April 24, 2015

子どものやる気を促す言葉かけ

昨年の初任者指導のメモが出てきた。
ベテランの先生の授業を参観した感想である。

(1)子どもをのせる

 「すっごく難しいプリント。みんなできるかな」と、子どもの挑戦意欲をかきたてました。 
 「うん、できる」「やってみる」と、子どもやる気になりました。
 たった1枚プリントを配る場面でも、このような一言が言えるかどうかで、子どもの意欲や集中度がぐっと変わってきます。このような対応がベテランの「技」です。

(2)子どもをしつける

 配付する際に、「姿勢のいい列から配ろう」と言うと、子どもの姿勢が一瞬でよくなりました。
 その後、姿勢のよい列からプリントを配りました。姿勢をよくしようとがんばった列の子たちは、自
分たちのがんばりが報われたことになります。
 たった1枚プリントを配る場面でも、このような一言が言えるかどうかで、学習のしつけがぐっと変わってきます。このような対応がベテランの「技」です。

 そのような些細な技は、知らなければ、やりようもありません。
 また、自分に余裕がないと、授業中に、そこまで気が回りません。
 しかし、教室は、
①学習の場であり、
②しつけの場であり、
③人間関係づくりの場、です。

 ささいな冷やかしの言葉があったら「今、何と言った?」と問い詰める必要もあります。
 あたたかい言葉があったら「いいこと言ってくれたね」とほめる必要もあります。
「いい姿勢だね」
「きれいな字だね」
「手がまっすぐ上がっているね」
「いい返事だね」
といった言葉かけが教室の雰囲気を高めます。
 たとえ教科学習の時間でも、学級経営・生活指導の場であることを踏まえて、子どもに接してください。

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August 16, 2014

身近なところに陽明学「知行合一」

◆「思いは伝えなきゃ、思ってないのと同じだ。」
キリンの「澄みきり」のCMの一節である

これは、陽明学で言うところの「知行合一」だ。
ウイキペデイアによると、

◆知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
知ることと行うことは本来一つであるという考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。

王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた。

ネット検索した辞書によると、

◆知行合一 意味
知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。
▽王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹しゅきの先知後行説に対したもの。


「“知行合一”が行動力の原点に!」と題したインタビュー記事によると、

http://diamond.jp/articles/-/1899

◆「迷ったらやる」が私のポリシーです。思っただけでは意味がない、必ず行動する。これは私が敬愛する吉田松陰の「知行合一(ちこうごういつ)」という考えからきています。
「知行合一」とは、陽明学の命題の一つで、松陰が松下村塾の掛け軸に掲げた言葉です。「知識をつけることは行動することの始まりであり、行動することはつけた知識を完成させることである。
 行なわなければ知っているとはいえない。知っていても行なわないのはまだ知らないのと同じである。知って、行なってこそ、本当の知恵、真知である」。


 かつてお世話になった上越青年会議所の2012年のテーマは

◆「自分がやらねば誰がやる」

であった。
http://joetsujc.com/2012/?p=2198

 これも、「知行合一」の発想なのだと思う。
 身近な生き様に「知行合一」がしみ込んでいるようだ。もっと調べてみよう(思うだけでなく、やらないと意味がない)。

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December 24, 2013

「幼学綱要の20項目、教育勅語12徳」

 10月に名古屋で竹田恒泰氏の講演を聞いた。
 その際、幼学綱要の話題が出てきた。主催の名古屋JCが、幼学綱要の20徳をアピールしていたからだ。
 ちなみに人物では、
 ①元田永孚もとだながさね
 ②井上毅
 ③明治天皇
の3人が際立っていた。

 幼学綱要については、河田先生が詳しく解説されている。
 TOSSとして、このくらいはきちんと把握していなければならないということだ。

http://kawata3.web.fc2.com/doutoku/doutoku17.html

日本人の道徳観を読み解く②一 儒学と幼学綱要

 現在の道徳教育に深い影響を与えているのが『幼学綱要』だ。道徳教育というと「学校での教育」を頭に思い浮かべるだろうが,学校以外でおこなわれる道徳教育が圧倒的に多いだろう。両親から「人間なら~しなければ」と説かれる,近所のおじさんから「男なら~だろ」と励まされるというように,小さな時から自然に空気を吸い込むように社会の中にある道徳観を吸い込んで子どもは育っていく。我々のまわりにある,我々を包み込んでいる空気のような道徳観は,マスコミによってつくられることもあるし,よく売れている本や雑誌によってつくられることもあるだろうし,最近では2チャンネルなどのネットでの議論によって形成される場合もある。しかし,それらの空気のような道徳観の根っこにあるものがある。子どもを諭す両親や,口うるさい近所のおじさん,マスコミでしたり顔に話すコメンテーター,ネットで自らの論を展開する人達へ影響を与えているものがあるのだ。

 それが『幼学綱要』だ。

 『幼学綱要』は全七巻からなる本だ。筆者は,元田永孚。

 「国民道徳」から儒教的色合いを除きたいと頑張った森有礼とは対極をなす人物だ。

 元田は,「儒教道徳」こそが,国民道徳だと信じていた。そして,皇室への崇敬を国民に求めた。元田は,「修身」=「治国」として,修身と名を借りた儒教道徳の国民への広まりを重視した人物である。

