February 24, 2024

相手の立場で考える教師でありたい!

2月23日の【連続テレビ小説】ブギウギ 「あなたが笑えば、私も笑う」

◆晶子という家政婦が主人公スズ子の家で働くことになる。スズ子はいつも通り娘を仕事に連れて行こうとするが、晶子の強い勧めで、初めて家に残して仕事に行くことにする。

さて、娘が心配で仕事を早退して帰ってくると、娘は晶子と仲良く過ごしていた。

破れた障子が貼り替えられているの見て唖然としているスズ子に、晶子が「ずっと一人で頑張ってきたんですね。」「これからは私に頼ってください」とねぎらう場面が出てくる。

これまで1人で娘を育ててきたスズ子が、ふっと肩の荷を下ろし涙する瞬間だ(というのが私の理解)。

https://www.nhk.jp/p/boogie/ts/NLPYVZYM29/episode/te/5K7QW62Y2N/

 

こんなシーンで感心していたら家事育児をずっと続けてきた妻に怒られそうだが、母子家庭って、確かに大変だろうなと改めて思った(無論父子家庭も同じだ)。

テレビのように家政婦をお願いできるケースはほとんどないから、母親は働きながら子供の世話を全部みる。 

今や、どのクラスにも、そういう母子家庭世帯がいるのだとしたら、

「いつも大変ですね」

「私にできることがあったら」

と思いを寄せることが大事だ。

そもそも、母子家庭でなくても、働くお母さんは大変だ。

相手の苦労を思い、相手の気持ちに寄り添えるかどうかが、信頼される教師になるかどうかの分かれ道になる

(無論それは「教師として」と言うよりは「人として」の問題である)。

 

教師2年目のとき、保護者会の時間に都合がつかない父子家庭があって、要望に沿って夜7時頃、喫茶店で1時間ほど話をしたことがある。

自慢でもなんでもない。

父親からの要望があったから受けただけで、自分自身の配慮(想像力)があったわけではない。

今日のテレビを見て感じた「思い」があったら、その後、何人も出会った母子家庭のお母さんに対して、もっと配慮できたと思う。

もっと「大変ですよね」「私にできることがあったらお手伝いします」という気持ちを伝えられたらと思う。

今さら遅いのだけれど、今日の私の気持ちは若い先生に伝えていきたい。

 

母子家庭のお母さんだったら、いくら仕事の都合でも、夜、喫茶店で会うことはしませんね。

 

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「ネガテイブ報告」でなくても危険水域の学級がある

 告げ口オンパレードの学級は危険水域だという指摘を、少し前に書いた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2024/02/post-dbbdb6.html

 

 実は、真逆で危険水域の学級がある。

 思ってもみんな言わない学級だ。

 「あの子が嫌」

 「グループが嫌」

 「先生が嫌」

 言えば雰囲気が悪くなる・言えば周囲から嫌われると分かっているから我慢している。

 我慢してはいるが、思いは消えないから不満だけが心の奥底で膨らんでいく。

 不満を言えない不満、遠慮と我慢の圧力で、おかしくなってしまった学級。

 物分かりが良くていいクラスだと思われていた学級で、相互不信が深く進行していたことがある。

 とても物分かりの良い子が、その我慢強さゆえに、ある日ポッキリ心が折れて不登校になるようなケースと似ているだろうか。

 とても素直な先生が、その我慢強さゆえに、ある日ポッキリ心が折れて休職するようなケースと似ているだろうか。

 子供や学級の物分かりの良さに甘えてはいけない。

 我慢のサイン・不満のサイン・SOSのサインを見逃してはならないのだ。

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February 21, 2024

見て分かることを言うな!

「正しいことは言うな」という逆説的な表現に感銘を受けたのは、もう10年以上前のことだ。

教師という仕事上、子どもの失敗や過ちを指導する場面は多い。

しかし、「どうして、宿題を忘れたんだ」などと相手の過ちを責めてみても、その言葉が正しければ正しいほど相手を追い込んでしまうことになる。言われた方は一番聞きたくない言葉を耳にするから、反発を生むことになる。そして、「いつも俺ばかり怒られる」という負の感情をもたらしてしまう。川上康則氏の言う「毒語」だ。

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怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、ー正義という名の魔類ーになっているのです。仏教では、その正義という名の魔類をー阿修羅ーと呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。(後略)

