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September 30, 2025

3・4年生は漢字習得で苦労します!

1 漢字の難しさ(苦手が克服できない子)の理由

(1)習う字が多い・・・・・・・・・・特に3・4年生は1年間で200文字を学習する。

(2)画数が多く、形が複雑な漢字がある。・・・・・・・・小学校で20画の漢字もある。

(3)複数の読み方の漢字や同音異字がある・・・・・文脈から判断しないと正解できない。

(4)日常生活では使わない抽象的な語彙・専門的な語彙に関わる漢字が増える。

 

2 漢字の誤り=漢字の混同の3要素・・・習う漢字が増えるほど混同しやすくなる。

(1)同じ音の漢字(同音異字)と混同する子。

   「意味」の習得が不十分な場合、「黒板国板」「多い大い」のような間違いを起こす。

  「対象・対照・対称・大賞・大正・大将」の区別は高校入試レベル。

 ※対策は、部首の意味や漢字の意味を意識させること。

(2)似た意味の漢字と混同する子(「音」の習得が不十分)

「ふゆ雪」「にく牛」「先生生先」のように間違える子がいる。

「黄」と「横」と「緑」が混ざって、緑を「きへん」にしてしまう子もいる。

  読み仮名から漢字が思い出しにくい子や、まとめのテストで点がとれない子に多い。

※対策①・・・漢字の練習時には読みを唱えさせる。

※対策②・・・文章中の漢字や熟語を読む練習をしっかりさせる。

※対策③・・・意味のつながりで漢字を覚える、漢字の「仲間集め」をさせる。

 

(3)漢字の形を混同する子(「形」の習得が不十分)   

 季節の「季」と委員会の「委」も高校入試レベル。

 「半」と「平」など、大人にとっては苦労しない漢字でも間違えることがある。

 次のような間違いのパターンがある。

①形の似た漢字との誤り・・「教える」「考える・数える」、「親友」「新友」   

②部分的な形の誤り・・・・線が1本足りない、点の数が多い、線が突き出ているなど   

③全体的な誤り・・・・・・部首の一部が別の字など   

④部首の配置の誤り・・・・へんとつくりが逆・部首の位置が違うなど

※対策① 漢字は丸暗記でなく、語源を意識させるとよい。

※対策② 漢字は丸暗記でなく、部首やパーツを意識させるとよい。   

※対策③ 少ない練習回数でも、部首の意味を考え、部首の名前を唱え、漢字の読み方も言いながら練習すると漢字が覚えやすい。

  漢字の部首やパーツを意識させると、一画ずつ覚えるよりもまとまりで覚えられるし、漢字を覚える手がかりも増える。

 例えば16画の「親」の字も、「立つ」「木」「見る」の3パーツで覚えれば習得しやすい。 漢字ゲームやパズルは、「形」に関連したものが多いので、積極的に遊ばせると良い。

 

(4)習得した時期が重なるために混同する子

  「漢字の窓」のような単元では一度に多くの新出漢字がある。しかも、普段使わない抽象的な漢字や熟語、部首や意味の似た漢字がまとめて出てくる。漢字ドリルの同じページにあると、学習時期が重なるので、混同しやすい。

 

(5)「送りがな」を間違える子。

  やっと漢字を覚えても、送り仮名でミスをする場合がある。送り仮名には一定のパターンがあるので、そのパターンと、その例外となる一部の漢字をピックアップする。

 

(6)機械的に練習している子

漢字を書きながら別のことを考えたり、偏だけを先に書いたりすると、いくら時間をかけて練習していても漢字を覚えられない。意味のある練習になるよう声かけすると同時に、十回練習させるなどの無意味な反復練習を避ける。

 

(7)漢字を使いたがらない子・字を書きたがらない子

自分の氏名をひらがなで書く子、板書の漢字をひらがなに直してノートに書き写す子など、日ごろから漢字を使いたがらない子の苦手意識に共感しつつ、できるだけ使うように声かけする。 

枠内におさめるのが苦手な子・ノートに書くのが苦手な子は、空書きや指書きを多くさせると、練習量が増えて、定着しやすい。

①機械的なマル付けやテスト返却に終わらず、誤答分析をして、子供が間違える理由や間違いやすい漢字をしっかりチェックする。

②声を出して空書きをさせたり、漢字を使った身近な語句を紹介したりする。

③テストをする前に、間違えやすい漢字をリストアップして共有する。

④テストの後は、漢字ドリルを出して自己採点をさせる。

⑤日ごろから意図的に漢字を使い、子どもにもできる範囲で漢字を使わせる。

⑥子供同士で漢字クイズをするなど、楽しみながら習熟させる。

 

~ 我々がハングル文字やアラビア文字の読み書きが難しいのと同じなので、漢字の読み書きが苦手な子どもを叱っても仕方ない~

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単純作業はAIが担う時代だから・・

2018年10月13・20日号の「週刊現代」の特集、「GAFAではもう当たり前『地頭格差』の時代」

IT評論家尾原和啓氏の言葉が印象的だった。

◆「いままでの日本企業では、解答が分かっている問題をいかに効率よく解決するかということが重要でした。だからこそ、『メイドインジャパン』が実現し、世界中から選ばれていたのです。

しかし、これからのIT,デジタルの世界は何が起こるかまったく分からない分野です。解答がある問題を早く解く能力よりも、課題を設定する能力、そしてその課題を解決する仮説を設定する能力が求められます。(中略)答えが分かっている単純作業はAIが担っていき、スキル価値はゼロになっていく。」

「どうしても、日本では記憶型の学問が重視される傾向が強い。しかし、地頭の良さとは、今までにない問題の解き方をどれだけ日常のなかでぐるぐると考え続けられるかで決まってくる。ただ勉強ができるだけではダメなのです。」

・・・「予測不能の社会」「正解のない時代」に突入したことは明らかだ。この記事を読んだときに、コロナ禍や東京オリンピック延期を誰が予想したか。

「記憶型の学問が重視される傾向」という方針は、「コロナの休校中に課せられたのが漢字・計算プリントばかり」と同じ意味だ。

◆「グーグルが一番大事にしている能力は何かというと、自分が解決可能な最大インパクトをもたらす課題を自ら設定し、それを解決するまでやり抜く能力なんです。そして、グーグルには課題を自ら見つけて解くことが面白くて仕方ない人たちが集まっています。」

・・・この部分を「ZERO TO ONE」と重ねた。これまでは欧米の開発したものを真似し、精錬させることで日本製品は評価されたが、これからは、既にあるモノの応用・転用でなく、全く新しいアイデアの創出が求められているからだ。

 でも、記事の本意はそこではなかったのだと今は思う。

【Googleの求める社員像】

①自分が解決可能な最大インパクトをもたらす課題を自ら設定する。

②解決するまでやり抜く。③課題を自ら見つけて解くことが面白くて仕方ない人。

【梶田叡一氏の求めるアクテイブ・ラーニングのポイント】

アクテイブな学習ということは、学習者が活発に動いているといった見た目の活動形態の問題でなく、「他人事ごと」でなく「自分ごと」として学ぶということであり、学習者が自分自身の中に内的必然性を持って学ぶということである。「面白いから」「大事だから」「やりがいがあるから」といった自我関与的な内発的動機付けによる学びを実現することと言ってもよいであろう。    季刊誌「理想」2020夏号P4

・・・何より問われているのは、「アクティブ=主体性」なのだ。

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二項対立を超えて

「ゼロ・100の思考ではよくない」という指摘を、よく聞く。なんでもAかBかで割り切ってしまうと、相手側の意見を切り捨てかねないからだ。この二項対立については、樋口雄一氏の「本物の思考力--口癖で鍛える論理の技術」にも詳しい。

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二項対立こそ論議の原型である

言うまでもなく、論理的で科学的思考の基本は、主体と客体、すなわち観察する自分と対象と明確に分けることだ。そうすることによって、人間は対象を自分から引き離して客観的に観察できるようになった。たとえ、自分の仲間であっても、たとえ、自分自身の肉体であっても、あるいは自分の内面であっても、それを1つの客体とみなして、観察できるようになった。(略) 「物事を2つにきっぱり分けて考えることによって、分析ができる。ある要素が存在するかしない存在しないか、真であるか偽であるか、好ましいか好ましくないかを明確にすることによって、現象を分析できる。「分析」とは「ある物事を分解して、それを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること」(広辞苑)なのであって、要素を分けて思考することを前提にしている。; ; そればかりではない。顕在・潜在、イエスノーを対置することによって、物事を一方的に見ないようになる。ある見方があれば、別の見方がある。賛成意見があれば、反対意見がある。あることを好む人間がいれば、好まない人間もいるということが明確になる。そして、ある意見を考えると別の意見の存在を前提としそれを考慮するようになる。 こうして、様々な二項対立によって、人間は分析し、厳密に思考し、自分の意見を持てるようになり、また多様な意見を考えるようになったのだ。20ページ

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・・・禅問答に代表される白黒をはっきりさせない東洋思想は、それはそれとして良さもあるが、対象を客観化できないという短所をもつ。

白黒はっきりさせないことと、相手の意見を尊重することは意味が違う。曖昧な日本人のスタンスを次のように批判する。

◆二元的に思考しないので、肯定と否定を配置しない。そうすると、議論もできない。ただ他者と同じような意見を持とうとするばかりで、自己主張もできない。分析も判断もできないことになる。22ページ

・・・これでは論理的思考ができない。そこが日本人の弱さだというのが樋口氏の主張だ。

◆ある行動をとるということは、二項対立のうちのどちらを選択するかということなのだ。したがって、何かが起こったとき、そこにはどのような二項対立が存在するかを考える必要がある。その行動、その現象は、二項対立のどちら側に位置するのか、あることが起こったということは、何が起こらなかったのいうことなのか、そのようなことを考えてみるわけだ。70ページ

・・・この二項対立の思考の延長上に決まり文句のパターンがある。それが「確かにAだ。だがしかしB」の論法だ。

◆「確かに〇〇の面からは好ましい。しかし、△ △の面からは好ましくない点がある」「これまでの延長線上で考えればイエスだが、将来のことを考えれば、ノーだ」「国内的にはイエスだが、国外のことを考えれば、ノーだ」というように使う。もちろん逆に「〇〇の面からは反対だが、△ △の面からは賛成だ」というパターンでもよい。こうすることで多面的に物事を考え、同時に多面的な見方のできる知性をアピールするわけだ。104ページ

