June 21, 2015

和久田学先生の講演

 6月20日(土)、和久田学先生の講演が椙山女学園大学で行われた。
 テーマは「いじめへの介入と予防」
 自分の認識の甘さ・危機意識の甘さ・を痛感するばかりだった。

(1)教師の責任の重さ

 文科省の定義とは別の「いじめの4つの定義」が示された。

①力の不均衡:精神的・知的・社会性などの差
②繰り返される行動:一定期間、繰り返されるネガティブな行動
③意図的なネガティブな行動
④不公平な影響(被害者には甚大な被害があるが、加害者は何とも感じていないというような意味)

 この定義をトレースすると

・部活動の先輩と後輩
・部活動のコーチと部員
・教師と子ども
・学校の上司と若手教員

のような上下関係の明らかな場面でも「いじめ」と同じ事態が起こりうる。
 だからこそ、

・大人が加害者にならない
・大人がいじめのモデルにならない

ことが大事になる。
 それが、「大人の責任として」というスライド資料の3項目であった。

①加害者にならない
②傍観者にならない(加害者の行為を黙認しない)
③加害者のモデルにならない(加害行為に正当性を与えない)

 同じく、「大人を変える!」というスライド資料に列挙された次の4項目も、教師の責任の重さを示していた。

①正しい知識を持っていない(経験則・間違った情報・思い込み)
②個人で頑張っている
③知らないうちに加害者に回っている。
④よくもわるくも、傍観者


(2)傍観者を変える


 学級の1~2%である「ニーズ」のある子
 学級の12~3%である「リスク」のある子

にばかり指導を注ぐと
 リスクのある子が、ニーズのある子に移り、
 85%の一般児童がリスクのある子に移ることがある

と言われた。
 ニーズやリスクのある子にばかり注視するなという指摘は
「まず全体に、大きな課題を与えよ。然る後に個別に指導せよ。」
という子どもを動かす原則と同じだ。

 和久田先生の話を聞きながら、

◆85%の一般児童を育て、よいモデルにし、よい風土をつくる
◆一般児童と重なるいじめの傍観者を変えることが、いじめ予防の最善策

と肝に銘じた。

 「傍観者を変える」というスライド資料の全文は以下の通りである。
=========================
・いじめは、普通、大人に見つからないように行われる。しかし、子どもたちの中で行われ、子どもたちの中に目撃者がいる。
(いじめの目的が、集団内での力を得ること、友達からの承認を得ることの場合が多いため)

・よって、いじめの加害者、被害者を見つけることは難しいが、傍観者(目撃者)を見つけることはたやすい。
なぜなら大人の前にいる子どものほとんどが傍観者(目撃者)であるから。

いじめの予防を考えたとき、この傍観者のグループを「物言わぬ多数派」から「思いやりのある集団」に変えることが必要である。
傍観者のグループに、いじめのない、安全な学校を作る責任を持たせることが、子どもたち全員にとって重要である。
==========================

 集団の教育力が、「いじめ」を許さない風土をつくる。
 だからこそ、集団の教育力が機能するような「学校経営・学級経営」が重要視される。

 和久田先生が、「学級風土 school Climate」と呼んだ。
このキーワードにもっとこだわって勉強していきたい。

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August 06, 2013

いじめの原因も対策も「同調圧力」

国立教育研究所の調査結果の記事があった。


いじめ、小学生の9割弱が被害・加害ともに経験 国立教育研 2013/8/5 20:55

 国立教育政策研究所は5日、首都圏の小中学生を対象に行った調査で、小学生では仲間外れ、無視、陰口といった「いじめ」を受けたことがある児童と加えたことがある児童がともに9割近くに上ったと発表した。「
調査担当者は「こうした暴力を伴わないいじめを、子供たちが日常的に経験していることが裏付けられた」としている。
 同研究所は2010~12年、首都圏のある市の小学校13校と中学校6校で、10年度に小学4年と中学1年だった児童生徒計約4600人を対象に追跡調査を実施。
毎年6月と11月にアンケートを行い、経年変化を分析した。
 10年度当時に小学4年生だった約700人のうち、小6の11月時点までに「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けた経験があると回答した児童は87%に上った。
6回の調査でいずれも「ぜんぜんなかった」とした児童は13%にとどまった。
 「仲間外れ、無視、陰口」の加害経験が一回でもあると答えた児童は86%。加害経験がないとした児童は14%だった。
 07~09年に実施した前回調査では小学生の被害経験は79%、加害経験は77%だった。
 10年度当時に中学1年生だった生徒の調査では、「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けたことのあるとした生徒は71%。加害経験があるとした生徒は72%だった。
 中学生については「ひどくぶつかる・たたく・蹴る」といった暴力についても調査し、被害を受けたとした生徒は41%、加害経験があるとした生徒は30%だった。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0503F_V00C13A8CR8000/

