September 15, 2020

あらためて「PISA読解力」を考える

2000年から始まったPISA学力調査
読解力の樹には2000年が8位、2003年が14位。
大きくダウンしたことで「PISAショック」と呼ばれた。
2005年に文科省が「読解力向上に関する指導資料」を作成した。それが前回の学習指導要領にも反映された(はずであった)。

国語雑誌もマスコミも「PISA読解力」を話題にした。

20年経ってみて、どうなのだろう。
読解力向上プログラムの時代に子どもだった先生もたくさんいるはずだが、それ以前の先生と指導に明らかな違いはあるのだろうか。

あらためて「PISA読解力」=「リーデイングリテラシー」を振り返ってみる。

(1)情報の取り出し
(2)解釈
(3)熟考・評価

「思考・判断・表現」という3点セットの学習指導要領の理念は、読解力の3つのプロセスに重なるところがあると判断できる。

PISAの読解力は、文章に内容を正確に読み取ったうえで「自分はどう思うか」の意思表示まで求められているというのは、カルチャーショックであった。
ただ、その後の学テの記述問題は、自分の意見を求めてはいたものの、それほど高度でもなかった。
また、市販の国語テストを見る限り、記述型の問題はなく、相変わらずの「読み取り問題」に終始している。

私学や中高一貫校など一部の入試では、情報を読み取り自分の意見を述べるような問題が出され、話題になった。

次年度より、満を持して大学センター入試でも記述式の問題が出題予定だったが、土壇場で延期(未定)になった。

採点の難しさなどが問題視されているが、要するに「読み取った内容に関して自分の言葉で意見を述べる」という指導をしてこなかったから、大学入試に出されたら困るというのが、現状なのだ。

2000年にPISA調査が始まってから20年。
2007年に全国学力テストが始まってから13年。
国語の授業は、世界標準の読解力に対応してきたのか、疑問なのだ。


さて、フェイクニュースに惑わされないという点で、「読解力」は、今まで以上に重要な能力になってきた。

OECD教育・スキル局長アンドレアス・シュライヒャー氏のコメントが昨年12月4日の中日新聞に掲載されていた。
見出しは「読解力はより重要な能力」。

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 読むという行為の性質は大きく変わっており、今回の調査ではデジタル世界における読解力に焦点を当てた。
従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。
しかし、インターネット上の情報は真偽が分かりにくく、答えも一様ではない。
複数の出所の情報を比較し、事実か違憲かの区別をつけることも求められる。
こうした意味での読解力を付けるには、デジタル機器をただ使うのではなく、どう使えばいいのかを教えることが大切だ。
フェイクニュースが広がる世界で読解力はより重要な能力になっている。
 ========

・・・そんな高級なことは望まない。たとえば、2007年にベネッセから出た「子どもの読解力がぐんぐん伸びる本」の中に、次のようなアドバイスがある。

 

◆単語でやりとりせず、主語と述語を盛り込んだ会話を

「わたしは、牛乳が飲みたい」


◆自分の意見に理由を加えさせる。

「どうして、そう思ったの?」

◆根拠と意見を文の形で言わせる

「太陽は東から昇るから、あっちが東だ」

◆比べることで違いに気づかせる

「比べてみようよ」

◆気づいたことの理由を確かめさせる

「どうしてだと思う?」

◆自分の経験を元に考えさせる

「同じような体験はあった?」

◆よく似た事例が使えないか考えさせる

「似たような例で考えてみよう」

◆考えてわかったことを言葉にさせる

「どんなことがわかった?」

◆わからなかったことも言葉にさせる

「何がわかって、何がわからなかった?」


このような「言語トレーニング」が常識になっているか。
2007年のこのアドバイスが今なお新鮮に受け止められるとしたら、「言語活動の充実」を目玉にした前回指導要領の10年間は、十分な結果を残さなかったということなのだと思う。

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August 14, 2020

物語の「題名」の分類は作文指導にもつながる 〜「ベストセラーコード」④〜


「ベストセラーコード」の第5章には、題名の分析・分類もあった。

「タイトルの価値」という項目から抜粋して整理する。P204から212
元が洋書なので「A」と「The」の冠詞の違いの指摘などは、日本では不要であるが、それだけ新鮮であった。

(1)タイトルが「物語の展開する場所」

「コールドマウンテン」「シャッタシャッターアイランド」など。

◆著者がタイトルで場所を指定すれば、読者はその環境ならではのストーリを期待することになる。そうでなければそのタイトルをつけた意味がない。

◆タイトルとストーリーがうまく噛み合えば、タイトルの場所はストーリーを推し進める役目役割を果たす。小説を読み終える頃には、読者はその場所に愛着を感じるようになっているだろう。


(2)タイトルが「出来事」

「アクシデント」「ワンデイ」「キス」など

◆その出来事がプロットの中心になるだけではなく、物語の根本に関わる深い意味を持っているのでは、と思うだろう。

◆おそらく、その瞬間、その日、そのキス、その事故を境に、全てが変わってしまうのだろう。登場人物はそうした状況に対応したり、逆らったり、順応したりすることが運命づけられる。
 

(3)タイトルが「物体」

①何か特定の言葉が加わる場合

:「ドラゴンテイアーズ」は、ただの涙ではなく「ドラゴン」の涙
:「悪しき遺産」はどこかの遺産ではなく、「ブーリン家」の遺産
:「ダヴィンチ・コード」はただのコードではなく、「ダヴィンチ」のコード
 

