リスク回避の、4つの「あ」
ありえない
あいまい
あたりまえ
あってはならない
https://www.arm.or.jp/resource/rm_lesson/lesson_3.html
コロナ禍では「想定外を想定する」と教わった。
多くの「当たり前」が否定され、「あってはならない」ことが起きた。
コロナ禍が終わってひと段落して、危機意識がゆるんではいけない。
今なお、「4つのあ」の意識は持ち続けたい。
ありえない
あいまい
あたりまえ
あってはならない
https://www.arm.or.jp/resource/rm_lesson/lesson_3.html
コロナ禍では「想定外を想定する」と教わった。
多くの「当たり前」が否定され、「あってはならない」ことが起きた。
コロナ禍が終わってひと段落して、危機意識がゆるんではいけない。
今なお、「4つのあ」の意識は持ち続けたい。
低学年を担任する初任は、よく子供が静かにならないからと苦労している。
そして、静かにならない教室で注意を繰り返して喉を痛め、声が出なくなる。
(1)静かになるまで待つ
(2)ベルを鳴らす
(3)パンパンパンと手を打って、子どももパンパンパンと手を打ったら口を閉じる
(4)学級委員のような子が「静かに」と大声でさけぶ(その声が一番うるさい)
・・・「待つ」は難しい。待たせている子が、自分のせいでみんな待っていると気づいていない場合が多いからだ。
「〇〇さん、今、みんながあなたが静かになるまで待っているんだけど分かるかな」のように伝えてやらないと、結局無駄な待ち時間が生じてしまう。みんなを待たせるということは「連帯責任」を強要しているのだ。
いつも特定の子が待たせているから名前を呼ぶのをためらってしまうのかもしれないが、待たされている子たちは「またあの子のせいで」と分かっているから放置するのは良くない。
初任の想定しない方法が
(5)全員がそろわなくても、進めてしまう
そもそも、全員が静かになるまで待つ必要がなく、さっさと何かの作業(目に見える動作を含む活動)を課せばいい。
作業を始めてから個別に支援すればいいし、聞いていない子は周りの動きを見て慌てて動き出せばいい。
毎度毎度親切に待ってしまえば、聞いていない子は、どうせ待ってくれると誤学習する。時々待たせるのはいいかもしれないが、毎度待たせる必要はない。
浄化センター(下水処理場)で、施設見学や動画視聴をして、あらためて「下水道」について考えた。
小4の子供は意識していないだろうが、何といっても衝撃的だったのが道路陥没事故だ。
巨大な穴にトラックが落ちてしまったニュースは刺激が強すぎて、子供には見せられないが、その後の地域住民の困難さは、いい教訓になる。
下水道が使えなくなると次のような事態が起こる。
==========ー
県は、洗濯機の使用回数を減らす、風呂の残り湯を活用する、水道をこまめに止めるなどの取り組みを呼びかけている。4日午後2時~同5時には、さらに強い「可能な限りの節水」を要請し、八潮市では夏場の節水と同等の効果を得られた
https://news.yahoo.co.jp/articles/50861fa1c7f021cf7ac16ac64ba5f09d16ae765e
===========
水不足で節水した体験は自分もある。ある年は学校のプールも制限された。今回の制限は水不足と同じように(それ以上に)深刻だなと思った。
ところで、生産に関わる産業を「動脈産業」、処理に関わる産業を「静脈産業」というが、「上水道事業」と「下水道事業」もこのカテゴリーで分類されるのだろうか?
===================
ChatGPT:
はい、「上水道事業」と「下水道事業」も、広義には動脈産業と静脈産業の枠組みで分類されることがあります。
このように、両者はインフラとして密接に連携しつつも、産業の役割に基づいて異なるカテゴリーに分類されることが一般的です。
(中略)
小学生向けの表現でまとめると、例えばこんな感じになります。
つまり、
==========
というわけでイメージ図まで作ってもらった。
社会見学に行った刺激で、個人探究を楽しんでいる。
先のブログに関連していうと、動脈産業・静脈産業が1つになったのが「循環型社会」なので、「水がどこからどこへ」と一括りで探究すべきところなのだ。
浄化センター(下水処理場)の見学で動画を視聴し、水の循環について学習した。
パンフレットにも、水の循環の図がある(添付の写真はネット検索できたもの)。
4年理科でも同じような学習がある。
だから理科と社会科と重ねて「総合的な学習」で地球環境(SDGS)を扱う学校がある。
ある学校は、たまたま近くにあって「浄化センター」の見学をしたが、多くの場合は「浄水場(上水道)」を見学するか、社会科の教科書に沿って上水道についてしか扱わない。
社会科の単元名は
「水はどこから」になっていて
「水がどこから、どこへ」にはなっていない。
だから、理科や総合と重ねる「カリキュラムマネジメント」が大切なのだ。
https://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/10_study/why/junkan.htm
沈殿池(ちんでんち)・沈砂池(ちんさち)
雨水(うすい)・汚水(おすい)・汚泥(おでい)
濾過(ろか)・循環(じゅんかん)・微生物(びせいぶつ)・・・
そして、そもそも「浄化」。
浄化センターに実際に見学してみると、言葉の難しさに戸惑う。
上記のような言葉は、所員さんの話す「音」だけ聞いていても何のことか分からない。
ひらがなでメモした子は結局何のことか分かっていないので、見学後に、漢字表記を見ながら意味を確認する必要がある。
今日見学した「浄化センター」は下水処理施設。
教科書にある上水道施設は「浄水場」。
子どもたちが混乱しないように注意が必要である。
「浄」は未習なので教科書では「じょう水場」「上水道」というややこしい表記になっているので、それも要注意。
今回の見学だけでは理解できないことも、浄水場の学習や総合的な学習で関わったときに「あの時、浄化センターで学んだことと同じだ」と腑に落ちることがあると思う。
まさに語彙の拡充と予備知識(スキーマ)の拡充だ。。
春日井市にある南部浄化センターはかつて勤務した小野小学校の校区にあった。
異動当初は、そこが下水処理場だとは知らなかった。校区地図にも現地の看板にも「下水処理場」とは一言も書いてないからだ。
ポンプ場って何のことかな。庄内川が氾濫しないための 水をためる施設なのかなと本気で思っていた。
下水処理場だと分かったのはしばらく経った後である。
やはり「下水処理場」いう表記を避けるためなのだろうし、そのような流れが全国的にあるのかな?
