May 11, 2022

和久田学先生の『科学的に考える子育て』

ハイスコープカリキュラムについては、SNSでもよく発信されているが、ピンとこなかった。

GRIT・ マシュマロテスト・ペリー教育財団・アクティブラーニングに絡んで、次のHPなどを読んだこともあるが、幼児教育関連だからとそっちのけになっていた。

今回、和久田先生の本を読んで、以下の部分の意味が分かった。

=====================

アクティブラーニングの学びにおいては、次の要素を重視した取り組みが行われている。

PLAN→DO→REVIEW

こどもたちが自ら計画を立てて行動し、結果を振り返れるよう、教師はこどもの学び方や遊び方を意図的に誘導する。ハイスコープではこれを「PLAN→DO→REVIEW」と呼んでいる。3ステップで取り組むことによってこどもは意図的に行動し、ほかに楽しそうなことがあっても気を散らさずに自分の決めたテーマに集中できる。計画を立てて遊ばないと、遊び方が衝動的なものになりやすく、自己規制力を養えないからだ。

https://resemom.jp/article/2019/10/04/52768.html

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・・・和久田先生の本のどの章も考えさせられたが、全くノーマークだったのが、この「ハイスコープカリキュラム」のくだりだった。

「ハイスコープカリキュラム」を知る前段階(7章)に、脳の機能がある。これもセミナーで何度も聞いたことだ。

 

◆ヒトの脳は「爬虫類の脳(生命維持)」「大脳辺縁系の脳(情動・欲求)」「大脳新皮質(認知・言葉・抑制)」の3階建てなっている。

◆思春期の脳は大脳辺縁系(アクセル)が強くて、大脳新皮質(ブレーキ)が弱い。つまり欲求と情動が強まるがコントロールができない。

◆大事なのは「抑制脳(大脳新皮質)」を育てること。何かを成し遂げるには、遊びたい、怠けたいという欲望を抑制し、すべきことに集中する必要がある。

◆この大脳新皮質の働きを「実行機能」と呼び、マシュマロテストで分かるように、幼児期から「抑制」を身につけさせると思春期・成人期のリスクを下げられる。

 

という流れがあって、第8章「成功のカギは『実行機能』にあり」に続く。

そして、「ハイスコープカリキュラム」は実行機能を育てることがターゲットの一つだと話が進んでいく。

長くなるが、ここが重要なので引用。

 

◆ 砂場で山を使って作って遊ぶことでも、子供たちは無意識のうちに実行機能を使って遊びを計画し、その計画に沿って行動することでしょう。しかし、それを意識的にさせたらどうでしょうか。大人がそこに関与し、子供に問いかけるのです。何して遊ぶの?と。

すると子供の脳は、ひとりで考えていた時よりずっと早く、意図的に働きます。 何しろ脳の片隅でなんとなく存在した計画を相手に説明しなければなりません。どうしても言葉を使って表現する必要があります。

私たち大人もそうですが、意図や気持ちを言葉にすると急に明確になります。原始的な・・別の言い方をするならば動物的な・・感情も、言葉にした途端はっきりと見えてきて、客観視できるようになります。どうやら私たちの脳の働きは、言語と 切っても切れない関係にあるようなのです。

だから、子供たちに「何して遊ぶ?」のとその子の計画を質問し、「何して遊んだの?」と振り返らせることは、彼らの脳の働きを言語によって深め、明確にさせるという意味で大切です。ハイスコープカリキュラムにある「プラン・ドウ・レビュー」にはそんな秘密があって、だからこそハイスコープによる質の高い幼児教育は、成人後の生活にまで影響を与えるのでしょう。

だとしたら、私たちもやってみるべきでしょう 幼児に限る必要はありません。(中略)頭の中にある一つ一つの計画を言葉にし、行動したら振り返ってみるのはどうでしょうか。P166

 

◆「計画する」「振り返る」のカギは言語化にあって、言葉にするという過程で大脳新皮質を刺激します。

 

という指摘に衝撃を受けた。

 自分一人では言語化の必要がない。他者がいて、聞かれたり、説明したり、主張したりする必要があって、言語化しなくてはならなくなる。

 教師がいて、適切なタイミングで問いかけるから、子供は言語化に必要に迫られる。そして大脳新皮質が刺激されていく。「認知・言葉・抑制」を含む実行機能が育まれていく。

 

