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August 29, 2025

指導者に必要な視点

(1)「はい」と即答しても真実とは限らない。(プレッシャーを感じている場合がある)

(2)仕事を指示する場合「普通は〜だ」の考えは危険。(あなたと私のフツーは違う)
(3)仕事の意味や必要性を丁寧に説明すると、理解や納得感が増し、行動できる。
   具体化、数値化、言語化でわかりやすく伝える。
(4)曖昧な指示は、「できない」「解らない」を増幅する。「伝える」から「丁寧に伝える」
「初任者の特性とコーチングの心得」(愛知学院大学 大林利行氏)の受講記録を再編。
 別の講義で「学級経営と職員室経営は相似形」と聞いたことがあります。
 上の4観点は、担任と子供の関係であると同時に、職員と管理職(指導教員)の関係です。

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「ごん」は、どんなきつねかにどう答えるか?

 市販テストで「どんなきつねか」と問われたら「いたずらばかり」「ひとりぼっち」の2か所を抜き出して終わるだろう。

 むろん、市販テストでも、「単語」を抜きだすのではなく、「文」で表現させる設問があれば事情は違う。「書いてある情報をつなげる」「書いてある情報から自分なりの解釈を広げる」ことを求めてる設問がないとも限らない。

 本文にはないけれど「さびしがりや」「用心深い」という意見は、まずまず妥当性がある。論拠を含めて記述すれば、例えば次のようになる。

ごんはさみしがり屋なのだと思う。なぜなら、毎日ひとりですごしていると、さみしいので、村人の気を引きたくていたずらをしていたのだ。

◆ごんは用心深いきつねだと思う。なぜなら、いもを掘りちらしたり、菜種がらに火をつけたり相当ないたずらをしながらつかまったことがないのは、いつも人間の様子をじっとうかがって見つからないように注意しているからだ。ごんは川の中にいる兵十の様子もしっかり観察していたではないか。

 GEMINIは、「単語」から「文章」へ広げるための3つの視点を提示し、これらは、「物語の叙述情報と自分の解釈を結びつける練習」になると述べた。

(1)感情の「なぜ?」を深掘りする

 単なる「さみしい」という感情で終わらせず、なぜその感情を抱いているのか、その感情がどのような行動につながるのかを考えてみましょう。

※「さみしい」という感情の根源は何か?

※「さみしい」がもたらす行動は何か?

・・・このように掘り下げることで、「さみしいからいたずらをする」という単純な構造から、

「ごんは、ひとりぼっちでいることの寂しさから、自分を意識してほしいという気持ちが生まれ、結果としていたずらという方法をとってしまう

というように、より豊かな表現が生まれます。

===

(2)行動の「背景」を読み解く

 物語の中で、ごんがとった行動には必ず理由があります。その行動の裏側にあるごんの思考や性格を読み解くことで、人物像に奥行きが出ます。

※なぜ、兵十がうなぎを捕るのを邪魔したのか?

※なぜ、兵十の母が亡くなった後、栗やきのこを届け始めたのか?

※なぜ、姿を見せずにこっそりと品物を届けたのか?

・「いたずらをするきつね」として知られているため、直接渡すと受け取ってもらえないと思ったから。

・自分の善行をアピールするつもりはなく、純粋な後悔の気持ちからだったから。

・・・これらの行動の背景を考えることで、

「ごんのいたずらは、単なる悪意ではなく、人との関わりを求める気持ちからだ」「ごんは、自分の行いを反省し、償おうとする優しさを持っている」

といった、多角的な人物像を描くことができます。

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(3)「もしも」の視点を加える

 物語には描かれていない、ごんの気持ちや考えを想像して文章に加えることも、文章量を増やし、オリジナリティを出す上で有効な手段です。これは、自分の感想や解釈を深めることにつながります。

・もし、いたずらをせずに、最初から兵十に寄り添っていたらどうなっていただろう?

・ごんが村人と仲良くなるには、どうしたらよかっただろう?

・最後に兵十に撃たれたとき、ごんは何を思っていたのだろう?

・・・これらの「もしも」を考えることで、

「ごんは寂しかったけど、いたずらという方法しか知らなかった。もっと他の関わり方を知っていれば、あのような悲しい結末にはならなかっただろう」

といった、物語全体を通した深い考察が可能になります。

 以上の3つの視点(「なぜ?」「背景」「もしも」)を意識して文章を組み立てることで、表面的な描写ではなく、ごんの心情や行動に深く踏み込んだ質の高い文章が書けるようになり、結果的に7行を超える文章に自然とたどり着くはずです。

=====

 なお、自分が分量を増やすために用いたのは「もしも」ではなく、読者としての感想。

ごんはさみしがり屋だ。毎日ひとりですごしていると、さみしいので、村人の気を引きたくていたずらをしていたのだ。でも、いたずらをして気を引いても、うらみを買って嫌われるだけだから、かわいそうだなと思う。

 振り出しの叙述に戻るが

◆「ひとりぼっち」という言葉の指摘にとどまらず、「ということは、お父さんもお母さんもいないのだ。兄弟もいないのだ」と拡散させる作業が大事だし

◆「いたずらばかり」という言葉の指摘にとどまらず、「それはきっと、寂しいからにちがいない」「いたずらをして気を引きたかったのにちがいない」という考察まで書くことが大事なのだと思う。

 「ごんの性格を分析して、自分なりの解釈を展開しなさい」の意味合いを含め

 「ごんの性格を検討しなさい」で探究できたら、言うことはないのだ。

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2学期の授業計画が狂うのは

(1)運動会の練習

(2)祝日

(3)台風による緊急下校や臨時休業

(4)校外学習(事前準備を含む)

(5)残暑

(6)研究授業

 「備えあれば憂いなし」で「想定外を想定する」が基本なので、事前に分かっているものは覚悟して予定表に埋めておき、急に変更が入っても大丈夫なように余裕をもたせておくことが大事。

 昨年度、2学期になって「2学期は祝日で月曜日がたくさん欠けるから何とかしてほしい」と要望する先生がいたが、そんなことは年間計画の段階で審議すべきことだ。

 分かっていることでアタフタするのはプロの仕事とは言えないのは当然で、その上で、急な変更があってもアタフタしないのがプロなのだ。

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August 20, 2025

書き写す速さ(タイピングの速さ)をアップさせる手立て

板書を書き写すのが遅い子への対応にはいくつかあると感じています。
いろんな学級の授業を観ていて、いくつか考えてみました。
①「教科書の○○の部分を書き写します」のように、教師が書く内容を明示する。 
手元の教科書を見て書けるなら、遠くの黒板を見て書き写すロスを省くことができる。

②板書する内容を音声で示す。
黒板を見て書き写すと視線の移動が大きい。みんなで読み上げると意識が高まる。

③「今から○○を書くよ。はい鉛筆もって」と、書く準備をさせる。
多くの子が書き終わったころに、ようやくノートを開く子・鉛筆を取り出す子がいるようでは困る。
鉛筆を持つというスタートラインを揃えないと、あとは差が開くばかりである。
先生の書く速さがスピードの基準であることを示す。

④タイマーで目安の時間を示す。

⑤先生が書く前に書き終える子をほめる。
板書しながら、子どもたちの様子を見て、「すごい!先生より早く書ける子がいた!」と評価する。書く内容が分かっているので可能である。 先生が書くスピードを抜いてもよいことを伝え、さらにレベルアップを図る。
⑦先生と同じスピードで書いた子を「すごい、もう書けた!」とほめる。
ある3年生の学級では「スーパー3年生」と呼んでいた。 できたことを適切に評価してあげることが今後の意欲につながる。

