January 21, 2022

教師は、仕事を楽しめているか?

「超AI時代の生存戦略」落合陽一(大和書房)の中に「ワークライフバランスの崩壊」に関する記述がある。

◆働く時間、休み時間という捉え方より、ストレスのかからないことのバランスの方が重要だ。(中略)
要するに1日中「仕事」や「アクテイビテイ」に従事していても、遊びの要素を取り入れてストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいい。P33/34

1日中仕事をしても、楽しくてしかたない人がいる。
仕事が体をむしばむかどうかは労働時間の長さでは決まらない。
だから、落合陽一氏は、超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべきだと言う。

 

それを学校現場に置き換えてみると

◆先生たちは、日々の仕事を楽しめているか。
◆先生たちは、この仕事が好きなのだろうか


が気になってくる(子どもが好きかどうかも気になってくる)。


毎日暗い顔をした先生を見ていると、楽しんではいないなと思う。

◆事前準備をぬかりなく行い・・うまくいき・・・成功体験を味わえて気分が良い・・次もがんばろうと思う

という好循環に対して

◆準備不足で挑む・・撃沈する・・・失敗して落ち込む・・次への意欲がわかない

という悪循環がある。

「発達障害の二次障害」の次の特徴を読むと、うまくいかない教師も同じじゃないかと思ってしまう。

・低い自己評価(自分へのあきらめ)
・どうすればいいのか分からない困惑(困り感)
・自分の存在を否定する周囲への反発

・すべてに対するやる気の喪失
・怒りなどの情動抑制の不能
・自分を評価しない周囲への反発
・自分の将来への悲観(自暴自棄)

「事前準備さえぬかりなければ、必ずうまくいく」とは限らない。
しかし「うまくいく可能性(成功率)」は高くなる。

数回がんばったくらいで「成功」はしないかもしれないが、数を積めば「成長」はする。
「成功」にこだわると「失敗」が気になって一歩が踏み出せなくなる。
だから「成功」なんて、めざさなくていい。
「好き」で挑戦し、少しずつ「成長」していけばいい。
日々の授業、日々の学級経営を楽しんでくれればそれでいい。

オリンピックでも試合後のインタビューで「がんばりました」より「楽しみました」と答える選手が何人かいて印象に残っている。
行動そのものを楽しめていれば、結果がどうであろうと後悔はない。

ただし、「仕事を楽しむ」は、実は、最も難しい課題なのかもしれない。


※警告 ただし「楽しければ超過勤務でも苦にならないでしょ」という上司の押し付けは「やりがい搾取」であり、パワハラである。

◆やりがい搾取とは、労働者の「やりがい」を利用して、雇用主が従業員に不当な長時間労働・低賃金で業務を強いて、利益を搾取する行為です。
「やりがい搾取」は、東京大学大学院教育学研究科教授・社会学者である本田由紀氏が2007年前後に定義した労働搾取構造を意味します。
「ブラック企業」や「名ばかり管理職」などと同じく、労働者の権利を侵害するキーワードとして注目が集まり、官民共同での抜本的改革が求められています。

https://romsearch.officestation.jp/jinjiroumu/mentalhealth/5014

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January 19, 2022

『棒ほど願って針ほど叶う』

昨年末、NHK「青天を衝け」最終回での栄一の言葉。
久しぶりに聞いたが、いい言葉だと思う。
「望みや願いのなかなか達せられないことをいう(広辞苑)」のだが、いろんな見方ができる。
◆たくさん願わないと、願いは叶わない
◆たくさん願って、ようやく1つだけ願いが叶う
◆願いを叶えるには、たくさんの思いが必要だ
◆願いを叶えるには、たくさんの努力が必要だ
・・・軽い気持ちで願っているだけではとうてい夢は叶わない。
強い強い「思い」が必要だ。
それは
◆一意専心
他に心を向けず、ひたすらひとつのことに心を集中すること。 わき見をせずその事のみに心を用いること。
に近い。
あるいは
◆「雨だれ石をも穿つ(うがつ)」
軒から落ちる雨垂れも、長い間には石に穴をあけることができる。 力は足りなくても、 根気よくこつこつと何度も繰り返してやれば、 最後には成功するということ。
に近い。
一方、願いが全部叶うなんて思ってはならないという戒めだとしたら、
ユニクロ柳井会長の著書「一勝九敗」、
あるいは五木寛之の「大河の一滴」に出てきた「なにも期待しないで生きる」
というメンタルが必要かもしれない。
「棒ほど〜」をポジティブに捉えるか、ネガティヴに捉えるかは、自分自身の問題だ。
コトワザの力は、すごい。 端的な言葉に、人生のアドバイスが凝縮されている。
心に響くかどうかは、その時の自分の置かれた状況によるのだが・・・。

