August 04, 2017

国語の「抜き出し問題」

 市の夏期研修で、中学校の教科書教材である『盆土産』の模擬授業が行われた。
 少年がどんな気持ちで「えびフライ」とつぶやいているのか読みとる課題で、文章中から心境が分かる箇所を抜き出す作業が行われた。
 
 読解力が「抜き出す力」だけなら、鍛えるのは容易だし、正解に迷うことも少ない。「国語の答えは文中にあるから安心せよ」と言い切れる。

 ただ、実際は「文中にある言葉」だけでは、問いに対応できない。今回の模擬授業で言うと「少年のつぶやきは、期待と不安の2つの気持ちが入り混じっている」とまとめる場合だ。

 大人なら「期待」と「不安」というキーワードが自然に出てくるが、どちらも文中にないワードだ。どうして「期待」「不安」というワードが出てきたのかと聞かれても答えづらい。

 文章中に出てこない「期待と不安」を、当然の正解として提示してしまうと、
「これだから、国語は分からない」
「文章中に答えはあるって言うけど、おかしいじゃん」
ということになる。国語嫌いの要因の1つは「なぜそのワードが出てくるのか分からない」ところにある。受験国語のテクニックの1つに、よく出る抽象語(主題語)を覚え込んでしまうことがある。

 主人公の心境に合うワードを選択肢から選べという設問なら「期待」「不安」に近い概念を選べばいい。
 適切な二文字熟語を2つ書けと言われたら、「二文字熟語」というヒントに合わせて捻出すればいい。
 数学の図形問題でパッと補助線が浮かんでくるのが鍛錬の成果であるように、国語の読解問題で、文中にない適切なワードがパッと浮かんでくるのが鍛錬の成果だ(あえて才能とは言わない)。

 さて、井関義久氏や鶴田清司氏は、読解力を、「解読」と「解釈」に分けた(と記憶している)。

◆客観的に答えが確定できる読みが「解読」
◆主観的な見解を伴う読みが「解釈」


 この定義に沿って考えると、

◆つぶやく際の心境を文中の言葉から抜き出すのが「解読」
◆文中にない「期待と不安」という言葉で括るのが「解釈」

にあたる。

 解釈問題は主観性が強いので、選択肢で出題される場合が多い。
 選択肢なら何とかなるから国語嫌いの子も納得させられるだろう。選択肢を吟味する中で、端的なキーワードの感覚が磨かれると言ってもよい。

 まずは、抜き出し問題に徹底して慣れること。解釈問題を捨てても、解読問題と選択問題だけで、かなりの点数がとれる。
 ただし、そもそも授業者が子どもに「解読」を求めているか、「解釈」を求めているか、その自覚はもって欲しい。

※ちなみに「盆土産」の今回の模擬授業場面は、TOSSランドにも実践があった。

http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/28197
・・・村上氏も模範解答例の中で「これは、土産の中身が正体不明なため、期待と不安の入り交じった気持ちであることを表している」と書いている。

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March 18, 2017

クリティカルシンキングの工夫

 「考える力(クリティカルシンキング)」を鍛えるために日常生活でできる工夫を、これまでの研究を基に、紹介します。(*3)

・・・たまたま見ていたサイトで、クリテイカルシンキングについての記載があった。
================
◆仮説を立て、試すことを励ます
例えば、「この食材、このスーパーの袋に全部入るかな?」「この氷とあの氷、どちらが早く解けるかな?」と質問し、子どもに「入らないと思う」「この氷の方が早く解ける」など「仮説」を立てさせ、実際にどうなるかを試す機会を与えてやりましょう。

◆周りの物事の「類似点」と「差異」を見出す
身の回りの物事を2つ以上選び、「類似点」と「差異」について話し合ってみましょう。例えば、「月と雲は同じ空にあるけれど、色も形も違うね」、「スプーンとフォークは両方とも食事を口に運ぶ道具だけれど、先の形が違うよね」など。

◆分類する
玩具でもいいですし、地面に転がっている石を集めるのもいいでしょう。色、形、大きさ、感触別など、様々な分類法を試してみましょう。

◆「事実」と「解釈」の違いを話し合う
例えば、「今日の給食は煮魚だったよ。美味しかった」と報告する子と、「じゃあ今の言葉の何が『事実』で、何が『意見』かな?」と話し合ってみましょう。またニュース番組を見ながら、「今アナウンサーが言ったことは事実かな、それともアナウンサーが思ったことかな?」と尋ねてみます。

