September 22, 2022

「ごんぎつね」の額縁構造 

「ごんぎつね」の額縁構造を考えると、主題も違ってくる。

◆これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。

 

 この話を語った相手が兵十や加助でないということは、長年、伝承されてきたということだ。

あれほど孤独だったごんが、死後、たくさんの世代に語り継がれる存在(愛される存在)になった。

という変化があることが分かる。

兵十との関わりで、この話を完結させてはいけない。

 

①ごんは誰とも関わらず一人で生きてきた。

②しかし最後は、兵十と関わって死んでいった。兵十にごんの思いは伝わった。

③だから、ごんはやさしいきつねとして、ずっと村人に語り継がれる存在になった。

 

「ごんが死んだ話、銃で撃たれた話」で終わらせず、「ごんは長く村人に愛される存在になった」と解釈するのが、全体の枠組みを意識した読み方だ。

ごんの思いは伝わらず、兵十に誤解されて撃たれてしまったが、ごんのやさしさは、その後もずっと長く語り継がれていった。

「死して、名を遺す」が主題にもなりえるわけだ。

「兵十は、ごんの命を奪ったが、その代わりに名誉を与えた」と言えるかもしれない。

だから、「ごんぎつね」を書いて、名を遺した新見南吉と重なるのだ。

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「ごんぎつね」セレクト

◆フィンランドメソッドで「ごんぎつね」の発問計画

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2010/01/post-55bd.html

 

◆題名から要約・題名からサブタイトル

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2020/12/post-2b4aa5.html

 

◆『ごんぎつね』の構造は「序破急」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-ff1270.html

 

◆『ごんぎつね』の構造は「無限ループ」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-ad34f2.html

 

 ◆「ごんぎつね」の解釈(1)「つぐない」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/06/post_f418.html

 

 ◆「ごんぎつね」の解釈(2)悲劇を繰り返さないための教訓読み

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/12/post-c1c4.html

 

◆『ごんぎつね』の解釈 (3)「人間と狐」だからこその悲劇

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-14fa17.html

 

◆『ごんぎつね』の解釈(4)「有隣」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-abc9be.html

 

◆「ごんぎつね」の解釈(5) 「分かってほしい」作者の投影

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2021/10/post-c57571.html

 

◆「ごんぎつね」の解釈(6) 額縁構造から読めること

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-8c786a.html

 

「ごんぎつね」の主役の検討

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-9152b8.html

 

◆「ごんぎつね」の対比の検討

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-a9dff2.html

  

◆別教材で「有隣」

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2022/09/post-1e76a5.html

 

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September 21, 2022

「ごんぎつね」の構造 ~ラストまで読んだら振り出しに戻る~

「ごんぎつね」は、「起承転結」ではなく「序破急」で考えると分かりやすいと考えたこともある。

前ばなしー起承転結ー後ばなし

で考えると、「結」も「後ばなし」もないように読める。

「教育科学国語教育」9月号No873の特集は「ごんぎつね」。
誌上座談会で、上月康弘氏(松本大学専任講師)は、次のように発言している。
多くの物語は「設定―展開―山場―終末」といった構造をとることが一般的ですが、「ごんぎつね」は、突然物語が中断され、読者は行き場を失います。「後ばなし」としての「終末」がないからです。しかし、このような一旦の読みも、再読によって更新されます。すなわち、初めの「語り」に戻ることによって、「ごんぎつねというきつねが確かに存在していたことを伝える話」として読めるのです。つまり、2度目の読みによって、「ごんぎつね」作品全体が「後ばなし」としての「終末」に位置付きます。「ごんのつぐないの話」から「兵十のつぐない話」への転回です。そして、3度目は、時間を越えて現在の「私たち」へと語り継がれてきます。このような永遠性をもつ語りのループの中で、ごんと兵十は「今」もなお「解り合い」を求めて悲しくさまよい続けています。
・・・なるほど、全部を理解したわけではないが、「後ばなし」がない作品も、再読で「前話」に戻れば、作品がひとつにつながる。
最後まで読めば、こういう経緯があって、ごんの話は今なお語り継がれているのだよということが分かり、そのまま、もう一度「ごんの話」を読み返す。
後ばなしで後日譚を説明してしまうのは「野暮」と言えるだろうか。
だから、後ばなしを加えずに、前ばなしに戻らせる。
この構造は、「大造じいさんとガン」でも同じだ。(ただし前ばなしのないバージョンもある)。
大造じいさんが囲炉の前で語った武勇伝を「お聞きください」と始まるのだから
「いかがでしたか」と後ばなしを加えてもいいが、なくてもいい。ない方がいい。
「前ばなし」があって「後ばなし」がない作品は、「黙して語らず」の美学に支えられていると考えればいい。
まだまだ、資料分析は終わらない。

