October 14, 2021

『ごんぎつね』は、「人間と狐」だからこその悲劇

「ごんぎつね」は、「人間と狐の対比」と子供が発言したらどう思うだろうか。

「人間と狐」という対比は、「いたずらと償い」「憎しみと親しみ」「孤独と通い合い」のようなキーワード的な対比に比べれば、幼く思うかもしれない。

 

しかし、この作品の中で「人間と狐」という違いは極めて根本的で奥が深いと思う。

しょせん人間と動物だから、分かり合えるはずはないのだという諦めにも似た「両者の深い溝」を表しているからだ。

(ただし、人間と狐では言葉が通じ合うわけないのだとあまり厳格に考えると、物語の存在そのものの否定になってしまう)。

誤解によってごんが銃で撃たれてしまう結末は、本来分かり合えるはずのない2人にとっては必然であったかもしれない。

「ごんぎつね」の主題を冷ややかに考える大人バージョンで列挙すると例えば次のようなものか。

むろん、子どもにはここまで読ませようとは思わない。あくまで持ち駒だ。

 

◆他人と分かり合うというのは、実に難しいものだ。

◆他人の気持ちは分からないものだ。

◆言葉で伝えないと思いは伝わらないものだ。

 

◆人生は誤解とすれ違いの連続だ。

◆わかり合うのは難しいが、だからこそ分かり合えた時の喜びは大きい。

 

◆本当の幸せは、繋がり合うことだ。分かり合える仲間がいることだ。

◆本当の幸せは愛されることだ。

◆孤独に生き続けるくらいなら死んだ方がマシだ。

◆孤独の反対は愛だ。

◆孤独の反対は仲間だ。

◆死の危険を冒しても、己の存在は伝えたいものだ。

◆思いが伝わるなら、死んでも本望だ。

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「ごんぎつね」の解釈

「いたずら」を後悔して「つぐない」をするようになったごん。
大人が読んで気になるのは、神様のせいにされては引き合わないと不満を漏らしているところだ。

「償い」は、本来「無償」でありたい。
だが、「気づいてほしい、認められたい、感謝してほしい」と思うのが多くの人の本心だ。
現実の人間はそんなに高尚ではない。我欲を抑えるのは難しい。
「引き合わないなあ」とぼやくごんは、主役が決して純粋無垢な存在ではなかったことを示している。

◆ひっそり償っていればいいのに、気づいてほしいなんて思うから、本当に気づかれて撃たれてしまったのさ。
・・・人の心の弱さへの批判と読むのは、さすがに意地悪だ。

ただし、

◆人は、他人に認められたいという気持ちを抑えられないものだ。
・・・こんな風に考えると、人の心の弱さへの共感として読むことができる。

根拠はないが、
「他人に認められたい・評価してもらいたい」というごんの気持ちは、愛知県の田舎で代用教員をしながら執筆活動をしていた南吉の当時の心境と重なるのかもしれない。
当時の南吉が「いつか世の中に認められたい」と思っていたとすれば、「ごん」は作者自身なのだということになる。
純粋に好きな気持ちだけで童話を書いていたいが、認められたいという思いが強くなったということはないだろうか(勝手な推測に過ぎないが)。

村で代々言い伝えられる「ごん」のような存在になりたいと思う南吉の願望が込められているのだと読める。
「死んで名を残したごん」のように、後世に名を残す(作品を残す)存在でありたかったのかもしれない。

この解釈をするには、『ごんぎつね』冒頭の「わたし」の語りの部分が欠かせない。
逆に言うと、冒頭の「わたし」の語りの部分を踏まえると、こんな解釈も可能になるのだ。

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 『ごんぎつね』の主題を「分かり合える仲間」だとすると・・・

井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」(明治図書)を読んでいて、複数の記載部分がつながってきた。