②平易な言葉を2つ並べて関係を示し、読者に疑問を抱かせる場合

「サーカス像に水を」「琥珀の中のトンボ」など

◆象は水が飲めない状況なのか、なかにトンボが入った琥珀って何、と疑問が湧いてくるだろう。


③タイトルが単語1つ

「ゴールドフィンチ」「法律事務所」「ザサークル」など

◆冠詞は、「A」よりも「The」の方が圧倒的に多い。

◆タイトルの名詞が珍しいものだったり、何か特性されるものだったりする場合には、一般的なものであることを示す「A」をつけることで、普遍性や比喩的な意味合いを付加することができる。

④「A」も「The」もないタイトル

◆個別化を避けることで、テーマを比喩的に表現している。しかし「The」で始まるタイトルが最も広角的であることは間違いない。
 

(4)タイトルが人物

◆「ゴーンガール」のようなタイトルを見れば、読者の関心は自然と恋したい者としての登場人物に向かうだろう。

◆私たちが集めたベストセラーの5分の1は、登場人物を示すタイトルになっていた。
といっても、主役の名前そのものがタイトルになっているものはあまりない。(中略)
こうしたタイトルが示しているのは、その小説が、物語を最後まで引っ張る力を持つ、1人の登場人物を描いたものであるということだ。読者は、物語の原動力となるその人物の内面を知ることになる。

◆小説が勃興した18世紀から19世紀にかけては、人の名前をタイトルにした作品が多かった。これに対して今は何らかの言葉が出されていることが多い。

「ジェイコブを守るため」「フランクを愛して」「アレックスを殺せ」

これらのタイトルは、主人公の描写以上のものを示唆している。主人公の名前はプロットを構成する基本要素と結びつき、2つが一緒になって物語を作っている。

◆しかし主人公の名前をつけたタイトルより、その役割や地位を示したものの方がはるかに多い。

「アルケミスト(錬金術師)」「ゴーストライター」

タイトルはうまく選択できれば、行為主体性を前面に押し出し、それによって物語の中のアクションやドラマを際立たせ、さらに物語の構造、焦点、推進力、魅力を伝えることができるということになる。

・・・などなど。
題名が「人」「時」「場所」「主題」「クライマックス」に絡むことは、およそ理解できていた。ベストセラーとなるような作品は、読む前から読者を引き込むための仕掛けを「題名」に込める。
「題名」一つで、その本を読むか読まないかが決まることもあるのだから、題名の価値は大きい。

それは、作文活動(表現活動)でも同じことで、「夏休みの思い出」「楽しかった運動会」「『ごんぎつね』を読んで」のような平凡な題名をつけて満足させてはならない。

冒頭に書いた「A」「The」の違いで言えば、日本語の場合は

「あの日の出来事」
「ある一日」
「その日が来るまで」
「この日を待っていた」


のような指示語の使い方によっては、読者を惹きつけるのではないだろうか。

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ヒーロー・ヒロインの「動詞」の特徴 ~人格は運命なり~



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「ベストセラーコード」(日経BP社) は、「テキストマイニング」によってコンピューターがヒット作品の傾向を分析した様子を描いている。トピック構成、プロット、文体、キャラクターなどの傾向から新たなベストセラー作品を予測する。
 
第5章の「ノワール 『ガール』は何を求めているか」の章は、人物キャラクターの分析である。

強いキャラクターには行為主体性(エージェンシー)がある。パワーがあり、動機があり、推進力がある。その力を駆使して何をするか、そしてどういう邪魔が入るか、というのが、キャラクター重視の小説の読みどころだ。P215

この後のキャラクター分析を読んで感じたのは、主人公であるヒーロー・ヒロインの行動は、確かに小説の中の出来事ではあるが、現実世界でも、やはり憧れの行動になる点だ。
魅力ある人物の「行為主体性=エージェンシー」を分析するために、コンピューターは「動詞」に着目する。
 
◆そのキャラクターがどういう人物なのか、読者が判断するための手がかりは外見、性別、人種などたくさんある。しかし、その人物の行動を見るまではその人を本当にわかったことにはならない。この研究において私たちが知りたいのは、ベストセラーにつながる動詞、行動があるのかどうかと言うことだ。217ページ

◆ベストセラーの主人公は男女問わず、必ず何かを必要として(need)いて、それを表明している。必ず何かほしがって(want)いて、読者は主人公が求めているものを知る。needとwantは、ベストセラー小説には欠かせない動詞なのだ。
(中略) 
ベストセラー小説の世界では、登場人物は自らの行為主体性を自覚し、コントロールし、表現する。使われる動詞は迷いがなく、自信が伴っている。彼らはつかんで(grab)、実行し(do)、考えて(think)、訊いて(ask)、見て(look)、離さない(hold)。そして、愛する(love)。彼らは自分をよくわかっている。自分自身を好きであるとは限らないが、自分をしっかりと持っている。自分の人生を生きて、ことを起こす。ベストセラーのキャラクターは男女問わず、伝えて(tell)、好み(like)、見て(see)、聴いて(hear)、笑って(smile)、達成する(raach)。そこにはエネルギーがある。引いて(pull)、押して(push)、何かをはじめ(start)、働いて(work)、知り(know)、そして到達する(arrive)。ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに載るキャラクターは、目的と能力と自信を持ちあわせている。一方、リストに乗らなかった小説では、これらの動詞が見られる回数は少なくなる。
 
