July 31, 2026

古代の哲学書に学ぶ

「1+1はいくつですか」と聞けば当たり前の答えしか返ってこない。
しかし「1+1は幸せですか」と聞けば「増えることは幸せなこと」のような答えが出てくる。

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つまり哲学が始まるのです。

 「超・知的生産術P29 小川仁志 PHP 
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と言う。
 これが「哲学」か。大学でさぼってたので、いまだに「哲学」がよく分からない。恥ずかしながら驚いてしまった。
 「論理的思考」を著した宇佐美寛氏の専門は「哲学」。
 プレゼンの極意はアリストテレスの「修辞学」までさかのぼる。
 「主体的・対話的・深い学び」と言われるが、「対話」はソクラテスの「問答法」にさかのぼる。 マイケルサンデル教授の「白熱教室」も「ソクラテスの問答法」を含む哲学の講義だ。

 哲学は「思考の探究」であり、「知的生産」であると小川氏は述べる。フランスの哲学者ジル・ドウルーズの言葉

◆「つねに新たな概念を創造すること、それこそが哲学の目的なのである」

を引用して

哲学とは自分の言葉で物事の意味(=概念)を確定していくという作業ですから、それはまさに概念の創造だといっても過言ではないと思うのです。P25

と述べている。
 そして哲学の本当のやり方と称して「質問をする」「変な質問をする」を提示し、「相手の口から真理を導きださせる」=ソクラテスメソッドが大事だと述べている。

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物事の本質を探究するのに求められるのは、色々な物の見方です。P32
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といった箇所などを読むと、向山先生が「発問の吟味」を強調されたのは、哲学的な意味=思考の訓練があったからなのだと推察できる。異次元から切り込むようなあっと驚く発問なしに、知的な授業を組み立てることはできないのだ。

例えば、「討論」はAかBかに決着をつけるためのものではない。

◆生じてくる問題を切り捨てることなく、むしろ取り込むことによって発展した答えを導こうとするロジック P57

・・・これが「ヘーゲル哲学の根幹ともいうべき弁証法」だから、向山学級の討論は極めて「弁証法」的である。

例えば、我々は大量の情報をカテゴリー別に分類するが、この「カテゴリー」はカントが提唱したのだと言う(P92)。

 十分に理解しきれていないが「哲学的思考術」として列挙された以下の10項目も、向山実践と重なりを感じるものが多い。

①透視思考(プラトンが唱えたイデアの概念)
心の目によって見えないものを見る。

②対概念思考
対になる概念を探し、二つセットで全体を見る。
「主観と客観」「理想と現実」「一と多」のように。

③媒介思考(ヘーゲルが重視した概念)
現象と原因をつなぐ隠れた媒介を見つける
どんなものも何らかの関係性や原因があって存在する
「直接性」の否定

④弁証法思考(ソクラテスからヘーゲルへ)
問題を切り捨てることなく発展させ、よりよい解決法を見出す

⑤プラグマテイズム思考(デユーイ)
前向きな妥協を見出す
うまくいけばそれが正しい

⑥逆算思考(パスカルの『パンセ』)
結果から逆算して、現状を把握したり、事態を推測したりする。

⑦比喩思考
比喩を用いることで、本質をあぶるだす。

⑧非人間中心思考
物事を人間中心に考えない
人間の感覚は相対的である。

⑨落選着目思考
なぜそれ以外ではないのか考える
論じなかったものを考えることで視野が広がる。

⑩補助線思考
一見関係ないと思われるものとつなげることで見方を変える
 P132・133

 ビジネス書の思考法・知的生産術も大半は、哲学思考そのものであると言う。

 フレームワークの大枠は「①構造主義パターン ②カテゴリーパターン ③問答法パターン」の三つに集約できると言う。

 哲学か。
 新しいビジネス書ばかり選ばないで、古典にも目を通さないといけない。


※追記 2011年の覚え書き

「実践!英語でしゃべらナイト2011年7月号」のテキスト。
 
◆ プレゼンの極意は、2300年前にギリシャでアリストテレスが「修辞学」で述べている。

とはびっくり。大学でさぼった「哲学」の領域か。


◆修辞学は公衆に向かって効果的に話し、伝える技術です。
「公衆の面前で話すこと」、つまりプレゼンテーションの極意がここにあります。アリストテレスは、公衆の面前で話すこと(プレゼンテーション)は、3つの要素(ロゴス、パトス、エトス)のバランスだと言いました。P19

