November 03, 2016

光村4年国語「アップとルーズ」

 数年前、初任が授業をしているのを見て、この教材は話題が身近で面白いと思ったが、案外分かりにくいと思った。

➀アップとルーズの対比
②アップとルーズそれぞれの長所と短所の対比
③テレビと新聞の対比

などが盛り込まれていて、複雑な構造だからだ。

 また、「段落ごとにまとめる」という作業も、難しいものなのだと改めて思った。
 先日、本校の先生が、この教材を授業をしている場面を見て、かつてのメモを再構成して学年に配布した。
その配付プリントをさらに再構成してみた。
 
◆内容の記載か、意味の記載か?◆

 例えば1・2段落を次のようにまとめたとする。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムの画面を例示して、会場全体の感じが伝わってくる「ルーズ」の説明。

(2)テレビでのサッカーの後半の画面を例示して、コート中央の選手の様子が伝わってくる「アップ」の説明。

 あえて「説明」と書いた。
 説明文だからそもそもすべて「説明」になる。必要ないかもしれない。
 「この段落は何が書いてあるのかを短くまとめてみよう」と問われたら、内容のみを書くべきで、その段落がもつ意味や役割は書く必要がないというのが正論だろう。
 しかし、説明文の授業をしていると、内容の要約と同じくらい、各段落の意味や役割もきちんと押さえる必要がある。
 「例示している」「問いかけている」「全体をまとめている」のような表記だ。
 初任が段落ごとにまとめるのを見ていたら、ある段落は内容中心、ある段落は意味中心の記載になっていた。
カテゴリーが異なるというか、まとめ方に一貫性がないのだ。
 どっちかに揃えるというなら、「意味を中心にまとめた方が授業もしやすいし、子供にも分かりやすい」と、このとき初めて思った。
 全段落を意味型の記載で揃えてもいいかなという気になった。

◆後述のキーワードは、使うべきではないか?◆

 ところで、1・2段落に「アップ」「ルーズ」の言葉はまだ出てきていない。
 1・2段落を受けた3段落で初めて「アップ」「ルーズ」の解説がある。
 ならば、この場合、1・2段落で「アップ・ルーズ」は使うべきではないのだろう。
 使わないと決めたら、例えば、次のようになる。

(1)テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面を紹介している。

(2)テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面を紹介している。

◆全体構造上、はずせないワードがあるか?◆

 ところで、部分で見ると、上述の「テレビでの」などは省略してかまわないとも思う。
 しかし、全段落を並べたとき、「テレビで」と「新聞で」が対比構造になる。
 全体を見据えたら、ここは「テレビで」を明記しておくべきなのだと判断した。
 同様に、1・2段落の対比構造を意識して「ハーフタイム」と「後半」を明記した。
 要約は「個々の段落」だけ見るのではなく、「全体の中の位置付け」を考慮すると、取り込むキーワードが、ぐっと異なるというのが実感である。
 字数制限があるなら削ってもよいが、全体の中に位置づけを考えたら、あえて残しておいた方がよいワードがある。

◆文末は体言止めがいいか?◆

 各段落を意味でまとめる場合、文末は「説明」「紹介」と体言止めするか、「説明している」「紹介している」とするか。
 言葉を削る訓練としては体言止めがよい。ただ、子どもたちの実態としては「~している」と書いた方が伝わりやすいかなとも思う。

 さて、ここまで、かなり独断で書いている。
 すべて「?」がついたままであるが、自分なりに挑戦的に考えることも必要かなと思って書いている。
 とりあえず、「各段落の意味や役割」を含めながらまとめてみた。
 
※意味上の切れ目で改行をしてある。
※最後の行は、なくても分かる場合があるので、その場合はカッコをつけておく。
 ただしカッコの部分を付けたり、付けかなったりすると全部並べたときに統一感がないというのが、初任の授業を見たときの感想である。


テレビでのサッカーのハーフタイムで、会場全体の感じが伝わってくる画面(の紹介)。


テレビでのサッカーの後半で、コート中央の選手の様子が伝わってくる画面(の紹介)。


会場全体の様子が伝わる画面を「ルーズ」といい、
選手の様子が伝わる画面を「アップ」という
(2つの違いの問いかけ)。


(ゴール直後のシーンを例示して)
アップでとると、
細かい部分の様子は分かるという長所と、        
うつされていない多くの部分は分からないという短所がある
(ことの説明)。                        