・・・ただしイエスとノーの両方の意見を示すだけでなくどちらに賛成なのか、最後にはきちんと自分の立場を示す必要がある。 つまり、このような相手側の意見を想定する心構えがないと、ゼロ100の思考に陥ってしまうのだと思う。

 樋口氏はこの言い回しを単にロジカルだけでは捉えていない。「頭がいい人、悪い人の口癖」PHP新書の中で、次のように述べている。

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「確かに、おっしゃることはわかります。・・・しかし・・・」というように、相手の言い分をきちんと踏まえ、その正しさも理解した上で、自分の意見を言うとうまくいく。このような言い方であれば、目上の人に対する反対する場合も、相手の意見を尊重しているということを示し、警戒される事はないだろう。(中略); 反対意見を言っても、角が立つことがない。158ページ

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・・・相手のプライドを傷つけない言い回し、つまり「ロジック、ロゴス(論理)」だけではなく、「パトス(感情)」「エートス(信頼)」を加味したwinーwin の言い回しなのである

。 「二項対立」だから「ゼロ100」というのも、短絡的だ。 相手側の意見をしっかり想定するからこそ「二項対立」思考が威力を発揮するのだと思う。

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2文の違いを、はっきりさせる

A:私は息子と野菜を買った。

B:私は果物と野菜を買った。

この2文は「と」の意味が異なるので、日本語としては紛らわしい。

「私は、息子を買い、なおかつ野菜を買った」と受け止められたら笑い話だ。

しかし、現在の翻訳機では翻訳可能だ。ネットで翻訳すると、「with my son」 と 「fruits and vegetables」がちゃんと理解されている。(1)

【誰が】 買ったのかで、考えると

【私は息子と】 野菜を買った。

【私は】    果物と野菜 を買った。

になる。

(2)

読点で分けると、

私は息子と、 野菜を買った。

私は、      果物と野菜を買った。

になる。

(3)

【何を】買ったかで分けると

私は息子と 【 野菜】 を買った。

私は  【果物と野菜】 を買った。

になる。

(4)

誤解のないように言い換えると

私と息子は  野菜を 買った。

私は     果物と野菜を買った。

になる。

このような「文構造」の読み取り」の先に、「文章構造」の読み取りがある。

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汎用的な読解量のスキルアップを求めて

算数は教科書の内容をきちんと押さえる必要があるが、算数に比べ国語の授業内容は極めていい加減で、やってもやらなくても誰も困らないようなところがある。それは、指定された教材の読み取りに終始するあまり、汎用的な国語の力の読み取りが疎かになっているからだ。

国語の授業内容を厳選するにあたり、指針となるのは向山先生の主張だ。

「楽しい国語 授業の法則」より引用する。

◆私は「懇切丁寧」な文章の読みとりを指導したことがない。

たとえば、一段落ぐらいの文章の意味を調べ、解釈を加えていくという授業は、普通に見られることであろう。一段落が終了したら、次の段落へすすみ、全体の意味を把握させる。

  このような授業はどこにでも見られる。どの本にも書いてある。つまり、全国すみずみに行き渡っている国語の方法なのである。国語の授業の主流なのである。

 いわゆる「段落ごとに読みとる」というやつだ、全体ー部分ー全体の「三読法」とも言える。このような授業をしたことがないと言われる。

◆「あたり前の言葉を、あたり前の言葉に置きかえるだけの、表面をなぞるだけの国語の授業を私はしたことがない」とも言われる。

◆「わかりきったことをきく」「言葉の置き換えにすぎない」「思いついたままの感想を発表をする」という、フニャケタ国語の授業が、「国語嫌い」の子をつくってしまっている

・・・そして、「日常生活の中では身につけることができないことを学ばせたい」「自然に放置していては、決してできないことを教育したい」と主張する。内容は、著書の中で次々に紹介される。そこを引用したら際限がない。限られた時間の中で、上記のような指導をしている暇はないのだという点は、はっきりさせておきたい。キーワードは「汎用的な読みの力」である。

※一方で「授業時間が減ったから、漢字は家でやってらしゃい」という先生が現れることも危惧している。漢字を家庭学習に任せたら、出来る子と出来ない子の差が広がるばかりだ。

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「正しく恐れる」ためのリテラシースキル

2011年5月の雑誌WEDGEが出てきた。

東日本大震災を扱った1冊で、特集タイトルは「『想定外」を生き抜く力」。

◆岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの者たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。しかしそうではない。教育で子供たちが身に付けた対応力が「想定外」を乗り越えさせた。という片田敏孝氏の特集記事は「奇跡」という言葉は「思考停止」につながることを教えてくれた。いつか来る災害に備えて防災教育を重ねてきたからこそ、多くの学校で避難ができた。そのことを、今の「コロナ騒動」に置き換えたら、何が言えるだろうか。

(1)新型コロナウイルスについては、当初より「正しく恐れる」と言われてきたが、今は明らかに「正しく恐れる」を逸脱している。大半が無症状の感染者数なのに、連日の数の多さに大騒ぎしている。死者や重症患者の数で言えば熱中症の方が心配ではないか。

(2)今のような「コロナ騒動」を防ぐには「情報リテラシー」が必要である。

  「正しく恐れる」ができないのは、「ペスト流行」や「魔女狩り」まで遡るから、日本だけの問題ではないし、今に始まったことではない。動物は噂に惑わされないから、これは人間にとって極めて根源的な問題なのだろう。今回だって、マスク、トイレットペーパー、ヨードうがい薬が品切れになっており、いかに情報リテラシーが欠けているかがよく分かる。

(3)ネットでは「芸能人のコメントはいらないから専門家の見解を聞きたい」とか「こういう(逆の)意見があることをマスコミはきちんと流すべきだ」というコメントがある。マスコミの報じ方がバランスを欠いているのだから、我々は自衛策を取らねばならない。 先の「WEDGE」には「ハザードマップを信じるな」とも書いてある。P33

◆防災教育の総仕上げとして子どもや親に教えた事は、端的に言うと「ハザードマップを信じるな」ということだ。ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオに過ぎない。最後は、自分で状況判断し行動し、行動することの大切さを伝えたかった。

・・・トレースしたら「マスコミ報道を信じるな」となる。マスコミの情報に惑わされるのも自己責任だが、少なくとも芸能人コメンテーターの言葉を疑ってかかる世の中でありたい。

(4)だからこそ、教育の重要さ(批判的思考力の重要さ)が問われている。「教科書や資料集、教師の言うこというが全て正しい」などと教えてはならないし、重要な話題については多面的に情報を収集する習慣を教えねばならない。

WEDGEには、次のような記述もある。P33

◆どれだけハード整備しても、その想定を超える災害が起きる。最後に頼れるのは、一人一人が持つ社会対応力であり、それは教育によって高めることができる。「教科書だってあてにならないぞ」という小さい頃の体験があれば、テレビや新聞の報道もちゃんと疑ってかかることができる。「正しく恐れる」が可能になる。

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超入門でも難しい「現代文学理論講座」

「超入門! 現代文学理論講座」亀井秀雄監修 蓼沼正美著 ちくまプライマリー 2015

表紙裏に次のコピーがある。

◆作者は作品を支配する神ではない。作者と作品を切り離して読んでみよう。テキストと向き合うことで生まれる文学作品との新しい出会いは、今まで経験したことがないスリリングでクールな読書体験となるでしょう。

・・・川崎寿彦氏の「分析批評入門」の冒頭だっただろうか、「無人島読み」と「図書館読み」という表現があって納得した記憶が蘇る。 

分析批評に関わった教師にとって作品を作者と切り離すのはごく普通だが、かつての「主題」指導は、「作者の意図」を探ることであった。

 テキストから得られる情報だけで作品を味わおうというのが「無人島読み」のスタンスだ。作者の生い立ちや時代背景などは、一通り授業を終えた後に追加の情報として提示すれば良い。

さて、超入門の第一講は、「ロシアフォルマリズム」。

◆ある言語の組み合わせによることばの連なりがあった時に、それ以外のことに関心を向けない。谷川俊太郎の詩であれば、詩の外にあること、例えば彼の人生がどうであったとか、その時の社会的背景がどういうものであってとかいうことは、研究の対象とせず、ことばそのもの、あるいは詩の形式そのものに注目をしていったのです。フィルマリスト=形式主義者という呼称も、そこからきているわけです。p27 /28

・・・先の「無人島読み」が基本であることを強調している。詩を読むのに、作者の人生を対象にしないことは納得できる。しかし、谷川俊太郎のことばあそびうた「いるか」で、「イルカは何頭いますか?」という問いについての見解を読むと、すんなり肯定できない。

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 谷川はこの詩が小学校で扱われた時、国語の先生が子どもたちに向かって、「さあ、この詩の中にイルカは何頭いるでしょうか?」と質問したと聞いて、思わず苦笑いしてしまったそうです。それはこの質問が、全くの的外れだったからです。谷川がこの詩で試みようとしたことは、「ことばの外にあるもの」を無化して、純粋にことばだけで詩を書いてみたなら、その時ことばは(あるいは詩は)どんな表情を見せてくれるのか、おそらくそういう大変ユニークなことばの実験だったはずです。ところがこの先生に限らず、多くの国語の先生たちは、いつも変わらず「ことばの外」に立って授業をしてしまう。p32

 つまり「いるか」ということばは、あの水族館で見かける大変賢いパフォーマーの「イルカ」を意味し、それがこの詩の中にはいっぱい隠されている。だからみんなでそれをしっかりと詩の外に引っ張り出してみましょうということになります。多分そういう授業は、子供たちが「あっ、ここにいた」「ここにもいた」と大喜びをして、まさに活気にあふれた雰囲気で盛り上がっていくことと思います。しかし、この「活気」は、谷川がこの詩で試みようとしたことが全く活かされず、それどころかことばの持つ豊かな働きを閉ざしてしまうようにして成り立っている。p33

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・・・「ロシアフォルマリズム」が、作者の意図から離れて自由に読めばいいのだとしたら、授業を見た作者が苦笑いするかどうかは無関係だ。併せて言えば、引用した筆者の主張は、文末が「はずです」とあるから、谷川氏の思惑の推測していると読める。

 そもそも、私がイメージする「いるか」の授業は、正解となる読み方を1つに決めているわけではなく、多様な解釈を促している。

 イルカが何頭かという個々の子どもの読みの解釈は、谷川俊太郎の思惑からも、授業者の解釈からも、この筆者の推測からも自由であってよい。

 もちろん筆者の見た授業が、教師の「イルカ」の解釈をたった一つの正解とするものなら、私も反対だが、先の引用部だけでは、実のところよく分からない。

 「イルカ」と「いるか」で言葉遊びをしている詩なのだから、「イルカ」「いるか」を意識して読ませることはそんなに間違っているだろうか? 「いるか、 いるか」の読み方は「イルカ」と「いるか」の組み合わせだから4通りある。

「僕はイルカが5頭いると読んだけど、8頭とも読めるのか」と大喜びすることがそんなに間違っているだろうか?