 自信を持って行動するキャラクターとは対照的なキャラクターを見てみよう。モデルが抽出した結果によれば、彼らはあまり何かをしようとせず、求めず、行動せず、語らず、達成しない。そのかわり、立ち止まり(hart)、諦める(drop)。ところが読者は、一方的に要求しながら(demand)、見かけだけではっきりせず(seem)、じっと待って(wait)、邪魔をする(interrupt)キャラクターにはつきあいたくはないと思っている。読者は見かけだけではなくてはっきりさせて欲しいと思っている。
待つのではなく、行動してほしいと思っている。要求して邪魔をするのではなく、自信と品格を持ってほしいと思っている。魅力のないキャラクターは、男でも女でも、声を張り上げて(shput)、放り投げ(fling)、突然向きを変えて(whirl)、相手を押しのける(thrust)。勘弁してほしいと思うだろう。さらには、ぶつぶつと文句を言い(murmur)、抗議して(protest)おきながら、ためらう(hesitate)。読者は呆れるに違いない。これらの動詞は物語の主人公というより、ぐずる子供のためのものだ。「ためらう者は機会を逃す」というが、小説にもあてはまるようだ。「ためらい」はページをめくらせない。あなたが小説の登場人物で、立ち止まったり、あきらめたり、ためらってばかりいるとしたら、それは空白のページを生み出しているに等しい。P221~222
 
・・・この後もキャラクター分析は続くが、要するにヒーローヒロインの積極的な生き方が読者の支持を得ることが分かる。
ベストセラー小説から列挙された動詞を見るだけで、「アクテイブ・ポジテイブ」が感じられる。
それは無論小説だけのことではない。日常生活においても積極的な生き方をする人物が求められ信頼されることの証だと思う。

我々教師は、現実社会の中で、子どもに良い意味で影響を与える「行為主体性」を持っていたいと思う。

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「文体」がいかに重要か 〜「ベストセラーコード」②〜

『斉藤喜博を追って』の少し長いあとがきで圧巻だったのは向山洋一氏の文体選定の場面であった。
 向山氏はこれまでも、5つの文体を内容によって使い分けてきたと述べている。

①論文風  ②大衆小説風  ③美文風   ④叙述風   ⑤私小説風

※註: それぞれの具体例となる文章に納得します。ぜひ原文をご覧ください。

◆これらの文はむろん内容によって違ってくる。逆に言えば文体によって、内容も限定されてくる。

※註: それぞれの文体の活かし方の解説に納得する。ぜひ原文をご覧ください。

 以上の五つの文体のどれにするかを悩んだのである。

◆つまるところそれは、何を表現するかと言う事でもあった。

という部分にしびれたことを思い出す。

A 教育論を書くのか
B 学校での出来事をパノラマ風に書くのか。
C 教師の心情を書くのか。
D 事実の描写とその分析を書くのか。
E 教師としての歩みを書くのか。

・・・そして、最後は「私小説風」の文体を選んだと言う。
 
文体を意識する、文体を選ぶとは、これほど重要な作業なのだ。
 
 
 さて、『ベストセラーコード』(日経BP社)の第4章「デビュー 句読点は語る」は、まさに文体研究であった。
有名な作品の冒頭の一文を列挙する箇所を読んでいて、向山氏のあのあとがきを思い出した。
 
作家の文体をコンピューターで研究するのは、応用言語学の一分野で、計量文献学とも呼ばれているそうだ。これによって作者不詳の作品を誰が書いたか推定することも可能になる。

「人は誰でも言葉に指紋、すなわち文体を持っている」 P155

という指摘も魅力的だ。the やof の使用回数というようなかなりマニアックな分析も行われている。
 
◆数千冊の本を、ベストセラーメーターに読ませて、こうした文体の基本要素をチェックさせてみたところ、売れる本に特有のパターンが明らかになった。もっともよく使われる単語や句読点を491個チェックしただけで、コンピューターは70%の確率で売れる本と売れない本を正確に区別したのである。p180
 
◆要するに、文体は重要だということだ。プロットやテーマ、登場人物を届ける手段である文体は、機械的なものであると同時に有機的なものでもあり、持って生まれた才能と後天的に身に付けた技術が結合して生まれるものである。p160
 
◆作家の文体を操る力量は冒頭の1文に現れると思うのでここでは有名な3作品を見てみよう。(具体例略)
これらの文のどこがよいのだろうか。まずひとつには、3つともこの最初の一文から声が聞こえることだ。長さ、句読点、簡素さに注目してほしい。誰かが私たちに話しかけていて、それがリアルに感じられる。そこにはある種の力がある。ためらいも迷いも不安もない。作家には個性を作り出すいう課題がある。それが魅力的であろうとなかろうと、とにかくそれが小説の中に存在し読者を引っぱっていく限りは、小説は読んでもらえる。大勢の読者をつかむ作家というのは、さりげなく文体をコントロールしながら、一文目から読者にこの個性の存在を感じさせる。p161〜164
 
◆最高のオープニングとは、純文学だろうが娯楽小説だろうが関係なく、300ページの物語がはらむ対立のすべてを20ワード以下の一文に盛り込んだものだ。作家は文法を駆使したり、わたしたちには思いもよらない言い回しを使ってそれを成し遂げる。p169
 