 「学習のめあてが大事だよ、学習の振り返りが大事だよ」という教育委員会の指導は、PLAN→DO→REVIEWに基づいているのか(違うかもしれない)。

 だとしたら、「めあてと振り返りなんて馬鹿馬鹿しい」と一蹴する態度も科学的ではない。

「めあてと振り返り」に意味を持たせられるかどうかは、教師の意識の問題だ。

 脳を成長させることの典型が「思考の言語化」で、それは、

※大学入試の国語問題(文学)は、およそ、ハイコンテクストをローコンテクストに言語表現することが基本なのかも。

と重なってくる。この件は次の投稿で。

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February 20, 2022

伊坂幸太郎 「逆ソクラテス」



伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』は、小学生を主人公にした5つの短編集。
2020年4月初版だから、多くの人が読了していると思う。
何と無く読む機会を逸していたが読んでみれば、イッキだった。
◆僕はそうは思わない
◆敵は先入観
◆世界をひっくり返せ
というキャッチフレーズが示す通りで、いじめを誘発する「社会の構図」を再認識させられた。
・彼が才能がないとは限らない。
・彼女が足が遅いとは限らない。
・身なりの貧相な彼が、貧乏とは限らない。
・挫折した彼が、そのまま活躍の場を失うとは限らない。
・頼りない先生が、頼りないとは限らない。
・彼の体のあざが、虐待のせいとは限らない。
・犯罪者を厳しく罰する事排除することが正しいとは限らない。
といったどんでん返しの話題が満載で
◆最終的には、威張らないやつが勝つよ。
◆真面目で約束を守る人が勝つんだよ。
◆相手によって態度を変えることほど、格好悪いことはない。
◆今僕を馬鹿にしている人は気まずくなるなるだろうね。
◆人間関係にとって重要なのは評判だ」
「評判がみんなを助けてくれる。もしくは、邪魔してくる」
◆もしわたしがいじめられたら、いじめてきた相手のことは絶対に忘れないからね。
というような道徳的なアドバイスも、すんなり入ってくる。
 職業柄、ずしんときたのは、「逆ソクラテス」の
「何をやっても駄目みたいな言い方はやめてください」
という教師への毅然とした訴えだ。
多くの子供が、教師の何気ない決めつけで自分への自信を失っているだろう。この場面では、友達に対する度重なる教師の侮辱に心を痛めた少年が怒りをぶつけている。
一方、「アンスポーツマンライク」の感情的なコーチの場合は、
「恫喝じみた指導に成果があるとは、 限らない」ではなく、
「恫喝じみた指導に成果があることは、ありえない」を強調していた。
◆「いい大人が怒鳴りつけないと教えられないっ、て時点で恥ずかしいんだよな」
◆「怖がらせる以外に指導方法を持っていない、そのコーチ、詰みじゃん。」
◆「子供の気持ちを引き締めるためなら、それに相応しい叱り方をすればいいだけだよ。感情的にならずに、毅然と。相手の自尊心を削ったり、晒し者にしたり、恐怖を与えたりする必要はない。」
そして、怒鳴り散らすコーチの代わりとなった礒憲先生は、次のような対応をした。
声を荒らげることもなく、常に落ち着いて僕たちを指導した。試合の際も、「どうしてお前はそうなんだよ」であるとか、「早くやれよ」であるとか、「どうしたらいいか考えているのか」であるとか、抽象的な上に威圧感を与えるような、無意味な大声を上げる事は一切なく、具体的なプレイ、走るラインや立つべき位置の指示を分かりやすく出してくれた。大幅に点差のついた負け試合となれば、「点差を忘れよう。次にやったときには勝つように」と相手の弱点を探りながら、連係プレーを何度もトライさせてくれた。
格言や名言、テンポの良い会話、散りばめた布石の回収によるどんでん返し(仕返し)がお見事で、どれも読後感が良い。
かつて、「水戸黄門」や「遠山の金さん」のように、立場逆転のテレビドラマが好まれたのは、外見や立場で人を見下す社会への戒めだったもかもしれない。