 ロゴス・パトス・エトス・・・聞いたことはあるが、全く忘れていたし、本気で考えたことも、「これは使える!」などと思ったこともなかった。
 知らずにいたこと・気付かずにいたことで、これほどショックを受けたのも久しぶりだった。

ロゴス(論理)、パトス(感情)、エトス(信頼)の3つのバランス。

◆アリストテレスはこう言いました。「人間はとても感情的な生き物である。人を説得しようとするとき、私がどんなに論理的でも、もし感情に訴えかけることができず、自分の味方についてくれるような感情を彼らに抱かせることができなければ、その説得内容が何であれ、すべては無駄」なのだと。(P36)

・・・これは自分の正しさだけを攻撃的に主張するパッシブでは相手を説得できないと述べる「アサーション・アサーテイブ」の考えとも通じる。

◆アリストテレスはロゴス、パトス、エトスの3つのうち、エトスを最重要としました。なぜでしょう? P54

という問いに対する解説の納得。中身の濃いテキストだった。

 エトスの要所をメモ書きしておくと

①聴衆は最初の2分であなたを判断します。
②プレゼンで信頼感を与える最良の方法は、聴衆を一番に考えることです。
③最終的にはあなた本人が聴衆に受け入れられ、信頼されるかどうかにかかっているのです。

 自分は、これまで、ロゴス(論理)ばかり優先してきたように思う。
 だから、アサーションを知った時も反省した。
 そして、今回、聞いたことのある言葉であるにもかかわらず、パトス・エトスについて全く記憶になかった自分が、いかに独りよがりであったことかと恥じ入るばかりである。

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January 07, 2026

「生きる」と「死ぬ」は表裏一体

母はなぜ亡くなったのか?

約1年前、 母の法要でうかがったお話を私の解釈でまとめてみると・・。

母が「なぜ亡くなったか」と聞かれたら、「生きているから」としか答えようがない。

母の死亡診断書には「脳梗塞」と書いてある。 確かに直接的な原因はその通りだが、宗教的には生きているものは皆亡くなるのだから,亡くなった原因は、まさに「生きていたから」。

生きていなければ死ぬことはないのだから、そんなに死にたくないなら生まれてこなければよかったことになる。

生と死は表裏一体。 良い生き方と良い死に方は背中合わせ。

とにかく、この世に「生」を受けた我々にできることは、精一杯、生き続けること。

この世で生かしてもらっていることを考えたら、まさに「生きてるだけで丸儲け」。

「死ぬこと以外はかすり傷」だから、自分の不平不満は微々たるものなのだ。

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July 08, 2024

人としてどうあるべきか

道徳教育について調べていたこと(15年以上前)、「海軍五省」について書いたことがある。

一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか   (不誠実なことはしなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか   (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)

一、気力に欠くるなかりしか   (気力は惜しみなかったか)

一、努力に憾(うら)みなかりしか   (努力を惜しみなかったか)

一、不精に亘(わた)るなかりしか   (怠けることはなかったか)

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2007/05/post_4f96.html

 

「参謀の教科書」(双葉社)には、防衛大学校学生綱領として3つの特性が挙げられていると示してある。

◆「廉恥」(Honor)人として恥ずかしい行動をとるな。恥を恐れて卑怯な真似をするな

◆「真勇」(Courage)正しいと思うことを臆せず行動する誠の勇気

◆「礼節」(Politeness)相手に対するリスペクト。礼儀と節度、謙虚

 

併せて同書では、ドラッカーが指摘した「真摯さに欠ける人の特徴」が6点挙げてある。

①人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者

②皮肉家

③「なにが正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者

④真摯さよりも頭脳を重視する者

⑤有能な部下を恐れる者

⑥自らの仕事に高い基準を定めない者

 

なるほどな。

「人としてどうあるべきか」を考え、生涯、自身を磨いていきたい。

ちなみに、わがサークルの信条は「三上錬磨」である。

 ◆事上錬磨・・・仕事から学ぶ

◆書上錬磨・・・書物から学ぶ

◆人上錬磨・・・人から学ぶ

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February 06, 2024

 儒教(陰陽二元論)の教え

Zu  

 『論語~その裏おもて~』(駒田信二 主婦の友社)を冒頭部にはすごく納得した。

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「楽は苦の種、苦は楽の種」は、苦と楽とを因果関係においてとらえたものであるが、「人間万事塞翁が馬」や「禍福は糾墨の如し」の禍と福は、因果関係ではなく、福には必ず禍が内包されているものであり、その禍(福に内包されている禍)にはまた、必ず福が内包されている、という陰陽二元論的な思考にもとづくものなのである。

