February 14, 2019

よい授業の条件

 2月11日(祝)、日本文教出版の道徳セミナーで、畿央大学大学院の島恒夫教授先生の話を聴いてきた。
 中教審道徳専門部会の委員を務め、学習指導要領解説の作成協力者もされている。
 たくさん授業を参観した経験を元に、具体的によい授業の条件を話された。

 「子どもにとっても教師にとっても楽しい道徳科とは?」に書かれたレジメの条件は、道徳以外でも通じる内容だ。

◆子どもにとって、「納得」と「発見」のある授業。
◆子どもの頭がフル回転する授業
◆子ども1人1人の思いが自由に出て、認め合いのある授業
◆45分OR50分があっという間に感じる授業
◆授業が終わってからも、教室のあちらこちらで、まだ話が続いたり、余韻に浸っている授業。
◆「先生、またしようよ」という声の出る授業。


 「教師がしゃべり過ぎない授業のために」に書かれたレジメも同じだ。

◆「質の高い問い」
・・子どもの頭の中に「?」が生まれる問い。
◆集団づくり
・・「友達の考えに関心を寄せる集団
◆教師のコーデイネート
・・「陰の最大の理解者となり、役者を演じる

 こんな授業はダメだ、というNGは、 

×教師からの問いに答えるだけの授業
×「今のは、いい意見だ」と教師が即断してしまう授業
×子どもの意見を先生が都合よくまとめてしまう授業
×子どもが先生の意図を探り合う授業

 「道徳セミナー」の中で、畿央大学の嶋教授がNG授業をいくつか紹介した。
 その中に「正解に誘導する」類のものがあった。

◆お気に入りの意見が出た時に、間髪入れずに「いい意見だね」とほめるような授業。

◆子どもの意見が拙いときに「つまり、こういうことを言いたかったんだよね」と大人の言葉でまとめてしまうような授業。

 たまたま読んでいた吉井理人の「最高のコーチは教えない」と重なった。

◆コーチは絶対に「答え」を言ってはならない。P88

◆コーチは、選手に自分の言葉で語らせることに、徹底して意識的にならなければならない。
 いくらじれったくても、まどろっこしくても、我慢して、耐えるべきだ。選手が「わからない」と口にしても、すぐに「こうだ」と断定してはならない。もし言おうとしても、せいぜい、「自分だったらこうしたかもしれない」「こんな選択肢もあるかもしれない」というヒントを口にする程度にとどめておかねばならない。P89

・・・だからコーチは質問に徹する。
「どうしたい?」「なぜ?」「どうすればいい?」

 集団で行われる道徳の授業の場合は、発言した子以外のみんなに問いかければいいと島氏は言う。

「みんな、今の意見、分かった?」
「他の子で、説明できる?」
「今の意見、黒板に何てまとめたらいい?」

と他の子どもを利用して、翻訳させたり、具体化させたり、例示させたりして、学級全体に浸透させていけばいい。
 そのことを島氏は

◆子どもに手柄を取らせる

と書いている。
 教師がでしゃばって、おいしいところを全部説明したら、子どもはしらけてしまうだけなのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 12, 2019

古代の哲学書は奥が深い!

 「ビジネス書より古代の哲学書の方が奥が深いと思いかけている。
 ビジネスマン向けの思考法・発想法のルーツが古代の哲学に由来することは、例えば次の記載からも明らかだ。

===============
グループで何かを発想するときの方法として、ブレインストーミングや TRIZ 法、ブレインライティングなどいろいろありますが、その基本は連想です。
本書『発想フレームワーク55』では、この連想には4つの法則があると書かれています。
★P204〓
ブレインストーミングやブレインライティングでも他の人のアイディアを聞いて、別のアイディアを連想することがとても大切です。
古代ギリシャ人はひとつの思考を他の思考へ導く能力、「連想」を大変重視したといいます。プラトンも、アリストテレスも人間の心理学の根本原理だと強調しました。

そして、連想には、「接近」「類似」「対極」「因果」の四つの法則があると言われています。

●第1法則……近接
「接近」はもともと近くにいたものを連想するというものです。
婦人用のハイヒールを見れば、それを履いている女性を想像したり、「北海道」と言われれて転勤で札幌に移り住んだ旧友のことを思い出したりするような連想です。