⑥板書を書き終えて数秒後に「書けた人?」と挙手させる。 のんびりしている子もいるので、競争意識をかきたてる。
 
 
⑦はやく書き写すことの大切さを何度も語る。
ある6年生の学級では「中学校では、もっと書く量が増えるからね」と励ましていた。 
むろん、早さは「正確さ・ていねいさ」の次の課題であるが、ある程度のスピードで書けないと、授業に参加できないし、そもそも授業が進まない。集中してテキパキ書き写せば よく次の課題に移れることを実感できるとよい。

 ノートに書く内容を厳選するとよい。低学年だからと、ゆったりすぎると子どもがだらけてくる。
 時間を意識してスピードアップさせたり、競争させたりする場面も時には必要である。
 教科書に示された「めあて」や「ポイント」を書き写すことが決まっている場合、先生が指示を出し前に書き写す子も出てくる。
 「先生が、次に何を言うと思いますか?」
 「今日は、どこを書き写すか分かりますか?」
というやり取りを繰り返すと
 「すごい、先生が、どこを書くか言う前に、もう書いてる子がいるね」ということが起きる。

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August 19, 2025

江戸時代から続くニッポンの素晴らしさ

 かつて、中一国語(光村)の『江戸からのメッセージ』の冒頭に次のようにあった。

 江戸時代は、二世紀半という長い間、平和が続いた時代である。
 同時代の西欧諸国が、戦乱に明け暮れながら近代を招いたのに比べれば、二百六十年におよぶ江戸の平和な歳月は、驚異的なことだといえるだろう。

 この「驚異的」だという記述は、本文からだけでは分からない。
 深入りしない程度に生徒に提示できる情報は。例えば次のものである。

◆江戸時代の日本は1637年の島原の乱以降、幕末まで「泰平の世」が続いた。
◆1600年というと、そもそもアメリカは大陸が発見された時期で合衆国などは存在しない。
◆ベルサイユ宮殿で有名なフランスではルイ14世が処刑され、フランス革命で活躍したナポレオンも処刑された。

 植民地にするための西欧列強の「侵略」の様子を紹介すると、「確かに江戸時代の平和って驚異的なんだよな」と実感できる。
 江戸時代の繁栄という点では、例えば人口の紹介がある。江戸の人口は120万人で、当時の世界一であった。

 教育力もなかなかのもので、

①江戸末期の識字率は約50%。当時もっとも近代的なロンドンでも20%程度だった。
②明治初期に来日した外国人が日本人の読み書きの能力の高さに驚いている。
③当時の寺子屋の数は、今の小学校の倍近い5万箇所。
→江戸の日本の底力は教育の力であったことが分かる。

 江戸時代に鎖国政策をとった日本は世界の進歩から遅れをとったという説もある。
 たしかに、イギリスの産業革命は1700年半ばだから、日本より100年早い。
 しかし、国内の文化は深まり、国民の教育力は高まり、農業生産量も増加し豊かになった。
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 狭い国土に3000万もの人口が、こと食料や生産用品に関して完全な 自給自足を達成していた。
 その国土は、当時の世界水準からするとまさに究極にまで開発され、そこには実に高度な社会システムや文化が発達していくのである。
 このことを速水融氏は、ほぼ同時期に行われた西洋の産業革命と対照させて「勤勉革命」と呼んでいる。
 (『江戸時代 間違って教えていませんか』P178 岡崎均 明治図書)
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 西欧の「力の文明」に対して、江戸は「美の文明」があったと当時国際日本文化研究センターの川勝平太教授は言う。
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 武器が、鉄砲から刀へと退化させたことからも、うかがわれる。
 茶碗一つにも洗練された美の追究があり、簡素な暮らしの中にも一輪挿しの花をかざる様子に当時来日した外国人は驚嘆した。
(参考 WEB「江戸社会から学ぶ」)
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 そのような「モノづくり」の技術、洗練された文化の発展は、一握りの偉人によるものではなく、一般庶民のレベルの高さによるものだ。
 たった1人の人物が日本を変えたという偉人伝も「日本人の気概」の授業のパターンだが、ベースとなる日本の精神文化・日本の国民性について紹介していくのも大切な授業のパターンの1つになる。

外国人が目を見張った日本の教育

 NHK番組「知るを楽しむ歴史に好奇心」の2006年10月「江戸の教育に学ぶ」のテキストで小泉吉永氏はに次のように述べている。
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 日本にやってきた大勢の外国人が、日本人の子育てや教育について書き残しています。
時は安土桃山時代、ルイス・フロイス(一五三二~九七)というポルトガル人宣教師が日本にやってきました。織田信長と十八回以上も会っていて、信長に大きな影響を与えた人ですが、彼が日本人の子育てを見てびっくりしたのは「子どもにムチを使わずに言葉で戒める」ということでした。日本人にとっては当たり前のような話ですが、ヨーロッパ人は非常に奇異に感じたのです。
 それもそのはずで、同時代のフランスの思想家・モンテーニュ(一五三三~九二)が『随想録』で書いたヨーロッパの学校教育は驚くべき状況でした。学校はさながら子どもたちを入れる牢屋か監獄のようでした。悪戯も何もしていないのにムチで子どもをたたく、授業中に聞こえてくるのは子どもたちの悲鳴と先生の怒鳴り声だけだったといいます。(中略) そんな教育が日常的に行われていたヨーロッパから日本にやってきたのですから、ルイス・フロイスが驚くのも無理はありません。そして彼は、ムチのない教育でも日本の子どもたちは「立ち居振る舞いが完全で、のびのびしていて愛嬌がある」と書いています。それから約三○○年後の明治六年(一八七三)に来日した日本学者・チェンバレン(一八五○~一九三五)も、日本の子どもは「善良で礼儀正しくのびのびしている」と指摘しています。幕末の松前藩で約二年間捕虜となったロシアの海軍士官・ゴローニン(一七七六~一八三一)は、日本を「子育て上手の先進国」として賞賛し、「日本人は子どもに読み書きや法律・歴史・地理などを上手に教えるが、もっとも大切な点は、幼い頃から子どもに忍耐・質素・礼儀を極めて匠に教えることである」と述べていますし、このほか、「これほど子どもを可愛がり、いつもいっしょにいる国民を見たことがない」(イザベラ・バード)、「日本は子どもの天国」(モース)、「日本の親は子どものために捧げ続ける」(フイッセル)等々、日本の子育てに対する絶賛の声は枚挙にいとまがありません。
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『和俗童子訓』の教え

 江戸元禄時代の儒学者であり『養生訓』の著者貝原益軒(1630~1714年)が「子どもの教育に関する体系的な書として『和俗童子訓』を著わした。
 益軒の著作は武士庶民を問わず江戸時代の人々によく読まれた。
『和俗童子訓』は日本初の"子ども教育論"であり寺子屋のバイブルだった。
 益軒によれば「しつけとは幼い子どもに生活上の習慣や社会で守るべき規範を身に付けさせること」としている。
 「およそ小児は智なし、心もことばも万のふるまいも、皆かしづきしたがう者を見習い聞きならいて、かれに似する」=子どもの心も言葉も全ての行いも、見習い聞き習い模倣することで、その人に似通ってくる。

 ほかにも、次のようなことが記されている。
 
①およそ子を育てるのに、生まれたときから度を越した愛情を注いではならない。度を越した愛情を注げば、子を台無しにする。


② 「人の悪徳は衿(きょう)なり」=人が徳にはずれて悪いのは、誇ること、いばることである。子どもに善行があったり、才能があっても褒めてはならない。褒めると、高慢になって学問もしなくなり、また、人から学ぶこともしなくなる。


③幼いときから、心、言葉は「忠信(まこと)」、すなわち誠心誠意を主とし、嘘・偽りがあってはならない。もし子どもが嘘をつき、人を欺くような場合には、厳しく戒めなければならない。 まして、親の方から幼い子どもを欺いて嘘をつくことを教えてはならない。親が嘘をつけば、子どもがそれを習うからである。