  この調査結果に対するコメントは難しい。
 「多少の仲間外れ、無視、陰口は誰もがやっている」と断じてしまうと、だから「いじめられている子も我慢せよ」ということになりかねない。
 仲間外れ、無視、陰口については、本人の受け止め方は千差万別だ。
 苦痛を感じている子に「お前は大げさだ」「みんな我慢している」という権利は誰にもない。
 それに、この調査で問うた「いじめ」の度合いも、この記事だけでは、よく分からない。
 苦痛を伴うような「仲間外れ、無視、陰口」に限定しているのか、ふざけ合い程度のものも含まれているのか。
 
 たとえば、

◆自分は深刻ないじめの加害者である。でも自分だって軽いノリのいじめはいつも受けている。だから、自分は悪くない。お互い様だ ◆

という言い訳をもたらすのだとしたら、加害も被害も双方9割と言う数値の意味があいまいになってしまう。
 
 それにしても、加害者9割と言う数値は、「仲間外れ、無視、陰口」をしたことを平然と口にできる雰囲気があることを示す。
 もし、その行為にやましさを感じていれば、いくらアンケートだって「イエス」とは答えないはずだ。
 「仲間外れ、無視、陰口」なんて当たり前という感覚が、すでに危険なのだと私は思う。

 さて、藤川大祐氏の『いじめで子どもが壊れる前に』(角川新書)では、同質原理(homophily)という言葉を用い、「集団の中で価値観や態度が類似であることが求められる」と解説している。
 「みんながやっているから自分もやる」の空気である。

 これもよく似た概念で、「いじめ」の背景として、「同調圧力・同調行動」はよく用いられる。

◆同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

 同調圧力・同調現象は、あまりよい意味では使われないようだ。
 しかし、斉藤孝氏の『若者の取扱説明書』(PHP新書)では、この同調圧力=「周囲がやっているから自分もやらなきゃ」を若者を動かすためにプラスに利用している。

◆集団の中にいる彼らにとって最大の恐怖は、自分一人だけ浮いたり、さぼっていると見られることだ。
もともと叱られることに慣れていないし、恥もかきたくない。
「取り残されてもいいのか」若者は自分だけ取り残されることを極度に嫌う。P24

◆友人ががんばっていれば自分もがんばるし、仲間の多くがクリアしたことは自分もやらなければまずいと考える。
つまり、「先生にどう評価されるか」は原動力にならないが、「周囲がどう動いているか」によって自分の動き方も変わるわけだ、
だから、先に述べた”同調圧力”が効くのである P117

・・・マイナスをプラスに変えて人を動かす方法を考える斉藤氏はさすがだと思う。マイナスを嘆くのは簡単だが、嘆いたところで事態はよくならないからだ。

 「いじめ」についても同じだ。
 いじめをやって当たり前の雰囲気があれば、「同調圧力」によって、いじめが蔓延する。
 しかし、やらなくて当たり前・やらないのが当たり前の雰囲気が強くなれば、「同調圧力」によって、いじめは回避できる。
 いかに多数派をこちらに仕向けていくかが、教師の指導なのである。

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February 12, 2013

「いじめ」はなくならないからこそ、なくす努力が必要になる!

Koji


 2月10日、豊橋のカリオンビルで長野県の小嶋悠紀先生の講座があった。
 その中で「いじめ」に関するお話があった。

◆「いじめ」のような相手をおとしめる快感は、脳の側座核で感じるものである。

 「いじめ」は人間の脳が欲する快感なのだという主張は、以前どこかで同じような指摘を聞いたことがあったようななかったような・・
 というわけで、帰宅して調べてみた。

2007年3月の中日新聞の特集に、「いじめ」と「脳」の関連記事がある。

http://www.chunichi.co.jp/hold/2007/ijime/list/200703/CK2007031802102058.html.