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 「陰陽二元論」とは易の思想であり、易経は、儒教のテキストである四書五経の中の一つだ。

 陰と陽とは対立するものではあるが、陰は陽を内包し陽は陰を内包するものだという教えは「好きな子の中にも嫌いな一面があり、嫌いな子の中にもいい一面がある」に通じる。

 また、二者択一を固定せず、無限に変化していくものが「易」の思想で、「今好きな子をいずれ嫌いになることもあり、今嫌いな子を好きになることもある」に通じる。

 このように児童・生徒のトラブルや友だちづきあいに「陰陽二元論」をあてはめたら、スーッと入っていった。

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February 05, 2024

将棋のルールに見る日本らしさ

世界には「シャンチー」「チェス」などのボードゲームがあります。

日本のボードゲームといえば何ですか?

将棋や囲碁などがありますが、ここでは将棋の話に絞ります。

世界にいろんなボードゲームがありますが、日本将棋だけのルールがあります。知っている人はいますか?

正解は「持ち駒使用」です。

「持ち駒使用」というのは、相手の駒をとったら自分の駒として使ってよいというルールです。

このルールがあるため将棋は先を読むのがとても難しくて、コンピュータでも、なかなか人間には勝てないと言われています。

この将棋のルールから言えるのは、

日本人は、

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いつまでも対立しない

すんだことは水に流す

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という考え方を持っていることです。

たとえば「昨日の敵は今日の友」。

江戸幕府は関ヶ原の合戦で敵だった武将も殺さないで大名として仕事をさせました。

何大名と言いましたか?

「外様大名」でしたね。

戦った相手は皆殺しにする国も多いのですが、日本はむだ死にはさせず、その人の持っている才能を活かしたのです。

さて、昭和になって日本で発明されたボードゲームと言えば何でしょう?

オセロです。

オセロは戦後、牛乳瓶のフタで楽しんでいたゲームを商品化したものです。

このオセロのルールはどうですか?

オセロも敵のコマが一瞬にして味方に変わります。逆に味方のコマが一瞬にして敵に変わります。

ということは、オセロも、太極図の考え方に沿った、いかにも日本らしいゲームなのだということが言えますね。

 

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人間関係を円滑にする「太極図」の思想

○好きな人と嫌いな人

○いい人と嫌な人

○おもしろい人とつまらない人

○敵と味方

「白黒をはっきりさせる」という言い方があります。

それは必ずしも悪いことではありませんが、人を決めつける・人を分けたがるというマイナス面につながることがあります。

Zu  

 

これは、太極図と呼ばれます。

見たことがある人はいますか?

○漫画『陰陽師』

○韓国の旗

○何かのブランド

といった意見が出るが、後で説明することを告げて次に進む。

この図は、

○好きな人にも嫌なところがあり、

○嫌な人にも良いところがある。

○長所もあれば短所もある。

というように、

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AとBは簡単に決まらない

AとBは簡単に分けられない

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 ことを表しているのです。

「勝ち組・負け組」と言うように幸せと不幸せを分けたがる考えは白黒図の考え方ですね。

では「幸せと不幸せは簡単に決まらない」という太極図の考え方を表すコトワ

ザを知っている人はいますか?

 

「禍福はあざなえる縄のごとし」

 

と言います。

 幸せと不幸せは縄を編んだように、どっちが幸せでどっちが不幸せか分からないという意味です。

国語の授業では同じ意味でどんな故事成語を勉強しましたか?

 

「人間万事塞翁が馬」

 

馬が逃げたので嘆いていたら別の馬を連れてきた。落馬して骨折して不幸だと思っていたら、そのおかげで兵隊に行かなくて済んだというエピソードでした。

 

敵と味方を分けたがるのが白黒図の考え方。

では「敵と味方は簡単に決まらない」という太極図の考え方を表すコトワザを知っている人はいますか?

 

