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November 30, 2024

ネガティブ報告からの脱却

ある学級で、朝から悪口を言った言わないで1人の子が荒れていた。

「ほら、今あいつが〇〇って言った」と耳をダンボにしてムキになっている。
「人のあら探し」「告げ口」「すねる・ムキになる」が続くのは個人の問題であるが、学級の黄信号として扱われることも多い。
 自己肯定感や自己評価が低いと、自分より低いものを探すために他人の欠点ばかりみて攻撃的になる。
 そのようなモードに入った子を責めても仕方ない。疎外感や被害者意識が今のその子の「困り感」なのだから、他人のあら探しをしなくても落ち着いて過ごせるように支援していくことを優先したい。
「〇〇君に~と言われた」というトラブルを見て、川上康則先生の「ネガティブ報告」の提言を思い出した。
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◆「ネガティブ報告」をする側の背景には、「他者の行動を気にせずにはいられない」という事情があるようです。その事情を端的に表す言葉が「仮想的有能感(Assumed competence based on undervaluing others)」です。
◆「ネガティブ報告」が多いクラスは、いじめの「警戒水域」を間もなく超える状態であるといっても過言ではないでしょう。常に意識しておきたい視点です。
◆教師は、「ネガティブ報告」が、無意識のうちに仮想的有能感を生じさせてしまうという危険性を含むことに留意し、何気なく受け止めてしまわないようにすることが大切です。ましてや報告を真に受けて、相手の子どもに叱責や注意を向けることだけは厳に慎まねばなりません。
 子ども理解の「そこ大事!」 第6回 | みつむら web magazine | 光村図書出版
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 「他者を軽視することで得られる快感」を求めるのは、それだけ自分が認められていない不満の裏返しだ。
 叱られたり阻害されたりが続くと「人を攻撃する・自分より低いものを探すモード」に入る。
◆望ましくない行動は(生命の危険がない限り)無視する
◆望ましくない行動を思いとどまったとき・望ましい行動をとったときに、ほめたり認めたりする
が、ペアレントトレーニングの基本で、「無視する」先生の態度が「泣いたり暴れたりしても先生は話を聞いてくれないよ」というメッセージにもなる。
帰宅してから「ネガティブ報告」ばかりしている子がいる。
日ごろから子供の不満を聞かされている保護者は、学校や学級や担任にネガティブな意識をもちやすい。
個人懇談会の冒頭で、そのあたりの雰囲気をキャッチして話の内容を微調整するとよい。

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November 28, 2024

3・4年生は漢字習得で苦労します!

 覚える努力」が必要な漢字の習得

理科や社会と違って、漢字テストはちゃんと覚えてこないと結果が出ません。

2年生の漢字ぐらいなら一度で覚えられますが、3・4年生の漢字になると何度も繰り返しさないとテストでいい結果が出ません。

何も準備しなくてもテストで高得点がとれる理科や社会は楽しいだろうし、覚えないと点数が取れない漢字は嫌いだと感じている子が多いと思います。しかし、高学年以降、理科や社会も、ちゃんと覚えないと点数がとれなくなります。

「覚える」ことの楽しさと、自分なりの「覚えるコツ」を実感させて、高学年に進級させたいです。

 2年生の九九、3年生からの漢字、ローマ字、4年生の都道府県などは、とにかく覚えるしかありません。

競争やゲームの要素を加え、楽しく覚えさせましょう。

1 漢字の難しさ(苦手が克服できない子)の理由
(1)習う字が多いこと

 特に3・4年生は1年間で200文字を学習する。

(2)画数が多く、形が複雑な漢字があること。

 小学校で20画の漢字もある。

(3)複数の読み方の漢字や同音異字があること

 文脈から判断しないと正解できない。

 

2 漢字の誤り=漢字の混同の3要素・・・習う漢字が増えるほど混同しやすくなる。

(1)同じ音の漢字(同音異字)と混同する子。

「意味」の習得が不十分な場合、「黒板国板」「多い大い」のような間違いを起こす。

「対象・対照・対称・大賞・大正・大将」などの区別は高校入試レベル。

※対策は、部首の意味や漢字の意味を意識させること。

(2)似た意味の漢字と混同する子(「音」の習得が不十分)

「ふゆ雪」「にく牛」「先生生先」のように間違える。

「黄」と「横」と「緑」が混ざって、緑を「きへん」にしてしまう子もいる。

読み仮名から漢字が思い出しにくい子や、まとめのテストで点がとれない子に多い。

 

※対策①・・・漢字の練習時には読みを唱えさせる。
※対策②・・・文章中の漢字や熟語を読む練習をしっかりさせる。
※対策③・・・意味のつながりで漢字を覚える、漢字の「仲間集め」をさせる。

 

(3)漢字の形を混同する子(「形」の習得が不十分)
  季節の「季」と委員会の「委」は高校入試レベル。「半」と「平」など、大人にとっては苦労しない漢字でも間違えることがある。

次のような間違いのパターンがある。

①形の似た漢字との誤り

・・「教える」「考える・数える」、「親友」「新友」
②部分的な形の誤り

・・線が1本足りない、点の数が多い、線が突き出ているなど
③全体的な誤り

・・部首の一部が別の字など
④部首の配置の誤り

・・へんとつくりが逆・部首の位置が違うなど

※対策① 漢字は丸暗記でなく、語源を意識させるとよい。

※対策② 漢字は丸暗記でなく、部首やパーツを意識させるとよい。

※対策② 少ない練習回数でも、部首の意味を考え、部首の名前を唱え、漢字の読み方も言いながら練習すると漢字が覚えやすい。

漢字の部首やパーツを意識させると、一画ずつ覚えるよりもまとまりで覚えられるし、漢字を

覚える手がかりも増える。たとえば16画の「親」の字も、「立つ」「木」「見る」の3パーツで覚えれば習得しやすい。

漢字ゲームやパズルは、「形」に関連したものが多いので、積極的に遊ばせると良い

 

(4)習得した時期が重なるために混同する子

 「漢字の窓」のような単元では一度に多くの新出漢字がある。しかも、普段使わない抽象的な漢字や熟語、部首や意味の似た漢字がまとめて出てくる。

また、ドリルの同じページにある漢字は、学習時期が重なるので、混同しやすい。

 

(5)「送りがな」を間違える子。

やっと漢字を覚えても、送り仮名でミスをする場合がある。送り仮名には一定のパターンがあるので、そのパターンと、その例外となる一部の漢字をピックアップする。

 

(6)機械的に練習している子

漢字を書きながら別のことを考えたり、偏だけを先に書いたりすると、いくら時間をかけて練習していても漢字を覚えられない。意味のある練習になるよう声かけすると同時に、十回練習させるなどの無意味な反復練習を避ける。

 

(7)漢字を使いたがらない子

 自分の氏名をひらがなで書く子、板書の漢字をひらがなに直してノートに書き写す子など、日ごろから漢字を使いたがらない子の苦手意識に共感しつつ、できるだけ使うように声かけする。

ノートに書くのが苦手な子は、失敗が苦にならない指書きを多くさせると、練習量が増えて、定着しやすい。

 

 機械的なマル付けやテスト返却に終わらず、誤答分析をして、子供が間違える理由や間違いやすい漢字をしっかりチェックしてほしいです。

◆声を出して空書きをさせたり、漢字を使った身近な語句を紹介したりする。

◆テストをする前に、間違えやすい漢字をリストアップして共有する。

◆テストの後は、漢字ドリルを出して自己採点をさせる。

◆日ごろから意図的に漢字を使い、子どもにもできる範囲で漢字を使わせる。

 大人になってからハングル文字を覚えろと言われても困難なのと同じです。できない子どもを叱っても仕方ありません。

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November 27, 2024

情報活用のステップ

「情報学習支援ツール実践カード&ハンドブック」木村明憲著(さくら社2016初版)。
監修者として堀田達也先生のお名前もある。

【A情報を集めるーB情報をまとめるーC情報を伝える】
の3段階で、それぞれ下位項目が示してある。
A情報を集める
 ア:集まる情報を選ぶ
 イ:集めた情報から選ぶ
 ウ:選んだ情報を整理する
B情報をまとめる
 ア:情報をまとめる方法を選ぶ
 イ:情報の表し方を選ぶ
 ウ:情報をわかりやすく、伝わりやすくまとめる