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「これならできる!」で自信をもたせる。

終業式のお話(オンライン)の中で、「これならできる」というスライドを用意した。
運動(なわとび)・お勉強、楽器(ピアニカ)、習字をしている子どものイラストをつけた。
元々は1年生の道徳で、家庭でのお手伝いで「これならできる」を考えさせる授業をしているのを見かけて、このキーワードが気に入った。
あれもこれもできなくたっていい。
あれもこれもやらなくていい。
2学期にがんばったことを振り返って、まずは「これならできる」と言えるものを決めて、自信をもってほしい。そんなことを伝えた。
「1つできたら、もう1つ」というのは次のステップだ。
何ができるようになったのかを、メタ認知させる必要があると思う。
※不登校気味の子には
「何だったらできる?」
「どの部屋でだったらがんばれる?」
「何時間だったらできそう?」
と子ども自身に選ばせることが大事で、そんなところにも応用の利くワードだ。

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January 15, 2022

授業の改善は「翻訳作業」!

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
これは、井上ひさしの言葉。

ネット検索すると、いろんな場所で引用されていることが分かる。
====================
以下の資料に、劇団「こまつ座」の雑誌「the座」の1989年版に初出したのでは
ないかと思われる記載を発見しました。
(「井上ひさし伝」桐原良光/著 白水社 p343~p345)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000158633
====================


自分の指導案や論文は、いつも「難しい」と指摘された。

難しいことを取り扱っていることをアピールしたくて、
知っていることを自慢するオーラが出ていて、
結局、反応のない・つまらない授業になることが多かった。

高段者の先生の授業で「おー」という反響が大きいのは、まさにこの言葉の通りで

「難しそうな内容なのに、分かりやすくて、深くて、真面目だけど、楽しくて仕方ない」のだ。

教師は、まずは第一ステップの「難しいことをやさしく(分かりやすく)」という変換能力・翻訳能力だけでもで早いうちに身につけるとよいが、私にとっては永遠の課題だった。


くれぐれも
「難しいからよく聞いてよ」
「難しいから、もう一回言うよ」
という意味のないアドバイスでごまかさないで、しっかり「難しいことをやさしく(分かりやすく)」に専念してほしい。


冒頭の言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのは、有田和正先生の授業だった。
笑いが絶えないユーモアたっぷりの授業なのに、奥が深くて、物知りになって、自分でもっと追究してみたくなる。
それぞれの先生が、モデルとなる授業イメージを持つことも大事だと思う。

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January 06, 2022

子どもの探究心を教師がスポイルしていないか?

2年前の一斉休校の時、学校は学習課題(プリント爆弾)の作成と配付方法に苦心した。
もし今、再び休校になったらどうだろう。
子どもは相変わらず教師の課題待ちだろうか?
それともタブレット端末さえあれば、自分で課題を見つけてチャレンジしていくだろうか?
文科省も「学びを止めない」と訴えてきた。
与えられなければ自分から動かない子供たちを育ててきたとしたら、教師の罪は大きい。
学び方が分かっている子・学びに向かう力のある子は、自分で探究していける。
子どもの質の問題ではない。
「先生がいなくても、一人で学びに向かえる子どもを育ててきたか」という教師の指導の在り方が問われている。
自習になったとき、授業の隙間で時間があまったとき、臨時休校になったとき、出席停止を余儀なくされたとき、
「そういう時は、これをやろう」と直ぐに思い付き、実行できる子どもを育てているだろうか?
そういう時間を意図的に確保して、子どもたちに「探究」の時間を与えているだろうか?
「学校が準備しないと子どもたちは学習を進められない」と決めつけている。
そうやって「教えないとできない子」を育てている。
相変わらず「情報伝達型の授業」をし、準備した板書計画やノート計画通りに授業を進めることで満足しているとしたら・・・。
それではいけない。
GIGAスクール構想がもたらしたのは、まさに教師の意識改革。
教師の意識が変わらなければ、授業は変わらないし、子どもの学び方は変わらない。
文科省や中教審の方針をしっかり読み解いていく必要がある。
文科省や中教審のど真ん中に、堀田龍也先生がみえることの意義は限りなく大きい。
※昨晩のオンラインセミナー
奈須正裕氏が解説された「個別最適な学び」の意味は、まだまだ浸透していないと反省するばかりだった。

