November 06, 2022

道徳の思考過程 ~アウフヘーベンしようぜ~

子供は、授業する前から、そこそこ道徳的な発言をする。
たとえば、「不公平は良くないよ。差別はいけないよ」ぐらいのことは最初から分かっている。
だからこそ、
◆「では、今日からは給食は全員同じ量にします。減らすのも増やすのも禁止です。これが公平だね」と決めたらどうなるか。
◆「男女平等だからオリンピックを男女一緒にしよう」と決めたらどうなるか」
などと、子供の既成概念を打ち崩すような意見をぶつけて、深く考えさせる。
こういう否定があって、子供は初めて真剣に考える。
・・・結局、調べ足りなくて個人的な見解に過ぎないのだが、これが、ヘーゲルの弁証法だ。
Å:命題(テーゼ:正)・・・・・・・真理として提示される考え
B:反対命題(アンチテーゼ:反)・・矛盾や否定
C:統合命題(ジンテーゼ:合)・・・アンチテーゼによって示された矛盾と照らして修正されたもの。
正・反の対立を通して新しい考えに引き上げることをアウフヘーベン(止揚)と言う。
上記の場合、
「差別はいけないってみんな言うよね。でも男女差や体格差を無視したらそれもいけないよね。この矛盾を解決するにはどう考えたらいいか」について案を出し合うのだ。
「不公平や差別はダメ」といった概念に、付帯条件や例外規定を加えることになるだろうか。
これが「アウフヘーベンしようぜ!」ということだ。
◆確かに差別は良くないが、男女差や年齢差、体格差は存在する。それらの「差」によって不利益をこうむる人が出ないように、相互理解を深めることが大事だ。互いのハンディキャップを埋めるのは「差別」とは言わない。
・・・もちろん子供はこんなに整然と言わない。
また、この見解がベストでもない。
みんなで、(その学年相応でいいから)、意見を言い合って、よりよい考えを出す。
あるいは個々の最終的な見解をもつ。
「正解」はないから「納得解」を探る。
そんな授業が「議論する道徳」なのだと自分は勝手に解釈している。
※カントは「二律背反」という言葉を使う。これが同じなのかどうかは全然自信がありません。
そして「価値葛藤(モラルジレンマ)」のルーツがここにあるのかどうかも分かりませんでした。
モラルジレンマは、「安易に第三の方策を考えない」と聞いたことがあるので、真逆かもしれません。

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October 26, 2022

具体と抽象・・・エピソードと教訓

「イソップ童話集」は、「イソップ寓話集」です。岩波文庫は「イソップ寓話集」と書いてあります。

イソップ寓話には、いろんなお話があります。

◆アリときりぎりす◆うさぎとカメ◆北風と太陽◆おおかみ少

聞き慣れない言葉ですが、「寓話」とは、お話を通して教訓を伝える作品、「寓喩」を使ったお話のことです。

お話そのものが、ある教訓を伝えるための「比喩」 になっているという意味です。

「寓喩」世界大百科事典内の寓喩の言及【アレゴリー】より

すなわち,ある事物を,直接的に表現するのではなく,他の事物によって暗示的に表現する方法の意であるが,この表現方法によって創作された文学作品あるいは造形芸術作品を一般にアレゴリーと称する。寓意,寓喩,風喩ともいう。

アレゴリーとは、抽象的なことがらを具体化する表現の一つで、おもに絵画、詩文などの表現芸術の分野で駆使される。

意味としては比喩(ひゆ)に近いが日本語では寓意、もしくは寓意像と訳される。詩歌においては「諷喩」とほぼ同等の意味を持つ。

また、イソップ寓話に代表される置き換えられた象徴である。(Weblio より)

用語の定義にこだわると深みにはまるので、飛ばします。

宗教の説法などにも「例え話」がたくさんあります。

http://j-soken.jp/category/ask/ask_7/ask_7_6

・・・「○○の心がけを大事にせよ」と説かれてもピンとこないので、例え話や具体例をあげて、なるほど確かにそうだなと納得させるのが説法です。

話が上手な人は、例えがうまいのです。詐欺師も例え方がうまいのでまんまと騙されます。

兼好法師の「徒然草」も仁和寺の法師の段が「先達はあらまほしきことなり」で結んでいたりするように、「このような失敗談から我々は〇〇を学ばねばならない」と説かれた話が多いです。

道徳の授業も、事例を通して「徳目(指導内容)」を考えさせます。

「思いやりを大切にしよう」と唱和させるだけの授業は「道徳」とは言いません。

「正直が大事だね、思いやりが大事だね早合点はダメだね」

・・・イソップ寓話や日本昔話の読み方に慣れていれば、いろんなお話には、その奥に言いたいことや学べることが隠されているのだと十分理解できます(もちろんそのような奥のないお話もたくさんあります)。

 

◆よかったね、どうしてこんないい結末になったのかな?