C情報を伝える
 ア:情報を伝える方法を選ぶ
 イ:聞いている人にわかりやすく伝える
  ウ:聞いたことやかかれたものを見て、伝え合う

・・・下記のサイトからいろいろダウンロードできる。
本誌メインの「実践カードハンドブック」のカラー紙面がまるまるダウンロードできるところが、なんとも太っ腹だ。

 このABCの下のアイウの項目の下に、さらに下位項目がある。
 たとえば4年のチェックカードのBのウは、次のように示されている。
B情報をまとめる
 ウ:情報をわかりやすく、伝わりやすくまとめる
 (1)引用して
 (2)要約して
 (3)文章と絵、写真、図、表、グラフなどを組み合わせ、それぞれがどのようにつながるのかを矢印などでわかりやすくして
 (4)けい体とじょう体をそろえて
 (5)ふき出しをつけたり、色を変えてグループ分けをしたりして

ガイドブックには、Bのウの各項目にさらに3つずつ解説がある。
(1)引用して
  ①引用して文を書くときには
  ②本から
  ③インターネットから
(2)要約して
  ①大切な言葉をぬき出して
  ②大切な言葉をつなげて
  ③後で読んでわかるように
(3)文章と絵、写真、図、表、グラフなどを組み合わせ、それぞれがどのようにつながるのかを矢印などでわかりやすくして
  ①文章と絵、写真、図、表、グラフを組み合わせる。
  ②絵、写真、図、表、グラフなどを組み合わせる
  ③線や矢印でつなぐ

・・・これらの①②③は、フルセンテンスで書かれているので、本書はもっと濃い。

ユーザーである子供に合わせた実践的なハンドブックになっている。
また【A情報を集めるーB情報をまとめるーC情報を伝える】のアイウについては次のように体系づけられている。
【Aア 受容・収集】
  ↓↑
【Aイウ 理解・吟味・整理・選択】
  ↓↑
【Bア 分析・まとめ】←→【Bイウ 創造】
     ↓↑        ↓↑
【Cアイウ 表現・共有】        

※ABCの3つの過程については、「探究的なサイクル」と似ている。
この点については了承済みで、次のように補足されている。
◆これらの情報学習支援ツールは、総合的な学習の時間で示された問題解決的な活動の姿である「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」まとめ・表現」のプロセスを情報教育の視点から、全ての教科・領域に対応し、子どもたちがわかる文言で提示するために〈情報を「集める」「まとめる」「伝える」〉と再構成し開発しました。P4
4d9058f3e8c34f5082007acf1aa51e4b_4_5005_
SAKURA-SHA.JP
日本の子どもに足りない力*アクティブ・ラーニングの基礎・基本=情報活用の実践力を鍛えよう! | さくら社

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出来事を整理する基本型

4年社会科の教科書(愛知県版)で、名古屋港の単元を簡単にまとめていた。

自分なりに何度かメモ書きしてみて、こんな感じで「基本構造」になるかなと思った。

いつ、だれが 何をした  何のために

             どうなった

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①明治のはじめ

 県が 熱田港の整備計画を考えた。

   ←大型船が入れないから

   →お金がかかるので反対が多い

②1897年

 黒田豊太郎が しゅんせつ工事を行った。

   ←費用が安くできたから

   →港の水深を深くした

③1906年

 奥田助七郎が 「ろぜつた丸」を入港させた。

   ←反対が増えたから

   →賛成が増えた

④1907年 

 名古屋港開港した。 →日本を代表する国際貿易港になった。

⑤2021年 

 名古屋港が、総貨物量20年連続日本一になった。

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 4つの出来事を「いつ・誰が・何をした・なぜ・どうなった」の項目でまとめる作業だけでも、下位の子には負荷が大きい。

 教科書3ページ分を自分で読み取り、必要な記述をピックアップし、要約しないといけない。

 それを、自分でゼロからスライドにまとめるのは難しい。

 だから、シンキングツール。

 フォーマットを指定して、その枠にはめていけば、下位の子にとっては難易度が下がる。

 希望制にして、ノーヒントでやりたい子と、教師が例示したシンキングツールでやりたい子を分ければよい。

 むろん、昔からあるマトリックス型の枠でも記入できる。

 表にすれば全場面を一枚に収められるが、あえて場面ごとのスライドにしてみた。

 スライドを作りながら、「図読法」と同じだなと感じた。

 このパターンだと、感想メモが書けるし、道徳の内容把握にも使える。

 もともと社会科の出来事のまとめで使うためのフォーマットなので、時系列に出来事を整理するのに使える。

 基本が5Wだから「どこで」を入れた方がよい場合もあると思う。

 ただし、国語の授業の場合は、場面設定はここで終わりではない。さっさと内容(構造)を把握したら、こまかな仕掛けや布石、人物の心理などを読み解いていかねならない。

Model

 

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「探究型の授業」を支える指導技術

参観した探究型授業を支えた指導の布石(積み重ね)を次のように考えた。
① 「自力分析」
・・・知識が技能になっている。
②「意見表明・意思表明・言語化」
・・思考→表現はクラウドのリアルの両方向で
③「挑戦力・個の強さ」
・・まずはじっくり個人思考できる強さ
④ 「コミュニケーション能力・進んで他者と関わり合う態度」
※「誰かが喋ったら、黙る」の徹底など
⑤「自己調整能力・自主的自律的な態度」
⑥「 教室の自由度(仕せられることへの返報性)」
※人は、他人から何かをしてもらったときに「お返し」をしたいという心理作用が働きます。
これを「返報性の原理」と呼びます。
⑦ 「柔軟性(人の意見を素直に受け入れる態度)」
⑧「学習は積み上げである」という意識
・・これまで学んだ知識技能を使えば「できる」という安心感
⑨その子の合わせた「個別最適」な支援
タブレット・アプリの活用スキル
当然、全部いっきに指導できるわけではない。
スモールステップで1つずつ指導していく。
この計画(カリキュラム)がカギになる。

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「学びの意欲」を支えるもの

「分析批評」や「図読法」のような解き方のスキルを知ると

使ってみたくなる。試してみたくなる。

①1人でやってみたい。
② だれかに聞いてもらいたい。
③ だれかの意見も聞いてみたい。
・・・これが学びの意欲になる。
「先生、説明はもういいから、自分でやらせて」の状態だ。
この意欲のない探究は形式に流れてしまう。
要するに、次のステップ。
①モデリング
② コーチング
③スキャフォールディング(足場かけ)
④フェーディング
いきなり手放すのは「放置」。
フェーディングまでの 指導が問われる。
「学び方」を試すための自力分析だから、
「少年の日の思い出」を自力分析できることがゴールではない。
未知のテキストを自力分析してみる「チャレンジ精神」が肝になる。
教師から見て物足りないレベルの自力読みかもしれないが、誤読じゃなければいいじゃないか。
小学生のサッカーの試合にプロレベルの指導をしても仕方ない。
むしろ、小学生に小学生なりのレベルで指導できるのが、真のプロコーチの技量だ。
勘違いでもいいから、自分の論を組み立てて、意見表明することに自信をつけさせたい。

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「探究型授業」を参観して自問自答

(1)学習内容の最低保障はできていたのか?
「分析力」は探究すればするほど、向上する。
だから、余分な説明するよりも、子供の探究時間を確保する方が濃い学習ができる。
(2)学習が低いレベルに終始することはないか。
子供の学習内容をきちんと把握していないと、不毛な議論を許してしまう。
そこは教師の「見取りと介入」。
個々の分析の観点で検討すると、テストに出る程度の読解はクリアできる。
そもそも国語の読解はコンテンツ(テキストの内容)を覚える必要がない。
(3)「こう読んでほしい。こう読める」という教師の解釈の提示をあきらめている?
自分が読んだ解釈を示したい気持ちは分かるが、それは単なる「我欲」かもしれない。
誤読を訂正する必要はあるが、教師の解釈を押し付ける必要はない。
(4)どのアプローチでもゴールにたどりつけるのか?
 「対比」「視点」「色」「クライマックス」など、
どのアプローチでも主題に迫り、自分なりの深い読みができればOK.
(5)文字中心で読解していたが、図表にまとめる手だてはあるか?
子どもたちの入力は文字中心(テキスト入力)だった。
図式化するとか、矢印を使うとかの違うツールの使用は認められていたのかな?
生徒が「図読法」や「思考ツール」を体験しているのなら、そのフォーマットを使わせるとよかったかも。

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ほぼ生徒だけで取り組む探究型の授業

先週見学した中学校国語の授業
(1)30分以上、自由にやり取りさせていた。そして振り返りが10分。
先生の全体へのアドバイスが2回。
生徒から全員への呼びかけが2回。
先生の個別支援はずっと続いている。
先生も生徒も端末上の共同画面をたえず確認している。
(2)小刻みな確認(関所)がなくても、大丈夫なレベルに達していたのだと思う。
もちろん、教師のタブレットで生徒の状態は把握していた。
生徒自身が書き込む進度表もあるので、自分でコントロールできている。
(3)一斉討論が要らない。
同時多発的に教室のあちこちで話し合いが起きている。
自分で選んで話し合いに参加しているので、共通の話題で一斉討論する必要がない。
(4)「振り返り」で、個に戻るけど、他者参照は続いている。
全体での発表はないけど、お互いの意見は読まれている。
(5)10分確保した「振り返り」は、単なる感想ではなく意見文のレベルだった。
積み上げれば、単元末に濃密な学習記録(意見文・評論文)ができあがる。
たとえ本時では不十分でも、単元末には、それなりの意見文が書けるのではないか。