=============引用ここから
 (前略)
 ヒトはなぜ、いじめるのか-。この難問に対し、ヘビなど爬虫類(はちゅうるい)の脳に、答えを求めるのは、浜松医科大名誉教授(大脳生理学)の高田明和(71)だ。「いじめは、爬虫類の脳の暴走なんです」
 人間の脳は三層構造だ。高田の表現だと「進化の過程で、古い脳の上に新しい脳を建て増してきた」。最も奥には「爬虫類の脳(ヘビの脳)」と呼ばれる脳幹など、それを哺乳類(ほにゅうるい)になって発達した大脳辺縁系、いわば「イヌ・ネコの脳」が包む。さらに外側を、霊長類、特に人間になって発達した大脳新皮質、「ヒトの脳」が覆う。
 高田によると、「爬虫類の脳」は「命の脳」ともいわれ、呼吸や心臓の動きなどを司(つかさど)る。そして「本能的に自分の縄張りを守って敵を襲い、排除しようとする」。「イヌ・ネコの脳」は、相手を敵、あるいは嫌なやつだと感じて攻撃する。そして、嫌な相手でも許そうか、と考えられるのが「ヒトの脳」だという。
 この3つの脳のバランスが不安定になると、攻撃的になり、いじめにつながることがある、というのが高田の考えだ。「原始的な感情で動く『イヌ・ネコの脳』、一番奥底にある『爬虫類の脳』が理性の脳を追いやり、わがもの顔で脳全体を支配するからだ」と高田は説く。
 高田によると、脳のバランスが崩れるのは「疲れている時、自信がない時、いらいらしている時」。そのカギと考えられるのが、脳内の神経伝達物質「セロトニン」だ。精神安定に関係し、情緒不安定の時には少なくなっているとされる。
 攻撃的な個体を交配させてつくった高い攻撃レベルを示すネズミでは、セロトニンの脳内濃度が低かったとの報告もあるという。
 高田は言う。「誰もが、いじめる脳をもっている。いじめる子は決して特別ではない。だから、脳のバランスをいかに保たせるか、から考えないと」
 同じ脳科学の専門家でも、京大名誉教授で日本福祉大教授(認知神経生理学)の久保田競(74)は、考えが違う。いじめは複雑な行動だとし、本能や衝動ではなく、「快感」から読み解く。曰(いわ)く、「いじめであれ、どんな行動であれ、それを『繰り返す』のは脳が快感を感じているからだ」。
 久保田によれば、その仕組みはこうだ。
 中脳の中には「A10(エーテン)神経核」と呼ばれる神経細胞の集まりがある。何かの行動などで、ここが活性化すると、「前頭前野」「運動野」「海馬」、さらには「側座核」の神経細胞にまで伸びる「軸索」の末端からドーパミンという神経伝達物質が放出され、それぞれが活性化する。
 このうち「側座核」は、人間が快感を感じている時に血流が増すことが最近、脳の断層画像で確かめられた領域。かくて、快感は生まれるのである。
 そして、これらの領域全部の活性化が、再びA10神経核を活性化させ、ドーパミンをさらに分泌させるという「快感循環」をもたらす。どんな行動であれ、積極的に繰り返している時には、この循環が起きていることも最近の研究で分かってきたという。
 つまり、いじめも、継続的に行われている場合には、脳が快感を感じていると考えられる、というわけだ。
 「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

==============引用ここまで
 
 相手をおとしめる快感・他人の不幸を喜ぶ快感と同一線上に「いじめの快感」がある。

 でも、その事実だけ知っても意味はない。
 大事なのは解決策だ。
 久保田氏は、次のように言う。

 「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

 小嶋先生は講座の中で、次のように言われた(私の解釈)。

 「他人からの高評価を与えても、側座核は反応する。」

 ほめられる・認められるといった他者とのまっとうな関わりが「いじめ」以上の快感になれば、いじめを防ぐ(減らす)対処になるということだ。
 2007年に読んだことのある中日新聞の記事は、記憶から飛んでいた。
 大事な大事ないじめ対策の記事なのに抜け落ちていた自分は恥ずかしいが、再度、刺激を受けたことで、記憶が強化されたというべきかもしれない。
 とにかく「ほめる」「笑う」「あたたかい対応」にこころがけるよいきっかけになった。

 さて、小嶋先生は脳科学の知見から「いじめは簡単にはなくならない」という主張をされた。
『週刊現代』の2月16日号で、曽野綾子氏も「いじめをなくすことは決してできない」と述べている。
女性が買うにも立ち読みするにも少々抵抗のある雑誌なので、その論拠を数か所引用する。

==============
そしてもうひとつの理由は、いじめは「楽しい」ものであるということです。 もちろんいじめられる側にとってはたまらなく辛いことでしょう。 しかし、いじめる側の精神が幼いと、楽しい、面白いと思う。
私たち人間の心の中には、いじめを「楽しむ」という悪い心根が確かにあるのです。 それを認めて論議しないとだめですね。
 このように、人間の本質と繋がっているいじめを、人為的に設けた制度によってなくすことができる、あるいは減らすことができると考えるのは間違っています。
制度の見直しだけでは、いじめ問題の根本的な解決にはとうてい至らないという認識を持つべきです。
 いじめをなくすことができないならば、いじめに耐えていきてゆける強い子どもたちをどう育てていくか。 これこそが大切なのですが、そのことに教育関係者も政治家も、誰ひとり言及しません。
(中略)
 まず誰の心の中にも、いじめを楽しいと感じてしまう「悪」の部分があるのを認識することです。 それがなければ教育は始まりません。 重要なのは、その「悪」をいかにコントロールするかです。それが人間として完成するということです。
 人間は動物とは違うのだから理性によって自分をコントロールして然るべきで、それを訓練するのは教育です。
===============
 
