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October 31, 2024

「勉強する気はなぜ起こらないのか」(4)

「勉強する気はなぜ起こらないのか」外山美樹(ちくまプリマー新書)

自分の能力をはるかに超えた困難な課題ならば、不安を感じますし、何よりも目標を達成できない可能性が高くなります。逆にあまりにも優しい目標になるとできた時の達成感が得られません。

 一生懸命に努力すればできるかもしれない、やや困難な挑戦的な目標を設定することによって、やる気がより高まり、達成した時の喜びや満足感、ひいては自信につながりやすいのです。P91

・・・「目的の困難度とやる気の関係」の実験結果も示されているが、これはヴィゴツキーが提唱した「発達の最近接領域」のことだと思う。

自力では難しいが、誰かのサポートをあればできることの領域を指す理論で、簡単にいうと次のようになる。

◆自力一人ででできることばかりに取り組んでいても効果的な成長や発達は望めず、この発達の最近接領域に取り組むことが成長・発達が促す上で重要であるとされています。

発達の最近接領域とは?意味や活用例についてわかりやすく解説

https://psycho-psycho.com/zone-of-proximal-development/

 

 なお、本書では、セリグマンの実験と「学習性無力感」について書かれているが、これは課題の難易度と密接に関連している。

◆(自分の努力が結果に結びつかない経験を繰り返し)ひとたび無気力が学習されると、いま直面している課題に対して何もしなくなるだけでなく、将来の課題に対しても無気力になってしまう  P164

そして自分の置かれた立場を、ポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるかで、「無気力」から脱する人とそうでない人に分かれるのだという。P167~175

ポジティブな人は、困難に直面した時「たまたま」の一時的なととらえ、原因を限定的に考える。だから挽回可能だと思える。

ネガティブな人は、困難に直面した時「いつも」の永続的なのもととらえ、原因を全般的・普遍的に考える。だから「もう無理」だと思ってしまう。

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心理学が実証「パソコンでノートを取るとバカになる!?

2016年の主張なので「今さら」と思うかもしれないが、デメリットを踏まえてデジタルを進めていくための参考資料にはなる。

「PREDIDENT」2016.2.29 P68-69 田野俊一 より抜粋 ◆部分が引用文。
 こうして、すぐに取り出せるのも、デジタルで記録してあったからだ。
 デジタルの再生産のメリットはすごいが、「理解」の上ではどうなのかというと、
◆事実関係では差はないものの、概念理解では、パソコンでメモを取ったグループより、手書きでメモをとったグループのほうが、点数が高く
りました。
とあり、その原因について

◆メモの中身を分析すると、パソコンのグループは講演の内容をすべて記録するかのように、逐語的にメモをとる傾向が見られました。一方、手書きのグループはすべての言葉を書き取るのが難しいからか、発言を要約しながらメモをとっていました

とある。
 自分なりにまとめたり要約したりするのに頭を使った分だけ、概念理解が促され、エピソード記憶が働いたということだろうか。
 

パソコンを使うと手書きよりもメモをとれるが、そのせいで頭の中で行う情報処理が浅くなり、学習効果が低下する恐れがある

と記されている。
 「情報処理が薄くなる」というのは、入力作業が容易であることの裏返しなのかもしれない。

 人間の認知モードは二種類あると言う。

「体験的認知」・・・何か起きたら後先考えずに反応する動物の一般的な行動原理
「内省的認知」・・「将来いい学校へ入るため勉強する」のように、想定したゴールに向けて行動するロジカルな知覚

この2つの認知を紹介した上で、次のように述べている。

◆知的活動の初期段階においては、情報を収集し、整理してまとめ、自分の考えを足していく作業が大事で「内省的モード」が適しています。だからメモをとるときは内省的モードになるのが好ましいのですが、高い集中力が必要で負荷が大きいため決して簡単ではありません。

 そして操作そのものに快感がある楽しいパソコンや、バーチャルリアリテイのような豊かな刺激を与えられると、人間は「体験的モード」にはまりこんでしまう。そのためパソコンでノートをとると、理解を深めないまま、言葉を入力する作業に没頭してしまうと考えられます。

・・・今は、調べ学習(探究)を最初からパソコン入力している学級が大半だろうか。

 「パソコンでノートをとると、理解を深めないまま言葉を入力する作業に没頭してしまう」というのは、いわゆる「思考しないまま・吟味しないまま」丸写しすることに対する警告だ。

 しかし、重要なのは、「手書き」か「パソコン」かではない。
 「体験的認知」でなく「内省的認知」できているかどうかが重要なのだ。
情報を収集し、整理してまとめ、自分の考えを足していく作業が大事で「内省的モード」が適しています。
とあるので、手書きでもパソコンでも「内省的モード」が維持できればいいのだ。

 せっかく古い記録を引っ張り出してきたので、生成AI GEMENIの解説を加えておきます。
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2つの認知モード
ドナルド・A・ノーマンが提唱した「体験的認知」と「内省的認知」は、人間が持つ2つの異なる認知モードを表しています。

◆体験的認知 (experiential cognition)

特徴: 特に意識することなく、自然に行われる認知。直感や感覚に基づいた、より自動的で流動的な思考プロセスです。

例: 自転車に乗る、運転する、楽器を演奏するなど、身体が覚えているような行為や、過去の経験に基づいた判断。

メリット: 効率的で、素早い行動が可能。

デメリット: 必ずしも論理的ではなく、誤った判断をする可能性もある。

◆内省的認知 (reflective cognition)

特徴: 意識的に思考し、問題を分析する認知。論理的な思考に基づいた、より計画的で体系的な思考プロセスです。

例: 数学の問題を解く、新しいことを学ぶ、複雑な状況を分析するなど、意識的に考え、判断する行為。
メリット: 論理的で、客観的な判断が可能。
デメリット: 時間と労力が必要。

それぞれの役割と関係性
体験的認知: 日常生活の多くを支え、効率的な行動を可能にします。
内省的認知: 新しい問題に直面したり、複雑な状況を理解したりする際に、より深く思考し、適切な解決策を見つけるために必要です。

一般的に、私たちはこれらの2つの認知モードを状況に応じて使い分けています。例えば、初めて運転する時は内省的な認知が中心になりますが、慣れてくると体験的な認知が主体になります。

2つの認知モードを理解するメリット

自分の思考パターンを理解する: 自分がどちらの認知モードを多く使っているかを知ることで、自分の強みと弱みを把握できます。

より効果的な学習方法を見つける: 内省的な学習が合うのか、体験的な学習が合うのか、自分に合った学習方法を選択できます。

問題解決能力の向上: 状況に応じて、適切な認知モードを使い分けることで、より効果的に問題を解決できるようになります。


まとめ
体験的認知と内省的認知は、どちらも人間にとって重要な認知モードです。それぞれの特性を理解し、使い分けることで、より豊かな思考が可能になります。

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そして、その後、見つけた記事のリンク先も載せておきます。

ノートの取り方を科学する――「ペンはキーボードよりも強し」でも、PC入力で学びの効果を高める方法

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October 30, 2024

「勉強する気はなぜ起こらないのか」(3)

「勉強する気はなぜ起こらないのか」外山美樹(ちくまプリマー新書)

現状と理想のギャップが設定する目標になるという指摘は目から鱗でした。

現状でテストが60点の人が80点を目標(理想)と設定したとき、その20点分のギャップを埋めるために、具体的な行動目標を設定する。

◆つまり、目標を設定することによって、それを達成するのに必要な努力の程度が調整されるため、何をすべきか行動が明確になるのです。

ということは、現状認識が高めで、理想が低めだと、努力する意欲が湧きません。

自分を正しく理解させることがすごく大事ですね。

 

さて、目標設定は

「自分がどのように生きていきたいか」に関わる最上位目標(長期目標)があって、それを具現化する目の前の小さな目標(短期目標)が設定されます。

この長期目標についても、内発的と外発的があると筆者は言います。

【外発的目標】

①経済的成功 ②社会的承認(有名になりたい)    ③魅力的外見(きれいになりたい)

【内発的目標】

④親和的関係  ⑤健康  ⑥社会的貢献(人の役に立ちたい) ⑦自己成長(よりよく生きたい)

 

「医者になって人の役に立ちたい」ー「医学部に合格する」ー「毎日2時間勉強する」

「きれいになる」ー「1か月で2キロやせる」ー「毎日15分ジョギングする」

のように、長期目標をもとに具体的な下位目標を設定します。

「たくさん勉強する」ではなく「毎日2時間勉強する」

「たくさん運動する」ではなく「毎日のジョギングを2か月続ける」

 

外山氏の指摘を読んで

教科の目標・・単元目標・・本時の目標 の3段階も同じかなと思いました。

教科の目標(大きな目標)は、抽象的でもいいが、本時の目標は具体的でないと検証のしようがないからです。

だから、本時の「ルーブリック」も具体的に自分を鼓舞するものでなければなりませんが、同時に上位目標との関連をいつも確認する必要があるのだと思いました。

先の例で言えば、毎日2時間勉強したぐらいで、医学部合格は難しいからです。

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「勉強する気はなぜ起こらないのか」その2

「勉強する気はなぜ起こらないのか」外山美樹(ちくまプリマー新書)

「やる気のコントロール(動機付け調整方略)」は、復習というか総まとめになっていて「なるほど!」と感心しました。

(1)自己報酬方略(自分へのご褒美)

(2)環境調整方略(部屋掃除や場所の移動)

(3)負担軽減方略(得意なところを先にやる・飽きたら別のことをやる・休憩するなど)

(4)共同方略(友だちと一緒にやる・切磋琢磨する)

(5)価値づけ方略(「これは大事」「これは必要」と価値づける)

 

たとえば「分割する」は、(3)に該当するだろう。

では、「宣言効果」(他者に宣言して自分を追い込む方法)は、どこに入るのかな?