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「ノート発言」から、「クラウド発言」へ

かつて野口芳宏先生から「ノート発言」を学んだ。
進んで挙手して大きな声で意見表明する子だけが正しいわけではない。
だから、全員にノートに書かせ、全員の考えを生かすのが 「ノート発言」の真骨頂。
 挙手に頼らないし、一部の子の意見に頼らない 。
ノートに書くから、子供の意見を把握して意図的な授業展開を想定できる。
 
さて、クラウドへの書きこみになって、授業の展開が変わってきた。
机間巡視しなくても、全員の意見が瞬時に見られるからだ。
挙手発言しなくても、何を書いたか分かる。
子供にとってみても、挙手質問しなくても、誰かの意見を見れば分かる。
そして・・・
挙手しなくても、みんなに読んでもらえる (読まれてしまう)。
発言しなくても、みんなに読んでもらえる(読まれてしまう)。
だから、みんなラスト10分の振り返りで、真剣に書き込んでいる。
個に戻って思考する場面だが、他者参照できるし、他者に読まれるプレッシャーがあるから、実に協働的なのである。
挙手しなければ意見を言わなくて済むとなれば、緊張感がない。
しかし、たとえ挙手しなくてもどんな意見を書いたかクラウドでバレバレとなれば、書かざるをえない。
また、中には自分から進んで挙手発言はできないけれど、読んでほしい子はいる。
挙手しなくても誰かが読んでくれるとなれば、控えめな子たちのモチベーションは上がるのだ.

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「つかみの15秒」は、熱中軸

タレントの内村さんの番組進行の一例。

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内村:何の写真か分かりますか?
(白いTシャツの並んだ写真)
山崎:洋服屋さんですよね。
内村:白いTシャツだけを売っている白Tシャツ専門店2016年千駄ヶ谷にオープンした白Tシャツ専門店。
その名も、お店の名前 「白T」オーナーが本当に白Tシャツ好きで、世界中の白Tを集めた店始めたんです。
ちなみに一番高い白Tは18144円。表がコットン、裏がシルク。

世の中にはこのような驚きの専門店が他にもたくさんあるということで、本日の授業はこちら。

 (「スクール革命」2018年5月13日放送)

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・・・引用元は、「使える『国語』の考え方」橋本陽介 ちくま新書 P164

 なるほど、テンポよく、この後の番組(授業)が展開されると予想できる。
 つかみの部分で、視聴者をぐいぐい惹きつけていることが分かる。
 橋本氏は、この場面を見事に解説しているので、パートに分けて私の考察を加える。

◆ここでは、まず司会者の内村が写真を見せたうえで、「何の写真か分かりますか?」と問いかけている。
これが文章で言うところの序論にあたる部分になっている。
余計な情報を極力排除し、短い問いかけで導入するのがよい。
口語の場合には、耳で聞かなければならないので、情報の処理能力は書き言葉に比べて落ちるからである。

・・・まさに授業での「つかみ」だ。余分な情報を排除した端的な問いかけで聴衆を惹きつける。

◆問いかける際、十分に間を取り、聞き手に対して「これからどんな話になるのだろう」と想像させることが大切である。
たくさんしゃべりすぎたり、間を取らなかったりすると メリハリがなくなる。
例では最初の司会者・内村の問いに対して、山崎が「洋服屋さんですよね」と答えている。
プレゼンテーションの場合には返答を求めないことも多いが、聴衆が頭の中で答える形をとらせるようにする。

・・・授業の早い段階で、思考させること、作業指示を与えること、期待させることが大事なのだと分かる。

 それだけではない。
 なんと言っても「十分な間」「相手との掛け合い」「メリハリ」。この辺りが「技量」「身体性」なのだ。

◆次に、ゴシックにした部分が「本論」にあたる部分だが、ここで司会者・内村は早口に切り替わり、一気に情報を流している。
何について話すかが明確になった場合、そこから先は水が流れるようにサーッと話すほうが、退屈しにくいし、聞きやすい。

・・・リズムとテンポについてこれほど明確に語ってもらえて感銘を受けた。

繰り返しにしかならないが、「何について話すかが明確になった場合、そこから先は水が流れるようにサーッと話すほうが、退屈しにくいし、聞きやすい」という指摘そのものが、「何も足さない・何も引かない」見事な解説になっている。

 「語りはじっくりと、説明は一気に流す」と理解した。
◆ゴシックの部分が終わると、一拍おいてから結論にあたる部分「世の中にはこのような 驚きの専門店が他にもたくさんあるということで、本日の授業はこちら」は、比較的ゆっくりしゃべっている。
これは、次のテーマを導入するフレーズともなっており、文章で見てきたのと同じようにストーリーが作られている。
きちんとストーリーが作られているし、メリハリのある話し方をしているから、退屈せずに見ることができるのである。
逆に、一定のペースでメリハリなく話されると、聞いているのがつらくなる。
もちろん、 話し方がうまいだけで内容がない、ということもあるが、話し方がうまくて内容がいいほうがいい。



・・・「一拍おいてから結論にあたる部分をゆっくりしゃべる」といったあたりが、もうたまらない。

「ストーリー」「テンポの変化」があるから「退屈しない」、つまり「惹きつけられる」わけだ。

 「話し方がうまくて内容がいいほうがいい」のは、まさにその通りで、だからこそ、我々も「話し方」の技能・技量を上げる努力が必要なのだ。

授業の始まり(15秒)のつかみ10点

①全体に通る声で授業を始めている。4点
②第一発問・指示で全体を動かしている。2点
③15秒以内に子どもが学習活動に取り組んでいる。2点
④その他 2点


さて、

本当はもう少し言葉を削れると思う。「白T」という言葉が6回も出てくるからだ。

ちなみに、お店の名前は「白T」ではなく、『#FFFFFF 』である。
ウェブなどで使う色指定の記号で「#FFFFFF」は“白”を表すからだそうだ、「白T」でググってみて初めて分かった。
実際に番組で提示した写真に「『#FFFFFF 』があったかどうか分からないが、自分なら入れるかな?


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何の写真か分かりますか?

(『#FFFFFF 』 白いTシャツの並んだ写真)

(洋服屋さんですよね。)

白いTシャツだけを売っている専門店 。2016年千駄ヶ谷にオープンしたお店の名前は『#FFFFFF 』。

ウェブなどで使う色指定の記号で「#FFFFFF 」は「白」を表すので、これで「白T」とよびます。

オーナーが本当に白Tが好きで、世界中から集めた店を始めたんです。

ちなみに一番高い白Tは18144円。表がコットン、裏がシルク。

世の中にはこのような驚きの専門店が他にもたくさんあるということで、本日の授業はこちら。

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◆話がうまくない人、長くなってしまう人の特徴としてもう一つ、余計な情報まで話しすぎてしまうことが挙げられる。
例えば「電話が来た」一言で済ませられることを「電話が鳴ったので、電話の置いてある机まで歩いて行って、取った」のように引き伸ばしてしまう。話の長い人と言うのはたいてい無駄が多い。

・・・という指摘を読むと、こうやって、冒頭で「白T」以外の情報「#FFFFFF を入れるところが、自分の技量の低さかの表れかもしれない。

「言葉を10分の1に削る」という向山先生のご指導を真摯に受け止めねば。

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他人のせいにしても仕方ない

自ら箸を取れ!

