March 31, 2018

教え方セミナー 春日井会場 4月8日(日)

1 日 時 平成30年4月8日(日曜)
  午後14時00分~16時30分(13時45分受付)    
2 会 場 :高蔵寺ふれあいセンター
(JR高蔵寺駅より徒歩5分・駐車場有り)
3 資料代 :1000円(学生500円)
4 主 催 :TOSS春日井                       
5 後 援 :春日井市教育委員会

                     
6 予定講座
 ◆学習規律・学習技能の習得を体感する模擬授業
 ◆「主体的対話的で深い学び」をめざす模擬授業
 ◆教材・教具の実演
 ◆子供を掌握し、統率するためのヒント       

 ※申し込み先    vzb17067@nifty.ne.jp (竹田)

  「授業力」はライブ体験がないと上達しない
明日の授業に役立つ「TOSSランド」(http://www.tos-land.net/)をご存知ですか?
TOSSランドは、教師専門のポータルサイトで、明日の授業で使える毎時間の授業案・子どもが熱中する学習ゲームサイトなどのコンテンツが満載です。
もちろん、TOSSランド以外にも、様々なサイトや書籍を見れば、授業案をたくさん手に入れることができる時代です。
しかし、授業のリズムとテンポ、こまやかな教師の対応(声の調子や表情など)は、授業案を見ただけでは分かりません。
文部科学省委託事業「若手教員の授業力構成要素の抽出とその向上手法の研究」では、「基本的な授業力を構成する要素」として、次のスキルを抽出しています。
①あたたかな表情 ②子どもへのアイコンタクト ③クリアで明るい声 ④心地よいリズムとテンポ
⑤教師の立ち位置や動線 ⑥子どもへの対応・応答 ⑦明確な発問と指示 ⑨授業開始局面での流し方
⑩余分な言葉の削除 ⑪授業の組み立て ⑫その他
教え方セミナーでは、主に若手の先生を対象に、授業の基礎基本(授業力の構成要素)を模擬授業の形でお伝えしています。
子どもを熱中させる授業の秘訣・クラスを統率し、安定させる秘訣などについて、一緒に勉強していきましょう。

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March 06, 2018

道徳で議論すべきなのは、第三層のレベル

1

 「考え、議論する道徳の授業へ」ということで、島恒夫氏が「氷山のイメージ」を示している。(「どうとくのひろば」N19 日本文京出版)。私なりにまとめてみると以下のようになる。

(1)道徳の時間は、表面に現れた状況を理解するための問答をしているだけではいけない。
(2)場面状況の奥に潜む人物の感じたことや思ったことを考える必要がある。ただし、登場人物の心情理解に偏った授業ではいけない。
(3)「登場人物が感じたことや考えたこと」の話し合いに終始せず、その奥にある「道徳的価値に対する感じ方や考え方、生き方」に授業の焦点を当て、みんなで考えることが大切だ。

 先日の静岡セミナーでは「星野君の二塁打」という道徳資料を元にして「議論する道徳・気持ちを問わない道徳」の意義の解説がされた。
 「星野君の二塁打」は、監督のバントの指示を無視してヒットを打った星野君の行動の是非を問う資料で、十分な盛り上がりが予想できる。

◆星野君の行動は正しいのか、自分が星野君だったらどうするか、
◆星野君をレギュラーから外した監督は正しいか、自分が監督だったら星野君をどうするか

などなど、いくつかのアプローチがあり得る。

 モラルジレンマ資料などで話し合いが盛り上がっている授業に対して、やっかみを含めて「何のために話し合いをさせているのか。子ども達の道徳的価値は深まったのか」といった批判をされる場合がある。
 ほかっておけばいいと言えなくもないが、批判の言い分をしっかり聞くことも大事な戦略である。