「これは誰のものか」「これの近くに何があるか」という質問に応えるのが接近です。

●第2法則……類似
「類似」は似ているものを発想するというものです。
類似はアナロジーとも呼ばれ、発想のフレームワークを活用する上で大変重要な手法のひとつです。

類似にもさまざまなものがあり、形が似ている、色が似ているような類似もあれば、美しい女性から「白百合のような女性」を連想する直喩、どっちつかずの攻防が繰り広げられている時に「シーソーゲームのようだ」と想起するような隠喩も類似の仲間です。

類似は視覚からだけではありません。「におい」「音」から別の記憶がひらめくことがあります。

類似から別の記憶を引き出したい時には「これは何に似ているか」「これはあれと共通のどのような性質を持つか」「構成部分についてはどうか」という質問を設定します。

●第3法則……対極
「対極」は、類似とは逆に、対立するもの、反対のものを思い浮かべる連想方法です。

「コレは何と異なるか」「相違点は何か」「対立するものは何か」「逆はどうなるか」という質問に応えるものです。

都会的な人を見て、否かの両親を思い出したり、杜を散策している時に、浜辺をイメージしたりするような連想です。

「対極」は、類似とは逆ですが、類似と同じくらいアイディア発想には有効です。なぜなら、多くのイノベーションのアイディアは「スタイリッシュだが実用的」「高機能だがロープライス」など、対立する要素を高い次元で解消するものが多いからです。

「逆転の発想」と呼ばれるように、反対から考えることで以外な解決方法が見つかったり、思わぬ新事実を発見したりすることが良くあります。

●第4法則……因果
「因果」は、原因と想定される結果から連想する方法です。

アレックス・オズボーンは

 「古代ギリシャ人が連想の3法則を作ってから、1900年間に加えられた法則はただ一つしかない。それがヒュームの原因・結果の法則だ」

と述べています。

ヒュームは、「人間本性論」を書いたスコットランドの科学者です。
ヒュームは、人間の知覚は「印象」と「観念」の2種類しかなく、観念向上が結びついて「知覚」になると考えていました。

そして、この観念が観念を呼ぶ、いわゆる「連想」には、「類似」「時空間的近接」に加えて「因果関係」があると言ったのです。

永田豊志(著) 『発想フレームワーク55』
―――――――――――――――――――――★
http://saracompass.seesaa.net/article/438904609.html

・・・自分の手元にあるのは『創造力を生かす」アレックスオズボーン(創元社)昭和50年6版という古い本だ(初版は昭和44年)。
 上記の永田氏のオズボーンの部分が、以下の部分と重なっていることが分かる。

================
◆古代ギリシャ人は接近、類似、大賞を連想の三法則とした。接近とは、赤子の靴を見れば、赤子を思い浮かべるようなことを言い、類似とは、ライオンの絵を見れば自分の飼い猫を思い出すことを言い、対象とは、小人を見れば巨人を思うことを言った。
その後の千九百年間に加えられた法則は、ただ一つ、ヒュームの「原因結果」の法則である。これは、あくびをすればそろそろ寝る時間だと気づく、というようなものである。P70
=================

・・・オズボーン著のこの章の見出しは「連想力は記憶とイマジネーションを結ぶ」。

 前のページに以下の記載がある。
=========
◆「それで思い出した」という言葉は、イマジネーションと記憶を結び付けて一つの思考を他の思考へ導く能力ーー連想ーーという創造力を端的に表している。
 古代ギリシャ人はこれを重視した。プラトンはその著書の中でこれを盛んに論じ、アリストテレスは人間心理学の根本原理だと強調した。(P68)
===========

・・・雑多にビジネス書を見るより、古代の哲学書の方がいいのか。
 あるいは古代の哲学書は難解だから、今のビジネス書の方が頭に入りやすいのか。
 多分、新しいビジネス書の方が分かりやすい。
 しかし、元が古代の哲学書であることは承知しておきたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 03, 2019

哲学を学べば「知的生産」ができる

「1+1はいくつですか」と聞けば当たり前の答えしか返ってこない。
しかし「1+1は幸せですか」と聞けば「増えることは幸せなこと」のような答えが出てくる。

================
つまり哲学が始まるのです。

 「超・知的生産術P29 小川仁志 PHP 
================

と言う。
 これが「哲学」か。大学でさぼってたので、いまだに「哲学」がよく分からない。恥ずかしながら驚いてしまった。
 「論理的思考」を著した宇佐美寛氏の専門は「哲学」。
 プレゼンの極意はアリストテレスの「修辞学」までさかのぼる。
 「主体的・対話的・深い学び」と言われるが、「対話」はソクラテスの「問答法」にさかのぼる。 マイケルサンデル教授の「白熱教室」も「ソクラテスの問答法」を含む哲学の講義だ。

