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December 29, 2025

オズボーンの提唱した「ブレーンストーミング」

話し合いを通して互いのアイデアを共有することの大切さが言われます。

 ある学校は「SST(ソーシャルスキルトレーニング)で、話し合いの仕方を学び、学習に活かそうと取り組んでいます。

 ある学校は、クラウド上での「他者参照」を有効活用して、「協働的な学び」を促進させています。

 それぞれのアイデアを出し合う「ブレーンストーミング」は

◆一人ひとりで考えていたのでは思いつかなかった創造的なアイディアを生み出すのに有効である

といった期待が浸透している一方、

◆「メンバー各自が1人で生み出したアイディアとは異なる斬新なアイディアが話し合いによって生み出されることはほとんどなかった」

という実験結果があるそうです。

その理由は

==========

1、他者の評価を気にする心理や同調圧力があるから

2、集団場面には個人の思考を邪魔する心理的ダイナミズムが多様に働いているから

 ア:他のメンバーのがんばりに頼って全力を尽くさなくなる「社会的手抜き(social loafing)」から

 イ:他者の意見を聞いている間は、自分のアイディアを忘れないことにエネルギーを使ってしまう「発話のブロッキング効果」から

 ウ:コミュニケーション行為は心理的エネルギーが必要なので、アイディアを考えるのが難しいから

・・・こうした集団の生産性を阻害する心理的要素は、総称して「プロセス・ロス」と呼ばれる。

 オズボーンが想定した以上に、「プロセス・ロス」を生み出す原因は多様で、その影響も強力なために、ブレイン・ストーミング法の効果はかなり限定されてしまう。

※以下のサイトを参考に書き換えてあります。

会議の社会心理学(4)-話し合いは創造的アイディアを生み出すか-

https://www.ogis-ri.co.jp/column/kr/190.html

=========

 確かに、良識ある先生の教室では「いきなり話し合いましょう」はしません。

 まずは、自分で考える時間(シンキングタイム)を設定し、その後で情報共有の時間にします。実際の教室には「声が大きくて影響力の大きな輩(やから)」がいて、サイレントマジョリティが発生しやすいです。そこを「逆転現象」にような場の設定で意識改革させないと、ブレストが一部の子の独壇場になってしまいます。結局「挙手指名発言」と変わらなくなってしまう。

 個々が、自分なりの限界まで思考した上で交流すれば、いい刺激を受けて、さらにひらめくこともあるはずで、それがブレーンストーミングの醍醐味だということですね。

 丸投げのブレーンストーミングでが効果が出ないことをしっかり伝播していきたいです。 これも「学び直し」です。

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December 28, 2025

スキナーのプログラム学習

スキナーといえば「オペラント条件付け」が、条件反射で出てきますが、その流れで「プログラム学習」を提唱したことでも知られています。「プログラム学習」というと、プログラミングのことのようですが、それとも違います。

なんとなく、コンピュータが主体の学習方法のようで、授業づくりとは無関係のように思う方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。日常の授業改善と密接な関係があります。

例えば次の資料です。

プログラム学習の5原理

積極的反応の原理

学習者がどの程度理解したかは、問題に答えさせて判断する。 外に出してみることで初めて学習の程度が判明すると考えよ。

即時確認の原理

学習者の反応の正否をすぐ知らせる。 学習者は、自分の反応が正しかったかどうかを知った上で、次の反応を要求されるようにせよ。

スモールステップの原理

学習者がなるべく失敗しないように、学習のステップを細かく設定する。 失敗をするとそれが定着する危険性があると考えよ。

自己ペースの原理

学習者個々が自分のペースで学習を進められるようにする。 適当なスピードは学習者それぞれによって異なると考えよ。

学習者検証の原理

プログラムの良し悪しは、専門家が判断するのではなく、実際に学習が成立したかどうかで判断する。そのためには、未学習の協力者に開発中のプログラムを試用してもらい、必要に応じて改善せよ。

https://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/3Block/07/07-2_text.html

 

授業も、上記の5原理に合致していなければ、子供は進んで取り組めません。

授業は、上記の5原理に沿って、工夫・改善をすべきだということです。この「5つの原理」が授業の指標になり得るのだということです。

 

以下のサイトも参考になります。

https://chiik.jp/b7zsg/

 

私にとっての「学び直し」が続きます!

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December 25, 2025

GEMINIに学ぶ「探究型授業」の根幹(3)

哲学=探究型授業=道徳=論理的思考?

 一見バラバラに見える「探究」「道徳」「論理」のすべてが「哲学」という一点に収束していくのは、非常に興味深い現象です。

 これらがなぜ「哲学に近い」と感じられるのか、その謎を解く鍵は、哲学が「すべての学問の根源(マザー・サイエンス)」あり、「問い方・考え方の作法そのもの」だからです。

 イメージとしては、「哲学」という幹から、それぞれの目的に応じて枝が伸びていると考えると分かりやすくなります。

 

🌳 哲学を「幹」とした3つの枝の関係

1. 「探究学習」と哲学:プロセスの共有

探究学習は、哲学の「方法論(やり方)」の部分を抜き出したものです。


  • 共通点: 既成事実を疑い(不確定な状況)、自分の頭で考え、納得解を導き出すプロセスそのものが「哲学すること(Philosophizing)」です。

  • 違い: 探究は「社会課題」などの具体的な対象に向かいますが、哲学はその「考える行為そのもの」や「前提」を問い直します。

 

2. 「道徳」と哲学:問いの対象の共有

道徳は、哲学の「倫理学(善悪・価値観)」の部分を抜き出したものです。

  • 共通点: 「より良く生きるとは?」「正義とは?」という、答えのない本質的な問いを扱います。「こどものための哲学(P4C)」が道徳の時間に行われるのはこのためです。

  • 違い: 道徳は「より良い生き方」という結論を志向しますが、哲学は「なぜそれが『良い』と言えるのか?」という根拠を徹底的に疑います。

 

3. 「論理的思考」と哲学:道具の共有

論理的思考は、哲学の「論理学(ロゴス)」の部分を抜き出したものです。

  • 共通点: 宇佐美寛氏が説いた「言葉の定義」や「推論の正しさ」は、哲学者が対話をするための必須の「武器」です。

  • 違い: 論理的思考は効率的な「道具」として扱われますが、哲学はその道具を使って「世界の真理」に迫ろうとします。

「知識の構造図」がすべてを繋ぐ

 北俊夫氏の提示した社会科の「知識の構造図」 は、これら三者を統合する優れたフレームワークと言えます。

◆中心概念(概念的知識): 「人間はどう生きるべきか」「社会はどうあるべきか」という哲学的・道徳的な真理に到達するフェーズ 3

◆社会的事象(具体的知識): 論理的思考で「底部(知覚事実)」を整理するフェーズ 2

  • So What? / Why So?: 探究のプロセスとして、事実と意味を往復するフェーズ。

 

 つまり、「論理」という足場を使って、「探究」という階段を登り、「哲学(道徳)」という高みに到達する

 これが教育現場で起きていることの全体像ではないでしょうか。

 

🎓 結論:なぜ「不思議」に感じるのか?

 それは、現代の教育が長く「細分化」されてきたからです。

 本来、「正しく考えること(論理)」「真実を追い求めること(探究)」「善く生きること(道徳)」は分かちがたく結びついた一つの営み(=哲学)でした。

 断片的な「知識」を教えるのではなく、これらが統合された「知恵(フィロソフィア)」を生徒自身が紡ぎ出すように教え導く必要があるのです。

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GEMINIと学ぶ「探究型学習」の根幹(2)

「結果より過程を重視する学び」の意義は

◆ なぜ「結果」より「過程」なのか

(1)答えは「更新」されるものだから

 哲学的な問い(例:「正義とは何か?」「幸せとは?」)に、永遠に変わらない「唯一の正解」はありません。

 しかし、「どのように結論を導いたか」という思考の過程さえしっかりしていれば、状況が変わっても何度でも答えを出し直すことができます。

 

(2)「納得解」の根拠は過程に宿る

 誰かから教わった「正しい答え」は、借り物の知識です(「記号接地の問題を含む)。自分で検討し、比較し、吟味した「過程」があるからこそ、その結論に自分なりの確信(納得)が持てるのです。

 

(3)「過程」は、幾重にも積み上げられ、汎用的な力になる

 探究の過程は、脳のトレーニングのようなものです。

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◆「結果」だけを求める学び: その問題にしか使えない「解答」が手に入る。

◆「過程」を重視する学び: 他のどんな未知の課題に出会っても、自力で解決の糸口を見つける「知的な粘り強さ」が手に入る。

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 「過程」を重視する教育現場では、その途中の「思考の足跡」を評価します。

◆ 「なぜその問いを選んだのか?」(動機の純粋さ)

◆「途中でどう考えが変わったか?」(柔軟性と修正能力)

◆「どんな反論を想定したか?」(多角的な視点)

など、こうした経過も含めて最終レポートを記述させることが望ましいです。

・・・以下は私の考察です。

 国語の読解指導の場合は、主題や筆者の主張をゴールに検討させると、「結論」より「過程(根拠)」が重視されています。

 PISA型読解力で問われたように、

「AでもBでもいいからどちらかを選んで、その理由を述べなさい」

のスタンスが大事だからです。

 「納得解」は、道徳だけのキーワードではありません。

 道徳も哲学に近く、探究型学習も哲学に近い。なんとなく不思議な感覚です。

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GEMINIと学ぶ「探究学習」の根幹

GEMINIの回答

 結論から申し上げれば、探究学習の根幹は「哲学すること(Philosophizing)」そのものだと言えます。

 デューイ(J.Dewey)が哲学者でありながら教育学者であったように、彼にとって「考える」ことと「生きる(課題を解決する)」ことは切り離せないものでした。

 なぜ探究学習が「哲学」と言えるのか、その本質を3つのポイントで整理します。

1, なぜ探究学習は「哲学」なのか

(1) 「問いを立てる」という行為そのものが哲学的

 従来の授業(インプット型)は「答え」を探す活動ですが、探究や哲学は「問い」そのものを吟味します。

  • 「環境を守るべきだ」という知識を覚えるのが調べ学習。
  • 「なぜ、不便を強いてまで環境を守らなければならないのか?」という根源的な疑いを持つのが哲学であり、探究の始まりです。

・・・ここで私のコメント。「環境を守るべき」といったお題目的な知識(概念的知識)を具体的知識で深堀するのが「探究」と言えるのかもしれない。

2. 「不確定なもの」に耐えるプロセス

 デューイの定義にある「不確定な状況」に身を置くことは、非常に不安でストレスのかかる状態です。

  • 哲学対話も同様に、「正解がない問い」に対して、安易な妥協をせず考え抜きます。
  • この「モヤモヤ(アポリア)」を抱え、自分なりの納得解(確定した状況)へと向かう粘り強さこそ、探究と哲学に共通する知的誠実さです。

・・・ここで私のコメント。「アポリア」はモヤモヤのことだったのか。

 

3. 「概念」を再構築する

 「福祉」や「豊かさ」といった言葉の意味は、人によって異なります。

  • 探究学習を通して、生徒は「自分にとっての福祉とは何か?」という概念の再定義を行います。
  • 既存の知識のコピーではなく、「自分の経験と言葉で世界を捉え直す」。このプロセスは、まさに哲学的な営みです。

・・・ここで私のコメント。「概念の再定義」というのが、自分の言葉で表現するということなのだろう。そこに自分の経験等が含まれるわけだ。

「探究」と「哲学」の関係

◆哲学(根): 「なぜ?」「本当か?」「善いとは何か?」という思考の作法。

◆探究(枝葉):哲学的な思考を使って、具体的な社会の「モヤモヤ」を解決し、形にする活動。

 ペーパーテストの学力は「他人の出した問いに答える力」ですが、探究(哲学)は「自分の人生に必要な問いを立て、納得いくまで考え抜く力」=「結果より過程」です。

・・・ここで私のコメント。「結果より過程」は、探究型学習のカギになっている。

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指導技術を学習技術へ

〜教師の指導技術を、子供の学習技術へ転化させる〜

 先週末ののGIGA産業環境セミナー(オンライン)で谷和樹先生が「グラフを見たら作業をさせよ」と言われました。

 フツーなら「タイトル」「縦軸・横軸」「単位」「出典」「大きな変化の部分」などを問うていきますが、こうした教師の発問指示を「子供の自問自答による作業」という形で内包させています。

 なるほど、これが「教師の教育技術が子供の学習技術に転化(汎化)する」ということなのだと納得しました。

 国語だったら「本文を読むときは、線を引かせよ」が言えます。

 線を引く(四角で囲む)とは、「5W1H」「難語句」「キーワード」「文末表現」「心情表現・情景描写」「主張・主題」など、これまで学習した読解技術の応用になります。

 「まず、最初に何をしますか?」

 「この後、先生は、何て聞くと思いますか?」

 「検討しなさい・分析しなさい」

という形での「手放し」を経て、子供が有能な学び手として自立していくのですね。

 もちろん、教えていないければできるようになりませんから、きちんと「教える」が大前提になります。

 

 なお、「教育トークライン」2023.3月号で谷先生は次のように書いてます。

◆国語で「漢字を覚えましょう」と指示しただけで、漢字スキルを使った学習が自動的に進む。

◆理科や社会科で「課題⇒予想⇒方法⇒結果⇒考察」等の流れでノートをまとめていく手順が身についている。

◆国語で「分析してごらんなさい」と指示しただけで、分析批評の視点を使ってノートに意見を書ける。

◆どの教科でも「討論します」の指示で指名なし討論ができる。

 今は見つかりませんでしたが「自習しなさい」の一言で自習できる学級というエピソードも読んだことがあります。

 以前から「自動化」とはよく言われてきましたが、これが「教師の指導技術が、子供の学習技術への転化」と重なってくるのだと今になって腑に落ちています。

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練習問題に自我関与させていた子供たち

 部屋を整理していたら、かつての実践資料が出てきた。

 6年生「分数の掛け算・割り算」。計算の仕方を学習したところで、教科書にある「人の体」と題した次のような問題に取り組んだ。

(内容は要約してあります) 

(1)人の体にある骨のうち、約7分の1は頭にある。頭には骨が29個ある。体全体ではどれくらいの骨があるのか? 

(2)心臓のドキドキは1分で約70回。1日に何回打つことになるか?

(3)体重60キログラムの人で約24キログラムが筋肉。筋肉の重さは体全体の何分のいくつか?

などなど

 復習的な応用問題なので、授業はできる子からどんどん次の問題に進み、先生が○×をつけたり、説明をして歩き回ったりする形をとった。

 何気ない1時間の授業であったが、この日の日記に次のように書く子がいた。

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◆ 今日の算数は「人の体」P34のところをやりました。思った事は「この問題は正しい(本当)のことが書いてあるのか?」です。

 問題が当たっているのなら、体全体の骨は203個あることです。すごくあるなぁ。

 心臓のドキドキは1分間に約70打、1日に10万800打も打ちます。すごくドキドキしている。走ったりすればもっとドキドキが増えるのではないか?

 「体重60キログラムの人で約24キログラムは筋肉だそうです。」と問題に書いてあるけど、太りすぎの人は体全体の筋肉の重さは、 これより小さくなるのか?

 ぼくは、みんな、体の中の問題は知りませんでした。この問題のことがあっているなら、覚えてそんはありません。先生はP34の問題の体のことは知っていましたか?。

=========

 またある子は、この問題を自分の体重28キログラムに置き換えて計算し、二日連続で日記を書いてきた。題名が「ぼくの体」。

「心臓のドキドキは何回打つか」という問題では、1回目74、2回目77、3回目75と、3回計測し、ちゃんと平均を出してから、自分の1日の回数を計算していた。

 また、教科書にはなかったローレル指数の公式を用い、自分の体重は、(131一100)× 0.9 = 27。約28キログラムでちょうど良いと書いてあった。

 2人とも数の意味を具体的に考えて、自分事として計算していたのである。まさに「記号接地」。

 自分が何気なく扱っていた数字に息吹を与えた感じだった。

 子供に教えられ、また教科書に感謝した一コマで、こういう子供の姿を見る瞬間があるから、教師の仕事(授業づくり)が楽しかったのだ。

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December 24, 2025

なるほど、 円の公式に沿って考えよう!

円の面積を求める問題4選

(1)半径20センチで4分の1のサイズ

(2)半径10センチの円・・・これが基準になる。

(3)半径5センチの円が4つ

(4)半径が6分の20センチの円が9つ。

 それぞれの計算式ではなく、ベースの【10×10×円周率】を活かすような形にすると

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(1)20×20×円周率×1/4。

   4×(10×10×円周率)×1/4 だから、【10×10×円周率】

 

(3)5×5×円周率×4 

   4×5×5×円周率 だから、【100×円周率】

(4)20/6×20/6×円周率×9

   9×10/3×10/3×円周率は、900/9×円周率だから、【100×円周率】
==========

・・・計算すればそうなんだけど、きっと一目で「同じだ」と気づく人もいる。

そのロジックを考えると

(2)を基準の「1」とすると

(1)半径が2倍になって、半径×半径が4倍になって、サイズが4分の1だから4÷4=1

(3)半径が2分の1になって、半径×半径が4分の1になって、個数が4つだから、1/4×4=1

(4)半径が3分の1になって、半径×半径が9分の1になって、個数が9つだから、1/9×9=1

で、3つとも基準の「1」になる。

En

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イメージマップとマンダラチャートの比較

 大谷翔平選手が高校時代に活用したことで有名な「マンダラチャート(目標達成シート)」と、「イメージマップ」は、思考の仕組みにおい非常に近い「親戚」のようなものです。

 しかし、4年生の俳句作りにおいて、どちらがより効果的かという点では、少し「役割」の性質が異なります。

・・・とGEMINIが解説してくれた。画像も作ってくれた。

(1)イメージマップ(自由型)

◆クモの巣のように自由に広がる=「連想」次々に言葉を繋げる

◆どこまでも深掘りできる(自由度が高い)ので、アイデアの「深さ」を出すのに向く

(2)マンダラチャート(枠固定型)

◆合計9マスの枠が決まっている「網羅・分類」漏れなく埋める

「マスを埋める」という強制力があるので、視点を「広く」漏れなく出すのに向く

 「2、3個のアイデアで満足してしまう子(枯渇してしまう子)」にとって、マンダラチャートの「空いているマスを埋めたくなる」という心理的効果は絶大です。空欄があると「音のところ、まだ書いてないや」と、子どもが自発的に思考を広げる「ガイド役」になってくれるからです。

結論: 「埋めること」が思考のエンジンになる=「具体化の徹底」

 大谷選手のマンダラチャートの最大の特徴は、「中心の願いを叶えるために必要な要素を8つに分類し、さらにそれを具体化する」という「具体化の徹底」にあります。

 これは国語の授業で言えば、「『冬』というぼんやりした言葉を、8つの具体的な情景に分解する」作業と同じです。

=====GEMINIここまで===

・・・「分ける」ことは「分かる」こと。勉強になった!

 多くのシンキングツールも「埋める」「分ける」が思考を深めている。

 教師が作ったワークがないと思考しない子供では困るから、白紙で取り組めるところまで育てたい。しかし、その中途段階として「シンキングツール・書き込みワーク」も有効に活用させたい。

Mand

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イメージマップの広げ方

 「冬」を題材に俳句を作らせると、どうしても「クリスマスやお正月が楽しみだ」といったありきたりな俳句になってしまう。

 光村の教科書には、このあと「イメージマップ」が出てくるので、それと重ねるといいと思う。

 自分もイメージマップの広げ方に自信がないので、GEMINIに相談したところ、「5つの窓」を提示してくれた

 なお、GEMINIは、「使ってはいけない言葉」として「うれしい」「楽しい」「楽しみだ」「すごい」「おもしろい」「きれいだ」といった気持ちの言葉を示していた。これはイメージマップ以前の「俳句の指導事項」である。

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 中央に「クリスマス」などの言葉を書いたら、以下の5つの切り口(窓)で枝を広げるよう指導します。

(1)五感(音・におい)

・・ケーキの箱を開けた時のにおいは? チキンの音は?

(2)感触(温度・手ざわり)

・・プレゼントの包み紙のカサカサした感じは? 外の空気の冷たさは?

(3)色・光

・・イルミネーションは何色? 部屋の電気を消した時のケーキのロウソクは?

(4)体の動き

・・プレゼントを開ける時の手の震えは? 布団の中で耳をすませている様子は?