 「Aすべきだったか、Bすべきだったか」「自分ならAかBか」という選択型の問いに対して活発な意見が出ることは分かる。
 それが、ただ「バントする」「ヒットを打つ」という行為の言い合いになるだけなら、それぞれ理屈があるから堂々巡りになる(むろん堂々巡りでかまわない)。
 だから、例えば

「バントをする」は「指示を守る」
「ヒットを打つ」は「自分を主張する」

のように抽象化していくと、話が具体例から道徳の本質論に迫れる。
  また、「なぜそう思うか」の双方の理由をしっかり聴き合い、比較検討する中で、

「勝てば、それでいいのかな?」
「そもそも何のためのルールなのかな?」
「結果がよければ、それでいいのかな?」
「おかしいと思うルールでも守らねばならないのかな?」
「指示通り動くだけで強いチームはできるのかな?」
「責任をとるってどういうことなのかな?」
「チームプレーって、どういうことなのかな?」

といった新たな問いかけと新たな議論に発展しないと「議論が深まった」とは言えない(と主張する人もいる)。
 最後に感想を書かせる際も、相変わらず「僕ならバントする」とか「ヒットを打つ」とか書いているだけでは、1時間の変容があったとも思えない。
 最後の感想が、授業前半で提示したAかBかに終始しないように方向付けする教師の力量が求められる。
 それが、新たな問いを促すゆさぶり発問であり、追加資料の提示である。「そもそも〇〇って何だ」と言った価値内容を考えさせたい。
 私なら、「松井秀喜選手の4連続敬遠」を示して、ルール順守について考えさせたい。
 4連続敬遠という新たな情報を示せば、最後の感想では「バントする・ヒットを打つ」といった授業前半の2択から離れられるはずなのだ。


 今の国語教育では、あまり「主題指導」が言われなくなった。
 かつては、その話し合いで主題に迫れるかどうかが、よく問題視された。自分が書いているのは、この「主題に迫る話し合い」と同じ意味である。
  主題に迫らなくたっていいじゃん、という立場もあり得るが、主題に迫るかどうかを基準に物を言う人もいる。そのような立場もあることを十分承知して、自分ならどう答えるかを準備しておくとよい。

 さて、日本文教出版の冊子「どうとくのひろば」17号に、島恒生氏監修の「どうとくマンガ」があった。
 先に示したのと同じ「氷山の図」を使って、「考えが深まる授業」の在り方を提案している。

 マンガの中の道徳の授業は、規則を破る主人公が守らねばと思い直す資料だと思われる。

T「主人公は最初どんな思いで始めたのだろう」
C「少しならいいかなっていう思い」
C「軽い気持ち」

T[主人公はなぜ、規則を守ろうと思ったのだろう」
C「きまりは守らないといけないと思ったから」
C「これではだめだと思ったから」

と展開し、教師が、主人公は「『きまりは大切だ』と考えが変わったんだね」と結んでいく。

 この授業展開について

×登場人物の考えの変化を追っているだけ
×「きまりは大切」なんて生徒は最初からわかっている

といった批判を示している。

 状況を問うだけ、心情を問うだけでは、一見盛り上がっても、道徳的価値が深まったとは言えないので、

◆「規則は固すぎる」「規則は固くなければならない」という考え方の違い

を問い、「規則とは何か」や「なぜ規則が大切なのか」という「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」に触れさせることが大事なのだとしている。

 この指摘は、監督の命令を遵守すべきかどうかで意見が分かれる「星野君の二塁打」にも適用できる。

==============
 生徒の考えが深まる授業にするためには「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」まで考え合うようにしましょう
===============

と言われても、決して簡単ではない。
 でも、そこを目指さないと議論が深まる道徳にならないというのが、指導要領解説道徳編作成協力者、島恒生氏の見解である。
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March 04, 2018

