May 03, 2018

創造性に必要な条件

 ノーベル博物館長のスヴァンテ・リンドクヴィストさんが「個人が創造性を発揮するために必要なもの」 について9つの条件」を述べている。2002年日本で開かれた「ノーベル賞100周年記念国際フォーラム」の講演録である。

①勇気 Courage
②挑戦 To challenge
③不屈の意志 Persistence
④組み合わせ To combine
⑤新たな視点 To see in a new way
⑥遊び心 Playfulness(“Homo Ludens”)
⑦偶然 Chance
⑧努力 Work
⑨瞬間的ひらめき

(田中耕一著「生涯最高の失敗」朝日新聞出版社 p85より)

 田中氏がノーベル賞を取った経緯が、この9つの条件に合致したことを語っている。真面目さと遊び(ゆとり)を併せ持たないと創造性は育まれない。

 さらに、「創造性を育む環境には、どんな特徴があるか」について10項目を挙げている(p87)。

①集中(人口密度)
②多彩な才能
③コミュニケーション
④ネットワーク
⑤インフォーマルな会合の場
⑥往来がいやすいmobirity
⑦資源
⑧自由
⑨競争(業績へのプレッシャー)
⑩カオス(組織の不安定な状態)

 田中氏は、この中で、今の日本に欠けているのは、「インフォーマルな会合」と「競争」「組織の不安定な状態」だと言う。

 これは、まさに「コンフォートゾーン」の逆だ。
 安定した居心地のよい環境は「ぬるま湯」になりやすい。様々な情報の出入りがあり、競争意識(プレッシャー)にさらされないと創造性が育まれないというのは、崖っぷちに立たされて初めて脳がフル回転することに通じているのかもしれない。
 牧歌的でのんきな環境は心地よくはあるが、創造性は育まれない、というのは、新たな発見であった。

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April 30, 2018

「努力」の名言の連想ゲーム

(1)「2倍も3倍もがんばれない」


 先日のブログで書いたに書いたイチローの言葉。
 そのダイアリーで、ノーベル化学賞の田中耕一さんの次の言葉も書いた。

(2)「120%まで積み上げる」

 これで思い出したのが、城山三郎(新潮文庫)の次のタイトル。

(3)『少しだけ、無理をして生きる』

 この「少しだけ無理をして~」は、作家の先輩である伊藤整がくれた忠告に由来する。

◆「あなたはこれから先、プロの作家としてやっていくのだから、いつも自分を少しだけ無理な状態の中に置くようにしなさい」

◆ぼんやり待っていたら何かがパッとひらめいた、じゃなくて、インスピレーションは自分で作り出すものだ。
だから、インスピレーションを生み出すように絶えず努力しなくてはならない(p85)。

とも書いている。

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 少しだけ無理をしてみる・・・これは作家に限らず、あらゆる仕事に通用するテーゼではないでしょうか。
 自分を壊すほどの激しい無理をするのではなく、少しだけ無理をして生きることで、やがて大きな実りをもたらしてくれる。知らず知らずのうちに、元の自分では考えられないほど、遠くまで行けるかもしれない。
(中略)自分がいる箱の中に安住してしまってはダメで、自分がその中にいる箱から出ていこうと、チャレンジし続けなければならない。むろん、チャレンジしたところで、作家がすぐいい作品を書けるわけじゃありません。あるいは、いい製品が作れる、いい技術が見つかるわけじゃない。けれども、チャレンジしないでいると、いつまでも箱の中にいることになる。作家として、あるいは職業人として、伸びない。先行きがない。前掲書P87
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・・・「少しだけ無理をする」は、「リスクをとる」であり「チャレンジする」であり「安住するな」である。

 「リスクをとる」で思い出したのが、PRESIDENT 2017年12月18日号で、茂木健一郎氏と「ひふみん」こと将棋の加藤一二三氏の対談の中で紹介した名言。


(4)「リスクが高い手」でないと逆転されてしまう

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 さまざまな「名言」が飛び出したひふみんとの対談だったが、私が一番「凄い」と思ったのは、次の一言である。

「将棋においては、最もいい手は、リスクが高い手なのです」

 ひふみんによると、将棋は本当にぎりぎりのところでのせめぎ合いで、リスクを取らないと局面が打開できないし、勝利することもできない。だから、リスクを取り続けることが大切だというのである。
 自分が有利だからといって、リスクを恐れて「守り」に入ると、いつの間にか盛り返されて逆転されてしまうこともあるのだという。

「だから、勇気を持って、常にリスクが高いけれども最善の手を指し続ける必要があるのです」

http://president.jp/articles/-/24317?page=2
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・・・じっとしていてはチャンスは訪れないということで、思い出したのが、英語のことわざ

(5) "A rolling stone gathers no moss"
   (転がる石に苔むさず)」

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 アメリカでは、日本で言われる「流れる水は腐らず」という意味に近くて、転がる石には苔がつかないので、いつまでも新鮮で変化に富んでいるというような、プラスのイメージで捉えています。
これはドンドン積極的に変化して、それにより良いものに変えてゆく考え方です。
 苔も汚く、いいものとは思っていないので、転がる石には苔が生えない、すなわちいつも活動的にやっていれば変なことは起こらないということです。アメリカでは、変化すること、動くこと、活動的なこと、新しいことに価値を見い出す傾向にあり、イギリスや日本のようにじっと動かないで、耐えて待つのは重要視されないようです。仕事においても、できる人ほど会社を変わり、住所も変わり、次々と新しいことに挑戦し、その都度給料も上がるという図式が成功者(アメリカン・ドリーム)です。日本では、いい会社に入って、一生そこで働くのが良いの考え方があります。

 http://jack8.at.webry.info/201208/article_2.html。
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 そうか、確かに「待ては海路の日和あり」「果報は寝て待て」のように、あえて動かないことを勧める格言もあり得る。
 しかし、チャレンジ精神・フロンテイア精神の旺盛なアメリカ的発想では、リスクをとる生き方が推奨されるようだ。

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April 10, 2018

大谷翔平は「運」も鍛えた!