④ 父母が子どもを厳しくしつけなくて、度を越してかわいがることをすれば、子どもは父母を軽蔑し、行儀が悪くなり、道に背くようになってしまう。


⑤子に対しては幼い時より、孝悌の道をもっぱら教えるべきである

 このような基盤で日本人は育てられたから、士農工商の一般人の教養が高い。そのような伝統が今も続いている。
 日本はトップエリートは少ないが、平均的な日本人の道徳心や教養が高い(高かった?)のである。

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 日本社会の最大の強みは、「一般人」です。日本には世界一の「一般人」がいますよ。米国のエリート教育はすごいと思いますが、エリートは一部の人間だけです。日本には優れた一般の人々が大勢いて、いつだって一生懸命。日本は健全な社会だと実感します。
『文藝春秋』平成十八年八月臨時増刊号『私が愛する日本』    115頁

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 台湾では、戦後、日本時代を懐かしんで、「リップンチェンシン(日本精神)という言葉が使われた。

 それは、旧日本軍などが使った国粋主義的な意味合いではなくて、清潔、公正、誠実、信頼、責任感といった人間が生きていく上で守る倫理、美徳といったものを総称した言葉だ。

 このリップンチェンシンがほめ言葉として用いられるのも、多くの旧日本軍人が、戦時下においても教養高い振る舞いをしたからにほかならない。

 

 

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5年国語「熟語の意味を考えよう」

 その1

 二字熟語の組み立て型を分類整理する単元だ。
 導入は中国語3つをクイズ形式で提示する。

 「中国語の2文字の言葉です。どんな意味でしょう?」
①再見

・・・・再び見る。また会いましょう。つまり「さようなら」です。
②不能

・・・・修理不能。「できなくなる」という意味です。
③手紙

・・・・どんな意味だと思いますか?「手紙」のことを中国では「信」と言います。手で使う紙、正解は「ちり紙・トイレットペーパーです」

 「手紙」=「トイレットペーパー」を持ってきたのは、意外性を提示するためだが、トップバッターにすると悪ふざけになってしまうからでもある。
◆◆◆
 漢字は中国から伝わってきた文字です。
 この漢字から、ひらがなやカタカナが生まれました。
 例えばひらがなの「あ」・・・・漢字の「安」からできました。
 カタカナの「ア」はどんな漢字からできたと思いますか?・・「阿」です。
 
 漢字を2字以上組み合わせた言葉を「漢語」「熟語」と言います。
 「幸福」は中国でも「幸福」、「美人」は中国でも「美人」です。
 でも、「娘」は中国では「母親」のことを表すそうです。
 じゃあ「大娘」は誰のことでしようか?・・・・・・・・・「おばさん」です。
 じゃあ「老婆」は誰のことでしょうか?・・・・・・・・・「妻」なんですって。

 

その2 

 ここに漢和辞典があります。
 この辞典には、いくつの熟語が載っているでしょうか?
 熟語数の明白な実物の事典があれば、その辞典で考えさせる。
 その後、主要な漢和辞典の熟語数を順に紹介する。
 少なくて3万、多くて53万。その数値に「おー」の歓声が上がったら申し分ない。

三省堂例解新漢和辞典  熟語35,300
旺文社漢和辞典     熟語48,000
新字源         熟語60,000
学習研究社 漢字源    熟語88,000
角川大字源       熟語100,000
平凡社 字通       熟語210,000
大修館書店 大漢和辞典  熟語530,000

 今から、皆さんに、二文字の熟語を書き出してもらいます。
 どんな二字熟語を知っていますか? 
 次から次へとカードに書いていきなさい。
◆◆◆
 中国語うんぬんで時間をとらず、できるだけ早く「熟語」について検討させる。

 メイン部の発問指示は次のパターンはよく行われれる。

①カードに2字熟語を1つずつ書きましょう
②黒板に1人1枚カードを貼ってください
③集めた熟語をグループ分けします。
 どんな分け方がありますか
④発表した分類に従い黒板の熟語を分類しましょう。
 
 教科書の分類を見ながら、その分け方に従ってカードを整理するだけでも大変だ。
 列挙した熟語を自分たちで相談しながら分類するには、漢字1文字づつの意味・熟語の意味をきちんと理解していないといけない。

 しかし、4つの作業は時間的に難しい。

A:2字熟語の列挙
B:分類方法の決定
C:分類方法にしたがっての実際の分類
D:板書の分類と熟語をワークに書き写す

 熟語は6分類できると教えることになっている。
①似た意味 ②反対の意味 ③組になる ④上→下(修飾・主述)⑤上←下(対象)⑥否定

 子どもたちの力だけで6分類が出るか。

 出なかったら、どうフォローするのか(教科書を見せてしまうのか)。 
 熟語の分け方が6分類であることを理解するには、子どもから6分類の熟語がきちんと出ないと都合が悪い。
 1人1枚の熟語を黒板に貼らせても、6分類の熟語が網羅できない可能性が高い。
 ⑥の否定は出にくい。
 また②の反対の概念と③の組の概念は区別が難しい。
 うーん、6分類は難しいぞ
 実は中学でも熟語を分類させる同様の授業があり、自分も授業したことがある。
 この場面を生徒の想起する熟語に任せていたら授業が進まない。
 私は、教科書を読んで分類の型を紹介し、その型に該当する漢字を想起・列挙させる活動を6回繰り返した。
 極めて単調で事務的なやり方だから、その方法がいいとは全く思っていないが、列挙される熟語が6項目にわたっていなければ、6項目を考えることはできない。項目が先に挙げてあれば、該当する漢字を想起する活動は容易だ。
 中学ではあと3分類、合計9分類教えている。

⑦接尾語・接頭語(御礼・知的)⑧同じ漢字(人々・山々)⑨省略(高校・特急)

 
 子ども達が列挙しそうな漢字は、例えば教科である。
 しかし、教科でさえ、分類は難しい。
 今、漢和辞典を使いながら悪戦苦闘して考えてみた。

 国語・・「国の言葉」だから④
 算数・・「数を計算する」の⑤
 社会・・たぶん「団体+団体」の同じ意味で①
 理科・・「理の科目」だから④
 音楽・・「音を楽しむ」は順序は本来⑤だが、④
 家庭・・「家と庭」で、あえて①
 道徳・・「道と徳」でアンドに該当する番号がないが①
 体育・・「体を育てる」は本来⑤だが④
 図工・・「図画工作」の略だから⑨
 総合・・「すべて合わせる」だから④
 生活・・「生きる・活動する」だから①

 「音を楽しむ」「体を育てる」は目的格でつながるから、本来は⑤に該当し「楽音」「育体」になる。
 しかし、子どもには難しいから「音を楽しむ」「体を育てる」として考えて④とする。「音が楽しい」「体が育つ」と発想できれば最初から④である。

 ただし、その場合「を」で結べるのに、「上から下」と「下から上」の2通りあることになる。これは、混乱を招くかもしれない。
 「体育」・・「体を育てる」
 「習字」・・「字を習う」

 なお「下から上」の⑤の発想は子どもは取りにくい。
 「習字」は「習う字」だから⑤じゃなlて④
 「読書」は「読む書」だから⑤じゃなくて④
 「作文」は「作る文」だから⑤じゃなくて④
と考える。中学生でもそうだった。
 そうなると④は、子どもの力だけでは出てこないだろう。

 このように子どもがすぐに思いつく「教科」の熟語でさえ分類は難しい。
 簡単に分類できない熟語だらけになったら教室は混乱する。
 列挙―分類は知的な作業だが、それゆえイージーに子どもにゆだねても混乱するだけだ。
 列挙した熟語を自分たちで相談しながら分類する1時間だ。