「ゲーム化(ゲーミフィケーション)」はどこに入るのかな?

「互いに競わせえる」も、共同方略でいいのかな?

などなど、課題意識をもって読んでいると、とてもおもしろい。

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「勉強する気はなぜ起こらないのか」

「勉強する気はなぜ起こらないのか」外山美樹(ちくまプリマー新書)

動機づけに「内発的」と「外発的」はあることは分かっていますが、厳密な区別はできていませんでした。

「いい大学に入りたいから勉強する」は外発的だと分かりましたが、「自分の能力を高めたいから」は内発的だと思っていたからです。

P40に、分類整理がされています。

【内からのやる気】

面白くて楽しいから・新しいことを知りたいから

【外からのやる気】

①自己実現のためのやる気

自分の能力を高めたいから・知識を得ることで幸せになりたいから

②目標によるやる気

自分の夢や目標のために必要だから・よい高校や大学に入りたいから

③プライドによるやる気

勉強できないと恥ずかしいから・よい成績をとりたいから

④典型的な外からのやる気(自律性・自己決定性の低いやる気)

先生や親に叱られるから・先生や親に褒められるから

 

・・・内的な動機付けに対して外発的な動機付けを否定しがちですが、自律性の高いやる気は、うまく活用させていきたいです。

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October 26, 2024

「探究」も「国語の読解」も、自分と経験を重ねたアウトプットまで

 説明文の意見文・物語の感想のいずれにおいても、2つの方向で書かせてきた。

①立場をはっきりさせて、理由を書かせる。
②自分の経験や、作品と関連した話題・作品から広がる自分の世界を書かせる。

 「自分の知識や体験と結びつけて文章を書く」というのは、優秀な読書感想文も同じである。
 読書感想文は、その本を読んだことによって触発された自分の体験談などを書いていくのが基本型である。

 例えば、中1の説明文「ちょっと立ち止まって」の実践。
 この説明文は、本文中に「このような例はほかにもあるだろう」と生活経験を想起する呼びかけがある。
 そこで、その筆者の呼びかけに応えるように、身近な生活例を想起させたことがある。

◆◆生徒の作品例① (意図的な改行あり)。

「ちょっと立ち止まって」の授業をした後、このようなことがありました。
 私の筆箱にはパンダが口を空けた絵がついています。
 その筆箱を「かわいいでしょ」と言っていたら友達が
「私は、この口を開けてるっていうのが見えないんだけど」
と言いました。
 みんな驚いていると
 「これが、たらこくちびるび見える」
と言いました。
 じーっとその絵を見ていたら、見事にたらこくちびるに見え、みんな大爆笑でした。
 この時、私は授業を思い出して、おばあさんと若い女性の絵の例に似ていると思いました。
 それまでは教科書を読んでも
「日常にそんなことはない」とか
「この絵はわざとそう作ったからだ」
と思っていましたが、そのことが起こってから少し教科書の意味が分かり、そして人の見方でこんなに違うだと思いました。
 やはり筆者の言っていた「新しい発見」はあるのだと思いました。

◆◆生徒の作品例② (意図的な改行あり)
 「ちょっと立ち止まって」を読んでから、私は物事に対してちょっと立ち止まってみるようにしている。
 例えば、◯◯中学校にいる魚。魚って、ちょっとマンガに出てくるような「おさかなさん」をイメージしてた。
 「かわいい~」と寄っていって初めてまともに魚の顔を見た。
 すると・・。
 お世辞にも「可愛い顔」には見えない。愛敬はあるけど。
 でも、この話に書いてあるように、初めの印象はなかなか消せるもんじゃない。私はあの可愛い魚を毎日見ている。
 あと、通学路の途中にある、壁に描いてある四季の絵。あれは大作だ。 今まで何気なく素通りしていたけど、この前じっくり見てみた。
 あっ、セミがおしっこをしながら飛んでる!
 雪だるまに手と足が生えている!!。
 ちょっとした工夫が面白い。
 それを探すのが楽しくてまた学校へ行く楽しみが増えた。
 まさに私は「新しい発見の喜び」を味わったのだ。
 これからも、ちょっと立ち止まってじっくり見たり考えたりしてみようと思う。
 何気ない事だけど、私はそれで感動を味わうことができてうれしかったから。


・・・「ちょっと立ち止まって」という文章を読むことは、読み終わった後、実際の生活の中で、自分もちょっと立ち止まって新しい発見の喜びを得てみようという気になることであり、実際にそのような喜びを味わってみることである。
 この時は、身近な事例と重ねる契機として、作文を書かせてみた。
 作文を書かせなかったら、生徒は自分の生活をちょっと立ち止まってみることもなく、新しい発見の喜びを味わうこともなく過ぎてしまっただろう。
 このように自己と結びつける読みは、物語文でも説明文でも大切な思考作業であると考えている。
 読んで終わりではなく、そこから自分がどう思ったかを言語化させるのだ。 

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October 24, 2024

Over teaching is no learning

初任者指導員研修で心に残った言葉。
「教えすぎは学びにならない」

相手の容量オーバーになってしまうような「教える」は、自己満足にすぎない。
検索しても、特にヒットしなかったので、AIチャット君に「over teaching is no learning」の解説をお願いした。

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「over teaching is no learning(過度な教えは学びにならない)」は、教育において重要な原則の一つです。
 この原則は、人々が単に情報や知識を受け取るだけでなく、情報を自分自身で処理し、活用できるようにすることの重要性を強調しています。

 過度な教えが学びに対して逆効果である理由の一つは、学習者が受動的な状態に陥り、自己の能力や創造力を発揮する機会を失ってしまうことです。教師が常に答えを与え、完璧なガイドを提供してしまうと、学習者は自ら考えることや問題解決のスキルを身につける機会を失います。

 また、過度な教えは学習者の意欲や興味を減退させる可能性があります。学習者が自分の興味や関心に基づいて学ぶことができる余地がない場合、学習のモチベーションや情熱は低下し、学習効果も低くなる可能性があります。

 それに対して、適度なガイダンスやサポートを提供しつつ、学習者が自ら考え、自己の能力を発揮できる環境を作ることが重要です。アクティブラーニングや問題解決型のアプローチなど、学習者が積極的に関与できる手法を取り入れることで、より効果的な学びを促すことができます。

 つまり、「over teaching is no learning」は、学習者が自ら学びを成長させるためには、教師が指導やサポートを適切なバランスで行う必要があるという点を強調した言葉と言えます。
============
 他人の「足りないところ」を挙げたらキリがない。

 それをいちいち取り上げるのは、単なる意地悪でしかない。

「学び手」の士気を下げないために、「教える側」がしっかり調整する。

 大人ににとっての「子供」
 上司にとっての「部下」
 指導員にとっての「初任者」
 同じ事なのである。

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October 23, 2024

家庭学習(復習)が必要な理由・・「熟達」の原理

復習で学びを熟達させる

◆誰でも一度も反復練習することなく暗記ができてしまうことはありません。
また、いったん記憶した知識や技能を速やかに思い出すのは難しいことです。
これが自動的にできるようになるには、熟達が必要です。
そのためには、一定の練習量が必要となります。
授業では知識に関する解説が行われ、意味や理屈を学びます。これが重要です。
授業中にも応用や問題を解く練習は行いますが、練習時間が不十分な場合に、これを補うための復習を家でするのです。
  (子安潤 愛知県家庭教育誌「ゆうゆう」)

・・・暗記型の教育だけが推奨されるわけではないが、暗記型の知識習得が全く必要がないわけではない。
というわけで、子安氏は次のようにも補足している。

◆機械的な暗記だけを行うより、学ぶ意味や理解を伴った学習の方が印象深く記憶にも残ります。

◆できるだけ、一回一回どこに注意を向けるか意識した練習を反復して行う。
◆ただ本を読むだけやノートに書くだけでなく、異なる活動を組み合わせて復習する。

なお、「熟達」の2つのタイプも示している。
(1)スピードが速くなる機械的熟達
(2)応用がきくようになる適応的熟達

子安氏の資料とは別に、「上達」には3つの方向がある。
(!)速くできるようになる。
(2)たくさんできるようになる。
(3)正確にできるようになる。

このことを踏まえて「はかせちゃんになろう」と呼びかけたこともある。
(は)速くできるようになろう
(か)簡単にできるようになろう
(せ)正確にできるようになろう
好きなことばかり取り組むのはいいけど、辛くても熟達させねばならないことはある。
それも教師の仕事である。

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道徳の授業は「具体と抽象」の往復活動

道徳の主題(資料)の中には、最初から「何をすべきか・何をしてはいけないか」が分かっている場合があります。

実習生が「決めつけはよくない」(4年光村)の授業を行ったので、

「決めつけはよくない」と最初から分かっている子供たちに、より深いレベルで注意喚起するためには、どんな授業展開が効果的だったのかを考えました。

決めつけをされた側の嫌な気持ちを考えて、相手を傷つけない言い方を考えようと子供たちは言います。

指導書にある「相手をよく見る」「相手の気持ちを考える」「自分のあたりまえが本当か確かめる」のような注意事項はその通りです。

だからこそ、言葉が上滑りにならないように、「ということは、例えば、教科書の3人にはどう言えばよかったのか」を具体的に言わせることをセットにしたいです。

そうすると、これは「リフレーミング」の授業にもなるんだなと気づきました。

(実習生は「リフレーミング」という言葉を知りませんでした)。

教科書の言い直した例は、

「どうして(そんなに)ダンスが上手なの?」

「(転校したばかりだけど)、町のお祭りのこと知っている?」

「(自分は虫が苦手だから)いっしょに虫を追い出してくれる?」

と問いかけています。

なるほど、資料のこうした例からは

「自分の意見を言う前に、まず相手に一言問いかけてみることが大事」

という学びを感じました。

これが「具体から抽象」です。

 

