August 31, 2019

LINE;によって阻害される「文脈形成力」

    先日講演を聞いた愛知教育大学の丹藤博文氏は、スマートフォンの普及と「ライン」によるコミュニケーションについて、「想像力・識字能力」「文脈形成力」の問題があると指摘された。

・本を読まない。
・動画などの視覚的映像を好む
・ラインのような単語的なコミュニケーションを好む

といった傾向が、悪い影響を与えることは想像に難くない。
ただ、世の中の流れが変わらないなら、そのような状況でどんな手を打つかを講じるしかない。
今さら読書離れが止まり、動画視聴が減り、ラインによるやりとりがなくなるとは考えられないからだ。

いくら文句を言っても、今の傾向は加速することはあっても、減速することはない。

かつて、バーンステインの「言語コード論」を引用したことがある。
 
 労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
 中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
 一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。


ラインの会話も、こんな感じか。極力短い言葉でやるとりを済まそうとする。場合によっては、意思表示を定型のスタンプで済ませてしまう。
日本中が単純な言葉(限定コード)で会話が成立する世の中で、どんな問題が起きるだろうか。あるいはどんなよいことが起きるだろうか。

新井紀子氏の講演でも、AIも大半の大学生も、単語でしか思考していないとの指摘があった。限定コードだ。

精密コード、つまりきちんと文章で会話する家庭環境、教室環境の確保に努めねばならない。

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読解力は抽象化の力

 国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。

作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。

 先のブログで次のように書いた。

◆算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問のエネルギーがいらない。

 「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の共通項をとらえて抽象度を上げる思考が必要だ。
  どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点があるなどなど。説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論がある。筆者の主張と具体例があるというように。

 先週は、県の国語研究会があって、愛知教育大学の丹藤博文氏が講演された。
 物語教材の「読まれ方」として
①人物の変容
②はじめー中ー終わりの構成
③語り手の視点
などについて、解説があった。

 三人称視点や一人称視点があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
 それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
 1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げをスタンダードにしていきたい。

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August 19, 2019

「一字読解」という国語の技法

 手元にあるのは、『向山型一字読解指導』。

 東田昌樹先生の著書で「向山型国語微細技術1」とある。2008年版を書棚の奥から引っ張り出してきた。残念ながら「積ん読」状態だったのだ。

◆私は「問い」と「答え」の基本を学ばせるために、学期に一、二度は「一字読解」という指導法をする。

というのが、『向山型国語教え方教室」(200010月 呼びかけ号)の巻頭論文での主張だ(と前掲書にまとめてある)。

 もう少し詳しく引用する。

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子どもの行ノートに、番号をつけさせる。

一行に一問を答えさせるのである。

通例は、ノートには答えを書かせるが、時として「問い」を書かせる時もある。

「問い」について、まるで習っていない子どもたちには、最初は「問い」も書かせる。

教科書のタイトルから読み始めて、イチイチ問題を出し、ノートに書かせ、答を言い、丸をつけさせるのである。

説明は簡単にして、テンポよく進める。

話し合いなどはさせない。

最初は、例えば「この作品の題は何ですか」あるいは「作者は誰ですか」ということになる。

簡単だ。簡単でいいのである。

こういう問題を20問、30問と続けて出して、基礎体力をつけるのである。

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 ・・・「イチイチ問題を出し」という表現がたまらない。「基礎体力をつける」という主張にゾクゾクしてしまう。

 この2000年の読みかけ号より古い『教室ツーウエイ』199410月号では「国語のテストの答え方」について、次のように述べている。

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「どんなこと」と聴かれたら、答えは必ず「こと」で終わること。

「どんな気持ち」と聞かれたら、答えは必ず「気持ち」で終わること。

このようなことは、基本中の基本だ。

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・・・ 向国の呼びかけ号には「テストの解き方の基本パターン15」が示されており、東田氏は「向山型一字読解指導10の原則」の原則9として「テストの解き方15パターンを意識せよ」を挙げている。

 テストの解き方と一字読解はセットだというと、受験テクニックの指導だという批判があるのかもしれないが、そうではない。目的は「問い」と「答え」の基本を学ばせ、基礎的な読解力をつけることである。

「あれども見えず」と言われるように、文章全体を見ていると、子どもたちは読めているようで実は読めていない。部分に焦点化して問いを立てることで、子どもたちは文意を正しく読んでいくことができる。他人に問われないと、自分が読めているか自覚することは難しいのだ。

  一字読解という技法は、文章が意味を成すための最低ラインの内容を確認しているともいえる。

 だから、新井紀子氏の主張する「基礎的読解力の保証」「リーデイングスキルテストへの対応」が可能になるのだ。教科書の内容が正しく読み取れない子をなくすには、一字読解のような取り組みが最適だと思う。