2006年中日新聞7月18日付の朝刊に「ひろさちやのほどほど人生論」

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・・・「阿修羅」の意味まで教わったインパクトのある記事だった。何も言わずにじっと相手の聞いて上げる行為が「慈悲」なのだとも書いてあった。何と、仏教の教えは奥が深いのか。

教師は「よかれ」と思って平気で子どもを傷つけることがある。

喧嘩した子が悪い、忘れた子が悪い、聞いていない子が悪いなどなど。

悪意がない分だけ、たちが悪い。

正義感を振りかざす鈍感な教師はまさに「阿修羅」と化している。実はかつて同僚に、ネチネチ子どもを責める人がいて、自分のストレス発散に使ってるのではと思ったほどだった。毎年のように、そのクラスには不登校児童が生じた。保護者の間にも、それは知れ渡っていた。 

『身につけよう!江戸しぐさ』という本の中に「見て分かることは言わない」というのがあった。

「おやせになりましたね」「太ったんじゃないの」「ひどい汗ですね」など、見て分かるようなことを稚児のように言ってはいけないとある。===================== 

見て(暑いんだな)と察したらすぐ冷たい飲物を出すものだよ、というわけです。急な雨で濡れていたら、サッと手拭いを差し出す方が感性度が高く、相手の思いやりが偲ばれるものです。それに加えて「読んで分かることは聞かない」というのもあります。

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 何の配慮をする気もないのなら、見て分かることを言うな、というのは、実に鋭い指摘である。

「鉛筆どうしたの?」などの問いも、見れば分かる愚問だ。

問いただす前に、さっと差し出すのが大人の対応だ。

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二宮金次郎に学ぶ「率先垂範」

 二宮金次郎について、そんなに詳しくないのだが、手元にメモ書きが残っている。

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 幼い頃に両親を亡くし伯父の家に預けられた金次郎は、愛読書の「大学」を読みながら山で柴刈りをして背負って帰るような生活をしていた。 

「お前が本を読むための灯油はない」と伯父に言われた金次郎は、空き地にアブラナを植え、油屋で灯油と交換した。

 「本を読む暇があったらもっと働け」と言われた金次郎は、空き地を開墾してコメを作り、ついには、その財を元手に伯父の家を出た。

 亡くなった両親の家に戻った金次郎は、人が踏み入れない土地を耕して農地を増やしていった。

 真面目な金次郎の噂を耳にした下野の殿様から、荒れ果てた村の再建を頼まれる。

 家と農地を処分して新しい土地に赴いた金次郎は、村の真ん中に家を建て、以前と同じように農地を耕した。

 殿様から派遣された指導者だけれど、粗末な着物、徹底した粗食で、睡眠時間を削って働く金次郎の姿に、周囲は感化され「自分らも働くしかない」と心を入れ替えた。心の荒れた村人も働く喜びを知り、村は見違えるように豊かになっていった。

 金次郎は後の世に「農政家」と呼ばれたが、彼の凄さは、説教で人を動かすのではなく、自ら働いて、村人に「共鳴」を起こした点にあった。

 参考「なんのために『学ぶ』のか」ちくまリマー新書

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 まさに「率先垂範」だ。

 説教では人は動かない。人を動かすなら、自分から動くことだと実感する偉人のエピソードだ。

 このまま語っても、現代の子供の心には響かないから、別途、作戦を練り、別の資料にもあたり、アレンジする必要がある。

 ただ、まずは、教師の行動が子供に「共鳴」を起こしているか、日頃の行いを反省し、「率先垂範」を意識していかねばなるまい。

※心理学では、人間には「辺報性」という性質がある。やってもらったら、お返しをしないと気が済まないというよな心理。スーパーで試食すると買わないと悪いかなと思うのは「辺報性」だ。

◆自分の話を聞いてもらいたかったら、まず相手の話を聞いてあげること。

ということは

◆自分の望むように動いてもらいたかったら、まず相手が望むようなことをしてあげること

二宮金次郎が、村人の心を動かしたのは、「荒れた村を再生する」という点で金次郎が率先して動いたからだということが分かる。

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不登校は不幸ではない!