いろんな声掛けを列挙すれば、また違った学びがあると思います。

役割演技のような形で、ペアで言わせる方法もあります。

言われた側の3人のリアクションのセリフを想像して言わせてもよかったです。

コミュニケーション力の高い学級なら、すなおな役割演技の会話が期待できます。

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October 22, 2024

「困難は分割せよ」~継次処理と同時処理~

3年算数の円の模様のページを見ていて、これは「漢字の読み書き支援」と重なるなと思った。 

(1)漢字が苦手な子の要因の1つに、手先の不器用さの問題がある。
これと同じで、手先の不器用な子は、コンパスを一周させられない。圧が弱いせいか、中心がすぐに外れてしまう。

(2)漢字が苦手な子は漢字をややこしい図形として認識する。
これと同じで、模様をパーツに分けられない子は1つの図形として覚えようとするので、複雑な模様になると混乱する。

 継次処理・・漢字を部首や構成要素に分解して覚えるやり方。
 同時処理・・漢字全体をイメージとして捉え、図形のように覚えるやり方。

でいうと、当然、同時処理の方が難しいので、パーツに分けて継次処理で取り組ませる。

(3)部首を意識すると、部首だけ浮かび上がって見える。
 これと同じで、どの模様も、円・半円・扇の3つの弧の組み合わせであることを確認する。

 この3つのワードが漢字の部首のような働きをする。

 「ここに半円がある」
 「ここに円が6つある」
 「扇が12個ある」
のように発見させる。
(4)面の彩色を無視して、線(弧)を意識させる。そもそも「円」は面ではなく線だ。(というか、この問題は面に色を塗ることで混乱させている。)

①円(弧)の線を色分けする。

②円(弧)の線を指でなぞる。

③円(弧)の中心(針の位置)に×をつける。

④×に針を置いて、円(弧)をコンパスでなぞる。


(5)なぞった時の同じように、ノートに描く。

ノートに描くのに迷ったら、もう一度なぞる。


(6)いろんな模様を描く楽しい活動を繰り返して、コンパスを回すスキル・「円・半円・扇を見分けるスキル」の上達を図る。

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 中学国語で扱う「握手」のルロイ神父の言葉は「困難は分割せよ」

 完成形を見て「わー何だ、これ難しい!」と思う模様も、落ち着いて分割すれば、どれも円の組み合わせにすぎない。

 3年でここをクリアしないと、高学年面積が求められない。

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先生は自分でも探究しているか ~「率先垂範」~

かつて国語研究会の先輩から次のような指導をされた。
「子供にやらせるなら、まず教師も自分でやってみろ。
 原稿用紙1枚感想を書かせるなら自分でも1枚書いてみる。
 スピーチ原稿も俳句や短歌の作成も自分でやってみる。
 自分でやってみるから、子供の苦労も分かるし、つまずく箇所も分かる、何が書けていればいいかを合否の基準も設定できる。」
・・・これは国語に限らず、各教科でも同じことである。
 さて、ある学級の調べ学習。
 子どもはスライドやFigjamを使って教科書2ページ分をまとめていたが、先生が自分でやってみた形跡がなかった。
 かつては、教師がまとめた「作品」が板書になって、子供の前に提示された。
 自分がまとめた板書を提示して押し付ける必要はないが、教師が自分でまとめてみるかやらないかの差は大きい。
 どうしても自分でうまくまとめられない子には「先生はこうまとめたよ」と例示することも最低ラインを保証する1つの方法になる。
 上位の子が自分で進められるから任せてもいいが、下位の子の放置はいけない。
 もちろん、「先生はこうまとめたけど、A君の方が分かりやすいね」ということもありえる。
 教師のまとめも含めて、どんどん他者参照させればいいし、
「先生より、もっといいまとめ方をしよう」と子供にチャレンジさせてもいい。
 
 繰り返しになるが、教師が自分でまとめると、フリーズする箇所も分かる。
 補助資料が必要かどうかも分かる。
 おさえたい箇所も分かる。
 そういう努力をせずに「丸投げ」をしていては、子供は育たない。
 教師も実際に自分でやってみて、探究スキル・情報整理スキル、そして教材に対する分析力もをアップさせていかねばならない。
 
 なお、以前「教師の事前準備」という観点で書いたことがある。
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 「授業する前に、自分で一回やってみないとね」  
 「自分でやってみるから、子どもが失敗するところが分かるんだよね」
 ベテランの先生方は、授業の事前準備に時間をかけることが多いです。
 一方、新任はノート点検やテスト採点のような事後処理をしている時間の方が多いです。
①ぶっつけ本番で動画資料を提示して、授業の内容に合わなかったり。
②理科や図工の教材を子どもと一緒に作成して、途中で混乱したり。
③子どもの学習スピードが予測できず、時間内に授業が終わらなかったり。
④ワークの空欄に入る言葉が、教師も分からなくておろおろしたり・・
 
 子どもができない要因の1つが、教師の準備不足です。
 教師が事前に「つまづき」を把握できなければ、子どものつまづきに対応できないのは当たり前です。
 準備できずに、指導書を見ながら授業をしたり、ワークプリントに頼ったりするようでは、うまくいかないのも当然です。
 教師の仕事は「授業」です。
 授業準備が最優先でなくてはなりません。
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October 20, 2024

実りのある探究活動にするために

「教科学習」と「探究的な学習」は、次のように分けられる。

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◆教科学習では、各教科の固有の知識や個別のスキルを学び、各教科の本質に根ざした問題解決能力や学び方、考え方などを育みます。一方、探究学習では、教科にとらわれない、横断的、総合的な問題解決の能力を育みます。
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・・・この定義で言うと、各教科の授業を探究的に行う必要はない。
 各自の探究に任せたら、各教科の固有の知識た個別のスキルを学機会を失うからだ。
 スポーツで言うと、基礎技術のない段階で、試合をさせても試合が成立しないのと同じだ。
 探究学習は、小学校と中学校では「総合的な学習の時間」だが、高等学校では「総合的な探究の時間」「古典探究」や「地理探究」「日本史探究」「世界史探究」「理数探究基礎」「理数探究」などの探究学習の科目がある。
 そんなに子どもに探究させたかったら「高校でやってくれ」と言いたくなるのだ。
 ただし、これまでも各教科で探究的な学習は行われてきた。
◆授業の中に探究的な 学習を取り入れるという考え方そのものは、決して新しくはない。これまでも社会科や理科の授業などで、探究的な学習は行われてきた。
とあるように、各教科で探究的な学習を取り入れる意義は高い。
 個人的には、有田和正氏の追究の鬼を育てる実践、探究型のモデルだと思う。
 今回「総合的な学習」の探究がうまくいかないクラスを見て、逆に「教科における探究」で慣れさせておくと良かったのではないかと感じた。
「総合」の探究だから各自でやりなさいと丸投げするだけでは、結果が伴わない。
「教科の学習」と「総合的な学習」が、相互補完することが大事で、
 例えば「教科の学習」で、
①教師が提示した課題で
②教師が用意した複数の資料を読み取
③自分の結論をまとめる
といったレールの上の探究活動を経験させておくと良いと思う。

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「子どもの負担大きい現行指導要領」なのかな? #教育新聞 #次期学習指導要領私の提言

教育新聞」10月3日号1面の見出しはセンセーショナルだが、記述内容を読む限りそうでもない気がする。


◆ある程度ベテランの小学校教員に1989年、1998年、2008年、そして現行の2017年の学習指導要領について評価してもらったところ、現行の学習指導量が最も子供たちに合ってないと言う結論になりました

とある。

この4回分の学習指導要領の体験なら、自分も該当しているから答えられる。

過去3回の改訂では、子どものための授業改善を意識している限り、大きな変化を感じなかった。

教材を吟味し、指示・発問を吟味し、授業空間を支配すれば、成果をあげられ、子供のためになっていたからだ。

ただ、今回の改訂で

◆チョーク&トークではダメですよ。

◆教師が正解を伝えること・教えることよりも、子供自身に考えさせること・学ばせることが大事ですよ。

ということになった(極めて一面的な括り方だが)。
しかも、予定よりも早く「1人1台端末」が全国実施され、
◆教師がPCを使えることよりも、子供自身に使わせること・子供に端末で学ばせることが大事ですよ。