(ゲーム終了直後のシーンを例示して)
ルーズでとると
広い範囲の様子がよく分かるという長所と
顔つきや視線、気持ちまでは分からないという短所がある
(ことの説明)。

⑥ 
(①から⑤を受けて)
アップとルーズには長所と短所があるので、テレビは何台ものカメラを切り替えている
(ことの説明)。
                               

(新聞の写真を例示して)
新聞も伝えたい内容に合わせてアップとルーズの写真を使い分けている(ことの説明)。      


(全部をまとめて)
テレビも新聞もアップとルーズを使い分けている(ことの説明)。

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April 03, 2016

日米仏の作文指導(思考指導)

 先のブログ。ハーバード合格の鍵は「エッセー」の続き。


◆日本の作文の二大テーマは「学校行事」と「読書感想文」
◆アメリカの作文指導で重視されるのは「エッセイ(小論文)とクリエイティブ・ライティング(創作文)
◆フランスは、小学校では「正しく」書くこと、中学校では「美しい文」を書くこと、高校では「論理的な構造」で書くことと

・・・であるらしい。作文の指導にはお国柄が出るし、国策が出ることがよく分かる。
 なお、ここでは、エッセイは「小論文」として規定されている。
 

◆日本の作文の特徴は「時系列で書き、説明も理由付けも区別しない」こと。
◆アメリカで指導されるエッセイ(小論文)は、「因果律」で書かされ、創作文は「時系列」で書かされる。

  「因果律型」の思考表現スタイルとは「最初に主張を述べ、次にその主張を裏付ける証拠を三つ挙げて、最後に結論として再び主張を繰り返す」という構造。

◆フランスの小論文の構造「弁証法」
 一般的な視点(テーズ=正)とそれに反する視点(アンティテーズ=反)を統合(サンテーズ=合)し、新たな理解の枠組みを生み出すもの。
 自分の主張のみを一直線に展開するアメリカの小論文の書き方とは好対照である。

・・・であるらしい。そして、3国のまとめ。

◆日本は「時系列で出来事を追いながら歴史上の人物の気持ちになって『共感』することで歴史理解を深める」。
◆アメリカは「結果から振り返って出来事がなぜ起こったか原因を特定する」。
◆フランスは「時系列で出来事を追いつつ、さまざまな原因を挙げながら、歴史の大きな流れを俯瞰して出来事を位置付ける」。

・・・こうした作文指導の違いや思考表現スタイルの違いを踏まえた上で、先のブログで示したような「エッセー」を書くことの意味・エッセーに盛り込まれる内容の意味を理解しないといけない。
 この論文は、次のようにまとめられている。

◆まさに「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いが分かり、書けることこそグローバル・スタンダードを満たす知識・学力といえます。

・・・「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いと言われて、即答できない自分が中学校で国語を教えていたことのだと思うと、穴があったら入りたいくらいである。


【出典】
日米仏の思考表現スタイルを比較する
──3か国の言語教育を読み解く─
渡辺雅子[国際日本文化研究センター助教授]