「昨日の敵は今日の友」ですね

白黒をつけさせる考え方は

・好き ←→嫌い

・いい人←→嫌な人

・味方 ←→敵

などをはっきりさせます。

 それは、

×他人を決めつける

×グループを作る

×対立する

×いつまでも仲直りできない

といったマイナス面にもつながります。

 一方、太極図の考え方は、

・長所もあれば短所もある

・けんかもすれば楽しいこともある

の意味ですから、

○他人の良さを見る

○誰ともうまくつきあう

○さっさと仲直りする

という長所につながります。

 日本人は、昔からこうして隣近所の人とおつきあいをしてきたのです。

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仏教哲学の教え ~人は分けたがる~

 かつて、勤務する中学校の図書館に『ブッタとシッタカブッタ』(小泉吉宏著・メデイアファクトリー)の三部作があった。

 宮崎哲弥氏は「仏教のエッセンスをこれほど噛み砕いて、これほど深いところをまで表現したマンガはいまだかつてなかった」

「縁起・空・無我・無自性、無常などの仏教哲学の基本概念が、これ以上わかりやすくはならないというほどわかりやすいかたちでもりこまれている」

と評している(『文芸春秋』2004年3月号229頁)。

 私は、特に三巻の内容に感激し、次のような考察を試みたことがある。

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 人間は、とかく「分けたがるもの」なのらしい。

 だから、クラス対クラス・クラブ対クラブのような対立を起こしやすい。

 中一であれほど仲良かった二人が、二年になって別のクラスになってから仲が悪くなった例はたくさんある。

逆に、一年の時は別のクラスにいて敵対視していた子と二年で同じクラスになり、仲良くなる例もたくさんある。

 一年生の時、あの子のおかげで合唱コンクールで勝った・体育大会で勝ったというような強敵が、よそのクラスにいたとする。

 二年になってもその子が別のクラスだったら憎らしいだろう。

 でも、今度、その子と同じクラスになったらどう思う?

 その子のおかげで合唱で勝てる・体育大会で勝てる、となったら、その子を大歓迎するんじゃないかな?

 同じことは逆でも起こる。

 自分のクラスで合唱や体育大会で大活躍していた子が、別のクラスになってしまったら、その子の能力の高さを知っているだけに、手ごわいよね。

 「お互いがんばろうね」って言えればいいけれど、中には「あんな子たいしたことないんだよ」なんて次の新しいクラスでふれ回る人もいるんだ。

 他人への愛情・他人への憎しみって不思議だね。

 自分にプラスになり、自分の味方にならないと、その子の長所がたちまちマイナスになってしまうってことなのかな? 

 自分のプラスになりそう、味方になりそうだと思うと、その子の短所より長所を見ようとするということなのかな?

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  人間は決めつけたがる癖がある。

  人間は分けたがる癖がある。

  そして人間は自分を守りたがる癖がある。

  もし、誰にも、そのような性質があるのだとしたら、私たちは、そのような性質の短所に振り回されないようにしないといけない。

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 相手を好きとか嫌いとか、いい子とか悪い子とか軽はずみに決めつけて言わない方がいい。

 なぜなら、どんな好きな人の中にも嫌いな要素があり、どんな嫌いな人の中にも好きな要素があるからだ。

 相手に好きとか嫌いとか言われても、いい子だとか悪い子だとか言われても、それが100%だと思わない方がいい。

 なぜなら、人の気持ちはいつまでも同じとは限らないのだから。

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May 31, 2020

アボガド・・・見事な比喩には「知性」が表れる


「サンデー毎日」2020・5・3号『対談 阿木燿子の艶もたけなわ』

ギタリストのMIYAVI氏が日本の音楽文化を世界に伝えるためのポイントを「アボガボ」「カリフォルニアロール」に喩えていた。

◆一度お寿司を食べた人に「もう一度食べたい」と思ってもらうには、どんな工夫が必要か、ですよね。相手に理解してもらいたいなら、こちらも理解してもらう努力をしなければいけない。で、いろいろ考えた結果、気付いたんですが、僕に足りなかったのは、カリフォルニアロールで言えば、アボガド。そのアボガドを探しにアメリカにいったんです。
 
・・・このMIYAVI氏の真意を阿木燿子が補足している。

◆お寿司は日本の誇るべき食文化ですが、そのまま世界に受け入れられにくい。生魚を食べ慣れない外国人には、多少のアレンジが必要だと。そこでカリフォルニアロールが出てきた。それを音楽に当てはめるところが、MI YA VIさんの凄いところで。
◆アボガドって、マグロに近い食感がありつつ、生臭くない。だから、わさびやお醤油に合う。アボガドを入れることで、お寿司がインターナショナルになった。ポイントはそこですね。

・・・MIYAVI氏は、国連難民高等弁護官事務所の親善大使をしている。言葉では通じ合わない世界中の人々とも、音楽なら一つになれるという深い思いがある。
 MIYAVI氏は「哲学」という言葉を用いて、自分の思いを語っている。

◆一番大事なのは「哲学、道徳観だと思うんです。知識や教養より先に、他人と共存する、共存するために必要なことを、まず学べる環境を与えてあげたい。
◆音楽って別に無くても生きていけるじゃないですか。だけど、音楽にしかできない役割があると信じています。音に乗せてメッセージを届ける。これも教育につながっていきます。教育を通じて学んでいく道徳観や共有の意識は、水や食料などのライフラインと一緒で、命の根源に関わっていますから。

