May 17, 2024

2007年に何を学んでいたか?

2007年の10月23日、広島の向原小学校の文部科学省指定開発校の研究発表会において、
フィンランドの教育を日本に紹介した北川達夫氏の講演が行われた。
その時の内容を、自分の「学び」として、再構成したファイルが見つかった。
北川氏の発言部分に伝聞の「そうだ」を付けると、かなり煩雑になるので省略する。
講演とは全く別に自分が想起した事例等は、(注)の形で付記をする形でまとめてある。

1、「国際化」の意味
 国際的な人間関係を築くことは次の2点を意味する。
(1)異文化の自覚
(2)自分の常識の否定

 海外へ行くと自分の常識が通じないことがある。
 外国人には自分の文化が通じないことがある。
 自分(の行為や思考)が正しいとは限らない。
 これが「地域社会」だけで人間関係を築けばよかった時代との大きな違いである。
 北川氏はコミュニケーションの3分類として、次の3つを提示した。
=================
1 個人的コミュニケーション
2 地域的 〃
3 国際的 〃
=================
 コミュニケーション能力を高める実践というのは、1・2・3を網羅させなくてはいけないだろう。


(注)日本の中でも自分たちの常識が他府県で通じないことは多い。方言などはその典型である。
 したがって2は常識が通じ、3は常識が通じないという単純化は難しい。
2の「地域〜」が拡大する中で、同じ日本であっても、

3の「国際的〜」と同じような意識で対応せざるを得ないケースもある。

2 「生きる力」=「コミュニケーション能力」の意味
 昔から言われる基礎学力(読み書き計算=3R)は、「将来、1人で生きていくために(1人立ちしていくために)」必要な能力。
 しかし、大人になるというのは、1人で生きていくことではない。
 社会(集団)の中で暮らしている以上、「他人と生きていくために(他者と共同・協働していくための)必要な能力も求められる。
 つまり「社会を生きる力」は、他人を説得する力や・自分をきちんと伝えていく(自己PRする)力であり、
 結局、それがコミュニケーション能力なのである。

3 「生きる力」=「読解力・論理力」の意味
 フィンランドにおける読解力(PISA型読解力)のステップは次のようになっている。
=====================
1 問題の認識
2 問題の分析
3 解決策の模索
4 解決策の決定
======================
 このステップは、あらゆる社会事象を処理する際のステップである。
 だからこそ、読解力=問題解決能力=生きる力 なのだ。

4 「15才の国際調査」の意味
 ヨーロッパでは16才が精神的自立、18才が経済的自立と言われている(日本もそれに近い)
 15才までに社会事象に対する処理能力(=生きる力=PISA型読解力)を身につけさせねばならない。
 だからこそ、15才を対象にした国際調査が行われている。  
 

5 「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本
 「コミュニケーション能力・論理的思考力」の基本は「相手意識」だ。
 「相手意識」=相手が納得するように論理を組み、表現することが求められている。
 「理屈ではわかるが、承服できない」という状況は望ましくない。
 どんなに論理的でも、本人(相手)が納得しなければダメ。
 小泉首相は、表現の正しさ・論理の正しさより、相手に伝わる言葉を優先した。

6 「内心の自由の保障」と「読解指導」の関係
 1でも述べたように国際社会では自分の常識が通用しないことがある。
 それは「何が正しいか誰にも決められない」ということを意味し、
 「誰がどんな主張を持っても認められる」という「内心の自由」が保障されること意味する。」
 (ただし、自分の主張を表に出せば、その社会的責任は自分が背負わなくてはいけない)
 内心の自由が保障されるということは、
①各自の意見の正否は検証できない(誰が何を考えようと自由)
②事実の正否は検証できる
③事実と意見の整合性=論理の正否は検証できる

 ①②③の典型的な事例がPISA読解調査における「落書き」の問題だ。
 「落書き」に対する賛成派・反対派の意見を聞いて、「自分の考えは別として、どちらの意見の主張の仕方を支持するか」を問うていた。
 「落書き」を擁護することは日本の倫理や常識(法律)では考えられないが、「落書き」を擁護する側の論理を検証(評価)することは可能なのである。