◆こうした文体の微細な特徴を、作家ごとに分析したところで大きな発見にはならないと思われるかもしれないが、実際には集めるうちにベストセラー小説のパターンが浮かび上がってきた。I wouldの代わりに、I‘d、 You areの代わりにYou'reを使う事は、皆が思う以上に重要なことだと分かった。形容詞と副詞、特に形容詞は使われる頻度が低いということもわかった。つまり、売れる小説は、余計な言葉を含まずに、より短く簡潔な文で成り立っているということだ。余計な従属節で飾りたてる必要もなければ、名詞を3回言いかえる必要もない。動詞のあとに「ly」で終わる単語を続けるのも好まれないようだ。p184


・・・付箋だらけになってしまった。どこも外せない。翻訳者の文体が優れているから魅了された。

およそ30年前に『斎藤喜博を追って』のあとがきを読んだときに見抜けなかった「文体論」の価値が、今になって、少しだけ分かった。

これもまた「向山実践」のバックボーンと言えるだろうか。夏休みの成果である。

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物語の展開(プロット)を考える 〜「ベストセラーコード」①〜

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​『ベストセラーコード』(日経BP社)は、たまたま目にした1冊だが非常に興味深いものだった。


「テキストマイニング」によって、コンピューターがヒット作品の傾向を分析する。
そして、トピック構成、プロット、文体、キャラクターなどの傾向から新たなベストセラー作品を予測する。
 

◆小説であれ、映画であれ、舞台であれ、物語の基本は3幕構成であり、それは古代ギリシャの時代から変わらない。一般的には設定、対立、解決と言われており、簡単に言えば、ストーリーが盛り上がり、クライマックスに達し、その後収束する、という流れになる。この基本を身に付けている作家であれば、物語の3分の1のところで話を転回させ、さらに3分の2のところで再び方向を変えることを意識するだろう。129ページ

・・・ストーリーのパターンについて読んでいて、手塚治虫の作品傾向からAIが作成した「ぱいどん」を思い出した。
TEZUKA2020の企画は、多くの手塚作品から、AIが、手塚らしさを抽出し新作を作り出そうとするもので、ヒット小説を予測する「ベストセラーコード」の過程とよく似たプロジェクトだ。

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物語の展開は「発端」「展開」「結末」の3つに分けられ、さらにその中で「日常」「事件」など13の段階に分けられるということがわかりました。

日常 事件 決意 苦境 支援 成長 転換  試練 危機 糸口 対決 排除 満足

映画など大方の作品はこの13個のパーツで収まっています。
つまり、この流れに基づいていれば、少なくとも一貫性があった話として、腑に落ちるプロット(あらすじ)になる可能性が高いということです。

手塚治虫の新作漫画に挑んだ裏側 ーAIを活用したあらすじ&キャラクター生成 2020年7月3日
https://ainow.ai/2020/03/06/190130/
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・・・「フェイズ」=局面は、馴染みのない言葉だったが、この13の「フェイズ」は、「プロット」のパーツと言えるだろうか。

「ベストセラーコード」では、「プロットライン」という言葉が出てくる。「小説の中で描く登場人物ひいては読者の感情の浮き沈み浮き沈みを示したもの」の意味で、この「フェイズ」と「プロットライン」がよく似ている。
この「プロットライン」は、「センチメント分析」と呼ばれる「感情の分析」に通じるもので、感情の起伏がグラフ化される。これも初耳。

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◆感情といった目に見えないものをどうやってとらえて、書きあらわしているのだろうか。実は、自然言語処理の世界には感情のアップダウンをとらえて、曲線で表現する方法がすでにある。センチメント分析と呼ばれるもので、実際にオンライン映画や商品のレビューの分析などに利用されているが、私たちは同じツールを使って物語も分析できることに気づいた。簡単に言えば、ポジティブな感情をあらわす言葉とネガティブな感情をあらわす言葉に注目しながら物語を読むことをコンピューターに教えたのである。p145

◆物語の中でこうしたポジティブな感情とネガティブな感情は積もったり、消散したりする。小説はそれぞれが独自の旅であり、著者は困難にぶち当たったり、乗り越えたりする登場人物を通して読者に様々な感情を体験させる。こうして積み上がった感情はストーリーにとっての句読点となり、コンピューターが発見する感情の高みや落ち込みは重要な転換点になる。こうしたデータを使ってコンピューターはグラフを描く。
 たくさんのプロットラインを分析してみて、ベストセラーは基本的な3幕構成のいずれかの形を取っていることがわかった。147ページ
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・・・第3章 「センセーション 完璧なカーブをどうやって作るか」は、ベストセラーとなる作品のプロットラインには7つのタイプがあるというもので、この図を見たとき、いわゆる「心情曲線」の事かとびっくりした。

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ちなみに、「ダヴィンチ・コード」のフェーズは次にように分析されている。
 

講演会 →死体発見 → モナリザの謎を解く →ファーシュから逃げる → ソフィーが謎を解く
→ テイーピング宅襲撃 → テンプル騎士団の謎が解ける → レミーとシラス→ すべての謎が解ける