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html


6ページ分あります。

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August 11, 2015

「海の命」の教材分析

 久しぶりにお会いした佐藤洋一先生(愛知教育大学)から、「海の命」の教材分析の新しい視点をいただいた。
 
➀冒頭部には、時・人・場の設定が書かれていない。
 現代小説の冒頭は、場面設定でなく、メッセージ性が高い。

 「父もその父も、その先ずっと顔も知らない父親たち」と男しか登場しないことに、まず疑問を持たせたい。
 このお話は、基本的に「男の話」なのだ。

 父親たちが住んでいた海に「住んでいた」というには特異な表現であるから、ここも疑問を持たせたい。

 たしかに、小学校教科書であったとしても、冒頭部で「いつ・どこで・だれが」が明確な作品なんでない。
 その代わりにあるのが「メッセ―ジ」か。意識して見てみよう。


②海の2面性は「めぐみ」と「脅威」

③「海の命」の2面性は「少年の成長」と「自然への畏怖」

④「村一番の評価」の2面性は、「クエを獲ること」と「クエを獲らないこと」

⑤結婚(子孫の繁栄)は、成長物語の結末の典型

⑥「思い込み」には邪悪な思い込みと好奇の思い込みがある。

⑦色にも意味がある。「緑の目」は邪悪、「青の目」は幸福や愛情。ロイヤルブルーはイギリスの高貴な色。

といった指摘の中でも、一番の収穫は、クライマックス場面の「クエをとらない」意味について

⑧本当に一人前になるとは、自分が判断を下すこと・自立すること
 お父や与吉じいさの教えに従うのではなく自分で意思決定することが真の自立。
 太一は迷った末に、自分としての決断を下した。
 それこそが、この作品の「太一の成長」なのだ。


そして
⑨現代小説である「海の命」は、複数の読みができる仕掛けがある。
 だから、教師の1つの読みを押し付けると、読みの鋭い子が納得しないことがある。

むろん、このような教材分析と授業の組み立ては別物。
こうしたヒントを元に、どう授業を展開するかを考えるには大学教授でなく、教師の仕事である。

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May 29, 2015

国語らしく心情を読む練習

(1)心情を含む行動表現(動詞)

「先生を見る」って何も感情は入っていない。
 じゃあ「先生をにらむ」だったらどう? 
 先生に恨みがありそうだね。
 
じゃあ「先生を見つめる」だったらどう? 
 先生に特別な感情がありそうだね。憧れているのかもしれない。

 「話す」には感情が入らない。
 でも、「どなる」「うったえる」「ささやく」は何かありそう。

 このように、行動を表す表現の中には、気持ちが含まれているものがあるんです。

  「いらいらする」などは、とても簡単。
  「言うもんか」は、「言わない」より強い感情が読める。
  「あまったるい」は、「甘い」より嫌がる感情が強い。

 「表現Aは、表現Bと比べてどんな感じがしますか?」のように、対比的に考えるとよい。

  
(4)心情を含む細やかな表現(修飾語)

  「腹が立った」と書いてあれば「腹が立った」という気持ちが読めるのは当たり前
 その前に「ちょっと」「すごく」があれば、その気持ちの程度が分かる。
  「じっと待つ」「黙ってうつむく」「ぷいと横を向く」のような表現に着目できるようになると読みのレベルがアップする。
  とりわけ、注目したいのは「副詞」。

 「じっくり」とか「やっと」とか、「しぶしぶ」のような言葉があるとないでは感情表現が全然違う。

  だから、作文の時間に、
①どんな動詞を使うかを吟味させる
②どんな修飾語(副詞)が、ぴったりくるかを吟味させる。

 作文で取り組むから、読み取りにも活かせる。
 表現と理解の往復活動で、心情を読む力を鍛えていきたい。

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March 21, 2015

白石範孝氏も学んだ「向山型国語」

 筑波付属小国語グループの二瓶氏や白石氏は、「自力読み」と称して、分析用語の指導やクライマックスを含む文章構造の指導を行っている。
 筑波付属小の昨年の公開発表の要項は分析批評の用語指導のようだったが、西郷文芸学を参考文献にしたとの記載はあっても、分析批評への言及はなかった。 
 ただし、筑波付属小の「分析批評」は、藤井圀彦氏を源流にしていたのかもしれない。それを知らずに、筑波はTOSSの真似じゃないかと批判するのは勉強不足を露呈させてしまう。

 なかなか書き残す時間がなかったが、「向山型国語教え方教室」最終の3月号に、白石範孝氏が「塀の外・友軍」として執筆している。

◆これまでに多くの理論と実践に学ばせて頂いたことに対しまして感謝申し上げます。
◆様々な国語の授業作りに大きな示唆を与えてもらったのが、「向山国語教え方教室」であったと私自身は強く感じています。
◆「向山国語教え方教室」に、これまでの曖昧な国語教育に新しい方向を示してもらったように思います。

 白石氏は、明確に「向国」から学んだと明記している。
 堀田龍也先生が、向山先生の大ファンであったことと同じくらい、この件は常識だったのだろう。
私が知らなかっただけで、白石氏が、「向山型国語「」から学んでいたことは常識だったのだろう。でなければ原稿は依頼されないし、白石氏も書かないはずだ。