「道徳」のとらえ方

(1)総合単元的な道徳 
 道徳の時間を柱に、各教科や特別活動をリンクさせて、あらゆる教育活動の場で、子どもたちの道徳性を育むという考え方。

(2)全校道徳
 全校集会を用いるようなスタイル。人権集会の際の校長講話や児童会の劇なども、これに含まれる。
「あの時、みんなであの話を聞いたよね」と共通理解できる。

(3)ローテーション道徳(学年道徳)
 学年集会で一斉に授業をする形もあるが、ローテーションは1人の先生が準備した授業を各クラスで行脚するスタイル。研究授業のサブ授業・プレ授業などではよく行われる。
 1つの授業を何回か繰り返すと完成度が上がるし、お互いに授業交換すればいいので、先生の授業準備の時間を減らすことができる。
 むろんこれからは「評価」が大事になるので、まとめの感想や板書の記録、主だった発言者の記録等を担任に渡しておくような約束事が必要になる。

(4)ミニ道徳
 先に書いたので、省略する。


  なお、 (1)から(4)は、カテゴリーが異なるので並列しません。

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「ミニ道徳」のすすめ

 「ミニ道徳」というワードを知ったのは、2年前に愛知教育大学の鈴木健二氏の話を聞いてからだ。
 45分の授業準備が大変だと思うと、道徳の時間そのものが敬遠されてしまう。ならば、短くていいから道徳の授業実践をきちんと積み上げようという意味合いだった。

 昨年の教え方セミナーの講座の中にも「ミニ道徳」を入れた。
 次のような趣旨であった。

◆5分で語るミニ道徳
 教師の長話は、成果が上がらないことがあります。5分程度で語る人物エピソードや最先端の話は子どもの印象に残ります。
 道徳の最後の説話、朝の帰りや帰りの会の先生の話、すきま時間のおしゃべりなど、5分の語りのストックがあると、子どもは先生の「お話しタイム」が大好きになります。

・・5分あれば、かなり中身の濃い話ができるという判断だ。

 さて、道徳指定校である愛知県蒲郡市西浦小学校の取組の様子が教育新聞(愛知県版3586号)に掲載されており、その中に「3分間道徳」の記載があった。

===============
 普段から道徳的な教材探しに取り組み、地域教材に限らず、それらを用いて「朝の会」など日常の短い時間の中でも道徳性を養っていく。道徳教育は学級経営であると考え、子供の道徳性を日々養い、教師の力量を高めるためにも、3~5分間のミニ道徳の積み重ねが大切であると考える。
================

 「道徳的な話」と言うとハードルが上がってしまうから「心に残った話・ちょっといい話」でかまわない。
 ミニエピソードを子どもに日常的に語れたら、1年の蓄積は大きいだろうなと思う。
 特にオリンピックは「ちょっといい話」の宝庫である。情報収集のビッグチャンスである。

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March 02, 2018

羽生結弦の流儀「芸術は絶対的技術に基づいたもの」

◆「技術的なものが発達しすぎると芸術性が足りないと良く言われる。ただ、バレエとかミュージカルとかの芸術は正しい技術、徹底された基礎、表現力がないと(成り立たない)。すべてにおいて正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なことだと思っている。

http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180227-OHT1T50092.html


◆難しいジャンプを跳べば跳ぶほど、プログラム全体の芸術性が失われていくのでは、という意見もある。だが、羽生自身にとっては、高い技術と芸術は表裏一体のものだという。「もし、羽生結弦が4回転半、5回転を入れた場合は、それを確実に表現の一部にします。僕のスタイルは、そこ。僕がフィギュアスケートをやっている理由はそういうところにほれ込んだから。難易度と芸術のバランスは、本当は無いんじゃないかなと思います。芸術は、絶対的な技術に基づいたものであると僕は思っています」。
(中略)
 磨かれた技術が高度なジャンプにつながり、それが結果として美しい芸術になる。ルールに関係なく貫かれている羽生の美学が披露された。