・・・心情曲線は授業で使ったことがないが、使った授業を見たことはあるし、実践記録をWEBで見たことがある。
「プロットライン」「センチメント分析」など、これまで自分がやらないからと軽視してきたが、馬鹿にできないかもしれない。

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August 13, 2020

文学批評による批判的思考力の育成

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文学批評による批判的思考力の育成は、現在世界の教育界で主流となりつつあります。

・・・国際バカロレアの文学教師である小林真大氏は、国際バカロレアが文学研究を重視する理由を次のように述べている。

国際バカロレア機構が発行した「指導の手引き」には、文学を学ぶことで「自立的に考え、独自性に富んだ、批判的かつ明晰な思考の発達を促す」ことができると明確に述べられています。このように、世界最先端の教育制度においても、文学批評は生徒の批判的思考力を伸ばす上で極めて重要な位置に置かれていることがわかります。 『文学のトリセツ』(五月書房新社)P 29

・・・そして、どのように文学を学べば批判的思考力が身に付くかについて、次のように述べている。

国際バカロレアは、生徒が批判的思考力を伸ばすためのカギとして、教師が文学作品を「異なる複数の批判的な見解」を通して体系的に教えることが不可欠であると述べています。実際、国際バカロレアを受講している現役の高校生は、多種多様な角度から文学テクストを論じることによって、批判的思考力のスキルを培う努力を続けています。P 29

・・・小林氏が示した「指導の手引き」と同じかどうか分からないが、「言語A:文学」指導の手引き」が検索してヒットした。


https://www.ibo.org/globalassets/publications/dp-language-a-literature-jp.pdf


「言語A:文学」と「知の理論」
文学の学習は、「知の理論」(TOK)の土台を形成する「問い」と「振り返り」に取り組むための多くの機会を提供しています。「言語A:文学」コースでは、文学作品を読む上 で、複数の異なるアプローチを取り上げます。また、言語についての綿密な分析はもちろ ん、文学を通じて示されるさまざまな異なるものの見方への理解、そしてそれらが生徒自身の文化(生徒自身の文化が複数ある場合も含めて)とどのように関わるかを理解することにも取り組みます。これらの活動はいずれも、生徒が知識の探究や、批判的思考、およ び振り返りに関わることを要求します。 

批判的アプローチ 
文学作品を独自に批評する力を身につけるためには、文学を学ぶ上での方法論についてある程度の知識が必要です。批判的なものの見方を教えることは、このコースに欠かせない要素です。作品の読解の可能性についての幅広い理解を生徒に促すため、与えられたテクストに対し、異なる複数の批判的な見解を強調する場合があります。

・・・小林氏は、次のようにも述べている。

◆今の日本の国語教育において、とりわけ問題に対して1つの正解を求めるような受験重視の授業では(中略)、批判的思考力が磨かれる機会はほとんどないと言って良いでしょう。25ページ

・・「たった一つの教師の解釈」を正解とするのではなく、「自分の解釈を尊重し、多様な解釈の中から自分で選ぶ」ことを大事にするのが、

①国際バカロレアの求める文学批評の学力であり、
②PISAの求める読解力であり
③新学習指導要領国語の目指す学力である

ということか。

 昨年の「中央公論」12月号「国語の大論争」の特集では、三森ゆりか氏の言葉が印象的だった。高校で「論理国語」と「文学国語」に分ける状況に対し、両者を融合する「分析批評」を評価するような見解だったからだ。

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残念ながら日本では文学や哲学を役に立たないものとして扱う傾向があります。また、日本では「文学を論理的に読み解く」という捉え方自体がないようです。私にしてみれば、文学と論理とを別ものとして分けてしまう方がおかしいと思うのですが、例えば、文学の中の登場人物の誰それさんは、こう考えた。それはなぜか。なぜなら・・という分析をすれば、それはまさしく論理です。つまり、文学であろうが詩であろうが契約書であろうが、すべて論理がなければ文章そのものも成り立ちません。論理とは言葉を秩序立てて組み合わせて作り上げるものですから
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・・・同特集の中で、金田一秀穂氏も「論理を突き詰めれば文学になるし、文学を突き詰めれば論理になる。だから国語を『論理国語』と『文学国語』の二つに線引きできるわけがない」と述べている。

 これまでは『論理国語』と『文学国語』が分かれたことを、好意的に受け止めてきたのだが、国際バカロレアの「文学批評」の授業を知ると、世界から取り残されてしまったのかと真逆の感想を持つようになった。
「批判的思考力」を育てるつもりがないから「文学国語」の領域を残したのか?

 そこは指導要領を読み込んでみよう。 


※ おまけ

「文学のトリセツ」・・・この本では、「印象批評」「構造批評」などは、序盤の序盤。

その後、たくさんの「批評」のスタイルがあった。


脱構築批評・精神分析批評・マルクス主義批評・フェミニズム批評・ポストコロニアル批評・カルチュアルスタディーズ・障害学批評・エコクリテイシズム批評・人文情報学批評

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August 06, 2020

単純な対比の読み取りでは、飽きてしまう

「分析批評」の定番の授業の1つが「対比」であった。
「対比の授業」については、先にダイアリーで書いた。
 
 「文学のトリセツ」小林真大著(五月書房新社)の最終章は、文学批評の実例として「異邦人」を分析している。
 
「構造主義の問い」 P246
①作品にはどのような二項対立が存在しているか?
②作品における二項対立は私たちの社会の構造をどのように示しているか?