◆あらあら残念な終わり方だったね、どうしてこんなひどい結末になったのかな?

を考えさせれば、それを「主題」と呼ぶか「教訓」と呼ぶか「自分なりの発見」と呼ぶかは別にして、作品から何かメッセージを読み取ることができます。

無理に教訓めいたものを読み取る必要もないし、教師が感じた教訓を押し付ける必要もありません。ただ、小さい頃から、「このお話から何を学べるか」という視点で本を読む習慣をつけておいて損はありません。

イソップ寓話の教訓は特定できますが、通常の物語作品の主題は1つとは限りません。

読者の人生経験なども関わってくるので、読者によって作品の受け止め方も違います。

一つの「正解」の周りには許容される解釈があり、それを鶴田清司氏は「周解」と呼びました。

そして、「周解」を超えて拡大解釈してしまうことを「曲解、誤解」と呼びました。

石原千秋氏は、学者が提唱する新たな解釈は、曲解に近いものが多いと言います。ありきたりの解釈では誰も注目しないからです。したがって、専門家である学者のトリッキーな曲解は解釈の域を逸脱しているかもしれないという冷静な判断は持っていたいです。

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October 23, 2022

問答無用? 〜Whether you like it or not〜

古い話だが、平成30年11月26日の「ラジオ英会話」の内容に感激した時の覚書がある。

◆Rika, I don’t like cleaning the classroom every day. It’s so boring.
 
 リカ、僕は毎日、教室を掃除するなんて嫌だよ。とてもつまらないし。

◆Whether you like it or not isn’t important.
 We have to do it. It’s part of being a student at this school.

 あなたがしたいかどうかなんて問題(重要)じゃないのよ。私たちはそれをしなければならない。それはこの学校の生徒であることの一部なんだから。

◆In the U.S., students don’t have to clean the classroom.
Professionals do it at night.
 アメリカでは、生徒は教室を掃除しなくてもいいんだ。専門の業者が夜やってくれるからね。

◆Well, that’s the American way, but we are in Japan.
This is the Japanese way.
 それはアメリカのやり方だけど、私たちは日本にいるのよ。これが日本のやり方なの。

Whether you like it or not あなたがそれを好きかどうかは
Japanese way 日本のやり方

https://fujiijuku.net/radio-english/2018-11-26-l156/

<op:b>「あなたが好きか嫌いかは問題ではない。」
「アメリカではどうかは関係ない」
「これが日本のやり方なんだから。」

・・・こうした言い切りができることは、すごく大事で、保護者も学級担任は、ビシッと言わないと統率が取れない。
いつでも「問答無用」では、不満を抱かせるが、ダメなものはダメ、決まりは決まりと毅然とした態度で対峙する力強はほしい。

以前は「ダメなものはダメ」と解釈した。
今は「分岐させる箇所が違うのだ」と解釈している。

◆「掃除がしたいかしたくないか」は、分岐にならない。
 分岐が必要なのは「あなたは本校の学生かどうか」である。
 そして、「本校の学生」であるならば順次処理で「掃除をする」しかない。「やる・やらない」の分岐はない。

 あるいは、分岐が必要なのは「ここはアメリカか、日本か」である。
 そして「ここが日本」であるならば順次処理で「掃除をする」しかない。「やる・やらない」の分岐はない。

分岐点を間違えてはいけない。
分岐点のすり替えにごまかされてはいけない。

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子供の意見を類型化する

討論のさまざまな意見を「類型化」することがある。
「類型化」そのものは決して目新しいワードではないが、意識していない教師も多い。

本来、指導案にある「予想される子供の反応」は類型化していくつか書かれるべきものだが、教師に類型化の自覚がないと、同じ意味なのに表現が異なるだけの意見が列挙してある。

子供の意見を板書するなら、類型化して書けばよいのに、その自覚がないと、同じような意見がずらりと並んでしまう。
発言した子供の意見を板書したりしなかったりすることに躊躇して、ほぼ同じ意見なのにずらずら全部板書してしまうケースを何度も見てきた。
発言順に板書すると、あっちのタイプだったりこっちのタイプだったりバラバラになる。
むろん、子供の意見をずらーっと板書した後で、ABCのようにタイプ分けさせる展開もあってよい。それは子供に類型化させる授業だから、それはすごく知的だ。