◆「他にどんな方法があるだろう?」と考える
積み木を積み上げたなら、「他にも高くする方法があるかな?」と試してみましょう。洗濯物を一緒にたたみながら、「他にたたみ方があるかな?」と考えてみるのもいいです。

◆すぐに答えを示さない
自ら考え、試し、失敗する過程でこそ、「考える力(クリティカルシンキング)」はグンと鍛えられます。積み木を高く組み立てようとする子に向かって、「大きいものを下にした方が積み立てる時安定するわよ」などとすぐに「答え」を言ってしまわず、子ども自らが考え、試す過程を体験させましょう。

◆ディベート遊び
親子間や、兄弟姉妹間などで「ディベート遊び」をしてみましょう。意見が分かれた場合など、絶好の機会です。「お兄ちゃんはハンバーグが食べたいというけれど、あなたは唐揚げがいいのね。じゃあ、なぜそう思うのかを、お互い理由を並べて説明してくれるかな」などと始めます。

◆「遊ぶ時間」を大切にする
子どもの「遊び」には、「考える力(クリティカルシンキング)」を培う機会が溢れています。例えば、お友達と砂山を作るために、「少し水をしみこませた方が崩れにくいと思う」と「仮説」を立て、試すこともあるでしょう。手持ちの道具や玩具の「類似点」や「差異」を見出し、より適切なものを選び、お友達と「どうして砂山の右側からトンネルを掘る方が、左側から掘るよりいいのか」を話し合うこともあるでしょう。遊びは「考える力」を育むチャンスの宝庫です。「夢中で遊ぶ時間」を、なるべくたっぷりとることを心がけてやりましょう。

日常生活に「考える力(クリティカルシンキング)」を培う工夫を取り入れ、子どもたちが、これからの世界を生き生きと駆け抜ける土台を築いてやりたいですね。
https://allabout.co.jp/gm/gc/467251/2/

=============(引用ここまで)

 すごく分かりやすい。
 すごく取り組みやすい。
 
 ママさんたちが、このようなサイトを見ているのだとしたら、下手な教師の授業は糾弾されかねない。
 教師はママさんの知識の上をいかないといけないのだが、この記事の参考資料は、どうやら日本のものではない。

(*3)Abrami PC, Bernard RM, Borokhovski E, Wadem A, Surkes M A, Tamim R, Zhang D. 2008. Instructional interventions affecting critical thinking skills and dispositions: a stage 1 meta-analysis. Rev. Educ. Res. 78:1102–1134.

 すごいな~。著者の長岡真意子氏のプロフィールを見ると「国内外の豊富なリサーチ資料に基づく子育てヒントの提供」とある。
 こうなると、ママさんが見る無料サイトだからといっても、おいそれと太刀打ちできないことがわかる。

 ただ、クリテイカルに列挙するなら、羅列ではなく、ナンバリングしたい。それに順番も、もう少し工夫したい。
 並び替えてみると、今まで自分たちが目指してきたものと、ちゃんと重なってくる。

(1)「遊ぶ時間」を大切にして、情報を蓄積する。

(2)列挙する・分類する。

(3)「類似点」と「差異」を見出す。

(4)「事実」と「解釈」の違いを話し合う。

(5)仮説を立て、検証する。

(6)他の方法も考える。

(7)ディベート遊び(理由を言い合う)

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March 05, 2017

長い一文を読み取る力

  5年生のクラスに補欠で入り、国語テストを監督することになった。
 学年のまとめ(ぶんけい)は、なかなか手ごわい読み取りテストだった。
 「ゆるやかにつながるインターネット」は昨年の教科書教材なので、子ども達にとっては初見の説明文である。
 文章全体に様々な「2つ」が組み込まれていて、その「2つ」を探すことが主に出題されている。
 便宜上、設問の1~4として以下に関連する一文を示す。さらに便宜上「」と①②を書き加えておく。

設問1の該当箇所
インターネットにつながるあやしさ・・「①その一つは~。②もう一つは~。」

設問2の該当文
「①いつも意図した通りにやりとりが運ぶと思わず、わからなかったら確かめる、②予期しない返事が来ても、おこったりあきらめたりせずに、きちんと説明する」ということを重ねていきたい。