これが、大人向けの問いだとすると、入門期には
 
①この作品にはどのような対比の言葉(対になる言葉)があるでしょうか?
②作品における対比を大きくまとめると、何と何と言えますか?
    作品におけるこれらの対比から何が言えますか?
 
などが使われると言えるだろう。
 
   ①だけでなく②が必要なのは、①に終始してしまうと「分析のための分析」あるいは「分解」などと批判を受けてしまうからだ。
   意味のある分析であるためには、分析したことが「主題・テーマ・作者の意図」の解釈につながらないといけない。
 
「やまなし」では、「五月と十二月」の場面構成が対比されている。
「一つの花」では、「戦時中と戦後」の場面構成が対比されている。
 
この場面構成の対比を見つけて満足している場合ではない。

「だから何?」
「その対比構造にどんな意味があるの?」
「その対比によって強調されるものは何?」
 
などが明らかにされなければならない。

たとえば、「やまなし」は、「生きることと殺すことの表裏一体」が浮かんでくる。
たとえば、「一つの花」は、「戦争が家族を引き離す悲しさ」が浮かんでくる。

むろん、ほかの意味づけでもかまわない。何か自分で「意味」を決めてしまえばよいのだ。
 
 
さて、『文学のトリセツ』によれば、「脱構造批評」として、次の問いがある。
 
③物語を通して二項対立は脱構築されているか、どのように脱構築されているか。

これは、入門期には

③矛盾する対比はないか。通俗的な対比が否定されることはないか。

とでもなるだろうか。

理解不十分なのだが、この③の問いに挑戦してみた。
 
「やまなし」は、「五月と十二月」の場面が対比されている。
しかし、よく読むと通常の「夏ー冬」「明るいー暗い」「生ー死」のイメージではない。
だから、この作品では通常の対比のイメージと真逆になっている。

「一つの花」は、「戦時中は不幸、戦後は幸福」とごくごく当たり前の対比構造になっている。
しかし、よく読むと「戦時中は貧しいが父親が生きている」と「戦後は豊かだが父親がいない」の対比だから、どちらが幸福な暮らしかは一概に言えない。
だから、この作品では「戦中は不幸で、戦後は平和・豊か」という通常のイメージと異なっている。

 そうか、これが「アイロニー(皮肉な結果)」という分析の指標なのかもしれない。
 
◆「五月は残酷だけど、生き物同士の戦いがあり躍動感があるね」なのか
◆「五月は明るくて躍動感があるけど、殺されるから怖いよね」なのか、

受け止め方が真逆になる。
 
◆「戦後は父親はいないけど、暮らしが豊かになってよかったね」なのか
◆「戦後は暮らしはよくなったけど、父親がいないから悲しいね」なのか

受け止め方が真逆になる。
 
◆「ごんぎつねは撃たれてしまったけど、つぐないの主だと伝わってよかったね」なのか
◆「ごんぎつねがつぐないの主だと伝わったけど、兵十に撃たれてしまったから悲しいね」なのか

受け止め方が真逆になる。

真逆な解釈が成り立つから討論にもつながっていく。
 
小学生版の「対比」だから、通例通りの二項対立にあてはめて満足しているだけでは子供は退屈してしまう。
対比をつくった後の「意味の解明」にエネルギーを注ぎ、討論につなげないと思考が活性化しないのだ。
 

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対比の授業を考える

「二項対立・二元論」について書いておきたい。
石原千秋氏は、「二項対立・二元論」について次のように述べている。

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たとえば、「自己」ということについて考えるとしよう。そのとき、まずしなければならないのは、「自己」とは反対の概念を思い浮かべることである。それは「他者」だ。すると、「自己」という概念は、この「他者」という概念との『関係の中で考えればいいことになる。こういう方法を、二項対立とか二元論と呼ぶ。

「近代」を問い直す文章自体が、二項対立のレトリックを用いずには成立しないのだ。〈前近代/近代〉とか〈近代/現代(あるいはポストモダン〉といった二項対立はよく見かけるレトリックだ。独善的にならずに、関係の中でものを考えようとするなら、どこかで二項対立を用いるしかないのである。その意味で、二項対立は思考の基本である。

『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)P14~16
※太字は原文通り
=============

・・・小学校で扱う文学作品でも、二項対立(対比)で読めるものが多い。
作品の対比構造を整理すると、主題が明らかになるのだ。


(1)「ごんぎつね」の対比

「『ごんぎつね』の作品の中で重要な対比を考えさない。」と問うと、たとえば

①「いたずら」と「つぐない」
②「すれちがい」と「通じ合い」

という意見が出る。
ただし、「と」で並べるだけでは、漠然としているので、説明をさせる必要がある。

①いたずら好きだったごんが、兵十に同情して、つぐないをするようになった。
だから「いたずら」から「つぐない」へとごんが成長したという意味の対比だ。

②ごんが兵十に撃たれた直後にごんがつぐないに来たことが分かった。
だから、すれちがってしまったけど、最後の最後に心が通じ合ったという意味の対比だ。

「ごん/兵十」、「うなぎ/栗」などの具体物を取り上げても深い読みにはつながらないかもしれないが、とりあえず列挙してみると、そこから抽象思考に移行できる場合もある。
どんな対比(二項対立)でもいいから、まずはたくさん列挙させてみるのがいい。