研修視察に行った後、勤務校の校長にお礼を言った。

そして話題が、教師の自己研鑽にうつっていった。

春日井市の先進校への研修視察を促しても、なかなか進まない。

わざわざ用意しても「その日はどうのこうの」「自習を組むのがどうのこうの」と遠慮する教員が多い。

せっかく文科省等の研究動画もあるが、これも視聴実績が悪い。

各校で紹介する研修資料、研修動画もなかなか活用されていない。

それでいて、「学校は、やってくれない」「もっと研修してほしい」という要求は多いのだという。

今だけのことを考えて楽をしていたら、あとで困るのは自分。

タブレット活用をためらっていれば、いつまでもタブレットを教えられない。

自校の研修で満足していたら、転勤後の学校で苦労するかもしれない。

他人のせいにしても仕方ない。

「~してくれない」ばかり口にする人は、いつまでも責任を他人に押し付けるが、最後は自己責任。

勤務校の研修体制や管理職に文句を言っても仕方ない。

自分の人生は自分で決めなきゃあ。

渋沢栄一は「自ら箸を取れ」と書いている。

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このように世の中はお膳立てをして待っているのだから、これを食べるか食べないかは、箸を持つ人しだいです。 ごちそうを並べた上に、口に運んでやるほど、先輩たちや世の中はヒマではないのです。

あの木下藤吉郎は、低い身分から出世して、「関白」という大きなごちそうを食べた。けれども、彼は信長に口に運んでもらったわけではありません。自分で箸をとって食べたのです。

https://www.chichi.co.jp/web/20181029rongotosoroban/

 ==================

 ◆研修のメニューを用意した上に、口に出して運んでやるほど、世の中はヒマではないのだ。

と言いたいところだが、そこまでストレートに言うと「パワハラ」と言われかねないので、管理職は「叱咤激励」しない。

上司がビシビシ言わない時代だからこそ、自分の将来は自分で守るしかないのだ。

 https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/chapter2-5.html

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November 26, 2024

「探究学習」は、まさに量質変化!

だから汎用的な学力をつけさせている。

 4年生国語の2学期まとめのテストは未習の物語だった。
 今の力でどこまで正確に読み取れるかを試す実力問題。
 そうでした、そうでした。
 読解テストは、本来、初読のテキストを読み解くもの。
 「ごんぎつね」を授業でやって、テストで「ごんぎつね」の問題に答えるというのは校内でのテストの場合であって、世間ではそうはならない。
 これがコンテンツとコンピテンシーの違いで、昔から「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」と言われてきた。
 当然、ごんぎつねの対役の名前を暗記する必要はない。そんな問題はテストに出ない。 
 テストで提示された本文をよく見て、そこにある表現を忠実に活用すればいい。
 だから「あなたはどう思うか」と聞かれない限り、問題を解くのに私情をはさんではいけない。

 こう言っては語弊があるかもしれないが、
 教科書のテキストを好きな観点で、好きなように分析すれば、それだけ練習量が増えるから分析スキルが伸びる。
 国語の実力問題のテストを見ると、たくさん自力分析をさせて「量質変化」を図るべきなのだということが分かる。
「子供に探究させるだけで学力がつくのか」と問われたら、
「分析の観点に沿って検討しているのだから、つきます」
と答えよう!

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「詰め込むだけの勉強では学問が嫌いになる」

深く納得した次の文章。

◆知識を詰め込むばかりでは、子どもが自分で考え、疑問を持つ余地がなくなります。

 疑問を抱かなくなれば、好奇心は失われてしまいます。
 好奇心が失われれば、何かを知ることの喜びもありません。

 新しいことを知ったときの、あの新鮮な驚きと喜び。
 それがない勉強など、する意味があるのでしょうか?

 本来、学ぶことは楽しく心躍る営みであるはずです。
 その気持ちを感じさせてあげられないとしたら、詰め込み教育は、間違っているのではないでしょうか。

・・・「探究」の対極に「詰め込み」があって、その欠点は学びの意欲をスポイルすることにある。

 学びに感動がなければ、好奇心もなく,熱中もない。

 先週参観した探究型の授業は、生徒たちが最小限の先生のアドバイスによって自ら学んでいた。

 自ら探究することに好奇心と熱中があって、学び合うことを楽しんでいた。

 詰め込みはダメ、丸投げはダメ。

 このバランスで、日本の教育の振り子は止まろうとしているのだということがよく分かった。

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教科書の問題数では足らない!

3年算数(啓林)の「式と計算」
(1)は例題になるので教科書も分かりやすく改行してある。
====================
(1)たくみさんはお楽しみ会をするので
1本70円のジュースを6本
1こ30円のみかんを6こ
買いました。
 代金はあわせて何円ですか。
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 ①別々で解く
 70×6=420
 30×6=180
 420+180=600
 ②1組で解く
 70+30=100
 100×6=600
の2通りの解き方を確認し、次の時間にカッコを使う3通り目の解き方を学ぶ
 ③カッコを使って1つの式で解く
 (70+30)×6=600
 4年生でも同じ単元があるので、深入りしなくていい。
 3通りの計算の仕方を教え、自分の好きな方法で解くのではなく、指定された方法で解くことに慣れさせる。
 本時はカッコを使う③の解き方を扱わないので、時間に余裕があるはずだった。
 しかし、1番が足し算、2番が引き算の問題なので、ちょっと手ごわかった。
(2)はるかさんは、高さ7cmの積み木を6こ、弟は高さ4㎝の積み木を6こ積みます。
どちらが何㎝高くなりますか。2通りのしかたで計算しましょう。
 足し算と引き算では思考が違う。 
 1番と同じように2番を解いてみましょうという進め方にはならない。
 実質的には2番も1番のように丁寧に扱う必要がある。
 ならば、1番・2番を「足し算・引き算」としてさっさと進め、先生問題として
3番・・1番のジュースとみかんを「違い」で考えさせる
4番・・2番の姉と弟の積み木を「あわせて」で考えさせる
と2問追加して取り組ませるとよい。
 問題数をこなさないと、子供たちは理解が深まらないからだ。
 今日の授業は指導書通りなのだが、1番2番で終わってしまうと、子供が理解したかどうかは分からないのだ。

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November 18, 2024

「ストーリー読み」と「描写読み」

 「小説の読み方」平野啓一郎著(PHP新書)。
「ストーリー読み」と「描写読み」に関する記載がある。
ややこしいのでピックアップして示す。
A:「浦島太郎は海辺を歩いていた」という一文は、具体的な行動によって話が前進する。
  主語→述語の向きに作用する「プロット前進型述語」。
B:「浦島太郎は孤独を好んだ」という一文は、主語を説明するが、ストーリーは前進しない。
  主語←述語の向きに作用する「主語充填型述語」。
◆美しい風景描写は、プロットの前進を忘れて、そこに留まり続けたいと読者に感じさせる(P39)
とあるから、Aがストーリー型、Bが描写型の文を示していることが分かる。
◆一般に、「話の展開が遅い」とされる小説には、文章に主語充填型述語が多く、逆に 「展開が早い」とされる小説には、「誰某と会った、どこどこに行った、……」と行動を意味するブロット前進型述語が多い。p38
とあるように、とにかくストーリー展開を知りたい読者は、Bを味わわないで、Aを読み進める。
これが筆者の言う「ファストリーデイング」と「スローリーデイング」の違いだ。
◆ 一般的に、前者に偏りすぎると、プロット展開のスピード感は増すが、登場人物の内面の複雑な細部を描きにくい。後者に偏りすぎると、人物造形は厚みを増すかもしれないが、その分、観念的になるきらいがあり、またプロットの停滞感も強くなる。p42
さて、子供に求められる読みのレベルで言うと、
(1)ストーリー展開の把握が優先なら、A中心で、主語に対する行動主体の述語を追っていけばよい。
(2)しかし、高学年は「描写の指導」が入ってくるので、Bにも留意して人物や周囲の状況の様子を掴んでいく必要がある。
中学・高校となれば、行動を表す述語は容易に読み取れるので、授業や試験問題は、Bの描写が主になる。
まず授業で求められるのは、Aの文をピックアップするスキルだ。
文章全体の中で、Aの主語+述語が浮かび上がってくることが理想と言えるだろうか。
さらに絞るならば、ストーリー(行動)を示す述語が浮かび上がることだろうか。
主語述語の概念は2年生で扱う。
この2年生の主語述語が内容は悪のカギであり、読解のカギであることが分かる。
・・・ただし、前掲書を読み進めると、AとBが簡単に区別できない文例が登場するので、中学生・高校生がそこを読み取らねばならない。

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比喩の力がイメージを膨らませる

「小説の読み方」(PHP新書)平野啓一郎2009年第一版

「分析批評」の後方支援になる箇所もいくつかあるが、指示発問の原則に関わる部分があって着目した。
静かに歩かせたいときに「忍者のように歩きなさい」という指示が効果的だが、そうした比喩の効能を語る箇所だ。
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 比喩というのは、人間の脳の情報処理システムの錯誤をうまく利用した手法だろう。
 未知の情報と出会った時、私たちには、それを処理する下地がない。そこで、自分が既に知っている近似的な情報へと迂回して、いわば錯覚を利用して処理するというのが比喩だ。
 得体の知れない、白い丸いものについて語られたとしても、だれもそれをイメージできない。しかしそれが、「卵のようだった」と言われれば、既に知っている卵というものと疑似的に同一視しながら、その丸い物体をイメージし、情報として受け止める場所を自分の中に開くことができる。同一ではないけれども、近いイメージのものを持ってきて、未知のものを把握できるようにするための手段。それが比喩だ。
P89.90
=================
そうだね。
「忍者」が分からい相手には、「忍者のように歩きなさい」は意味をなさない。
相手の知らない言葉(概念)で、「〇〇のようだ」と言っても何も理解できない。
むろん、当たり前だが、まったく同じものでは「AのようなA]だから比喩でもなんでもなくなる。
「未知のAをイメージさせたいために、既知のBを提示する」
「AさせたいならB」
 Bが「既知」であり、「近似的」でないと比喩は機能しない。
小説の技法でなく、日常的な課題として捉えることができた。
写真の説明はありません。

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November 13, 2024

「子供主導」だからこそ教師の指導技術が問われる!