設問3の該当文
「①よく考えずにほかの人を考える内容を発信したり、②個人的な情報を無断で公開したりしては」、人をつなぐはずのインターネットが人を傷つける道具になってしまう。

設問4の該当文
「①受け取った情報が信用できるものかを注意深く見きわめることはもちろん、②あなた自身が無責任な言動をしていないかどうか、常に自分に問う必要がある。

・・・設問1は、「その一つは~。もう一つは~。」だから決して難しくない。ただし、場所がずいぶん離れているので、そこが難しい。
 「その一つ」には改行がないの見落としやすいが、「もう一つ」には改行があるので、「もう一つ」が出てきたときに、前の「一つ」がどこにあるかを逆思考で確認するようなスキルが求められる。

 設問2・設問3は、長い一文の中に、2つの注意事項が書かれている文型。
 特に設問3の場合は「~たり、~たり」なので、2つの内容が盛り込まれていることを意識させやすい。
 大人でも間違いやすい「~たり、~たり」の作文に書き慣れておくと、読み取りの際にも2つの内容が意識ができるのではないだろうか。

 設問4は、「Aはもちろん、B~」という構造で2つの内容が盛り込まれている文型。
 なるほど、確かにこういう表現は日常でよく使われる。読み慣れること・書き慣れること・言い慣れることが大切なのだと思う。

 それにしても、今回、じっくり読んでいて「一文の長さ」が、難度を上げていることがよく分かった。

設問2の一文は、
◆たがいに、いつも意図した通りにやりとりが運ぶと思わず、わからなかったら確かめる、予期しない返事が来ても、おこったりあきらめたりせずに、きちんと説明するということをていねいに重ねていきたいものです。

設問3の一文は
◆よく考えずにほかの人を考える内容を発信したり、個人的な情報を無断で公開したりしては、人をつなぐはずのインターネットが人を傷つける道具になってしまいます。

設問4の一文は
◆受け取った情報が信用できるものかを注意深く見きわめることはもちろん、あなた自身が無責任な言動をしていないかどうか、常に自分に問う必要があります。

 この程度の一文の長さに耐えられるような日ごろからの読書体験が必要だ。

 さて、今回のテストで、かなり出来が悪かったのが、設問1に関する部分。
 2か所の内容を15文字以内で書かせるのだが、後半の一文は

◆もう一つは、顔を合わせないですむという気楽さ、いつでもつながりを切ることができるという安易さから、つい無責任になりがちだということです。

 この一文の構造が理解できる人は、要約したら

◆「もう一つは、つい無責任になりがちだということ」

になることが分かる。15字の模範解答は「無責任になりがちだということ」。
 しかし、子どもたちは一文の前半に目がいってしまい、ほとんどの子が「顔を合わせないですむ気楽さ」と書いていた。そこそこ15文字でうまく抜き出せるからだ。

 長い一文を読み取る力として、

(1)一文に含まれた複数の意味を分ける力
  =複文を短文に書き直すトレーニングで身につける。
  =意味ごとに囲む・番号を打つ(ナンバリング)

(2)主述や挿入部など、内容の軽重を理解する力
  =主述をつかむトレーニングで身につける。
  =要約のトレーニングで身につける。
  =余分な箇所を消すトレーニングで身につける。

などが考えられる。
 たぶん、もっと細分化できると思う。しっかり検討したい。

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朝読書をどう指導するか

 黒柳徹子の「小さいときから考えてきたこと」(新潮文庫)を読んだ。
 最近の自分の読書は教育書・ビジネス書が多かったので、久しぶりに軽めの読書だったが、自分の知らない世界に触れるという意味では有意義だった。

 過日、中学校の国語の先生たちと会う機会があり、朝読書の話題になった。
 そんな経緯もあり、このようなエッセイをたくさん読ませることを勧めたいと思った。
 それは朝読書という短時間でそこそこキリがつかないようでは、授業中に続きが読みたくなって困るからでもある。
 星新一のショートショートは今の中学生にも人気があるとのことだったが、まずはエッセイや短編で読書の基礎体力を付けさせたい。
 最近は重松清も恩田陸も読んでいないけど、「これではいかん」という気になった。児童生徒に読ませたい作品をしっかり把握できるように読書の方向を調整したい。