(5)オノマトペ

・・シーンとした夜、パリッとした空気、ほかほか、きらきら。

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 なるほど、図解を含め、ここまで例示してくれると、授業に使える。

 なお、イメージマップが「拡散的思考」にも「収束的思考」にも関与することもGEMINIが教えてくれました。

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 イメージマップを「整理」に使うための指導ステップ

【拡散】 とにかく思いつくまま書く(質より量)。

【分類】 似たもの同士を線で囲んだり、色を塗ったりする(仲間分け)。

【命名】 そのグループに「耳で聞いた冬」「手でさわった冬」など名前をつける。

【収束】 整理されたグループの中から、俳句の「主役」になる言葉を一つ決める

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Map

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December 23, 2025

分数の問題で多様な解法を考える。

青い四角の部分の長さを、たくさんの方法で求めなさい。

(面積ではありません。)

Bun2

「できるだけたくさん」を強調し、机間巡視する。

まずは、ふだん手のあがらない子を指名して発表させる。

解き方(1) 120÷5=24  24cm

 

ほかの方法の子を聞く(分数のかけ算は未習なので、最後に回す)

解き方(2)120÷5=24 24×1=24 24cm

 

120を5つに分けた1つ分だから、これは、(1)の丁寧な方法。

解き方(3) 1÷5=0.2 120×0.2=24  24cm

小数の考え方は既習。1つにまとめることもできる。

解き方(4)  120×(1÷5)=24  24cm

 

当然だが、分数のかけ算でも計算できる。

解き方(5) 120×1/5=24  24cm

 

120cmの「1つ分」なら120×1,「2つ分」なら120×2。

同じように考えて、120を「5分の1」を求めるときは、120×1/5 という式で表されるのです。

「5で割る」「5で割って1をかける」「0.2をかける」「1/5をかける」は同じ意味になります。

 

続いて応用問題。

青い四角の部分の長さを、たくさんの方法で求めなさい。

Bun1

これも「できるだけたくさん」を強調し、机間巡視する。目標は先に解いた4通り以上だ。

以下、分かりやすくするために、本来必要のないカッコをつけたものもある。

(1)120÷5=24 24×4=96

(2)120÷5×4=96

(3) 4÷5=0.8 120×0.8=96

(4)120×(4÷5)

(5)1÷5=0.2 0.2×4=0.8 120×0.8=96

(6)1÷5=0.2 120×0.2×4=96

(7)1÷5×4=0.8 120×0.8=96

(8)120×(1÷5×4)=96

(9)120×4/5=96

(10)120÷5=24 120ー24=96   

(11)120ー(120÷5)=96   

(12)120÷5=24 24+24+24+24=96   

(13)120÷5×4=24 24+24+24+24=96   

 

120×4/5は、立式はできるが答えを出すのが難しい。

しかし、他の計算の答えを考えると、分かってくる。

「5つに分けた4つ分」は、「5で割って4をかける」と同じなのだということを実感させる応用問題(導入問題)である。

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新聞と日記を使うことで、学習を授業外に広げることができた時代

 これも昭和62年6年生の実践記録。

 子供たちの学習が授業外に広がっていったのは

◆調べるツールとしての「新聞」

◆書き残すツールとしての「日記」

◆拡散するツールとしての「学級通信」

があったからで、今の時代はどれも定番とは言いづらい。

 また、

◆インターネットがなかったから、自力で調べるしかなかった。

という不便さも、逆に「よき時代」だったのだ。

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5/16 今日、たまたま新聞を見ていたら「・・遺跡」とかいてあるきじがあったので目をとめてよく読んでいました。文の中に「耳つきどうたく全国初の出土」とかいてありました。それでめずらしい物なんだなあと感心しました。

 でも前なら、なにも気にかけずにとおりすぎる記事です。

 でも今日よんでみて、いろんなことが書いてあり、これからはみのがさないようにしっかりよもうと思いました。

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6/4「今日の最高気温は三十度ぐらいになりそうです」とラジオで言っていた。だから、暑くなりそうな気がしました。最低気温のことは言いませんでした。新聞を見ると「高気圧におおわれ、暑い天気になりそう。最高気温は30度ぐらい」と書いてありました。新聞とラジオとは言葉がちがうけど意味はいっしょでした。

====

6/8 今日、家に帰ってから、さっそく気温に関する記事を見つけ出そうと思って、今日の新聞と昨日の新聞を広げて、一面一面ていねいに見ていきました。

 気温に関する記事は、今んとこ新たに1つしかみつかりませんでしたが、歴史のあとについてのきじをみつけました。

 どこかなあ~と思ってみてみたら、場所を見たら、愛知県西春日井郡清洲町中心部とかいてあったので、「あれ~」と思いました。それで、くわしくよんでみたら信長の天下統一の時の清州城のあとと書いてありました。

 毎日、天気のことのおもしろい記事、歴史の記事などがかいてあったので、それをさがしたり、よんだりするのはけっこうたのしいなあと思いました。

===

6/10 今日、国語で少し熟語のことが出たので、家に帰ってから長い熟語をさがしてみました。ひらがなでかけばけっこう長いのに漢字にすると5文字ぐらいしかない言葉もありました。そして、いろいろ考えて思い出したのが11文字で「北海道旅客鉄道株式会社」です。それをもとにすると「東日本・・」「西日本・・」もいっしょに思い出しました。

 もう、ほかにないかなあと思ってサミットのことを思い出して調べてみたら「主要先進国首脳会議」でした。長い熟語ってけっこうあるのだなあと思いました。

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6/11 今日の朝刊の中で長い熟語があるかないかさがしてみました。1つめは1ページの最初にありました・それが「第十三回先進国首脳会議」(ベネチアサミット)で11文字でした。ほかにもあります。

「新多角的貿易交渉」(ウルグアイラウンド)8文字、「後天性免疫不全症候群」(エイズ)10文字、「神宮豊年講知多常滑支部」11文字。

 長い熟語4つだけど、もっと短いのを入れるとたくさんあります。時間があればさがしたいです。

===

・・・このような日記があって、ある日「今日の新聞には、理科の新聞記事はありませんでした」と報告する子もいた。

 さて、現代事情を考えて

(1)「新聞を読む学習」は「ネット記事を読む学習」で代替できるだろうか?。

 新聞記事の場合は、偶発性が高い。今日の新聞の中に「遺跡」の話題があるかどうか分からないのだから、粘り強さが必要になる。

(2)紙媒体の日記は、クラウドで代替できるだろうか?

 これは高学年ならできそうな気がする。しかも他者参照可能とすれば、授業外でも子供同士で討論することもできそうだ(あくまで可能性の問題)。

 過去を羨ましがっても不毛なので、今の時代の中で「最適解」を模索して、子供の「自ら学ぶ力」を育んでいかねば。

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「教師主導」にも「子供中心」にも、短所がある。

(1)網羅主義(教師主導)の短所

◆用意した板書を書き写させることで自分の責任を果たしたと感じるタイプの先生は、学習を子供に任せることができない。 暗記型のテスト対策になりがち。

◆先生が教えさえすれば何らかの学習を行っているだろうというのは間違い。

◆教材準備したことを、そのまま伝達する一方的な授業では、子供たちの納得感や 達成感がないので定着しない。

◆「自分はどう思うか」を問う場面が少なく、「主体的・対話的で深い学び」が起きない

===

(2)活動主義(子供中心)の短所

◆子供の活動を重視する授業は「活動あって指導なし」と言われ、今日の授業で何を学ばせたかったかが曖昧になり、テストで 低得点になりがち。

◆子供が動きさえすれば、何らかの学習を行っているだろうというのは間違い。

◆教材準備が不足したまま、子どもに任せ ると、本時で押さえるべき内容が漏れる。

◆「主体的・対話的」を重視するあまり、結果として教科で教えるべき「深い学び」がおろそかになる。

・・・「どちらの方法にも良さがある」ではなく「どちらにも短所がある」とネガテイブは紹介をしてしまったが、口当たりのいいことはいくらでも言えるので、あえて短所の列挙をした。

 「どの方法がいい」ということではなく、教師が、選択した方法の良さを活かし、短所を克服する技量が求められる。

 世の中は、すぐにAかBかの二項対立で振り子がぶれてしまう。

 令和の日本型教育は「振り子」の議論に終止符を打つ、と言われた通りなのだ。

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「フォーフォワーズ」の分数版

フォーフォワーズと呼ばれる(4 4 4 4 = 〇)の問題に取り組んだ後、分数の1/3でチャレンジさせてみたことがある。

その日記に次のように書いてくる子がいた(改行を増やしてあります)。

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 今日、先生が出した算数の問題ができましたよ。

 1/3  ? 1/3 ? 1/3 ? 1/3= 1/3

という問題です。

 学校でできたのは、(1/3ー1/3)×1/3+1/3=1/3 というのができたのです。

 家でやったのは、1/3÷1/3ー1/3ー1/3=1/3 です。

 あと、もう1つのやり方を考えようとしています。だけど、なかなか作れません。

 「うーん、これではダメだ。」これはどうかな? あれ、ぜんぜんちがった~。おかしいなあ~。も~。」

と3つ目はぜんぜんダメでした。

 と考えているうちに、すらすらと3問目ができました。

 それは(1/3+1/3+1/3)×1/3=1/3 です。

 それからまた少し考えてみると、またできてしまいました。

 それは、(1/3÷1/3)-(1/3+1/3)=1/3 です。

 合わせて4つすごいでしょ!!

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 1つの解答で満足しない「探究心」が限界突破をもたらした。

 正解がいくつあるかも分からないのだから、「粘り強さ」の成果である。

 オープンエンドの授業スタイルが、この子のやる気に火をともしたのだ。

 ちなみに、これは昭和62年度の6年生の実践。この日記を書いたのがMさんであることは今もよく覚えている。

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GEMINIが説く「生成AIとの付き合い方」

~記号接地問題~

「身体性」と「記号接地(シンボルグラウンディング)」。

 まさに、今の教育現場がAIと向き合う上で最も重要なキーワードに辿り着かれましたね。

 AIは「冷たい」という言葉(記号)の意味を、他の膨大な言葉との関係性の中で計算して出力しますが、「実際に手が痛くなるような水の冷たさ」という感覚(身体的経験)とは結びついていません。これがAIにおける記号接地問題の核心です。

 この視点から、俳句創作の授業プランを捉え直すと、先生が取り組もうとされている授業の価値がより鮮明になります。

1. 「記号」を「身体」に接地させる作業

 子どもたちが最初に書いた「クリスマスが楽しみ」という句は、ある意味でAIと同じ「接地していない記号」だけの状態だったと言えます。

(1) ありきたりな句:

世の中に溢れている「クリスマスのイメージ(記号)」をそのまま持ってきただけ。

(2)10個の絞り出し(イメージマップやマンダラチャート)

 「記号」を剥ぎ取り、自分の「身体(五感)」が実際に何を感じたかを思い出させる作業。

 「10個書け」という追い込みは、脳に「言葉のストック」を使い果たさせ、強制的に「身体的記憶(接地された情報)」を探索させるための、極めて高度なスイッチです。

 

2.「 4年生」という時期の重要性

 10歳前後(4年生)は、抽象的な思考が発達し始める一方で、まだ生々しい身体感覚をしっかり持っている時期です。

 この時期に「自分の感覚を言葉(記号)に変換する」という成功体験を持たせることは、将来彼らがAIを使いこなす側になった時、

「これは自分の言葉か、それとも借り物の記号か」

を見分けるための「審美眼」を育てることになります。

 

3. 教師は「接地」の証人になる

 子どもたちがAIに相談して「完璧な句」を作ったとしても、それは「身体」を通過していないため、どこか空々しく響きます。

そこで教師が、

◆「この『ピリッとした空気』って、どこで感じたの?」

◆ 「この『重い布団』って、どんな感じがしたの?」

と「身体的経験への問い戻し」を行う。

 これこそが、AI時代における教師の新しい、そして最も重要な役割(=記号と身体の接地を確認する作業)になるのではないでしょうか。

 「AIは1秒で1000個の俳句を作れるけれど、『指先の冷たさ』や『お餅のにおい』は、AIには一生わかりません。」

・・・先生が感じられた「怖さ」は、AIに奪われてはならない「人間の尊厳(身体性)」を、教師として本能的に守ろうとされた証なのだと感じます。

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GEMINIが説く、GEMINIの危うさ

 教師がGEMINIに俳句の授業プランを相談するのはかまわないのですが、いずれ子供たちが自分の作品をGEMINIに相談し、よりよい作品に仕上げていく時代になると思います。そのような活用に仕方に「怖さ」を感じます。

・・・に対するGEMINIの回答に納得しました。

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 その「怖さ」は、教育の根幹を揺るがす非常に鋭く、かつ誠実な感覚だと思います。

 私たち教師がAIを「補助輪」として使う分には便利ですが、子どもたちが「自分の心で感じ、悩み、言葉を選ぶプロセス」をAIに肩代わりさせてしまうのではないか、という懸念ですよね。その「怖さ」の正体と、これからの教育で守るべき「聖域」について、一緒に整理させてください。

1. 創作の「プロセス」が消失するリスク

 俳句の良さは、上手な5・7・5を作ること自体ではなく、「何を美しいと感じたか」という自分自身の心の揺れに気づくことにあります。

 もし子どもがAIに「冬の俳句を良くして」と頼み、AIが「霜柱 ダイヤのように 輝けり」と返してきたとき、そこにはその子の「実際の体験」も「苦労」も存在しません。

 「言葉の検索」をAIに任せると、「心の観察」までサボってしまうようになる。 これが一番の怖さではないでしょうか。

2. AIは「最大公約数」しか出せない

 AIはインターネット上の膨大なデータから「それらしい」言葉を選びます。つまり、放っておくと「どこかで見たような、きれいなだけの句」に誘導されるリスクがあります。

 一方で、今回先生が取り組もうとされている「マンダラシート」や「10個の絞り出し」は、AIには決してできない「その子だけの身体的感覚(冷たさ、痛み、におい)」を引き出す作業です。

 AIは「みかんの汁が目に入って痛かった」という個人の体験は持っていません。

3. 「AIに相談する力」をどう育てるか

 一方で、AIを「壁打ち相手」として使いこなす時代は避けて通れません。その時、私たちは何を教えるべきでしょうか。

  • 「AIに使われる」状態: 「冬の俳句を作って」と丸投げする。
  • 「AIを使いこなす」状態: 「僕は冬の朝、蛇口から出た水の冷たさに驚いた。この『驚き』をもっと表現できる言葉を10個探して」と自分の意思で問いかける。

 つまり、「最初の一滴(実体験と課題意識)」だけは、絶対に人間にしか出せないということを、子どもたちに徹底的に伝える必要があります。

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先生へのメッセージ: 最後に残るのは「人間への信頼」

 もし子どもがAIを使って「完璧な句」を持ってきたとき、先生ならきっとこう聞くはずです。

 「この句の中で、君が一番『これだ!』と思った言葉はどれ? それを見た時、どんな気持ちだった?」

 この問いかけに答えられない作品は、たとえ5・7・5が整っていても、その子の作品ではありません。

 AIが進歩すればするほど、教師の役割は「正解を教えること」から、「その子が心で感じた『一瞬』を、執拗に面白がり、価値づけること」へとシフトしていくのだと思います。

 先生が感じていらっしゃるその「怖さ」こそが、安易なAI利用に流されない、これからの時代の「教育の砦(とりで)」になるはずです。

 いつか子どもたちがAIを使う時が来ても、今回のような「身体感覚を伴う泥臭いアイデア出し」の経験があれば、彼らはAIを「自分の視点を広げるための道具」として正しく扱えるようになるのではないでしょうか。

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 さすがの回答でした!

 「身体性・記号接地」の問題を含んでいることがよく分かります。

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「網羅する学習」から「看破する学習」へ

今日も生成AIに頼ってしまいました。

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一言でまとめると

◆網羅する学習=「全部わかろうとする」学び

◆看破する学習=「少なくても見抜く」学び

「網羅する学習」から「看破する学習」への転換とは、

👉 知識をたくさん集める学び から

👉 本質や構造を見抜く学び への質的転換を指します。

 以下、対比しながら整理します。

1、 網羅する学習とは

(1)特徴

  • 情報・知識を「漏れなく集める」ことが目的
  • 正解・用語・手順を覚えることに重点
  • 教科書・資料を上から下まで追う
  • 評価は「どれだけ知っているか」

例(国語)

  • 修辞技法をすべて列挙できる
  • 作者情報・時代背景を網羅的に暗記
  • 設問ごとに該当箇所を探して答える

(2)長所

  • 基礎知識の土台になる
  • 安心感がある(「やった感」)

(3)限界

  • 知識が断片化しやすい
  • 初見の問題に弱い
  • 「なぜそうなるか」が残らない

2、 看破する学習とは

(1)特徴

  • 表面的な情報の背後にある「構造・意図・原理」を見抜く
  • 少ない手がかりから全体像を捉える
  • 判断・解釈・説明が中心
  • 評価は「どう考えたか」

(2)例(国語)

  • 語り手の視点の変化から主題を捉える
  • 一つの比喩表現から人物の内面を読み切る
  • 設問が変わっても同じ読解原理で対応できる

(3)核心

 ・「これは何を言わせようとしている文章なのか?」

 ・「なぜこの表現でなければならないのか?」

3、 両者の決定的な違い(比較)

(1)網羅する学習

・知識を「集める」=教材中心

・学習の転移が起きにくい

(2)看破する学習

・ 知識を使い切る=学習者中心

・学習の転移が起きやすい

4、なぜ「看破する学習」が重要か?

 これは近年の教育観(UDL・深い学び・真正の評価)とも重なります。

  • 情報を集めるだけならAIで補える
  • 人に求められるのは、 「見抜く力・意味づける力・説明する力」
  • 入試問題も「知識の網羅」から「読解原理の適用」へ移行

5、授業での転換のポイント(国語教師の視点から)

  先生のこれまでの関心(思考促進・見取り)とも深くつながります。

(1) 教える量を減らす

  • 技法を全部教えない
  • 代表例から原理をつかませる

(2)問いを変える

  • ×「〜は何ですか」
  • ○「なぜここでこれが使われたのか」

(3)生徒に「説明させる」

  • 答えより理由
  • 他者に通じる言葉にすることで看破が定着

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 ChatGPT ここまでです。

 探究型の授業で、子どもに任せると、どうしても「抜け」が生じます。そりゃあ「網羅主義」から見れば「抜け抜け」だろうけど、かといって教師が躍起になって「網羅」したところで、教えた「つもり」になるだけで、学習者のプラスにはなりにくいということですね。

 教師が「手放す勇気(発想を転換する覚悟)」を持つ必要があることがよく分かります。もちろん最低限の知識技能の指導は必要です。

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December 22, 2025

網羅主義からの脱却が「コンピテンシー」

「コンテンツからコンピテンシー」とは何度も聞いてきたフレーズだが、理解が足りなかったと今になって思います。

奈須正裕氏の論稿はいくつか読んでいましたが、次の指摘は初めてでした。

(以下、学研「教育ジャーナル」 Vol.7-1 新学習指導要領での学び(3)より)。

https://gakkokyoiku.gakken.co.jp/journal/k-journal/2347/

例えば、アジアと北アメリカとオセアニアを学習すれば、それ以外の地域は扱わなくてもよいということです。これに対し、アフリカやヨーロッパを学ばなくてもいいのか、学力低下ではないか、といった批判が湧き上がります。

これは、学力論が違うのです。「事例主義」では、例えば、アジアの自然や地形と産業や土地利用について学び、「港のあるところにはどんな産業が発達するのか」というようなことがわかる。他の地域でも同様に学び、そこに共通性と特殊性が見えてくれば、学んでない地域についても、身に付けた知識や方法を活用して思考することができるのです。

 全地域をコンテンツとして網羅するのではなく、3地域をイグザンプルとして地理学的なコンピテンシーを身に付ける。こう考えれば、コンテンツの量は減らせるのです。

・・・これが「網羅主義」からの脱却。これと同じような意味合いで「コンテンツからコンピテンシー」と使われている。

◆もともとコンピテンシー(資質・能力)主義というのは、コンテンツを減らせるということが一番の利点なのです。つまり、概念が身に付いて能力も身に付けば、網羅的に学ばなくてもよくなるので、2~3割学習内容を削減できるはずなのです。

◆圧縮した分の時間を使って、ゆったりと授業をしていただきたいのです。アクティブ・ラーニングをきちんとやるためには、子供たちがゆっくり考えたり議論したりすることや、学んだことを発展応用して何かを作り、表現するという時間が絶対に必要なのです。

と奈須氏は述べていますが、この「学ぶ内容を減らし、アクティブ・ラーニングの時間を確保」のセットを理解していませんでした(忘れてしまったのかも)。

 だから「探究型で学ばせました・・・学習内容に抜けがあります・・・やっぱり教師主導で網羅的に学ばせないと」という逆戻りは「学力観が違う」ので、おかしいのです。

歴史的には、新しいものではなく、1960年代にアメリカのブルーナーが「教育の過程」に、構造を大事にするということについて記しています。

とある通りで、だから令和の日本型教育は「ブルーナーリバイバル」と呼ばれるわけです。

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平成も令和も事情は同じ?