(1)文学作品の「主想語」については、「幸福、平和、希望、努力、正義」などのよくある「主想語彙指導」をしておくと良い(というようなことを書いている)。p191

(2)「幸せ」や「平和」が、「不幸」や「戦争」といった暗い面を併せ持っていること(二項対立)を考えさせると良い(というようなことを書いている)。p60

(3)「孤独」の対立語として「有隣」がある。
「論語(里仁編)」の「徳不孤必有隣(徳は孤ならず必ず隣あり)」
「徳を行っていれば、決して孤立しない。いつかきっと共鳴してくれる人が現れる」という意味。
隣人・・共鳴者がいる、ということは「幸福」の条件でもある。
「孤独」というのは、この隣人の現れるまでの一時的な姿にすぎない、と「論語」は語る。p155.156


「幸せとは、共に喜びを分け合える人がいることだ」
「分かり合える隣人のいることが、本当の幸せだ」


・・・井関氏は『白いぼうし』の主想を解説する場面で「有隣」という語を持ち出したが、『ごんぎつね』の主想も、まさに、この「有隣」じゃないか。

浜上薫氏は、『ごんぎつね』のテーマを「『ひとりぼっち』からの脱却」とした。

「『ひとりぼっち』からの脱却」を言い換えると「有隣」になるのだろう。
ただし、「ひとりぼっち」を「孤独」と置き換えるほどには、「有隣」は馴染みがない。

「孤独」の反対語として「連帯」「隣人」を持ち出しても、子どもは納得しない。
提示する主想語は、「仲間」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。


「幸せとは、共に喜びを分け合える仲間がいることだ」
「分かり合える仲間のいることが、本当の幸せだ」


ごんの「幸せ」は、仲間を得ることだった。
だから、分かり合えた仲間が見つかり、うなずくラストは、もの悲しくはあるが「ハッピーエンド」なのだということになる。

ごんが銃で撃たれて死んだかどうかは不明だが、

孤独に生き続けるよりも、分かり合える仲間と出会って死ぬ方が幸せだ

と読める(孤独に生き続けるって、辛いなあ)。

モチーフに戻ると、

ごんは孤独で生き続けるよりも、たとえ命を落としても分かり合える仲間と出会う道を選んだ。

ということになる。

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October 12, 2021

『ごんぎつね』の構造は、「起承転結」ではなく「序破急」


『ごんぎつね』を起承転結の四部構造で分けようとするとうまくいかない。

◆ごんが撃たれて終わるから「転」で終わる作品。
◆ごんが撃たれて「転」、ごんがうなずいて青い煙の漂うラストの三行が「結」

なのかなと思いながらも、スッキリしなかった。
起承転結で説明しない方がいいかなとも思っていた。

三部構造といえば「序破急」がある。
歌舞伎などの構成に用いる用語で、

・出来事が起こるのが「序」
・事件が起こるのが「破」
・急転直下で結論が出るのが「急」

と理解していたが、最後の「急」は「結」に該当するのだと勝手に決めていた。

以下のサイトも参考になるが、そうと読める。「破」は「承転」、「急」は「結」と書いてある。
https://www.choeisha.com/column/column29.html

久しぶりに井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」を見て驚いた。

◆クライマックスというのは、昔から物語の真ん中あたりにあったもののようですが、だんだん、近代といってもかなり前から、日本では後ろの方に後ろの方にときてしまいましてね。一番最後にそれを持ってくるような時代が、もうずっと続いています。日本では、後ろの方に持っていくというのが、かなり前からあって、室町時代からあるんですね。能にそういうのがあります。序・破・急といって1番最後にクライマックスの頂点を持ってきて、もうそれでおしまい、というわけです。216ページ

・・・そうか、ということは、「ごんぎつね」は、無理やり「起承転結」にあてはめなくても、「序破急」の三部構造で考えればすんなりいく。
むしろ、クライマックスで終わる典型的な「序破急」のパターンの作品なのだと言ってもよいわけだ。

ただ、自分には断定する権限もないので、ここは、そういう考え方もあるということにしておこう。

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December 28, 2020

要約は総合的な表現活動である(3)

