自走する子の育成を目指して(13)
~自分でできたと思わせる伴走支援~
「自走するための支援」の典型が、大村はまの「仏様の指」のお話だと思っている。
すっかり昭和の話題で、若い先生は知らないだろう。
しかし、「独り立ち」を促す教師の心得としては必須だと思う。
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「仏さまがある時、道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男は御仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」こういう風におっしゃいました。そして、「生徒に慕われているということは、大変結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。私は考えさせられました。日が経つにつれ、年が経つにつれて、深い感動となりました。そうして、もし仏さまのお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏さまにひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それは幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていくときの自信に満ちた、真の強さ、それには、はるかに及ばなかったろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
【大村はま講演集 <人と学力を育てるために 風濤社刊>より】
https://www.shohei.sugito.saitama.jp/contents/kocho_blog/82692/
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・・・とりわけ重要なのは、後半で、次の箇所にしびれる。
◆もし仏さまのお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏さまにひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
・・・「子供の手柄を奪ってはいけない」も同じ意味合いだ。
勘違いでもいいから、子供が「自分で出来た」という成就感・達成感を持つべきで、決して「先生のおかげで出来るようになった」などと思わせなくてもいい。
これが「自立を促す伴走支援」の心得なのだと思う。いつまでも肝に銘じたいし、若い先生方に伝えていきたい。
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