January 21, 2022

子どもの誤答を考える。

1年生のクラスの算数の授業を見ていたら、「10が5つと、1が6つでいくつでしょう」で困っている子がいた。

「10円が5個あったら、いくらかな?」

「15円」

・・・そうか、そう考えるか。

「10円が1個で10円、2個で20円、3個で30円だぞ」という説明で押し切って「50」を引っ張り出す。

「同じように考えたら、1が6つあるんだから6だな」と言うと

「じゃあ、1はどこにいったの?」

と怪訝な顔をする。

・・そうか、そう考えるか。

「単位の1」という概念が希薄だから「1が6つ」という表記の意味が理解しきれていないのだ。

でも、これは数学的な思考の混乱ではなく、国語的な表記の混乱かもしれない。

 

A「1と6でいくつでしょう」・・・7

B「1が6こでいくつでしょう」・・6

 

「1が6こ」という表記を、数字と数字だと読み取っていると、「1はどこへいったの?」ということになる。

 

同様に「10が5個で15」という解答も

 

A「10と5でいくつでしょう」・・・15

B「10が5こでいくつでしょう」・・50

 

という国語的な表記の混乱なのかもしれないのだ。

子どもにとってABはよく似ているし、Aの足し算の表記に慣れているので、単位量を表すBで読み誤るのかもしれない。

「10が5こ、1が6こ」は数概念の基本だが、奥が深く、困っている子もいるのだということを教師が想定する必要がある。

 

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December 28, 2021

国語の発問づくりは3段階ある。

国語の発問づくりを石原千秋の「大学受験のための小説講義」(ちくま新書)を重ねてみると、新たな発見があった。

「大学受験の小説講義」は、何度も読み返しすのだが、全然身に付いていないことが分かって愕然とした。

テキストを読めばすぐに答えられる問いもあれば、どうやっても答えようもない問いがある

という流れを受けて、次のような記述がある(P176から177)。

◆すぐれた小説の読者は、「なかなか答えられない問い」をテキストに巧妙に仕掛けていくものだ。もちろん、「なかなか答えられない問い」は「まったく答えられない問い」ではない。考えようによっては答えることの出来る問いなのである。そして、それに答えることによってテクストはより深く読みこまれる。そういうレベルにある問いだ。

・・・この「小説の読者」は「教師」に置き換えられる。
教師の役割を次のように考えた。

「①テキストを読めばすぐに答えられる問い」を布石にしながら
「②なかなか答えられない問い」をメインに持ってくる。
そして、子どもたちから列挙される「③まったく答えられない問い」は、適当にスルーして授業の進行をリードする。
教師の発問に答えさせることによって、テクストはより深く読みこまれる。

 石原氏は、次のように言う。
「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る読者がすぐれた読者だ」

・・・子どもたちが「すぐれた読者」になることが望ましいが、まずは、教師が先だ。

 次のように置き換えられる。

★「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る教師がすぐれた教師だ」★

 ただし、教師は「すぐれた読者」で終わるわけにはいかない。
 石原氏は次のように言う。

ただし、研究者は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、一般の読者と同じレベルの読み込みしかできないからだ。研究者にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた問いだと言えるだろうか。

・・・高段者の先生の授業で驚くには、その発問の見事さである。
 ということは、「研究者」は「教師」に置き換えられる。
 念のためトレースして提示する。

★ただし、教師は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、子どもと同じレベルの読み込みしかできないからだ。教師にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた発問だと言えるだろうか。

・・・先に示した教師の役割が次のように変更できる。

①「テキストを読めばすぐに答えられる問い」でホップ
②「なかなか答えられない問い」でステップ
③「まったく答えようのない問い」に近づいてジャンプ

・・・「まったく答えようのない問い」に近づいた問いについて、石原氏は次のように言う。

それはほとんど「誤読」に近いが、「誤読」に少しでも触れる冒険を経験しないような読みは、研究者にとっては読みの名に値しない。研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

・・・この「研究者」を「教師」に置き換えるつもりでチャレンジしていきたい。

★テクストの可能性を限界まで引き出し、子どもの読みの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

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November 29, 2021

「パラグラフ」と「段落」は違う!