以下に、ChatGPTの回答
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「浄化センター」という呼び方は、たしかに昔ながらの「下水処理場」よりも柔らかく、環境に配慮しているような印象を与える名前になっています。実際、多くの自治体では、ここ数十年の間に「下水処理場」→「浄化センター」「クリーンセンター」「水再生センター」など、よりポジティブな名前に変更する動きが見られます。
この呼び方の変化は、以下のような背景が考えられます:
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ちなみに、春日井市の「春日井浄化センター」は、昭和53年(1978年)に供用開始されており、その頃から「浄化センター」という名前が使われている。
館内で視聴したビデオは「下水処理場の仕組み」であった。
課題1・・「逐語的な授業」にならないように
教科書を読み、一問一答のやりとりをして、順に説明して、板書にまとめた内容をノートに書き写す授業では、子供は主体的に学んでいない。教師の一問一答に答えているだけでは「対話的」でもないし「協働的」でもない。
課題2・・「めあてとゴールのあいまいな授業」にならないように
本時のめあて「平地のようすを知ろう」に対する本時の評価項目を設定する必要がある。
◆「地形」・・濃尾平野に関わる3つの川の名前・「輪中」「扇状地」が書けている。
◆「産業」・・工業や商業が盛ん・鉄道や道路網が発達していることが書けている。
なら、授業の最後に黒板の単語を消してみんなに確認させてみればよい。
「知ろう」だと教える教師主体になり、「調べよう・まとめよう」だと、子供主体になる。
なお、「平野」の特徴を考えるときに、「山地や海辺と比べて平野はどうなのか」という比較対象をもたせると、今後「山地」「海辺」を学習するときに役に立つ。
課題3・・用語や漢字にふりまわされないように
国語の授業よりも漢字が多く難語句も多い。漢字を使った方が理解が進む場合もあるので、子供の不満に振り回されない。「濃尾平野」は「美濃・尾張」だから、漢字が大事。「扇状地」「扇」の文字がないと意味をなさない。
課題4・・授業1時間ずつでなく、単元の連続性で考えるように
愛知県版の教科書は【P7 山地、 P8 平地、 P9海辺】という組み立てになっている。
山地(奥三河高原)
海辺(伊良湖半島)
平地(濃尾平野)
山地は教師が主導し、海辺は子供に任せてみるという形にしたいなら、山地・平野の授業で「次は自分たちで任せる」という意識をもたせておきたい。
また教科書は、(1)土地の様子(山地・平地・海辺)(2)気候の様子(山地・海辺・平地)という組み立てになっている。(1)は教師が主導し、(2)を子供に任せてみるという方法もある。表にして埋めさせてもよい。
課題5・・課題意識を喚起できるように
全国版の教科書は、授業の冒頭で「課題意識」を持たせ、「課題」を解決するために、資料(教科書)を調べ、まとめ、発表するという流れになっている。
課題意識(課題解決意識)がないと、教師の板書を写すだけの授業になってしまう。
「どうしてかな?」「どっちかな?」「どう思うか?」といった自分の課題意識を大事にしたい。
(1)「教科書・春日井・大愛知・地図帳・白地図」の5つの扱いに困る。
(2)教育課程には「見学」を含めて単元計画がされているので、各校の実情に合わせてカリキュラムマネジメントしないといけない。
総合的な学習との関連も各校裁量である。
学校によって社会見学の日程や行き先が違う。
3年生・・・・学校の周辺の町探検、スーパーマーケット、サボテン園・共施設(消防署など)、中央公民館(郷土資料室)
4年生・・・・浄水場、クリーンセンター、木曽三川・「青空教室」(パッカー車)
(3)ノートをどうとるか、グループ活動をどうするか、タブレットをどう活用するか、レポートや新聞作成をどうするか、テストをどうするか、市販テスト以外の評価をどうするか
など悩みは尽きない。
(4)授業展開が難しい。
◆板書を書き写すだけの授業では、先生がまとめすぎ。
◆白地図や穴埋めプリントを書き込み答え合わせするだけでは、子どもに任せすぎ。
資料を読んで「気付き・疑問・初耳・予想」などをノートに書かせ、グループ交流し、深堀りする探究型が一例になる。
(5)言語情報と非言語情報
教科書や資料の文章を読み取ったり、文章表現したりする「言語活動」。
と同時に教科書や 資料の写真や図表を読み取ったり、図表でまとめたりする「非言語活動」がある。
(6)家庭の協力がないと意欲喚起できない。
「おばあちゃんの家に行ってきた」「スキー場に行ってきた」としか言えない子が、県名や 地名、交通手段まで言えるようにするには、家庭の協力が必要になる。 家族の中で「〇〇県に行った」「名神高速道路に乗った」「JR東海道本線に乗った」「愛知県産のキャベツを買った」のような話題が出るように懇談会等でお願いしてみてほしい。
(7)社会科の授業は「白地図を埋めて、答え合わせして、板書をノートにまとめる」だけでも市販テストの点数はとれてしまう。そのような授業をしても、誰も文句は言わないが、制約がないからこそ、自分なりのチャレンジをしてみてほしい。
(8)漢字や語句が難しい。
「浄水場」を習っていないからと「じょう水場」と教えてしまうと「上水道」と混同する。
「沈殿池」「扇状地」などは、音を聞いただけでは意味が分からない。
国語の授業以上に、漢字や語句のクリアが難しい。
「0から9までの数字を使って13桁の数字を作りましょう」
4年算数に、このような問題がある。
この場合、まずは0から9までの中の数を使って10桁の数を作って、その原理を掴むことが基本になる。
10桁で一番大きい数は、98億7654万3210。
これは、それほど難しい課題ではない。
「では2番目に大きい数はどうなるでしょうか?」
これは間違いを誘う問題で、例えば
87億6543万2109とか 988億7654万3120などの数を持ってくる。
正解は、98億7654万3201
これはできそうでできない問題である。
できた子には3番目4番目に大きい数字を考えさせる。
これはコツがわかっていれば2番目により楽であるしかしまだまだコツわからない子は苦労する。
3番目は、98億 7654万3021
4番目は、98億76547万3021
「では、一番小さい数はどれでしょうか?」
0123456789では、9桁の数になってしまうのでバツ。
子供たちが一番考えるのは、1234567890。
一見合っているようだがバツ。
正解は、1023456789
言われてみれば、その通りだが、思いつくのは難しい。
2番目に小さい数は、1023456798。
ここまでを助走問題として、本番の13桁の数字を作る。
一番大きいのは、 9876543210000
2番目に大きいのは、9876543201000
3番目に大きいのは、9876543200100
0と1の位置を少しずつずらしていく作業だ。
一番小さいのは、 1000023456789
2番目に小さいのは、1000023456798
3番目に小さいのは、1000023456879
789の位置を少しずつずらしていく作業だ。
余裕がある子には、4番目・5番目とどんどん考えさせれば、本人の習熟になるし、全体の時間調整になる。
◆熱心な保護者は、わが子のノートを見ます。ノートを見れば、どんな授業をしているのかがおよそわかります。丁寧な文字で学習内容がきちんとまとめられていれば、保護者は「先生はしっかり勉強を教えてくれる」と感じます。逆に乱雑な文字で、内容もよく分からないようなノートであれば、保護者は不安に思い、担任への不信感を抱くようになります。
美しいノートを取らせることは、授業で学んだ内容を定着させるのに効果的であると同時に、保護者からの信頼を得ることにつながっていくのです。
「小3教育技術」2017/12号より
・・・「子供たちの自主性に任せる授業」は、もう少し先でいいので、まずは「丁寧なノート」を指導して、保護者の信頼を勝ち取りましょう。
「〇年生になったら、ノートがきれいになった」と子供も保護者も思えたら最高です。
教科書への書き込み中心の算数、白地図書き込み中心の社会科の授業だと、ノートに学習の軌跡が残りませんので、ご注意ください。
適切なタイミングでノート点検をし、検印や赤ペンを入れ、「ちゃんと見ています」をアピールしましょう。
朝の会の後に時間が余って、自由時間になることがある。
タブレットを使ってタイピングをしたり、掛け算アプリをしたり、「心の天気」を記入したり、読書をしたり、お絵描きをしたり。
連絡帳を書いたら、あとはオールフリーでも、教師の意図があればそれでいい。
しかし、漢字ドリル・計算ドリル・白地図・理科ノート・係活動などでやり残しがあったら、やっていないことを優先すべきだ。
◆やるべきことをやってから、やりたいことをやる。
◆やるべきことがあるのに、やりたいことをやっている場合ではない。
「Aが終わったらBをやり、次にCをやる」という指示は、いわば「直列つなぎ」。
「AでもBでもCでも、やっていいと」という指示は、いわば「並列つなぎ」。
本当に何をやっても自由な時間があってもいいが、優先順位があるなら、直列つなぎで「まずはやるべきことをやる。Aの次にB」というあたりまえの規律を守らせたい。
※なお、各自の自由意志に任せると、
九九な苦手な子は九九アプリをやらないし、タイピングが苦手な子はタイピングをやらない。だから、スキルの格差がますます広がっていく。
さて、別の学級(2年)では、黒板に朝のやるべきことがずらっと書いてあった。
内容だけを簡略に示すと「ぼうし」「給食袋」「ランドセル」「水筒」「名札」「宿題提出」
そして、全部終えると
=======
ぜんぶできたら、すきなことをして楽しむ
=======
とある。
逆に言えば、これは「全部やらないと、自由はありません」というメッセージなのだ。
さすがだ。「やることを全部やってから好きなことする」という方針で生きてきたのだと思う。
======================
「おばあちゃんの家に行ってきた」「遊園地に行ってきた」と言いに来る子に、何県か・何市かを聞くと答えられないことが多い。
子どもたちは行き先に関心はあっても、その地の県名や地名、そこに行くまでの交通手段には関心がない。そこを何とかし興味関心をもたせるのが3年4年の社会科の学習。
出かけた先の県名や交通手段まで言えるようにするには、家庭の協力が必要になる。
とはいえ、家庭への協力がエスカレートすると、GWや夏休みに「北海道に行った」「沖縄に行った」のような自慢合戦にって、旅行に行けなかった子供が辛い思いをする。それも困る。
学校ではみんなの前で旅行先を自慢するような機会はないかもしれない。でも家族の中で「〇〇県に行った」「名神高速道路に乗った」「JR東海道本線に乗った」「スーパーで愛知県産のキャベツを買った」のような地理的な話題が出るようになるとありがたい(特に3年生はスーパーマーケットの探検も学習内容になっている)
写真を撮ったり、パンフレットを集めたりする活動に協力していただけるとありがたい。
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テレビの「博士ちゃん」で子供たちが猛烈に探究しているのは家庭の理解と協力があってこそである。
「総合的な学習」が導入された頃、自分が学んだコンセプトは
◆学校だけが学校じゃない
◆教室だけが教室じゃない
◆教科書だけが教科書じゃない
・・・地域学習も同じなのだ。
学級の中に「速すぎる子・遅すぎる子」がいるが、意外に手がかかるのが「速すぎる子」だ。
「速すぎる子」は「できすぎる子・ふきこぼれる子」なので、時間を持て余し、すぐに「終わったら何をすればいいですか?」と聞いてくるので余分な労力を使う。
書写や漢字、計算、図工の作品などは「速さ」より「正確さ・ていねいさ」を大事にしている。
