August 18, 2022

学校の研究テーマはロジカルに作られているか?

「読解力向上をめざした工夫ある授業づくりを通して」がテーマの小学校で研究授業を参観したことがある。

(1)読解力の定義は吟味されていたか?

「PISA調査で読解力低下が指摘された」と指摘しながら、

「読解力とは文字通り文章を読んでその意味内容を理解する力である」

と定義されている。

 PISAを引き合いに出すなら、読解力は「書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。

 そうでなくでも指導要領だって、「よむこと」の欄に「自分の意見をもつ」「自分の表現に役立てる」がある。だから有元秀文氏は「読解表現力」という用語を提唱した。

 意味内容の理解だけを「読解力」などという定義では、時代遅れなのだ。

 

(2)各学年の研究仮説が吟味されていたか?

(低)音読に関心を持たせる活動を取り入れることにより、読解力が高まるだろう。

(中)音読を毎日行ったり、体験を書いたりするなどするなど、表現活動を多く取り入れた授業をすることにより、読解力が身に付くだろう。

(高)主題に迫る一文に着目する授業つくりをすることにより、読解力を高めることができるであろう。

 

・・・各学年の文末が「高まる」「身に付く」「高めることができる」とある。

文末は統一してほしい。

この文末の不揃いにこだわる言語感覚こそが「読解力」の基盤ではないか。

 それに、どの活動も、「読解力」に直結していないと思う。

「音読させれば読解力が高まる」「体験を書かせれば読解力が高まる」「主題に迫る一文に着目させれば読解力が高まる」という仮説だが、私なら「音読」「体験作文」「一文に着目」だけでは読解力が高まらないことを検証したいくらいだ。

 音読や体験作文を否定はしないけど、読解力向上の手立てにしては間接的過ぎる。

 なぜならPISA型の3段階で考えると、「テキスト理解」のレベルでしかないだからだ。

 テキストの「利用」「熟考」をさせていないのだから、これでは、学力テストでお手上げだった記述型・論述型の設問には対応した力をつけられないのである。

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July 27, 2022

「探索的会話」

◆活発な話し合いを行っているグループの一人ひとりは何も学んでいない。
◆探求活動が行われているグループは、活発な話し合いではなく、静かなつぶやきとぼそぼそ声を交流している。
・・・『総合教育技術』2022年2月号の佐藤学氏の連載は奥が深かった。
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グループ学習は「話し合い」にしないことが最も重要である。学びは既知の世界から未知の世界への旅(経験)であるが、「話し合い」はすでにわかっていることの交流であって、そこには学びが成立しないからである。実際、活発な話し合いを行っているグループの一人ひとりの発言を記録し分析すると、何も学んでいないことがわかる。学びが成立し探求活動が行われているグループは、活発な話し合いではなく、静かなつぶやきとぼそぼそ声を交流している。静かな教室でつぶやきと囁きが交歓されているグループ学習の教室こそが、質の高い探求と共同の学びが遂行されている教室なのである。
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さらに、「会話」には2つのタイプがあるという。
◆ 「発表的会話」は「僕はこう思う」「これはこうだ」という会話。
◆「探索的会話」は「これがヒン トにならないか」「あれとこれは関係しているのではないか」と探りを入れながら推論し思考する会話。
なるほど。
確かに、すでにわかっていることを伝えるだけの交流なら、そこで交わされる会話は「自分はこう思う」「うん、そうだね」で終始してしまう。
そのような会話レベルなら、いくら活発でも、何の生産性もない。
グループ学習はそんな「話し合い」にしないことが重要だという指摘は、すごく新鮮だった。
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グループ学習における「聴き合い・学び 合う」活動の重要性は、ロンドン大学のダグラス・バーンズが1990年代に指摘し、 日本では一柳智紀(新潟大学)がパーンズ を敷衍して探究している。
バーンズはグル ープ学習における子どもの発話を「発表的会(presentational talk)」 と 「探索的会話(exploratory talk)」 に分け、協同的探究は「発表的会話」ではなく「探索的会話」によって遂行されることを示していた。「発表的会話」とは「僕はこう思う」「私 はこう考える」「これはこうだ」という会話であり、「探索的会話」は「これがヒン トにならないか」「あれとこれは関係しているのではないか」というように、探りを入れながら推論し思考する会話である。
協同的学びにおける「探索的会話」の重要性 は、その後、ケンブリッジ大学のニール・ マーサーによって継承され、ヨーロッパ諸国の協同学習の最も強力な理論的基礎になっている。
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・・・「探索的会話」で検索したら、たくさんの論文がヒットした。しっかり追究したい。