 その元田が編修している『幼学綱要』はまさに儒学そのものだ。

 教育勅語は,『幼学綱要』がもとになっている。『幼学綱要』は,徳目を20にまとめている。全七巻のすべての巻頭にこの20の項目が載っている。「孝行・忠節・和順・友愛・信義・勤学・立志・誠実・仁慈・礼」がその徳目だ。

 明治12(1879)年,学校生徒の学力衰退を憂慮した天皇の意向をうけ,日本独自の教育に関する文書『教学大旨』を提出。日本における教学の要を論じた前段と,小学校における教育の実情について留意すべき二条項を述べた後段から構成され,終始儒学に基づいた仁義忠孝の精神を力説した。

 明治14(1881)年にはこの『教学大旨』をもとに『幼学綱要』が編纂され,さらに明治23(1890)年の『教育勅語』発布へと展開していくことになる。教育勅語は,敗戦の昭和20年まで日本人の道徳観形成していくわけだが,その大本は『幼学網要』であり,『幼学網要』の大本は元田の学んだ和製儒学(主に水戸学をもとにしたもの)なのである。

 儒学
 ↓
 幼学綱要
 ↓
 現在の日本人の道徳観

 この『幼学綱要』の教科が日本人に与えた影響が大きいために,日本人の道徳観は,儒学的道徳観が多くを占めている。

 しかし,日本の長い歴史のおいては,儒学の影響を受けている期間は長くはない。儒学の思想は古くから日本に入ってきてはいたが,多大な影響を与えるようになったのは江戸時代だ。江戸幕府は「修身・斉家・治国平天下」,すなわち「身をおさめ,家を斉(ととの)え国を治めれば,自ずと天下は平らかになる(世の中平和になる)」という朱子学の定理にのっとって国を運営した。家臣が主君に忠義を尽くす「忠」,武士道にのっとり主人の仇を討つ「義」などは,みな「和風儒学」のキーワードだ。そして,日本人全部の共通する道徳観として根付くのは明治以降のことなのだ。

日本人に,「和風儒学」の精神を浸透させるのに力を発揮したのが『幼学綱要』である。

二 幼学綱要の徳目

 幼学綱要には,20の徳目が収録されている。規範意識が低下した現在,国民全員が精いっぱい生きていた明治時代の規範基準「幼学綱要」を見直し,指針とするときである,

① 孝行〔親の恩に感謝する〕
② 忠節〔国に忠節をつくす〕
③ 和順〔夫婦はむつまじく〕
④ 友愛〔兄弟姉妹は仲よく〕
⑤ 信義〔友人は助けあう 〕
⑥ 勉学〔まじめに勉強する〕
⑦ 立志〔決心を固める  〕
⑧ 誠実〔何事もまじめに 〕
⑨ 仁義〔人を助ける心  〕
⑩ 礼譲〔礼儀正しく   〕
⑪ 倹素〔無駄遣いをしない〕
⑫ 忍耐〔耐え忍ぶこと  〕
⑬ 貞節〔節操を守ること 〕
⑭ 廉潔〔正しく潔白なこと〕
⑮ 敏智〔機敏に知恵を出す〕
⑯ 剛勇〔強い勇気を持つ 〕
⑰ 公平〔えこひいきしない〕
⑱ 度量〔こせこせしない 〕
⑲ 誠断〔正しく判断する 〕
⑳ 勉職〔職場に専念する 〕

 現代社会で必要であるにも関わらず希薄になった徳目がたくさんある。TOSS道徳は,現代版幼学綱要の提案を検討中である。

・・・ちなみに、下記の12項目を「教育勅語の12徳」と言う。
20の中から厳選されているが、自分が調べたところでは、やや言葉が異なっている。

①孝行⇒子は親に孝養を尽くしましょう。
②友愛⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。
③夫婦の和⇒夫婦はいつも仲睦(むつ)まじくしましょう。
④朋友の信⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。
⑤謙遜⇒自分の言動を慎みましょう。
⑥博愛⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
⑦修学習業⇒勉学に励み職業を身につけましょう。
⑧智能啓発⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。
⑨徳器成就⇒人格の向上につとめましょう。
⑩公益世務⇒広く世に中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう。
⑪遵法⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
⑫義勇⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。

 「幼学綱要」については、多くのWEBが、「儒教的」としているが、竹田恒泰氏は「儒教」とは異なるといった言い方をされたと記憶している。
 宗教色や思想を排除し、きわめて普遍的なものを目指したというようなことを言われた。

教育勅語の12徳
(原文)
  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 ここから徳目を抜き出すと

①父母ニ「孝」
②兄弟ニ「友」
③夫婦「相和」
④朋友「相信」
⑤「恭儉」己レヲ持シ
⑥「博愛」衆ニ及ホシ
⑦「學ヲ修メ業ヲ習ヒ」以テ
⑧「智能ヲ啓發」シ
⑨「德器ヲ成就」シ進テ
⑩「公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」
⑪「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」
⑫ 一旦緩急アレハ「義勇」公ニ奉シ・・