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同調圧力を打破して「個別最適な学び」を!

私の勘違いでなければ、向山学級や有田学級や築地学級では、必要な時は離席して調べ物をしてよかった。


「学び方は子どもが決める」

今で言えば、先生の解説がほしい子、動画解説を視聴したい子、自分で探究したい子などなど、学習する子ども自身の意志を尊重する時間が一定数あってよいという考え方。

全員一斉の画一授業からの脱却は、すべての子どもは生まれながらにして有能な学び手という子ども観に立っている。
環境があれば子どもは学んでいく。
先生が「あれを出しなさい、これはしまいなさい」と指示を出すのではなく、自分に必要な学習ツールは自分で用意するという発想は、幼稚園では当然の配慮で、どの子が何を使ってもよいように教材・教具が用意されている。
それは「所・時・物の原則」でもある。

昨晩は『個別最適な学びと協働的な学び』のオンラインセミナー
奈須正裕氏の、同調圧力が強い日本で、個別最適な学びをどう展開していくかという問いかけが印象的だった。

調べ物をしたい場合は堂々と離席する学級文化があるか

「同調圧力からの脱却」は、「一匹狼のたくましさと野武士のごとき集団」のイズムと同じだ。


それをスローガンにした向山学級は、まさに時代の最先端であったのだとつくづく思う。

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December 28, 2021

「風」に無自覚な教師が使う毒語

教師に限らず、親にとってもドキッとするのが川上康則氏の論稿(「実践障害児教育」R1.7月号)

教室に不穏な風を吹かせる毒語

(1)質問攻めの問い詰め

・何回言われたらわかるの?・どうしてそういうことするの?

・ねえ、何やってるの?・誰に向かってそんな口のきき方をするんだ?

 

(2)裏を読ませる言い方

・やる気がないんだったら、もうやらなくていいから(本当は「やりなさい」)

・勝手にすれば(本当は「勝手なことは許さない」)

・あなたの好きにすれば(本当は「言う事を聞きなさい」)

 

(3)脅しで動かそうとする

・早くやらないと、〇〇させないよ。・じゃあ、〇〇できなくなるけどいいね。

 

(4)虎の威を借りる言い方

・お母さんに言おうか。・お父さん呼ぶよ ・校長先生に叱ってもらおうか。

 

(5)下学年の子と比較する

・そんなこと1年生でもやりません。・そんな子は一年生からやり直してください。

 

(6)見捨てる

・じゃあ、もういいです。・さよなら、バイバーイ

 

川上氏はこう書いている。

◆自分自身が吹かせる「風」に無自覚な教師は、言葉の重みに気づけない。発する言葉の端々に「毒づいた言葉」を使いながら、子どもたちを知らず知らず苦しめていることがある。

 

教師のストレス発散(指導力不足へのいらだち)にしか思えない、子供への侮辱の言葉。

これも「アンガーマネジメント」と思って自重しないといけない。

子どもを傷つける「毒語」が止まらない教師は、侮辱や叱責によって子どもを抑え込んだ経験が「誤学習」になっていると自覚すべきだ。

※いけないと思いつつ、つい口にすることもある。そんな時は自分を責めず、指導がうまくいかなかった自分を許すことも大事だ。

 

川上先生の別の論稿のコピーがあるので、こちらも引用(「教育技術小1・2」2020・9月号)

(1)アタッチメント(愛着形成)のつまずきとして、心理的・身体的距離感の不適切さは二つに大別される。

①誰に対しても無警戒で馴れ馴れしく、過剰に身体接触を求めるタイプ

②誰に対しても警戒心を示し、他者との関わりを拒否するタイプ

 