 作者の人生が「ことばの外」であることは私にも分かる。しかし、「いるか」を「イルカ」と読む行為まで「言葉の外」とする意味がわからない。

 超入門の一冊を理解できない自分の読解力も悪いと思うが、もう少し丁寧に書いて欲しかった。

 しかし、このブログも難しくなってしまいました。反省しています。

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September 29, 2025

教師が指導性を発揮することは悪いことなのか?

近年、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」の実践研究の中で、特定の単元の中で教材や学ぶベース・学ぶ場所などを子供が選択できるような授業の進め方の研究も盛んに行われています。そうした中で、「教師が教えるのは悪いことだ」「子供に全て委ねればうまくいく」といった主張と、「教師がしっかり教えるべきだ」「特に学習に困難を抱えている子供に力を付けるためには教師主導の一斉指導や子供全員による練り上げ型授業が大切だ」といった主張が、対立するような場面も見られています。

しかし、教師の力量・特性や、子供たちの現状、教科や単元の特性などを踏まえてどのような学習方法が適切なのかは場面によって変わりますし、子供が主体的に学習を進める形態であっても、教師主導の一斉指導の形態であっても、子供の資質・能力の育成につながる場合とそうでない場合があります。

どちらの手法が無条件により適切か、という二項対立ではなく、「主体的・対話的で深い学び」の実現を通じて、これからの社会で求められる「資質・能力」の育成を図るという学習指導要領の目指すものを、多様な特性を有する全ての子供で実現していくことができるようにしようという出発点に立ち戻って議論を行っていくことが必要です。

どのような教え方を選択した場合においても、上記の目的を達成するためには、教師による子供の丁寧な見取りや、内容や時間のまとまりを見通した授業づくりを通じた学習過程と学習環境の丁寧な設計等、様々な点において教師が力をつけ、指導性を発揮し、取組を進化・成熟させていく必要があります。特定の方法への過度な依存や、安易な責任放棄に陥らない姿勢が求められています。

 文科省「みるみる」P15

・・・教育書が売れなくなった時代と言われるが、文科省が「みるみる」のような書籍を作詞したり、教育DXの動画サイトを作成していて、とてお参考になる。ただし、どれだけの教員が活用しているかは疑問。自分も十分に活用できていないのが現状だ。

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教えすぎないための「探究型」

 学級によっては、黒板に、探究型のサイクルが掲示してある。

 【課題の提示】

ー【情報収集】

ー【整理・分析】

ー【まとめ・表現】

 そうか、教師の一問一答で単調な授業になるのは、【情報収集】の時間を明確に子供に任せていないからだ。

【情報収集】で5分から10分、個々で探究をさせたあと

【整理分析】に入ります、と言って、各自で整理分析させたり、全体の意見交換で整理分析させたりすれば「教えすぎ」を回避できる。

探究のサイクルで、教師の出番をきちんと制限することが大事なのだ(違うかもしれません)。

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「教えないで考えさせる授業」の呪縛

「教えて考えさせる授業をつくる」市川伸一著

~基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計~(図書文化)2008年初版

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◆「教えずに考えさせる授業」がよいものだとする考えは、特に小学校を中心に、実に全国津々浦々、教科教育研究者、文部省教科調査官、教育委員会指導主事などを通じて学校現場に広められていたということです。研究授業や教科書の指導書などでも、それが前提のように扱われていることがほとんどです。p5 

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  文科省の本意とは違っていても、「教えない授業」が先進的な取り組みとして扱われてきた。

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◆1990年代のいわゆる「ゆとり教育」を通じて、しだいに「教師はあまり教えずに、子供に考えさせるのがよい授業である」とみなされる傾向が強まってきました。当時の教育界のキーワードとして、「指導より支援」「子ども主体」「問題解決」などがありました。P3

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とある。

 ただし、法則化運動にどっぷりつかっていた私は、こうした「子供任せ」の流れに染まらなかった。向山代表は「問題解決型の算数」を徹底的に批判していた。野口芳宏先生も「活動あって指導なし」の授業を厳しく批判していた。基礎学力を保障していないからだ。

 自分自身も「確かな学力形成」「教師の授業力・指導力」「誰一人取り残さない」の方が大事だと思っていたから「できる子」だけが活躍する問題解決学習に興味はなかった。

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◆本来「問題解決」をめざした授業のはずが、実際には問題解決とはほど遠い結果に終わるようなことが多く、定着もよくありません。つまり、「教科書に書いてあるようなことを、自力発見させよう」という授業は、そこにすらたどりつけず、基礎的内容が理解できないこどもが大量に生まれやすいのです。p9

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・・・「自力発見」に安易に期待する初任者の授業は、明らかに「そこにすらたどつけない落ちこぼし」を作っている。

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◆1990年代の教育界の混乱の1つは、「習得」と「探究」ということを区別せずに、本来ならすべての子どもたちに習得させたい基礎基本を、探究型のやりかたで自力発見、自力解決させようとしすぎたことにあると私は考えています。P123

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 市川氏の言葉は、現場の混乱と「問題解決学習(探究型学習)」の欠点をよく表している。

 ただし、

 昨日の初任者の社会科の探究型授業は、「先生が教えてくれないから、自分で情報を探すしかない」という覚悟を子供に持たせていた。そのような「手放す授業の良さ」もよく分かる。そこにチャレンジする先生を全否定はしない。

 教えすぎる授業を見ると、「もう少し子供に任せてみたら?」と思う。

 任せすぎる授業を見ると、「もう少しちゃんと教えたら?」と思う。

 要は「バランスの問題」なのだが、自分の中でも、いつまでもモヤモヤが残っている。どの程度教え、どの程度任せるかの判断が恣意的では、単なるイチャモンにしかならないからだ。

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自分も「教えすぎる教師」だったから、よく分かる

ある国語の授業を参観。

「ここだけは確実に読み取ってほしい」という思いが強すぎるので、授業を仕切りすぎて、子供が受け身になっていた。

いろいろ子供に発言させるけれども、最後は教師が解説して正誤の判断を下す形になる。

これは、まさにかつての自分の悪い癖だった。

全部を子供に任せてしまえば、読みの浅いまま根拠のない発言が繰り返される。

「教えすぎず・任せすぎず」のバランスは難しいが、とりわけ、教師の得意分野・専門分野は、どうしても「ここまでは教えたい」という思いが強くなってしまうので注意が必要である。

参観した授業は【どうしても押さえたい部分を質問し、挙手発言で、正誤を説明する】という形を繰り返していた。

これでは教師の出番が多くなるので「教えすぎ・説明しすぎ・誘導しすぎ」になりやすい。ああ、自分の国語の授業もこんな形だったなあ。

射程距離の広い発問を出して、各自考えさせる時間をとって、班で話し合い、順番に発表し、再度子供たちに意見交換させる・・・このような形で少しでも子供主体の要素を加味させたい。

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「教える」と「任せる」の無限ループ

「教えると任せる(教えすぎと任せすぎ)でグルグルしている。

昨年10月、野口芳宏氏の学習会に参観する前に書いていたことは、先日発信したことと変わっていない。その変わりなさに我ながらガッカリしてしまった。

一部、修正して提示する。

◆◆◆

野口先生は次のように発言している。

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子供の本質ってのは無知未熟。それが本質だっていうのが私の考え。だから教えなくちゃならないし、否定して直さなくちゃいけないし、そうして導かなければ本物にはなれない。

「教室ツーウエイNEXT」No21 2024年1月 P13

特集「教師が教える」から「子供の学び」へ どうする路線転換

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相変わらずの「野口節」だ。

同じ対談の中で、長谷川博之氏が野口氏の指導観について、次のように述べている。

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野口先生のお言葉だと、「答えを限定し、正誤を明らかにする指導」が重要なんだということです。これが自信を持って先生方になかなか言えなかったりする部分は多いです。何でもありの授業で「活動あって指導なし」となってしまっています。P14

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世間一般にとっての2000年のPISAショックは「読解力低下」だったが、国語教師にとっては、「AでもBでも、どちらでもいいから論拠を述べよ」という落書き問題が驚きだった。

自分なりの理由があればAでもBでも許容されるのだから、「何を主張するか」の内容面よりも、「どう書くか」の方法面の指導が主流になった。内容面に踏み込むと教師の解釈の押し付けと批判されてしまうからだ。

「読みの浅さ」「思考の浅さ」「比較検討の甘さ(独善性)」を指摘し、訂正させる教師が減った。それは 「子供一人一人の読みを大切にする」という甘い言葉に惑わされてしまったとも言える。

「正誤を明らかにしない授業」「『否定』のない授業」は、「鍛える」の役割を失っている。

「向上的変容」のない1時間、「活動あって指導なし」の1時間ではいけない。

「みんな違って、みんないい」の仲良しごっこではいけない。

振り子の揺り戻しはない(時代に逆行しない)と言われるが、「教えなきゃいけない・鍛えなきゃいけない」という野口氏の主張は今なお傾聴に値する。

◆◆◆

ちょっと別の話題になるが、イチローが次のように語っていたことがある(私の要約)。

◇今はスポーツの世界でも「厳しく教わる(鍛えられる)」が難しい時代になった。だから自分で自分を鍛えるしかないが、それは「教えられる」より、はるかに難しい。

自分で自分を律するのは難しい。

だから、いくら学校の授業で「自主性」を尊重しても、自律が不安な家庭は学習塾で詰め込んでもらおうとする。

「学校で教えてもらわないから、学習塾で補う」という事態では「教えない授業」を推進している意味がなくなる。

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教えないで気づかせる技術

「子供科学相談室」というラジオ番組があって、ある日、次のようなやりとりがあったそうだ。

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子供「アリ地獄はどうやって作られるのですか」

先生「あなたは実際にアリ地獄を見たことがあります?」

子供「はい見たことがあります。」

先生「そう、だったらね、今、私がとやかく言うよりも、あなた自身の目でそれを確かめてごらん。何でもないようだけど、きっとあなたは、ううん、って驚くと思うな。」

そして用意する砂は細かなものであること、幼虫を真ん中にそっと置くことなどの注意が添えられた。

先生「きっと素晴らしい発見になると思うよ。ぜひやってごらん。」

子供「分かりました。ぜひ、やってみます」

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・・・・この様子を紹介する新聞コラムには次のような解説があった。

