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September 24, 2024

野口芳宏氏にお会いするための予習 #教室ツーウエイ

野口先生は次のように発言している。
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子供の本質ってのは無知未熟。それが本質だっていうのが私の考え。だから教えなくちゃならないし、否定して直さなくちゃいけないし、そうして導かなければ本物にはなれない。
「教室ツーウエイNEXT」No21 2024年1月 P13
 特集「教師が教える」から「子供の学び」へ どうする路線転換
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 相変わらずの「野口節」だ。
 同じ対談の中で、長谷川博之氏が野口氏の指導観について、次のように述べている。
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野口先生のお言葉だと、「答えを限定し、正誤を明らかにする指導」が重要なんだということです。これが自信を持って先生方になかなか言えなかったりする部分は多いです。何でもありの授業で「活動あって指導なし」となってしまっています。P14
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 「AでもBでもいい、自分なりの論拠があればどっちでもいいんだよ。」という風潮は、2000年のPISAショックから起きた。
 世間一般にとってのPISAショックは「読解力低下」だったが、国語教師にとっては、「どちらでもいいから論拠を述べよ」という落書き問題が驚きだった。
 自分なりの理由があればAでもBでも許容されるのだから、「子供の読みを高い次元に引っ張り上げる」という心意気がなくなった。教師の解釈の押し付けと批判されてしまうからだ。
 「読みの浅さ」「思考の浅さ」「比較検討の甘さ(独善性)」を指摘し、訂正させる教師が減った。
「子供一人一人の読みを大切にする」という甘い言葉に惑わされてしまったとも言える。
「正誤を明らかにしない授業」「『否定』のない授業」は、「鍛える」の役割を失っている。
「向上的変容」のない1時間。
「活動あって指導なし」の1時間。
 それではいけない、
 振り子の揺り戻しはない(時代に逆行しない)と言われるが、野口氏の主張は今なお傾聴に値するのだ。
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