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June 04, 2022

まずはスラスラ音読できること

 向山先生は『実践・授業の腕を上げる法則』の中で、次のように述べています (P 24,25)
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 いつもの私なら何をするか?
 答えは簡単である。
 「教材の文章を全員が読める」ようにすることである。二年生の子どもたちが、 教材の文章をスラスラ読めるようにすることある。
 分析批評は、その後のことだ。
 教材がスラスラと、あるいはしっかりと読めるようにさせること、これは国語の授業の出発点である。
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 大森修先生は、もっと厳しい言い方をされます。
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 音読を十分にすると「読めば分かること」はほとんど分かってしまうので ある。「読めば分かることを授業する必要はない」 その通りである。しかし、現実の授業はどうか。読めば分かることを授業しているのである。読めば分かることが読んでいないために子どもに分からないのである。
 音読を十分にしないために子どもが分からない内容を、教師は子どもが分からないのだと誤解している。子どもは力がないという教師ほど誤解をしている。
 分析批評の授業は、 普通に読んだのでは分からない内容を授業している 。であればこそ、読んだだけで分かる内容をきちんと子どもに分からせてい るかどうかが厳しく問われなければならない。 読めば分かる内容さえも分からせないで子どもに普通に読んだだけでは分からない内容を分からせることなどできないからである。
『教室ツーウエイ』No 56 P21、22
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・・・久しぶりに大森氏の文章を読みました。文面のしつこさがたまらないですね。
 あえて、ロジックを整理すると、次のようになるでしょうか。
①音読が十分なら「読めば分かる」ことは分かってしまう。
②しかし、多くの学校では、音読が不十分なので「読めば分かる」ことさえ分かっていない。
③分析批評は、音読だけでは分からない授業を課している。
④だから、音読も十分でない教室で分析批評ができるわけがない。
 佐々木俊幸先生も次のように述べています。
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 いくつかの音読指導の技術を身につけていて、それを必要に応じて使い分けていけるのがプロ教師である。
「『大造じいさんとガン』の全発問・全指示」p91、92
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 さて、先日参観した4年の授業では「一つの花」の三場面を扱い、簡単にあらすじをまとめさせていた。
 あらすじの構成要素の確認も必要だが、そもそも「スラスラ読めること」が保障されていなかった。
 4ページもある場面だから、ちょっと読んだくらいでは、整理できない。
 宿題で音読させるだけで保障できるほど甘くないので、授業の中で、きっちり音読練習をさせてほしい。
 ICT活用の世の中でも、音読練習は決しておろそかにしてはならない。
※参考 「まるの会通信No133」 89.12.10  日本教育技術学会雑記より 