A:2字熟語をたくさん想起・列挙する
B:自分たちでどう分類すればいいか考える
C:分類方法にしたがって実際に熟語を分類してみる

 極めて有意義な思考訓練の授業だが、「とにかく自分たちで熟語の法則性を見出してみよう」という授業は難易度が高い。

教科書を見れば6分類できると思うのは大間違い。辞書を見たり友だちと相談したりはしていいが,教科書を見ていいとは書いていない。
教科書を見れば書いてあるのに、あえて教科書を見せないで自分たちで考えさせ解決させようという授業。
昔なら自分も憧れて取り組んだかもしれない。
でも、今はしない。分からない子・できない子がお手上げになる状況が目に見えるからだ。

 教師が指定する熟語の構造を考えさせるなら難易度も調整できる。
「美人」「上下」「黒板」「作文」など・・。

しかし,子どもに自由に熟語を列挙させれば、子どもは難易は考えない。
だから,例えば「道徳」「社会」を想起した子は、お手上げになる。
熟語そのものの意味は分かるが,一語一語の意味や,2語のつながり(熟語のタイプ)などは,とうてい想起できない 。
教師だって「社会」「道徳」などの熟語は分類できずに迷ってしまう人が多いはずだ。

あらかじめ、どんなタイプがあるかを習っていても,分類作業は難しい。
まして、自分で熟語のタイプを考え、自分たちが列挙した熟議をその型にはめこんでいくのは、あまりに困難な作業だ。

◆ 「自分たちで考えさせる授業」を望むあまり、無謀な計画を立ててはいけない
◆漢字の分類ぐらいなら、子ども達の既有の知識を総動員して楽しく盛り上がる授業になるとおうのは、甘い判断だ。
◆確かなイメージもかく、漢字の授業なら失敗が少ないだろうというのも浅はかな入れ知恵が入ったのか・・。

研究授業になるとやらせたがる問題解決学習のパターン。
それは、とても難しくてクラッシュを引き起こしやすいのだという自覚が必要なのだ。

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August 16, 2025

質問ができない、質問に答えられない、理由が言えない、主語が書けない日本人

〜「PISA型読解力が必ず育つ10の鉄則』有元秀文著(明治図書)2008年〜

 上記は、まさに日本人のコミュニケーションの四重苦である。

 有元氏は、子供ではなく教員自身の課題であり、大人社会の課題だと述べている。

◆「 〇〇だと思うんですが、そのへんのことについてお答えください」という質問を昔からよく教員の研究会で耳にするが今も変わらない。

◆ テレビでインタビューをして質問すると質問に答えないで自分の意見を言う人がよくいる。聞かれたことに答えないで全然関係ないことを話し始める人もいる。

◆「どこが心に残りましたか」と尋ねると多くの教師は理由を言わない。

◆教師が小学生の文章を添削して直した後の文章を読んでも何を言ってるのかさっぱりわからない。

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 これでは国際社会に出て行かなくても、日本社会の中でもまっとうな論理的なコミュニケーションができない。論理的なコミュニケーションができないということは、人生のほとんどの問題の解決ができないと言うことだ。(中略)

 コミュニケーションと言うと仲良くほんわかと相互交流することだと思い込んでいる人が多いらしい。しかし、欧米のコミュニケーションは自律性に支えられている。つまり、全員の違った個性が自己主張して、教えて欲しいがぶつかり合うのが個人主義に基づいた国際的なコミュニケーションである。P61・62

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・・・なるほど「コミュニケーションと言うと仲良くほんわかと相互交流することだ」という指摘はよく分かる。小学校の国語でもアサーショントレーニングが取り入れられ、相手を傷つけないことが大事にされるからだ。

 だからといって、質問ができない、質問に答えられない、理由が言えない、主語が書けない日本人であってはいけない。

 日本人同士なら常識や感情を共有できるが、他国の人ではそうはいかない。我々は、「阿吽の呼吸」ではなく「言葉」で意思疎通していけねばならないのだ。

 「国際的なコミュニケーションは、個性と個性がぶつかり合う」のだから、1つの結論に収斂する話し合いではなく、自分の意見のアピールが大事なのだ。

 

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国語の教科書は、PIISAのステップを踏まえているんだな。

国語の教科書は、このステップを踏まえているんだな。

〜『PISA型読解力が必ず育つ10の鉄則』有元秀文著(明治図書)2008年〜

「個性を尊重し論理的に課題を解決するスイミーの授業」の章がある。

 教科書の手引きの進行に似ているが、有元氏の指摘する注意事項守らないと価値が半減するなと思った。以下、私なりに意見を加えながら再構成して示す。

(1)情報の取り出し

例:スイミーは、どんな魚だったの?

例:ある日、まぐろは「何かしたの?

・・・子どもたちはクイズをやるよう楽しみながら、あらすじと重要な事実を把握していく(答えは必ず本の中にある」は、「一字読解」とすごくよく似ている。

「一字読解」を含め、最初に行うのは「情報の取り出し」なのだということをしっかり押さえておきたい。。

(2)解釈の発問

例・マグロから逃げてきたスイミーはどうして元気をとりもどしたの?

例・ スイミーたちはどうやって大きな魚をおいだしたの?

 「情報の取り出しよりは、個性が発揮できる多様な答えが期待できる」とあるから、(1)のような読めば書いてあることを問うのではなく、論拠を持って自分の言葉で言わせるのだということが分かる。

 (2)では、答えが1つに決まる「質問」ではなく、答えが多様に分かれる「発問」をせよということにもなるだろう。

(3)熟考・評価

例: スイミーの話で一番好きなところはどこ?

 「 私の好きな場面は〜です。なぜなら〜だからです」のフォーマットでまとめ、グループで一人一人発表させる。

って、学習の手引きは、このパターンほとんどだ。なるほど、これが「熟考・評価」になるのか。当然、ちゃんと理由づけもさせたい。

 なお、。有元氏が「 よりクリティカルな発問である」と述べている次のタイプの問いは教科書の手引きには見られない。テキストの記述を超えてみようという発想だ。

例:大きな魚を追い出すのに、もっとほかにいい方法を考えましょう。

 汎用的な問いではないので、作品に即した問いを創っていく必要がある。

◆ こうすれば一人一人が個性を発揮して、論理的に課題を解決する国際的なコミュニケーションの萌芽が育つ。

というわけで、熟考・評価の課題は「自由記述がj必然」ということがよく分かる。




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August 14, 2025

興味本位ではないのです

4年2学期の社会科で「防災」を扱うので、今回の豪雨災害を注視しています。

週末あたりは、各地で様々な被害が出ている様子が報じられましたが、雨が上がったらニュースはあまり報じられなくなりました。

しかし・・・

家屋や車が水没した人、道路の陥没で生活に支障がある人、田畑で甚大な被害を受けた人たち苦しみはこれから続くし、むしろこれからが大変です。家屋や車を簡単に買い替えられる人はごくごくわずかです。水が引いたら(地震が収まったら)災害が終わるわけではありません。

「雨があがってよかったね。では日常のエンタメ報道に戻りましょう」

という感覚がどうにも耐えられません。

無論、これは、今回に限ったことではなく、災害が生じるたびに、これまでもずっと繰り返されてきたことだから、自己防衛するしかありません。

マスコミは、すぐに別の話題に移りたがるものです。

そもそも、そういうものなのだから、本当に大事な情報は、自分で関心を持って追いかけないと手に入らない。

できれば。この「メデイアの特質と限界」を授業の中で扱っていきたいです。

以下は、ほとんど有料記事でブロックされてしまう朝日新聞のサイトですが、見出しを読むだけでも意識が高まります、

https://www.asahi.com/topics/word/豪雨災害.html

以下は、NHKニュースは、いつまで見られるかなあ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250814/k10014893931000.html

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「伝統工芸品が戦争兵器に」中京テレビ特集

「コンニャク爆弾」ってどんな爆弾だと思いますか?