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September 16, 2022

「対比」には共通点ある

ごんぎつねは、場面途中で次のようにつぶやきます。

「おれと同じ一人ぼっちか。」

これが、ごんと兵十の共通点です。

「では二人の違いは何?」と問うと

・人間と動物・友達や仲間がいる、いないなどが出るので、ベン図でまとめられます。

対比は違いを比べる手法ですが、全く違うものを比べるのは難しく、共通項(比較の基準)を持たないと比べようがありません。

「五月」と「十二月」を比べられるのは、いずれも「月だから。

「十二月」と「一月」を比べられるのは、いずれも「冬」だから。

「男子」と「女子」を比べるのは、どちらも「人間」だから

「子ども」と「大人」を比べるのは、どちらも「人間」だから

「夏休み」と「冬休み」を比べられるのは、どちらも「学校の休みきかん」だから。

・・・したがって比べるときは、

◆どちらも同じ○○だけど、違いは何?というように比べる基準(観点)意識させないと、何を比べているのか、何を列挙させているのか分からなくなってしまいます。

これは説明文で例示するとよく分かります。

「動物の赤ちゃん」「自動車くらべ」「海のかくれんぼ」

・・・どれも、このタイトルの基準に沿って、いろんな「動物の赤ちゃん」「自動車」「海の生き物」が列挙され、違いが説明されていきます。

ですから、対比の効用・対比表現・表にして内容を整理する方法は、説明文で学んでから物語に適用した方が理解がスムーズです、

「大造じいさんとがん」・・・一年目、二年目、三年目の攻略法を比べ、整理する。

「一つの花」・・・戦時中と戦後を比べ、整理する

「ごんぎつね」・・・一人ぼっちの兵十に共感する前後のごんの変化をまとめる

「やまなし」・・・「五月」と「十二月」の場面を比べ、整理する。

「説明文でやったときのように表にまとめてみよう」と取り組むことで、国語の授業に一貫性が生まれます。

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「ごんぎつね」の主役は?

『ごんぎつね』の主役は「ごん」でなく「兵十」という考え方がある。

「いたずら好きのごんが、母を亡くした兵十に共感して、心優しいごんに成長する」という構図で考えるなら、主役は「ごん」だ。

クライマックスで考えや行動がガラッと変わる人物を「主役」とすると、

(1)銃で撃たれてしまう「ごん」

(2)自分の償いがようやく兵十に伝わった(願いが実現した)「ごん」

という解釈が可能だ。

ただし

(1)火縄銃をばたりと取り落とす「兵十」

(2)ラストで償いがごんの仕業だと知る「兵十」のショック

も印象深い。

「人物の成長」という構図を考えると「ごん」を主役にし、分かりやすい主役の例として「ごんぎつね」を扱いたいところだが、実際は、そうとも言えないのだ(だから面白い)。

『大造じいさんとガン』の場合は、原題が「残雪」だったということもあり、主役がどちらかは学者の間でも議論になっている。

クライマックスをはさんで、考えがガラッと変わったのが「大造じいさん」だ。

しかし、途中で現れて、最後に去っていく人物で、しかも元々は題名になっていたとなると、「残雪」は主役として十分な重みがある。

◆『くじらぐも』の「くじら」は、子どもたちを楽しませて、去っていく。

◆『かさじぞう』の「じぞうさま」は、じさまとばさまに施しをして、去っていく。

「くじらぐも」や「かさじぞう」の感情表現はほとんどなく、作品は「子どもたち」や「じさま、ばさま」を中心に進んでいく。

それでも、題名になるくらいだから、やはり主役は「くじらぐも」や「かさじぞう」なのか。

「主役に最も影響を与える「対役」が題名になることも多い」と言ってよいなら、「かさじぞう」「くじらぐも」を対役の典型と見なすことができるが、それを言い切る自信が自分にはない。

「正解を1つに特定する必要がない」

「各自が根拠を持って意見を表明できればそれでいい」

ということで、意見が割れることを楽しみにしてはいる。

しかし、主役と対役の定義がブレるのは困るのだ。

そう考えると、主役で迷わないのは「スイミー」、「モチモチの木の豆太」、「海の命の太一」かな。

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October 14, 2021

『ごんぎつね』は、「人間と狐」だからこその悲劇

「ごんぎつね」は、「人間と狐の対比」と子供が発言したらどう思うだろうか。

「人間と狐」という対比は、「いたずらと償い」「憎しみと親しみ」「孤独と通い合い」のようなキーワード的な対比に比べれば、幼く思うかもしれない。

 