速さを求めるあまり「正確さ・ていねいさ」が犠牲になっては意味がないことを、しっかり伝えていかねばならない。
指定した時間に合わせる「ちょうどいい速さ」が大事なので、速くできた子に「もうできたの?すごいね」と誉め言葉をかけたら、誤ったメッセージを送ることになる。速く終わったら宿題をやっていいとなれば、ますます速くやろうとするだろう。
テストも同じで「速くやったら何か別のことができる」となれば、慌ててやって「正確さ・ていないさ」がおろそかになる。
「速く終わったら何をすればいいですか?」
「何もしない。ただただ見直しをして」
そんなに速くやっても意味がない・ちょうどいい速さが大事なのだということを各教科で教えていく。
その過程では「ファストシンキング」で、うっかり間違える面白いネタなどを準備しておきたい。
少し前のことですが、林修さんの出演する健康番組で、朝から片方の腕が脱力する女性を扱っていました。
再現ドラマの中で、出勤した彼女が職場の同僚に朝の症状のことを笑い話のように話していると、上司が怒った顔をして言いました。
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「おい、仕事している場合じゃないぞ、すぐに病院に行け」
==========================
結果は、脳神経に関わる症状で、早期発見・早期治療に至ったという話です。
この時、「あなたの知らない怖い病気」よりも、上司の即断即決の一言に心を打たれました(演出かもしれないけれど、まさに決めゼリフです)。
仕事をしている場合じゃないぞ。
早く病院に行きなさい。
早く帰ってお子さんの世話をしてあげなさい。
早く帰ってゆっくり休みなさい。
早く帰って「合格おめでとう」と言ってあげなさい。
などなど、いろんなケースがありますが、世の中には仕事より大事なことがあるのです。
遠慮して仕事している場合じゃないのです。
もちろん、自分からは、なかなか言い出せないでしょう。
そんな時は上司がキッパリ言うしかありません。「休んでもいいよ」ではなく「休みなさい」です。
この場合、彼女の雑談(部下のわずかな異変)に気づかなければ、忠告のしようもありません。
「上司は忙しそうにするな」
とは、部下の様子が見えなくなるほど仕事に没頭してはいけないという意味です。
小指の動きをキャッチできるような上司でありたいです。
算数の練習問題を解く場面で介入することがあった。
残り時間を考えたら、てきぱきやらないと3問の答え合わせができないと思ったからだ。
3問のノートへの書き方を指定して、「1問1分あればいいですね」と3分で取り組ませる。
(途中を省略して、」答え合わせのあと)
「3問全部あってた人?」と聞くと「はーい」と多くの子の手が上がる。
ここで終わらない。
「1問まちがえた人?」も聞く。
何人かが手を挙げる。
ここで終わらない。
「どこををまちがえた?」かを聞く。
まちがえた箇所を言う。
「ああ、そういう間違いあるよね」と受け入れて、さらに言う。
「今日は間違えてもいい。今日間違えた人はテストでは間違えないと思うよ」とフォローする。
◆授業中はまちがえたことを恥ずかしいと思わなくていい。
◆どこをまちがえたか自己分析できることが大事。
◆これから(テストで)まちがえないことが大事。
「意見がある人は手を挙げて発言しましょう。勝手な発言は迷惑です」という指導は大切だ。
しかし、挙手指名中心の授業を見ていると、明らかに子供の緊張感がないことがある。
「挙手しなければ發言しなくていい」
という雰囲気が蔓延すると、授業の主導権が子供に渡ってしまう。
どうせ当たらないんだからと思うと、子供たちの緊張感は緩くなり参加度は低くなる。
いやいや意見を言うかどうかは、あなたが決めるじゃなくて教師が決めますよ。
授業を仕切るのは教師だから「挙手していなくて、先生が指名したら発言させられる」という学習ルールを宣言し、列指名やランダムな指名・全員発表などを取り入れて、子供に緊張感を与えたい。
1人ずつ音読させたり、答えを言わせていくのは緊張感がある。
しかし、全員順番に発言するような方法は、聞いている時間が多くなる。一度当たった子はもう当たらないと気を抜くから緊張感がなくなる。誰かが発言している時に「聞いていなくてもいい」と気が緩むのはよくない。
発言するかどうかを子供に委ねてはいけないし、他の子の発言を聞くかどうかを子供に委ねてはいけない。
「うん、うん、そうだね」と教師だけがその子の意見を真剣に聞いていて、あとの子は誰も聞いていないという事態では困る。
「分かった人?」「はーい」「いいでーす」といったやりとりで済ますもの困る。
「今○○さんが言ってくれたように・・・・:」と先生が復唱したり、要約したりすると、子供は、どうせ先生がまとめてくれると油断するので、実はこれも困る。
聞いていないと指名される・気を抜いていると指名されるといった教師の采配がないと教室はユルユルになる。現実の教室は「学びの意欲に燃えた子供たち」ばかりではないのだ。
3年国語(光村)の「どきん」と「春風をたどって」
「どきん」の詩では「つるつる」「ゆらゆら」などが出てきて、子供たちは楽しく音読した。
では、「春風をたどって」で同じような言葉を探して線を引いてみよう。
目標は10か所。
===============
うきうき・ふさふさ・わくわく・そろそろ・きらきら・くんくん・ガサガサ・だんだん・さわさわ・きらきら・ゆらゆら・わくわく
===============
こんなにあるんだね。
こうした言葉があると、気持ちや様子が詳しく伝わってくる。
ところで「どきん」は「どきどき」「どきり」「どっきり」のように変形できる。気持ちや様子を表す「〇っ〇〇」という表現も着目させたい。
この作品の場合は5か所あるけど、見つかるかな?
=================
おっとり・びっくり・そっくり・うっとり・にっこり
=================
この単元の最後には、物語の続きを書かせることになっている。
「明日ノノンと一緒にこの森の中で素晴らしい景色を見つけに行く」という設定だ。
続きのお話を書くときに、どんな素敵な場所かを伝えるために、上記のような飾りの言葉を工夫させたい。
感動を表す言葉、様子を表す言葉を使いこなしている子がいたら全体に紹介し、波及させていきたい。
「ああ、そうやって教科書ってつながっているんだ」と思わせることが大事なのだ。
なお、「すてきな」「さわやかな」「やわらかな」のような形容動詞もいずれ意識させたいが、今回は容量オーバーなので、扱えない。
欲張ると子供たちの身につかない。
3年国語(光村)の「春風をたどって」。
主人公が見た「花ばたけ」には3つの特徴がある。
「花ばたけを見つけて感動した」で終わらせず、
「どんな花はたけ」と書いてあるか、様子を表す修飾語まで意識させたい。
===============
(1)見わたすかぎりの花畑
・・・目の前に広がっている
(2)写真の海にそっくりな青(あざやかな青い色)
・・・色
(3)さわやかな花の香り
・・・におい
めずらしい景色の描写、それを見た人物の心情表現をピックアップすることで、このお話を続きを書く時の表現のストックになる。
また、理科の観察で、「どれくらいの量」「どんな色」「どんなにおい」などを詳しく説明するときの、参考になる。
3年国語(光村)の「春風をたどって」。
====================
行ったことのない場所に旅行して素敵な景色をみたいとあこがれていた主人公は、
ラストで「ぼくの知らない場所がまだ近くにあるかもしれない」と思うようになった。
====================
国語とは関係ないけれど、3年生の社会科の授業は地域学習だ。
どこか遠くの地域の良さを目を向ける前に、まずは身近な校区や市内の良さに目を向けてみよう。
「きっと今まで気づかなかったすてきば場所があると思うよ」
という意識で1年を貫くことができる。
この作品はそのような社会科の導入にも使える。
私たちは、ルウのように地域の秘密を探す旅に出るのだ。
だから3学年の年度当初で扱うことに意味があるのだと勝手に理解した(指導書に書いてあるかも)。
適切な用語が分からないので、上記のように書いた。
子どもたちは(というか大人でも)、1回聞いてすべて理解できるわけではない。
子どもの発言で光るものがあったとしても、全員が聞いているとは限らない。
「分かった人」「はーい」なんてやりとりで済ましてはいけない。
「そうだね。良い意見だったね」で終わっては、聞いてない子がこぼれてしまう。
だから
=============
(1)先生が繰り返す。
(2)その子にもう一度発言させる。・・「良い意見だったから、もう1回言ってもらうよ」
(3)他の子に説明させる「今の意見分かった人?・・ではAさん言ってみて。」
(4)他の子に説明させる・・「同じ意見の子いるかな?ではBさん説明してみて」
(5)他の子に説明させる・・「Cさん、今何て言ったか言ってみて」
(6)板書に書き残し、視覚的支援をする。
(7)板書を、みんなで復唱して、聴覚的支援をする。
(8)授業の最後に、先生が確認する。
===========
ほかにもパターンはあるだろう。
「大事なことだから2回言うよ」
「もう2度と言わないから、ちゃんと聞いて」
などなど。
とにかく1回伝えて終わりでは印象が弱いので、大事なことは、二度塗り・三度塗りして、しっかり印象付けたい。
※算数の文章問題を「黙読」で済ませたらたくさんの子がこぼれてしまう。一回音読して「さあどうぞ」もダメなのだ。
ある先生の年度当初の取り組みを聞いた。
まさにロケットスタートという感じで、動画では、離席して交流する生徒が楽しそうだった。
「楽しいことをやるに限る」
「楽しくなければ授業じゃない」
「授業には熱中軸がある」
という言葉を思い出した。
中学生が工藤直子の詩で「おう夏だぜ」とカマキリになりきって大声で音読させるするのも、馬鹿馬鹿しくて楽しい。
やんちゃ君の絶好の活躍の場になっており、まさに裏文化と表文化の融合だ。
===================
◆AかBかを選んで理由を言い合う。
◆一番はどこかを選んで理由を言い合う。
===================
そういう討論は表文化だけれど、裏文化の強い生徒が活躍できるところが楽しい。
なんといっても討論は「知的なゲーム」なのだ。
というわけで、ゲーム感覚で学習や仕事に取り来む「ゲーミフィケーション」も関連してると思い。改めて、ゲーミフィケーションについて確認。
==
https://segaxd.co.jp/gamification/evolution/
==
という分類がとても参考になった。
「ゲーミフィケーション」という言葉を安易に使えるほど詳しくないので、しっかり理論武装したい。
【課題の設定】・・・AかBか決める。〇か×か決める。
【情報の収集】・・・テキストの中から証拠を探す・友だちと意見交換する
【整理・分析】・・・集めた情報をもとに再検討する。
【まとめ・表現】・・最終的な結論(根拠と理由)を自分の言葉で表す。
AかBかを決めるだけでは、スタート地点に立ったにすぎません。
しかし、子供任せにすると1時間「課題の設定」で終わってしまうことがあります。AかBか自分の考えを決めるまでの盛り上がりで満足してしまうからです。
大事なのは、AかBかを決めた後、自分なりの理由を持たせたあとの学習活動です。
この「自分なりに理由を書く」までを、当然の活動として習慣化させた上で
テキストだけでなく、友達の意見から「情報の収集」させます。
最初から最後まで自分が書いた理由だけで満足していては困るからです。
【課題の設定】【情報収集】【整理分析】【まとめ・整理】を2時間程度で終えるのは難しいかもしれません。
いずれ操作に慣れると時間短縮できますが、それにしても、
(1)どっちでもいいから、まずはAかBかをさっさと決める。
(2)テキストをよく読んで、自分なりの根拠と理由を残させる。
(3)ほかの子の意見も情報収集して、それらの成功を分析・整理して自分なりの最適解・納得解を理由を確定させる.
