March 28, 2020

マスク着用が必須となると、教師の対応は変わってくる

 

TOSSが作成した「授業力トレーニングテキスト」の13ページに「あたたかな表情(笑顔)」という項目がある。
 
 ① 授業の開始を笑顔で始めている。(1点)
 ② あたたかな笑顔を最後まで保持している。(1点)
 ③ 場面に応じて表情を豊かに使い分けている。( 1点)
 
 子ども達は、教師が思っている以上に教師の表情や雰囲気に敏感である。
教師が怒った表情で教室に入ってくれば、「先生、何かあったかな。」と身構えたり、具合が悪そうな表
情であれば「大丈夫かな。」と心配したりしてしまう。
 教師の表情は、子ども達にとって非常に強い刺激物でもあるのだ。
 だからこそ、教師は授業の開始を笑顔で始められることが「前提条件」なのである。
 当然のことであるが、授業の開始に笑顔になれなければ、次の項目である「②あたたかな笑顔を最
後まで保持している。」ことも、「③場面に応じて表情を豊かに使い分けている。」こともできはしない
だろう。

http://toss.gr.jp/kyoushiryoku/wp-content/uploads/2017/04/training-text.pdf
 

・・・次年度、教師も子どもも「マスク着用」が必須となると、「笑顔」「豊かな表情」や非言語の対応がかなり困難になる。
「セレトニン」の分泌を促す5つのポイントについても、感染対策に伴い、かなり困難になる。

○「見つめる」「ほめる」
×「ほほえむ」
△「話しかける」「ふれる」

「口元がゆるむ」という笑顔の効用が激減するとなると、それをどう埋め合わせていくかを考えないと、子どもとのコミュニケーションづくりがうまくいかなくなる。出会いの印象も悪くなる。
 

①マスクからはみ出すような大げさな笑顔。目尻を下げて笑っていることをはっきり伝える。

②声の強弱やトーンで感情を伝える
③「バンザイ」など、身振りで表現する
④「OK」などのハンドサインで表現する
⑤意図的に拍手を増やす
⑥「すごいね」「やったね」のようなカードを多用する
⑦「すごいね」「やったね」のようなスタンプを多用する
⑧「すごいね」「やったね」のようなシールを多用する
⑨(濃厚接触にならない程度)の「握手」や「ハイタッチ」を使う。
⑩(濃厚接触を配慮して)原監督の「グータッチ」を使う。
11一筆箋・連絡帳、ミニ賞状を使う。

などと考えてみたが「笑顔・あたたかな表情」が伝わらないことのハンデは大きい。
少なくとも、そのハンデはあることを前提に、学級づくりや「出会いのドラマ」を作る戦略を立てる必要がある。

※それにしても、あらためてTOSSのトレーニングテキストはすごい。



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March 20, 2020

映画「フクシマ50」  〜9年前は騙されていた〜

映画「フクシマ50」を観た。観客の少なそうな時間帯を選んだので、本当に少なかった。

東電所員の決死の対応でギリギリ助かっただけで、あと一歩間違ったら日本は甚大な被害をもたらすところだった。

・・・この事実は、その後の報道で聞いて知っていたつもりだが、ここまでギリギリだとは思わなかった。
例えば「「炉心溶融」「メルトダウン」といった言葉を使わないように指示があったといった記事も目にしてはいた。
https://toyokeizai.net/articles/-/123129

震災直後の原発のニュースは注意深く見ていたつもりだ。
ベントが重要だと何度も強調していた。建屋が炎上するシーンも見た。近隣住民が避難するシーンも見た。
米軍が早々に家族をアメリカ本土に帰国させたという噂も聞いた。
しかし、自分に「正常化バイアス」があったのだろう。
これほど危機一髪であったという感覚はなかった。

映画を観ながら「作られたシーン」ではなく、実際の報道場面を見せてほしいと何度も思った。

今、新聞やテレビはウイルス感染拡大で過度に不安を煽っているが、当時の原発事故はどうだっただろうか。
自分は「いたずらに不安を煽っているな」と冷ややかに見ていた記憶がある。
実際に、数日後は安定したので、マスコミは大げさに報じただけだと思っていた。
しかし、メルトダウンの報道は決して大げさではなかった。
むしろマスコミも本当にあそこまで危機が迫っていたという自覚がなかったのではと、今は思う。

当時、相当な危機意識を持って原発現場のニュースを観ていた人も多いと思う。
しかし、自分は油断していたのだということが、今回の映画を観てよく分かった。

「相変わらずマスコミは大げさに危機を煽っているな」と決めつける自分にはエビデンスがあるのか、そこをきちんと見極めていかねばならない。
 

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March 02, 2020

今の状況は、選択肢じゃない!