 哲学は「思考の探究」であり、「知的生産」であると小川氏は述べる。フランスの哲学者ジル・ドウルーズの言葉

◆「つねに新たな概念を創造すること、それこそが哲学の目的なのである」

を引用して

◆哲学とは自分の言葉で物事の意味(=概念)を確定していくという作業ですから、それはまさに概念の創造だといっても過言ではないと思うのです。P25

と述べている。
 そして哲学の本当のやり方と称して「質問をする」「変な質問をする」を提示し、「相手の口から真理を導きださせる」=ソクラテスメソッドが大事だと述べている。

==========
物事の本質を探究するのに求められるのは、色々な物の見方です。P32
==========

といった箇所などを読むと、向山先生が「発問の吟味」を強調されたのは、哲学的な意味=思考の訓練があったからなのだと推察できる。異次元から切り込むようなあっと驚く発問なしに、知的な授業を組み立てることはできないのだ。

例えば、「討論」はAかBかに決着をつけるためのものではない。

◆生じてくる問題を切り捨てることなく、むしろ取り込むことによって発展した答えを導こうとするロジック P57

・・・これが「ヘーゲル哲学の根幹ともいうべき弁証法」だから、向山学級の討論は極めて「弁証法」的である。

例えば、我々は大量の情報をカテゴリー別に分類するが、この「カテゴリー」はカントが提唱したのだと言う(P92)。

 十分に理解しきれていないが「哲学的思考術」として列挙された以下の10項目も、向山実践と重なりを感じるものが多い。

①透視思考(プラトンが唱えたイデアの概念)
心の目によって見えないものを見る。

②対概念思考
対になる概念を探し、二つセットで全体を見る。
「主観と客観」「理想と現実」「一と多」のように。

③媒介思考(ヘーゲルが重視した概念)
現象と原因をつなぐ隠れた媒介を見つける
どんなものも何らかの関係性や原因があって存在する
「直接性」の否定

④弁証法思考(ソクラテスからヘーゲルへ)
問題を切り捨てることなく発展させ、よりよい解決法を見出す

⑤プラグマテイズム思考(デユーイ)
前向きな妥協を見出す
うまくいけばそれが正しい

⑥逆算思考(パスカルの『パンセ』)
結果から逆算して、現状を把握したり、事態を推測したりする。

⑦比喩思考
比喩を用いることで、本質をあぶるだす。

⑧非人間中心思考
物事を人間中心に考えない
人間の感覚は相対的である。

⑨落選着目思考
なぜそれ以外ではないのか考える
論じなかったものを考えることで視野が広がる。

⑩補助線思考
一見関係ないと思われるものとつなげることで見方を変える
 P132・133

 ビジネス書の思考法・知的生産術も大半は、哲学思考そのものであると言う。フレームワークの大枠は「①構造主義パターン ②カテゴリーパターン ③問答法パターン」の三つに集約できると言う。

 哲学か。
 新しいビジネス書ばかり選ばないで、古典にも目を通さないといけない。


※追記 2011年のブログより

「実践!英語でしゃべらナイト2011年7月号」のテキスト。
 
◆ プレゼンの極意は、2300年前にギリシャでアリストテレスが「修辞学」で述べている。

とはびっくり。大学でさぼった「哲学」の領域か。


◆修辞学は公衆に向かって効果的に話し、伝える技術です。
「公衆の面前で話すこと」、つまりプレゼンテーションの極意がここにあります。アリストテレスは、公衆の面前で話すこと(プレゼンテーション)は、3つの要素(ロゴス、パトス、エトス)のバランスだと言いました。P19

 ロゴス・パトス・エトス・・・聞いたことはあるが、全く忘れていたし、本気で考えたことも、「これは使える!」などと思ったこともなかった。
 知らずにいたこと・気付かずにいたことで、これほどショックを受けたのも久しぶりだった。

 ロゴス(論理)
パトス(感情)
エトス(信頼)
の3つのバランス。

◆アリストテレスはこう言いました。「人間はとても感情的な生き物である。人を説得しようとするとき、私がどんなに論理的でも、もし感情に訴えかけることができず、自分の味方についてくれるような感情を彼らに抱かせることができなければ、その説得内容が何であれ、すべては無駄」なのだと。(P36)