ことを大事にしたいです。
野口芳宏先生は「AかBか、〇か×か」を問うたら、必ずノートに書かせ、まだ決めていない子を挙手させて追い込みました。
全員参加の授業をめざすなら、それなりの「追い込み」が大事です。
「読めば分かるは当たり前?」犬塚美輪(ちくまプリマー新書)
「読解力の認知心理学」という副題で、読解する(読み取る)過程を詳しく解説している。
(1)1文字1文字読む段階
文字を一つ一つたどる「拾い読み」では、内容理解ができるはずがない。
音をつなげて一つの単語として把握するのが第一歩で、単語や文節のまとまりで読めるように、一斉音読を繰り返すことが大事だのだということが分かる。
(2)単語のかたまりで読む段階
理解できそうな単語が並んでいる英語や古典の文章をスラスラ読めたとしても,内容が分かっているとは限らない。スラスラ「読める」と、内容が「読み取れる」は違う。
「読めても意味が分からない」とは、語彙やスキーマ(先行経験・先行知識)の問題でもある。生活経験が少ない子は単語や文章の意味が分からない。
特筆すべき課題は「学習言語」。「学習言語」が不足していると、日常生活での会話は全く問題ない子でも、教科書に書いてあることの意味が読み取れない。
(3)文節のかたまりで読む段階
単語の意味が分かっても、単語と単語のつながりが分かるとは限らないのは「付属語」の問題だ。
付属語によって文意が変わる。
「僕は、君が、好きだ」と「僕を 君が 好きだ」は1文字違いで主格が逆になる。
「私は あなたが 好きよ」と「私は あなたは 好きよ」ではニュアンスが違う。
通知表の所見で、「宿題はちゃんとやってきます」と書いてあると「宿題以外はやってこないことを言いたいんだな」と思ってしまう。「は」は強調の副助詞だからだ。
受け身表現が分からない。倒置表現が分からない。婉曲表現が分からない。
単語だけを選ばせる穴埋めワークシートでは、助詞の差異に鈍感になる。助詞を無視してキーワードだけ覚えて理解した気になっていると、大きな間違いを犯すのだ。
「白い時計台の前のベンチで待っています」に2通りの読み方があることが分からないと、平然と誤解を招く発信をしてしまうし、誤解した子のクレームが理解できない。
SNSのちょっとしたトラブルも「言葉が足りない・言葉を正しく使えない」が多いが、それらを含めて「読解力」の問題なのだ。
(4)ボトムアップの文章理解プロセス
文字が読め、単語が分かり、一文が分かっても文章が分かるとは限らない。文章が長くなると「ワーキングメモリ」を使うからだ。文字の読み取りが十分でない子は、文字同定でメモリを使う。
◆ スラスラ読めない子どもの場合は、文字を同定するためにワーキングメモリをたくさん使ってしまって、文章全体の表層をうまく作れないため、読解や国語の成績も低くなってしまいやすいのです。P79
・・・なるほど。新井紀子氏が書いていたワーキングメモリの記載とも重なってくる。
◆まず、「××ページ」という数字を聞き取るところで5%位脱落します。
実際に教科書の××ページを開くというところでさらに10%位脱落します。
「〇〇の値」というのは、そこまでの授業の文脈から理解できるはずですが、「何の値を求めればいいか」がわからず、さらに10%位 脱落する
・・大げさのように聞こえるかもしれませんが、実際の中学1年生の授業観察しているとそのような印象を受けます。
「シン読解力」P181
知らない単語が多ければ、それだけ読みがつかえる。
言語学者のフーとネイションの実験の結果、知らない単語が20%になるときちんと理解できた参加者はおらず、10%でもほとんどの参加者が内容を理解できず、適切な理解のためには文章のうち98%の単語がわかっている所があると結論づけている。
98%の単語が分かっている状況を、小学校は準備できているだろうか。
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◆「したがって」のような単語は、教科書や新書などの知識を伝達する文章でよく用いられますが、日常生活の中で「したがって」という言葉はあまり使いませんね。同じような順接の意味を表す接続詞としては「だから」「それで」といったより日常生活で使われやすいものがあります。こうした学習語彙がわからないことは、文章で示された内容の理解を妨げることが研究により明らかになっています。(中略) 学習語彙がわかることは単語理解とその後の文章理解に重要であるにもかかわらず、見過ごされやすいと言えるでしょう。P94
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たしかに、算数の「1人あたり」とか「等しく」「かさ」などは、ピンとこない子が多いのだと思う。
授業中 は、馴染みのある「生活用語」に安易に言い換えるのではなく、各教科の「学習用語」を多用する方がいいのかもしれない。
語彙を増やすための「読書」についても「知識を説明する文章を読んで理解したいのであれば、それに関わる語彙が身に付いている必要所があります」とある。いくら軽い物語をたくさん読んでも、論理的な学習語彙は増えない。だから、読書好き=学力が高いとは言えないのだ。
先行オーガナイザー
「これから 読むのはこういう内容ですよ」と前置き文を置いておくことで、その前置き文を枠組みとして利用して、文章内容の表象を構築していくことが分かっています。P155
・・・文章内容についての予備知識を与えておくような「リード文」が該当するだろうか。
新書を読む前の予備知識として、上記の書き込みを読んでおくとスムーズかもしれません。
難しいタイトルになってしまいました。
今の学習指導要領がめざす子どもの姿と重なりますが、これは1973年初版の『知的好奇心』のある章の見出しです。。
タイトルを具現化する一例として「磁石」の学習場面が挙げられています。
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まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。
彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう
(中略)しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。
(中略)みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。
石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。
『知的好奇心』波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版。(P104~107)。
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(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。
(2)予想させ、自我関与させる(仮説検証の実験をさせる)。
(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。
などのポイントが読み取れます。
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◆子どもの疑問に、はじめからていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答えを与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。(P108)
◆自由な雰囲気の中で、子ども同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。(P108)
============
などの記述を元にすると、以下のポイントも読み取れます。
(4)「応答性」のよい教材を選ぶ。
(5)教えすぎない。ヒントを与えて子供に考えさせる。
(6)子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす。
さて、 『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』大前暁政著(明治図書)には、次のように書いてあります。
=======================
授業の最初に教師が「今日の問題はこれです」と提示していると、子どもはいつまでも受け身のままです。
「授業は主体的に進めていくもの」という意識にはなりません。
しかし、毎回5分でも、気づきや疑問、調べたいことを尋ねている学級は違います。
だんだんと「授業は主体的に進めていくもの」という意識に変わるのです。P164
=========================
「発問によって、自然には気づけない内容に気づかせ、問題を焦点化し、一段上の考え方ができるように導くのです(P167)」
との指摘もあります。
「主体的な学習」には、次の順序が大事だとあります。
①気づきや疑問、調べたいことを発表させる
②子ども同士の意見の食い違いに焦点化する。
③教師が発問する。