Ootani


 大谷翔平選手が、大活躍ですごいことになっている。
 メジャーリーグに移籍してシーズンに入ったらすぐに投手で一勝、打者で三試合連続ホームラン。
 特集番組で、大谷選手が高校時代に書いたプランを紹介していたが、これは昨年の教材研究でも取り扱ったたので、自分にとっては馴染み深い表だった(写真は自分が再現した資料。

 私自身、「運」の書き込みが印象に残っていたが、特集番組でも、この「運」の目標を取り上げていた。

◆①あいさつ②ゴミ拾い ③部屋そうじ ⑤道具を大切に使う
⑥審判さんへの態度⑦プラス思考 ⑧応援される人になる
⑨本を読む◆


 総じて言うと「信頼されるような行動を取る」とでもなろうか。
 
 「運」についていろいろ調べてみたデータが残っている。

A クランボルツ教授「偶然を将来に生かす心がけ」

①「好奇心」 ―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
②「持続性」 ―― 失敗に屈せず、努力し続けること
③「楽観性」 ―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
④「柔軟性」 ―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
⑤「冒険心」 ―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

(参考:『その幸運は偶然ではないんです!』ジョン・D・クランボルツ、A.S.レヴィン著 ダイヤモンド社 2005)
https://doda.jp/careercompass/compassnews/20150316-12000....

B リチャード・ワイズマン博士の「運のいい人の法則 (角川文庫)」

① チャンスをのがさない。
② 自分を信じて決断する
③ 希望を持ち続ける。
④ 不運を幸運に変える。


C 横山新治「『運がよくなる人』と『運が悪くなる人』の習慣」 
① 意図的に笑う。
② 自分の責任と捉える。
③ あまり悩まない。
④ 自分で決める。
⑤ 冒険する。
⑥ 運が良いと思う。

D ビッグファイブ
① 開放性
② 誠実性
③ 外向性
④ 調和性
⑤ 安定性


中野信子「科学がつきとめた『運のいい人』」

① 具体的な目的をもつ
② 今の自分を生かす 
③ あきらめない
④ あえてリスクのある道を選ぶ
⑤ 積極的に運のいい人とかかわる
⑥ 他人のよさを素直にほめる・・・・

 運がいい人は、運がよくなるような努力を続けたのだと思う。
 その努力には「他者から助けがもらえるような自分になる努力」
も含まれる。
  また、「運がいい」と思う人は「運がいい」のだと思う。
つまり、自分の運を信じて、チャレンジしたものだけに運が巡ってくるのだ。
Big5


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March 31, 2018

本気度は、スローガンでは測れない

  市内のある学校新聞で、イチローの言葉が引用されていた。

◆「人の二倍三倍努力するのは無理」

 これは、これまで見聞きしたイチローのイメージとは違うのでググってみた。
 2016年イチローが野球大会で子供たちに語った一節だ。

===============
(前略)イチローは人の2倍も3倍も頑張っていると言う人が結構います。でも、そんなことは全くありません。
 人の2倍とか3倍頑張ることってできないよね。みんなも頑張っているからわかると思うんだけど。頑張るとしたら自分の限界…自分の限界って自分で分かるよね。その時に自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。ということを重ねていってほしいなというふうに思います。
 (中略)人との比較ではなくて、自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来、思ってもいなかった自分になっている。と僕は思うし、実際、僕だってメジャーリーガーになれると思っていなかったし、アメリカで3000本打てるなんてことは全く想像が当時できなかったんだけど、今言ったように、自分の中でちょっとだけ頑張ってきた。それを重ねてきたことで、今現在(の自分)になれたと実感しているので、今日はこの言葉をみんなに伝えたいと思います。
https://full-count.jp/2016/12/23/post54179/2/
=================^=

 いきなり目標のハードルを高く設定しても長続きしない。
 目の前のちょっと高めの目標を次々にクリアしていくことが成功の近道ということだと捉えるなら、それは「発達の最近接領域」の概念と重なってくる。
 「できるかできないか」くらいの課題レベルが有効だというものだ。
 なるほど、人の2倍3倍はがんばれないよね。この言葉によって解放されて安心できる人もいたのではないかな。
 努力しなかった人がこんな風に語っても、それは自己弁護にしかならない。
 小学校時代365日中360日は練習したと断言するイチローならではの含蓄のあるメッセージだ。
  逆に平気で「2倍3倍がんばる」と口にする人は信用ならんということでもある。

 https://retu27.com/blog-entry-629.html

  さて、このイチローの言葉とリンクするのが、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の『生涯最高の失敗』に出てくる次の言葉。P210

===============
(前略)はじめから200%をねらっても、それでは失敗ばかりしますから、もう少し手軽な、110とか120%あたりをめざしてみる。それなら、たとえ目標を達成できなくても、ちょっと高望みしたから仕方がないな、と考えることができて、あんまり落ち込まないですみます。
 ところが、120%だとたまに、できてしまうことがあります。そのような経験を積み重ねていくと、いつもまにか、120%があたりまえになります。それを繰り返していくと、120%から150%、200%へとどんどん伸びることだってできる。(後略)
===============
  