 黒柳徹子の「小さいときから~」は、ユニセフ親善大使として訪れた紛争地域での子どもたちの様子と自身の戦争中の体験とが重なる部分がある。
 中学生にも読ませたいと思う章が多かった。
 特に「黄色い花束」は、中学校定番の「字のないはがき」や「大人になれなかった弟たちに」よりも、生徒の心に響くかなとも思った。太平洋戦争だけではあまりに遠い過去だが、現在の紛争地域の話題があるので、戦争や紛争にリアリティがあるのだ。
 少しだけ引用する。

◆私が子どものとき、何も知らないで、日の丸の旗を振って送り出した兵隊さんは帰ってこなかった。自由が丘の駅に行って、出征する兵隊さんに旗をふると、スルメの足を焼いたのを一本もらえた。私は、それが欲しくて、時間があると、行っては旗を振った。スルメなんて、あの頃、めったに食べられるものではなかった。知らなかったとはいえ、私は、あのとき、スルメが欲しくて送り出した兵隊さん達が帰って来なかったことを、今も申しわけなく、私の心の傷になっている。あどけなく手を振っている子ども達(竹田注 コソボの子ども達)を裏切っては、いけないのだと、私は子ども達が手を振るのを見るたびに思う。あの女の子から貰った黄色い花は、ノートに挟んで押し花にした、コソボの記念に。

・・・心の傷は、小さいときに生ずるものもあるが、大人になってから「知らなかったとはいえ、申し訳ないことをした」と生ずるものもある。
 大人の入り口にあたる中学生にも、そんな「心の傷」の存在に共感してもらいたい。
「知らなくてもよかったことまで、知ってしまうのが大人なのだ」と言えば、ちょっと格好良すぎるかな。

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中学生に必要な、GRIT

 過日、春日井市の国語研究会に参加して、久しぶりに中学校の国語の先生と話をし、担任当時の苦労を思い出した。
 「分からん」と突っ伏してしまう生徒、まじめに取り組んでいるのに成果が上がらない生徒、いずれも「見通しのある努力」の仕方を自分が明確に伝えられなかったから生じた結果だ。

 中学校では、よくも悪くも、「受験に必要か」が大きな基準になっている部分がある。
 文法をどこまで教えるか、漢字をどこまで教えるかなど、常に「受験に影響するか」を意識して、授業内容に強弱をつけている。

 愛知県の公立高校受検で出題される文法問題や漢字の書き取りは、1・2問。その1・2問が大きいと言えば大きいのだが、勉強時間との費用対効果を考えたら「捨てる」という生徒がいるのも現実だ。
 そもそも国語の受験勉強自体が、費用対効果を考えて「捨てる」という生徒がいる。
 勉強しなくたってある程度の点数は取れるし、他教科の難しい文章を大量に素速く読むことが、国語の訓練につながると考えることもできる。
 暗記科目や習熟科目に時間を費やした方が成果を上げやすい。

 しかし、だからと言って、国語の授業を軽んじる生徒を容認するわけではない。
 受験の制約があろうとなかろうと、魅力ある授業をきちんと成立させ、生徒を引き付ける努力が教師には必要で、できるなら「授業を受けるだけでも十分に受験の力をつけてやる」と言い切れる授業を展開したいと無謀ながら考えてきた。また、それが無理でも、そのような気概だけは持っていたいと考えてきた。

 さて、言語系という意味では、英語も古典も現代国語も同じで

◆どのくらい分からない単語があったらあきらめるか。

という「ねばり強さ・やりぬく力」が問われている。

 分からない単語が多いからあきらめるのか、分からない単語の意味を類推して粘り強くチャレンジするのか。
 むろん、分からない単語が減るように努力する姿勢も大事だが、分からない単語が多くても果敢にチャレンジする姿勢も大事である。

 それは、おそらくどの教科でも、どんな生活場面でも同じだろう。
 だからこそ、GRITに代表される非認知能力の育成が重要なのだ。
 「わからん・できん」とすぐに投げ出しがちな中学生に身につけさせたい重要な要素がGRITなのだとつくづく思った。