  さて、向山氏の「向山国語教え方教室」呼びかけ号巻頭論文は、TOSSMEDIAで見られる。「向山型国語教え方教室❶」

 同じくTOSSMEDIA「向山型国語教え方教室8 学テ・PISA型読解力を育成する授業づくり」でも、向山氏の巻頭論文が見ることができる。

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 さて、国語の学習での「読み」とは、「テキスト」(教材)を「読む」ことが中心となる。

 正確に読むことである。

 一字一句にも、心を配って読むことである。

 深く読むことである。

 国語の学習とは、いかなる国においても「テキストを正確に、くわしく読む」ことが中心なのである。

 教材を紙芝居にして発表するなど、信じられない学習である。

 ある県の公開発表では、「野菜」についての説明文の授業で、「野菜の気持ちになってみよう」という「芝居」を発表していた。

 これでは、「文を読む力」がつくわけがない。

 PISA型テストとは、国語学力テストB問題とは、つまり「テキストを正確に読みとる」という問題である。

これまでの日本の国語授業の常識を超えて「さまざまな文」「さまざまな表現」「長文」からも、「正確に読みとりなさい」ということなのである。

 それを基本にして、「自分の考え」を問うているのである。

 これは向山型国語が一貫して追究してきたことである。

「テキストを正しく深く読む」授業をすすめよう。(教室ツーウェイ2007年9-1039号)

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 ・・・ただし、「一字読解」を真似て、矢継ぎ早に質問を繰り返すだけでは、これも退屈な授業になる。

 簡単な問題を出すことをためらう教師が多いから、一字読解を真似た教師の授業は、難解な問いを投げかけて優等生しか活躍できなくなる可能性が高い。

  通常の国語研究の発表では、出来の良い子の発言やノートを提示して成果を自慢するケースが多い。算数の授業でも、全員ができる授業は簡単すぎるからダメだと否定する先生が存在する。全員ができる問題を次々繰り返す一字読解の授業などは、想定できない。

 まずは簡単なことを問えばいいのだ。

 それなのに、子供の実態に合わない難解な解釈を優先してきた結果が、新井紀子氏が指摘した基礎的読解力不足の問題だ。「教科書が読めない子供に、解釈など考えさせるんじゃない。書かれていることを問え」というのが、新井氏の主張だ。学校現場は教科書が読めない生徒の存在にどう対応するつもりなのか。

 ただし、易しい問いは難しい。優しい問いこそ難しいと言うべきだろうか。

 冒頭で紹介した東田氏の本の中に、椿原氏の講座資料の引用がある。

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「易しい問い」というのは、ある意味では討論になる発問より難しいのである。(中略)

基本は見開き2ページで、100の発問の中から選ぶということである。一字読解指導は「易しい問いを20問、30問と出す」のではなくて、「見開き2ページで100の発問から選りすぐられた問いを20問、30問と出す」のである。p21

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July 29, 2019

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』

 久しぶりに書棚にある『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』西林勝彦著(光文社新書)2006年7刷をめくってみた。
 帯に「『ドラゴン桜』でも教材に」とある懐かしい1冊だ。
 すっかり忘れていたので、新鮮な驚きがたくさんあった。
 自分の問題意識が変わったから、以前ひっかからなかった箇所にひっかかるのかもしれない。
 結局10年前は、「分かったつもり」レベルで読了したのだとも言える。

今回、脳裏に浮かんだのは「三角ロジックと同じ理屈だ!」ということ。

例えばP32に【小銭がなかったので、車を持って行かれた】という一文がある。
「ので」でつないであるから「原因ー結果」であることは分かる。

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 【小銭がなかったので、車を持って行かれた】
 
   根拠   →   主張
   原因   →   結果
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 しかし、いくら【原因→結果】だと分かっても、多くの人は何のことか意味が分からない。
 ここに【コインパーク】というワードが入ると、駐車場の場面が浮かんでくる。
 【コインパークは小銭を入れないと、駐車違反とみなされるから】という解説(理由)があると「ああ、そういう意味か」と理解できる。
 この場合の「コインパーク」は、「理由」と呼ばれたり「前提」と呼ばれたりする。

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前提 コインパークには小銭を入れないと使えないのに
原因 私は小銭がなかったから
結果 駐車違反になった(車を持っていかれた)
========================
というロジックになる。