◆◆◆

 あの場で教えてしまえば、ああそうか、で終わってしまうものを、先生は自分の目で確かめさせようとしている。 

 つまり、先生はその質問に対しながら、決して答えようとせず、子供に科学的な値打ちを与え、あるいはそれに気づかせようとしている。理科の領域としては当然だろうが、私には、教育の根源がそこにあることの認識に迫られる。

◆◆◆

・・・これはまさに「教えないことの大切さ、気づかせることの大切さ」を主張している。

  「わかりやすく教えよう・丁寧に説明しよう」という気持ちだけではこのような対応はできない。

 気づかせたい内容・発見させたい内容までも教えてしまってはいけない。しかし、だからと言って「教えない」指導が全て素晴らしいと言いたいわけではない。

 先の例では、「やり方(方法)は教えて、「発見」は子供に任せている。「手柄を子供に取らせている」と言ってもいい。

 「教える・教えない」は、ゼロか100かではない。押したり弾いたりの絶妙なバランスが大事で、そこが教師の「腕」なのだ。

 引用したコラムは1990年9月5日の中日新聞。タイトルは「ラジオの中の先生」である。

 「教えすぎない・任せすぎない」という課題は、私だけでなく、世の中の教育談義でも、昭和からずっと問われてきたことなのだということが分かる。

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September 20, 2025

プレゼン能力をアップしたい!

「プレゼンのスライド1枚1枚について深く語れる奥行きの深い人になりたいです。 自分は見栄を張って借り物の情報でスライドを作成するので、示してある以上のことを語れません。」

とChatGPTに呟いてみたら、濃密な回答があった。言葉足らずの自分の呟きの真意をしっかり汲んでくれた。

「自分の中に落とし込めていない情報」って、そうそう、、そういうことを言いたかったんです!

◆なぜ「借り物の情報」になってしまうのか?

まず、見栄を張ってしまうという点について。これは決してあなた一人の問題ではなく、多くの人が「よく見られたい」「優秀に思われたい」と思って、スライドを格好よく作ろうとします。でも、それが「自分の中に落とし込めていない情報」だと、プレゼンのときに深く語れないのは当然なんです。

・・・この続きをそのまま引用したら、借り物そのままなので、再構成してみた。項目は、ChatGPTによる。

1. 「調べる」ではなく「掘る」

 調べた内容を、自分なりの言葉で価値づけや意味づけをする。引用のためも引用でなく自分の主張を補助するための資料(自分の視点・自分の経験を潜らせた主張)という位置付けを大事にする。

 2. 自分の土台(基礎知識)を強化する・・ここはAIのおっしゃる通りなので、そのまま引用する

借り物の情報しか出てこないと感じるとき、それは「背景の理解」が薄いことが多いです。たとえば「AIのトレンド」について語るなら、機械学習の基本・ビジネスでの文脈・倫理的な議論といった基盤の勉強が必要です。

 スライドを「話すための資料」ではなく、「考えた結果の副産物」とする。

3. 作る前に「語れる内容」から考える

**** 「So What?(それで何?)」と言われるような、自分の主張のないスライドにするなということ。

4. 小さくアウトプットして試す

・・・授業中の子どもたちの相互交流は「試しに話してみる=小さなアウトプット」。

だから、せっかくの交流の時間に1人で黙々と作業している子は、小さなアウトプットが足りないから自己満足にとどまってしまう可能性がある。「最初から完璧を目指さない」と言えるかもしれない。

5. 「語れないこと」は素直に認める

・・・突っ込まれたら困るような未消化な部分を引用しない。

 例えば次のようなスライドの構成を少し変える練習をしてみる。

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スライドの左側:引用やデータ

スライドの右側:自分の考察や実感

視覚的に分けることで、聞き手も「これは事実、これは語り手の視点」と明確に理解できます。

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・・・こんなことをしたら、引用だらけで自分の考察がないことが明らかになる。

でも、このような作業を通して「インプット」と「アウトプット」を区別して、自分の主張を明確にしたい。

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September 17, 2025

「やりがい搾取」と言われないアドバイスは?

私はベテラン教師です。自分では教師は「苦しいけれどやりがいがある仕事」「やればやっただけ感謝される仕事」と思っています。でも、その価値を押し付けると、今は「やりがい搾取」と非難されてしまいます。結局このような価値は、他人から教わるのではなく、自分で気づいてもらうしかないのでしょうか?

ChatGPT:

とても深いご問いかけですね。
ベテラン教師として、仕事の本質や価値を経験から深く理解されていることが伝わってきます。そして、その価値観が今の時代にどう受け止められるかに戸惑いや葛藤を感じておられるのだと思います。

■「やりがい」は、押しつければ「搾取」になりうる

現代の教育現場では、「やりがい」という言葉が裏目に出ることもあります。背景には、労働環境の過酷さや長時間労働が常態化している中で、「やりがいがあるから我慢しろ」という論調が、働き手に過度な負担を強いてきた歴史があります。そのため、特に若い世代の教師は敏感になっています。

■「やりがい」は、外から与えられるものではなく、内から芽生えるもの

おっしゃるとおり、やりがいは「自分で気づくもの」「経験の中で見つけるもの」です。ベテランの教師がどれほど情熱的に語っても、現場での小さな成功体験や生徒とのやりとりを通して、本人が実感しない限り、それは「絵空事」に聞こえてしまうこともあります。

■伝えるべきは「価値観」よりも「問い」

だからこそ、今必要なのは、やりがいの価値を「教える」ことよりも、「問いかける」ことかもしれません。

たとえば:

  • 「この子が笑顔を見せたとき、どんな気持ちになった?」
  • 「あの生徒が成長したとき、自分の中で何が動いた?」

こうした問いかけを通して、相手自身が気づく「やりがい」は、決して搾取ではなく「意味」になるのだと思います。

■ベテランの役割は、「価値の押し付け」ではなく「価値に気づける場づくり」

あなたのような経験豊かな教師がいてくださることは、若手にとっても大きな支えです。ただし今は「何を語るか」よりも「どう聴くか」「どう寄り添うか」がより求められる時代かもしれません。

価値は教えられない。でも、価値に出会う場はつくれる。

それが、今のベテラン教師にできる最も尊いことの一つかもしれません。

何かのヒントになれば幸いです。

(以上)

・・・いちいち見事だなー。名言だらけじゃん!

教室は「価値を押し付ける」のではなく「価値に気付ける場づくり」でありたい

 

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「振り返り」のあり方を考えることは、授業のあり方を考えること(2)

「まんがで知るデジタルの学び」前田康裕(さくら社

まんがの中の記述部分を引用するのは難しいが・・

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今までよく行われてきた「教師が教える授業」も必要だとは思います。

しかし、それだけでは、テストで良い点数が取れても自分で学習する力は育ちにくいと言えるのではないでしょうか。

【教師が教える授業】・・挙手できる子の発言だけで展開する授業・教師の解説だけで展開す授業。

【子どもが学びとる授業】・・「めあて」と「対話」と「振り返り」を重視します。

========

 だから、ICTを使うことを目的にするのでなく、ICTを学習の道具として、主体的に学ぶ力を育てることを目的としている。

①課題を発見する力 ②情報を収集する力 ③批判的にし思考する力

④効果的に表現する力 ⑤振り返って自分の経験から学ぶ力。

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 学習の目的が与えられた知識を覚えるだけだと、子どもたちは学びに意味を見いだすことができず、自分で情報を集める意欲は高まらない。

 逆にわくわくするような目的であれば子どもたちは学びに意味を見出し、学校だけではなく家でも情報を集めるようになり、学習は主体的になってゆく。

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・・・これまでの教室が「教師がいなければ学べない子そもを育てていたかもしれない、ということで悪しき一斉授業の例を挙げている。

◆挙手できる子どもの発言だけで展開する授業

◆子どもの発言を聞きながら教師によって美しくまとめらえる板書

◆黒板に書かれたことを黙ってノートに写す子どもたち

◆教師によるまとめの提示

https://toyokeizai.net/articles/-/536904

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「振り返り」のあり方を考えることは、授業のあり方を考えること(1)

毎時間の授業の「振り返り」の質を考えることは、毎時間の授業の質を考えること。

薄っぺらな授業で、深い振り返りが書けるはずがない。

復習の形で、書籍にあたる。

「まんがで知るデジタルの学び」前田康裕(さくら社)

OECDのアンドレス・シュライヒャーの言葉を一部引用すると

◆もし生徒がグーグルで調べた回答を答案用紙に書き写すだけならば、従来の教授法よりも効果的な学習とは呼ばない。

・・・そりゃあ、教えずに任せるだけの時間では、授業とは呼べない。はい回るわけで学力がつくはずはない。

しかし、だからといって、「全部教え込む」では困る。教えると任せるのバランスは実に難しい。

最近は言われなくなったが「タブレット活用を目的とした授業」では困るので、「何を・何のために・どのように」を明確に授業計画を立てねばならない。

で、たとえば「振り返りシート」には、次のチェックを入れて返す。

◆もっと書こう  ◆理由を書いて  ◆何を学んだの?

◆次の課題は?  ◆がんばって!  ◆伸びてます!

◆よい自己評価  ◆すばらしい!

振り返りを書く子供たちは、この項目でチェックされることが分かっているから、これらの項目を「注意点」としてシートを記入する。

教師よりも自己判断が甘い子もいるだろうが、先生は自分の評価に自信をもって、チェックしてあげればいい。

https://toyokeizai.net/articles/-/536904

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September 16, 2025

5×4+3=23 の計算はいつ習うのか?

生成AIを信じていないから、しつこく尋ねる。

 ◆小学校3年生の「あまりのある割り算」の確かめ算で、5×4+3=23のような立式を扱っていた。

あれ?

このような混合式って、ここで初めて習うのかな?