(2)愛着形成のつまづきに由来して生じやすい行動や反応は三つに大別される。

①愛情欲求行動

・注目行動・アピール行動

・愛情試し行動

・愛情欲求エスカレート現象

 

②自己防衛

・否認(不適切な行動を認めない)

・他責(自分は悪くないと言い張る)

・被害的他責(〇〇のせいでこうなったと言う)

・解離(追い詰めると記憶が消滅する)

 

③自己評価の低さ

・自己否定(どうせできない・やっても無駄)

・自己高揚(他者を注意したり、自分の持ち物をあげようとしたりして「優位性」を保とうとする。理不尽な命令・言い分が通らないときの暴力など)

 

・・・次頁に「つまづきに対するダメなアプローチと望ましいアプローチ」もまとめてあるが、全文引用になるので、やめておきます。

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December 27, 2021

「思いやり」を育むのは、教師の「相手意識」

 これまで多くのセミナーで学んだ授業の配慮は

「学力の低い子もきちんと参加できるか」
「全員が参加しているか」
「一番後ろのにもちゃんと声が届いているか」
などである。

 指導案その他の提案文書の配慮は、

「初めて読む人(門外漢)にも伝わるか」
「中学生が読んでも伝わるか」
などである。
 
 自分は答えを知っているし、授業のゴールも分かっている。
 自分は知っているから、相手も分かっているつもりで授業を創ってしまう。
 「他人の脳は、自分とは違う」と教わったこともあるが、自分の既得情報や既得体験を捨て去って考えることは難しい。
 それでも
◆授業を受ける子どもの身になって考える。
◆文書の読み手の身になって考える。
というように「相手の立場で物を見る」を遂行できる教師でありたいと思う。

 「相手意識」は要するに「思いやり」である。
 高段者の先生方の授業エピソードは、いつも「思いやり」にあふれている。

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December 26, 2021

授業の評価は「子供の振り返り」で可能なのか?

ある研究授業の終末の場面で、お約束の「振り返り」があった。

プリントに今日の授業の振り返りを記入する。まあ授業の感想を書かせたといってもよい。

振り返りのヒントとして、本時のプリントには、次のようにヒントが書いてある。

◆できるようになったこと、わかったこと、

◆楽しい面白いと思ったこと、うれしかったこと、

◆次がんばりたいこと、むずかかったこと、

◆そのほか気づいたこと

・・・しかし、子どものプリントを見ると、次のような一言感想ばかりだった。

 

◆○○ができるようにがんばった。

◆いい○○ができてうれしかった。

◆今度も、もっといい○○を作ってみたい

 

・・・さて、授業者は、この振り返りで「良し」とするのだろうか。

授業への取り組みが活発なら、振り返りが一言感想でもかまわないのだろうか。 

そもそも振り返りプリントとはいったい何の意味があるのか。

 

春日井市の研究推進に堀田先生が関わっていた頃、教務主任だった自分も何度かお話を聞いたし、資料も読み込んだ。

その推進校の研究成果が2015年に教育同人社から書籍としてまとめられた。

その中に指摘がある。

◆感想やわかったことを書かせるだけでなく、めあて、課題に対しての振り返りとなるように問いかける。

◆「振り返り」として、何が書けたり言えたりすればよいのかを、教師がしっかりと捉えておく。

例えば高学年の実際の授業では、授業の終末に、教師がまとめとして振り返る際のキーワードを伝えます。すると子どもがノートに学んだことを自分の言葉で速やかに書き始めます。教師はその様子を把握し、まとめが終わった頃に全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その発言について、指名した理由や必要なキーワードなどを伝えながら学級全体にの学びについて確認していきます。

 

・・・個々に振り返りをさせてプリントを回収するだけの授業では、子供同士の相互作用がない。

そういうことを書けば良いのだというモデルが示されないと、振り返りの質が上がらない。

にもかかわらず、「各自、書いて終了。後で先生が見ておきまーす」というケースが多い。

 

そもそも、教師に「どんな振り返りを書かせたいのか」の明確なイメージがなければ、評価のしようがない。

それは指導と評価が一体化していないという課題につながっている。根が深い問題だ。

 