あるいは板書する位置を意図的に変えて、出された意見を類型化して示す授業もある。

道徳の授業で、ある人物の行動を見て心が動く主人公の心情を問うことがよくある。
この場合は類型化すると3つになる。

A 後悔「自分の行為への反省」・・過去の自分
B 感動「あの人はすごいな」・・・他者への憧れ
C 決意「これからは○○しよう」・・未来の自分

こうした3つの類型の自覚が教師にあれば、子供の発言を聞いてどのタイプが多いか、どのタイプが出ていないかで授業の組み立てを考えることができる。あるいは、あるタイプの意見が出るまで待つことができる。

いきあたりばったりの授業・思いつきの発問では、類型化できるはずがない。

類型化できるということは、正解が1つではないということだから、子供の多様な思考を促すこともできる。

気の利いた子が意見を言って、「はい、おしまい」とは違う授業が展開する。

あるいは、一見的はずれな意見の中にある、すぐれた発見を教師がうまく摘出する授業が展開する。

子供の意見を、どう予想し、どう類型化するか、授業づくりの基本として伝えていきたい。

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October 22, 2022

「道理」より「誠意」

熊本での学習会に参加した際、会場である大麻文化会館に「誠」の文字が展示されていた。

解説もあった。


大変困難な問題に遭遇したとき誠の心をもって解決に当たっときが一番強く勝利をすることができ 策略をもって勝利をしたとき勝つことはできても必ず後日には打ち返されて長い年月の間に負けることになる 大麻唯男訓
(大麻氏は玉名町出身の昭和の代議士である)

誠実に対応することの大切さを、今回の合宿で何度も何度も感じた。
やはり、相手の心を引きつける最後の決め手は、道理よりも誠意だ。

セミナーを開催すると、ついつい「戦略」を講じてしまうが、策略を立てていては、一度は人集めできても二度目はないぞと警告を受けたような思いだった。

価値ある教育活動をさらに進めたい

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「哲学を語れ」とは

「リーダーは哲学を語れ」と聞いたことがある。「哲学」という言葉を使われたが「ビジョンを語れ」とよく似ている。
この場合の「哲学」は「生き方」「信条」」といった意味合いだろうか。
学校だよりなど、さまざまな原稿を書く機会が多かったが、「○○がありました」と出来事を書くだけでは意味がないと言われた。

たしかに各校の学校新聞を読むと、名言の引用が多いが、引用個所をどう味付けするか、どう意義付けるかに、引用者の「哲学」が問われていると言ってよいだろう。

ちなみに、大人が思うほどスポーツネタは小学生にはマッチしない。

「哲学」と言われると恥ずかしいが、自分も原稿や朝会のあいさつでは、しっかり吟味して思いを伝えるようにしてきた。

普遍性のある話はいつでも言えるので、できるだけ鮮度のあるタイムリーな話題を織り交ぜることを意識してきた。

講師の先生はご自身の過去の校長だよりを紹介された。

「急施紛更をもって速効を求むべからず」

伊藤博文の言葉で、「教育は急いで結果を求めるな、水がしみこむようにじっくりと」と諫めた言葉だそうだ。
こういう言葉が引用できる「博学さ」もうらやましいと思った。


さて、自分自身の哲学について考えていて、反省すべき点が見つかった。

言葉が人の心を打つのは、経験や実践に裏打ちされた時だ。
いくら自分がイチローの言葉を引用しても、相手には響かない。しょせんは受け売りであって自分の血肉ではないからだ。

経験が足りない者の言葉は軽い。
修羅場が足りない者の言葉は説得力を欠く。

自ら成長する努力を課していない者が努力を語っても、それは薄っぺらだ。

経験を語るから、聞き手の脳裏にイメージが浮かぶ。
脳裏にイメージが浮かぶから、聞き手の心に沁みる。

「自分の哲学を語れ」は、単なる言葉の問題ではない。
借り物の熱い言葉を語れという意味ではない。
言葉の奥にある自分の生きてきた道、生き様が問われている。

「哲学を語れ」は、「懸命に生きよ」「背中で見せよ」なのだ。

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目をとじる

ある日めくりカレンダーの一言

◆怒った人は口を開いて目をとじる

現実を見ないまま、感情に任せて口を開くのが怒った人の姿か。
心したい言葉であり、今週の自分の行動を反省するにふさわしい言葉だ。

ちなみに、昨日は

◆人を動かすには真心をもって

自分の都合を押し付けても、人は動かない。
背中で示す教育をしていきたい。

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「百戦百笑」

かつて、校内作品展で6年生が書写作品を展示したとき、自分の好きな言葉を書かせていた。
「挑戦」「夢」「全国大会」などが並ぶ中、

「百戦百笑」

という言葉が目についた。

むろん、本来なら「連戦連勝」に近い意味で「百戦百勝」となるところだろう。

辞書にも「百戦百戦」はある。

しかし、ここで「百笑」。

勝っても負けても「笑って終わろう」といった意味だろうか。
当時、2学期の終業式で「NO SIDE」の話をしたが、そこに通じる奥の深い造語だと思った。

 