「チエルマガジン2024年秋冬号 川崎市立南河原小学校の実践紹介の表題は

 GIGA端末で「一人一人を主語」に ただの「自習」で終わらせない授業へ
 研究主任である工藤先生の言葉は、我々の課題意識(見取りと介入)にすごく近い。
 複線型の授業において、最も大切なものは「教師の指導力です」と答えている。
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「教師主導の授業から子供主導に転換といっても、ただ子供に委ねれば良いわけではない。子供は間違ったり、本来の目的から逸れたりします。そこをどう修正するか、どう導くか。GIGA端末活用ではここが大切になってきます」
================
 課題や目的、見方・考え方などの徹底について、以下に抜粋して示す。

◆教材となる絵をどんな「見方」で観察すべきかを、繰り返し徹底していた。

◆脇道にそれそうな子がいれば、「今日のねらいは何だっけ?」と声をかけて軌道修正を促し、

◆いい見方を働かせている子がいれば「今日のねらいに合ってるね!」と、意図的に大きな声で褒め、クラス全体に聞かせた。

◆協働的な学びは、つい仲良しの友達で集まりがちだ。そこで、「今日の自分のねらいを達成するために、今話すべき相手はその人なの?」と、よく声をかける

================
 「子供主導の授業とは、決して『子供任せ』にすることではありません。教師には、子供を正しく導き、学習を活性化させていくことが求められます」(工藤先生)
 そのためには、発問や声かけ、子供の見取りといった指導技術が重要なのだと工藤先生の授業を見て感じた。
================
 そして、以下の具体的な描写を読むと、先月視察した出川小学校と重なっていた。
 「自由な立ち歩き」以外は、とてもよく似ている。
 「丸投げはしない」と実感した通りなのだ。

今日のめあての徹底
 めあてが書かれたスライドを Google Classroom で配布。授業冒頭で確認したほか、授業中もスクリーンに映し、「ここを意識して観察しよう!」と声をかけるなど、繰り返し徹底。自分なりにまとめ直した子供のスライドを映して、褒めて、周知もする。
机間巡視と指導
 授業中の工藤先生は、精力的に動き続ける。いい発見は褒め、道が逸れそうなら軌道修正。目の前の子供に向かって助言する時と、クラス全体に響くように大きな声で話す時と、意識的に声量を使い分ける。工藤先生の声を遠くの席の子供が拾って、周りと話し合いを始めるなど、言葉を発するたびに、学びが活性化していた。

自由に立ち歩き、対話を重ねる
 立ち歩きは自由。気になる発見を友達に伝えに行ったり、疑問を相談に行ったり。あちこちで「学習グループ」が自然発生。そのグループ同士がつながることもあれば、一度グループから離れて一人でじっくり考える子も。工藤学級では、とにかく子供が楽しそうで、イキイキと学んでいた。



・・・なお、ここで南河原小学校が「教師の指導性」を発揮しているのは授業の形式的な部分。

 今、私が懸念してのは学習内容への指導。
 「探究」や「気づき」を列挙するだけでは、教師が期待する学力を保障できないかもしれない。
 「探究」や「気づき」の量に満足せず、学ばせたい内容に方向づけ、学びの質を上げることが教師の指導力であるからだ。
Book2024091

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「知的好奇心」と「内発的動機づけ」 (3)

『教育トークライン』2019年1月号(東京教育研究所)で板倉弘幸氏が「知的好奇心」について触れている。
「知的好奇心」は、自分にとって、もはや普通名詞のようなものであったから

◆「知的好奇心」は波多野誼余夫氏・稲垣佳世子氏の両氏によって命名された

という板倉氏の指摘は全くの驚きであった。
 そういう経緯も知らず、当然のように「知的好奇心の喚起」などと口にしてきた。
「モチベーション」関連の書籍には「内発的動機付け」は出てくるが、「知的好奇心」との異同がよく分からなかった。
「内発的動機付けのことを、若い研究者は知的好奇心と呼んだ」のだとあって、納得というよりも唖然としてしまった。

「お金がもらえるからやる」「合格できるならなる」「出世するからやる」

という理由は、「外からのモチベーション(外発的動機付け)」。
「自分が好きでやる」「やりたいからやる」

というのは「内からのモチベーション(内発的動機付け)」。
「モチベーション3.0 」 (講談社+α文庫)の著者であるダニエル・ピンクは、内的な動機付けによるアプロ―チについて、次の4つの項目を提示している。

①because they matter. 重要だからやる
②because we like it. 好きだからやる
③because they're interesting. 面白いからやる
④because they are part of something important. 何か重要なことの一部を担っているからやる

 

 この「内的な動機付けによるアプロ―チ」=「知的好奇心」となるわけだ。

 板倉氏の論稿の中に、向山洋一氏の「知的好奇心」に関する記述もあった。

◆「知的好奇心は、今まで何気なく見過ごしてきたことに対する違和感から生じる」

 

 有田和正氏の「はてな帳」の発想に通じるし、

 向山洋一氏がよく言われる「あれども見えず」に通じることがよく分かる。
「あれども見えず」を浮き彫りにする発問が、授業を知的好奇心の渦に巻き込む。

 

〇梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」(岩波新書)1969年初版
〇川喜多二郎氏の「発想法」(中公新書)1966年初版
〇木下是雄氏の「理科系の作文技術」(中公新書)1981年初版

なども、めちゃくちゃ古いが、もう1度読み直してみる価値がある。

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November 08, 2024

『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』

ある4年生理科の授業。
①タオルを放置すると乾くのは分かる。
②コンクリートの水たまりは放置すると乾くのは分かる。
③ではビーカーの水を放置したらどうなるのか。
という流れで、ビーカーに水を入れて火曜日まで放置するよう準備した。

1つのビーカーはそのまま、もう1つはラップで蓋をしておくが、その比較実験の理由は提示されなかった。

『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』大前暁政著(明治図書)の一節を思い出した。

◆授業の最初に教師が「今日の問題はこれです」と提示していると、子どもはいつまでも受け身のままです。「授業は主体的に進めていくもの」という意識にはなりません。

しかし、毎回5分でも、気づきや疑問、調べたいことを尋ねている学級は違います。だんだんと「授業は主体的に進めていくもの」という意識に変わるのです。P164

「今日の実験はこれです。問答無用」という流れが確かにあったと、授業者自身も納得していた。
この日の授業に即していえば、
「汗でぬれたタオルも汗でぬれたシャツもそろそろかわいてきたね。汗はどこに行ったのですか?」
という問いがあれば、実験に必然性(自我関与)があった。

◆授業の中で、「かわく」ではなく「じょうはつ」と書く子がいた。
◆「水がなくなる」ではなく「水分がなくなる」と書く子がいた。
◆コンクリートの水は「雲になる」と書く子がいた。
◆炊飯器の経験を持ち出して、「ご飯を炊くと水がなくなっている」と発言する子もいた。

そういう子供の発言を取り上げたら、全体の発言レベルも上がってくる。
授業の最後、「家で調べたいこと・確かめたいこと」を書き込ませたら、授業がオープンエンドになる。
実験をしたい、実験結果を知りたい(予想を確かめたい)というモチベーションが高まるように仕組むのが我々の仕事である。
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自分の発想プラス生成A!