・・・これは自分の正しさだけを攻撃的に主張するパッシブでは相手を説得できないと述べる「アサーション・アサーテイブ」の考えとも通じる。

◆アリストテレスはロゴス、パトス、エトスの3つのうち、エトスを最重要としました。なぜでしょう? P54

という問いに対する解説の納得。中身の濃いテキストだった。

 「エトス」の要所をメモ書きしておくと

①聴衆は最初の2分であなたを判断します。
②プレゼンで信頼感を与える最良の方法は、聴衆を一番に考えることです。
③最終的にはあなた本人が聴衆に受け入れられ、信頼されるかどうかにかかっているのです。

 自分は、これまで、ロゴス(論理)ばかり優先してきたように思う。
 だから、アサーションを知った時も反省した。
 そして、今回、聞いたことのある言葉であるにもかかわらず、パトス・エトスについて全く記憶になかった自分が、いかに独りよがりであったことかと恥じ入るばかりである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 31, 2019

大坂なおみ選手 ~思うように物事が進まなかったときでも受け入れる~

 大坂なおみ選手の全豪の決勝が土曜日だったため、土日月とたくさんのニュースをはしごして解説を聴いた。
 試合の生放送は見られなくて、ダイジェストを見たが、勝ったと分かっていても「このままズルズルと負けるんじゃないか」と心配したりもした。
 あと1手という状況から逆転されて第2セットを落として涙を流していた大坂選手。流れは圧倒的に不利だ。
 ところがトイレットブレークを終えたら、非常に落ち着いていて、第3セットはほぼ無表情。勝っても負けても淡々とプレーに徹していた。
 この時の様子をあるインタビューでは、勝ち負けを感情に出すと無駄に消耗するから、感情を表に出さないようにしたと語っていた。
 あるインタビューでは、最高の舞台で最高の選手と戦っていることに感謝して、存分に楽しもうと気持ちを切り替えたと語っていた。どちらもすごいことだ。

 さて、1月28日月)のNHKクローズアップ現代でも特集があった。
 その特集の中で一番印象に残ったというか、初耳だったワードが「マチュア」だった。

===============
武田:皆さん、本当に印象的だったと思うんですけれども、涙も流していた大坂選手が、第3セットが始まったときには全く表情が、むしろなくなって。なぜ、ああいうふうに切り替えることができたのでしょうか?

杉山さん:あそこまで短い時間で切り替えられるのは、私も今、信じられないと思うぐらい、ものすごいことなんですけど。ただやはりトイレットブレークを取ったことによって、相手のことを認めるといいますか、相手は世界一強い選手なんだ、もっと自分は謙虚になって、そして相手のいいところも、自分のいいところも全部受け入れようという、そういう気持ちでコートに戻って来れたんですね。

武田:これまではラケットを投げようとして止めるとか、そういうしぐさを見せることもあったんですけれども、何か大坂選手の気持ちを切り替えるための様子、変化は感じましたか?

杉山さん:すごく発言を聞いていても、何か受け入れることであったり、あとは負けたとしても、自分のやるべきことを全部やろうっていうふうに、なんだか考え自体、根本が変わってきたなと思うんですね。

武田:自分ができないことに怒ったり、嘆いたりするのではなくて、それを受け入れるということですね。

杉山さん:すごく難しいことだと思いますけれども、それをやってくれましたね。

田中:今おっしゃった「受け入れる」ということ、大坂選手自身も意識していたようなんです。今月(1月)21日、準々決勝を前にした会見では、自分の課題について、こんなことを言っていました。「マチュア=成熟したさま」「思うように物事が進まなかったときでも受け入れること。私はまだうまくできていないけど、とても大事なこと」というふうに言ってたんですね。

武田:まさに今、成熟しつつあるということなんですね。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4237/index.html
===================

・・・NHKの公式HPなのに、放送通りの言葉が書き起こしてあって助かった。

「マチュア=成熟したさま」
「思うように物事が進まなかったときでも受け入れること」

 なるほど、思うようにいかない時でも受け入れることが、成熟の証であり、大人の対応か。確かにラケットを投げつけて怒りを表すのは、情けない行為だ。
 一喜一憂しない。
 淡々とやるべきことをこなす。
 そのような「マチュア」の境地に自分も立ってみたい。

 大坂選手は自分を3歳児から5歳児くらいには成長したと語っていたが、あの3セット目ですっかり大人=大選手になったと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 16, 2018