・・・金メダリストの言葉だから重みがある。
 
 技術あっての芸術
 基礎技術あっての創造
 簡単な技術の積み重ねの上にある難度の高い独創性

 いろいろ考えさせられる。

教育 | | Comments (0) | TrackBack (0)

February 25, 2018

羽生選手の言葉 ~ささいな言葉に人柄が出る~

(1)金メダリストの羽生選手は、そのコメンもすばらしくて、人々を魅了する。
 たとえば、スポーツライターの青島健太氏が、次の言葉が取り上げていた。

===============
 乱暴を覚悟で敢えて言えば、彼のコメント(考え方)はどんな時でも、以下の2軸で成り立っている。

◾他者に対しては寛容で、常に感謝の念を抱いて発言する
◾自分のことに関しては、揺るぎない自信を持つと同時に安易に評価しない

 羽生結弦のそうした価値観と姿勢が見事に出たのは、次のコメントだろう。男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。
羽生結弦は、言った。

 「誰が取ろうが、僕も取ります」
 
 私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
 「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
 「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。

 一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。
ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。
 どんなコメントをするか、どんな話し方をするかは、競技者にとっても仕事をする私たちにとっても、言えば2次的なものだ。まずもって大事なのは競技におけるパフォーマンスであり、仕事の内容そのものだ。
 しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
 なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。輝かしい五輪連覇は、「コメント力がもたらした」などと言う気は毛頭ない。それは、彼の人間性と競技力そのものの成果だ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600093/022300057/?P=3
==================

 ささいな言葉にも人柄が出る。
 羽生選手のコメントは、他への配慮と自分への強い自信とを併せ持つすごいものだが、一瞬に出る言葉だから、日頃の思いが結実されたものだと言える。
 まさに「流れ星の願い事」みたいなものだ。いつどこで聞かれても答えられる内容は、日々の強い思いの現れなのだ。

 青島氏が書いているように、どんなコメントをするかは、本業からすれば2次的なものだ。仕事の成果が最優先されることは当然である。

「しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
 なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。」

(2)昨年のことになるが、児童会選挙の立会演説会で、ある子の言葉が印象に残っている。


 「私は今まで執行委員(児童会役員)は無理だと思っていました。
 でも何事もやってみなければ変わらないと思い、立候補しました」


・・・「やってみなければ分からない」だったら何もひっからなかった。
 「やってみなければ変わらない」だったので、心に響いた。

 その通りだ。
 「やってみなければ変わらない」の精神を大事にしたいと、児童に教えられた一場面だった。

 よいコメントを言おうと言葉を磨くのは本末転倒で、コメントの背景となる人間力(生き方)そのものを磨くことが大事なんだと思う。

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February 19, 2018

「東大教授の父が教えてくれた頭がよくなる勉強法」永野裕之著(PHP)

この本は、さまざまな引用が印象に残る1冊だった。


(1)◆ガンジー 
 「明日死ぬつもりで生きなさい
  永遠に生きるつもりで学びなさい」

・・・対句表現である。
 「A - B   A’ - B’」
の構造で「学びなさい」を考えさせると、格好の「類推」の訓練になる

(2)◆東大生は一般学生よりも「勉強しなさい」と言われた割合が少ない
 2014年8月号「プレジデントファミリー」の集計結果(過去十年1064人の東大生)より。
 
 もともと成績が良かったから」と考えれば相関関係。
 「勉強しなさい」と言われなかったから成績が伸びたと実証できれば因果関係。

・・・ところが、筆者は、ここで何の実証もなく次のように、自分の「思い」を述べる。

「それはもともと成績が良かったからでしょ」という声が聞こえてきそうですね。もっともです。
 でも私は、成績が良かったから「勉強しなさい」と言われなかったのではなく、「勉強しなさい」と言われなかったから成績が伸びたのだと思います。