かつてカメラが発明された時、写実的な絵画は衰退した。客観的な写実なら写真に任せてしまえば済むからだ。写真が普及すると写実を重視した絵画の価値は減り、需要の多かった肖像画は写真にとって変わられた。絵画の存在価値は「客観性」ではなくなった。その代表が印象派で、印象派の絵画は「主観性」を重視し、作者の世界観を優先した。

さて、今、生成AIが発明され、 客観的な事実を述べるニュース原稿なら生成AIに任せてしまえば済む時代になった。ニュースの存在価値は客観性ではなくなり、誰が言うか何を言うか、ライターの個性がニュースの価値を左右するようになった。

・・・これは、ふと自分が思いついた内容。
音楽室にモネの「睡蓮」の絵が飾ってあったので、写実派の絵画が「実物そのもの」を目指していないことを思い出した。。
こういう駄文を生成AIは、どうコメントするのだろうかと思って尋ねてみた。

ニュース記事の存在価値を、かつての写真の台頭により浮かび上がった印象派と類推させてみました。ChatGPTは以下の意見をどう思いますか。(冒頭の文章を提示)

とても興味深い視点ですね。確かに、カメラが発明された時に写実主義の絵画の意義が揺らぎ、印象派が台頭した過程は、生成AIがニュースに与える影響と似た構造を持っていると言えます。どちらのケースでも、新技術の登場が既存のメディアの「客観的表現」の価値を薄め、「主観的表現」の重要性を引き上げたという共通点が見えます。

印象派の画家たちは、もはや「見たものをそのまま描く」ことに価値がないと判断し、画家の視点や感覚が優先される「主観」を表現することに意義を見出しました。同様に、生成AIがニュースの分野に進出することで、単なる客観的な事実の伝達以上の「何か」が求められていると感じます。今後はニュースにおいても、情報提供者の「視点」や「価値観」、あるいは「個性」が価値を生む鍵となるかもしれません。

この流れの中で、ニュースライターの役割は、単に事実を述べるだけでなく、その事実にどんな意味があるのか、どんな文脈で捉えるべきかを提供する役割にシフトしていく可能性があります。

・・・なるほど、印象派についての調べが足りなくて自信がなかったが、まずます肯定的に受け入れてくれた。

 調子に乗って2500字にまとめるよう依頼してみた。
 ちょっと上手くいかなくて、2回オーダーしたら微妙に違う回答がもらえた。
 なぜか1つ目は常体、2つ目は敬体。1つ目は多分尻切れ状態。
 体裁を整えて提示したのが、先の2つのブログである。
 タイトルや見出し、詳細な説明はお見事である。
ょっと思いついたことを生成AIに頼んだら、あっという間に長文に直してくれた。
これほど詳細な内容は自分には到底書けないが、きっかけぐらいなら作れるかもしれない。
これは半分おふざけだからいいけど、本気で論文書く場合も、こんなふうにできてしまうということなのだろうか。
「それでいいのだろうか」と気にしてみても、できてしまうのだから、そのメリットデメリットをよく考えながら共存していくしかないだろう。
少なくとも定型的な文書作成には活躍できると思う。

齋藤孝氏の「暗黙知をくぐらせ、情報を自分化するイメージ」に触発されて書いた。
その経緯も入れたら、さらに面白い論稿になると思う。
Hinode4

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「主観性」の復権 

~カメラと生成AIがもたらすメディア価値の変容〜

 技術の進化が、芸術やメディアの価値観を揺さぶることは歴史上何度もありました。特に19世紀、カメラの発明による変革は、芸術の在り方を根底から見直させました。もともと現実を忠実に再現することが求められていた絵画は、写真が「客観的な写実性」を簡便に提供するようになると、価値を再定義する必要に迫られます。そして、主観的な視点や個性を重視する印象派が台頭し、絵画は新しい方向へと進化していきました。

 同様の変化が、今、ニュースの分野でも起きようとしています。生成AIの登場により、ニュース記事を「客観的事実の羅列」として作成することは機械に任せられるようになりました。これによりニュースの価値が「事実の伝達」から「ライターの主観や視点」にシフトする兆しが見えています。ここでは、カメラの登場が写実的絵画にもたらした影響と、生成AIがニュースメディアに与えつつある影響を比較し、主観性の新たな価値を考察します。

1  写実的絵画の衰退と印象派の台頭

 19世紀以前、絵画は現実の風景や人物を忠実に再現することを主な目的としていました。特に肖像画や風景画は、対象を緻密に描写し、絵の中で生きているかのように表現することが重要視されていました。これにより、絵画は「客観的な記録手段」としての役割も担っていたのです。しかし、1839年にカメラが発明されると、この「客観的記録」という役割は写真に譲られるようになります。写真は現実を瞬時に写し取ることができ、その精度は写実的な絵画をはるかに凌駕しました。写真の登場によって、写実的な絵画の需要は急速に低下し、特に肖像画の分野では写真が主流となっていきました。

 これにより、絵画は「客観的な写実」の枠を超え、新しい価値を見出す必要に迫られました。そして登場したのが印象派です。印象派の画家たちは、もはや「見たものをそのまま描く」ことではなく、「感じたものを描く」ことに価値を見出しました。彼らは、光や色彩の微細な変化、一瞬の印象を捉え、画家自身の主観を絵に反映させることを重視しました。印象派の絵画では、現実の正確な再現ではなく、画家がその瞬間に抱いた感情や感覚が色彩や筆遣いに表れています。観る者は、ただ風景や人物の姿を見つめるのではなく、画家の感じた一瞬の世界に触れることができるのです。

 このように、写真の発明がもたらした技術革新は、絵画の世界に「主観的な価値」を求める風潮を生み出しました。これにより、絵画はただの「客観的記録」から、画家個人の感覚や世界観を表現する手段として進化を遂げたのです。

2  生成AIの登場とニュースの客観性の揺らぎ

 生成AIは、膨大なデータをもとにした記事生成を可能にし、特定のルールに従って多くのニュース原稿を効率的に生み出せるようになりました。この技術革新により、日々のニュースの多くはAIが客観的に書ける時代になりました。天気予報や株価の変動、交通情報、災害情報など、単純な事実に基づく情報伝達の領域では、もはやAIがほぼ完璧に対応できる状況が整いつつあります。生成AIは膨大なデータに即座にアクセスし、迅速かつ正確に情報を整理する能力があるため、速報性が重視される分野での利用価値が非常に高いのです。

 このように生成AIが「事実の羅列」を効率的にこなす中で、ニュースの価値が「誰が伝えるか」「どのように伝えるか」に移行する兆しが見えています。ニュースにおける「客観性」の価値が薄れつつある中で、今後はライターの「主観性」や「個性」がより重視される時代が来るのかもしれません。読者は、単に事実だけを知るのではなく、ライターの視点や解釈を通じて、情報の背景や社会的文脈を理解することに価値を感じるようになるでしょう。

3  ライターの個性がニュースに与える新たな意味

 生成AIがもたらすニュースメディアの変化の中で、ライターには新たな役割が求められています。それは、単に事実を淡々と述べるのではなく、その事実の意味や意義、さらにはその背後にある文脈を提示する役割です。これは、まさに印象派が写実から「主観」を価値に変えたアプローチと似ており、今後のニュースには、ライターが持つ視点や意見が重要な意味を持つようになるでしょう。

 例えば、政治や社会問題に関する記事では、単に出来事を報じるだけでなく、ライターの価値観や立場、さらには社会的影響や未来への予測を盛り込むことが重要になるかもしれません。同じ出来事でも、ライターの視点によって読み手の受け取る印象は異なります。こうした主観的な情報が付加されることで、ニュースは単なる情報の伝達から、読者の理解を深め、共感や反応を促す媒体へと変化していくのです。

 生成AIに任せられる部分が増える一方で、人間らしさを持った「語り手」としてのライターの存在が、ニュースメディアにおける重要な価値となるでしょう。ライターは、物事の背景や本質、そして多様な視点を読み手に提供することで、ニュースの中に「人間らしさ」を宿す役割を担うことができるのです。

4「客観性」から「主観性」へ――メディアの価値の進化

 こうして見てみると、カメラの登場が芸術に「主観的な価値」を与えたように、生成AIの台頭がニュースに「主観性」の再評価を促しています。写真が絵画に写実以外の新たな表現価値を与えたように、生成AIの登場はニュースメディアに「個性」や「視点」という新たな価値を付加する要因となるでしょう。

 つまり、AIによって「客観性」が担保される分、ニュースライターは「主観性」を軸に、自身の観点や価値観、個性を生かした記事を書くことが求められるのです。そうした記事は、単なる情報の羅列ではなく、読者に「考えるきっかけ」を与え、さらには個々人の視野を広げる役割を果たすことができるでしょう。

 ニュースライターにとって、生成AIの進化は必ずしも脅威ではなく、新たな役割を生み出す契機と言えます。事実の伝達に重きを置かなくて良い分、ライターは自らの視点や意見をより自由に表現でき、読者と深い対話をすることができるのです。このようにして、ニュースは「主観的価値」を持つ新しいメディアへと変貌し、読者との共鳴を生む力強いツールとして進化していくでしょう。

5  終わりに

 カメラが絵画に変革をもたらしたように、生成AIもニュースメディアに大きな変化をもたらしています。技術が進歩する中で、これまで「客観的」とされてきた価値の重要性が揺らぎ、今後は「主観性」が再評価される時代が来るかもしれません。