 1.2×1.2×1.2×1.2=2.0736だから、120%を4回積み重ねれば200%になるという計算でもある。
 
 この章のタイトルが「まず、120%まで積み上げる」

 はじめから200%をねらっても失敗する、という警告は、イチロー言葉と重ねて肝に銘じたいきわめて現実的なアドバイスである。

 さて、ここまでは、一般的な「努力有用論」

 ここからは、やや懐疑的な「努力有用論」。

 田中耕一さんは大学の専門が電気工学である。
 その田中さんが専門外の化学の分野でノーベル賞を取ったんだから、誰にだってチャンスがあるというのは極めて強引な理屈である。

◆私だけではなく、私のチームの五人は全員、化学の出身ではありません。同僚たちも私と同じように、化学については自力で勉強して、ひとつひとつ問題を解決していかなければならなかったのです。一方で、化学の専門家ではなかったからこそ、「分子量一万の試料のイオン化」という、当時としてはあまりに大胆な計画を立てられたのだと思います。(中略)
 私は、専門知識を持つのは、とても大切なことだと思います。私自身は、大学で電気工学を勉強しましたから、ひととおりの知識は持っているし、いまでも興味を持っています。
 仕事上の必要があって回路の設計をしたり組み立てたりするのに、専門知識はとても役立ちます。でも、もう少しべつのところでものを考えることも、私は大事にしたいのです。 (前掲書P123~124)

 これは田中さんの謙遜を含めた主張である。
 いくら化学の専門家でないとはいえ、「急速に試料の温度を上げるとイオン化できる」というもくろみに沿って毎日実験を繰り返すだけの知識とスキルがあったのだから、そこは、ド素人とはわけが違う。

 マラソン金メダリストの高橋尚子選手の「あきらめなければ夢は叶う」という言葉も要注意である。
 彼女の「あきらめなければ」の前提には、極めて過酷なトレーニングがある。
 多くの選手は、彼女と同じ練習量をこなせない。
 「あきらめない」と口にするだけでは、夢はかなわない。具体的な行動がなければ、夢はいつまでも夢のままだ。
 
 2012年12月6日放送の「カンブリア宮殿」は、カト―プレジャーグループ社長加藤友康氏の特集だった。

①渋谷で店を開く時は朝昼晩と渋谷に足を運んだ。
②うどん店(つるとんたん)を開く時には、1日に12件でうどんを食べた。
③懐石料理を1日に2.5回完食する。
④ホテルを開くために1000回はホテルに泊った。

 このような加藤氏を取材した村上龍氏は「死ぬ気でやるっていうことは具体的なことだ」と述べている。
 加藤社長が、日本一のホテルを作る自信があると言い切るのは、それだけ数多くのホテルを回っているからだ。
 店に入ったら、味の良し悪しや売上までだいたい分かると言い切るのは、それだけ数多くの店を回っているからだ。

 番組最後に、村上龍はこう述べていた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20121206.htm...

=================
 意識や理性のさらに奥にある無意識の領域まで情報を探らなければ、考え抜くという行為は成立しない。
 それは決して楽ではない。
 だから、たいていの人は「考えているつもり」というレベルで満足してしまい、画期的なアイデアなどとは無縁のまま人生を終える。
 加藤さんにとっては、「徹底的に考え抜く」のは、特別でも何でもなく、ごく自然で、当然の行為なのだろう。
 だから番組ではあえて言及しなかったのだ。
 不敗神話は、奇跡ではなく、考え抜くことによってのみ、生まれる。
=======================

 「量質変化」は、「技(わざ)化」とセットになっている、
 無意識にでも体が反応するほどに、量をこなすこと・情報を入力すること。そこに「死ぬ気で」と言われても、結局「死ぬ気で」という言葉が空虚になることが多い。

◆たいていの人は「考えているつもり」というレベルで満足してしまい、画期的なアイデアなどとは無縁のまま人生を終える。

という村上氏の言葉は、次のようにトレースできる。

◆たいていの人は「やったつもり」というレベルで満足してしまい、画期的な仕事などとは無縁のまま人生を終える。

 「人の2倍3倍努力する」「絶対にあきらめない」「死ぬ気でやる」といった言葉だけではあてにならない。
 
 「自分は50回やった」といくら自慢しても、「自分はたった100回です」と謙遜する人にはかなわない。
 
 本気度は、まさに具体的な「数」に表れる。

 むろん、いくら「一万回のルール」があるからといって、質を問わずに「1万回」という数字だけを取り上げても意味はない。
 「上達」は「量×密度」である。とにかく客観的な評価が難しいのだ。

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December 26, 2017

失敗から学ぶ

Ajimomoto

味の素の新聞広告「これ、ぜんぶ失敗作」

・グラタン「目を離したら、お料理焦げまくりの失敗」
・チーズ「気づいたら、ミルク変質してるじゃん!の失敗」
・アイスキャンデイ「飲み物を外に置きっぱなしの失敗」
・ポテトチップ「嫌がらせに、いっそ薄く切ってしまえ!な失敗」
・高野豆腐「修行中の僧侶、豆腐を外に置きっぱなしの失敗」

などなど。
https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/cm/newspaper/index.html

PDF画像はこちらから。
https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/cm/newspaper/pdf/2016_7.pdf

 元画像がポスターなので、数々の失敗エピソードの文字を読み取るのはちょっと難しいが、「肉じゃが ビーフシチューなのに、まさかのお醤油味!の失敗」の内容を見てびっくり。

◆海外で食べたビーフシチューに感銘を受けた東郷平八郎が、日本にそれを再現させたところ、似ても似つかないものに。ただし味はおいしかったため、新しい料理として広まる。