しかし、この作品の中で「人間と狐」という違いは極めて根本的で奥が深いと思う。

しょせん人間と動物だから、分かり合えるはずはないのだという諦めにも似た「両者の深い溝」を表しているからだ。

(ただし、人間と狐では言葉が通じ合うわけないのだとあまり厳格に考えると、物語の存在そのものの否定になってしまう)。

誤解によってごんが銃で撃たれてしまう結末は、本来分かり合えるはずのない2人にとっては必然であったかもしれない。

「ごんぎつね」の主題を冷ややかに考える大人バージョンで列挙すると例えば次のようなものか。

むろん、子どもにはここまで読ませようとは思わない。あくまで持ち駒だ。

 

◆他人と分かり合うというのは、実に難しいものだ。

◆他人の気持ちは分からないものだ。

◆言葉で伝えないと思いは伝わらないものだ。

 

◆人生は誤解とすれ違いの連続だ。

◆わかり合うのは難しいが、だからこそ分かり合えた時の喜びは大きい。

 

◆本当の幸せは、繋がり合うことだ。分かり合える仲間がいることだ。

◆本当の幸せは愛されることだ。

◆孤独に生き続けるくらいなら死んだ方がマシだ。

◆孤独の反対は愛だ。

◆孤独の反対は仲間だ。

◆死の危険を冒しても、己の存在は伝えたいものだ。

◆思いが伝わるなら、死んでも本望だ。

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「ごんぎつね」の解釈

「いたずら」を後悔して「つぐない」をするようになったごん。
大人が読んで気になるのは、神様のせいにされては引き合わないと不満を漏らしているところだ。

「償い」は、本来「無償」でありたい。
だが、「気づいてほしい、認められたい、感謝してほしい」と思うのが多くの人の本心だ。
現実の人間はそんなに高尚ではない。我欲を抑えるのは難しい。
「引き合わないなあ」とぼやくごんは、主役が決して純粋無垢な存在ではなかったことを示している。

◆ひっそり償っていればいいのに、気づいてほしいなんて思うから、本当に気づかれて撃たれてしまったのさ。
・・・人の心の弱さへの批判と読むのは、さすがに意地悪だ。

ただし、

◆人は、他人に認められたいという気持ちを抑えられないものだ。
・・・こんな風に考えると、人の心の弱さへの共感として読むことができる。

根拠はないが、
「他人に認められたい・評価してもらいたい」というごんの気持ちは、愛知県の田舎で代用教員をしながら執筆活動をしていた南吉の当時の心境と重なるのかもしれない。
当時の南吉が「いつか世の中に認められたい」と思っていたとすれば、「ごん」は作者自身なのだということになる。
純粋に好きな気持ちだけで童話を書いていたいが、認められたいという思いが強くなったということはないだろうか(勝手な推測に過ぎないが)。

村で代々言い伝えられる「ごん」のような存在になりたいと思う南吉の願望が込められているのだと読める。
「死んで名を残したごん」のように、後世に名を残す(作品を残す)存在でありたかったのかもしれない。

この解釈をするには、『ごんぎつね』冒頭の「わたし」の語りの部分が欠かせない。
逆に言うと、冒頭の「わたし」の語りの部分を踏まえると、こんな解釈も可能になるのだ。

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 『ごんぎつね』の主題を「分かり合える仲間」だとすると・・・

井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」(明治図書)を読んでいて、複数の記載部分がつながってきた。


(1)文学作品の「主想語」については、「幸福、平和、希望、努力、正義」などのよくある「主想語彙指導」をしておくと良い(というようなことを書いている)。p191

(2)「幸せ」や「平和」が、「不幸」や「戦争」といった暗い面を併せ持っていること(二項対立)を考えさせると良い(というようなことを書いている)。p60

(3)「孤独」の対立語として「有隣」がある。
「論語(里仁編)」の「徳不孤必有隣(徳は孤ならず必ず隣あり)」
「徳を行っていれば、決して孤立しない。いつかきっと共鳴してくれる人が現れる」という意味。
隣人・・共鳴者がいる、ということは「幸福」の条件でもある。
「孤独」というのは、この隣人の現れるまでの一時的な姿にすぎない、と「論語」は語る。p155.156


「幸せとは、共に喜びを分け合える人がいることだ」
「分かり合える隣人のいることが、本当の幸せだ」


・・・井関氏は『白いぼうし』の主想を解説する場面で「有隣」という語を持ち出したが、『ごんぎつね』の主想も、まさに、この「有隣」じゃないか。

浜上薫氏は、『ごんぎつね』のテーマを「『ひとりぼっち』からの脱却」とした。

「『ひとりぼっち』からの脱却」を言い換えると「有隣」になるのだろう。
ただし、「ひとりぼっち」を「孤独」と置き換えるほどには、「有隣」は馴染みがない。

「孤独」の反対語として「連帯」「隣人」を持ち出しても、子どもは納得しない。
提示する主想語は、「仲間」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。