 「なるほど!」と思う1つ目は、「いじめはあって当たり前」というスタンス。 「我がクラスにいじめはない」と油断するクラスほど危険である。
 「いじめはあって当たり前」と思うから、いじめ発見の意識も高まるのである。
 「なるほど!」の2つ目めは、「私たち人間の心の中には、いじめを『楽しむ』という悪い心根が確かにある」という指摘。 これは小嶋先生が話されたように、側坐核の反応である。他人をおとしめて快感を得る意識がある。
 「なるほど!」の3つ目は、「理性によって自分をコントロール」することでいじめをなくそうという部分。人間の人間らしい「理性」や「良心」で、自分の持つ「悪意」に対抗するしかない。
 しかし一方で反論したくなるのは、「いじめに耐えていきてゆける強い子どもたちをどう育てていくか。これこそが大切なのですが」の部分。
 「これこそが大切」と言いながら、そのあとで、「重要なのは、その『悪』をいかにコントロールするか」と述べている。これでは、どちらが重要(大切)なのかが分からない。
 曽野氏は「理性によって自分をコントロールして然るべき」と言いながら「いじめる側の精神が幼いと、楽しい、面白いと思う」と認めている。
 ①精神が幼い人は、
 ②理性によって自分をどうコントロールできないから、
 ③いじめが楽しくて、やめられない。
と言うことになれば、打つ手がないことになる。

 認知神経生理学の久保田競氏は次のように言う。

◆「快感を感じている行動に、ただ『ダメだ。やめなさい』と怒っても効果は少ない。むしろ、やらなかったときにほめて達成感を感じさせる、それ以上の快感を感じる別の行動に導く、といった対処が有効ではないか」

 セミナーで小嶋先生は言われたことを、竹田がまとめると

◆他人からの高評価を与えられると、側座核は反応する。
◆「ほめられる」「認められる」ことで、「いじめ」以上の快感が得られれば、いじめを防ぐことができる。

・・・日々の授業で成功体験を積み、教師から褒められ、周囲から認められることが、「いじめ」加害者をなくす策になる。
 これなら精神の幼い子にも適用可能だ。

 「ほめられ認められる体験を積むことで、いじめ以上の快感が得られるようになれば、いじめはなくせる」という意気込みで取り組んでいる教師が、ここにいることを曽根氏にもぜひ知ってもらいたい。

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July 31, 2012

「いじめの早期発見・早期対応について」

平成18年10月19日に文科省から出された「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」18文科初第711号。
文部科学省初等中等教育局長である銭谷眞美からの通達文書である。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/001.htm

「いじめの早期発見・早期対応について」

以下の5項目が提示されている。

(1)
 いじめは、「どの学校でも、どの子にも起こり得る」問題であることを十分認識すること。
 日頃から、児童生徒等が発する危険信号を見逃さないようにして、いじめの早期発見に努めること。
 スクールカウンセラーの活用などにより、学校等における相談機能を充実し、児童生徒の悩みを積極的に受け止めることができるような体制を整備すること。

・・・当たり前だが大事なポイントである。3点ある

①「児童生徒等が発する危険信号を見逃さない」
②「スクールカウンセラーの活用」
③「児童生徒の悩みを積極的に受け止めるような体制」

担任には言いにくいこともあるからSCを活用せよということだ。
③の悩みを受け止めるのに必要なのは「場所と時間と人材」。
この3点の確保まで具体化しないと絵に描いた餅になる。

(2)
 いじめが生じた際には、学級担任等の特定の教員が抱え込むことなく、学校全体で組織的に対応することが重要であること。
 学校内においては、校長のリーダーシップの下、教職員間の緊密な情報交換や共通理解を図り、一致協力して対応する体制で臨むこと。

・・・いじめが起きた時に、「担任の指導が悪い」と責めても意味がないことを学校全体で共通理解しておきたい。

(3)
 事実関係の究明に当たっては、当事者だけでなく、保護者や友人関係等からの情報収集等を通じ、事実関係の把握を正確かつ迅速に行う必要があること。
 なお、把握した児童生徒等の個人情報については、その取扱いに十分留意すること。

・・・①「保護者や友人からの情報収集」だから友人だけのアンケートでは手落ちがある。、
  ②正確かつ迅速な「事実関係の把握」だから、大津の場合は、正確さと迅速さでアウト。
  ③「個人情報の取り扱い」も、不十分だと思う。まあ、「隠ぺい」の反動で躍起になって「暴露」されたとも言える。
  

(4)
 いじめの問題については、学校のみで解決することに固執してはならないこと。
学校においていじめを把握した場合には、速やかに保護者及び教育委員会に報告し、適切な連携を図ること。
保護者等からの訴えを受けた場合には、まず謙虚に耳を傾け、その上で、関係者全員で取組む姿勢が重要であること。

・・・教育委員会に報告したからといって「適切な連携」にならないことが、今回明らかになった。
 保護者からの訴えに謙虚に耳を傾けなかったことも、今回明らかになった。
 平成18年の通達が生きていなかったことが、今回明らかになった。

