July 29, 2026

「神仏習合」の歴史 ~聖徳太子の功績~

 堺屋太一著の『日本を創った12人』(PHP新書)の「聖徳太子」の項が「神仏習合」について述べている。
 抜粋して引用する。p30~33

・仏教と神道が併存することは、本当はかなり無理がある。戦に勝って排仏派の物部氏を滅ぼした蘇我氏が擁立したのは、祟峻天皇である。
 ところが、いよいよ政をされると、天皇は深刻な政治的矛盾に直面する。 天皇家から天皇が出るのは、天皇家が天照大御神の子孫であり神武天皇の後裔である、という神道神話に基づいてのことだ。その神道を否定してしまったのでは、なぜ天皇家だけから天皇が出るのか、その必然性が失われてしまう。

・(この時代、中国から入ってきた文化の1つである)易姓革命というのは、天は有徳の者を皇帝に選ぶ。これを天命という。

・いわば万世一系は大事ではなく、有徳な者が天皇になるべきなのだというのだから、天皇家にとっては累卵の危うきである。

・聖徳太子は仏教を信仰し普及させたが、神道を弾圧した気配はまったくない。むしろ神道にも理解を示し、援助を与えた。ここに日本人の宗教観を決定する要素があった。太子は個人としては仏教徒だったが、政治家としては天皇家の一員であり、神道神話の保護者でなければならなかった。この矛盾を理論的倫理的に解決するものとして、「神・仏・儒の習合思想」なるものを考え出したのである。

・日本で宗教対立を主因とする戦争がなくなったのは、聖徳太子という天才が現れ、理論構成の巧みさと訴求力の強さによって習合思想をはじめたからだ。

・聖徳太子は世界でただ一人、習合の思想を発案した偉大な思想家である。そして今日に至るも日本人の骨身にまで浸みこんでいる。

・宗教的にいうと、一つを信仰することは他を排することでもある。だから、複数の宗教を同じ人間が同時にしてもよいというほどの堕落はない。聖徳太子の発想と実績は、宗教的には堕落である。けれども政治的には飛躍である。これを考えついたのは、世界広しといえども聖徳太子ただ一人だ。日本以外の国で、多数の宗教を同時に同一人が信じてもよいといった宗教者は、まずいないであろう。
 かくして、仏教が入ってきても、伊勢神宮は信者をまったく失わなかった。そして連綿と今日に至るも御遷宮が行われ、お伊勢参りの人は絶えない。

・クリスマス・パーテイーや教会での結婚式だけは取り入れる。けれどもお葬式は仏寺で行う。盆踊りにも行けば、初詣にも行く。座禅も組めば御輿も担ぐ。これに何の矛盾も感じることなくわれわれは行っている。


・・・このあと、「ええとこどり」という言葉で、日本の柔軟な文化・文明の受け入れの気質を表している。
 斉藤武夫氏のウェブに次のような解説があった(斉藤氏も、上の堺屋太一氏の本に学んだことを明記している)。
 http://aokihumu.blog69.fc2.com/blog-entry-10.html
==================
(推古十五年春、二月)九日詔して、「古来わが皇祖の天皇たちが、世を治めたもうのに、つつしんで厚く神祇を敬われ、山川の神々を祀り、神々の心を天地に通わせられた。これにより陰陽相和し、神々のみわざも順調に行われた。今わが世においても、神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」と言われた。十五日、皇太子と大臣は、百寮を率いて神祇を祀り拝された。