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May 18, 2022

国語の教科書で「リード文」の指導



 椿原正和先生の学テ対応の指導の中で、リード文の指導がある。

リード文とは、本文に入るまえに「このページにはこんな内容が書かれていますよ」と概略を訪問者に伝えて、理解を助けるための文章のことです。
導入文とも呼ばれます。 ページタイトルのあと、目次や本文のまえに配置されることが多いです。
・・・本文の前のちょっとした解説部分を決して見逃さないことが「初読」の大切なポイントになる。(ちなみに、このサイト読みごたえがあります。)
 では「学テ」ではなく、教科書の場合は「リード文」の指導はどうするか。
 2年生が扱っている「たんぽぽのちえ」に限らず、光村の多くの作品は、本文の前のページに「単元の扉」というちょっとした解説がある。
 これが「リード文」に相当する。
順序に気をつけて読もう。
たんぽぽのちえとは、どんなものでしょうか。
たんぽぽについて知っていることを友だちと話しましょう。
 本日観察した授業では、全文音読をさせていた。
 音読する度に、このリード文も読ませたら「順序」「ちえ」の意識を貫くことができる。
 本文の後にも、学習のページで「見通しをもとう」と、先の2点は示されている。
・じゅんじょが分かることばに気をつけましょう。
・たんぽぽは、どんなちえをはたらかせているかをたしかめましょう。
 ただし、学習のページは、さまざまな学習活動と、それにかかわる正解が示してあるので、このページを見せたくない先生が多い。
 一方、本文の前に置かれる「リード文」のページは、存在の価値が分からないので、このページを見せていない先生が多い。もったいない。
 「たんぽぽのちえ」を学習した後、「順序を習ったぞ」という実感を持たせないといけない。それが汎用的な読解力。
 本文後の学習のページには、リード文に対応して、「ふりかえろう」の欄がある。
 授業者は、ここまでしっかり教科書を活用してほしい。
◇しる じゅんじょが分かることばを、いくつ見つけることができましたか。
◇読む たんぽぽは、どんなじゅんじょで、ちえをはたらかせていましたか。
◇つなぐ なにかをせつめいするとき、どんなことばをつかいたいですか。
ただし、この3項目、自己評価のチェックボックスにしてもらった方が使い勝手はいい。

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May 11, 2022

「言葉ってスゴい!」

 先の投稿の印象的なフレーズが
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「計画する」「振り返る」のカギは言語化にあって、言葉にするという過程で大脳新皮質を刺激します。(和久田学先生の言葉)
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 「言語化」について、どこかに書いてあったはずと探してみた。
 「Science Windows」という雑誌の2008年4月号の一節だ。
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分かった!とは、 自分のことばで説明できて はじめて得られる感覚でしょう
◆小学生も科学者も不思議な現象や解けない問題を前にして「理解したい」 という気持ちは同じで、それは人間がもともと持っている言語能力を使って「きちんと説明しきってみたい」という気持ちでもあるのですね。本能的な欲求と言ってもいいでしょう。
 学校の先生の重要な役割のひとつは、「分かった!」という理解の感覚を 子どもたちに覚えさせることです。高度な思考や抽象的な考え方のヒントを子どもたちに与え、自ら言語能力を 使って考え、きちんと自分の言葉で説明できるまで理解して初めて、「分かった」と思えるようにする。その理解の基準(スタンダード)がしっかりとできないと、中途半端な理解なのに「分かった」と思ってしまうようになり、 知識が定着しなくなります。
 子どもたちに、理解したことを自分の言葉で説明できる喜びを伝えてほしいですね。それは、人間だけが持つ本能的な満足感でもあるのです
「脳科学者酒井邦嘉氏が語る  思考の基礎をつくる言葉」より
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科学雑誌なのに、特集テーマが「言葉ってスゴい!」
特集が組まれた2008年=平成20年には意味がある。
平成20年1月に出されたのが中教審答申。
そこで学習指導要領の改訂(つまり1つ前の学習指導要領の実施)に当たって充実すべき重要事項の第1として言語活動の充実が挙げられ、各教科等を貫く重要な改善の視点として示された。
生きる力をはぐくむことを目指し、基礎的・基本的な知識及び技能を習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養うための「言語活動の充実」。
この一丁目一番地の取り組みの流れは今も続いていると勝手に思っている。
ただ、当時のバイブルとも言えた文科省の『言語活動の充実に関する指導事例集』の冊子を読み直しても、「言語化」というワードは出てこなかった。
引用部の冒頭が「言語化」の重要性をよく示している。
まさに、思考の基礎をつくるのは、「言葉」なのだ。
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「計画する」「振り返る」のカギは言語化にあって、言葉にするという過程で大脳新皮質を刺激します。
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・・・「言語化」という用語が、もっとスタンダードになればいいのだが。