 白石氏や二瓶氏が、筑波附属小や様々な著書で「分析批評」的な指導法を広めていることは大歓迎だ。

 筑波の研究発表を見て、「分析批評」「向山型」のようだなという先生がいたら、「だって白石先生は向山型の理論と実践からも学んできたのだから」と教えてあげればいい。
 分析批評の授業が批判されたら、「これは筑波付属小の実践と同じです」と言えばよい。

 鶴田先生も小森先生も大切なTOSSの応援団だが、ちまたでは「筑波大附属小」の影響は大きい。
白石氏も二瓶氏も桂氏も、教科書編集に関わっている。国語教科書が「自力読み的」「分析批評的」「体系的」「科学的」になるなら、すばらしいことだ。そこには党派党略はない。

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March 07, 2015

「国語教育」2015年3月号

 おそらく「国語教育」への原稿執筆も最後だと思う。
 今回は、表紙を担当した。解説も1ページ書いた。
 ただし、明治図書のHPで本誌の目次が見られるものの自分の名前はないのは、ちょっと悲しい。
 「要約」は、自分にとって思い入れのある指導項目で、未完に終わったものの、かつて江部編集長に「要約指導で1冊まとめてみないか」とハガキをもらったこともある。論文やレポートも何回か書いた。
「要約」
「概要」
「概略」
「梗概」
「大意」
などの漢字を組み合わせた熟語がたくさんある。
 そのような言葉の図示してみた表紙は、自分にとっては渾身の作である。
Cover


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February 08, 2015

「批判・批評」のルーツをたどる

 「思考力を育てる『論理科』の試み」(明治図書)は、広島の向原小学校の研究をまとめた書籍である。
 指導に関わった井上尚美氏が、前書きを書いている。
 Webで立ち読みして、興味深い記載があった。
 がんばって打ち込んでみた(改行は増やしました)。
==================
 日本の国語教育、「論理的思考」という語が多様されているのに対して、アメリカの国語教育では「批判的思考」や「創造的思考」という語が多く使われている。
 「批判」というと、とかく相手をやっつけるという否定的なニュアンスがあり、また、教師自身が子どもから「批判され」てはたまらないという気持から、この言葉を避けて「吟味」という用語が最近はよく使われる。しかし批判的(Critikal)というのは、もともと「尺度・物差し」という意味のギリシャ語で、
良いものを良しとするのもクリテイカルなのである。
 「建設的に批判したりするような読み(クリテイカル・リーデイング)」(文部科学省『読解力向上に関する指導資料ーPISA調査(読解力)の結果分析と改善の方向』平成十八年、東洋出版社、十四ページ)
 「批判」だけでは上述のような否定的な響きがあるので、「建設的に」という修飾語をつけたのであろう。また、critikal readingをそのまま訳せば「批判読み」となるが、これはある民間団体がよく使う用語なので、意識的に避けたのであろう。私の考えでは、そのような配慮は無用で、単に「批判的な読み」でよかったのである。
http://www.meijitosho.co.jp/detail/preview.asp?code=32333...
=======================
 
・・・「そのまま訳せば『批判読み』となるが、これはある民間団体がよく使う用語なので、意識的に避けたのであろう」という箇所について、「分析批評(批評読み)」のことを指しているのかとも思っていた。
しかし、いろいろ調べてみると、そうでもない。
 一読総合法の児言研が「批判読み」を提唱してきたからだ。

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 「批判読み」は、東京都教組荒川支部の教研サークルによって提唱され、広く知られるようになった。荒川教研国語サークルによって1957年から5年間、日教組全国教研集会で提案され、共同討議にかけられた。批判読みは日教組教研集会のなかで生まれ育ってきたのだ。荒川教研国語サークルの中には児言研会員(村松友次、長野一三ら)がおり、児言研でも批判読みが取り上げられ、実践されるようになった。荒川教研国語サークルは、1963年(昭和38)に「批判読み」の成果をまとめて書籍を出版した。

http://www.ondoku.sakura.ne.jp/idou2.html
===================

 国語教育 2001年6月号 「『批判的読み』のスキルを育てる」の編集後記もネットで見られるが、この「批判読み」も児言研のことだと思う。
 「批判・批評」という語の持つマイナスの響きが邪魔している様子・今「批判・批評」が求められる経緯もうかがえる。