ということになった。

コロナによる全国一斉休校で前倒しになったから、こんなに早く、端末活用の時代が来ると思っていなかった。

しかも、子供の使用する学習アプリは、大人が使うPCソフトとは異なっていて、教師の活用スキルが追いついていない。

ようやく慣れてきたと思ったら、使い勝手の良かったJam Boardがなくなり、困惑する先生も多い。


「パラダイムシフト」と言われるように、これまでの概念を崩さねばならなくなった。

教える側の負担が大きくなり、教師も学び直ししないと授業できなくなった。

「今までのような授業をしていてはダメですよ」と言われて、年配の先生の多くが「もう時代についていけないから、辞めようかな」と思っている。

この数年育児休暇だった先生は、復帰に不安を感じている。

この数年低学年担当しかやってこなかった先生は、端末活用できないから高学年担当はできないと管理職に直訴している。


現行学習指導要領は負担が大きいと感じているのは、今までのやり方が通用しない先生たち。

その大変さを「子供」に転嫁していないか。

過去と比べられない子供たちは、「前の方が良かった」などとは思わないのだ。

「大変だな、負担だな」とネガテイブな気持ちの先生に教わる子供が不幸である。

「変革期だ、やる甲斐があるな」とポジティブに取り組む先生に教わる子供は、毎日ワクワクできる。


聞かれれば「大変だ・負担増だ」と答えたくなるのは、世の常だ。
「大変だ、負担増だ」と言いたい気持ちは分かるが、そこで後ろ向きになっても、何もならない。
「ランナーズハイ」と同じで、苦しいけれど続けていれば、楽になるタイミングがやってくる。
「筋トレ」と同じで、筋肉痛を乗り越えて練習を続けていれば、筋力は着実についてくる。
今、ここで諦めてはいけないのだ。

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October 15, 2024

いきなり形だけを真似て「探究型です」とやれば当然破綻する。

「教育トークライン」2023年3月号の谷先生の論稿より

「 優れた教師は『学び方』をマネージメントする」(7)

===============
◆ルーブリックを活用した「学び方マネジメント」に挑戦するなら、まずは「質の高い一斉授業」 を実現できる力を身に付ける努力をしよう。 もちろん、それと並行してルーブリックやコース別学習に挑戦してもかまわない。 しかし一斉授業の力が低ければ失敗する確率は高い。

===============
という冒頭の見出しだけでも納得。


◆「個別最適な学び」といった言葉が独り歩きしている。
 教師はできるだけ教えない。

 子供の主体性にまかせる。

といったことが「最優先」されているとしたら問題である

 TOSSでも「探究型」と言われる授業が盛んに提案されるようになった。

 適当にルーブリックをつくって、あとは自由に学習させるのが探究型なら、こんな楽なことはない。

 それでは子供に力が付かないどころか 「這い回る」学習に陥る。「いつか来た道」へ戻ることになるだろう。

(中略)

 いきなり形だけを真似て「探究型です」とやれば当然破綻する。


・・・とビシビシ指摘があって、「 探究型の学びの第一の条件は一斉授業の授業力」と続く。

 最終的な姿が、次のような「訓令型」だ。


1 国語で「分析してごらんなさい」と指示しただけで、分析表の視点を使ってノートに意見を書ける。

2 どの教科でも「討論します」の指示で指名なし討論ができる。

3 与えられた課題に対して「辞書」「書籍」「Web検索」等を活用して調べまとめることができる。


1、2、3のようなお任せ型の指示を最初から繰り返し使い、慣れさせることが指導だと思っている先生がいるが、それは違う。

1、2、3のような指示で自力解決できるだけのスキルを一斉指導の中で習得させるのだ。「教えて、手放す」のステップを軽んじてはいけない。(かつて、堀田先生は、総じて教師は手放すタイミングが早いと指摘された。)



「分習法」と「全習法」の違いによく似ているだろうか。

例えば体育の授業。

実力のない段階でサッカーやバスケットの試合形式の授業をするのは「丸投げ」に近い。

確かに、子供はすぐ「試合をやろう」と言う。パーツ練習は面倒がる。

しかし、パーツ練習をせずに試合だけやっても、なかなか上達しない。

最初から上手な一部の子は活躍できるから楽しいが、スキルのない子にとっては苦痛(あるいは無関心)でしかない。

「単元の最後には試合形式で行うからね」とゴールを示した上で、

教師が主導して必要なパーツのスキルを練習させたり、

子供たちに、試合本番までにどんな練習が必要かを考えたりすることが必要である。

いきなり形だけ真似て「試合です」とやれば当然破綻するのだ。
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探究学習の前に、まずは「一斉指導」の授業力を

〜「教育トークライン」2023年7月号の特集〜

 改めて読み直してみて、当時は見落としていたなと実感する。

01 探究学習をする前にチェックしよう 一斉指導で教える「学び方」
02 しっかり教えてから探究学習へ
03 一斉指導での学びを1年間活用する

(1)谷先生

◆ すべての授業を「探究型」だけで実施するわけにはいきません。そもそも時間数が足りません。
 教師主導による「一斉指導」もまた大切になります。

◆ その際、次の条件が必要です。
1 一斉指導での教師の授業力が高いこと
2 子供たちの「学び方」が指導されていること
3 探究学習で活用できる各教科の「見方・考え方」が指導されていること
4  ICTを活用する技能が子供たちに身に付いていること

・・・自分が読みきれていないのが、この「1」。
「熱中軸」のワードは分かっていたつもりだったが、理解が浅かった。
◆1は、子供たちを「熱中させる」技量です。熱中して学習した経験をしっかりと味わった子供でなければ、主体的に学習に取り組めません。

 この谷先生の指摘を補足するように、小嶋先生の論稿が続く。
一斉授業による「熱中体験・成功体験」の重要性である。
(2)小嶋先生 

「一斉指導の充実が探究型の授業につながる」

◆教師主導の細かいパーツで区切られた授業は熱中する。
 しかし、それはあくまで教師の技量でしかない。
 子供の力として「1つの課題に取り組み続ける力を育てること」が重要なのだ。(中略)
 これらの経験を通った子供たちが、「45分間、自分たちの力で学び続ける」という状況に耐えることができるようになる。
 最後のポイントは、「最後まで粘り強くあきらめずに、成功するまで取り組む」という経験である。

◆ 努力をすれば、最後に成功することができるという基盤的な経験が、自ら学ぶ力に確実につながる。2学期の探究型に向けて1つずつ実践をしてほしい。

・・「 一斉指導で教師が指示したことをそのまま取り組める力がない場合、教師のナビゲートが消失すると、すぐに学習に関係ないことをやり始める」という指摘に改めて納得した。
 「学び方」を成功体験として学んでいない子は、任された学習に集中できないのだ。

 かつて椿原先生の「図読法」をオンラインで教わったとき、 「次の場面は自分だけで図読法を試してみたいな」という感覚があった。
 「ちゃんと教わったから、次は自分でやってみたいな」と子供自身に納得感があると、自走できる。
 逆に言うと、いくら「ちゃんと教えたから、次は自分でできるよね」と教師が思っても、子供がそう思っていなければ時期尚早だ。
 そこは子供によって個人差があると考えるべきだろう。
 谷先生の論稿に戻ると、小・中学校では次のことが重要になると書いてある。

◆すべての子供に基礎的・基本的な学力を定着させること

 別の箇所にある谷先生の次の言葉と重なってくる。

◆いきなり形だけを真似て「探究型です」とやれば当然破綻する。
 だからといって「暗記型の学力」だけを求めているわけではない。「詰め込み教育」に振り子は戻らない。
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指導者に技量がないと「活動だけ」になる。

 先週の野口芳宏先生の国語の学習会で、次の俳句が提示された。

 そして、季節が問われた。
 行水の 捨て所なし 虫の声
 私は最初「夏の終わり」の句だと思った。
 しかし、「秋の始まり」もあり得るから、どっちかなと迷った。
 どっちもアリなのか。
 夏の証拠があり、秋の証拠があるからどっちもどっちでいいのか。
 いや、野口国語で「どっちもアリ」ということはないな、と思い、双方の根拠を考えていた。
 それは、「Aだと思うなら、Bでない理由も考えよ」と教わってきたからだ。
 迷っている中で、ふと思った。
◆感動の中心は「行水」か「虫の声」か、どっちなのかを考えればいい!
 そうか、どっちに感動したのかを検討したら、「虫の声」だ。
 虫の声を聞いて、行水の捨て場所がなくなってしまった。
 虫の声を聞いて、夏の終わりと秋の訪れを感じたのだ。
 行水の夏は終わり、虫の声が響く秋がやってきた。
 切れ字はないが、強調を示す体言止めが用いられている。
 
 そう思って、潔く意見を変えた。
 会場の参加者の解釈もお隣同士での相談を経て、「夏」派が消えて、「秋」派に移っていった。
 
 もし、自分に解釈する力がなかったら
 「夏でも秋でも、自分なりの理由が言えたら、どっちでもいいよ」と伝えていたと思う。
 それでもいいのかもしれないが、それは間違いを教えたことになるかもしれない。
 教師は教師なりにギリギリまで資料と格闘し、子供にぶつける自分なりの解を持つべきだ。
 子供に任せる「探究型」を目指すからといって、あるべき正解まで子供に任せてはいけない。

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成功体験からスタートする探究型授業 

探究型(複線型授業)を成功させるための「足場かけ理論」の着想。


全部任せるのが難しい場合は、足場をかける(補助輪をつける)。

例えば、「情報の収集」は子供だけでは難しいと判断するなら、先生が提示すればいい。
先生が用意した資料の範囲で各自探究を進めさせればいい。

それで成功体験を味わったら、次は自分たちでチャレンジさせられる。

ハードルを下げる

失敗をさせない

つまづきを想定し回避する

そのような教師の執念があるから、探究型(複線型授業)が成立する。

振り子は元には戻らないが、前に進むには相当の覚悟がいる。

実りある探究型の授業が広がるように、全力で取り組んでいきたい。

※「認知的徒弟精度」

(1)モデリング(modeling)【見せる】
指導者が学習者に仕事のやり方を見せて教える。学習者は、指導者の見本を見て模倣し、身につけていく。

(2)コーチング(coaching)【させて、見て、気付かせる】
指導者は、学習者にその技能を練習させ、取り組みを観察し、より良い方向に行くように、ヒントやアドバイスなど、フィードバックをする。

