October 07, 2024

「探究的な学習」の探究(2)

「探究型の授業」

 正直なところ、それまでは
◆えっ、探究型の授業って学習指導要領で強調されていたっけ?
◆総合的な学習のキーワードだけど、他教科でも重視されてたっけ?
ぐらいの認識だった。
 学習指導要領でも「総合」以外で、端的な解説を見つけることができず、二次資料に頼ると
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◆探究的な学習においては、「探究の過程」(プロセス)が重要な意味を持っています。探究の過程とは、
日常生活や教科内容の学習を通して課題を見つける(「課題の設定」)
課題を追究する過程でさまざまな情報を収集する(「情報の収集」)
その情報を整理することで精査したり、考えを交換しながら分析したりして問題の解決に取り組む(「整理・分析」)
取組の成果をまとめ、他者に向けて表現する(「まとめ・表現」)
といった学習活動を繰り返すことです。
◆総合的な学習の時間においては、設置の当初から探究的な学習の方法を基本としてきました。「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」は、総合的な学習の時間の中心概念です。
・・・この探究的な学習は、総合的な学習を充実させるための学習方法というだけでなく、他教科等の見方・考え方を結びつけて総合的に活用することや、実社会・実生活の課題を探究して自己の生き方を問い続けるあり方として示されています
すなわち、「探究」は総合的な学習の時間だけで展開されるものではなく、もう一段高い地平から、各教科の探究の学習を結びつける役割を持つものであると位置づけられています。
新しい学習指導要領においては、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)が基本的な学び方の一つとして挙げられています。
探究的な学習は、まさにこの学び方に通じるものでもあります。
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・・・というわけで、一次資料ではないが、
◆「探究的な学習」の考え方は、各教科の原則の中に取り入れられて、教育課程の中心に位置づけられています。
と書かれると、なるほどそうなのかと思う。
 主体的・対話的で深い学び=アクティブラーニング=探究学習という理解でいいのなら、違和感はないのだが、それでいいのかどうかが分からなかった。
 先に示した「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」は、総合的な学習でよく使われる「探究的な学習のサイクル」の4項目である。
 指導要領解説では
◆総合的な学習の時間における学習では、問題解決的な活動が発展的に繰り返されていく。これを探究的な学習と呼び、(中略)「探究的な学習における児童の学習の姿」として、図のような一連の学習過程を示した。
とある。
 春日井市の先進校では、「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」を「学習過程」と呼び、マグネットシートで授業中、子供に明示している。
 これが「学び方」の習得につながっている。(「Wutan」2022年2学期号より)
 また同冊子で高橋純先生が「シンキングサイクル」と呼んで、次のように解説している。
◆子どもが自分で学びを進めていくには、「学び方」を知らなければなりません。それが春日井市でも子どもたちに教えている、問題解決のための汎用の学習過程(私はシンキング・サイクルと呼んでいます)です。
「課題の設定」し、「情報を収集」して、その情報を「整理・分析」し、「まとめ」「説明・発表」する。学びの道すじ」であるこの学習過程を、子どもが自分で行き来できるようになれば、先生の指示がなくとも、生涯にわたって学び続けられます。
 そして先進校ではない勤務校の研究では、「習得ー活用」の「活用」部分で、思考・判断・表現する力の育成のために、この探究的な学習過程が必要だとされている。
  学習活動の多くの部分を子供に委ねなければ「探究的な学習」とは言い難いとなると、実現はなかなか難しい。

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「探究型の学習」の探究

 学習指導要領の「総合」編によれば、

◆探究的学習とは、「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」といった探求の過程(問題解決的な活動)が発展的に繰り返されていく一連の学習活動である。
ということになる(写真参照)。
 細かいことだが、4つの項目を、文中では「問題解決的な活動」と呼び、図表の中では「探求の過程」と呼んでいる。
 そして、この4項目を高橋純先生は「シンキングサイクル」と呼び、勤務校は「思考・判断・表現するための探究的な学習過程」と呼んでいる。
 名称がバラつくと、少しずつ受け止め方のズレが出るので要注意だ。
 あるサイトでは、次のように「教科学習」と「探究的な学習」を分けている。
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 教科学習では、各教科の固有の知識や個別のスキルを学び、各教科の本質に根ざした問題解決能力や学び方、考え方などを育みます。
一方、探究学習では、教科にとらわれない、横断的、総合的な問題解決の能力を育みます。 
 探究学習は、小学校と中学校では「総合的な学習の時間」、高等学校では「総合的な探究の時間」を通じて学びます。
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◆この定義で言うと、各教科の授業を探究的な学習として行う必要はない。
◆これまでも社会科や理科の授業などで、探究的な学習は行われてきた。
とあるように、総合にとどまらず、各教科で探究的な学習を取り入れる意義は高い。
 しかし、どのように取り入れたらいいのかを理解していないと、各教科固有の知識やスキルの習得を疎かにしてしまう。
 教科学習で、各自に学習課題を設定させてうまくいくのは、学習レベルが保障された学級でのことだ。
 どこで、どう探究的な学びを取り入れるかを熟慮しないと、授業は崩壊する。
「習得 → 活用」、「教えて → 手放す」
と同じような意味合いで、
「教科学習 → 探究的な学習」のステップがあるのかな、というのが今の自分の理解である。
Sou