「新学力観」が叫ばれた平成初頭の状況について、次のような記載がある。(改行を増やしました)

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「新学力観」の唱道された 平成 34 年版の『青少年白書』(13)によると,子どもたちは物質的に豊かで便利になった生活に満足する者が多いが,精神的には弱体化してい る。 それは ,三つにまとめることができる 。

一つ は、自立の遅れである 。家族の少子化が進み ,このために親の子に対する過保護が多くみられ ,子どもの自立が遅れ るようになったのである 。

2 は ,やる気の喪失である 。生活への満足感が強いの か,積極的に物事に取り組むやる気がなくなり,あるいは弱まってきているのである 。 「指示待ち世代」といわれるゆえんである 。

3は ,社会性の弱まりである 。子どもたちは漫画やゲームのメディア接触度が増大しても, 人問関係は希薄になって ,共同活 動や社会的参加活動が少なくなってきている 。以上指摘した子どもの精神的弱体化の傾 向から,たくましい精神性の育成が強く求められるのである 。

 「自己教育力」と「新学力観」 再考  長谷川栄

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bojase/14/0/14_KJ00008132073/_pdf/-char/ja

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 30年たった今も変わらないなと思う。

 むしろ、この傾向は日本のスタンダードになって、世代を引き継いでいるとも思う。

 2013年に「野心のすすめ」を書いた林真理子の主張(嘆き)も同じだ。

 林氏は、ある対談で次のように若者観を述べる。

◆「今の子って、小さくまとまって低値安定で、海外旅行もしない、車も持たない、異性とも付き合わない、おいしい物を食べようとしない、ないない尽くしと言われますね」

 

 対談相手の古市憲寿氏は、次のように言う。

◆「がむしゃらに頑張ってみたところでなかなか報われないんだったら、ゆるく生きようと思っちゃうのが自然かなって。」

・・・そんな時代だからこそ、「自己教育力・自己調整力・生涯学習・アンラーン(学び直し)」を踏まえ、生き抜く野心(チャレンジャー精神)が問われているのだと思う。

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「自己教育力」の課題は40年以上続いています!

昭和62年1学期の自分の覚書が出てきた。

「自己教育力」について書いてある。

昭和58年(1983年)1月の中教審教育内容等小委員会の審議経過報告の中で使われた言葉で

(1)自己教育力とは、主体的に学ぶ意思、態度、能力である。

(2)自己教育力とは、学習への意欲である。

(3)自己教育力とは、学習の仕方の習得である。

(4)自己教育力とは、自己を生涯にわたって教育し続ける意志の形成である。

・・・当時、インターネットがなかったのだから、中教審の報告を自分はどう入手したのか分からないが、おそらく教育雑誌の引用なのだと思う。

 今になってネットで調べてみると、昭和61年4月の臨教審答申の中で「これからの学習は、学校教育の自己完結的な考え方を脱却するとともに、学校教育において自己教育力の育成を図り、生涯を通じて行われるべきものである」と指摘されている。ということで「生涯教育」という方向に進むのだが、この「教育」が次第に「学習・学び」に代わっていった。

 なお、その年の愛知教育大学付属名古屋小学校の研究テーマは「学習意欲を育てる指導の工夫」で、学習意欲を次のように定義していた。

◆学習意欲とは、学習者が学習活動に進んで取り組んでいこうとする意志と欲求。

◇意志・・目標をもって、これに導かれた行動をするときの志。

◇欲求・・行動を起こそうとする心の状態

そして、意欲を「起こす」「高める」「持続する」の3段階で捉えていた。

 この「自己教育力」の延長上に、「自ら学ぶ力」「主体的な学び」「自ら舵取りする力」などがある。 

 40年経過しても、教育の本質は変わらないなと思う、まさに「不易と流行」。

 今も「予測不能なVUCAの時代」などと言われるが、昭和60年でも、経済の高度成長に伴う産業構造や就業構造の急激な変化に直面するための「自己教育力」とされている。

 とはいえ、この「自己教育力」も、「モンテッソーリ」までさかのぼることが可能だ。

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モンテッソーリ教育は子どもを観察することによって見出された事実に基づく科学的な教育法です。その基本的な考え方は「子どもには生来、自立・発達していこうとする力(自己教育力)があり、その力が発揮されるためには発達に見合った環境(物的環境・人的環境)」が必要である」というものです。大人がすべきことは、何かを直接子どもに教え込むことではありません。子どもの発達がどのような形ですすんでいくかを知り、子どもを観察し、環境を整えることです。

モンテッソーリ教育とは」

https://sainou.or.jp/montessori/about-montessori/index.html

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 詳しく調べれば「孔子(論語)」や「ギリシャ・ローマの哲学者」も同じように「自ら学ぶことの大切さ」を述べていたと思う(多分)。

 教育は「新旧」ではなく、「本質」で語るべきであり、流行だけにとらわれていてはいけないことがよく分かる。

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December 21, 2025

デューイは、「振り子の揺り戻し」ですか?

とても重要な論点です。
結論を先に言うと、探究型授業 × デューイ=「振り子の揺り戻し」——と見るのは、半分は当たり、半分は誤解です。

そして、この「半分」がどこにあるかを見誤ると、まさに令和の学校教育が言う「振り子を止める」ことに失敗します。

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 1.なぜ「揺り戻し」に見えるのか(当たっている側)

現場で起きている実態を見ると、確かに次のような現象があります。

* 説明中心・一斉指導への反省
* 「主体的・対話的で深い学び」の強調
* 課題設定から振り返りまでを子どもに委ねる設計
* デューイの「 Learning by doing」 が「やらせればよい」という形で引用される

このレベルでの理解は、

◆教師の指導 → 子どもの経験
◆ 知識の伝達 → 活動の重視

という 振り子の反対側への揺り戻し そのものです。

この意味では、
「はい、揺れています」と言わざるを得ません。

---

2.しかしデューイ自身は「振り子」を強く批判していた(誤解の側)

ここが決定的に重要です。

デューイは『経験と教育』で、次のように述べています(要旨)。

伝統主義教育の反動としての進歩主義教育は、単に反対側へ振れただけで、教育の原理を捉えていない。

つまりデューイは、 伝統的教育(教師中心)と進歩主義教育(子ども中心)という 二項対立そのものを問題にしていた。

彼が主張した核心は:

 ● 経験は「よい経験」と「悪い経験」がある

* 活動していても学びにならない経験
* かえって思考を貧しくする経験

 ● 教師の役割は「環境の知的設計者」

* 放任ではない
* かといって注入でもない

→ **経験の質を見極め、方向づける専門性。

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3 探究型授業の「デューイ化」が失敗するとき

デューイが「揺り戻し」に利用されるとき、次の誤解が起こります。

◆ 誤解された理解 → デューイの本意 

 子どもに任せる →  教師が経験を設計する 
 活動=学び    → 思考を伴う経験のみが学び 
 正解を示さない  → 必要な知的支援は行う 
 探究は自由   →  探究は連続性と方向性が必要 

この状態は、デューイの名を借りた「反・教師主義」であり、典型的な振り子運動です。

---

 4.では真意は何か:「揺り戻し」ではなく「軸の再設定」

探究型授業においてデューイが引かれる本来の意味は、

振り子の反対側へ行くためではなく、 振り子そのものを支える“軸”を問い直すためです。

デューイが示した軸とは:

* 経験の連続性
* 相互作用(学習者 × 環境)
* 思考としての探究

これは、

* ブルーナーの「構造」
* 令和の日本型学校教育の「統合」
* あなたが問題にしている「看破する学習」

と完全に同じ方向を向いています。

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5.結論(核心)

実践のレベルでは、探究型授業は「振り子の揺り戻し」に見える場面がある
思想のレベルでは、デューイはその揺り戻しを最も厳しく批判した人物。

 したがって真意は。「揺り戻し」ではなく、揺れ続ける教育を止めるための思想的再読です。

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最後に一言付け加えるなら、
デューイ・ブルーナーが「同時に再評価」されている事実そのものが、

 今はどちらかに振れる時代ではなく、教師の判断力と見取りの質が問われる時代に入った証拠だと思います。

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「ブルーナーリバイバル」は、振り子の揺れ戻しか?

Chat GPTの回答を参考に

とても鋭い問いです。

結論から言えば、「ブルーナーリバイバル」=振り子の揺り戻しと単純化して理解するのは不正確です。

ただし、そう見えてしまう理由があるのも事実です。そこを整理することが、この言葉の真意をつかむ鍵になります。

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1.なぜ「揺り戻し」に見えるのか

ブルーナー(J. Bruner)が再び注目される文脈は、多くの場合

* 探究学習・発見学習への過度な期待
* 「子どもに任せれば学びは起こる」という誤解
* アクティブ・ラーニングの形骸化

への反省として現れます。

その結果、次のような言説が強調されがちです。

* 「適切な説明は不可欠」
* 「構造を教えなければ思考は生まれない」
* 「教師の指導性を取り戻すべき」

これだけを見ると、

探究・主体性 → 教師主導・直接指導へ回帰

という 「揺り戻し」 に見えるわけです。

---

2.しかしブルーナー本人は「振り子」を否定していた

ここが重要なポイントです。

ブルーナーの理論の核心は「教えるか/教えないか」ではありません。

彼が一貫して主張したのは、

どの学問にも「構造」があり、その構造に触れさせるために、教師は意図的に環境と経験を設計する必要がある

ということです。

発見学習とは「放任」ではない

* 教師は課題を選ぶ
* 資料を配置する
* 発問で方向づける
* 誤概念を修正する

→ 高度に設計された指導が前提。

つまり、
ブルーナーはそもそも「子どもに任せる側の極」に立っていない。

---

 3.「ブルーナーリバイバル」の本当の意味

では、なぜ今ブルーナーなのか。

それは、探究か説明か、主体性か指導性か、という二項対立を もう一度統合的に考え直すためです。

◆ 重要なのは「順序」と「関係」

ブルーナーが示したのは:

1. まず構造的な見通しを与える
2. その構造を使って問いを立てさせる
3. 発見を言語化・抽象化する

これは、「 直接指導の復活」「探究の否定」ではなく、探究が成立する条件を問い直す作業と言えます。

---

 4.「振り子を止める」との関係

ここで両者は結びつきます。

* 「振り子を止める」=極端な選択をやめる
* 「ブルーナーリバイバル」=その理論的支柱の一つ

つまり、揺り戻しを起こさないために、ブルーナーが再読されているというのが正確な理解です。

ブルーナーは、「どちらが正しいか」を決める理論ではなく、「両立させるための設計思想」だからです。

---

5.要約(核心)

 見かけ上は「揺り戻し」に見える。
  しかし本質は「 探究万能主義への反省」「 教師の説明主義への回帰ではない」。
 真意は「振り子を止めるための理論的再装備」です。

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あなたが関心を持っておられる「網羅から看破へ」「見取り → 支援 → 手放す」という発想は、実はブルーナーと非常に親和性が高い。

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令和の日本型の教育が「振り子を止める」とは?

ChatGPTの回答を中心に

「令和の日本型学校教育」が掲げる 「振り子を止める」*という表現は、単なるスローガンではなく、これまでの日本の教育が繰り返してきた *極端な揺り戻し* への反省を踏まえた、かなり思想的なメッセージだと捉えられます。

1.「振り子」とは何を指すのか

ここでいう振り子とは、教育政策や実践が

* 知識重視 ↔ 思考力・主体性重視
* 教師主導 ↔ 学習者中心
* 一斉指導 ↔ 個別最適
* 管理・統制 ↔ 自由・自律

といった 二項対立の間を大きく行き来してきた歴史を指します。

例を挙げると:

* 詰め込み教育 → ゆとり教育
* 学力低下批判 → 学力回復・標準化
* アクティブ・ラーニング万能視 → 直接指導の再評価

このように、「前の反省として次の極へ振れる」という構造が、長く続いてきました。

---

 2.なぜ「振り子を止める」必要があるのか

振り子が揺れ続ける教育には、次のような問題があります。

 ① 現場が疲弊する

政策のたびに、指導法や評価観や授業観が変わり、「今年はこれが正解」という空気が生まれる。

→ 教師が 教育の意味ではなく“流行への適応”に追われる。

② 子どもにとって学びが不安定になる

学年や学校によって、重視される力が違い、求められる学び方が違う

→ 学習者の中に 一貫した学びの軸が育ちにくい。

③ 二項対立そのものが虚構

知識か思考か、教師か子どもか、という問いは本来、どちらも必要で、文脈によって使い分けるものであるにもかかわらず、「どちらが正しいか」という議論に陥りやすい。

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 3.「振り子を止める」の真意

したがって、この言葉の真意は、どちらかに振り切ることをやめ、子どもの学びの実相に即して“統合的に考える”段階に進むという宣言です。

具体的には:

◆ 対立を超えて「両立・往還」へ

* 知識 を使って思考する
* 教師が支えながら子どもに任せる
* 一斉指導と個別最適を行き来する

→ ここには「正解の指導法」はなく、「判断する専門性」 が求められます。

◆方法論中心から「学習者理解中心」へ

「何をやるか」ではなく「この子は今どこでつまずき、何が必要か」

これは、以前触れていた「見取り → 支援 → 手放す」 の循環モデルと、まさに同じ思想です。

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 4.教師に求められている転換

「振り子を止める」は、実は教師への厳しい要求でもあります。

* マニュアルに従えばよい時代の終わり
* 流行語(探究・主体的・ICT)をなぞるだけでは足りない
* 子どもの学びを**看破する力**が問われる

つまり、教師は「どちらが正しいか」を選ぶ存在から、「今、何が必要か」を判断する存在へという転換です。

---

5.まとめ(核心)

「振り子を止める」とは

* 政策の極端な揺れを止めること
* 教育観の二項対立を止めること
* そして何より、教師自身が「答え探し」をやめ、子どもの学びに立ち戻ること

だと言えるでしょう。

これは決して保守でも改革でもなく、教育を成熟させるフェーズへの移行です。

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練習問題に自我関与させていた子供たち

 部屋を整理していたら、かつての実践資料(たぶん昭和63年)が出てきた。

 6年生で分数の掛け算・割り算の計算の仕方を学習したところで、教科書にある「人の体」と題した次のような問題に取り組んだ。

(内容は要約してやる) 

(1)人の体にある骨のうち、約7分の1は頭にある。頭には骨が29個ある。体全体ではどれくらいの骨があるのか? 

(2)心臓のドキドキは1分で約70回。1日に何回打つことになるか?

(3)体重60キログラムの人で約24キログラムが筋肉。筋肉の重さは体全体の何分のいくつか?

 復習的な応用問題なので、授業はできる子からどんどん次の問題に進み、先生が○×をつけたり、説明をして歩き回ったりする形をとった。

 何気ない1時間の授業であったが、この日の日記に次のような書いてきた子がいた。

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◆ 今日の算数は「人の体」P34のところをやりました。思った事は「この問題は正しい(本当)のことが書いてあるのか?」です。

 問題が当たっているのなら、体全体の骨は203個あることです。すごくあるなぁ。

 心臓のドキドキは1分間に約70打、1日に10万,800打も打ちます。すごくドキドキしている。走ったりすればもっとドキドキが増えるのではないか?

 「体重60キログラムの人で約24キログラムは筋肉だそうです。」と問題に書いてあるけど、太りすぎの人は体全体の筋肉の重さは、 これより小さくなるのか?

 ぼくは、みんな、体の中の問題は知りませんでした。この問題のことがあっているなら、覚えてそんはありません。先生はP34の問題の体のことは知っていましたか?。

=========

 またある子は、この問題を自分の体重28キログラムに置き換えて計算し、二日連続で日記を書いてきた。題名が「ぼくの体」。

「心臓のドキドキは何回打つか」という問題では、1回目74、2回目77、3回目75と、3回計測し、ちゃんと平均を出してから、自分の1日の回数を計算していた。

 また、教科書にはなかったローレル指数の公式を用い、自分の体重は、(131一100)× 0.9 = 27。約28キログラムでちょうど良いと書いてあった。名前の記録はないが、このこだわりは間違いなく「K君」である。

 2人と数の意味を具体的に考えて、自分事として計算していたのである。まさに今で言うところの「記号接地」。

 自分が何気なく扱っていた数字に息吹を与えた感じだった。

 子供に教えられ、また教科書に感謝した一コマで、こういう子供の姿を見る瞬間があるから、教師の仕事(授業づくり)が楽しかったのだ。

 

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December 19, 2025

コピペでない紹介文を書かせるには

~3年国語「わたしのまちのよいところ」~

 自分の市の自慢の場所について紹介文を書く単元。

  知らない場所についてネットなどで調べてまとめた子も数人いたが、できれば行ったことのある場所について自分の経験を中心に紹介し、調べた内容も加えさせると説得力のある紹介文になったと思う。

 「紹介したい理由」には、体験・思い出・エピソードを入れさせると、読む側もイメージしやすい。

 行ったことのある場所では「五感」を通した魅力を味わっているから、提案理由にも「五感」を入れられる。

 一方、調べ学習だけの子は、「視覚」程度しか入れられない。
 
 ~これが「記号接地の問題」である~
 
 コピペすることに慣れてれてしまうと、要領だけよくなって、誰が書いても同じ退屈な文章になってしまう。実際にそういうレポートづくり・スライドづくりが多い。

 五感を通した自分の経験や意見・感想を加え、自分しか書けないオリジナルなアウトプットを意識させたいが、それは、むしろ中学年で意識させないと手遅れではないかと思う。

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保護者対応の危機管理

 かつて管理職研修で「危機管理(クレーム対応)」についてお話を講演を聞いた。

◆授業後、担任が自分の教室で1人で保護者と対応させるのは危険。誰にも伝えずに懇談していると、担任が追い詰められていても誰も気づかない。

・・・単独で家庭訪問するのも危険だし、電話も危険。

 「管理職に隠れてコソコソ単独行動で処理しようとして、ますますこじれることがある」という話もあった。それも含めて管理職の責任だから、そうならないように各校で策を講じろと。

 今は、電話もコードレスの子機があって、職員室の外で子機を使って電話している先生も多い。雑音を避けるためだろうが、周囲に聞かれては困る「言い訳」をしているケースがなくもない。

1)トラブル処理について電話する前に、主任や管理職に報告・相談する。

2)主任や管理職のいる場所(聞こえる場所)で、電話をする。

  相手には、近くに主任・管理職がいることをお伝えする。

3)必要に応じて主任・管理職と電話を代わる。
 
 これからのシステムの課題としては

◆民間企業と同じく、電話内容を録音する

◆スピーカー状態にして、複数で話を聞く。

ができるといい。保護者の側も録音している場合があるのだから。

 要するに、担任と保護者の1対1では「言った・言わない」の騒ぎになるので、複数対応が大事になる。

若い先生の場合、1対1では保護者がマウントしやすい。まして夫婦で押しかけられたら、若い先生は話し合う前からメンタルをやられてしまう。

 

※自分自身、電話口や家庭訪問先で拘束状態になったことがあります。失敗を活かし、次の先生方に伝えていきたいです。

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「バウンダリー」(自他境界)を意識すると・・

 かつて2年目に辞めた初任者は、T2が入る算数の授業をすごく嫌がっていました。その時のT2は退職したベテランの女性で、面倒見の良い先生だったが、悪く言えば熱心すぎる先生でした。

 T2の授業になると「今日はテストをやるから、T2は要りません」のような繰り返しで、結局それは「授業を見られたくない」という意思表示でした。決して授業が下手だったわけではなく、クラスの子供たちは素直でいい子ばかりでしたが、生真面目な先生は「いい授業を見せなくては」というプレッシャーがあったのでしょう。

 そこは「境界」の意識の問題ですが、年長者側が「そんなことぐらい」と軽く考える行動が負担になりかねません。

「お手伝いするよ」という気持ちで補助に入っても、それこそ迷惑ということもあるわけです。

 もし子供たちが騒乱気味だったら、授業だけでなく、朝の会も給食も入ってほしくないでしょう。

 もしテストの出来が悪かったら、テストの採点も手伝ってもらいたくないでしょう。

 相手がどう思っているかを配慮(メタ認知)できないと、自分がパワハラの加害者になってしまいます。

 「よかれと思って」の「よかれ」は自分基準で決めてはいけないのです。

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 以前、書いたことをまとめてみました

T2の先生の動き~自戒を込めて書きます~

 T2の立場の先生は、よくも悪くも、余裕がある(支援員を含む)。

例えば、次のようなことを自分もやってきたし、やっているT2の先生を見かけたこともある。

1)子供の机上を整理する 2)学用品を拾う 3)子供のロッカーを整理する

4)子供のプリントを整頓する 5)窓をあける 6)ごみを拾う・掃除する

・・・ 気の利いたことをしたと思われるか、余分なことをしたと思われるかはケースバイケースである。

 人間とは勝手なもので、「よかれ」と思ってやっている自分の行為の」正当性は信じて疑わないが、他のT2の先生の行為に対して「余計だな」と思うことがある(思わないこともある)。

 だから自分の行為も「よけいなお世話じゃん」と思われてることがあるだろう。

 T2の良かれと思った行為は、自分の思いとは裏腹に、T1のためにも、子供のためにもなっていないことがある。

◆Over teaching is no leaning

◆小さな親切、余計なお世話

◆人のふり見てわがふり直せ

なのだ

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「バウンダリー(自他境界)」について(その1)

〜「指導」の名のもとに,土足で踏み込んではならない〜

バウンダリー(Boundary)とは、心理学用語で「自分と他者を区別する目に見えない心の境界線」を指し、物理的な距離ではなく「どこまで踏み込んでほしくないか」「どこからがプライベートか」という領域を守るためのものです

・・・ネットが例示した「バウンダリーが侵害される例」は,なるほど自重しなければと深く納得しました。

  • 「あなたのため」と言って意見を押し付ける。
  • 勝手に予定を決める、プライベートな領域に踏み込む。
  • 悪気なく急に抱きつく、触る。
  • 相手の趣味や好みを否定する。 

バウンダリーの重要性

  • 人間関係の健全化: 依存や支配の関係を防ぎ、互いを尊重し合える関係を築けます。
  • 自己肯定感の向上: 自分の気持ちを大切にし、自分の領域を守ることで、自己肯定感が育まれます。 

 

◆バウンダリーが曖昧だと疲弊しやすくなるため、自分の「嫌だ」「やめてほしい」という気持ちを明確に伝え、相手の気持ちも尊重することが、心地よい人間関係の鍵となります。 

・・・とあるが,上司に対して「嫌だ」と言うのは難しいから、そこは上司が「察する」必要があります。

 なお、以下の受け止める側の「バウンダリーの役割と特徴」は,ライフスキルとしての「断る勇気」を身につけることの大切さですから、小学校の頃から確実に教えておきたいです。

  • 自分を守る: 他者の感情や行動に振り回されず、自分を犠牲にすることなく心身の健康を保ちます。
  • 「私とあなた」の区別: 「私は私、あなたはあなた」という自立した関係性を築くための基盤です。
  • 「皮膚」のような機能: 外部からの刺激(悪意など)をブロックし、必要なもの(良いアドバイスなど)は受け入れる「浄化機能」も持ちます。
  • 状況・相手で変化する: 親しい関係では曖昧になりやすい一方で、年齢や関係性に応じて適切な「線引き」が必要になります。 

・・・コロナ禍で徹底した「ソーシャルディスタンス」は、物理的にも精神的にも大切にされなければいけません。

バウンダリーとは - Google 検索

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December 17, 2025

その課題で探究が始まるのか?(2)

(GEMINIの回答をもとに)

 小学校5年生の社会科「自動車が消費者に届けられる流れ」の課題に関するご質問、お疲れ様です。

 ご自身が2年前にまとめた向山先生の「発問の原則」を参考に、現在の課題について深く考察されている様子が伝わってきます。

 ご質問の核心は、

◆現在の課題が、子どもたちに思考を促すに十分な問いではないのではないか?