ということになるか・・。
 
 「明治以降に於ける陽明学の展開について」と題したブログは、「陽明学」の視点から幼学綱要と教育勅語を論じている。
http://blog.goo.ne.jp/takuyoshio/e/bf4e6b006a1b27fca3388367d6ad773e

==================
 底流化し噴出した幕末陽明学の素養

 明治維新を成し遂げた人々(武士)は、国体に対する絶対なる確信(史学・水戸学)と日本人としての豊かな情操(国学)そして道義的な生き方を誇りとする人生哲学(儒学・陽明学)を体得していた。
 更に武士達は国家(公)に対する強い責任意識を持ち「敵」に勝つ為の実践論(兵法)を身に付けていた。
 それ故に、西欧列強の「力」に対応し勝利する為に、彼らは積極的に西欧を研究し、その技術力(洋学・蘭学・医学)を学び取り入れて行った。
 所謂「和魂洋才」「東洋道徳西洋芸術」である。

 だが、西洋文明の背景にはキリスト教(一神教)が存し、絶対神と繋がる強固な自我(個人主義)、他者の征服を「神の恩頼」と見做す人種差別・選民思想が隠されていた。
 明治以降の日本人にとって、西欧文明を学ぶ事は、それ迄培ってきた東洋思想・日本哲学との「文明の衝突」を持ち来たすものだった。
 取り分け、維新後の十年は、西欧文明の手法を身につける為に総てが「西欧化」一辺倒となり、日本なるもの東洋なるものは捨てて顧みられる事が無い精神的な混乱の時代が続いた。

(中略)
日本人の倫理道徳の復権

 次代の国民精神を如何に涵養して行くかは、国家存続の意味で重大な問題である。
時代は陽明学のみならず、漢学の伝統素養を抹殺し、西欧流の功利主義・自己中心主義・拝金主義という無倫理へと流れようとしていた。

その時代風潮を最も危惧されたのが明治天皇であらせられた。陛下は、明治十一年の東北、北陸、東海道御巡幸の直後に岩倉具視や侍講の元田永孚に民政教育についてのご憂念を示された。
そこで、元田は陛下の聖旨を「教学大旨」「小学条目二件」として成文化し奉呈した(十二年九月十一日)。

「教学大旨」には「自今以往、祖宗の訓典に基づき、専ら仁義忠孝を明かにし、道徳の学は、其才器に随て益々長進し、道徳才芸、本末全備して」と記されている。更に明治天皇は、元田永孚に幼児のための教訓書編纂の勅諭を下された。元田の編集案を元に衆智を結集して十五年七月に『幼学綱要』が完成した。幼学綱要には「孝行」「忠節」「和順」等二十の徳目が示され、それぞれに、「経書(四書五経)」からの金言や和漢歴史の中の忠臣・孝子・烈婦等の言行が紹介された。
「幼学綱要頒賜の勅諭」も下され、幼学綱要は官公私立学校を始め広く一般に普及し、国民教育に大きな影響を及ぼした。

更に小学校では「修身」教科書が生み出されて行く。

同じ十五年には、武士道の伝統に基づく「軍人勅諭」(忠節・礼儀・武勇・信義・質素の五カ条、「誠心」に帰一)が下され、国民皆兵の日本軍隊の精神的な支柱が明確にされている。

だが十八年に森有礼文部大臣が誕生するや、修身教科書の使用禁止を通達するなど徳育教育は再び混乱を始める。

二十一年頃から心ある知事の間で憂慮の声が上がり始め、遂に二十三年二月の地方長官会議で「徳育涵養ノ議ニ付イテノ建議」が為され、教育勅語の発布へと繋がって行ったのである。
起草した井上毅や元田永孚が如何に苦心し精魂を傾けて勅語案を考えたか、明治神宮編『明治天皇詔勅謹解』に詳しく記載されている。

(中略)

明治の基督教の指導者達は、その殆んどが陽明学の素養を身につけていたという。
この著書の中で紹介されているのは本多庸一・海老名弾正・松村介石・内村鑑三・植村正久・柏木義円・新渡戸稲造、更には基督教文学者の北村透谷・国木田独歩である。
彼らは、陽明学の「良知」と基督教の「良心」とを同一のものとして捉え、高貴なる魂を求め続けた。
彼らは基督教徒であると共に武士道を体現する日本人であった。
新渡戸稲造は『武士道』を、内村鑑三は『代表的日本人』を著し、日本人の魂の高貴さを世界に発信した。

(中略)

教育勅語の発布によって、日本の伝統的な思想や東洋哲学の復興に再び力が注がれる様になり、明治二十年代中頃には『東洋哲学』『朱子学』『陽明学』等の機関紙が相次いで発刊され、道義心の涵養と道義国家の建設が強く訴えられた。
だが、日清戦争の勝利は支那文明への蔑視を生み、力のみが全てを制する西欧的な帝国主義の考えが人々の心を支配する様になって行く。
=====================
・・・難しい。でも竹田氏の講演を聞いたおかげで、ずいぶんスムーズに入ってくる。
 それにしても、西洋化の問題を指摘している一方で、日本を代表する知識人がキリスト信者というところが、すごく不思議である。