・・・東郷平八郎がこんなところで登場する。
ということは「肉じゃが」は江戸時代はなかったということか。考えてみれば牛肉料理だから確かに江戸時代っぽくないな。

 広告の締めの言葉も含蓄がある。

◆おふくろの味の肉じゃがに、子どもに人気のグラタン、精進料理の高野豆腐だって、失敗が生んだ成功作です。
 あ~失敗。努力が一瞬で無になるその瞬間、例えようもないがっかり感が私たちを襲います。人は誰でも失敗するというけれど、それでもやっぱりショックなもの。だけど声を大きくして言います。どうかそこで諦めないでください。今では定番の肉じゃがだってビーフシチューの失敗作が始まりだから。日本人らしい知恵と工夫でアレンジしたことで、まったく新しい「日本食」の誕生につながったのだから。焼いてみようか、煮込もうか。うま味をプラスしようか。本当の料理上手は、アレンジ上手。さあ、きょうも挑戦を楽しんでください。
少々失敗しても、逆転できるから料理は面白い。あなたらしい知恵と工夫で、毎日の料理づくるを楽しんで!


・・・「小三教育技術」1月号に紹介されていた授業資料だが、ぜひ使ってみたくなる。

 失敗からの発明については、ノーベル賞クラスの発明など自分も調べてみたことがある。

◆失敗から学ぶ
◆失敗を活かす
◆そもそも「失敗」と思わない

といった前向きな発想を伝えていきたい。

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October 11, 2017

ワークと遊びとストレスフル

 「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一 小学館は、示唆に富む一冊で、その中の一部に「「ワーク・ライフ・バランス」に関する部分があることは、先にも書いた。
 今回は「超AI時代の生存戦略」落合陽一 大和書房。
 引用では、うまく伝わらないので、自分の言葉でつぎはぎしてしまうことをお許しいただきたい。

(1)超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべき

 1日中仕事をしても、楽しくてしかたない人がいる。落合氏もその一人で寝るのがもったいないくらいやりたいことが山ほどあるのだと言う。
 自分の仕事を楽しんでいるタイプの人だ。
 仕事が体をむしばむかどうかは労働時間で決められるわけではない。
 落合氏は、そこで「ストレス」という言葉を使う。ストレスを感じるかどうかが大事なのだ。

◆要するに1日中「仕事」や「アクテイビテイ」に従事していても、遊びの要素を取り入れてストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいい。また、この考え方においては、ストレスのかかる私生活をすることのほうが、会社でストレスレスの長時間労働をするよりも問題で会ったりする。(P33/34)

「ドラゴン桜」でも似たような指摘があった。
 やるべき課題があるのに気分転換をしたって、気になって楽しめない。だったら、やるべき課題をきちんとやり終えた方が結局は気分がスッキリできるのだと。つまりどちらがストレスレスかを行動基準にすべきなのだ。

(2)余った時間を何に使うか。

  面倒なことや危険なことはAIやロボットがやってくれる時代が来たら、人は何をすればいいか。
 余った時間をどう活用すればいいか。

 このところ何回も出てくるワードだが、答えは「好きなことをやれ」である。

 思う存分やりたいことがある人は幸せだが、やることが見つからない人は不幸せである。
 やりたいことを仕事にして熱中できる人は毎日ストレスフリーに生きていけるが、やりたくもないことを仕事にしている人はいくら定時間労働を守ったとしてもストレスはたまる。

 やりたいことを仕事にして毎日熱中できている方が幸せに決まっている。

 落合氏は、ある対談で、秘書を雇って事務的な仕事を任せられたら、自分は今の5倍は働けると宣言し、秘書を雇うことが認められたと言う。

 ドクターXみたいに、自分の仕事以外は「いたしません」と言い切れたら、どんなにストレスフリーだろう。
 でも、ドクターXのポテンシャルを最大限生かしたいなら、誰でもできるような余分な仕事に関与させない方がいいに決まっている。そんなことは分かっているのに、ドクターXに雑務を命じようとする。
 そもそもドクターXにはマネージャーがいて、彼女自身は業務請負については全く関与していない。ただただ自分の大好きな外科手術に没頭できる環境をつくっているのだ。

 仕事と趣味が一体化しているとも言えるし、
 心の底から仕事を楽しんでいるとも言えるし、
 自分が没頭できることを仕事に選んでいるも言える。

(3)「好き」の反対は、「嫌い」ではなくて・・・

 マザーテレサの言葉が云々なんていうことは言わない。
 「好き」の反対は「嫌い」ではなくて、「無関心」。
 「好き」も「「嫌い」も関心が合ったり、関わりがあったりするから生じる意識。
 そもそも関心を持たなかったら「嫌い」という感覚すら生じないのだ。

 「嫌い」というのも、結構なエネルギーがあって、「嫌いなものを何とかしよう」という強い思いがあれば、世の中の「〇〇嫌い」ために、何か改善案をもたらすことができるかもしれない。

 だから「興味がない・関心がない」という人が一番困る。何をやろうにも取り掛かりがないし、成果をあげられないので、ストレスがたまってしまう。

 先に「好きなことをやれ」と主張したが、「嫌い」を含めれば「興味・関心のひかれるものをやれ」となる。
 
 好きなことを成し遂げるための「困難」なら、人は結構耐えられる。
 興味のないことを強いられると、たとえ1分でも耐えられない。

 人は機械と違って、気分によって作業成績が大きく左右する。
 「いい気分」で作業できるよう、自分の環境は自分できちんと調整でき子を育てていきたい。

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September 18, 2017

「ワーク」と「ライフ」と「ライフワーク」

 日本人は勤勉であるとよく言われるが、長時間労働なので、単位時間当たりの仕事量では日本人は他国に劣るとも言われる。
 また、退職まで1つの会社に勤めることが美徳とされてきたから「安定した企業」への志向も強い(強かった)。
長く勤めることが愛社精神であり、ドライに転職を繰り返す海外よりも愛社精神が強いものだと思ってきた。
 ところが、その発想と真逆の意見があった。