プログラミング教育は、国家戦略

プログラム教育普及プロジェクト
http://csforall.jp/about/

◆私たちが大切にしているのは、プログラミング「を」学ぶのではなく、プログラミング「で」学ぶ、ということ。
国語の授業があるからといって作家になるわけではありません。
音楽の授業があるからといって作曲家になるわけではありません。同じようにプログラミングの授業があるからといってプログラマーになるわけではありません。
プログラミングを通じて論理的に考え問題を解決する力、他者と協働し、新しい価値を創造する力を育んで欲しいと考えています。

◆海外では、すでに初等教育段階で必修にしている国もあります。
 例えば、イギリス、ロシア、ハンガリー。米国もオバマ大統領が重要性を訴え、向こう3年間でプログラミング教育に40億ドル(約4400億円)を拠出することを発表しました。
プログラミングの公教育での必修化は世界的な流れになっています。

・・・ここに出てくる「オバマ大統領が重要性を訴え」は、以下のサイトで分かる。動画もある。
https://techacademy.jp/magazine/1260
https://youtu.be/6XvmhE1J9PY

 公開は2013年12月8日。まさに5年前だ。

 オバマ氏の言葉を一部抜き書きしてみる。
===================
「コンピュータ・サイエンスのスキルを身につけることは皆さん自身の未来のみならず、私たちの国の未来にとっても大事なことです。」
「アメリカという国が最先端であり続けるためには、皆さんのような若いアメリカ国民に今後の世界のあり方を変えるようなツールや技術について学んでもらわねばならないのです。」
====================

 この後に次の呼びかけがある。

「新しいビデオゲームを買うだけではなく、自分で作りましょう」
「最新のアプリをダウンロードするだけでなく、創りましょう」
「スマートフォンで遊ぶだけでなく、プログラムしてみましょう」

 何と明快で痛快なメッセージであろう。
私が印象に残ったのは

◆大統領が若者にプログラム教育の重要性=国家戦略(国家のプライド)を直接語りかけていることのすごさ、

である。
 若い世代に、直接「国家戦略」の趣意を説明することで、モチベーションを高めている。

 茂木健一郎氏の「創造する脳」に次の一節がある。
 オバマ氏と同じように「国家戦略」としてイノベーションが重要だと訴えている。

===============
明治維新以来、「坂の上の雲」を追いかけたキャッチアップの時代においては、西洋の進んだ制度を移入し、日本に根付かせる「配電盤」としての大学エリートが有効だった。今や、グローバル経済の中、模倣ではない、絶えざるイノベーションを内発的に実現していかなければ一国の経済は立ち行かない。そんな中、新しいベンチャーを興して自分もお金を儲けるとともに、日本の産業構造を変えるような人材が一国の政府としてもほしいのである。
=============

 茂木氏は「むろん、私たちは日本という国民国家のためだけに創造的であろうとするのではない。個人としてよりよく生きることが、社会としても全体の福利の向上につながる」と続けている。この補足が必要なところが、今の日本の限界かもしれない。
 日本の戦後教育では「国家の利益の追求」が語られることは少ない。国家の繁栄を願うことは「国家主義」と批判され、とかく個人の幸福の追求が優先されてきたからだ。道徳の教科化にあたり「愛国心」は執拗に批判されてきた。

 確かに、道徳教育の立場から「国家の繁栄・国家戦略」」を語るとややこしい。
 しかし、外国語教育やプログラミング教育、論理的思考力の指導の重要性を「国家戦略・世界をリードする日本」と絡めて論ずるなら、批判はかわせると思うし、子ども達が学ぶ上での趣意の説明にもなる。「何のために必要な学習か」を自覚させることは教育効果が高い。

 諸外国からの遅れを自覚し、世界をリードできる日本を教育から支えるのが、我々の仕事だ。
 最先端の教育の必要性を「国家戦略」として語れるように理論武装したい。
 そして、「日本人の気概・プライド」を子どもに語る言葉・具体的な授業実践をストックしたり、共有したりしていきたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 01, 2018

落ち着かない学級に補助に入るデメリット

「子どもの悪さを毎日家庭に連絡しても無駄」という週刊教育資料の先の論稿には続きがあって、学級に補助の先生を入れてもうまくいかない場合があると指摘している。
私もそう思う。

=======
実は、補助を入れるのは効果的な場合とそうでない場合がある。効果的なのは緊急避難的としても当座数ヶ月もてば年度末と言う場合である。
つまり、とりあえずもたせる対応策である。しかし、まだ何ヶ月もある場合には、必ずしもこの対応策は効果的とは言えない。なぜなら教師の指導力そのものが上がったわけではないからである。補助を付ければ付けるほど教師の指導力は下がり、補助がないと指導できない教師になる。
======