キーワードを選ぶ作業は難しいが、題名がそのままキーワード・キーフレーズになることが多いので、物語にしろ説明文にしろ、まずは題名に着目させる習慣をつけさせたい。


◆「ごんぎつね」
◆「アップとルーズで伝える」
◆「三つのお願い」
◆「初雪のふる日」


・・・主人公や題名を第1キーワードとしたら字数制限まで拡大させる。
要約なのに「字数を増やす」ことができる。

 

◆つぐないが通じず兵十に撃たれた「ごんぎつね」
◆「アップでルーズ」の違いを生かして効果的に伝える」
◆「三つのお願い」で一番大切なものは友達だと気づいたレナ
◆「初雪のふる日」に白うさぎにさらわれそうになった女の子

 

・・・第1キーワードに比べて、第2・第3キーワードは特定しにくい。

新聞では、見出しの横に小見出しがあって、記事本文の概要が分かるようになっている。
見出しが第1キーワード、小見出しが第2・第3キーワードだ。
 

題名をアレンジするという点で、かつて中学校の『故郷』の授業では、次のようにサブタイトルをつけさせたことがある。

◆「故郷~変わってしまったルントウの今と昔」
◆「故郷~変わり果てた人々と小さなのぞみ~」
 

・・・このダイアリーも「要約指導の第一歩 ~題名に注目する~」というようにサブタイトルをつけてみたので、第2キーワードが意識できる。

上記の4つの作品なら、例えば次のようになるだろうか。


◆「ごんぎつね」・・・ つぐないが通じず兵十に撃たれた狐の悲劇
◆「アップでルーズ」・・情報を効果的に伝える2つの方法
◆「三つのお願い」・・・一番大切なものは友達
◆「初雪のふる日」・・・白うさぎにさらわれそうになった女の子


・・・自分がこの作品をどう読んだか、一言でいうと何が書いてあると理解したかが、このサブタイトルに現れる。
おすすめの本の紹介のパンフなら、このようなサブタイトルをつける工夫もありだと思う。

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July 31, 2013

論理的思考=型思考

Higuti

 

 中学の二次方程式について、 数学の教科書には次のようにある。

 

(χ+3)(χー5)=0
では、X+3とXー5をかけて0になるのだから
少なくとも一方は0でなければならない。
したがって
χ+3=0 または χー5=0
χ+3=0 のとき、χ= ー3
χー5=0 のとき、χ= 5
よって、χ=-3、5

 

 「ああ、こういう論理の組み立ていいよなあ」と思う。
 義務教育で、論理的な思考(表現)が確実に教えられるのは、数学の時間なのである。

 

①もし○○ならば、△△になるはずである。したがって、□□は、▽▽である。

 

②○○なのだから、▽▽でなければならない。

 

③○○の条件を考えると、すくなくとも▽▽でなければならない。

 

といった、表現が自在に操れる子どもを育てたい。
 それは、国語や数学といった教科の範疇ではない。
 これは、全ての学問に通じる「型」の指導である。

 

 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一(集英社新書)には、次の話し方を勧めている。

 

「君の質問は3つの誤解に基づいている。第一の誤解、それは~」
「そこには、問題点が2つある。歴史的にみると~」
「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からすると反対だ」
「そもそも~とは~」
「今問題にあっているのは~」
「なぜ、そのようなことが起こっているかというと~」
「確かに~、しかし~」
など。

 