習熟度の状況や発達段階に応じて、適した課題を設定する。

(3)スキャフォールディング(scaffolding)【自立の支援】
「足場(かけ)」という意味。学習者がひとり立ちできるように支援する段階。学習者はさまざまな作業・課題に取り組み、指導者は作業・課題の難易度・負荷を高めていく。自力で行える作業や課題は任せ、できないものだけを指導者がサポートする。学習者は、いまの自分の習熟度、発達段階を理解、自覚する。

(4)フェーディング(fading)【任せて、手を引いていく】
学習者の習熟度、発達段階に応じて、サポートを減らしていく。また、学習者に任せて、手を引いていく段階。

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「令和の日本型学校教育」をめざして(3)

~最も大切なのは「教師の指導力」です~

「チエルマガジン」2024秋冬号に川崎市立南河原小学校の取り組みが紹介されている。
~「GIGA端末で「一人一人を主語」に ただの「自習」で終わらせない授業へ~

確かに、各自がタブレットで黙々と学んでいる姿を見て「自習みたいだな」と思うことがある。
そんな疑問に答えるような記述が続く。
◆◆
「教師主導の授業から子供主導に転換といっても、ただ子供に委ねればいいわけではない。子供は間違ったり、本来の目的から逸れたりします。そこをどう修正するか、どう導くか。GIGA端末活用ではここが大切になってきます。」

 そこで授業で心がけているのが、課題や目的、見方・考え方などの徹底だ。
◆◆
「協働的な学び」でも、教師が道を示す。協働的な学びは、つい仲良しの友達で集まりがちだ。そこで、「今日の自分のねらいを達成するために、今話すべき相手はその人なの?」とよく声をかけるという。

「子供主導の授業とは、決して『子供任せ』にすることではありません。教師には、子供を正しく導き、学習を活性化させていくことが求められます。」

そのためには、発問や声かけ、子供の見取りといった指導技術が重要なのだと工藤先生の授業を見て感じた。
・・・まさに「見取りと積極的な介入」。
◆◆
机間巡視と指導
授業中の工藤先生は、精力的に動き続ける。いい発見は褒め、道が逸れそうなら軌道修正。目の前の子供に向かって助言する時と、クラス全体に響くように大きな声で話す時と、意識的に声量を使い分ける。工藤先生の声を遠くの席の子が拾って、周りと話し合いを始めるなど、言葉を発するたびに、学びが活性化していた。

・・・「手抜き」の端末活用(探究活動)を行えば、「這いまわる活動」の批判に逆戻りする。

 レポートの冒頭に書いてある通り、「子供主導」だからこそ教師の指導技術が問われるのだ。
 川崎市立南河原小学校の取り組み。6分の動画だから気軽に視聴できます。

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October 13, 2024

「令和の日本型学校教育」をめざして(2) 

「チエルマガジン」2024秋冬号

堀田龍也先生は「学び方」「手立て」「教材研究」が欠かせないと言う。

◆自分のペースで学んでいいよと言われても「学び方」を知っていなければ迷子になってしまいます。何を、どういう手順で学んでいけばいいか友達に相談したり、ネットで調べたり、どんなリソースを使えばいいか、授業の中で繰り返し経験させ、体得させましょう。

 

◆そして、「手立て」を用意しましょう。例えば、分度器の使い方も一度説明を聞いただけでは理解が難しい子供もいます。使い方解説動画を用意しておけば、先生が改めて教え直さなくても子供自身が困った時に再生し分かるまで繰り返し見直すことができます。
◆こうした手立てを講じるためには、教材研究をしっかりすること。子供たちにどんな力をつけさせたいかを考え、子供が困りそうなことに対する手立てを準備しておく。教材研究が大事なのは今までと変わりません。
順序的には「教材研究」にもとづいて「手だて」を用意し、「学び方」を習得させるということになる。
(1)子供たちにどんな力をつけさせたいかを考えておく。
(2)子供が困りそうなことに対する手立てを準備しておく。
この教材研究なしに「子供に任す」ことは「個別最適な学び」とは言えない。
GIGA端末を使って子供に任せている先生たちに、その覚悟があるのかということなのだ。
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「令和の日本型学校教育」の葛藤(1)

堀田龍也氏の主張も是々非々で(チエルマガジン2024年秋冬号)

いつまで否定しても、世の中の流れが変わらない。
「令和の日本がら学校教育」を肯定的に受けとめながら、デメリットの解消に尽力する。
ねらいのあいまいな「個別最適な学び」、結果の伴わない「協働的な学び」にならないように。
「多様性に対応した学びを保障し、誰一人取り残さない授業」が日本中で実現するように。
◆いま問われているのは、「ICTをどう使うか」よりも、「子供たちにどんな学びを保障するかなのです。子供たちはとても多様化しています。さまざまな可能性を秘めた子供たちを「誰一人取り残す」ことなく、多様性に対応した学びを保障しなくてはなりません。
 
 この理念は、まさにその通りだが、次の点に注意しなくてはならない。
◆一人一人が自分のペースで学べる。やりたいことを学べる。学ぶ方法も、自分で選ぶ。いわゆる「個別最適な学び」です。そして必要な時には、友達に相談したり、先生に質問したりして、他者と関わりながら学んでいく「協働的な学び」も欠かせません。こうした学びを保障することが、「令和の日本型学校教育」では求められているのです。
・・1人1人が各自のペースで学習を進めるって、本当に「学校教育」でやるべきなのか。
同誌には、「ただの自習で終わらせない授業へ」というテーマの学校紹介もあるが、黙々と自分のペースで学習させるだけなら、それは。やっぱり「自習」だ。
 授業後(家庭で)、1人1人が各自のペースで学習を進めることができるような知識技能や思考力判断力を高めておくような授業が学校教育のやるべきことではないのか。
 私が思うのは、【学校ではきちんと教えて、自主学習で任せる】という反転学習に近いスタイルだ。
 もちろん、堀田先生の指摘する一斉授業のデメリットも分かっている。
◆先生が最初から最後まで主導権を握り、みんなに同じ課題を与えて、勉強が得意な子を指名して答えさせ、「みんな分かりましたか?」と、本当は分かっていない子供もまだいることが分かっているのに、、次に進む。そういったこれまでの授業スタイルとは決別し、令和で求められる授業のかたちに変えていかなければなりません。
 しかし、そのように言うなら、同じような構文で「個別最適」も批判できる。
◆先生が最初から最後まで主導権を放棄して、一人ひとりに自分なりの課題を考えさせ、勉強が得意な子はどんどん進ませ、「みんな進んでいますか?」と、本当は取り組めていない子供・自分の課題を終えていない子供がまだいると分かっているのに、次に進む。そういった令和の授業スタイルとは決別し、あらたに求められる授業のかたちに変えていかなければなりません。
 「個別最適」の理念によって、できすぎる子の「ふきこぼし」問題は解決するだろう。
 しかし、「個別最適」の理念だけでは、「落ちこぼれ」は解消しない。具体的な指導技術が必要なのだ。
 堀田先生は、そうした教師の授業力の大切さをちゃんと書いている。
 それは、分かっているが、あえて、双方のバランスを気にしてしまうのだ。
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October 12, 2024

原理原則を学ぶから、個別のケースに対応できる

枝葉末節だけを学ぶ「つまみ食い」では、その場はしのげるが、すぐに「持ちネタ」が枯渇する。

だから、勝間和代氏は、知的生産のスキル向上には、以下の3つが必要不可欠だと述べている(古い本だけど)。
①原理原則論を学ぶ
②原理原則論に従ったテクニック、すなわちケースを学ぶ
③ケースをお手本に、自分のやり方を試行錯誤して身に付ける

そして、続けて次のように述べている。
=============
 学習は、頭ではなく五感全体で行うというのが私の考え方であり、最近の学習理論の先端でもあります。何かの新しいスキルを学ぶときには、実際に実行してみて五感を使い、肌感覚でどういうことを普段やれば良いのかということを、動き方で学んでいくことが重要です。p59
============
・・・頭ではなく五感全体で学ぶことを「最近の学習理論の先端」としているが、おそらく、特に新しくはないジョン・デューイ(1859-1952)のことではないかと思う。
Learning by doing(ラーニング・バイ・ドゥーイング)は、アメリカの哲学者ジョン・デューイ氏によって提唱された教育の概念。学校の授業やビジネスのセミナーなど、誰かから一方的に話を聞いて知識を得るという手法ではなく、学ぶ側も一緒に実践し、体験することで学んでいく手法を指す。

簡単にいうと「やりながら学ぶ」ことだ。日本語では、「行動学習」「実践的/実験的学習」「発見的学習」などと訳されるように、見る、聞く、触れるなどの五感も使いながら、単なる知識ではなく発見・実感を得る。教育だけでなく、スタートアップなどのビジネスでも同じことが言え、前例がない中でも自ら動き、実践することで、アイデアが本当に有用なのかを確かめることができる。

 勝間氏は次のように書いている。
原理原則論からケースを学び、それをお手本に自分で考えをまとめて行動し、そして、ケースの中から自分自身のコアとなるフレームワーク(思考の枠組み)をつかみ、そのフレームワークと原理原則の整合性をつかむ、というのが情報管理の上級のプロセスです。p60
・・・うーん、言っていることが難しい。

