教師がもっぱら表立つことなく、つとめて引き下がり、子どもに問題を発見させ、解決の糸口を見つけさせ、自ら解決させ、その筋道を反省させるようにすべきである、という訳である。つまり、一言で言えば「教える力」を発揮しないのが良い指導者なのだ、という風潮である。このような考え方は危険であり、私には賛成できかねるところである。
◆ 私は講義式のみがいいと言うのではない。詰め込みのみが良いと言うのではない。教える力を存分に発揮する教授法がもっともっと大切にされなければならない、という至極当然のことが言いたいのである。
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学校における「個別最適学習」は、きわめて緩いのではないか。
人は弱くて流されやすい。怠けやすいし、楽をしたいという事実に目を背けてはならない。
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