7 フィンランドの読解教育で習得する基本技能

================
1 推論 
(1)結果から原因 なぜ〜をしたのか
(2)原因から結果 次に何が起こるだろうか
2 評価
(1)自他の比較対照
(2)自己移入(empathy)
================
1(1)の、「なぜ(ミクシ)」がフィンランドの教科書でよく用いられている。
それと対応する1(2)の「次に何が起こるか」は新鮮だった。
もちろん、(1)の現在に至った原因の究明する分析力も大事だが、
(2)の現状認識から未来を展望する洞察力と一体となって「生きる力」となっていることは
ごく当然のことだ。

2の(1)の「自他の比較対照」とは「自分の考えを自分で評価していく」ことで、
「自分の考え方が他者と比べてどうなのか」である。

・おおむね、みんなと同じ考えだ
・自分はみんなとずいぶん異なった考えをしている
・自分とは異なる意見が存在するんだ
と自己理解することだ。
個人的には
 「メタ認知」=自己の客観的な認知
と同じことではないかと思いながら聞いていた。

2(2)の自己移入は
「もしあなたが主人公だったら」という問いは、歴史や公民でも用いる問いで
「もし自分がナポレオンだったらどうしたか、史実をきちんと踏まえて述べる」
「もし、あなたが被害者の立場だったらどうするか、事実や法律をきちんと踏まえて述べる」
のように応用できる。
 「相手の立場にたって考える」方法については

①感情移入(sympathy)
 相手の気持ちを考える・登場人物になりきって気持ちを考える
②自己移入(enpathy)
 相手の状況を客観的に分析し、自分だったらどう感じるか(どうするか)を考える

の2つがあり、

①の感情移入は、相手の文化や常識が理解できる「地域コミュニケーション」のために重要で、
②の自己移入は、相手の気持ちまで理解できない「国際的コミュニケーション」のために重要である。
文芸研の用語で言うと①が「内の目」、②が「外の目」ということになるだろう。

1の(1)(2)も、2の(1)(2)も、読解教育で習得する基本技能だが、まさに社会的な対応力・実践力・応用力であることが分かる。
読解指導(論理的思考)が社会人になるために必要な能力の基礎であることがよく分かる。

8 「生き方」を学ぶ=「哲学」を学ぶ=「論理」を学ぶ

北川氏はヨーロッパのヘルシンキ大学に入学した時、まず「哲学」の勉強をさせられた。
フィンランドでは高校で「哲学」を学ぶ。「論理科」は「哲学科」で学ぶ。
「哲学」=「生き方」の基本の部分に、対話法・修辞法・弁証法のような論理学がある。
それは、相手に、いかに自分の考え(正しい生き方)を伝えるか、説得するかが「哲学」の根本にあるからだ。
哲学が全ての学問の基本にあった事実を考えると、
「生きる力を学ぶ」基本が「論理を学ぶ」であるとスムーズに理解できる。

 

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May 11, 2024

「スーホの白い馬」の授業改善

ある先生の授業を参観した際の感想を元に、どんな授業が仮想QAを加えながら考えてみた。

Q:本時の最初にみんなで一文交代読みを行ったのはよかったですか?
A:よかったです。

冒頭で「音読」をさせることは、効果的。

本時の関係部分の読みを省略して内容の読み取りを始めるクラスがあるが、読みは大事。

特に音読。読みが足らない子は、先生の問いに即答できるほどに内容を覚えていない。

そもそも暗記した知識を問うているわけではないから、本時の冒頭で子供のスタートラインを揃えておくとよい。

 

Q: 目当ての設定で迷っています。どんな課題がよかったでしょうか?

A:板書に書いた課題が長かった。

「白馬がにげ出しスーホのところにもどってきたところのスーホと白馬のようすを考えよう」は長い。

文末に 「考えよう」とあるが、これでは行動目標としてあいまいである。

学習課題は、もっと具体的であるべきだ。そしてルーブリックで規準を示すべきだ。

授業を見ていて、本時でやりたかったのは次のことだったと推察した。

スーホと白馬の行動と心情を整理して、感想を書こう。

白馬が死ぬまでの行動を順に整理して、感想を書こう。

 

Q:最後に感想を書かしたら、「かわいそう」ばかりになってしまいました。どうしたらよかったでしょうか?

A:そりゃ、そうだ。白馬が死んでしまうこの場面の読後感が「かわいそう」になるのは自然。

だから、「どこがどうかわいそうなのか」「なぜかわいそうなのか」をきちんと書かせて合格にする。

そこまで書けていない一言感想は合格にしないという教師の強い意志が大事。

もちろん、自分では表現を思いつかない子もいるだろうから、相互共有して真似させればよい。

ここで「なぜ、そこまでして白馬は戻ってきたのだろう」と問うたところで「スーホが大好きだから」 ぐらいが出るだけで、深まることはなさそう。

 

Q:ストーリーに沿って白馬の気持ちを聞いたら、どこも「早くスーホーに会いたい」でした。どうしたらよかったでしょうか?