ツイッターでの、YOSHIKIの発言は、ポエムのようで、さすがだと思った。

コンサートをキャンセルすることが、どれだけ大変なことなのかを、
多分自分は知っている。
だけど今の状況は、選択肢じゃないような気がする。
命より大切なものなんてないと思う。
だからこそ自分も含めて、冷静な判断が必要。
皆さんの安全を祈っています。

 

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 週末のダイアリーで、決断の難しさについて、次の箇所を引用した。

◆決断は常に「良いこと」と「良いこと」、もしくは「悪いこと」と「悪いこと」のどちらを選ぶのかという問題である。ここに決断の難しさがある。
良いことと悪いことであれば、前者を選べばいいに決まっている。そんな仕事は誰にでもできる。そもそも「決断」は必要ない。

 

これになぞらえると次のようになる。

◆命に関わることとそれ以外であれば、前者を選べばいいに決まっている。そもそも「決断」は必要ない。
 

こんな簡単な事を、わざわざ小難しく考えるから出口がなくなってしまうのだ。

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January 26, 2020

2月16日(日)椿原正和先生の春日井講演会について

日頃から懇意にしていただいている熊本の椿原正和先生を春日井市にお招きする事になりました。

  2月16日(日)14:00〜16:00

  春日井市総合体育館会議室です。

翌週、東北大学で行われる椿原先生の情報リテラシー講座は1日で満席となりました。

この機会にたくさんの先生方にご参加いただければ幸いです。どうぞ、お知り合いの先生をお誘いください。よろしくお願いします。

SENSEIポータルhttps://senseiportal.com/events/56014

 

 椿原正和先生は、今年度で教職を退職し、教育アドバイザーとして全国各地を回ることになりました。すでに100校の校内研修の講師依頼が来ています。

 昨年末は、PISA2018の結果(読解力低下の話題)と、大学入試共通テストの記述式問題の見送りで教育界が揺れました。

 グローバル化の進展や産業構造の転換により、「思考力・判断力・表現力」が喫緊の課題であると言われながら、記述式問題は見送りとなりました。

 しかし、「記述式は答えが多様なので採点が大変で、バラツキが生じる」という受験生や保護者の不安は誤解です。記述式問題は、与えられた情報と条件をきちんと読み取れば一定の解答ができます。模範解答と自分の解答を比較して自己採点することも決して難しくありません。

 椿原先生は、昨年12月に行われた日本教育技術学会(京都大学大会)で5年生の子どもたちに学テB問題を授業しましたが、どの子の答えもほとんど同じになりました。昨年10月には八王子東高校の2年生相手に大学入試共通テストのプレ問題を授業しましたが、どの生徒の答えもほとんど同じになりました。

 与えられた条件に合わせて、情報を読み取り、正しく再構成することが記述式問題で問われている能力です。中教審委員の堀田龍也教授は「基盤的学力」という言葉を使っていますが、これも同じです。

Society5.0 に向けた教育内容・学習方法おける深い学びを実現すること

③【 基盤的学力】 Web等からの情報を適切に取り出すために必要な読解力,多くの情報を比較したり整理したりできる思考スキルの育成

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/083/siryo/__icsFiles/afieldfile/2019/12/04/1420013_003.pdf

 

 2月16日(日)の椿原先生には、大学入試共通テストのプレ問題に触れていただきながら、どの教科でも使える汎用的読解力の指導法についてお話しいただく予定です。

 