パラグラフと段落は別だとの指摘がある。

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次に掲げるのは、本節冒頭の文章です。

パラグラフはふつう「段落」と訳されますが、段落とは似て非なるものです。
すなわち、日本で段落といえば、通常は「長い文章を、短く適当な長さにまとめた区切り」といった意味に理解されていますが、パラグラフは、そのような形式的なものではないのです。
パラグラフは、「1つのトピックを取り扱う、議論の最も小さなまとまり」と定義できます。トピックとは、そのパラグラフで取り扱う話題・論題のことであり、このようなトピックがさまざまに組み合わされることで、議論が作られ
ていくわけです。


太字の部分がトピックセンテンスで、そのパラグラフでの主張が述べられています。続くサブセンテンスでは、トピックセンテンスの主張が具体的に説明されています。
このような構造を持ったパラグラフを作るように心がければ、だれでもわかりやすい文章を作ることができるのです。

https://www.kansaiu.ac.jp/ctl/labo/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%EF%BC%88%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%AF%87%EF%BC%89%E3%80%90%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88%E3%80%91.pdf

「関西大学教育推進部監修 レポートの書き方ガイド基礎編」

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以下の解説も、非常に分かりやすい。


◆2.2.パラグラフの作り方
トピックセンテンスとサブセンテンス
パラグラフは、トピックセンテンスとサブセンテンスという2つの部分から構成されます。パラグラフを作るときは、まずトピックセンテンス を述べ、 それに続けてサブセンテンスを述べていきます。
トピックセンテンスとは、そのパラグラフで主張されるトピックを端的に説明した文章のことです。これに対して、サブセンテンスは、トピックセンテンスの主張を支える部分で、さまざまな役割を
持つセンテンスが組み合わされます。サブセンテンスの役割は、主に次のようなものです。

①トピックセンテンスの主張を、さらに詳しく説明する。
②トピックセンテンスの主張の根拠を示す。
③トピックセンテンスの主張の具体例を挙げる。

・・・・パラグラフ構造を意識した文章出なければ、トピックセンテンスを抽出するのは難しい。
とりわけ教科書教材で、教科書批判は避けたいとことろなので、「リライト」という視点で、よりよい改善を試みることを強調したい。

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November 16, 2021

算数の文章問題でつまずかないために(2) ~立式のロジックに合わせる~

(1)

はじめに、子どもが24人あそんでいました。
そこへ、友だちが来ました。
みんなで35人になりました。
友だちは何人来ましたか?
   (「わくわく算数」啓林館 2年上P66)

 

「はじめーなかーおわり」の構造で考えたとき、問うている数は「中」だ。


①はじめに、 24人 いた。
②とちゅうで、何人か 来た(増えた)。
③全部で、  35人 になった。


②で何人来たのかを解くための【前提】は、【足し算で求めるか、引き算で求めるか】が判断できることだ。


24+何人=35

となる場合、35-24の引き算であると理解できるのは、さすがに国語ではなく算数の判断力だろうか。

 

(2)
48円の鉛筆と58円の消しゴムがあります。
消しゴムを買います。
100円出すと、おつりは何円ですか?
          (2年下p116)

単純化すると、たとえば次のようになる。

①58円の消しゴムを買う。
②100円出す。
③「おつりは何円か?

しかし、文章の流れに逆らって、立式のロジックに合わせるなら、「はじめ」は持っているお金の方がいい。

①はじめ、  100円 もっている。
②とちゅうで、 58円 使う。
③最後に、    何円 残るか?  

こうすると、

100-58=何円

という式の流れと同じになる。 

問題文を立式のロジックに合わせて、リライトする。

こちらは算数ではなく読解力の範疇だろうか。     

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算数の文章問題でつまずかないために(1) ~構造を読む~

(1)

赤いリボンと青いリボンがあります。
赤いリボンは青いリボンより10㎝みじかいそうです。
赤いリボンの長さは30㎝です。
青いリボンは何㎝ですか?
「わくわく算数2下(啓林館)P60

イラストで「だいち君」が「どちらが長いのかな」と問うている。

どちらが長いかはちゃんと書いてある。

しかし、それでも読み取れない子が、どのクラスにもいる。

そして、10㎝を足すのか引くのか、よく分からなくなる子がどのクラスにもいる。

前半「赤いリボンは~」と2つ続くが、最後に求めるのは「青いリボン」の長さ。

「赤は青より10㎝短い」を「青は赤より10㎝長い」に変換しないと、青を求める式をつくれない。

手順を追った読みとりが肝心だと思う。

 

(0)前提  赤いリボンと青いリボンがある。
(1)条件① 赤いリボンは青いリボンより10㎝短い。
(2)条件② 赤いリボンの長さは30㎝。
(3)条件①②から、青いリボンは何㎝か?