A:そりゃ、そうだ。白馬は命懸けでスーホーに会おうとしたのだから、「早く会いたい」は当然。

◆おそろしいいきおいではねあがった。
◆風のようにかけた。
◆矢がささっても、走り続けた。

と、どの部分も「スーホに会いたい」になってしまう。

逆に言うと、

今日読んだ場面で、白馬が「はやくスーホに会いたい」という白馬の気持ちが伝わってくる部分を3か所以上抜き出してみよう、

と問えば、 どの子も「探す」活動に集中できる。

Q:白馬の気持ちを聞いているのに、「かわいそう」と反応した子がいて、ダメ出しをしてしまいました。どうすればよかったでしょうか?
A:これは、西郷文芸学で言うところの「内の目(同化)」と「外の目(異化)」の混同。
「白馬はどんな気持ちか」を考えるのは、作中人物への同化体験。なりきり体験。

「そんな白馬の様子を読んで、あなたはどんな気持ちか」を考えるのは、人物への異化体験。一歩離れた所から見る体験。

 この2つの「どんな気持ち」の区別は、とても大切。「良い間違えだね」と確認するいいチャンスだった。

 

Q:挙手指名発表の流れで、よかったでしょうか?
A:T-C繰り返しの授業だった。

書いてあることを確認する簡単な問いだから元気よく子供たちは答えたがる。

しかし、問いに広がりがないので、T-C の一問一答の授業になった。

◆先生の大きな問いに、多様なC が出る授業。

◆子ども同士の C で議論される授業。

というように子供の発言で回る授業があってもいい。

授業中の発言の大半を子供に譲り、教師の出番を減らしていけないだろうか。

◆一斉授業ではなく

・ペアで意見交換する ・ホワイトボードを使って話し合う ・付箋を使って話し合う

◆先生が説明するだけでなく
・生徒が説明する ・立場を決めて議論する ・ポスターなどを作成して発表する 

平成27年教育課程部会国語ワーキンググループ資料10 「国語科に関する資料」より

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/068/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/12/11/1365189_1.pdf

 

なお、板書を写すことを目的としたノートづくりも、受け身になりやすいので注意したい。

先生自身が、板書に子供の意見をまとめて満足しても困る。

板書は子供が思考する方向(きっかけ)を示すものであってほしい。

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◆ 「ノートは自分の考えを書くもの」という価値観を提示する。考えを書いたノートを提示し、「自分の考えを書くもの」という発想を引き出すようにする。

◆ 板書をそのまま写しているだけでは、子供たちの力は伸びない。また、話し合いの時に教師がまとめている板書を写すだけに精一杯で、発表しないのなら本末転倒である。板書内容から自分なりのノートを作るようにしたい。

「新版学力のつくノート指導のコツ」佐藤正寿著(学陽書房)2013

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April 23, 2024

「対話」の重要性。キーワードは「つなぐ」

「つなぐ」「もどす」ことで対話をつくる.

①〇〇さんの言ったことについてあなたはどう思う?

②違う考えを意図的にたずねる。〇〇さんは

③根拠を問う:「どこからそう思ったの?」(テキスト、資料、図、式、実験の事実等)

④以前、あなたが言ったことをもう一度言ってみて

⑤焦点化する:「今の〇〇さんの言ったことをもとにもう一度考えてみて」 

教師の役割が重要になる。

 「対話の重要性」を聴いていて、ふと、俵万智の短歌を思い出した。

 

 寒いねと話しかければ 寒いねと答える人のいるあたたかさ

 

 相手がいるから交流が生まれる。

 黙々と授業動画を見たり、チャットで意見交換したり、プリント学習を行ったりしていては、「対話・会話」が欠落する。

 

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April 19, 2024

「白いぼうし」の女の子の正体

4年生のある学級の実践例。

「白いぼうし」(あまんきみこ)の女の子の正体は、教科書本文を読む限り、ちょうの化身とも言い切れない。

が、このクラスでは、ちょうの化身で全員一致したので、AかBかの意見文ではなく、Aであることを立証する意見文のスタイルになった。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、女の子がもんしろちょうがいっぱいあるところにつれてきてもらったからだ。