ちなみに「幼学綱要」についてのシンプルな解説もあった。

http://rakudo.jp/recomendbook.html

『幼学綱要』
(元田永孚編、宮内省蔵板)
これは明治天皇が、明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ、侍講の元田永孚に命じて編纂させられた最初の修身教科書である。
「修身」などというと、戦前の軍国主義を連想する人もいるであろうが、我が身を修めるのは、人生の基本である。
二十の徳目に分類され、その徳目にかなった中国と日本の先人達の言動を集めた、『小学』の日本版とも称すべき重要な書物である。

 
・・・明治初頭の段階で、すでに「明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ」たと言う。
 このあたりは「逝きし世の面影」も同じ論調である。

内村鑑三は、武士道とキリスト教の双方のよさを説いている。
「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」という言葉が知られている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249028687

◆◆◆
 新渡戸稲造も内村鑑三も武士階級出身で、熱烈なクリスチャン、真の愛国者でした。 そして武士道を日本が生んだ最高のものとして終生誇りにしていました。
「接ぎ木」と言ったのは内村鑑三です。 以下をご参照下さい (1916年1月「聖書之研究」より)

「武士道は日本国最善の産物である。 しかしながら武士道そのものに日本国を救うの能力(ちから)は無い。
武士道の台木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であって、これに、日本国のみならず全世界を救うの能力がある。
今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い。
ここにおいて神は日本国に、その最善を献じて彼の聖業を助くべく求めたまいつつある。
日本国の歴史に、深い世界的の意義があった。
神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に応ぜんがために、日本国において武士道を完成したまいつつあったのである。
世界はつまりキリスト教によって救わるるのである。
しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によって救わるるのである。
◆◆◆

 ヤフーの知恵袋で満足するつもりはないので、もう少し調べてみたい。
 あの時代に「今やキリスト教は欧州において滅びつつある。 そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い」と指摘したところが興味深い。
 むろん、日本も、この時代、「逝きし世の面影」で指摘されるように、日本の良さは失われてしまったと嘆かれている。
 明治天皇も西欧化によって日本のよき精神が失われたことを嘆いている。

 失われる前の「日本」、失われる前の「キリスト教」って、どんなだったのか、が気になるところだ。

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December 31, 2010

人間中心思想と自然中心思想

 中日新聞夕刊の梅原猛氏の連載「思うままに」で、『草木国土悉皆成仏』の思想について触れている。

12月13日「植物中心の思想」
12月20日「日本の思想が人類救う」

の2回分しか手元にないが、もう少し前から言及されていたようだ。今度図書館で調べてみようと思う。

 『山川草木悉皆成仏』については、次のサイトに詳しい。
http://okwave.jp/qa/q2041831.html

 梅原氏の連載から一部抜粋すると
◆「草木国土悉皆成仏」という思想がインド仏教、中国仏教にない日本仏教独自の思想であり、その思想の淵源が縄文文化に求められる
◆伝統的な日本文化の原理が、「草木国土悉皆成仏」という言葉に表されるような植物を生きとし生けるものの中心におく思想であるとすれば、それはヨーロッパの伝統的思想とは甚だ異なる。ヨーロッパの伝統的思想は人間中心の思想であるといわねばならない。
◆このような思想(人間中心の思想)はキリスト教の聖典である新訳聖書にも受け継がれている。そこでは、人間は創造者である神の被造物であるが、神の似姿である理性をもつがゆえに他の被造物よりもすぐれていて、他の被造物に対する支配権をもつと考えられている。

・・・「古今和歌集」をはじめとする和歌の世界では、植物を読み込んだ四季の歌が多く、恋の歌も植物になぞらえた者が多い。
俳句の季語もしかり、「源氏物語」の女性の名前(桐壺・葵の上・夕顔など)も、戦前までの女性の名にも松・桃・菊・百合など植物の名が多い。
トランプ・麻雀と違い、花札は十二カ月それぞれの季節の植物が札に描かれ、その植物に集う鳥や獣が添えられていると梅原氏は書いている。

 先日読んだ金谷武洋著『日本語には敬語があって主語がない』も同様の発想が書かれている。

▼俳句はまさにその方向で、「大いなる自然の懐に包まれて生きている儚い存在である自分」を詠むのが基本なのです。夏目金之助の「俳句と禅は似ている」という寺田寅彦への答えは、まさにそれを述べています。自然を支配し、自然を変えようとする西洋的、科学的、分析的な<私>はそこにいません。いるのは、それとは逆に、自然に溶け込んで同化してしまう<私>なのですから。P156▲

 また、続いて「俳号と四股名に見る『自然崇拝』」の章があり、俳人の植物志向などが紹介されている。
興味を引いたのは力士の四股名である。

▼戦前の双葉山から平成のは貴乃花・若乃花まで、植物的なものが目立ちます。それはなぜでしょうか。
一言で言うと、それらが日本人にとっては「強そうな名前」だからです。つまり、そこにあって不動の自然物(山・嶺・島・富士)や、人間のコントロールの利かない勢いを帯びるもの(海・川・波)や、そして自然に大きく育つ植物(花・杉・藤)などだからです。▲