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「客観性」の終焉と「主観性」の再評価


〜カメラとAIがもたらしたメディアの変容〜

 人類の技術革新が社会や文化の在り方に大きな変革をもたらすことは、歴史上何度も見られた。特に芸術やメディアの分野では、写真の発明がもたらした「写実」への革命がその代表例である。カメラという新しい表現手段の登場は、単なる技術革新にとどまらず、芸術やメディアの根本的な価値観や意義を揺さぶるほどのインパクトを持っていた。そして今、生成AIがニュースの分野に影響を与え始めている。写真が絵画にもたらした変化と同様に、生成AIの登場がニュースに求められる価値の在り方を再定義しようとしているのだ。

1 カメラの発明と写実的絵画の価値変容

 19世紀、カメラが発明されると、写実的な絵画が持つ意味は大きく変わった。もともと絵画は、現実の風景や人物を忠実に再現することで「客観性」を追求していた。しかし、写真というテクノロジーが誕生すると、写実性という絵画の特長が新しい技術に取って代わられるようになった。写真が持つ「ありのまま」を捉える力は圧倒的であり、当時の画家たちが筆で緻密に再現しようとする風景や肖像を、短時間で正確に写し取れるようになった。肖像画の分野でも同様に、写真がすぐに広まり、多くの人々が記念として残したいと思う姿は、写真で記録されることが一般化した。こうして写実性に重きを置いた絵画の価値は、徐々に薄れていくことになった。

 写実絵画が衰退していくなかで、画家たちは新しい価値の探求を余儀なくされた。写真が客観的な記録を担う一方で、絵画は「主観性」による新たな表現の道を模索し始める。こうして登場したのが印象派である。印象派の画家たちは、もはや「見たままをそのまま描く」ことには価値がないと捉え、個人の感情や一瞬の光、色彩の移ろいといった「主観的な印象」を絵画に込めることに力を注いだ。彼らにとって、描くことはただの再現ではなく、画家自身の「感じたまま」を表現する行為となった。観る者は、ただの風景や肖像を見るだけではなく、画家がその瞬間に抱いた感情や視点、さらには色彩や構図の奥にある個性や感覚までも感じ取ることができるようになったのである。

2 生成AIの登場とニュースの「客観性」再考

 このようにして芸術の価値が「主観」に移行していった歴史を考えると、現代のニュースメディアにも同様の変化が起こっているのが見えてくる。現在、生成AIが登場し、ニュース記事を「自動生成」できるようになった。AIの進化により、膨大なデータや情報を即座に分析し、客観的な事実やデータをもとにした記事を迅速に生成することが可能になった。その結果、ニュースの世界でも単に「客観的事実を伝える」という価値が薄れ始めている。

 生成AIは、正確で即時性のある情報を届ける能力が高く、人手を介さずに信頼性のあるニュースを大量に生成できる。そのため、例えば天気予報や株価、スポーツのスコア、事故情報といった、いわゆる「速報」的なニュースには、AIが最適化されているとも言える。こうした分野では、人間の手を借りずとも、AIがほぼ完璧に情報を提供することが可能であり、事実そのものを客観的に伝えるだけのニュースは、生成AIに任せればよい時代が到来している。

 では、生成AIが得意とする客観的な事実報道が浸透する中で、ニュースにおける「人間らしさ」や「主観性」はどこに価値を見出せるのだろうか。ここで浮かび上がるのが、「誰が」「どのように」伝えるのかという視点だ。これからのニュースの存在価値は、「客観的な事実そのもの」ではなく、「誰がその事実をどのような視点で伝えるか」という主観的な価値にシフトしていくと考えられる。

3 「ライターの個性」こそがニュースの新たな価値

 生成AIが浸透する時代において、ニュースライターには新たな役割が求められている。それは、単なる事実の伝達者ではなく、「事実にどういう意味があるのか」を読み手に伝える「語り手」としての役割だ。例えば、あるニュースに対して、事実だけを淡々と述べるのではなく、その背景や影響を掘り下げ、読者が理解するうえでの文脈を提示する。さらには、ニュースライター自身がどのような視点や意見を持っているかを示すことで、ニュースがより深みを持ち、読者にとっての意義を感じられるようになる。

 このようなニュースの在り方は、かつて印象派が「主観」を価値に変えたことと似ている。画家が一瞬の光や色彩の印象を通して自分の感覚を表現したように、ライターもまた事実を超えて、独自の観点や価値観を通して「伝える」ことが求められる。これにより、ニュースは単なる情報の羅列ではなく、読者に「何か」を感じさせるもの、さらには思考を促すきっかけとなりうる。

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November 07, 2024

「知的好奇心」と「内発的動機づけ」(2)

「知的好奇心」と「内発的動機づけ」はどちらも、学びや行動の動機に関わる心理的要素ですが、共通点と相違点があります。

とChatGPTが瞬時に解説文を作成してくれました。

ありがたいというより、むしろ怖いです。

=========

共通点
1. **自己発生的な動機**

:どちらも「外的な報酬(例えば、金銭や賞賛)」よりも、自分の内部から湧き上がる関心や楽しさに基づく行動です。興味や意欲が内側から発生することで、持続的な努力や探求を生みやすくなります。


2. **学びの促進**

:知的好奇心も内発的動機づけも、学びや成長を促進する要因です。これらが高いと、学習者は困難や課題を乗り越えやすくなり、学びを深めやすくなります。

相違点
1. **定義と焦点の違い**
- **知的好奇心**は、新しい知識や発見への興味や関心です。「わからないことを知りたい」「理解を深めたい」という欲求が主なドライバーで、好奇心の対象は特に知識や情報に向かいます。
- **内発的動機づけ**は、何かをすること自体に価値や満足感を見出す心理状態です。興味や楽しさそのものが動機の源泉で、必ずしも知識や理解が中心とは限らず、趣味やスポーツなど、幅広い活動に適用されます。

2. **目的の違い**
- **知的好奇心**は、知識や理解を得ることが目的となることが多いです。好奇心が満たされることで知識が増えたり、新しい発見があったりすることに喜びを感じます。
- **内発的動機づけ**は、活動自体が楽しい・満足感が得られることが目的です。そのため、知識獲得以外の場面にも多く見られます。

3. **持続性の違い**
- **知的好奇心**は一時的な「問い」から生まれることが多く、ある疑問が解決されると満足してしまうことがあります。新たな疑問が湧き上がるまで一時的に低下することもあるでしょう。
- **内発的動機づけ**は、対象に対する継続的な興味や情熱を維持しやすいです。興味が持続する限り、何度も活動に取り組むことが期待されます。

まとめ
知的好奇心は「知識を得たい」という特定の欲求に関連し、内発的動機づけは「活動自体に価値を見出す」という広範な心理的要素です。両者は相互に関連し、知的好奇心が高いと内発的動機づけも高まりやすく、学びがより楽しく充実したものになりますが、それぞれの焦点や目的には違いがあります。

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November 06, 2024

「知的好奇心」は、「内発動機づけ」のこと(1)

『知的好奇心』(波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版)

久しぶりに読んで「探究」との関連を考えた。

 自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが興味を維持し学習効果を高める。
 その一例として「磁石」の学習場面が挙げられている(P104~107)。

============
 たとえば、磁石を使って、どういう物がすいつき、どういう物がすいつかないかを子どもに知らせる場面を考えてみよう。このとき、どういう性質の物が磁石につきやすいかがよくわからないうちに砂鉄や石(磁鉄鉱)を出して、「さあ、おもしろいですよ。これもすいつきますよ」といった導き方はあまり好ましくない。子どもにとっては、そのおもしろさがわかりにくい。彼のそのときに持つ「知識」に挑戦する対象として砂鉄が示されたのではないからだ。
 このようなときには、まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。
 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。
たとえば、メッキされたアルミニウム製の物と、メッキされた鉄製の物を準備したり、磁鉄鉱や砂鉄を用意したりする。あるいは、棒磁石、大小のU字型磁石、電磁石などを用意するのである。
 みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。また磁石を近づければ、近づけるほどそれからはなれようとすることがある。スイッチを押すと磁石のようになるが、スイッチをはなすとそうでなくなる物がある・・・。これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。」
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(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。
(2)予想させ、自我関与させる。
(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。

などのポイントが読み取れる。

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 ◆磁石は、他の物にくらべ、環境の「応答性」を増幅する。子どもの反応に応じて、つまり、子どもが磁石を事物に近づけるのにしたがって、事物がすいついたり、すいつかなかったり、はっきり「応答」してくれるからだ。(P107)

◆子どもの疑問に、はじめからていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答えを与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。(P108)

◆自由な雰囲気の中で、子ども同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。(P108)

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などの記述を元にすると、以下のポイントも読み取れる。

(4)「応答性」のよさを心掛ける。
(5)教えすぎない。
(6)子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす。
 