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October 02, 2024

授業における「関所」の感覚

授業の重要なポイントを全員達成できるようにチェックすること。

そのポイントを通過しないと次へ進めないような仕組み。

①作文のお題が確定した子に作文用紙を配る。

②図画工作で下絵が完成した子に画用紙を配る。

③算数で1問合格した子に、次の問題をやらせる。

④黒板に自分の考えかAかBかをマグネットを貼った子から、理由を書かせる。

⑤体育のチャレンジカード1枚目が合格したら、2枚目を渡す。

⑥合格したら自由読書。

 

・・・こういう関所の意識が希薄だと、子供たちがダダ洩れになる。

 どうせ、やってもやらなくてもバレやしないとタカをくくり、

 周りに比べて自分が遅れていることを自覚できないのでスピードアップにつながらない。

 人は弱いから、他者との比較で「これはまずい」と焦ることがある。いい意味での競争意識を活用するのが集団教育の長所の1つだ。

 

 よく見られるのが「先生のマルつけのために起こる大渋滞」。

 教室内で渋滞させることはよいことではない。待っている子から混乱が起きる。

 1問だけ丸つけすると決めたら、渋滞は回避できる。

 でも、「ここだけは先生のチェックを通過させたい」という関所の意識があるのだから、そこは評価したい。

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October 01, 2024

「先生は教える」「子供は教わる」#野口芳宏

「教師主導から児童主導へ」とよく言われる。
教師主導が古くてよくない指導法のように扱われる。
しかし、「アクティブ・ラーニング」が、もともと大学の高等教育の授業改革をめざしていきたことを考えると、小学生から「任せる・委ねる」の能動的学習を始めるのは、早すぎないかという疑問を持つ人がいてもいい。
「教師主導から生徒主体」は「小学校ー中学校ー高校」のステップでいいのではないか。
 そのような疑問に対して、自分なりの解答を持っていたい。
「文科省が言ってるからアクティブ・ラーニングに取り組んでいます」では、保護者が抱く不安や怒りに対応できないからだ。
 もちろん、低学年でも1年間の指導の中で「もう、そろそろ自分達だけでやれるよね」と手放せることはたくさんある。
 そうはいっても、子供は子供だ。全部任せられるほど、子供は完璧ではない。
 子供の「未熟さ」を強調する野口芳宏氏の主張について、元「総合教育技術」編集長の小笠原喜一氏は次のように述べている。
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 経験に乏しく、知識も少なく、未熟・未完な存在である子供は「教育」によって初めて自立した「人間」となる。ゆえに「先生は教える」「子供は教わる」という教育の根本的大原則を忘れてはならない。
 これこそが野口先生の教育論の根本・本質・原点となる考え方であると言っていいだろう。
 未熟な存在である子供は「教育」によって初めて「人間」となる。したがって「子供中心主義」では真の教育ができない!という考え方である。
 「 ICT負けてたまるか! 人間教師としてのプライド」(学芸みらい社)P33・34
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 堀田龍也先生の主張と野口芳宏先生の主張で振り子が揺れる感じ。体が左右に引き裂かれる感じと言ってもいい。
 文科省は「振り子の揺り戻しはもう起こさない」というスタンスであるが、野口先生の言われるように、10年ごとに教育方針をコロコロ変えられたら、現場はたまったものじゃない。
 教育の本質は変わらない、「不易」の部分を大事にすべきだという野口先生の意見をしっかり受け止めながら、是々非々で日々の授業改善に取り組んでいきたい。
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特別支援教育は、「個別最適」の原点

特別支援学級の授業を観察した。

個人差が大きすぎるので一斉指導はとても無理だなと思った。

学級に3人しかいなくても、3人バラバラに指導が必要なので、担任1人ではアップアップである。

それぞれに合った教材や課題が必要だし、課題に取り組んでいるからと10分も15分も放置するわけにもいかない。

 

