「教えないで考えさせる授業」の呪縛
「子供主体」を批判する野口芳宏氏に対し、「文科省の方向はそんなことはないんですよ」と主張しているのが、市川伸一氏だ。
ただし、世の中に「教えないで考えさせる授業」が存在することは市川氏も認めている。
「教えて考えさせる授業をつくる」
~基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計~(図書文化)2008年初版
結局、文科省の思惑とは別に「教えないで考えさせる授業」が蔓延しているのだ。
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◆「教えずに考えさせる授業」がよいものだとする考えは、特に小学校を中心に、実に全国津々浦々、教科教育研究者、文部省教科調査官、教育委員会指導主事などを通じて学校現場に広められていたということです。研究授業や教科書の指導書などでも、それが前提のように扱われていることがほとんどです。p5
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だから「教えない授業」が先進的な取り組みとして扱われてきた。
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◆1990年代のいわゆる「ゆとり教育」を通じて、しだいに「教師はあまり教えずに、子供に考えさせるのがよい授業である」とみなされる傾向が強まってきました。当時の教育界のキーワードとして、「指導より支援」「子ども主体」「問題解決」などがありました。P3
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とあるが、法則化運動にどっぷりつかっていた私などは、こうした流れに染まらなかった。向山代表は「問題解決型の算数」を徹底的に批判していた。
自分自身も「確かな学力形成」「教師の授業力・指導力」「誰一人取り残さない」の方が大事だと思っていたから「できる子」だけが目立つ問題解決学習に興味はなかった。
◆本来「問題解決」をめざした授業のはずが、実際には問題解決とはほど遠い結果に終わるようなことが多く、定着もよくありません。つまり、「教科書に書いてあるようなことを、自力発見させよう」という授業は、そこにすらたどりつけず、基礎的内容が理解できないこどもが大量に生まれやすいのです。p9
◆1990年代の教育界の混乱の1つは、「習得」と「探究」ということを区別せずに、本来ならすべての子どもたちに習得させたい基礎基本を、探究型のやりかたで自力発見、自力解決させようとしすぎたことにあると私は考えています。それは、「教科書に導入として出ているようなことを、教科書を閉じて考えるように促す」という授業方法に表れています。すると、知っている子どもには退屈で、知らない子にはとても考えられないという事態が生じる。時間が足りなくなり、活用や探究の学習までとても行きつかない、 P123
市川氏は、現場の混乱と「問題解決学習」の欠点をよく理解している。
こうした批判の流れを受けて、2度の学習指導要領が改訂されている。
「基礎基本の定着・深化・活用を促す『習得型』授業設計」という市川氏の提言は、今も生きている(はずである)。
この本からの学びはもっとあるが、今回はここまで。
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