また、松井さんがつれてきてくれて女の子はやさしい人だなと思って「よかったね。」「よかったよ。」と言ってくれたと思いました。

よって、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、「車にもどると後のシートに女の子がすわっています」という文章によって、わたしはにがしてしまったちょうが車の中にはいって人間にかわったのかと思ったからです。

よって、消えた女の子の正体はもんしろちょう。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

なぜなら、松井さんに「ええと、どちらまで。」と聞かれた時に「菜の花横丁」といってたから、花のみつをのむのかなと思ったからだ。

第二場面の十一行目の「ちょうは高くまい上がると」というところで、つかまったところを助けてもらってお礼をいいたいから、松井さんのタクシーにのって、菜の花横丁で松井さんに「よかったね」とシャボン玉のはじけるような優しい小声で言ったからだ。よって、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

理由は2つある。第一に③の後ろから5行目の「早く、おじちゃん。早く行ってちょうだい。」この女の子の言葉はたけおくんにぼうしでつかまえられたから、女の子はまたつかまるかもしれないと思い、その言葉を言ったわけだ。

第二に、松井さんは菜の花横丁につれていったとたん女の子が消えたのは自分のなかまにやっとあえてもんしろちょうに代わって車から出ていった。この二つの理由により、消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

 

◆消えた女の子の正体はもんしろちょうである。

理由は2つある。第一に松井さんが車にもどったらおかっぱのかわいい女の子がちょこんと後ろのシートにすわっていて、いいました。菜の花横丁ってあるかしら。花はちょうのすきなのだからです。第二に、松井さんが考えてふりかえるとだれもいなかったのでもんしろちょうだと思います。

 

ただし、このレベルの意見文を書いたわけではない。合格ラインは上位2割程度。無回答もあり、意味不明の子が多数いる。

今の段階は、先生の指導というよりは、本人の実力。

下位の子もこの程度の意見文が書けるような手立てが必要で

◆グループ交流する

◆早く書けた子の意見文を読み上げる。紹介する。

◆全員のノート(原稿用紙)を回覧する

のような他者参照の機会を設定する必要がある。

上位の子が立派な意見文を書いたからと言って満足していてはいけない。

上位の子は指導しなくても書けるのだから。

「誰一人、取り残さない」という気概をもって、年度末にば全員達成できるよう支援策を考えたい。

 

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April 11, 2024

シンプルな繰り返しで、分かりやすくて、簡単だと思わせる国語の授業

手元に「教育トークライン」2016.7月号、向山先生の巻頭論文のコピーがある。

「向山洋一の授業実践と授業理論」185 学習とは、シンプルな繰り返しである。

池谷裕二氏の『最新脳科学が教える 高校生の勉強法』を踏まえての主張だ。

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向山型算数は「繰り返し」のシステムである。

同じような流れ、同じような展開によって、授業が進む。シンプルである。分かりやすい。算数って簡単だということになる。

算数の授業で「説明」は、シンプルなほどいい。シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。

反対に、長い説明、くどい解説は、多くの子どもを落ちこぼれにしてしまう。教師の長い説明は、ほとんど悪いのだ。

同じ話でも「説明」と「語り」は、全く違う。語りで子供をひきつけられる教師はすばらしい。教養が豊か、体験がいっぱいある教師にしかできない指導なのである。知性がシンプルさをもたらすのである。

=========================

・・・あえて「国語」に置き換えてみるまでもない。

国語の授業だって、「シンプルな繰り返しで、分かりやすくて、国語って簡単だ」となるべきだ。

シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。

国語においても(他教科においても)、心しておくべき指摘だと思う。

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April 10, 2024

国語の授業は何を教えるべきか?

算数に比べ国語の授業内容は極めていい加減で、やってもやらなくても誰も困らないようなところがある。

それは、指定された教材の読み取りに終始するあまり、汎用的な国語の力の読み取りが疎かになっているからだ。

国語の授業内容を考えるにあたり、指針となるのは向山先生の主張だ。

「楽しい国語 授業の法則」より引用する。

◆私は「懇切丁寧」な文章の読みとりを指導したことがない。

たとえば、一段落ぐらいの文章の意味を調べ、解釈を加えていくという授業は、普通に見られることであろう。一段落が終了したら、次の段落へすすみ、全体の意味を把握させる。このような授業はどこにでも見られる。どの本にも書いてある。つまり、全国すみずみに行き渡っている国語の方法なのである。国語の授業の主流なのである。