 【小銭がない】と【車を持っていかれた】を関連づけるための「コインパーク」があると、文脈がわかる。
 部分間の関連を理解する「コインパーク」が文中の記述の場合もあれば、自分の知識や常識による場合もある。
 文中にないからといって必ずしもルール違反ではない
 ただし、自分の常識が邪魔をして、提示された文章を正しく読み取れなくなることもある。「思い込みによる誤読」だ。

 「思い込みによる誤読」と言えば、最近書いた「ゲシュタルト知覚」とも重なってくる。10年前には自分の頭に中になかったワードだ。

◆「ゲシュタルト知覚」とは、より多くの情報を簡単に処理するために少ない情報をもとに、脳が補ってある認知をすること。
  プラスで言えば、少ない情報から類推して効率的に情報処理できること。
  マイナスで言えば、思い込みや早合点をおこすこと。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2019/05/post-cf3db3.html


 「早合点・思い込み」はAIでも起こるミスだと言う。
 「わかったつもり」とよく似ていると思う。

今回、脳裏に浮かんだのは「三角ロジックと同じだ」ということ。

「三角ロジック」を知ったのが2年ほど前。
直接的には鶴田清司氏の書籍だが、ロジックの元になる「トゥールミンモデル」は、もう少し前から、聞きかじってはいた。
https://ameblo.jp/gen-dai-bun/entry-12356809584.html


 国語の授業で「表にしてまとめる」という活動がよく行われる。社会科でも表にまとめる活動は多い。
 学テでも、表に書いてあることを読み取らせることは多いから、「文章を表にする」と「表の内容を文章化する」という双方向の力が求められていると言えるだろう。

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』西林勝彦著(光文社新書)では、「もしもしお母さん」という三匹のねこのお話を表にまとめる場面がある。
 西林氏は、3匹の子ねこの「性別」「性格「もらわれ先」「話した内容」「母ねこの言葉」などを表にしてまとめることを「個体識別」と呼んでいる。

◆こうして「個体識別」の表を埋めていく過程において、私たちは以前とは異なる、より細かな文脈を使い、部分から異なる意味を引き出して、「わかったつもり」から脱出しようとしていたことになるでしょう。pP72

 西林氏の用いる「文脈」は「読みの視点・観点・切り口」と同じだと理解した。
「時間軸」「色彩」「心情描写」「情景描写」「対比構造」のような切り口で表を作ることがあるからだ。

 文章を読み取って表にすることについては、数学的処理との関連で2年前にダイアリーで書いた。
 「そもそも『論理的に考える』って何から始めればいいの?」(日本実業出版社)に出てくる「整理って何をすることなの?」というQに対して、「一言で言うと、表を作ることです」というAに衝撃を受けたからだ。

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たとえば、「ごんぎつね」を整理する場合、切り口は様々にあるが、場面ごと(時系列)が大前提になるから

    ごんの行動  兵十の行動
1場面   〇〇    △△
2場面   〇〇    △△
3場面   〇〇    △△

というような表にすることができる。むろん切り口は「ごんの行動」「ごんの心情」でもかまわない。そこは授業者が決めればいい。
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 また、2つの事象を関連付けたクロス集計についても2年前のダイアリーに書いたし、4年前に授業技量検定で指導案に書いたことがある。
 西林氏の「個体識別」というワードは今でも十分理解していない。
 だが、表にまとめることについては10年前よりも理解が進んでいたので、今回、納得する点が多かった。


 読解した内容を表にして整理するにしろ、話し合いをするにしろ、大事なのは「切り口」だ。
 とりわけ高段者の先生の国語の授業では、あっと驚くような切り口で思考させられることが多い。
 たとえば「話者はどこにいますか」、「どこを見ていますか」、「AですかBですか」など。
 AB選択の場合は、「解釈Aしか考えてこなかった子どもに新たな解釈Bを提示して比較検討させる」というような意味で思考の幅を広げさせる。

 これらは「あれども見えず」「わかったつもり」を浮かび上がらせる手段だ。
 教師もざっと読んだだけでは、「あれども見えず」が分からない。100発問のような課題を自分に課すと、ようやく自分自身の「あれども見えず」が浮かんでくる。

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 あまり難解な文章でなければ、ざっと読んで「わかり」ます。そして、読むこと一般、たとえば新聞や雑誌の記事、ネットの情報を読んだりすることを考えれば、ほとんどの場合は、その程度のわかりかたでよいのだろうと思います。
しかし、(中略)当該の文章を足がかりに、そこから応用や探求へと進んでいかなければならなかったりすることがあります。
ざっと読んで「わかる」以上のわかり方が要求される場合です。
そのようなときに、「よりよくわかる」ための障害は、文章を「わからない」ことではなくて、文章を読んで「わかったつもり」になることです。P78
===========