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January 13, 2020

文科省と新井紀子氏の真逆の見解

「ノートが取れない」中学生。日本の子どもたちの読解力はなぜ落ちたのか。新井紀子さんインタビュー

https://www.businessinsider.jp/post-204493

これまで共感することの多かった新井紀子氏だが、今回のインタビュー記事内容には疑問があった。

「是々非々」が、PISA読解力の基本スタンスだから、いくらファンの一人でも、批判的に読む態度は維持したい。
具体的には、1人1台タブレットを否定する次のくだり。

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新井:これはもう終わりだなと。特に小学生には絶対、タブレットは良くないと私は確信しています。
実際、先進的に導入した私立学校や家庭で既に弊害が出ています。小学校からタブレットドリルで学ぶと、紙や長文にはもう戻れないんです。意外なことですけれども、検索すら自分ではできなくなる生徒が出てくる。 学びが非常に“消費的”になるのでしょう。 けれども、大学や社会で求められる学びは“生産的”な学びなので、タブレットドリルで育った子は立ち直れないほど挫折してしまう。

浜田:新井さんも関わっていらっしゃる板橋区の実例で、実際に読解力が上がっている授業では、ICT教育とは無縁の、新聞記事を読んでその要約を書く、という「昭和的」な方法で成果を上げています。実際の現場とは違う政策がなぜ進んでいくのでしょう。

新井:現場を見ていないからだと思います。タブレット導入で今まで7時間かかっていた授業が2時間で終わり、残りは深く考える時間に当てる、というような授業は、麹町中学校のようなある意味「特殊な環境」の学校だけでできることだと思います。保護者も経済的な余裕があり、民間からも支援が集まるような私立学校並みの環境が整っている。それが本当に地方でもできるのかを検証せずに、タブレットという言葉が一人歩きしています。
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・・・これは文科省のメルマガで取り上げている箇所と重ねることができる。

真逆なのだが根っこは同じなのだ。

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今回のPISA調査で明らかになったわが国の教育上の最大の課題は、デジタルデバイスについて、家庭での子供たちの自主的な使用が先行し、OECD諸国に比較してゲーム遊びやチャットなど「遊び」に多く使われている反面、「宿題をする」「学校の勉強のためにインターネット上のサイトを見る」「関連資料を見つけるために授業後にインターネットを閲覧する」等、学校や家庭での学習にデジタルデバイスを使用している者の割合が非常に少ないということです。
 つまりデジタルデバイスをどのように使うべきかということが、家庭においても学校においてもあまり教えられていない状況にあり、子供たちが「自主的」に「遊び」に使っている実態が先行してしまっている、その結果「OECD諸国の中で際立って、学習にデジタルデバイスが使われていない。」ということがこの調査の「きも」なのです。
==============

新井氏のタブレット反対説は、タブレットが学びにつながらないから反対というもの。
文科省のデジタルデバイス必要説は、今のままではタブレットが「遊び」にしか使われていないからこそ必要というもの。

同じことだ。

今のままなら、新井氏の言うように、タブレットを与えても学びの役に立たない。せいぜいドリル学習にしか使われない。
しかし、だからこそ、タブレットが「情報収集」や「情報選択・検証」といった学習に使われるよう教えていかねばならないのだ。
今は特殊な環境である「麹町中学校」を「どこにでもある当たり前の学校」にしていく必要があるのであって、麹町中学校を特別視していては何の進歩もない。

そもそもタブレット=ドリル学習ではない。
新井氏のつくったRSTだってPC入力ではないか。
むしろタブレットを悪者扱いする意図が分からない。

学習にデジタルデバイスを使う政策を推進するのは、タブレットを遊び道具としか見ていない稀有な日本人を世界標準に戻すためには喫緊の課題だ。

繰り返すが、タブレットが遊びにしか使われていないから、今こそ学校で正しく教えていく必要があるのだ

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January 01, 2020

日本教育技術学会での衝撃

12月21日、日本教育技術学会京都大学大会でとても話題になったのが、OECD 生徒の学習到達度調査の中の「生徒の学校、学校外におけるICT利用」の報告書でした。
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/06_supple.pdf

日本の学校でのICT活用が国際ランキングで極めて低いことを示すグラフがズラリと続きます。これでもかと続きます。
子供が自宅で学習として活用する度合いが最下位レベルであることも示されます。
ところが後半部。子供の1人ゲーム利用、チャット利用が国際ランキング第1位。
ネット環境、ICT環境が整っていないわけではないのに、勉学や能力開発に活用する政策も遅れているし、子供自身の意識も低い。
ICTはエンタメ利用にしか使われていない。
マスメディアが特段取り上げなかったからと気にも留めなかったことを反省しています。
何ページにも渡る報告書ですが、決して読み取れないほどむずかしいわけではありません。

自分自身のPISA型読解力を、まず糾弾せねばという思いでした。

①第一次情報を正確に取り出す。
②書かれた情報の意味を解釈し、推論する。
③テキストと熟考、評価し、知識、考え方、経験と結びつける。

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December 15, 2019

大学入試記述式を延期にする理由があるのか?

