September 23, 2022

スーパーマーケットと商店街

春日井市の勝川駅前には商店街がある。

スーパーマーケットもあるし、大型ショッピングセンターもある。

もちろんコンビニも、ドラッグストアも。ちょっと出かけると「コストコ」もある。
3年生の社会科には「スーパーマーケット」の単元があるが、地域学習が主体だ。
だから、本当は地元商店街もしっかり合わせて伝えてほしい。
今なお、商店街が存続するというのはすごいことだ。
そして、さまざまなお店が共存するということは、それぞれにニーズがあり、固定客がいるということだ。
多くの消費者(家庭)は、それぞれのお店の特徴を理解して、使い分ける。
さまざまなお店を使い分けるのが賢い消費者なのだと思う。

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September 16, 2022

リーダーの役割は決断をすること

 ほとんど読まない「週刊現代」。2020年3月7日号の「リレー読書日記」のコーナーが講演を聴いた楠木建氏担当だった。

◆リーダーの一義的な役割は決断をすることである

 競争戦略論という分野で仕事をしている。戦略とは決断(の連鎖)であり、決断とは選択である。リーダーの一義的な役割は決断をすることである。

 ポイントは2つ。第1に、決断が選択である以上、複数の選択がなければならない。「◯◯せざるを得ない」という言葉を軽々に使う人はリーダーの要件を欠いている。これは単に「追い込まれている」のであり、もはや戦略ではない。

 第2に、真の戦略的意思決定は「良いこと」と「悪いこと」の間の選択ではない。決断は常に「良いこと」と「良いこと」、もしくは「悪いこと」と「悪いこと」のどちらを選ぶのかという問題である。ここに決断の難しさがある。

 良いことと悪いことであれば、前者を選べばいいに決まっている。そんな仕事は誰にでもできる。そもそも「決断」は必要ない。

 無能なリーダーは「一理ある」というフレーズを連発する。しかし、考えてみれば世の中に「一理もないこと」など存在しない。錯綜するさまざまな「理」のどれを捨てるか。これが決断の正体だ。それは定義からして「苦渋の決断」になる。(後略)

・・・「真の評価は歴史が決める」

その通りである。明快で何も足せないし、何も引けない。こういう明快な文を自分で創り上げたいものだ。

 そして、また自分も難しい決断に果敢に対処していきたい。

※「1つを選ぶこと」は「残りを捨てること」というフレーズが、楠木氏の別の本にあった。

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September 13, 2022

人に頼る経験を積んで、人に頼っていいことを学ぶ

「実践障害児教育」2014年7月号のコピーが手元にある。

ケースから学ぶアプローチ第4回 「未学習や誤学習を読み解こうの」の巻

執筆は今をときめく川上康則氏なので、敬意をもって自分の責任で抜粋と編集をして紹介させていただく。

 

できない・わからないが続いた時の子どもたちの様子を3つ提示している。

できない経験を繰り返すと・・がんばろうとしなくなる。

わからない経験を繰り返すと・・理解しようとしなくなる

やってもらう経験を繰り返すと・・自分でやろうとしなくなる

こういう状況を「学習性無力感」と言う。

 

どうせ何をしても無駄だという気持ちになってしまうと、回復が難しい。

「バカにされるに決まっている・叱られるに決まっている」とシャッターを下ろしてしまう。

 

失敗恐怖・敗北恐怖」が行動にブレーキをかける。

「行動すると、心が傷つくと決めてしまう」

・勉強はわからない(ことに決めた)

・自分ばかり叱られる(ことに決めた)

・学校には意味がない(ことに決めた)

・授業には入らない(ことに決めた)

・どうやっても無駄だ(と思うことに決めた)

 

というわけで心を閉ざし行動にブレーキをかける彼らへの「カギは援助要求スキル」だという。

 