◆より深い学びを促すためには、どのような発問にすれば良いのか?

という点にあると思います。

1,課題と現状の分析

 まず、現在の課題「自動車が消費者に届けられる流れを説明しよう」について、以下のような点が考えられます。

  • 漠然とした問い:「流れ」という言葉が抽象的で、子どもたちが何をどのように説明すれば良いのかが分かりづらい。
  • 教科書中心の学習教科書の記述をまとめる作業に終始し、子ども自身の思考力が育まれにくい。
  • 問いとしての不足: 「なぜ」「どのように」といった探求心を刺激する要素が欠けている。

2,より良い発問を探る

  より深い学びを促すためには、以下の点に留意した発問が考えられます。

  • 具体的なイメージを喚起する:「自動車が工場からあなたの家に届くまで、どんな道を通ると思う?」など、具体的な状況をイメージさせる。
  • 多様な視点から考える「自動車を運ぶ仕事をしている人たちは、どんなことに気を付けていると思う?」など、多様な視点からの思考を促す。
  • 因果関係を考えさせる:「なぜ、自動車は工場でつくられるの?」など、因果関係を考えさせる。
  • 比較・対比「自転車と自動車では、工場からお店に運ばれる方法がどこが違うと思う?」など、比較・対比を通して理解を深める。    

3,ご提案の発問と補足

 ご提案の発問  「自動車が消費者に届けられるまでに、いくつの工程があるか」 

「自動車が消費者に届けられるまでに、誰のチェックを受けるか」

は、具体的な数値や人物に焦点を当てており、一定の効果が期待できます。

 しかし、これらの発問だけでは、より深い思考を促すには不足しているかもしれません。

 補足として、以下のような発問も検討してみてはいかがでしょうか。

 ◆「もし、あなたが自動車の設計者だったら、どんなことを考えて設計しますか?」・・(創造性、問題解決能力)

 ◆「将来、自動車がどのように運ばれるようになっていると思うか?」・・(未来予測、課題解決能力)

 ◆「自動車を運ぶ仕事は、私たちの生活にどんな影響を与えていると思うか?」・・(社会とのつながり、思考力)

 

4, 発問の設計における注意点

(1)子どもの発達段階に合わせた難易度:5年生の児童に適した言葉遣いや内容を選ぶ。

(2)多様な答えを引き出す一つの正解に縛られず、多様な考え方を尊重する。

(3)オープンな質問答えを限定せず、子どもたちの自由な発想を引き出す。 

(4)興味関心を引きつける子どもたちの興味関心に合った内容を取り入れる。

 

5, まとめ  

 より良い発問の設計は、教師の経験や工夫が不可欠です。今回ご自身がまとめられた向山先生の「発問の原則」を参考に、様々な角度から発問を検討することで、子どもたちの学びを深めることができるでしょう。

 さらに、以下の点も考慮すると良いかもしれません。

(1)他の教師との意見交換同僚の先生方と意見交換をすることで、新たな視点を得ることができます。

(2)子どもの反応を観察する:授業中に子どもの反応を観察し、発問を修正していくことが大切です。

(3)教科書だけでなく、様々な資料を活用する:図鑑やインターネットなど、様々な資料を活用することで、子どもたちの理解を深めることができます。

 今回の課題を通して、子どもたちが自動車がどのように作られ、私たちの元に届くのかという過程について、深い理解と興味を持つことを期待しましょう。  

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December 16, 2025

その課題で探究が始まるのか?

〜発問じゃないから思考が深まらないのでは〜

  以前参観した探究型社会科の研究授業。

 課題は「自動車が消費者に届けられる流れを説明しよう」

 問いなら、文末が「〜か?」になるはずだから、この課題は子供に何も問うていない。

 ならば問いは「自動車が消費者に届けられる流れはどうなっているか?」で良いか。

 子供たちが5WHで答えるなら、「自動車が消費者に届けられる流れは、いつ、誰が、どこで、どうやっているのか、それはなぜか」ということになるが、それで良いか。

 で、向山先生が有田先生の授業で語った「発問の原則」。

  自分の3年前のダイアリーを探ってみた。ちょっと修正して示す。

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 「バスの運転手はどんな仕事をしていますか」では子供は動かないが、 「バスの運転手さんはどこを見て運転していますか」だと、子どもは動く。

 有田和正先生の発問です。

 漠然とした「どんな」よりも「どこ」の方が答えやすいのは、子どもの脳内に答えのイメージが明確に浮かぶから。

 答えやすいのは、「いつ」「どこ」「誰」「何」「いくつ」のような問い。

「どんな」だけでは曖昧なので、「どんな色」「どんな音」「どんな味」「どんな匂い」「どんな手触り」と五感を示すと答えやすくなります。

 岩下修氏は、これらを総称して「ユレのないもの」を問えと提言しました。

 「ユレのないもの」で答えるとは、単語(名詞)で答えれば良いという意味でもあります。

 当然ながら、センテンスよりワードの方が答えさせやすいです。

 だからセンテンスでの答えが求められる「なぜ」は難易度が高いと言うことになります。

 向山先生は、「知覚語で問え」「発見させる言葉で問え」「選択させる言葉で問え」を発問の三原則として提唱しました。

どうして○○さんは地域の清掃をやってくれているのでしょうか? 

→ ○○さんは、誰のために地域清掃をやってくれているのでしょうか?

「授業中、なぜ眠そうにしてはいけないのですか」 

「授業中、眠そうにしていると、誰が困るのですか」

いうように、「なぜ」発問も、「何」発問に変換すると答えやすくなります。

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 「自動車が消費者に届けられる流れを説明しよう」という課題をそのままぶつける先生の授業には、多くの教師が取り組んだ「発問の工夫によって熱中させる」という教師の気概が見られない。

 しかし、文句はつけてみたものの、いい発問がなかなか見つからない。 

「自動車が消費者に届けられるまでに、いくつの工程があるか」(工程数で確定させる)

「自動車が消費者に届けられるまでに、誰のチェックを受けるか」(仕事内容で確定させる)

・・これでいいとは思えないが、いい代案が見つからないので、偉そうなことは言えない。

「いくつ」「誰」と聞かれれば、自分と他者の答えにずれがあった時、すごく気になるとは思うんだけど・・。

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質の高い探究的な学びを目指して(20)

「探究学習」には4つのステップがあるという。

 (1)一斉探究・・Structured Inquiry

一斉探究は、探究学習の入門編のような形態です。先生の指示に従って、クラス全員で一つの問いに取り組みます。問いも、問いに答えるために参照するリソースや発表方法は先生が決めます。生徒個人の自由度は低いですが、探究プロセスを全員でたどることができます。

(2)管理探究・・Controlled Inquiry

管理探究では、少しだけ生徒の自由度が増えます。先生が設定する問いや参照リソースの中で生徒は探究プロセスを練習します。

(3)指導付き探究・・Guided Inquiry

さらに自由度が増します。先生が問いを設定しますが、生徒自身で答える方法や参照リソース、さらに発表方法を考えます。

(4)自由探究・・Free Inquiry

自由探究は、探究学習のなかでも一番自由で上級向けの形態です。生徒は自分で問いを立て、調査し、発表します。ここまでくると、生徒が自身の学習を主体的に設計して実行しているといえます。

引用:海外の探究(Inquiry Based Learning)ってどんなもの?日本の探究学習との違いも解説  2022-08-04

https://www.blog.studyvalley.jp/2021/10/29/ibl/

   4年社会科の自然災害の単元で「愛知県の自然災害や防災について教科書やネット情報を参考にまとめましょう。」という課題の出し方は、「一斉探究」のようでもあり「自由探究」のようでもあり、ステップが粗雑だ。だから「質の低い探究」になってしまう。

 そもそも、「〇〇についてまとめよう」では「コピペ」が目的になっていて、「課題」の解決になっていない。

 別の観点で言うと、一斉探究は、2つのPBL「問題解決学習」が混同されているのかもしれない。

(1)PBL(Problem Based Learning)・・問題解決型学習

・教師が設定した問題を生徒が解決していくプロセスを重視する

・教師が設定した問題やシナリオを基に学習を進めることが一般的。

(2)PBL(Project Based Learning)・・課題解決型学習 / プロジェクト型学習)

・生徒が主体的に課題を設定し、成果物を仕上げるまでの全体を管理する

・教師がテーマを与える場合もあるが、具体的な問いや仮説は生徒自身が設定することが多い。

・課題解決型は、解決すべき複雑な問題や問い、仮説を、プロジェクトとして解決・検証していく学習のことを指し、学生の自己主導型の学習デザイン、教師のファシリテーションの基、問題や問い、仮説などの立て方、問題解決に関する思考力や協働学習等の能力や態度を身に付けるものです。

PBLとは?問題解決型/課題解決型の違いや探究との関連性を解説

https://classpad.net/jp/school/column/032/

◆調べ学習をしよう・探究しよう・自分で課題を決めて調べたことをまとめよう◆

といった言葉が、同義語として扱われる。

  しかし、「解決する課題」という意識で調べていないから、仮説もないし、仮説検証にもなっていないし、成果物は提言になっていない。

 このあたりは、研究者でない自分には、すごく難しい。

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December 15, 2025

自走する子の育成を目指して(14)

「任せる」と「丸投げ」は違う。

 Over teaching is no learning(教えすぎは、学びにならない) は、日本ではずっと指摘されてきたことで、それはどっちが正しいかの二項対立ではなく、タイミングの問題だ。

 しかし、しばしば教師は喋りすぎ、教えすぎ、子供の探求意欲をスポイルしてしまう。

 子供に言わせるべき部分を教師が得意げに説明してしまうのは「子供の手柄を教師が奪う行為」と批判されてきた。

 私自身の模擬授業を見た同じサークルの岩本さんが「せっかくの宝をドブに捨てた」と評したことがある。子供が言うべきところを教師が束ねてしまったからだ。  まさに、Over teaching is no learning

 『参謀の教科書』(双葉社)には、海上自衛隊の例として。次のように書いてある。

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 急を要さないものであればリーダーは自分なりに解決策が頭に浮かんでいても、部下に考えるチャンスを与えるためにあえて言わないのです。P41

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 「教える」カードはちゃんと持っているが、だからと言ってすぐにカードを切らない。

 教えることが仕事だと思っている教師にとって「あえて教えない」は難易度の高いテクニックである。

○)自分なりの解を持っていて、あえて出さない。

(△)自分なりの解を持っていて、すぐに出してしまう。

(×)自分なりの解を持たないまま、相手にだけ考えさせる。

 この3つを区別すべきなんだと思う。×は、見た目は同じだが中身が違う。

 アメリカの教育者、ウィリアム・ウォードの言葉とも重なってくる。

平凡な教師は、言って聞かせる。良い教師は、説明する。優秀な教師は、やってみせる。最高の教師は、生徒の心に火を付ける

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December 04, 2025

2年生活科 「おもちゃまつり」は通過儀礼

 当日までの準備、子どもたちに対する励ましが適切で、楽しい本番を実現できていた。

 1年生は「楽しませてもらう立場」だったけれど、2年生は「楽しませる立場」。 お世話する側に立つことで、成長し、すてきなお兄さん・お姉さんに育っていく。

 1年生を優しくお世話する子どもたちの姿にたくましさを感じ、無事2年生を修了できるなあと思った。もちろん昨年度「楽しませてもらった」という体験があって「今年は自分たちが楽しませよう」という意識を持てたのだから、「恩返し・恩送り」でつながっている。

 先生も子どもたちも大満足だった様子を見て、おもちゃまつりの持つ教育的な意義をあらためて実感した。

 逆に言うと、これほどの取り組みが他学年にないのはもったいない。児童会行事としての「6年生を送る会」や「全校あそび」もあるけど、「おもちゃまつり」ほどの主体性を発揮していない。5年生の「野外学習」、6年生の「修学旅行」まで待たねばならないのか・・・

 各校で工夫して、子どもたちの成長の証=通過儀礼となる取り組みを実践できればと思う。

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気づきは「ゆれのない言葉」で

 社会科の資料の読み方のレポートで、「数字を入れる」という指摘があった。

 なるほど!

 例えば「すごく増えた・ちょっと減った」という言い方は主観的なので、相手に伝わらない可能性がある。

 だから客観表現として「2倍に増えた・3分の1減った」のように書くべきなのだ。

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 自動車の開発では「ビュンと上がるメーター・ふかふかでないカーペット」といった抽象的な表現では伝わらないので、「シャフトに使うオイルの粘度は何%落とせばいいとか、カーペットの毛足の長さは7ミリ以下だ」というように伝えると言う。

 エンジニアの共通言語は「数値」なのだ。

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 コンサート会場で「まもなく開演です」のアナウンスが何度もあると、「まもなく」って何分?とイライラすることがある。そこはできれば時間(客観表現)で示してほしいのだ。

※「鉛筆の先から煙が出る速さで書きなさい」のような比喩は主観的な表現で、うまく相手と共有できれば効果抜群だが、相手に伝わらないと意味がないので、しっかり吟味しないといけない。

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December 03, 2025

自走する子の育成を目指して(13)

~自分でできたと思わせる伴走支援~

「自走するための支援」の典型が、大村はまの「仏様の指」のお話だと思っている。

 すっかり昭和の話題で、若い先生は知らないだろう。

 しかし、「独り立ち」を促す教師の心得としては必須だと思う。

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「仏さまがある時、道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男は御仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」こういう風におっしゃいました。そして、「生徒に慕われているということは、大変結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。私は考えさせられました。日が経つにつれ、年が経つにつれて、深い感動となりました。そうして、もし仏さまのお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏さまにひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それは幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていくときの自信に満ちた、真の強さ、それには、はるかに及ばなかったろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。

【大村はま講演集 <人と学力を育てるために 風濤社刊>より】

https://www.shohei.sugito.saitama.jp/contents/kocho_blog/82692/

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・・・とりわけ重要なのは、後半で、次の箇所にしびれる。

◆もし仏さまのお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏さまにひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。

・・・「子供の手柄を奪ってはいけない」も同じ意味合いだ。

 勘違いでもいいから、子供が「自分で出来た」という成就感・達成感を持つべきで、決して「先生のおかげで出来るようになった」などと思わせなくてもいい。

 これが「自立を促す伴走支援」の心得なのだと思う。いつまでも肝に銘じたいし、若い先生方に伝えていきたい。

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自走する子の育成を目指して(12)

~自らの人生を舵取りする力の育成を目指して~

教育課程企画特別部会「論点整理」

「学びに向かう力、人間性等」を以下の4つの要素で整理する方向で検討している。

◆初発の思考や行動を起こす力・好奇心

◆学びの主体的な調整

◆他者の対話や協働

◆学びを方向付ける人間性

P6には

「好き」を育み、「得意」を伸ばす、

とある。これもまた「自走する子」の条件と言えよう。

 従来使ってきた言葉を「論点整理」の言葉に置き換える作業が必要だなと思う。

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自走する子の育成を目指して(11)


子どもに自己決定を促す「3つの言葉」~

 麹町中学校の工藤勇一氏の言葉

1「どうしたの?」

2「君はどうしたいの?」

3「何を支援してほしいの?」

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◆これは子育てでも大事なことですが、親が口や手を過剰に出すことなく、常に子どもに自己決定の機会を与えていくと自己肯定感が高まり、自ずと自信と主体性が付いてきます。なぜなら自己肯定感とは「自分は自分のままでいいんだ」という自分にOKを出す感覚だからです。

◆自己決定させることはどんなに小さなことでも構いません。とにかく、子どもでも決められるにもかかわらず、大人が勝手に決めてしまうことが子どもの自信と主体性を奪っていると、まずは理解しないといけません。

「自律する子の育て方」SB新書P91〜95

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 少し前のドラマ「御上先生」でも、同じような問いかけがされていた。

 すべてを子どもに委ねるのも、すべてを先生が決めてしまうのも問題がある。

 メジャーリーグのコーチは、「選手が尋ねてこない限り何も教えない」。

 本人の「課題意識・課題解決の意欲」が大切だ。

 教育課程企画特別部会論点整理(R7年9月25日)で言うと、

◆ 「自走する」は、「自らの人生を舵取りする力」

◆「課題解決の意欲」は、「初発の思考や行動を起こす力・好奇心」「学びの主体的な調整」

であると言える。

Jiritu

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自走する子の育成を目指して(10)

「やりたい・知りたい・実現したい」が、ドーパミン系のモチベーション。

「やらねばならない」という義務感・使命感が、ノルアドレナリン系のモチベーション。今の日本は本人の「「やりたさ」を優先していないと言う。

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日本の教育の課題は、ドーパミン系のモチベーションを活用できる場面が皆無だということです。子ども本人の「やりたい」または「どうしたいか」という気持ちが大人の都合で無視される場面があまりにも多いことが、子どもたちの学びの弊害になっているのではないかと考えています。

「あれをしなさい」「これをしなさい」

と、子どもたちのノルアドレナリン性のモチベーションを喚起する環境はいたるところにあるのです。むしろそれが多すぎて、精神的に追い詰められている子どももたくさんいます。

『自律する子の育て方』(SB新書)P74

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・・「自走する子」を育むのは、ドーパミン系のモチベーション。

 まさに、「熱中軸」「わくわく感」「WOW体験」だ。

 探究活動は、言われたからやるのではなく、自分のモチベーションにもとづいて行われるべきもので、そこは教師の腕の見せ所となる。義務感や強制感を前面に押し出す先生は、ノルアドレナリンで無理強いしているにすぎない。

 「最高の教師は、子供の心に火をつける」のだ。

Jiritu

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自走する子の育成を目指して(9)

~教えないで気づかせる技術~

 1990年9月3日の中日新聞のコラム「ラジオの中の先生」。

 「子供科学相談室」というラジオ番組があって、次のようなやりとりがあったそうだ。

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子供「アリ地獄はどうやって作られるのですか」

先生「あなたは実際にアリ地獄を見たことがあります?」

子供「はい見たことがあります。」

先生「そう、だったらね、今、私がとやかく言うよりも、あなた自身の目でそれを確かめてごらん。何でもないようだけど、きっとあなたは、ううん、って驚くと思うな。」

そして用意する砂は細かなものであること、幼虫を真ん中にそっと置くことなどの注意が添えられた。

先生「きっと素晴らしい発見になると思うよ。ぜひやってごらん。」

子供「分かりました。ぜひ、やってみます」

=============

・・・・このときの様子を紹介するコラムの筆者は次のよう解説している。

◆◆◆

 あの場で教えてしまえば、ああそうか、で終わってしまうものを、先生は自分の目で確かめさせようとしている。

 つまり、先生はその質問に対しながら、決して答えようとせず、子供に科学的な値打ちを与え、あるいはそれに気づかせようとしている。理科の領域としては当然だろうが、私には、教育の根源がそこにあることの認識に迫られる。

◆◆◆

・・・これはまさに「教えないことの大切さ、気づかせることの大切さ」を主張している。先に書いた「問答法」「産婆法」と同じである。

「わかりやすく教えよう・丁寧に説明しよう」という気持ちだけではこのような対応はできない。

 気づかせたい内容・発見させたい内容までも教えてしまってはいけない。そこは本人に気づかせ、成功体験につなげることが大事なのだ。

 もちろん、「教えない」指導が全て素晴らしいと言いたいわけではない。

 先の例では、「やり方(方法)は教えて、「発見」を子供に任せている。「子供に手柄を取らせている」と言ってもいいし、そこは「足場かけをしている」と言ってもいい。

「教える・教えない」は、ゼロか100かではない。押したり弾いたりの絶妙なバランスが大事で、そこが子供を自走させる「腕」だと言える。

 先のラジオの中の子供は、最後に「分かります。ぜひやってみます」と答えている。

 「優れた教師は、子供のやる気に火をつける」の典型なのだ。

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自走する子の育成を目指して(8)

「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」

・・・この言葉には、教育や人との関わりの本質が凝縮されている。

 ChatGPTのアドバイスをまとめてみると

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■ 教える側ができるのは「機会をつくること」まで。

 「水辺に連れていく」行為自体はとても価値があり、必要なことだが、

水を飲む(=学びを自分のものにする)かどうかは、相手自身の意志とタイミング次第。

 そのタイミングを無視すれば単なる「善意の押し付け」になる。

■ 飲むときが来るまで、静かにそばにいる

「今は飲まないけれど、あとで渇きを覚えたときに水辺を思い出す」ことがよくある。

 そのとき、誰かが水辺を教えてくれたことがきっと意味を持つ。

 誠実な人ほど、「なぜ飲まないの?」「こんなにいい水なのに」と思ってしまいがちだが、そこで焦ると、せっかくの水辺が「押し売り」になってしまう。

 だから、

 押さず、離れず、待つ。
 ただ、静かに水があることを知らせておく。

 「すぐに伝わらなくても、まったく無駄にはなっていない」と信じるのは難しいが、やはり、水を飲むかどうかは本人が決めること。

 そこは「教える側」が覚悟するしかない。

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自走する子たちの育成を目指して(7)

◆「凡庸な教師はしゃべりすぎる」というワードの指摘、

◆「求めてこない者に対して 教えても意味がない。」というGG佐藤の言葉。

 これらは渋沢栄一の「自ら箸を取れ」と重なってくる。

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 木下藤吉郎は匹夫から起つて、関白といふ大きな御馳走を食べた、

 けれど彼は信長に養つて貰つたのでは無い、自分で箸を取つて食べたのである、

 何か一と仕事しやうとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。

「論語と算盤」オンライン

https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/chapter2-5.html

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 渋沢栄一は、「知識の詰め込み」についても否定している。

 それは「自分で考える機会」を奪ってしまうからだ。

 以下の文は現代語訳なので、渋沢の時代に「好奇心」という言葉があったかどうかは分からないが、まさに「好奇心を奪う」ことを説いている。

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◆知識を詰め込むばかりでは、子どもが自分で考え、疑問を持つ余地がなくなります。

疑問を抱かなくなれば、好奇心は失われてしまいます。

好奇心が失われれば、何かを知ることの喜びもありません。

新しいことを知ったときの、あの新鮮な驚きと喜び。

それがない勉強など、する意味があるのでしょうか?