 

30㎝の赤いリボンは、青いリボンより10㎝短い。

30=青ー10

 

になるのだが、「短い」という言葉にひきずられて
「30㎝より10㎝短い」つまり「30-10」というミスをしないかどうか。

青は赤より10㎝長いのだから、青=30+10=40

数学的思考であるが、読解力でもある。

 

(2)

あめを3こずつ6人にくばると2こ残りました。
はじめに、あめは何こありましたか?
      (「わくわく算数」2年下 P117)


不親切な問題文だ。

はじめーなかーおわりの構造で考えると

①はじめに、あめが何個かありました。
②あめを3こずつ6人にくばりました。
③最後に、あめは2こ残りました。

となって、ようやく「はじめに、あめは何こありましたか?」 という設問になる。

 

②だけ先に3×6=18と計算して 

はじめー18=2

はじめ=18+2=20

算数の文章問題も構造で把握させたい*

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November 08, 2021

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然・・なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか


東洋経済オンライン2019年1月11日配信記事。
https://toyokeizai.net/articles/-/259129

執筆は、上智大学の奈須正裕氏。
奈須氏の講演を聴いたことはあるが、総合的な学習や教育課程の話が中心で、これほど作文教育を歴史的に語ってくれるとは思わなかった。

特に「読書感想文と学校行事の作文は『教育のガラパゴス』」とは痛快だ
==================
◆アメリカの作文指導はというと、説明文を書く「エッセー・ライティング」を中心に、物語や日記の形式で創作的な文章を書く「クリエーティブ・ライティング」をバランスよく行うのが一般的である。
 ところが、日本の作文指導では、エッセー・ライティングもクリエーティブ・ライティングもほとんど行われず、ただただ読書感想文と学校行事の作文なのである。俳句や短歌や詩を書く機会は結構あり、これがクリエーティブ・ライティングに当たるとも言えるが、物語を書く機会はあまりない。さらに不可思議なことに、読解では説明文も物語文も、小学校からきちんと指導されている。
つまり、日本の国語教育は、読解と作文が十分に呼応しておらず、読解での学びが作文にしっかりと生かされる構造になっていない。何とももったいないことである。
(中略)
 読書感想文と行事の作文は、日本でのみ熱心に取り組まれてきた、いわば教育のガラパゴスである
=================

 「エッセー」が説明文という時点で、もうアメリカと日本の感覚の違いが分かる。

==================
◆高度成長期に入り、生活が豊かになっていくにつれ、個々人の生活現実を赤裸々に綴ることで自らの境遇や社会の矛盾に気づく「生活綴り方」は、その時代的使命を終える。これに代わって1960年代以降に定着したのが、読書感想文と学校行事の作文である。
 指定された課題図書の登場人物に思いを寄せ、読書体験によって子どもが自己変革を遂げることを期待する読書感想文と、学校行事という共通体験を通しての人間的成長を一人ひとりが個性的に描写する行事の作文は、基盤となる経験自体は全員に共通のものである。と同時に、そこに何を感じ、どう表現するかは、個々の子どもに委ねられている。
 「一億総中流」社会と呼ばれた時代の風潮を背景に、共通の経験を基盤としつつ、そこにおけるその子ならではの独自な心情や表現を大切にしようとする当時の作文教育にとって、読書感想文と学校行事の作文は格好の題材だったのである。そして、これが今日まで半世紀にわたり、脈々と受け継がれてきた。
==================

・・・作文教育の歴史を説いた衝撃度としては、斎藤美奈子氏「文章読本さん江」(筑摩文庫)に近いものだった。
 この「文章読本さん江」は、明治以降のいくつかの文章読本を批判した後、日本の綴り方教育・作文教育の歴史を示し、学校で課す作文課題も批判している。

①谷崎潤一郎「文章読本」(谷崎読本)
②三島由紀夫「文章読本」(三島読本)
③清水幾太郎「論文の書き方」(清水読本)
④本多勝一「日本語の作文技術」(本多読本)
⑤丸谷才一「文章読本」(丸谷読本)
⑥井上ひさし「自家製 文章読本」(井上読本)


「読書感想文」や「行事作文」では、生きる力にならない。それは「主張」や「対立」を伴わないからだ。
「僕はこの本を読んで〇〇と思いました」では、「あなたがそう思うのは分かった」というそれだけのことだ。
「今日〇〇がありました。楽しかったです」では、「それで何?」とか「それはよかったね」と突っ込みたくなるだけのことだ。