 これを「型思考」と言う。
 樋口氏は次のように書いている。(便宜上の改行あり)
===============================
 どうやらフランスの人たちは、頭の中に自分の論ができあがってから、そのように口にいるわけではなさそうなのだ。
言い換えれば、ほとんど「くせ」として、「理由は三つある」「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からのすると反対だ」などと言っているにすぎないのだ。
そして、そう言ったあとで、必死になって三つの理由や○○の面や▽▽の面の根拠を考えているのだ。
つまり、「理由は三つある」「○○の面からすると賛成だが、▽▽の面からのすると反対だ」などの「型」があって、それにあてはめて話をしているにすぎないのだ。
 知識人たちも、このような「型」が頭に刷り込まれており、それを用いて思考しているのだろう。
おそらく、知識人の用いる論理パターンというものが存在し、その「型」のなかで思考しているのだ。
だから、無駄なく緻密に思考できるのだ。
言われてみれば、リヴィエールの論理展開もサルトルの論理展開も似たところがある。
そしてそれは、子どものころから数学の証明問題のように叩き込まれてきた論理形式なのだろう。
 おそらく、フランスの人々は学校でこのような口調を身につける訓練を受け、論理的に思考する「くせ」をつけているわけだ。(P24)

 

 もちろん、「型」を守りさえすれば論理的になるわけではない。
論理矛盾や飛躍が生じることはある。
だが、少なくとも、論理的に考えるための一つの要素を満たすことにはなる。
その意味で、「型」を守ることは、論理的に思考するためには、きわめて有効だと言えるだろう。(P25)

 

 そもそも、能力のあるものが個性を発揮するのは、ある程度「型」を押しつけられて、それに反発するときではないだろうか。
初めから自由にされたのでは、何も身につかない。
(中略)「型」を応用することで、論理的に思考でき、しかも個性を鍛えることができるのだ。(P27)

 

 戦後、日本の教育界では、「型」に当てはめることが、個性を壊すとして、何よりも嫌われてきた。
作文でも絵でも、どのように書くかは指導されず、「考えていることを自由に書きなさい」「ありのままに書けば、それでよい」とされてきた。
そうして、どのように書くかのろくにしないまま、読書感想文を書かせて、本嫌いや作文嫌いを大量に生産してきた。(中略)
 だが私の言う「型」とは、出発点としての、組み立ての基準になる「型」だ。それを目的とするわけではない。このような「型」は決して、個性的な思考の妨げにはならない。(P34)
======================

 

「ごんぎつね」の「ごん」は、次のような論理を展開する。

 

①兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。
②それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。
③ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。
④だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。
⑤5そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。
⑥ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。
⑦ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。

 

・・・ごんは、前提①で推測をしている。
 しかし、兵十のおっ母が、うなぎが食べたいと言ったかどうかは分からない。
 前提①が確定できないのだから、あとは正しい論理展開になるはずがない。
 誤った①から導かれる⑥「ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう」は確証がない。

 

 そのような論理の誤りを見抜くことも含め、楽しい「型」の学習をさせられないかと思う。
 数学から学ばねばならないことが多い。

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August 31, 2011

「ごんぎつね」の正反対の解釈

 光村図書の『ごんぎつね』(4年下)は、手引きのページが面白い。
 「物語をめぐって話し合おう」というページに、3人の子どもの意見が例示してある。

 

A:ぼくは、悲しい話だったけど、「ごん」と「兵十」の心が最後に通い合ってよかったと思いました。
「兵十」が火なわじゅうを取り落としたということは「ごん」の気持ちが分かったからだと思います。

 

B:わたしは、二人の心が通い合ったとは思いません。たしかに「兵十」は、くりなどを持ってきていたのが「ごん」だとは分かったと思います。でみ、・・・・

 

C:同じ作者の「手ぶくろを買いに」という物語を読んだことがあります。これも、きつねと人間が出てくる話なのですが・・・。

 

 「何について話し合うか決める」と題して
・同じような感想
・正反対の感想や、かなりちがう感想
・ぎもんがあって解決したいこと
とある。

 

 AとBは「正反対の感想や、かなりちがう感想」の実例である。
 Bの意見が途中で切れているのは、これ以上明晰に根拠を述べたら、Bが圧倒的に有利になってしまうからかもしれない。
 Bの「二人の心は通い合ったとは思いません」は、指導する教師によっては怒りに震えてしまうような異説である。
 「そんなのへ理屈だ」
 「そんな読み方したら、せっかくの作品が台無しだ」
 「あなたの読みは、なんて冷たい読み方なの?」
などと批判を受けそうな意見を、学習の手引きが肯定的に例示しているところがすごい。
 これこそ「PISA型」なのだ。