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November 01, 2021

読書は脳の想像力を高める

『脳を創る読書』酒井邦嘉(実業之日本社)には、次のように書いてある。

◆想像力が身についていない人は、メールなど文字だけの情報の場合、読んでも相手の意図を察することができないので、日常的に多くの失敗を経験していることだろう。しかも、その原因が自分自身にあると自覚していないため、何度も同じ失敗を繰り返してしまう。p125


「脳はなぜ行間を読むことができるのか」の項には、次のようにある。

◆人間はいつも外界を受容しながらモデルを作り、それを外界の情報で確認しながら次の展開を予想して先読みを続けている。だから、出来事だけが書かれていて主人公の心情については書かれていない場面でも、「主人公はきっとこう思っているのに違いない」というモデルを脳の中に作り、「きっと話はこう展開していくだろう」・・などと予測しながら読んでいるわけだ。こうして文章に表現されていない部分のモデルが脳の中に作られているからこそ、行間を読むことができる。p98

・・・この主張の例示として登場するのが有名な「サリーとアン」のテストの話だ。

◆「アンがボールを箱の中に移し替えたのだが、このことをサリーは知らないはずだ」ということを想像力で補わない限り、実際にボールの入っている箱のほうを答えてしまうだろう。我々は頭の中に、それぞれの登場人物(この場合はサリーとアン)に対して別々のモデルを作り、想像力で行間を埋めながら先の展開を推理しているのだ。
 しかし、一部の子どもたちは、登場人物のモデルをうまく作ることができずに、このテストデ間違える傾向にあるという。p100

・・・「想像力」の重要性が、あちこちに書いてある。

◆文章や漫画から登場人物の心を汲み取るためには、脳の想像力で使って人に対するモデルが作られなくてはならない。
日常生活で相手の心がわかるには、目や表情やわずかな仕草などを読み取り、言葉からの断片的な情報を結びつけて真意を読み取る必要がある。だから、相手の嘘や、その中に隠された真意も見通せるわけだ。人間の想像力は実に奥深い。p102

◆小さいときにあまり本を読まずに、想像力が欠如したまま大人になってしまうのは恐ろしいことだ。文字通りの意味がとれるならまだいいが、自分の思い込みだけで読むようになったら、その間違いを決して自分では修正できなくなってしまう。だいだい自分勝手なことをそのまま書いただけでは、相手が時間をかけて読んでくれるはずがない。相手の立場から自分の文章を読んだらどう受け取るだろうか、という想像力が身について初めて、自分の真意を相手に伝えることができ、相手の心を動かすような文章が書けるようになるのだろう。p122/123

・・・「想像力が言語コミュニケーションを円滑にする」という見出しの項には次のようにある。

◆映像は情報が多い分、想像力の余地を与えない。想像力で補うべき情報は欠落したままなので、知識の応用も利かない。
そのときはわかったつもりになるのだが、想像力で補うことが必要とされないものにばかり接していると、結局、想像力が身につかないことになる。紙の本では、どうしても足らない情報を想像力で補うことによって、その人に合った、自然で個性的な技が磨かれたのだ。p125

・・・クリエイテイブの「創造力」を調べる途中で、「想像力」にぶつかってしまった。
たしかに、正しい読解には、正しい想像が必要だ。
足りない情報は「想像力で補う」しかないのだ。

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October 29, 2021

黒柳徹子 「小さいときから考えてきたこと」(新潮文庫)

最近の自分の読書は教育書・ビジネス書が多いが、自分の知らない世界に触れるという意味では小説やエッセイも大事にしたい。

星新一のショートショートは今の中学生にも人気があるとのことだったが、まずはエッセイや短編で読書の基礎体力を付けさせたい。最近は重松清も恩田陸も読んでいないけど、「これではいかん」という気になった。児童生徒に読ませたい作品をしっかり把握できるように読書の方向を調整したい。特に朝読書という短時間でそこそこキリがつかないようでは、授業中に続きが読みたくなって困るので、エッセイは都合がいい。

 黒柳徹子の「小さいときから~」は、ユニセフ親善大使として訪れた紛争地域での子どもたちの様子と自身の戦争中の体験とが重なる部分があり、中学生にも読ませたいと思う章が多かった。
 特に「黄色い花束」は、中学校定番の「字のないはがき」や「大人になれなかった弟たちに」よりも、生徒の心に響くかなとも思ったくらいだ。太平洋戦争だけではあまりに遠い過去だが、現在の紛争地域の話題があるので、戦争や紛争にリアリティがあるのだ。
 少しだけ引用する。