「幸せとは、共に喜びを分け合える仲間がいることだ」
「分かり合える仲間のいることが、本当の幸せだ」


ごんの「幸せ」は、仲間を得ることだった。
だから、分かり合えた仲間が見つかり、うなずくラストは、もの悲しくはあるが「ハッピーエンド」なのだということになる。

ごんが銃で撃たれて死んだかどうかは不明だが、

孤独に生き続けるよりも、分かり合える仲間と出会って死ぬ方が幸せだ

と読める(孤独に生き続けるって、辛いなあ)。

モチーフに戻ると、

ごんは孤独で生き続けるよりも、たとえ命を落としても分かり合える仲間と出会う道を選んだ。

ということになる。

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October 12, 2021

『ごんぎつね』の構造は、「起承転結」ではなく「序破急」


『ごんぎつね』を起承転結の四部構造で分けようとするとうまくいかない。

◆ごんが撃たれて終わるから「転」で終わる作品。
◆ごんが撃たれて「転」、ごんがうなずいて青い煙の漂うラストの三行が「結」

なのかなと思いながらも、スッキリしなかった。
起承転結で説明しない方がいいかなとも思っていた。

三部構造といえば「序破急」がある。
歌舞伎などの構成に用いる用語で、

・出来事が起こるのが「序」
・事件が起こるのが「破」
・急転直下で結論が出るのが「急」

と理解していたが、最後の「急」は「結」に該当するのだと勝手に決めていた。

以下のサイトも参考になるが、そうと読める。「破」は「承転」、「急」は「結」と書いてある。
https://www.choeisha.com/column/column29.html

久しぶりに井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」を見て驚いた。

◆クライマックスというのは、昔から物語の真ん中あたりにあったもののようですが、だんだん、近代といってもかなり前から、日本では後ろの方に後ろの方にときてしまいましてね。一番最後にそれを持ってくるような時代が、もうずっと続いています。日本では、後ろの方に持っていくというのが、かなり前からあって、室町時代からあるんですね。能にそういうのがあります。序・破・急といって1番最後にクライマックスの頂点を持ってきて、もうそれでおしまい、というわけです。216ページ

・・・そうか、ということは、「ごんぎつね」は、無理やり「起承転結」にあてはめなくても、「序破急」の三部構造で考えればすんなりいく。
むしろ、クライマックスで終わる典型的な「序破急」のパターンの作品なのだと言ってもよいわけだ。

ただ、自分には断定する権限もないので、ここは、そういう考え方もあるということにしておこう。

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December 28, 2020

要約は総合的な表現活動である(3)

キーワードを選ぶ作業は難しいが、題名がそのままキーワード・キーフレーズになることが多いので、物語にしろ説明文にしろ、まずは題名に着目させる習慣をつけさせたい。


◆「ごんぎつね」
◆「アップとルーズで伝える」
◆「三つのお願い」
◆「初雪のふる日」


・・・主人公や題名を第1キーワードとしたら字数制限まで拡大させる。
要約なのに「字数を増やす」ことができる。

 

◆つぐないが通じず兵十に撃たれた「ごんぎつね」
◆「アップでルーズ」の違いを生かして効果的に伝える」
◆「三つのお願い」で一番大切なものは友達だと気づいたレナ
◆「初雪のふる日」に白うさぎにさらわれそうになった女の子

 

・・・第1キーワードに比べて、第2・第3キーワードは特定しにくい。

新聞では、見出しの横に小見出しがあって、記事本文の概要が分かるようになっている。
見出しが第1キーワード、小見出しが第2・第3キーワードだ。
 

題名をアレンジするという点で、かつて中学校の『故郷』の授業では、次のようにサブタイトルをつけさせたことがある。

◆「故郷~変わってしまったルントウの今と昔」
◆「故郷~変わり果てた人々と小さなのぞみ~」
 

・・・このダイアリーも「要約指導の第一歩 ~題名に注目する~」というようにサブタイトルをつけてみたので、第2キーワードが意識できる。

上記の4つの作品なら、例えば次のようになるだろうか。


◆「ごんぎつね」・・・ つぐないが通じず兵十に撃たれた狐の悲劇
◆「アップでルーズ」・・情報を効果的に伝える2つの方法
◆「三つのお願い」・・・一番大切なものは友達
◆「初雪のふる日」・・・白うさぎにさらわれそうになった女の子


・・・自分がこの作品をどう読んだか、一言でいうと何が書いてあると理解したかが、このサブタイトルに現れる。
おすすめの本の紹介のパンフなら、このようなサブタイトルをつける工夫もありだと思う。

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