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November 03, 2016

光村4年国語「アップとルーズ」

 数年前、初任が授業をしているのを見て、この教材は話題が身近で面白いと思ったが、案外分かりにくいと思った。

➀アップとルーズの対比
②アップとルーズそれぞれの長所と短所の対比
③テレビと新聞の対比

などが盛り込まれていて、複雑な構造だからだ。

 また、「段落ごとにまとめる」という作業も、難しいものなのだと改めて思った。
 先日、本校の先生が、この教材を授業をしている場面を見て、かつてのメモを再構成して学年に配布した。
その配付プリントをさらに再構成してみた。
 
◆内容の記載か、意味の記載か?◆

 例えば1・2段落を次のようにまとめたとする。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムの画面を例示して、会場全体の感じが伝わってくる「ルーズ」の説明。

(2)テレビでのサッカーの後半の画面を例示して、コート中央の選手の様子が伝わってくる「アップ」の説明。

 あえて「説明」と書いた。
 説明文だからそもそもすべて「説明」になる。必要ないかもしれない。
 「この段落は何が書いてあるのかを短くまとめてみよう」と問われたら、内容のみを書くべきで、その段落がもつ意味や役割は書く必要がないというのが正論だろう。
 しかし、説明文の授業をしていると、内容の要約と同じくらい、各段落の意味や役割もきちんと押さえる必要がある。
 「例示している」「問いかけている」「全体をまとめている」のような表記だ。
 初任が段落ごとにまとめるのを見ていたら、ある段落は内容中心、ある段落は意味中心の記載になっていた。
カテゴリーが異なるというか、まとめ方に一貫性がないのだ。
 どっちかに揃えるというなら、「意味を中心にまとめた方が授業もしやすいし、子供にも分かりやすい」と、このとき初めて思った。
 全段落を意味型の記載で揃えてもいいかなという気になった。

◆後述のキーワードは、使うべきではないか?◆

 ところで、1・2段落に「アップ」「ルーズ」の言葉はまだ出てきていない。
 1・2段落を受けた3段落で初めて「アップ」「ルーズ」の解説がある。
 ならば、この場合、1・2段落で「アップ・ルーズ」は使うべきではないのだろう。
 使わないと決めたら、例えば、次のようになる。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面を紹介している。

(2)テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面を紹介している。

◆全体構造上、はずせないワードがあるか?◆

 ところで、部分で見ると、上述の「テレビでの」などは省略してかまわないとも思う。
 しかし、全段落を並べたとき、「テレビで」と「新聞で」が対比構造になる。
 全体を見据えたら、ここは「テレビで」を明記しておくべきなのだと判断した。
 同様に、1・2段落の対比構造を意識して「ハーフタイム」と「後半」を明記した。
 要約は「個々の段落」だけ見るのではなく、「全体の中の位置付け」を考慮すると、取り込むキーワードが、ぐっと異なるというのが実感である。
 字数制限があるなら削ってもよいが、全体の中に位置づけを考えたら、あえて残しておいた方がよいワードがある。

◆文末は体言止めがいいか?◆

 各段落を意味でまとめる場合、文末は「説明」「紹介」と体言止めするか、「説明している」「紹介している」とするか。
 言葉を削る訓練としては体言止めがよい。ただ、子どもたちの実態としては「~している」と書いた方が伝わりやすいかなとも思う。

 さて、ここまで、かなり独断で書いている。
 すべて「?」がついたままであるが、自分なりに挑戦的に考えることも必要かなと思って書いている。
 とりあえず、「各段落の意味や役割」を含めながらまとめてみた。
 
※意味上の切れ目で改行をしてある。
※最後の行は、なくても分かる場合があるので、その場合はカッコをつけておく。
 ただしカッコの部分を付けたり、付けかなったりすると全部並べたときに統一感がないというのが、初任の授業を見たときの感想である。


テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面(の紹介)。


テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面(の紹介)。


会場全体の様子が伝わる画面を「ルーズ」といい、
選手の様子が伝わる画面を「アップ」という
(2つの違いの問いかけ)。


(ゴール直後のシーンを例示して)
アップでとると、
細かい部分の様子は分かるという長所と、        
うつされていない多くの部分は分からないという短所がある
(ことの説明)。                        


(ゲーム終了直後のシーンを例示して)
ルーズでとると
広い範囲の様子がよく分かるという長所と
顔つきや視線、気持ちまでは分からないという短所がある
(ことの説明)。