 

 次頁には「感じ方のちがいを知る」と題して、しかも「たいせつ」と強調された枠囲みがある。

 

◆物語を読むとき、わたしたちは、登場人物のだれかと自分を重ね合わせたり、書いてあることを、自分の知っていることと経験を結び付けたりしながら読んでいます。だから、読み手が一人一人ちがうように、感じ方も十人十色なのです。
 物語を読んだら、感じたことや考えたことについて、友だちと交流しましょう。自分一人では気がつかなかったことを教えられ、物語の読み方が深くゆたかになります。また、友だちや自分自身の見方・考え方を、あらためて知ることができます。◆

 

 残念ながら、この枠囲みのメッセージの意味は伝わりにくい。
 主張は
 「感想を1つにまとめる必要はない。」
 「それぞれの感想に、どっちが正しい正しいがあるわけではない」
ということなのでは、と推測している。
 どうせ書くなら、そこまで踏み込んでほしかった。

 

 かつては、様々な意見が出るけれども、最後は1つの正しい解釈(教師の解釈)に、絞りこもうという授業が多かった。
 「そうか、自分の読みは浅かったんだ」
 「みんなと話し合って、高いレベルの読みに到達できたんだ」
という達成感を狙っていたように思う。

 

 これに対して、いわゆるPISA型の読解力は、根拠さえしっかりしていれば、どちらの意見でも構わないというスタンスである。
 この光村の学習の手引きは、明らかに「PISA対応」なのだと言える。

 

 ちなみに、「違いを知る」については、かつて以下のようにまとめたことがある(やや改変しました)。
 これは、昨年の夏期国語研修会で紹介した内容の一部でもある。

 

=============-
 国語の授業研究をしていて、ふと、キムタク主演のドラマ「CHANGE」の一場面を思い出した。
当時、自分の周りでは、ちょっと話題になったセリフだったが、いかがだったでしょうか?。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1417307774

 

木村
「以前僕は小学校の教師をやっていたんです。
去年は五年生を受け持っていたんですけど、とにかくよく喧嘩するんですよ。
でも、中には陰湿なものとかがあって、そこからいじめに繋がっちゃったりもするんですけど……。
そういう問題があったときには僕は子供たちにこういう風に言ってました。
『考えよう』って。
『クラスメートなんだから、気に入らない事とか納得できない事とかあったら、自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、相手の言うことはちゃんと聞いて、それでお互いにとことん考えよう』って。
『そうすれば……』」

 

平泉
「分かり合える。」

 

木村
「いえ、相手と自分は違うんだということに気付くんです。
同じ人間だと思っているから、ちょっと否定されただけでむかついたり、誰かが一人別行動取ったら『何だあいつ』って。
そっから喧嘩とかいじめが始まるんです。でも、同じ人間なんていないじゃないですか。
みんな考え方も事情も違う人間ですよね。
だから、僕は子供たちに自分と相手は違うんだっていうことを理解してほしかったんです。
その上で、じゃあどういう言葉を使えば、自分の気持ちが相手に伝わるのか、どうすれば相手を説得できるのか、そこを考えろって言ってきました。
外交も同じだと思うんですよ。
先程ビンガムさんがおっしゃった通り、僕たちは同盟国です。
でも、やっぱり違うんですよ。日本とアメリカは。
だからビンガムさんが思っていることとか、言いたい事があったら、全部言ってください。
僕もそうしますから。日米構造協議は今年で終わったわけじゃないですよね。
だから、これからもっともっと、とことん話し合いましょうよ。そうすれば、お互いが納得できる答えがきっと見つかると思うんです。」

 

 

・・・これは「互いに分かりあうための話し合い・結論を1つに絞るための話し合い」ではなく
「互いの意見の違いに気づき、違いを受容するための話し合い」に意義があることを示唆している。

 