足し算掛け算の混合問題を2・3年生の算数の教科書(啓林館)で探しても見当たらない。

そこで、今日はcopilotに尋ねてみた。

Q:小学校算数で足し算と掛け算の混合問題は、何学年で学びますか?

 

小学校の算数で「足し算と掛け算の混合問題(四則混合)」を学ぶタイミングは、学年が進むにつれて段階的に導入されます。以下にざっくりとした流れをまとめます:

 学年別の学習内容

学年

主な内容

混合問題の扱い

小学1年生

足し算・引き算の基礎

混合はほぼなし

小学2年生

掛け算(九九)を習得

足し算+掛け算の簡単な混合問題が登場

小学3年生

割り算の導入・筆算

四則混合の基礎が始まる

小学4年生以降

計算の順序・かっこ付きの式

本格的な混合問題(+−×÷)を扱う

  特に小学2年生で掛け算を習い始めるため、足し算と掛け算の混合問題は2年生から登場します。ただし、計算の順序やかっこの使い方など、より複雑な混合問題は3年生以降に本格的に学びます。

 もしお子さんの学習サポートをされているなら、2年生では「九九の定着+簡単な文章問題」、3年生以降では「計算の順序ルール」を意識すると効果的ですよ。

 

Q:足し算+掛け算の簡単な混合問題とは?

  小学2年生で扱う「足し算+掛け算の簡単な混合問題」とは、計算の順序を意識しながら複数の演算を組み合わせて解く問題のことです。まだ割り算や複雑な式は出てこないので、基本は九九と足し算を使ったシンプルな構成になります。

 例題で見てみましょう!

3 × 2 4 = ?
まず掛け算(3×26)、次に足し算(6410

5 2 × 4 = ?
計算の順序に注意!
掛け算(2×48足し算(5813

32× 4 = ?
かっこがある場合は、かっこから計算
325掛け算(5×420

 こうした問題は、九九の理解が進んだタイミングで導入され、計算の順序(掛け算が先)を自然に身につける練習になります。

  文章問題の例もあります:

 りんごが3こずつ入った袋が2ふくろあります。さらに4こりんごをもらいました。ぜんぶでなんこありますか?
式:3 × 2 4 = 10

 このように、日常の場面を使った文章問題で混合計算を学ぶことも多いです。

 もっと練習問題が欲しければ、無料プリント教材もありますよ。たとえば おうち学習キッズの算数プリントでは、2年生向けの混合問題も掲載されています。必要なら、オリジナルの練習問題も作ってみましょうか?

 

 Q:りんごが3こずつ入った袋が2ふくろあります。さらに4こりんごをもらいました。ぜんぶでなんこありますか? → 式:3 × 2 + 4 = 10 

といった問題を小学校2年生の教科書で見かけません。本当ですか?

  とても鋭いご指摘です!

 実際、小学校2年生の教科書(文部科学省検定済)では、「3 × 2 4 = 10」のような足し算と掛け算の混合問題は、明確には掲載されていないことが多いです。以下に理由と背景を整理してみますね。

  教科書での扱い:なぜ見かけないのか?

 2年生では「掛け算の意味と九九」が中心 

  → こずつあるとき、ぜんぶでいくつ?」という掛け算単独の文章問題が主流です。

  計算の順序(×が+より先)というルールは未習 

  → 混合計算を扱うには「計算の順序」や「かっこ」の理解が必要ですが、これは3年生以降で学習します。

  教科書は段階的に構成されている

  → 2年生では「掛け算の意味理解」と「九九の定着」が目的で、混合問題は発展的な内容とされ、教科書には載っていないことが一般的です。

 ---

では、なぜ混合問題が出回っているのか?

 市販のドリルや家庭学習教材では登場

  → 例えば「おうち学習キッズ」や「Z会」などの教材では、九九の応用として混合問題が出題されることがあります。

 先取り学習や応用力強化のため 

  → 教科書には載っていなくても、理解が進んだ子ども向けに「足し算+掛け算」の問題が使われることがあります。

 結論

  「3 × 2 4 = 10」のような混合問題は、小学校2年生の教科書には基本的に掲載されていません。ただし、家庭学習や市販教材では応用問題として登場することがあるため、見かける機会はあるのです。

  もし「教科書に載っていないのに塾やプリントで出てきた…」と感じていたら、それはまさに発展的な学習をしている証拠です。お子さんの理解度に合わせて、無理なく進めるのがベストですね。

  必要なら、2年生の教科書に準拠した問題と、発展問題の違いを整理したプリントも作れますよ!

 

 Q:小学校3年生の「あまりのある割り算」の確かめ算で、5×4+3=23のような立式を習います。このような混合式の指導がここで初めてなら、きちんと確認しなければいけないと感じています。

 おっしゃる通りです。小学校3年生で「あまりのある割り算」の確かめ算として登場する「5×4323」のような混合式の立式は、子どもたちにとって初めて本格的に「計算の順序」を意識する場面になります。ここでの指導は非常に重要です。

 なぜこのタイミングが重要なのか?

  • 混合式の意味理解が必要になる
    「商 × わる数 + あまり = わられる数」という構造は、単なる計算ではなく数量関係の理解が求められます。
  • 計算の順序(×が+より先)を初めて意識する場面
    それまでの学習では、足し算・引き算・掛け算を単独で扱ってきたため、混合式の順序ルールはここで初めて登場します。
  • 文章題とのつながりが深い
    例えば「23枚の色紙を1人に6枚ずつ配ると何人に配れて何枚余るか?」という問題では、23 ÷ 6 = 3 あまり 56×3523という確かめ式が必要になります。

教師の指導ポイント

  • 式の意味を図や具体物で説明する
    6枚が3人分で18、あまりの5を足して23になる」というように、視覚的・体験的な理解を促すことが大切です。
  • 確かめ算の目的を明確にする
    「答えが合っているかどうかを確認するための式」として、目的意識を持たせることで、ただの計算ではなく論理的思考につながります。
  • 計算の順序を丁寧に扱う
    「掛け算が先、次に足し算」というルールを、式の構造と意味の両面から指導する必要があります。

結論

 この「5×4323」のような混合式は、小学校3年生で初めて本格的に扱う重要な内容です。だからこそ、単なる計算練習ではなく、数量関係・式の意味・計算の順序をしっかり確認しながら指導することが不可欠です。

ご指摘のように、「ここで初めてなら、きちんと確認すべき」という姿勢は、まさに算数教育の本質を突いています。必要であれば、図解付きの説明プリントや、子どもが自分で確かめ算を作れるような練習問題もご提案できますよ。

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September 15, 2025

NHK for school 「太陽光発電の問題点」

動画の最後は,メガソーラーの計画見直しを実現させた例を取り上げて

「クリーンエネルギーっていうのがCO2を吸収する森林を伐採して、そこに施設を作るということ自体が本末転倒。」

という地域の方の言葉を紹介し,

環境に優しいエネルギーと言われる太陽発電。しかしその設置場所や規模などを検討しないと環境に大きな影響を与えてしまうこともあるのです。

と結んでいる。

その通り。もっとニュースでも強調してほしい。

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005320584_00000

 

ちなみに、96日放送の「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」では、元通産省官僚の石川和男氏が、再エネ賦課金・メガソーラー・パネルリサイクルの問題点を挙げていた。

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September 12, 2025

教師の価値づけが大事

◆何より重要なのは、子どもたちの考えを発表させるだけで終わるのではなく、それを教師が意味付けたり整理したりし、子供たちが確認できるようにするということです。そうすることで初めて、子どもたちは出てきた考えのどこが違うのか、なぜ違うのかということを考えることができるんだと思うんです。

「国語教育相談室小学校75」P5 高木まさし氏の論稿

https://assets.mitsumura-tosho.co.jp/2116/7534/4988/kouhoushi_s7502.pdf

・・なるほど。

A:「 今日の授業では、ナンバリングによる意見の言い方がわかりやすくてよかったね。」

B:「今日の授業では、『確かに〜だけど、〜」という反論の仕方が分かりやすくてよかったね。」

のように技術的な指摘をきちんと加えるから指導になる。

 高木まさし氏の指摘を借りれば、次のような助言もアリだ。

C:「 今日の授業では、論理的であるために重要なのは、完全で正確な表現かどうかではなくわかりやすく納得できる表現かどうかだということが分かったね」

 このような教師の総括・総評がない授業は、「活動あって指導なし」の授業になりやすい。

 だから、最後に「振り返り」を書かせて終わる授業スタイルにモヤモヤしてしまうのだ。

 多分、振り返りの理想論者は上記のABCのような内容を、教師が総括するのではなく、子供自身の言葉で振り返りの中で書かせたい(言語化させたい)のだと思う。

 直接言わないけども、子供に気づかせたい・書かせたいという間接指導(暗黙の了解)がすごくまどろっこしいのだ。

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September 09, 2025

探究的な学習を、はい回らせてはいけない。

 調べ学習や話し合い、実験観察や製作などの作業をさせていれば、子供は「黙って先生の話を聞いている」だけの授業より主体的に学べるので、達成感は大きい。

 しかし「何を学ぶための時間だったか」「本時でどのような学力をつけさせたのか」の成果の把握があいまいだと「活動あって学びなし」とか「結局、何の力もつけていない」との批判を受けてしまう。

 4年社会科の「災害から学ぶ」の単元では、教科書に「まとめの活動にことばを生かそう」として【自然災害・公助・地域防災計画・共助・自助】が挙げられていた。

 各自の調べ学習に、このような指定ワードを設定すれば、学習させたい最低レベルはクリアできる。

 個別の学習が「はいまわる」にならないためには、ルーブリックで最低ラインを下支えする必要がある。

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September 04, 2025

地域学習について家庭の協力をどうお願いするか。

「おばあちゃんの家に行ってきた」「遊園地に行ってきた」と言いに来る子に、何県か・何市かを聞くと答えられないことが多い。

子どもたちは行き先に関心はあっても、その地の県名や地名、そこに行くまでの交通手段には関心がない。

そこを何とかし興味関心をもたせるのが3年4年の社会科の学習。

出かけた先の県名や交通手段まで言えるようにするには、家庭の協力が必要になる。

とはいえ、家庭への協力がエスカレートすると、GWや夏休みに「北海道に行った」「沖縄に行った」のような自慢合戦にって、旅行に行けなかった子供が辛い思いをする。それも困る。