(5)
 学校におけるいじめへの対処方針、指導計画等の情報については、日頃より、家庭や地域へ積極的に公表し、保護者や地域住民の理解を得るよう努めること。
 実際にいじめが生じた際には、個人情報の取扱いに留意しつつ、正確な情報提供を行うことにより、保護者や地域住民の信頼を確保することが重要であり、事実を隠蔽するような対応は許されないこと。

・・・いじめの対処方針や指導計画の公表まで実施している学校はどのくらいあるのだろう。
 「いじめアンケートを実施しています。教育相談しています」と学校HPで紹介する程度のことを意味するわけではないだろう。
 ところで「保護者や地域住民の理解を得る」ことは、地域からの情報提供という意味でもあってほしい。公園やコンビニやゲームセンターでの不穏な動きを地域の方にも見守ってほしい。

 「事実を隠蔽するような対応は許されないこと」は、その通り。
 ただ本当に今回の学校や教育委員会は「隠蔽」したのだろうか。
 「隠蔽の疑惑」はあるだろうが、個人情報の取扱いに苦慮し対応しきれなかったという側面もあると思う。


 「2 いじめを許さない学校づくりについて」

 以下の3点が挙げられている。
 どれも、もっともな指摘である。
 
(1)
 「いじめは人間として絶対に許されない」との意識を、学校教育全体を通じて、児童生徒一人一人に徹底すること。
特に、いじめる児童生徒に対しては、出席停止等の措置も含め、毅然とした指導が必要であること。
 また、いじめられている児童生徒については、学校が徹底して守り通すという姿勢を日頃から示すことが重要であること。

(2)
 いじめを許さない学校づくり、学級(ホームルーム)づくりを進める上では、児童生徒一人一人を大切にする教職員の意識や、日常的な態度が重要であること。
 特に、教職員の言動が児童生徒に大きな影響力を持つことを十分認識し、いやしくも、教職員自身が児童生徒を傷つけたり、他の児童生徒によるいじめを助長したりすることがないようにすること。

(3)
 いじめが解決したと見られる場合でも、教職員の気づかないところで陰湿ないじめが続いていることも少なくないことを認識し、そのときの指導により解決したと即断することなく、継続して十分な注意を払い、折に触れて必要な指導を行うこと。

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「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」を読む

平成18年10月19日に文科省から出された「いじめの問題への取組の徹底について(通知)」18文科初第711号。
文部科学省初等中等教育局長である銭谷眞美氏からの通達文書である。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/001.htm

 冒頭部分を読むと、6年前とは思えない。
 6年前と事態は変わらないことが、よく分かる。
 改行しナンバリングして示す。

◆◆◆
①いじめにより児童生徒が自らその命を絶つという痛ましい事件が相次いで発生していることは、極めて遺憾であります。

②児童生徒が自らの命を絶つということは、理由の如何を問わずあってはならず、深刻に受け止めているところであります。

③これらの事件では、子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある例や、自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切であった例が見られ、保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。

④いじめは、決して許されないことであり、また、どの子どもにも、どの学校でも起こり得るものでもあります。

⑤現にいま、いじめに苦しんでいる子どもたちのため、また、今回のような事件を二度と繰り返さないためにも、学校教育に携わるすべての関係者一人ひとりが、改めてこの問題の重大性を認識し、いじめの兆候をいち早く把握して、迅速に対応する必要があります。

⑥また、いじめの問題が生じたときは、その問題を隠さず、学校・教育委員会と家庭・地域が連携して、対処していくべきものと考えます。

⑦ついては、各学校及び教育委員会におかれては、別添「いじめの問題への取組についてのチェックポイント」等も参考としつつ、いま一度総点検を実施するとともに、下記の事項に特にご留意の上、いじめへの取組について、更なる徹底を図るようお願いします。
⑧略
◆◆◆

 ①と②の関連は、重い。
 たとえ自殺の原因が「いじめ」でなかったとしても、そんなことは問題ではない。
 「児童生徒が自らの命を絶つということは、理由の如何を問わずあってはならず、深刻に受け止めているところであります」
という意識があったら、大津の件も、対応が違ったのではないか。

③は、さらに3つに分けられる。
A:子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある
B:自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切
C:保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。

 Aの子どもを守るのは学校・教職員に仕事だという認識。
 当たり前だが、「止められなかった」「分かっていたが何ともできなかった」では話にならない。

 Bの「自殺」は最悪の事態であるという認識。
 保護者からすれば「学校の対応の悪さで我が子は殺された」という思いが消えない。

 Cの保護者や国民の信頼を損なっているという認識。
 「学校はどうせ守ってくれない」というあきらめムードが蔓延したり、教師の指導を聞かなくようなムードが蔓延したりしているのだとしたら罪が深い。

④も2つに分けられる。
A:いじめは、決して許されない
B:どの子どもにも、どの学校でも起こり得るもの

 特にBは、向山先生も指摘された。
 いじめは「どの学校でも起こり得るもの」である。
 月ごとの報告が「ゼロ」が続くことが望ましいのではない。
 むしろ「ゼロ」が続く方が怪しいのだと考えるべきなのだ。