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October 18, 2022

世の中は往々にして、Right と Right の選択

よくある選択問題は、「正解・不正解を見極めて、正解を1つ選ぶ」。

しかし、問題の中には、「どの選択肢も内容としては正しいが、設問の条件に合うものを選ぶ」というパターンがある。

この場合イージーに「正しい答え」を選んではいけないわけだ。

楠木健氏の講演(「ストーリーとしての競争戦略」)のメモ書きが次のように残っている。

◆競争・・メダルは1つ

◆戦争・・一方が勝てば、一方は負ける

◆商売・・複数の勝者が存在する

Right と Wrong なら、Right を選ぶのは当たり前。

Right と Wrong なら、どちらかが「優先」になり、どちらかが「劣後」になる。

しかし、世の中は往々にして、Right と Right の選択。Right と Right の場合、どちらにも「一理」から簡単に決まらない。

「異なる理」のどちらをとるか、自分の判断が大事。

・・・文科省の提言する新しい価値観は、「最適解・正解がない・多様な解が存在する」と言われるから、まさに「Right と Right」 の選択が求められている。

大事なのは、「今の条件に照らした最適解はどれか」という観点を見失わない事なのだと思う。

楠木氏のメモ書きには「商売は複数の勝者が存在する」と書いたが、汎用的に言うと

「実社会は、複数の選択肢が存在する」

なのかなと思う。

※その時の楠木氏の講演内容は少し違うが、以下のような内容。

https://www.ashita-team.com/jinji-online/event-report/2988

改めて読むと、以下の部分もなるほどと思う。

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では、そもそも競争戦略とは何でしょうか。競争戦略とは実は非常に単純で、「競争相手との違いをつくる」ことです。競争戦略理論をつくったマイケル・ポーターは、「違い」には2通りあると論じました。ひとつは「Operational Effectiveness(OE)」。これはBetterという意味の違いです。つまり、AさんよりBさんの方が速く走れるのような、同じモノサシのなかで優劣を競い、違いを見出すやり方と言えるでしょう。

OEに対して、もうひとつの「違い」は、「Strategic Positioning(SP)」という戦略的位置取りです。これは「AとBは性質が異なる」というDifferentを生みだすやり方。

優劣を測るモノサシがない状態です。人にたとえるなら、男女の違い。優劣や勝ち負けで語るものではなく、違いが違いとしてあるだけですよね。

さて、今ご説明した「違いの違い」ですが、なぜ違いを区別することが大切なのでしょうか。それは、先ほどご説明した競争戦略において重要な「競争相手との違いをつくる」とは、Differentだからです。Betterかどうかは二の次。他社よりもBetterであったとしても、それは必ずしも戦略ではありません。つまり、足が速いことも大切ですが、それ以前に他の人と違うゴールに向かって走るようなDifferentの方がもっと重要なのです。

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道徳の授業は、そこから始まるのに・・。

1年生の道徳の授業を参観したことがある。。

最後に家族に感謝のお手紙を書かせる授業だった。

しかし、「別にママに何もしてもらっていない」という子がいて、戸惑ってしまったと授業者は反省していた。

「いやいや、そこからが授業じゃないか」

「別に感謝されるようなことはされていない」と子どもが思っているからこそ、授業の意味がある。

子どもは、狭い世界を生きているから知らないこと・気づいていないことが多い。

だから、見えていない世界・気づいていない世界を示して、視野を広げるのが授業の役目だ。

◆みんなが寝ている間、お母さんは何をしていると思う?

◆みんなが学校に行っている間、お母さんは何をしていると思う?

とみんなが見えていない時間の行動を想像させてもいい。

◆朝起きたら朝ごはんが出てきた。これは誰が準備したの?

◆みんな洋服を来て登校します。これは誰が洗濯したの?

◆熱が出たので、病院に行きます。誰が連れて行ってくれる?

と、ふだんの生活を順に想起させてもいい。

たとえ、ママ1人でなくても、家族みんなで分担していればかまわない。

日常生活をしていて、1年生が誰の何の世話も受けていないはずがない。

それは知らないだけ、気付いていないだけ、見えていないだけだ。

授業は、見えていないものを見せてやるように仕組めばいい。それが授業の準備。

「そういう考えの子がいるんだ」と授業中に気づいていては遅い。

それに、そこは戸惑うところではなく、「よし、意識を変えさせてやるぞ」と意気込むところだ。

そういう子もいると思って、事前に手を打つことが大事。

それが授業の準備。

この先生は、授業中、家族の行動を具体的に挙げなかった。

子どもが「別にない」と反応したのは、そうした情報提示の不足によるものだと思う。

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