 これを敬神の詔という。推古十五年は西暦六〇七年のことだ。
 推古天皇は、先祖の信仰を継承して伝統の神々を祀り続けることを誓ったのである。この詔の起草者が聖徳太子であることはいうまでもない。それを受けて、太子と蘇我馬子という仏教推進派の二大巨頭が、わざわざ朝廷の全役人を集めて、日本の神々を祀る行事を盛大に行ったのである。
 朝廷は新たに外来の仏さまを祀るが、それは日本の神々への信仰を捨てることではない。
ともに大切にしていくのだという大方針を内外に明らかにしたのである。
 こうして、およそ半世紀の抗争は決着した。わが国は仏教も神ながらの道も共に尊重して、国づくりを進めることになったのである。異質な宗教の衝突は、洋の東西を問わず「あれかこれか」問題になるほかはない。仏さまを信じるのなら、国つ神には去ってもらうほかないというのが世界の常識である。前述した蘇我氏や物部氏の物言い見ても、彼らがそれを二者択一問題としてとらえていることがわかる。キリスト教はオリンポスの神々やゲルマンの神々を滅ぼした。イスラム教が広まるときも同様であった。それら新時代の理念宗教に席巻された地域では、土着の自然宗教はことごとく滅びていったのである。
 もしそうなっていたら、わが国の国柄は大きく変わっていたと思われる。大和朝廷は、神々を祖先にもつ王家であることに王権の正統性を見いだしていた。もし、その神々を追放すれば、天皇家は大和の国に君臨する正統性を失っていたはずである。そうなれば、次の天皇がその皇太子である必然性はない。国を治める真の実力があるかないかだけが問題を決定するだろう。結果的に、日本も中国のように姓の異なる王朝が交替し続ける国になっていたと思われる。
 武力抗争で王朝交替をくり返す不連続の国柄になっていたかも知れないのである。
 聖徳太子の天才は、宗教の衝突を「あれもこれも」という日本らしい解決法で乗り切った。仏教派の先覚者として導入の先頭に立った聖徳太子が、同時に日本の国柄を構想する政治家として「敬神の詔」を発し、仏教導入後も、従来通り伝統の神々を祀り続けることを誓ったのである。
 この文明戦略は、以後わが国が外来文明を導入する際の自覚的な方法となって継承されていく。外来文化と日本の伝統文化を統合しながら、日本の伝統を再構成し続けるという道である。宗教でそれができるなら、他の技術や知識でできないことはない。外来のものであれ、日本古来のものであれ、「良いものは良い」「ダメなものはダメだ」という、偏見を持たない、時代に即応した取捨選択が可能になったのである。
 ここに記した仏教伝来の教材観は、堺屋太一『日本を創った十二人』(PHP新書)に依拠している。私はこの本の「第一章、聖徳太子」から激しい衝撃を受け、日本という宿命の原型を見た思いがした。この授業は、本書に触発されて生まれたものである。
 「あれもこれも」という構えは、ときに私たちを縛る足かせのように見えることがある。しかし、その大方針がなければ日本の歴史はなかったのである。私には、それがよかったか悪かったかといったような他人事の議論はできない。私たちは今もなお、聖徳太子が直面したのと同様の宿命を生きているのだと思えるからである。
====================

 女系天皇・女性天皇とは別に、ここでも「万世一系の天皇」にするべく苦労した歴史が垣間見える。王朝交代は武力抗争を伴うからだ。

| | Comments (0)

July 09, 2026

久々に目を通した「向山型国語入門QA小事典」

===============

【向山型要約文の授業では話し合いをさせてはいけない。】

 向山型要約指導の目的は、

【要約のやり方を学ばせる】

ことにある。

 話し合いの好きな教師は、黒板に書かれた要約文についてやたらに話し合わせる。反対意見を言わせる。

 多くの場合、字数が短いとか誤字があるとかの指摘に終わってしまい、肝心の内容の吟味がなされない。

 これは当然である。子ども自身が判定する基準をもっていないからである。

 向山型要約文指導では話し合いをもつのではなく、要約するためのコツを子どもが学ぶのである。(P37)【】は枠囲み。

===============

 ・・・子どもが判定基準(解釈コード)を持たない状態で話し合わせても、不毛な議論にしかならない。

 「話し合いをさせない」という点では、「一字読解」の指導も同じだ(P88)。

===============

 向山氏は「一字読解」の授業では、くどくど説明をしない。

 もちろん話し合いなどさせない。授業がだらけてくるからだ。

===============

・・・何でも話し合わせていては時間がいくらあっても足りない。

 時間つぶしをしてサボりたい教師は、「話し合い」ばかりさせていればよい。

 しかし、良識ある教師なら、話し合いの場を厳選し、時間の浪費を食い止めるだろう。

「授業で子どもの学力を保障する」とは

教えるべき内容を、子どもの話し合いに任せない。

ということなのだ。

| | Comments (0)