◆私が子どものとき、何も知らないで、日の丸の旗を振って送り出した兵隊さんは帰ってこなかった。自由が丘の駅に行って、出征する兵隊さんに旗をふると、スルメの足を焼いたのを一本もらえた。私は、それが欲しくて、時間があると、行っては旗を振った。スルメなんて、あの頃、めったに食べられるものではなかった。知らなかったとはいえ、私は、あのとき、スルメが欲しくて送り出した兵隊さん達が帰って来なかったことを、今も申しわけなく、私の心の傷になっている。あどけなく手を振っている子ども達(注:コソボの子ども達)を裏切っては、いけないのだと、私は子ども達が手を振るのを見るたびに思う。あの女の子から貰った黄色い花は、ノートに挟んで押し花にした、コソボの記念に。

・・・心の傷は、小さいときに生ずるものもあるが、大人になってから「知らなかったとはいえ申し訳ないことをした」と生ずるものもある。
 大人の入り口にあたる中学生にも、そんな「心の傷」の存在に共感してもらいたい。
「知らなくてもよかったことまで、知ってしまうのが大人なのだ」と言えば、ちょっと格好良すぎるか。

 

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January 10, 2021

「葉桜の季節に君を想うということ」

2004年のミステリーだから「何を今更」という読書。
たまには小説を読もうということで、「ミステリー」で検索したらヒットした作品。全く予備知識のないままに手にとってみて、どんでん返しのトリックにまんまとやられた。それはともかく「咲き終わった桜も精一杯生きている」というメッセージは60歳目前の自分には心に響いた。題名の割に、文章はちょっと軽いけど。
ところで、読むまで全く知らなかったが、実家の清洲町が出てくる(今は清須市)。「名古屋の市場にある飲み屋」を探すくだりで、金山や納屋橋を探して最後に見つけたのが清洲町の「市場」。先週も歩いたJR清洲駅付近の描写にビックリした。なお、作者が同じ1961年生まれであることもビックリした。
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December 28, 2020

「人間にとって成熟とは何か」曽野綾子

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今年1年を振り返るために再読した一冊。
目次だけでも反省させられる。

◆正しいことだけをして生きることはできない
◆「努力でも解決できないことがある」と知る 

◆「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
◆「権利を使うのは当然」とは考えない
◆「問題だらけなのが人生」とわきまえる
◆「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る
◆辛くて頑張れない時は誰にでもある

「他人より劣ると自覚できれば謙虚になれる」
「報われない努力もある」
「諦めることも一つの成熟」
「礼を言ってもらいたいくらいなら何もしてやらない」

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December 09, 2019

「PEAK PERFORMANCE 最強の成長術」

Peak

ここ数年読んだ研究者のオールスターズのような一冊。
「フロー(熱中体験)」のチクセントミハイ、「意志力」のバウマイスター。
「ファストシンキングとスローシンキング」のダニエルカールマン。
「一万時間の法則」のマルコムグラッドウエル。
「マシュマロテスト(とは出てこなかったけど)」ウォルターミシェル。
「マインドセット」のキャロルドウエック、ケリーマクゴニガルなどなど。
帯で「大絶賛」として紹介されているのが、「モチベーション」のダニエルピンク。
安易な「一万時間のルール」を否定して、鍛錬の密度・集中度を述べた一節もあった。
やった気になる「マルチタスク」より「シングルタスク」の方が成果が上がることも述べられていた。
「ルーテイン」の効能も。

これまではメンタルな啓発本しか読んでこなかった。
しかし、当たり前だけど身体的な成長術も体得しないとパフォーマンスを発揮できない。
この本には、休息や睡眠の重要性がしっかり書かれていた。