国語を専門とする一部の先生は「論理的思考」や「論証」に力を入れているが、多くの先生は「ガラパゴス」のままだ。
意見文を書かせるのだ。
異論を唱えさせるのだ。
感想文・行事作文で満足しがちな今の状況を何とかしなくてはいけない。

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November 04, 2021

「PISA型読解力は何を示唆するか」

「PISA型読解力は何を示唆するか」は、「現代教育科学」2006年9月号の特集テーマ。
 最初のPISAショックが起きて、文科省の「読解力向上に関する指導資料」が出たことを受けた特集であった。
 15年もずっと同じ議論をグルグルしているのかと思えてしまうが、少し復習。

(1)2005年12月文部科学省より出された「読解力向上プログラム。
 「はじめに」で次のように書いてある。

◆なお、PISA調査の「読解力」とは、「Reading Literacy」の訳であるが、わが国の国語教育等で従来用いられてきた「読解」ないしは「読解力」という語の意味するところとは大きく異なるので、本プログラムでは単に「読解力」とはせずに、あえてPISA型「読解力」と表記することとした。

①数学的リテラシー ②科学的リテラシー ③読解力リテラシー

であるべきところを、「読解力」としてしまった。
 本来「Reading Literacy」と書くべきところを「PISA型読解力」と表記したと言いながら、冊子のタイトルは「読解力向上プログラム」。
ここに初動のミスがあると思う。
 今もマスコミは「PISA型読解力」と書かずに、「読解力」と表記して騒ぐ。
 問うているのは「Reading Literacy」なのに。「PISA型」という注釈をつけても、いつしか「読解力」に置き換わってしまう。

◆リテラシーとは、特定分野の事象や情報を正しく理解・分析・整理した上で、自分の言葉で表現したり、判断したりする能力を指す
(「総合教育技術」2020年2月号の教育ジャーナルより)

 PISA調査の「Reading Literacy」は、従来の日本の読解力とは大きく異なる。
 この「Reading Literacy」に沿った具体的な対応が、学力テストB問題であり、2020年の大学入試記述問題であった。

(2)センター試験に代わって2020年度から行われる大学入学共通テスト(国語)

 

大学入試問題も、これまで行われてきた全国学力調査問題と傾向が酷似していた。
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「大学入試が求めるもの」
①複数の種類の実用文を読ませる  
②複数の文章を組み合わせて考えさせる
③大量の情報を処理させる
④最大200字程度の文章を20分程度の短時間で書かせる
⑤多くの条件を踏まえた文章を書かせる
⑥誰かの立場で文章を書かせる

 難波博孝氏(広島大学大学院教授)
東京書籍発行「教室の窓 Vol.55」
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 この点について難波氏は次のように指摘していた。

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実はこの方向性は、文科省がずっと追い求めてきたことであった。
小学校・中学校関係者の方ならすぐわかるだろうが、今まで10年以上行われてきた全国学力・学習状況調査のB問題と共通テストのここまで傾向はそっくりだからである。
文科省は10年かけて、共通テストの基盤をつくってきたといえる。
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2018年11月、朝日新聞に掲載されたコメントも、同様の趣旨だ。

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文部科学省はこれまでも高校までに教える内容を決める学習指導要領で「思考力、判断力、表現力」を身につけるよう学校に求めてきた。
だが、高校では大学入試に向けた勉強に重点が置かれがちだ。
そこで大学入試も、より学習指導要領の内容に合わせるよう大きく変えることにした。
                            
朝日新聞 進学特集「20年度入試から共通テスト」2018/11/5朝刊
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 授業を変えるためにゴールを決めた。
 入試を変えるというウルトラCを決行したのだ。
 さて、同様の指摘は「全国的な学力調査に関する専門家会議」の委員である田中博之氏も述べている。

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(2017年の大学入試試行調査は)全国学力・学習状況調査の問題と、とてもよく似ています。これは偶然ではなく、意図的に合わせているのです。つまり、記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています。だからこそ、小中学校では一層B問題的な学力観を重視すべきなのです。  
「総合教育技術」2019.11月号 P43
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・・・「記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています」であったはずなのだ。
 大学入試にまでつながる「PISA型読解力」が、土壇場になって混乱してしまったが、我々の意識を延期するわけにはいかない。
学力テストを、無理矢理やらされているテストと捉えているようでは、PISA型読解力が身につくわけがない。
 学力テストで問われているような内容を授業の中で行わない限り、PISA型読解力向上は望めないし、国際的な場で日本の生徒は活躍できない。