⑤のポイントは2点。
A:いじめの兆候をいち早く把握する
B:迅速に対応する

 Bの「迅速」について向山先生は「24時間以内」という基準を設定した。

 通達は、さらに「いじめの早期発見・早期対応について」で5点提示している。
 これも非常に重いので、次回に考察したい。

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July 22, 2012

「いじめ」報道は、傍観者の心を傷つけることがある。

◆あれほどのいじめなのにどうして止められなかったのか
◆知っていたのにどうして親や先生に言わなかったのか
◆自分が動いたら、自殺しなくてすんだかもしれない

 そのように自分を責める子がたくさんいると思う。
 「だから 悪い」のお話ではないが、確かに傍観するのは悪い。
 しかし、傍観者も報復が怖かったのかもしれない。
 傍観者を責めるのは酷だ。

 マスコミ報道には、そのような視点の配慮が欠けている。
 隠ぺい体質の教育委員会を擁護するつもりはないが、マスコミに対し教育委員会は「これ以上学校を責めれば、いじめを止められなかった在校生の心も傷つくのでやめてほしい」といった声明を出してほしい。

 かつて、恐喝事件で大々的にある中学校が話題になったことがある。

 その学校の子どもたちも、部活動の大会があれば、学校名の入ったユニフォームを着てのぞむ。
 大きな文字で学校名がプリントされているユニフォーム。
 その学校名が、悪い意味で広まったとしても、ユニフォームから名前を消すことはできない。

 審判の何人かの先生で、「ふつうの子がかわいそうだよな」という話をした。

 今年の、大津の中学校も、それぞれの部活動の大会で辛い思いをしているのではないだろうか。
 教師の不祥事も警察の不祥事も、ほんの一部の人間のせいで、全体が白い目で見られる。
 それは大人なら我慢できる。

 しかし、そのような試練を中学生に課すのは酷である。

 学校名が報道されることで、多くの生徒が悲しみ、嫌な思いをすることを報道する側はどう考えているのか。
 マスコミが第3の権力と言われるのは、権力者に向けて刃を向けるからだ。
 教育委員会や学校組織を糾弾するのはかまわないが、その反響や批判が中学生に及ぶなら、もっともっと慎重な対応が必要だったのではないだろうか。

 正義面をして過剰報道する態度は、「いじめ」と同じ発想に思えてしかたない。

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いじめられた本人は「いじめられた」と言わないと思え

◆いじめられたら相談しましょう。
◆いじめのアンケートに正直に書きましょう。
と勧めても、 自分からいじめられていると言わないのが「当たり前」だと思った方がいい。
 仕返しを恐れているから、当然だ。

 アンケートをしても、聞き取り調査をしても、出てこないかもしれない。
 だからといって油断してはいけない。
 教師自身が現場を押さえるか、周囲からの情報をもとに根気強く声をかけ、目をかけ、配慮する。

 さらにいうと
 裸にされる・大金をとらえる、といった悲惨な場合ほど、子どもは訴えない。
 言うのもつらいほど屈辱的であったり、あまりの規模の大きさに、今さら言うに言えなかったりするからだ。

 1000円とられたなら相談できるが、何十万になってしまったら、もう言えないのだ。

 本人が打ち明けるような場づくり・雰囲気作りを講じるのも一手。
 教師が証拠をつかんで、本人につきつけるのも一手。

 教師が待っているだけでは、いじめの発見はできない。

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いじめを防ぐのは大人の責任

かつて名古屋でも、被害者から巻き上げたお金でタクシーに乗って豪遊する事件があった。
名古屋から東京までタクシーに乗ったと言う。尋常じゃない。
タクシーの運ちゃんは、お金さえもらえば、かまわなかったのだろうか。

いかにも1人の子がグループ全員のお菓子を買わされていたとする。
コンビニの店員は、お金さえもらえれば、それでいいのだろうか。

いじめは学校だけで起こるわけではない。
学校周辺から情報が寄せられればたくさんの子が救われる。
身近な大人がけん制したり忠告したりすればたくさんの子が救われる。

被害者の学校で「見て見ぬふりをしてしまった傍観者」がいたように
地域にも「見て見ぬふりをしてしまった傍観者」がいる。
加害者が巻き上げたお金で利益を上げた人もいる。

糾弾するつもりはない。
もっと冷静に、もっと真摯に、

◆地域で協力していじめを防いでいきたい。
◆地域でいじめを撲滅しよう

が広まらないかと思う。

かつて暴走族を食い止めるキャッチフレーズは

◆しない・させない・みにいかない

であった。
地域がいじめを撲滅するには

◆しない させない 見ぬふりしない

になるだろうか。

中学生が何万のおかね巻き上げたお金で何かするのを「水際」で食い止めたい。
運転することが分かっていてお酒を売るのは違法なのだから、
恐喝まがいのお金だと分かっていて何かを売るもの違法であるべきだ。
虐待通報に義務があるなら、いじめ通報も義務化すべきだ。