===================
 日本人はアメリカ人よりも愛社精神、会社に対する忠誠心が強いとよく言われますが、愛社精神に対する考え方が異なります。アメリカでは、社員は自分が会社にどんな貢献ができるか、どういう付加価値を提供できるかが重要で、会社側はその社員を最大限に活用するために最高の環境を与えます英語には「プロフェッショナリズム」という言葉があります。日本語だと「プロ精神」と訳されることがありますが、具体的には「一人前に働く人がプライドを持って、自分がその専門に対して、最善の仕事をする」という意味を含みます。アメリカでは重視される考え方で、その精神があるからこそ、今置かれた環境で全力を尽くすのです。だから働く場所は問題ではなく、自宅勤務でもきちんと働くのです。
(中略)
プロフェッショナリズムを身につけるために、社員が得意なことや今後歩みたいキャリア形成を自分でしっかり考え、もっと積極的に自分の夢を見つけて追求できる機会を企業が提供していくことが求められます。
そして、社員も将来に起こりうるキャリア変更のため、または現在の企業で自分の進路を設定するために、こんな自問をするといいでしょう。

 「自分は何をすることが好きか?」
 「自分は何に情熱を持てるか?」
 「自分は仕事の何に意味と目的を見出すか?」
 「自分は何が得意か?」

 これらに自答して、それを自分の向かうキャリアに対する展望と共に考察し、積極的に自分の長所を他人と共有していくことが必要です。

 「会社に尽くすアメリカ人、会社に居座る日本人」PRESIDENT 2015年8月17日号
http://president.jp/articles/-/16918?page=5
===================

 上記の4つの問いは、先のダイアリーで紹介した落合陽一氏の問いとよく似ている。
 その落合氏は、「ワーク」と「ライフ」を切り離せないとも述べていた。
 その流れの中で、「ワーク」と「ライフ」を割り切るのが西洋の職業観と書いたが、よくよく考えたら「ライフワーク」という言葉があったではないか。
 そして、通常、ライフワークは 「天職」「一生をかけた仕事」と訳される。
 したがって、24時間働いていたいと落合氏が主張しているのは「ライフワーク」であったのだとも解釈できる

 「ライフワーク」を検索していたら、「3つのワーク」が出てきた。
 これは、分かりやすい概念規定である。

 
(1)お金のため、ごはんを食べるために働く  [ライスワーク]
(2)その仕事が好きで働いてる        [ライクワーク]
(3)自分の使命だと思って働いてる      [ライフワーク] 


https://matome.naver.jp/odai/2139626309369150501
http://menzine.jp/job/raisuwaku5575/

 ライスワークなら、定時退社して自分の余暇を充実させればよい。
 ライクワークやライフワークは、時間を気にせずに没頭していたいのだ。熱中してやり続けている人を無理矢理、退社時間で追い出すのは合理的ではない。
 おそらくクリエイティブな仕事は「9時から5時まで」といった時間で区切ることができない。だから、場所も時間も制約しない成果主義のシステムが成り立つのだ。

◆ライクワークはモチベーションが切れると続かないのが特徴ですが、ライフワークはモチベーションを必要としません。そのかわり「やりたい」という気持ちが常にフツフツと情熱として続くため、周りからやるなといわれても気づいたらやってしまうほど、元々生まれ持った才能のようなものです。

ライフワークとは、名前のとおり「命の仕事」と考えることができ、人それぞれ違ったライフワークを身につけているため、自分オリジナルな形で周りの人に分かち合うことが出来れば、自分も他人も幸せな気持ちでいることが出来ます。

・・・ライフワークはモチベーションを必要としないと言うが、「やりたい」という気持ちがフツフツ生じる情熱こそが「モチベーション」ではないか。
 ライフとワークは切り離せないと主張する落合陽一氏は、コンピュータにないもの、コンピュータより人間に優れたものが「モチベーション」であり、これからは「モチベーション格差の時代」が来ると言う。
http://wpb.shueisha.co.jp/2017/05/25/85183/2/

 「ライフワーク」に必要なのは、「好き・得意・使命感・有用感=モチベーション」である。

 こう考えると、エドワード・デシの内発的動機付けの源と、合致する。

①自律性の欲求(自己決定したい)
②有能さの欲求(できるようになりたい)
③関係性の欲求(人間関係を築きたい)

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September 17, 2017

「好きなことをやれ」と言われて困惑する場合

 「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一著(小学館は、たくさん付箋を貼った。

 「好きなことをやれ・やりたいことをやれ」と言われても困惑する学生がいるので、次の5つの問いを勧めていると言う(P108~110)

(1)それによって誰が幸せになるのか。
(2)なぜ、いま、その問題なのか。なぜ先人はそれができなかったのか。
(3)過去の何を受け継いでそのアイデアに到達したのか。
(4)どこに行けばそれができるのか。
(5)実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか。

 この5つにまともに答えられれば、そのテーマには価値があると言う。
有用性を言語化できることは他人にも共有可能な価値になる可能性があるのだとも言う。

 ただし、誰でも簡単に到達できるスキルしか必要としないのであれば、簡単にまねをされ追いつかれてしまうともある。高いスキルが必要なのだ。

 P117~118には、別の視点からのアドバイスがある。

 大人から「好きなことを見つけろ」「やいたいことを探せ」と言われると、「僕は何が好きなんだろう」と自分の内面に目を向ける人が多いでしょう。そこからいわゆる「自分探しの旅」みたいなものが始まるわけですが、これは袋小路に行き当ってしまうことが少なくありません。
 しかし「自分が解決したいと思う小さな問題を探せ」と言われたら、どうでしょう。意識は外の世界に向かうはずです。そうやって探したときに、なぜが自分には気になって仕方がない問題があれば、それが「好きなこと」「やりたいこと」ではないでしょうか。