(2)「一つの花」の対比

「『一つの花』の作品の中で重要な対比を考えさない」と問うと、

「戦争中/戦後」、「ほしがるゆみ子/与えるゆみ子」、「貧しさ/豊かさ」、「戦争/平和」、「おにぎり/コスモス」といった対比が出る。
これらを、大きな対比で括ってみると、

◆「戦時中の貧しさ」と「戦後の豊かさ」

あたりが出る。

◆「戦争中は貧しくておにぎりも十分にもらえなかったゆみ子が、戦争が終わったら豊かな食事を楽しんでいる」

対比は強調のレトリックだから、戦争中が悲惨であればあるほど、戦後の豊かさが浮かび上がってくる。


(3)「海の命」の対比

「『海の命』の作品の中で重要な対比を考えさない」と問うと、結構むずかしい。
この作品は「二項対立では捉えられないのかな」と疑ってもいる。
具体物で列挙してみる。

①「太一/じいさ」  ②「太一/父」 ③「太一/クエ」  ④「父親/与吉じいさ」
④「クエを逃がす前/クエを逃がす後」 ⑤「命を奪う海/命を救う海」
 
などから、何か抽象思考に移行してみた。
「二項対立」というよりは「二面性」と言った方がぴったりくるものもある。

◆太一の成長
①「父のような漁師になりたい太一」から「与吉じいさのような漁師になりたい太一」への成長
②「魚をたくさん捕る漁師」から「ほどほどの量で満足できる漁師」への成長
③クエを獲って復讐したい太一から、クエを逃がして「海の命」を守りたい太一への成長

◆海の二面性
①「父の命を奪う海」であると同時に「皆の命を救う恵みの海」

◆父の二面性
①「村一番の漁師」ではあると同時に「海の命を大事にしない漁師」

一番重要な対比を考えさせたとき、題が「海の命」だから、、「海の二面性」の方に子どもは惹かれるかもしれない。


(4)「やまなし」の対比

以前「陰陽二元論」という東洋的な思想を取り上げた。

「『やまなし』の作品の中で重要な対比を考えさない」と問うと、この思想が絡んでくる。

二枚の幻燈だから「5月/12月」で分けられることは、すぐに分かる。

①「五月/十二月」  ②「かばの花/やまなし」
③「かわせみ/やまなし」 ④「こわい/いいにおい」

そして、大きな対比で括ってみると、

◆「五月=動の中の死」と「十二月=静の中の誕生」

のようになる。
まさに「陰陽二元論の「陽の中の陰・陰の中の陽」の世界なのである。
 

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June 14, 2020

「転回点」=「ターニングポイント」=「クライマックス」


『宇治拾遺物語』のなかに「わらしべ長者」の話がある。

長谷寺の観音様のお告げに従ったら、手にした1本のわらがミカンになり、ミカンが布三巻になり、馬一頭になり、田畑と家になり長者になる話だ。

河合隼雄は「日本人の心を解く 夢・神話・物語の深層へ」(岩波現代全書)の中で、このお話について次のように解説している。

===============
若い侍はとても受け身で、道中にふりかかってくるものをただ受け入れるだけである。しかしながら馬が死ぬところを見て侍の態度は変わる。侍は積極的に馬を買おうとし、生き返るように観音様にお祈りする。馬が生き返るなど誰も思わないから、侍の側からするとこれは大きな賭である。
この抜き差しならぬコミットがこの物語りにおける転回点である。似た場面は多くの日本の物語に認められ、主人公の発達のための最も重要なポイントを成している。
転回点なくしては、ヒーローは自分自身の受動性の餌食となったであろう。けれどもそのようなポイントは抜き差しならぬコミットなしには実現されることはなく、逆に危険が伴っている。もしも馬が生き返らなかったなら、ヒーローはだめになってしまっていたであろう。P34
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なるほど!
「転回点」は初めて聞いた言葉だが、納得できた。
「クライマックス」というよりは「ターニングポイント」なのだ。

おおざっぱな筋しか知らなかったので、「わらしべ長者」の後半部を調べてみた。
それでも相当長いので、現代語訳を、抜粋して示す。

==================
夜が明けて、見事な馬に乗った人を見ていると、馬が急に倒れて死んでしまった。
持ち主が「この馬を始末しておけ」と、下男ひとりをそこに留め、去ってしまったのを見て

「この馬は、私の馬になるために死んだのではないだろうか。
 わらしべ一本はみかん三つになった。
  みかん三つが布三巻になった。
  この布は馬になるんだろうな」

 と思い、歩み寄って下男に向かい
「 たしかに、旅をしていては、皮を剥ごうとしても乾かすこともできないでしょう
 私はこのあたりに住んでいるので、皮を剥いで使いましょう。譲ってもらえませんか」
 と、布を一巻わたすと、下男は 思わぬもうけものをしたと走り去ってしまった。
 侍が長谷寺の方に向かって、「どうかこの馬を生き返らせてください」と念じると、馬が生き返った。
馬は元気になったが、この馬を都に引いていったら、「盗んだな」と言われてもつまらない。
「なんとかこれを売れないものかな」と思い、「馬を買いませんか」と尋ねると、
「今は、交換するような絹などはないのだが、田や米と換えてはもらえぬか」言ったので
 「私は旅をしているので、田などもらってもどうにもしようがないのですが、馬が必要なのであれば、仰るとおりでいいです」と答えた。相手は、「これはいい馬だ」と、田と家を預けて、「私が生きて帰ることがあったら、そのとき返してください。`帰るまでは、ここに住んでいてくださってかまいません。もし命を失い、死んでしまったら、自分の家としてください。子もいないので、とやかく言う人もおりません」 と言い、家を預けて、田舎へ向かってしまったので、その家に入った
 
