『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』
ある4年生理科の授業。
①タオルを放置すると乾くのは分かる。
②コンクリートの水たまりは放置すると乾くのは分かる。
③ではビーカーの水を放置したらどうなるのか。
という流れで、ビーカーに水を入れて火曜日まで放置するよう準備した。
1つのビーカーはそのまま、もう1つはラップで蓋をしておくが、その比較実験の理由は提示されなかった。
『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』大前暁政著(明治図書)の一節を思い出した。
◆授業の最初に教師が「今日の問題はこれです」と提示していると、子どもはいつまでも受け身のままです。「授業は主体的に進めていくもの」という意識にはなりません。
しかし、毎回5分でも、気づきや疑問、調べたいことを尋ねている学級は違います。だんだんと「授業は主体的に進めていくもの」という意識に変わるのです。P164
「今日の実験はこれです。問答無用」という流れが確かにあったと、授業者自身も納得していた。
この日の授業に即していえば、
「汗でぬれたタオルも汗でぬれたシャツもそろそろかわいてきたね。汗はどこに行ったのですか?」
という問いがあれば、実験に必然性(自我関与)があった。
◆授業の中で、「かわく」ではなく「じょうはつ」と書く子がいた。
◆「水がなくなる」ではなく「水分がなくなる」と書く子がいた。
◆コンクリートの水は「雲になる」と書く子がいた。
◆炊飯器の経験を持ち出して、「ご飯を炊くと水がなくなっている」と発言する子もいた。
そういう子供の発言を取り上げたら、全体の発言レベルも上がってくる。
授業の最後、「家で調べたいこと・確かめたいこと」を書き込ませたら、授業がオープンエンドになる。
「教育」カテゴリの記事
- 教師の発問から子供の探究へ(2024.12.14)
- 有田和正氏の実践から探究型授業の極意を学ぶ(2024.12.14)
- 自力探究できるように、問いを出す(2024.12.13)
- 情報の収集は「インプット」ではなく「アウトプット」!(2024.12.11)
- 身体性発揮してこそ「本当の先生」(2024.12.11)
Comments