March 17, 2026

「勉強する気はなぜ起こらないのか」 外山美樹(ちくまプライマリー)

各章はいくつかの内容からできている。

一章「 やる気はうちからわくのか、外からくるのか」は、10の見出しがついていて34ページ。

二章「 なぜ誘惑に負けてしまうのか」は、10の見出しがあって28ページ。

三章「 目標設定で差をつけよう」は、11の見出しがあって28ページ。

四章「 やる気を左右する周囲の存在」は、10の見出しがあって30ページ。

(五章・六章は略)

 これだけの内容を、無料のネット記事で情報収集しようとすると、どれほど難しいだろう。

 1000円の新書1冊買った方が、タイパがよくて、結果としてコスパもよい。

 ネットの断片的な記事を集めていると、系統的に理解できないかもしれない。

 新書1冊分の情報さえ目を通さないで「探究」と言えるか。

 子どもたちの調べ学習がネット中心なのは、学校図書館の問題でもある。 今後「個人探究」を推奨していくなら、子供たちが探究しやすいテーマの書籍をある程度は充実させるべきだろう。

 学校図書館を「探究」の中心地になるように蔵書整備すべきなのだ。 (もちろん小学生が読める書籍は限定される)

 しかし、子供にとって、そしてデジタルネイティブの若い先生にとって、「情報は無料」がスタンダードかもしれない。

 無料の生成AI も便利だ。

 かつて「日本人は水と安全はタダだと思っている」とイザヤ・ベンダサンが書いた(本当は山本七平氏)が、今は、この無料ゾーンに「情報」も入る。

 学校で行う「探究学習」は、「情報はタダ」という誤った価値観を教えているのかもしれない。

 たった1冊の書籍の圧倒的な情報量に敬意を示す人間を育む。それは「知らないことへの謙虚な態度」なのだ。

9784480683977

| | Comments (0)

March 11, 2026

脳に必要なのは「好奇心」

「仕事力が劇的に上がる『脳の習慣』」澤口俊之著(ぱる出版)2022年

「あとがき」に、思いっきり要点が書いてある。

================================

 本書の底流には「好奇心」 が流れています----知能やその向上法のベースは好奇心で、好奇心があればこそ「うむうむ、面白そうだ。 メンドーそうだがしてみようか」という前向きな気持ちになるはずだからです。

現生人類の高知能化を促した「適応放散」にしても、その大きな駆動力は好奇心です。 適応と好奇心が密接に関係していることはあえて言うまでもないことですし、進化的な影響が色濃く残っている幼少期では、好奇心は知能(=適応力向上の駆動力になっていま す(知能を高める探索行動や多少危険な遊びなどは、好奇心なくしてするわけがありません)

教育にしても、好奇心を向上させる教育法によって、知能と結びついた学力は大きく向上します。

最後の章で述べた「人生の危機」でも、好奇心が(幼少期のみならず) やはり相当に関与していることは自明で、好奇心向上が人生の危機を乗り越える「銀の裏地 (silver lining)」 とされているくらいです(silver lining は希望の光明という意味でもあります)

さすがに「社会人・ビジネスパーソンが伸ばすべき能力は好奇心だけ」とすることはできませんが、好奇心が知能と結びついて、不安感の軽減、やる気、イノベーション、創造性、さらには長寿や幸福感を促すことが近年の諸研究で分かってきています。

「結局は好奇心」と極論しても構わないくらいです。

====================

 文中の「適応放散」とは、現生人類がさまざまな場所の環境に適応して移住してきたこと。高知能でないと移住と適合に成功しないので、より過酷な環境に移住した民族ほど知能が高いことが予測できると言う。P36