・・・補助に頼っているばかりでは、何の解決にもならないという」わけだ。

======
時と場合によるが、あえて補助をつけずにがんばらせる対応策も取りたい。つまり、教師の指導力そのものを上げるような対応策をとりたい。たとえば、教室が汚い説明がくどい、声が小さい、暗い、授業が単調、子どもが聞いていないのに平気で話し出すなどがある。これらを改善しない限り、いくら補助を入れても解決しないし、来年度の学級でも子どもは変わっても同じ状況になる。
=======


・・・同感である。
補助に入った先生がバリバリ指導すればするほど、子どもは「うちの担任は頼りないな」「担任はやっぱり授業が下手だな」「担任を変えて欲しいな」と不満を感じることになってしまえば、逆効果だ。
そうした子どもの冷たい反応を感じる担任は自信を喪失し、子どもに対して毅然とした態度で臨めなくなる。
担任がお手上げなら仕方ないが、何とか踏みとどまらせたいなら、バリバリ介入するのは、「余計なお世話」になりかねない。

「いや、そうは言っても犠牲になるのは子供たちだから、あのまま担任に任せるわけにはいかない」という先生もいる。
「緊急避難的措置」と認定するのであれば、それは学校全体の総意で対応しないといけない。一部の先生だけがバリバリ介入するのでは、スタンドプレーにしかならない。
子どもの前で担任にダメの烙印を押すような行為は、教師としてというよりも人として失格である。そんな傲慢な人に担任の代わりを任せるわけにはいかない。

落ち着かない学級に補助に入るには、繊細な配慮が必要だとわきまえねばならない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

家庭連絡のデメリット

 「学校の問題解決につながらない対応」という資料が手元にある。
 少々古いが「週刊教育資料」2016年7月25日号の石橋昌雄氏の論稿だ。一部を引用する。

===============
子どもの悪さを毎日家庭に連絡しても無駄

放課後になると何かにつけて、学校での子どもの問題点を毎日のように保護者に連絡してる教員がいる。「A君は、今日こんな悪さをしました。ご家庭でもご指導ください」「Bさんは、毎日ノートを忘れてきます。また友達に悪態をつくので、やめさせるように言って下さい」
(中略)
そこで私が「その連絡でが逆効果だと思いますよ。A君が学校でこんな悪いことをしたと言われても、保護者はすみませんとしかいいようがなく当惑するばかりです。学校でどんなことがあって、教師がどんな指導をしたのか、そこで家庭ではどんな指導をしてほしいのかを具体的に連絡しないと、あまり効果がありませんよ。子どもの悪さを連絡しても、保護者は100%納得はしておらず、先生の注意の仕方が悪いとか、先生の指導力がないと最後は言ってくるのです。(後略)」
=================

・・・若い先生には、トラブルなった子の様子について家庭連絡をさせているが、上記のように「学校でこんな困ったことを起こしたから、よく叱って下さい」といった上から目線にならないようアドバイスをしている。

「学校でどうしてそんな行動をしたか聞いてみたけどよく分からない。自分は〇〇が原因かと思うのだけど別の理由があるかもしれない。一度本人の気持ちを聞いていただけますか。友達同士話し合いが必要なら場をつくるし、自分の指導が悪いなら改めます」

というような「お願い」を言うように促している。
 家庭で問い詰めたときに、思わぬ理由を子どもが言い出したら、原因を決め打ちした担任は信頼を下げてしまう。目に見える問題行動は把握しているが、行動の背景にある心の動きまでは把握しきれていないと報告するのがベターである。

 いくら先生が困っていると訴えても「それが仕事でしょ」と言われたら弱い。
 家庭連絡するなら、この子のために協力してほしい・ご家庭でも悩みや怒りの中身を聞いてほしいというスタンスが必要だと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 25, 2018

AIってなあに

11月11日(土)、瑞浪市のサイエンスワールドで行われた、「AIって何だ」という講演を聴いた。
名古屋大学の北栄輔氏のお話は、参加対象の子どもたちには難しかったが、大人には丁寧で良かった。
とはいえ、知らないことの多さに反省してしまった。
(知っている人はごめんなさい)

(1)そもそも人工知能(Artificial Intelligence)という言葉が誕生したのは1956年の「ダートマス会議」。
そんな前だったのかというのが正直な感想。
weblioには、次のように記されている。