困難に直面した時「こまった・わからない・むずかしい・思いどおりにいかな」と思う。

そのとき、おすすめしないのが

「なく・さわぐ・にげる・やらない・めちゃくちゃにする・物にあたる・隠す・ごまかす」

そのとき、おすすめするのが

手伝ってください」「わからないので教えてください」

「聞き逃したのでもう1度言ってください」「助けてください」

 

失敗することは誰にだってある。現実的な課題を受け止め、失敗恐怖を少しでも解消していくためには、他者を頼ることの価値を知り、援助を求めることで壁を乗り越えていけるという「経験を積むことが大切だ。

 

という言葉が心に響いたのは、「多くの若者がここでギブアップしている」と思ったからだ。

大人が援助要求スキルを使って他人に頼ることは我々だって難しい。

だから、先生が、意図的に子どもに助けてもらったり手伝ったりしてもらう場面をつくり、模範を示しろと提言している。

(上司が部下に頼ることも同じ)

 

先生(上司)が、弱いところを見せる。依存するところを見せる。

「他者から必要とされる経験」を積んで育つから、自分も「他者に頼っていいんだ」ということを学んでいくのだ。

特別支援教育でなくても重要な「生き方スキル」である。

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September 08, 2022

「〜ご存じですか?」の正しい返答は? 

ファストフード店で「お持ち帰りですか?」と聞かれて、
「はい。お持ち帰りです」
とは答えない。
基本的な文法作法として、丁寧語で聞かれたら丁寧語で返すことに問題はない。
「持ち帰りますか?」と聞かれれば
「はい持ち帰ります」
となる。
しかし、尊敬表現で「お持ち帰りですか?」と問われたら
「はい、お持ち帰りです」
とはならない。
自分の行為なので、尊敬表現を除いて
「はい、持ち帰りです」「はい、持ち帰ります」
となる。
さて、応用問題。
「ご存じですか?」と聞かれて、「YES」の場合、どう返事するか?
先の例に準じると、「はい、ご存じです」とはならない。
尊敬表現を除いて、「はい、知っています」あたりで間違ってはいないが、ちょっと幼い。
相手が「知ってますか?」と聞いたわけではないのだから。それ相応の対応がほしい。
というわけで模範解答例は、
自分に向けられた敬語表現の「ご」をとって、
「はい、存じております」
もう一歩進むと、謙譲の「上げる」を加えて
「はい、存じ上げております」
となる。
ご存じでしたか?
さて、この「あげる」の例を追加すると
敬語の意識の高い人(でなくても)、自分が話したことを説明する際、
「先ほど、言ったように・・・」
とは言わない。
「言う」を謙譲表現に言い換えて
「先ほど、申したように」
となる。
さらに謙譲の「上げる」をつけて
「先ほど申し上げたように」
となる。
◆敬語なんてどうでもいいという時代が来るのかもしれないが、今のところ「たしなみ」として使えるようにしておきたい。
と先のブログでも申し上げたところです。

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「〜していただけますか」の正しい返答は?

この夏、あるホテルに早めに到着した。
「荷物だけ預かっていただけますか」とお願いした。
まず、基本的な文法作法として、
丁寧語で聞かれたら丁寧語で返すことに問題はない。
「荷物は預けられますか」「はい預けられます」
しかし、謙譲語を使って、こうして問われると、当然「はい、預かっていただけます」とはならない。
ホテルは預かる側なので
「はい、預からせていただきます」
「はい、大丈夫でございます」
「はい、承知いたしました」
あたりが模範解答なのかと思っていた。
で、この日の実際の対応は
「はい、もちろんでございます」
・・・これは、文法上の正誤を超えた、大人の流儀だと思った。
「はい」という了承のメッセージに加えて、「大歓迎」「問題なし」であることを強くアピールし、依頼者側の心的負担を全く感じさせなくしている。
しかし、自分はといえば、
保護者対応や、地域対応で、依頼を受けて
「はい、もちろんでございます」を言ったことがないのはもちろんのこと
「はい、もちろんです」も、あまり使っていないと思う。
今になって、自分の態度が傲慢であったと反省したこの夏の一幕でした。
◆敬語なんてどうでもいいという時代が来るのかもしれないが、今のところ「たしなみ」として使えるようにしておきたい。