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日本の国語教育に求められること

A:日本はハイコンテクストの文化
 島国で、人種・文化の多様性があまりない日本では、話し手と聞き手との間に共通項が多く、言葉を尽くさずとも何となくわかりあえる、暗黙知がある。
B:英米はローコンテクストの文化
 人種や文化が多様な地域では、共通項が少ないので、きっちりと言語化し、クリアでシンプルでわかりやすいメッセージを伝え、あいまいさを排除しなければならない。言語化して説明可能な知識を「形式知」と呼ぶ。
・・・文化の違いは「優劣」とは違うから、どちらが優れているかが問題ではない。
文化が違えば、自分たちの常識が通用しないと理解することが大事だ。
異なる文化、人種、背景を持つ人同士がわかりあうたった1つの手段はコミュニケーションである。だから、アメリカでは徹底して、言語化し、メッセージ化し、口頭で伝える教育が行われる。
日本が国際的な活躍(競争)をするには、アメリカのように、
徹底して、言語化し、メッセージ化し、口頭で伝える教育
が必要なのだ。
もちろん、文学の世界は「曖昧さ」が好まれる。
「うれしい」と書かないで「うれしい」感情を想起させる筆力が、作者の腕だ。
しかし「情景〜心にある感じを起こさせる光景や場面」の読み取りなどは、スキーマの問題もあって全員が納得することは難しい。
日本の職人の世界では技能を言語化せずに「見て学べ」と「暗黙知」が要求される。徒弟制度がなくなれば、そうした技能は消滅してしまう。
あいまいな表現で誤解されては、ビジネスでは困る。
誤解されない表現が「コミュニケーション」だ。
ハイコンテクスト文化の日本人は、自身のハイコンテクスト性の長所短所を十分理解して、
ローコンテクスト文化的な言語表現を身につけて補完する必要がある。
文学作品の「あいまいさ」をいちいち言語化するのは「野暮」ではある。
しかし、意味が通じないデメリット(誤解されるトラブル)を考えると、たとえ「野暮」でも、分かりやすい言葉に言い換える作業は必要になる。
※大学入試の国語問題(文学)は、およそ、ハイコンテクストをローコンテクストに言語表現することが基本なのかも。
「言ったつもり・伝えたつもり」にならない言語教育が求められている。
アメリカでは徹底して、言語化し、メッセージ化し、口頭で伝える教育が行われる。
日本の教育も、そうでなくてはいけない。
「『言語技術』が日本のサッカーを変える」(光文社新書)
初版は2007年でしたね。当然、その頃から「言語力・論理力・コミュニケーション能力」は話題になっていました。

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April 28, 2022

漢字の読み書きのつまずきについて

かつて、漢字の読み書きのつまずきについて(発見と対策)という1枚のレジメを配布した。

『実践障害児教育』2013年に連載された「読み書きのつまずき発見は支援のチャンス!」村井敏宏氏を参考にした。


1 漢字の難しさには、3点あります。
(1)習う文字が多いこと。
特に3・4年生は1年間で200文字を学習するので大変です。

(2)画数が多く、形が複雑な漢字があること。
小学校で20画の漢字もあるので大変です。

(3)複数の読み方の漢字があること。
読み方を文脈で判断する必要があるので大変です。


2 漢字の誤り=漢字の混同には3要素があります。
(1)同じ音の漢字(同音異字)と混同する子。 

「意味」の習得が不十分な場合、
「黒板→国板」「多い→大い」のような間違いを起こします。

対策① 部首の意味や漢字の意味を意識させる。
対策② 低学年では、絵と漢字とを対応させる。

(2)似た意味の漢字と混同する子。
「音」の習得が不十分な場合、
「ふゆ→雪」「にく→牛」「先生→生先」のような間違いを起こします。

読みがなから漢字が思い出しにくい子や、漢字のまとめのテストで点がとれない子に多いです。

対策① 漢字の練習時には読みを唱えさせる。
対策② 文章中の漢字や熟語を読む練習をしっかりさせる。
対策③ 意味のつながりで漢字を覚えることは得意なので、漢字の「仲間集め」もよい。