という西林氏の指摘に納得した。以下の指摘も同じだ。

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「読む」という作業に支障をきたすのは、「わからない」せいだと一般には考えられています。このことは「わからない」から「わかる」に達する過程ではその通りです。
 しかし、「わかる」から「よりわかる」うえで必要なのは、「わかったつもり」を乗り越えることなのです。「わかったつもり」が、そこから先の探究活動を妨害するからです。P73
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「わかったつもり」には、「物足りない読み」と「間違った読み」があると言う。
 読みの浅さを自覚させたり、間違った読みを正したりするために、授業では鋭い発問による切り込みがある。
 鋭い発問が思い浮かばなければ、まずはある観点に沿って表にまとめさせてみるだけでもよい。


 国語の授業では、一読で「分かったつもり」レベルのことを「より分かった」「よりよく読めた」という状態にするために、問答法や図表化を用いて部分と部分の関連を緊密にするのだと西林氏は言う。
 一読だけでは本当はよく分かっていないのに、「わからない点はなかった」「自分の分かり方に不満はない」と満足してしまうと、そこで読みのレベルも終わってしまう。

◆浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて「わかった」状態だからなのです。P40
◆「わかったつもり」が、そこから先の探索活動を妨害するからです。P41

 「分からないところはないかを意識しながら読む」「疑って読む」「矛盾を指摘するように読む」と考えると、「クリテイカルシンキング」の重要性が見えてくる。
 
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(ⅰ)事実等を解釈し,説明することにより自分の考えを深めること

  事実等を正確に理解した後,それを自分の知識や経験と結び付けて解釈することによって自分の考えをもつこと,さらにその自分の考えについて,理由や立場を明確にして説明することなどを通じて,自分の考えを深めていくことが重要である。
  また,他者の考えを認識しつつ自分の考えについて前提条件やその適用範囲などを振り返るとともに,他者の考えと比較,分類,関連付けなどを行うことで,多様な観点からその妥当性や信頼性を吟味し,考えを深めること,すなわち「クリティカル・シンキング」も大切になる。
  そのため,自分の考えを深める指導を行う際には,(1)事実等を知識や経験と結び付けて解釈し,自分の考えをもたせるようにすること,(2)自分の考えについて,探究的態度をもって意見と根拠,原因と結果などの関係を意識し,説明する際にはそれを明確に示すこと,(3)自分の考えと他者の考えの違いをとらえ,それらの妥当性や信頼性を吟味したり,異なる視点から検討したりして振り返るようにすることなどに留意することが大切である。

「言語活動の充実に関する指導事例集【小学校版】」第2章 言語の役割を踏まえた言語活動の充実 イ(ⅰ)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300858.htm
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 「なんとなく分かったつもり」で安心してしまうと、読解力の精度が上がらない。
 まさに「ぼーっと読んでんじゃねえよ」ということだ。 

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July 17, 2019

二重否定を否定できる言語能力

新井紀子氏のリーディングスキルテストの結果を読むと、子供たちは、複文や受け身など、少し複雑な文を読めないことがわかる。

https://toyokeizai.net/articles/-/256115
https://toyokeizai.net/articles/-/266708?page=2

その意識で、今回の学力調査問題を読む。

公衆電話は、わたしたちにとって必要がなくなってしまったわけではないと考えました。

この二重否定は分かりづらい。

公衆電話は、わたしたちにとって、必要だ考えました。

なのだと瞬時に理解できないと、必要な証拠を探すにも時間がかかる。

日頃から、二重否定が出てきたら、さっさと肯定文に書き換えておくという習慣をつけておくとよい。

2つの文を一文に書き直す。
1つの複文を、2つの短文に書き直す。

といった作業を普段からやっておくと、学テ本番で困らない。
日常的な指導の積み重ねが大事。日頃から布石を巻いておくことが大事なのだ

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June 17, 2019

大学入試講演会で分かったこと!

6月9日(日)、朝日新聞主催の講演会「これからの大学入試はどう変わる?」に参加した。
 講師は鹿児島大学の渡辺弘氏。センター試験元出題者だそうだ。
 大学入試制度の改革は「覚える」から「考える」がキーワード。
しかし9割の保護者は改革の意味や意義を理解していないと言われた。

2030年までに半分の職業がなくなる。AIが得意なことを人間がやる必要はないということで、2つの要素を挙げられた。

①クリエイテイブに考える力
②交渉力・伝える力

このあたりは元文科大臣である下村博文氏の著書と同じだ。
②は通常コミュニケーション能力として表記される。
いくら論理的に正しくても相手が納得しなければ意味がないので説得する技術(話法)が求められる。