大学入試の記述式延期の理由が不思議でならない。

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 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題について、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さなどが課題となっており、現状のままでは実施できないと判断した。

 記述式問題をめぐっては、約50万人の受験生の答案を採点するため、民間委託で8千~1万人の採点者が動員される。短期間で正確な採点ができるか懸念があることに加え、特に国語では自己採点が難しく、受験生が実力にあった出願先を選びにくくなるなどの問題点が指摘されていた。

 受験生らの理解が得られないとして、野党が秋の臨時国会で追及。与党内にも見直しや延期を求める声が高まっていた。

https://www.asahi.com/articles/ASMDC7WFZMDCUTIL03S.html

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・・・「自己採点が難しい」というのは、「解答が多様で1つに決まらない」ということなのだろう。

次のような記事もある。

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◆課題として、真っ先に挙げられるのが、採点者によって点数のばらつきが生じかねず、自己採点が難しい点だ。

大学入学共通テスト後、出願先の大学を決める際には受験生自身の自己採点が欠かせない。しかし、自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。こうした中、文科省が国公立大学に対し、2次試験を受けられるか選考する「二段階選抜」の材料から国語の記述式の成績を外すよう要請する検討を始めたことも報じられた。

混迷深まる大学入学共通テスト、「記述式」も導入延期か:日経ビジネス電子版

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/121000951/

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・・・ 自己採点の結果が3割ほど一致しなかったのは事実なのだろうから、否定しようがない。

しかし、試行問題の場合、椿原先生がされているように、設問の条件をきちんとクリアすれば、ほとんど模範解答と同じ文章が完成する。条件指定や字数指定は、むしろ解答がバラつかないためのヒントになっている。時間はかかるかもしれないが、その場で対応できるから記憶力が要らない。記述問題はむしろ得点源になるのだ。

しかし、解き方の指導を受けていないと

100字も書くなんて大変だ。

②複数の条件に合わせて書くなんて大変だ。

③解答は自分で作らないといけないから大変だ

という先入観が捨てきれない。

 自分で解いてみたことのない記者や、解き方の指導を受けていない記者は、おそらく記述式問題と聞いただけで①②③を連想してしまい、受験生が負担だと思い込んでしまう。ステレオタイプの反応だ。

 解き方の指導を受けていない学生は、自己採点がずれる可能性が高い。教科書が読めない基礎的読解力の低い生徒も、複数の条件設定を理解できないから自己採点がずれる。

 3割ほどの学生が自己採点でずれがあるというのは、確かに多い。しかしPISA調査でも下位成績の集団が多かったことを考えると、残念だが、それくらいの割合いるのが現状なのかなと思う。

 それでも、記述式問題を延期するべきではなかった。

 記者は分かっていないのかもしれないが、学テBによる記述型の問題は、もうこれまでずっと行われてきている。そして、解き方の指導を受けていれば、どの子もほとんど同じ解答が書ける。

 もし記者が自分で解いたこともなく、条件を満たせば同じ解答になると知らないまま、自己採点がずれる生徒の言い分を鵜呑みにして記述式の延期を迫っていたのだとしたら、それは真面目に準備してきた受験生に迷惑をかけたことになる。記述式の方が点数が稼げると思っていた受験生は、一定数いたはずなのだ。

 新井紀子氏は、教科書が読めないようでは、自己採点ができないから、進学に大きな影響があると言う。大学入試の記述式問題について正解と自己採点のズレる生徒が3割近くいることが、延期の理由にもなっているが、彼らは、基礎的読解力に問題があるのではないだろうか。

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自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。