そもそも、教科書通りでは、単元導入時の、自分の問題意識の喚起が足りないので、自発的な疑問や問題意識の検証実験になりません。
◆気づきや疑問がなければ
◆何かを解決しようというモチベーションが足りず、
◆結果に対する予想もなく、
◆実験に「仮説検証」という意識がないままです。
教師(教科書)のレールの上に全部のせていると、新たな発見はありません。
授業時間に余裕があれば、たとえば3年生の理科「風の力」の単元の後半で「新たな疑問→予想→検証実験→考察」として、「横向きの風受けを縦にセットしてみる」「風受けを増やす」「輪ゴムを増やす」「送風機を増やす」など、条件を変えると結果がどう変わるかを楽しませたいところです。
自分がやってみたい実験(自由試行)ができることで、子供たちはさらに理解を深めたり、新たな疑問も浮かべたりします。
やってみたい実験(自由試行)ができるから、子供たちは、追求意欲を喚起できます。
「自分は何のために、どんな追及をしてみたいか」を自覚できる子どもを育成したいです。
子どもたちの勝手な発言を「今、いいことを言ってくれたね」と褒めてしまうと、教師が不規則発言を認めたことになる。
それでは、まさに「誤学習」。
勝手に喋ったことは、どんなに良い意見でも引き取らないで、「Aさん、立ってもう一度言ってくれる?」というように挙手や起立してから意見を言うように促すとよい。
ある学級では、手を挙げて発言する子が増えてきたが、それでも先生が内容のあるつぶやきを拾うことも多く
「だったら手を上げなくてもいいんだな」
という雰囲気を形成していた。
実は、私自身も子どものつぶやきに即座に反応することが多いので偉そうな忠告はできない。
反省を込めて言うと、入れ食いしない教師の「我慢」が求められる。
先日は、「今はその話じゃないよ」と制する場面、発表した子に対して「今、いいこと言ってくれたね」と即時評価する場面が見られて感心した。
※次のステップとして、言いたいことがあれば起立して、指名なしで発言させるという方法がある。
日曜日の夜、時々観ている「EIGHT–JAM」
この番組の凄さは、楽曲の良さをプロの視点で見事に解説しているところ。
ただ「好き」「めちゃいい」「マジすごい」で終わりそうな楽曲の良さをきちんと言葉にしていて、その言葉遣いにまたしびれてしまう。
で、先々週と先週は2週連続のサザンオールスターズ特集。
サザンの歌詞は見事に曲に乗せられていて、ライブでビジョンに歌詞が出ると「そんな歌詞だったのか」と驚くことが多い。
まさに曲に言葉をはめ込む魔術師だ。
今回の楽曲評をいくつか、
◆一見言葉遊びのように並べられたリリックなメロディーに乗って羅列された瞬間、コラージュアートのように真理に迫ってくる。
1行1行をピースとしてよみとるだけでは辿り着けない壮大な世界観は、たとえばピカソのようでもあり、ユーモラスとシリアスの境界線が絶妙なバランスで心に問いかけてくる芸術的な作品だと思います。
◆この名曲はどうしても最初インパクトが強いサビの歌詞に気を取られてしまいがちだけど、しがらみの中で、それでも自由や夢を追い求め、そんな真面目な自分や虚しさを掻き消すようにはしゃぎ、歌い、踊っているように見えた桑田さんの姿はなんかカッコよくて、コンプライアンスも勿論大事だけどあの時代って賑やかで勢いがあってちゃんと虚しくてそれが素敵だったなあと思います。
・・・こんな風に自分の感動を自分らしい言葉で語れるようになりたいとつくづく思う。
先週4月6日放送の「べらぼう」。週末にやっと観ることができました。
蔦十が吉原の空き店舗に本屋を出したいと申し出ます。
旦那たちの会合の場は、なんと和歌でのやり取り=本歌取りでした。
劇中、忘八たちの会議シーンは本作のお楽しみの場面として知られ、これまで猫自慢、三味線、歌舞伎などさまざまな趣向で盛り上げてきた。
と、ニュース記事にある通りで、次のようにやりとりが行われました。
以下ニュースより抜粋しますが、本歌まで示してあって、大変ありがたいです
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「店の場所を~うつらんとてか家田屋に~わが身世にふる ながめ狭しに~」
(訳:店を家田のとこに移すのかい!? もう狭くなっちゃったもんねぇ)
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)
「嘆けとて~茶屋か本屋か惑わする~かこち顔なる我が馴染みかな」
(訳:茶屋か本屋かわかんないって客も困ってんですよ)
「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」(西行法師)
「金の痛み~浅草紙の己の身~破けてものを思う事かな」
(訳:金はどうするんだい!? 破綻してからじゃ遅いんだぜ!)
「風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな」(源重之)
「富本本~わが名はまだき立ちにけり~稽古本もと思い染めしか」
(訳:富本本で名が売れたので次は稽古本をと考えてます!)
「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか」(壬生忠見)
「ならばよし~ならば後押し憂いなく~吉原ゆえにもの思う身は」
(訳:ならいいんじゃないかい!? 吉原のためにも後押ししてやるよ)
「人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」(後鳥羽院)
「ありがたや~それにつけてもありがたや~持つべきものは駿河の親父~」で締めくくられた
「べらぼう」百人一首にかけた忘八の会議話題 遊び心あふれる“粋”な演出(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース
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まさに、粋な演出です。
拠点校指導教員研修で「探究的な授業づくり」についての講義があった。
「探求的な授業」に必要な要素として次の5点が提示された。
(1)不確定な状況
(2)課題設定・提示(一人一人が必要感をもつ問い)
(3)各教科の見方・考え方を働かせる場面設定
(4)協働グループ学習形態(聴き合う関係性の構築)
(5) 次へとつながる振り返りの活用
・・・今回、改めて感心したのが(1)の「不確定な状況」
「わからない」「なぜ?」とモヤモヤする不確定・不安定な状況が、
探究的な問題解決によって、
「なるほど!そういうことか」という安定した状態になるのが探究的な過程。
これは「認知的不協和」と呼ばれるものだ。
「 疑問」「驚き」「既成概念とのズレ」「憧れ」「感動」「必然性」「失敗体験」等を味わせる工夫が必要だとの指摘があった。
なるほど!
「はてな」を大事にした有田和正先生の実践は、こういうことだったのだ。
当たり前を疑う「揺さぶり発問」が大事だとされてきたのは、こういうことだったのだ。
何となくモヤモヤとして、スッキリしなくて不安定な気持ちになるから、人は安定した状態になろうと思考を始める。
モヤモヤ(揺さぶり)を仕掛けるためには、深い教材研究と子ども理解が必要になる。
分かっていること・当たり前のことは何かを把握し、
その「知ってるつもり」を崩すための手立てを練り、
子供の探究心に火をつける。
だから、最近言わなくなったけど、やっぱり「発問」が大事なのだ。
協力校の報告として次のように書かれていた。一部のみ引用。
【成果】 子供たちを惹きつけるような単元導入の工夫をしたり、解決したくなるゴールを設定したりすると、子供たちは問いや達成意欲をもつようになった。
【課題】子どもの考えを揺さぶる教師の出場の工夫(二次発問)
・・・子どもの考えを揺さぶる教師の二次発問が課題という指摘は、すごく納得する。
型通りの大きな課題を提示するだけでは、子供たちはありきたりの調べ学習にとどまってしまう。
「不安にさせる」をキーワードに授業構想(発問組み立て)を考えてみたい。
拠点校指導教員の研修があって、さまざまな助言をいただいた。
昔の授業観を持った先生が指導教員になっているからだろう。
次のような提言があった。
◆「教師が教える授業」から「子供が学びとる授業」への学びの転換
◆テイーチングからコーチングへ
◆How to teach からHow toLearn
世の中全体としてはそうなのだろけど、もう1周回って、安易な子供任せに対しても赤信号が出されている。
1月のリーデイングDXスクール事業公開学習会の田村学先生と堀田先生のお二人の話からは、
◆「一斉授業」の大切さは変わらず
◆全部子供に任せることは正しいわけではなく、
◆端末を使うことが目的化してしまうと、「格差」と「浅い学び」が生じる
の3点が印象に残った。
若い先生ほど。教えない授業=丸投げの授業に飛びつきやすい。子供が主体的に取り組む姿は心地よいし、先生が楽できるからだ。
本当は、一斉指導よりも複線型の個別指導の方が「見取りと介入」は大変だ。
「教師が教える授業」から「子供が学びとる授業」への学びの転換を主張するなら、ただしそれは一斉授業よりも教師が大変なのだという覚悟も伝えねばならない。
【テーマ】これからのGIGA!!!教科の学びをどう深める!?