 金谷氏は、この後、外国人力士には「龍・鵬」といった架空の動物を使うケースが目立つことも興味深い点として指摘している。西洋由来の野球のチーム名は巨人や龍や虎・鷹のように勇ましいものが多いことも。
外山滋比古氏の『ことばに学ぶ』からの引用もある。

▼ 「アメリカ人の自然に動物が重要な意味をもっているとすれば、われわれの自然はどちらかといえば植物的であるように思われる。手許の歳時記で季語に当たってみると、動物という分類に入っていうものが七七、」植物に入っているものが二○八。植物の方が三倍近く多い」▲

 日本の自然観は植物的、という点が、冒頭、梅原氏の「草木国土悉皆成仏」=自然を支配するのではなく受容する思想とつながってくる。
 であるからこそ、梅原氏は西洋の人間中心主義に異を唱える。

▼この人間中心主義はいつ興ったか。それはもちろんプラトンによって始まったとはいえない。人間が農耕牧畜文明を創造したとき、このような人間中心主義が文明の哲学になったのであろう。農業は人間が植物を絶対的に支配することであり、牧畜は人間が動物を絶対的に支配することであるからである。
今や、遠く農耕牧畜文明に遡る人間中心主義を批判すべきであろう。このように人類文明を根源的に考えるとき、狩猟採集文明の原理を保持している日本の思想が人類の危機を救う思想になるのではなかろうか。▲

 梅原氏は2008年にも同趣旨の講演を行っている。
http://www.geocities.jp/shinnyatarou/date16.html

 2004年にも書いている。
http://shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/review/asahi20040720_umehara.html

 西洋思想と東洋思想の違い、これは哲学の問題であり、宗教の問題である。
 実に奥の深い問題だ。ほんの入り口に過ぎない。

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November 30, 2008

小学校唱歌「金剛石」

『正論』12月号の調査室のコーナーで「金剛石」という歌についての質問と回答があった。
 明治20年昭憲皇太后が華族女学校(後の女子学習院)に賜ったものだということなので、今の女子学習院のサイトを探ってみる。

http://www.gakushuin.ac.jp/girl/kyoiku/houshin.html
本校は、明治18(1885)年、皇后陛下(昭憲皇太后)の「女子にも独自の教育を施す」という思し召しによって「華族女学校」として開設されました。その後学習院女学部、女子学習院、そして現在の学習院女子中等科・女子高等科と学校の名称や校地は変わりましたが、現在に至るまで一貫して「その時代に生きる女性にふさわしい品性と知性を身につける」ことを目標として女子教育を行って参りました。
その教育理念は明治20年に皇后陛下から賜りました御歌「金剛石・水は器」に表され、現在も入学式に歌い継がれています。その御歌には「金剛石もみかかすは 珠のひかりはそはさらむ 人もまなひてのちにこそ まことの徳はあらはるれ」とあります。この一節には自ら学習に励むことの大切さが示されています。この御歌を指針として、ダイヤモンドの原石である生徒たちが自らの能力を磨き上げるとともに、一人一人が個性を輝かせ、互いに切磋琢磨する六年間となるよう教職員一同力をあわせ、支援して参りたいと考えております。

・・・歌詞の全文と実に詳細な解説が次のサイトである。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/c5d4ab8d71b57f07c95ecb8e69e70eb1

金剛石・水は器
            昭憲皇太后御歌
            奥 好義作曲

金剛石もみがかずば   / 珠の光はそわざらん
人もまなびて後にこそ   / まことの徳は現るれ
時計のはりのたえまなく / めぐるがごとく ときのまの
日かげおしみて 励みなば / 如何なる業か ならざらん

水はうつわにしたがいて  / そのさまざまになりぬなり
人はまじわる友により   / よきにあしきにうつるなり
おのれにまさるよき友を   / えらびもとめて もろ共に
こころの駒にむちうちて    / まなびの道にすすめかし


曲は下記のウェブで聴くことができる。
http://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/song/konmizu.htm
http://www.geocities.jp/abm168/Doyo/kongoseki.html

 左翼の方から見れば「皇太后の歌などトンデモナイ」のだろうなあ。
 純粋にこの歌詞を読めば、しっかり学んでほしい・しっかり育ってほしいという明治皇后の思いがよく分かる。
 1番は、自己研鑽することの大切さを磨けば磨くほど輝きを増す「金剛石(ダイヤモンド)」に喩えている。
 2番は、よき友と交わること大切さを器に従って形を変える「水」に喩えている。
 1番の自己研鑽の言葉に比べ、2番はインパクトがあった。