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 今回のPISA問題で、公開されているモアイの問題。

 「別の謎が残りました」の「謎」を問う自由記述の問題は、実は本文中に答えがそのまま書いてある。

 実際には、そのまま引用しても正答なのだが、日本の正答率は697%だったと言う(中日新聞124日付より)。

つまり、正答率を逆にみれば、3割は間違えていることになる。

「謎」の中身を抜き出せない3割の学生は、記述問題の模範解答に正対して自己採点できないのではないか、と私は思う。

やってみると分かるが、「謎」を問うPISA問題は、けっこう簡単で、逆に「え、自由記述?、答え書いてあるじゃん」と戸惑ったくらいだ。

 強引に「だから」を使うが、だから「3割の学生が正解と自己採点がズレるから記述式問題を延期する」というのは、低いレベルに合わせた無理筋な愚策であると思う。

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December 14, 2019

松本サリン報道から25年

第2のグレタと称する8歳の環境活動家がCOP25(の会場付近?)で熱弁したという。

「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできたようです」というナレーションに続き、彼女の言葉が紹介される。

================
時間はありません。あと8年で気温が1、5度C上がります。
政治家が無意味な言葉で時間を無駄にする間に人々は死に家を失うのです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000171332.html
================

こういう映像を垂れ流す報道は、日本人のリテラシー能力をどう考えているのだろうか。
こんなの会場付近で騒いだだけじゃん。
道徳の授業の終末で、こんな粗雑な受け売りの意見を書く子がいたら、たしなめると思う。

◆この子の訴えの科学的根拠や出典は何か、
◆今、政治家は何もしていないと言い切る根拠は何か。
◆どこの人々が死に、家を失うのか。
◆気温が1.5度上がると本当に人は死ぬのか?

日本人のリテラシー能力が高まったら、こんな発言はニュースにならない。
報道した側の知性が疑われるからだ。
根拠不明のヘイトスピーチではないかと一笑に付される。
これで「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできた」と称えるとは、日本人のリテラシー能力をなめているとしか思えない。

http://agora-web.jp/archives/2043182.html

PISA調査結果のニュースも煽情的だった。
記述式問題延期も、国会の桜問題も同じで、内容はしょぼいのに見出しでいたずらに強調する。

日本人のリテラシー能力がみくびられているからニュースになる。
それは25年前の松本サリン報道から全く変わっていない。
政治色の強いニュースは発言しにくいが、偏向報道の類のニュースについて、しっかり向き合ってみたい。
無論、自分の発言に偏りがないかは、しっかり注意していきたい。

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December 10, 2019

PISA調査結果に関する新聞の悪意ある見出し

Pisa

「新聞の見出しに惑わされ、情報を正しく把握できない」

 PISA2018調査結果が発表された。結果の考察も大事だが、センセーショナルに扱った新聞報道の考察(批判)も大事だ。

 「高一読解力15位に後退 OECD調査、真偽見抜く力弱く」

というのが、地元中日新聞の一面トップの見出しである。

数学的応用力が6位、科学的応用力は5位で下がりはしたが依然トップ水準と言うのだから、OECD調査結果を報じたいなら、そちらを書けばいいのに、悪いことだけ見出しにするところが悪意に満ちている。

 資料によると、読解力は、「OECD平均より高得点のグループに位置するが、前回より平均得点・順位が統計的に有意に低下。長期トレンドとしては、統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプ」とある。長期トレンドは平坦のグループに属するのに、「後退」を強調する点も悪意に満ちている。
 なお、新聞記事本文をよく読むと「長期的傾向の分析では米国などと同じく変化がない『平坦』タイプとされた。」とちゃんと書いてある。
「平坦」という調査報告内容は分かっているのに、見出しでは「15位に後退」と危機を煽っている。しかも、1位の中国は正しくは「北京、上海、紅蘇、浙江」。3位マカオ、4位香港といった限定した参加地域を抜いてOECD加盟国でみれば、日本は11位である。
 「教科書が読めない」「情報を活用できない」「長文を読めない、書けない」 などの問題点がないとは言わない。
しかし、見出しで誤った方向に誘導する新聞報道は問題だし、その見出しに踊らされる読者も問題だ。