◆自分の言いたい事はちゃんと相手に言って、
 相手の言うことはちゃんと聞いて、
 それでお互いにとことん考えたら
 分かり合えるのではなく
 相手と自分は違うんだということに気付く

 

 この「相手と自分は違うんだと気付く」という部分が、この回のクライマックスだったと思う。
 「話し合えば分かりあえるのではない。話し合えば違いに気付くのだ」
という発想は、多くの視聴者には意外だったと思う。
 何年も前のドラマの一節だが、印象に残っているのは、これも「PISA型だな」と感じたからだ。
=================

 

 野口型の国語の授業は、最後は教師の解釈で束ねた。
 向山型の討論の授業は、最後まで子どもに解釈を委ねた。

 

 向山型の討論の授業の先見性には、驚くばかりであったことを改めて思い出す。

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January 11, 2010

フィンランドメソッドで「ごんぎつね」の発問計画

フィンランドメソッドについての北川達夫氏の講演メモを整理していて、次のサイトにも詳しい解説があることが分かった。
 http://www.kotoba-manabi.jp/pdf/kouen_kitagawa.pdf

 

 国語教育で用いる2つの読書カードは、そのまま授業で用いる発問になる。
 このような問いを用いて、いつも物語を一人読みしているとしたら、これは思考力がつくはずだ。

 

◆2年用読書カード (1枚目)
① 主人公はだれかな?
② 主人公が直面した問題はなにかな?
③ ほかにどんな問題が起こったかな?
④ 主人公のほかに、どういう人が出てきた?
⑤ 物語の中で好きなところはどこ?
 どうして好きなのかな?
⑥ この物語を読めば答えが分かる問題を作ってみよう。

 

◆2年用読書カード (2枚目)
① 主人公はどういう人だと思う?
 物語から証拠を挙げて説明しよう。
② 主人公にききたいことはないかな?
③ 主人公に教えてあげたいことはないかな?
④ 主人公はどうやって問題を解決したかな?
⑤ 自分だったら、どうやって問題を解決する?
⑥ いろいろな解決方法を比べてみる。
 これだけでも十分感激する内容だが、まだ続く。

 

◆教科書を使って基礎技能を習得させる読解授業の展開

 

1.読前の対話
 ① 内容と知識・経験とを関連付ける活動
 ② 挿絵を「読む」
 ③ タイトル・挿絵・小見出しなどから内容を推測
2.読中の対話
 ① 内容の確認
 ② 部分理解に基づく発問
 ③ 考え・感性・価値観の比較
 ④ 次の展開の自由な推測
3.読後の対話
 ① 内容と体験とを関連付ける活動
 ② 全体理解の確認(問題・解決策の認識)
 ③ 全体理解に基づく発問
 ④ 考え,感性,価値観の比較

 

◆発問の区分
 ① 文中の一か所から答えが見つかる問い
 ② 文中の複数箇所から答えが見つかる問い
 ③ 推論を要する問い(文中に答えがない)

 

 このあたりをもう少し整理してみよう。
 まずは読書カード①②を「ごんぎつね」を想定して統合してみる。
 上記の発問区分①②③を加え、分裂しそうな部分は「話し合い」の機会とする。
「話し合い」は討論に近い形をねらっているが、解釈を1つに絞るためのものではない。
「考え・感性・価値観の比較」というのは、自分と同じ考えもあれば違う考えもあることを知る場面であるからだ。

 

ア② 主人公はだれかな?・・・・・・・・・・・・ごん
イ② 主人公のほかに、どういう人が出てきた?・・・兵十・おっかあ・村人

 

※②主人公は、ごんですか、兵十ですか?