◆人は良くも悪くも友達の影響を受けるから己に勝る友を選びなさい。
◆その友と一緒に、自分の心に鞭を打ちしっかり学びなさい。

・・・このような歌を入学式で歌う伝統があるというのがうらやましいとさえ思う。
 ちなみに『正論』では、ある小学校の通信簿に掲載されていたが、戦後GHQの指示で墨で塗りつぶされたのだそうだ。
 北九州の読者、境孝毅氏によれば、境さんの保存している尋常小学校1年生の対象13年度通告簿に記載されているが、3年後に転校した学校では記載されていなかったそうだ。
 境さんは詳細に次のように補足された。
◆御歌は明治二十年昭憲皇太后が華族女学校(後の女子学習院)に賜ったもので、これに宮内省楽士の奥好義(おく・いきよし)が作曲して同年五月に発表されました。
その後、明治二十九年に編まれた「新編教育唱歌集」(第四集)に収められたとき「尋常小学唱歌」の五学年用の巻頭に掲載されて一般に歌われるようになったものです。

・・・中学生なら年に一度は触れさせたい歌である。

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September 20, 2008

世阿弥「初心忘るべからず」

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 前回書いた「離見の見」は、世阿弥の「花鏡」にあるそうだ。
 そして、この世阿弥の「花鏡」には、もっと有名な「初心忘るべからず」もあるのだそうだ。
 そして、そして、この「初心忘るべからず」は、本来「初志貫徹」のような意味ではなく、「未熟だったころの辛さや悔しさを忘れるな」という意味なのだそうだ。ということで、「常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならない」(広辞苑)は、元来の意味とは違うということだ。
 そして、そして、そしてこの言葉は、3段階あるのだそうだ。
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-23.html
=================
「奥の段」

しかれば、当流に万能一徳の一句あり。
  初心不可忘。(しょしんわするべからず)
この句、三ヶ条の口伝あり。
  是非初心不可忘。
  時々初心不可忘。
  老後初心不可忘。
この三つ、よくよく口伝すべし。

一、是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして身に持ちてあれば、老後にさまざまの徳あり。「前々の非を知るを、後々の是とす」と言へり。
一、時々の初心を忘るべからずとは、これは、初心より、年盛りの頃、老後に至るまで、その自分自分の芸曲の、似合ひたる風体をたしなみしは、時々の初心なり。されば、その時々の風儀をし捨てし捨て忘るれば、今の当体の風儀をならでは身に持たず。過ぎし方の一体一体を、今当芸にみな一能曲に持てば、十体にわたりて、能数尽きず。その時々にありし風体は、時々の初心なり。
それを当芸に一度に持つは、時々の初心を忘れぬにてはなしや。
一、老後の初心を忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず
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 是非とも初心忘るべからず
 時々の初心忘るべからず 
 老後の初心忘るべからず

 修行を始めた頃の初心(未熟さ)を忘れてはならない。
 修行の各段階ごとに、各々の時期の初心を忘れてはならない。
 老境に入った時もその老境の初心を忘れてはならない。
 
http://wagamamakorin.client.jp/syoshin.html

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/zeami/gyouseki/kakyou_details.html

 今思えば自分にも若さゆえの暴走も失言も失敗がたくさんある。消してしまいたいほどの過去もたくさんある。
 でも、その過去をなかったかのようにふるまうのではなく、過去を背負って生きる方が「謙虚」であれるということなのだろう。「前々の非を知るを、後々の是とす」は対句表現の見事な言葉だ。

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July 12, 2007

法隆寺~「柔構造」の象徴~

Houryuu
 法隆寺は世界最古の木造建築として知られている。
 地震が多く湿気の多い日本で1300年も木造建築が残るなんて驚異である。
 ちなみに
■現代の家の寿命は20年
■伝統構法の家の寿命は300年
と言われている。
 先日の「ガイアの夜明け」では、古い家屋の柱が重宝がられていた。
 大切に使えば柱になった材木でも何百年も生き続けるのだそうだ→ここ
 中学校の国語の教科書でも紹介されているが、法隆寺が現存する理由は「柔構造の原理」である。

http://www.ne.jp/asahi/fukada/gont/concept/con-text1.htmlによれば、
  現代の家の考え方は、地震に対して地面にしっかり固定し、びくとも動かないように家全体を固めようとしています。
 地震という自然のエネルギーに対して、あくまで頑なに抵抗して、人知の力で対抗していこうという発想です。
これを剛構造といいます。
 一方、伝統構法の家は地震の力に対して、どうやってそれを受け流し、分散し、逃がしていくかという考えに基づいています。
 自然のエネルギーに対して抵抗するのでなく、柔軟に受け入れていく作りになっているのです。これを柔構造といいます。
 建物は、外力を受けたとき、一重から五重まで、それぞれがヤジロベエの如く互い違いにゆらゆらと波を打つように揺れ動き、塔全体がスネークダンスを舞うように作られています。

・・・建築構造としての「柔構造」も興味深いが、そもそも日本人が「柔構造」の発想であることも興味深い。
 かつて「八百万の神」でも書いたが、日本は外からの文化を積極的に吸収して発展してきた。
 それは、そもそもの発想が「柔構造」だからだ。
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もともと日本人は、自然の力に対抗しようという意識よりも、人間を自然の一部として捕らえ、自然の中でこそ生かされるという意識が強かったと思います。その様な背景があって、柔構造のようなすばらしい知恵が生まれたのですね。
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とも書いてある。
 確かに
◆合気道のような日本の武術も、相手の力をうまく利用している(「柔道」=「柔よく剛を制す」も同じだ)。
◆日本では、神様も仏様も同じように大切にあつかわれ、初もうでがありクリスマスがありお盆がある。
◆人に話を聞かれたくないときは、密室で話すのでなく、ふすまを全部開けて広間の真ん中で堂々と話をしたそうだ。
◆湿気や暑気を嫌って遮断するのではなく、湿気や暑気を受け入れて暮らしてきた。