と聞かれたら、子供たちは「コンニャクが大量に降ってくる」とか、「爆弾でコンニャクが飛び散る」とか答えるしかない。

正解は、和紙をコンニャクのりで貼り付けた風船爆弾。

コンニャクのコーテイングが頑丈だったため、気流に乗った爆弾が太平洋を横断して実際にアメリカで被害をもたらした。

これは、約40年前のサークル例会で話題になった発問

◆コンニャクがノリになることを知らなければ絶対に分からない意地悪な発問。

◆しかし、知らないから、事実(正解)を知った際に印象が強くなる。

◆だから、知らないことを聞く発問・意外な事実を取り上発問は「不誠実」ではあるが「好奇心の喚起」や「記憶の強化」に役立っている。

最初から「風船爆散」と問うてしまったら予想がついてしまうから「つまんない」のだ。

・・・千葉大の藤川大佑教授が東大生だった頃、発問には「誠実性の原理」が必要だと唱えたことに対して異議を唱えたもので、当時藤川さんの発信していた「たまご通信」にも取り上げていただいた。

今思えば「予備知識がなければ検討しようがない」というのは「スキーマ」の問題なのだなと思う。スキーマを与えてから問うのが「誠実な授業」だと藤川さんは主張していたのかもしれない。

そういう議論の過去がある懐かしい「コンニャク爆弾」がニュース特番で報道された。報道テーマは、常滑焼や美濃和紙といった伝統工芸品が兵器に使われたことへの怒りや悲しみだった。

「伝統工芸品が戦争兵器に」中京テレビ特集

https://youtu.be/wYqN_uboh2g

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August 08, 2025

肯定的フィードバック・即時的フィードバック

これが「アプリシエーション」

A先生、1限の書写の後片付けが、前回よりも速くなったことを褒めていました。

具体的な成長の場面を取り上げることで、子どもたちはますますがんばろうという気持ちになれます。

「肯定的フィードバック・即時的フィードバック」は、すばらしかったです。

 私のような古いタイプの教師は「その子をよくするために」と思って、ついつい子どもの“できていないところ”や“直すべきところ”に目が向きがちです。

 しかし「欠点の修正=教育」だけではないという視点の転換が、今の時代にはとても重要になっています。欠点にばかり目を向けると、子どもは自己肯定感を下げ、教室は萎縮・不安・消極的な雰囲気になるからです。 

 A先生のように、「できていること」「うまくいっていること」「その子の強み」に意識的に目を向けることで学級全体がポジティブな連鎖を起こしています。子どもたちの行動の「背景にある努力」や「成長の兆し」を見逃さない姿勢が、信頼と絆のあるクラスづくりに直結しています。

 あえて、用語は伝えなかったけど、これが「アプリシエーション」。

 「アプリシエーション」とは、「価値あるものを認める」「感謝や敬意を表す」「よいところに焦点を当てる」といった意味の英語 appreciation に由来する言葉です。

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August 07, 2025

「情報活用能力」と「論理的思考力」

「選択肢の中で、断定して書いてあるものは疑った方がよい」

と言われる受験テクニックは、情報リテラシーの能力と重なってくるが、そもそもは、集合のロジックである。

A・全て 「事実」である。
B・一部は 「事実」である。
C・一部は 「事実」でない。
D・全て 「事実」でない。

の4つをきちんと区別できるのは、論理の問題であるし、文章表現の細部の違いを見抜く読解力の問題である。

運転免許の試験では、このような意地悪な問題が出題されている。

A:必ずしも「事実」ではない。
B:「事実」と言えないことはない。
C:「事実」が決して少なくない。
D:「事実」が少ない。
E:全て「事実」でない

この区別ができないようでは情報を正しく読み取れない。

でも、それは「情報」の問題ではなく「読解力」の問題である。

読解力がないと「一万円の布団を百万円で買わされてしまう」と新井紀子氏は言われたが、それは情報リテラシーの能力と密接に関わっている。

というわけで、私の今の感想

◆新たに「情報・情報処理能力・情報リテラシー能力・・」と騒がなくても、愚直に「読解力(論理的思考力)」を育てていきたい。

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「PISA読解力」と「情報読解力」

フィンランドの読解力が話題になったころ・・ 

2007年、特設教科である 「読解」のカリキュラムを編成している京都の御所南小学校へ視察に行った。

当時話題になっていたフィンランドの国語教科書が利用され、9年間の「読解」を提案していた。その際の指導助言者が、教科調査官の井上一郎氏だった。

(1) 読解のワークが配られ、各自取り組む。
(2) グループで話し合う(「グループ交流」と読んでいた)。
(3) 全体の場でグループで話し合った内容を発表。

そんな感じの授業スタイルだった。ワークの答え合わせみたいな授業だった。
井上氏の発言部分の私のメモには、次のように記してある。

◆「子どもたちが主体的に授業を進めていく」
◆「司会力・対話力を系統的に育てる」
◆「日本では一斉授業の形態から抜け出せない。どうグループ学習を仕組んでいくか」

・・・今思えば、この頃から「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び」が念頭にあったことが分かる。

「文部科学省の調査官が、一斉授業より子ども主体の授業を勧めているのだとしたら、これは全国で広がる可能性がある」

というのが、当時の感想。

 20年経過してまさに時代が、そうなろうとしている。

 いや、そもそも平成20年度答申を踏まえた「言語活動の充実」の提言は、現行の「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」と同じ意味合いだったのだと思う。ただ、「言語活動の充実」の「活動」だけが重視され成果が上がらなかったので、学習指導要領の「黒歴史」のようにフェードアウトしてしまった。

 井上氏の講演を聴いて、当時、次のように感想をまとめた。

 昨今の「デジタル放任主義」の心配が既にあったことが分かる。

==============
算数の問題解決学習と同じように、できる子だけが、ひとり学習をし、グループ交流を仕切り、全体発表を盛り上げる。できない子はお客さん状態でスポイルされていく・・そんな不安が消えない。
==============
 ただし、井上氏は


◆「教師が押さえるべきところはきちんと押さえる」
◆「最後の10分は教師がきちんとよかったところ・よくなかったところを指導する」

と述べている。なるほど、今なお通じる留意点だ。
 また、フィンランドの国語教科書を作成したメルヴィ・バレ女史の発言部分のメモには

◆「できる子とペアを組むと全部やってしまう」
◆「グループ学習は、さぼる子が出ることもある」
◆「明確な作業指示をすれば全員作業できる」

とある。

 このような留意点が無視されると、「デジタル放任主義」の蔓延につながっていく。
 「アクティブ・ラーニング」の不安の根本は、今なお変わっていないが、否定するだけでは何も進まない。

 「放任」と揶揄されない確かな授業が拡散するように学びをまとめていきたい。

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「情報活用能力」と「PISA読解力」

最近の「情報活用能力」の解説でモヤモヤするのは、国語で扱ってきた「読解力」との関連が曖昧だから。

「教育トークライン」2020年6月号で、堀田龍也先生がPISAの読解力について述べている。

=================

1)情報を取り出す

・テキスト中の情報にアクセスし、取り出す

・関連するテキストを探索し、選び出す

2)理解する

・字句の意味を理解する

・統合し、推論を創出する

3)評価し、熟考する

・質と信ぴょう性を評価する

・内容と形式について熟考する

・矛盾を見つけて対処する

(中略)

PISAで提示されている読解力は、デジタルを含めた多様なテキストを、そのテキストの構成原理に基づいて素早く情報を取り出すスキル(読み取り)と、当該のテキストがどのような立場から誰に向けて何故に発信されているのかを判断するスキル(読み解き)である。

※特集タイトルはPISA型対応「基礎的読解力」指導法

=====================

・・・情報の「読み取り」と「読み解き」とは見事なまとめ方だ。

ただ、いちいち「情報」と明記されているところから、「PISA読解力」は「情報読解力」と重なる点が多い。

「読解力向上」を意識して取り組んできた国語の教師にとっては、「情報」はこれまで真摯に取り組んできたことの延長線上なのだ(としか思えない)。

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自由な活動ほど即時のフィードバックを多くする

「本当は大切だけど誰も教えてくれない授業デザイン41のこと」大前暁政(明治図書)