好奇心が強いほど学力や認知機能が高い。

遊びをよくする幼児ほど知能が高く、幼児期に多少危険な遊びをした方が、成人になってからの創造力や協調性、レジリエンスなどが高くなると実証されている。逆に、危険なことを保護者が止めると知能発達が阻害される。

・・・なるほど。 知能(一般知能を含む人間性知能HQ)を鍛える脳トレのためには、脳トレアプリのような類は「汎化」が起こらない点で役立たないそうで、

 ◆オメガ3脂肪酸のようなサプリメントは無効果で、カテキン類を多く含む緑茶が最強。

脳の発達を促すのは30分程度の有酸素運動。

ボランティア活動や旅行、公園や観葉植物などの緑効果、緑の香りも効果がある。

とあった。

 「モノを買うより経験を買った方が幸福感は高くなる」 という指摘もなるほどと思ったが、 旅行は幸福感のみならず協調性を高める上で有意義で、森林浴も効果があるそうなので、やはり、自然体験が良いのだなと納得した。

7adb2182819d4e65a217b66c7ff11b95

| | Comments (0)

March 10, 2026

伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』

小学生を主人公にした5つの短編集。

20204月初版だから、多くの人が読了していると思う。

◆僕はそうは思わない ◆敵は先入観 ◆世界をひっくり返せ

というキャッチフレーズが示す通りで、いじめを誘発する「社会の構図」を再認識させられた。

・彼が才能がないとは限らない。

・彼女が足が遅いとは限らない。

・身なりの貧相な彼が、貧乏とは限らない。

・挫折した彼が、そのまま活躍の場を失うとは限らない。

・頼りない先生が、頼りないとは限らない。

・彼の体のあざが、虐待のせいとは限らない。

・犯罪者を厳しく罰し排除することが正しいとは限らない。

といったどんでん返しの話題が満載で

◆最終的には、威張らないやつが勝つよ。

◆真面目で約束を守る人が勝つんだよ。

◆相手によって態度を変えることほど、格好悪いことはない。

◆今僕を馬鹿にしている人は気まずくなるなるだろうね。

◆人間関係にとって重要なのは評判だ。** ** 評判がみんなを助けてくれる。もしくは、邪魔してくる。

◆もしわたしがいじめられたら、いじめてきた相手のことは絶対に忘れないからね

という道徳的なアドバイスも、すんなり入ってくる。

・・・職業柄、ずしんときたのは、「逆ソクラテス」の

「何をやっても駄目みたいな言い方はやめてください」

という教師への毅然とした訴えだ。

 多くの子供が、教師の何気ない決めつけで自分への自信を失っているだろう。この場面では、友達に対する度重なる教師の侮辱に心を痛めた少年が怒りをぶつけている。

 一方、「アンスポーツマンライク」の感情的なコーチの場合は、

「恫喝じみた指導に成果があるとは、 限らない」ではなく、 「恫喝じみた指導に成果があることは、ありえない」

を物語っていた。

◆「いい大人が怒鳴りつけないと教えられないっ、て時点で恥ずかしいんだよな。」

◆「怖がらせる以外に指導方法を持っていない、そのコーチ、詰みじゃん。」

◆「小学生に向かって、恫喝しないと強くならないチームとはいかがなものか。」

 ◆「子供の気持ちを引き締めるためなら、それに相応しい叱り方をすればいいだけだよ。感情的にならずに、毅然と。相手の自尊心を削ったり、晒し者にしたり、恐怖を与えたりする必要はない。」

・・・・そして、怒鳴り散らすコーチの代わりとなった礒憲先生は次のような対応をした。

=================

 声を荒らげることもなく、常に落ち着いて僕たちを指導した。試合の際も、「どうしてお前はそうなんだよ」であるとか、「早くやれよ」であるとか、「どうしたらいいか考えているのか」であるとか、抽象的な上に威圧感を与えるような、無意味な大声を上げる事は一切なく、具体的なプレイ、走るラインや立つべき位置の指示を分かりやすく出してくれた。大幅に点差のついた負け試合となれば、「点差を忘れよう。次にやったときには勝つように」と相手の弱点を探りながら、連係プレーを何度もトライさせてくれた。