じゃあ、通常級なら、なんとかなるのだと油断してはいけない。

一斉授業では「教えたつもり」で、こぼれる子が生じるかもしれない。

かといって個別最適な課題を与えても、やらせっぱなしでは、こぼれる子が生じるかもしれない。

 

見取りとチェックシステムが必要。

小刻みな「関所」を設けて、確実なステップアップを促したい。

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September 30, 2024

学びのユニバーサルデザイン

学びのユニバーサルデザインの3原則は、

(1)情報提示に関する多様な方法の提供・・・・教える側の方法を多様にする

(2)行動と表出に関する多様な方法の提供・・・子供の表出方法を多様にする

(3)取り組みに関する多様な方法の提供・・・・学びの環境を多様にする

 

教室の子供たちは多様なので、1つのやり方では対応できない。

選択肢を増やして、どの子も「わかる・できる」ことをめざす。

1「オプションの提供」とは、学びの手立てを複数用意しておくこと。選ぶのは学習者自身。

2「代替手段」とは、視覚支援・聴覚支援など、学びに困難がある人のために別の方法を用意しておくこと。

3「段階的な支援の提供」とは、スモールステップな支援。必要に応じて懸けたり外したりする「はしご」のような存在。

 

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September 24, 2024

野口芳宏氏にお会いするための予習 #教室ツーウエイ

野口先生は次のように発言している。
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子供の本質ってのは無知未熟。それが本質だっていうのが私の考え。だから教えなくちゃならないし、否定して直さなくちゃいけないし、そうして導かなければ本物にはなれない。
「教室ツーウエイNEXT」No21 2024年1月 P13
 特集「教師が教える」から「子供の学び」へ どうする路線転換
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 相変わらずの「野口節」だ。
 同じ対談の中で、長谷川博之氏が野口氏の指導観について、次のように述べている。
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野口先生のお言葉だと、「答えを限定し、正誤を明らかにする指導」が重要なんだということです。これが自信を持って先生方になかなか言えなかったりする部分は多いです。何でもありの授業で「活動あって指導なし」となってしまっています。P14
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 「AでもBでもいい、自分なりの論拠があればどっちでもいいんだよ。」という風潮は、2000年のPISAショックから起きた。
 世間一般にとってのPISAショックは「読解力低下」だったが、国語教師にとっては、「どちらでもいいから論拠を述べよ」という落書き問題が驚きだった。
 自分なりの理由があればAでもBでも許容されるのだから、「子供の読みを高い次元に引っ張り上げる」という心意気がなくなった。教師の解釈の押し付けと批判されてしまうからだ。
 「読みの浅さ」「思考の浅さ」「比較検討の甘さ(独善性)」を指摘し、訂正させる教師が減った。
「子供一人一人の読みを大切にする」という甘い言葉に惑わされてしまったとも言える。
「正誤を明らかにしない授業」「『否定』のない授業」は、「鍛える」の役割を失っている。
「向上的変容」のない1時間。
「活動あって指導なし」の1時間。
 それではいけない、
 振り子の揺り戻しはない(時代に逆行しない)と言われるが、野口氏の主張は今なお傾聴に値するのだ。
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September 23, 2024

「丸投げ」に耐えられるのは、実力を蓄えたあと

それなりに学びを積んできた教師は、上司から「自分のやりたいようにやってみろ」と丸投げされると、意気に感じて頑張れる。

それは「課題の設定ー情報の収集ー整理・分析ーまとめ表現」の探究サイクルが身についていて自力解決できるからだ。

ダメ出しされる観点が予想できるから、ダメ出しを回避して、ニーズにあった企画や提案ができる。

また、謙虚に学んだ教師ほど、己の限界をよく知っているから、遠慮なく人に頼ることができる。

 

しかし、その丸投げを、若手の教師に行うと、リスクが大きい。

ネットワーク・フットワーク・ヘッドワークが足りない先生は、抱え込んで潰れてしまうことがある。

手放すタイミングが早すぎると本人のためにも組織のためにもならないから、「教えてー手放す」の段階をしっかり判断しないと意味がない。それも「見取りと介入」と言えるだろう。

当然ながら、この話は「子供」も同じだ。

教えずに手放せば、路頭に迷うだけだ。

さて

武田塾は一斉業をしない個別指導塾として知られている。

武田塾は生徒一人ひとりに専任の担当者がつき、学習計画の立案から進捗確認まで細かくサポートする。つまり「徹底管理」がセールスポイントだ。塾業界の「ライザップ」とも言われている。