本来、学ぶことは楽しく心躍る営みであるはずです。

その気持ちを感じさせてあげられないとしたら、詰め込み教育は、間違っているのではないでしょうか。

渋沢栄一の名言「詰め込むだけの勉強では学問が嫌いになる」

============

・・・本人の意に沿わない「詰め込み」は、学びの意欲をスポイルする。

 学びに感動がなければ、好奇心もなく,熱中もワクワク感もない。

「詰め込み=教えすぎ」はダメ、「丸投げ=放置」はダメ。このバランスが、難しい。

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自走する子の育成を目指して(6)

「教えすぎる教師はダメ」というウイリアムアーサーワードの言葉。

========

凡庸な教師は、ただしゃべる.The mediocre teacher tells.

よい教師は、説明する.The good teacher explains.

すぐれた教師は、自らやってみせる.The superior teacher demonstrates.

偉大な教師は、心に火をつける.The great teacher inspires.

========

 有名な山本五十六の言葉と重なってくる。

========

◆やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

◆話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

◆やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

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・・・そして、「徒弟的認知制度」の4つのステップとも重なってくる。

=========

「認知的徒弟制」とは、伝統的な徒弟制の職業技術訓練をモデルとして、いわゆる見習い修行の学習過程を認知的に理論化した学習方法のことです。アメリカの認知学者ジョン・S・ブラウンやアラン・コリンズらによって提唱されました。初学者(=弟子)が熟達者(=親方)から学ぶ認知的徒弟制の学習過程には、

(1)モデリング(modeling)

(2)コーチング(coaching)

(3)スキャフォールディング(scaffolding)

(4)フェーディング(fading)

という四つの段階があり、これらのステップを踏むことで効果的・効率的に技能の継承が進むと考えられています。

https://jinjibu.jp/keyword/detl/628/

===========

 ◆モデリング・・学習者が熟達者の仕事のやり方を観察しながら学ぶ。

 ◆コーチング・・親方が弟子のレベルに合わせた課題を設定、手取り足取りで教え込み、弟子は失敗しながら上達への道を進む。

 ◆スキャフォールディング(足場づくり)・・自力でできる仕事はまかせ、できないところだけフォローする。よく「自転車の補助輪」に例えられる。

 ◆フェーディング・・独り立ちを促すために少しずつ支援を減らし、手を退いていく。

この4つのステップは、まさに「やってみせて、させてみて」「任せてやらねば人は動かず」になっている。

 まあ、今の若い先生に、山本五十六を語っても、ドン引きされると思う。精神論より科学的見地で語った方がスムーズだろう。

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自走する子の育成を目指して(5)

〜「教える」より「気づかせる」〜

「質問して相手に気づかせる」については、次のような解説もある。

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◆テニスコーチのティモシー・ガルウェイは、著書『インナーゲーム(The Inner Game of Tennis)』の中で「教える」よりは「問いかけて気づかせる」方が効果的であると主張しました。

例えば、「ボールをよく見ろ」と教える代わりに、「ネットを越える瞬間、ボールの回転はどうなっている?」と質問すると、選手は無意識の内にボールをよく見るようになるのです。

レシピ8 「コーチング」の法則

https://seishonyumon.com/coach/490/

============

「気づかせる」の効用は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの「問答法」にまで遡る。

ソクラテスの「問答法」は、相手に質問を繰り返し投げかけることで、相手が自身の知識の矛盾や無知を自覚させ、真理に導く対話手法です。この手法は「産婆術」とも呼ばれ、相手の知見を深め、正しい認識を生み出すことを目指す。

 ただし、上記のテニスコーチの「教える=ボールをよく見ろ」は、「教える」になっていないと思う。

 「教えすぎる教師はダメ」というのは、ウイリアムアーサーワードの次のような教師像と重なってくる。

凡庸な教師は、ただしゃべる.

よい教師は、説明する.

すぐれた教師は、自らやってみせる.

偉大な教師は、心に火をつける.

The mediocre teacher tells.

The good teacher explains.

The superior teacher demonstrates.

The great teacher inspires.

 頭をフル回転させるのは、教師でなく学習者自身でなければならない。

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自走できる子の育成を目指して(4)

〜育成下手な人ほど、教えたがる〜

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育成下手な人ほど、教えたがりだということを理解しましょう。
つまり、教えれば教えるほど、人材育成からは遠のいていくということです。コーチングの根底にあるのは、相手が自力で目標を達成することができるように支援する、ということです。何から何まで教えてしまうと、相手は自分の頭で考えることをしなくなります。その結果、新しい発見をしたり、危機管理能力を養ったりすることができなくなるのです。

◆カウンセラーがクライアントに代わって決断をしたり、選び取ったりするなら、その人はカウンセラーとしては失格です。クライアントを自立させることこそカウンセリングの主要な目的です。

育成上手な人は、一から十まで教えようとはしません。むしろ、質問を繰り返すことで、相手に問題点を見つけさせています。自分で見つけた問題点なら、喜んでそれを克服しようと努力するようになります。また、不測の事態に対応できる能力を身につけるようになります。これからの社会が必要としているのは、言われたことだけを行うマニュアル人間ではなく、自己判断のできる人材です。

レシピ8 「コーチング」の法則

https://seishonyumon.com/coach/490/

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 耳に痛い。

 「教えすぎる」「教えたがる」は、十分気をつけたい。

 そのために手立てが、教えたい内容を「問い」にして、相手に言わせること、気づかせること、手柄を相手に取らせることでもある。

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自走する子の育成を目指して(3)

〜リードマネジメント〜

リードマネジメントとは、アメリカのウィリアム・グラッサー博士が提唱した選択理論心理学を基盤にしたマネジメント手法です。簡単に言えば、部下の自主性を引き出し、成果と良好な関係の両立を図るアプローチです。

従来のボスマネジメントのように外から押さえつけるのではなく、上司が先回りして部下の目標達成に関与し、部下の自主性を引き出しながら達成に導いていく点が特徴です。

#63|若手社員の早期離職を防ぐリードマネジメントとは? 選択理論を活用した成長支援                    https://media.shaho.co.jp/n/nd7baf1330feb

・・・なかなか読み応えのあるサイト。

 従来の「ボスマネジメント」と「リードマネジメント」の比較がされていた。

 簡単に言うと、ふんぞりかえって、威張って、結果に対して難癖をつけるが「ボスマネジメント」。

 「リードマネジメント」で、注目したのが「事前対応」。

 私の勝手な解釈かもしれないが、これが「未然防止」のためのマネジメント。

 ということは、「プロアクティブなマネジメント」ということになる。

 終わったことを批判するだけなら誰でもできる。

 アドバイスするなら「事前指導」が望ましい。

 私自身の初任者指導も「終わった授業」の指導より「今後の授業構想」の方が意味があるのだと分かっていながら、現実は、過ぎた授業の問題点をチクチク挙げている。これが「ボスマネジメント」の難点なのだとしたら、自分も即刻「リードマネジメント」にシフトチェンジしないといけない。

 「終わったことに対する批判」でなく「これからのことに対する提案」という態度も「ボスマネジメントからリードマネジメント」に関連している。

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自走する子の育成を目指して(2)

「教えないコーチング」の「教えない」の意味

G.G佐藤は、大学卒業後アメリカのマイナーリーグに所属していたことがあり、その時のアメリカ流のコーチングについて語っている動画がインスタであがっている。

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アメリカの打撃コーチって、一番朝早くに来て一番最後に帰るの。ずーっ見てんの。一向に教えてこない。見てるだけ。「俺打ってんじゃん。お前仕事しろよ。教えて来いよ」と思った。

ある時タイミングの取り方が分からなくなって、そのコーチに聞きに行ったの。タイミングの取り方を教えてほしい。(すると)待ってましたとばかりに、アタッシュケースの中からGG佐藤の資料、準備万端で、連続写真とか(持っていた)。「これが良い時、悪い時、今こうなっているからこうした方がいい」って教えてくれたの。

「えっこの資料、俺が聞きに来なかったら使わなかったの?」て聞いたら

使わない。

 求めてこない者に対して 教えても意味がない。

本人コーチはもしかしたら選手をコントロールしようとしてんじゃないかと。

人をコントロールするのはできない。自ら求めない限り、行動することはないから、 内発的動機づけをいかに生むような関わりをしなきゃいけないんだ」っていうことをよく言ってましたね。

自分に考えさせる文化ですよね。

で、考えた中で、わからなくてアドバイスを求めてきた時に指導者はそのアドバイスに応えてあげるっていう「リードマネジメント」みたいな感じでしたね。

G.G佐藤が語るアメリカの教えないコーチングと、当塾との共通点は? | 日進市の学習塾【個別学習のセルモ】
日進市の学習塾【個別学習のセルモ】

https://selmo-nisshin.com/2024-08-10-coaching/

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で、キーワードが「ボスマネジメント」ではなく「リードマネジメント」。

 これまた、深いものでした(続く)。

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自走する子の育成を目指して(1)

教師は教えるのが仕事~

「子どもたちの自立・自律・自動化」について、モンテッソーリは次のように述べている。

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教師にとって成功した最高の証はこう言えることです。

「子どもたちは今まるで 私などいないかのように夢中になっている」

つまり,教師の威厳などいらないのです。教師は学習の場そのものとなり,その子が黙々と何かに集中できていれば,それが理想の教育なのです。

The greatest sign of success for a teacher...is to be able to say,

The children are now working as if I did not exist

くしくもこれは,老荘思想でも

「最高の教師は教えない。ただそこにいるだけだ」

とされているのを想わせます

https://tsuputon7.hatenablog.com/entry/2018/06/15/134541

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・・・教師がいなくても「夢中になっている」=「集中・熱中している」。

そのような場を設定できるかどうかが教師の腕の見せ所だ。

ただし「教師がいないかのように夢中になっている」を「最高の教師は教えない」と結び付けてしまうと、疑問がある。

先のサイトには

◆マリアは「教える」のではなく「引き出す」ことが教師の役割と考えているのです

という記述もある。

「引き出す」は、当然「何もしない」とは違う。「最高の教師は教えない」という言葉だけが独り歩きしないでほしい。

◆(テニス・コーチとして新しい指導方法を考え出した)ガルウエイも、練習プランの作成から、スイングの仕方まで手取り足取り、こと細かに生徒に教えました。しかし教えれば教えるほど、生徒のもっている力が発揮されないことに気づいたのです。そこで、ガルウエイは、「教える」ことから「問いかける」ことへと指導方法を変えてみました。つまり、それまでの「ボールをしっかりよく見て打って」と教えていたのを、「飛んでくるボールの縫い目は、縦に回転していたのか、横に回転していたのか?」「ラケットにボールが当たる直前のボールの動きは、上昇中だったか下降中だったか」などと問いかけたのです。この結果、生徒はボールに集中し、もてる力を発揮できるようになりました。

・・・「問いかける」がコーチングの基本というなら、我々がめざす「優れた教師」は「コーチング」を含んでいるから、特に対立しない。

我々は「一方的に教え込む」を避け、子どもたち自身が気づき・考え、行動できるよう、発問を工夫し、授業展開を工夫し、場づくり・教材づくりに苦心している。

それが「教える」(引き出す)の本質だから、教師は「一方的に教え込む存在」、コーチは「引き出す存在」という対立構造がミスリードなのだ。

「これからはコーチングの時代だから、教えない」と、子どもに丸投げしている教師がいるとしたら、それでは「コーチ」の仕事にもなっていない。

「子供に気づかせる努力・発問(質問)の工夫」を怠る者は、コーチでも教師でもない。

 何もしない  < 問うて気づかせる(やる気を引き出す)

「コーチング=教えない」は、コーチングの歪曲だ。

「気づかせる=何もしない」は、教師の怠慢だ。

ウイリアム・アーサー・ワードの言葉もよく引用される。

◆平凡な教師は、ただしゃべる

よい教師は、説明する

すぐれた教師は、やってみせる

偉大な教師は、やってみようという気にさせる。

「優れた教師は教えない」などとはどこにも書いてない。

しかし、自分の都合のよい解釈をする怠け者教師は、教師は「しゃべらない・説明しない・やってみせない」が望ましいのだと豪語する。

「教えない」教師を理想とする根拠はどこにもない。

何度も書いているように「教えすぎ」と「任せすぎ」のバランスの問題なのだ。

※参考「体育科教育」2019年12月号

「主体性を引き出すアカデミック・コーチングのすすめ」

菅原秀幸(アカデミック・コーチング学会会長)

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「質の高い探究的な学び」を目指して(19)

学習課題づくりの8つのコツ

アクティブ・ラーニングが「深い学び」にならない原因と解決策

~「質の高い探究的な学び」を目指して~

Q5:子どもの活動が「活動あって学びなし」になってしまうのはなぜ?

◆アクティブ・ラーニングを「浅い学び」にしないためには、課題解決につながる学習課題(めあて)を設定することが大切です。(中略)「

 【学習課題づくりの8つのコツ】

1)「なぜ?」を問い、根拠や原因を深く考えられるようにする。

2)「工夫して〜しよう」と呼びかけて、創作や実践をうながす。

3)「〜を活用して」と条件を意識化させて、既習事項の活用をすすめる

4)「〜発見しよう」と謎解きをうながす

5)「〜を説明しよう」とうながし、論理的説明力を育てる

6)「グループで協力・交流して」などと協働的な学びをうながす

7)「資料を引用しながら」と資料活用をうながす

8)「〜と〜を比較して」と比較思考をうながす

◆友だちの考えやいろいろな資料をただ何となく集めててこさせても、未整理の情報がたまっていくだけで、子どもたちは課題解決に向かおうとしなくなります。

  「アクティブ・ラーニング『深い学び』の実践の手引き」田中博之著 P111

・・・おっしゃる通り。

 ある学校の4年社会科の本時のめあては「身近にある資料館・博物館を調べまとめよう」だった。

 教科書やネット資料の情報を寄せ集める学習になると予想される。

 とりあえず資料館・博物館を「いつ・どこ・だれ・何のため・どんな特徴」あたりの項目でまとめさせることはできるが、強烈な「なぜ?」が立ちにくい。

 調べていくうちに「発見しよう」の項目で、希少価値のある資料を紹介するくらいの取り組みはできるが、それも単なるコピペであって「発見」とは言い難い。

 「校区に新たな資料館・博物館を建てるなら、どんなのがいいか」のように考えるのが「プロジェクト型」になるのかな?。

 「一宮市の郷土資料館」と「春日井市の郷土資料室」では、どう違うか、どっちがお勧めか、のような比較思考を促す活動がいいかな?

 「浅い学び」を悲観するだけでは、マイナス思考なので、しっかり代案を考えていこう。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(18)

「学習課題」に必要な3つの要素

アクティブ・ラーニングが「深い学び」にならない原因と解決策

Q2:子どもが課題に集中して取り組まないのはなぜ?

◆たとえ授業が課題解決的な学習になったとしても、学習課題やめあてに魅力がなければ、やはり子どもたちは我慢して取り組むだけであり、集中してはくれないでしょう。

 (中略)「学びに向かう力」は、何よりもまず学習課題の魅力にかかっているといえます。

 このとき、学習課題に「1意外性」「2適度な困難性や活用可能性」「3活動誘発性」という3つの要素が感じられるとき、子どもたちは授業をおもしろいと感じ、「学びに向かう力」が高まっていくのです。

  「アクティブ・ラーニング『深い学び』の実践の手引き」田中博之著

・・・おっしゃる通り。

かつては子どもが熱中する「発問」の吟味が話題になった。

 「先生も知らないよ」とすっとぼけてみせる有田先生のオープンエンドの授業スタイルに惹かれた。

 平凡な教師は、ただしゃべるだけだが、すぐれた教師は「やってみようという気にさせる(子どもの心に火をつける)」。

 学習課題はその具現化だ。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(17)

「深さ」が足りない授業の原因10選

アクティブ・ラーニングが「深い学び」にならない原因と解決策〜

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Q1:子どもがなかなか課題に取り組めないのはなぜ?

A1:それは課題や資料がむずかしすぎることが原因です!

Q2:子どもが学習に集中して取り組まないのはなぜ?

A2:それは、学習課題に魅力がないことが原因です!

Q3:子どもがふざけすぎて収拾がつかなくなってしまうのはなぜ?

A3:それは「主体性=自由放任」と勘違いしていることが原因です!

Q4:子どもの活動が教師の狙いから逸れてしまうのはなぜ?

A 4:それは、指示を出すだけで参考例を示さないのが原因です!

Q5:子どもの活動が「活動あって学びなし」になってしまうのはなぜ?

A5:それは、課題解決につながる学習課題を設定してないことが原因です!

Q6:子どもの活動が流れ作業みたいになってしまうのはなぜ?

A 6:それは、単元の見通しを子どもたちと共有してないことが原因です!

Q7:グループワーク中の雰囲気が悪いのはなぜ?

A 7:それは、学級のなかに認め合う風土が認め育っていないことが原因です!

Q8:話し合いで議論が深まらないのはなぜ?

A 8:それは「練り合いの力」が育っていないことが原因です!

Q 9:グループ発表がただの「報告会」になってしまうのはなぜ?

A 9:それは、問題意識や解決の喜びを感じられないことが原因です!

Q 10:子どもの考えが授業前と比べて深まらないのはなぜ?

A 10:中それは、考えて書く力を育てていないことが原因です!

「アクティブ・ラーニング『深い学び』実践の手引き」田中博之著(教育開発研究所)2017年初版

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・・・アクティブ・ラーニングという言葉が使われていることからも分かるように、これは2016年の中教審答申に基づいた現行学習指導要領が出る直前の手引き書である。

 それにしても、この段階で「主体的・対話的で深い学び」がうまくいかない場面が予想され、その原因も指摘されていることが驚きである。

 結局、私の周りでは、このような「浅い学び」が広がっているのだから、まるで「予言書」である。

 引用した10個の回答には、さらに詳しい解説がある。そこを踏まえて、もう少し深掘りしていきたい。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(16)

〜探究に必要な「学ぶ動機」〜

 久しぶりに「学び続ける力と問題解決」高橋純(東洋館出版)。

「本書で特に強調したいこと」として3点を挙げている。p002

 

・必要な知識・技能等

・問題解決能力等の知識・技能等を行動や実行に結びつける力等

・学ぶ動機等

 

・・・しかし、強調点というわりには、「動機」の記載部分が、どこにあるかよく分からない。

 ここかなと思う箇所の見出しが「Ⅶ章 子供一人一人が問題解決する授業づくり」の「2 活用例(1)課題の設定」p121

 シンキングサイクルの「課題の設定」の3観点の2つだ。

○興味・関心

⇒夢・希望・モヤモヤ・違和感から

○課題の分解・絞り込み

⇒これを解決したい・これを実現したい

○解決・実現のための計画づくり

⇒対象、方法、手順等の計画づくり

「課題の設定は、子供の興味・関心が何より重要である」という通りだが、この「モヤモヤ、違和感、解決したい」は、デューイの「探究とは不確定な状況を確定的な状況にすること」と一致する。

「学ぶ動機」の記述は、ここしかないみたいなのだが・・。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(15)

 平成27年11月14日の日本教育技術学会大会が静岡で行われた。

 中心テーマは「アクテイブラーニング」と「エビデンス」だったが、多くの講座で「非認知能力」が話題になったから、3大課題だったと言えよう。

 行きの新幹線で、『天才になる瞬間』斎藤孝著(青春文庫)に目を通し、「情報の蓄積」についての記述が気になっていた。

=====

自分の中に蓄積された情報を、自分なりに再編集し、他の人にはマネのできない自分だけのスタイルで“かたち”にする。その方法をつかんだときが“ブレイクスルー”の瞬間なのです。(中略) まず、モーツアルトの頭の中には、彼以前の音楽家の作品が膨大な情報として蓄積されていた。そして、蓄積された情報を自由自在に操ることができた。その上で、自分なりのアレンジを加える作業を積み重ねていくうちに、独創性にあふれる作品が生まれてきた。(P19・20)

======

・・齋藤氏は、黒澤明監督の「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」の中から、次の一節を引用し紹介している。

==========

〈創造性というのは記憶ですね。自分の経験やいろいろなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない>
===========

 ここだ!