「負荷+休息=成長」という方程式。

これは、大学時代にトレーニングの知識として学んだ「超回復」の理屈に似ている。

■超回復とは?
超回復とは、筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象で、休息の間に筋肉の総量 がトレーニング前よりも増加することをいいます。
■筋肉増加のメカニズム
筋肉を増加させるには、筋肉の破壊と修復を繰り返さなければなりません。
筋力トレーニングを行うことによって筋肉は破壊され、それから「24~48時間」かけて徐々に修復されます。
トレーニング後は筋肉が破壊されてしまうので、トレーニング前よりも筋肉の総量 は減少しますが、適切な時間休息を与えることで修復され、さらには超回復が起きて、一度減少してしまったはずの筋肉がトレーニング前よりも大きな筋肉になるのです。つまり、超回復が起こるのを待ってから次のトレーニングを行う方法が、筋肉を増加させるには理想的といえます。
■休息時間の重要性
超回復を知らない選手たちは、超回復が起こる前(筋肉の修復を待たず)に次のトレーニングを行ってしまいます。これは、筋肉の破壊だけを繰り返していることになりますので、筋力トレーニングを続けているにも関わらず、期待通 りの成果を出すのが難しくなるのです。
 超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、筋肉は強く逞しくなります。

http://www.cramer.co.jp/training/rest_3.html


知識としては睡眠の重要性を分かっていながら、実践が怠ってきた。
締め切り前は、寝る時間を削るくらいの気迫が必要だと思ってきたが、それは。実際の成果から言えば「自己満足」にすぎない。
深夜になればなるほど、パフォーマンスは下がっていく。分かっているけど、やっているのだから愚行であったとしか言いようがない。

選択と集中、オンとオフの切り替え。余分なものを断つ絶縁能力と書くと、またメンタルに寄ってしまう。
「長期的に持続可能」であるために、とにかく身体を大事にしようと思う。

 

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February 14, 2019

「最高のコーチは教えない」

うタイトルだけ見ると、「学び合い」志向の教師たちは大喜びしてしまう。
 メジャーでも活躍した吉井理投手がピッチングコーチになってからの学びをまとめた1冊(デイスカバー21)。

 第一ステージ(初心者・新人)に該当する選手は

◆「技術の基本を細かく教えていく」
◆「自らの状況を把握できないうちは、まず基礎を徹底させる」
◆「一人前と認めるまでは、このステージで二年から三年は過ごさせる」

などとある。「教えないで任せる」は次の次のステージなのだ。

 いくつか印象的な箇所があるが、「おわりに」を引用する。

================
 サッカーのコーチは、自分が教えたことを選手ができなければ、それは選手の責任ではなくコーチの責任であると考える。だから、一つの方法でできるようにならなければ、別の方法で指導しなければならない。ということは、一つのスキルを指導するためには、無数の指導方法を知っていなければならない。
 選手のタイプは無限だ。その組み合わせを考えると、指導方法の引き出しを増やす努力を怠ることは、コーチとしての存在意義を放棄することになる。コーチが学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない。
=================

 野球のコーチの多くは、こうではないと吉井氏は言う。
 教師はどうだろうか。
 引用部をしっかり自問したい。


※コーチの仕事は「教えること」ではなく、「考えさせること」であると、吉井氏は言う。
だから、彼の主張を「テイーチャー」である我々が全部受け入れるのは無理がある。

 「考えさせること」はコーチの仕事である。教師の仕事はあくまで「教える」ことだ。

とも言える。

 「究極のコーチ像は、コーチングの結果、相手が何でも一人でできるようになり、はた目から見るとサボっているようにしか見えないコーチだ」とも言う。討論の最中の向山先生のようなイメージだ。
 ただし「サボっているように見える」のであって「サボっている」とは違う。
 「最高のコーチングは教えない」という言葉を鬼の首でも取ったかのように吹聴する教師は、実際にサボってしまうのだ。
 吉井氏がいうコーチングの3つの基礎 「観察」「質問」「代行」 を怠るなら、コーチングを理由に「教えない主義」を主張する資格はない。
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January 04, 2019

「知的好奇心」は、波多野氏と稲垣氏の造語!