とりあえず、次のように理解した。
目先のノウハウを教えてもらうだけでなく、原理原則に基づいて、自分で考えて行動するからこそ、一人前になれるのだ。

 「私たちが何か情報を身につけて、熟成させて、やってみて、それが腑に落ちるまで、2年の時間が必要になるでしょう。」ともある。P60
 2年の教師修行では、なかなか一人前にはなれないが、冒頭の①②③を意識できるように先生方にアドバイスしていきたい。
 そして、多くの先生に①②③を伝えて、教師という職業に魅力を感じでもらいたい。
 勝間氏の主張は、「目先の努力(直接の努力)」と「間接の努力」の話と似ている。
==============
◆作家の幸田露伴は『努力論』の冒頭で、努力には「直接の努力」と「間接の努力」の二種類があると言っています。
 前者は「当面の努力」で、さしせまった目標に向かって精一杯頑張ること、後者は「準備の努力」で、将来のための基礎づくりとなるものです。
 たとえていえば、明日の試験に出そうなところを集中的に暗記する努力と、すぐに結果は出ないけれど、将来のために基礎から学んでいく努力との違いといったらよいでしょうか。
 努力してもなかなか目標が達成できないのは、多くの場合、直接の努力ばかりで間接の努力が欠けているからだと、露伴は説いています。
 上廣哲治 「目標を達成するための地図」『倫風』2022年2月号
=================
・・・勝間氏の言う「原理原則を学ぶ」は、「目先の結果には結びつかない長期的な準備」なのだと考えたら、スッキリした。
Katu

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October 11, 2024

「教えて考えさせる」でないと、指導にならない! 

10年以上前、勤務する春日井市内で、堀田龍也先生が教育アドバイザーとして研究指定校の助言をしてくださっていた。

 当時のキーワードは「習得と活用」だったが、ちまたでは「活用が大事だから、教師はできるだけ教えない」という誤解もあった。
 しかし、堀田先生は、「教えることはきちんと教えてから手放す」「先生は手放すタイミングが早すぎる」といった助言をされた。
 算数の授業モデルは、例題をきちんと教え、類題をみんなで解き、練習問題を自力で解くステップであった。。

 堀田先生の主張は、市川伸一氏の著書の言葉で言えば、

「教えて考えさせる授業」

であった。これは、2013年刊行の一冊。

 リンク先では「はじめに」の部分閲覧できる(自宅で実物が見つからないので、こっちを引用します)。
 学び合いや問題解決的な学習=教えない授業の批判があまりに的を得ている一冊だったので感激した。
 当時の気持ちは今も変わらない。
===========================
 私は当初、授業がわからないというのは、教師が一方的にどんどん教え込んでいく授業をするからだと思っていました。
 ところが、子どもたちの言うことがどうも違うのです。「先生が教えてくれないからわからない」と言うのです。
 では、いったい授業では何をしているのかと聞くと、「さあ、自分で考えましょう」「みんなで話し合って考えましょう」という自力解決や協同解決の時間がやたらに長くとられ、教師がわかりやすく説明してくれる時間がほとんどないと言います。
 その後、私自身、授業見学をする機会が増えるようになり、そうした授業を多く見かけるようになりました。
「確かに、これでは子どもたちは、わからないだろう」と思わざるをえませんでした。
 時代の風潮というのは怖いもので、当時は、そういう授業がよいものとされ、皆でめざしていたのです。
 「教える」「指導」「知識」などの言葉は極めて悪いイメージをもたされ、「子ども中心」「指導より支援」「問題解決」「自力解決」などの言葉がとびかいました。
 そして、この傾向は、まだ根強く残っています。
 正直なことを言えば、私自身も、1990年代は、学習相談の実践研究をする一方で、探究型、創作型の授業を提案したり、実践を紹介したりしていました。
 ただし、それは、あくまでも基本的な知識・技能は手堅く身につけることを前提としての話です。
 その前提が、もはや全国的にかなりくずれていたわけです。
 公教育で、最も大切なのは、バランス感覚であろうと私は思っています。
 ところが、現実には、振り子が振れるように、極端から極端へと方針が振れやすいのも教育界の特徴です。
 一方の極の方針で実施してまずいことが起こると、マスコミも教育学者も徹底的に批判し、まったく逆の方向に行こうとするのです。
 少なくとも、知識・技能の習得をめざした授業では、教師が基本的なことをわかりやすく教え、子どもたちが共通の知識をもった上で、クラス全体で問題解決や討論を行って理解を深めるというのが「教えて考えさせる授業」です。
 これを聞くと、「何をアタリマエのことを言っているのだろう」と思う方も多いでしょう。
 それがアタリマエでなくなってしまったのが、1990年代以降の学校教育なのです。
 この10年あまり、「教えて考えさせる」というフレーズは、ずいぶん広まったようです。
 私も、中央教育審議会にはいってから訴えてきましたし、講演、雑誌、書物などで主張してきました。
 2005年以降、中教審答申では、「教えて考えさせる」という表現が使われるようになりました。
 しかし、それに伴う誤解や反発もあります。誤解・反発の代表例は、「教師が先に教えてしまったら、子どもは考えないではないか」というものです。
 私は、これまで関わってきた30校を超える学校の生徒の様子や先生方の声から、そんなことはないと自信をもって言えます。
 むしろ、そういう反論をする方は、教師が教えたあとに、何を考えさせるか、という発想がないのでしょう。
 教師の教える知識はゴールではありません。
 むしろ出発点なのです。知識があるからこそ、新たな疑問や興味も生まれ、さらにすすんだ問題解決や話し合いができるのです。(後略)
=====================

・・・堀田先生が提言していたのは、まさに、この「教えて考えさせる授業」のことだ。
「教えずに考えさせる授業」を理想モデルにしてはいけないという指摘だった。
 そして、5年ほど前の講演で、現行学習指導要領の意義について奈須正裕先生が「振り子を止めて不毛な議論に終止符を打つ」といった発言をされた時も、同じ意味なのだと受け止めた。
 改めて、市川先生の主張を読んでみると、今なお「教えて考えさせる」がスタンダードになっていないという気がしている。
 2学期は、そろそろ子供に任せてみてもいいと思っている。教える内容が減ってくると思っている。
 しかし、放置であってはならない。

「先生が教えてくれないからわからない」という状況を生み出してはいけない。

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「習得」を大事にするから「探究」に移行できる。

◆1990年代の教育界の混乱の1つは、「習得」と「探究」ということを区別せずに、本来ならすべての子どもたちに習得させたい基礎基本を、探究型のやりかたで自力発見、自力解決させようとしすぎたことにあると私は考えています。それは、「教科書に導入として出ているようなことを、教科書を閉じて考えるように促す」という授業方法に表れています。すると、知っている子どもには退屈で、知らない子にはとても考えられないという事態が生じる。時間が足りなくなり、活用や探究の学習までとても行きつかない

「教えて考えさせる授業をつくる」市川伸一(図書文化)2008年初版 P123
 ただし、
◆「 教える」が習得、「考えさせる」が探求と言うわけではない。
◆「習得」が教科、「探求」が総合的な学習と言うわけではない。
と白黒はっきりしない表現が多いので、逆に誤解を与えている。きっちり主張すれば、誤解も減るのだ。
 大筋で、「 教える」が習得、「考えさせる」が探究である。
 大筋で、「習得」が教科、「探究」が総合的な学習である。
 「探究のシンキングサイクル」は、元々「総合的な学習」のためのモデルだったのに、今や、各教科でも「探究のシンキングサイクル」活用の勢いが強い。
 本当にそれでいいか。
 先に引用した箇所では、
◆1990年代の教育界の混乱の1つは、「習得」と「探究」ということを区別せずに、本来ならすべての子どもたちに習得させたい基礎基本を、探究型のやりかたで自力発見、自力解決させようとしすぎたこと
とあるが、30年経っても変わらず「習得」と「探究」の区別が怪しい。
  向山代表は「教科書を閉じて考えるように促す」ような授業方法を否定した。
 ただし、今まで習った方法を使って「台形の求め方を考えさない」と探究型の取り組みもしている。それは「習得させたい基礎基本」ではなく「自力解決させたい応用の場面」だからだ。
 また、分析批評の討論や評論文では、教師の介入をしないことがあった。これも「習得させたい基礎基本」でなく「自力発見させたい応用の場面」だからだ。
 そういう使い分けって、そんなに難しいか。
 そんなに正しく広まらないものか。
 いや、多分、受け取る側にバイアスがかかっていて、情報を自分の都合よく聞き取ってしまうのだ。
 だから、元々「教師の詰め込みは悪、子供自身の学びが重要」と思っている人たちは、いつでも探究型のやり方で自力解決させたがる。
 市川氏の本に「受容学習」が出てくる。
 これは「受動的な学習」とは違う。実は自分もこの部分を読み落としていた。
◆ 受容学習というのは、けっして「受け身の学習」ということではないのです。自分で発見したことではなく、他者から知識を学ぶ学習のことです。
◆しかも、こうした受容学習は、研究者と言われる人も、常に行っていることなのです。
◆そこで得た知識があってこそ、より高いレベルの高い問題解決学習や、より多くの子供が参加できる討論が行えるのです。「教えて考えさせる授業」で、未習事項も含めて、教師からの説明によって知識を与えるのは、有効な問題解決や討論を行うための1つの手段と考えてほしいのです。P28 29
 体系化された知識を能動的に理解する「受容学習」は、一方的に教え込む「受動的な学習」と違う。
 一斉授業としての「受容学習」は「悪」ではないし、撲滅されるものではない。
※参考となるGeminiの回答が以下の通り。
 あまりなじみのない「受容学習」という言葉の意味が何となく理解できた。
 ただし、生成AIを100%信じるのもどうかと思うので、この件は「要審査」の案件である。
========================
Q 「受容学習」は、「受け身の学習」とどう違うのですか?
A「受容学習」は、確かに知識を一方的に受け取るという側面がありますが、ただのパッシブな学習形態とは少し異なります。
受容学習の特徴と、受け身な学習との違いを以下にまとめます。
  • 知識の提示: 教師が体系化された知識を、ある程度完成された形で提示します。
  • 学習者の役割: 提示された知識を理解し、既存の知識と結びつけながら、自分の知識体系に組み込むことが求められます。
  • 能動的な理解: 単に情報を丸暗記するのではなく、なぜその知識が必要なのか、他の知識とどう関連しているのかを考えながら、深い理解を目指します。
  • 有意味学習: 既存の知識と結びつけることで、知識が単なる情報ではなく、意味のあるものとして捉えられます。
受け身な学習との違い:
  • 単なる暗記ではない: 受容学習では、暗記だけでなく、理解を重視します。
  • 既存の知識との関連付け: 新しい知識を既存の知識と結びつけることで、より深い理解へとつながります。
  • 教師の役割: 教師は単に情報を伝えるだけでなく、学習者が理解を深めるためのサポートを行います。
受容学習が有効な場面:
  • 基礎知識の習得: 基礎的な知識や概念を効率的に学ぶ際に有効です。
  • 体系的な知識の習得: 複雑な知識体系を短時間で習得したい場合に有効です。
  • 大勢の学習者を対象とした指導: 一度に多くの学習者に同じ内容を教える必要がある場合に有効です。
受容学習の注意点:
  • 学習者の主体性: 受容学習は、あくまで一つの学習方法です。学習者自身が積極的に学び、考える姿勢を持つことが重要です。
  • 多様な学習スタイル: すべての学習者が受容学習に適しているわけではありません。学習者の個性や学習スタイルに合わせて、様々な学習方法を取り入れることが大切です。
  •  
まとめ
受容学習は、教師が体系的な知識を提示し、学習者がそれを理解し、自分の知識体系に組み込む学習方法です。単なる受け身な学習ではなく、学習者の能動的な理解が求められます。しかし、すべての学習場面で有効というわけではなく、学習者の状況や学習内容に合わせて適切な学習方法を選択することが重要です。
=====================

