先生が子離れしないと、子どもは自立できない。
かつて、春日井市内の小学校の野外学習は2泊3日だったが、コロナによる中断のあと、負担軽減もあって1泊2日の行事になった。
2泊3日一緒に参加したある年のこと。
3人の学級担任が野外学習初体験だったため、従来のスケジュールを参考に日程を組んだ。
何とか無事にスケジュール消化させることで精いっぱいの3日間だった。
この宿泊学習で、どんな体験をさせ、何を学ばせ、何を身につけさるか、という展望がなかった。
「時間を守る」ということなら、教師がいつまでも口出ししていては、子どもが育たない。
失敗を防ぐために、毎回子どもを急かしていたら、子どもは教師の指示から卒業できない。
1日目の夜の反省会で「先生が子離れしなくてはだめ。あれこれ親切にしすぎだ」と指摘したのだが、直ることはなかった。
1学期からずっとそういう指導を繰り返していたのだろう。従順な子たちなので、言われたことはがんばる。でも、そこを突破しないと、言わないとやらない子になってしまう。
「子供の自治能力を高める」ということなら、子どもだけの相談時間や話し合いの時間が必要だ。
キャンプファイヤーのスタンツ練習も最後まで担任教師が居合わせて、先頭になって仕切っていた。担任の心配は分かるが、もっと子どもに任せてあげるべきだったと思う。
2日目にハイキングがあった。ボランティアのスタッフがグループを先導してくれるので、子どもは案内図も持たずガイドリーダーについて歩くだけでよかった。しかし、その結果、グループから外れて迷子になった子が、ただうろうろ歩きまわり、たまたま遭遇した一般の登山客に助けてもらうという事態が起きた。ガイドリーダーについていくだけのハイキングの意識を変えておけば、この子だって何とか自力で解決できたはずなのだ。
宿泊学習は「ひとりだち」のための大きなチャンスだと思う。「通過儀礼」と言ってもいいくらいだ、
しかし、ひとりだちさせない「教師主導のプログラム」の方が、教師には楽だ。この失敗させない配慮が「大きなお世話」になっている。
教師にとって楽な指導方法が、子どもの自立のチャンスをスポイルしている。
無論、「ひとりだち」を名目に、放置することは「自律の指導」ではない。放置は論外である。
これは宿泊学習に限らない。
「子どもを高める指導・子どもを鍛える指導」について深く考えさせられた3日間だった。
今も様々な場園で「教師が面倒を見すぎではないか」と思うことがよくある。そこで教師が面倒を見過ぎると、子供は育たない。
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