◆解決したい問題を発見し、「5つの問い」に答える形でそこに文脈をつけることができれば、その時点で問題の70%ぐらいは解けていると思っていいでしょう。

◆したがって、問題を探すときには、コンピュータがあることによって何が解決できるかを考えてみるのもひとつの方法。

◆これからの時代、コミュニケーションで大事なのは、語学的な正しさではなく「ロジックの正しさ」です。(中略)まずはその内容を自分の母語できちんとロジカルに話せることが大事です。

◆ロジカルな言語化能力は思考を深めていく上で欠かせませんが、それによって対人コミュニケーション能力が高まることも見逃せません(P151)

 具体例は本書を読んで納得してほしい。
 
 それにしても、ここに引用した箇所を見ると「好きなことをやる」ことがベストではないことが分かる。
 なぜなら、いくら自分の好きなことをやり通しても、そこに「ニーズ」がなければ、仕事としては成り立たないからだ。上記の5つの問いに答えられないようなアイデアでは、すでに誰かがやっているか、誰がやっても(今のところ)不可能か、誰も相手にしてくれないということになってしまう。

 「好きなことをやれ・好きなことだけやれ」というメッセージの危険さが、よく分かる。

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AIに代替されにくい職業について考える

1、インターフェイス

 オズボーン氏の論文「雇用の未来」によると、教員は、「コンピュータに代替えされにくい職業」に該当されている。

◆コンピューターに代替されにくい仕事 オズボーンの論文「雇用の未来」より

・レクリエーションセラピスト・最前線のメカニック、修理工
・緊急事態の管理監督者・メンタルヘルスと薬物利用者サポート
・聴覚医療従事者・ 作業療法士・ 義肢装具士・
ヘルスケアソーシャルワーカー ・口腔外科・ 消防監督者
・栄養士・ 施設管理者 ・ 振り付け師
・セールスエンジニア(技術営業)・ 内科医と外科医
・指導(教育)コーディネーター・心理学者・警察と探偵
歯科医師・小学校教員

・・・教員はAIにとって代わられない職業であるとして、安穏としていたが、その理由は何なのだろうか?

◆AIより人がしゃべった方が子供が安心する?
◆たくさんの子が一度に何か言った時の対応も、人間の方がうまくいく?
◆言葉では伝わらないメッセ―ジを表情から読み取るのは人間の方が得意?

 コンピュータに代替えされにくい理由を把握し、そこを伸ばしていかなければ、AIに代替えされてしまう。
そんなわけで、今漠然と考えているのが、「コミュニケーション」に近いが、もう少し限定して「子ども相手のインターフェイス」という意味である。

 「インターフェース」という用語がある。
◆通常、単にインターフェースという場合は、パソコンと周辺機器を接続するコネクタやスロット、接続する規格といった、異なる2つの機器の接続部分をいいます。
これとは別に、人間とパソコンの接点という意味もあります。

◆もともと、顔と顔を向かい合わせるということから「コミュニケーション」に近い言葉です。
しかし、段々いろんな分野で拡大使用されるに連れ、「接続」あるいは「コミュニケーション」の際の「約束事:技術:方法:接続用ハード」という風にあらゆる意味で使われてきています。

・・・調べてもよく分からないし、コンピュータ用語なんだから深く知らなくてもいいかと思っていた。
 ただ、「コミュニケーション」に近い言葉とか、「人間とパソコンの接点」というあたりが、くせもので、例えば、次の記載を読むと、無視できなくなる。

◆コンピュータよりも人間に向いている仕事は、ほかにもあります。
 たとえば銀行のATMや駅の発売機などに不便を感じたことのある人は多いでしょう。相手は人間なら要望を口で言えば対応してもらえるのに、機械の場合は複雑な操作を自分でしなければなりません。
コンピュータでも「できる」と言えばできるのですが、人間にとっていちばん好ましいインターフェイスは、やはり「人間」の場合も多いのです。
 「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一 小学館 P58

 情報を伝えるインターフェイスの部分だけを人間が担当する・・そのような職業はAIに奪われないで済むわけだ(ただし、AIの下請けという見方もできる)。
 落合氏は、例をいくつか挙げている。

◆新幹線の座席の確保は、ややこしい条件がある場合は人間が介在した方がスムーズに確保できる。
◆観光案内所も、コンピュータに教えられるより、対面で人から案内された方が心地よい。
◆ファストフード店やファミリーレストランも、どんなに自動化が進んでも、接客するインターフェイスを人間が笑顔でしてくれれば、安心して食事ができる。

 考えてみればニュースや天気予報だって、読み上げるだけなら人間である必要はない。ただし、人間の方が心地よい。特別なサービスだから別途課金してもニーズはある。

 「インターフェイス」が「AIにない人間のよさ」であるとして、他にどんなよさがあるのかをしっかり追究していきたい。
 例えば、だれでもできる単純再生産の仕事(形式知)は代替される。むしろ単純なゆえの苦痛な労働は機械の任せたほうが人間の為である。速さや正確さや持続力では人は機械に勝てない。
  一方、その人ならではのコツ・スキル・秘伝の技・匠の技など(暗黙知)は、プログラム化されない限り代替えされない。ただし、匠の技の再現などは各分野で躍起になって進められている。