石炭から石油へと産業構造が変わることは過去にもあったが、職業の半分もなくなる自体は過去にない。
そうした時代に対応する人材の育成はまさに国家戦略なのだ。

よく誤解されるのが「暗記から考える」への移行に伴って「知識」が要らないと思われていること。
文科省は「知識」とともに「思考力・判断力・表現力」が必要と主張しており。知識が要らないとは一言も言ってないそうだ。

新しい大学入試共通テストの特徴を渡辺氏は何点か挙げられた。

【特徴1】 「分量が多い」

センター入試に比べてプレ入試の国語は5ページ増え、数学は8ページ増えた。天声人語を2分で読む速さでは、問題文を読むだけで試験時間が終わってしまう。
だから「制限時間内に早く正確に読む力が求められる」と結論づけたが、ここは違うと思う。

 丁寧に全文読んでいたら間に合わないことを自覚すべきだ。
テキストの必要な部分を素早く見抜き、余分な箇所は読まない覚悟が必要なのだ。
これは、椿原正和先生の主張だが、分量の多くなった大学入試にも活かせることが分かる。

【特徴2】 テキストと非連続型テキスト

参加された保護者は初耳だったかもしれない。本文と一緒に図表やグラフが提示され、複数資料を組み合わせて読み解かなくてはいけない。
このあたりは、学テ対策と全く変わらない。
学テに慣れた子どもなら今更驚かないが、学テ経験のない保護者は図表やグラフの多さにビックリしているだろう。

【特徴3】 各教科で社会的なテーマ・時事問題が取り上げられる

数学で「建築基準法」が出たり、英語でオバマ大統領の広島訪問が出たりしている。
問題文の中から重要な要素を見抜くことが大事だと渡辺氏はいわれた。
社会的なテーマが取り上げられるから「新聞を読もう」という主催者のPRにつながるのだが、渡辺氏は英語の話題の場面で次のように話している。

◆社会的な知識があれば、英文を流し読みするだけで解答できる。

これは、特徴1で自分が渡辺氏に異論を唱えたのと同じだ。テキストや資料が膨大でも先行知識があれば、全部読まなくても大丈夫だ。
「要所をピックアップする」「流し読みをする」というスタンスが大事なのだということが分かる。

 学テも、生徒会新聞を取り上げるような問題がある。社会的なテーマへの日頃からの関心の高さが、解答処理能力に大きな影響を与える。

【特徴4】 記述式問題

①与えられた条件にそって
②論理的な文章を
③所定の文字数で書く

字数が3番目であるのは、椿原先生の指導と同じだ。指定された条件で書き始めると、結果的に所定の字数になると分かっていれば、文字数を最初から気にしないで解答できる。
与えられた条件にきちんと対応させることを渡辺氏は「情報処理の力」と言っていた。「情報処理能力」ってそんなレベルの低いことを言うのかと少しがっかりしたが・・。

 正確な数値ではないが試行調査(プレテスト)の結果、80字から120字指定の国語の問題の完全正答率が0.7%で無回答率も高かったという。
 書くべき内容と書き方の指定の仕方が不親切だったとの指摘もあるようだが、椿原先生の学テ対策でも条件設定をしっかり確認させているから、大学入試にまで対応できることが分かる。

渡辺氏は記述式の問題に対応できない原因の1つとして、リーデイングスキルテストの結果の低さに言及された。あの新井紀子氏のグループの研究結果だ。「問題文を正しく読み取れない」「教科書の記述が正しく読み取れない」では、とうてい入試問題を解けない。

◆読めない・書けない・ニュースを知らないが課題。
◆英語だけではなく国語の4技能(読む・話す・聞く・書く)が問われている。

これでは、大学入試に対応できないというのが渡辺氏の見解だ。

 大学入試対策を聞けば聞くほど小学校からの学テ対策がそのまま通用することが実感できるような講演会だった。

※過去の覚書より

東京書籍発行「小学校・中学校 教育情報 教室の窓 Vol.55」の難波博孝氏の論稿は参考になった。
https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/2018/2018097...