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2年国語(光村) 「雨のうた」

真剣に目を通したのは初めてだったが、とてもいい詩だと思った(ここでは示しません)。
連の組み立ても、3-4-5音のリズムもいい。オノマトペもいい。ひらがな表記もいい。
そういう文法的な良さもあるが、内容(主題)がいい。
・・・以下、混乱を避けるため、漢字表記使います・・
◆雨はひとりじゃ歌えない、きっとだれかと一緒だよ。
この詩の「雨の歌」とは、雨が落ちる音のこと。
屋根・土・川・花などの落ちた雨が奏でる音を「歌」とみなしている。
雨は相手がいないと音が出ない。
そうだよね。
そう考えたら、我々人間も「ひとりじゃできない」ことは多々ある。
ひとりでは
キャッチボールできないよ。
おしゃべりできないよ。
LINEできないよ。
デートできないよ。
そうやって列挙したときに、相手がいることのありがたさが分かる。
究極的には、人は「ひとりでは生きていけない」のだ。
受けいれてくれる相手、呼応してくれる相手、共感(共鳴)してくれる相手・・。
「相手がいることのありがたさ」と言えば、俵万智の短歌と重なる。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
ただし、雨は人と違って相手を選ばない。
◆雨は誰とも仲良しで、どんな歌でも知ってるよ◆
そう、誰が相手でも歌を奏でる雨の「包容力」に比べたら、人間はいかにも了見が狭いのだ。
誰とでも共鳴できる自分でありたい。
誰とでも連携できる自分でありたい。
そんなところまで、読む必要はないのだが、哲学的なこの詩に共感してしまったのでした。

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初読と再読で、読みが異なる詩



==================
「父の日にやりたいこと」
お父さんと
またレストランに行きたい
また旅行に行きたい。
また野球の試合を見たい。
父の日は
お父さんを忘れないように
思い出して泣きたい
いつか大きくなったら、
お父さんがなった病気を治せる
医者になりたい。
=====================
・・・亡くなったお父さんに向けた手紙であると、はっきり分かるのは、何連からか?
「あれ、ひょっとして、そういうことなのかな?」という思いで1連・2連と読み進め、
3連で「お父さんが病気で亡くなった」という事実を理解できるようになっている。
再読すれば、一連から「そういうことなのだ」と分かる。
初読と再読では、読みの理解が異なるのは当然だが、その好例になるような作品だ。
一連は、楽しい話題
二連は、悲しい話題
三連は、強い決意
これが「序ー破ー急」の構造なのかなと思った(違うかもしれない)。
◆ACが扱う「あしなが育英会」の広告。




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September 01, 2022

教師力向上の骨格は、「授業力」

この夏は、これまでの初任者指導のアドバイス(学級崩壊を防ぐ手立て)について、過去の発信を集約しながら体系化できないかと考えていた。

ただ、TOSSの文部科学省委託調査研究事業の報告書や「授業力トレーニングテキスト」を改めて目を通して、すっかり意気消沈してしまった。

私が書き溜めてきた初任の授業アドバイスは、大方「トレーニングテキスト」の範疇に収まってしまう。
トレーニングテキストの完成度の高さを前に、何もできなくなってしまった。
加えて言うならば、向山先生の文章を読むと、何一つ加える必要がない。

私がピックアップして解説するより、そのまま全部読んでいただいた方が手っ取り早いのだ。
(まあ、そのことは教え方セミナーに関わるたびに思い知らされてきたことなのだが)。


夏休み後半は、トレーニングテキストの具体例になるような発信や、学級経営・保護者対応などに関わる発信を中心に選んできたが、自分らしさ・提案性を模索するうちに時間切れになった。
本当は実践研究は「小さく小さく」すべきなのだが、TOSSの研究報告のような大きなものを目にした衝撃が大きすぎて、絞り込むことができなかった。