====================
○…学習者は教科書教材に対して常に受動的な読みの姿勢を取らされています。しかしそれだけでは文章に対して能動的、主体的に読み取っていく技能(スキル)は育たないと言われています。
特に情報化社会にあっては、その知識・情報が根拠を持った正確なものかどうかなど、内容を吟味しながら読み取る力を育てることが強調された時がありました。三十数年前の「批判読み」の実践です。ところが国語教育の世界では、「批判」という言葉と概念を嫌うためか、その後の実践は広がらないままに今日に至っています。

○…いま「メディアリテラシー教育」が注目され、テレビ、ビデオ、インターネットから流される情報を批判的に読み取り、創造的に活用する授業に関心が集まりつつあります。
しかし本誌の二月号で有元秀文氏が指摘されているように「欧米で育ったメディアリテラシー教育を日本で根付かせることは容易ではない。最大の障害は、日本の教育が『批判』を教えないことにある」ようです。
欧米では批判的思考を必ず教える、と言われています。
有元氏は「批判とはお互いに助け合い、もっと価値の高いものを創造するために不可欠のコミュニケーションである」とも言っています。

○…かつて輿水実氏は「批判的に読むスキル」を提唱し、言語の使い方、その意味内容についての鋭い分析の態度、方法が必要であるとし、文章で説かれている思想の正当性、この著者の考えは正当な根拠に立っているものかどうか、などを批判的に読むことを勧めていました。加えて戦後の国語教育は、技能養成の意識が弱かったと強調されていました。

○…本号は改めて「批判的読みのスキル」を実践レベルで考え直してみたいとする特集です
http://www.meijitosho.co.jp/detail/02607
======================

・・・「クリテイカル・リーデイング」は、「分析批評」の専売特許のような言い方をすると、児言研や輿水実氏について不勉強と言われかねない。
児言研が「批判読み」・輿水氏が「批判的に読むスキル」を提唱していることを了解しつつも、「分析批評(批評読み)」の意義をアピールしたい。

 たとえば、井関義久氏の「分析批評で『批評力』が育つ」の前書きと書籍紹介が、webで見ることができる。

http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-305315-2

◆批評力は、『国語の力』(垣内松三・一九二二年)に於いて、旧制高校(現在の大学に当たる)で学ぶことが適当とされていた。
今、判断力・批評的精神を育てる論理的表現力の開発課題として、長く埋もれていた批評力が、ようやく小・中学校で日の目を見ることになった。
 内容を読むことにこだわった戦後教育観から、内容と表現の1元論への脱皮、言語技術教育への転換だ。この方法を初めて具体的に提唱したのが分析批評(小西甚一・一九六七年)であった。『国語の力』が過去の遺産であるのと同様に、分析批評という名称も相当に年代物だ。
 名称もそうだし、方法に至っては聞いたことさえないという世代のためにも、これら遺産を学んできた一人としてぜひとも伝えておかなければと思う。

◆判断力、批評的精神を育てる論理的表現力の開発課題として「批評力」が注目されている。
そのための方法として「分析批評」を軸に実践技能をまとめ問題提起する。
分析批評は論理的思考力を育てる効果的な方法として役立つからである。

・・・先行研究の経緯を踏まえる必要はある。
それでも、「分析批評(批評読み)」が、文科省が求める言語力に合致していることは、明らかである。

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October 05, 2014

つなぎ言葉の習得が、論理的思考の基盤になる

Photo

  4年生の国語の教科書(光村)の巻末に、つなぎ言葉の一覧表のようなページがある。
 シンプルだが、すごく便利な早見表だと思う。
 文科省発行の「言語活動の充実に関する指導事例集【小学校版】」。
 第3章の「言語活動を充実させる指導と事例」の(1)に「児童の発達の段階に応じた指導の充実」の記述がある。
「つなぎ言葉」に関連する項目のみ抜粋すると・・

【低学年】
○判断と理由の関係を明確にして表現する。
○時系列(例えば,まず,次に,そして,など)で表現できる。

【中学年】
○判断と根拠,結果と原因の関係を明確にして表現する。
○条件文( 例えば,「もし,○○○ならば,△△△である)で表現する。

【高学年】
○演繹法や帰納法などの論理を用いて表現する。
○規則性やきまりなどを用いて表現する。

・・・演繹法や帰納法を導く言葉は自分でもよく分からない。
 ただ、この一覧くらいの言葉が駆使できれば、かなりの表現ができる。
 「表現ができる」ということは、「思考を鍛えられる」ということでもある。
 ポスターにして貼っておきたいページである。

※27年度の教科書には、この図がありません!