4年国語(光村)では3学期に「調べて話そう 生活調査隊」がある。
へー、この時期に発表があるんだと思い、この単元がどんな位置づけなのか確認してみた。
指導書では「話す・聞く」でとらえて、次のような年間の流れになっている。
◆「聞き取りメモの工夫」
「あなたならどう言う」
「クラスのみんなで決めるには」
「調べて話そう生活調査隊」
また「書く」の領域では、プレゼン発表のような活動を年間で次のように何度も仕組んでいる。
◆「お礼の気持ちを伝えよう(手紙)」
「新聞を作ろう」
「アンケート調査」
「工芸品の魅力を伝えよう」
「もしものときに備えよう」
9月には「パンフレットを読もう」があったが、これも「パンフレットをつくる」という表現活動とつなげ、社会科の見学レポート等とリンクさせる場合が多い。
12月の「工芸品の魅力を伝えよう」の単元も、社会科の授業内容とリンクするので、国語と社会科の双方の授業時間から捻出したりする。
ある勤務校の場合、2学期の総合的な学習で「個人探究」に取り組んだ。
自分に興味に基づくこの「個人探究」を単なるネット検索のコピーペーストで終わらせないためには、各教科の学習の「調べ学習」との連携が重要になる。
特に国語科で取り組む「新聞つくり」「アンケート調査」「パンフレット」などの学習が生きてくる。
だから、4年生の年度末に「生活調査隊」に取り組むのは、正直もったいない。
各教科で1年中、プレゼン作りをやっているような感じがあるので、重ねてしまえば時間に余裕ができる。それが「情報」のカリキュラムマネジメント(教育課程編成)だ。
年度末の授業参観(学習発表会)で「生活調査隊」のグループ発表をやる学校もある。
それはそれでいいんだけど、自分が今年一番がんばったスライドの発表という形にしてもよいと思う(もちろん学年の判断が優先だが)。
【情報の収集】・・・主題に関わる気づきを資料を元に考える。
・・・主題にかかわる気づきについて友だちと意見交換する
【整理・分析】・・・集めた情報をもとに再検討する。
【まとめ・表現】・・最終的な考察を自分の言葉で表す。
道徳の場合は、「Aか、Bか(〇か×か)」のような形で議論させて、そこで終わってはいけない。
資料の読み取りや議論がメインではないから、自分なりの主張(考察)の深まりまでもっていきたい。
3年道徳(光村)の最後は「ゆめに向かって(希望と勇気、努力と強い意志)」。
資料は「スーパーパティシエ物語」
課題は 【夢をかなえるためには、どんな気持ちが大切なのかを考える】
「パティシエになる主人公」は、あくまでコンテンツだから、パティシエになるためのノウハウを学ぶことがゴールではない。
主人公の行動や心境を参考にして、自分がどんな夢をもち、その実現のために何が大切かを考えさせる。
資料の感想(主人公への感想)を書くだけでは、自分事にならない。
自分のことだけ書いていては、資料と向き合った意味がない。
友達の意見と重ねていかないと、みんなで話し合っている意味がない。
A:学活等で、最初から「将来の夢」のカードを配った場合
B:この資料で道徳の授業をしてから、「将来の夢」のカードを書かせた場合
このABで、明確な違いがないなら、道徳の授業を行う価値がない。Bタイプで行う道徳授業の評価はそこで決まるのだと私は思う。
先のブログで「指示されなくても動く子供に育てたい」と書いた。
昨日、初任が「だんだんレベルアップさせていきたい」と子供に話している場面があった。
レベルアップ=上達論について、授業後、自分の考えを伝えた。
(1)同じことが、短い時間でできるようになる。
(2)同じ時間で、たくさんできるようになる。
(3)同じ時間で、質が高くなる(正確さ・丁寧さ・完成度など)
失敗しなくなる。成功率が高くなる。
(4)言われる前に行動できるようになる。
注意されなくても、その行動をやらなくなる。
・・・(4)は「訓令型」とも言えるだろうか。自律した姿である。
昨日は、「言われなくてもちゃんとできている子がいるね」と(4)の観点で褒め言葉があって、心地よかった。
今日の午後は、拠点校指導教員の研修。
コーチングの講義の中で「若者の特性」の話があって
◆言われたことは、ちゃんとやる
◆言われたことしか、やらない
という指摘があった。若者に限った話ではないが・・
「ごみを10個拾いなさい」という明確な指示が子供を動かすと主張した向山先生。
これには、ステップがあって
1)やることを示す・・「ごみを拾いなさい」は、号令
2)趣意とやることを示す・・「教室をきれいにします。ごみを拾いなさい」は、命令
3)趣意を示してやることを任す・・「教室をきれいにします。自分のできることをしましょう」は、訓令。
指示の言葉には、
「一時に一事の原則」や「所・時・物の原則」や「全員の原則」や「最後の行動まで示す」などがあ流。
「10個拾います」「時間は5分です」のように、具体的な数値を入れることも大事だとされている。
しかし、言われたことしかできないようでは、まさに「子どものおつかい」レベル。
相手に任す訓令型の指示は、「この場に最適な行動を自分で考える」という高度のコミュニケーションなので、「そんなのちゃんと言ってくれないと無理ですよ」と言いたい気持ちもわかる。
そりゃそうですよ。でも、小さいときから
「言われたことをちゃんとできる人はえらい。でも言われなくても自分で考えて行動できる人はもっとすごい」
「『気が利く人・機転が利く人』って、相手がどうしてほしいかを察知できる人だよね」
「相手がどう思っているかを察知して行動することが『思いやり』であり「気配り』だよね」
という価値を伝えていけば、そういう子どもが育つはずだ。
逆に言うと、小さい子どもの方が「そんなのちゃんと言ってくれないと無理ですよ」なんて反論しないと思う。そういう気配りのできる人が「大人の仲間入り」なのだと分かるからだ。
4年生は誕生日を迎えると10才になる。
10だからテン。
「おめでとう、これで君も天才の仲間入りだね」
と言うと、ほとんどの子はドン引きする。
ただの親父ギャグだと思われているが、そうでもない。
『8歳で脳は決まる』平山諭(河出書房新社)2005年をまとめると
(1)
生まれた時、「脳幹」は既に働いており、食欲・性欲・集団欲・睡眠欲を満たすことを欲している。
(2)
誕生から3歳頃までは「扁桃体」という感情の脳が「好きー嫌い」で判断する。
「みつめる」「ほほえむ」「話しかける」「さわる」「ほめる」の5つのスキルが大事な時期。
(3)
3歳からは「前頭葉」が、人間らしさを担当する。
「考えさせる」「見通しを持たせる」「希望をもたせる」「我慢させる」「楽しませる」「緊張感をもたせる」など親と子の関わりで前頭葉は発達する。
(4)
6歳頃から個性が明確になり、知的好奇心や記憶力が飛躍的に高まる。感情の抑制も、この時期によく育つ。
この時期の学習環境の差が後の能力差につながることも大いにある。
(5)
小学校4年生から6年生のころは思春期のスタート。本格的に大人としての人格を完成させる時期になる。
・・・思春期への入口が小学校4年生、つまり10歳頃。
だから、10歳を迎える4年生が「天才」の仲間入りで間違ってはいないのだと勝手に思っている。
この番組の凄さは、楽曲の良さをプロの視点で見事に解説しているところ。
ただ「好き」「めちゃいい」「マジすごい」で終わりそうな楽曲の良さをきちんと言葉にしていて、その言葉遣いにまたしびれてしまう。
で、2週連続のサザンオールスターズ特集。
サザンの歌詞は見事に曲に乗せられていて、ライブでビジョンに歌詞が出ると「そんな歌詞だったのか」と驚くことが多い。
まさに曲に言葉をはめ込む魔術師なのだ。
今回の楽曲評をいくつか、
◆一見言葉遊びのように並べられたリリックなメロディーに乗って羅列された瞬間、コラージュアートのように真理に迫ってくる。
1行1行をピースとしてよみとるだけでは辿り着けない壮大な世界観は、たとえばピカソのようでもあり、ユーモラスとシリアスの境界線が絶妙なバランスで心に問いかけてくる芸術的な作品だと思います。
◆この名曲はどうしても最初インパクトが強いサビの歌詞に気を取られてしまいがちだけど、しがらみの中で、それでも自由や夢を追い求め、そんな真面目な自分や虚しさを掻き消すようにはしゃぎ、歌い、踊っているように見えた桑田さんの姿はなんかカッコよくて、コンプライアンスも勿論大事だけどあの時代って賑やかで勢いがあってちゃんと虚しくてそれが素敵だったなあと思います。
・・・こんな風に自分の感動を自分らしい言葉で語れるようになりたいとつくづく思う。
ナゴヤドームツアーは当たらなかったので、大阪に参戦する予定です。
アメリカの心理学者エドガー・ヘンリー・シャインが「人がキャリアを形成する際の根源になるもの」として提唱した概念である。
(1)どんな仕事がしたいのか(動機)
(2)自分は何が得意なのか(コアコンピタンス)
(3)何に価値を感じるのか(価値観)
これらはキャリアを判断する上で重要な問いであり、この3つが重なる部分がキャリアアンカーと言われる。
https://career-research.mynavi.jp/column/20220512_27198/
サイトによっては、「動機」の部分を「夢〜何をやりたいのか〜」としている。
小学校から、こういう発想で自分の将来を考えさせたいです。あっ60歳を過ぎた自分も同じです。
1 「遊び」と同じ情熱で仕事に向かわせたい
「遊び」に夢中になる意欲を「勉強」や「仕事」にも転用できたら多くの人が幸せになれる。
「楽しい」「好き」「フロー(熱中体験)」は強い推進力をもつ。
石田淳氏は、行動科学マネジメントの立場から次のように言う。「やりたい」と思っている社員と「ねばならない」と思っている社員では、「行動自発率」が異なり、成果も違ってくるからだ。