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December 29, 2010

いじめ対策~興奮と抑制~

 以前、サークルで「いじめ対策と学級経営」について意見をいただきました。
 差し障りのない程度に引用して、意見を書きます。


◆予防という面から、(中略 竹田)ひとつあげると、国語の授業の中で上手に「百人一首」を取り入れてやればよかったな。ということです。
やれないクラスがあるからやらない。ではなくて、その壁を超える力が必要だったと。
「群れ」となった生徒集団は、自然に「荒れて」、攻撃性を抑制する力を失うということ。
日々の実践で、そこにどう「規律」や「自制」を持ち込むかが教師の力量であり、責任だということを感じています。

・・・先日の特別支援教育セミナーの講座の中で、「興奮と抑制」という話しがありました。
十分理解できていないのですが、すごく印象に残りました。
 
 「抑制」を先に持ってきてはいけない。興奮する(ような楽しい状態を体感した)後で、抑制をもってくることが重要だ。
というような理解をしました。

 これは、なるほどその通りで、子どもにしろ大人にしろ、楽しい活動を行っているからこそ「お預け状態=抑制」が学べます。
 もし、嫌々いっているのに「静かになるまでやりません」と注意されたら、「別にやらなくてもいいし」などといった反発を浴びる可能性があります。
 だから、やりたくてやりたくて仕方ない状況こそ、抑制を学ぶ絶好のチャンスなのです。
 たとえば、次のような資料がネットで検索できました。

http://kids21.gr.jp/joho_box/box_c_02_07.html

●やる気の3つ目安
やる気は大脳新皮質の前頭葉の働きで、この働きの強さを「前頭葉の土台」といいます。
その土台の強さには3つの目安があるそうです。
1つ目は「興奮と抑制のそれぞれの強さ」、
2つ目は「興奮と抑制のバランス」、
3つ目は「興奮と抑制の切り換え」です。

興奮と抑制の切り換えから見ると、切り換えが遅い子どもは「おっとり型」早い子どもは「活発型」になります。
ところで、最近目立つようになってきた型に「抑制型」というものがあります。
これは、興奮の強さが発達する時期に、抑制の強さの方が先に発達してしまったということが特徴です。

●抑えられすぎた興奮の行方
興奮することで抑制の働きが発達する時期の子どもに、その興奮を強く抑制することを要求するとどうなるのでしょう。
最近の子どもたちは興奮の強さの発達が遅れているといわれています。
ある専門家は、家庭や保育・教育の場で、興奮の強さを発達させる時期にそれを抑え過ぎるるようなしつけや指導がなされているからではないか、といっています。実際、ある学校では、荒れているクラスの子どもたちに身体を激しく使った遊びをやらせたところ、落ち着きを取り戻したというケースもあるそうです。
興奮と抑制のバランスが保たれないとき、子どもは急にキレたり、また幼児期に見られる特徴に逆戻りしたりするといわれています。

◆興奮の強さが発達していないところに、抑制の力をいい形で発達させるということは、難しいことなんですね。子どもたちが安全に、そして安心して興奮というエネルギーを爆発させる場を作ってあげるということは、育児に関わる私たち大人の大切な役割ですね。

参考/正木健雄著「ヒトになる人間になる」創教出版

・・・「荒れているクラスの子どもたちに身体を激しく使った遊びをやらせたところ、落ち着きを取り戻したというケースもあるそうです。興奮と抑制のバランスが保たれないとき、子どもは急にキレたり、また幼児期に見られる特徴に逆戻りしたりするといわれています。」という叙述をしっかり学びたいと思いました。

 また、次の資料。
 
 「人間であること 」 (時実利彦 著 岩波出版)

には自制心をつけて戒律を守ることを「躾ける」という言葉で表現しているが、これは「し繰りかえす」という意味である、と書いてあるそうです。
人は、生きていく上で様々な欲求を持ち、やる気や意欲が高まることで積極的に行動をしてそれらの欲求を満たそうとしますが、このようなやる気や意欲が高まっている時は脳の前頭連合野の神経系が興奮した状態になります。
一方、人は社会を形成して生きているので、集団の秩序を保つためには自分の欲求を抑えなければならないときもありますがこのように欲求を我慢しているときは、脳の前頭連合野の神経系が抑制状態になります。
 このように、人が社会の中で生きていくためには「意欲と我慢」言い換えれば、「脳の興奮と抑制」のバランスを
保つことが重要になります。
 最近の研究では、切れやすい若者が多くなったのは、この前頭連合野の抑制の働きが低下していることがわかってきているようです。

・・・モンテッソーリ教育の次の記述とも重なって感じました。
 以前、次のようにまとめたことがあります。

=================
モンテッソーリ教育の第一人者である相良敦子先生の著書、『幼児期には2度チャンスがある』を読んで、モンテッソーリ教育で「敏感期」と呼ばれる感覚が研ぎ澄まされた時期があり、「正常化」と呼ぶ劇的な変化があることを知った。
◆「正常化」が起こると、「歪み」がひとりでに消えるばかりでなく、その子本来の落ち着きや善良さが現れてきま
す。(P75)

