自走する子の育成を目指して(9)
~教えないで気づかせる技術~
1990年9月3日の中日新聞のコラム「ラジオの中の先生」。
「子供科学相談室」というラジオ番組があって、次のようなやりとりがあったそうだ。
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子供「アリ地獄はどうやって作られるのですか」
先生「あなたは実際にアリ地獄を見たことがあります?」
子供「はい見たことがあります。」
先生「そう、だったらね、今、私がとやかく言うよりも、あなた自身の目でそれを確かめてごらん。何でもないようだけど、きっとあなたは、ううん、って驚くと思うな。」
そして用意する砂は細かなものであること、幼虫を真ん中にそっと置くことなどの注意が添えられた。
先生「きっと素晴らしい発見になると思うよ。ぜひやってごらん。」
子供「分かりました。ぜひ、やってみます」
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・・・・このときの様子を紹介するコラムの筆者は次のよう解説している。
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あの場で教えてしまえば、ああそうか、で終わってしまうものを、先生は自分の目で確かめさせようとしている。
つまり、先生はその質問に対しながら、決して答えようとせず、子供に科学的な値打ちを与え、あるいはそれに気づかせようとしている。理科の領域としては当然だろうが、私には、教育の根源がそこにあることの認識に迫られる。
◆◆◆
・・・これはまさに「教えないことの大切さ、気づかせることの大切さ」を主張している。先に書いた「問答法」「産婆法」と同じである。
「わかりやすく教えよう・丁寧に説明しよう」という気持ちだけではこのような対応はできない。
気づかせたい内容・発見させたい内容までも教えてしまってはいけない。そこは本人に気づかせ、成功体験につなげることが大事なのだ。
もちろん、「教えない」指導が全て素晴らしいと言いたいわけではない。
先の例では、「やり方(方法)は教えて、「発見」を子供に任せている。「子供に手柄を取らせている」と言ってもいいし、そこは「足場かけをしている」と言ってもいい。
「教える・教えない」は、ゼロか100かではない。押したり弾いたりの絶妙なバランスが大事で、そこが子供を自走させる「腕」だと言える。
先のラジオの中の子供は、最後に「分かります。ぜひやってみます」と答えている。
「優れた教師は、子供のやる気に火をつける」の典型なのだ。
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