・・・そして、その後

「勉強しなさい」というセリフはそれだけ、子どもから勉強ができるようになるために必要なものを奪いかねない危険なセリフなのです。

と、因果関係であることを規定事実にすりかえたかのような表現をしている。
 このような「主張」と「事実」の巧妙なすり替えには十分注意しないといけない。

 
(4)◆アインシュタインの言葉
「調べればわかることを覚えるほど僕の脳は暇じゃない」


(5)◆MITメデイアラボ伊藤穣一
「世界の変化のスピードがこれだけ速くなると『地図』はもはや役に立たない。必要なのは『コンパス』です。
そして素直で謙虚であり続けながら権威を疑わないことなのです」

(6)◆ルソー
「ある真実を教える事よりも、真実を見出すにはどうしなければならないかを教える事の方が重要である」

(7)◆筆者
「なぜ?」と思いながら勉強する姿勢こそが本質にたどり着く最短の思考法なのです。

(8)◆『学びのイノベーション事業実証研究報告書」
小学校就学以前から子供が主体的に学ぶような教育へ転換していく必要性

(8)◆音楽家レナード・バーンスタイン
「自分は音楽家になるべきでしょうか、と訊ねられたら私はノーと答える。なぜならそう質問したからだ.
質問する限り、答えはノーだよ。『禅』問答みたいだけどね。音楽家になるのは、音楽家になりたいと願うその人自身なんだ」
「良い音楽家になりたいのならまずはそう思うことから始めなければ。なぜならそれはとても難しいことだから」

(9)◆デカルト
「困難は分割せよ」

(10)◆アルバート・バンデユーラの「自己効力感」(自分はやればできるんだ)の4つの要因
・達成体験(成功体験)
・代理体験(他人の成功)
・言語的説得(励まし)
・生理的情緒的高揚(気分)

(11)◆暁星小学校の碑文
 「困難や欠乏に耐え、進んで鍛錬の道をえらぶ気力のある少年以外はこの門をくぐってはならない」

・・・暁星小学校の建学の精神は、キリスト教の理念に基づく教育により、人格の完成をめざすとともに、社会の福祉に努める人物を育成することです。それは、「自分を大切にする」「他者を尊重する」「神を愛する」という教育理念として示されています。
 「自分を大切にする」とは、自分のよさに気づき、個性を大切にして能力を伸ばす努力をする姿です。また、「他者を尊重する」とは、さまざまな考え方や個性・能力をもった人たちと学び合い、支え合い、育ち合う生き方を表しています。そして、「神を愛する」とは、イエス・キリストが神と人を愛する生き方が人間にふさわしい自己実現の道であると教えてくださったことを示しています。
 変化の激しい社会にあって、どのような状況の中でもたくましい「心と体」で生きていく力を身につけるように学校全体で取り組んでいます。「真・善・美」を愛する豊かな感性、知的好奇心と学びを探究する心、困難に対しても進んで挑戦する実行力、そうした力を支える基礎学力をしっかり身につけさせること、それが暁星がめざす教育です。
 本校には、「困苦と欠乏に耐え、進んで鍛錬の道を選ぶ、気力のある少年以外はこの門をくぐってはならない」ということばが伝えられています。この精神を、望ましい形での「鍛える教育」として大切にしていきます。そして、次代を担うリーダーにふさわしい「心と体」を培っていきます。暁星小学校 学校長   吉川 直剛


(12)◆夏目漱石 長塚節の「土」の序文 
  「面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたい」

 余はとくに歓楽に憧憬しょうけいする若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此「土」を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募つのる時分になったら、余は是非此「土」を読ましたいと思って居る。娘は屹度きっと厭いやだというに違ない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えて呉くれというに違ない。けれども余は其時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思って居る。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思って居る。何も考えずに暖かく成長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心ぼだいしんや宗教心は、皆此暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じて居るからである。

 適切な引用があると、説得力が増す。
 いや、違う。
 適切な引用ができるほど博学な人の文章だから、説得力があるのだ!

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January 08, 2018

教師は「教える」をやめたら何をすればよいのか?