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ごんは「悪いきつね」


「ごんぎつねの授業を参観した。


 授業者は、ごんのいたずらを整理した後、「ごんは悪いきつねか、悪くないきつねか」を問うた。

 意見の分布は半々というところ。席を移動して机を向かい合わせにして「討論」を行った。

 そうやって、意見交換させることはいい。

 自分の立場で意見を述べ、相手の意見に反論することは、すぐには上達しないので機会があるごとにチャレンジさせればいい。

 しかし、一場面に限定して尋ねているのに、全文読んでいるので、「一場面のごん」とは違う解釈が混じっていた。後半、やさしいごんになるから、子供は最初からやさしいごん・本当はやさしいごんで読みたいのだ。

 自分も分かっていたのだが、ダメ出しできなかったのが

============

第一場面のごんは当然「悪いきつね」である。「悪くないきつね」という読みは浅い。

============

と白黒つけるべきだった点だ。 授業者はどっちも言えるよね、理由がちゃんと言えればいいのだという形で授業を終えた。

 しかし、第一場面で、農家の生計をおびやかす様々な悪戯をしたごんが「悪くない」はずがない。
 許されない行為をした「ごん」だったから、兵十は迷わず撃ち殺そうと思ったのだ。
 全文読んだ上で授業をしているからこそ、第一場面のごんは「許すことのできないひどいごん」として押さえなくてはいけない。

 「悪戯ばかりする悪いごん」が「償いをするやさしいごん」に変わったところが、この作品の鍵なのだから。

 「ごんは悪くない」と考えていた子供にも「許されない行為をしたから、兵十は迷わず撃ち殺そうとした」という事実をを押さえた上で意見を書かせないと意味がない。

 「確かに、農家の人々にとって許されない悪戯をしたのだからごん悪い。でも・・・」の「・・・」の部分を、相手側が納得するように書かせなければ、読みの浅さを放置していると言われても仕方ない。

 子供は他人の意見を聞いていない。なかなか自分の意見を変えようと思わない。
 だからこそ教師が介入し、「指導」を加えなければ、子どもは成長しないのだ。

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「ごんぎつね」を読み味わうためにヒガンバナのイメージを

ヒガンバナに囲まれ花嫁行列 愛知・半田
「ごんぎつね」にも描かれた矢勝川

「ごんぎつね」の中の、お葬式の場面はイメージしにくいです。
動画は、「ごんぎつね」の舞台と言われる愛知県半田市の「結婚式の花嫁行列」のイベントです。
昨年の中日新聞の記事。

写真は、今年9月29日の中日新聞
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October 07, 2024

「探究的な学習」の探究(2)

「探究型の授業」

 正直なところ、それまでは
◆えっ、探究型の授業って学習指導要領で強調されていたっけ?
◆総合的な学習のキーワードだけど、他教科でも重視されてたっけ?
ぐらいの認識だった。
 学習指導要領でも「総合」以外で、端的な解説を見つけることができず、二次資料に頼ると
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◆探究的な学習においては、「探究の過程」(プロセス)が重要な意味を持っています。探究の過程とは、
日常生活や教科内容の学習を通して課題を見つける(「課題の設定」)
課題を追究する過程でさまざまな情報を収集する(「情報の収集」)
その情報を整理することで精査したり、考えを交換しながら分析したりして問題の解決に取り組む(「整理・分析」)
取組の成果をまとめ、他者に向けて表現する(「まとめ・表現」)
といった学習活動を繰り返すことです。
◆総合的な学習の時間においては、設置の当初から探究的な学習の方法を基本としてきました。「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」は、総合的な学習の時間の中心概念です。
・・・この探究的な学習は、総合的な学習を充実させるための学習方法というだけでなく、他教科等の見方・考え方を結びつけて総合的に活用することや、実社会・実生活の課題を探究して自己の生き方を問い続けるあり方として示されています
すなわち、「探究」は総合的な学習の時間だけで展開されるものではなく、もう一段高い地平から、各教科の探究の学習を結びつける役割を持つものであると位置づけられています。
新しい学習指導要領においては、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)が基本的な学び方の一つとして挙げられています。
探究的な学習は、まさにこの学び方に通じるものでもあります。
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・・・というわけで、一次資料ではないが、
◆「探究的な学習」の考え方は、各教科の原則の中に取り入れられて、教育課程の中心に位置づけられています。
と書かれると、なるほどそうなのかと思う。
 主体的・対話的で深い学び=アクティブラーニング=探究学習という理解でいいのなら、違和感はないのだが、それでいいのかどうかが分からなかった。
 先に示した「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」は、総合的な学習でよく使われる「探究的な学習のサイクル」の4項目である。
 指導要領解説では
◆総合的な学習の時間における学習では、問題解決的な活動が発展的に繰り返されていく。これを探究的な学習と呼び、(中略)「探究的な学習における児童の学習の姿」として、図のような一連の学習過程を示した。
とある。
 春日井市の先進校では、「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」を「学習過程」と呼び、マグネットシートで授業中、子供に明示している。
 これが「学び方」の習得につながっている。(「Wutan」2022年2学期号より)
 また同冊子で高橋純先生が「シンキングサイクル」と呼んで、次のように解説している。
◆子どもが自分で学びを進めていくには、「学び方」を知らなければなりません。それが春日井市でも子どもたちに教えている、問題解決のための汎用の学習過程(私はシンキング・サイクルと呼んでいます)です。
「課題の設定」し、「情報を収集」して、その情報を「整理・分析」し、「まとめ」「説明・発表」する。学びの道すじ」であるこの学習過程を、子どもが自分で行き来できるようになれば、先生の指示がなくとも、生涯にわたって学び続けられます。
 そして先進校ではない勤務校の研究では、「習得ー活用」の「活用」部分で、思考・判断・表現する力の育成のために、この探究的な学習過程が必要だとされている。
  学習活動の多くの部分を子供に委ねなければ「探究的な学習」とは言い難いとなると、実現はなかなか難しい。

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「探究型の学習」の探究

学習指導要領の「総合」編によれば、

◆探究的学習とは、「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」といった探求の過程(問題解決的な活動)が発展的に繰り返されていく一連の学習活動である。
ということになる(写真参照)。

 細かいことだが、4つの項目を、文中では「問題解決的な活動」と呼び、図表の中では「探求の過程」と呼んでいる。
 そして、この4項目を高橋純先生は「シンキングサイクル」と呼び、勤務校は「思考・判断・表現するための探究的な学習過程」と呼んでいる。

 名称がバラつくと、少しずつ受け止め方のズレが出るので要注意だ。

 あるサイトでは、次のように「教科学習」と「探究的な学習」を分けている。

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 教科学習では、各教科の固有の知識や個別のスキルを学び、各教科の本質に根ざした問題解決能力や学び方、考え方などを育みます。

一方、探究学習では、教科にとらわれない、横断的、総合的な問題解決の能力を育みます。 
 探究学習は、小学校と中学校では「総合的な学習の時間」、高等学校では「総合的な探究の時間」を通じて学びます。

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◆この定義で言うと、各教科の授業を探究的な学習として行う必要はない。