「見出しだけで判断せず、自分で元資料を確かめる」

「事実と意見を混同しない」

などが、読解力の第一歩と考えると、このような新聞記事を冷静に判断するリテラシー能力こそが求められる。

 今回の新聞の見出しは、25年前、無実の河野さんを犯人扱いした松本サリン事件と同じレベルである。

 この見出しに惑わされるようは、我々のリテラシー能力も読解指導も25年間進歩していないことになる。

・・・妹尾昌俊氏さん、まとめるの早いな〜。結果報告が出たその日の夕方には、ネットニュースに分析が上がっている。
自分の書きたかった見出しの愚かさが書いてあるし、問題の分析も終わっている。さすが、やることが早い。

 【PISAショックとか言うな!】読解力低下をどう受け止めるか(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20191204-00153583/

 

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December 09, 2019

丁寧な指導ができてこそ、コーチングだ。

先のダイアリーで、コーチングと称して「教えない」で威張っている教師のことを書いた。
「総合教育技術」11月号で田中博之氏が、学テ問題対策の「丸投げ」を批判していることと重なった。
 少々長いが引用する。
==================。
 新しい学習指導要領では、活用問題的な学力観が重視されます。もうすぐ新学習指導要領に基づいた新しい教科書ができあがりますが、活用問題への指導書の配当時間数が、少しは増えるのではないかと予想されます。もしも1時間でもあれば、学期に1問だけでもいいので、活用問題に取り組んでみてほしいと思います。
 その際に注意してほしいことがあります。それは、活用問題を子どもに解かせるときに丸投げをしない、ということです。
丸投げというのは、教員は机間指導で見て回ってアドバイスはするものの、基本的に「はい、これを解きなさい」と言って、子どもに自力で解かせるやり方です。 
 子どもたちが活用問題を解けない理由は二つあります。一つは論述して書く力が弱いことです。これは決定的な問題ですから、問題解決の過程や根拠を文章で書く練習をしなければなりません。もう一つは、どんな既習の知識や技能を使えば解けるのかを、正しく思い出せないことです。既に学習した知識や技能を活用せず、やみくもに解こうとしてもできませんから、「難しくてできない」と言い出すのです。
 かといって、「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまうのではないか」と懸念する先生方もいることでしょう。それは正論ですが、活用問題は難しいのです。丁寧な指導が必要です。
(中略)
 授業中に補助輪付きの時間を、5分でもいいのでとってほしいと思います。活用問題はテクニックを覚えればできるわけではありません。一種のひらめきが必要であり、低位層の子どもがひらめくためには、どの知識が使えそうなのか、どんな公式が使えそうなのかなど、問題を解くために手がかりになるような既有知識を想起させることが重要です。例えば、必要になる既習の計算の技をヒントカードにして「ヒントが欲しい」子どもに挙手させて配るなど、見通しレベルの既有知識の想起をしてほしいと思います。
    「新学習指導要領を反映し活用問題を重視へ」より
===================

・・・田中氏の言う「丁寧な指導」も、子どもにヒントを与えて既有知識の想起を促すという意味では極めて「コーチング」的だ

 このコーチング的な丁寧な指導の対局が「丸投げ」だ。
 「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまう」と「教えると、子どもの考える力を奪ってしまう」では意味が違う。
 ダメなのは「教えすぎる」であって、「教える」ではない。

 教師の重要な仕事である「見通しレベルの既有知識の想起」を怠ってはいけない。

 蛇足で書くが、「教師が教える」代わりに「子ども同士の話し合いに委ねて、教師が何もしない」は、もっとタチが悪い。
 教師でも難しい「既有知識の想起を促すヒント」を子供に出せるわけがない。
 もし、利発な子が「そうだ、○○を使えばいいんだ」と発言して、みんなが納得したとしたら、それは「ヒント」ではなく「教え込み」だ。

 配慮のない教師、見通しのない教師、子どもに任せっぱなしの教師は、次の①②③を起こす。

①みんなの前で恥をかかせる
②意味の分からないこと・嫌なこと・難しいこと・失敗しやすいことをやらせる。
③つまらないことを我慢させる

 コーチは本人のやる気を促すべき存在だ。
 だから、「テイーチ」より「コーチ」と言いながら何も教えない教師は、まさにコーチの真逆の存在だ。

 とにかく「テイーチ」より「コーチ」「ファシリテート」などと格好のいいことを言いながら、何も教えない教師は、何者でもない。

何を威張っているんだとつくづく思う。

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