(3)漢字の形を混同する子。
 「形」の習得が不十分な場合で、次のような間違いのパターンがあります。  

①形の似た漢字との誤り
・・教える→考える、親友→新友
②部分的な形の誤り
・・・線が1本足りない、点の数が多い、線が突き出ているなど
③全体的な誤り
・・・部首の一部が別の字、形が大きくゆがんでいるなど
④部首の配置の誤り
・・・へんとつくりが逆・部首に位置が違うなど

時間をかけて練習していてもなかなか漢字を覚えられない子の中には、練習しながら別のことを考えたり、偏だけを先に書いたりして、覚えるための練習になっていない場合が多いそうです。

対策① 漢字の部首やパーツを意識させると、一画ずつ覚えるよりもまとまりで覚えられるので効率的だそうです。
たとえば16画の「親」の字も、「立つ」「木」「見る」の3パーツで覚えれば習得しやすい。

部首やパーツの意味を意識すると、漢字を覚える手がかりも増えるので、漢字は丸暗記でなく、語源を意識させるとよい。

対策② 少ない練習回数でも、部首の意味を考え、部首の名前を唱え、漢字の読み方も言いながら練習すると漢字が覚えやすい。

対策③ 鉛筆でノートに書くのが遅い子は、失敗が苦にならない指書きを多くさせると、練習量が増えて、定着しやすい。

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April 20, 2022

フルセンテンスだから思考訓練ができる ~法則化運動から学んだ文化~

Amazonの企画書はパワポの箇条書きではなく、文章表現だという。

◆欧米は契約社会で『書いてあることがすべて』という意識が強いため、資料でも文章が好まれる。一方、日本では『行間を読む』文化があり、単語や短いセンテンスの方が伝わりやすい。

https://dot.asahi.com/aera/2018122600031.html?page=2

◆資料を1ページにする発想は他の会社に無いわけではないが、アマゾンならではの流儀といえるのが、図やグラフ、箇条書き形式を廃していること。議題に応じておのおのが工夫して、文章で表現することが求められる。

 「なぜなら、図や箇条書きでは読み手によって解釈にブレが生じるから。文章なら“行間を読む”必要が無くなり、共通認識を全員で持つことができる。会議に出席しなかった人が見ても真意をきちんと伝えられる」(佐藤氏)

文章(ナレーティブ)で記述する
・経緯や説明はファクトベースで
・「ゴール」「結論」が先、「何をするか」は後
・1文はできるだけ短く

https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00447/00007/

 

◆端的にいうと、パワポによるプレゼンでは、平凡なアイデアが立派に見えてしまったり、聞き手を「わかった気」にさせるだけで、メッセージが記憶に残りにくいといった問題がありました。

 そこで、会議で使う資料はパワポより叙述形式の文章でしっかり書き込んだほうがいいだろうということになったんです。叙述形式で書けば、発表者の意図を十分に説明できますし、受け手が誰であれ、メッセージの受け取り方に大きな齟齬が出ません。

 https://diamond.jp/articles/-/298547

 

さて、私たちの周りでも、講演記録や研究協議会記録などは、箇条書きが基本である。
しかし、向山洋一氏の実物資料・法則化運動の活字文化は違った。
学級通信、研究通信、サークル通信などが、いわゆるフルセンテンスだった。
フルセンテンスだから、場面が詳細に語られ、理解が深まった。
詳細なストーリーはエピソード記憶としてインプットされるので、内容が後々まで頭に残った。

併せて、宇佐美寛氏からは、書籍を通して、「主語の明確化」「一文一義」「結論を先に」「丁寧な引用を」といったアカデミックライテイングの作法を教わった。

おかげで、新卒のころから、フルセンテンスで書くことに対する抵抗がなかった。
子供の作文や通知表の所見など他人の文章を読むと、主語述語のねじれや不自然な文末表現などに違和感をもつ言語感覚を磨くことができた。