 Photo
以前、夕方のニュースで、子ども科学教室のようなイベントの紹介があって、楽しく学ぶ子供たちの様子を流していた。
 『知的好奇心』(波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版)を久しぶりに読んで「楽しく学ぶ」についてメモしていたところだったので、タイムリーな映像だった。

 自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが興味を維持し学習効果を高める。
 その一例として「磁石」の学習場面が挙げられている(P104~107)。
 
============
 たとえば、磁石を使って、どういう物がすいつき、どういう物がすいつかないかを子どもに知らせる場面を考えてみよう。このとき、どういう性質の物が磁石につきやすいかがよくわからないうちに砂鉄や石(磁鉄鉱)を出して、「さあ、おもしろいですよ。これもすいつきますよ」といった導き方はあまり好ましくない。子どもにとっては、そのおもしろさがわかりにくい。彼のそのときに持つ「知識」に挑戦する対象として砂鉄が示されたのではないからだ。
 このようなときには、まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。
 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。
たとえば、メッキされたアルミニウム製の物と、メッキされた鉄製の物を準備したり、磁鉄鉱や砂鉄を用意したりする。あるいは、棒磁石、大小のU字型磁石、電磁石などを用意するのである。
 みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。また磁石を近づければ、近づけるほどそれからはなれようとすることがある。スイッチを押すと磁石のようになるが、スイッチをはなすとそうでなくなる物がある・・・。これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。」
==============

(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。
(2)予想させ、自我関与させる。
(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。

などのポイントが読み取れる。
 
◆磁石は、他の物にくらべ、環境の「応答性」を増幅する。子どもの反応に応じて、つまり、子どもが磁石を事物に近づけるのにしたがって、事物がすいついたり、すいつかなかったり、はっきり「応答」してくれるからだ。(P107)

◆子どもの疑問に、はじめからていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答えを与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。(P108)

◆自由な雰囲気の中で、子ども同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。(P108)

などの記述を元にすると、以下のポイントも読み取れる。

(4)「応答性」のよさを心掛ける。
(5)教えすぎない。
(6)子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす。
 

そして、「おしえる側の役割」について述べた次の指摘は耳に痛い。知的好奇心のない者には知的好奇心の旺盛な子どもは育てられないということなのだ。

◆子どもの遊びや学習上の困難の解決に援助を与える、あるいは、たえず気を配って、子どもが次の活動のために必要としているらしいものを周到に準備しておく、集団での話合いの司会をする、これらが彼らの役目である。
 この場合、指導するおとな自身が知的好奇心の強い存在になることが必要だ。子どもにいくら新しい物に積極的に取り組むことをすすめても、その当人が、未知の場面、不慣れな場面を避けてばかりいては困る。おとなのそうした態度は、いつのまにか子どもに伝わってしまうからだ。(P109/110)。


 さて、『教育トークライン』1月号(東京教育研究所)で板倉弘幸氏が「知的好奇心」について触れている。
 「知的好奇心」は、自分にとって、もはや普通名詞のようなものであったから

◆「知的好奇心」は波多野誼余夫氏・稲垣佳世子氏の両氏によって命名された

という板倉氏の指摘は全くの驚きであった。
 そういう経緯も知らず、当然のように「知的好奇心の喚起」などと口にしてきた。
「モチベーション」関連の書籍には「内発的動機付け」は出てくるが、「知的好奇心」との異同がよく分からなかった。
「内発的動機付けのことを、若い研究者は知的好奇と呼んだ」と知り、納得というよりも唖然としてしまった。

「お金がもらえるからやる」「合格できるならなる」「出世するからやる」という理由は、「外からのモチベーション(外発的動機付け)」。
「自分が好きでやる」「やりたいからやる」というのは「内からのモチベーション(内発的動機付け)」
「モチベーション3.0 」 (講談社+α文庫)の著者であるダニエル・ピンクは、内的な動機付けによるアプロ―チについて、次の4つの項目を提示している。

①because they matter, 重要だからやる
②because we like it, 好きだからやる
③because they're interesting, 面白いからやる
④because they are part of something important. 何か重要なことの一部を担っているからやる

 この「内的な動機付けによるアプロ―チ」=「知的好奇心」と理解していたわけではなかった。「重なるなあ」という程度であった。

 板倉氏の論稿の中に、向山洋一氏の「知的好奇心」に関する記述もあった。

◆「知的好奇心は、今まで何気なく見過ごしてきたことに対する違和感から生じる」

 有田和正氏の「はてな帳」の発想に通じるし、向山洋一氏がよく言われる「あれども見えず」に通じることがよく分かる。
「あれども見えず」を浮き彫りにする発問こそが、授業を知的好奇心の渦に巻き込むことがよく分かる。