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◆よくある間違ったフィードバックとして、「さぼっている子を注意して回る」というものがあります。「おしゃべりしません」「遊びません」などと注意して回るのです。しかし、叱責や注意をして回っても、あまり効果はありません。ダメな方に意識を向けてしまうだけです。

そうではなく、「手本となる学び方」をイメージさせる方が有効です。

「〇〇チームは、資料で調べたことを箇条書きにしてまとめています。すばらしいね」

「〇〇チームは、写真を印刷して、分類しています。後でプレゼンに生かせそうだね」

「昆虫の動画を保存して共有しているチームがあります。映像じゃわかりやすいよね」

よいところを実況中継し、ほめながら紹介していくのです。このような前向きなフィードバックによって、まわりの子が手本となる学び方を真似するようになるのです。p208,209

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 これは、机間指導の極意でもある。

 注意のために机間を回るのではなく、ほめるところを拡散するために回るのだというのは、まさに「教育観」の問題。

 とても大切なことなので、しっかり拡散していきたい。

 以前書いた「あらさがし」=「ネガテイブ報告」とは真逆です。

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生成AIの課題と、読解の課題=記号接地の問題?

◆生成AIが話す言葉は実世界の経験や感覚に根ざした深い意味をもっていない。

これって子どもも同じではないでしょうか?

子どもが教科書で学ぶ説明文や戦争物語も、実感が伴っていない場合が多い。

書いてある言葉をなぞるだけで、具体的に理解できていない。

だから、説明文では、具体例を把握させる。抽象的なまとめの言葉に満足せず「それはどういうことか」「主張を裏付ける具体例は適切か」を検証する。

戦争作品では、具体的な事象を把握させる。「空襲」とはどういうことか、「配給」「出征の見送り」とはどういうことか。

出征する多くの兵隊が、死を覚悟していたが、そういう背景を知らずに「出征・見送り・ばんざい」などの言葉を分かったつもりになって使うなということだ。

言葉を言葉としてしか受け止めていないのなら、本当の理解には至らない。

生成AI活用のヒント(課題)は、「読解」のような人間の脳を活用する場合のヒントになるのではないか?

 

以下が、ChatGPTの回答です。

※基本的に生成AIは否定しない(呼吸するように噓をつく)から、本当に正しいかは要注意!

おっしゃる通りです。とても重要な観点です。生成AIと言葉の関係、そして子どもの読解力や学びの質について、非常に鋭い指摘をされています。

以下にいくつかのポイントを整理して応答します。

◆ 言葉に実感が伴わないという共通点

生成AIも子どもも、「経験がない言葉」を扱うとき、しばしば「意味の実感」が抜け落ちます。
AIは過去の膨大な言語データをもとに、確率的にもっともらしい言葉を返しているだけで、そこに痛みや喜び、葛藤や覚悟といった人間的な実感は存在しません。

同様に、子どもが教科書で「空襲」「出征」などの言葉を見ても、それを生活体験や身体感覚に結びつける機会がないままでは、表面的な意味にとどまってしまう。これは、「理解したつもりになる」という読解の大きな落とし穴です。

◆ 教育における読解指導の意義

だからこそ、あなたがおっしゃるように、説明文で「具体例を把握させる」こと、戦争文学で「状況のリアリティを追体験させる」ことがとても重要になります。

たとえば:

  • 「空襲とはどういうことか?」→ 爆音、炎、逃げ惑う人々、焼けた家…
  • 「出征とは?」→ 家族との別れ、国のために死を覚悟することの重さ…

こうした具体的なイメージや感情の追体験が、「言葉を理解する」ための前提になります。言葉は、その背後にある現実の具体的な状況や感情によって、初めて深い意味をもつのです。

◆ 生成AIの限界が教育のヒントになる

ここがとても興味深い視点です。
生成AIは一見、それらしい言葉を出してきますが、「実感を伴わない」というその限界が、人間の読解に必要な力を逆照射します。

  • AIにはできないが、人間にはできることは何か?
  • 言葉を超えて、状況や心情を「読む」ためには何が必要か?

こうした問いは、教育現場での「読解教育」の方向性を考える上で、大きなヒントになります。

◆ まとめ:AIが教えてくれる「人間の特権」

生成AIは、言葉を「もっともらしく」扱えますが、「本当に意味をわかる」ことはできません。
これは、人間が言葉をどうやって「意味あるもの」にしているかを考えるきっかけになります。

  • 経験と結びつけること
  • 具体と抽象を往復すること
  • 相手の立場や状況に想像力を働かせること

これらがあって、初めて人間の「読解」は成り立ちます。そして、これは教育で育むべき最も重要な力の一つです。

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「記号接地(symbol grounding)」の問題

◆ 1. 「記号接地(symbol grounding)」の問題とは?

記号接地問題とは、

「言葉(=記号)に意味をもたらすためには、それが何か現実世界の経験や感覚、行動とつながっていなければならない」という問題です。

▶ 例:

「リンゴ」という言葉をただ定義で知っていても、それが見た目・匂い・味・重さ・感触などと結びついていなければ、本当の意味では「わかっていない」。

生成AIは大量の言語データを使いますが、「りんごを見たり食べたりしたことがない」。だから意味が接地されていない

 つまり、子どもが「空襲」「出征」「配給」といった言葉を、実感を伴わずにただ記号として読むだけでは、本質的な理解には至らないという問題は、まさに記号接地の問題です。

◆ 2. 「スキーマ(schema)」の問題とは?

スキーマは、人間が過去の経験をもとに形成する知識の枠組みです。新しい情報は、既にあるスキーマに照らして解釈されます。

▶ 例:

  • 「空襲」という言葉を読んだとき、その子が「戦争の混乱」「避難」「防空壕」「焼け跡」などのスキーマを持っていれば、意味をより深く理解できる。
  • 逆に、そのスキーマがなければ、言葉だけが浮いてしまい、表面的な理解にとどまる

つまり、「背景知識」「文脈理解」「予測」などを支えるものがスキーマであり、子どもが実感や背景知識を欠いたまま読解しようとする際に問題になるのは、スキーマの不足や誤作動です。

◆ 両者の関係

実は「記号接地」と「スキーマ」は深く関係しています。

  • 記号接地が成立することで、言葉は現実とつながり、「意味を持つ」ようになります。
  • スキーマは、そのつながった意味を整理・蓄積し、理解や推論の際に使われます。

言い換えれば:

記号接地=意味が“身体感覚・経験”に結びつくこと
スキーマ=意味が“知識・構造”として脳に蓄積されること

そして、どちらが欠けても、深い読解や思考は成り立たないのです。

◆ 教育的含意

この視点を教育に活かすなら:

  • 言葉の記号接地を意識した教材設計(例:視覚資料・疑似体験・フィールドワークなど)
  • スキーマを育てるための多読・生活体験・背景知識の蓄積
  • 「抽象⇄具体」の往復運動を重視した読解指導

などが有効になります

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カリキュラム・マネジメント

 2年の国語(光村)。

 「スイミー」が終わったと思ったら、「ミリーのすてきなぼうし」をやることになった。

 なるほど、学年主任の意向で、1学期の成績に入れるために、市販テストで扱う読み物の「ミリー」を先に回したのだ。

 教育課程の順序とは異なるが、結果としてはそれでいいと思う。短めの物語「スイミー」で学んだ読み方を活かして、長い物語「ミリー」を読むという流れになっているからだ。

 どちらも、主人公が「何をした・何を見た・何を考えた・何を言った」を正しく読み取り、「なぜ」について抜き出したり想像させたりするのだから、同じ形で授業できる。

 本単元の最終ゴールは。1つ前の単元の「紹介メモ」を書かせることになる。

 簡単なあらすじと自分のおすすめポイント・一言感想などをまとめて、発表させる単元だが、ここで自分の想像する素敵な帽子についてもプレゼンさせたい。

 すると、教科書にあるもう1つ前の「あったらいいなこんなもの」の単元につなげられる。

 「あったらいい素敵な帽子」について考えさせておけば、その延長で「あったらいいなこんなもの」に取り組ませることができる。

 これはこれで意義があるし、むしろ、この順序の方が単元が取り組みやすい。

(1)スイミー

(2)ミリーのすてきなぼうし

(3)あったらいいなこんなもの(こんなぼうし)