もちろん、2学期も初任者指導は続く。
トレーニングテキストを「まんま」紹介した方が効果がある場合もあるだろうし、初任の事実に合わせて提示た方がよい場合もあるだろう。
「自分ができることは何か」。ニッチで攻めるのかトリッキーに攻めるのかは分からないが、一区切りできなかった悔しさをバネに日々格闘していきたい。


若手教員の授業力構成要素の抽出とその向上手法の研究

http://toss.gr.jp/kyoushiryoku/

授業力トレーニングテキスト

http://toss.gr.jp/kyoushiryoku/wp-content/uploads/2017/04/training-text.pdf

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August 31, 2022

複数の条件を提示されると、情報を取捨選択できない

平成19年度の学力調査で話題になったのは、平行四辺形の面積の問題。
A問題では96%の子どもが答えられたのに、地図上で平行四辺形と正方形の広さを比べたB問題では正答率が18%だった。
自分としては、これは、底辺・高さ以外の余分な情報が含まれると、正しく取捨選択ができなかったのだと推定した。
しかし、これはあくまで個人の解釈だから、実際の要因は分からない。
Bは桁数が大きいから計算間違いもあっただろうし。
「事実」からは、いくつかの「解釈」が生じる。
自分の「解釈」を絶対視してはいけないと思う。
ただ、この資料そのものは、すごく興味深いので要保存だと思う。
Pisa 

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August 28, 2022

良い騒然・悪い騒然があります

2年生の算数の時間、三角形や長方形のピースを組み合わせる活動で、子供たちは、ああだこうだと声を出していましたが、騒がしいとは感じませんでした。大声で言いあっていますが、本時の課題に正対して頑張っている証拠なので、むしろ、心地よかったのです。

この時、騒がしいにも「良い騒がしさ」と「悪い騒がしさ」があるんだなと実感しました。

「良い騒がしさ」は、感動や歓喜、驚嘆などです。「やったー」「できたー」「えー、どうやったの。」といった声を聞いて嫌な気持ちにはなりません。白熱した授業なら絶叫だって心地よいものです。

一方の「悪い騒がしさ」は、授業に関係のない不規則発言や、子供同士の言い合い(罵り合い)、教師への苦情など、周囲を嫌な気持ちにさせるネガテイブな騒がしさです。

発言のベクトルが1つの方向に集中しているのが「良い騒がしさ」、発言のベクトルがバラバラなのが「悪い騒がしさ」と言えるかもしれません。

 

多分、初任の先生でも、良い騒がしさと悪い騒がしさの違いは分かると思います。

しかし、せっかく授業に熱中して盛り上がる「良い騒がしさ」なのに、ケジメがつかずに制御不能になれば「悪い騒がしさ」になってしまいます。

だから、「悪い騒がしさ」になるのを恐れて「良い騒がしさ」の授業を封印する先生もいます。いつも先生のコントロール下に子どもを置いておきたいのでしょう。

 

「夢中になるのはとてもいいことで、歓声を抑える必要はない。でも、やめる時はやめる・人の話を聞くときはちゃんと口を閉じる。これができたらもっといいクラスになるよね」

そんな指導ができたらと思います。感情を発露できることで、子どもたちもスッキリするからです。

 

逆に言うと「良い静けさ」と「悪い静けさ」もあります。

物を言わずに熱中して何かに取り組んでいるのが「良い静けさ」。

ボーっとしたり、お昼寝状態で無反応なのが「悪い静けさ」といったところでしょうか。

さすがに、テスト中は、多くの子にとって「良い静けさ」です。やることがはっきりしていて、みんな集中してがんばっているからです。

テストの時に集中できる子たちなら、授業内容を改善すれば、良い静けさは可能です。

やることがはっきりしている・正誤がはっきりしているといった「テスト」の特質を通常の授業にも活かしてみてほしいです。

先生自身が、「こういう状態は先生も嬉しい」「こういう状態は残念だな」とアイメッセージで評価基準(望ましい姿)を示してみることが大事だと思います。

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