◆ダートマス会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/12 14:04 UTC 版)
ダートマス会議(英: Dartmouth Conference)は、人工知能という学術研究分野を確立した会議の通称である。
1956年7月から8月にかけて開催された。当時、ダートマス大学に在籍していたジョン・マッカーシーが主催した会議で、会議のコンセプト自体はマービン・ミンスキー、ネイサン・ロチェスター、クロード・シャノンらと共に構想した。
その会議の提案書において、人類史上初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という用語が使われたとされる。

(2)AIのブームは今回で3回目。
以下の記載が総務省のサイトにある。
=====================
ア 第一次人工知能ブーム
コンピューターによる「推論」や「探索」が可能となり、特定の問題に対して解を提示できるようになったことがブームの要因である。
冷戦下の米国では、自然言語処理による機械翻訳が特に注力された。
しかし、当時の人工知能(AI)では、迷路の解き方や定理の証明のような単純な仮説の問題を扱うことはできても、様々な要因が絡み合っているような現実社会の課題を解くことはできないことが明らかになり、一転して冬の時代を迎えた。

イ 第二次人工知能ブーム
第二次人工知能(AI)ブームは、1980年代である。
「知識」(コンピューターが推論するために必要な様々な情報を、コンピューターが認識できる形で記述したもの)を与えることで人工知能(AI)が実用可能な水準に達し、多数のエキスパートシステム(専門分野の知識を取り込んだ上で推論することで、その分野の専門家のように振る舞うプログラム)が生み出された。
日本では、政府による「第五世代コンピュータ」と名付けられた大型プロジェクトが推進された。しかし、当時はコンピューターが必要な情報を自ら収集して蓄積することはできなかったため、必要となる全ての情報について、人がコンピューターにとって理解可能なように内容を記述する必要があった。
世にある膨大な情報全てを、コンピューターが理解できるように記述して用意することは困難なため、実際に活用可能な知識量は特定の領域の情報などに限定する必要があった。こうした限界から、1995年頃から再び冬の時代を迎えた。

ウ 第三次人工知能ブーム
第三次人工知能(AI)ブームは、2000年代から現在まで続いている。
まず、現在「ビッグデータ」と呼ばれているような大量のデータを用いることで人工知能(AI)自身が知識を獲得する「機械学習」が実用化された。
次いで知識を定義する要素(特徴量11)を人工知能(AI)が自ら習得するディープラーニング(深層学習や特徴表現学習とも呼ばれる)が登場したことが、ブームの背景にある。

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h28/html/nc142120.html

===================

ムーアの法則(CPUの性能が18ヶ月で2倍になるという法則)を考えたらCPUの性能は10年後には101.6倍、15年後には1024倍だから、今はすごいことになっている。
逆に言うと1965年当時のチップは、64個のトランジスタしか搭載していなかったので、今思えば、何もできなかったに等しい。
記憶媒体だって、我々が20年前に使っていたフロッピーは現代のスマホの画像1枚も入らない容量だ。

AIが人間のように行動できないのは、「もし〇〇の場合は~する」という想定外のたくさんの現実に対応できないからだそうだ。
買い物に行って目的の物がなかったら別の商品に買ってくるといった判断も難しい。
「Aという商品が売ってなかったから何も買わずに帰ってきました」というと「子どものつかい」と批難されるが、まさに今のロボットのレベルはそんな感じだ。

人間は、たくさんのif条件の分岐処理を瞬時に判断できるが、今のAIではそこまではできない。
「鉄腕アトム」や「ドラえもん」などの想像上のロボットは第一次ブームの頃に人々を魅了したが、今なお実現は難しい。
センサーによって1つの機能に特化したロボットの性能はすごいが、人間のようにあれもこれもできて臨機応変に対応できるロビットはまだまだ先だ。

それでも、携帯電話や自動翻訳機、車の自動走行など、かつての夢物語は少しずつ現実になっている。
カーナビだって最適解のルートだけでなく、様々なルートを提示するようになった。かつては最適ルートを外れるとしつこく戻そうとしたり、フリーズすることがあったが、今はすぐに軌道修正をしてくれる。思えばすごい進化をしているのだが、その中にいると案外実感できないものだ。

2020年に間に合わせようとする動きもたくさんあるようで、実に楽しみである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 18, 2018