学校ではみんなの前で旅行先を自慢するような機会はないかもしれない。でも家族の中で「〇〇県に行った」「名神高速道路に乗った」「JR東海道本線に乗った」「スーパーで愛知県産のキャベツを買った」のような地理的な話題が出るようになるとありがたい(特に3年生はスーパーマーケットの探検も学習内容になっている)

写真を撮ったり、パンフレットを集めたりする活動に協力していただけるとありがたい。

テレビの「博士ちゃん」で子供たちが猛烈に探究しているのは家庭の理解と協力があってこそである。

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まとめの感想=授業記録(「ごんぎつね」の場合)

 単元の最後に感想を書かせるとは、何をどう書かせることなのか。

 かつて、次のような内容で「ごんぎつね」の授業を進め、ノートのメモ書きを参考に、単元最後にまとめの感想を書かせたことがある。

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1)題を見て、読む前に予想した内容   

2)あらすじ

3)各場面の感想     

4)何度も読んでの感想 

5)一番印象に残った場面  

6)自分が音読した場面・音読発表の感想

7)ごんは気づかれたかったのか・気づかれたくなかったのか

8)最後は「よかった話」のか「ざんねんな話」なのか。

9)残念な最後にならないためには、どうすればよかったのか。

10)この話の続き

11)「手ぶくろを買いに」との比較

12)「サーカスのライオン」との比較

13)授業の感想(がんばったこと・もりあがった課題)

14)感想文の感想 

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 これらの項目を全部書く必要はなく、たくさん書けそうな項目・自分の印象に残る項目を選択して書かせた。

 以下、ある子供の「ごんぎつね」の感想、  原稿用紙6枚分である。

 

◆読む前に予想した内容は、「手ぶくろを買いに」のようにきつねが人間とかかわる話だと思いました。 

◆実際に読んでみたら、 最初はとっても悪い きつねで、でも後半まで見ると とっても思いやりのあるきつねで、いたずらをやっていた時のきつねと大ちがいでした 。でも死んでしまってとってもかわいそうでした。

◆最初に読んだ時の感想は、 いたずらっこのごん。つぐないをがんばるごん。2つの ゴンがいて、ごんは兵十のおっかあがなくなったのを後かいし、つぐないをがんばったのにうたれてとってもかわいそうだと思いました。

◆ 何度も読んでみて、ごんが 努力しててがんばったと思います。ごんも兵十も、おたが互いに悲しんでいたと思います。だから私は、兵十がごんに感謝してほしいと思いました。

◆このお話の中で 私が一番気になっていることは、今度は逆に兵十がごんに向かってどんなことをしていくか ということです。かんびょうしたり、新たに 兵十がつぐないをしたりいろいろあると思うけれど、兵十も何かがんばってほしいと思いました。

◆一番 心に残っているのは、2 画面のごんのうなぎのいたずらを後かいする場面です。

 理由は何回も班で音読練習したし、ごんのくやしさや、後悔したりして本当はとってもやさしいきつねだというところが分かったからです。 これからも、いろいろな場面を気持ちを込めて読めるようになりたいです。

◆音読発表した場面は、6場面の9行目からで、この場面をやりたかった理由は、少し苦手だったので音読発表会のためと思い練習して、上達させたかったからです。

◆ ごんは気づいてほしかったのかという質問で、 私は気づいてほしい 40%、 気づいてほしくないが60%でした。気づいてほしいを40%にした理由は、「そのあくる日も・・」と毎日栗を固めておいてでいるごんは、兵十につぐないをみとめてほしいと思っているのかな?と 私は40%にしました。気づいてほしくない を60%にした理由は、「こっそり中へ」という文があり、つまり、気づいてほしくないのかなと思いました。だから私は気づいてほしくないの方を多くし、 60%対40%にしました。

◆最後は、「よかった」「ざんねんか」の問いかけでは、私はよかった方を50% 、ざんねんの方も50%にしました。よかった方に50%にした理由は、ちゃんと最後に気づいて兵十がごんに感しゃしたと思うからです。残念の方に50%にした理由は、結局ごんは死んでしまったし、兵十も毎日毎日、栗をもらっていたのに、ごんをうってしまったから、ざんねんの方にも50%にしました。

◆どうすればよかったか の問いかけに、私が思うのは、たとえ兵十に見つかってしまっても、兵十が火なわじゅうを持って来ていなかったらよかったし、「ごん、おまえだったのか・・」のところを明るく言えればハッピーエンドになったと思います。

◆このお話の続きは何だろうと考えると、ごんと兵十が逆につぐないをしたり、かんびょうしたり、いろいろな 続きがあると思うけど、一番あるんだとしたら、兵十は一人になった自分に、毎日毎日栗や松たけをくれたごんに感謝をして、天国に下から「ありがとう、ありがとう」とつぶやいたり。

◆「サーカスのライオン」とひかくすると、結末が似ていたり、メインがいっしょだったり、いろいろあるけど、やっぱり最後がとっても悲しいこと。2作ともとっても思いやりのある話だと思いました。 

「手ぶくろを買いに」とひかくすると、小きつねが出ていたり、作者が同じだったり、きけんなことをしたり、比較するとにているところがいろいろあることが分かりました。作者が同じだと、話の流れや登場人物など似ているところがいっぱいあるんだなと思いました。

 私は、「サーカスのライオン」や「手袋を買いに」 だけではなく、もっといろいろな作品と作品を比較してみたいと思いました。

◆私が思った「ごんぎつね」の授業の感想は、 一つ一つの場面を読んで感想を言ったり行動のこと、ごんのこと、兵十のこと、つぐないのこと、いろいろなことをやりました。そしていろいろな「ごんぎつね」のよさも分かりました。私の心の中で残っているのは、いつもと やり方が違ったので楽しかったし、発表はあまりできなかったけど他の物語もこのやり方でまたやりたいと思いました。

◆感想文を書いた感想は、物語の良さ、思いやり、おたがいを思うこと、気づかうことが分かりました。ごんのつぐないの意味、分からなかったこと、行動をみんなで考えて、この物語の良さを考えて、よかったと思いました。

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3・4年社会科(地域学習)の難しさは多岐にわたる!

(1)「教科書・春日井・大愛知・地図帳・白地図」の5つの扱いに困る。

(2)教育課程には「見学」を含めて単元計画がされているので、各校の実情に合わせてカリキュラムマネジメントしないといけない。

 総合的な学習との関連も各校裁量である。

 学校によって社会見学の日程や行き先が違う。

 3年生・・・・学校の周辺の町探検、スーパーマーケット、サボテン園・共施設(消防署など)、中央公民館(郷土資料室)

4年生・・・・浄水場、クリーンセンター、木曽三川・「青空教室」(パッカー車)

(3)ノートをどうとるか、グループ活動をどうするか、タブレットをどう活用するか、レポートや新聞作成をどうするか、テストをどうするか、市販テスト以外の評価をどうするか

など悩みは尽きない。

(4)授業展開が難しい。

◆板書を書き写すだけの授業では、先生がまとめすぎ。

◆白地図や穴埋めプリントを書き込み答え合わせするだけでは、子どもに任せすぎ。

 資料を読んで「気付き・疑問・初耳・予想」などをノートに書かせ、グループ交流し、深堀りする探究型が一例になる。

(5)言語情報と非言語情報

 教科書や資料の文章を読み取ったり、文章表現したりする「言語活動」。

と同時に教科書や 資料の写真や図表を読み取ったり、図表でまとめたりする「非言語活動」がある。

(7)家庭の協力がないと意欲喚起できない。

「おばあちゃんの家に行ってきた」「スキー場に行ってきた」としか言えない子が、県名や 地名、交通手段まで言えるようにするには、家庭の協力が必要になる。 家族の中で「〇〇県に行った」「名神高速道路に乗った」「JR東海道本線に乗った」「愛知県産のキャベツを買った」のような話題が出るように懇談会等でお願いしてみてほしい。

(8)社会科の授業は「白地図を埋めて、答え合わせして、板書をノートにまとめる」だけでも市販テストの点数はとれてしまう。そのような授業をしても、誰も文句は言わないが、制約がないからこそ、自分なりのチャレンジをしてみてほしい。

(9)漢字や語句が難しい。・・・これが「スキーマ」と「記号接地問題」

「浄水場」を習っていないからと「じょう水場」と教えてしまうと「上水道」と混同する。

「沈殿池」「扇状地」などは、音を聞いただけでは意味が分からない。用語を知っていても実際の事象を分かっているわけではない。

 国語の授業以上に、漢字や語句のクリアが難しい。

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September 03, 2025

すべての子が活躍する要約の指導のレシピ

2012年「国語教育」六月号・・要約は総合的な表現活動である

一 大事な箇所を絞り込む

 大事な部分に線を引くように指示すると、何行も線を引く子がいる。一文どころか二文・三文とまたいでしまう。自信がないから絞れないのだろう。
次のように、飾りの部分を削り大事な句や単語まで絞り込ませる。
===============
◆「環境を大事にすべきではない
でしょうか」→「環境を大事に」
◆「秘密を発見することができた」
→「秘密を発見」
===============
 

二 題名に注目する

キーワードを選ぶ作業は難しいが、ほとんどの題名がそのままキーワード・キーフレーズになると思えば気が楽になる。

物語と説明文ではタイプは違うが、まずは題名に着目させる習慣をつけさせたい。
=====囲枠==========
◆「ごんぎつね」
◆「アップとルーズで伝える」
◆「三つのお願い」
◆「初雪のふる日」
===============

三 キーワードを拡大する

主人公や題名を第一キーワードとしたら字数制限まで拡大させる。
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◆「つぐないが通じず兵十に撃たれたごん」
◆「アップでルーズの違いを生かして効果的に伝える」
◆「三つのお願いで一番大切なものは友達だと気づいたレナ」
◆「初雪のふる日に白うさぎにさらわれそうになった女の子」
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三 ラベリングで端的に主張する

 作文やスピーチに取り組むと、「要するに何が言いたいのか」がはっきりしない子がいる。
主張や結論を明確に表現させる訓練の一つが、次の○○の部分のように予告文を入れたり、まとめの言葉を入れたりする「ラベリング」だ。
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◆「まず○○について述べる」
◆「結論は○○である。その理由を二つ述べる」
◆「以上で○○の発表を終わります」
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文章の三つの型となる「頭括型・尾括型・双括型」の「括(くくり)」も「ラべリング」と同じ意味合いである。
本文の「具体」に対して、ラベリングの言葉は「抽象語・統括語」になる。

四 キーワードを自分で作る

ラベリングが難しいのは、文中にない言葉に置き換える場合だ。
キーワード抜き出しなら容易だが、自分で考えるのは難しい。
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◆「ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった」 →「後悔」
◆栗や松たけを運ぶ  →「償う」
◆ごんのしわざだと勘違いして撃ってしまう →「誤解」
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など、状況や心境を端的に表す適切な言葉を自分で考える活動を取り入れる。

受験でも「主人公の心境にふさわしい語を次から選べ」といった設問がある。
同義語・類義語・対義語・抽象的な語彙をどれだけ身に付けさせるかで、要約文の質は、がらりと違ってくる。

五 サブタイトルを考える

第一キーワードに比べて第二・第三キーワードは特定しにくい。
 新聞では「新卒使用来春も厳しく~輸出・素材企業が慎重~」のように見出しと小見出しをセットにして記事の概要が分かるようになっている。
本稿も「要約指導のレシピ~要約は総合的な表現活動である~」とした。サブタイトルに取り組むことで第二・第三キーワードを意識させられる。
 かつて中学校の『故郷』の授業では次のようなサブタイトルが出た。
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◆「故郷~変わってしまったルントウの今と昔」
◆「故郷~変わり果てた人々と小さなのぞみ~」
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September 02, 2025

単元を貫く言語活動

向山型国語教え方教室2014年7月号

水戸部氏は、向山実践をどう考えているのだろうか?