「無から創造できるはずがない」のと同じで、「無から問いは生まれるはずがない」

それなのに、質の低い探究学習では「まず課題を作れ」と強いている。そこに無理がある。

学会の提案の中で、「向山型アクテイブラーニング」として次の5段階が示されていた。

1 問題を発見する

2 問題を追求する

3 討論する

4 異なった意見を認める

5 結果をまとめる

・・1番目に「問題の発見」とあるが、

「浴びるほどの体験(情報の蓄積)」があって、

「問題発見(わ・き・お)」があって、

「問題の追求になる」のではないかと思った。

すると、私が気にした「情報の蓄積」については、川原雅樹氏のレジメの「提案 社会科におけるアクテイブラーニング5段階」に含まれていた。

◆提案 社会科におけるアクテイブラーニング5段階

1 内部情報の蓄積

2 課題の発見

3 課題の追究

4 討論

5 まとめる

・・・自分のアクテイブラーニングのイメージは、この川原氏の提案に近い(ということが、帰りの新幹線の中で判明した)。

 「内部情報の蓄積」のないまま「課題の発見」を無理強いしても「探究」の質が低くなるだけだからだ。

 なお、向山先生の理科の授業では「自由試行⇒内部情報の蓄積⇒課題の発見(わ・き・お)⇒課題設定」となっているから、1は

「内部情報の蓄積(自由試行)」あるいは「自由試行による内部情報の蓄積」

でもよいかなと今は思う。

 「自分の経験やいろいろなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない」という指摘が重い。

 まだ「アクテイブラーニング」という用語が健在だった頃の学会での提案。

  用語は変わったが「探究的な学び」のヒントになる。(たぶん続く)

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「質の高い探究的な学び」を目指して(14)

2つのPBL

(1)PBL(Problem Based Learning)・・問題解決型学習

・教師が設定した問題を生徒が解決していくプロセスを重視する

・教師が設定した問題やシナリオを基に学習を進めることが一般的。

(2)PBL(Project Based Learning)・・課題解決型学習 / プロジェクト型学習)

・生徒が主体的に課題を設定し、成果物を仕上げるまでの全体を管理する

・教師がテーマを与える場合もあるが、具体的な問いや仮説は生徒自身が設定することが多い。

このPBLと「探究」の関連については、「ジョン・デューイの探究の定義」が参考になる。

=============

ジョン・デューイは、1938年に発表した著作『LOGIC, THE THEORY OF INQUIRY』の中で、「探究とは、不確定な状況を指導的または制御的に変換し、確定的で統一された状況にすること」と定義付けています。(中略)

そのプロセスでは、観察や推論などの手段を用いて混乱した状況の解決に向けて調整することが求められます。デューイはこの「不確定→確定」への移行を、六つの具体的なプロセスで説明しています。

1)探究の前提条件

不確定な状況探究は、不確定で混乱した状況を認識することから始まる。

2) 問題の設定

状況の観察を通じて、解決のための具体的な問題を設定する。

3) 問題解決の確定

観察や仮説の検証を繰り返し、問題解決に向けたアイデアを具体化する。

4) 推論

提案やアイデアを論理的に検討し、それらが適切であるかどうかを確認する。

5) 事実と意味の操作的性質

観察や実験を通じて得られた事実を基に、仮説を修正しながら解決策を構築する。

6) コモンセンスと科学的探究

探究は、日常生活での課題解決(例:どの道を通るべきか)から科学的な課題解決(例:実験による仮説の検証)まで、観察・仮説・検証というプロセスを基盤として展開される。

※「PBLとは?問題解決型/課題解決型の違いや探究との関連性を解説」

https://classpad.net/jp/school/column/032/

===================

・・・「不確定な状況」とは、「なぜ?」によって生じるモヤモヤした状態ではないか。

 ということは、「探究」のベースが「なぜ?」

 その「なぜ?」が生じるベースが、「内部情報の蓄積」ではないか。

 そのようなことを、どこかに書いた覚えがあると探したら、2015年の日本教育技術学会の報告メモだった。(続く)

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「質の高い探究的な学び」を目指して(13)

「Inquiry Based Learning」のベースに「Language Based Instruction」が位置づけられるが、探究の4段階についての資料がある。

 

(1)   構造化された探究

先生の指示に従い、クラス全員が同じテーマで一緒に探究を行う。

(2)   統制された探究

先生がテーマを決め、その答えを導くのに使う資料や方法も先生が指定する。

(3)   指導つき探究

先生がテーマや問いを決め、生徒はその解決策や成果物を考える。

(4)自由な探究

 生徒が自らテーマを選び、あらかじめ決められた結果や方向性にとらわれずに探究する。

・・ 私が探した資料には次のような解説があった。

(1)一斉探究・・Structured Inquiry

一斉探究は、探究学習の入門編のような形態です。先生の指示に従って、クラス全員で一つの問いに取り組みます。問いも、問いに答えるために参照するリソースや発表方法は先生が決めます。生徒個人の自由度は低いですが、探究プロセスを全員でたどることができます。

(2)管理探究・・Controlled Inquiry

管理探究では、少しだけ生徒の自由度が増えます。先生が設定する問いや参照リソースの中で生徒は探究プロセスを練習します。

(3)指導付き探究・・Guided Inquiry

さらに自由度が増します。先生が問いを設定しますが、生徒自身で答える方法や参照リソース、さらに発表方法を考えます。

(4)自由探究・・Free Inquiry

自由探究は、探究学習のなかでも一番自由で上級向けの形態です。生徒は自分で問いを立て、調査し、発表します。ここまでくると、生徒が自身の学習を主体的に設計して実行しているといえます。

※「海外の探究(Inquiry Based Learning)ってどんなもの?日本の探究学習との違いも解説  2022-08-04」

https://www.blog.studyvalley.jp/2021/10/29/ibl/

==

 なるほど。

 やはり、谷先生の翻訳バージョンに方が分かりやすく、4段階の差異を明確に示している。ただし(1)は「一斉探究」の方が伝わりやすいです。

 4年社会科の自然災害の単元で「愛知県の自然災害や防災について教科書やネット情報を参考にまとめましょう。」という課題の出し方は、「一斉探究」のようでもあり「自由探究」のようでもあり、ステップが粗雑だ。

 だから「質の低い探究」になってしまう。

 そもそも、「〇〇についてまとめよう」では「コピペ」が目的になっていて、「課題」の解決になっていない。

 別の観点で言うと、一斉探究は、2つのPBL「問題解決学習」が混同されているのかもしれない。

===

(1)PBL(Problem Based Learning)・・問題解決型学習

・教師が設定した問題を生徒が解決していくプロセスを重視する

・教師が設定した問題やシナリオを基に学習を進めることが一般的。

(2)PBL(Project Based Learning)・・課題解決型学習 / プロジェクト型学習)

・生徒が主体的に課題を設定し、成果物を仕上げるまでの全体を管理する

・教師がテーマを与える場合もあるが、具体的な問いや仮説は生徒自身が設定することが多い。

※PBLとは?問題解決型/課題解決型の違いや探究との関連性を解説

https://classpad.net/jp/school/column/032/

===

 「調べ学習をしよう」「探究しよう」「自分で課題を決めて調べたことをまとめよう」

といった言葉が、同義語として扱われる。ほんとに同義語か?

 「解決する課題」という意識で調べていないと、仮説もないし、仮説検証にもなっていないし、成果物は提言になっていない。

「探究学習」と2つのPBL。

 谷先生の翻訳では1・2・3までは先生の「問い」、4だけが生徒自身の「問い」となっているが、1から3は問題解決型、4だけが課題解決型ということか?

 このあたりの解明は、研究者でない自分には、すごく難しい(続く)

Continue reading "「質の高い探究的な学び」を目指して(13)"

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「質の高い探究的な学び」を目指して(12)

従来の教科学習と探究学習の違い

 探究学習の意味は?身につく力とメリットを解説 2024-12-06

https://www.blog.studyvalley.jp/2021/09/08/skill-merit/

◆生徒自身が課題を設定し、解決に向けて情報収集・整理・分析するのが「探究学習」です。

と定義し、従来の教科学習との違いを述べている。

=========

教科学習→受動的、答えのある問い、知識を学ぶ、正確にアウトプットする

探究学習→主体的、答えのない問い、教科で得た知識、新たに収集した情報を関連付けて答えを作る

=========

「探究学習」は正解が決まらない問いに対して、自分なりの「論」を立てて学ぶのだから、情報収集後の「整理・整理」は、コピーペーストでいいわけではない。

 また、「まとめ・表現」は、自分の意見をまとめて終わりではなく、対話的な学びによってさらに深めることが求められる。

==

探究学習は教科学習のように答えが用意されていません。つまり暗記中心で知識を身につけてアウトプットする能力だけでは、問題解決には不十分なのです。

そのため教科や探究のプロセスで調べた情報の再構築が必要です。

◆「相手に伝える」「相手に理解してもう」「相手に行動してもらう」といったコミュニケーションスキルは、プレゼンテーションを行うことで磨かれていきます。

◆他の生徒と意見交換を行ったり議論したりする「対話的な学び」を行うことで、自分の考えを明確化・構造化して、新しい価値観を発見でき、もっと探究したい意欲が高まります。

==

・・・・「課題設定ー情報収集ー分類整理ーまとめ表現」の各パーツの意義を考えると、自分の周りでは「質の低い探究」が行われていると言わざるを得ない。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(11)

 情報の「活用」能力よりも「読解力」が優先

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◆ 探求的な学びを進めるうえで欠かせないのが、「情報活用能力」です。自分なりに課題を設定し、必要な情報をネット等から適切に収集し、既習事項と関連づけながら情報を整理・構造化して分析し、まとめ・表現につなげる。こうした情報活用能力が備わっていなければ、一人一人が探究的な学びを進めていくことはできません。現行の学習指導要領でも情報活用能力は「学習の基礎となる資質・能力」と位置づけられています。

 チエルマガジン2025秋冬号 堀田龍也先生のスペシャルインタビューより

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・・・主張はよく分かるのだが、「まず読解力でしょ」と思ってしまう。

 いくら収集した情報が優れていても、正しく読み取れなければ意味がない。

 「てにをは」のような助詞の違いをつかみ、修飾語によって複雑になった一文の主語述語の構造を理解できなければ活用どころではない。

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意味が分かってネット情報をコピペしているか?

そもそも、学年相当の教科書の文章が理解できているのか?
→ 正しい認識ができない・基礎的な学力が伴わない。

→自分ひとりで勉強できない・予習も復習もできない

→勉強の仕方がわからない・進学や就職で躓く。将来自立できない。

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 情報の「活用」させる前に、正しい読解力の「習得」だ。

「情報活用能力」よりも、まずは「読解力」が大事だ。

 もちろん同時並行で指導すればいいのだが、多くの先生が思っているよりも読解力が低いのが、新井紀子氏の調査結果で明らかになっていることに危機感を持たねばなるまい。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(10)

構成主義の著名な学者と代表的な文献

~採用試験みたいな項目がズラリ~

 生成AIのGEMINIが提示した「構成主義」がよく分からなかったので、再度解説をお願いした。

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 構成主義の学習論を築いた二大巨頭は、ジャン・ピアジェレフ・ヴィゴツキーです。

1.ジャン・ピアジェ (Jean Piaget, スイス)

【構成主義の父】 発達心理学者。子どもが外界との相互作用(同化調節)を通じて、段階的に知識の枠組み(シェマ)を再構成していくプロセスを体系化しました。

主な著書は『知能の心理学』 『子どもの世界像』 (発達段階論や認知構造の形成プロセスを詳述)

◆認知的構成主義(Cognitive Constructivism)・・・知識は「個人が」環境との相互作用を通じて自らの認知構造の中に構成する。

 

2.レフ・ヴィゴツキー (Lev Vygotsky, ロシア)

【社会的相互作用の重視】 文化・歴史的な要因と言語が認知発達に重要だと主張。特に「発達の最近接領域(ZPD)」という概念は、教師や他者による適切な援助(足場かけ)の重要性を示しました。

主な著書は『思考と言語』 (思考と発話の関連性、社会的な相互作用と言語習得の役割を論じた)

◆ 社会的構成主義(Social Constructivism)・・・知識は「社会的な相互作用(対話)」を通じて、共同で構成される。

 

現代の教育に影響を与えたその他の学者

 上記の古典的な構成主義に加え、現代の探究学習やコーチングの基盤となる理論を発展させた学者も重要です。

 

3:ジェローム・S・ブルーナー (Jerome S. Bruner, 米国)

【発見学習と足場かけ】 ピアジェとヴィゴツキーの理論を取り入れ、「発見学習」を提唱。また、複雑な課題を学習者のレベルに応じて単純化し、徐々に支援を減らしていく「スキャフォールディング(足場かけ)」という概念を広めました。

◆認知的構成主義と社会構成主義をつなぐ役割を果たし、探究的な授業設計に大きな影響を与えました。

 

4:ジョン・デューイ (John Dewey, 米国)

 【経験主義とプラグマティズム】 構成主義という言葉が広まる以前から、「学習とは

 経験の再構成である」と提唱。問題解決(Problem Solving)を通じた学習を重視し、探究学習の源流を作りました。

◆学習者の経験と活動を重視する点で、構成主義の教育実践の基礎を築きました。

 

 特に教師として着目すべき理論

 教師の方が「任せすぎ」を防ぎながら「教えすぎ」を避けるために役立つのは、特に以下の2つです。

◆ヴィゴツキーの「発達の最近接領域(ZPD)」:

 生徒が自力では達成できないが、指導や協力があれば達成できる領域に目標を設定し、その領域で適切な援助(コーチングや足場かけ)を行うことの重要性を示しています。

◆ブルーナーの「スキャフォールディング(足場かけ)」:

 探究の過程で、生徒の認知負荷を減らし、最終的には生徒が自立できるよう援助を徐々に撤廃していく具体的な指導技術です。

これらの理論と文献を参照することで、「構造化された自由」を与える探究学習・コーチングの指導法の理解が深まるはずです。

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・・・「構成主義」という言葉は使ってこなかったが、「再近接領域」「足場かけ」については、何度か書いていた。

 逆にいうと、断片的な知識だけを取り込んだだけで、体型的には理解していなかったのである。

https://www.kaleidosolutions.com/column_member/2020/03/002/Constructivism

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「質の高い探究的な学び」を目指して(9)

「教えすぎ」も「任せすぎ」も学びにならない

 Geminiに聞いたシリーズのラスト。私なりの「探究」です。

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Q:「任せすぎは学びにならない」ことも危惧しています。「這い回る経験主義」と揶揄された指導法の二の舞いになっては困ります。

A:それは教師として非常に重要な、そして賢明な懸念です。

 おっしゃる通り、「任せすぎ(放置)」は「教えすぎ」と同じく学習を阻害します。

 特に「這い回る経験主義(Creeping Empiricism)」という批判は、教師の明確な意図や指導がなく、生徒の活動がただの経験の羅列で終わってしまう危険性を鋭く指摘しています。

 探究学習やコーチングを成功させるためには、この「任せすぎ」を防ぐ適切な足場かけ(スキャフォールディング)と、教師の意図的な関与が不可欠です。

◆「任せすぎ」を防ぐための教師の役割:指導と介入のバランス◆

「任せすぎ」と「適切な探究・コーチング」の決定的な違いは、教師の「意図的な構造化」があるかどうかです。生徒に自由を与える一方で、教師は学習の質を担保する責任があります。

1. 探究学習における「意図的な構造化」

 探究学習が「這い回る経験主義」にならないためには、学習のプロセス自体を設計し、評価基準を明確にすることが重要です。

A:危険な状態(任せすぎ)

・問いが曖昧で、生徒が何から手をつけていいか分からず、ただの興味で終わる。

・活動が目的化し、資料集めやアンケートの実施だけで満足してしまう。

・教師が完全に蚊帳の外で、生徒の活動内容を把握できていない。

B:意図的な介入(適切な足場かけ)

・「問いの立て方」のモデルを示す。初期段階で中間成果物を課す。

・探究の段階ごとに評価ルーブリックを事前に共有し、「結果(結論)の論理性」だけでなく「思考プロセス」も評価対象に含める。

・チェックインの時間を設け、「現段階での最大の課題は?」「次のアクションは?」といった進捗報告と自己調整を義務づける。

 

2. コーチングにおける「意図的な介入」

 コーチングは自由な対話ですが、目標(学習指導要領、単元の目標など)から逸脱させないよう、教師が質問で舵を切る必要があります。

A:危険な状態(任せすぎ)

・教師が完全に蚊帳の外で、生徒の活動内容を把握できていない。

・生徒が解決策を見つけられず、ネガティブな内省を繰り返すだけで停滞する。

・対話が雑談になり、学習や目標達成に結びつかない。

・成功体験につながる具体的な行動を導き出せない。

B:意図的な介入(教師の専門性を活用)

・生徒の気づきを待つだけでなく、適切なタイミングで「専門家としてのアドバイス」を許可を得て提供する。

例:「今、君が必要としているのは時間管理のスキルかもしれない。いくつか効果的な方法を知っているけど、聞いてみる?」

・対話の冒頭で「今日のゴールはどこに設定する?」とアジェンダ(議題)を設定し、脱線しそうになったら「(ゴール)の話に戻そうか」と対話の焦点を修正する。

・曖昧な意図ではなく、「いつ、どこで、何をする(具体的な行動)までを言語化させ、コミットメントを引き出す。

 

3、まとめ:教師は「導く者(Guide)」である

 「教えすぎ」の対極は「放置」ではなく、「導く」ことです。

 探究学習やコーチングにおける教師は、森の中を歩く生徒たちを、決して一人にせず、しかし生徒のペースで進めるように、遠くから灯台のように光を当て、時折、危ない道への分岐点で声をかける役割を担うべきです。

 「任せすぎ」による失敗を防ぐ鍵は、構造化された自由、明確な評価基準、そして生徒の状況に応じた適切なタイミングでの介入にかかっています。

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 生成AIの解説は、お見事です!

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「質の高い探究的な学び」を目指して(8)

Over teaching is no learning

「教えすぎは学びにならない」

生成AI (Gemini)に英語を入力したところで、リターンを押してしまったので、英語で回答が始まった。

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That's a succinct and thought-provoking statement! It seems to be a variation of the idea that excessive teaching can hinder a student's ability to learn independently, think critically, and truly internalize knowledge.

It suggests that if a teacher does too much of the work—explaining every detail, providing all the answers, constantly lecturing, or micromanaging the process—they might unintentionally prevent the learner from engaging in the necessary struggle, exploration, and self-discovery that leads to deep, meaningful learning.

It aligns with educational philosophies that emphasize:

  • Student-centered learning
  • Active learning (e.g., projects, discussions, problem-solving)
  • The Socratic method (guiding questions rather than direct answers)
  • Constructivism (learners construct knowledge for themselves)

Is there anything specific you wanted to discuss about this concept, like its application in a particular

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 残念ながら理解できないので、この箇所を翻訳してもらった。

 以下、読みやすく体裁を整えると

◆簡潔で示唆に富む発言ですね!

 これは、過剰な指導は「生徒の自立学習能力」「批判的思考力」そして「知識の真の内在化」を阻害する可能性があるという考え方のバリエーションのようです。

 これは、教師が過剰な指導ーー細部まで説明したり、すべての答えを提供したり、常に講義したり、プロセスを細かく管理したりするなどを行うと、学習者が深く有意義な学習につながる必要な葛藤、探求、そして自己発見に取り組むことを、意図せず妨げてしまう可能性があることを示唆しています。

これは、以下の点を重視する教育哲学と一致しています。

  • 生徒中心の学習
  • 能動的な学習(例:プロジェクト、ディスカッション、問題解決)
  • ソクラテス式学習法(直接的な答えではなく、誘導的な質問)
  • 構成主義(学習者が自ら知識を構築する

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 「アクティブラーニング」「ソクラテメソッド(対話法・産婆術)」がわかるが「構成主義」が分からなかった。

 学習にとっての有意義な学習は、「葛藤_探求・自己発見」か。

 説明のし過ぎ、指示の出し過ぎ、安易な結論の提示などが「余計なお世話」になることをしっかり自重しないといけない。、

 まだまだ探究が続きます。楽しいです!