(3)2019年の文科省のPISA読解力の見解

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 読解力についていえば、前回までは、「読解力」の定義は、書かれたテキスト(本や新聞など出所や校正・校閲がしっかりした書きもの)の中から「情報を探し出す」「字句の意味を理解する」「統合し、推論を創出する」「内容と形式について熟考する。」等でありました。つまり「従来型」の範囲内での「読解力」を問うものだったといえるでしょう。
 今回からは、オンライン上の様々なデジタルテキスト(ブログ、投稿文、宣伝サイト、メール文)など、文責が誰にあるのか、出所が定かであるのか、校正・校閲がしっかりなされているのかなどが一見明確ではない文書について、「質と信ぴょう性を評価したり」「矛盾を見つけ対処したりする」ことも求めており、問題自体もその7割がPC使用型調査のために開発された新規ものとなっています。つまり、前回までの「読解力」の調査からは大きく変化しているということです。
 OECDの責任者であるシュライヒャー局長も、現代社会においてデジタルの世界で求められる読解力に焦点を当てたこと、「フェイクニュース」が広がる世界での読解力がより重要な能力になっていることを明確に言及しており、今回のPISA調査は、これまでの「読解力」の範囲に加え「情報活用能力」をも求めていることは明らかだと思います。

初中教育ニュ-ス(初等中等教育局メ-ルマガジン)第373号(令和元年12月24日臨時号)
【矢野 文部科学省大臣官房審議官(初中教育担当) 特別寄稿】PISA調査2018とGIGAスクール構想
https://www.mext.go.jp/magazine/backnumber/1422844_00003.htm
====================

 この審議官の言葉が一次資料なら、求められる読解力は
1 「情報を探し出す」
2 「字句の意味を理解する」
3 「統合し、推論を創出する」
4 「内容と形式について熟考する」
5 「質と信ぴょう性を評価する」
6 「矛盾を見つけ対処する」

となる。これを、

◆これまでの「読解力」に「情報活用能力」を加えたもの
◆新たな読解力(読解力と情報活用能力のハイブリッド型)◆

と呼んでいる。これがまさに新学習指導要領の先の課題ということになるだろうか。

デジタルニュースの信ぴょう性を検討するには、今後ますます「Reading Literacy」だ。
ハイブリッドなどと呼ばずとも、元々の「Reading Literacy」の「リテラシー」が一層重視されてきたのだとも理解できる。

そもそも「Reading Literacy」をオーソドックスにしなかった初動のミスではないかという思いが増している。

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October 29, 2021

文章理解の三段階

手元に「総合教育後術」2020年3月号がある。特集は「『読解力』を育てる!」。

埼玉県戸田市教育長戸ケ崎勤氏のインタビュー記事の中で着目したのが、文章理解の三段階の解説だ(意図的に改行を加える)。

===========

「文章の理解について、3段階あると私は言っています。

まずは、アイ、シー(I see)の段階。これは『なるほど』くらいの理解でしかなく、一般的にはここで止まってしまっていて、意味の取り違いも起こりやすい。

次がアンダースタンド(understand)で、『本当の意味が分かる』。ここまでくると、意味の取り違いは起こりにくい。

最後がアプリシエイト(appreciate)で、『本質の意味まで深く分かる』段階になります。ここまでくれば、次へ転用していくことも可能になります。」

==============

 

・I see

・understand

・appreciate

 

と英語で説明されると、はぐらかされたような気にもなるのだが、理解のレベルを自分なりに設定することは大事なのだと思う。

LINEのようなSNSのコミュニケーションツールは、まさに「I see」レベルでとどまっているような気がする。

短い言葉のやりとりは「阿吽の呼吸」である分、誤解を招き、トラブルを引き起こす。

冗長でまわりくどい説明は要らないが、本質の意味を相互で共有するには、それなりのボリュームの言葉のやりとりは必要だと思う。

 

そのことは2年前にも書いた。ますます深刻化しているか。

LINEによって阻害される「文脈形成力」


愛知教育大学の丹藤博文氏は、スマートフォンの普及と「ライン」によるコミュニケーションについて、「想像力・識字能力」「文脈形成力」の問題があると指摘された・・・。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2019/08/post-b1a411.html