LINEのようなSNSがもたらす、ワンセンテンス・ワンワードの文化。今やその一言の代わりにスタンプで表現する時代。

そんな時代だからこそ、教育現場では「フルセンテンス」を指導せねばならない。

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January 21, 2022

子どもの誤答を考える。

1年生のクラスの算数の授業を見ていたら、「10が5つと、1が6つでいくつでしょう」で困っている子がいた。

「10円が5個あったら、いくらかな?」

「15円」

・・・そうか、そう考えるか。

「10円が1個で10円、2個で20円、3個で30円だぞ」という説明で押し切って「50」を引っ張り出す。

「同じように考えたら、1が6つあるんだから6だな」と言うと

「じゃあ、1はどこにいったの?」

と怪訝な顔をする。

・・そうか、そう考えるか。

「単位の1」という概念が希薄だから「1が6つ」という表記の意味が理解しきれていないのだ。

でも、これは数学的な思考の混乱ではなく、国語的な表記の混乱かもしれない。

 

A「1と6でいくつでしょう」・・・7

B「1が6こでいくつでしょう」・・6

 

「1が6こ」という表記を、数字と数字だと読み取っていると、「1はどこへいったの?」ということになる。

 

同様に「10が5個で15」という解答も

 

A「10と5でいくつでしょう」・・・15

B「10が5こでいくつでしょう」・・50

 

という国語的な表記の混乱なのかもしれないのだ。

子どもにとってABはよく似ているし、Aの足し算の表記に慣れているので、単位量を表すBで読み誤るのかもしれない。

「10が5こ、1が6こ」は数概念の基本だが、奥が深く、困っている子もいるのだということを教師が想定する必要がある。

 

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December 28, 2021

国語の発問づくりは3段階ある。

国語の発問づくりを石原千秋の「大学受験のための小説講義」(ちくま新書)を重ねてみると、新たな発見があった。

「大学受験の小説講義」は、何度も読み返しすのだが、全然身に付いていないことが分かって愕然とした。

テキストを読めばすぐに答えられる問いもあれば、どうやっても答えようもない問いがある

という流れを受けて、次のような記述がある(P176から177)。

◆すぐれた小説の読者は、「なかなか答えられない問い」をテキストに巧妙に仕掛けていくものだ。もちろん、「なかなか答えられない問い」は「まったく答えられない問い」ではない。考えようによっては答えることの出来る問いなのである。そして、それに答えることによってテクストはより深く読みこまれる。そういうレベルにある問いだ。

・・・この「小説の読者」は「教師」に置き換えられる。
教師の役割を次のように考えた。

「①テキストを読めばすぐに答えられる問い」を布石にしながら
「②なかなか答えられない問い」をメインに持ってくる。
そして、子どもたちから列挙される「③まったく答えられない問い」は、適当にスルーして授業の進行をリードする。
教師の発問に答えさせることによって、テクストはより深く読みこまれる。

 石原氏は、次のように言う。
「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る読者がすぐれた読者だ」

・・・子どもたちが「すぐれた読者」になることが望ましいが、まずは、教師が先だ。

 次のように置き換えられる。

★「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る教師がすぐれた教師だ」★

 ただし、教師は「すぐれた読者」で終わるわけにはいかない。
 石原氏は次のように言う。

ただし、研究者は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、一般の読者と同じレベルの読み込みしかできないからだ。研究者にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた問いだと言えるだろうか。

・・・高段者の先生の授業で驚くには、その発問の見事さである。
 ということは、「研究者」は「教師」に置き換えられる。
 念のためトレースして提示する。

★ただし、教師は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、子どもと同じレベルの読み込みしかできないからだ。教師にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた発問だと言えるだろうか。

・・・先に示した教師の役割が次のように変更できる。

①「テキストを読めばすぐに答えられる問い」でホップ
②「なかなか答えられない問い」でステップ
③「まったく答えようのない問い」に近づいてジャンプ

・・・「まったく答えようのない問い」に近づいた問いについて、石原氏は次のように言う。

それはほとんど「誤読」に近いが、「誤読」に少しでも触れる冒険を経験しないような読みは、研究者にとっては読みの名に値しない。研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

・・・この「研究者」を「教師」に置き換えるつもりでチャレンジしていきたい。

★テクストの可能性を限界まで引き出し、子どもの読みの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

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