『仕事は面白い』『楽しい』と思わせ、それを習慣化させることが重要。
「『やる気を出せ!』は言ってはいけない。」石田淳著(フォレスト出版)p73
落合陽一氏も、「好きなこと・やりたいことを仕事にすべき」を述べている。
=======
ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら24時間、1年365日をそれに費やしたい。
「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一 小学館 P164
===============
2 好きなだけでは仕事にならない。
落合陽一氏は、「好きなことをやれ・やりたいことをやれ」と言われて困惑する学生のために、次の5つの問いを勧めている(P108~110)
①それによって誰が幸せになるのか。
②なぜ、いま、その問題なのか。なぜ先人はそれができなかったのか。
③過去の何を受け継いでそのアイデアに到達したのか。
④どこに行けばそれができるのか。
⑤実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか。
この5つにまともに答えられれば、そのテーマには価値があると言う。
ただし、仕事選びが「好きなことをやる」ことがベストチョイスではないことも分かる。
いくら自分の好きなことであっても、「ニーズ」がなければ、仕事としては成り立たないし、すでに誰かがやっているアイデアや、誰がやっても(今のところ)不可能なアイデアでは、相手にされないからだ。なお、落合氏は、自分が解決したいと思う小さな問題を探していけば、それが「好きなこと・やりたいこと」につながっていくと言う。
3 自分が解決したい問題を仕事にする
◆解決したい問題を発見し、「5つの問い」に答える形でそこに文脈をつけることができれば、その時点で問題の70%ぐらいは解けていると思っていいでしょう。
◆したがって、問題を探すときには、コンピュータがあることによって何が解決できるかを考えてみるのもひとつの方法。
◆これからの時代、コミュニケーションで大事なのは、語学的な正しさではなく「ロジックの正しさ」です。(中略)まずはその内容を自分の母語できちんとロジカルに話せることが大事です。
◆ロジカルな言語化能力は思考を深めていく上で欠かせませんが、それによって対人コミュニケーション能力が高まることも見逃せません(P151)
具体例は本書を読んで納得してほしい。「好きなことをやれ・好きなことだけやれ」というメッセージの危険さが、よく分かる。
しかし、西洋的な職業観には合わないかもしれないが、「道を極める」「寝食を忘れて」という生き方もあっていいと思う。
四六時中、そのことを考えるくらいの熱がなければ、生き残れないし、一人前にはなれないということもある。休みの日に本を読んだり、自己研さんに励んだりするのは、ごく自然な行為だ。
===================
日本人はアメリカ人よりも愛社精神、会社に対する忠誠心が強いとよく言われますが、愛社精神に対する考え方が異なります。アメリカでは、社員は自分が会社にどんな貢献ができるか、どういう付加価値を提供できるかが重要で、会社側はその社員を最大限に活用するために最高の環境を与えます英語には「プロフェッショナリズム」という言葉があります。日本語だと「プロ精神」と訳されることがありますが、具体的には「一人前に働く人がプライドを持って、自分がその専門に対して、最善の仕事をする」という意味を含みます。アメリカでは重視される考え方で、その精神があるからこそ、今置かれた環境で全力を尽くすのです。だから働く場所は問題ではなく、自宅勤務でもきちんと働くのです。(中略)
プロフェッショナリズムを身につけるために、社員が得意なことや今後歩みたいキャリア形成を自分でしっかり考え、もっと積極的に自分の夢を見つけて追求できる機会を企業が提供していくことが求められます。
そして、社員も将来に起こりうるキャリア変更のため、または現在の企業で自分の進路を設定するために、こんな自問をするといいでしょう。
「自分は何をすることが好きか?」
「自分は何に情熱を持てるか?」
「自分は仕事の何に意味と目的を見出すか?」
「自分は何が得意か?」
これらに自答して、それを自分の向かうキャリアに対する展望と共に考察し、積極的に自分の長所を他人と共有していくことが必要です
「会社に尽くすアメリカ人、会社に居座る日本人」PRESIDENT 2015年8月17日号
http://president.jp/articles/-/16918?page=5
=========================
・・・やりたいことを「ワーク」としている人は、「ワーク」と「ライフ」と切り離せるものではない。
やりたくない仕事を勤務時間の範囲内で無理無理こなしている人と、楽しくて仕方ない仕事に没頭している人を同等に扱うことはできない。
4 やりたくないこともやる
一方、受験勉強のように、好きでなくても面白くなくても、その重要性を考えたらやらざるを得ないこともある。目的が明確なら、たとえ嫌なこと・面倒なことでも頑張れるものだ。
「モチベーションがあろうがなかろうが、とにかく仕事をこなせ」という主張もある。
「今日は調子いいから120%の仕事。今日は調子でないから会社を休みます」では、誰も信頼して仕事を任せられないし、安定した質の仕事は期待できない。
好き嫌いや気分に左右されず、コンスタントにベストを尽くし、契約義務を果たすのがプロの仕事である。
ただし、やる気の有無・好きか嫌いかで質が左右するのはプロの仕事ではないことは、大人としては分かるが、さすがに子どもに強いるのは難しいだろう。
人には「他者と関係をもちたい・人の役に立ちたい」という承認欲求がある。この「役に立つ」という意味付けがきちんとできれば、子どもにもやりたくないことへの動機付けができる。
※エドワード・デシの内発的動機付けの源
①自律性の欲求(自己決定したい)
②有能さの欲求(できるようになりたい)
③関係性の欲求(人間関係を築きたい)
※マクレランドの欲求理論
①達成動機(欲求)
②権力動機(欲求)他人に何らかの行動をさせたい欲求
③親和動機(欲求)
◆要するにリーダーというのはイノベーションを支援はするが口は出すなという意味合いである。
野中郁次郎氏は、このようにリーダー論を語り、次の言葉を提示している。
「艦長は血の出るほど舌を噛む」
(The captain bites his tongue until it bleeds)
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これは海軍用語なのだが、船長が自分の部下に舵を握らせておくことは、非常に危うい。
しかし、船長が自分で舵をとると部下が育たない。
そこでジーッとこらえると血がタラタラ出てくるという話である。
リーダーというのは下からクリエイトされるアイデアを、悪意で潰すということはもちろんあるだろうが、善意で介入しすぎて潰していくというのが案外多いので、これを戒めているのである。
野中郁次郎 「創造する組織の研究」講談社 P31
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実際にやらせてみない限り、本人は永遠にできるようにはならない。
部下が四苦八苦してからといって、代わりに全部やってしまっては、本人のためにならないのだということを示した言葉だ。
ネットで検索していたら、関連して「冷暖自知」という禅の言葉に出会った。
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またアメリカの3M(スリーエム)社で、社内でよく使われる言葉に
“The captain bites his tongue until it bleeds”
(艦長は血の出るまで舌を噛む)というのがあるそうだ。
これは米国海軍で生まれた言葉だそうで、馴れない部下はへたくそでなかなか思うように舵が切れないので、艦長はつい口を出して教えたくなる。しかしここで教えたのでは部下のためにならない。ほんとに操舵法を身につけるには、失敗をしながら学んでゆくしかない。そう思って艦長は口をつぐんでジッとがまんしているという状態を言ったものだそうで、若い社員のミスやもたつきを、舌を噛んでジッとがまんして黙って見まもり、自ら体得することを気長に待つのが最良の社員教育だというのだそうである。
まさに冷暖自知、「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の、冷暖をみづからわきまふるがごとし」(『正法眼蔵・弁道話』)という禅の教育と軌を一にするものである。
「冷暖は身体で覚える」
http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa018.html
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・・・「冷暖自知」とは、真の悟りは自分で感得するものであるということを、水の冷暖を自分で手を入れてみて知ることにたとえていう語。
この「冷暖自知」でさらに検索していたら、以下の指摘が出てきて、これも納得した。
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◆人から聞いただけの借り物の知識でなく、自分自身の体験を何よりも大切にするように。
それが本物の知識なのだと「単にそのことについての情報を知っている」という意味での「情報」は、「知識」とは質的にまったく別ものと言っていい。