⑥ 
(①から⑤を受けて)
アップとルーズには長所と短所があるので、テレビは何台ものカメラを切り替えている
(ことの説明)。
                               

(新聞の写真を例示して)
新聞も伝えたい内容に合わせてアップとルーズの写真を使い分けている(ことの説明)。      


(全部をまとめて)
テレビも新聞もアップとルーズを使い分けている(ことの説明)。

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April 03, 2016

日米仏の作文指導(思考指導)

 先のブログ。ハーバード合格の鍵は「エッセー」の続き。


◆日本の作文の二大テーマは「学校行事」と「読書感想文」
◆アメリカの作文指導で重視されるのは「エッセイ(小論文)とクリエイティブ・ライティング(創作文)
◆フランスは、小学校では「正しく」書くこと、中学校では「美しい文」を書くこと、高校では「論理的な構造」で書くことと

・・・であるらしい。作文の指導にはお国柄が出るし、国策が出ることがよく分かる。
 なお、ここでは、エッセイは「小論文」として規定されている。
 

◆日本の作文の特徴は「時系列で書き、説明も理由付けも区別しない」こと。
◆アメリカで指導されるエッセイ(小論文)は、「因果律」で書かされ、創作文は「時系列」で書かされる。

  「因果律型」の思考表現スタイルとは「最初に主張を述べ、次にその主張を裏付ける証拠を三つ挙げて、最後に結論として再び主張を繰り返す」という構造。

◆フランスの小論文の構造「弁証法」
 一般的な視点(テーズ=正)とそれに反する視点(アンティテーズ=反)を統合(サンテーズ=合)し、新たな理解の枠組みを生み出すもの。
 自分の主張のみを一直線に展開するアメリカの小論文の書き方とは好対照である。

・・・であるらしい。そして、3国のまとめ。

◆日本は「時系列で出来事を追いながら歴史上の人物の気持ちになって『共感』することで歴史理解を深める」。
◆アメリカは「結果から振り返って出来事がなぜ起こったか原因を特定する」。
◆フランスは「時系列で出来事を追いつつ、さまざまな原因を挙げながら、歴史の大きな流れを俯瞰して出来事を位置付ける」。

・・・こうした作文指導の違いや思考表現スタイルの違いを踏まえた上で、先のブログで示したような「エッセー」を書くことの意味・エッセーに盛り込まれる内容の意味を理解しないといけない。
 この論文は、次のようにまとめられている。

◆まさに「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いが分かり、書けることこそグローバル・スタンダードを満たす知識・学力といえます。

・・・「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いと言われて、即答できない自分が中学校で国語を教えていたことのだと思うと、穴があったら入りたいくらいである。


【出典】
日米仏の思考表現スタイルを比較する
──3か国の言語教育を読み解く─
渡辺雅子[国際日本文化研究センター助教授]

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html


6ページ分あります。

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August 11, 2015

「海の命」の教材分析

 久しぶりにお会いした佐藤洋一先生(愛知教育大学)から、「海の命」の教材分析の新しい視点をいただいた。
 
➀冒頭部には、時・人・場の設定が書かれていない。
 現代小説の冒頭は、場面設定でなく、メッセージ性が高い。

 「父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たち」と男しか登場しないことに、まず疑問を持たせたい。
 このお話は、基本的に「男の話」なのだ。

 父親たちが住んでいた海に「住んでいた」というには特異な表現であるから、ここも疑問を持たせたい。

 たしかに、小学校教科書であったとしても、冒頭部で「いつ・どこで・だれが」が明確な作品なんでない。
 その代わりにあるのが「メッセ―ジ」か。意識して見てみよう。


②海の2面性は「めぐみ」と「脅威」

③「海の命」の2面性は「少年の成長」と「自然への畏怖」

④「村一番の評価」の2面性は、「クエを獲ること」と「クエを獲らないこと」

⑤結婚(子孫の繁栄)は、成長物語の結末の典型

⑥「思い込み」には邪悪な思い込みと好奇の思い込みがある。

⑦色にも意味がある。「緑の目」は邪悪、「青の目」は幸福や愛情。ロイヤルブルーはイギリスの高貴な色。

といった指摘の中でも、一番の収穫は、クライマックス場面の「クエをとらない」意味について

⑧本当に一人前になるとは、自分が判断を下すこと・自立すること
 お父や与吉じいさの教えに従うのではなく自分で意思決定することが真の自立。
 太一は迷った末に、自分としての決断を下した。
 それこそが、この作品の「太一の成長」なのだ。