・・・この変化は、「敏感期(幼児期)」でなくてもよい。集中体験が人生を変えるのだと相良先生は書いておられる。
 『お母さんの敏感期』には次のようにある。

◆幼児期の強烈なエネルギーがほとばしりでる敏感期のようなかたちではないにしても、人間には生涯にわたって、いつも何か夢中になれるものがあり、そのために情熱を傾ける時期があります。
 そして、全力投球して夢中にやり抜いたあとは、人間いくつになっても素直になり寛大になります。(P107)

 楽しいことをやるから、やる気が出る。
 楽しいことをやっているから、我慢もできる。
 だから、楽しいことをやり続けると落ち着きが出る。

 「カルタ」も「部活動」「教室のイベント」も同じなのだと感じています。
 そのような循環を仕組むことが授業経営・学級経営の1つの方策なのだと思います。

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November 13, 2010

いじめ自殺を起こさないために


「こんなときだけ来るのか」  
この一言がきっかけで女の子が自殺したそうだ。
何気なく口にした子は一生その責任を負うことになるだろう。

 ◆産経新聞 2010/10/27 20:30より抜粋・改行

 10月に入り休みがちだった明子さんは21日、前橋市内の県庁や地裁を回る社会科見学には参加した。
 だが、社会科見学に臨むと笑顔は消えた。

 「こんなときだけ来るのか」。

 同級生が放った一言にふさぎ込んだ。
 そして、二度と学校に行くことなく23日正午ごろ、自室のカーテンレールにマフラーをかけて首をつった。
 マフラーは母(41)へのプレゼントに自ら編んだものだった。
 いじめは明子さんが愛知県から転校した1年後の5年生に始まった。
授業参観に訪れたフィリピン人の母の容姿について悪口を言われたのがきっかけだった。
 クラス替えした6年生から無視が始まり、今秋には給食時にグループに加われず独りぼっちで食べていた。
 「転校したい。どんなに遠くても歩く」と、明子さんは何度も両親にすがっていた。
 一方、学校側は明子さんの悪口を言う児童への注意や、班ごとで給食を食べるように指導。
 だが、事実上クラスを統制しきれなかった。岸洋一校長は「よくない状況だったが、いじめとは認識していなかった」と強調する。

・・・忙しさにかまけて、よく読んでいないニュースだった。
 昨日の例会で授業化された先生がいたので、あわてて検索してみた。
 詳細を読めな読むほど、情けなく、また悲しい事件だった。


◆毎日新聞 2010年10月26日 地方版より抜粋

 明子さんはクラスメートに無視されるなどのいじめを受け続けていると訴え、「お父さん、お母さん、転校したい」「どんなに遠い学校でもいいから歩いて行く」と話していた。このため、来春の中学進学を機に、引っ越しで校区を変えることを考えていたという。

 明子さんは先週、火曜日から2日連続で学校を休んでいた。
 今秋から給食は決められた席ではなく、班をつくって食べるようになり、明子さんが孤立したのが原因と両親は見ている。
 木曜の校外学習に出席すると、同級生には「こんな時だけ学校に来るな」と責められ、母親に「もう学校に行きたくない」と涙ながらに訴えたという。
 竜二さんはこの日、学校に電話し、いじめや給食時のグループ分けについて「なんとかしてほしい」と頼んだ。
 担任は「話し合ってみます」と応じたという。金曜日にはまた学校を休み、事件は土曜日に起きた。

・・・・いろいろな事情があるにしても、学校の対応の悪さは明確だ。

放置すれば、子供はいつだって「好きな子同士」を選びたがる。
しかし、好きな子同士は「嫌い子外し」と表裏一体だ。 
「好きな子同士」は年度当初に否定されるべき課題だ。
 「好きな子同士は、仲間外しの第一歩」なのだ。
 担任は給食を好きな子同士で食べることの危うさが分かっていなかったのだろうか。

 (2010年10月28日01時30分 読売新聞)は、芥川の歌を引き合いにしてひとりぼっちの辛さに思いを馳せている。
 これこそ、本来、教師が持つべき想像力である。
 改行は竹田。
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 芥川龍之介の歌がある。
 〈幾山河(いくやまかわ)さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと〉。
 にぎやかで華やいだ空間に身を置くとき、大のおとなでも孤独は骨身に染みとおる
 ◆食器の触れ合う音と、笑い声と、おしゃべりと、好きな子同士が机を寄せ合って食べる給食の時間は毎日、ピクニックのような楽しい音に満ちていただろう。
 ひとりぼっちのその子には拷問の時間だったかも知れない
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 この女の子の死を無駄にしてはいけない。
 まだまだ全国には、ひとりぼっちの子がたくさんいる。

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