◆これまでも社会科や理科の授業などで、探究的な学習は行われてきた。

とあるように、総合にとどまらず、各教科で探究的な学習を取り入れる意義は高い。
 しかし、どのように取り入れたらいいのかを理解していないと、各教科固有の知識やスキルの習得を疎かにしてしまう。
 教科学習で、各自に学習課題を設定させてうまくいくのは、学習レベルが保障された学級でのことだ。
 どこで、どう探究的な学びを取り入れるかを熟慮しないと、授業は崩壊する。

「習得 → 活用」、「教えて → 手放す」
と同じような意味合いで、
「教科学習 → 探究的な学習」のステップがあるのかな、というのが今の自分の理解である。
Sou


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October 02, 2024

授業における「関所」の感覚

授業の重要なポイントを全員達成できるようにチェックすること。

そのポイントを通過しないと次へ進めないような仕組み。

①作文のお題が確定した子に作文用紙を配る。

②図画工作で下絵が完成した子に画用紙を配る。

③算数で1問合格した子に、次の問題をやらせる。

④黒板に自分の考えかAかBかをマグネットを貼った子から、理由を書かせる。

⑤体育のチャレンジカード1枚目が合格したら、2枚目を渡す。

⑥合格したら自由読書。

 

・・・こういう関所の意識が希薄だと、子供たちがダダ洩れになる。

 どうせ、やってもやらなくてもバレやしないとタカをくくり、

 周りに比べて自分が遅れていることを自覚できないのでスピードアップにつながらない。

 人は弱いから、他者との比較で「これはまずい」と焦ることがある。いい意味での競争意識を活用するのが集団教育の長所の1つだ。

 

 よく見られるのが「先生のマルつけのために起こる大渋滞」。

 教室内で渋滞させることはよいことではない。待っている子から混乱が起きる。

 1問だけ丸つけすると決めたら、渋滞は回避できる。

 でも、「ここだけは先生のチェックを通過させたい」という関所の意識があるのだから、そこは評価したい。

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「教えないで考えさせる授業」の呪縛

 「子供主体」を批判する野口芳宏氏に対し、「文科省の方向はそんなことはないんですよ」と主張しているのが、市川伸一氏だ。
 ただし、世の中に「教えないで考えさせる授業」が存在することは市川氏も認めている。
 「教えて考えさせる授業をつくる」
~基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計~(図書文化)2008年初版
 結局、文科省の思惑とは別に「教えないで考えさせる授業」が蔓延しているのだ。
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◆「教えずに考えさせる授業」がよいものだとする考えは、特に小学校を中心に、実に全国津々浦々、教科教育研究者、文部省教科調査官、教育委員会指導主事などを通じて学校現場に広められていたということです。研究授業や教科書の指導書などでも、それが前提のように扱われていることがほとんどです。p5 
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  だから「教えない授業」が先進的な取り組みとして扱われてきた。
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◆1990年代のいわゆる「ゆとり教育」を通じて、しだいに「教師はあまり教えずに、子供に考えさせるのがよい授業である」とみなされる傾向が強まってきました。当時の教育界のキーワードとして、「指導より支援」「子ども主体」「問題解決」などがありました。P3
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とあるが、法則化運動にどっぷりつかっていた私などは、こうした流れに染まらなかった。向山代表は「問題解決型の算数」を徹底的に批判していた。
 自分自身も「確かな学力形成」「教師の授業力・指導力」「誰一人取り残さない」の方が大事だと思っていたから「できる子」だけが目立つ問題解決学習に興味はなかった。
◆本来「問題解決」をめざした授業のはずが、実際には問題解決とはほど遠い結果に終わるようなことが多く、定着もよくありません。つまり、「教科書に書いてあるようなことを、自力発見させよう」という授業は、そこにすらたどりつけず、基礎的内容が理解できないこどもが大量に生まれやすいのです。p9
◆1990年代の教育界の混乱の1つは、「習得」と「探究」ということを区別せずに、本来ならすべての子どもたちに習得させたい基礎基本を、探究型のやりかたで自力発見、自力解決させようとしすぎたことにあると私は考えています。それは、「教科書に導入として出ているようなことを、教科書を閉じて考えるように促す」という授業方法に表れています。すると、知っている子どもには退屈で、知らない子にはとても考えられないという事態が生じる。時間が足りなくなり、活用や探究の学習までとても行きつかない、 P123
 市川氏は、現場の混乱と「問題解決学習」の欠点をよく理解している。
 こうした批判の流れを受けて、2度の学習指導要領が改訂されている。
 「基礎基本の定着・深化・活用を促す『習得型』授業設計」という市川氏の提言は、今も生きている(はずである)。
 この本からの学びはもっとあるが、今回はここまで。
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October 01, 2024

「どっちでもいい」のスタンスだけで大丈夫か?

「ごんぎつね」は死んだの?
「われは草なり」の話者は「草」?
「ぼくは川」の話者は「川」?
「一つの花」のお父さんは死んだの?
「白いぼうし」の女の子は「もん白ちょう」なの?
 文中には決め手がない。書いてないから分からない。
 だからといって、理由さえあればどっちでもいいというスタンスで本当にいいのか、疑ってみることも大事だ。
 野口流に言えば、
「子供1人1人の読み方を大事にする」を口実にして「子供の読みを高い次元に引き上げる」という心意気を失っていないか。」
ということだ。
 「どっちでもいいんだよ」と安易に決めず、ぎりぎりまで考えさせたい。そのために議論させたい。
 「本当にAだと思うなら、Bの意見を論破してみよ」ぐらいの取り組みはさせたい。
 教師が高いレベルの解釈を提示して、未熟な読みの解釈をゆさぶってみたい。
 かつて、野口先生の講演の中で、子供や大学生の国語嫌いは「答えがきちんと決まらないから」だという指摘があった。
 それは課題設定の問題でもあるのだが、AかBかでさんざん議論させておいて、いつも最終的に「どっちでもいいよ」では報われない。
 本当はAかBか決着がつくはずなのに、教師の読みや教材分析が足りないために「どっちでもいい」とミスリードしていないだろうか。
 野口先生の鑑賞指導の授業を受けて「そこまでは言い切れないんじゃないか、解釈の押し付けではないか」と思うこともあった。
 しかし、最近の自分の周りの授業が、あまりに「子供任せ」なので、それはそれで問題があるのではと思うようになった。さすがに「一つの花」の10年後のお父さんは死んでいると解釈すべきだろうし、「白いぼうし」の女の子は「もん白ちょう」である。
 解釈の押し付けはよくないが、検討材料の1つとして「ある解釈」を提示し比較検討させることは大切だ。
 経験値の低い子供同士の情報交換では入手できないことがたくさんある。適切な情報を提供したり、子供自身に情報収集させたりして、比較検討を促したい・それこそ、まさに「探究」型なのだ。

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「先生は教える」「子供は教わる」#野口芳宏

「教師主導から児童主導へ」とよく言われる。
教師主導が古くてよくない指導法のように扱われる。
しかし、「アクティブ・ラーニング」が、もともと大学の高等教育の授業改革をめざしていきたことを考えると、小学生から「任せる・委ねる」の能動的学習を始めるのは、早すぎないかという疑問を持つ人がいてもいい。
「教師主導から生徒主体」は「小学校ー中学校ー高校」のステップでいいのではないか。
 そのような疑問に対して、自分なりの解答を持っていたい。
「文科省が言ってるからアクティブ・ラーニングに取り組んでいます」では、保護者が抱く不安や怒りに対応できないからだ。
 もちろん、低学年でも1年間の指導の中で「もう、そろそろ自分達だけでやれるよね」と手放せることはたくさんある。
 そうはいっても、子供は子供だ。全部任せられるほど、子供は完璧ではない。
 子供の「未熟さ」を強調する野口芳宏氏の主張について、元「総合教育技術」編集長の小笠原喜一氏は次のように述べている。
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 経験に乏しく、知識も少なく、未熟・未完な存在である子供は「教育」によって初めて自立した「人間」となる。ゆえに「先生は教える」「子供は教わる」という教育の根本的大原則を忘れてはならない。
 これこそが野口先生の教育論の根本・本質・原点となる考え方であると言っていいだろう。
 未熟な存在である子供は「教育」によって初めて「人間」となる。したがって「子供中心主義」では真の教育ができない!という考え方である。
 「 ICT負けてたまるか! 人間教師としてのプライド」(学芸みらい社)P33・34
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 堀田龍也先生の主張と野口芳宏先生の主張で振り子が揺れる感じ。体が左右に引き裂かれる感じと言ってもいい。
 文科省は「振り子の揺り戻しはもう起こさない」というスタンスであるが、野口先生の言われるように、10年ごとに教育方針をコロコロ変えられたら、現場はたまったものじゃない。
 教育の本質は変わらない、「不易」の部分を大事にすべきだという野口先生の意見をしっかり受け止めながら、是々非々で日々の授業改善に取り組んでいきたい。
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特別支援教育は、「個別最適」の原点

特別支援学級の授業を観察した。

個人差が大きすぎるので一斉指導はとても無理だなと思った。

学級に3人しかいなくても、3人バラバラに指導が必要なので、担任1人ではアップアップである。

それぞれに合った教材や課題が必要だし、課題に取り組んでいるからと10分も15分も放置するわけにもいかない。

 

じゃあ、通常級なら、なんとかなるのだと油断してはいけない。

一斉授業では「教えたつもり」で、こぼれる子が生じるかもしれない。

かといって個別最適な課題を与えても、やらせっぱなしでは、こぼれる子が生じるかもしれない。

 

見取りとチェックシステムが必要。

小刻みな「関所」を設けて、確実なステップアップを促したい。

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