ところで、かつての研究授業では、授業者の反省は子どものノートや振り返りプリントを踏まえて語ることが多かった。

協議会の場では子どものノートや振り返りプリントを回したものだ。

それは、本時の授業の評価は「授業者の思い」ではなく、「子どもの事実」によってなされるべきものだからだ。

今回の研究協議会も振り返りプリントの提示がなかった。

振り返りプリントにどんな書き込みがあったら本時のねらいが達成されたと判断するか、そのような観点で授業が組み立てられていないので、回覧したところで意味はないのだが、「子供の事実」で授業を評価するという意識を失ってはいけないと思う。

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算数の文章題のつまずきを整理する

計算はできるのに文章題で式が立てらない要因について、次のような指摘がある。

子どもたちが苦手とする文章題のタイプ

◆「Aは5個持っています。AはBより3個少ないです。Bはいくつ?」という問題は、「少ない」と書かれていることから「5ー3」と立式してしまう誤答が目立つという。この場合、文章の意味、数量の対象が理解できていないと捉えられがちだが、子供は問題文に引っ張られると指摘している。

このように、文章題の難しさは、文章の意味理解(読解)ができないということよりも、問題構造が捉えられず、数学的な意味が捉えられない(演算的知識)ために、誤った式を立ててしまうことが原因であり、統合過程のつまずきであることがわかる。

月刊「実践みんなの特別支援教育」12月号P32

 

「算数・数学が苦手な子どもの指導のヒント』の連載で、著者は伊藤一美氏。

連載2回目の今月号は「繰り上がり、繰り下がりの計算と加算、減算の文章題」。

 

◆算数の文章題の問題解決過程は「理解過程」と「解決過程」とに分けられる。

「理解過程」は、一文ずつの意味内容を理解するための言語知識や文理解のための意味的な知識を使う「変換過程」と、そこで理解した意味内容をスキーマを働かせまとめ上げる「統合過程」に分けられる。

「解決過程」は、理解した内容を反映した式に構成するために、どのように立式するかの方略に関する知識を使用する「プラン化過程」と、立式を演算するために四則計算の手続き的知識を適用する「実行過程」から構成される。

 

・・・整理すると次のようになる。

 

文章題の問題解決過程

1、理解過程

①変換過程・・・意味内容の理解

②統合過程・・・意味内容の統合

2、解決過程

①ブラン化過程・・・立式

②実行過程・・・演算

 

「算数文章題のつまずきは、統合過程にあることが知られている」という指摘は、1の②がつまずきやすいという意味だ。

 

◆文章題の難しさは、「文章題の意味構造」と「未知数の位置」が関係している◆

 

という指摘もなるほどと思った。

足し算引き算の文章題の意味構造は「変化」「合併」「比較」の3種類だと書いてある。

①数量が増減するのが、変化タイプ

②全体と部分の関係性を問うのが、合併タイプ

③数量を比較するのが、比較タイプ

 

また、未知数の位置は、変化タイプの場合、次の3種類あると書いてある。

①最初の数量(初期量)が分からない場合。

②変化分(増減した数量)が分からない場合。

③結果が分からない場合。

 

足し算も引き算も、「初期量」が未知数の場合が最も難易度が高いと書いてある。

「はじめにいくら持っていたでしょうか」という形で四角やxを用いて立式するパタンの問題だ。

変化タイプは「初めー中ー終わり」の構造だから、上述の①②③の位置に未知数がくることは、よく分かる。

「比較タイプ」の未知数の位置は、①A ②B ③両者の差 の3種類になる(はず)。

「合併タイプ」の未知数の位置は、①全体 ②部分A ③部分B の3種類になる(はず)。

 

◆文章読解ができることと演算の理解だけでは解くことはできない。そのため、数量関係を捉えることの重要性を低学年のたし算、ひき算の文章題から指導指導しておくこともカギとなる。◆

 

・・・文章題の内容が複雑になる前に、そして四則計算の使い方が複雑になる前に、数量関係を整理したり、図示したりできるスキルを身につけておく必要があるのだと理解した。

それは、低学年の説明文のうちに文章構造をつかんでおく必要がある国語の場合とよく似ている。

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