 さて、高杉尚孝氏の「論理接続詞マップ」というのをウエブで見かけた。
 学校文法の接続詞の分類とは異なるが、カテゴリーがとても面白い。
 番号等を付けて表示します。

○順接付加
①追加: また、かつ、さらに、加えて、のみならず、限らず、~は無論のこと、 ~の上、あわせて、しかも、特に、ましてや
②対比: 他方、一方、方や、同時に、以降、以来
③解説: つまり、要するに、具体的には、例えば、実は、そもそも、ちなみに、このように、要約すると、まとめると、すなわち、いいかえると、
④条件:もし、仮に、~ならば、~すれば、~でなければ、~を踏まえると、~のかぎりにおいて、尚、
⑤選択:あるいは、または、むしろ、もしくは、それとも

○順接論証
①理由:なぜなら、というのは、その理由は、原因は、そのわけは、~からだ
②帰結:従って、故に、であるからして、結果、これを受けて、~のため、~なので、~をきっかけに、~すると
③手段:することで、することにより
④目的:~するため、~するには、~させるには、そのためには

○逆接
①反転:~しかし、しかしながら、~あるものの、にもかかわらず
②制限:ただし、もっとも、とはいうものの、反面
③譲歩:もちろん、無論、たしかに、
④転換:ところで、さて、それでは

http://blog.goo.ne.jp/keisukeita/e/76461e02cd15fe3ebf681c6867ad9b73


 高杉氏の講座資料PDFも参考になる。
http://market.bbt757.com/data/pdf/ls1314227526.pdf

 ロジカルシンキングは、学校教育関連でなく、ビジネス関連で書籍・HPはたくさんある。

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October 03, 2014

感想文の到達目標・必達目標

2年生の説明文「どうぶつえんのじゅうい」(光村)の学習の手引きに示された感想文は、およそ200文字である。

◆ぼくは、にほんざるがはちみつといっしょにくすりをのんだところを読んで、本当にほっとしました。
 それは、ぼくも、くすりをのむのがにがてだからです。あまいくすりもあるけれど、かたくて、のみにくいものもあります。
おかあさんが、「のまないと、なおらないよ」と言うので、がまんしてのみます。
 にほんざるは、くすりをのむのは早くげんきになるためだと分かっているのかな。それを知りたいと思いました。


 大人の作文だろうが、コンパクトな感想文である。文にして6文。
 さて、2年生で、どれぐらいの子供がこの程度の感想文を書けるだろうか。
また、どれぐらいの子に、この程度の感想文を書かせることを目指せばよいだろうか。
 2年生で5割・・・というのは難しいだろう。
 4年生なら、これぐらい書かせたいが、それも6割、7割が難しいか。
 
 2年で2割・3年で3割・4年で4割・5年で5割・6年で6割なら、必達目標(最低基準)となるだろうか。
 それも、最低基準としては難しいだろうか。
 
 子どもに作文の力をつけさせたいと願うなら、具体的に、どの程度の作文を求めているのかを示して議論したい。
 たとえば、上記の作文は、何年生の子供に、何割の到達基準で求めることが可能か、そのように議論したい。

 ちなみに、4年生の「ごんぎつね」2場面のつぶやきも、およそ200文字である。文にして7文。

◆兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみを持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをしてうなぎを取ってきてしまった。だから、兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのまま、おっかあは死んじゃったにちがいない。
ああ、うなぎが食べたい、うなぎがたべたいと思いながら死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらしなけりゃよかった。