大学入試が求めるもの(記述式)
①複数の種類の実用文を読ませること
②複数の文章を組み合わせて考えさせること
③大量の情報を処理させること
④最大で200字程度の文章を20分程度の短時間で書かせること
⑤多くの条件を踏まえた文章を書かせること
⑥誰かの立場で文章を書かせること

 そして、次の指摘は、まさにその通りだと思った。

◆実はこの方向性は、文科省がずっと追い求めてきたことであった。小学校・中学校関係者の方ならすぐわかるだろうが、今まで10年以上行われてきた全国学力・学習状況調査のB問題と共通テストのここまでの傾向はそっくりだからである。文科省は10年かけて、共通テストの基盤をつくってきたといえる。

長文に対応するスキルとして次の2点が挙げられる。
①ていねいに抜き出す作業が課せられている。
②よく読めば、解答が「常体で書くか敬体で書くか」は決まってくるし、「敬語表現」がいるかも決まってくる。

  だから、繊細で緻密で慎重な子が求められている。しかし、その一方で 

①分量が膨大だから全部のページを丁寧に読んでいたら間に合わない。
②選択問題など、深く考えなくても解ける問題がある。

  だから、迷わず大胆に決断できる子が求められている。

ところで、朝日新聞には「いちからわかるコーナー」という時事問題をわかりやすく解説している箇所があるそうだ。
QAによる進行、グラフや図表、イラストなどもあって、まさに学テや大学入試問題に出そうなパターンになっている。
そのことを利用した朝日新聞は、このコーナー専用の切り抜きノートまで作っていると知って、これもびっくりした。
http://manabu.asahi.com/ichikarawakaru/

①タイトルや見出しを意識させ、

② グラフや図表に対応する本文はどこか線を引かせ、

③ 自分はどう思うかを書かせる

 この流れだから、学テや大学入試に役立たないはずがない。
このノートを使うかどうかは別にして、こういう取り組みがあることは評価したい。

こうしたコーナーを読むだけでなく、こののようなレポートを自分で書かせ、連続テキスト非連続テキスト融合型の資料の読み方に慣れさせることも大切だと思う。


 最後に、この大学入試説明会で、再確認したワードが2つある。

①「セレンディピティ」

 渡辺氏の話の中には出てこなかったが、スクリーンには表示されていた。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

・・・林修氏も、以前、次のように話していた。「セレンディピティ」のことなのだと納得した記憶がある。

◆辞書を引くとたまたま近くの言葉を調べて興味が広がることがある。電子辞書でピンポイントでワードを検索していると、こういう楽しみはない。だから自分は紙の辞書引きが好きだ。

 効率のよさを求め、関心のあるニュース・知りたいニュースだけを求めていては、視野が広がらない。
ネットで書籍を買うと関連本しか案内されないが、書店に行ってブラブラしていると思わぬ書物を見つけることがある。
ノーベル賞のような発見にもセレンディピティが関与した例は多い。セレンディピティを受け入れるだけの「余裕」がほしい。

 ②努力の見える化

 渡辺氏は新聞の切り貼りノートをできれば毎日続けるようにと勧めた。
スクラップしたノートがずらっと並ぶことで、日々の努力が「見える化」される。受験前日にその厚みを確認することで自信をもてるだろうと。
 渡辺氏の「ハードデイスクでは努力の量は実感できない」という言葉が腑に落ちた。

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May 28, 2019

AIの限界を「ゲシュタルト知覚」で解釈する

 新井紀子氏は「今のAIは、問われた内容を論理的に認識しているわけではなく、統計的な処理をしているだけだ」と言われた。
 AIは「質問は多分こんな意味だろう」「求めているのは多分こんなところだろう」と推測して回答を導いている。だから、全く頓珍漢な解答があったり、誤訳があったりする。

 この話を聞いて、もう1つ思い出したのが、「ゲシュタルト知覚」。
光村図書の「国語教育相談室中学校」87号にあった脳科学者中野信子氏の論稿にあった内容だ。

 「ゲシュタルト知覚」とは、より多くの情報を簡単に処理するために少ない情報をもとに、脳が補ってある認知をすること。
 プラスで言えば、少ない情報から類推して効率的に情報処理できること。
 マイナスで言えば、思い込みや早合点をおこすこと。

 AIは、「ゲシュタルト知覚」のように、少ない情報から類推して解答を出そうとする。

 中野氏は言う。
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◆この機能は、人の思い込みや錯誤を招き、誰かの嘘に惑わされるという危うさをも併せもっている。これを回避すべく私たちの脳に備わっているのが、共感、想像、良心、抑制、長期的な展望などの思考をつかさどる「前頭葉」の働きだ。
ただ、その機能は、小学校高学年ぐらいから、三十歳ごろまでかけてようやく完成する。
 前頭葉が発達していく時期には、その発達を促すような働きかけを行うことが肝要となる。その働きかけとはすなわち、多様な人々に共感したり、他者の心情を読み取ったり、意図を読み取ったりするなどということだ。文学とは、言語によって伝えられた人の思考の、解釈の仕方について議論を交わす領域である。
つまり文学こそ、まさに、前頭葉を鍛えるために大きな役割を果たす実学なのだ。
(中略)
 前頭葉が未発達な中学校時代には、文学情報から意味を構築する経験を大いに重ねることが重要だ。そして、ゲシュタルト知覚のみにとらわれず、前頭葉を働かせて、この世界には虚構というものがあること、現実には幾通りにもの解釈があることを理解してほしい。
===============