◆「情報」と「知識」の違いは、僅かなようでまったく別次元の事柄なのでよくよく気を付けておかなくてはいけない。
現代社会では頭に所有する「情報」を指して「知識」と呼ぶことがあるが、それはかなり危うい混同といえる。
【禅語】 冷暖自知 - 体験してはじめてわかること -
https://www.zen-essay.com/entry/2016/09/25/231514
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聞いただけで、知った気になるな
知っただけで、できた気になるな
やりもしないで、偉そうに語るな
というメッセージがよく分かる。
だから「教えるな」ということではない。
知らないことは教えねばならないし、できないことは少しずつクリアさせていかねばならない。
『非才!あなたの子どもを勝者にする成功の科学』(サイドマシュー 柏書房)に学ぶ
小学生の体育の授業を観察してると、物足りないなと思うことがある。チャレンジカードがあっても、なかなか難しい課題にチャレンジしない子がいるからだ。
◆世界に通用する水準のパフォーマンスは、少しばかり手が届かないところにある目標に向けて、そのギャップの埋め方をはっきりと意識して努力することで得られる。P92
容易に実現しない目標をめざして励むことを「目的性訓練」と言う。
あまりに難しいチャレンジは無謀だが、できる技だけを繰り返しても成長はない。
「すぐれたスケート選手はつねに現在の能力をこえるジャンプを試みるが、ほかのスケート選手はそれをやらない」
というくらいだから、小学生がチャレンジ(失敗)に挑むことは、ある意味で当然なのだろう。
◆ノエル・テイジ―教授は、三つの同心円を描いて解説している。内側の円が快適ゾーン、中間の円が学習ゾーン、外側の円がパニックゾーンだ。快適ゾーンの外で思い切ってやってみようとしなければ、何千時間かけたところで少しも上達しない。
・・・少しずつ難度を上げていく方法の有効性を説いている。
「コンフォートゾーン」=「現状維持」=「ぬるま湯」と言われるとおりだ。
◆(一流スポーツ分野の)すべての成功しているシステムには一つの共通点があることに気づかされる。目的性訓練の原理を制度化しているのだ。
最大の卓球王国である中国にはマルチボール・トレーニングがあるし、もっとも成功しているサッカー王国ブラジルにはフットサルがある。
トップのバスケットボールチームは「エキストラ」を使う。そうした具合だ。P101
・・・一流スポーツ分野でなくても、小中学校の体育の授業レベルでも、ハンデをつけて、「目的性訓練」を行っている。
ドッチボールでボールの数を増やしたり、コートの大きさを変えたりする。
小学校でバスケットを指導していた時は、人数のハンデ戦を行った。中学校の陸上部では、女子を男子と一緒に走らせた。
限界を作るな・ぬるま湯に浸かるな・現状に安住するな、と叱咤激励したいところだが、楽をしたがる人の弱さを自分1人で打ち勝つのは難しい。だからこそ、コーチの叱咤激励が必要になる。
本書では、コーチの必要性を「フィードバック」という言葉で表現している(P114/115)。
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◆フィードバックとは、知識の獲得へと駆り立てるロケット燃料であり、これがなければどれだけ練習を積んでもその境地には達しないのだ。
◆コーチはたんにはげまし、集中ぶりを分析してくれるだけでなく、選手が見のがしたかもしれない小さな技術的ミスに目を光らせている。
コーチの強みは、選手に欠けている視点・・外から内を見る視点をもっているということだ。
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・・・フィードバックが繰り返される状態を「フィードバックループ」と呼んでいる。
練習の成果は、この「フィードバックループ」を支える指導者に左右される。
やることだらけの若い先生に保護者対応のスキルまで求めるのは酷だ。
ただ、そのスキルがないから、苦情がなくならないし、保護者を味方に付けられないのだとしたら損失は大きい。
対応が悪い(対応を知らない)教師は、保護者を怒らせる。あるいは失望させる。
そうならないための「未然防止策」くらいは、知っておくとよい。一生役に立つ心得だから。
著者の関根氏は苦情・クレーム対応アドバイザー。
裏表紙には、本書の肝である2つの言葉が提示してある。
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①ひとまずすべて「苦情」として受け止めることができれば対応の失敗は最小限となる。
②言わずにいられない保護者の気持ちの「落としどころ」が見つかるかどうかがポイントになる。
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①は、「最悪を想定する」という意味だ。
保護者の電話や来校する理由を軽く考えない方が誤解がなくて済む。
②は、わざわざ電話や来校した苦労に報いる結果を出さないと、さらに不満が増えてしまうという意味だ。
「電話してよかった・来校してよかった」と思ってもらえれば、それ以上悪い方向に進まない。
保護者が不満を持つ多くの原因は学校サイドにあるとして次の11点を挙げている。P34
1、教師が保護者の話を最初から真剣に聴かないことがある。
2、申し入れは嫌なものだと頭から否定している教師がいる。
3、相手の申し入れを苦情と考えていない。
4、苦情対応の能力が、教師は一般人より劣ることを認めたくない。
5、話の腰を折り、言いわけや正当性を主張する。
6、詳細を調査しないで話を終結させようとする。「時間をいただけますか」が言えない。
7、時系列に添った正確なメモをとらない。
8、多少でも自分に非があると、独力で穏便に解決しようとする。
9、上司への報告が遅く、対応が自分の判断能力内に留まる。
10、事が大きくなるまで幹部に相談をしない。
11、苦情の対応事例等を学ぶ場がない。つくらない。研究しない。
・・・我々教員は苦情・クレーム対応専門の職員ではないから、その対応スキルだけ特化して技量を磨くことはありえないが、せめて、この11項目の指摘を受け止めておきたい。
なお、次の様子は「学校アルアル」だと思う。
◆多くの教師が保護者を、管理職のいる職員室近くの応接室ではなく、教室に連れていき、二人きりになる。さらに「どこに座りましょうかなどと、保護者に尋ねてしまう。通常、担任がセッテイングしておくべき場の設定でさえ決定できず、挙げ句は主導権を保護者に委ねるときもある。保護者も、校長室の隣の応接室なへ通されたなら、軽々しい発言はつつしみ、いい加減なことは言えないし、悪態もつけなくなるだろう。
・・・この後、保護者が座ったらお茶ぐらい出すべきで、お茶は問題解決の最適な小道具なのだと書いてある。
明らかに問題がありそうな場合は校長室を使わせたが、担任が自分の判断で教室で済ませることが多かった(しかも担任1人で)。
今思えば、明らかに問題がありそうな場合は2名で聴くのが基本だろう。
また、私自身、1人で自宅を訪問したこともあるが、明らかに問題がありそうな場合は2名で行くのが基本だろう。
自分自身もそうだったから自戒を込めて書くが、何でも1人で済まそうとすると事態が悪化する。事態が悪化してから、管理職に報告されても、手が打てないのだった。
だから、先の8・9・10「多少でも自分に非があると、独力で穏便に解決しようとする」「上司への報告が遅く、対応が自分の判断能力内に留まる」「事が大きくなるまで幹部に相談をしない」は、まさにその通りだと思う。
保護者対応で苦労された先生方、みんなで事例を共有して苦しむ教師を減らしていきましょう。
学生が使うタブレットの操作と、googleclassroomは、ちょっと違います。
若い人は慣れれば大丈夫でしょうが、自分が使うのと子どもに使わせるのでは、難易度が違います。
練習を兼ねる(子どもの活用スキルの実態調査を兼ねる)なら、次のような取り組みができます。
子どもがよく使っているのは、次のような機能です。
①心の天気、一言日記 ②ローマ字練習 ③学習ドリル
④NHK動画などの視聴 ⑤ おすすサイトのリンク先を見る
⑦ アンケート配信 ⑧チャットやスプレッドシートへの一言感想
⑨自分の作品の写真撮影 ⑩発表練習としての動画撮影
⑪発表スライド作成 ⑫係新聞
できそうなところから取り組んでみましょう。
(1)アンケートフォームに意見を書いて送信させ、結果を集約し、グラフ化する。
(2)アンケートフォームに意見を書かせて、スプレッドシートに集約し、テキストマイニングに貼り付けて、「出現頻度」を提示する。
(3)名簿順のスプレッドシートに、各自書き込ませる
(4)スライドをクラスルームで共有し、1枚1枚を個人指定にしたり、班指定にしたりして作業させる。
(5)「ジャムボード」という使い勝手のいい付箋書き込み型のツールがなくなったので、今は各校で代替のツールを模索している。
(6)リンク先の動画視聴は簡単なので、併せてチャットで一言感想を書かせてみる。
※なりたい係や学級訓を共有するだけなら、黒板にネームプレートを貼るだけで十分ですが、チャット機能やアンケートフォームを使う練習としては、絶好のチャンスだと思います。
※スプレッドシートやフォームの編集権限を与えなかったので、子どもが書き込めないこと(権限のリクエスト)が、よくありました。
そういうことも1つ1つ【トライ&エラー】です。使い慣れないといけませんね。
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