==============

 ・・・格言や名言、テンポの良い会話、散りばめた布石の回収によるどんでん返し(仕返し)がお見事で、どれも読後感が良い。

 かつて、「水戸黄門」や「遠山の金さん」のように、立場逆転のテレビドラマが好まれたのは、外見や立場で人を見下す社会への戒めだったいのだということがよく分かる。

| | Comments (0)

January 24, 2026

「僕を見て」のサイン

「自己顕示力、名誉欲、嫉妬、孤独、そういったものは結局、突き詰めれば、一言で表せる」

「僕を見て」だと言う。

・・・「SOSの猿」(伊坂幸太郎)を再読。

◆「自分の存在を忘れないでもらいたい」

◆あちこちで人々が痛い痛いと泣いている。

◆この船を助けて、とSOSを発している。

という、人々の心の叫びに敏感でありたい。

 優れた教師は、小指の動きで子どもが何をしたいか察知できると言う。

 そういう境地に立たないと、「個別支援」という言葉が空虚になってしまう。

 同書の次の箇所も身につまされる(前にも書いたことだけど)

=====

 子供のことは分かります。◯◯ですから。

 自信満々の◯◯には注意を払いなさい。それはロレンツオの父親が、教えてくれたことの1つだった。「分かる、と無条件に言い切ってしまうことは、分からないと開き直ることの裏返しでもあるんだ。そこには自分に対する疑いの目がない」p122

==========

 原文では、◯◯に「親」が入るが、「担任」の中にも、こんな感じの人がいる。

 万能感に満ちた親も教師は、謙虚さが足りないので薄っぺらな理解で満足してしまうのだ。

 

 さて、今回の再読で「僕を見て」について、エピローグ部分で別の記述も見つかった。

もちろん誰かが困っていて、僕が役に立てるのなら、それはそれで頑張るつもりはあるけれど、『誰かを救いたい』と思う僕の心自身をもう一度考えないといけない、と思っているんだ。ある人に教わったのだけれど、人間には、メサイアコンプレックスというものがあるらしい。誰かを救ってあげたい、というこだわりで、それは、自分自身の存在価値を証明したい、という弱さから生まれているらしくて

 そうだな、子供たちの役に立ちたいと思う教師にも「自己顕示欲があるんだうな」と納得した。

Tempimage6ljcad

| | Comments (0)

June 11, 2025

ヒューマンエラーは起こるもの

 年度当初、緊急連絡カードの紛失疑惑で大騒ぎしたことがある。

 学校にある環境調査表や緊急連絡カードなどを、いったんお家に返却して、チェック後に再提出してもらうことになっているが

そもそも、この返却ー再提出のシステムが、危機管理上、とても危うい。

(1)職員による書類差し替え作業中の「エラー」

(2)担任が子どもに渡す際の「エラー」

(3)子どもが保護者に渡す際の「エラー」

(4)保護者が子どもに渡す際の「エラー」

(5)子どもが担任に渡す際の「エラー」

を考えたら、マル秘の用紙があちこち移動することが問題なのだ。

===========

◆ヒューマンエラーはいつ起きてもおかしくない。人を責めずに仕組みを責めてほしい。学校経営を改善するためには、ヒューマンエラーが起きづらくなる仕組みを考えていくことが大切だ。

「自律する子の育て方」SB新書P108

============

保護者だって、手書きの連絡カードを書き直すのは面倒だ。

こんな時代なのだから、デジタルで入力してもらうのが一番確実なのだと思う。

81nyyk1ri8l_sy425_

 

| | Comments (0)

子どもに自己決定を促す「3つの言葉」

麹町中学校の工藤勇一氏の言葉

1「どうしたの?」

2「君はどうしたいの?」

3「何を支援してほしいの?」

◆これは子育てでも大事なことですが、親が口や手を過剰に出すことなく、常に子どもに自己決定の機会を与えていくと自己肯定感が高まり、自ずと自信と主体性が付いてきます。なぜなら自己肯定感とは「自分は自分のままでいいんだ」という自分にOKを出す感覚だからです。