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「質の高い探究的な学び」を目指して(7)

Over teaching is no learning

〜「教えすぎは学びにならない」〜

Geminiに解説してもらった

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Over teaching is no learning

非常に含蓄のある言葉で、教育の本質をついています。

この言葉が示唆している主な考え方は以下の通りです。

(1)自立した思考の妨げになる

 教師がすべてを説明しすぎたり、答えを与えすぎたりすると、生徒は自分で考え、探求し、問題を解決する機会を奪われてしまいます。

(2)知識の定着が浅くなる

 知識は、自分で試行錯誤し、疑問を持ち、発見するプロセスを通し構成(構築)されるときに、最も深く定着します。一方的に与えられた情報は、表面的な理解に留まりがちです。

(3)内発的な動機づけが育たない

 常に指導される環境では、「やらされている」感覚になりやすく、知的好奇心や学習意欲といった内発的な動機づけが育ちにくくなります。

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 なるほど!

「最低限に教える」ことは大事だか「教えすぎ」は逆効果。

「求めてこないものには教えない」というコーチングの話と重なった。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(6)

コーチング(Coaching)の深掘り

◆探究学習とコーチングは、生徒の自己決定と自律性を尊重するという点で共通しています。ぜひ日々の指導の中で、「教えすぎない」アプローチを取り入れてみてください。

というGeminiに「コーチング」について解説してもらった。

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 教育におけるコーチングは、教師が一方的に解決策や指示を与えるのではなく、生徒との対話を通じて、生徒自身の中に眠る力や答えを引き出すコミュニケーション技術です。

(1)核心的な原則

◆ティーチング(Teaching)

・知識スキルを教える。

・「こうしなさい」という指示。

過去現在の問題解決が中心。

◆コーチング(Coaching)

・内省行動を促す。

・「どうしたい?」という問いかけ。

・未来目標達成に焦点を当てる。

 

(2)コーチングの主要なスキル

◆傾聴(Active Listening)

・生徒の言葉だけでなく、感情や真の意図を注意深く聞く。

・生徒が「勉強が手につかない」と話したら、まず「そうなんだね」と受け止め、焦らずに沈黙も活かす。

◆質問(Powerful Questions)

・生徒の視点や思考を深めるオープンな質問をする。

・「どうすればいい?」ではなく、「目標達成のために、次にあなたができる最も小さな一歩は何だろう?」と問う。

◆承認(Acknowledgement)

・生徒の努力や、できたことに焦点を当てて認める。

・結果だけでなく、「難しい課題だったのに、諦めずに資料を3つも集めた努力は素晴らしい」とプロセスを承認する。

 

(3)生徒指導への具体的な応用

(成績不振や進路相談などで、教師が生徒をコーチングする場合の対話例です。)

◆「この単元を苦手だと感じているんだね。じゃあ、この中で、自分ならどこから始められそう?」

→主導権を生徒に渡し、実行可能な一歩を見つけさせる。

◆「前回は計画を立てただけで終わってしまったね。今回、同じ失敗を避けるために、どんな工夫ができそう?」

→内省を促し、自己修正の力を引き出す。

 探究学習とコーチングは、生徒の自己決定と自律性を尊重するという点で共通しています。ぜひ日々の指導の中で、「教えすぎない」アプローチを取り入れてみてください。

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 なるほど!

 これまでの研修では「探究的な学び」と「コーチング」の解説をバラバラで聞いてきた。「探究学習とコーチング」がセットになって、従来型の「教える」と対極の意味合いを持つなんて考えたことがなかった。

とりわけ印象的だったのは、

・知識やスキルを教えるための「こうしなさい」という指示は問題解決につながる。

・内省と行動を促すための「どうしたい?」という問いかけは目標達成につながる。

という対比で、「求めていない者に教えても意味がない」という鉄則がよく分かった。

 麹町中学校の工藤勇一氏の言葉とも重なってくる。

 子どもに自己決定を促す「3つの言葉」

 1「どうしたの?」

 2「君はどうしたいの?」

 3「何を支援してほしいの?」

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「質の高い探究的な学び」を目指して(5)

探究学習(Inquiry-Based Learning)の深掘り

Geminiが解説してくれた。

◆探究学習は、「何を教えるか」ではなく「どう学ぶか」を重視する学習アプローチです。

生徒が自ら問いを立て、情報を集め、分析し、結論を導き出すプロセス全体を指します。

(1)核心的な原則

【従来の学習】

・教師が答えを持っている。・知識の伝達が目的。・受動的に聞く。

【探究学習】

・教師と生徒が問いを共有する。・思考プロセスの習得が目的。・能動的に行動する。

(2)教師の役割の転換

探究学習における教師は、「知識の提供者」から「学習のファシリテーター(促進者)」へと役割を変えます。

  • 知識を与える  学習の環境とツールを提供する
  • 問題を解くよう指示する  生徒が興味を持つ「問い」の設定をサポートする
  • 答えを評価する  プロセスと生徒の気づきを評価する

(3)授業での具体的な応用"教えすぎない"指導

・問いの設定

生徒が立てた問いが曖昧な場合、「それはなぜ重要だと思う?」「その問いの対象はどこまで広いの?」と逆質問し、問いを洗練させる手助けをする。

・情報収集

 「この情報源は信頼できるか?」といった批判的思考を促す視点を提供する。

「私ならまず○○の専門家を探すかも」と、ヒントに留める。

・まとめ、発表

発表内容の良し悪しを判断する前に、「あなたの主張を裏付ける最も強い証拠はどれですか?」と問い、論理の補強を促す。

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(以下は私見)

 これまで、教師が「コーチ」「ファシリテーター」になれという主張には納得していなかった。教師は「教える」という大事な役割を放棄してはいけないと思ってきたからだ。

 しかし、探究する学びにおいては、正解を導くための「問い」でなく、子供自身の興味を促すための「問い」であるべきという指摘に納得した。昨年行われた高橋純先生の講演で「発問とは?」と会場に問うた意図は、従来の学習と探究的な学びでは「問い」の意味が違うということだったのかと今になって思う。2つの「PBL」の違いだとも言える。

 学習者自身が、自分が探究する「問い」を持つことが大事で、自らの問いを持たない限り、教師は何も教えられない。

 だから教師の役割が「コーチング」とつながっていく。

https://www.blog.studyvalley.jp/2021/10/29/ibl/

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「質の高い探究的な学び」を目指して(4)

◆次期学習指導要領では、これまで以上に「探究的な学び」が重視される見込みです。これまで探究的な学びは総合的な学習の時間で行うのが中心で、各教科の授業内ではあまり行われてきませんでした。しかし近年、総合に限らず、すべての教科で探究的な学びを進めるべきだと言う声がそのまま強まっています。

 ChieruMagazine2025秋冬号 堀田龍也先生のスペシャルインタビューより

・・・探究的な学びの成果は論点資料にあるが、安易に教科の学習に導入すれば、教えるべき知識・技能の習得が疎かになる。

今回もChatGPTに聞いてみた。

Q:正解のない課題を探究する活動は分かりますが、各教科の知識・技能を身につけさせる場面で「探究的な学び」を強いることで、習得にも活用にもなっていない授業を見ることがあります。各教科の授業で「探究型」を推進する際の注意点を教えて。

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A:正解が明確にある各教科の授業で、探究的な学びを導入する際には、慎重な設計が不可欠です。ご指摘の通り、ただ「探究型」の形式だけを真似ると、生徒が基礎知識・技能を習得できないまま、中途半端な学習で終わる危険性があります。

以下に、各教科の授業で探究型を推進する際の注意点をまとめました。

1. 教科の「見方・考え方」を明確にする

教科指導における探究的な学びは、総合的な探究の時間のように生徒が自由にテーマを設定するのとは異なります。教科ごとに固有の「ものの見方・考え方」を働かせながら、課題を追究・解決していくことが目的です。

  • 注意点: 生徒の興味・関心に任せきりにするのではなく、「この単元では、歴史学の考え方をどう活用するか」「この数学の課題では、数理的な見方をどう働かせるか」といった、教科ならではの視点を明確に指導する必要があります。 

2. 「知識の習得」と「探究」のバランスをとる

探究的な学びを導入する際も、まず基礎的な知識や技能を習得させることが大前提です。十分なインプットがないまま「問い」を立てさせても、質の高い探究にはつながりません。

  • 注意点: 1つの単元の中で「基礎的な探究(習得)」と「発展的な探究(活用)」を意図的に設定するなど、両者を両立させる授業デザインが求められます。たとえば、理科の授業で、まず実験の手順や観察方法を指導し、そのうえで応用的な問いを探究させる、といった段階的なアプローチが有効です。 

3. 発問の工夫で「問い」を深める

「問い」の設定は、探究の出発点として最も重要な要素です。教員から一方的に課題を与えるのではなく、生徒自身が問いを立てられるように促す工夫が必要です。

  • 注意点: 教員が事前に知っている答えに誘導するような発問ではなく、生徒が深く思考できるような問いかけが重要になります。たとえば、「どうして〇〇なのだろう?」と生徒が疑問をもった際に、「それは社会のどんな問題につながるかな?」と問いを広げることで、思考を深めることができます。 

4. 評価方法を多角的に設定する

 探究的な学びは、従来のペーパーテストだけでは適切に評価できません。知識の習得度だけでなく、思考力や表現力、主体的に学習に取り組む態度など、多角的な視点から評価する必要があります。

  • 注意点: ポートフォリオ評価(学びの過程を記録)、ルーブリック評価(評価基準を明確化)など、多様な評価手法を取り入れることが求められます。探究のプロセスそのものを評価することで、生徒は結果だけでなく、学びの過程にも意味を見出すことができます。 

5. 教員の役割を「伴走者」に変える

 探究型の授業では、教員は知識を一方的に教える「ティーチャー」から、生徒の学びを支援する「伴走者(ファシリテーター)」へと役割を変える必要があります。

  • 注意点: 生徒に答えを与えず、ヒントや適切な声かけを通じて、自力で解決策にたどり着けるよう導くスキルが求められます。生徒が迷っているときには、テーマを絞り込むためのコーチングを行うことも重要です。 

6. 協働的な学びの機会を設ける

探究的な学びでは、他者との対話を通して学びを深める「協働的な学び」が重要です。生徒同士が意見交換し、多様な視点に触れることで、学びが豊かになります。

  • 注意点: ただグループで作業をさせるのではなく、付箋紙で意見を整理したり、発表後の質疑応答の時間を設けたりするなど、対話が深まる具体的な活動を設計します。 

各教科の授業で「探究型」を推進する際は、これらの注意点を踏まえ、教科の特性と探究の本質を融合させた授業デザインを心がけることが重要です。

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どの項目も鋭い指摘だ。

 ただコピペするだけでなく、各項目をしっかり吟味して自分のものにしたい。

 とりあえず、ざっくり各項目への意見を述べると

1:教科の目的を踏まえる探究は、「総合」のように何でもアリではない。

2:基礎的な知識技能のインプットがあるから、探究ができる。

3:教師の「発問」は、学習支援策の筆頭。

4:探究型の学びは、パフォーマンス課題として位置付ける。

5:一方的に知識を教えると「探究」にはならない。

6:探究的な学びは、協働的な学びと相性が良い。対話が深まると学びが深まる。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(3)

~「質の低い探究的な学び」の実感 ~

「質の低い教科の探究探究」に陥ってしまう典型的な例を、学びのプロセス(課題設定、情報収集、整理・分析、まとめ・表現)で考えてみた( 自分周りの探究は社会科が多いです)。

1)課題設定の段階

◆「調べ学習」に終始する:

 「○○について調べてまとめてみよう」のように課題設定が曖昧なため、「ネットに何かいいこと書いてないかな?」という動機でしか調べ学習が始まらない。

「調べたことを、まとめて、発表しよう」という働きかけでは、そもそも「課題設定」=「何のために」が抜けている。

 個人的には、オリエーション的にある程度の情報提示をしたところで、自分なりの課題設定の場面をつくるべきなのだと思う。

 自分なりの「なぜ・・なのか?」「どんな・・があるか?」のような5W1Hや、「AかBか。賛成か反対か」のような選択的思考

などを確定してから、探究すべきだと思う。

2)情報収集の段階

◆「ネット検索」に終始する:

 「調べ学習といえばインターネット」という発想も安易だけど、「調べる前に仮説がない・予想がない・見当がない」というのが問題だと思う。 もちろん、それは課題設定の問題である。

◆情報のコピペに終始する:

 ネット検索すると、今は先頭に「AIによる要約」が出てくるので引用元すら曖昧になる。ネット上の情報を鵜呑みにし、情報の出どころや信頼性を吟味しないまま、探究を進めてしまうことは、都合のいい情報を集める「情報バイアス」の問題もはらんでいる。

3)整理・分析の段階

◆記号接地問題:

 調べて出てきた言葉の意味を全く理解していないことが多い。

◆So What問題:

 調べる段階での「わかったこと・きづいたこと・おもったこと」がなく、「調べてみて、何が分かったのか、どう思ったか」の考察もない。

 調べたもの元に自分がどう考えたか=「それで何が言えるの?」「それで何が明らかになったの?」が大事なのに、コピペした内容そのものが結論になっている。

4)まとめ・表現の段階

クローズドエンドの問題:

 調べてまとめたら終了の探究では、「知れば知るほど分からなくなった・もっと知りたいことが出てきた」という新たな探究のエネルギーが欠けている。探究がクローズしていていると、次に続かない。

5)「質の低い探究」が生まれる背景

◆教員の「探究」「熱中」の体験不足問題:

 教師自身がネタ作り・授業づくりで探究体験・熱中体験が足りないと、子供にその良さを伝えられない。

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というわけで

 質の高い探究だったかを確かめるため、子供たちに次のように問いかけてみたい。

◆探究している間、ワクワクしましたか?

◆新たな探究課題が見つかりましたか?

・・・・一丁目一番地は「自分が追究してみたい課題を見つけましたか?」だと思う。

 「総合~」の学習指導要領には、次のような解説がある。

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生徒は,

(1)日常生活や社会に目を向けた時に湧き上がってくる疑問や関心に基づいて,自ら課題を見付け,

(2)そこにある具体的な問題について情報を収集し,

(3)その情報を整理・分析したり,知識や技能に結び付けたり,考えを出し合ったりしながら問題の解決に取り組み,

(4)明らかになった考えや意見などをまとめ・表現し,そこからまた新たな課題を見付け,更なる問題の解決を始めるといった学習活動を発展的に繰り返していく。

 総合的な探究の時間の特質に応じた学習の在り方(【総合的な探究の時間編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説)

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 それって高校でしょ? 小学校や中学校で探究させるのは早くないか?

 それって総合の授業っでしょ? 各教科の授業で探究させるのはおかしくないか?

という疑問を持つ人がいるのは当然である。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(2)

~「質の高い探究」を知るために「質の低い探究」を調べる~

「質の高い探究的な学びの実現」という文科省の論点資料がある。

 資料の中には、ごく一部、問題点の記載があった。

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一方で、小中高全体として、カリキュラムの設計に困難を感じる、授業が調べ学習で終わってしまう等の声も聞かれ、育成を目指す学びの姿が十分な共通認識に至っていないとの指摘も ある。探究と相性のよいICTの活用の伸びしろを示唆するデー タもある。

総合を探究的な学びの中核と位置づけた趣旨は、教育目標の具現化とともに、各教科等でも探究の要素を持つ学習が一 定程度行われ、双方が有機的に連動することであり、各教科 等の連携には更なる改善の余地がある。

探究テーマとして、職業や福祉、国際理解が多いが、ものづく りや科学技術が少ない等、偏りが見られる。また、学校で設定した総括的テーマが重視され、個人の興味関心が十分に考 慮されていない例も見られる。

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・・・これらは「総合的な学習」における「質の低い探究」の問題点。

自分の力では限界があるので、やむなくChatGPTの力を借りることにした。

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Q:「質の高い探究的な学び」を求めているということは、逆に現状では「質の低い探究的な学び」が広がっている懸念があるということでしょうか。「質の低い探究」は具体的には、どのような例がありますか?

A:お察しの通り、「質の高い探究的な学び」が求められる背景には、多くの教育現場でその形骸化や質の低さが課題となっているという懸念があります。

生徒の主体性や創造性を育むはずの探究的な学びが、本来の目的から外れ、表面的な活動にとどまってしまうケースが少なくありません。

「質の低い探究的な学び」の具体例

「質の低い探究」に陥ってしまう典型的な例を、学びのプロセス(課題設定、情報収集、整理・分析、まとめ・表現)に沿ってご紹介します。

課題設定の段階

  • 「調べ学習」に終始する: 生徒が自らの興味・関心から問いを立てるのではなく、教員から与えられたテーマについて情報をまとめるだけの「調べ学習」で終わってしまうケースです。インターネット検索で情報をコピペしてくるだけで、自分の考えや考察が含まれていない点が問題とされます。
  • あいまいな「問い」: 生徒が漠然とした「問い」しか立てられず、何から手をつけて良いか分からない状態になるケースです。たとえば「ゴミを減らすには?」といった大きなテーマのままで、具体的な課題に落とし込めていないため、学びが深まりません。 

情報収集の段階

  • 情報の多角的な収集が不足: インターネット上の情報だけに偏り、専門家へのインタビューや、現地に足を運ぶフィールドワークといった、多様な情報収集手段が使われないケースです。
  • 情報の信頼性を考慮しない: ネット上の情報を鵜呑みにし、情報の出どころや信頼性を吟味しないまま、探究を進めてしまうケースです。 

整理・分析の段階

  • 表面的な分析: 集めた情報をただ並べるだけで、多角的に比較したり、そこから独自の洞察を見出したりする過程が欠けているケースです。
  • 安易な結論に誘導: 教員が生徒の結論を評価しやすいよう、最初から望ましい答えに誘導してしまうケースです。生徒が試行錯誤する過程を奪ってしまいます。 

まとめ・表現の段階

  • 発表がゴール: レポートを作成したりプレゼンテーションを行ったりすることが目的となり、そこから得られた学びをどう次につなげるか、という視点が欠けているケースです。
  • 形式的な振り返り: 自分の学びを振り返る活動が、形式的なアンケートの記入で終わってしまうケースです。学びを深化させるための内省的な思考が不足します。 

 「質の低い探究」が生まれる背景

 こうした「質の低い探究」は、以下のような要因から生まれると指摘されています。

  • 教員の指導力不足: 探究的な学びは教員にとっても難易度が高く、どう指導すれば生徒の主体性を引き出せるかわからず、安易な指導に流れてしまうことがあります。
  • 評価の難しさ: 探究的な学びのプロセスや成果を評価することは、従来のテストによる評価に比べて非常に難しいため、教員が戸惑うケースがあります。
  • 生徒の意欲不足: 探究の目的や意義を理解できず、主体性を持てない生徒は、探究的な活動にモチベーションが上がらないことがあります。 

 「質の高い探究的な学び」を目指すことは、これらの課題を克服し、探究本来の価値を最大限に引き出すための取り組みと言えるでしょう。

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 自分の力でここまでまとめられないのが残念だけど、生成AIの指摘を借用して、もう少し深掘りしてみよう。

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「質の高い探究的な学び」を目指して(1)

~一斉指導と個別学習~

【一斉指導】先生が全体を指導して進める

【個別学習】子供たちが互いに相互参照しながら、自分たちで学習を進める

どちらが良いというような「二律対立」ではない。

もし一斉指導に偏りすぎているのが現状ならば、もっと子供たちに任せよということだ。もちろん、その逆も言える。

「ツーウエイNEXT」vol21 2024年1月 P32 谷和樹先生

・・・なるほど「指導」と「学習」が対比表現なのだ。

◆一斉指導の段階では、子どもの「学習」はまだ始まっていない

というのが、読み直しての新たな発見だった。

 なお、谷先生の書かれる「この逆」についても、自分なりに書いておこう。

◆もし個別学習に偏りすぎているのが現状ならば、もっと先生が指導せよということだ。

 谷先生の論稿では、この後「ある程度」という言葉が何度も使われている。

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 ある程度の「読み書き」能力があるから。自分で情報にアクセスし、自分で学びを深めていくことができる。あるいは、ある程度の「聞く話す」能力があるから、友達とのコミュニケーションもできる。

当然のことだ。

 ある程度の「読み書き」等が取得されるまでは個別学習しないという意味ではない。一斉指導で「教え込む」場面も必要には違いないが、探究的に学びながら身に付けさせることのできる「読み書き」もある。全てを教師がコントロールする必要性は無い。

 いずれにしても、基本的に読み上げが不十分なら、探究的な場面でも不便だということだ。

==========

  この最後の一文を私は次のように拡大解釈をした。

 「基本事項の知識・技能的が不十分なら、探究的な場面でも不便だということだ。」 

 「教えてから手放す」

 「基本を教え込んで、探究させる」

 「習得させてから活用させる」

 「教えすぎも任せすぎもデメリットがある」

ということがよく分かる。

 堀田龍也先生は、以前「グラデーション」という表現を使った。段階的なフェードアウトが重要だ。

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道徳の授業も、「抽象」と「具体」の往復

「道徳」で考えさせるのは、具体的なエピソード

例えば、2年道徳「どきどきしたけど」

困っている人を前にして、どきどきしたけど思い切って行動してみた3つのお話。

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どきどきしたけど、声をかけることができたのは、どんな気持ちがあったからでしょう?