・・・「アボガド」「カリフォルニアロール」という比喩表現ができる背景にはMIYAVI氏の知性と哲学、ポリシーがあることがよく分かる。教育に対する彼の強い信念が以下の部分によく出ている。

◆僕達はなぜ、言葉で話し合うことができるのか、そもそもお互いにどこが違うのか、肌の色、文化、言語、なぜ違うのか、なぜわかり合う必要があるのか、そういうことについて十分に学べる環境を作ってあげたいです。これは難民キャンプだけの問題ではなく、日本も含め、先進国の問題でもあるんです、押し並べて教育の水準を上げなきゃ駄目だと強く感じています。それは学問ではなく、もっと人間の本質に近いような部分というか。

・・・冒頭の引用箇所の前に次の言葉がある。

◆挫折して折れかかった僕の心を救ってくれたギターに、僕は恩返しをする義務もある。

・・・だから、「インポート」された洋楽文化に日本的な価値を加えて「エクスポート」していきたいと言う。

世界的なギタリストMIYAVIさんの熱い思い・深い人生哲学に心を打たれました。

相手に理解してもらいたいなら、こちらも理解してもらう努力をしなければいけない。

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April 24, 2015

子どものやる気を促す言葉かけ

昨年の初任者指導のメモが出てきた。
ベテランの先生の授業を参観した感想である。

(1)子どもをのせる

 「すっごく難しいプリント。みんなできるかな」と、子どもの挑戦意欲をかきたてました。 
 「うん、できる」「やってみる」と、子どもやる気になりました。
 たった1枚プリントを配る場面でも、このような一言が言えるかどうかで、子どもの意欲や集中度がぐっと変わってきます。このような対応がベテランの「技」です。

(2)子どもをしつける

 配付する際に、「姿勢のいい列から配ろう」と言うと、子どもの姿勢が一瞬でよくなりました。
 その後、姿勢のよい列からプリントを配りました。姿勢をよくしようとがんばった列の子たちは、自
分たちのがんばりが報われたことになります。
 たった1枚プリントを配る場面でも、このような一言が言えるかどうかで、学習のしつけがぐっと変わってきます。このような対応がベテランの「技」です。

 そのような些細な技は、知らなければ、やりようもありません。
 また、自分に余裕がないと、授業中に、そこまで気が回りません。
 しかし、教室は、
①学習の場であり、
②しつけの場であり、
③人間関係づくりの場、です。

 ささいな冷やかしの言葉があったら「今、何と言った?」と問い詰める必要もあります。
 あたたかい言葉があったら「いいこと言ってくれたね」とほめる必要もあります。
「いい姿勢だね」
「きれいな字だね」
「手がまっすぐ上がっているね」
「いい返事だね」
といった言葉かけが教室の雰囲気を高めます。
 たとえ教科学習の時間でも、学級経営・生活指導の場であることを踏まえて、子どもに接してください。

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August 16, 2014

身近なところに陽明学「知行合一」

◆「思いは伝えなきゃ、思ってないのと同じだ。」
キリンの「澄みきり」のCMの一節である

これは、陽明学で言うところの「知行合一」だ。
ウイキペデイアによると、

◆知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
知ることと行うことは本来一つであるという考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。

王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた。

ネット検索した辞書によると、

◆知行合一 意味
知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。
▽王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹しゅきの先知後行説に対したもの。


「“知行合一”が行動力の原点に!」と題したインタビュー記事によると、

http://diamond.jp/articles/-/1899

◆「迷ったらやる」が私のポリシーです。思っただけでは意味がない、必ず行動する。これは私が敬愛する吉田松陰の「知行合一(ちこうごういつ)」という考えからきています。
「知行合一」とは、陽明学の命題の一つで、松陰が松下村塾の掛け軸に掲げた言葉です。「知識をつけることは行動することの始まりであり、行動することはつけた知識を完成させることである。
 行なわなければ知っているとはいえない。知っていても行なわないのはまだ知らないのと同じである。知って、行なってこそ、本当の知恵、真知である」。


 かつてお世話になった上越青年会議所の2012年のテーマは

◆「自分がやらねば誰がやる」

であった。
http://joetsujc.com/2012/?p=2198

 これも、「知行合一」の発想なのだと思う。
 身近な生き様に「知行合一」がしみ込んでいるようだ。もっと調べてみよう(思うだけでなく、やらないと意味がない)。

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