 国語B問題への対応のためにも、ちょっとした課題で200文字程度の文章が苦もなく書く力をつけさせたい。
 なお、200文字という基準もよいが、1文が20から30文字になるなら、「7文ぐらいの文章」という目安でもよいと自分は考えている。

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September 23, 2014

「子どもにさせようと思うことは自分がやらないと絶対にダメです」

 6年の国語(光村)の「カレーライス」に、次のような課題がある。

・心情を想像させる
・気持ちの変化がわかる部分を見つけさせる
・どんな意味があるのか、みんなで話し合わせる
・感想をまとめさせる

 どの教材でも同じだが、物語教材の学習に手引きには心情を想像させる課題が多い。
 しかし、それぞれ、どこまでの分量、どの程度の精度を求めているのか。そこが決まらなければ、「できた・できない」の評価規準も決まらない。

 「とりあえず書かせてみる」
 「子供が書いた文章から評価基準を決める」では、いかにも後付けである。
 「指導者はどこまで求めているのか」、
 「指導者自身は、書いてみたか?」

が課題になる。

 光村の指導書「説明文編」P2には、次のようにある。
================
 子どもにさせようと思うことは自分がやらないと絶対にダメです。(中略)これを作るために、わたしは倍ほど書いています。
 一度ではなかなか自分の満足できるものは書けないと分かります。
 だから子どもにさせるときも、三回目ぐらいで納得いくものが書けるだろうと予測して用意します。
================= 

 教師も、自分の力で書いてみることだ。
      
 そこで、『カレーライス」の中で一番大事な課題である「『甘口』『中辛』にこめられた意味」について、自分もチャレンジしてみた。
 大雑把に考えると、次のようになる。

◆「甘口」は「子ども」、「中辛」は「ちょっと大人」のこと。(30文字弱)

 さすがに、これでは足りないだろう。
 では、どの程度の分量を書いたら満足な解答となるだろうか?

 分析批評の評論文を読むと、文中の言葉を引用した次のような文章が目立つ。

 「○○と書いてある。このことから△△であることが分かる」

 これは宇佐美氏の論文でも同じだ、正確な引用の上に自説を主張することが大事だからだ。
 特に今回は「象徴」の解釈だ。
「○○と書いてある。このことは、△△であることを表している」の構造が最適だろう。

 あえて20字ずつに区切って、原稿用紙換算してみた

◆父は、ひろしはまだ「甘口カレー」を食べ
ていると思っていたが、知らない間に「中辛
カレー」を食べていた。このことは、父の知
らない間にひろしが「子ども」から「大人」
に成長していたことを表している。
 父は、ひろしが中辛カレーを食べる年頃に
なったことを心から喜んでいる。このことは、
父親がわが子の成長を喜ぶ姿を表している。
 ひろしが父に反発していたのは、自分がい
つまでも甘口カレーを食べる子どもだと思わ
れていたからだ。
 ひろしは、今まで父から甘口カレーを作っ
てもらってばかりであったが、自分からカレ
ーを作ると言い出した。しかも、これを機会
に自分がすでに中辛カレーを食べている事実
を父に伝えた。これは、自分はもう子どもで
はないこと、子ども扱いされたくないこと、
父に対等に扱ってほしいという宣言であるこ
とを表している。

・・・19行。
  何度も同じような引用部があって、自分でもくどいと思うが、トレーニング段階なので仕方ない。 「表している」という言い回しが多いので、変えてみる。

◆父は、ひろしはまだ「甘口カレー」を食べ
ていると思っていたが、知らない間に「中辛
カレー」を食べていた。このことから、父の
知らない間にひろしが「子ども」から「大人」
に成長していたことが読み取れる。
 父は、ひろしが中辛カレーを食べる年頃に
なったこと、つまり、わが子の大人への仲間
入りを喜んでいる。
 ひろしは自分がいつまでも甘口カレーを食
べる子どもだと思われて、父に反発していた。
それでも、自分でカレーを作ることができず、
まだまだ子どもであった。
 そこで、ひろしは、自分から父にカレーを
作る機会をとらえ、自分がすでに中辛カレー
を食べている事実を父に伝えた。これは、自
分はもう子ども扱いされたくないこと、父に
対等に扱ってほしいという宣言であることを
表している。

 教師がまず書いてみる、このトレーニングは欠かせない。

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