AかBかを問うて、理由を発表させる授業
「『めあて』と『まとめ』の授業が変わる『Which型課題』の国語授業」桂聖編著(東洋館出版)2018年初版。
「このとき登場人物は、どんなことを思ったのでしょう? 今日はそれを考えましょう」
これは、国語が得意でない子どもにとってはハードルが高く、どう考えればいいのか、なにを答えればいいのか、学習に参加できない場合が出てきてしまうのです。
選択肢をつくって選ばせる活動を通じて、全ての学習者が学びの第一歩を踏み出せるようにする。
「『めあて』と『まとめ』の授業が変わる『Which型課題』の国語授業」桂聖編著(東洋館出版)2018年初版。
「右手にロジック、左手にレトリックを」
という瀧本哲史氏の主張に魅了された。
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言語にはギリシャのアリストテレスの時代から伝統的に、2つの機能があると言われています。
「ロジック」と「レトリック」です。
ロジックというのは日本語で言えば「論理」ですが、もう少し意訳すると、前提が真なら結論も真となるような推論の型のことで、ざっくり言うと、「誰もが納得できる理路を言葉にすること」ですね。(中略)
言葉の機能のもう一つの「レトリック」は、日本語では「修辞」と訳されています。簡単にいえば「言葉をいかに魅力的に伝えるか」という技法がレトリックになります。(中略)本来のギリシャ時代から続く弁論術のなかでは、レトリックについて、聴衆を魅了し、説得して賛成してもらうための重要な能力と位置づけています。
「2020年6月30日にまたここで会おう」星海社新書 P39〜41
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こうした一般論だけで読者を納得させることは難しい。
だから、瀧本氏はオバマ氏を具体例に選び、説得力を増加させた。
◆ アメリカ大統領のオバマさんは、非常にスピーチがうまいことで知られていますが、彼の話し方や聴衆の心に響く言葉の選び方、伝え方は、ものすごくレトリックが優れているんですね。(中略)
どんなに楽しいロジックでも、良いレトリックが伴わなければ、それは聞く人の心にきちんと届かないし、まして行動を変えることなどできません。
つまり「言葉には力がある」という事は、究極的には、アメリカ合衆国の大統領になれるほどの力を持つ、ということでもあるんですね。
p 41〜42
・・・瀧本氏の主張を読むと、ロジックとレトリックの基盤に「教養」があるのだとつくづく思う。
オバマの分かりやすい具体例を示し、「言葉には、アメリカ合衆国の大統領になれるほどの力がある」という主張が腹落ちする仕掛けになっている。
教養があるから、読者を説得するための最適な例示をチョイスできる。
もう1箇所、書き順を工夫することで、説得力が倍増する叙述・読み手を魅了する叙述がある。
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(ワイマール共和制は) 理想だけは素晴らしいのに内実はボロボロで、政党はまとまらないし国としてもダメダメで。もうほんとにダメだってときに、元軍人の、といっても伍長でしたが、1人の売れない画家の人が、「俺がなんとかしてあげよう」と言って、出てきました。
そして国民の多くも、「この人が何とかしてくれるかもしれない」と思って、その人が祭り上げてしまったわけですね。
その人、最初のうちはホント良くて、経済政策が大当たりして国の景気もむちゃくちゃ良くなり、「やっぱりあの人に任せて良かった」と国民の多くが思ったんですが、その後どんどん変なことをやり始めて、 あちこちにいろんな敵を作って攻撃したり、やたら戦争起こしたりして、結果的にドイツは大変なことになりました。
はい、ナチスのアドルフ・ヒトラーって方です。 p11〜12
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この部分は、最初から「ヒトラー」の名前を出したら、読む側はつまらない。
最後に「ヒトラー」が出てくるから、「カリスマモデルはうまくいかない」という主張がストンと落ちる。
レトリックも教養なら、そこで使われる歴史的事実も教養だ。
私たち教師は広く深く学び続け、効果的な例示ができる「教養=知性」を持ちたいものだとつくづく思う。
※2012年に東大で講演し8年後に再集結せよと宣言した瀧本氏は2019年に亡くなりました。
「人はいかにして学ぶか 日常的認知の世界」(中公新書1989)
稲垣佳代子・波多野誼余夫氏の共著。
文章の読み取りというか、イメージ確定についての次の箇所も印象に残った。
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書いてあることがわかるだけで満足するのではなく、そこに直接書いてないことを推測し、書いてあることに照らしてその推測が正しいかどうかを吟味していく。こうすることによって、書いてある事を超えてより深く理解することができる。54ページ
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◆人は、たえず自分なりに納得のいく、整合的な世界のイメージを構成しようと努めている存在なのである。
◆理解するためには、新しく入ってくる情報を既有の情報と関連づけ、そこに整合的な関係を見出すことが必要である。
・・・「AとBの事態を理解するには、Cという解釈をしないとつじつまが合わない」といった思考過程だろうか。
子どもは「整合性」なんて言葉を知らなくても、整合性のある解釈をする。
それが「知性」なのだと理解した。
ちなみに、何の根拠もないが、子どもは「穴うめ」問題が好きだ。
空欄を見ると、前後の内容からの類推で埋めてみたくなる(「文字数指定」があると類推もさらにやる気になる)。
それは「整合的に物事を理解したい」という知性の表れなのだと思う。
Aという実践(コンテンツ)を知り納得しても、それだけでは別の授業がうまくいかなければ意味がない。
Aという本(コンテンツ)を読んで納得しても、それを自分のものとなるように咀嚼しないと、いつまでたっても「本待ち、他者依存」になってしまう。
コンピテンシーは、以下の文章でいうところの「本質」に該当するだろう。
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他者の経営者の書いた本は個別の文脈の中に埋め込まれているので、すぐに応用することはできない。
しかし、優れた読み手はそこで抽象化して本質をつかむ。本を読むのではなく、本と対話することが大切だ。
対話は今も昔も本質にアプローチするときの基本だろう。
優れた経営者というのは抽象化してストーリーを理解し、その本質を見破る能力に長けている。
商売を丸ごとに見て、流れ・動きを把握して、それを論理化することで本質にたどり着くことができる。
もともとは具体的な個別の事例が、自分のアタマの引き出しにしまうときには論理化された本質に変換されている。
結局のところ本当に役に立つのは、個別の具体的な知識や情報よりも、本質部分で商売を支える論理なのだ。
戦略構築のセンスがある人は、論理の引き出しが多く、深いものである。
他社の優れた戦略をたくさん見て、抽象化するという思考を繰り返す。これが引き出しを豊かにする。
独自の戦略ストーリーを構築するための王道だ。
楠木建「経営センスの論理」(新潮新書) P42
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上の引用部は、ビジネスでなく、教育現場に置き換えることもできる。
個別の教科内容を教えることに満足していてはいけない。個々の授業内容から本質を抽象化しないと汎用的に学ぶことができないからだ。
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