 

ウ② 主人公は「ごん」だとして、どういうきつねだと思う?物語から証拠を挙げて説明しよう。
・・・・・・・いたずらずき・さみしがりや・本当はやさしい・ひとりぼっち
  
エ② 主人公に聞きたいことはないかな
・・・・・どうして「ぼくが栗や松茸を運んだ」って言わなかったの?
※ともだちの意見を聞いてメモしよう。
※どんな答えが予想できるか自分なりの考えを書いてみよう。

 

オ② 主人公が直面した問題はなにかな?
・・・・・兵十に悲しい思いをさせた
・・・・・兵十のおっかあにうなぎを食べさせられなかった

 

カ② ほかにどんな問題が起こったかな?
・・・・・兵十が盗人と思われてしまった。兵十に撃たれてしまった

 

※② この作品で一番大きな問題は何ですか?

 

キ② 主人公はどうやって問題を解決したかな?
・・そっと栗や松茸を届けた

 

※②③ 主人公の問題は解決したのですか、していないのですか?

 

ク③ 主人公に教えてあげたいことはないかな?
・・・・兵十のおっかあが死んだのは、ごんのせいじゃないかもしれないよ。

 

※ともだちの意見を聞いてメモしよう。

 

ケ③自分だったら、どうやって問題を解決する?

 

※ともだちの意見を聞いてメモしよう。

 

コ③ いろいろな解決方法を比べてみよう。

 

※ともだちの意見を聞いて、よりよい解決方法を考えよう。

 

サ②③ 物語の中で好きなところはどこ?
 どうして好きなのかな?

 

※自分の意見を発表し、ともだちの意見を聞いて比べてみよう。

 

シ②③「この物語から読み取れる教訓は何か」

 

ス①② この物語を読めば答えが分かる問題を作ってみよう。

 

・・・北川氏の講演記録に次の部分がある。

 

   私の提案で,フィンランドの5 年生に「スイミー」を読んでもらいました。
  その際,フィンランドの先生が考えた問題です。
  「ほかの赤い魚の兄弟たちは無個性である / 個性的である」。
   両方根拠づけることができます。みなさんも考えてみてください。

 

・・・選択的に問うことで論点が明確になり、根拠づけることでさらに文章検討が進む。
 それにしても、はっとする面白い発問だと思う(日本の5年生には難解だろう)。
 このような発問が思いつくような基盤がフィンランドメソッドにはあるということだ。
 また、次の記録がある。

 

  全体理解に直結した発問として「この物語から読み取れる教訓は何か」というのがあります。
  これが,解釈の違いで微妙に違ってくることがあります。
  先ほどお話しした「スイミー」で,日本の子どもたちにこの発問をすると, 「協力することの大切さ」などが多いですね。ところが,フィンランドの5 年生は21 人中18 人が「集団には指導者が必要だ」と言いました。
 この後,会話が続きます。「では,スイミーというのは優れた指導者だろうか,無謀な指導者だろうか」と。
 すると,「無謀な指導者」という答えが多いのです。
  「外の世界は楽しいよ,なんて軽薄な理由で,全員の命を危険にさらしたから」と。
  なるほど。そこで,日本の子どもたちはこんなふうに読むよというと,逆に彼らは「なるほど」と言うのです。確かにそれは大切だと。おもしろいですね。

 

・・・子どもたちからの様々な意見を聞く中で、さらに教師が選択的に発問し、思考を絞り込んでいる様子が分かる。話の流れに沿って、次の発問を提示するあたりは、お見事である。

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December 25, 2008

「ごんぎつね」をどう読むか

 以前『ごんぎつね』を「こそこそ償いをするから相手に通じないのだ」というようなことを書いて批判的なコメントをいただいた。
 「こそこそ」は本文中にない言葉だから、恣意的にイメージダウンをはかった言葉だと言われてもしかたない。
 したがって、今回は無理のない程度の表現で解釈をしてみる。

 

 さて新美南吉の『ごんぎつね』(小4)を読む。
 すなおに読めば「悲劇」だ。
 最後に「分かり合えた」からハッピーエンドという人もいるようだが、それは無理がある。
 銃で撃たれた後に「分かり合えた」という皮肉な結果は「ハッピー」とは言えない。
 だから、私は「悲劇」でいいと思っている。
 「悲劇」なのだから、
◆なぜ、このような悲劇が起きたのか
◆どうすれば、このような悲劇は防げたか
という形で思考を促せばいい。
 作者の願いも
「読者の皆さんは、この作品のような悲劇を起こさないように」
という警鐘だと、とらえることができる。