・・・いわゆる「段落ごとに読みとる」というやつだ、全体ー部分ー全体の「三読法」とも言える。このような授業をしたことがないと言われる。

◆「あたり前の言葉を、あたり前の言葉に置きかえるだけの、表面をなぞるだけの国語の授業を私はしたことがない」とも言われる。

◆「わかりきったことをきく」「言葉の置き換えにすぎない」「思いついたままの感想を発表をする」という、フニャケタ国語の授業が、「国語嫌い」の子をつくってしまっている。

 だから「日常生活の中では身につけることができないことを学ばせたい」「自然に放置していては、決してできないことを教育したい」

と主張する。

 内容は、著書の中で次々に紹介されており、そこを引用したら際限がない。

 限られた時間の中で「あたりまえのこと・わかりきったこと」を指導をしている暇はない。

 キーワードは「汎用的な読みの力」である。

 

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March 19, 2024

「情報」の前は、「論理科」が話題だった。

 以前研修視察に行ったことがある広島県安芸高田市立向原小学校では、文科省の研究開発校の指定を受け、3年計画で「論理科」新設に取り組んできた。
 当時の実践報告の一冊には次のような解説がある。
====================
 PISAの学力調査で世界一になったフィンランドの国語教育では、次の五つの能力をつけることが大きな柱となっている。
 ① 発想力   ② 論理力   ③ 表現力   ④ 批判的思考力   ⑤ コミュニケーション力
 すなわち、重点目標のうち二つまでが「論理力」「批判的思考力」となっていて、論理的思考力の育成が大きな目標となっているのである。
 また、メディアリテラシーという考えも最近教育界に広く浸透するようになった(PISAの「読解リテラシー」も、結局はメディアリテラシーと同じようなものだといえよう。それは、どちらも論理や批判的思考の重要性を強調しているからである)。
 これらの動きに刺激されて、日本でも論理重視の発言が目立つようになってきた。例えば、文化審議会の答申「これからの時代に求められる国語力について」(二〇〇四年)には、「論理」「論理的思考」という語が四〇回近く出ているし、文科省から出されている各種の文書などを見ても、「論理」とか「批判的な読み」という語が何回も使われるようになった。
===================
 「PISAショック」として読解力の低下が教育界を揺るがしたのは2003年(平成15年)。
 「PISA型読解力」「フィンランドメソッド」「読解リテラシー」「論理的思考力」「クリティカルシンキング」「言語力・言語活動」といったワードが飛び交い教育改善が行われた。
 その1つの取り組みが「論理科」新設の向けた教育特区の動きだった。
 2008年この書籍が書かれた段階では「PISAの『読解リテラシー』も、結局はメディアリテラシーと同じようなものだといえよう」とある。
 当時の「PISA型読解力」と「メデイアリテラシー」と、今の「情報の扱い方」が、同じ意味合いを持つことは私の邪推ではない。
「情報」は、もちろんネットモラルやプログラミング、IT操作のスキルも指導範囲だろうが、現在の教科書にある「情報の扱い方」の内容がメインなら、かつての「論理科」とよく似ているなと思う。
 しかし、あれほど「論理的思考って大事だよね」と勢いがあったものの、今となっては、どこにいったか定かでない。ちまたの先生方のとっては関心の外だ。
 「これからは『情報』だ」という勢いはそう簡単にはなくならないだろうが、その中身が、ネットモラルやプログラミング、IT操作のスキルに限定されてしまうことは避けたい。

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March 16, 2024

国語の指導の系統性・汎用性

国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。

作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。

 かつて、次のように書いた。

算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。

一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問分のエネルギーがいらない。

 

 「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の物語としての共通項をとらえて抽象度を上げる。
  どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点がある。

 説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論があり、筆者の主張と具体例がある。

 三人称視点や一人称視点の考え方があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
 それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
 1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げ=汎用的な学力の向上をスタンダードにしていきたい。

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自分が使っていた「言い回し」とは「思考展開表現」のことであった。

◆「理由」という思考は「なぜなら・・・だからである」

◆「具体・抽象」の思考は「たとえば」や「要するに」

◆「つながり」は、「そして」「だから」「つまり」

 思考展開表現に着目することはなぜ有効なのか。それは先に解説した言語論的展開の考え方に基づく。私たちは言葉を使用して思考をするため、表現を身につけることによって児童はその思考ができるようになるのである。