 SAPIOの1月号で、大前研一氏がこれからの教育や教師の有りようについて述べている。

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 さらに教師もいらなくなる。今の小学校・中学校・高校の先生は文部科学省が定めた学習指導要領に従って教えている。ということは、学習指導要領に準拠した「AI先生」が登場すれば、それで事足りるし、自宅でパソコンやスマホなどを使って勉強することもできるので、わざわざ学校に行って授業を受ける必要はない。
 ただし、そもそも学習指導要領に基づいた画一化教育は、日本が世界に羽ばたいて活躍できる人材を生み出せない最大の原因になっている。20世紀の大量生産・大量消費時代は画一化教育で均一的な人間を作っていればよかったが、それではボーダーレスな厳しい世界競争の中で生き残ってくことはできない。均質的な人間が使いこなせるような仕事はすべてAIやロボットに置き換えられていき、それ以外の領域で能力を発揮できる人間しか富を創出することができなくなるからだ。にもかかわらず、日本の場合は依然として時代遅れの学習指導要領に従って、スマホがあれば答えが分かるようなことばかり教えている。
=============
・・・現行の学習指導要領が時代遅れだとの指摘はやむを得ない
新学習指導要領は次世代を念頭に置いており、AIに代替えされない人間を育てるためには、暗記型学力では通用しないことを主張しているが、まだ移行段階だ。
 それにしても、大前氏が述べるような危機感を現場の教師は共有できているかどうか、新学習指導要領の意味を共有できているかどうかが問われている。目先の授業準備に埋没するのではなく、日本の未来を見据えてもらわなくては困るのだ。
 大前氏の論はさらに続く。

==============
 一方、世界の先進国の多くは、とっくの昔に21世紀に対応した教育システムに移行している。たとえばデンマークは、約20年前に「ティーチ(教える)という概念を教室から追放した。
 なぜか?
 教えるという概念の前提は、教える人が答えを知っているということであり、教えられる人はその答えを覚えるだけになってしまうため、自分で考える能力がなくなる。答えを覚えることは人間よりコンピュータのほうが得意だから、コンピュータにできないことができる人間を育てなければ、国際的な競争力を失ってしまう。そう気づいたからである。
 そしてデンマークは、先生を「ティーチャー」と呼ぶこともやめた。生徒が自分で考えることを助けるという意味の「ファシリテーター(促進者)」に変えたのである。
===============
・・・「ファシリテーター」という語は知っていたが、「ティーチャー」に置き換わる概念だとは思っていなかった。
 教師は「教える」だけでなく「示唆する・導く」の度合いが強まってくる。
 しかし、だからといって「教えない=丸投げ=学び合い」を推奨することはあり得ない。
 いくら知らないことはAIが教えてくれるとしても最低基準の知識技能さえも身に付けていなければ、それはそれでAIの下請け人間にしかなれない。
 そこを注意しておかないと、以下の大前氏の文を読んですぐに「学び合い」の授業と結び付けてしまうだろう。

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 21世紀は答えのない時代である。そこで生き抜いていくためには、自分で質問して答えを予測し、他人議論する中でリーダーシップをふるって答えに至る道筋を見つけられるようにならねばならない。
 しかし、今の日本の教育制度では、そういう人間を育てることはできない。逆に言えば、21世紀の世の中で通用しない人間=AIやロボットに置き換えられる人間しか育てていないのである。
================
・・・新学習指導要領は、この危機意識に立って作られている。
 「主体的・対話的で深い学び」が象徴的なキーワードになっていることからもそれが分かる。
 総則解説に書かれた「改訂の経緯及び基本方針」等を読めば、AI時代を見据えていることも分かる。