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October 11, 2021

令和の三読法? 「構造読み」「精査・解釈」「考えの形成と共有」

「国語」の指導内容については「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に取り組む態度」の3区分がある。

その「思考・判断・表現」の「読むこと」の内容(1)は、学習過程に沿って、次のように構成されている。

①構造と内容の把握
②精査・解釈
③考えの形成
④共有

 

文科省HPの学習指導要領では探しにくいので、こちらをご覧ください。

https://cosnavi.jp/js2017/201_kokugo/2-2-3-c.htm

 

①「構造と内容の把握」とは,叙述を基に,文章の構成や展開を捉えたり,内容を理解したりすることである。

②「精査・解釈」とは,文章の内容や形式に着目して読み,目的に応じて必要な情報を見付けることや,書かれていること,あるいは書かれていないことについて,具体的に想像することなどである。

③「考えの形成」とは,文章の構造と内容を捉え,精査・解釈することを通して理解したことに基づいて,自分の既有の知識や様々な体験と結び付けて感想をもったり考えをまとめたりしていくことである。

④「共有」とは,文章を読んで形成してきた自分の考えを表現し,互いの考えを認め合ったり,比較して違いに気付いたりすることを通して,自分の考えを広げていくことである。

 

・・・従来の読みの指導過程の多くは三読法であった。

 

石山修平の三読法・・・「通読」「精読」「味読(鑑賞)」
わが国の国語教育史の上で、解釈学を集大成したのは石山修平である。
石山はその著「教育的解釈学」(1935)の第三篇「解釈の方法」第二章「解釈の実践課程」において、読みの学習指導を、「通読段階の任務」「精読段階の任務」「味読(鑑賞)段階の任務」「批評段階の任務」として示した(後に「批評段階」は削除された)。
「国語教育指導用語辞典(第四版)」(教育出版)より

 

・・・三読法には、そのほかの流儀もあるが省略する。
あえて、1つ選ぶなら、次の「読み研」方式だ。

 

三読法(構造よみ,形象よみ,吟味よみ)

物語の新三読法では、「構造よみ―形象よみ―吟味よみ」という三つの段階で作品を深堀りして読み込んでいきます。
まず、「構造よみ」で作品の全体構造を読み解き、「形象よみ」では作品のレトリックに注目しながら形象を読み解きます。そして「吟味よみ」で、作品を主体的に評価していきます。

https://kokugonote.com/monogatari_shin3doku01/

 

・・・学習指導要領では、従来の「三読法」に対して、4つの学習過程が示されている。

しかし、内容的には、③④を合体して考えれば、従来の三読法と大差ない。

①構造と内容の把握
②精査・解釈
③考えの形成と共有

 

・・・今は「主題」という用語は使わないが、③は「主題読み」と同義だ。自分の考えの形成が、要するに自分にとっての「主題」にあたるからだ。


それにしても、①構造と内容の把握、②精査・解釈、③考えの形成、④共有の4つの学習過程は、どこから来たのだろう。
学習過程の解説は見つかるが、その元々の由来についての記述がなかなか見つからない。
しっかり調べてみたい。

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August 01, 2021

大きな対比は、作品と自己との比較

本日は、市内中学校の演劇部の発表会。午前中、3校の発表を鑑賞した。

演劇発表を見るのは自分の作品分析のトレーニングになる。

場面設定がどうなっていて
作品の展開がどうなっていて
主題がどうなっているか。

を確認するいい機会なのだ。


今回、1つ勉強になった。

 

作品世界と自己との対比


という読み方だ。

ある中学の発表は、小児病棟で病気や死と戦う生徒たちが主役だった。
明日死ぬかもしれない中で懸命に生きる人物が作り出す作品世界。

演劇を見ていて、思った。

それに比べて自分たちはどうだ!

我々はこんなに恵まれた環境にいるじゃないか。
与えられた時間がいっぱいあるじゃないか。
五体満足で何の文句があるか。
精一杯、今を生き切ろうではないか!

というメッセージが伝わってくる。


作品内の「対比」だけが「対比」ではない。
作品と自己との比較も重要な「対比」だ。

思えば、山田式感想文指導も、究極のポイントはこの「作品(登場人物)と自分の比較」だ。
自分との対比を書くから、感想文の内容が個性的になる。

何年も前に気づいていたことなのだが、すっかり意識から失せていた。
たまたま演劇部の発表を観たのだが、学びは大きかった。

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