日本人の幸福度・満足度の低さが不登校児童生徒の増加に現れている、と聞いてと、それはどうなのかなと思ってしまった。
不登校を不幸だと思う周囲の雰囲気が本人を不幸にしてしまう。
「障害は不自由だけれど、不幸ではない」という言葉を知った時、障害=不幸と考えた自分を恥じた。
その時の着想と同じだ。
自分は「Having  Doing  Being」の3つの区別が大事だと思っている。
何かを持っていたら幸せというわけではないよ。お金とか名誉とか・・。
何かをしたら幸せというわけではないよ。旅行したとか試合に勝ったとか結婚したとか・・。
Being は「ありのまま・あるがまま」。いるだけでいいんだよ。
学校に行かなくても、友達がいなくても、あなたはあなたで胸を張って生きてほしい。
そりゃあ、健康な方がいいけど、健康でなければ不幸と考えるのは、残酷だ。
それと同じ。
先生は学校に来たみんなが楽しく過ごせるように頑張っているから、そりゃあ、できれば登校してほしい。
けれど、登校したくないあなたを不幸だとは思わないよ。
Well-Beingが、幸不幸のレッテルばりに使われては逆効果だと思う。
次年度、好スタートを切るために、この時期、不登校児童生徒へのプッシュが強くなる。
「今から慣らしておかないと、4月から登校できないし、4月を逃したらまた不登校が続いてしまう」
気持ちは分かるが、多様性の時代と言われるのに不登校については不寛容だなと思う。
不登校を「あるもの」として、効果的なプログラムを課すことができたらいいと思う。
登校することが前提で、不登校児童生徒へのプログラムが不十分だから、ただただ格差が生じてしまう。
保護者が焦り、本人は自尊心を失ってしまうのだ。

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「コンテンツ」ではなく「コンピテンシー」

Aという実践(コンテンツ)を知り納得しても、それだけでは別の授業がうまくいかなければ意味がない。

Aという本(コンテンツ)を読んで納得しても、それを自分のものとなるように咀嚼しないと、いつまでたっても「本待ち、他者依存」になってしまう。

コンピテンシーは、以下の文章でいうところの「本質」に該当するだろう。

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他者の経営者の書いた本は個別の文脈の中に埋め込まれているので、すぐに応用することはできない。

しかし、優れた読み手はそこで抽象化して本質をつかむ。本を読むのではなく、本と対話することが大切だ。

対話は今も昔も本質にアプローチするときの基本だろう。

優れた経営者というのは抽象化してストーリーを理解し、その本質を見破る能力に長けている。

商売を丸ごとに見て、流れ・動きを把握して、それを論理化することで本質にたどり着くことができる。

もともとは具体的な個別の事例が、自分のアタマの引き出しにしまうときには論理化された本質に変換されている。

結局のところ本当に役に立つのは、個別の具体的な知識や情報よりも、本質部分で商売を支える論理なのだ。

戦略構築のセンスがある人は、論理の引き出しが多く、深いものである。

他社の優れた戦略をたくさん見て、抽象化するという思考を繰り返す。これが引き出しを豊かにする。

独自の戦略ストーリーを構築するための王道だ。

  楠木建「経営センスの論理」(新潮新書) P42

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 上の引用部は、ビジネスでなく、教育現場に置き換えることもできる。

個別の教科内容を教えることに満足していてはいけない。個々の授業内容から本質を抽象化しないと汎用的に学ぶことができないからだ。

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誰かに教えるつもりで勉強した内容を説明してみると、28%成績がアップする。

「超効率勉強法」Daigo著(学研プラス)より
学習効果を最大限に高めるためのポイントとして
「想起する」
「再言語化する」
の2点が挙げられている。
誰かに教えるつもりで説明するのは「再言語化」の方だ。
ラーニングピラミッドでも「誰かに教える」は最も効果が高いとされている。
4年の理科ワークに,自分の言葉で表現させる箇所があった。
◆「水じょう気」や「湯気」という言葉を使って、右の図をもとに、水のすがたの変わり方を説明しよう。
・・・まさに「再言語化」だ。
これが「深めよう」の課題になっていて、その前段階ではキーワードの穴埋め問題が並んでいる。
「深めよう」だから、上級コースのような印象があって、できる子だけのチャレンジ問題にも思える。
確かに、模範解答を示して書き写させてしまいがちな課題だ。
しかし、学習効果を最大限位するには、できるだけ、ここは各自に取り組ませたい。
各自で難しければ、みんなで共同して、まとめさせたり、他のグループの意見を聞き合ったりして、理解を深めたい。
この「再言語化」は、「思考・判断・表現」を評価する設問として適している。
上級コースだからと諦めずに、どの子にもチャレンジさせたい課題である。
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February 20, 2024

記憶は「失敗」と「繰り返し」によって形成され強化される

「最新脳科学が教える高校生の勉強法」池谷裕二著(東進ブックス)