そして、「教える側の役割」について述べた次の指摘は耳に痛い。

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◆子どもの遊びや学習上の困難の解決に援助を与える、あるいは、たえず気を配って、子どもが次の活動のために必要としているらしいものを周到に準備しておく、集団での話合いの司会をする、これらが彼らの役目である。
 この場合、指導するおとな自身が知的好奇心の強い存在になることが必要だ。子どもにいくら新しい物に積極的に取り組むことをすすめても、その当人が、未知の場面、不慣れな場面を避けてばかりいては困る。おとなのそうした態度は、いつのまにか子どもに伝わってしまうからだ。(P109/110)。

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・・・知的好奇心のない者には知的好奇心の旺盛な子どもは育てられないということだが分かる。教師の影響は大きい。

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November 05, 2024

最初から「フェイデイング」では、学力保障できない。

しぶりに算数セミナー参加してきました。でした。.
算数の特質の1つは「例題ー類題ー練習問題ー応用問題」の流れにあると思っています。
そして、できるようになったかどうか、教師の指導の結果が端的に表れる点にあると思っています。

「待たない、教えない、説明しない、だから力がつく算数授業」

それは、素晴らしい心がけですが、都合にいい解釈で「待たない、教えない、説明しない」授業をしたら、間違いなく崩壊します。

最初は「待って、説明して、教える」場面があるはずです。
モデリングーコーチングースキャフォールデイングーフェイデイングのステップを踏んでいるはずです。
このフェイデイング(手放し)のタイミングが、「見取りと介入」であり「形成的評価」であり、「総合的な授業技量」です。
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「次は何をすればいいですか?」
「先生は、次に何というと思いますか?」
「これは簡単ですね。なぜですか(教科書に書いてあるからです)。
「一目で分かるようにノートにまとめなさい」

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のようなお約束のやりとりがあって、子供たちは学び方を学んでいきます。

私のイメージする自立した学び手は

「先生、もう分かったから一人でやらせて」

「先生、もうそれ以上、ヒント出さないで」

「先生、まだ答え言っちゃダメ」

と宣言してチャレンジできる子です。

 算数は先生がきちんと教えて、手放していく流れが明確なので、今流行りの授業パターンととても相性がいいです。

「探究型」「複線型」「自由進度」「自己調整」

 このような授業が、正しく機能するためには、授業のベースにある「向山型」をスタンダードにせねばと思いました。

 堀田先生・高橋先生・佐藤先生といった研究者の願いも文科省の方向も同じだと勝手に思っています。

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「探求的な学び」について、あれこれ

「探究的な学習」とは?

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-1e0be7.html

 

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-7fb98d.html

 

高橋純先生のお話(課題の質)

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-cf74f6.html

 

「探究」を支えるのは「やる気」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-021e5b.html

 

「情報収集」には「ワクワク感」が欲しい。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/07/post-6bead3.html

 

「振り返り」の質を高めないと

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2023/07/post-6ab08b.html

 

「探究型」は、趣意を説明してやり方は任せる。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/11/post-fe2484.html

 

一人一人が問題(課題)を発見することが大切

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/11/post-095277.html

 

「自ら問いを立てる」ことが大切

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/11/post-02dfd3.html

 

「情報の収集に時間をかけすぎると、それだけで『学んだ気』になってしまいがち。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/11/post-48a3d4.html

 コピーペーストだけでは「探究」とは言えない。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/11/post-97aea2.html

「探究」も「国語の読み取り」も自分をくぐたせたアウトプットをさせる

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-606099.html

「教えすぎ」は、「学び」にならない

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-0fefc8.html

「教えないで考えさせる授業」ではいけない!

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-7ec179.html

「教えて考えさせる」でないと、指導にならない!

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-a91446.html

 

「発表的会話」ではなく「探索的会話」は、話し合い」の質が大切。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/07/post-4e1734.html

 

「板書」に頼る授業からの脱却

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-2a8117.html

 

NHK for schoolを活用した探究活動

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-f5c68b.html

教師は自分が「探究」しているか?

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-2a1e97.html

「任せる」と「丸投げ」は違う

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/06/post-a27839.html

 

手離すタイミング

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/07/post-78bed6.html

 

令和の日本型教育1・2・3 (後戻りできない端末活用のフェーズ2)

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-51a6d2.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-1dcda6.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/10/post-7dd37a.html

 

PDF資料 「探究的な学習」黒上晴夫 ベネッセVIEW21 2016年Vol2

https://view-next.benesse.jp/view_section/bkn-board/article04222/

PDF資料

今、求められる力を高める総合的な学習の時間の展開(高等学校編) 第1編第2章-1 (mext.go.jp)

 

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November 04, 2024

「検索してコピペ」は、情報活用能力ではない。

情報は、自分と関わらせるから価値がある。

(1)読書感想文の基本構造は、大袈裟にいうと「作品に触発された自分の成長」である。
その作品を読んで想起された自分の体験。その実体験をくぐらせた上で作品についての意見・作品に触発された自分の生き方を書くから「オリジナル」な感想になる。
ストーリー展開をなぞるだけの感想文では「それで、何?」「そこからあなたは何を感じたの?」と突っ込まれてしまう。
(2)子供の読書感想文、社会見学記録、探究レポート、あるいは教員採用試験の論文を読んでいて、評価基準の1つになるのが「お題とあなたの関係」である。
 それであなたはどう思ったのか。自分の意見がどこにあるのか。
 自分の意見にオリジナリテイがあるか。「自分」のフィルターを通しているのか。
 自分がモヤモヤしているところを齋藤孝氏が
「自分をくぐらせる」
「 暗黙知にくぐらせ、情報を自分化するイメージ」
とうまく言語化していた。
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◆ 情報に出会ったとき、一度、自分をくぐらせておくと、その情報が自分のものになった、という感覚が生まれやすくなる。
◆情報を吸収するその段階から、しっかり自分を関わらせていくのが、「知的生産」の第一歩なのである。
◆本と出会う。人と出会う。あるいは会議で何かのアイディアと出会う。こうした出会いで得た情報を、自分のフィルターを通して記憶しておくと、それが積み重なって次第に自分の思考や発想のベースを形成していき、「読む・書く・ 話す」力の土台になる。p 24・25
 「 読む、書く、話すを一瞬でものにする技術」(大和書房)2009年
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 だから
◆コピペしただけの情報に価値はない(P18)
◆これ(ネット検索してコピペしてレポートを書くこと)が、情報活用だと思い込み。こんなことを繰り返しているのでは、毎週レポートを提出しても、自分の思考はいっこうに鍛えられない (P21)
ということになる。
 「ネット検索してコピペ」は、情報活用スキルでも探究スキルでもない。
 「そこに自分があるか」を大事にしていきたい。
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November 03, 2024

「防衛的悲観主義」のススメ

「勉強する気はなぜ起こらないのか」外山美樹(ちくまプリマー新書)⑤

ポジテイブが正しくて、ネガテイブが誤りとは限りない。

心配性には心配性のメリットがある。

この本を読んで、自分はまさに「防衛的悲観主義」のタイプだなと思った。

◆用意周到な準備ができた防衛的悲観主義の人は文字通り「何が起きても大丈夫」という自信のもとで積極的な態度で本番を迎えることができます。P145

不安を列挙し全部クリアさせることで安心するタイプ。

最悪の事態を想定し、最善を尽くすことで不安な自分をコントロールするタイプ。

このタイプの人が、無理に楽観的に考えるとうまくいかない。不安なのに無理にポジティブに考えようとすると裏目に出るのだ。

かつて自動車教習所で「だろう運転」はなく「かもしれない運転」をしろと教わった。

警察のスタンスは、「いつも最悪を想定して慎重に行動しましょう」だ。「備えあれば憂いなし」なのだから。

最悪が起こると思っておけば、ショックを和らげることもできる。楠木建氏の「絶対悲観主義」〜大丈夫、どうせうまくいかないから〜のスタンスは、それはそれで潔い。

 

ただし楽観主義者に悪い出来事を想像させるとパフォーマンスが下がると言う。

心配性も度を越すと「杞憂」になり、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということになる。

少なくとも、やる気を高める原動力はそれぞれのタイプによって異なるのだということは理解し、相手のタイプを尊重したい。

人生経験の長いおじさんからすれば、若い世代のポジティブな行動は無謀にも思えるが、だからと言って彼らの行動を全て否定したり規制するのは「大きなお世話」なのだ。

外山美樹氏の論文が検索できた。

◆認知的方略の違いがテスト対処方略と学業成績の関係に及ぼす影響1 -防衛的悲観主義と方略的楽観主義-

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/53/2/53_220/_pdf/-char/ja

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