◆こうした変化の一つとして、人工知能(AI)の飛躍的な進化を挙げることができる。人工知能が自ら知識を概念的に理解し、思考し始めて言われ、雇用の在り方や学校において獲得する知識の意味にも大きな変化をもたらすのではないかとの予測も示されている。このことは同時に、人工知能がどれだけ進化し思考できるようになったとしても、その思考の目的を与えたり、目的のよさ・正しさ・美しさを判断したりできるのは人間の最も大きな強みであるということの再認識につながっている。(後略)

・・・新学習指導要領の総説は、よく書かれている。
 改訂の理念をしっかり共有できる1年でありたい。

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December 30, 2017

「主張」と「苦情」の違い

 「クレーム」という単語は誤解されている。

 claim ...正当で当然の権利として要求する。損害賠償、支払い要求など。

 complain ...不平、苦情、グチ

 だから、先に示した「三角ロジック」の本の中では

 主張(claim)・・結論

となっている。
 人はそれぞれ自分を主張する権利がある。
 それをクレームと呼んで「迷惑」のレッテルを張るのは問題だ。
 むろん、聞く側は100%主張を受け入れる必要はない。

◆100%受け入れられるとは限らない前提で主張をし、
◆100%受け入れるとは限らない前提で主張を聞き入れる。

 日本にはそのルールがないから

 クレームを言えば全部要求が通るつもりの主張が多い。
 そしてクレームを言われた側は、要求を全て聞き入れなければと身構えてしまうため、逆に門前払いしてしまう。
 また「クレーマー」のレッテルを貼られのが嫌だから、自分の正当な主張もあきらめてしまう。

 主張をする側が「ダメでもともと」くらいの気軽な態度で主張し、
 主張を聞く側が「不当な要求には屈する必要はない」という確固たる信念で、オープンに主張を聞き取るようになった時、日本にもようやく「議論の文化」が根付くのだと思う。

 「クレーム」という単語にマイナスイメージが張り付いているうちは「議論の文化」は根付かない。

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October 15, 2017

ワークライフバランスについて (清書版)

 このところ、何度か「ワークライフバランス」について書いてきたが、いったん清書の形でまとめてみる。

 働き方改革は現代日本の直近の課題であり、学校現場でも80時間・100時間といった超過勤務をどう改善するかが課題になっている。
 部活動と生徒指導にあけくれる中学校では、よく「セブンイレブン」と言われてきた。
 小学校でも、8時前に出勤して6時過ぎに帰るのはまだ早い方で、夜7時でもまだまだ帰れない(帰らない)先生が多い。

 教員の場合、残業手当が欲しくて残業しているわけではないので、まずは残業手当はもらえる業種とは分けて考えないといけない。多くの場合は、残業を命じられたわけではなく、今日の仕事の整理・明日の授業準備のような「自主残業」である。保護者対応が、夜になることも、よくあるケースではあるが。

 その上で、本音で言うと次のようになる。

(1)超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべき。

 勤務時間が終わったからといって、明日の準備が終わっていなければ、それは多くの結局「ストレスの持ち越し」になる。
 今日の後始末と明日の準備を終えてスッキリして帰宅するから、自宅でもしっかりリラックスできる。熟睡もできる。
 「ドラゴン桜」でも似たような指摘があった。
  やるべき課題があるのに気分転換をしたって、気になって楽しめない。だったら、やるべき課題をきちんとやり終えた方が結局は気分がスッキリできるのだと。
 つまり、定時退勤と残業とどちらが「ストレス」かは、個々によって異なるのだ。
 本校でも、土曜・日曜に自分の都合のいい時間にふらっと出勤して残務整理したり授業準備したりして帰っていく先生が多い。
 学校に来て数時間仕事をして、その方がスッキリするなら、それ残業禁止するよりも、むしろ有用なのだと思う。
 体をむしばむかどうかは労働時間で決められるわけではなく、ストレスを感じるかどうかがなのだ。