 一斉授業に自分事として取り組めないタイプの人は、徹底管理されないと成果は上がりませんよ、というのが「武田塾」の現実的な提案で、「もともと自習できる人は武田塾に行く必要はない」という書き込みもあった。 

 「勉強は自学自習が最強」と口当たりのいいことを言って、学習者本人に任せているだけでは成果は出ない。誰もが自己管理できる訳でなく、大方の人は弱くてサボりたがるという現実論に立脚している。性善説に立って本人のやる気に任せていては、結果責任を果たせないのだ。

 

ところで

野口芳宏氏の資料を調べていたら次のような記述があった。私家飯「国語教室」第25集(平成3年)だ。

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◆子供の主体性を育てるためには、教師がもっぱら表立つことなく、つとめて引き下がり、子どもに問題を発見させ、解決の糸口を見つけさせ、自ら解決させ、その筋道を反省させるようにすべきである、という訳である。つまり、一言で言えば「教える力」を発揮しないのが良い指導者なのだ、という風潮である。このような考え方は危険であり、私には賛成できかねるところである。

◆ 私は講義式のみがいいと言うのではない。詰め込みのみが良いと言うのではない。教える力を存分に発揮する教授法がもっともっと大切にされなければならない、という至極当然のことが言いたいのである。

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学校における「個別最適学習」は、きわめて緩いのではないか。

人は弱くて流されやすい。怠けやすいし、楽をしたいという事実に目を背けてはならない。

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上司が部下に迎合してはいけない!

上司と部下のラポールは難しい。
職員に声を掛けることや褒めることは大事だが、言葉やタイミングを間違えると、迎合しているように受け止められてしまう。
最近の飲み会の席では、最近は上司が部下にお酒をついで回ることが多い。若い子は上司につぎに行かなきゃなんて思ってないからだ。そして校長がつぎに行くと、若手から「僕はビール飲みませんから」などと断られることも、まさにアルアル。
「友達上司」で検索したら、否定的な見解がずらっと並んでいた。
例えば、次のように。
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 職場におけるコミュニケーションの目的は、「部下との関係性を良好なものにすることで、部下に仕事を円滑に進めてもらって、成果を出してもらう」ことです。
「部下に好かれるため」でも、「単に楽しい職場にするため」でもありません。そこを履き違えると、「なあなあな関係」に堕落します。
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 これは、学級経営でも同じで、「子どもに好かれるため」「楽しい教室にするため」だけを狙うと、「なあなあな関係」に堕落する。
 親しみやすさが度を越すと、甘えや緩みにつながる。
(「友達家族」という言葉もある。本来上下である関係が、横並びになってしまうのだ)
Chat GPTに尋ねたら、次の点を「友達上司」の問題点として挙げてました。
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1、権威の曖昧さ:友人関係があると、上司としての指示や評価が曖昧になりやすい
2、公平性の欠如:友人として接することで、他の部下との扱いに不公平が生じる可能性がある。
3、距離感の問題:私的な感情が職場の判断に影響を与え、プロフェッショナルな関係が崩れることがある。
4、責任の分散:友人としての甘えや遠慮が、仕事上の責任を曖昧にするリスクがある。
これらの問題が、職場環境や業務効率に悪影響を与える可能性があります。
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September 12, 2024

行動を価値づけする

1年生の図画工作の授業を見学したら、「めだたせたいものを大きくかこう」を目当てに取り組んでいた。
クワガタムシや、ひまわり、プール、自分などを大きく描いていた。
その時の、自分の声掛けは2通りだった。
A:行動をほめる「ひまわり大きく描けたね」「いろんな色を使ったね」
B:効果をほめる「にぎやかだね」「本物みたいだね」
自分の誉め言葉を分析してみて、ABをくっつけたら子供に伝わりやすいのではないかと思った。
◆ひまわりを大きく描いたから、すごく生き生きしてるね。
◆いろんな色を使ったから、にぎやかになったね。
◆クワガタが人間より大きく描いてあるから、すごく目立つね。
「〇〇をしたから、すごく△△になったよ」
「ある行動をしたから、すごく価値が上がったよ」
ということだから、これが「行動の価値づけ」だ。
何をいまさらというような発見だが、実体験で納得できたことがうれしい。
ちなみに、全部提示しなくても、子供に考えさせる方法もある。
 すごく△△だよ。何がよかったと思う?

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