 

一 つけたい力に合わせた言語活動

 昨年八月、春日井市で行われた水戸部修治氏の講演会に参加した。

 水戸部氏の話は具体的だった。一緒に参加したサークルメンバーも、話が上手で、二時間飽きなかったと話していた。

「単元を貫く言語活動を位置付けた授業づくりの推進」と題したレジメには次のようにあった。

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  • 付けたい力にぴったりな言語活動を選定する!

①言語活動がどんな特徴をもっているのかを確認しよう

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 「教科書の手引きにあるから、本の紹介カードを作ろう・音読発表会をしよう」というように活動を設定するのではない。目の前の子どもの実態に即して「つけたい力」を明確にし、「つけたい力」に最適な言語活動を決めていくべきだと主張された。
 「言語活動の充実」という言葉は「活動さえさせれば充実だ」の印象がある。

 しかし、それは水戸部氏の意図とは違う。

 氏は『小学校国語科授業&評価パーフェクトガイド』(明治図書)の中で「言語活動を位置付ける際、指導のねらいと結びつかない言語活動を選んでしまうと、活動だけがあって学習がないといった状況にもなりかねない。言語活動に時間をかけると力が付かないのでは、といった不安の声が聴かれることがあるのもこうした状況からきていることが多い(P39)」と指摘している。私が抱くような不安は了承済みである。

「つけたい力」は、学習指導要領に記載された指導事項である。

 レジメに例示されている「登場人物の変身ボックスで本の紹介をする」という活動は、C「読むこと」のウ「場面の様子をについて、登場人物の性格や気持ちの変化、情景などについて、叙述を基に想像して読む」に対応している。

 変身ボックスには「題名、作者名、あらすじ」と「感想」「心に残る人物の気持ちの変化について」などを書かせ、子ども自らが着目した登場人物の気持ちの変化やそのきっかけを、主体的にとらえて読むことができるようにしている。
 いいかげんな言語活動では力をつけられない。それは文科省の望む「言語活動の充実」ではないということはよく分かる。

 

二 言語活動だけで力がつくのか?

  しかし、疑問もある。

 変身ボックスには、心に残る人物の気持ちの変化について(変化する前・変化した後・変化のきっかけ)を書かせるとある。  

 これは「クライマックス」のことだ。

 「クライマックス」を概念の用いて気持ちの変化を読み取ったかどうかで、記述内容の質にずいぶん差が出るだろう。

 あるいは「登場人物の行動や心情を中心に想像を広げながら読む」というねらいで、「お気に入りの場面を音読発表する」という活動を設定したとする。

 この場合、音読練習を繰り返すだけでは、想像を広げながら読む力はつかない。読みの力をつけるには、教師の指導が必要だ。

 向山洋一氏の演劇指導で、人物の状況設定や性格設定をしつこく尋ねる場面がある。「あいさつは誰にするのですか?」「ア連邦は日本と同じあいさつのやり方をするのですか?」「みんなおじぎをしているのですか?」とたたみかけることで、あいまいだった人物のイメージが明確になっていく。

 こうした問いは、教材分析の深さと重なっている。教材見開き2ページで100問の問題を作れる教師の力量こそが、言語活動の質を保障する。

 あるいは指導項目をスモールステップに分ける教師の適切な配慮、模範を示し、飽きずに繰り返させる教師の適切なリードが言語活動の質を保障する。

 水戸部氏は「指導のねらいと結びつかない言語活動を選んでしまうと、活動だけがあって学習がないといった状況にもなりかねない」と指摘する。しかし、いくらねらいを明確にしても、子ども任せの言語活動なら、結局、「活動だけがあって指導がない」という状況になりかねない。水戸部氏の本意ではないだろうが、「言語活動に時間をかけると力が付かないのでは、といった不安の声が聴かれる」のは、当然だと思う。

 

三 向山型国語の方が先行している?

 水戸部氏は「どの学年でも同じように『この人物の気持ちは?』」と問うことばかりで、子どもたちに発達の段階に応じた読む能力が身に付いていない状況が見られる」と述べている(前掲書16頁)。

 一般的には、そのような発問は残っているかもしれない。しかし、向山型国語を目指す教師は、こんなつまらない問いはしない。水戸部氏は、「気持ち発問」を脱却した向山実践を、どう考えているのだろうか。

 また、氏は「単元を貫く言語活動」は、場面読みした後に、新たな活動をくっつけるだけでは意味がないと言われた。

 では、最後に評論文を書くことを想定して、各場面で討論を積み情報を蓄積させる向山型の授業は、「単元を貫く言語活動」として評価されないのだろうか。

 あるいは、単元どころか、年間を貫いた「『やまなし』への道」(1985年発刊)のような実践は評価されないのだろうか。

 指導案「児童について」の書き方の留意点がレジメにあった。
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「児童について」には、「本学級の児童は明るく元気で・・」といった一般的印象を記述するのではない。
  例えば本単元が説明的な文章を読むことの学習指導であれば、前単元までの説明的な文章の学習における目標の実現状況を記述するのである。

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 水戸部氏の主張は、まったくその通りだ。

 ただし、私が報告したSNSダイアリーに対して、向山氏が次のコメントをされた。

 

「児童の実態の書き方 公開授業で 私が30年前から指導してきたことです」

 

 結局、時代が30年前の向山実践に追いついたのだと思えてならなかった。

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国語のワークシート=どんなタイプ・どんな活用法があるか

「国語教育」2014年7月号

  光村図書が出しているワークシート集は、本校でも多くの先生が利用している。そのワーク集の冒頭には次のような留意点が記されている(4頁)

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ワークシートによる国語学習は、児童が主体的に学習に取り組み、のびのびと思考をめぐらせ、それを「書き留める」ことを基本とした学習法である。ワークシートは、児童の思考を促すこと、事柄と事柄、思考と思考を関係付けることに役立つと同時に、学習の過程において友達どうしで学習を比較検討する素材となる。つまり、一人一人の学びと、友達との学び合いの両方に生かすことができるものとしてある。

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 ワークシートのすべてにこの定義があてはまるとは限らないが、的確な指摘である。

 この定義にしたがえば、テストとの違いも明らかだ。

 テストは、個人思考・個人作業。答えが確定しているので確認も簡単。

 ワークシートは個人思考・個人作業だけでなく、集団思考・集団作業を伴うもの。答えが多様に出ることがあるので、自分の考えを書き込むだけでなく、他者の意見を取り入れて加除修正する場が必要になる。

 このタイプのワークを読み取りプリントとして宿題や自習で用いると混乱が生じるのも、そのためである。

  もちろん、自習や宿題用に作成されたワークもあるが、本稿では授業中に活用するものという前提で紹介する。

なお漢字や言語、作文のワークシートについては触れることができないことをご理解いただいたい。

 

一 吹き出し型

  低学年でよく使われる国語ワークの定番が「吹き出し型」である。登場人物の顔や、教科書の挿絵がそのまま載せてある場合が多く、場面に合わせたセリフの書き込みに専念しやすい。

 ただし「人物の性格や気持ちの変化などについて、叙述を基に想像して読む」といったねらいに正対させるためには、何を書いてもOKというわけにはいかない。場面状況にあった吹き出しでなければ「誤答」であることもきちんと示さないと、言葉を根拠にする習慣がつかない。どの吹き出しが質が高いかを比較検討する授業展開が求められる。

 「みんなの意見を聞いて、よりよい吹き出しを書いてみよう」といった清書用の書き込みスペースもあるとよい。

 

二 原文貼り付け型

 教材本文が掲載されたタイプのワークシート。

①気が付いたことを書き込む

②気持ちが分かる箇所に線を引く

③人物の行動に線を引き、そこから読み取れる気持ちを余白に書き込む

④キーワードを囲む

⑤段落構成をつかむ

などの作業課題で利用される。

 例えば、次のようなタイプがある。

◆行間を広くして書き込みや線引きをしやすくしたる「拡大提示型」。

◆教科書の複数ページを一枚に収め、作品の全体構造を把握しやすくした「縮小提示型」。

◆段落冒頭の接続語だけを空欄にして、段落相互の接続関係に着目させやすくした「虫食い提示型」。

 

三 構造表型

  読み取った内容を表の形にしてまとめていくタイプのワークシート。教科書の学習の手引きでも、よくある型だ。

 行動と心情を整理したり、場面展開を整理したり、「序論ー本論ー結論」「起承転結」などの型に即して段落を整理したりするのに役立つワークである。                              

 表の枠があるだけなので、全てを子ども任せにしては混乱が生じる。まず全員で取り組んで要領をつかませるとよい

 ワークに書き込んだ自分の考えが正答であるとは限らない。下書きレベルのワークをそのままノートに貼って終わるのではなく、学級全体で検討した意見や、自分なりの最終意見を書き加えたり、ノートに再度書かせたりすると、ワークを利用した意義がより明確になる。 

 

 四 フォーマット型

 指示に従って書き込んでいくと、意見文や発表原稿がそのまま仕上がるようなタイプのワークシート。

◆主役は○○である理由は・・・  もし△△ならば・・  友達の意見を聞いて・・

◆クライマックスは○○である。   それまでは・・・  そのあとは・・・  クラマックス前後の一番の変化は・・

◆もし自分が主人公の立場だったら・・  理由は

 どのワークでも同じだが、文字数を指定しないカッコや四角枠の記入欄は、書きやすいようで書きにくい。

 どの程度の分量を書かせるのかを考えて、書き込みスペースを決める必要がある。

 

五 授業書型

  指示と発問に従って書き込んでいくと、そのまま授業が展開するようなタイプのワークシート。

 正解が決まる問いの連続ではテストプリントと同じだが、意見が分裂しそうな問いを設定して「友達の意見を聞いてメモしておこう」のような箇所があると、話し合い用のシートとして機能する。

 例えば、TOSSランドで「ごんぎつね」を検索すると、平松孝治郎氏の実践がある(No: 3098437)。アレンジすると、次のような授業書形式のワークシートができる。

====四角枠==========

 「ごんぎつね」の設定を検討してみよう

◆(読んでみよう)

  設定とは、時、場所、登場人物などの物語の枠組みのことです。

問一:いつの話ですか?(           )の話

問二:場所はどこですか?(           )の村

問三:登場人物は誰ですか?できるだけたくさん書いてみよう。(             )

問四:みんなの意見を聞いて、おかしいものがあったら書いてみよう。(              )

問五:主役は誰ですか?自分の理由と友だちの理由も書いておこう。

  主役(    )  自分の理由(        )  友だちの理由(       )

問六:対役=主役に最も影響を与える人物は誰ですか?