==============

という問いに、子どもたちは「勇気があったから」「やさしい気持ちがあったから」と即答する。

うーん、そういうことじゃないんだよな。

正しい答えのようだが、これでは中身がない。

それぞれ、誰に対しての「どんな勇気」「どんなやさしい気持ち」かを言わせたいのだ。

3つの場面があって、相手から「ありがとう」「お礼」「助かったよ」の言葉をもらっているから、およそ以下のような内容である。

====

◆消しゴムがなくて困っているりかさんを助けたい気持ちがあったから

◆まいごになって困っている女の子を助けたい気持ちがあったから

◆ハンカチを落としたことに気づいていないおじいさんを助けたい気持ちがあったから

====

 この3つを類型化(一般化・抽象化)すると

===

困っている人を助けたい気持ちがあったから

====

ということになる。

 このようにして、具体と抽象の往復させることが大事なのであって、最初から「困っている人を助けることが大事」というだけなら、授業を受ける前から分かっていることで、授業における深まりも葛藤も何も生じないのだ。。

 もし「これからは僕も困っている人を助けたいです」と書く子がいたら、「例えば?」で具体的に語らせないと、ウワベだけの道徳になる。

 授業の最後に「命は大事だ」「思いやりが大事だ」と書いて満足するような子供たちにしてはいけない。

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「尾括型」のシンキングサイクルを「頭括型」で表現する

(1)石井英真氏の言葉を視写。

==========

◆たとえばスライドを作成するという活動を行っている時、果たして子どもたちは「調べる」という動詞を経験しているでしょうか。

◆情報を検索して貼り付けているだけの「集める」になっていないでしょうか。集めた情報をある視点から整理・分析して初めて調べたことになります。

◆さらに、そこから自分事に引き寄せて考察して自分の意見や主張を述べたり、新たな問いが生まれてきたりしているなら、それは「調べる」を超えて、「深める」ことになっていると言えるでしょう。

==========

・・・「探究型学習」のあるべき姿を考えさせられる。

見事な指摘なので何も足さなくていいのだが、蛇足ながら書き込むと

(2)探究サイクルの在り方

◆「課題の設定」

・・・何を何のために「調べる」か。課題意識がないと「調べる」が始まらない。

◆「情報の収集」

・・・「集める」でいい。というか、できるだけたくさん集めてほしい。でも、集めるだけで終わっては「探究」にならない。

◆「情報の整理・分析」

・・・「整理・分析」をしないと、「調べる」にならない。

◆「まとめ・表現

・・・収集した情報を自分事として自分の言葉でまとめないと「深める」にならない。

というわけで、このサイクルの1つ1つを精査しないと、トータル「探究型」にならない。

(3)「作戦マリコ」

 情報を収集して根拠を示し・・整理・分析して・・自分の主張を述べるのが尾括型。

 これに対して「作戦マリコ」は頭括型。

マ=まとめ(結論)

・・・まずは自分の主張を言う。

◆リ=理由

・・・「整理・分析」を元にした理由を言う。主張の理由として、情報をどう整理・分析したかを述べる。

◆コ=根拠

・・・「情報の収集」で得られた根拠を提示する

 尾括型の「探究型のサイクル」の活動結果を、頭括型の「作戦マリコ」で表現させればいいのかな、というのが今の実感。

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「抽象と具体」の往復

「抽象のハシゴを降りよ」と宇佐美寛先生も書いておられた。宇佐美先生は、具体的な議論を推奨した。「神は細部に宿り給う」も同じ文脈である。

「抽象⇄具体」の往復運動を重視した読解指導について、小学校中高学年で、どのように展開すればよいか教えてください。

 ChatGPT:

とても重要なテーマです。
「抽象⇄具体」の往復運動は、子どもたちが「言葉を自分のものにする」「意味を実感する」ために不可欠な力であり、特に小学校中高学年(4~6年生)ではこの力を意識的に育てる必要があります。

以下に、具体的な展開の流れと指導例を示します。

===

◆基本の考え方:「抽象⇄具体」の往復とは?

  • 抽象:定義・主張・結論・筆者の言いたいこと(一般化・まとめ)
  • 具体:事例・場面・経験・描写・比喩・数字など(実際のイメージ)

これを一方向ではなく「行き来」するように促すのが大切です。

◆ 指導の基本ステップ(中高学年向け)

(1)具体例を探す → 抽象的にまとめる(上りの思考)

  • 例:筆者が出した具体例は何か?それは何を表しているか?
  • 質問例:「この話は、どんなことを言いたいのかな?」「この事例から分かることは?」

(2) 抽象的な主張を具体化する(下りの思考)

  • 例:筆者の主張はわかったけど、それってどんな場面で見られる?
  • 質問例:「それって、自分の身の回りだとどんなこと?」「反対に、そうでない例って何?」

(3) 両者をつなげて文章全体の構造を理解する

  • 「この具体例と主張の関係を図にしてみよう」
  • 「主張A → 具体例B → だからまとめC」など、構造を可視化する

◆ 具体的な読解指導の展開例

例1:説明文「クジラは魚か、哺乳類か」(抽象的な分類の話)

授業展開:

  1. 具体を見つける:「クジラは胎生」「肺で呼吸」「ミルクを与える」
  2. 抽象を導く:「哺乳類の条件を満たすから、クジラは哺乳類」
  3. 構造図にする:「具体的特徴→哺乳類の条件→分類」
  4. 自分で応用:「イルカはどう?」「人間に当てはめると?」
  5.  

例2:文学作品「一つの花」(戦争と家族)

授業展開:

  1. 抽象を読み取る:「戦争によって大切なものが奪われる」「家族の愛」
  2. 具体に下ろす:「お父さんの別れの言葉」「一つの花に込めた思い」
  3. 体験とつなげる:「自分が同じ状況だったら?」「家族との思い出を語る」
  4. 再び抽象に上げる:「平和って何?」「“一つ”に込められた意味とは」

====

◆ 「往復運動」を支える教師の問いかけ(実践的フレーズ)

思考方向教師の問いかけ例

ア)抽象 → 具体

「それって、どんな場面で見られるかな?」
「たとえば、どんなこと?」

イ)具体 → 抽象

「このことから、どんな考えがわかる?」
「どんな言葉でまとめられる?」

ウ)構造を見せる

「なんでこの話がここに出てきたんだろう?」
「この文、前とどうつながってる?」

エ)体験に結ぶ

「自分にもこういうことあった?」「この言葉、自分で使うならいつ?」

◆ 補足:ノート指導や図式化も有効

  • 「具体・抽象マップ」や「三段構成チャート(主張→理由→例)」を使わせる
  • 対話(ペアトーク・グループ討論)で行き来させる
  • 書く活動とセットにして、言語化を支える

◆ まとめ

項目指導のねらい

目的:言葉の背後にある「実感・構造・背景知識」を育てる

方法:抽象と具体を行き来させる問いかけ・図式・対話

子どもの変化:「言葉をなぞる」から「意味を考える」へ

 

 追加質問してみた。

 いわゆる「So What?」と「「So Why?」のことですか?

 ChatGPT:

はい、まさにその通りです!
So what?(それがどうした?)」と「So why?(なぜそう言えるの?)」という問いは、まさに抽象と具体を往復する思考のコアになります。

「So what?」= 抽象→具体(意味・意義の追究)

これは、抽象的な主張や言葉に対して、具体的な意味や意義を問う問いです。

 例:

  • 筆者は「命の大切さを伝えている」と言ってるけど、
    •  So what? → それって、私たちの生活でどういうこと?
    •  どう生き方に関係するの?
  • 「努力は大事」って言ってるけど、
    •  So what? → それって、どんなとき? なんで大事?

👉 主張・まとめに対して「それが現実でどう活きるのか?」を問う

 

「So why?」= 具体→抽象(理由・根拠の追究)

こちらは、何かの主張やまとめに対して、「なぜそう言えるのか?」と問い返すものです。

 例:

  • 「この人物はやさしいと思う」→
    •  So why? → どんな行動からそう思ったの?
  • 「この話は平和の大切さを伝えている」→
    •  So why? → どの場面? どんな言葉から?

👉 具体例や描写から「なぜそう言えるか?」を引き出し、主張や意図に迫る

◆ 小中学生への指導での活用

これらの問いは、読解や作文、さらには対話活動においてとても使えます。

📌 教室で使える言い換え例:

So what?

「それって、どんな意味があるの?」
「だからどうなるの?」
「自分と関係あるかな?」

So why?

「なんでそう思うの?」
「どこを見てそう感じたの?」
「理由を教えて」

◆ まとめると…

用語抽象⇄具体の関係 主なねらい

So what? = 抽象 → 具体

 意味・意義を問う/自分の生活につなげる

So why? = 具体 → 抽象

理由・根拠を問う/論拠を明確にする

 この2つの問いを意識して授業を組み立てることで、

  • 子どもが「わかったつもり」から脱却できる
  • 発言や記述が深まり、文章の構造や意図に目が向く
  • 書く・話す際にも「筋道立てる力」がつく

・・・以下は今の私の意見です。

(1)説明文の要約、社会科の調べ学習など、子どもたちが言葉の意味を十分理解しないまままとめていることが多い。

 語彙の乏しい子供たちは背伸びして言葉を使うことで、少しずつ言葉の意味を学んでいくのだで、それはそれで良いと思う。

(2)だからこそ、「それってどういうこと?」と意味を問い、借り物でない自分の言葉で説明させること・リライトさせることに意味がある。

(3)「例えばどういうこと?」とテキストにない事例・実体験で説明させることで、言葉を具体的に考えさせる。これが「神は細部に宿り給う」。

(4)そういえば、自分も説明文の授業の最後に、「筆者と同じような経験」「この主張とよく似た自分の体験」を書かせたことがある。

ほとんど無意識だったが

So what? = 抽象 → 具体 = 意味・意義を問う/自分の生活につなげる

に取り組んでいたのだと今になって思う。

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濃密な資料スライドの背景

 6月に「調研セミナーin名古屋」で、文科省の武藤久慶氏のお話を聴いた。

 150枚を超えるスライドを90分で話された。ご自身でも超高速でと言われるほどの駆け足状態だったが、それにしてもスライド1枚1枚の情報量が濃密だった。

 まさに、今回の武藤氏のスライドの中にあった石井英真氏の次の指摘通りだ。

==========

・例えばスライドを作成するという活動を行っている時、果たして子どもたちは「調べる」という動詞を経験してるでしょうか。

・情報を検索して貼り付けているだけの「集める」になっていないでしょうか。集めた情報をある視点から整理・分析して初めて調べたことになります。

==========

 著名な人の引用(借り物)で埋めていないか。そこから、自分なりの考察や主張を引っ張っているかを反省させられた。

「プレゼンのスライド1枚1枚について深く語れる奥行きの深い人になりたいです。自分は見栄を張って借り物の情報でスライドを作成するので、示してある以上のことを語れません。」

とChatGPTに呟いてみたら、濃密な回答があった。言葉足らずの自分の呟きの真意をしっかり汲んでくれた。

「自分の中に落とし込めていない情報」って、そうそう、そういうことを言いたかったんです!

◆なぜ「借り物の情報」になってしまうのか?

まず、見栄を張ってしまうという点について。これは決してあなた一人の問題ではなく、多くの人が「よく見られたい」「優秀に思われたい」と思って、スライドを格好よく作ろうとします。でも、それが「自分の中に落とし込めていない情報」だと、プレゼンのときに深く語れないのは当然なんです。

・・・この続きをそのまま引用したら、借り物そのままなので、再構成してみる(よく読むと、これ日本語がおかしいですね)。

項目は、ChatGPTによる。

1. 「調べる」ではなく「掘る」

 調べた内容を、自分なりの言葉で価値づけや意味づけをする。

 引用のための引用でなく自分の主張を補助するための資料(自分の視点・自分の経験を潜らせた主張)という位置付けを大事にする。

 2. 自分の土台(基礎知識)を強化する・・・ここはAIのおっしゃる通りなので、そのまま引用する

 借り物の情報しか出てこないと感じるとき、それは「背景の理解」が薄いことが多いです。

 たとえば「AIのトレンド」について語るなら、機械学習の基本・ビジネスでの文脈・倫理的な議論といった基盤の勉強が必要です。

 スライドを「話すための資料」ではなく、「考えた結果の副産物」とする。

3. 作る前に「語れる内容」から考える

  「So What?(それで何?)」と言われるような、自分の主張のないスライドにするなということ。

4. 小さくアウトプットして試す

「最初から完璧を目指さない」と言えるかもしれない。

 たしかに、授業中の子どもたちの相互交流「試しに話してみる=小さなアウトプット」のステップがあると、全体討論に持ち込みやすい。

5. 「語れないこと」は素直に認める

・・・突っ込まれたら困るような未消化な部分を引用しない。

 例えば次のようなスライドの構成を少し変える練習をしてみる。

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 スライドの左側:引用やデータ

 スライドの右側:自分の考察や実感

 視覚的に分けることで、聞き手も「これは事実、これは語り手の視点」と明確に理解できます。

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・・・ああ、こんなことをしたら、引用だらけで自分の考察がないことが明らかになる。

でも、このような作業を通して「インプット」と「アウトプット」を区別して、自分の主張を明確にしたい。

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「質の低い探究」の探究

2つのPBL

(1)PBL(Problem Based Learning)・・問題解決型学習

・教師が設定した問題を生徒が解決していくプロセスを重視する

・教師が設定した問題やシナリオを基に学習を進めることが一般的。

(2)PBL(Project Based Learning)・・課題解決型学習 / プロジェクト型学習)

このPBLと「探究」の関連については、「ジョン・デューイの探究の定義」が参考になる。

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ジョン・デューイは、1938年に発表した著作『LOGIC, THE THEORY OF INQUIRY』の中で、「探究とは、不確定な状況を指導的または制御的に変換し、確定的で統一された状況にすること」と定義付けています。(中略)

そのプロセスでは、観察や推論などの手段を用いて混乱した状況の解決に向けて調整することが求められます。デューイはこの「不確定確定」への移行を、六つの具体的なプロセスで説明しています。

1)探究の前提条件:不確定な状況探究は、不確定で混乱した状況を認識することから始まる。

2) 問題の設定

状況の観察を通じて、解決のための具体的な問題を設定する。

3) 問題解決の確定

観察や仮説の検証を繰り返し、問題解決に向けたアイデアを具体化する。

4) 推論

提案やアイデアを論理的に検討し、それらが適切であるかどうかを確認する。

5) 事実と意味の操作的性質

観察や実験を通じて得られた事実を基に、仮説を修正しながら解決策を構築する。

6) コモンセンスと科学的探究

探究は、日常生活での課題解決(例:どの道を通るべきか)から科学的な課題解決(例:実験による仮説の検証)まで、観察・仮説・検証というプロセスを基盤として展開される。

※「PBLとは?問題解決型/課題解決型の違いや探究との関連性を解説」

https://classpad.net/jp/school/column/032/

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・・・「不確定な状況」は、「なぜ?」によって生じるモヤモヤした状態ではないか。

 「探究」のベースが「なぜ?」

 その「なぜ?」が生じるのが、「内部情報の蓄積」ではないか。

 そのようなことを、どこかに書いた覚えがあると探したら、2015年の日本教育技術学会のメモだった。

 平成27年度の日本教育技術学会大会が、11月14日(土)に静岡で行われた。
 中心テーマは「アクテイブラーニング」と「エビデンス」だったが、多くの講座で「非認知能力」が話題になったから、3大課題だったと言えよう。

 行きの新幹線で、『天才になる瞬間』斎藤孝著(青春文庫)に目を通し、「情報の蓄積」についての記述が気になっていた。

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 自分の中に蓄積された情報を、自分なりに再編集し、他の人にはマネのできない自分だけのスタイルで“かたち”にする。その方法をつかんだときが“ブレイクスルー”の瞬間なのです。(中略)
 まず、モーツアルトの頭の中には、彼以前の音楽家の作品が膨大な情報として蓄積されていた。そして、蓄積された情報を自由自在に操ることができた。その上で、自分なりのアレンジを加える作業を積み重ねていくうちに、独創性にあふれる作品が生まれてきた。(P19・20)

===============

 ・・齋藤氏は、黒澤明監督の「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」の中から、次の一節を引用し紹介している。

 ================
 〈創造性というのは記憶ですね。自分の経験やいろいろなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない>
=================

 ここだ!

「無から創造できるはずがない」のと同じで、「無から問いは生まれるはずがない」

 それなのに、質の低い探究学習では「まず課題を作れ」と強いている。そこに無理がある。

 学会の提案の中で、「向山型アクテイブラーニング」として次の5段階が示されていた。

1 問題を発見する
2 問題を追求する
3 討論する
4 異なった意見を認める
5 結果をまとめる

・・1番目に「問題の発見」とあるが、 浴びるほどの体験(情報の蓄積)があって「問題発見(わ・き・お)」があって、「問題の追求になる」のではないかと思った。

 この私が気にした「情報の蓄積」については、川原雅樹氏のレジメの「提案 社会科におけるアクテイブラーニング5段階」に含まれていた。

◆提案 社会科におけるアクテイブラーニング5段階

1 内部情報の蓄積
2 課題の発見
3 課題の追究
4 討論
5 まとめる

 ・・・自分のアクテイブラーニングのイメージは、この川原氏の提案に近い(ということが、帰りの新幹線の中で判明した)。

 「内部情報の蓄積」のないまま「課題の発見」を無理強いしても「探究」の質が低くなるだけだ。

 向山先生の理科の授業では「自由試行⇒内部情報の蓄積⇒課題の発見(わ・き・お)⇒課題設定」となっていた。

 材料や道具を好きなだけ扱う「自由試行」

 1は「内部情報の蓄積(自由試行)」となっていてもよいかなと今は思う。

 まだ「アクテイブラーニング」という用語が健在だった頃の問題意識。

 用語は変わったが「探究的な学び」のヒントになる。

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「探究学習」の探究

「探究学習」には4つのステップがあるという。

(1)一斉探究・・Structured Inquiry

一斉探究は、探究学習の入門編のような形態です。先生の指示に従って、クラス全員で一つの問いに取り組みます。問いも、問いに答えるために参照するリソースや発表方法は先生が決めます。生徒個人の自由度は低いですが、探究プロセスを全員でたどることができます。

(2)管理探究・・Controlled Inquiry

管理探究では、少しだけ生徒の自由度が増えます。先生が設定する問いや参照リソースの中で生徒は探究プロセスを練習します。

(3)指導付き探究・・Guided Inquiry

さらに自由度が増します。先生が問いを設定しますが、生徒自身で答える方法や参照リソース、さらに発表方法を考えます。

(4)自由探究・・Free Inquiry

自由探究は、探究学習のなかでも一番自由で上級向けの形態です。生徒は自分で問いを立て、調査し、発表します。ここまでくると、生徒が自身の学習を主体的に設計して実行しているといえます。

 ※引用:海外の探究(Inquiry Based Learning)ってどんなもの?日本の探究学習との違いも解説  2022-08-04

https://www.blog.studyvalley.jp/2021/10/29/ibl/

 

なるほど。もう少しシンプルに言い換えると

(1)先生の指示に従い、クラス全員が同じテーマで一緒に探究を行う。

(2)先生がテーマを決め、その答えを導くのに使う資料や方法も先生が指定する。

(3)先生がテーマや問いを決め、生徒はその解決策や成果物を考える。

(4)自由な探究

 

 実際の授業例で「4年社会科の自然災害」の単元で考えてみると・・・

 「愛知県の自然災害や防災について教科書やネット情報を参考にまとめましょう。」

という課題の出し方は、「一斉探究」のようでもあり「自由探究」のようでもあり、ステップが粗雑だ。

 だから「質の低い探究」になってしまう。

 そもそも、「〇〇についてまとめよう」では「コピペ」が目的になっていて、「課題」の解決にならない可能性が高い(子供の鍛え方による)。

 別の観点で言うと、一斉探究が、2つのPBL「問題解決学習」が混同されているのかもしれない。

(1)PBL(Problem Based Learning)・・問題解決型学習

・教師が設定した問題を生徒が解決していくプロセスを重視する

・教師が設定した問題やシナリオを基に学習を進めることが一般的。

(2)PBL(Project Based Learning)・・課題解決型学習 / プロジェクト型学習)

・生徒が主体的に課題を設定し、成果物を仕上げるまでの全体を管理する

・教師がテーマを与える場合もあるが、具体的な問いや仮説は生徒自身が設定することが多い。

・課題解決型は、解決すべき複雑な問題や問い、仮説を、プロジェクトとして解決・検証していく学習のことを指し、学生の自己主導型の学習デザイン、教師のファシリテーションの基、問題や問い、仮説などの立て方、問題解決に関する思考力や協働学習等の能力や態度を身に付けるものです。

PBLとは?問題解決型/課題解決型の違いや探究との関連性を解説

 https://classpad.net/jp/school/column/032/

 

◆調べ学習をしよう・探究しよう・自分で課題を決めて調べたことをまとめよう◆

といった言い方がが、同義語として扱われる。

 しかし、「解決する課題」という意識で調べていないと、仮説もないし、仮説検証にもなっていないし、成果物は提言にならない。

 このあたりは、研究者でない自分には、すごく難しい。

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