自分の発想プラス生成A!
かつてカメラが発明された時、写実的な絵画は衰退した。客観的な写実なら写真に任せてしまえば済むからだ。写真が普及すると写実を重視した絵画の価値は減り、需要の多かった肖像画は写真にとって変わられた。絵画の存在価値は「客観性」ではなくなった。その代表が印象派で、印象派の絵画は「主観性」を重視し、作者の世界観を優先した。
さて、今、生成AIが発明され、 客観的な事実を述べるニュース原稿なら生成AIに任せてしまえば済む時代になった。ニュースの存在価値は客観性ではなくなり、誰が言うか何を言うか、ライターの個性がニュースの価値を左右するようになった。
・・・これは、ふと自分が思いついた内容。
音楽室にモネの「睡蓮」の絵が飾ってあったので、写実派の絵画が「実物そのもの」を目指していないことを思い出した。。
こういう駄文を生成AIは、どうコメントするのだろうかと思って尋ねてみた。
ニュース記事の存在価値を、かつての写真の台頭により浮かび上がった印象派と類推させてみました。ChatGPTは以下の意見をどう思いますか。(冒頭の文章を提示)
とても興味深い視点ですね。確かに、カメラが発明された時に写実主義の絵画の意義が揺らぎ、印象派が台頭した過程は、生成AIがニュースに与える影響と似た構造を持っていると言えます。どちらのケースでも、新技術の登場が既存のメディアの「客観的表現」の価値を薄め、「主観的表現」の重要性を引き上げたという共通点が見えます。
印象派の画家たちは、もはや「見たものをそのまま描く」ことに価値がないと判断し、画家の視点や感覚が優先される「主観」を表現することに意義を見出しました。同様に、生成AIがニュースの分野に進出することで、単なる客観的な事実の伝達以上の「何か」が求められていると感じます。今後はニュースにおいても、情報提供者の「視点」や「価値観」、あるいは「個性」が価値を生む鍵となるかもしれません。
この流れの中で、ニュースライターの役割は、単に事実を述べるだけでなく、その事実にどんな意味があるのか、どんな文脈で捉えるべきかを提供する役割にシフトしていく可能性があります。
・・・なるほど、印象派についての調べが足りなくて自信がなかったが、まずます肯定的に受け入れてくれた。
調子に乗って2500字にまとめるよう依頼してみた。
ちょっと上手くいかなくて、2回オーダーしたら微妙に違う回答がもらえた。
なぜか1つ目は常体、2つ目は敬体。1つ目は多分尻切れ状態。
体裁を整えて提示したのが、先の2つのブログである。
タイトルや見出し、詳細な説明はお見事である。
ょっと思いついたことを生成AIに頼んだら、あっという間に長文に直してくれた。
これほど詳細な内容は自分には到底書けないが、きっかけぐらいなら作れるかもしれない。
これは半分おふざけだからいいけど、本気で論文書く場合も、こんなふうにできてしまうということなのだろうか。
「それでいいのだろうか」と気にしてみても、できてしまうのだから、そのメリットデメリットをよく考えながら共存していくしかないだろう。
少なくとも定型的な文書作成には活躍できると思う。
齋藤孝氏の「暗黙知をくぐらせ、情報を自分化するイメージ」に触発されて書いた。
その経緯も入れたら、さらに面白い論稿になると思う。
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