(4)お気に入りの本を紹介しよう

 結果オーライのカリキュラム編成だが、見通しがあれば単元の流れに無理・無駄がなくせる。

 成績のため(教師の都合)でなく、子どもも学びのために順番を入れ替えることが大事なのだ。

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「振り返り」の質を高めるには

書きたくなる意欲を高めること。

まさに「熱中度」の問題。

課題が明確で頭をフル回転させる授業であれば、子供は言いたくて言いたくして仕方ない状況になる。

その「課題の質」議論を後回しにして、書き出しを示したり、フォーマットを示したりして振り返りの内容を規定しようとあれこれ策を考えてきた。

しかし、これでは本末転倒だった。

◆書きたくてたまらないから書くのが「ドーパミン刺激」

◆提出とか発表とかを強制されて書くのが「ノルアドレナリン刺激」

(1)書きたい内容が内から溢れてくる子は、自由に書けばいい。

(2)自分の考えどうまとめていいか迷っている子は、規定のフォーマットに合わせて書けばいい。

(3)そもそも自分の考えがない子は、書けるはずがない。課題に対する本気度(熱中度)が足りなかったのだろうから、もう1度課題に正対させてみる必要があるのだと思う。場合によっては課題を具体化したり、誰かの意見に賛成か反対かでまとめさせてもいい。そこは「個別最適」な支援するしかない。

・・・かつて、子供たちが書いた作文について、次のように分析したことがある。

========

この2人は、特に作文が優れた子ではないが、積極的に討論に参加していた子供たちである。この作文においてイメージ豊かに書けたかどうかは、普段の作文力より、授業、討論の参加度との関連が深かったようである。

=============

 この時の授業・討論の参加度を大きく左右したのは「発問」であった。

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学習者の「身体性」

 探究型の授業は、子どもたちが主体的に動くから、達成感・充実感がある。

 黙々と文字入力する「壮大な自習」に比べて、離席しての対話(情報交換)や一斉討論は達成感・充実感がある。

 ああ、これって、子どもたちの「身体性」ということかな?

 子どもたちにとっても

◆声の強弱、歓声、絶叫、怒号、ツッコミがあるかどうか=ライブ感は、モチベーションを大きく左右する。心理的安全性を高めると言ってもいい。

◆離席する・相手と向き合う・みんなで顔を突き合わせる・相手の話にうなずいたり首をかしげる、拍手で賛意を示すといった動作も、ライブ感を高める。

◆自分の意志を表情で伝える・相手の意志を表情で見取る非言語のコミュニケーションも、ライブならではの楽しさだ。

◆全員が一つの課題に取り組む一体感は、ワクワク感がある。

・・・そういうことを「身体性」と言っていいのかどうか自信はないが、わざわざ子どもたちが学校に集まって、一緒に学ぶ意義は「身体性」にあると考えた。

 「身体性」に魅力を感じたら、学校に来ること・授業を受けることが楽しくなるのだ。

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August 05, 2025

「気づき」の列挙

3年社会科「店ではたらく人」

 教科書に、スーパーマーケットの図があるので、気づいたことを付箋で貼らせていこうと思う。

 「気づいたことを付箋に書いて教科書の図に貼っていきましょう」という授業にするとして、子どもたちは何を書くだろうか?

 あるいは、子どもたちは何を書けばいいのだろうか?

 定番は「わ・き・お」だから「分かったこと・気づいたこと・思ったこと」を書けばいいのだが、それもピンとこない子が多いはずだ。

 (A1)たくさん列挙できるのは「ある・いる」だ。

①自転車置き場がある ②リサイクルコーナーがある ③イートインスペースがある

④多目的トイレがある ⑤カートがある。      ⑥商品を並べる人がいる

・・・これらはいくらでも書ける。

でもそれでいい。そのうち「ある」だけを書いてもキリがないなと気づくからだ。

「ある」の列挙に飽きてきたら、「〇〇があるから、何?」という問いに正対したい。

 

(A2)「〇〇があると・・・だ」「〇〇があるから・・・だ」

①カートがあるから、たくさん買いやすい。

②お店の人はエプロンをつけているから、見分けがつく。

③商品を並べる人がいるから、品切れにならないんだ。

 

(B1)比較思考が伴うと「多い・少ない」「大きい・小さい」「広い・狭い」が言える。

①品数が多い ②レジが多い ③カートが多い ④同じ商品が多い

⑤トイレが広い ⑥コーナーごとの通路が広い

・・・これは比較基準がある。

 「思ったより多い」「自分の知っている店より多い」「コンビニより多い」などなど。

 なお、多いか少ないかだと次のような疑問が生じてくる。

①このスーパーは店員が多いのか少ないのか?。何人ぐらいがちょうどいいのか?。

②このスーパーの品ぞろえは多いのか少ないのか? 〇〇は1日いくつ売れるのか?

 

(B2)▲▲は・・・だけど、◆◆は・・・・だ。それはきっと・・・だからだ。

例えばコンビニ基準にすると、

①「コンビニにはカートがないけど、スーパーにはある」

②「コンビニは2つくらいしかレジがないけど、スーパーはたくさんある」

③「コンビニは狭いけど、スーパーは広い」などなど

こうやって書くと、さらに「それはなぜなのか?」の予想まで促せる。

そして「なぜ〇〇なのか?」を書いたら、「それはきっと・・だからだ」と自分なりの予想や仮説を書くところまで促せる。

 

(C)「見たことがある」をチェックする

これは付箋ではなく、印の方が分かりやすいかもしれない。

「行ったことがある・見たことがある」という実体験との関連を図る。

すると「見たことがない場所」を見たくなる。

 

(C2)見たことないけど、本当にあるか?

見たことがないところを、「?」などで印をつけておけば、実際に見学したときに意識できる。

(D)疑問 いつ・誰・どこ・何・何人・なぜ・どんな・どのように・いくつ・いくら 

問いのバリエーションを提示し、全部網羅させる。

 

「気づき」は連想ゲームのように、どんどんつながっていくから面白い。

 連想ゲームで広げる拡散的な思考力を鍛えないと、単発の気付きで終わってしまう。

ア・売り場のコーナーが決めてある。

イ・売り場が決まっていると、迷わずに買いやすい。

( そういえば、いつもと違うスーパーに行くと迷ってしまう)

ウ・売り場のコーナーの位置って、スーパーによって違うのかな?

エ・売り場には同じものがたくさん並んでいるが、それでも売り切れることはあるのかな。

オ・売り切れないように、奥の倉庫にしまってあるのかな?

カ・例えば、キャベツは1日何個くらい売れるんだろう?