◆自己決定させることはどんなに小さなことでも構いません。とにかく、子どもでも決められるにもかかわらず、大人が勝手に決めてしまうことが子どもの自信と主体性を奪っていると、まずは理解しないといけません。

 「自律する子の育て方」SB新書P91〜95

 

 少し前のドラマ「御上先生」でも、同じような問いかけがされていた。

 すべてを子どもに委ねるのも、すべてを先生が決めてしまうのも問題がある。

 メジャーリーグのコーチは、選手が尋ねてこない限り何も教えないそうで、まずは本人の「課題意識・課題解決の意欲」が大切なのだ。81nyyk1ri8l_sy425_

 

| | Comments (0)

「やりたいことをやる」が最強だけれど・・

 「何だろう? なぜだろう?」という自分の興味・好奇心に沿った行動は、ドーパミン系のモチベーション・最強のモチベーションと言われる。

 じゃあ、楽しいことだけやってればいいの?好きなことだけしてればいいの?ということになる。

 何でもかんでも自律的に取り組めるわけではないから、時には「あれをしなさい・これをしなさい」と他律的に行動を求められる場合がある。締め切りに追われると、お尻に火が付いたように頑張れる。あとでみんなの前で発表だということになれば、やらないとマズイので練習に身が入る。

 このように他律的に追い込まれるのが、ノルアドレナリン系のモチベーション。「適度な、やらなきゃ」は脳を活動的にすると言われている。

 もちろん、毎回毎回「あれをしなさい・これをしなさい」と他人に指しずされていたら、いずれ、言われたことしかやらなくなる。冒険もチャレンジもしなくなる。

 ドーパミン刺激にも、ノルアドレナリン系の刺激にも長所と短所があるから、バランスを考えることが大事だが、そこで重要なのが「心理的に安全な空間」

・自分の意志が尊重される・失敗しても咎められない

・他人と比較されない・できていることが評価される

・成功体験を積む・成長を実感する

 

「未知への恐怖」を「新しいことへの期待感」に変えられる教室でありたい。

 

※参考文献「自律する子の育て方」 SB新書

81nyyk1ri8l_sy425_

| | Comments (0)

June 09, 2025

ふと、泣いてみたくて、重松清を読んでみた。

 「また次の春へ」(文春文庫)は、東日本大震災を題材にした作品を中心に7編。

 単行本は2013年発刊だから、もう10年経過している。

 震災後、何もできなかった自分がもどかしくて、読むことも避けてきた。でも「そろそろいいかな? むしろ、そうやって避けていることが問題かな」と意を決して読んでみた。

 それぞれ、良さはあるが、今の自分に一番刺さったのは「記念日」だった。

 よかれと思って、かえって嫌な思いをさせることがよくある。

 被災地にカレンダーを寄贈するのに、1~3月のページを切り取ったのは、最大限の配慮だったが、辛い過去を「なかった」かのようにしたと相手が感じるなら、それはとても失礼な行為だった。特に東北の被災者にとって1月から4月までのカレンダーは「春を待つ」特別な思いがあったのだ。

 麻衣が送ったカレンダーは、自分の家の印を修正液で消したものだったが、それを手にした被災地のおばあちゃんが、消した記念日を知りたいと言う。

 震災で自分の家族をすべて失ったおばあちゃんにとっては、麻衣のような他人の家族のことでも、誕生日のような記念日を共有したかったのだ。

 記念日を書き足したカレンダーを見て、おばあちゃんは手紙を送ってきた。

================

「カレンダーに書いた予定を見るたびに、ニコニコしています」

「私の孫は中学二年生でしたが、可哀そうなことになってしまいました。どうか、元気で大きくなってください。お祈りしています」

=================

・・・「重松清先生、お見事」と思う展開に、気持ちよく泣かせてもらいました!

Tugi

| | Comments (0)

より以前の記事一覧