耕した田は、思いがけないほど米がたくさん取れたため、たいへん裕福になった
 その家の主も、それっきり帰って来なかったので、家も自分のものとし、子孫もできて、栄えたという

長谷寺参籠の男 利生に預かる事
https://www.koten.net/uji/yaku/096/
====================

「3度めの事件で大きく成長する」という構造だ。
たまたま藁がミカンになり、ミカンが布になった若侍は、今度は自分から仕掛けた。
その時「この馬は、私の馬になるために死んだのではないだろうか」と自分を信じ、行動に移した。
これが「転回点」ということか。
ヒーローがブレイクスルーする瞬間とも言えるだろう。

「主人公がガラッと変わる瞬間」
=「ターニングポイント」
=「ブレイクスルーのポイント」
=お話としての「最高潮・クライマックス」


なのだと思う。
 

河合隼雄の先の解説と「わらしべ長者」を読んで、斎藤隆介の『八郎』と重なった。
八郎は、荒れ狂う海を前に、次のように叫ぶ。

「わかったあ !  
 おらが、  なしていままで、 
 おっきくおっきく  なりたかったか !   
 おらは、  こうして おっきく    おっきくなって、 
 こうして、   みんなのためになりたかったなだ 」


あるいは「スイミー」。スイミーはおびえる仲間たちに、こう叫ぶ。

「そうだ。みんな いっしょにおよぐんだ。海でいちばん大きな魚のふりして」
「ぼくが目になろう」


あるいは「モチモチの木」。豆太はじさまを救うために勇気をふりしぼる。

足からは血が出た。
豆太は、なきなき走った。いたくて、寒くて、こわかったからなあ。
でも、大すいなじさまの死んじまうほうがもっとこわかったから、なきなきふもとの医者様へ走った。

文章構造としての「クライマックス」を、人物の成長の「転回点」「ブレイクスルー」「ターニングポイント」で読むと、読書が味わい深くなる。

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May 31, 2020

国語読解法〜「物語の型」「一文の要約」〜

久しぶりに、石原千秋著の「秘伝 中学入試国語読解法」(新潮選書)を読んだ。1999年出版だ。
「国語(特に物語)」の授業ってギリギリ何を教えればいいのかを考えていて、書棚から引っ張り出した一冊だ。

P178に、では「国語」の勉強を始めよう とあり、次のページから第二部「入試国語を考える」の第一章「『国語』の基本型」が始まる。
久しぶりに目を通して、冒頭の数行だけでしびれてしまった。

まず「物語の型」をつかめ
フランスの批評家ロラン・バルトは、「物語は一つの文である。」という意味のことを言っている。これが、これから僕が「国語」について解説する立場である。
「物語は一つの文である。」ということは、物語が一文で要約できるということである(これを物語文と呼んでおこう)。たとえば、『走れメロス』(太宰治)なら「メロスが約束を守る物語」とか『ごん狐』(新美南吉)なら「兵十とゴンが理解し合う物語」とかいう風に要約できる。これが物語文である。もちろん、もっと抽象的に「人と人とが信頼を回復する物語」(走れメロス)とか、「人間と動物が心を通わす物語」(ごん狐)でもいい。ここで気づいてほしいのは、こんな風に物語文を抽象的にすればするほど物語どうしが互いに似てくるということだ。この共通点が「物語の型」なのである。 P179


・・・「桃太郎」の要約が重要な意味を持つことを、この箇所で知った時の衝撃が蘇ってくる。

それはさておいて、「これはどんなお話ですか」を端的に答えることが、第一段階だという。これをやらずに次へ行くなという意味だ。

一文で言うとどんなお話かをノートに書かせることを6年間(9年間)続けたら、ずいぶん手慣れてくるだろう。
石原氏は、次のように補足している。

基本型は二つある。一つは「〜が、〜をする物語」という型。これは主人公の行動をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが恋をする物語」といったものになる。もう一つは、「〜が、〜になる物語」という型。これは主人公の変化をまとめたもので、たとえば「たっちゃんが男になる物語」といったものになる。両方とも「たっちゃん」が成長するわけだが、そのことはもう分かっているわけだから、ここでは「どうやって成長したのか」「何が成長なのか」というレベルで一文にまとめるといい。

・・・be動詞「〜になる」でまとめるパターンと、一般動詞「〜をする」でまとめるパターンがあるということだ。

一文で書けない子に「このお話の場合は、どっちが書きやすいかな」と2つのパターンを示したり、書けた子に「あなたは、どちらのパターンで書きましたか」を考えさせたりすることで、物語文をまとめる作業に慣れさせていく。
 キーワードをきっちり指定しなければ「桃太郎」の要約のようにドンピシャにはならないから、個々で書いた要約文(物語文)を互いに見せ合って、情報交換すると、より完成度の高い一文になるだろう。

 作品を読み終えたら「どんなお話か」を一文でまとめさせる

・・・何回も繰り返せば、自動化できる。

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