  対役(           )

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六 一字読解型

  「問い」と「答え」の基本を学ばせることを目的とした一字読解指導のワーク。例えばTOSSランドで「一字読解」を検索すると 前川善治氏の「三つのお願い」の実践がある(No: 2668061)。アレンジすると、次のようなワークシートができる。

=============

問一:何を拾うとお願いがかなうのですか?(5文字で)

問二:いつ一セント玉を拾うと三つのお願いがかなうのですか?

問四:一月一日にどんな一セント玉を拾うとお願いがかなうのですか?(十七字で)

問五:ママは「おこっている」「おこっていない」のどちらですか?

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 授業書型とよく似ているが、必ず一問ずつ答え合わせをし、答え方を習得させる。話し合いをさせないで、次々に解いていくのが特徴である。

◆   ◆   ◆

 どのタイプのワークシートも、わざわざプリントにしなくても、ノートで十分成果が上がる場合がある。設問を口頭で示すことで、聞き取りの力を鍛えたい場合や、最適な表を子ども自身に工夫させることで、自分の考えを自分で整理する力を鍛えたい場合などだ。

 課題内容が明確になるのでワークは便利だが、書き込みスペースが制限されるため、かえって書きづらいこともある。ノートや罫紙・原稿用紙なら、分量に応じて自由に書き足すことができる。究極のワークシートは「白紙」と言えるかもしれない。

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「学テ」からみた学力像とテスト問題のヒント ①小学校国語の学力像とテスト問題づくり

「授業力&学級経営力」2013年10月号

一 要するに「要約力」

 A4は、グラフを読み、分かったことを書く問題である。 

 出題の趣旨には「的確に書く」とある。しかし、16歳から19歳、20代から60代までの六つの年代データを五十字にまとめるのだから、これは「要約」の問題である。A問題とはいえ、自分の言葉で表す表現力(活用力)が求められている。

解答例を見て、感心した。

『年代があがるにつれて、「見れた」を使うわり合よりも「見られた」を使うわり合が大きくなることが分かる』(50

 文中にない「年代があがるにつれて」という表現でデータ傾向をまとめている。

「そんな表現は本文にない」と憤慨してもしかたない。日ごろの授業やテストでも、自分の言葉で的確に表現させることが求められている。

 たとえば『ごんぎつね』の授業なら、本文になくても「すれちがい」「誤解」「皮肉な結果」といった言葉を用いるべきだろう。

 「そんな言葉、本文に出てこないよ」という声にひるんでいたら、国語の授業は抜き出しでしか進行できなくなるし、子どもは抜き出し問題しか対応できなくなる。

 資料には、次の解答例もある

40代までは「見れた」のわり合が大きいが、50代以上では「見られた」のほうが大きくなることがわかる。』(49字)

 こちらは、データ変動の分岐となる年代だけに焦点をあてている。

A4解答例から推測する「的確に書く」の要素は、

①文中にない言葉で端的に書く

②必要最小限に絞り込む

の二点だということが分かる。

 

 なお、2の設問三も要約問題だ。

 花火の種類と花火師の声の「イ」の両方の内容を取り上げ、自分の意見を加える課題である。

 これは、大胆に削らないと指定字数に収まらない。しかも、自分の考えを何文字書けばいいかの指定はない。思い切って解答を書き切る「決断力」が求められている。

 

二 要するに「類推力」

  B1の設問三は、「話し手の意図を捉えながら聞き、効果的に助言をすることができるかどうかをみる」が趣旨である。

 具体的には、青木さんの助言とその説明を参考に、川本さんの助言の説明を書かせる問題だ。

============

A青木さんの助言

B青木さんの助言の説明

===============

C川本さんの助言

D川本さんの助言の説明

============

という構造になっている。A→Bを参考にしてC→DのDを考えさせるタイプの問題だ。

 解説には「助言の意図を解釈して説明することを求めている」とあるが、これは「類推力」である。

 A→Bから類推すると、Dには「グループ活動の案」「全員で活動する案」「レクリエーション」というCの具体的な内容には触れなくてよいことも分かる。

 

B3の設問一は、「2人の推薦文を比べて読み、推薦している対象や理由を捉える」問題である。

A花田さんの推薦文

Bすすめる相手や理由

C本間さんの推薦文

Dすすめる相手や理由

 これも、A→Bを参考にしてC→DのDを考えさせる「類推」である。空欄にふさわしい内容を「本文中のことばを使って書きましょう」とあるだけなので、設問の意図も自分で読みとらないといけない。活用問題の多くは、このような「類推力」なのだと考えると、よい問題だ。ぜひ、このタイプのテストに取り組ませてみたい。

 

三 情報の取捨選択能力

 B2は、花火に関するリーフレットの表紙・下書き・編集会議の意見などの複数の資料を関係付け、自分でまとめる問題である。

 算数で言えば立式に無関係な数字を含んだ問題、社会で言えば無関係な資料が並んだ問題だ。情報の選択能力が求められている。

 ただし、落ち着いて問題を読むと、どれも、それほど難しくない。資料がいろいろあるので、余分な情報・関係ない資料に惑わされないことがポイントになる。

 教科書全体から出題するような範囲の広いテスト、設問にあった文章を自分で探して答えさせるような意地悪(?)なテストを作成して、子どもを鍛えたい。

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一斉授業の中で子ども同士が関わる場面作り

「国語教育」2013年9月号

一 辞書的な説明を考える場面

 『舟を編む』(三浦しをん著 光文社)の中で、「右」の意味を問う次のようなやりとりがある(十九頁)。

==============

「『ペンや箸を使う手のほう』と言うと、左利きのひとを無視することになりますし、『心臓のないほう』と言っても、心臓が右がわにあるひともいるそうですからね。『体を北に向けたとき、東にあたるほう』とでも説明するのが、無難ではないでしょうか。」

==============

 ある言葉が辞書にどう説明されているかを問う授業は、向山洋一氏が二十五年以上も前に実践している。

 この場合、子どもの持つ辞書がバラバラだと、より盛り上がる。辞書と子どもの数だけ解答・珍答があり、子ども同士の関わりも深くなるからだ。

 

二 「の」の意味を検討する場面

  『舟を編む』には「へのひと」のエピソードもある。ある文章の「へ」が語釈の何番目の用法にあたるかを辞書編集部に問い合わせる人の話だ。

 これは向山氏が『やまなし』で、「わたしのげんとう」の「の」が、どの用法かを問うた実践と同じだ。「辞書」という共通のツールがあるから全員が参加できる。

①自分で考える。

②友だちの意見を聞く。調べる

③再度、自分の意見を考える。

の三つの過程が含まれる活動は子ども同士をつなぐ。ただし、子どもを熱中させられるかどうかは、多様な解が生じる質の高い課題(発問)を準備できるかどうかにかかっている。

 

三 カタカナ表記を考える場面

  ある日の職員室で、二年生の先生がカタカナ表記のルールについて悩んでいた。

 外来語と擬音語がカタカナであることは分かる。

「『チューリップ』はカタカナ、『あさがお』はひらがな。でも、『アサガオ』ってカタカナでも書かない?」

「『トノサマガエル』とか、『ザリガニ』はカタカナだよね。」

「理科の場合だけは動物も植物もカタカナなんじゃない」

「じゃあ、『フレー、フレー』は?」

と、話が続き、「フレー」は英語が語源であるらしいことも分かった。

 職員室での雑談ではあるが、高学年だったら同じような会話が成立する。「外来語と音はカタカナ」では説明できない例を挙げて、友だちと相談したり、辞書で調べたりして解決させたい。「そんなの簡単だよ」と思っていた子たちの自信も揺らいでいくに違いない。

 

四 漢字の部首や読みを考える場面

  漢数字の「一」から「十」までの部首を尋ねたことがある。

 「一」の部首は「一」。

 「二」の部首は「二」。

 では、「三の」の部首は「一」か「二」か「三」か。「五」の部首は「一」か「二」か「五」か。

 簡単そうで難しい。子どもは好き勝手な意見を言い、クラスは盛り上がる。

 「セイ」と読む漢字を十個以上書かせたこともある。

 個人の力では五個程度でも、みんなの意見を聞くうちに思いつく漢字がある。最初は無理だと思っていた十個の「セイ」は、案外簡単にクリアできる。

 筆順については、自信がなくなると、よく子どもに問いかける。あてずっぽうで言う子もいるが、辞書やドリルで探す子がいて、正しい筆順が決着する。

 テレビのバラエテイ番組でも、小学生レベルの漢字の読み書きや筆順などが問題になる。誰もが習っているので、誰もが正解のチャンスがある。だからこそ、逆転現象を仕組むこともできる。

◆    ◆    ◆

 授業のちょっとした場面で、ちょっとした問題を投げかけてみるだけで、子どもたちをつなぐ楽しい活動は成立する。簡単そうで難しい課題が向山実践・TOSS実践には、たくさんある。

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