「4-2 失敗にめげない前向きな姿勢が大切」の章に以下のような解説がある。

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 ひとつの成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要なのです。こうした数多くの失敗がなければ正しい記憶はできません。「失敗しない人は常に何事もなしえない」(フェルブス)との言葉通り、記憶とは「失敗」と「繰り返し」によって形成され強化されるものなのです。

  皆さんの勉強に関してもまったく同じ事は言えます。繰り返すこと、つまり「復習」が大切だということはすでに述べましたが、それと同時に「失敗」することもまた重要なのです。つまり問題を解き間違えたり、ケアレスミスをしたり、テストで悪い点数を取ったりすることです。 (中略)失敗数が多ければ多いほど記憶は正確で確実なものになっていきます。偶然が重なって、たまたまテストでよい点数を取ったとしても、それはあなたにとって何の得にもなりません。

 ですから、もし皆さんがテストで悪い点数を取ってしまったとしても、クヨクヨする必要など全くありません。それは損したというよりも、むしろ得したと思い直すことです。 ただし、最悪のケースは、失敗したことを次回にどう活かすかを考えない人です。失敗したら、なぜ失敗したのかに疑問を持ってその原因を解明しその解決策を考えることが肝心です。p95、96

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・・・失敗という強いエピソードがあるから、恥ずかしい思いや悔しい思いをした分だけ強く記憶に残るということもあるだろうか。

 脳科学者の中野信子氏は「語学の習得はトライ&エラーなので、失敗を恐れる人には、不利な科目かも・・」と語っている。

「適度に緊張しないと、いい結果が出ない」は、スポーツの世界によくあることで、リラックスすればよいというものでもない。

 緊張する場をいくつ踏んだかは、成長の差になって現れる。大舞台を経験すると自信と風格が備わってくる。

 「恥ずかしい」「あきらめる」「チャレンジしない」 では、いつまでたっても上達しない。

 池谷氏の指摘は「記憶」に関するものだが、「数多くの失敗がなければ成長はできません」というのが実感だ。

 

参考 池谷氏の講演記録  https://www.toshin.com/mirai/top_leader/article/202108/index.php

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February 14, 2024

「ネガテイブ報告」は、学級経営の危険水域

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「ネガテイブ報告」という言葉を知った。要するに「告げ口オンパレード」だ。

・意欲の高い子や頑張り屋さんが正当な評価を受けないと、ルールを守っていない子への糾弾が始まる。

・周囲からミスやエラーを指摘される子は、「自分より下」を見つけて批判・非難・軽視する。「なんで俺ばっかり」と荒れる。

・ネガテイブ報告を放置すると、クラス全体がミスやエラーを許さない雰囲気になる(学級経営の危険水域)

 

 ルールの逸脱者を見逃さない行動を「オーバーサンクション(過剰な制裁)」と呼ぶ。

 自分よりできない子を見つけて生じる有能さを「仮想的有能感」と呼ぶ。

・・・実によくあるパターンだ。そのような状態になっているクラスを何度も見てきた。

 いや、もはや、世の中がそうなっている。

 頑張っている子にも、うまくいかない子にも「それなりに」ポジテイブな言葉かけで安心感を与えたい。

 「できたらほめる」だと、「できない子は永遠にほめられない」

 だから、「やろうとしたらほめる」が大事なのだ。

 

※写真は、「実践みんなの特別支援教育」 2021年12月号 より

https://books.google.co.jp/books?id=yhZOEAAAQBAJ&pg=PA29&lpg=PA29&dq=ネガティブ+報告++特別支援&source=bl&ots=HaLzY88HDF&sig=ACfU3U1_WHph_GVvy75kF8jnwA82rbbDSg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjlvfSxxbT0AhXXfd4KHfRID_MQ6AF6BAgnEAM#v=onepage&q=ネガティブ%20報告%20%20特別支援&f=false

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February 06, 2024

机間指導は「多面指し」の要領で

全体の指導者である担任が、個別支援に関わりすぎてはいけません。

担任が1人の子の支援に入りすぎると、全体に支障が出るからです。

 

将棋には「多面指し」があります。別名は「指導対局」。

 

机間巡視(机間指導)も、1箇所にとどまらずテキパキと進めるべきで、これはまさに「多面指し」の要領です。

数分経ったら、一巡してまた見てもらえると思えば、子供は自分の席で静かに頑張れます。

数分ごとに全員の進捗状況を把握できていたら、大きなミスを食い止めることもできます。

 

写真は藤井聡太さんの多面指し(指導対局)の場面

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