「どっちでもいい」のスタンスだけで大丈夫か?
「ごんぎつね」は死んだの?
「われは草なり」の話者は「草」?
「ぼくは川」の話者は「川」?
「一つの花」のお父さんは死んだの?
「白いぼうし」の女の子は「もん白ちょう」なの?
文中には決め手がない。書いてないから分からない。
だからといって、理由さえあればどっちでもいいというスタンスで本当にいいのか、疑ってみることも大事だ。
野口流に言えば、
「子供1人1人の読み方を大事にする」を口実にして「子供の読みを高い次元に引き上げる」という心意気を失っていないか。」
ということだ。
「どっちでもいいんだよ」と安易に決めず、ぎりぎりまで考えさせたい。そのために議論させたい。
「本当にAだと思うなら、Bの意見を論破してみよ」ぐらいの取り組みはさせたい。
教師が高いレベルの解釈を提示して、未熟な読みの解釈をゆさぶってみたい。
かつて、野口先生の講演の中で、子供や大学生の国語嫌いは「答えがきちんと決まらないから」だという指摘があった。
それは課題設定の問題でもあるのだが、AかBかでさんざん議論させておいて、いつも最終的に「どっちでもいいよ」では報われない。
本当はAかBか決着がつくはずなのに、教師の読みや教材分析が足りないために「どっちでもいい」とミスリードしていないだろうか。
野口先生の鑑賞指導の授業を受けて「そこまでは言い切れないんじゃないか、解釈の押し付けではないか」と思うこともあった。
しかし、最近の自分の周りの授業が、あまりに「子供任せ」なので、それはそれで問題があるのではと思うようになった。さすがに「一つの花」の10年後のお父さんは死んでいると解釈すべきだろうし、「白いぼうし」の女の子は「もん白ちょう」である。
解釈の押し付けはよくないが、検討材料の1つとして「ある解釈」を提示し比較検討させることは大切だ。
経験値の低い子供同士の情報交換では入手できないことがたくさんある。適切な情報を提供したり、子供自身に情報収集させたりして、比較検討を促したい・それこそ、まさに「探究」型なのだ。
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