・・・今のAIは、常識と非常識の区別が苦手だから、とんでもない類推を平然とすることがある。
 想像と実体験と常識で情報不足を補う「前頭葉」の働きにこそ、人間の強みがあることが分かる(違っているかもしれません)。

 なお、自分のイメージする「ゲシュタルト知覚」と、「レイヤー構造」は意味がよく似ている。

 「レイヤー構造」の記事も合わせて読んでいただけるとうれしい。

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AIの限界を「言語コード論」で解釈する

新井紀子氏は講演の中で、「今のAIは、問われた内容を論理的に認識しているわけではなく、統計的な処理をしているだけだ」と言われた。

例えば
①「市内」の「イタリアン」の、おいしい「店」と問われても
②「市内」の「イタリアン」以外の、おいしい「店」
③「市内」の「イタリアン」の、おいしくない「店」

と問われても、同じ店が出ることがある。
 同じ「」内の3つのワードで情報検索をかけているからだ(新井氏の話を私がアレンジしました)。
 新井氏の意見は以下の記事からも分かる。

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180211-00081509/

 この話を聞いて「言語コード論」を思い出し、ダイアリーで確かめてみた。

◆バーンステインの「言語コード論」
  
  労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
  中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
  一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。
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  文化伝達の機関である学校では、授業を中心とするほとんどのコミュニケーションが精密コードでなされるため、それに習熟しているMC(ミドルクラス)の子どもたちは成功しやすく、逆に習熟していないWC(ワーキングクラス)の子どもたちは成功しにくくなる。
  端的に言うならば、母親の話す言葉と先生の話す言葉とが近いWCの子どもたちはスッと自然に学校生活に入っていけるのに対して、その両者のギャップが生じやすいWCの子どもたちは、学校不適応・学力不振に陥りやすいというわけである。P101
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 もし、日本の家族の会話が総じて「限定コード」であるとしたら、それもまた、日本人が「ロジカルシンキング」に弱いことの要因の1つだと考えられる。

・・・自分勝手な判断だが、今のAIは「メシ・フロ・寝る」のような「限定コード」レベルなのだと思う。
AIに負けない人間になるためには、まずは「精密コード」の言語環境が必要なのだ。

 さて、「言語コード論」では、カッコつけすぎなので、もう少し身近な言い方をすると

◆文意を捉える際に、付属語が極めて大事であることを教える

である。

◆「てにをは」1語もおろそかにしない。

とも言える。
 中学校で文法を教えている時、付属語によって文意が変わるので慎重に扱うように教えてきた。
 当然だが、次の2文は、1文字違いで主格が逆になる。

「僕は、君が、好きだ」
「僕を 君が 好きだ」

「私は あなたを 好きよ」なら脈はあるが、
「私は あなたも 好きよ」と言われたら、あきらめよう

などと冗談交じりに話してきた(今、気づいたが「あきらめよ」と「あきらめよう」もニュアンスが全然違う)。
 
「○○君でも100点とれたんだ」と言われたら、○○君は全然褒められてないよね、なんて例も出してきた。

 大人の社会も同じで、通知票の所見について以前、次のようなダイアリーを書いたことがある。
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「は」と「が」の違いは、副助詞と格助詞の違い。

「〇〇が」は主語になるが、「〇〇は」は主語でないと主張する人もいる。例えば三上章だ。
 
  「宿題をちゃんとやってきます」

と書けばいいところを

 「宿題はちゃんとやってきます」

と書いた所見を読むと「宿題以外はやってこないことを言いたいんだな」と思ってしまう。

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 スポーツライターの青島健太氏が羽生結弦の言葉に心を打たれたのも、わずかな言葉の違いを読み取ったからだ。

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 男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。

 羽生結弦は、言った。

  「誰が取ろうが、僕も取ります」
 
  私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
  「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
  「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
  一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。

 他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。

  ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600093/022300057/?P=3
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  現在のAIは、こうした付属語の理解・ちょっとした表現の差の理解が不十分のようだ。
 むろん、新井氏のリーデイングスキルテストでは、子供たちも、このような差異が読み取れない実態が明らかにされている。
 主語・述語になるような部分だけ掴んで理解した気になっていると、大きな間違いを犯す。
 AIに負けない人間の強みは、まさに「言語力」なのだということが分かる。