2 子どものAIと、暗黙知
 
 「大人にAI 子どものAI」という言葉を知った。
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 人工知能やロボット工学の領域では「モラベックのパラドックス」という概念が言及されてきた。
 例えば数式を解くよりも、絵に何が書いてあるか判別することのほうが難しいという「大人ができる高度に知的なことよりも子供ができる簡単な運動や認識の方が、コンピュータで実現することは難しい」という常識があった。

 「誰が日本の労働力を変えるのか?」野村総合研究所 東洋経済新聞社 P81・82
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・・・「モラベックのパラドックス」については、ネットでたくさん検索できた。

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 人工知能 (AI) やロボット工学の研究者らが発見したパラドックスで、伝統的な前提に反して、高度な推論よりも感覚運動スキルの方が多くの計算資源を要するというものである。(Wiki)

一歳児のスキルが難しい

ロボット工学者のハンス・モランベックは「知能テストで大人を負かすとか、チェッカーをするといったことは、コンピュータにとってさほどむすかしくはない。だが知覚や運動といったことになると、一歳児のスキルを身につけることさえむずかしく、場合によっては不可能だ」と鋭くも見抜いた。(56ページ)

http://kocho-3.hatenablog.com/entry/2016/02/12/070710
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・・・分かるようで分からない。でもこの場合の自分の「分からなさ」をどう克服するかが「子どものAI」かもしれない。
  
◆「どうしてこんなことが分からないの?」「どうしてこんなことができないの?」と思える簡単なレベルのことを習得させることの方が難しいということは実感できる。
例えば、「1+1」が分かる子に「1+2」を教えるのは容易だが、「1+1」が分からない子に「1+1」を教えることは難しい。

◆経験の浅い先生は「何が分からないかが分からない・どうして分からないかが分からない」ことが多い。

◆通常学級の子どもより特別支援学級の子どもの方が教えるのが難しいのは、高度な内容理解より、基本的な内容の理解の方がむしろ難しいことを示している。

 あれ?
 ここまで書いてきて、それは「形式知」と「暗黙知」の違いと重なるのではないかと思えてきた。

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 暗黙知と形式知は、マイケル・ポランニーが『暗黙知の次元』で示した「知識(ナレッジ)」の認識論的な分類です。
ポランニーは、「私たちは、言葉に出来るより多くのことを知ることができる」と言い、言語などの明示的・形式的表現では伝達不可能な知を暗黙知と呼んでその存在を指摘し、言語などの明示的・形式的表現での伝達が可能な知を形式知と呼びました。

 暗黙知は、特定状況に関する個人的な知識で、形式化(言語化、データ化、情報化)したり他人に伝えたりするのが難しいものです。
 一方、形式知は明示的なもので、論理的な伝達・表現手段によって伝達することが可能なものです
(中略)
 人は運転の仕方を教習所の座学で習って知識を得ていても、始めてクルマに乗っていきなりスムーズに運転することは出来ません。実際に経験してはじめて気づくことが多いからです。特にマニュアル・シフトの操作は、事前に操作方法(形式知)を知ることは必要ですが、アクセルとクラッチとシフト・ノブを動かす微妙なタイミングと深さは、何度もエンストしてみてはじめてベストなバランスを習得できるものです。そうして習得した知識を今度新たに免許を取得しようとしている人に教えようとした場合、やはりいくら親切にアクセル、クラッチ、シフト・ノブの話をしても、新人ドライバーは一度はエンストするでしょう。言葉では伝えきれない知識があるのです。

 このように身体的運動を伴う暗黙知に関しては、いくら言語化して説明しようとしても伝えきれないものが残ります。
http://www.osamuhasegawa.com/%E6%9A%97%E9%BB%99%E7%9F%A5-%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E7%9F%A5/
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 落合氏も前掲書で次のように述べている。

◆他人にはコピーのできない暗黙知を自分の中に貯めていくことが大事。いまはインターネットで一瞬にして情報がシェアされ、世界中に拡散していく時代ですが、そういう誰でも知っている情報をたくさん持っていることには何の価値もありません。
◆いまの資本主義社会は物理的リソースではなく「人間」が最大の資本ですから、シェアできない暗黙知の持ち主が大勢いる会社が強い。(中略)専門性が低く、何でも器用に処理できる浅く広い人材のほうが、これからは人材としての価値を評価されにくいのです。

・・・ただし、通常は高度のスキルになると「暗黙知」が必要になるのだが、「子どものAI」は「子供ができる簡単な運動や認識の方が、コンピュータで実現することは難しい」 とある。
 難しくない方が難しいからこそパラドックスなので、そう考えると「子どものAI」と「暗黙知」は意味が違うことになる。

 私見で次のようにまとめてみたが、全く自信はない。

◆「モラベックのパラドックス」を含む話をしたいき、この用語が分かっている人との間なら、会話はあっという間に済む。
 しかし、この用語が分からない人と話をするには、相手が分かるように言い換えながら話をしないといけない。そのドンピシャのアドバイスや例示は、なかなかマニュアル化できない。
 相手が分かっていない状況を把握することにしたって、ちょっとした表情や言動を読み取る高度なスキルは必要にある。大学教授の講義を思い起こせばわかるように、 優れた知識をもっていることと、分かりやすく教えることとは全く別次元である。

・・・これは「子どものAI」はなく、「暗黙知」の解説だろう。
 もう、どっちでもいいのだけれど、以下のスキルが人工知能の及びにくい分野であるのならば、我々教師はそのスキルをしっかり磨いていかねばならない。

(1)「何がわからないか、相手の困り感をキャッチする」
(2)「相手の分からなさにしっかり対応して、分かりやすく教える・分かるまで教える」

3、AIの代替が難しい特徴

 「誰が日本の労働力を変えるのか?」(野村総合研究所 東洋経済新報社)では、AIの代替えが難しい職業の特徴として3つのワードを挙げられている。 P108-109

(1)「創造性」
人工知能は、知識を整理することはできても新たな抽象概念を創出することは簡単ではない。
摸倣することはできても、独創的な芸術性を習得することは難しい。