・・・ 「柔構造」の思想は、日本人の誇りなのだとつくづく思う。

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June 22, 2007

陰陽二元論と弁証法

Taikyoku_1
 陰陽二元論について、以前書いた。
 それは「弁証法」がよく分からなくて、たどりついた用語だった。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/cat6782175/index.html

 久しぶりに実家に帰って気になる書物を探し出した。
『コトワザ教育のすすめ』庄司和晃(明治図書)
1987年第1版である。つまり約20年前。
「弁証法コトワザ」という項目がある。
 読んでいくと、白黒をはっきりさせない「陰陽二元論」と同じなのである。
 それは「ひょっとして」と思った自分の予想通りだった。
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1)万物変化の法則(全てのものは変わる)
・月日変われば気も変わる
・貧すれば鈍する

2)万物関連の法則 (全てのものはつながっている)
・悪事千里を走る
・大風が吹けば桶屋が儲かる
・下手があるので上手が知れる

3)対立の統一の法則 (全てのものは矛盾を背負う)
・東方の極端は西方なり
・長所は短所
・会うは別れのはじめ

4)量質の相互転化の法則(物事は互いに転化しあう)
・薬の過ぎれば毒となる
・下手は上手の元
・進みすぎて無に帰す

5)対立物の相互浸透の法則(対立物は互いに浸透しあう)
・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
・住めば都
・習うより慣れろ

6)否定の否定の法則(物事は二度の否定で発展する)
・隠すために隠さない
・急がば回れ
・雨降って地固まる
・負けて勝つ

1・2の万物変化と万物連関は、伝来したインド的思考で言うと
「諸行無常」(あらゆるものは流転し変化する)
「因縁所生」(全ての現象は原因と条件によって生起する)
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 いかに自分が勉強不足か分かる。
 20年前の書物も「あれども見えず」だったのである。

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June 08, 2007

ノブレス・オブリジェ 「高貴なる義務」

 ノブレス・オブリジェはもともとはフランス語。
 英訳すればnoble obligement。
 日本語に直訳すれば「高貴なる義務」となる。
 要するに、階級が高く、普段庶民よりもよい生活をしている人はいざ、国の一大事となった場合は真っ先に国民を守る。そのために貴族はまっさきに戦場にかけつけ、危険な場所で生命を賭けて敵と戦うという精神のことを言う。
 日本では「武士道」の精神、「いざ鎌倉」の精神が、これに近いと言われる。
 「高貴な義務」という美徳は明治維新とともに滅びてしまったとも言われている。

http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/rakka03.htmlの発言は参考になった。
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日本帝国陸海軍の元帥大将たちは、「生きて虜囚の辱めを受けるな」と兵士に訓示していた。このため真面目な兵士や民間人たちが数多く戦死し、あるいは自決した。ところが敗戦となった時、人間の真価がポロリと出ている。
軍人中の軍人として権勢を極めた陸軍大将はピストル自決に失敗し、米軍の捕虜となった。多くの高級将官たちも自決どころか「生きて虜囚」となった。
人前では威厳に満ちた将官でさえ、生命への執着心がいかに強かったことか。哀れなのは、虜囚の辱めを受けまいと死を選んだ兵士たちや民間人である。
エリートと見えし方々も平凡な人間であったのだ。本当に尊敬に値する人はいつの世でも数少ない。
日本では、「ノーブレス・オブリージ」に相当する身近な言葉がないから規範や倫理となって定着していない。
強いて言えば「率先垂範・出処進退」の心得がこれに相当しようが、どうもこれだけでは少しニュアンスが違う。
「率先垂範」以上に難しいのは蹉跌の場合の「出処進退」であろう。
士農工商の階級社会がなくなったのはよいが、商道や倫理観を欠く商工優位の金権社会に堕落したように見えるケースがしばしぱ起きる。
その度毎に、政治家や経営者や高級官僚の「出処進退」がジャーナリズムの話題になるが、残念ながら根本的な解決にならない。
「ノーブレス・オブリージ」は、辞めれば済むという問題でもないからだ。
「率先垂範・出処進退」などの「行動規範」以上に大事なのは、「ノーブレス・オブリージ」の根幹をなす「倫理規範」であろう。
昔は商いにも「商道」があった。一般的には「良識的判断」「弱者への思いやり」「責任感」「正義感」といった徳目であろう。英国では「嘘」と「賄賂」は通用しない。
進学・体育・芸能などの英才教育は盛んであるが、徳育の英才教育は聞かない。
人格にいささかの欠陥があっても、偏差値が高ければ社会的に高い地位に就けるようであれば、官僚や経営者のスキャンダルは減るまい日本の風土にあった「ノーブレス・オブリージ」の倫理を、身近な日本語による教訓として確立し、規範として定着させ、伝承させる必要があるのではなかろうか。