(2)好きなことに熱中するなら、いくらでもやっていられるし、それは「ノンストレス」である。

 授業の準備が好きな教師、「よりよい授業を創ろう」と日々励んでいる教師にとっては、それは、まさに「ライフワーク」なのだから、ライフとワークのバランスなど無意味である。
 むろん、根を詰めすぎて体を壊してはいけないが、やりたくてやっているのならそれはノンストレスであり、やりたいことを無理矢理制限される方がストレスになるのだ。
 そのことを、落合陽一氏は、「これからの世界をつくる仲間たちへ」(小学館)の中で、次のように述べている。

◆ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。
解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら24時間、1年365日をそれに費やしたい。
(中略)ワーク・ライフ・バランスなんて考えたこともないし、その概念自体が僕には必要ありません。P164


 「ライフワーク」を検索していたら、「3つのワーク」が出てきた。
 
〇お金のため、ごはんを食べるために働く  [ライスワーク]
〇その仕事が好きで働いてる          [ライクワーク]
〇自分の使命だと思って働いてる       [ライフワーク] 

https://matome.naver.jp/odai/2139626309369150501
http://menzine.jp/job/raisuwaku5575/

 ライスワークなら、定時退社して自分の余暇を充実させればよい。
 ライクワークやライフワークは、時間を気にせずに没頭していたいのだ。熱中してやり続けている人を無理矢理、退社時間で追い出すのは合理的ではない。
 
(3)いやいや仕事を選んだ時点で、毎日がストレスになる。

 興味のないことを強いられると、たとえ1分でも耐えられない。
 ライスワークを否定はしないが、やりたくもないことを仕事にしている人はいくら定時退社を守ったとしてもストレスはたまる。
 好きで教師をやっていれば、家へ帰ってテレビを見ながらでも「あ、これは授業に使えるな」と思う。
 家へ帰ってまで仕事を考えるなんて、という考えもあるが、教職が「ライクワーク・ライフワーク」で、趣味が「教材研究」なら、四六時中「教材研究」について考えることは楽しいことであって、むしろストレス解消につながる。

 やりたくない仕事を勤務時間の範囲内で無理無理こなしている人と、楽しくて仕方ない仕事に没頭している人を同等に扱うことはできない。 
 あえて言うならば、教師という職業を「ライスワーク」で選ぶとしたら、コスパが悪いからお勧めできないということだ
 超過勤務を大前提にするわけではないが、好きでないとやってられない職業の1つではあると思う。


 とはいえ、実際は授業作りや学級づくり以外の雑務のような処理に時間がかかることが多い。これは誰にとってもストレスになりやすい。おそらく一番のストレスが生徒指導・保護者対応である。
 クレーム処理は企業では専門部署があるくらい手ごわい仕事である。日々の授業準備や子供への応対に追われる若い先生に、さらに保護者対応まで求めるんは、かなり「酷」なのだと思う。
 ドクターXみたいに、医師免許の要らない仕事は「いたしません」と言い切れたら、どんなにストレスフリーだろう。「ここから先は管理職・カウンセラー・警察・弁護士が対処します」と事務的に切り替えることができたら、どんなにストレスフリーだろう。
 たとえば、自主的に土曜日・日曜日に出勤している時に学校に電話がかかってくることがあるし、平日も朝7時、夜7時に電話があることがざらである。
  勤務時間外の電話は当然無視することもできるのだが、場合によっては職員駐車場や職員室の照明を確認して、いると分かっていて電話をかけてくることがあるので、電話拒否はなかなか難しい。
 「業務時間は終了しました」と断れたら、どんなにストレスフリーだろう。
 せめて学校の電話が「着信履歴」と「留守番電話」があれば、余分なストレスはずいぶん削減できるだろう。地区にもよるだろうが、少なくとも春日井市内の学校の電話にはその機能はない。
 また、銀行のように対児童の業務を3時に終えて、5時までは残務整理に没頭できたら、どんなに効率的だろう。

 教師が本来の業務に集中できるような業務改善を進めてほしい。労働環境がブラックなままでは、人材が集まってこないからだ。

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