自走する子たちの育成を目指して(7)
◆「凡庸な教師はしゃべりすぎる」というワードの指摘、
◆「求めてこない者に対して 教えても意味がない。」というGG佐藤の言葉。
これらは、渋沢栄一の「自ら箸を取れ」と重なってくる。
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木下藤吉郎は匹夫から起つて、関白といふ大きな御馳走を食べた、
けれど彼は信長に養つて貰つたのでは無い、自分で箸を取つて食べたのである、
何か一と仕事しやうとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
「論語と算盤」オンライン
https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/chapter2-5.html
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渋沢栄一は、「知識の詰め込み」についても否定している。
それは「自分で考える機会」を奪ってしまうからだ。
以下の文は現代語訳なので、渋沢の時代に「好奇心」という言葉があったかどうかは分からないが、まさに「好奇心を奪う」ことを説いている。
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◆知識を詰め込むばかりでは、子どもが自分で考え、疑問を持つ余地がなくなります。
疑問を抱かなくなれば、好奇心は失われてしまいます。
好奇心が失われれば、何かを知ることの喜びもありません。
新しいことを知ったときの、あの新鮮な驚きと喜び。
それがない勉強など、する意味があるのでしょうか?
本来、学ぶことは楽しく心躍る営みであるはずです。
その気持ちを感じさせてあげられないとしたら、詰め込み教育は、間違っているのではないでしょうか。
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・・・本人の意に沿わない「詰め込み」は、学びの意欲をスポイルする。
学びに感動がなければ、好奇心もなく,熱中もワクワク感もない。
「詰め込み=教えすぎ」はダメ、「丸投げ=放置」はダメ。このバランスが、難しい。
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