・・・「武士道」とか「滅私奉公」といった言葉が過剰反応をもたらすなら、
「ノブレスオブリジェ(高貴なる義務)」や「率先垂範」という言葉を用いて、その美徳を推奨していきたい。

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June 05, 2007

「徳育」の教科化

教育再生会議の第二次報告で「徳育」の教科としての位置づけが提言された。
2007年6月2日の中日新聞の社説は「教育二次報告 『修身』復活はごめんだ」と題して早速、戦前の教育とダブらせて論証抜きの印象批判を展開した。
「『修身』のような授業」という表現で批判をするなら、「修身」のどこに問題があったのかについて、一言でもいいから触れるべきだ。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007060202020879.html

 「徳育」は教科とし、教科書もつくれという。教育再生会議がまとめた第二次報告は、提言の柱の一つに「徳育の充実」を掲げた。教材の例に偉人伝を挙げるが、戦前の「修身」復活ならごめんだ。
 二次報告は「学力向上」「心と体-調和の取れた人間形成」「大学・大学院の再生」「財政基盤のあり方」を四大テーマとし、「心と体」の冒頭の提言で「徳育の充実」をうたっている。
 社会の規範意識や公共心を身につけさせる教科に道徳があるが、再生会議の議論ではいまの道徳教育は十分ではないとし、さらに発展させた教科として徳育を位置づける。国語や社会科、体育、総合学習の時間なども関連付けて充実させるとしており、重要視している姿勢がわかる。
 ことし一月の一次報告は子どもの規範意識を高める方策として「民話や神話・おとぎ話、茶道・華道・書道・武道などを通じて徳目や礼儀作法、形式美・様式美」を掲げた。復古調が目立ち、諮問した安倍晋三首相が絶賛した内容だった。
 この具体的手段が徳育の教科化だが、教材には「教科書と副教材を使う」という。「その際、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、感動などに十分配慮したものが使用されるようにする」と補足説明も付く。
 教科書とは文部科学省の検定を受けたものを指す。すでに小学校では副教材「心のノート」が使われているが、これには一定の考え方や感じ方を教え込むものではないかとの批判が出ている。検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まる。ましてや、偉人伝などとくると、戦前の教科書を思い浮かべてしまう。
 徳育の評価方法に報告は「点数」を外した。規範意識の習得度を数値化するのは困難であり、当然だ。ただ、教科である以上は評価が伴う。記述式も検討されたという。
 具体的には中央教育審議会でも議論されるだろうが、教科化そのものをもっと慎重に吟味すべきだ。徳育が昔の「修身」のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう。
 徳育の教科化に会議メンバーの間では意見が分かれていた。まとまらない段階で座長と座長代理に結論が一任された。七月の参院選を前にして出てきた二次報告は、これを「美しい国」の土台にしたい首相の意向に再び沿う内容だ。会議は公開されておらず、結論までのプロセスが見えにくい。子どもの将来にかかわる重要なことをこんな手順で進めていっていいものだろうか。

  
1) まず「心と体-調和の取れた人間形成」「徳育の充実」とあるが、
 この提言に異論があるのかどうか。この提言そのものに反対せず、再生会議の提言に反対なら、代案を示すべきだ。

2)検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まるとあるが、
 日本人としてのごくごく当たり前のルールやモラルを全国共通となる教科書で教える(涵養する)ことのどこに問題があるのかをはっきりさせてほしい。それすらためらうから、ルール無視・モラル低下の現在があるのではないか。

3)ましてや、偉人伝などとくると、戦前の教科書を思い浮かべてしまう、とあるが
 偉人伝のどこが問題なのかがよく分からない。偉人伝はそんなに蔑視されるべきものなのか。
 修身の教科書に登場する偉人は決して批判される人物の羅列ではない。
 巻四で、孝行・兄弟・勉強・規律に登場する渡辺登。 志を堅くせよに登場するイギリスのジェンナー、博愛のナイチンゲール、法令のソクラテスなど感心する人物も多い。巻五は上杉鷹山・勝安芳・吉田松陰・コロンブスといった著名人以外にも三河の古橋源六郎・伊予の作兵衛・伊勢の伊藤小左衛門・山城の義兵衛など失礼ながら地味な人物の例示も多い。「偉人伝=戦前の教科書」とは低俗な印象批判にすぎない。

4)徳育が昔の「修身」のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう、とあるが、
どうしたらルール無視・モラル低下に歯止めがかけられるのか、具体的にどうしたらいいかを述べてほしい。。
 ちなみに、「徳育が昔の『修身』のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう」ということは、
「『修身』のような授業として復活を目指さないなら、批判はないだろう」ということになる。
 誰も「修身のような授業として復活を目指す」などと述べていないのだから、この「批判は相次ぐだろう」は余計なお世話ともいえるイメージダウンの操作でしかない。
 
 一方、産経新聞の社説は正反対。
 タイトルは「教育再生会議 評価したい徳育の教科化」である。
 その見解の相違をきちんと論じてほしいものだ。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070602/shc070602001.htm

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