そして
⑨現代小説である「海の命」は、複数の読みができる仕掛けがある。
 だから、教師の1つの読みを押し付けると、読みの鋭い子が納得しないことがある。

むろん、このような教材分析と授業の組み立ては別物。
こうしたヒントを元に、どう授業を展開するかを考えるには大学教授でなく、教師の仕事である。

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May 29, 2015

国語らしく心情を読む練習

(1)心情を含む行動表現(動詞)

「先生を見る」って何も感情は入っていない。
 じゃあ「先生をにらむ」だったらどう? 
 先生に恨みがありそうだね。
 
じゃあ「先生を見つめる」だったらどう? 
 先生に特別な感情がありそうだね。憧れているのかもしれない。

 「話す」には感情が入らない。
 でも、「どなる」「うったえる」「ささやく」は何かありそう。

 このように、行動を表す表現の中には、気持ちが含まれているものがあるんです。

  「いらいらする」などは、とても簡単。
  「言うもんか」は、「言わない」より強い感情が読める。
  「あまったるい」は、「甘い」より嫌がる感情が強い。

 「表現Aは、表現Bと比べてどんな感じがしますか?」のように、対比的に考えるとよい。

  
(4)心情を含む細やかな表現(修飾語)

  「腹が立った」と書いてあれば「腹が立った」という気持ちが読めるのは当たり前
 その前に「ちょっと」「すごく」があれば、その気持ちの程度が分かる。
  「じっと待つ」「黙ってうつむく」「ぷいと横を向く」のような表現に着目できるようになると読みのレベルがアップする。
  とりわけ、注目したいのは「副詞」。

 「じっくり」とか「やっと」とか、「しぶしぶ」のような言葉があるとないでは感情表現が全然違う。

  だから、作文の時間に、
①どんな動詞を使うかを吟味させる
②どんな修飾語(副詞)が、ぴったりくるかを吟味させる。

 作文で取り組むから、読み取りにも活かせる。
 表現と理解の往復活動で、心情を読む力を鍛えていきたい。

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March 21, 2015

白石範孝氏も学んだ「向山型国語」

 筑波付属小国語グループの二瓶氏や白石氏は、「自力読み」と称して、分析用語の指導やクライマックスを含む文章構造の指導を行っている。
 筑波付属小の昨年の公開発表の要項は分析批評の用語指導のようだったが、西郷文芸学を参考文献にしたとの記載はあっても、分析批評への言及はなかった。 
 ただし、筑波付属小の「分析批評」は、藤井圀彦氏を源流にしていたのかもしれない。それを知らずに、筑波はTOSSの真似じゃないかと批判するのは勉強不足を露呈させてしまう。

 なかなか書き残す時間がなかったが、「向山型国語教え方教室」最終の3月号に、白石範孝氏が「塀の外・友軍」として執筆している。

◆これまでに多くの理論と実践に学ばせて頂いたことに対しまして感謝申し上げます。
◆様々な国語の授業作りに大きな示唆を与えてもらったのが、「向山国語教え方教室」であったと私自身は強く感じています。
◆「向山国語教え方教室」に、これまでの曖昧な国語教育に新しい方向を示してもらったように思います。

 白石氏は、明確に「向国」から学んだと明記している。
 堀田龍也先生が、向山先生の大ファンであったことと同じくらい、この件は常識だったのだろう。
私が知らなかっただけで、白石氏が、「向山型国語「」から学んでいたことは常識だったのだろう。でなければ原稿は依頼されないし、白石氏も書かないはずだ。

 白石氏や二瓶氏が、筑波附属小や様々な著書で「分析批評」的な指導法を広めていることは大歓迎だ。

 筑波の研究発表を見て、「分析批評」「向山型」のようだなという先生がいたら、「だって白石先生は向山型の理論と実践からも学んできたのだから」と教えてあげればいい。
 分析批評の授業が批判されたら、「これは筑波付属小の実践と同じです」と言えばよい。

 鶴田先生も小森先生も大切なTOSSの応援団だが、ちまたでは「筑波大附属小」の影響は大きい。
白石氏も二瓶氏も桂氏も、教科書編集に関わっている。国語教科書が「自力読み的」「分析批評的」「体系的」「科学的」になるなら、すばらしいことだ。そこには党派党略はない。

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