(2)「ソーシャルインテリジェンス」
他者との協調や説得、サービスなど。
人工知能は、音声や文字を認識し、その情報に基づいた最適な対応策を提示することが可能。
個人間の信頼が必要とされる場面や顧客の表情や言い淀んだ様子を考慮しながら対応を変えるような高度なコミュニケーションは不得手。

(3)「非定型」
一定のルーテインワークやマニュアルで対応できる定型業務は自動化しやすい。
作業プロセスにまとめることが難しく複雑で、臨機応変な対応や状況判断が求められる

 英国のBARCLAYS銀行が求める人材像は、「正確に処理ができる人」から「EQに優れ、顧客との会話がしっかりできる人」であり、これからはホテルのコンシェルジェのように、相手の要望に応じてサービスを提供する非定型な業務が求められているとの記述もある(P110~111)。
 このコンシェルジェというのは、前述の「インターフェイス」と同じ意味だ。

 また、トーマス・H・ダベンポート「AI時代の勝者と敗者」を引用して、デジタル労働力と共存する5つの仕事が示されている。P193~199

(1)新しいデジタル労働力を生み出す仕事
(2)デジタル労働力の上に立つ仕事
(3)デジタル労働力とビジネスをつなぐ仕事
(4)デジタル労働力でないことに意味がある仕事
   (人がやることの意味)
(5)デジタル労働力にやらせるにはコストが見合わない仕事

 あるサイトでは、人工知能やロボット時代を迎えるにあたっては、間としての強みをますます磨かなくては通用しなくなるとして、3つの「スキル」アップが必要だとあった。

(1)プランニングスキル
斬新なアイデアや逆転の発想、新しい組み合わせや思いつきなど、新しいコンセプトや枠組み作りには欠かせないスキル。
(2)マネジメントスキル
目的に導き、目標を達成させるように導く言葉や態度によるコミュニケーションのスキル。
(3)ソリューションスキル
困難から逃げずに向き合って課題解決に導くスキル。

https://andai.co.jp/new-ways-of-working/ より

 なお、日経ASOSIEの10月号では、AIに代替えされる仕事 に共通する3つの特徴が挙げられている(P80)。今後求められるスキルの真逆になっていることがよく分かる。

(1)創造性をそれほど必要としない
(2)対人コミュニケーション要素が少ない
(3)定型業務が中心

 茂木健一郎氏の『人工知能に負けない脳 ── 人間らしく働き続ける5つのスキル」では次のことが書かれている。

 人工知能の進化は私たちにとってむしろ新しいチャンスである。
 人工知能の得意な分野は人工知能にまかせて、私たちはその力を利用しながら、人間らしさが活かせる分野に活路を見いだせばいい。
 つまり、「人間にしかできないこと」「人工知能の不得意な分野」を伸ばすべき時代。
 その5つのスキルが
(1)「コミュニケーション」
(2)「身体性」
(3)「発想・アイデア」
(4)「直感・センス」
(5)「イノベーション」

 茂木氏は次のように述べている。
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茂木 人工知能は、感覚的なことができません。
例えば、おいしい、楽しい、心地よいという感覚を感動に換えるといったことはできません。
また、非典型的事例の判断も苦手です。膨大なデータをカテゴリー別にソートすることはできますが、ビッグデータに至らぬ少数事例に基づく判断などはできません。
人工知能は、データの蓄積がなければ何も判断ができません。
対して人間は、さまざまな角度から見て直感で判断することができます。
http://news.livedoor.com/article/detail/10681916/
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 人間がもつ「感覚」を大事にすること、つまり「人間力」を磨くことが最優先されるべきということになるだろうか。
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「ワーク」と「ライフ」のバランスの意味

 「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一 小学館は、示唆に富む一冊だった。
 その中の一部に「「ワーク・ライフ・バランス」に関する部分がある。

◆ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら24時間、1年365日をそれに費やしたい。(中略)ワーク・ライフ・バランスなんて考えたこともないし、その概念自体が僕には必要ありません。P164

◆ワークとライフを区別せずに「やりたいこと」をやり続ける生き方は、幸福なものではありますが、決して楽なものではありません。息抜きや遊びの時間も必要ですが、それはあくまでも自分の目的を実現するための手段のようなもの。「ライフ」の充実を「ワーク」の目的と考える生き方とは正反対です。

 「やりたい仕事に熱中するのに、バランスが関係あるか」という意味の主張であるとすれば、これは今の「ワークライフバランス」の流れに真っ向から対立するものだが、言わんとすることはよく分かる。
 やりたくない「ワーク」を強いられて、「ライフ」が削られることは、むろん避けるべきだ。それでは「社畜」と言われ絵も仕方ない。
 本当にやりたこと・楽しみたいことが「ライフ」の側にある人は、その「ライフ」のための資金を「ワーク」で賄えばいいので、バランスをとればいい。
 
 しかし、西洋的な職業観には合わないかもしれないが、「道を極める」「寝食を忘れて」という生き方もあっていいと思う。 四六時中、そのことを考えいるくらいの熱がなければ、生き残れないし、一人前にはなれないということもある。休みの日に本を読んだり、自己研さんに励んだりするのは、ごく自然な行為だ。
 
 やりたいことを「ワーク」としている人は、「ワーク」と「ライフ」と切り離せるものではない。 
 やりたくない仕事を勤務時間の範囲内で無理無理こなしている人と、楽しくて仕方ない仕事に没頭している人を同等に扱うことはできない。

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