キ・肉や魚は売れ残ったら捨てるのかな? (以下略)

 

こういう連想力を鍛えるには、イメージマップの形の列挙法が有効なのだろう。

写真は、教科書に気づきの付箋を貼った授業。

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August 04, 2025

算数について個人探究 四則計算の「記号」について

(1)割り算と分数の関係

 5年生の算数で、割り算と分数の関係に触れる。

 4÷5=4/5になるが、ここで分母と分子がどっちか分からなくなる子がいる。単純な分数のかけ算よりも、こっちの方が難しい。

 本当は、テンキーを使って、4/5と表記したら、それはそのまま4÷5なのだから、分数と割り算の関係はすごく簡単だ。

====

 「÷」は、1659年にスイスのヨハン・ハインリッヒ・ラーン(16221676)という数学者が著書の中で使ったのが最初である。分数表記を抽象化したものが起源だと言われている。「÷」はその後イギリスのアイザック・ニュートンなどが好んで使ったことから、イギリスを中心に広まった。

割り算を表す記号には「/(スラッシュ)」や「:(コロン)」もある。「/」は「÷」よりも古い歴史を持っていて、現在も世界中で使われている。

(中略)

 実は、「÷」が一般的に使われている国はそう多くない。イギリス、アメリカ、日本の他は韓国やタイなどの一部の国に限られる。その他の国では「/」が一般的だ。

 2009年に国際標準化機構(ISO)が発行した数学の記号に関する国際規格「ISO 80002」では、割り算は「/」か分数によって表すと定めた上で、「割り算を表す記号として『÷』は使うべきではない」とはっきり書かれている。もしかしたら世界中の教科書から「÷」が消える日は近いかもしれない。

(本原稿は『とてつもない数学』からの抜粋です)

【マンガでわかる】意外と知らない、計算記号「+」「-」「×」「÷」の由来 永野裕之

https://diamond.jp/articles/-/253349

====

 4/5は、テンキーで打ち込んだ時点で分数表記である。

 時速100㎞も、表示単位はkm/hだから、距離÷時間だとすぐ分かる。

 密度の問題も㎏/mなら、 〇㎏÷△mで、1mあたり何キログラムなのかがすぐ分かる。

 ÷の記号でウンウンうならなくても、スラッシュで済む時代が来るのかな?

 

(2)「掛け算」の記号

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 掛け算を表す記号には「・」もある。実は、掛け算を表す「×」はヨーロッパ大陸ではあまり流行らなかった。当時、ドイツのゴットフリート・ライプニッツは、スイスのベルヌーイに送った手紙の中で「私は掛け算の記号として『×』を好まない。容易に『x(エックス)』と間違ってしまうからだ。私は単純に『・』を2つの量の間に入れて掛け算を表すことにする」と書いている。

 当時はこうした意見が主流だったらしい。その後、タイプライターやパソコンが普及してからは、掛け算を表す「×」は使われなくなっていく。特に半角英数字では絶望的に『x(エックス)』と紛らわしいからである。実際、現代のパソコンのキーボードにも掛け算を表す「×」のキーは無い。表計算ソフトのエクセルなどで掛け算を打ち込むときは「*(アスタリスク)」を使う。

=====

・・・なるほど。テンキーには、+-*/ しかないから、「掛ける」の記号で×を引っ張り出すのも面倒といえば面倒。

数値を記号に置き換えたらA×Bは、ABになるから、×って存在が薄いのかと思ってました。

 このように「×」「÷」といった記号でさえ、世界共通ではない。

 自分たちの常識にどっぷり浸かっていてはいけないのだということがよく分かる。

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August 03, 2025

「視点」の授業

巨人と中日の野球の試合があって、中日ドラゴンズが勝ったとします。
テレビでは 
「中日が勝った」と伝えるでしょうか、「巨人が負けた」と伝えるでしょうか?

これは、どちらもありますが、それによって、テレビ番組がどっちを応援しているかが分かります。

勝ったか負けたかが、同じ出来事をどちらの側から物事を見ているかの「視点」の問題です。

また、語り手(視点人物)の感情が、どのように事実の記述に影響するか、の問題です。

だからニュース報道だから「事実」と思ったら大まちがいで、セリーグ対パリーグの日本シリーズ結果がどう報じられるかは、どちら側から報じているかによるのである。
まあ、基本は「勝った」側を報じればいいし、オリンピックのような国際大会なら日本人が勝ったか負けたかだけを述べればいい(本当は公平に金メダルが誰かを公平に扱ってほしいのだが)。

 ニュース報道が中立とは限らない。
「勝つ・負ける」は、まあ中立なのだが

「圧勝・楽勝・惜敗・惨敗・完敗」

などの言葉を使うと、うれしかったり、くやしかったり、悪意が含まれたりする。

ニュースでは、ある役人が「無責任な発言をした」というような表現をしていたので驚いたことがある。
「発言をした」は客観的な事実だが
「無責任な」は取材者の主観だ。

主観が入る表現がされるというのは、そちら側の視点で語っている証拠なのである。
気にして聞いているとニュースでも主観的な表現がされることが多い。
知らないうちに情報操作・イメージ操作をされているのである。

ふつうは「事実」と「意見」は区別して書けと言う。
 しかし、自分の視点で書いている作文や日記に主観の入らない事実のみを書き連ねても、あまりにも味気ない。

「家にいたら、お父さんが帰ってきてしまいました」という一文には

「帰ってきて」だから、視点人物の位置が「家」の側にあり
「帰ってきてしまい」だから、視点人物が「父」を歓迎していないという感情が読める。
視点人物は「お父さん」と呼んでいるのだから、子どもかお母さんの可能性が高いことも分かる。

「次は、徒競走だ」は事実の記述だが、

A:次は、いよいよ徒競走だ。
B:とうとう徒競走の番が来てしまった。
C:さあ、次は徒競走だ。

というように、ほんの一言加えたり文末を変えるだけで、話者の感情が含まれて、生き生きとした雰囲気が出る。
 先日、小2の国語テストを見た。
 かっこの中に、「やっと」のような5つの副詞を入れる問題だった。
 これは、小2でほとんどの子が正解だった。
 だから、そのような副詞・副詞句を自分の作文に織り込む活動が、きちん定番化できるといいと思う。

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August 01, 2025

算数の問題アルアル

 数の教科書(啓林館)は、1問の中に複数の答えを考えさせる出題パターンがある。

 例えば4年生小数の単元。

==============

◆「9.368は、1、0.1、0.01、0.001をそれぞれ何個合わせた数ですか」

◆「次の数を10倍100倍した数は何ですか、また10や100でわった数は何ですか」

==============

という問題がある。

 この場合、いずれも4つの答えを書かないといけない。

 これを「出た、この意地悪も問題!」と気付けるところまで、子どもを鍛えたい。

 答え方がよく分からないで困惑する子もいるので、事前に答えの書き方を示すと混乱がなくてすむ。答え方を提示すれば、誤答の誘発を防ぐことができる。

 教科書の問題の出題のパターンに合わせた答え方の指導(指定)がしてあれば、いずれ子どもに任せられると思う。

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「分析」だけの授業では批判されてしまう。

まり人生で役立つ読解力と言うのは、客観的な理解と、ある種の主観的な読み込み、この二つを両輪のように回していくものなんです。

(中略)

名作で言えば、その文章で一番言いたいことは何かをさっさとつかまえて表現できる力とともに、それについて自分はどう思うかの、両方が言えること。

 齋藤孝『子どもの学力は読解力で決まる』(朝日新聞出版)

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 これは、内容を理解するだけでなく、理解した内容を自分はどう考えたか発信するまでが「PISA型読解力」であることと合致している。

 「鑑賞指導」という立場をとる野口芳宏氏が、かつて「分析批評」のある実践について

◆これでは「分析」ではなく、「分解」だ

と批判された。

 何のための分析か?、

 その分析が、作品の鑑賞にどう生きるのか?

が明確でないと、「分析のために分析」と批判されてしまう。

 私などは

「テキストを根拠に分析できるだけでもすごいことだ」

と思っているが、「分析のための分析」を嫌う先生方に理解してもらえるような理論と実践を用意しないと、賛同者を増やせない。

 批判者の言い分にしっかり対応して、

 「この話にはどんな意味があるか?」

 「その文章で一番言いたいことは何か?」

 「自分がもっとも心をひかれたのはどこか?」

といったあたりの相互交流ができたらいい。

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