例えば「要するに」という語句の使い方を身につけた児童は、事例をより抽象的なレベルで説明するという思考ができるようになった児童だといえる。

「~だとしたら」という仮定・仮説を示す表現が使える児童は、物事を仮定したり仮説を考えたりすることができる児童である。

光村図書の教科書では、思考展開表現をこれまでも提示してきたが、今版においても同様に示していく。とりわけ「情報の扱い方」と密接に結びつけて組み込んでいく。

 「小学校国語『情報の扱い方』の授業をつくる」(光村図書)P10・11より

 

・・・・ただし、思考展開表現という重要な指摘を「情報の扱い方」と密接に結び付けていくと、「情報の扱い方」に関心の薄い先生は、粗末に扱う危険がある。

 光村の教科書では各巻頭の「情報 考えるときに使おう」、各巻末の「言葉の宝箱 考えや気持ちを伝える言葉」などで取り上げられているが、こういう箇所を有効活用している学級は珍しい部類なのだ。

 適切な「思考展開表現」を駆使できないと、自分の思考を言語化できないのだ。 

 

以前「言い回し」にこだわってまとめたブログが次のものです。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2019/06/post-a2dddd.html

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「言語論的展開」〜言葉の使用が、思考を規定する〜

人には考えというものが先にありそれを言葉に翻訳すると「話」や「文章」になる、と思いがちである。しかし、実際には、私たちの考えは言葉によって組み立てられる。言葉として表現できる範囲で物事を認識し、言葉が使える範囲で考えを組み立てていると言われる。哲学では、これを言語論的展開と呼んだ。

◆ある言葉に出会って「ああ、それこそが自分の気持ちだ」と、初めて自分の思いに気づいたと言う経験をするものである。
◆あるいは、「ただし」という言葉を習って初めて物事に何かを補足することができるようになったという経験をもつ 児童がいるだろう。このように、私たちは、先に考えがあってそれを言葉に翻訳しているのではなく、言葉そのものを使って考えを形成しているのである。つまり、言葉の使用が、私たちの思いや考えを規定しているのである。
・・・誠にその通りで、子供たちは背伸びした言い回しを使いながら、その言い回しに合わせた思考をするようになる。
 私自身、小5の時に「うっとうしい」の意味が分からなかったが、「ああ、なんとなくあんな感じか」とわかったら「うっとうしい」を他の言葉に置き換えることが不可能になった。そして「うっとうしい」と感じる体験が多くなった。
 だから一言感想がなかなか書けない子は、友達の意見(表現)を聞いて「なるほど、僕の言いたかったことは、まさにそういうことだ」と気付けば良いのだ。
※ただし「言語論的展開」という言葉をネットで調べてみたが、こんなに簡単ではなかった。いくら調べても難解な解説が並んでいるのだ。
◆「まず、次に、最後に」という語句を学習した児童は、物事を順序立てて捉える思考ができるようになる。漠然と認識していた一連の出来事、こうした語句を通して、よりはっきりと時系列で認識できるようになる。
◆また、「例えば」という語を使う場面を学習した児童は、抽象的な物事をより具体的にするという認識ができるようになる。
◆「ようするに」という語を使う場面を学習して、物事を抽象化できるになるのはその逆の働きである。
◆あるいは、ベン図を学習した児童が、様々な物事の共通点と差異を認識できるようになるということもあるだろう。このように、考える筋道が、言葉や図表なので可視化されることによって、児童の思考はより明確にまた豊かになるのである。
・・・思考の型を身につけることのメリット・思考ツールに当てはめて考えることのメリットはこんなところにある。
 引用元は、小学校国語「情報の扱いの扱い方」の授業を作る〜思考力と情報量活用力を育てるために〜」
光村図書の指導書セットの中にの1冊で、市内ではどの小学校にも学年ごとに用意されている。
だれもページをめくった形跡がないまっさらな本だが、これが読み応えのある1冊なのだ
(多分続く)。
 
※補足
 かつて、「コーチング」に関わって次のように書いた。
==============
「がんばった」「今度はがんばる」では変化はない。
だからこそ、コーチ(指導者)が、具合的にどうすべきなのか、自己分析を促し、自己表現できるような言葉の訓練をさせていく必要がある。
まさに「言葉の訓練=思考の訓練」なのだ。
◆思考を深めるために言語能力を鍛える
◆言語能力を鍛え、自己改善ができるようにする。
思考と言語と行動の関連・・・難しい課題だ。
==============
明晰な自分の言葉をもたないと、確かな振り返りができない。
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