 

というわけで、「ごんぎつね」の悲劇の原因と教訓を探ってみる。
  ちなみに教訓として2つの方向がある。「~すべし」と「~べからず」だ。

 

(1)ごんは「いたずら」をして、兵十を怒らせたので撃たれた。
  「いたずら」は、よくない行為だからしてはいけない。
(2)兵十の母の死を自分のせいだと「思いこんだ」ため、ごんは自分から兵十に近づき撃たれた。
  よく考えてから行動しよう。「思いこみ」の行動はいけない。
(3)ごんの「謝罪」の気持ちが、兵十に通じなかったので誤解されて撃たれた。
  「謝罪」したいなら、相手に伝わるようにきちんと謝るべし。
(4)ごんは自分の償いの行為を神様のせいだと思われ「引き合わない」と感じ、「感謝されたい」と思い何度も近づいたので撃たれた。
  感謝されたいなどと「欲」を出してはいけない。
(5)動物と人間は「言葉が通じない」からから撃たれた。
  みんなは人間だから、きちんと「言葉」で意志を伝えるべし。
(6)ずばり「不如意」。
  人生は思い通りにいくとは限らないことを知るべし。
(7)「すれちがい」
  人生には「すれちがい」があることを知るべし。

 

 「~すべし」・・・・・「謝罪」「言葉」「不如意」「すれちがい」
 「~べからず」・・・「いたずら」「思いこみ」「欲」

 

・・・(7)は「すれちがいに気を付けよう」ではなく、「すれちがいは起こりうる」という意味で述べた。

 

 教訓的に読むことだけが全てではない。この7つの読みが正解だとも思ってはいない。
 ただ、教訓的な意味があるからこそ読み継がれる民話も多い。
 「ごんぎつね」は民話風なので、読み継がれ、語り継がれる意味を考えて、教訓を想定することもあっていいのだと思う。

 

 ★原典はすぐに出ないが「ごんぎつね」を低学年に読ませると「死んでいない・生き返る」として読む子が多いそうだ。生きていてほしい・死んでしまうなんて悲しすぎると思うから、生きていると信じたいのだそうだ。
 そして「ごんは死んだ」と悲劇を受け入れて読めるのが10歳前後=4年生という発達段階なのだそうだ。
 なるほどね、ごんの死を受け入れるのも発達段階の問題だったのか。
 私は、この「ごんぎつね」の結末は、作者が結末をはっきり書かないで読者に委ねる「論点回避」の手法だと思っていました。

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June 21, 2008

「償い」と『ごんぎつね』

 「償い」を考えさせる児童作品といえば『ごんぎつね』が思いうかぶ。
 小学校4年生の国語教科書の定番作品だ。
 自分のいたずらで兵十につらい思いをさせたと思いこんだ「ごん」は、償いのために栗やまつたけを送り届ける。
 残念ながら兵十はかえって盗人扱いされてしまうなど、必ずしもごんの「償い」は通じない。
 おまけに、ごんは自分の償いのみつぎ物を「神様のしわざ」と思う兵十に不満を持つ。
 ごんは自分の「償い」を伝えたかったのだろうか。
 ごんは自分の「償い」に感謝してほしかっただろうか。
 最後に兵十はみつぎ物を持ってきたごんを盗みに来たと思って銃で撃ってしまう。
 「ごめんなさい」
 「いたずらのおわびをしに来ました」
 「自分の償いのしるしを受け取ってください」
と言えない人間ときつねの間であるがゆえに起きた悲劇である。

 

相手に通じない「償い」は「償い」になりえない。 という教訓さえ感じる作品だ。

 

みなさんは言葉が通じ合えるのだから、謝罪も償いも言葉で示しましょう。

 

 そんな気にさせる作品なのである。

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