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文章のレイヤー構造

ウェブには「レイヤー構造」という用語がある。「階層構造」と解説される。
添付した図は、地図情報を示したもので、6つの分布情報を合体して一枚の地図にしている。

文章にも階層構造がある。意味内容に役割があり、軽重がある。
論文やレポートは、階層ごとに文字を下げ、文字列を揃えることで、内容の位置を意識させている。

1
・ (1)
・・ ①

要点だけ知りたい場合は、1、2、3だけを見ていけばよい。
各パラグラフの一文目がトピックセンテンスになっている場合は、そのトピックセンテンスだけを見ていけば概要がつかめるようになっている。

主張部分を際立たせる方法としては、文字列を下げる以外に

①ゴチック体・斜体や太字にする
②線を付ける(二重線や波線を含む)
③色を変える、マーカーペンを使う
④枠で囲む

といった方法がある。

さて、向山先生が提案した法則化論文の枠囲みのスタイルも、主張を際立たせるという点で画期的な提案であった。
枠があると格段に読みやすく、イッキ読みをもたらした。
その後、各地区の指導案で発問を四角枠で示すような変化が起きた。
板書も枠囲みがあると分かりやすい。

ずらっと並ぶ文字の群れに、枠囲みを入れることで、囲んだ部分は浮き上がってくる。

その事を科学的に実証するような文献はないかなと探してみたが、見当たらないというか、どういうジャンルで調べていいかもわからないまま今に至っている。唯一、関係があると思ったのが、冒頭で示した「レイヤー構造」だ。

HPやブログもズレることがあるので枠囲みを使わない場合が多い。

強調部分を太字にしたり、色を変えたり、行を開けたりすることで対応しているが、枠囲みできるなら、本当はその方が手っ取り早い。

さて、「丸で囲む、線でつなぐ」という椿原先生の指導方法。
やってみると分かるが、サイドラインを引くのと丸で囲むのでは、視覚的な理解が格段に違う。丸で囲むと、囲んだ部分が浮き上がってくるのだ。
「マルで囲む・枠囲みをする」という手法の素晴らしさを、しっかり伝えていきたい。

*ちなみに、ボールペンの赤と赤鉛筆の赤では見え方・浮かび方が全く違う。赤鉛筆の太さが囲った部分や傍線部を際立たせる。これも椿原先生の講座で学んだことのひとつだ。

 

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「読解力」をマークした

文科省のHPにある中教審の「新しい時代の初等中等教育の在り方について(諮問)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1415877.htm

取り急ぎ「読解力」に関わる箇所をマークするだけでも勉強になった。

(1)「新時代に対応した義務教育の在り方」の1項目目

◆義務教育、とりわけ小学校において、基礎的読解力などの基盤的な学力の確実な定着に向けた方策

(2)資料2-2 Society5.0時代の教育・学校・教師の在り方

◆Society5.0時代には、
①読解力や情報活用能力、②教科固有の見方・考え方を働かせて自分の頭で考えて表現する力、③対話や協働を通じて知識やアイデイアを共有し新しい解や納得解を生み出す力等が必要

(3)関係資料P2 Society5.0における学びの在り方、求められる人材像

◆一斉一律授業の学校
 → 読解力など基盤的な学力を確実に習得させつつ、個人の進度や能力、関心に応じた学びの場へ

◆共通して求められる力
 文章や情報を正確に読み解き対話する力
 科学的に思考・吟味し活用するちから
 価値を見つけ生み出す感性と力、好奇心・探求力

(4)関係資料P6 平成30年度全国学力・学習状況調査結果(国語)

小学校
◆主語と述語との関係などに注意して、文を正しく書くことに課題がある。
◆話し手の意図を捉えながら聞き、自分の考えをまとめたり、複数の資料の内容を関係付けて理解したり、表現したりすることに課題がある。

中学校
◆目的に応じて文章を読む際などに、情報を整理して内容を的確に捉えることに課題がある。
◆文の成分の順序や照応、構成を考えて適切な文を書くことに課題がある。

(5)関係資料P7 PISA2015 読解力の結果分析

◆複数の課題文の位置付け、構成や内容を理解しながら解答することができていない。
◆表と文章の読み取りが正確にできておらず、矛盾点をうまく説明できていない
◆課題文の情報を整理しながら読めていないために
→一部の情報について文章全体における意義を捉えられていなかった。
→複数の文章の関係や個別の情報の意義などが捉えられていなかった。

・・・PISA調査・学テの課題の延長上に、大学入試問題がある。
 「複雑な情報を正しく読み取り、分析・考察する」が、読解の授業の基本でなければならないことがよく分かる。
 一字読解・分析批評・B問題対策指導法などが王道になる。

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