〇梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」(岩波新書)1969年初版
〇川喜多二郎氏の「発想法」(中公新書)1966年初版
〇木下是雄氏の「理科系の作文技術」(中公新書)1981年初版

なども、めちゃくちゃ古いが、もう1度読み直してみる価値があると思う。

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August 06, 2018

「10年後の世界を生き抜く最先端の技術」

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先日読んだ『10年後の世界を生き抜く最先端の教育』茂木健一郎・竹内薫著(祥伝社)の次の一節が印象深かった。

==========
私たちは模範解答ではなくて、その子の思いや考えを書いてほしいんです。でも模範解答に染まっちゃうとなかなか書けない。(中略)やがてくるAI時代は、間違いを恐れて正解だけを求める人は生きていくのが大変になる。だから、そういう模範解答を書く子どものは、そうじゃないよ、自分で考えていいんだよ、ということを言ってあげないといけない。そして、模範解答の枷から外してあげる。すると、けっこう自分で楽しく書き始めるようになって、ものすごい発想が出てきたりするわけです。
=============

 このフレーズと重ねるように、向山洋一氏の『斎藤喜博を追って』を再読する。 

教室とは、まちがいを正し真実をみつけ出す場だ。
  教室は、まちがいをする子のためにこそある。
  教室には、まちがいを恐れる子は必要ではない。

・・・まちがいを恐れてはいけないことを教室目標として年度当初に掲げ説明をしている。
 むろん、スローガンとして掲げるだけなら誰にでもできる。
 「まちがいを生かす授業」「まちがいに意味を持たせる授業」「何を言っても間違いにならない授業」を展開しなければ、子どもの意識は変えられない。

 中でも具体的に描写があるのが、参考書の模範解答を否定し、自分たちで新たな解答を創り上げていく「青森のリンゴ」の授業である。

=============
 「参考書で勉強するのも大切だけど、もっと大切なのは自分の頭でまず考えてみることだよね。事実を一つ一つ確かめたり、考えたりしてみることだよね。
 さあ、参考書はあてにならないことがわかったから、自分の頭で考えてみよう。思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
 ぼくは、子どもの発言をうながした。
「本当に何でもいいの」と、子どもは言いながら、一人が発表すると次から次へと意見が出された。
「鉄道があるからだと思う」という意見が始めに出された。
「とってもいいことだよ。そうすると長野以北で、しかも鉄道が通っている所ということで、ずいぶんせばめられるよね」、とぼくはことさらにほめた。
「とにかく、商売だから、もうかるんだと思う」と、ある子どもが言った時に、みんなドッと笑いころげた。
「それも、大切だ。どうしたら、もうかるのかな」と質問し、商品作物が一地域で集中して作られることによって、価格が下がることをおさえた。
 どの意見もどの意見も認めていった。何を言っても認められたから、子ども達は、面白いように意見を続けた。
==================

・・・向山氏が、「どんな意見も受け入れる態度」を示しているかがよく分かる。
 だから次々に自由度の高い意見が出されていった。
 また、笑われるような子どもの意見にも、きちんと意味づけをしている。発言した子どもの自尊心が高まるよう支援していることが分かる。

◆<優等生>の頭がたいしたことがないことを示すことから、本当の授業は出発するのである。

というフレーズは、次のようにも置き換え可能だ。

◆<模範解答>がたいしたことがないことを示すことから、本当の授業は出発するのである。


 決まりきった質問をして、決まった子だけが答えるという授業とは違って、一見あたりまえに見えることを否定し<優等生>の答えの底の浅さを見せつけるところから出発するこうした授業を、子ども達は喜んだ。

・・・などは、まさに「主体的・対話的で深い学び」の具現化だ。

 「青森のリンゴ生産が日本一なのは気候が適しているから」という模範解答を否定するダイナミックな向山実践が、正解がないと言われるAI時代に対応する授業であるかが分かる。

 なお、昨今のキーワードに「ダイバーシティ」がある。
「ダイバーシテイ」=「多様性・幅広く性質の異なるものが存在すること」というキーワードで向山実践を考えてみても、

「思いつくことは何でもいいから発表してごらんなさい。」
「どの意見もどの意見も認めていった。何を言っても認められたから、子ども達は、面白いように意見を続けた」

というスタンスの授業は、まさに「ダイバーシテイ」である。

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