ダークペタゴジー 闇の教授法

「ダークペタゴジー」について、東京電機大学助教の山本宏樹氏がインタビューでまなり詳しく話している。
ぜひ、リンク先から1と2に目を通してみてほしい。
https://synodos.jp/education/19720

◆生徒を怒鳴りつけたり「保護者を呼ぶぞ」と脅迫したりといった露骨な方法だけでなく、クラスメイトが見ているなかで叱責して一罰百戒をうながしたり、学級に連帯責任を課すことでトラブルメイカーの生徒を孤立させたりなど様々なバリエーションがあります。

・・・このように定義されると、自分だってアウトとセーフの境界線にいるような気がする。

◆学校にはダークペダゴジーを引き寄せる事情があります。
まず、生徒たちのなかには、授業中に立ち歩いたり、私語をしたり、決められた服装を守らなかったりと、教員側の望むような秩序に従った行動をとらない子どもが少なからず含まれます。
もちろん校則自体がおかしい場合もあるでしょうが、それでも公式のルールである以上は教師の側に「ルール違反の取り締まり」という職務が発生し、教師たちは生徒側の抵抗を排して指導を押し通すための強権を求めがちになります。

しかも、学校には、子ども同士の間で頻繁に人権侵害や他害行為が生起するために緊急対応的な制圧行為が正当化されやすいという事情があります。
子どもたちは自生的秩序のなかでいじめ関係を形成してマイノリティ生徒に牙を剥いたり、徒党を組んで学級崩壊を引き起こしたり、派閥を作って抗争を行ったりすることがありますし、時には集団的力学のなかで一生徒が教師を圧倒する権力を保持することもあります。

・・・というあたりが、ダークな指導法が蔓延したり黙認されたりする要因。
 だからといって、ダークな指導法は許されるものではない。いきすぎた部活指導が問題になるのも、これである。

 教育新聞にも山本氏の連載があって、その7回で、教師のありようが指摘されていた。これも耳が痛い。抜粋

(1)「生徒になめられたら終わり」という生徒不信ベースの教育信念をもつ教師は、生徒に対して最初からマウンテイングを仕掛けて立場の違いをわきまさせようとする傾向にある。

・・・「アドバルンーンを叩く」の名のもとに人権侵害があってはならない。
¥
(2)体罰を受けて育った教師は、そうでない人と比べて体罰を指示する傾向を持つ

(3)子どもは相手を挑発したり、小さな問題を起こしたりして、相手の懐の広さや信頼性を測る「リミットテスト(試し行動)」を行うことがある。教師の優しい言葉掛けに耳を貸さず厳しい指導には従順になる権威主義的な子供、注意を引くために問題行動を起こし叱られることで懐くような愛着障害的特性を持つ子供も存在する。そうした子供に対応するための教育学的知識を持たない教師は、強権的指導に引き寄せられがちである。

・・・なかなか深い指摘である。
善意のある先生が、子どもを何とかよくしようと思うあまりにダークな指導法を選び、そのことを問題に気づいていないのだとしたら罪深い。

.


| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 03, 2018

映画やドラマに頼らない読書体験

読書について数回書いてきた。

文学で培う健全な批判精神
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2018/10/post-db6b.html

読書は脳の想像力を高める
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2018/10/post-0ec2.html

「読書は想像しなくてはならないから面倒」と言うとネガテイブな言い方。
「読書は想像をかきたてるから、そこがいい」と言うとポジテイブな言い方。

かつて角川書店は角川映画とリンクさせて「読んでから見るか、見てから読むか」のキャッチコピーを流していた。

学生のことは書籍のベストセラーには興味がなかったから、先に映画やテレビドラマで話題になった本を買うことが多かった。

本当は、映像を見てしまうと読書のもつ想像の力を半減させている。
先のダイアリーに書いたように、映画やドラマは、セリフ回しや表情で感情を明示するから、想像力を発揮しなくても感情理解ができることが多い。

読書してから映画を観ると、「えー、この配役か」とか「ストーリーが違う」と落胆することもあったし
映画を観てから本を読むと、映画のイメージに引きずられてしまうこともあった。

だから、本を読んで感動したら、あえて映画やテレビドラマは観ない方がいいと思うようになった。

しかし、今でも多くの子どもは、映画化やドラマ化された作品を読書のきっかけにしていると思うし、感想文を書く際にも、映画やビデオであらすじを確認していると思う。

それはそれで読書のきっかけとしてはいいと思う。
でも、いずれは、頭の中で映像を思い浮かべる楽しさ、想像することの面白さを味わってほしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